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三国の人材比較スレ

1 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/22(水) 18:17:32
他のスレだと敬遠されがちな、「諸葛亮と司馬懿と陸遜で誰が一番凄いか」とか、
「関羽は魏で言うと夏侯惇のポジション」みたいな話題の総合スレで。

2 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/22(水) 18:24:24
「呉の岑昏は蜀でいう黄皓、そして後漢の十常侍」

3 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/22(水) 18:42:09
>>2
いきなり地味な人選ですなw
岑昏は多分宦官でないのと、張尚の助命嘆願してたりするのが意外といえば意外。
最後は皆似たようなものに…と思ったが黄皓だけ賄賂で見事逃れてるか。

4 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/22(水) 18:58:58
諸葛亮と司馬懿と陸遜なら
謀略
陸遜>司馬懿>諸葛亮
行政
諸葛亮>陸遜>司馬懿
政争
司馬懿>諸葛亮>陸遜

こんなもんか。

5 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/22(水) 19:28:13
呂布が・・・
死んで、曹操にとりつき、エンショウ撃破、
赤壁で、孔明の術で、シュウユにとりつき、曹操撃破。
・・・・・
ごじょうげんで、魂が、中国を離れ,孔明死す。

やばい、かなり俺いっちゃてる?

6 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 10:34:38
>>1
なぜ呉から陸遜?呉なら周瑜だろ

7 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 11:18:44
>>6
確かに。
しかし、違うとも言いきれないような気もする。
俺は>>4じゃないけど、こう考えたのかな?って思う。
関羽=周愉

8 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 12:01:25
関羽は呉なら程普+周瑜かねぇ。古参・生え抜き・職人気質+軍部筆頭・司令官。
多分軍政両面を担ったということで陸遜なのかな?そうすると司馬懿が怪しいか・・・

9 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 13:44:51
>>8
諸葛亮 司馬懿 陸遜の三人は国の軍政を握ったって共通点があるな

10 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 12:39:58
まず、基本の
曹操
劉備
孫権
は?

11 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 12:55:06
曹操は勝利の為にはどんな我慢でもできる人
孫権は勝利の為には手段を選ばない人
劉備は勝利よりも感情を優先する人

12 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 13:07:00
>>10
曹操も劉備も創業者だけど、孫権はモロに継承・発展組だからなんか違うような…
曹操・劉備・孫堅(孫策)、あるいは曹丕・劉禅・孫権の方が良くないか?

ちなみに曹操・劉備・孫堅(+孫策)の共通点として見えてくるのは、自分の組織を一から創り上げることの難しさだと思う。
例えば曹操は旗揚げこそ曹・夏侯一門を中心とした少数精鋭で準備もあり、徐栄を相手に負けこそしたが少数ながら良く奮戦し、
才気煥発なところを見せているが、直後損害の補填のため揚州から新規兵を補充すると戦う以前に反乱を起こされるなど苦労を余儀なくされる。
孫堅も朱儁の元に居た頃を初め官軍を指揮すれば戦功を重ね大いに出世を重ねたが、後に義勇軍を挙げた直後は賊徒にも劣る精度に苦しめられ
敗勢・重症の憂き目に合い、孫策も父の残した軍勢を手に入れる以前は踏んだり蹴ったり。
特に劉備は軍勢を集めては離散し勝っては負けを繰り返してるわけで最も苦労が窺える。

13 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 14:46:59
いつもながらおまえの能書きは妻乱

14 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 00:52:35
>>11
けっこう納得

15 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 13:05:34
孫権はずるいよな
臣下の礼とかさ
あーゆーの好きになれん

16 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 13:18:32
カクカが一番すごいということで

17 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 14:27:13
>>11
曹操
息子や忠臣達を殺した憎い奴を、
より強くなる為に利用する度量と言うか、感情を押さえる力は確かに凄いな。

劉備はその辺が全然駄目だね。我慢強くない。

18 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 14:29:53
>>17
それが劉備の人気の原点だ

19 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 14:40:20
劉備はそれでいい

20 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 14:47:30
>>15
魏から見れば、蜀討伐に集中できる。蜀討伐後は呉討伐の面倒さを回避しつつ、中華統一という名目を手に入れられる。
呉から見れば、勢力を維持しつつ、逆賊では無くなる。
お互いの利害の一致。同盟に近い扱いでしょ。

元々中国は君主制で臣下に王国を置くことは多いしね。一勢力であの広大な領土を管理するのは無理ってもん。
曹操にとっても孫権にとっても望ましい形であるのさ。

まあ、その後コロコロ態度を変える孫権はオレも好きになれんが。

21 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 14:50:12
しょせん孫権は厨房ですから

22 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 14:54:02
>>20
曹操と真っ向から対立してた劉備に人気を持っていかれる理由が解る

23 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 15:01:10
劉備って曹操と真っ向から闘ったことあるのか?

24 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 15:02:35
雷がふってー 机のしたにかくれてー

25 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 15:31:52
魏:司馬懿
呉:陸遜
蜀:蒋エン・費イ・姜維

26 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 15:38:45
でイコウ

27 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 15:42:34
>>23
曹操率いる軍と戦った事はないな。
対立はしてたが。

28 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 16:33:58
>>17
徐州の大虐殺は父が殺された事に怒り狂ってやったと言われてるが
もしそうだとすると全然我慢強くないじゃん

29 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 16:40:22
諸説あり。あれを短気な一面ととる説もあれば、父の殺害を徐州奪略の口実、及び諸侯に対する見せしめにしたとの説も。

30 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 16:42:31
結果的に見れば見せしめのメリットより
デメリットの方がかなり大きかったようだが…

31 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 16:52:48
見せしめでやったにせよ
私怨でやったにせよ軽率だった事には変わりないな。

32 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 17:07:51
>>30-31
そう言い切れるか?
それは後に曹操が勝者となったから言える訳で、
あれを恐れて降服したり味方になった勢力があるんだから、
少なくとも失敗とは言いきれない。
その頃の曹操には余裕なんてあまりないしな。

33 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 17:27:09
>>32
余裕が無いならなおさら世論とか名士の
反感を買うような真似はしなかった方が良かったのでは?
当時の視点からみても虐殺が必要なものだったとは思えない

34 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 17:29:45
>>33
世論と名士の微力で戦争に勝てるとは思ってなかったんだろ

35 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 17:32:51
>>33
曹操を怒らせたらヤバイって皆が皆思っただろうな
曹操が今まで以上に輪をかけて恐れられるようになったのはこの後からだ

36 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 17:38:18
感情の振れ幅の大きい人だから(なんたってポエマー)
若い時にはコントロール仕切れなかったこともあるんじゃないかな。
自分はそういうところのある曹操が好きだ

37 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 17:38:21
与える恐怖心の方向性が間違ってるから
三国鼎立まで行ったんじゃなかろうか

38 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 17:44:03
>>34
全然微力じゃない

39 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 18:29:23
>>38
巨大でもない

40 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 18:45:03
いや、世論はともかく名士の力は
巨大と言っても過言じゃないだろう
そもそも当時は名士=世論なわけだし

41 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 18:57:21
世論なんか大して意に介してなかったのが曹操
世論を味方に付けたのが劉備
劉備の力の付け方を鑑みるに世論もあなどれん

42 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 19:01:12
>>32
完全な失敗ではない
しかし成功でもない
やりすぎた感は否めない
得たものもあるが失ったものも多い
やや失敗だな
でも当時の苦労なんか結果を知ってる現代人にはわからない事もあるだろうな
とはおもうよ

43 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 19:09:30
>>42
曹操軍に恐れを抱かせ強い印象を与える
=曹操の敵に回る事を控える
=逆に仲間になる奴も増える
=徒党を組ませない
=各個撃破可能
=快進撃に繋がる

マイナス要素ばかりじゃないよな。

44 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 19:25:27
曹操と劉備は好き
でも孫権は嫌い
こうゆう人多そうだよね

45 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 19:31:25
>>44
あいつムカつくもん、嘘ばっかりつくから

46 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 19:33:48
国を守るが主の責務ですじゃ

47 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 19:38:27
>>46
一番いい方法は曹操に降服して兵や民を無駄死にさせない事

48 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 19:38:58
つまり孫権

49 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 19:45:55
権ひとりが死ねば呉は平和

50 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 19:47:16
後継者争い勃発

51 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 20:03:28
孫権は前半はともかく老化してからがひどい

52 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 20:14:57
君主の寿命が長いってのも考えものだよな

53 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 20:25:45
>>50
孫家は三族の刑
呉は魏の重臣が統治します
他国の人間が統治するのが難しかったら張昭に統治させます

54 :無名武将@お腹せっぷく :2006/11/25(土) 20:29:38
>>44
同じく
孫権は晩年が悔まれる

55 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 22:35:49
        o。
         ';:,..,'     ・ ' ・,:  ☆。,
         ∵.;;"*:;゛∵.;O ;;;;*:;;;*∴ ; /
      \,.、:  ∵ミ彡.;,- ◎*:;;  ・     | 〃   / ○
        ∴ ,,゙;;;∴;,   '・、′,∴:./      |ー-  /  |
         :O∴;",,◎'' ∵ ∴`;, ,       |    /    |   l l
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   ..:: |       ゙'‐='"      ゙'‐='" 'ヽ ::.. ヴヴヴウハッテネ!!!ッウ
   ..:: ヽ(⌒    ::::  :::: ;;;;; ,--'""ヽ::::::i ::.. ヴュッ!!ヴュッ!!ヴュッ!!!!
   ..:: ヽ ヽ__)  :::::::::://二二ノ""^ソ:::  i  ::..
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     ..::  ヽ、     \"ヽ-;:,,,,,,ノ /
      ..:: / ̄ ̄ ̄ ̄  \,,,,,__,,,ノ

56 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 22:42:58
http://www.youtube.com/watch?v=MhG8DJYWxrk

57 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 22:46:10
>>56
脊髄反射してブルッとキタwwwww

58 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 14:49:39
蜀の五虎将よりも、魏の五将軍の能力を高めに設定してほしいな

59 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 15:05:52
同感 魏の五将の方が活躍してる

60 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 15:07:56
>>59
その魏の五将軍より四天王最強の曹仁の方が上。

61 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 15:10:05
>>58
スレ違い

62 ::2006/11/26(日) 15:12:59
>>61
五将軍と関羽張飛趙雲馬超黄忠を比較するのは良しとしよう

63 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 15:27:12
●関羽vs張遼○
○張飛vs張コウ●
●趙雲vs徐晃○
●馬超vs于禁○
●黄忠vs楽進○



64 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 15:31:08
>>63
kwsk

65 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 15:32:59
>>64
とりあえず、五分の条件で俺の脳内で戦争させてみた

66 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 15:53:53
馬超・黄忠は戦場にいた期間が短い。関羽・張飛・趙雲も戦績でみるとそこまで凄くない。
まして曹操の元で20年以上勝ち続けてきた五将軍と戦績で比べるのは到底無理。

となると、直接対決なんだけど、五将軍のほとんどは荊州・揚州方面にいたから関羽くらいとしか闘ってないんだよね。
他は張コウが涼州討伐で馬超と闘ったくらいかな。

67 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 15:59:22
>>66
張郊は張飛に負けてるやん

68 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 16:24:00
>>41
>世論なんか大して意に介してなかったのが曹操
曹操自身が人物鑑定してもらってるんだが・・・

69 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 16:40:00
新参で入蜀、漢中戦くらいしか参戦してない黄忠が上位5将に名前を連ねるくらい蜀は人材不足

70 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 18:41:44
>>69
あの人でさえもっと長生きすれば…と思ってしまうがあまりに殺生だな

71 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 18:43:16
>>68
言いたい事があるなら詳しく説明しろよ。
それで、だから何だ?

72 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 19:13:22
>>71
曹操は人物鑑定大好き。自身も度々見てもらってるし、人材もその評判を元にかき集めてる。
自身の風評を気にせずとも、世論というものには耳を傾けてる。

>世論なんか大して意に介してなかったのが曹操

ってのは間違えなんじゃねーの?って言ってんだよボケ。

73 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 19:34:10
>>72
お前が言うように、
曹操は自身の風評は意に介してないって話だったんじゃないか?
人材集めに熱心な事は有名なんだから、そーゆー部分は耳を傾けていただろう。

お前は全然違うところで話をしてるよ。

74 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 20:44:21
>>72-73
自身の風評気にしてない奴が、なんで評価を求めて許劭を再三に渡って尋ねなきゃいけないんだ?
自身に対する名声というものを曹操がとりわけ軽視してたとは思えないんだが。

75 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 21:41:57
>>74
了解、死ね

76 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 21:57:50
>>63
一騎打ちなら五虎大将がいい線いきそうだ
正史基準でも

77 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 22:47:29
正史基準でも関羽、張飛は武力は抜きん出ている。
趙雲と馬超は将軍タイプ、黄忠は漢中専門

魏は趙遼が武力最強、徐晃と張コウ、ウキンは将軍タイプ
楽進は城専門

78 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 22:50:35
蜀将は武力タイプ
魏将は統率タイプ

79 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 22:52:05
演義に偏りすぎ。ゲームのしすぎ。

80 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 23:40:25
面の皮が厚い曹操
腹黒い劉備
半々ながら両方持ち合わせているのが孫権
とかいう評が昔読んだ本に書いてあったな。

81 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/27(月) 02:28:48
>>75意味ワカンネ話ヲゴチャゴャウルセェナラ勉強シテコイ

82 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/27(月) 11:55:06
諸葛亮 対 諸葛謹

83 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/27(月) 18:07:10
役職で比べると丞相と大将軍だけど、諸葛瑾は若干名誉職みたいなとこあるからなぁ…
比べてみると色んな面で弟の方が目立つ。

84 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/27(月) 18:13:02
「瑾性弘緩、推道理、任計畫、無應卒倚伏之術、兵久不解」【諸葛瑾伝注】

性格は違うけど行動のパターンは一緒。

85 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/27(月) 18:24:24
>>84
読めない、読んで

86 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/27(月) 18:35:31
>>85
大意。
「諸葛瑾は鷹揚な性格で、道理を推し量り、計画をよくする。しかし倚伏之術にただちに応ずることはなく、そのため兵は解けなかった」
「兵は解けなかった」というのは朱然が江陵で包囲されたのでその救援に向かったが包囲の兵を崩せなかったことを言ってる。

> 道理を推し量り、計画をよくする。しかし倚伏之術にただちに応ずることはなく

この辺が諸葛亮に似てる。


87 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/27(月) 19:38:13
>>86
サンクス、よくわかったっす

88 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 10:59:38
曹丕vs曹植

89 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 13:21:58
曹丕は曹操の苦労してる姿を見て育ってるだけあって、
周りがよく見えてた明君だったと思う。
皇帝になっても自ら軍を率いるなんて、
ただのボンボンの思考じゃない事は伝わる。
安全な場所で仰け反っている権力者では無かったところは親父に似てて良い。
劉禅とか、その部分では終わってる。

90 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 15:30:13
でも劉禅の場合、それが逆に良かったような気もする。
変に積極的な人だったら諸葛亮に対抗して
色々やって失敗してそう

91 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 15:48:32
>>90
指揮しなくても、戦場にいるだけで配下の士気はあがるもんだけどねぇ

92 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 16:19:57
曹丕の場合は自分で指揮して失敗してんじゃん。
どっちもどっちな気が

93 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 18:43:21
曹丕は兵を指揮できませんが政治能力はすごいですね

94 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 19:13:33
配下がな

95 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 19:37:28
側近に司馬イがいるんだし別にいいじゃん。

96 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 19:39:43
>>92
曹操も赤壁や漢中で敗退してるし。

97 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 19:52:16
>>96
それまでの数多くの戦いで勝利し中国の大部分を版図に納めたのは曹操自身なんだが、曹丕が出征して成功したのって何かあったっけ?

98 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 20:05:52
曹丕と諸葛亮は結構似てると思う。
政治家や軍政家としての能力は高いけど、指揮官としてはイマイチ。

99 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 20:18:25
曹操の子たちはろくに戦場に出てないからな

100 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 00:29:27
曹彰くらいか。

101 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 01:25:39
つ曹昂戦死

102 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 01:28:28
戦死したけど兵を率いたことなんてろくにないだろ。
つーか、1軍率いた事あるのか?曹操の古参配下どもが全盛期だったあの頃に。

103 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 01:41:09
>>102
あんまりムキになるな、キモイから

104 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 01:54:07
む?そんなに見苦しいレスだったか。スマン。

105 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 02:01:02
ふむう、そんなに素直に謝られると…こちらもスマン

106 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 02:01:29
劉備孫権の子供に比べりゃ十分闘ってる

107 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 04:18:36
優秀な一族が一致団結すると驚異的な強さを見せるんだけど(燕とか金とか)
魏は(曹操を中心に)親族クラスが指揮官として優秀だった上、譜代も優秀で
息子クラスが出る場面が無かったな

二張や孫紹、諸葛亮が徐州出身と言うことを考えると
曹操の徐州虐殺は根が深いな
晋において重用なウェイトを占めた王氏も徐州出身だし

108 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 09:43:14
>>107
皇族系ってだんだん登場しなくなるよね。曹爽の後でそういう人って誰だろう。

109 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 11:00:47
漫画じゃあるまいし、皇族が出張るような国は終わってる。

110 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 11:39:25
だが司馬氏が指令官努めるようになっていかないか?この後。

111 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 13:13:28
>>109
あやまれ!終わってる国で戦い続けた蘭陵王にあやまれ!

112 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 16:15:55
荀イク vs 荀攸

113 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 16:31:57
>>107
徐州の人達は、黄巾の乱の際、乱を逃れた、という感じで
徐州虐殺の影響をもろにうけたのは荊州の人達。
曹操が荊州を侵攻した際、絶望的な状況の劉備に民草がついていったのは、
劉備自身の声望風評もあるだろうが、そういう面もある。
とどこかでききました。
張昭は黄巾の乱を逃れた、ともきいたし。

114 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 17:02:30
帰るべき故郷が蹂躙されてて憎しみを覚えないヤツなどいないと思うが

115 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 17:13:17
>>112
イメージ両者似たような智謀の士だが、調べてみると荀攸は結構大胆な行動家だね。
董卓暗殺・天子奉戴して春秋の覇者に習わんとしたり、蜀で独立を目指したり…

知略もどちらかと言えば荀攸の方が目立つけど、荀ケの大局判断も的確だし、何より荀ケの推挙した優秀な人材は枚挙に暇がない。
参謀としては荀攸、ナンバー2としては荀ケに軍配かな。

116 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 17:15:53
>>115
勢力拡大のための大方針の制定:荀ケ>荀攸
戦場での臨機応変な献策:荀攸>荀ケ

117 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 18:07:08
>>116
そんな感じだね
政に関しては荀いくだけど、戦場では荀攸

118 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 18:17:11
曹操の部下で一番優れた軍師は
カク?カクカ?

119 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 18:28:21
>>118
荀攸じゃないかな?
対張繍戦、対呂布戦、対袁紹戦、続く対袁譚・袁尚戦と豊富。
もっとも好みなのは郭嘉だと思うが。

120 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 18:39:07
>>119
程立は?

121 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 18:40:34
魏って優秀な参謀が多いから一番と言われると迷うな…劉曄とかも読んでると「こいつ天才じゃね?」と思わされる。

122 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 18:42:10
>>120
程cは謀臣に留まらず、主に城の守将としてだけど軍を率いてたりもするのでちょっと毛色が違うかな?と思うがどうか?

123 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 18:45:45
俺ハ陳宮ヲ推ス

124 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 18:47:41
陳宮は俺も好きだけど、彼を「曹操の部下」と括ってしまうと呂布が可哀相だw

125 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 19:01:20
軍師で一番頭良いのは賈クだと思いますが

126 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 19:12:44
>>125
太尉まで昇進したしな

127 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 20:16:53
郭嘉のどこらへんが凄いのかわからない。

128 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 20:19:34
>>127
わからないなら勉強すればいいじゃん

129 :ergsdっぷく :2006/11/29(水) 20:23:21
    /\___/ヽ
   /''''''   ''''''::::::: \
   |  ・    、 ・  、.|
   |   ,,ノ(、_, )ヽ、,, .:|
   |   `-=ニ=- '  .:::::|
   \  `ニニ´  .:::/
   /`ー‐--‐‐―´\

130 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 20:28:40
>>129
単純だな

131 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 20:30:35
>>128
いや、そうじゃなくて。
烏丸に攻め込んだときは無謀な奇襲しかけて曹操死なせかけるし、
袁尚・袁譚の仲を裂くためにわざわざ軍を「南方へ戻させて」いる。
出す策が「とにかく(兵士や諸将が)頑張る」ものばかりなんだけど。
もう少し現実的に巧くやるのが策士じゃないのか? コイツの具体的な手柄ってなんだろう?

132 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 20:30:39
出世で格が決まるならカキン最強

133 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 20:46:37
退路たたれてやむなく投降したにも関わらず
車騎将軍・儀同三司まで上り詰めた黄権だろ。

134 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 21:06:50
黄権は政に才能あったし

135 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 21:21:40
黄権は才能というより、元高官の投降者だから宣伝の意味も込めて高位に就けられただけだと思うが。
それ以後なにか働きを残したわけでもなく、完全な名誉職だったんでは。

136 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 21:35:30
降将はどこも結構出世してるよ。
他国の将に対して「ウチに降れば厚遇するぞ。おまえらも裏切れ」ってアピールしてたんだろうね。

137 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 22:15:09
演義みたいに降伏したヤツ殺したりしてたら、
誰も降伏してこないからな。

138 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 23:19:30
孟達みたいに大歓迎されてるの見たら、ちょっと考えちゃうよな

139 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/29(水) 23:47:09
そういう主君の目的を無駄にする虞翻こそ最悪の不忠者

140 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 01:37:01
曹操 vs 劉備 vs 孫静

141 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 03:05:41
兄貴にするなら孫静かな

142 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 12:51:42
横山の曹操ってさ、劇中散々に落としめておいて、死んだ瞬間
曹操は百年、いや千年に一人出るかどうかの風雲児であった
って持ち上げても説得力に欠けるよな

「げぇ」「ひぃ」って言葉を最も言ったキャラだよ

143 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 13:36:54
横山三国志の劉備は髭が生えてから、急に弱々しくなるな。
精悍さが無くなり人頼みな性格になる。

144 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 14:38:33
>>143
げえっ! sagE…

145 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 14:44:43
関羽が突然威張るキャラに変身するのが不自然

146 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 14:47:27
犬っころに虎の子はやれぬ

147 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 15:27:33
趙雲は五虎将の中で一番位が低くて、張遼は五大将軍の中で一番位が高いのに、張遼より趙雲の方が全てに置いて一回り上。
つまり蜀>魏

148 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 15:41:13
少なくとも張遼は一番位が高いはダウトじゃないかな?干禁以外の四者は皆肩を並べて出世してる。
干禁は他四者より遥かに早く出世し、1人だけ先に落ちてった。

張遼と趙雲だと…漢中戦の活躍が仮にガチだとすれば、甲乙付けがたいかもね。

149 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 15:50:47
趙雲は後の子孫がガチで権力者だった
子孫は歴史を作り出すほど恐るべき力の持ち主

150 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 16:17:46
南蛮一の知恵者といえば?

151 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 16:21:11
南蛮一ということは演義の話し?なら朶思大王の一択でしょう。本文中にそう書いてあるんですもの。

152 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 16:25:32
>>149
ちなみに趙雲の子孫は孫あたりから先で消息不明…少なくとも歴史に残る権力者の先祖ではないはず。

153 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 16:34:58
>>152
趙雲の子孫が現在に伝わる趙雲像をつくりだしたんじゃないっけ?

154 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 16:53:29
>>153
うーん、聞いたことないなぁ…俺の勉強不足かもしれないけど。
例えば「王朗家伝」なんかはハッキリ「一族のものが書いた」と残ってるんだけど、「趙雲別伝」は作者不詳だし、
趙雲の子孫として名前を残してる人物は(俺も中国史を遍く網羅してるわけではないけど)居なかったと思う。

詳しくは忘れてしまったけど、蜀地方には趙雲に関する民間伝承なんかも残ってたりするんで、
蜀の人間が郷土の英雄(と言っても出身は北方だけど)の偶像を広めたのかもね。


155 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 17:01:11
>>148
張遼は前将軍だから生前で言えば左右後将軍より若干格上と言えるのでは?
あと漢中戦の活躍が本当でもさすがに張遼や徐晃と同等とは言えまい

156 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 17:22:12
>>155
前後左右将軍に格差はない(はず)。だからこそ前将軍関羽は後将軍黄忠に「同格とされた」と怒ったわけで。
漢中戦が本当なら、三国志でも屈指の猛将ですよ。張遼の合肥と張り合える程だと思う。


157 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 18:22:25
右斜め45度将軍

158 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 19:40:48
張遼は張コウ・徐晃・朱霊と同格。于禁・楽進とは立場が違う。
于禁と楽進は古参武将で、張遼・張コウ・徐晃・朱霊は寝返り武将。

寝返り四人組で構成された前後左右将軍なんだが、
張遼だけ将器が見劣りする……。

159 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 20:01:53
>張遼だけ将器が見劣りする……。

え、どこが?

160 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 20:02:53
>>158
そうかねえ?
張遼だけ異質というならわからんでもないが。
張郃・徐晃は良将で他の人が参考にできる戦術の持ち主。
参謀としても使える。
でも張遼の戦術は張遼しか出来ない。

主将:張遼、謀臣:張郃or徐晃という組み合わせなら任務を果たせる。
主将:張郃or徐晃、謀臣:張遼という組み合わせだと難しい。

そんなイメージ。

161 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 21:27:50
>>158
蒼天読んで張遼補正入れてくるんだ!

162 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 22:00:40
すうし と しんし

163 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 22:05:21
張コウと徐晃は兵を率いてナンボなのであって参謀としては使えない

164 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 23:03:36
>>159
張遼・張コウ・徐晃・朱霊の中で、張遼だけは「単なる猛将」に過ぎないと思うんだが……。
戦闘能力が高いのは否定しないが、所詮郭や馬超と同じレベルの存在だと思う。
演義でいえば前半の張飛か。
しかも人間性も最悪。李典が人格者じゃなかったら合肥も危なかったんじゃないの。

165 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 23:14:44
馬超・郭と張コウ・徐晃・朱霊の差がわからんのだが…どこがそんなに違うんだ?

166 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 23:27:40
>>165
前者(+張遼)はただ暴れるだけで頭使ってない。
戦闘能力は高いんだろうけど、将として優れているかとは別問題。
後者三人は戦闘に知性を感じるというか、考えて計算された用兵を行なっている。

167 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 00:29:39
言われてみると張遼の戦いってただただ「強い」なイメージだよな。
まあ策を必要としないほど強かっただけかもしれんよ。
合肥での孫権追撃の判断の良さとかは、戦術とみてもいいんじゃない?

168 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 00:44:29
比較から外されがちな呉…

169 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 00:48:02
じゃあ呉で上位5将って誰?
いわゆる将軍タイプで

170 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 01:01:34
>>169
あくまで偏見だが
甘寧
丁奉
朱然
周瑜
呂蒙

魯粛もありっちゃあり?
将軍じゃないけどさ。

171 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 01:05:18
丁奉、朱然は俺も思った。
しかし、呉の場合ひとつの時期に絞るとなかなか5人浮かばない。


172 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 01:06:22
太史慈は入れてほしい

173 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 01:07:30
>>172
太史慈は厳密にいうと呉の武将じゃないからなぁ

174 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 01:09:00
孫皓VS董卓

極 悪 非 道 バ ト ル

175 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 01:13:23
スレタイの三国って魏・呉・蜀のことでいいんだよな?
三国志全体のこと指してる?

176 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 10:42:55
>>170

魯 粛 は 将 軍 だ !

177 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 11:16:49
将軍としてなら周瑜・呂蒙・陸遜が三本柱で、あとは陸坑・朱然・朱桓あたりから2人じゃないか?
魯粛や諸葛瑾は将軍としてみると微妙…

178 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 12:21:13
>>177
諸葛瑾は文官と見る事に否定はしないが、魯粛は武闘派だぞ。
自ら兵を率いて指揮をとる軍人だ。
外交メインに描かれてる横山三国志に影響受けてるだろ?
だいたい、生粋の軍人である周瑜が、文官を後釜に指名するわけないだろ。

179 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 12:38:28
>>178
こちらも魯粛が兵を率いたことを否定するつもりはないが、魯粛が挙げた戦功など殆ど記憶にないぞ。
残念ながら横山三国志はまだ読んだことない(演義自体は読んだ)けど、そちらこそ演義の反動でイメージが先行してると思う。

大体軍事に絞ると俺には魯粛と諸葛瑾に大差ないように(働き的にも役職的にも)思えるんだが、
何故諸葛瑾と魯粛でそこまで別けて考えるのかを逆に聞いてみたい。

ついでに周瑜は間違いなく外交・戦略面での評価で魯粛を推したと思う。そうじゃないなら程普や呂蒙で良かったのだから。

180 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 12:43:24
>>179
荊州で関羽と魯粛は開戦寸前まで睨み合ってる

181 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 12:44:24
荊州侵攻も侵攻役は呂蒙で、魯粛は抑えだったしな。
未経験というつもりはないが、そんなに高く評価できるというほどでもないな。
蜀で言えば蔣琬や費禕と同程度。

182 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 12:46:58
でも大都督だし…軍官枠で良いと思うが?

183 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 12:51:49
>>180
…いや、だから兵を率いたことはあるけど、戦功が殆どないと言ってるわけで。それが魯粛の手腕を示す戦功だと思いますか?
あえてあの戦いで戦功を数えるなら甘寧の方でしょうに(こちらも若干微妙だが)。もしくは同時期の瞬く間に三郡を制圧した呂蒙か。

魯粛は賊徒に陣中突破されて取り逃がしたりと(その賊は後に呂岱があっさり捕虜とした)将軍としての手腕はやはり微妙だよ。

184 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 12:56:34
>>182
だから別に軍官でも将軍でも武闘派でも呼び名はなんでもいいし、枠でもなんでも好きに入れればいいが、
軍の指揮官としての力量で見るとイマイチで、取り立てて優秀と言うほどでもないと言ってるわけで。

185 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 13:10:39
その将軍達は大都督魯粛の指示命令で動いていたって何で考えないかな?
じゃあ何だ?周瑜も駄目か?
先陣きらなきゃ武官じゃねーってか?

186 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 13:32:36
>>164
流れ的に言い辛いけど反論、
李典と楽進と張遼はそれぞれ仲が悪かったんであって、
別に張遼が一方的に嫌ったり嫌われたりしたわけじゃない。
部下に言われて態度改めたりしてるし、人格に問題はあるといっても致命的ってほどじゃない。
それに単身、敵地へ説得に赴いて敵の大将を降伏させたり、
軍中に反乱が起こったとき冷静な判断力で即座に首謀者を斬ったり
ちゃんと頭使ってる。「単なる猛将」とも言えないと思う。


187 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 13:34:11
蜀五虎将・魏五将軍との比較であれば総指揮官としての実績は対象外になるんじゃね?


188 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 13:35:17
>>185
「何で考えないかな?」と言われても呂蒙に関しては魯粛と共に孫権の指示命令で動いてることが呉主伝・魯粛伝・呂蒙伝共通してるんで考えようない。
ちなみに魯粛は大都督じゃなく黄江将軍。周瑜が挙げた武功なぞ山ほどあるんだけど、何故ここで名前が出てきたがわからない。

ちなみにこれまでのレスちゃんと読んでる?別に武官と呼ぶこと自体は構わないがその手腕は微妙だと皆何度も言ってるんだよ?


189 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 13:45:21
>>188
戦略家=魯粛
戦術家=呂蒙
でいいでしょう
どちらがと言うより役割が違った

190 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 13:50:19
三国志は如何せん戦術が長けた人物が目立ち過ぎる。周瑜は両方持ち合わせてたみたいだけどさ。

191 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:02:24
>>189
別に魯粛の大局判断の的確さに文句付けるつもりはないんだけどね。
「将軍として優秀」とは言えないだけで。

192 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:03:48
>>191
だから何で戦術=将軍って結び付けるわけ?

193 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:05:01
>>191
荊州三郡を取ったのは魯粛の手柄

194 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:06:37
周瑜亡き後、軍を纏め国力を高めたのは魯粛の手腕。

195 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:07:05
…?言いたいことが良くわからないんだが、将軍としての力量の目安に立てた武功以上の判断材料ないでしょ。
なにを持って将軍を批評しようとしてるの?

196 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:08:48
>>195
じゃあ魯粛はどうやって昇進した?

197 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:10:11
>>193
いや、荊州三郡を奪ったのは間違いなく呂蒙でしょ。

>>194
魯粛のどういった行動が何に結びついたのか、根拠となる記述と結果との因果関係を明示してください。

198 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:11:34
>>197
正史じゃ一級は魯粛

199 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:12:42
>>197
わかんね、Wikiに書いてあった

200 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:18:23
ワロンwww

201 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:21:04
>>196
一番大きな要因は赤壁開戦以前の立ち回りだと思う。これで自身の大局的判断能力の高さの証明し、孫権からの信頼を得た。

>>198
「正史じゃ」とのことだが、関連すると思われる呉主伝・魯粛伝・呂蒙伝を参照しても「魯粛が一級(勲一等のこと?)」に当たりそうな記述は見つからないが、
一体どこの記述を指して言ってるの?

>>199


202 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:24:49
>>201
謝れ!
場をなごませてくれた>>199に謝れ!
殺伐とした空気を消してくれた>>199に謝れ!

203 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:29:12
>>202
おまえもあやまれw

204 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:30:33
>>202
知らんよそんなの…仮に>>199>>194ならふざけたいなら他所でやってくれと思うし、
別人なら199は194に失礼だ。

205 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:32:39
>>204が何か困ってて可愛い

206 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:38:30
ならばマターリといこうマターリと

207 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:43:30
戦功で見るなら、周瑜・呂蒙・陸遜・陸抗が飛びぬけるのでは

208 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:48:16
驚異レベルって、赤壁>夷陵だよねぇ。
周瑜が飛び抜けてると思う。ところで、赤壁って本当に存亡の危機だったの?

209 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:51:46
>>208
こういっちゃなんだけど、天下統一の半世紀に一度のチャンスだった。

210 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:51:47
赤壁は孫権が荊州を侵略・征服するために必要だった

211 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:52:41
陸戦に強い魏軍の本体が長江渡りきったらアウト。

212 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:53:56
後期の蜀は生姜のワンマンチームじゃねーか。

213 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:55:05
なるほど、じゃあ周瑜以上は存在しないな

214 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:57:53
>>212
俺は胸囲は信用していない。

215 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:58:31
>>213
「呉の臣下なら」の括弧つきだけどね。

216 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 15:01:45
>>215
想像になるけど、他国に赤壁戦に勝てた武将っていたかな?

217 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 15:04:34
赤壁など存在しない

赤壁の戦い
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1161249798/

218 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 15:06:12
>>216
劉備が周瑜の立場ならやはり勝ってたと思う

219 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 15:09:19
>>216
「持久戦に持ち込んで敵軍を内から崩壊させる」という作戦に思い当たれる将は他にも居たと思う。
実際に対岸に急行して渡らせないとか、先方部隊を水上戦でねじ伏せて身動き取れなくするのは地の利の部分が大きいから、
やはり長江流域での備えや長年の経験がないと難しいかも。

220 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 15:22:53
つまり、周瑜だから勝てたと言う事か。
周瑜は曹仁にも勝ってるし、凄い奴だったんだな。

221 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 16:54:02
呉は守備に定評ある名将はかなり多いけど領地拡大を狙える名将は少ないからな

222 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 17:35:12
>>186
でも、その「頭を使うエピソード」は演義の張飛と同じレベルじゃん。
張遼は決して無能ではないし、戦闘能力もあるよ。でも、結局のところ力任せな将軍でしかないと思うわけ。
「指揮官」としての力量を張コウ・徐晃・朱霊と「比べたとき」にどうかって話。
「指揮官」である張コウ・徐晃・朱霊と「」の張遼が同格になってることに違和感を感じるってコト。

223 :221:2006/12/01(金) 17:37:23
>>222
「指揮官」である張コウ・徐晃・朱霊と「猪武者」の張遼が同格になってることに違和感を感じるってコト。

224 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 17:37:59
>>223
221じゃなくて222だった…ますます不覚

225 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 17:45:04
>>222-224
その「猪武者」とは違う「演義の張飛と同じレベルじゃない」徐晃・張コウ・朱霊の活躍について詳しく。
特に朱霊。

226 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 20:30:50
>>222
「猪武者」っていうのは「力任せ」しか能が無い武将の事を言うんだよね?
じゃあ張遼は当てはまらないと思うよ、
徐晃らと比べて武力寄りというなら分かるけどね。


227 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 20:56:21
張遼が猪であろうが無かろうが魏の五大将軍で
一番曹家に愛された将であるのは間違いないと思う。

228 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 20:59:10
曹家って言っても、曹操の時しか働いてないけど。
曹丕の時はすでに病気。

229 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 21:09:04
張遼は何も考えずに猪突猛進するのではなく、状況を認識した上で誰も真似できないような指揮をするタイプ。

230 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 21:12:06
>>228
曹植の作品の白馬篇も張遼の烏丸討伐を題材にしたと言われてるぐらいほどだし
何より曹丕の張遼の病気に対する心配具合は他の将とは比較にならないだろ。
于禁にあんな仕打ちをしたあの曹丕にあそこまで感じさせるんだから
夏侯家とか親戚連中には適わないまでも五大将軍の中では最も寵愛を受けてるんじゃないか?

231 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 21:12:57
他人に冷たい曹丕だが張遼に対する厚遇ぶりは異常なものがある

232 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 21:24:56
曹丕は単純に好き嫌いが激しいだけなのであんまり参考にならない気がするなあ。

233 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 21:29:27
ウッキーは降伏しちゃったからねぇ

234 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 00:10:35
古参于禁を冷遇し、降将孟達を厚遇する曹丕。
後に魏を奪う司馬家に腹心として絶大の信頼を寄せていた曹丕。


235 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 00:22:29
司馬懿は曹爽の馬鹿が暴走するまでは自分の野心を徹底的に殺してるし
クーデターだって過剰防衛みたいなものだろう
息子や孫達は野心の塊みたいなもんだが司馬懿自身はそんなに酷いとは思わんな

236 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 08:36:56
>>234
降将に厚遇するのは当たり前

237 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 10:53:53
>>234
そもそも仲達を曹丕の教育係に任命したのは曹操。

238 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 11:00:10
乱世には野心を秘めてた奴なんてゴロゴロいたと思うよ。司馬懿に限らず。
日本の戦国時代だって多いじゃん、秀吉の死後で判るだろ?

239 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 12:19:01
いい加減張遼を山田と呼ぶのは や め な い か ?

240 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 12:30:52
そう!山田と呼ぶのは岩城のはずだ!

241 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 12:35:40
ここええぞ
http://www.rak3.jp/home/user/shadow_blog

242 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 13:11:24
>>237
警戒しろと言われてる。
曹操自身は司馬イを配下として扱えるが、曹丕では万が一の場合もあると感じて警告だろう。
まあ曹丕在位中は一家臣として働いてたが。
曹丕は昔からの友人、曹叡はその友人から託された息子、という面もあるかも知れん。


243 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 13:25:21
吉本とかギフーは頭の悪い野心家
司馬懿は野心はあっても、行動に移したのは、自分に火の粉が降り掛かってから
もし、曹爽が司馬懿を立ててたら、クーデター自体起きたかどうかわからんよ

244 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 13:39:14
司馬懿に限らず、人間の心理って結構同じように当てはまるよね?

初代社長=問答無用に恐い
二代目社長=先代時代は専務だったし…ちょっと恐いな
三代目社長=小僧の癖に威張ってんなよ

人間三代に仕えると、こういった心理が働くみたいだ
孫権見限らず、残った連中は忠臣だ

245 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 13:44:26
孫権が跡を継いだ時、結構離れていった配下がいたって聞いたけど。
残ったの歴史に名が残るような高官連中が中心じゃね?


246 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 14:03:26
>>245
残ったから歴史に名を残したと考えたほうがドラマチック

247 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 14:08:44
去るにしても初めから屈せずに突っぱね通した王朗とか、一本芯が通ってないと歴史に名を残すことはできないのかもね。


248 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 14:11:56
>>246
お前の前向きさに一国志

249 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 14:38:34
>>242
いいところまで行って失敗した魏風はともかく、
吉本の乱は自滅覚悟の警鐘的行動だろう。

250 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 17:51:35
>>246
ごめん。ちょっとお前の言葉に感動したw

251 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 20:23:59
>>249
吉本の乱は自滅覚悟なんかじゃない
金イらによる王必殺害さえ成功してたら上手くいっていたんじゃないか?

252 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 20:29:38
曹操殺さない限り何やっても無理

253 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 20:54:23
生き方
曹操…中居
劉備…キムタク

風貌
周瑜…中居
孫策…キムタク

254 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 21:07:23
意味分からん

255 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 21:10:46
うむ。意味わからん。

256 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 21:11:52
むむむ、意味わからん

257 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 21:20:12
さようでございますか

258 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 21:40:46
ジャーン!ジャーン!

259 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 21:44:43
げぇっ、わからん!

260 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/04(月) 12:20:56
黄巾 対 五斗米道

261 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/04(月) 19:27:09
張角 vs 張魯

262 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/04(月) 19:35:04
>>260-261
まあ人材比較スレで黄巾対五斗米道と言われても張角と張魯しか比べられそうな奴いないよね。


263 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/04(月) 19:40:53
>>174もなかなか面白そうなんだが

264 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/04(月) 19:46:56
孫皓の勝ちじゃね

265 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/04(月) 19:50:16
>>263
これから頼む

涼茂vs陳矯

266 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 11:47:58
許チョ対趙雲


267 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 12:19:07
趙雲は周泰の方が比較しやすいと思うが

268 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 12:40:58
個人武勇なら許チョ>趙雲かな、将としての実力は分からんが

269 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 12:48:49
正史趙雲か演義趙雲かによる


270 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 12:50:09
別伝は

271 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 12:55:40
別伝を取り入れたのが演義版神趙雲。

272 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 12:58:55
神なら勝てなくても仕方ないな

273 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 13:11:15
いや、演義でも許チョ>趙雲じゃね?

274 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 13:13:34
二人とも親衛隊長だよね?

275 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 13:17:50
親衛隊長でありながら部隊長としても活躍するっていう
ポジション的にはぴったりだな

276 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 13:20:17
演義だと一騎打ちしてたような。

277 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 14:02:37
>>276
我が君が見ていることに燃えるか、暗殺の危機に気が気でないか…

278 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 14:39:09
高覧は許チョと互角に打ち合ったが、趙雲に一撃でやられた

279 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 15:07:21
許チョは馬超や張飛と互角の勝負をしてるけど
趙雲は文醜と互角なのがややマイナスか


280 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 15:24:08
趙雲はずっと小回りの利く中堅的ポジションでやってきて、晩年だけ主力がごっそり抜けちゃってしょうがないからエースみたいな。

281 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 20:22:58
そういう捉え方も可能だが、そうとりたくないな

282 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 23:29:54
まぁ趙雲は人気あるからな。

283 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/06(水) 14:04:06
人気しか取り柄ないけどな

284 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/06(水) 14:22:51
阿斗助けたのは実話?

285 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/06(水) 14:34:45
趙雲が劉禅を含む劉備の家族護衛の任務を遂行したというのは史実にあるんで実話と言っていいんじゃないかな。
赤子を胸に抱えて大軍を単騎で中央突破とかは講談の類。

286 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/06(水) 14:38:59
>>285
サンクス
ところで、それって大役?
個人的なイメージだと、大役な感じはするけど

287 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/06(水) 14:49:10
信頼度で言えば絶大で特殊な役割だとは思うけど、大役と言えば殿?の張飛か別働隊の関羽の方だろうね。


288 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/06(水) 14:59:45
>>287
関羽はどんな風に別行動してたんだろう。恫喝?

289 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/06(水) 15:05:05
船じゃなか?

290 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/06(水) 15:57:20
>>288
船で別路を行き江陵で合流しようとしたが、途中で事情が変わったのか実際は漢津で合流したっぽい。

あと一応本人の伝ぐらいは自力で調べておいた方が良いと思うよ。関羽ぐらい有名人の伝ならweb上でも日本語訳が幾つも見つかるし。
有名どころだとむじん書院とか。

291 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/06(水) 16:09:57
>>290
うん、有難う。いやさ、彼は荊州水軍を吸収するのが狙いでしょ?
どんな交渉したのか気になってさ…

292 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/06(水) 16:17:45
そう、脅した

293 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/06(水) 17:31:44
>>291
…というよりは長江流域において必要不可欠な貴重な船舶を敵軍から保護するのが目的だと思ってた…

294 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/06(水) 19:45:38
間違いバッカ
夢想厨乙

295 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/06(水) 20:52:15
関羽なんていなかった

296 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/07(木) 12:43:55
基本のひとつ

諸葛亮 vs 司馬懿

297 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/07(木) 13:39:20
二人のおかれた立場もまともに戦った事も無いから
比較しにくいが城攻めの巧さは司馬懿>諸葛亮だろうな。

298 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/07(木) 13:41:17
>>296
基本過ぎてやり難いな…何を言っても反論がありそうだw

ちなみに呉の張儼はこの二者を比べて「諸葛亮の方が優れていた」と主張してるね。

299 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/07(木) 13:48:02
>>298
その人はどんなところを見てそう言ったの?

300 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/07(木) 14:14:13
戦術では諸葛亮の方が上、戦略では分からんが

301 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/07(木) 14:23:45
>>299
確かこんな感じ↓
「両方とも代を跨いで仕え若き主君を良く支え、共に国家の柱・覇王の優秀な片腕と言えるが、
片や司馬懿は蜀に十倍する国力を持ちながら、堅固な砦に立て篭もり自国の保全に勤めただけで敵を捕らえようとは思わず、
片や諸葛亮は魏の十分の一の国にあって、組織を整理し軍備を整え、遥か遠くに幾度も遠征し思うが侭に国境を行き来した。
もし諸葛亮が病に倒れることなければ涼・雍州は何時まで経っても安定しなかっただろう(いつかは落ちただろう?)
昔、鄭の宰相子産を恐れて諸侯は戦いを避けたが、諸葛亮(と司馬懿)もこれに近い」

まあ呉は蜀の同盟国なんで諸葛亮の肩を持つのも当然といえば当然かも。

302 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/07(木) 14:29:56
>>301
いや、有難う
当時の人間の言葉は非常に重要

303 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/07(木) 15:06:19
>>297
司馬懿って敵国の城を落としたことあったっけ?
征蜀は曹真に従って赴き、天候で足止めをくらい挫折。
征呉は主に荊州方面へ何度も出張ってるがこれといった戦略的勝利を収められてない。
晋書は読んだことないんでわからんが、公孫淵討伐以外で城攻めに優れたところなんて見せたことあった?
孟達急襲は城攻めだったかな?

304 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/07(木) 16:09:52
公孫淵と孟達は城攻めだね
優秀なほうだと思うよ

305 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/07(木) 16:55:08
晋書宣帝記を読み下してみた。

初め、(孟)達、(諸葛)亮に書を与えて曰く
「宛、洛(陽)を去ること八百里、吾を去ること一千二百里、吾、事を上げる聞く、まさに天子に表上せんと比相反覆、一月間也。則ち吾城已に固たく、諸軍足?にして、則ち吾の在る所深險、司馬公(司馬懿)必ず自ら來ず、諸將を來らしめ、吾無患矣」
兵、至るに及び、(孟)達、又(諸葛)亮に告げて曰く
「吾事を挙げること八日、而して兵城下に至る。何其神速也!」
上庸城三面を水で阻み、(孟)達、城外に木柵を為し以って自ら固める。
帝(司馬懿)水を渡り、其の柵を破り、直造城下。八道これを攻め、旬有六(十六)日、(孟)達の甥ケ賢、將の李輔等、開門して出でて降る。(孟)達を斬り、首を京師に傳う。

うまく読み下せなかった箇所もあり、間違ってるところもあるかもしれないが大意はつかめたと思う。
これによると孟達は
・反乱を起しても宛からは遠く一ヶ月は討伐軍は来れないだろう、
・また城も嶮岨で兵も足並みを揃えているので司馬懿自らは恐れて来れず、兵を派遣するだろう。
と思っていた。そうしたら、
・たった8日で司馬懿自らが来やがった!!!早すぎるよーーー!
孟達は城の周りを水で覆い柵を立てたりしたが、司馬懿はそれをとっとと突破してしまった。
司馬懿は八方から攻め立てること16日、孟達の甥ケ賢やその将李輔らが城門を開けて降ってしまった。
孟達、あぼん。

公孫淵の時もそうだったが、進軍スピードの速さは際立ってるね。
城攻めは状況や相手の事もあるので一概には比較できないと思うが、少なくとも実績では諸葛亮に勝ってると言えそうだね。

306 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/07(木) 17:53:38
>>305
「諸軍足?」は「諸軍足辦」で「諸軍辦ずるに足る」と読み下すべき。
「辦ずるに足る」とは韓信が言ったとされる「多々ますます弁す」と同じ用法で「諸軍、使役するに足る(充分な兵力がある)」という意味。
よって「兵も足並みを揃えているので」を「兵も十分に揃えてある」に自己訂正。

間違いの上塗りだったらゴメン。

307 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/07(木) 21:27:42
>>305
どこからのコピペ?

308 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/07(木) 21:47:33
>>307
一応、自力。
原文は↓
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3
のここ↓
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-432537499&path=/6.1.1.2.18

で、今見直したらこの段落の前にも孟達急襲の記事があった。
そっちの方がぱっと見本筋っぽい?

309 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/07(木) 21:57:18
お疲れさん
急襲と言えば呂蒙がパッと出て来るんだが、似てはいなそうだな

310 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/07(木) 22:31:55
呂蒙は人の心の隙を攻めるのが巧いよな。

311 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 12:19:20
廖化vs丁奉vs満寵ならどうだろう?
満寵じゃないかな魏の比較対象が微妙か?

312 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 12:26:27
蜀代表がしょぼすぎます。
もっと出世したやつを出してください

313 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 12:28:31
このスレで早いレスに驚愕・・。
いや、演義準拠ってわけでもないんだが活躍年数で集めてみた。
蜀代表を来敏にした方が釣り合いとれるか?

314 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 12:54:58
姜維あたりでいいんじゃね?

315 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 12:55:40
満寵と丁奉じゃ釣りあいとれないだろう

316 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 13:16:36
丁奉は長生きした楽進で、満寵は下手したら陸遜クラスの智将だからな。

317 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 13:18:54
う〜ん難しいな。。。
比較して優劣を付けるスレだと思ってたんだが
釣り合いのとれる武将を並べるスレみたいになってきた・・・w

じゃあ長く政権に関わって、そこそこ武勲・将軍位の高い武将となると三国代表は誰だろう?
呉の丁奉はガチっぽいな。
満寵の孫権苛めはあまり評価が高く無いのかな?
蜀将は政権自体が短期政権だから難しいんだな。。
趙雲・姜維となるとちょっと話が大きすぎるんだな・・・俺的に。
もうちょっと張嶷とかそのあたりがいい気がするが、そんなに長くないからな・・・。
だいたい中央の3品以上の将軍で2代以上に仕えている将軍が理想。

318 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 14:00:58
丁奉は大将軍です

319 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 14:25:33
・・・。あれ大将軍?だったの?ゴメソ無知乙だな。
大将軍っつうことは名目上は太尉の上じゃん。
じゃあ、やっぱ蜀で比べる武将となると姜維・趙雲あたりになるのかな。
魏延じゃいくらなんでも短いしな。むしろ張飛・関羽とかになってくるのか・・・。
比較は難しいな。演義の登場回数でいくとまあ丁奉・廖化・満寵でも問題なさそうだが。
蜀の丁奉と魏の丁奉といえば誰なんだろう?教えてくれ

320 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 15:34:49
丁奉は甘寧・潘璋・陸遜らの部下として長らく転戦し(少なくとも潘璋の死んだ234年から251年孫亮即位まで17年以上)
沢山の手柄を立てていたともあるのにただの偏将軍だったのだからそうとうの下っ端からスタートして、
東興の戦いのような大戦果もあったけど、何より政治クーデターの実行者として異例の大出世をしてるので、
何処かに目を瞑らないと全く同じようなタイプは見つからないよ。

321 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 17:38:13
魏は張コウとか。

322 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 17:42:46
郝昭とか郭淮とか

323 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 00:55:30
関羽>張飛>馬超>趙雲>ホウトク>黄忠=夏候淵>楽進=徐晃=張コウ=張遼>宇禁>夏候惇

324 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 01:12:15
チンコの大きさの順位とかどうでもいいから。

325 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 01:23:23
夏侯惇カワイソウ…

326 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 01:26:07
蜀:デカさこそ全て
魏:テクで勝負

327 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 12:57:44
三国で領土拡大に最も貢献した将って誰?

魏:曹操(中原攻略)、河北制定の指揮は誰だっけ?
呉:孫策(江東江南攻略)、呂蒙(荊州攻略)
蜀:法正(漢中攻略)、入蜀は誰が一番頑張ったんだろ?

こんな感じ?

328 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 13:02:57
>>327
蜀:法正(漢中攻略)、入蜀は誰が一番頑張ったんだろ?

蜀:劉備(入蜀、漢中確保)

329 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 13:23:51
河北、というか対袁家の指揮官は曹洪じゃないの
よく知らんけど

330 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 13:42:54
ケ艾と晋になっちゃうけど杜預も領土拡大に貢献してるな。

331 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 13:54:53
呉の平定は、計画面の功績は羊祜、何攀、杜預の三者、
実行面の功績は王濬、王渾の二者によるところが大きいと思う。
一番と言えるほどに抜きん出た功績の人はいないように思える。

332 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 16:40:37
>>327
君主入れちゃったらそりゃ一番はぶっちぎりで曹操・劉備・孫策でしょ。

>>331
王濬、王渾に文句はないけど、どちらかの奮戦が無ければ作戦が失敗したのかといえば別にそうは思えないわけで、
やはりあの万全の作戦を構築し開戦に漕ぎ着けた主戦派の作戦首脳部が一番でないかな?

333 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 17:08:58
>>332
王渾が真っ先に尋陽・柴桑方面を陥れ、荊、揚の連絡を遮断した事は、
彼の独断であったのか否か、またその効果はどうだったのか。
胡奮が公安を攻撃したのは彼の独断だったのか、
またそれが江陵攻略にどれだけ影響を及ぼしたのか、とかが分からないからね。
計画段階でどれだけ万全だったかは分からないと思う。
そもそも、作戦によって連携を断つ以前に、
当時の呉には方面軍司令官のような存在がいなかったしね。

関係ないが、なぜ杜預が目立つのかってのは、「破竹」の有名さ以外では、
荊州攻略の転機となった江陵攻略の直接の実行者だったって事が大きいんじゃないかと思う。
江陵陥落以降、江陵以東の拠点は急速に抵抗力を失ったからね。

334 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 19:11:04
>>333
正直杜預の知名度の高さ(あの時期の人物にしては)は「破竹の勢い」の有名さ以外の何物でもないとは思うけど、
この言葉自体が江陵陥落があってこそ出てきたものだから、そういう意味では江陵の陥落がポイントだったのかな。

335 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 19:20:28
江陵を曹操・曹仁と奪い合い確保した周瑜の功績は巨大だな。

336 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 23:30:50
杜預は『春秋経伝集解』を編纂したり泰始律令の成立に関わったりと
文化・政治の面でも非常に重要な功績を残している。

337 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 23:43:04
その種の話しだと、呉末期に青巾兵という精兵を率いて活躍し、晋の征呉に抵抗して殉死した沈瑩が、
「臨海水土志」という博物誌みたいなのを残していたと知り驚いた。「学者でもあったのね」と。

338 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/10(日) 10:28:56
何を持って学者というのかは知らんが、古代では富裕層=知識層なのだから別に驚くことでもないと思うが
ついでに近代で学問が細分化される前は、知識人は他系統の学問も(今よりは)浅く広くカバーしていたのではないだろうか

339 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/10(日) 18:25:57
知識人と学者って分野が違うよね

340 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/10(日) 19:02:04
そうなったのは近代以降の話

341 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/10(日) 23:28:00
士大夫と学者は違う物だから
昔からあったんじゃね?

342 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/11(月) 13:07:04
政治に関わってりゃ士大夫で、晴耕雨読とかやってるのが学者だと認識している

343 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/11(月) 13:38:24
>>342
先祖代代お抱え学者っていう家系もあるんだが

344 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/11(月) 13:39:41
お抱え学者が政治を執るわけではなかろ

345 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/11(月) 15:41:39
皆が皆そうかは知らないけど、兼務してる人間は結構居るでしょ。
例えば呉の張昭とかは一流の学者であり大物政治家だったし。

346 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/12(火) 10:00:29
>>344
わかってねーなー
学者つっても暦とかに関する事とかは国家の大事だろうが
古代は歴史学者は史官だったり史書書いたり国家の宣伝のために必要不可欠だったりするんだし

347 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/12(火) 18:10:34
劉備    孫堅(孫策)
劉禅    孫権(孫皓)

諸葛亮   陸遜

関羽    程普
張飛    黄蓋
馬超    周瑜
黄忠    甘寧
趙雲    韓当

龐統    魯粛
法正    虞翻

許靖    張昭

劉巴    張紘
董允    顧雍    

魏延    朱桓

黄権    呂蒙
馬忠    潘濬
王平    朱然
張嶷    呂岱

蒋琬    
費禕    陸凱
姜維    陸抗

ケ芝    諸葛瑾
張翼    賀斉

348 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/13(水) 18:05:01
たとえば日本でも有名な「傷寒雑病論」を書いた張仲景は後漢時代の長沙太守。
まあ古代では書籍は家よりも貴重なものなので、本格的な研究は
金持ちじゃなきゃとてもできないと言うのもあるんだけどね。

>>342
そもそも士大夫ってのは官人と俗人の区別なく知識階級全体をさす言葉。
のちには主に科挙官僚をさすようになったが、三国時代はまだその区別がない。

349 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 00:40:32
医術は学問じゃ無いな

350 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 11:30:04
何事にも「術」と「学」の両方があるんだよドアホウ。

351 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 15:30:44
………袁学って人物いたっけ?

352 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 00:42:54
>>350
言葉が足りませんでした
"医"学は三国志時代には学問として成立していないので
それを学問だと言うのは無謀の代表例である袁"術"陛下だって言いません
結論として"は学問じゃ無いな"

353 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 00:56:47
三国時代の学問の定義って何?

354 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 01:16:52
医術は直接人の体をさわることもあり、そんなに身分の高くないもののいわいる技術職だったはず。
だから体系化されず、それ故に華佗の焼かれた本とかがすごい価値あるって話が出たりするんだよ。

355 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/17(日) 20:12:04
妄想乙
中国では既に周代には体系化が始まってるぞ

356 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/18(月) 03:25:36
周代というのは伝説部分で、実際に体系化がはじまったのは春秋戦国時代だな。
(史記の扁鵲伝あたりから始まり、華佗になるとすでに医師が士大夫扱いになっている)

あの戦乱の時代だからこそ臨床経験には事欠かなかったわけで、その経験をもとに、
漢代になってからその各論をまとめようという動きが出てきたという流れ。
そして、前漢の時代には完成した理論書である黄帝内経が出た。

三国時代はね、基本的には現代と同じ理論で治療していたと考えてもいいんだよね。
違うのは技術的問題から来る治療法の細かい違いだけ。

357 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/18(月) 09:11:53
戦乱の時代な上に人権思想もないから好きなだけ人体実験できるしなぁ

358 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/18(月) 09:48:31
華侘が「ん〜ここかな〜」とか言いつつ人体実験してるのを想像した

359 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/22(金) 18:31:01
孫堅と劉備ってどっちが凄い?

360 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/22(金) 19:05:20
途中で死んだから比べようがないんだろうが、文台好きの俺としてはダントツ孫堅を推すね。
もし彼が生きてたら劉備の蜀漢なんて成立してないし。当世随一の武人だもの。
とか言ったら蜀好きに叩かれるんだろうけどw
まぁあそこで死んだことでそこまでの奴だったとゆう見方もあるし。
ただいかに劉備が歴戦とはいえ軍人としては孫堅が上でしょう。
でも生存能力では劉備の圧勝だね。

361 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/22(金) 19:21:59
劉備の騙し戦略で行けちゃうかも

362 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/22(金) 19:25:12
ゴキブリかとオモタ

363 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/22(金) 23:35:42
孫堅が生きてても孫策とやったことは変わらんと思う。
袁術はもとより劉表にも勝てなかっただろうし、江東江南支配止まりで歴史は変わらん気がする。

364 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 09:39:53
まあ孫策はかなり出遅れてるからあれで限界なんだよ。
劉備はもっと出遅れてあそこまでやったから孫策よりは上と考えてもいいけど、
孫堅だったら劉備がとうてい割り込めないところまで権力基盤を固めていた可能性はある。

365 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 14:46:51
>>363
袁術はもとよりというか、孫策とやったこと変わらんなら袁術は孫策に独立されてからは周囲に袋叩きにあって孫策存命中に滅んどるがな。
(孫策時と同じにはならないというなら同意だけど)
劉表にも敵わないというのも、迎撃軍の黄祖を撃破し襄陽包囲まで持ち込んでいるわけで何故そう思ったかわからないな。
事実あそこで矢が当たって死んだから、というならわかるけど、「死ななかったら」でしょ?

後年の印象から荊州は劉表の恩恵が行き渡ってるイメージあるけど、実際は長沙太守孫堅らが董卓討伐に北上した後に
(董卓が対抗して?)孫堅らに殺された州刺史の王エイの後任に派遣されたばかり、初期には劉表に反抗的な勢力も多く、
長沙群ではその後も反乱が起きていたり、決して当時から磐石ではなかったはず。

役所を置いた本拠襄陽が長期包囲されて連絡とれなくなればあっさりひっくり返っても不思議じゃない。
…その場合(孫策の時と違い)袁術との関係が大いに問題になるだろうけど。

>>364
前二行の論理が良く判らないな…出遅れってのが何を指してるのかとか、孫策よりは上と考えてもいいの理由とか。

366 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 15:09:38
364はきっと天下の情勢=曹操の強大さについて出遅れたかどうかを言ってるんでしょう。
孫策が江東制覇時に曹操は中原をおさめて袁紹と二強を誇り、劉備が荊南を押さえた頃には
赤壁敗戦があったとはいえ最大最強の勢力。
つまり最大勢力(曹操ないしは袁紹)に対してどれだけ出遅れて、どれだけ巻き返したかと
ゆうことでしょう。
364から見て孫策<劉備なのは劉備の方が出遅れてて、巻き返しもすごいからだろうが、劉備は
孫策が世に出る前から活躍して、部下や声望を得ている。これでは孫策より出遅れているとは
いえないし、巻き返しについても、孫策と劉備の世に出てから名を成すまでととらえれば孫策
のほうが早い。結局早死にした早熟武将と大器晩成型の傭兵出身では比較が難しいよ。
観点をどこにおくかが問題。

367 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 16:38:05
孫策はもとから地盤のある二世議員の小泉、安部晋三みたいなもんだから、
有能な秘書として名前があったにせよ叩き上げ議員である宗男と比べちゃダメ。

368 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 16:48:13
孫策の地盤なんてその例えでいけば宗男が逮捕されたままな場合の宗男長男みたいなもんだよ。

369 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 17:43:50
いや、孫策にはムルワカや千春よりは優秀な人材いたぞ

370 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 18:00:41
ムネオでの例えわかりやすくてワロスwww

371 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/02(火) 22:47:25
まあ孫策の下に二張や周瑜が集ったのは謎といえば謎だよな…

ところで二張の2人は比較できるかな?

372 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/03(水) 02:58:54
金正日の下で朝鮮労働党がまとまったのと同じ理由じゃないのか?

373 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/03(水) 14:05:58
>>372
その例え良くじゃわからんw他のにしてくれ。

374 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/03(水) 18:51:38
んじゃ小渕優子の下で後援会が見事に一本化されたのと同じ。

要するにその体制であるほうが自己の利益になると考えるヤツが多かったから。

375 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/03(水) 19:37:20
>>374
その三者にとって「孫策に付くことによる自己の利益」とは何だ?
この3人は孫策が揚州を席巻し始めてから靡いた揚州豪族達とは違い、殆ど身一つの時代の孫策に賭けてきた奴ら。
自己の利益だけを考えるなら他にもっと良いのがありそうに思うが。

376 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/03(水) 20:50:21
孫子の血を引くと自称し一代で洛陽に迫る勢力を築きあげた孫堅の遺児だぞ。
祭りの御輿としてこれ以上の素材はそう簡単に見つかるわけないだろ。
また、後漢の末期は地方豪族はうなるほど金持ってたけど、その財産を保証してくれる
権力=軍閥がなかった場合の末路は悲惨なものだ。
それこそが孫策が御輿となりえた理由だ。

377 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/04(木) 15:53:34
>>376
まず「孫子の血を引くと自称し…」とあるが、孫子についてなんて孫堅の伝の頭に「恐らくは孫武の子孫なのだろう…」とあるのみで、
孫家の一族(堅・策・権など)がそれをうたい文句にしたなんて記録は一度も残ってない。多分前身となる呉書を書いた韋昭が気を使って後から付け加えたんだろう。
劉備の「皇族の血筋」と違い、当時の孫家の名分としては殆ど考慮する必要もないだろう。

次に「洛陽に迫る勢力を築きあげた」と言えるとしたらそれは袁術であり、孫堅は袁術派の先鋒を担当していただけ。
しかも孫堅存命時ならまだ小粒ながら袁術派の軍閥と言えなくもないが、その軍閥は孫堅死亡時に事実上解体しており、
当時の孫策に付き従ったのは一族も含めて呂範と孫河だけという状態。
呉書見聞でも言われているが当時の孫一族の代表と言えば孫賁の方だし、程普ら旧臣も袁術に吸収されていた。
当時の孫策は「祭りの御輿としてこれ以上の素材はそう簡単に見つかるわけないだろ」なんて言えるようなものなんて持ってない。

後半の財産云々については、強いて言うなら揚州に根を張り時の統治者に迎合していた地元豪族に当てはまるような話。
しかし二張の2人は財産を抱えた大豪族ではなく、学問的に名を馳せた名士。都に留学し経書の研究で知られた二人は
故郷の群を越えた全国レベルの知名度があり、土地に根を張る豪族勢と違い故郷に守るべき利権もないから
保護が欲しいだけなら別にまだなんの根拠地すらない孫策を担がなくても、(2人に協力する気さえあれば)何処に行っても手厚く保護してもらえる。
>>375でいう「孫策が揚州を席巻し始めてから靡いた揚州豪族達」の話であって、二張には当てはまらない。

378 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/04(木) 15:54:15
長くなりすぎたので別けて追記。

ただ周瑜なら確かに揚州を代表する豪族として強力な軍閥と結びつきを求めた、と考えられなくもない。
周家は(後の活躍から勘違いしてしまいそうになるが)本家大本は都に居る周忠の方で、地元に残った者の中の代表者も叔父の周尚。
当時の周家全体の動きとしては孫家の傘下に加わりたいというより袁術の一派として孫家と共に協力するといった感じ。
(つまり、普通に考えると当時揚州近辺で主君を探すとしたら断然袁術)
その中にあって積極的に孫家を担ごうと動いた周瑜を孫策が受け入れ、結果孫策が揚州を席巻、
揚州周家の指導者が周尚から周瑜に移ったと見れば、実は周瑜の家中乗っ取り策だったかもしれない。

379 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/09(火) 19:02:27
比較といえばまず関羽と張飛だろ。似てるような真逆のような2人。

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