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【二代目・親族】三国志時代の人物【異民族】

1 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2006/10/24(火) 23:43:37
三国志時代を彩った武将の二代目や親族、漢王朝を脅かし続けた異民族や
地味ながら重要な役割を果たした“以外に”知られていない人物について
語っていくスレです。

まず、呉の功臣の二代目について…
○周胤(呉・周瑜伝)
呉の偏将軍・周瑜の子。皇族の娘を妻とした。興業郡尉に任ぜられ、
公安に駐屯していたが、のち罪を得て廬陵郡に流され、諸葛謹や歩騭
らの尽力により許された。

○潘平(呉・潘璋伝)
呉の右将軍・潘璋の子。無頼の徒で、会稽に追放された。

○蒋休(呉・蒋欽伝)
呉の右護軍・蒋欽の次子。父と兄・蒋壱の死後、その兵を引き継いだが、
のちに罪を犯し、領地と官位を失った。

○甘瓌(呉・甘寧伝)
呉の折衝将軍・甘寧の子。甘寧の死後、罪を犯して会稽に流され、
まもなく死んだ。

○凌烈(呉・凌統伝)
呉の偏将軍・凌統の長子。父が死ぬと、孫権に引き取られて養育され、
亭侯に封じられたが、罪を犯して官を免ぜられた。

呉のボンボン達はトンデモない不良なんでしょうか?( ^∀^)ゲラゲラ

2 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/24(火) 23:48:24
魯淑は呉の末期に少し活躍しとるよ

3 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2006/10/25(水) 00:05:53
鮮卑族についてw
○檀石槐(魏・鮮卑伝)
後漢末の鮮卑族の首領。もとの匈奴の地に勢力を広げ、霊帝のころ幽州・并州で
奪略を行い、夏育・田晏・臧旻らの討伐軍を撃退した。法律を制定して諸部落を
統一し、のちに鳥侯秦水に移住した。

○和連(魏・鮮卑伝)
鮮卑族の首領・檀石槐の子。貧欲淫乱で公平を欠いたために、部下の半数が命令に
従わなかった。霊帝の末年、しばしば漢の北方を侵したが、北地の住人に弩で殺された。

○柯最(魏・鮮卑伝)
後漢末の鮮卑族の首領・檀石槐の配下。

○魁頭(魏・鮮卑伝)
後漢末の鮮卑族の首領で、歩度根の長兄。

○扶羅韓(魏・鮮卑伝)
鮮卑族の首領の一人で、歩度根の次兄。数万の部族民を率いていた。建安年間、
軻比能に会盟の席上で殺された。

○歩度根(魏・明帝記)
鮮卑族の首領。魁頭の弟。建安年間に曹操に朝貢し、文帝(曹丕)が即位すると
馬を献上して王の称号を授かった。明帝(曹叡)のとき、軻比能と連合して
魏と戦ったが敗走し、軻比能に殺された。

4 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/25(水) 00:06:56
このスレは他にふさわしい板があるので削除ガイドラインにより板違い

該当板に移動しろ
中国英雄板
http://hobby8.2ch.net/chinahero/

5 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2006/10/25(水) 00:33:08
孔融・孔伷以外の孔子の子孫
○孔乂(魏・倉慈伝)
字は元儁。予州・魯国の人。魏の済南の相として治績を挙げた。
のち散騎常侍となり、大鴻臚にまで昇った。

○孔恂(魏・倉慈伝)
字は士信。魏の大鴻臚・孔乂の子。晋に仕え、平東将軍衛尉に昇った。

○孔羨(魏・文帝記)
孔子の子孫。魏の文帝(曹丕)のとき宗聖侯となり、食邑百戸を賜って、
孔子の祭祀を司った。

孔融や孔伷よりも名前が通っていませんが、官はこの2人よりも
上を行っているかもしれません!!

>>2
○魯淑(呉・魯粛伝)
呉の横江将軍・魯粛の子。永安年間に昭武将軍・都亭侯、武昌の督に任ぜられ、
のち夏口の督に移った。どこでも厳正な政治を行った。

魯淑は、少しどころか“かなり”活躍してますねw
と、武闘派の二代目達に問題があるのかもしれませんね( ^∀^)ゲラゲラ

6 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/25(水) 01:24:29
活躍した二代目指揮官と言ったら、王昶の息子の王渾だな。
呉平定戦での王渾の活躍は凄い。

7 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2006/10/28(土) 22:08:21
諸葛謹・諸葛亮・諸葛均・諸葛誕に隠れがちの“第五”の諸葛氏・諸葛緒。
地味な存在ながら、諸葛緒の家系が一番安定しているかもしれませんw

○諸葛緒(魏・鍾会伝)
雍州刺史のとき、ケ艾と共に三万の并を指揮して蜀の大将軍・姜維を討伐した。
のち晋に仕えて九卿・太常、衛尉などを歴任した。

○諸葛沖(魏・鍾会伝)
字は茂長。晋の太常・諸葛緒の子。晋の廷尉となった。

○諸葛詮(魏・鐘会伝)
?〜311。字は徳林。晋の太常・諸葛緒の孫、諸葛沖の長子。兗州刺史となった。

○諸葛玫(魏・鍾会伝)
?〜307。字は仁林。晋の太常・諸葛緒の孫、諸葛沖の次子。御史中丞となった。

と、諸葛緒は諸葛誕と同じ家系なのか凄く気になりますw

>>6
王渾は鎮東大将軍として、対呉戦線で“ドえらい”活躍をしていますね( ^∀^)ゲラゲラ
と、王渾の息子・王済も晋王朝では重臣として名を連ねています。

○王済(魏・王昶伝)
字は武子。魏の司空・王昶の孫、晋の司徒・王渾の子。晋の武帝(司馬炎)の娘・常山公主を
妻とし、侍中・国子祭酒・河南尹などを歴任し、46歳で死ぬと驃騎将軍に追贈された。

8 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 15:24:33
同族じゃないの?

9 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 16:56:44
晋書スレの予感

10 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 21:39:36
同じ琅邪陽都の諸葛氏だから同族なのはまず間違いない
ただ、関係は不明だな

11 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2006/10/31(火) 00:04:29
皆、山東省・琅邪陽都の出身で一族とありました!!
と、その5人以外にも、あと3人の諸葛氏がいるみたいです。

○諸葛原(魏・管輅伝)
字は景春。魏の新興太守。方士の管輅と親しく、ト占をよくした。

○諸葛璋(蜀・諸葛亮伝)
魏の謁者僕射。劉備が死んだとき、諸葛亮に書を寄せて、魏の藩国に
なるように勧めた。(諸葛誕or諸葛緒はこの家系かな?)

○諸葛虔(呉・朱桓伝)
魏の曹仁が濡須に攻めてきたとき、別働隊として油船で長江の中洲で
襲ったが、逆襲を受け軍を引いた。

と、ここで紹介した8人の諸葛氏は、皆前漢の司隷校尉・諸葛豊の
流れを汲んでいるのでしょうね。

↓曹植の息子・曹志について
○曹志(魏・陳思王植伝)
?〜288。字は允恭。曹操の孫、曹植の子。学問を好み、才能・品行にすぐれ、
司馬炎に認められた。中撫軍をふりだしに、晋代には郡太守を歴任して散騎常侍・
国子博士に昇進し、のち博士祭酒に転じた。司馬攸の転出に反対する諫言で免職
されたが、のち散騎常侍に復した。母の死に会い、悲しみのあまり発病して死んだ。
定公と諡された。

魏代では日の目を見ることがなかった曹志も、晋代では活躍…
なんとも皮肉なものですねw

12 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 00:09:56
南の島に行った諸葛直を忘れてないかね?

13 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2006/10/31(火) 00:53:25
>>12
孫権にヌッころされた、“第九”の諸葛氏・諸葛直ですね( ^∀^)ゲラゲラ

○諸葛直(呉・呉主伝)
?〜231。孫権の命を受け、将軍の衛温と共に兵一万を引き連れて大海に乗り出し、
秦の徐福の子孫が住み着いたといわれる倭州(実際に向かった先は、夷州or亶州?)
を探したが、成果が上がらなかった為、誅殺された。

と、↓諸葛恪誅殺後、呉の諸葛氏は悉く消えていってますね

○諸葛融(呉・諸葛謹伝)
?〜253。字は叔長。呉の大将軍・諸葛謹の次子。父が死ぬと、軍と爵位を引き継いで
公安に駐屯し、孫亮の即位後、奮威将軍に任じられたが、兄の諸葛恪が誅殺されると、
毒を仰いで死んだ。

○諸葛綽(呉・諸葛格伝)
呉の大将軍・諸葛謹の孫、諸葛格の長子。騎都尉に任ぜられたが、魯王・孫覇の事件に
関わって孫権の怒りを買い、父に服毒自殺された。

○諸葛竦(呉・諸葛格伝)
呉の大将軍・諸葛謹の孫、諸葛格の次子。長水校尉に任ぜられたが、父が孫峻に誅殺
されたと聞き、母親を連れて逃亡をはかったが、追っ手に殺された。

○諸葛建(呉・虞翻伝)
?〜253。呉の大将軍・諸葛謹の孫、諸葛格の末子。歩兵校尉となった。
父が孫峻に誅殺されたとき、逃亡をはかったが、捕えられ殺された。

14 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 01:30:24
東晋以降に活躍した諸葛一族の人物って誰かいる?

15 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 01:35:06
劉裕の部下諸葛長民

16 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 02:04:07
ああ、劉裕に罠に嵌められて誅殺されたあの諸葛さんね

17 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 14:40:52
良スレだな。勉強になる。
でも果たしてこの板の住人のレベルで運営できるか、それがネックだなW

18 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 17:36:47
三国志シリーズの新武将作成に便利かもね?

19 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 18:22:15
どこの軍に配置するかは問題だがな。在野では異民っぽくないし

20 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 18:49:31
三国時代の漢民族は強いな
烏桓や羌や鮮卑といった遊牧民を
完全に雑魚扱い

21 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 19:01:45
>>20
基本的に遊牧民は強力な指導者がでないとまとまらないからだよ

22 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 19:10:55
雑魚だと思ってこき使おうと異民族を近くに連れてきたのが曹操

23 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 19:18:20
いやいや劉備もなかなか。イリョウでは何人死にますたかな

24 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 19:23:56
>>13
確か、諸葛瑾が諸葛亮に養子として送った諸葛喬の息子である諸葛攀が
諸葛恪が誅殺された後呉に戻って家督をついだはず。
諸葛恪の才覚・性格を諸葛瑾は危惧していたというから、リスク回避として送ったのだろうか?

しっかし、諸葛亮は蜀の丞相として五度に渡り魏に対し軍を起こし。
諸葛瑾は大将軍として、軍政において孫権から信頼を得。
諸葛誕は名声が余りあり一時は曹叡から罷免されるも
最後の叛乱劇では、配下が皆殉死したんだっけ?
本当、諸葛氏凄いよ。


なんかスレの趣旨と若干ズレてるか?スマソ

25 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/11(土) 23:38:30
何をもって異民というのか?移民?

26 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/12(日) 13:55:31
孫権の頃はあれほど暴れていたベトナム人(山越族)も
南朝の頃は急激に目立たなくなってしまったな

27 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/12(日) 14:02:14
>>26
孫権の時代に討伐と吸収をやったお陰だろ

28 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/12(日) 15:58:42
このスレは他にふさわしい板があるので削除ガイドラインにより板違い

該当板に移動しろ
中国英雄板
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29 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2006/11/12(日) 22:46:12
おぉ〜多数のレス、“激”感謝です!!
と、オイラ自身、あまり三国志時代は詳しくは分からないので、皆さんの議論(レス)を
勉強させて頂きますw

その前に>>1の不良達を超える、トンでもない呉のボンクラ・韓綜について…
○韓綜(呉・韓当伝)
?〜252。呉の都督・韓当の子。孫権に仕え、武昌を守っていたが淫乱にふけったため、
その罪を問われる事を恐れ、配下数千人を率いて魏に逃れ、将軍に任じられた。
しばしば呉の国境を侵したが、東興の戦いで諸葛格に敗れ、斬首された。

揚州の気質or気風が、このような人物達を生むのでしょうか?( ^∀^)ゲラゲラ

>>24
諸葛瑾は何故、諸葛喬を諸葛亮の下に養子に出したのでしょうか?
(この時点で諸葛亮の息子・諸葛瞻が居たと思うのですが…やっぱり友好の為かな)
と、諸葛謹・亮・誕の孫(曾孫)達は↓命脈を保っているみたいです!!

○諸葛京(蜀・諸葛亮伝)
字は行宗。蜀の丞相・諸葛亮の孫、諸葛瞻の次子。蜀の滅亡後、洛陽に移り、
晋に仕えて累進し、江州刺史となった。

○諸葛顕(蜀・諸葛亮伝)
蜀の駙馬都尉・諸葛喬の孫、諸葛攀の子。蜀(呉?)の滅亡後、河東に移された。

○諸葛恢(魏・諸葛誕伝)
字は道明。魏の征東大将軍・諸葛誕の孫、諸葛靚の子。晋に仕えて尚書令となった。

三国に分かれて活躍する諸葛一族…“ある意味”凄い家系かもしれませんw

>>25
オイラは漢民族以外の種族(種族と言うのかな?)を異民族だと思っていますw

30 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2006/11/12(日) 23:23:52
その異民族で、よく名前を聞く鮮卑族のドン・軻比能と彼に関わる人物
○軻比能(魏・鮮卑伝)
?〜235。鮮卑族の首領。逃亡してきた漢人を任用して法を制定したり武器を製造して
勢力を強めたが、魏将・曹彰の討伐を受けた。文帝(曹丕)のとき、附義王の名を
贈られたが、以後も服従と離反を繰り返し、幽州刺史・王雄の配下・韓龍に殺された。

○苴羅侯(魏・鮮卑伝)
鮮卑族の首領・軻比能の弟。のち鮮卑族の部族長の歩度根・泄帰泥らと仲間割れし、殺された。

○泄帰泥(魏・劉放伝)
鮮卑族の首領。父の扶羅韓が軻比能に殺されたのち魏に降り、帰義王に封じられた。

○瑣奴(魏・鮮卑伝)
鮮卑族の首領・軻比能の部下。224年、護鮮卑校尉の田予の攻撃で敗走した。

○厥機(魏・鮮卑伝)
後漢末、鮮卑東部の首領。閻柔を通じて交易を求め、曹操から王の位を授かった。

○沙末汗(魏・鮮卑伝)
鮮卑族の首領。父・厥機が曹操と友好関係を結び、父の死後、魏から親漢王の位を授かった。
のち文帝(曹丕)のもとに馬を献上した。

○鬱築鞬(魏・鮮卑伝)
鮮卑族の王・軻比能の女婿。魏の田予から派遣された通訳の夏舎を殺したが、田予に反撃
され大敗を喫した。

○蒲頭(魏・鮮卑伝)
西部鮮卑族の首領。228年、魏の護鮮卑校尉・田予が長城を出て鬱築鞬を討伐したとき、
田予の指揮下で出兵した。

○慕容(魏・鮮卑伝)
後漢末、中部鮮卑族の首領。

31 :24:2006/11/12(日) 23:31:51
>>29
そーなの?いや俺も詳しくしらないけど
諸葛瞻が生まれるのが227年で、諸葛喬が死去するのが228年だってね。

韓当の息子は、親の韓当が立派な人物だけに「このアホ!」といいたいw
陸遜の子の陸抗は優秀な人物だが、同じく二代目の歩闡の一族を悉く殺してしまったのは汚点だよなぁ。
陸抗の子、陸機・陸雲は詩人として著名だが、彼らが不幸な死をを遂げた際も
陸遜(略奪)・陸抗(歩一族皆殺し)の惨たらしい行いを噂して「まあ、先祖があれだし、仕方がないだろ」なんて意見もあったとか。
張遼の子張虎。楽進の子楽チンは演義とは違いそれなりに有能だったらしい。
まあ、演義では親の張遼・楽進も正史三国志とは違い、戦死してるけどw

32 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/13(月) 15:24:56
>>雑魚だと思ってこき使おうと異民族を近くに連れてきたのが曹操
南北朝時代の南朝では、蜀漢に人気があった理由がわかる気がw
その連れて来た異民族どもが五胡十六国の騒ぎを起こすんだよな

33 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/13(月) 15:31:54
>>32

>>31をかまってやれ。

34 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/13(月) 23:43:50
>>揚州の気質or気風が、このような人物達を生むのでしょうか?
土地の気質と気風が人の性格に影響するのかわからないが
影響するのだとすれば、最高傑作は間違いなく孫皓だろうな

35 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/14(火) 10:39:21
このスレ面白いけど、板が板だけになぁ・・・

二代目と言えば、黄祖の息子の黄射ってどうなったのだろう。
禰衡のお友達という形でしか登場してないような気がするけど。

36 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/14(火) 13:39:16
>>36
話の腰を折るな

37 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/14(火) 13:52:29
>>36
>>35だろ

オチのつもりなら間違えるな

38 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/14(火) 17:27:16
>>34
でも、孫晧って名士の扱いに困り果てて発狂したんじゃね?
劉備も、曹操も、孫権も、名士との協調と、君主権の強化のバランスには苦労しただろうね。

39 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2006/11/14(火) 23:24:58
>>31
めちゃめちゃ詳しいじゃないですか、24さんw
と、オイラの意見とすれば、歩闡の一族を皆殺しにしたのは、ある意味“見せしめ”の要素を含んでいたのでは?
と思います。この歩一族の晋亡命以前に、全一族の魏亡命などがあり、重臣子息達の“呉に対する(皇帝に対する)”
求心力が著しく低下していた為(歩闡の場合は孫皓の悪政が嫌だったのでは?)、陸抗は非情な選択(粛清)を
とったではないか…と、思うオイラですw
(オイラが陸抗を庇いたくなる理由に、魏・呉・蜀の三国の中で呉が一番大好きで、その呉の人材の中で
 特に陸一族が好きなので、ついつい肩入れをしたい…です( ^∀^)ゲラゲラ)
○陸晏(呉・陸抗伝)
?〜280。呉の丞相・陸遜の孫、陸抗の長子。父の死後、弟の陸景、陸玄、陸機、陸雲と共に
父の軍を分割掌握し、裨将軍・夷道監として晋と戦ったが、王濬の軍に敗れて亡くなった。

○陸景(呉・陸抗伝)
?〜280。字は士仁。呉の丞相・陸遜の孫、陸抗の次子。呉主・孫皓の妹を娶って騎都尉となり、
比陵侯に封じられた。父の死後、その配下を兄弟で分割掌握し、偏将軍・中夏督となって晋の
王濬の軍を防いだが、兄・陸晏の戦死と日を接して敗死した。

○陸玄(呉・陸抗伝)
呉の丞相・陸遜の孫、陸抗の第三子。父の死後、その配下にあった軍を兄弟五人で分割掌握した。

○陸機(呉・陸抗伝)
261〜303。字は士衡。呉の丞相・陸遜の孫、陸抗の第四子。弟の陸雲と共に詩文の才で有名。
父の死後、その軍を兄弟と分割掌握、牙門将軍となった。呉の滅亡後、郷里に引きこもったが、
約十年ののち弟・陸雲と洛陽に入り、晋の太子洗馬・著作郎から平原国の相を拝命した。
「八王の乱」に際し、成都王・司馬穎の後将軍となったが、敗戦の責任を問われて弟の陸雲・
陸耽ともども処刑された。

○陸雲(呉・陸抗伝)
262〜303。字は子龍。呉の丞相・陸遜の孫、陸抗の第五子。十六歳で賢良に挙げられ、父の死後、
その軍を兄弟と分割掌握した。呉の滅亡後、兄の陸機と共に洛陽に入り、清河内史となったが、
成都王・司馬穎に兄の陸機、弟の陸耽ともども処刑された。陸機と共に詩文の才で名高く、「二陸」
と並称された。

40 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2006/11/14(火) 23:27:56
○陸耽(呉・陸抗伝)
?〜303。呉の丞相・陸遜の孫、陸抗の末子。呉の滅亡後、兄の陸機・陸雲と晋に仕えたが、共に
成都王・司馬穎に殺された。

歩闡の甥達は洛陽に人質として居たため、陸抗の粛清から逃れていたみたいですね!!
○歩闡(呉・歩闡伝)
?〜272。呉の丞相・歩騭の子で、歩協の弟。兄の死後、西陵都督を継ぎ、西亭侯に封じられた。
孫皓の呼び出しに応ぜず、晋に降り、累進して交州牧・宜都公となったが、呉の陸抗に攻められて
西陵は陥落し、一族皆殺しにあった。

○歩騭(呉・歩騭伝)
?〜247。字は子山。臨淮郡淮陰の出身。後漢末の混乱を避け、江東で瓜を植えて自給し、読書に励んだ。
孫権に迎えられて累進、鄱陽太守を経て、劉表配下の呉巨を斬るなどの功によって広信侯に封じられ、
のち臨湘侯に改封された。孫権の即位後、驃騎将軍・冀州牧、西陵都督となる。二六四年、陸遜に代わって
丞相となってからも書を手放さず、私生活は書生同然だった。西陵に留まること二十年、内外に重きをなした。

○歩協(呉・歩騭伝)
呉の丞相・歩騭の長子。父の後を継いで西陵都督となり、撫軍将軍に任じられた。

○歩璣(呉・歩騭伝)
呉の丞相・歩騭の孫、歩協の長子。叔父の歩闡が晋に投降した時、人質として洛陽に送られた。
晋に仕えて廬陵太守となり、江陵侯に封じられた。

○歩璿(呉・歩騭伝)
呉の丞相・歩騭の孫、歩協の次子、歩璣の弟。兄と共に洛陽に人質として送られたのち、晋に仕えて
宣威将軍となり、都郷侯に封じられた。

晋の統一後、陸抗の息子達と歩闡の甥っ子達が、顔を合わしていたのか“凄く”気になりますww
あと↓楽綝は名誉の戦死後、二階級(三階級?)特進していますね( ^∀^)ゲラゲラ
○楽綝(魏・楽進伝)
魏の右将軍・楽進の子。父が死ぬと、その後を継ぎ、揚州刺史にまで昇った。父譲りの剛毅な性格だったが、
反乱を起こした諸葛誕に急襲されて殺された。九卿・衛尉を追贈され、愍侯に諡された。

41 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 00:47:45
羌族には、姚弋仲の父で、沓中で姜維と戦った南安羌族の柯迴(柯回)なんかもいるな。
沓中で戦った、と言うのが、248年の羌族の乱の時か、263年の蜀平定の時かは定かではないが、
姚弋仲が永和8年(352年)に73歳で死んだ事を考えると、蜀平定と見た方が無難。

北史姚萇伝の、「魏を助け沓中で姜維の足止めをした」という記述も考えると、
当時の柯迴は王頎の麾下に在って蜀平定に随行したと考えるのが良いだろう。

42 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 00:54:44
>>39
陸雲 字は子龍
名前がすげぇ

43 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 16:02:56
趙雲子龍みたいだね。

44 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 16:43:38
>>39
うーむ、それだとなぁ。
羊コと陸抗の友情秘話は有名だけど、
あれって実際は恩徳の押し付け合いって聞いたことあるぞ?
要は、美談を触れ回って民草を味方につける。
だから陸抗の歩闡ら殺害事件は、その道理から外れてしまうわけで、
尤も、この論も定説ではないだろうけど。
度が過ぎた殺戮は人民に恐怖を与え、更に名士や豪族を出奔させかねない。
法家にして、徐州虐殺を行った曹操ですら謀叛人を赦し、
また叛乱を起こされてしまう始末(昌霸の件)
温厚かつ凡庸な劉禅みたいなのが皇帝ならばまだしも、
孫晧だと、暴虐の一環とも思われかねん。
諸葛亮のように民衆から支持を得る場合もあるが
于禁のように配下の心を掌握出来なくなる恐れもある。
孫晧即位の時点で亡国と化してしまった呉だ、厳しすぎると如何なる謀叛に遭うか
わかったものではない。

45 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 16:56:45
自演乙

46 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2006/11/18(土) 22:10:33
>>34
孫皓の同族に対する疑心暗鬼もさることながら、揚州の大地が生んだ
↓の孫一族のボンクラっぷりに((((;゚Д゚))))ガクブルですw

○孫奮(呉・孫奮伝)
?〜270。字は子揚。孫権の子で、孫覇の弟。斉王に立てられて武昌に住んだ。
孫権の死後、諸葛格の意見に従って南昌に移り、狩猟に明け暮れた。諸葛格が
殺されると蕪湖に移り、首都・建業に乗り込もうとしたが、諫める謝慈らを
殺したので罪に問われ、庶民に落とされた。258年、孫亮によって恩赦され、
章安侯に封じられたが、のち帝位を奪おうとしているという噂が流れた為、
5人の子ともども孫皓に誅殺された。

○孫楷(呉・孫韶伝)
孫韶の子。父が死ぬと武衛大将軍・臨成侯となり、京下の督に任じられた。276年、
都に召されて宮下鎮驃騎将軍に任じられることになったが、孫皓を恐れて家族や
腹心の部下をと共に晋に投降した。

○孫秀(呉・孫匡伝)
孫匡の孫、孫泰の子。夏口督だったが、皇位に近いため孫皓に圧迫されて晋に亡命した。
晋では驃騎将軍・儀同三司に任ぜられ、会稽公に封じられた。

○孫基(呉・孫覇伝)
孫権の孫、孫覇の子。孫亮によって呉侯に封じられた、孫亮の側近く仕えていたが、
皇帝の馬に盗乗した罪で投獄された。のちに恩赦を受けるが、孫皓が帝位につくと
爵位を剥奪され、会稽郡鳥傷に流された。

○孫壱(呉・孫覇伝)
孫権の孫、孫覇の子。孫亮によって宛陵侯に封じられたが、のちに孫皓が帝位につくと
会稽郡鳥傷に流された。

と、孫奮・孫基は自業自得ですが( ^∀^)ゲラゲラ

47 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/18(土) 22:35:50
人物説明は三国志全人名事典の丸写し?

48 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/19(日) 00:39:50
孫静の息子、孫瑜・孫皎・孫奐は有能な人物だよな。


孫ロという馬鹿息子抱えちゃったが





まあ曾孫の孫峻・孫チンよりは数段マシだろうがな

49 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2006/11/19(日) 22:36:57
>>35
何故に黄祖・黄射親子と禰衡が知り合いなのか気になりますがw
と、オイラが禰衡をイメージした場合、いつも頭に過ぎる人物は〜A級戦犯として
東京裁判に出廷した“天才○キチ”な大川周明を思い描きます( ^∀^)ゲラゲラ

>>38
君主と名士の関係とは、曹操=潁川の荀ケ&河内の司馬懿・孫権=張昭みたいな感じですか?
(劉備の場合は琅邪の諸葛亮になるのかな?)

>>41
前秦王朝を樹立した氐族出身の苻洪↓その先祖と思われる苻健について…

○苻健(蜀・後主伝)
武都の氐族の王。蜀の後主・劉禅の命によって、236年、部民四百戸余と共に広都に移住した。
その後、蜀に叛いたらしく、251年、蜀に降伏したとある。

>>44
えっ!?羊祜と陸抗の友誼って美談だったんですか?
(羊祜が病身の陸抗に酒を贈ったって話は、凄くイイ話だなぁ〜と思っていたのですがw)

>>47
そのとおりです!!
10年前にこの本を購入して、あまりの内容の良さに今でも愛読書ですw
と、三国志時代の人物が分かり易く書かれているので、皆さんにも分かってもらいたく
このような人物紹介の仕方をしたのですが、この仕方がダメならば、他の方法を考えます!!

>>48
主家乗っ取りを企てた孫ロにも“熱き江南の血が入っている!!”って事ですねw
(って、孫峻&孫綝は孫ロの孫にあたるんですね?)

50 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/19(日) 23:55:49
>>49

出典元だけ明確に分かればいいよ

51 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/20(月) 18:42:59
>>49
そんな感じ。
君主と名士の関係だが、このバランスをとるのに孫晧は苦労したようだ。
孫晧が呉滅亡の際、家臣に示した書簡があるらしい。
それには自身の悪行への反省などが書かれているが、「名士」について書かれていたものがある。
「孫呉への忠誠心など発揮せず、新天地でその能力を十分に発揮してくれ」
孫呉は北方出身の名士と、地元揚州出身の豪族。また孫堅・孫策期に仕えた家柄の良くない武将達
で成り立っていた。
あの孫権も、張温を失脚させ、陸遜を憤死に追い込み、顧譚を流罪に処すことは出来ても
遂に張昭を失脚させることは出来なかった。
君主権力の強化に邁進しようとしても、名士には声望があり、
その声望のある名士に不当な刑を下すことは叶わなかったのだよ。
君主に反発する名士連中と、中央集権化を望む君主の緊張状態は、魏呉滅亡の遠因となる。

「名士」には「名士」としての利害がある。
荀ケの「漢室再興の件はどーなったんだぁ!?」って件も
「でも実際『漢室再興』とか持ち出したのは曹植を後継者にする為の演技なんじゃね?」って説があり、
陳羣が進言した「九品官人法」も「名士の為の制度」といわれ、
忠臣と思われる諸葛亮も、尚書令法正の後任を、劉巴にした(劉備に反対されたのにも関わらず)
魏でクーデターを起こして、西晋の基礎を築いた司馬懿が名士なのもその証左。

52 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 17:35:22
>>雑魚だと思ってこき使おうと異民族を近くに連れてきたのが曹操
その異民族の中で一番多く連れて来られた烏桓は五胡時代どうしていたんだろう

53 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 22:53:36
烏桓てあれか、皇甫嵩の部下に「弱くて使い物にならない」
と言われたあれか

54 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 23:01:25
曹操って烏桓の騎兵が主力だったんでしょ?
曹操が尊敬してた光武帝も突騎と呼ばれる烏桓騎兵が主力だったけどマネしたのかな


55 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 23:33:40
三国時代は魏も呉も蜀も異民族の力を利用している
たとえ司馬厨が名君だったとしても五胡の到来は免れなかっただろう

56 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 00:28:09
五胡最大勢力になる鮮卑は、曹操が烏丸や匈奴を内徙させなければ南下出来なかったのよね

57 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 02:46:18
烏丸はともかく、鮮卑匈奴は後漢のころからすでに内徙されている。

58 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 06:04:24
>>57
鮮卑は後漢に従ったっけ?
檀石槐の死後は諸部族が分裂したのでは?
匈奴は後漢時代はほんとしょぼいよな
董卓の乱ではけっこう暴れてるが

そいや、董卓の配下にはチベット系の騎兵が多くいたようだけど
こいつらって後の突厥の先祖になるのか?


59 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 14:44:50
突厥はトルコ系だから違うと思う(テュルクの漢字表記)
チベット系の騎兵とは多分羌(タングート)のことだと思う
突厥より吐蕃の先祖である可能性が高い

60 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 17:03:03
>>57
曹操の内徙はレベルが違う

曹操は匈奴や烏丸を大規模に漢人の住む地に遷した
ひとたび背いたら中原にとって極めて危険な上に、北辺で伸び始めていた鮮卑に対する抑止力を失わせてしまった
目先の軍事力にはなっても、危険の種を近づけた上に、夷をもって夷を制するという伝統的な戦略まで台無しにしたんだよ

61 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/27(月) 05:54:28
>>59
そうか、サンクス
吐蕃の先祖とか夢があるなぁ

62 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/03(日) 04:53:15
江南の最高傑作は朱元璋と毛沢東だろ

63 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/03(日) 05:35:27
>>1
相変わらず伸びないスレしかたてられないんだな

64 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/10(日) 11:06:00
>>49
今更だが、苻健の降伏は二度にわたって行われたのではなく、
236年の一回だけと見るのが妥当だよ。
張嶷伝の苻健降伏のくだりに、「大将軍蒋琬」という記述がある事を、
また、挿入されているのが越嶲太守赴任前である事を考えれば、
建興十四年とするところを誤って延熙十四年と書いてしまったと見るのがいい。

65 :64:2006/12/10(日) 11:19:14
補足すると、延熙十四年としてるのはちくまであって、
原文はただ「十四年」とあるだけだから、普通に訳せば建興十四年になる。
あと、この時の苻健は武都郡の氐族。
苻洪は略陽郡(広魏郡)臨渭の氐族だから、両者がどれだけ関係しているかは分からん。
二郡は隣接してはいるけどね。

俺が知らんだけで血縁を示す史料があるのかもしれんが。

66 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 18:52:24
>>60
宋の時代に三国志の講談で曹操が負けると喜ばれるわけだ

67 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/17(日) 12:54:35
吐蕃、羌、氐がチベット系なのではない
チベット(蔵)、氐、吐蕃が羌系なのだ

68 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/22(金) 21:43:58
蜀にいた異民族って白族や苗族の先祖に当たるんだろうか

69 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/26(火) 22:36:03
北方の異民族が国家を作ることがあるが(隋、唐、遼、金など)
南方の異民族が征服国家を作れなかったのは何でだろう

70 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/26(火) 22:53:31
>>69
温かく海が凍らない地には憧れるもんだが、
寒く砂が多い所には行きたくなかったからじゃね?

71 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/27(水) 00:34:35
>>69
呉、楚、越とかじゃ駄目?
春秋時代、長江以南は異民族の地と見なされていたと聞いたことがある

72 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/27(水) 05:30:41
北方の連中は騎馬民族で機動力あるから、トロい漢民族を少数でも蹂躙できる
南方の連中は漢民族と同じ農耕民族だから多数の漢民族に対抗できない

それ以前に、北方の荒野に住む連中は豊かな中華に憧れるけど、
中華よりもあるいは豊かかもしれない南方の連中はわざわざ中華に侵攻なんて考えない

73 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/27(水) 12:53:39
>>71
その三国ぐらいしかないとはさびしい限り

74 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/27(水) 13:07:50
江南=異民族っていう基準なら、最強の異民族出身中華帝国があるじゃないかw

つ 明

75 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/27(水) 13:58:18
春秋時代で使われた尊王攘夷の夷って楚を指していたんだってね

76 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/27(水) 14:01:07
孫呉以下の六朝は全て異民族王朝なのか?

77 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/27(水) 14:18:47
>>76
その頃だと江南も中原とまではいかなくとも中華の一部との認識ですから
日本の東北、北海道(蝦夷)九州(熊襲)みたいなもんだな

78 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/27(水) 19:46:57
春秋〜三国時代の開発度は
中原(黄河流域)>>>江南(長江南岸)だよな

79 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/27(水) 22:30:51
楚は人口も多かったし、
治金も進んでいなかったっけ?

80 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/27(水) 22:51:26
楚ってだいたい荊州らへんだよな?呉越よりか全然都会だよ

81 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/27(水) 23:24:30
楚人はタイに南下していて、
荊州の人は楚の遺民では無いと聞いた。

82 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/27(水) 23:48:43
>>81
そうなの?楚人が南下したのは項籍が死んで楚が滅んだ時なのかな?

83 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/28(木) 07:45:44
>>82
北方の異民族が南下してきて、中原の連中が南下して、それでいれなくなって南下したんじゃない?

84 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/29(金) 08:44:20
北方の異民族の南下って・・・・五胡十六国〜南北朝?

85 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/29(金) 09:10:25
いつだったか見たトンデモ本の内容だからマトモに信じちゃダメだろうけど、
呉だか越だかのどっちかが滅亡した際に王をはじめとする多くの人たちが海を渡って逃げ出して、
ながいながい旅路の果てにたどり着いた先が倭国で、そこに新しい国を創ったとか・・・
だから日本人の服は漢服じゃなくて呉服なんだってさ。いや、ホントかどうかは別として、
百済王家の末裔が桓武天皇の后になるとか、なんか日本人は貴種流離譚が好きなんだろうな。
まあ、証明できないどころか信憑性が無い話だからアレだけど、なんかそういうのって素敵やんw

86 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/29(金) 09:36:09
秦に滅ぼされた異民族の国の蜀も栄えてたらしい

87 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/29(金) 09:55:07
蜀って全然普通に中華じゃんwwwwwww
異民族の基準ってどうなってんだ?

88 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/29(金) 09:58:39
春秋戦国時代の話なんだろ
三国時代だと中華の範囲だけど

89 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/29(金) 10:09:34
しかしかつて栄えた中原が今じゃパッとしなくて、辺境と呼ばれた幽州(北京)や淮南・江南とか益州(重慶・成都)のが栄えてるもんな

誰だよ楚人はサルだとかほざいてた池沼は

90 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/29(金) 12:27:37
項羽の頃はサルだったんだろう

91 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/29(金) 12:43:21
>>89
かつて辺境のサルと呼ばれていた連中の末裔が権力を握ったから中国は反日キチガイ国家になってしまったんだよ!
やっぱり楚人はサルのままだったんだ!!

92 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/29(金) 14:59:20
実は劉邦は楚の生まれ

93 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/29(金) 18:34:57
>>誰だよ楚人はサルだとかほざいてた池沼は
中原諸国(晋、斉、宋など)からこれまた西戎と思われていた秦人かと

94 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/29(金) 21:38:04
>>89
かつて栄えた津軽や出雲が今じゃぱっとしなくて
辺境と呼ばれた関東平野が栄えているようなもん

95 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/29(金) 21:53:14
日本の中原と呼ばれてる所は畿内だろ

96 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/12/29(金) 22:42:09
京兆尹なんて職が楚の官の名残なわけで。

97 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/30(土) 05:32:20
>>94
・・・・・・・
>>91
そういえば毛沢東の出身地の湖南省は確か楚の国があった所だったとか

98 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/31(日) 09:06:31
楚に滅ぼされた越人は南下してベトナム人の先祖になったて聞いたことがある

99 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/31(日) 11:10:58
この人のスレが、なぜか無関係の格ゲー板で1年近くコトコト煮込まれています

http://game11.2ch.net/test/read.cgi/gamefight/1136637993/

100 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/31(日) 15:03:49
・・・・・気が付いたら三国時代の異民族じゃなく春秋戦国時代の異民族を語るスレになっている・・・・・

101 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/31(日) 21:48:04
秦楚斎の三國志。

102 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/01(月) 02:37:44
項羽だったら匈奴に負けなかった様な気がする、なんとなくそんな書きがする


103 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/01(月) 12:09:41
戦闘には勝つかもしれないけど
敵は漠北に逃げて復活してくるからねぇ。
それを追っていったら、足元がぐらつきそうだし。

104 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/01(月) 16:06:56
あの時期の匈奴は最強だぞ?

105 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/01(月) 23:51:21
南方異民族(項羽)対北方異民族(冒頓単于)

106 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/02(火) 15:00:29
項羽の軍も歩兵が主力だろうから勝つのは難しいだろ
匈奴が分裂するか騎馬隊を相当訓練するかしないと厳しいと思う

107 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/04(木) 01:50:52
騎馬民族も国を作ると首都を決めて定住しちゃうね

108 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/05(金) 08:31:04


109 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/05(金) 23:37:53
>>106
項羽ならなんとかしてくれる。
ヤツに常識は通じない。

110 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/06(土) 16:04:31
項羽だったら匈奴に大勝ちするか大負けするかのどっちか

111 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/06(土) 20:20:56
衛青・霍去病の様に完成された国家によって後方からの支援が十二分に
うけられないと、たとえ項羽でも局所的には勝てても継戦能力の欠如で
衛青や霍去病時代にしくじった遠征将軍と似たような挫折や頓挫に
追い込まれそう
遭遇すらできずに虚しく引きあげてきたり、合流に手間取って敵地で孤立し
重囲に陥るなんてこともあるし

112 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/06(土) 20:57:43
出撃はしないと思う。
なぜなら、漠北には米の酒が無い。

113 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/07(日) 04:04:31
>>92
だから漢の家臣には楚人も結構いたわけだ
生き残った項羽の部下も漢の家臣になっているし

114 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/08(月) 04:11:08
王兵は異民族の出身だとか

115 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/08(月) 22:52:02
×王兵
○王平

116 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/10(水) 09:08:38
項羽ってなんで字の方が有名なの?

117 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/10(水) 10:21:21
諸葛亮も孔明の方が有名だしなぁ

118 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/10(水) 13:42:49
>>1はどこ行った?

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