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蜀と呉に天下をとる機会はなかったのか2?

1 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 16:23:39
魏が中国大陸の3分の2を支配していたが、
赤壁の戦いでの敗北により三国鼎立となった。
その後は蜀と呉は盛り返すことなく、
結局晋が統一したが、チャンスはあったと思う。

楽しく議論してみよう

前スレ
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1157902644/l50

2 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 16:33:51
2ゲゲゲッ♪

3 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 17:38:15
赤壁について調べてみたんだが
場所がよくわからない。

4 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 17:48:38
呉と蜀が完全に一体の国になったという前提だとどうだろう?
逆に戦略的に不利か?

5 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 18:14:26
荊州から洛陽を全力で攻めて、上手く落とせたらそこで五分。

6 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 18:24:18
>>4
それでもサイコロ振って奇数が5回連続で出るくらいの確率

7 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 21:06:04
六朝のうち東晋〜梁は呉蜀の版図を治めていたが結局北に統一された
東晋と梁の時代には北の分裂に介入するも失敗に終わった
どう考えても無理だな

8 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 21:22:43
>>4
そもそも具体的な魏侵攻作戦は軒並み失敗してるわけでどうしたら個々の戦いでの勝算を上げられるかだと思うんだ。

例えば241年の呉の同時侵攻では全jが敗れた後も朱然の激しい攻勢で包囲網は厳しかったとあり、
蜀が連動して司馬懿を引き付けられれば襄樊が落ち荊州からの侵攻路が開けたかもとか、
255年の姜維の侵攻時に呉が動いていれば陳泰に兵が回されずレキ陽を占拠できていれば
陳泰の危惧が実現し西部戦線は一気に色が塗り変わったかもとか、

紙二重ぐらいの戦いは結構あるので考察の価値はあるんじゃないかな?

9 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 23:28:37
孫権のタコも後継者をきちんと決めた上で隠居してしまえば
良かったのにな。

10 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 23:36:33
というか目障りだろうがなんだろうが陸遜を後見に残しておけば後の政変続きの憂き目はやはり避けられたのでは?
諸葛格も才能無いわけじゃないけど人望薄いような…

11 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 23:43:19
蜀が漢中取ったとき、そのまま侵攻を続け(あるいは続ける振りをして曹操を引き付けておき)
関羽が呉と連携して壌陽を攻め、呉が徐州を攻めていたらどうだったかな。

12 :2chカキコ初めてさん:2006/10/17(火) 23:52:46
赤壁で曹操が逃げてたときに関羽が、曹操を討たなかったのが、イタイあれが最初で最後の魏を簡単に滅ぼすチャンスだったのに・・・その後は多分蜀が天下を取ったかもしれない(将の強さ+諸葛亮で)

13 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 23:59:50
>>12
いい加減、そのネタしつこいな

14 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 00:00:06
前スレで散々語られつくされたのかもしれんが>>1は魏が天下を取ったとでも思ってんのかな?



15 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 00:03:23
関羽はともかく劉備が火計をやってればあるいは……

16 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 00:09:23
ここは演義で語ってもいいの?

17 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 00:12:49
15は一応演義ではない。

18 :2chカキコ初めてさん:2006/10/18(水) 00:21:39
>>13さんへ
だったそれ以外機会なかったモン!他ありましたっけ?魏を簡単に滅ぼすような機会

19 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 00:24:46
合肥で張遼が孫権を討っていれば魏の統一は曹操在世中になったろうな。

20 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 00:37:05
曹操の寿命が延びない限り不可能だろ
呉が矛先を転じるきっかけになったと言う意味では重要な戦いだが

21 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 00:43:54
215年じゃ孫権死ねば呉は瓦解するんじゃね?

22 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 00:49:33
>>14
>>1には結局晋が統一したがって書いてあるやん。
晋は魏の勢力をそのまんま継承したようなもんだから、あえてIFを語る必要もないだろ。
司馬一族のクーデターを押さえられたら、という仮定しか語れん。

23 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 01:44:52
>>21
当時は対蜀同盟派の魯粛が生きてるから魏の都合のいいようにはならんよ

24 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 02:38:57
長文君の食客になりにきたんですけど

25 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 02:43:20
才は?

26 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 02:44:20
飯を食いやがて死ぬでしょう。

27 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 10:25:28
>>19
曹操自身がそれは無いって言った記述があったはずだが?

もうすこし呉が空気読めたらな・・・
蜀は長安は取れたかも知れん

28 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 15:50:33
>>26
そのような才では長文君はよろこばぬ。
スレが荒れはじめたらおいでになる。
そのとき再び来るがよかろう。

29 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 16:01:40
>>27
何が無いって?
張遼が孫権を討ち取ることか?
その上で曹操自身が天下を統一すること、或いは帝位に就くことか?

30 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 16:35:15
>>29
赤壁後?曹操自身は自分が天子になることをその時点では望んでなかったんじゃ。
なんつうか曹操が望んでたのは終止劉備の排除だと思うが

31 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 16:41:55
>>30
帝位云々はポーズの可能性も大だと思うけどな。
それはそれとして合肥後も曹操は217年に濡須攻めなどしてる。
合肥で乱戦の中、孫権が討ち取られ呉が瓦解してたら江南の平定がなった可能性は十分にあると思うがな。

32 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 17:06:03
そう考えますか。漏れはこれまで曹操の合肥・濡須攻めを孫権に対する牽制程度にしか考えてなかったですよ。
なんか


IDがないことに初めて気がついた

33 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 17:42:59
今更だな

34 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 17:51:03
曹操は赤壁後明らかに外征の意欲を失ってるよ
それは対呉のみならず劉備に対しても
歳のせいか赤壁の損害のせいかわからんが

35 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 18:14:28
本人の意欲の問題じゃなく、それだけの軍事的な実力や本拠の安定が無かったから
漢中を失った後は再侵攻と統一後の即位に意欲的だったよ
すぐ死んだけど

36 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 18:23:13
蜀が漢中を取った辺りでは人材的に蜀は凄かったように見えるけど
実際にはどうだったんだろうか。
関羽、張飛、趙雲らは当時既に50代。常識的に考えればそんなに強いわけがない。
演技や横山ではその頃でもまだ全盛期と変わらぬ強さを維持しているように描かれているけど。

37 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 18:40:16
別に陣頭で闘いながら指揮してるわけじゃないんだし年齢ってのはあんま関係ないよ
それよりは個人の判断能力と経験が大事

38 :30と32だが:2006/10/18(水) 18:40:32
 >>33三戦板見たのは初めてだったもので・・・

 >>36元益州閥と刑州閥と劉備の古参の三大派閥争いが起きてた

39 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 18:54:16
益州閥などほぼ存在しないのに……

40 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 19:09:35
>>38
派閥争いの形跡が感じられないのは気のせい?

大体古参組といえば関羽・張飛・趙雲・簡雍・糜竺・孫乾・麋芳らとわかり易いが特に連帯意識は無さそうだし、
益州閥と刑州閥なんて構成員の基準からして不明瞭。参加時期か?

41 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 19:37:29
蜀に関する研究論文読んでたら古参組も荊州閥に含めるらしい

42 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 20:31:06
武帝なんかフットワークが加齢で鈍くなってからはどうしようもない。
魏武注孫子を読むと如何に化け物じみているか理解できるが、
218年当時では思考が行動に反映されてるとはとても思えない。
ワーテルローが無かったのが天与の幸運というものだな。

43 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 23:19:14
曹丕って剣術、弓術は一流、詩にも優れ当代の名君だった。
唯一曹休、曹真らを除く親族を冷遇したこと、早死にしたこと、
司馬一族を優遇したことが凋落のきっかけだった。

44 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 00:35:09
>唯一曹休、曹真らを除く親族を冷遇したこと

私怨に近い感情で良臣を殺していますが

45 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 00:38:28
>>43
詩じゃなくね?

46 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 00:44:49
鮑や楊俊だな。あれはひどいな。
曹洪に対してもあれだしw

47 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 00:49:48
丕「金貸して」
洪「えぇ〜やだよ〜」
丕「マジムカツク、あいつ左遷ケテーイ」

48 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 02:01:24
>>44
必要なことなんだよ

49 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 02:16:19
知ったかキター

50 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 03:17:41
かなわんな

51 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 05:11:49
>>48
生まれ変わりキタ━━( ・∀)∀゚)Д゚)▽^)Д´)ω゚)_-)ゝ`)з゜)━━ッ!!

52 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 22:18:35
呉質っていう腰巾着いたけど、
政治能力はあったが度量が狭いという
評価?

53 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 23:09:17
っていうか、剣術・弓術みたいな個人的武勇って
名君の必須条件に当て嵌まらなくね?

54 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 23:39:49
剣術って君主どころか士大夫でも必須でもなんでもないしね
純粋に武人でも目指さない限りは弓と馬が扱えればいいんよ

55 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 23:48:11
曹丕スレ逝って来いw

56 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 23:48:57
曹丕の最大のネックは
度々討呉遠征を起こしては無益どころか自爆気味な被害を蒙って撤退してること

57 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 23:54:55
>>31
あくまで個人的推測でしかないが・・・

曹操は適材適所を根底においていたので
祭り上げられるよりは
才を重視し己の才を発揮できる位置にいたいと考える人間のように感じる

けど王まで逝ってんだよね・・・
やっぱりオマイの言うとおりポーズかなぁw

58 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 00:23:48
皇帝こそ一番才を生かし放題な地位じゃないか

あの時代に曹操だけ忠臣という評価に無理があるんだよね

59 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 06:09:34
弱い者いじめ大好きドSの曹丕様
人気取り政策ミエミエのアイドル曹丕様


60 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 07:22:05
蜀は荊州を失った時点で天下取る目は無くなったと思う。
呉は天下取るよりも、江南の半独立状態を維持できればいいと考えてたんじゃないか?

61 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 07:31:08
荊州に関しても関羽ともども見殺しにされた感があるが

62 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 08:09:04
DQN(呉)が殺さなかったら曹操は関羽を殺しただろうか?

63 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 08:19:29
放逐されても自殺するだろ

64 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 13:45:13
>>63
それは無いだろw

65 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 10:55:05
埋め立て行為はいかなる場合でも
重大な荒らしだぞ・・・・

66 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 12:52:19
何を持って埋め立て行為とするかだな。
保守カキコすら埋め立てと見るのかとか

67 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 16:45:21
>>66
前スレの最後がひどかったからだろ
それと中身のない保守カキコも運営は禁止事項として捉えてる
罰を与えられることは滅多にないがな

68 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 17:09:33
>>64
プライドが高いから自殺すると思ったんだが、そうじゃないのか?

69 :.:2006/10/21(土) 17:10:18
自殺するくらいなら捕まる前に自殺するような

70 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 17:20:39
そんなこともなかろう

71 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 18:12:33
自殺するとしても蜀に逃げ帰った後だな


72 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 18:57:14
蜀に帰れば劉備や張飛が意地でも説得するだろう

73 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 19:06:26
劉備「おお、関羽がもどったか。斬れ」

74 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 19:06:29
プライドの高いあのお方のこと、ウ禁の如く悶死することだろう

75 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 21:14:43
>>73
んで切り役が張飛なw
ってないない

>>74
于禁はハブ、カンヌは君主お墨付き

76 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 22:41:17
曹操攻めたのは漢中の援護
孫権の要求を突っぱねたのも蜀の方針
関羽が敗戦の責を負ういわれはない

77 :.:2006/10/21(土) 22:43:50
>曹操攻めたのは漢中の援護
宛の反乱の時期ならともかく、関羽さんは全く関係ないだろ

78 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 23:57:57
呉に捕まったまま拘留されて和解の後に帰国って事になったら
于禁と同じ道を辿った可能性はあるな

79 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 00:01:26
劉備からは何も言われなくとも、周りと仲が良かったようには思えんからね
自意識過剰と自尊心の高さが相まって、その内発狂するだろ

80 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 00:03:46
>>77
関羽が北上したのは劉備が漢中王になってからだしな。

81 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 00:08:56
関羽は曹操の捕虜にもなってるし
捕虜のまま返還されたからって急に不忠者扱いされるのはおかしい

82 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 00:14:09
>>78
君主自ら率先した于禁イジメとじゃ状況が違いすぎる

>>79
君主と絆の深い関羽じゃ周りがどうこう言える訳がない

つか、関羽のその後はどーでもいいから>>62応えてくれ


83 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 00:22:01
于禁も曹操を裏切った訳じゃないし
元馬超配下のホウ徳が曹操に義理立てして斬られたのもよくわからんなあ

84 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 00:49:02
>>79
和解後なら劉備死んでるだろ。
諸葛亮にとっては関羽は邪魔者でしかないと思う。

>>62
曹操が殺すかは分からんが曹丕が殺す。

85 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 00:58:13
関羽を生かしていてそれでも劉備が攻めてきたら捕虜の関羽を停戦交渉に使う
応じなければ殺して劉備が義兄弟を見殺しにしたと喧伝する
いずれ劉備死後に戻ることはない

86 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 08:03:08
関羽を殺さないと劉備が釣れないから殺さないことはありえない。
孫権は蜀とけい州を争う時点で天下というより2番手争いする気満々だし、
それなら劉備を明確に3番手にするために叩いておかないといかん。
俗に言う、決着をつける、ってやつ。

87 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 09:06:38
というか、関羽が自殺することはない、と言っている人は何故自殺する人間がいるのか、という問いに答えられるのだろうか

88 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 09:17:58
>>87
いや無理でしょw
宗教やら個人がおかれた環境やら全然違うし

人間ってくくったらスコープでかすぎだろ
問いというにはあまりに稚拙

89 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 10:53:06
>>86
荊州を奪った後劉備を釣る事にメリットはあるのか?
結果的には呉が大勝し劉備が死んで蜀と停戦できたが
魏に後背を晒しながら蜀と長期抗争する可能性は十分あった

90 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 10:59:34
司令官が呂蒙で短期でけりがつくと見たから荊州を攻めたわけで
ついでに夷陵で守れるとも思っていたわけなのでその可能性は低い

91 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 11:08:11
劉備があのタイミングで死んだのは偶然の産物だろ
魏呉同盟が信頼にたるならその後、蜀とよりを戻す必要もなかった訳だし

92 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 11:14:47
>>86
荊州は蜀呉どちらにとっても要地だから攻めたんだろ
2番手争いって・・・どこの厨だよw

93 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 11:24:00
魏の222年の江陵侵攻の時、陸遜は蜀国境を警戒していて助けに行かなかった(行けなかった)という説が正しいなら、
劉備が死んで白帝城から軍が引き上げられるまでは十分呉側に負担となっていたと見ていいんだよね?

94 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 11:38:10
>>93
蜀の進軍目的考えれば負担になるのは当然じゃないか?
しかし魏の江陵侵攻は陸遜予測していたんじゃなかったっけか?

95 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 11:41:25
荊州強奪→蜀との戦争→魏の南下→蜀との再同盟

ここまでは想像してたろ

96 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 11:47:52
劉備が生きてたら再同盟はなかっただろ

97 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 11:49:06
>>95
陸遜は蜀国境を警戒していて助けに行かなかった(行けなかった)という説
                               ↑
俺気になってんのここなんだけど

98 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 11:49:18
敗北後、魏の侵攻に対して救援の軍を向けようかとぬけぬけと手紙を送る劉備の図太さは凄いw

99 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 11:49:59
じゃあ劉備が生きていた場合の流れを書いてくれ

夷陵の敗戦→

100 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 12:02:44
>>89
おれは孫権が三国鼎立の安定を望んでいたと考えている。統一願望も薄かったのではないか。
当時魏は問題も多く、国王も老齢で、時間が経てばぐだぐだになる可能性があった。
関羽とともに北上し、魏を一気に潰すよりは選び易い選択肢だ。

で、三国の安定を図るには蜀の外征の牙を抜かないといけない。
ただでさえけい州を押さえられてるのに、その上勢力が北に伸びられたら、
呉が最弱になってしまう。
蜀の牙に相当するのが、けい州の関羽と益州の劉備なわけで、
両者を消してしまえば、蜀は小さくまとまって逼塞するしかない。

まあ実際には蜀は一生懸命国力回復して北伐に精を出すし、
魏も期待ほど問題が起こらず、結局ジリ貧の方向に進んじゃったが。

なお、当時呉は王国ですらなく、名目上は魏の臣下。したがって、魏に対しては
さまざまなアクションが可能。陸遜が劉備に負けた場合、本格的な臣従を取りつつ
揚州の権益を守るように画策するとか考えてたかも知れない。


101 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 12:08:25
>>92
なぜ荊州をとったかの話じゃないぞ。
なぜカンヌを斬ったかの話だ。

102 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 12:10:48
>>97
どういう風に気になってるかわからないとなんとも言いようがないけど…

103 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 12:12:38
>>99
生きてても同盟になるんじゃね?

>>100
オマイの考え方だと蜀が北伐成功して長安取れたら呉は蜀に攻め込む事になるな
呉は蜀を敵視していたというよりは呉を守る為に荊州侵攻だろ

104 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 12:16:20
>>101=>>86
>>62は「DQN(呉)が殺さなかったら」のifだろ?


105 :95:2006/10/22(日) 12:17:30
>>103
>>99>>96へのレスな
俺もそう思ってる

106 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 12:20:14
>>103
長安を確保(奪い返されることなく)できれば蜀は橋頭堡を得て、西方も連絡路が途絶え自然と蜀に帰順の流れになり、
「蜀方面からの北上」という観点でいけば一つの焦点となり得る一代事業だけど、それで国力が飛躍的に増大するのかといえばそうでもないわけで。
長安とったから呉が蜀侵攻という流れは俺には想像しがたいな。

107 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 12:21:02
>>103
それは違う。
少なくとも、呉が裏切ったら北伐なんて成功しない。これは100%確実。
つまり、呉の身の振り方しだいで、三国の行方が変わる瀬戸際だった。
そして、呉は自身のためにより有利になると思える方向を選び取った。
仮に北伐が成功するほうに呉が賭けるとしたら、迷わず北上して魏を潰そうとするはず。
蜀を敵視していたからけい州に侵攻したのではなく、呉の方向性のため
あえてそのときは蜀を敵に回したということだ。

108 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 12:22:21
>>102
予測していて「いけなかった」というのはおかしくない?
予測してれば準備してるし実際別で援軍着てるし

なんか揚げ足とってるみたいだからこの話題止めるわ

109 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 12:23:16
>>107
頼むからifだという事を忘れないでくれ

110 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 12:28:10
>>62 「DQN(呉)が殺さなかったら」に対して
>>86 「関羽を殺さないと劉備が釣れないから殺さないことはありえない」

>>103 「蜀が北伐成功して長安取れたら」に対して
>>107 「少なくとも、呉が裏切ったら北伐なんて成功しない。これは100%確実。」

if全否定だなw


111 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 12:29:35
>>104
>>86は呉がカンヌを殺さないなんてifはありえない、カンヌを殺す意義はうんたらかんたら
>>92はそれに対して荊州を攻める理由はうんたらかんたら
会話がかみ合ってない。

112 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 12:31:06
関羽と呂蒙の話は荒れるなw

113 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 12:36:37
ifはありえないってスレ自体全否定


114 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 12:42:47
>>103
ああ、すまない。誤読していた。北伐成功で長安確保って、諸葛亮のときのやつか。
そのifなら呉は蜀を攻めないと思う。その場合、呉に対する蜀の圧力は変わらないが、
魏に対する蜀の圧力は増えるからな。魏がより苦しい立場に追い込まれれば、
呉の位置も相対的に上がるだろう。三国がよりバランスよく鼎立、ということになりそう。

115 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 12:50:07
どう見ても>>103の北伐は関羽存命中の動きだろう

116 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 12:54:22
>>107はほぼ的確な指摘だろう
>蜀を敵視していたからけい州に侵攻したのではなく
ここがちょっと怪しいが
この当時の蜀に呉を軽視する向きがあったのは事実だし、
関羽が援軍の申し出も結婚も断ったことがマズかった

117 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 12:59:23
荊州を一部割譲した蜀が呉を軽視していたとは思えんが
むしろ蜀本国は荊州と関羽を軽視しててそこに呉が付け込んだ気がする

118 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 14:14:20
>>108
魏の三方面侵攻に対して陸遜の名前がどこにもない(荊州牧なのに江陵にも絡んでこない)のは劉備に備えて
蜀との国境地帯に居たためじゃないかという説だから。予測してたからどうこうなる問題じゃないのでは?
予測してたら蜀を放っておけるわけでもなし。

119 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 14:59:48
劉備が白帝山にとどまったということは荊州を諦める気はないという意味だし
そのまま長生きされたら呉にとってきつかっただろうな

120 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 21:29:54
劉備は白帝にとどまったのは、大敗してボケ老人のようになって
成都に戻る気力を失ったからというイメージがある。
まあ陸遜の側からすれば同盟復活もしてないのに備えを怠るわけにもいかんが。

>>117
軽視していたというより、読み間違えたんだろう。
関羽北上でうまくやれば魏にかなりの打撃を与えられる機会に、
宿願の合肥に行かないで荊州に来るとは思ってなかったんだろうな。
いずれ孫権と戦うことはあっても、まず先に魏を潰してからぐらいのことを
蜀は考えていただろうから。
予想の斜め上を行ったというところかもしれない。

あと、関羽は当時でも大物扱いだろうから、過剰な期待もあったと思われる。

121 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 21:48:13
>>120
劉備の手紙読めばそんなボケ老人なんて毛ほども感じられないがな

122 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 22:24:57
関羽の北上に関しては呉の動きを読み間違えたのは確かだが
漢中方面の蜀軍の動きが見られないのが不自然
関羽の独断だったのか?

123 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 22:41:34
姜維、王平、楊儀ら魏の降将が中核を
やっているようじゃ蜀は駄目。

124 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 22:44:27
いい加減、カンヌって言ってる奴は自分が痛い子だって気づけば?

125 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 22:54:22
このスレタイで関羽の話は避けて通れないべ
孔明の北伐よりはチャンスがあった

126 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 22:56:54
>>122
劉備が漢中王になった際に、関羽は節鉞を与えられてます。
これは独断で兵を動かして良いという証であり、
機を捉えたら遥か遠くの劉備に判断を仰がず、すぐに兵をだせるように、
との配慮だと考えられます。
樊城攻めの頃は、まだ曹仁が宛の侯音を破って樊城に帰還したばかりで、
まだ兵が疲れている+手薄だと判断して攻め込んだのではないかと思います。

漢中勢は、まだ長安遠征の準備が出来ていなかったのではないでしょうか。
こちらも、漢中遠征を終えたばかりですし。

127 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 00:12:51
ああそうなのか
しかし防御命令が当然の時期にわざわざ全権委任与えるって不自然だよな
大軍を率いていたとは思えんし

128 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 00:32:36
なにをもって防御が当然の時期と?
むしろ攻め時だと思うが

129 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 00:40:53
侯音は関羽と内通しての反乱だったそうだが、思ったより早く
滅ぼされてしまったので、関羽は焦ったのではないだろうか?
関羽はそろそろ老境に差し掛かりつつあったし、あのポイントが
蜀の雄飛の最大のチャンスと読めば、関羽とて気持ちが押されるかも。
本当は年が明けまで反乱軍に城に篭らせておいて、それから徐ろに
北上、同時に漢中軍も長安攻撃、とかの予定だったかもしれない。

130 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 01:03:11
魏と蜀だけを見れば攻め時で関羽の北上はむしろ遅いくらいだが
呉が魏に降服している事を考えれば攻め時とは言い難いかも。
でも江陵があんなに早く落とされるとは魏でも思ってなかったみたいだし
防御が当然の時期てことは無いでしょ。

131 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 01:11:24
樊城は許昌への最短経路
そこに荊州の防衛戦力だけで攻め込むなんてあまりに無謀だろ
荊州勢が囮で漢中勢が主力ならわかるがそっちの準備はできてない
まして呉との関係が微妙とくれば

132 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 01:11:42
劉備が関羽を止めた形跡が無いんで独断って事は無いだろう、
ちょうど同年に劉封等が上庸を占拠してるから示し合わせた荊州北部への侵攻だと思う、
あの時期に関羽が北上しないと上庸が孤立した形になるしね。

133 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 03:21:17
>>129
関羽はあちこちの反乱勢力に印綬与えて反乱を扇動してる
火種はどこにでもあるわけで現に関羽北上時もそう遠くない所で反乱があった
宛が失敗してても焦って出撃する必要もないな

134 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 21:07:40
完全に結果論だけどあのタイミングで北上しなかったら于禁は流されないわけだから
別のタイミングで北上しても魏にあの時以上の脅威を与えるのは無理だ。

135 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/25(水) 23:30:10
とりあえず関羽北上の理由は、漢中-上庸-樊城(さらに北進して襄陽)を制圧し、
漢水流域を確保する事にあったのだろう。

では、あの時でなければならない理由とは。
まず、上庸の連絡線の強化。
漢中とも漢水によって繋がってはいるが、長安及び南陽から兵を出されると孤立してしまうので、
そうなる前に兵を出さなければならなかった。

次に、各地の反乱勢力へのアピール。
兵を起こせと言われても、主催者が高みの見物ではやる気も起きなくなる。
主催者もやる気があり、反乱成功の見込みがあると見せなければならなかっただろう。

そして、魏軍の疲弊。
曹仁は宛の侯音を鎮圧したばかりだし、曹操本隊は漢中戦を終えたばかり。
曹操本隊も関羽戦に向かおうとしていたようだが、時間がかかりすぎる為に于禁に樊城救援を要請した。
また、そうして魏軍を疲れさせておけば、漢中勢が涼州や長安を押さえに行く事も可能で、
魏はその為の援軍も出せず、北方は取りやすくなっただろう。
また、曹仁本隊も疲れている事を考えれば、樊城を取るのは絶好の機会だったのではないだろうか。

ただ、曹仁が意外に頑張り、あらかじめ備えていた対呉の狼煙台も機能せず、
麋芳・士仁がアッサリ呉に降るというのは、関羽には予想出来なかったろう。
これに関しては、関羽が甘かったとも言えないだろう。

136 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 06:12:42
>>135
最後のまとめは「甘かったと言えないこともないだろう」でいいのか

137 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 08:00:53
曹操本隊が許都の危機を放置して涼州や長安まで行く訳がない
魏は呉を100%信用していないし
曹操本隊が駆けつければ呉軍が動かなくてもアウト
結局関羽は捨て駒だったんでしょ
荊州勢があまりにも早く敗走したので蜀軍本体の出番はなかったけど

138 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 11:27:56
>>136
そのままでいいだろ。
呉がうまくやっただけで、すべて関羽の責任というには酷。
まあ麋芳・士仁とそんなにうまくはやってなかったが、
投降が読めないのが甘いと言われるほどあからさまに
悪い関係だったというほどでもないだろうし。

139 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 11:29:14
曹操軍の疲労、とか言う人は、どうして「劉備軍の疲労」を考慮に入れないのだろう?

140 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 11:53:06
>>139
だって漢中のほうはともかく議題の荊州劉備軍は疲労してないし。

141 :.:2006/10/26(木) 11:53:27
まぁ関羽が壊滅するのが早すぎたんだろ
7月に于禁援軍で1月には首切られたんだっけ?

142 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 13:01:10
>>139
同意
継戦能力を少し甘く見積もってる気はする
関羽の敗死から夷陵までに1年以上もあいてる事も考えればいいのに

143 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 13:19:25
>>139、142
俺も以前関羽の北上について考察して、北上の理由の一つに「魏軍の疲弊」を挙げたけど、そのことで蜀軍の疲弊の方を無視したわけじゃないと言いたい。
益州-漢中ラインの疲弊こそ関羽の孤立化に繋がったものだろうとも思うが、そもそも(>>135も言ってるけど)主に上庸攻略への助勢と
反乱勢力の扇動が目的の補助攻勢が目的だったと思われるので本来なら大怪我さえしなければ良かったはず。

誤算があったなら「曹仁が粘ったから」というより「干禁らが水没したから」じゃないかと思うね。
この偶発的な好機を受けてリスク覚悟で単独の本格攻勢に踏み切ったんじゃないかと推察。

144 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 14:47:48
>>138
どうだろ、荊州の人材の配置転換があと一月ほどで完了した、とも言われていることだし、
呉との関係を考えればやはり見込みが甘かったと思うが

上でも言われているように「天は味方した」とでも勘違いして冷静さを欠いたのかもね

145 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 19:42:19
人材の配置転換を目前に控えて関羽に節鉞を与えたのか
おかしな話だな

146 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/27(金) 07:59:59
↑それだけ関羽の劉備とのつながりが異常だったという事じゃない

147 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/27(金) 08:08:28
むしろ黄忠の件に見られるように微妙な溝ができていたからご機嫌取りでしょ

148 :.:2006/10/27(金) 11:14:52
つーか節鉞なら干禁でももってるぞ
でも魏の人事権を握ってるわけじゃねーだろ

149 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/27(金) 17:04:04
節は監察権の印
基本的に使持、持、仮とランクが存在し、ランクに応じて処断できる権限が異なる
人事権を行使するためのもんじゃないよ

150 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/27(金) 17:50:18
だから結局は黄忠に対して後将軍という破格の扱いをしたから節鉞をあげなくてはならなくなったんじゃない

151 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/27(金) 17:58:27
黄忠とほぼ同列に並んだために箔をつけたというよりも、一州の軍事を総監する
立場を確立させるために与えたとみたほうがよさそう

ただ史料をみると珍しく節”鉞”なんで、仮節以上の裁量権を与えたとみた方が
いいんかな
後にも先にも蜀臣では関羽だけだった気がするし

152 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/27(金) 19:49:58
孫権からの婚姻話と合わせると
関羽は蜀からも呉からも造反の可能性ありと見られていた(と関羽自身思っていた)んだろうな
この状況で権限を与えられれば潔白を証明するために出撃するしかない

153 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/27(金) 20:52:32
それはないだろう…

154 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/27(金) 22:33:13
関羽とは面識もない益州閥が政権の中枢を固め
自身は古参の功臣といっても主君とは何年も会ってない
前線の将軍が佞臣の讒言で謀反の疑いをかけられた例はいくらでもある
主君が漢中王を名乗ったのだから関羽が自分を漢の功臣になぞらえても不思議はない
孫権があからさまに調略をかけてきたことで自分の立場の微妙さを思い知らされただろう

155 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 00:16:50
むしろ高祖と蕭何の関係になぞらえて、信用されている証だと考えてもおかしくない。
孫権があからさまに調略してくる事も、己は国の柱だから、と捉えるだろう。

ところで、時折聞く「人材の配置転換」だが、
その人員は何処を見たらよいのだろうか?
またその時、関羽の権限を凌ぐ者が来る予定だったのだろうか?

156 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 00:33:35
疑っている本国が権限を与え、
身の潔白を明かすために出撃、なんて発想がアホすぎる。

157 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 00:35:04
俺のトンデモ大予想!

  劉
(´-`)。〇「荊州都督黄忠、副将関羽、参軍許靖…

   関
ヽ(`A´)ノ「ムキーッ※%$※&¥!!」

158 :蜀天下スレより転載(1/3):2006/10/28(土) 00:44:42
721 名前:該当過去レス[sage] 投稿日:2006/08/29(火) 10:27:08
957 名前: 945 2006/03/15(水) 22:36:25

曹仁の軍が少なかった理由ですが
元々与えられていた兵力が少なめだったとか侯音の乱で兵力をすり潰したor
宛への守備に兵力を割かざるを得なくなったとか、漢中戦役に対処するため
曹操が行った戦力再編で引き抜かれたとか考えられる要因や可能性はあるの
ですが、オレ的には劉備側の宜都太守孟達による房陵の攻略とそれに続く
劉封・孟達の上庸攻略に対処するため軍を分けて差向けたところものの見事
関羽に突かれて囲まれたんじゃないでしょうか。
>>955氏よりも少し踏み込んだ感じですか。

722 名前:該当過去レス[sage] 投稿日:2006/08/29(火) 10:27:39
この傍証として晋書宣帝紀にある荊州刺史胡修と南郷太守傅方の降伏状況
などが、于禁やホウ徳の降伏と別になっていることがあります。
当時の曹操勢力の軍事体制を分析すると、前線は節を与えられて諸軍を統括
する漢朝の将軍とそれを主に兵站面でバックアップする州刺史及び兵站面では
刺史の監察下にあり、兵力の供出等に関しては(多分)節を持った将軍の
統括下にあって実際に兵站を充実させたり兵力を拠出したりした郡太守が
セットになっていることが判ります。
(更にいうと、こうした節を持つ「漢朝の」将軍がどうにもできなくなると、
漢の丞相にして魏王たる曹操の率いる「魏王の」軍が救援にやってくる手筈
になっています。)
こういうシステムを見た上で、荊州方面を統括していた征南将軍曹仁の周囲を
見ると、曹仁についてるのが汝南太守の満寵で、荊州刺史の姿が見えない訳。
それは何故かと考えると、荊州刺史は襄陽・樊城周辺から離れていたのだろう
とくる訳です。(で、実際、南郷太守なんかと一緒になってるからこの襄樊
からは離れていたことが判る訳です。)
で、曹仁にくっついているべき荊州刺史がなぜこの時期、曹仁から離れて
南郷太守と一緒になってたか? 考えると、先に述べたように、房陵・上庸の
危機に対処するために曹仁からの指令などがあって、上庸方面へ向かっていた
のだろう、と、なるわけです。

159 :蜀天下スレより転載(2/3):2006/10/28(土) 00:46:22
723 名前:該当過去レス[sage] 投稿日:2006/08/29(火) 10:29:39
965 名前: 945 2006/03/18(土) 21:40:16

停滞するスレに再び殺伐とした埋立主が!!(\│゚∀゚┃/ペカー!(AAry

>>964
自分は南郷太守の郭睦は劉備が任命した太守だと解釈しています。
南郷太守の郭睦は房陵太守のトウ輔と共に陸遜の派遣した謝旌に破られてますが
それは 呉書陸遜伝で陸遜が江陵を押さえ宣都入りした後のこととされています
南郷郡、房陵郡の地理関係から見て、郭睦やトウ輔は関羽が送り込んだのではなく
劉備の任命によって成都(または益州・荊州間のどこか)から派遣されて任地に
赴く途中で陸遜らの攻撃を受けてとっつかまったと推察されます。
傍証として、蜀書劉封伝中に注としてあげられている孟達が劉備の下を辞去して
魏に寝返ったときの手紙をあげておきます
「(略)ここに臣は事の原因を求め、自ら房陵・上庸をお返しし云々」とあり、
孟達の中で、劉備の下を辞去する時点で房陵と上庸が孟達の治下にあったことが
窺われます。
既に関羽が敗れる時に房陵太守としてトウ輔の名が陸遜伝に載せられているので
もっとも整合的な説明は、トウ輔は孟達と交替で房陵太守になる予定であった。
しかし、任地に到着する前に陸遜らの攻撃を受けた。と推察されます。
これらのことから更に推論の足を延ばすと、劉備側は、トウ輔や 郭睦を房陵や
南郷に派遣すると共に、彼らが任地へ就き次第、劉封や孟達らを関羽の助力として
荊州北部へ派遣する予定だったのだろうと考えることが出来ます。
名前しか出てこない 郭睦やトウ輔と違い、劉封は武力が売りである旨描かれてますし
孟達も、シ帰から山麓を越えて房陵を強襲して陥落させ、更に上庸へも攻撃をかけた
ことから判るように、その軍事能力は相当なものです。
(孟達の軍事能力はもう少し評価されてもいいかもしれません)

160 :蜀天下スレより転載(3/3):2006/10/28(土) 00:47:51
966 名前: 945 2006/03/18(土) 21:41:23
>>963
と言う訳で、上記考えから自分は 郭睦を南郷を攻略した将軍だとは考えません。
荊州刺史胡修と南郷太守傅方は、房陵・上庸の危機に赴いたものの、
状況を覆せなかったか、救援に間に合わず撤退した、又は、劉封や孟達と対峙している
最中に、曹仁から、今度は襄樊を囲まれたので急ぎ襄樊方面へ戻り、節度を受けるよう
連絡あって、撤退したと考えられます。
ホウ徳が樊の外にいたのも、単純に寝返る可能性を疑われたばかりでなく曹仁から何か
指示を受けていて、それを 胡修・傅方らに伝え、合流するという役目を負っていたの
かも知れません。
まぁ想像に過ぎませんけど。

968 名前: 945 2006/03/18(土) 21:50:50
ということで、こうした所から呉の荊州侵攻が、劉備側の人事異動と体制整備の途中、
劉備陣営が力の再配分を行っている途中のドタバタした時期にドンピシャで行われた
ことが分かります。
呉からすれば最高のタイミング、蜀からすれば考えられる中で最悪のタイミングだった
と見なせるわけです。
あと一カ月呉の判断が遅れていたら、劉備陣営の勢力内パワーバランスの再編は終了
していた可能性が高く、呉の襲撃に対し、あれほど脆い醜態を晒さずに済んだ可能性が
大きいと考えてます。

969 名前: 無名武将@お腹せっぷく 2006/03/18(土) 21:55:54
まあ魯粛ん時からの悲願だからね。
曹操・劉備と違い、唯一長期計画でやってたのが呉だから。それにあらゆる焦点を合わせた準備がなされてたんだべ。
徐州への野心さえ大規模な偽装だったのではと。

161 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 02:57:04
>>158-160
ありがとう。関羽伝、曹仁伝、陸遜伝、晋書の宣帝紀だね。

主に陸遜伝からだけど、蜀陣営で名前が判明しているのは、
房陵太守・ケ輔 、南郷太守・郭睦、宜都太守・樊友 、部将の・晏、陳鳳。こんな所かな。
この人員を見ると、関羽を凌ぐ権限を持っていたとは思えない。
これらよりも、麋芳の方がよほど位も権勢もコネも上だろう。
また、関羽の暴走を止める為のお目付け役とも言えそうに無い。

となると、劉備が関羽を押さえつける為に配置転換を行い、
関羽はそれに焦りを感じて攻め込んだという事も無い、と言える。

162 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 18:46:41
>>161
その考え方もあるけど
他にも関羽が亡くなった時を考えての配置ともとれるんじゃないか?

163 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 18:52:55
意味不明なんだけど

164 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 21:27:29
いずれにせよ配置転換が完了する前に動いたんだから
関羽には危機感があったんだろ

165 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 21:35:12
>>164
関羽が北上したのはそういった動きが始まる前、そもそも上庸が落ちる以前(上庸攻略の援護?)でしょ。
そこから上庸陥落→干禁ら野戦軍沈没→侵攻本格化で本国からの支援体制云々に繋がるわけで。

何時のどんな行動が何に対する関羽の危機感?

166 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 21:42:51
留守番役で手柄を立てられないせいで老いぼれと同格に扱われ
その危機感から功をあせって北上したんだろ

167 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 22:16:17
それは「劉備による配置転換が始まったばかりで、まだ移動中だった」とした場合。
一応上げとくと、劉備による任命があったとされているのは宜都太守・樊友のみ。
しかも、後述するが、その「劉備による任命」というのも少々怪しい。
他は劉備なのか関羽なのかも不明。
なお、関羽にも人事権があった事は、麋芳・士仁の処罰をほのめかす言葉や、
梁郟・陸渾に印綬を与えていた事からも分かる。
その為、彼ら全てが関羽の任命によって太守になった可能性がある。
この場合、成都や漢中からではなく、荊州にいた者が任命されていると考えられる。

さらに陸遜伝の元文では、「備宜都太守樊友委郡走」となっている個所があり、
これを、ちくまも「劉備の指名した〜」となっているのだが、誤りである可能性がある。
通常、名だけを記載する場合は、先に姓も書いてある場合がほとんどで、
陸遜も呂蒙も孫権も関羽も費棧も、名だけを記載される前には必ず姓名が出ている。
ところがこの一文については、それ以前に「劉備」の名が無い。
後の夷陵戦で初めて「劉備」と出てくるのである。
これに従えば、上記の一文は「備えていた宜都太守・樊友は郡を委ねて(捨てて)逃げた」
と訳す方が自然だろう。
また、この文は陸遜が宜都太守に任じられた記事の後に書かれている。
つまり、呉・蜀ともに宜都太守を任命し、陸遜が蜀の宜都太守を追い出した、と言う事で、
劉備の漢中進出前にあった、荊州折半のきっかけになった事件と同じである。
前回は関羽によって、呉の太守達は追い返されたが。

以上の点を踏まえると、配置転換は関羽の手で行われ、配置転換は完了していた。
と考えられる。

>>166
老いぼれと同格に扱われて焦る?
その老いぼれは人事権も勝手に兵を動かす事も出来ませんが?
それを考えれば、てんで別格である事くらい分かるでしょ。

168 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 22:46:17
>>167
反乱者に対する印綬はともかく麋芳・士仁の処罰は仮節として「軍法違反者の処刑」に当たるんじゃないかと思うがどうか?
揚儀を功曹に任命したような自身の将軍府内の人事ならともかく、太守任命権は(少なくとも建前上は)州牧たる劉備にあるはず…

169 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 23:15:39
荊州にいた者が任命されたなら戦力的には全く増強されてないのね
それじゃどのみち呉の餌食だな

170 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 00:33:00
>>168
確かに関羽が州牧に任命されたとは何処にも書いていない。
しかし、劉備が漢中王になった際に左将軍・宜城亭侯の印綬を漢に返上した、とある。
これは州牧である事も返上したと見て良いだろう。(王と州牧は権限に差があるし)

関羽伝ではこの時に、前将軍位と仮節を授けたとしている。
(前将軍は三品官、元の盪寇将軍は五品官)
少なくとも、軍事権に関しては都督クラス(又は大都督)と見て間違いないだろう。
魏の場合だが、辺境や要地では都督に州牧も兼ねさせる事がほとんどだったと言うし、
「荊州牧」なんて任命したら、荊南を抑えている呉からの反発をさらに買う事は目に見えている。

そういった状況から考えると、記されてはいないが、州牧並みの権限も与えたと見て良いと思う。
この時の仮節には、それくらいの意味があってもおかしくないだろう。

>>169
戦力増強って、どっから何を持ってくる気で?
それに呂蒙は「徐州なんて今取ってもしょうもない」と孫権に言っており、
最初から荊州に狙いを定めていた。兵や将を増やした所で手を変えてくるだけ。
貴方には是非、「兵がどれくらい、将の誰が荊州に赴任してきたら呉の餌食にならないか」
というのを述べてみて欲しい。

171 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 00:41:48
牧は牧、王は王だよ
別の意味を持っているんだから返上するわけない
劉備が牧位を返上したなんてのは有り得ない

172 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 01:22:58
>>170
上の方で蜀の力の再配分の途中でどうこう書いてたから
それが終わってれば荊州の防衛と侵攻が両立できてたのかと思ったんだが
ただの人事異動じゃ荊州の防衛はできても侵攻は無理だってこと

173 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 03:30:53
>>171
漢中王になる際の「帝への」上奏文にもあるが、
政治を壟断する曹操から漢朝の威信を取り戻す為、
故事にならって自らの爵位等を上げ、独断で政治を行うと言う物。
つまり、「帝の臣」であり続ける為にも曹操政権下にはいられない、
と言う事で曹操の政権下で機能している将軍位や爵位等を返還した。
それでいて、職位である州牧だけは返上しない?その方がありえないと思うが。

>>172
力の再配分云々については、それはどうかなぁ、と思っている。
まず、劉備が荊州に大駒を配備しようとしていない事。
張飛は司隷校尉に任じられている事から、対長安方面。
馬超はまだ任じられていないが涼州方面。
魏延は漢中太守。黄忠は、関羽との軋轢を考えると危険。翌年死んでるし。
では趙雲は。長く劉備につき従っているにも関わらず、官位は五品官と、意外に低い。
しかし、関羽と共にいた期間もあり、軋轢が生じる事も余り想像できない。
これらの選択肢から見れば、趙雲くらいしか荊州の留守を頼む適任者はいないだろう。
また、どの将にも関わらず、兵の増援をしようというならそれなりの記述があっておかしくない。
にも関わらず、派遣したという記述は無い。何故か?

1、劉備が現在の荊州の将兵で不足は無い、と考えていた。麋芳もいるし。
2、蜀攻めで劉備がいない間に、関羽と趙雲の間に軋轢が生じていた。
3、呉が攻めてくるなど、微塵も思っていなかった。
4、実は将兵を派遣しようとしていたが、関羽が「不足無し」として拒否した。
5、将兵は漢中から漢水ルートで来る予定だったが、孟達のところで編入された。

さて、どれだろうか?(多分5は無い)

174 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 04:18:30
1、は3、と合わせると妥当
2、趙雲は劉備の後を追って蜀入りしたから軋轢が生じる間などないと思う
  五虎大将軍は演義が発祥で、趙雲は明らかに格下だが、留守居役ならありか
4、狼煙台の話から関羽は呉を警戒していたと思うが
  いろいろあって断ったかもな

そもそもまだ動いてもない長安・涼州方面に張飛・馬超を配する前提では
荊州に自衛以上の兵力を投入するのは無理

175 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 09:56:49
兵力を増強すれば隣接する勢力との仲が険悪になることもお忘れなく

176 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 14:14:18
>>173
漢中王即位以降もしっかり従事の面々が存在するんだが、これについては?
牧(も刺史も)不在で属官だけが存在していたと?

それに張飛の司隷校尉って劉備が帝位についてからの話なんじゃ?

177 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 15:04:47
>>173
俺理論が暴走しているな。
劉備から献帝への上奏をよく読んでくれ。
群臣が劉備を大司馬・漢中王にした。
だから将軍位としてダブる左将軍と、爵位としてダブる宜城亭侯を返上した。それだけの話だぞ。
牧位は全く言及していないし、別のカテゴリーであり返上する必要もない。
大体漢中王は蜀の王だから荊州を支配する名分上の根拠は牧位しかないんだから、返上は有り得ない。

178 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 16:13:07
にわかに活気付いてきたようで。
誰か>>173の5を推す猛者はおらんかな…w

>>175
>しっかり従事の面々が存在するんだが
すいませんね、浅学なもんで。
例えば誰でしょうか?

>それに張飛の司隷校尉って劉備が帝位についてからの話なんじゃ?
こちらの説明が足りなかったようです。
帝位につく前は右将軍・仮節となっており、役職については書かれていません。
この時に魏延が抜擢されて漢中太守になっています。
これは既に司隷校尉にする(長安方面へ進軍させる)予定だったから漢中太守にしなかった、
とも考えられます。

>>177
>俺理論
まあねぇ…こんな話は聞いた事も無いですし、
王と牧を兼ねて任じられるというのも聞いた事がありませんし。

>群臣が劉備を大司馬・漢中王にした。
劉備自身も「漢中王に、オレは、なる!」と送っていますね。

>荊州を支配する名分上の根拠
根拠なんて、あってないような物でしょう。
では、関羽死亡の際、孫権が劉璋を益州牧に任じていますが、これは何の根拠があったので?
さらに、劉備死亡の際には劉璋の子を益州牧に任じていますが、根拠なんてありますか?

179 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 16:51:17
>>178
ホントに浅学だな。
曹操は魏公(王)で冀州牧、孫権は呉王で荊州牧。

あと勝手に名乗ったりするのと、わざわざ返上するのとでは全く意味が違う。
自称でもいいから牧であることが、書類上のことであっても支配を正当化できる理由(言い訳)になるから称していたんだろ?
わざわざ返上するのは自分で支配するを諦めたのと等しいじゃないか。

180 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 16:53:45
なんだかんだ言って教える>>179はツンデレ


181 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 17:25:28
王号と官職は別物なのに王になったら牧になれないって光栄三国志のやりすぎじゃねーの

182 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 17:45:34
やっぱりホウトウの戦死が・・・。

183 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 17:45:35
>>181
ああなるほど、彼はそこから発想してるのか。
あと劉備が漢中王になった時の荊州の従事といえば潘濬がいるが、劉備が漢中王になっても彼の官職や仕事に異動等があった形跡はないな。

184 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 19:23:59
>>178
黄権伝等を参照
劉備は漢中王と益州牧を兼務してる

文脈からみて黄権は益州の治中従事

少なくとも、劉備が漢中王に即位して以降も
潘濬:荊州治中従事
趙筰:益州別駕従事
楊洪:益州治中従事
何宗:益州従事祭酒
杜瓊:益州議曹従事

上記の面々は存在している
程畿も益州の従事祭酒だった可能性がある

また、劉備が皇帝に即位して以降も
王甫:荊州議曹従事
ホウ林:荊州治中従事

が存在し、劉備が皇帝に即位して以降は崩御の後に諸葛亮が兼務するまで
牧が存在せず、おそらくは劉備が牧の属官を直轄化していたと解釈できなくもない

そう考えると、個人的な主観と想像に過ぎないが、張飛の司隷校尉は軍事的な
目的よりは益州牧の代行を主旨として置かれたのかも

185 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 19:25:06
諸渇亮を荊州王に任命して独立させれば完璧だったんだ。つまり天下四文の荊である。

186 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 19:38:49
>>185
日本語でおk

187 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 19:47:40
話を戻す為にも、己の論のあやふやな事を認めます。
こんな枝葉は成長する前にさっさと剪定しましょう。

王は牧を兼任する事が出来るし、牧位を返上した形跡は無い。

>>181>>183
別にゲームからの発想じゃなく、実質の牧・刺史の仕事は王はやらないんじゃないかと思いましてね。

>>184
ああ、はっきり書いてありますねぇ…。
5ページ後まで読み進んでればこんなアホな事も書かなかったろうに。

188 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 19:55:50
知識の披露もいいけど議題は何なんだ?
関羽の樊城包囲に関して
1、関羽の独断か否か
2、時期は適切だったか否か
こんなところか?

189 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 20:21:05
>>187
お前の最大の間違いは指摘されて知識不足とすぐに認めるほどの知識のクセに
知識があることを前提とした議論をしてることだ。大人しくROMるか、知識ないなりの質問レスにしとけよ

190 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 20:42:53
ま、そんな知識なんざなくてもここの議論にはついていけるんだけどな

191 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 20:47:09
偉そうな人にはお題を出して欲しいもんだ

192 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 20:51:18
この手のスレの流れが、わりと現実味のある推論→電波・妄想の類→煽り→知識人の召喚→結論でないよね、
このループだからなぁ…

193 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 20:52:54
知識保有者>>189を弄るスレだと聞いて駆けつけましたw


194 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 21:01:22
関羽の権限に関しては董督荊州事に任じられてるから荊州の総督として
人事権を担ってるとみてもいいと思うんだけど、鉞の授与はその大分後だから
単なる箔付けでしょう、もしくは北上についてのOKサイン。
呂蒙の言でも関羽が荊州の政務を担っていたであろう事は推測できるし、
荊州の総督なのに人事権や政務を担う権限を持っていなかったとは考えにくい。

195 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 21:04:28
>>194
荊州牧やその属官が存在する事を踏まえても?

196 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 21:22:23
>>195
代行という可能性は考えないの?

197 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 21:22:59
>>195
踏まえても。
荊州牧の劉備は益州を本拠にして荊州不在、それでは秘書官である各従事達は権力を十分に振るえない。
また劉備は州牧の属官をあんまり重視しては無く、それよりは左将軍の方での任官を重視してるし、
荊州牧の属官は肩書き程度のものでしょう。

198 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 21:29:17
なんかまた俺理論が…

199 :187:2006/10/29(日) 21:32:02
194は私ではありませんよ。

信じるも信じないも君次第、ホントの事なんだ

200 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 21:34:38
一々言わんでもわかる

201 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 21:40:28
どっちでもいいよ

202 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 21:46:42
>>198
ん?出来ればどこら辺が俺理論なのか指摘して欲しい。
まあ秘書官と書いたのは正確では無いが、ただ従事が州牧の属官である事は事実だし、
劉備が左将軍としての任官を重視していたのも諸葛亮・ホウ統を見れば明らか、
漢中王に即位後はさらに。

州牧から切り離されたトップ不在の従事がどれだけの権力があるのかといえば微妙だろう、
劉備の任命で州の総督としての関羽も存在してるしね。

203 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 21:57:27
>>194
というか「董督○州事」なんて役職名聞いたことないから「関羽に荊州の事を董督させた」と訳すのじゃないかと。
具体的な権限(官位・役職)ではなくこういった曖昧な表現だから皆どこまでの権限があるのか
(魏晋でいう都督に近いのか州刺史に近いのか)を計りかねてるわけで。

>>196
刺史や牧の代行はそれこそ「治中」「治中従事」もしくは「別駕」「別駕従事」ではないかな?
確か別駕は臨時代行のための役職。

>>197
「刺史・牧・別駕従事不在の荊州で従事達は権力を十分に振るえない」とのことだが、
実際潘濬が劉備入蜀後の事務を担ったこと明記されてるわけでそれはちょっと…
というか牧が不在だからこそ責任者たる治中従事らの責任が大きくなるわけで、
組織のトップ不在でナンバー2の力が弱まるという考えがイマイチ理解できない。

左将軍の方での任官を重視というのも、それこそ入蜀後左将軍府の在籍地である益州と荊州では意味が違う。

>>202
法正は蜀郡太守でホウ統は荊州従事じゃなかった?ホウ統を見れば明らかというのはよくわからん…

204 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 23:12:01
>>203
>というか「董督○州事」なんて役職名聞いたことないから
多分作ったんだろう、本来劉備に荊州の総督を任じる権限は無い。
まあどっちにせよ董督=都督なんで「関羽に荊州の事を董督させた」っていう位だったら普通に都督でしょう。

>刺史や牧の代行はそれこそ「治中」「治中従事」もしくは「別駕」「別駕従事」ではないかな?
違う、別駕従事の役目は司隸校の秘書みたいなもの、治中従事は州牧の場合の別名。

>実際潘濬が劉備入蜀後の事務を担ったこと明記されてるわけでそれはちょっと…
上に書いたとおり治中なんて本来は州牧の副官的なポジション、それが事務処理を担う程度では本来の権限から見ればかなり落ちる、
だから牧が不在だから治中従事らの責任が大きくなるってのは違うね、従事らは彼等の職務だけでは
命令権を持たず、正当な命令権を持つ州牧の属官だから大きな権限を有せる訳。
だから左将軍府の人材達を側近にしている劉備の下では従事等は本来の職責から比べるとかなり弱い。
実際に兵曹従事なんて無視されて関羽に軍事の大権を与えてるだろう。

>法正は蜀郡太守でホウ統は荊州従事じゃなかった?ホウ統を見れば明らかというのはよくわからん…
法正は揚武将軍、ホウ統は治中従事から軍師中郎将への昇進。
諸葛亮は従事をすっとばして軍師中郎将、劉巴は左将軍府の西曹掾、
つまり劉備の側近のベースは左将軍府>州牧っていう事、まあ当たり前だけど。

205 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 23:21:32
肩書きだけと言えば豫州牧もだね。
これを漢中王即位まで大事に持ってるけど、
荊州に入ってから権限を使ったというのは記憶に無いなぁ…。

>>194>>203
董督の意味は「監督して正すこと。とりしまること。(三省堂提供「大辞林 第二版」より)」とあり、
牧・刺史の役目も、州の各郡の監察である事から、
やはり、役職名が合わないにしても、牧と同じ権限はあったんじゃなかろうか?

それ以前に、州牧に太守の人事決定権があるならの話だけど、
もしそうなら、関羽が太守を決めたという可能性も出てくる。

206 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 23:23:41
そういや別駕で思い出したけど、上で張飛の司隸校尉についての話題があったんでついでに、
司隸校尉は州牧としての権限も併せ持つけど、本来は都の警備+百官の取り締まりが仕事なんで、
長安方面への進軍云々よりもそっちの方を意識した任官だと思う。

207 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 00:07:03
>>204
>多分作ったんだろう
いやいやご冗談をwわざわざあの場面で勝手に役職名作って任じたなんてどうやったらそんな話し出てくるの?

三国志における董督の使われ方は「三軍董督」「七郡董督」と軍を、あるいは地域を率いるというような意味。董督=都督というわけではないよ。
ちなみに都督ととるなら「職務は軍事的事柄に限定される」ということに。関羽の人事権云々といった>>194の主旨に自ら反しているのでは。

>違う、別駕従事の役目は司隸校の秘書みたいなもの、治中従事は州牧の場合の別名。
へ?別駕従事は司隸校尉に限らず刺史(牧)の場合もあるでしょ?八従事の一つらしいし。というか司隸校尉の属官の中には見えないような…
>>204下段の内容に対しての内容に被るけど、治中従事の職務とは「中に居て事を治め、衆の主となって文書を曹す」
つまり統治責任者且つ文書管理の責任者のはずなんだけど、その「従事らは彼等の職務だけでは命令権を持たず」ってのはどういう意味?
一々劉備(刺史・牧)を通さなければ命令書が効力を持たないとそういうこと?それはないでしょ。
「事務処理を担う程度では本来の権限から見ればかなり落ちる」って、事務処理こそが治中の本分のはずでは?
というか事務処理って行政の中枢を担う重要職務ですよ?孫権が太守に任じられても赴かず文書処理を任された丞の顧雍が実際に太守としての役割を担ったように。
益州に関してはともかく、現に荊州統治において治中は本来の権限を発揮してるよ。

「ホウ統は治中従事から軍師中郎将への昇進」っていうのは、考え方として根本的に間違ってないか?
劉備の上奏文の中に「議曹・従事中朗・軍師中郎将」と並立して記入されるように職責分野が違うので上下の関係にはないよ。
ホウ統は入蜀に従軍するまでは治中従事と軍師中郎将を兼務してたと捕らえるのが自然でしょうに。

208 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 00:07:34
>>206
俺もそれっぽく書いたけど同意

皇帝の劉備が益州牧の権限を握った状態だったろうから、州牧の職務を
司隸校尉が代行する形式だったんじゃないかと思う
蜀が僅か一州で成立した国家って事もあるし、(劉備の健在時は)府を開けない
丞相の諸葛亮との兼ね合いからも車騎将軍の張飛を州牧にするってことは
できないだろうし、その辺を配慮した様にも

209 :207:2006/10/30(月) 00:11:06
「統治責任者」ってのはオーバーだったかも。「事務の長」といった方が適当かな。

210 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 00:25:13
>>208
>丞相の諸葛亮との兼ね合いから
その割には同時期(221年)に馬超を涼州牧にしちゃってる訳ですが、
それについてはどう思います?

211 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 00:26:43
袁紹陣営をみると従事の権能が随分と大きいよね
田豊や沮授、審配あたりは幕僚としてはもちろん、幕府の事務や軍の処務を
統括する権限まで与えられてて、これって任命する牧やら刺史の権威に
比例したものなんかな

212 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 00:39:33
>>207
>いやいやご冗談をwわざわざあの場面で勝手に役職名作って任じたなんてどうやったらそんな話し出てくるの?
別に冗談じゃないけど、無いなら作る場合もあるだろう。
>董督=都督というわけではないよ
そうか、じゃあ俺の間違いだ。多分君の言うとおりの地域を率いる方の意味だろう。

>へ?別駕従事は司隸校尉に限らず刺史(牧)の場合もあるでしょ?八従事の一つらしいし。というか司隸校尉の属官の中には見えないような…
別駕は本来は司隸校尉の属官、ただ職責が同じなんで治中と混同して使われてるだけでしょう。

>下段の内容に対しての内容に被るけど、治中従事の職務とは「中に居て事を治め、衆の主となって文書を曹す」
通典だろそれ、後漢書の百官史では治中と別駕の職責は「校尉が行部すれば則ち奉じて引きつれ事を録する」
後漢では秘書的な存在、劉備を通さないと命令権は無い、また事務処理は重要な仕事ではあるが、
行政的な命令権が無いんで州の政治を担うとか言うレベルにはない、顧雍の例はハッキリと太守の任務を代行させてる、
例として適当でないでしょう。

>劉備の上奏文の中に「議曹・従事中朗・軍師中郎将」と並立して記入されるように職責分野が違うので上下の関係にはないよ。
『軍議中カ将』な、諸葛亮の例を見るに従事と中郎将を兼務した事例は無く、
従事→軍師中郎将と段階を踏んでいるから出世と見るのが妥当だろう。

213 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 00:45:11
>>208
私見だけども>州牧の職務を司隸校尉が代行する、とまでは考えてないと思う。
元来司隸校尉は州牧の権限を持たなかった訳だから、とにかく都の警備担当者を決めて、
成都=都である、という体裁を整える為の処置ではないかと。

214 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 01:03:05
>>211
開府を許されてないからなのかは知らないけど、袁将軍の構成は良く分からないよね。
従事も初期に田豊・審配とかが任じられただけで詳しい構成は不明、
審配・逢紀に軍事、田豊・荀ェ・許攸を謀主、顔良・文醜を将帥としたっていう適当ッぷりだし。



215 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 01:07:35
体裁だけでも成都を都とするなら益州刺史部を司隷部にしなければならない。
しかしそういった改編をしていないから、劉備(蜀漢)はあくまでも中原を漢の都と考えていたことになる。

あとその職官志は後漢書ではなく続漢書だよ。
細かいことだがどちらを書くかでその人のレベルが分かるから気をつけた方がいいよ。

216 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 01:56:43
>>215
体裁を整えるにしてもそこまでやる気がなかっただけでは?
司隸校尉は既に広く知れ渡っている官位であるし、
わざわざ益州全体の名称を変えてまでやる事でもないでしょう。
ただ劉備が皇帝に昇ったからには皇帝が居を構えるところ=都になるし、
漢を自認するなら有る程度は整える必要はあったと。

指摘ありがと。

217 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 02:57:36
役職名を変えるだけでいいんじゃない?

218 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 22:22:55
このスレは他にふさわしい板があるので削除ガイドラインにより板違い

該当板に移動しろ
中国英雄板
http://hobby8.2ch.net/chinahero/

219 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 22:33:29
なんて偉そうなマルチなんだw

220 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 00:03:52
このスレは他にふさわしい板があり、削除ガイドラインによって板違いとなります。

以下の該当板に移動して頂きますようよろしくお願い申し上げます。

中国英雄板
http://hobby8.2ch.net/chinahero/

221 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/01(水) 08:22:14
test

222 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/02(木) 04:22:00
内容上どう見てもこっちの板の方が相応しい件について……

223 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/02(木) 10:31:17
>>222
マルチにマジレスする件について

224 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/03(金) 02:28:53
都が許昌に替わっても、都の警護の役目は司隷校尉のしごとだったのかなぁ?

225 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/03(金) 02:46:56
許は仮住まいだろうし、現実には曹操の兵が守っていたから司隷の出る必要はなかった
司隷は関中対策と洛陽復興に出ている

226 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/03(金) 22:37:33
それって越権行為になるんじゃぁ・・・。誰も罰与えられないだろうけど。
そもそも、その頃に司隷校尉、若しくは司州の刺史とか牧ってのはいたのかね?

227 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/04(土) 01:43:58
その頃がいつのことを示しているのかわからんが、まず鍾ヨウを忘れてはいかんぜよ

228 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/04(土) 10:35:47
司州刺史ってゲームじゃないんだから
それに許って豫州なんじゃないの?

229 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/04(土) 11:23:29
漢では曹操が司隷管轄を廃止再編し、九州制を施行した。
これは漢の権威を損なう=相対的に魏の権威を高めるための措置と言われる。
この時に司隷校尉は廃止されたか?
なお魏になってからまた再編され、今度は「司州」が生まれている。

230 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/04(土) 11:43:13
補足すると、魏には司隷校尉はいるので、九州制施行時も廃止ではなく州監察を止めただけなのだろう。

231 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/05(日) 03:03:57
なんか時代によってまちまちだなぁ、司隷校尉。

魏は司州に刺史を置くようになってから完全に役割が分離したんだろうけど、
蜀の場合、張飛を司隷校尉にした時はどの意味合いが強かったんだろうか。
魏が定めた「司州刺史」を踏襲する訳にはいかなかっただろうから、
司隷校尉部方面軍の司令官とも、首都(益州)警護ともとれる。
孔明の場合はその行動から、本来の職分である首都警護の意味合いが強そうだけど。

232 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/05(日) 13:02:00
司隷校尉に首都警護なんて職務は無いよ
あるのは
・官僚の監察弾劾
・州刺史に属さない首都圏の監察
であって、首都を警護する必要はないんだよ
だから張飛などについて首都警護などという考えはない
あるとしたら官僚の監察か、将来的に関中を攻める時を見据えた人事ということになる

233 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/05(日) 22:03:18
史上最大の愚策

山本勘助の啄木鳥戦法。


234 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/05(日) 22:19:50
スレ間違ってないか

235 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/06(月) 01:35:08
それよりどうでもいいんだがスレタイの?の位置が気になる

236 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/06(月) 17:16:35
首都の警備や治安維持って執金吾の仕事じゃないの

237 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/06(月) 22:26:53
239年
卑弥呼が魏に朝献

238 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/06(月) 23:07:11
劉備と孫権は知らんが
袁紹は取るチャンスは大いにあった。
また袁紹が後継者を指名していればよかった。
少なくとも赤壁は5年は後になっていただろうね。

239 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/06(月) 23:39:57
>>238
スレ違い
↑読める?

240 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 00:00:45
もともと関羽が、赤壁の戦いの後、
曹操を助けてなければ、全然ちがかったと思う。

241 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 00:16:51
そりゃ演義だろ!本当にやったら感動も何もとんでもない武将として後世に残ってる。

242 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 00:30:16
>>238
それを言ったら話が終わるw
つかそう考えると、歴史って面白いものだな。
初期なんて、エン家のお家騒動みたいなもんだし、
エン紹も後継を一本に定めていれば、どちらが継いだのであれ、
曹操ではかなわなかっただろう。

243 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 01:08:05
袁厨は他所に池

244 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 01:25:26
関羽北上時に話を戻すが、
劉備が漢中から上庸を経て荊州に入ったら
どうだろうか?

実際には漢中を魏延に任せて、自分は成都に行っちゃったけどさ。

245 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 01:36:04
呉とは同盟関係だと考えていたんだからそんなことは考えもつかんだろ。実質関羽は裏切られたようなもの。彼あの頃ちょっと調子に乗ってた節があったからね

246 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 07:04:52
>>245
それは蜀漢全体にいえること
むしろ関羽個人は当時調子に乗る理由は見当たらない
焦りはあったかもしれんが

247 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 07:22:40
そうかな。当時、孫権からの縁談を一蹴してるし、前将軍になってハン城戦で大勝利。気を良くしたのか危なっかしい奴らに江陵任せて寡兵で名将徐晃に立ち向かい案の状負けて帰る場所も呉軍に取られてた。自分を過信し過ぎてやしないかな?

248 :.:2006/11/07(火) 07:26:44
いろいろ突っ込みどころはあるが、寡兵ってのはどっから出てきたんだ?

249 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 07:33:02
10万は寡兵だろ?

250 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 07:33:20
正史に詳しい記述は無いが、普通あの状況で城を空っぽにするバカはいない。当然守りが第一命題なんだから寡兵で野戦に持ち込むのは当然かと思う。だが輩どもが守将ならば勝つことを前提に行軍したのだろう。そこに過信を思う。果たして大主自ら出ることが冷静であったろうか?

251 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 07:40:03
蜀漢サイドの甘さが原因!関ヶ原の西軍と同じ!
常識で考えれば、孫呉は天下統一を目論む曹魏と対立しなければ存続できない為大丈夫と考えた!
まさに、豊臣系の大名は家康政権では存続できない為に敵に回らないと考えてたのと同じ!

252 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 07:42:55
小早川がビホウとフシジン?

253 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 08:30:04
>>251
どちらも結果を知っていると「甘い」だけど当時としては下策とは言い切れなくない?
もっとも予測が外れた時はどうするのかって点ではイマイチだけど。
そういや劉備陣営の交渉って何か特徴的だよね。

254 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 08:33:09
そのココロは?

255 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 08:42:17
>>254
昨日の見てたなw

いや、何というか共通の敵をもつ相手に保護して貰う形が多いなあと。
蜀乗っとり後は変わらざるを得ないけど。

256 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 08:53:49
だから同盟し、共闘の意義があり、そこに交渉の余地があるんだろ。それは劉備軍の特徴じゃなく、交渉の特徴だ!!

257 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 08:57:55
>>256
劉備軍の共闘って殆ど傭兵の契約じゃなかったっけ?
孫権は兄貴の頑張りもあってそういうのはないけど。

258 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 09:03:55
関ヶ原はどう考えても下策

259 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 09:09:05
同盟というのは何も共闘だけのことではない。日米のように互いの利益の妥協によって為されるものだ。そも鼎の状態を維持しなければバランスが崩れるを命題とするのであれば共闘より互いの守護が優先され魏の侵略を受けやすい刑州守護は呉にとっても交渉の余地がある案件だ。

260 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 09:11:03
同意。外交とはそういうこと。

261 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 09:42:15
孫権って晩年もうろくして陸孫ころしたのってまじ?
孫権って陸孫信頼してたんじゃないの?
孔明死後よくわからん

262 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 10:31:24
>>261
殺したというか…死にたくなるほどいびった。
しかも空器みたいな洒落はなし。
期待の息子が死んでからはどうもスランプみたい。

263 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 10:46:55
陸遜の孔明死後の経緯詳細希望!

264 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 10:51:08
太子の孫登が死んだ後、孫和を立てたら宮廷で支持派と不支持派の派閥が出来た。そこで孫和を廃し、更に災いの元であった魯王孫霸に自害を命じ、当たり障りない末子の孫亮を太子にした。この二十年近くの騒動で陸遜を含む直諫の士十名が処刑や追放に処された。

265 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 10:57:03
陸遜は嫡子相続を唱えていたので、いずれも太子にならなかった孫和と孫霸を押したがこれが孫権に誣告ととられ流罪になった。その後も孫権は執拗に罪を問責し、陸遜は憤りのあまり死んでしまいましたとさ。

266 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 11:01:23
孔明死後はまともな戦闘には参加していないのでは?コヨウ亡き後丞相になったがちょっと違う気がする先程の経緯で追われるからね。60歳くらいで死んだらしいよ

267 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 11:01:33
陸遜は流罪になっとらんよ

268 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 11:28:32
んっ!?           そっちが間違い?

269 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 12:25:53
ちくまの誤訳として有名じゃないか

孫権が皇太子孫和に代えて孫覇を立てようという動き、孫和側がスパイにより察知
陸遜に伝えられ陸遜は諌言した
孫権は彼が知らないはずの皇太子廃位を知っていたことを疑い、その件について陸遜を詰問
陸遜は詰問の末に「憤死」した
自らの誇りを守り、また自分の口を封じるとともに自分の死でこの件を収拾しようとした覚悟の自死だろう
流罪にはなっていないよ
丞相位などを取り上げられてもいないのだから

270 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 12:59:24
勉強になったな。
んで、どうでもいい事だが、いくちゅで死んだの?

271 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 13:01:36
勉強になった。ありがとう。
で、顧ヨウの次は誰が丞相?

272 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 13:06:03
双子ハケーンっ!!

273 :.:2006/11/07(火) 13:09:00
ちくま伝説の誤訳だな、もう直してるらしいが

身内が飛ばされて、味方も獄死させられて憤死(自殺)と・・・・

274 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 13:16:59
>>273
息子もその事知ってるのによくアレに仕えたよなあ。
曾孫だっけかは彼らのことをを詠んでないのかな。

275 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 14:19:29
>>270
永遠の17歳だよ

276 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 14:31:58
それどこの声優?

277 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 14:36:26
9月まではジブリにいたけど11月からは掘プロのアイツ

278 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 19:01:25
ちょっと逆に考えてみよう。
蜀の国はけい州を失陥しても数十年にわたって持ちこたえたわけだ。
ということは、関羽がおとなしく蜀に引っ込み、劉備も呉蜀戦などをしないで
ひたすら殖産に励み必要以上の戦をせず、防備に専念したとして、
蜀が長持ちしたらまた違う歴史展開になりえるだろうか?

279 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 19:04:34
貨幣は抑えているからなんとかなるかもしれないが、曹操の寿命がないのと同じく劉備の寿命も残り少ない
そこが問題だ

280 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 19:25:12
いっそのこと野心的な劉備・孫権が揃って早々に退場して劉禅(諸葛亮)・孫登(陸遜)体制の方が良かったんじゃなかろうか…

281 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 19:43:24
>>280
魏がどう動くか…


282 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 19:50:27
孫登が生きてたら呉は磐石だろ

283 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 21:42:43
後続の南北朝時代に北朝はさらに東西に分裂したが、それが再統一されるとまもなく南朝も併呑された
三国時代においても魏が曹氏から司馬氏への政権移譲の仮定にあったから呉蜀が延命しただけで
魏の政権移譲が完了してしまえばそれは難しいだろうね

284 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 22:22:54
HAHAHA

285 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 22:30:43
蜀が国力の疲弊する遠征を一切しなかったとして、
三国鼎立の安定化ってのは無理かな?
例えば諸葛亮の北伐がなければ、司馬イあたりの台頭もなさそうだけど。

286 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 22:57:05
どこまで考えるのかによるんじゃないか?
純粋に考えたら引きこもった二国を力で攻め落とすことの難しさは既に証明されてる。
しかし統一行動を全く行わずに地方に割拠し続けることの政治的難しさを考えると…

287 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 23:42:39
>>274
曾孫の陸機は曹操ヲタだ

288 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/08(水) 00:01:52
>>274
ついでに陸遜本人の叔父(義父に近いが)は孫策に討たれてるw

289 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/08(水) 00:30:05
諸葛亮の北伐は呉との同盟を正当化するためにやむを得なかったとも言えるが
魏はほっといてもいずれ攻めてくるだろうし

290 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/08(水) 07:38:12
>>287
うーむ。派手な方が好きなのか…。

>>288
陸康だっけ?あの辺諸葛玄といい彼といい何か凄いな。
ミカンも陸氏だっけか。

291 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/08(水) 12:38:32
ミカンは陸康の子供

292 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/08(水) 18:02:34
劉基もそのクチだな…

293 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/08(水) 22:57:25
などと意味不明の言葉を発しており、動機は未だ不明

294 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/09(木) 00:02:18
>>290
陸機も詩人だからねえ(曹植以来の才子と言われてた)
詩人同士惹かれるものがあったんじゃないかな。
「魏の武帝を弔う文」なんてのも書いてるよ。

この人は呉というよりほとんど晋の人だね

295 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/09(木) 09:38:56
>>294
詩聖クラスか。凄いな…。臨書したくなったよ。
詩吟出来ればいいんだけどなあ。

296 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/09(木) 14:14:08
>>294
詩人としては才人ではあったが、軍人としては凡人もいいところ。
陸抗は忙しすぎて教育が出来なかったのだろうか?

297 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/09(木) 21:34:48
>>288
叔父の仇の娘を妻にしているのか

298 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/09(木) 22:23:42
そんなものさ

日本の戦国時代も同じようなことしてたはず

299 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/09(木) 22:25:19
陸遜に仇討ちの概念など無いのだろう

300 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/09(木) 23:11:01
>>288
寧ろそのシチュエーションいいね。
娘を慰み者として差出すから仲良くしてねってことでしょ。
どうせ戦わねばならないなら相手は強者より弱者がいい。
どうせ刃を血で濡らすなら、寸鉄より肉がいい。
夜な夜な屈辱と復讐心を差出された妻の体で快楽に変えて忠義に励む、これぞ国士の道であろう。
陸遜の仮面鬼畜説を提唱する。

301 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/09(木) 23:12:33
分家の辛さを考えてみた方がいいと思うぞ

302 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/09(木) 23:44:34
場合によってはぬッ殺されるからな

303 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 13:55:50
昔のIFモノの本で、南征をもっと進めて、ビルマあたりまでを
蜀の勢力圏に収めて大国化させる話があった。
現実味があるのかは不明だけど・・・。


304 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 15:51:18
山道でなく山と谷を越えねばならんな・・・。

無事辿り着き、乙と言える兵士が果たして何人いることやら

305 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 19:33:48
輸送用の牛馬を食料にしそうな気がしてしまった…

306 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/11(土) 00:03:54
諸葛牟田口

307 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/11(土) 02:53:31
数百年かけて開発すれば大国化するんじゃないの?
後代になれば海洋交易ルートでウハウハできるだろうし

308 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/11(土) 09:59:22
呉と山越の争い見てると、とても未来が明るいとは思えん。

309 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/11(土) 17:57:42
南方に向けても開けてるわけじゃないから進軍も撤退もままならないような気がする。
そのうちインパール作戦みたいになるかも。

310 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/11(土) 18:25:02
>>309
>>305で概出


311 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/11(土) 18:43:46
俺の息子にもインパール作戦してくれ

312 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/11(土) 23:47:48
別名、白骨街道か。夷陵でやったろ。

313 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/12(日) 10:13:41
そういや孔明の艦隊ていう本があったなあ。
色々間違ってる気がした

314 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/13(月) 00:56:07
    ∧_∧ よーし独立しちゃいます〜♪
    ( ´・ω・`)     ∧_∧
    / 鐘 会 \   (    )何言ってんだこいつ
.__| |    .| |_ /      ヽ
||\  ̄ ̄ ̄ ̄   / .|   | |
||\..∧_∧    (⌒\|__./ ./
||.  (    )     ~\_____ノ|   ∧_∧
  /   ヽ 氏ねよ      \|   (    )
  |     ヽ           \/     ヽ. オマエ基地害だろ
  |    |ヽ、二⌒)        / .|   | |


315 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/14(火) 20:32:39
>>309
ジンギスカン作戦!

316 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/14(火) 20:59:22
>>314
どうも>>315は舌足らずだ。補足してやってくれ。

317 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/15(水) 14:01:33
>>315
元ネタのモンゴル軍もベトナムで負けてるのにあのネーミング。
無理は承知てのは孔明にも言えるけどさ…

318 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/19(日) 22:39:38
孔明党党首 諸葛孔明氏に熱き一票を。

319 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/20(月) 22:49:57
おことわりだ

320 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/21(火) 00:15:30
諸葛亮がいなけりゃ呉が5分の2くらい領土持ってた。

321 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/21(火) 00:19:03
>>320
それはない

322 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/21(火) 00:23:15
諸葛亮がいなけりゃ曹操が5分の5くらい領土持ってた。

323 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/21(火) 00:42:45
諸葛亮がいなけりゃ光栄三国志の知力100は郭嘉のものだった。

324 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/21(火) 07:23:37
諸葛亮がいなけりゃ呉蜀同盟が復活しなかったのは事実だろう

325 :.:2006/11/21(火) 14:52:45
別に主戦派がいるわけじゃないし、向こうから持ちかけられれば即OKだろ

326 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/21(火) 16:13:49
陸遜も手をとりたがっていたと思うぞ

327 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/21(火) 16:48:33
>>325
ちょい時期がズレるけど、呉が帝位に就いたとき群臣は揃って同盟破棄を主張するなど、むしろ対呉強硬路線の支持者は多かったんじゃないかな?

328 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/21(火) 22:00:34
張飛と関羽がやられなければ…………(T_T)
それにホウトウが戦死しなければ…………
天下統一も夢では、なかった。



329 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/21(火) 22:03:28
無理だろ。どっちにしろ寿命でくたばる。

330 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/21(火) 22:06:36
まあ実際蜀も呉も天下統一はほぼ無理だよね


331 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/21(火) 22:49:59
王平があと30人くらい居れば何とかなるかも。

332 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/21(火) 23:58:26
劉備も関羽も恐らく張飛も天下統一を指向していたが
呉と諸葛亮は天下三分を志向していた
諸葛兄弟の策かな?

333 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/22(水) 00:08:11
諸葛一族で天下を取るという壮大な作戦。

334 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/22(水) 00:20:36
とれてませんが

335 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/22(水) 00:23:34
諸葛誕がミスった

336 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/22(水) 00:41:35
オレとしては>>331の人選が何故王平なのかが気になる

337 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/22(水) 00:54:57
寿命を考慮して。

338 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/22(水) 01:13:39
>>332
>呉と諸葛亮は天下三分を志向していた
>呉と諸葛亮は天下三分を志向していた
>呉と諸葛亮は天下三分を志向していた

339 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 11:39:30
>331
無学文盲が30人いても結局無学文盲
それよりは馬良馬謖鳳雛が存命してればおk


340 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 11:50:12
>>339はまさしく馬謖

341 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 12:21:32
魏延があと10人いれば呉よりは長く粘った

342 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 12:24:11
ここは西洋史板だ。該当板に移動しろ

中国英雄板(仮)
http://hobby8.2ch.net/chinahero/

343 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 12:45:30
こういう考察系のスレはまじで中英板行った方がいいかもな・・・
最近の三戦板見てると・・・

344 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 14:16:01
>>341
蜀漢を取らない限り魏は呉を征服できないから
蜀漢が先に滅びるのは必然

345 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 14:33:03
>>344
呉攻略に蜀は必要?
荊州とって維持できればいけるでしょ?

346 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 15:29:36
>>345
流石に季玉も背後襲うでしょ。あるいは曹操に臣従とか。

347 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 16:17:40
>>346
臣従を持って征服とするならば蜀を取っていない状態で呉も臣従してる訳で・・・
しかも張魯が蜀狙ってたんだから劉璋には他方へ攻め込む余裕は無いでしょ?

荊州持ちで呉に攻め込むとしたら
張魯に同調を促して蜀はけん制し、かつ山越にも反乱させる
と思われる

348 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 17:54:42
呉の「臣従」って、ほんとマガイモノだよな・・・
宗主を遠国の吏員として飛ばし、呉内各地に中央からの統括官僚を派遣し
兵も組織も解体して官軍に編入して、初めて臣従したと言えるのではないのか?

349 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 18:16:39
荊州南部には赤壁があったとされる頃に侵攻を断念してるんだから
呉に併呑された後はなおさら無理だろ

350 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 21:38:40
>>345
江陵落とせれば可能だけど蜀なしだと難しい

351 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 21:45:53
史実でも晋の軍勢で呉に一番乗りしたのは蜀から出た部隊だったっけ
長江下流の戦いは割と互角だったとかいう話だった気がする

つまり呉を落とすなら、蜀を抑えているなら楽、江陵があるなら可能、下流域からはダメポ

こんな感じ

352 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 22:43:13
>>351
呉領に真っ先に侵攻したのは揚州方面の王渾。
彼は揚州の長江北岸をあっさりと制圧し、楊荷橋において張悌軍3万を撃破している。
彼の尋陽攻略が1月下旬、益州から出た王濬が丹楊を攻略したのが2月初め。

建業一番乗りは王濬だが、これは呉の揚州方面軍の大半が王渾に引き付けられていた事も大きな理由。

353 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 22:47:35
>>352
我慢してたのに突っ込んじゃったよ・・・

354 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 22:21:10
蜀の細木数子こと譙周

355 :木村貴光:2006/11/24(金) 23:05:53
間寛平は?

356 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 23:52:42
>>355
関羽の子

357 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 12:29:23
関羽が赤壁後に曹操を見逃さなければな・・・
ってあれは演技?

358 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 12:32:29
>>357
らしいね。曹操殺す→孫権頑張る→劉備ピンチ→関羽増長→益々ピンチ
を読んだ孔明スゴスってことらしい。

359 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 12:44:33
>>358
お前の言ってる意味がわからない

360 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 13:01:25
>>359
暗号なんじゃねーの?どーみても日本語じゃねーだろ

361 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 17:19:23
もし曹操が赤壁で死んでいたら、孫権と劉備に飛躍の機会はあっただろうか?

362 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 19:17:34
機会があった可能性は大いにあるが、曹操急死後の曹丕?陣営がどう乗り切るかは想像の域を出ないからなぁ…
孫策死亡時の孫権陣営なんて下手したら空中分解してもおかしくなかったけど、見事に乗り切っちゃったみたいな例もあるわけで。

363 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 20:49:57
後継者問題が表面化するんじゃない?

364 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 21:26:20
漢王朝存続派がどう動くかも気になる

365 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 22:06:24
いい感じで丕・彰・植で分裂したら面白かったかもな

366 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 22:21:53
曹彰はないんじゃないか?

367 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 23:06:12
ゲームなら曹家分裂ってシナリオがあるな
曹丕・曹彰・曹植に大体は分かれる

ゲームではね

368 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 00:19:58
彰も遠巻きに謀殺されたって妄想してるんだけど、どうだろ?
タイミングよすぎるというか

369 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 00:29:50
妄想どころか暗殺の疑い濃厚

370 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 00:33:18
>>368
妄想は妹とかの方が楽しいじゃね?

371 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 10:50:33
曹丕と曹植に分裂したら、曹彰はどちらの陣営に加わるかな?
それとも、どちらの陣営にも加わらず中立を貫くだろうか?

372 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 11:07:08
黄忠じいちゃんがあと30年若ければ
顔良文醜がゲームみたいに関羽に勝てれば
馬超とかもっと長生きしてれば
寥化がもっと優秀だったら
趙雲がアトなんかほっぽっていれば

373 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 11:15:51
顔良文醜が関羽に勝てるゲームって何?

374 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 11:19:08
曹彰派の重鎮っていたのかな?

375 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 11:29:31
1.曹操が赤壁で戦死
2.曹丕と曹植に分裂
3.孫権が曹丕を応援して劉備が曹植を応援する

こうして曹丕と曹植の共倒れを狙えば、孫権と劉備に天下統一の可能性は残っていたと思うよ。
ちなみに、ここで孫権と劉備が偽装対立を演出することも重要ではないかな?

376 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 12:14:53
>>374
いちおうそのときに長安にいた人間としては賈詡あたりかな
光栄ゲームでのIFシナリオではありえない人材が曹彰の下に集まってたがw


377 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 12:53:45
曹操が死んだ時、彰が大軍率いて都に向かったって話があるじゃん。
あれってどのくらいの兵だったのかな?
一人で率いるような数じゃなければ諸将が賛同してるんだろうし。
あの話が事実にしろ、創作にしろ、当時彰派(後継者として)がいたってことなんじゃない?

378 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 14:37:19
>>376
でもカクって後の手腕や曹操への後継者の進言みてると
かなり曹丕側(波風立たない側?)の人間っぽいし
長安にいたとしても曹彰に肩入れはちょっと可能性薄いよね

379 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 18:42:02
曹沖が跡継ぎになれば無問題
あ、呉は孫登で



…蜀は知らん

380 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 19:06:15
劉封だな

381 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 21:03:00
>>379
すぐ死んで余計荒れるだろwww

382 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 21:43:50
魏フウさんの話題は?

383 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 21:48:19
あれの失敗で曹家の地盤が確固たるものになったって見方もできないかなぁ

384 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/27(月) 13:07:34
>>383
曹操や魏ってクーデター潰しながら拡大して晋になっていったような…

取って変わる側だから仕方ないだろうけど

385 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/27(月) 13:33:53
せめて、劉備が漢中取って余裕が出た後にクーデターしてくれたら
その場合は後背の心配が無い曹操が漢中を全力で防衛してきそうなんで微妙な気もするが

386 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/27(月) 16:36:04
日本語でおk

387 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/27(月) 21:28:11
うむ。意味わからん

388 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 14:18:12
せめて、劉備が関中取って余裕が出た後にクーデターしてくれたらなあ。
その場合は後背の心配が無い曹操が全力で中原を防衛してきそうなんで微妙な気もするが。

389 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 15:54:50
成程

390 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/04(月) 10:51:34
三国鼎立より前の話になってしまうが、劉備が劉jを倒して荊州奪ってたら?

391 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/04(月) 14:02:55
「劉表から譲り受けたら」の方がまだ可能性がありそうだが、
どの道「孫権HelpMe−」という展開になるだろうな
巴蜀方面はまだゴタゴタしてるし、馬騰君と連携できることも条件になりそう

392 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/04(月) 14:06:28
袁家の長男坊がお利口だったら
ずいぶん展開違った気はするんだがなぁ。

393 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/04(月) 17:57:14
劉j派などの反劉備派が曹操に助けを求める→お決まりの敗退パターン

394 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 05:22:38
>>390
曹操が攻めてくる前に州内がまとまる可能性は低いな。
そのまま曹操に当たっても、乗じた叛乱や内応が多そうだし、話にならないだろう。
劉備が荊州着いてすぐ奪えたなら、周りの勢力との連携次第だが少しは面白くなるかも。

395 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 08:28:04
そもそも劉表がもっとちょっかい出せばよかっただけの話

396 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/10(日) 20:13:03
>392
袁譚は袁紹の死後、一時期は曹操と同盟を結んだんだから、
そのままの流れで降っておけば、一官僚としては生き残れたかもしれんのだがなぁ。

397 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/10(日) 20:32:33
>>396
そして残存する袁勢力を統合して曹操政権内で巨大な力を持つか、なんだかんだいって潰されるか。

398 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/12(火) 23:02:26
なかなか

399 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/13(水) 11:28:33
袁譚なんて危険因子を曹操が残しておくとは思えないんだが・・・

400 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/13(水) 11:45:36
張繍の例もあるからなんとも

401 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/13(水) 19:04:01
張繍は心服してたみたいだし、指揮官としても見所あったのだろう
袁譚なんざ粗暴で使えるところもなさそうだ
万が一、残ったとしても曹丕にいびり殺されて終わり

402 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/13(水) 22:49:44
>401
でも曹叡の種親は袁譚だか袁煕だかだろ?

403 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 00:37:22
そういう説もあると言うだけだろ。
ちなみに袁煕な。
3兄弟の中では人柄的には一番まともで扱いやすそうではある。

404 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 03:19:35
無理か

405 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 03:23:54
蜀&呉天下取らすには
巍を弱体化させるしか無いのか


406 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 03:46:15
>>405
弱体化どころか多少内部分裂してても難しいかと。
曹操も袁家を滅ぼした時に内部分裂を利用したけど、それでも8年掛かった。
蜀や呉と魏の国力差は、それどころのレベルではないしな。

407 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 06:24:09
五胡の皆さんに一足早く侵入してもらえれば或いは…

408 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 11:49:54
>>402
そういう妄想は該当スレ行ってやれ
最近何の根拠も無しに実父は袁氏とか言うアホが多くて困る

409 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 11:55:52
>>408
曹叡が袁煕の実子ではないという根拠を述べてくれ

410 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 13:06:21
鄴城が包囲されていた期間は2年に渡るが、
その頃の袁煕さんは幽州にとばされてた。

411 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 13:08:29
>>406
魏風の乱を成功させればいい。

412 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 13:46:33
逆に考えるんだ
曹叡の年齢の通説が誤りで常林伝注が正しいと
そう考えるんだ

413 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 13:54:11
「正史」で歴代皇帝の年齢生年月日が間違ってちゃダメだろ。

414 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 14:25:31
三国志は私選の書が正史になったんだからそのくらい問題視することではない

415 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 17:03:41
>>413
間違いじゃなく隠蔽工作が不徹底なんだよ

416 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 17:24:16
>>415
そんな重要すぎることを見逃すのか

417 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 17:40:19
まぁ、確かに信憑性がないと言えない事もないけど、それは言わない約束ではないだろうか

418 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 18:11:35
アウグストゥスだって妊婦を嫁さんに貰って、連れ子を2代目皇帝にしたんだから、
そんくらいのコトでガタガタ言うなよ

419 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 18:40:55
血族継承が必ずしも好ましいとされていたわけでないローマ帝国と血族こそ最優先な中国を一緒にすんな

420 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 18:43:53
>>419
曹嵩とか曹真とか劉封とか朱然とか陳矯みたいな例もあるからなあ

421 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 18:54:23
>>420
曹嵩は元夏侯氏であったが曹騰の縁者が夏侯氏に嫁いだりしていた可能性がかなり高い事が指摘されてる
そもそも曹氏と夏侯氏は丁氏と一緒に豪族のカルテルのようなものを形成していた可能性が高く
血縁上も全く赤の他人だというわけではない

422 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 19:11:32
>>421
曹真

423 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 19:45:34
曹真って関係ないじゃん
いい加減にしろよ

424 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 20:18:38
>>407
いち早く政権立てたのは巴ショクの成漢という罠

425 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 22:39:15
いつごろから曹叡が袁の血を引くなんて
とんでも説がまかり通るようになったんだ?

子種仕込むタイミングが時期的にあわなさ過ぎるし
それの記述が間違ってる改変されてるなんて言い出したら
歴史を語る上できり無いことぐらいわかるだろうに

426 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 23:08:05
なんかやけに必死に否定する人がいるんだよな
自分の本当の親が誰か不安だったりする人なんだろうか

曹叡の年齢に複数の異説があり、皇帝なのに何故か臣下の前に顔を出したがらなかったという話があり、若いのに養子を取っていたり、自分の廟号を烈祖と定めたり、何故か曹叡を巡ってどうも不審な話が多い。
その理由を説明できる仮説を検証しているのにトンデモ説といきなり切り捨てるとは

427 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 23:18:54
ところで

す れ ち

史書は読めるようだがコレは読めるか?
わざわざひらがなで書いてやったぞ?

428 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 23:27:34
袁家の血を本当に引いてたら、または疑われていたら皇帝にはなれないのでは?
曹操が徹底して袁一族の後継者を根絶やしにしていることを見てもありえないと思う。

429 :402:2006/12/14(木) 23:42:06
なんか私の書き込みが元でエキサイトしだしたようで申し訳ない。
でもスレチガイではないだろ?
もし曹叡が袁氏の子で、それが元で魏が分裂紛糾したら、蜀呉に天下のチャンスが回ってくる。
あたかも袁尚と反目した袁譚が曹操に降ったように、曹氏の大物が蜀呉に降るかも知れん。
つーか実際、夏侯覇なんかは蜀に降ってたな。

430 :402:2006/12/14(木) 23:48:31
突っ込まれる前に補足しとくと、
夏侯爵覇王が降ったのは司馬氏との反目があることは知ってます。

決して曹操叡智が袁氏だから降ったと思い込んでる訳では無い事を申し添えておきますが、
もしそうだったら面白いし、何より蜀と呉の天下のチャンスです。

あえて申し添えたんだから、わざわざひらがなでスペース入れて煽らないでくださいね。

431 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 23:51:38
曹叡が袁氏の子であることが事実だとして、
でも魏は分裂紛糾してないよね
あと曹叡くらい辞書に入れといたほうがいいんじゃないのかな

432 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 00:02:02
430
>もし曹叡が袁氏の子で、それが元で魏が分裂紛糾したら、
~~~~
431
>曹叡が袁氏の子であることが事実だとして、
>でも魏は分裂紛糾してないよね
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

まるで話が噛み合わない三戦板クォリティw

433 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 00:05:55
曹叡袁氏説になるとファビョり気味になる人がいるから仕方ない

434 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 08:55:14
>>430
> 夏侯爵覇王

最初「?」と思ったが、夏侯覇のことか。
侯爵の爵、覇王の王の部分はちゃんと消しとけw

435 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 09:50:49
なつこうしゃくはおう

436 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 10:49:21
>>435
夏ってどこらへんのことだっけ?

437 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 11:18:33
五胡の一つ匈奴が立てた国

438 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 11:45:25
夏王朝とかなかったっけ

439 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 15:04:36
禹が出てくる古代王朝
赫連勃勃が立てた王朝
竇建徳が立てた王朝
李継遷が立てた王朝


440 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 17:59:07
土木作業ヲタの引き篭もり美少女が曹叡だと言ってみるテスト。

『種瓜篇』 曹元仲
東の井の上に種うた瓜  冉冉として自ら垣を踰す
君と新たな婚を為り與し  瓜葛は相結連す
不肖の躯を寄託すること  太山に寄るが如くなる有り
兎糸に根株無きも  自ら蔓を延べ縁を登らす
萍藻 清流に託し 常に身の全からんを恐る
丘山の恵を被蒙し  賤妾 拳拳と執る
天は日を照らし之を知る  想うに君も亦 倶に然えん

これ実は女が詠んだんじゃねーの?と思ってしまう。
洒落でも何でもなく率直な欲求だったりしたら面白い。
ヒッキー臭いのは不浄日には女だとバレちゃうから。
曹操が可愛がってたのは性欲がメイン。時代はロリですから。
文帝が嫌っていたのは政治的ポーズで内心では母親みたいにヤリテエーという葛藤があったというのはどうだろうか?

441 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 18:06:32
>>440
君みたいな変態は文学スレにでも行った方がいいと思うよ。

442 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 18:14:04
話ずれすぎ

443 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 21:06:00
まずは魏をどうやって弱体化させるかだな
しばいが曹爽を倒したからだから
曹爽がもし逃げることに成功したら
少しは弱体化したか?

444 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 21:56:12
考えてみれば魏の中枢近くに居るような高官達は、後漢の名の下に集まったくせに魏への禅譲を黙認したような奴らだから、
自身の身を省みず王朝に尽くそうだなんて奴は少数派だよな・・・

445 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 22:00:25
>>444
×黙認
○推進

446 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 22:51:27
巨大な国に逆らう人は、そんなにいないか


447 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 23:49:02
>夏侯爵覇王
姜維を生姜繊維と書く痛い子と同じ匂いを感じる

448 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 01:38:36
公孫淵が司馬懿に勝っていたら…

449 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 02:09:28
>>440
文学スレ住人ですが、ほかの整合性がとれないので
それはないかと思います……

>>441
(´・ω・`)

450 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 02:45:53
魏国分裂弱小化の道筋をいくつか考えてみた。

赤壁で曹操死亡⇒跡目争い⇒蜀呉涼州侵入
関羽・侯音大活躍⇒断続的な小反乱の連続⇒蜀呉侵入
魏諷の乱成功⇒曹操逃亡
曹操死後、兄弟で骨肉の争い⇒蜀呉侵入
司馬懿の曹爽暗殺失敗⇒内戦状態⇒蜀呉侵入
どうだろうか。。

451 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 03:15:27
蜀は弱小すぎるし、呉は刺青とかしてる蛮族だから無理。

452 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 06:49:55
馬超が曹繰を倒すってのもあるな
この時期なら反乱も成功しやすいんじゃないか?

453 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 08:36:44
>>450
可能性あり
赤壁で曹操死亡⇒跡目争い⇒蜀呉涼州侵入
曹操死後、兄弟で骨肉の争い⇒蜀呉侵入

可能性なし
関羽・侯音大活躍⇒断続的な小反乱の連続⇒蜀呉侵入
魏諷の乱成功⇒曹操逃亡
司馬懿の曹爽暗殺失敗⇒内戦状態⇒蜀呉侵入

454 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 08:53:45
神様はみなに等しく機会をお与えになりました
天下を分けたのはひとえに神様えの信心です

455 :無名武将@お腹せっぷく :2006/12/16(土) 09:16:24
公孫淵の独立王国はまったくチャンスなしでつか?

456 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 09:44:30
曹叡元仲の父は中国魏王朝の始祖曹丕子桓(諡号は文帝)である。
元仲という字は、魏公国の方言で「客」「旅人」を意味するが、この名前は出生の事情によっている。

歴史書によると、曹叡が母、甄夫人の腹の中にいたとき、
まだ華北の覇者だった袁紹の幕営が、敵対する曹操軍によって襲撃された事件があった。
身重の母、甄夫人は曹丕によって拉致されたが、傾国の美と呼ばれる美貌のため曹丕の妻となる
曹丕の夫人として男子を生んだので、「旅客」を意味する元仲という字を与えられたのだという。

457 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 15:32:57
>>453
赤壁時点での曹植の年齢を考えると、後継者争いが生じる可能性もないと思うが。

458 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 15:44:33
>>457
曹丕と曹仁や曹純、曹洪といった曹氏間で争うと思う

459 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 17:25:16
直系がいるのにでしゃばるほど頭悪いとは思えんが。>曹仁曹洪

460 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 17:45:21
曹丕が一門を冷遇すれば当然不協和音は生じる
曹氏政権が不安定なうちに献帝を廃位しても同じ

461 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 17:52:06
>>459
その直系が曹氏はおろか当時の最大勢力の指揮を取らなければならないとなりゃ話は別だろ
赤壁直後で仮定すれば、まだ若い曹丕ではなく年長の親族を立てろなんて声が部下から出てくる可能性が高いと思うよ

462 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 19:33:25
まだ若い曹丕に地方の反乱を抑えきれるのだろうか

463 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 19:42:08
後見人立てればいい。嫡子を退けて跡を継ぐなんて危険すぎる。大きな勢力ならなおさら。
仮に劉備の跡を諸葛亮が継いで皇位に就いてたら「簒奪者」扱いされたんじゃないかな。

464 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 19:54:45
赤壁で曹操死んだら
魏なら魏なら反乱する・・・・そう信じてる
曹操の時代でも反乱があるのですから

465 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 20:15:39
中国の歴代王朝に反乱のない平和な時代などない

466 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 20:22:54
公孫淵の河北制定。ここから時代が動き出す

467 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 20:46:01
>>463
当時の曹操の地位、丞相も冀州牧も世襲すべきものではないからね
曹丕が嫡男でも実力や実績が無ければ認めてもらえないかもしれない
そうなれば曹氏内の実力者がその地位を占めることになるだろうが、曹丕を含め誰を選ぶかで分裂の危機になるってことよ

468 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 21:39:23
似たような例で孫権の場合、
@ナンバー2でもある補佐役張昭に孫策自ら遺言を託す時間があり、張昭も孫権に引き継ぐため迅速に形式を整えた。
A孫策勢力の漢朝廷に対する駐在大使的役割だった張紘の働きによって正式に位を引き継いだ。
B急遽引き返してきた軍部で最大の影響力を持つ周瑜が率先して従った。

この孫策勢力トップ3が孫家(特に呉夫人を中心として)と個人的親交があり、意思を一つに合わせたから
難局の混乱は最小限に抑えられた。

劉禅の時は既に皇国としての形式が出来てたことと、諸葛亮の存在が色んな面で大きかった。


曹操が突然死んだ場合、@Aを兼ねる荀ケが軍部の有力者達(夏侯惇・曹仁ら)と協調体制を築ければ、
曹丕あたりを擁立して体制大きく衰退させる前に立て直せるんじゃないかと思うけど、荀ケが複雑な人物だけに読めない…

469 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 21:55:13
荀ケスレなんかでも語られてるけど
腹の内が読めない人物だからどう動くはわからないわな

でも最悪のパターンはお家騒動のタイミングに
呉蜀に攻勢かけられるって事は聡い荀ケなら解してるだろうし
案外、当面は子飼いと手を取り合ったりするんじゃないの

470 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 22:20:39
荀ケが蜀漢に亡命するというifがあったなあ柴戴三国志だっけ。
時間逆行して天下統一、最後孔明が暗殺されて終わるアレ。

471 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/17(日) 05:48:04
曹家の御家騒動は、反逆を芽を大きくなる前に暴発させて
摘み取るためのフェイクだって見解もあるらしいけどね。

472 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/17(日) 11:30:18
>>471
もうちょい詳しく

473 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/17(日) 13:30:45
蒼天航路を読め

474 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/17(日) 13:49:26
荊州が呉領になった時点で魏は楽になったよな
蜀軍が荊州にいたら魏も守備兵を

475 :474:2006/12/17(日) 13:50:13
スマン 忘れてくれ

476 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/17(日) 23:29:31
>>473
最近の子は陳舜臣も読まないのか

477 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/18(月) 00:55:11
俊臣でも欣太でもいいが、
吉本の乱なんかは王必が殺されていたらどうなったかわかったもんじゃないし、わざと叛乱を起こさせたなんてのはあまりに危ない橋だ
ぶっちゃけありえない

478 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/18(月) 02:31:47
魏風の乱だったら曹魏政権の中枢がふっとんでたな。

479 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/18(月) 02:34:35
ま、芋づる式に反体制派を引っ張り出せて結果オーライだったから、「わざと反乱起こさせた」説があがってくるんだろうけど。

480 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/18(月) 08:33:32
>>474
益州も呉領になっていたら、もっと魏は楽になっていたのではないか?

481 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 01:17:57
>>480
どうかな?
楽になるとは、どんな風になる?
さて弱体化させるにはどうしたらいいものかな
馬超涼州で独立してたら少しはかわるかな?
涼州の兵馬はつよかったらしいからね

482 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 12:37:07
曹操が呂布に勝利したとき、高順と一緒に張遼を殺していたとしたらどうだろう。
合肥あたりの情勢がかなり変わってきそうな気がするのだが。

483 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 12:39:30
呉と蜀が天下を獲るのがあまりに無謀だから他力本願になってきたな

484 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 13:51:25
無理だっつの(笑)

485 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 16:27:15
戦力差がありすぎなんだよなぁ。
対蜀、対呉で戦力を二分してなお攻勢に出れる魏の戦力。
結局あの頃は中原を中心とした時代だな。
劉備、孫権、馬超、公孫淵、一応軍を率いて反魏として一勢力を確立できたのは僻地でのみ。所詮蛮族に過ぎなかったな。

486 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 16:35:10
呉は
エンショウトと曹操が戦ってる時に、負けてるほうに加勢して戦いを長引かせ、国力を衰えさせる一報
劉備と手を組んで荊州益州をとる

487 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 16:37:03
はいはい面白い

488 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 16:46:28
負けてる方っていうと序盤は曹操と組むわけか。
で、その頃の劉備は荊州や益州がどうのっていう状況じゃないけど。

489 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 17:29:21
呉はひたすら江南開発を進めて人口を増やして時期を待つ。
なせばなる。

490 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 17:40:52
孫策が死なないで許に攻め込んだらどうなるかな。
成功すれば曹操が潰れるが、逆に
失敗して孫政権が潰れても曹操がすぐ江南を支配できるわけでもない。
となると劉表がケイ州と呉を合わせた一大勢力になり
そこに食い込んだ劉備の動き次第で、とかならんかね。

491 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 17:56:11
宛で死んでたらガラッと歴史変わっただろうな。
まあエンショウがたぶん統一するか。で死後また動乱が起こる。

492 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 20:53:38
>>489
増えた端から中原に流失

493 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/24(日) 10:48:39
エンショウ勢が敗れた時点で完全に中央固められた
呉にとって望ましいのは中央が混乱してる状況

494 :呉のベストは、:2006/12/24(日) 12:33:35
馬騰馬騰馬騰 董卓残党 袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹公孫康
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張魯張魯張魯張魯張魯張魯 張縮張縮張縮 曹操曹操曹操曹操曹操曹操 劉備劉備
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張魯張魯張魯張魯張魯張魯 張縮張縮張縮 曹操曹操曹操曹操曹操曹操 呂布呂布
張魯張魯張魯張魯張魯張魯           袁術袁術袁術
張魯張魯張魯張魯張魯張魯
                  劉表劉表劉表劉表劉表劉表 呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉
劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉 劉表劉表劉表劉表劉表劉表 呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉
劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉 劉表劉表劉表劉表劉表劉表 呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉
劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉 劉表劉表劉表劉表劉表劉表 呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉
劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉                   呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉
劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉 蛮族蛮族蛮族 呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉
劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉 蛮族蛮族蛮族 呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉

こういう状態ですか?

495 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/24(日) 12:34:24
董卓の頃がチャンスか・・

496 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/24(日) 12:35:19
張縮って誰さ。

497 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/24(日) 12:40:30
>>493
赤壁の時点で考えれば、まだ関中は軍閥が占拠してたし、許の朝廷もアキレス腱だった
袁氏残党が残っている方が好ましいだろうが、曹操も中央を完全制圧まではいってない
孫権にも付け入る隙はあった

498 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/24(日) 13:21:45
>>494
がんばったなおいw
だが韓遂を忘れることは許さん。

499 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/24(日) 13:37:34
もともと孫策って袁紹と組んで南北から同時に攻める気だったんじゃねーの?

500 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/24(日) 13:44:16
袁紹が頼りしてたのは劉表じゃね?

501 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/24(日) 15:21:11
勢力は袁紹>曹操>劉表>孫策
孫策の許遠征なんか蜀漢の長安占領以上に現実味のない話
本当に計画してたのかもあやしい

502 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/24(日) 16:37:10
そうだとすると陳登が孫策を撃退したのっていつなんだろ
(これって裴松之の注のみ?だとしたらアレですが



503 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/24(日) 17:04:06
その辺は呉スレとかでかなり考察されてた気がする

504 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/24(日) 19:40:57
サンクス
呉の考察スレを巡回してみます

505 :無名武将@お腹せっぷく :2006/12/24(日) 23:19:06
孫策は項羽と同じく力で地方豪族をねじ伏せたから
とても曹操と戦える状況ではなかった。
そういう意味で文治派の孫権が後を継いだ時点で
守勢は決定的だろう。

506 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/24(日) 23:21:32
荊州を積極的に侵略した孫権が守勢か?

507 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/24(日) 23:32:20
自分とこの領地気分だったから中原へのそれとは違うんじゃないの。

508 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/24(日) 23:37:16
合肥とかガンガン攻撃してるし益州も攻める気満々だったけど、あれも全部自分の領土気分?

509 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/24(日) 23:43:44
合肥は魏呉両軍にとって楔となる場所。守勢としても押さえる必要がある。

510 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/24(日) 23:45:32
益州を説明できてませんな
守勢なんて大間違いなんデスヨ

511 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/24(日) 23:47:31
南方で割拠するために長江の両岸を狙ってただけだろ
守勢も糞もないわな

512 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/24(日) 23:49:11
>>509
益州攻めって誰がどの段階で提言したの?
孫権自身?

513 :512:2006/12/24(日) 23:49:50
間違えた
>>509じゃなくて>>510だった

514 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/24(日) 23:53:45
蒼天航路で周瑜が言ってたよ!

515 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/24(日) 23:58:57
>>512
そもそも魯粛は長江流域を全て領有してから天下を本気で争う計画だった
益州は長江上流だから占領すべき土地と考えていたことになる
また周瑜が益州攻めを計画したのは有名
さらに呂蒙が荊州を占領した後、孫権は益州をも占領しようと図り、周泰を漢中太守に任命している

516 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/25(月) 06:01:02
アイツは領土を増やす機会があれば必ず手を出すし、地の果て海の彼方まで調査隊を送り込む
ような男だ。
守勢だなんてとんでもない!

…って衛温が言ってた

517 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/26(火) 01:18:08
守勢ってのは違うけど、呉は領土を譲らないって断固とした決意は感じるな。
蜀や魏はそれなりに状況を見て戦略的拠点放棄とかするけど。

518 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/29(金) 03:18:43
呉は領土譲ると守れなくなって死ぬからな

519 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/29(金) 04:04:12
呉の場合、踏み込まれたら最後だろ。実際の最期も止めようがなかったし。

520 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/29(金) 16:26:38
攻めるぞ〜♪気分でいいのかよww
さすが呉w

521 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/31(日) 06:19:47
涼州の軍閥は纏まりがなかったから軍閥なわけで、
早いうちに馬騰なり韓遂なりが統一できてたら一石を投じたかも知れんと思うが
結局中原には影響なかったかも知れんなァとも思う。


522 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/31(日) 09:00:28
どうやったってまとまり得ない者を、
暴力と恐怖でムリヤリまとめた菫卓は、
2000年前のサダムフセインなわけか。

523 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/31(日) 09:04:38
>497
亀レスだが、分かった!
馬騰馬騰馬騰 董卓残党 袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹公孫康
馬騰馬騰馬騰 董卓残党 袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹紹袁紹袁紹袁紹
馬騰馬騰馬騰 董卓残党 袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹       袁紹
馬騰馬騰馬騰        袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹       袁紹
       軍閥軍閥   袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹袁紹
韓遂韓遂韓遂 軍閥軍閥       

張魯張魯張魯張魯張魯張魯 張縮張縮張縮 曹操曹操曹操曹操曹操曹操 劉備劉備
張魯張魯張魯張魯張魯張魯 張縮張縮張縮 曹操曹操曹操曹操曹操曹操 劉備劉備
張魯張魯張魯張魯張魯張魯 張縮張縮張縮 曹操曹操曹操曹操曹操曹操 呂布呂布
張魯張魯張魯張魯張魯張魯           袁術袁術袁術
張魯張魯張魯張魯張魯張魯
                  劉表劉表劉表劉表劉表劉表 呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉
劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉 劉表劉表劉表劉表劉表劉表 呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉
劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉 劉表劉表劉表劉表劉表劉表 呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉
劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉 劉表劉表劉表劉表劉表劉表 呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉
劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉                   呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉
劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉 蛮族蛮族蛮族 呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉
劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉劉焉 蛮族蛮族蛮族 呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉呉


524 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/01(月) 16:17:39
あけおめ
今年こそは蜀と呉が天下をとれますように

525 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/09(火) 06:36:16
取ったり

526 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/09(火) 09:58:53
つか、関羽の北上を孫呉が支援してたら普通に勝ったんじゃないか?
于禁軍が消滅した以上曹魏の予備兵力はすっからかん。
徐晃たちは改めて募兵し直さなきゃならない有様だったんだから。

527 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/10(水) 01:38:22
>>526
そうだね
良いところ行ってたかもしれませんね

528 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/10(水) 01:49:41
…募兵?

529 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/10(水) 03:25:48
徐庶が行かずほうとうが死ななければいけたのでは?

まず軍略に優れるほうとうに北伐をまかすそして内政は諸葛亮担当

北伐中に呉の荊州進行
そこで徐庶の出番
関羽に万全の策をあずける
さらに南蛮の反乱
うろたえる劉備しかし三人は顔色一つ変えず話し合う

これどう?

なんかの本で読んだw

530 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/10(水) 06:23:00
ともかく関羽VS曹操の対決は見たかった

531 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/10(水) 08:39:09
>>530
討ち取ったらある意味商売の神様らしい展開かも知れないね


532 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/10(水) 18:12:57
蜀 敗因
・諸葛亮がほざいた天下三分の計...蜀を取ったがため人材不足になるのは必然
・古将との確執
・財政の独裁...分担を知らない
・食料の輸送路の整備法...かなりの金をかけたのに最後まで完成していない。
・人材育成...非凡な才能しか認めない、時間をかけて育てる方法を残さなかった。
・魏延...意外なことに魏延は人から好かれておりまた頭も優秀であった、これを消す。
     魏延が愚痴を言いふらしていたのは、魏延の意見をことごとく撥ねつけるから
     「もっと良い言い方があるだろう」と思う
・寿命...諸葛亮は、死ぬかなり前から病に侵されていた、それを受け入れるのが遅すぎた。
やはり知識を残すのも非凡な将にのみ、個人への負担倍増
・夷陵の戦い...これがなければ国力も衰退しなかった。
・北伐...降伏武将を受け入れない、かなりの才あるものが降伏を申し出たらしい。
・職務の重責...個々に与えられている職務の重さが人材を潰した。
        2代目は、皆凡才ばかり、父親から学ぶ時間がない。
・劉禅...死ね!!!!死んだ武将に謝れ!!永遠に
他にもまだまだあるけど俺は、この敗因も蜀の魅力だと思う。


533 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/10(水) 19:10:06
       __,  -ー-  、__
       (_,'       ',_)
       l ●   ● l
       i  (_ ● _)   i   そんなエサでは釣られん!
       ノ   |∪|    ',      悪いが帰ってくれ!!
      /,, -ーヽノ  , -‐ 、
     (   , -‐ '"     )
      `;ー" ` ー- -ー;'"

534 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/11(木) 02:51:20
他の時代も考えると
南方の王朝で天下取れたのって明だけなんだよな
好き好んで暖かくて米があって文化レベルの高い南から寒くて麦しか取れなくて文化レベルの低い土地には誰も行きたくないというのが理由らしい
馬鹿げてるように感じるがが実際どこも天下取れてない
蜀の位置からだと取れる可能性は少ないがある
北周が蜀+涼州+長安+江陵(衛星国後梁))から天下を統一してる(実際は北斉滅ぼした後隋に代替わり)
北周は北斉より兵が弱かったらしいが軍制改革と北斉が暗君のうちに有力な重臣を讒言で葬ることによって統一できた
蜀は好条件が重なれば取れた可能性がある

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