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三国時代の文学スレッド

1 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/03(日) 09:07:40
後漢末期の建安年間とその前後には、唐代以前の詩聖・曹植や
曹操・曹丕・曹叡など曹家の偉大な詩人たち、建安の七子などが
たくさんの優れた文学作品を残し、漢文学を著しく発展させました。
三国志の戦いや武将、社会情勢などが、
それらの重要な題材や背景となっています。
また、後世の中国・日本の文学や芝居の題材にも、
三国志の英雄たちは多く取りあげられています。
文学的な側面からも、歴史・人物的な側面からも、
真面目に語るも気ままにだべるも良し。マターリ楽しみましょう。

関連スレ(古文・漢文板)
ねえ、曹操の詩って良いよね
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/kobun/965622879/


2 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/03(日) 09:16:16
★                                      
★ このスレは天才チンパンジーアイちゃん(>>1)が            
★ 言語訓練用のために書き込んだものです。                 
★ >>1と研究員とのやり取りに利用するので、        
★ 関係者以外は反応しないで下さい。                
★ 研究員以外でレスした人は、チンパンジーと           
★ 認識されますので御注意下さい。                  
★                                       
★                 京都大学霊長類研究所 


3 :総合スレの135:2006/09/03(日) 10:12:39
スレ立てを依頼した1です。立ててくれた方、どうもありがとう!
三曹から蘇東坡も土井晩翠まで、なんでもカマンだと思います。
とりあえず、はじめなので曹植の詩を投下しておきます。

『公讌』 曹子建

公子 客を敬愛し
宴を終るまで疲るるを知らず
清夜 西園に遊び
蓋を飛ばして相追随す
明月 清景を澄え
列宿 正に参差たり
秋蘭は長坂を被い
朱華は緑池を冒う
潜魚 清波に躍り
好鳥 高枝に鳴く
神風 丹轂に接わり
軽輦 風に随いて移る
飄飄として 志意を放にし
千秋 長えに斯くの若くならん

4 :総合スレの135:2006/09/03(日) 10:28:29
>>3
この詩は建安16年(211年)、曹丕の宴会での作で、
曹丕の『芙蓉池作』に和して詠んだものだそうです。
兄24才、弟19才ぐらいの頃で、こんなに仲良しなときもあったのですな。
意味は(適当です)、

「公子(曹丕)は賓客を敬愛され、宴の終わりまで疲れも感じない。
清らかな夜、西園(銅雀台)で遊び、皆は車を軽やかに飛ばして従う。
名月は清らかな眺めをたたえ、星々は空に連なり入り混じる。
秋の蘭が遠い坂を被い、蓮の花は緑の池に咲きこぼれる。
水に潜む魚が清らかなしぶきを躍らせ、きれいな鳥が高い枝に鳴いている。
ふと風が朱塗りの車を押し、軽やかな車は風の意のままに走る。
ゆらゆらと心は解き放たれ、ああ、いつまでもこの時のようでありますように」。

5 :総合スレの135:2006/09/03(日) 10:41:35
『芙蓉池作』もうpしておきます。

『芙蓉池作』 曹子桓

輦に乗りて夜行きて遊び
逍遥して西園に歩む
双渠 相漑灌し
嘉木 通川を繞る
卑き枝は羽蓋を払い
脩き条は蒼天を摩す
驚風は輪轂を扶け
飛鳥は我が前を翔ける
丹霞 名月を挟み
華星は雲間より出づ
上天は光彩を垂れ
五色一に何ぞ鮮やかなる
寿命は松喬に非ず
誰か能く神仙たるを得ん
遨遊して心意を快くし
己を保ちて百年を終えん

6 :総合スレの135:2006/09/03(日) 10:52:14
『芙蓉池作』で兄の曹丕が
「誰が仙人のようになれようか、人の寿命は大きな松には値わない
ここに心地よく遊び、自分を保って良い百年を終えたい」と唱したのに対して、
弟の曹植が「いいえ、千年もこのようでありますように」と返したんですな。

とりあえずネタふりとして、こんなところを投下しておきます
(漢字の変換が環境によって出てなかったら済みません)。
曹丕と曹植というと、仲が悪いという印象がまず浮かびますが
こんな時代もちゃんと残っていますね。

7 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/03(日) 10:57:26
|∧_∧
|´Д`)   ハァハァ  曹植タンと聞いて
|_∧ /⌒  ∧_∧
|Д`)∧_∧(;´Д`) ハァハァ   飛んで来ました
|_∧(;´Д`) ∧_∧
|Д`) ∧_∧(;´Д`)
| ヽ(;´Д`) ハァハァヽ
| | /⌒  ヽ  ||
| |||  ||\/||
| / \\/||\\||
|/  \\||\し(ノ
| /⌒\し(ノ > )
|/   >> ) / /
|   / / (_つ
|   (_つ   | 建安の七子
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>>1さん乙ですwww


8 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/03(日) 22:21:03
>>1乙!あげておきます

9 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/04(月) 00:15:02
曹丕と曹植の関係をよく表現していると言われてる「文帝の誄」は
どのようなものだったんでしょう?

10 :総合スレの135:2006/09/04(月) 01:00:10
>>7
飛んでくると思ってたよwwww曹植たんは建安のアイドルだよね。

>>8
age乙です!

>>9
あ、今手元にないんですが(済みません)、
吉川幸次郎先生のなんかの本に載ってましたね。
最近は意外なことに、研究者の間でも曹丕と曹植は
最後まで仲良し兄弟だった説が有力らしいです。
『於玄武陂作』などを見ていると、そうであって欲しいですよね。
蓮の花が咲く夏の夜、贅を凝らした銅雀台の庭で
>>3-6の詩を応返する仲が良い若い公子の兄弟という図は、
想像するだに優雅というか、絵になりますな。

11 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/04(月) 01:25:15
>>10
136です。どうもです。
お時間のある時にでも「文帝の誄」の解説をして頂けると嬉しく思います。
「曹植」(伊藤正文注)という書籍をまた読み返してみよーかと。
のっそり参加となりますが宜しくお願いします。

12 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/04(月) 11:16:32
三曹の誰が好き?

13 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/04(月) 13:34:39
>>10
>>絵になりますな
同意。まあ実際の曹植は虱を食う男だった訳だがw

14 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/04(月) 14:46:45
王サンの賦が好きなのは俺だけじゃない筈

15 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/04(月) 15:03:42
良スレage
「公讌」は有名だけど「芙蓉池作」を初めて読んだ。
曹丕いいね!探すのが大変なのが残念。

16 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/04(月) 22:22:07
寂れてるな…軌道に乗るまでage進行が良くない?

17 :総合スレの135:2006/09/05(火) 17:37:00
>>11
「曹植」は読みやすいっすね! 薄くて軽いし必携です。
ところで、自分は只の理系の人で、
漢文は高校と大学の教養と単位交換で一年ずつやっただけの素人なので
とても解説など(ry 「文帝の誄」、どっかにあるので探してみますが、
どなたか手元にある方にうpして頂いたほうが早い気も。お願いします。

>>12
うっ……そんな難しいことを……
……そういえば、中国では「三曹」というと曹操・曹丕・曹叡を指し、
曹植たんは別枠だという噂を聞いたことが(と、お茶を濁してみたり)。

>>13
……夏目漱石の鼻毛みたいなもので、それも愛嬌w

>>14
『七哀詩』と論の切れ端しか読んだことがないですorz
うpお願いします!

>>15
七賢も武帝・文帝・明帝も、作品が散らばってて大変ですな。
中国の古典選集なんかで、六朝以前のが充実しているのに入ってたりしますね。
絶版のものも多いので、見つけたら写しておかないとです。

>>16
おkです。あげます。あんまり需要ないのかも……porz
全レスしていないほうがいいのかな?

18 :総合スレの135:2006/09/05(火) 17:38:41
済みません、あげるとか言ってさがっていました。
趣向の違ったネタを投下したほうがいいんだろうか?
夜にでも、何か考えて持ってきます。

19 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/05(火) 21:39:06
あげますよ

20 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/05(火) 22:59:08
>>17
> 中国では「三曹」というと曹操・曹丕・曹叡を指し、 曹植たんは別枠
それ聞いたことある!曹植は詩聖だから別っていう話だった希ガス
1さん理系の人とは驚き。曹叡の詩読んでみたいな〜。
あと出師の表とか文学作品じゃない名文も読んでみたいです。

21 :総合スレの135:2006/09/06(水) 00:48:11
>>19
age乙です!

>>20
曹叡の作品も、引越しのときのどさくさでいま手元に(ry
鋭意捜しておきます! ……どなたか手元にある人がいたら、うpお願いします。
文学作品じゃない名文……出師の表をタイプするのは大変(ryなので、
『江表伝』から、周瑜の孫権にあてた遺書をうpしておきます。
個人的にはすごい名文だと思ってます。これがあるから周瑜ファン(ry

「瑜以凡才、昔受討逆殊特之遇、委以腹心、
遂荷栄任、統御兵馬、志執鞭弭、自效戎行。
規定巴蜀、次取襄陽、憑頼威霊、謂若在握。
至以不謹、道遇暴疾、昨自医療、日加無損。
人生有死、修短命矣、誠不足惜、
但恨微志未展、不復奉教命耳。
方今曹公在北、境場未静、劉備寄寓、有似養虎、
天下之事、未知終始、此朝士干食之秋、至尊垂慮之日也。
魯肅忠烈、臨事不苟、可以代瑜。
人之将死、其言也善、儻或可採、瑜死不朽矣。 」

22 :総合スレの135:2006/09/06(水) 00:49:57
>>21 意味は(適当です……)、
「瑜は凡才ですが、討逆さま(孫策)より特別の待遇を頂いて、
その腹心として栄任を遂行し、兵馬を統率し、鞭と弭を執って
軍功を立て、恩を奉じんとしておりました。
巴蜀を平定し、次に襄陽を取ろうとしておりますが、
我が君の威靈をもってすれば、それはた易いことでしょう。
しかし、身を謹まなかったため、その途上で急病を得て、
日々医療を受けておりますが、良くなることがありません。
人生に死はつきものですから、それを短命のうちに修めることは
全く惜しむに足りないのですが、ただ恨めしいことは、
私の微かな志を実らせられずに、もう我が君にそれを奉じられないことでございます。
ただ今は曹操殿が北方におり、国境は平静にあらず、
寄寓している劉備も、虎を養っているようなものです。
天下の事はいまだ終始が知れず、これこそ朝廷に仕える者が
食を忘れて行うとき、陛下におかれましてもご深慮を頂く日でございます。
魯粛は忠烈の士であり、事にあたってそれを疎かにすることはなく、
瑜の後を継げる者として推薦いたします。
人がまさに死なんとするときに、その言葉に悪意はございません。
もしもこの文言を採用して頂けるのでしたら、瑜の死は不朽なのでございます。」

23 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/06(水) 01:47:59
>>22
・.・゚(ノД`)゚・.・
名文ですね…1さんの解説で充分ですよ。
周瑜のイメージ変わりました。
本当に謙虚な男だったんだな…

24 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/06(水) 08:14:53
良スレハケーン
読んでみたいor気になるのカキコしておいていいかな。
曹丕の食べ物(葡萄?)が出てくる詩と、
曹植の父親に関する詩。貝が好きとか書いていた記憶が(間違ってるかも)

25 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/06(水) 10:55:56
あげ進行!

26 :総合スレの135:2006/09/06(水) 15:30:21
おめでとうございますあげ!

>>23
恐縮です。しかし、死に際してこんな文章を書く人が、
演義のような尻に火がついたような人であるわけないですよねw

>>24
おkです。曹植の鮑の表と曹丕の葡萄の評ですね。
もっとも、曹丕の葡萄は、確か原文では曹操と書かれていて、
研究者の註で曹丕となっていたような気がします。
今日は夜書けないので、たぶん明日うpします。

>>25
あげ乙です! 曹叡たんスレが気になる今日このごろ(ry

27 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/06(水) 21:20:55
このスレの連中は
もちろん赤ちゃんスレの漢詩ネタはチェックしているよな?
白馬篇
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1144944531/13-27
喜雨
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1144944531/159-167

28 :135:2006/09/06(水) 21:42:04
>>27
そんなスレあったんだ! 初めて見ますたthx
いま携帯なので、明日読むよー!

29 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/07(木) 11:59:31
赤ちゃんスレの住人が通りますよwww
なんか書きたいけど漢文習ったことなくて書けないorz

1さん(他の人も)の解説を楽しみにしてます!俺に知識を与えてくれ〜

30 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/07(木) 13:10:39
実際の文学の方には疎いのでそちらの紹介や論議はできないが、わかる分野で参加。

>>10
曹植は本来曹丕の対抗馬なんて望んでいなかったのではないか?という疑問は、
兄の曹彰に対しての「袁氏の兄弟を見なかったのか?」発言からも推察できるね。
曹植の一時の放蕩ぶりは父の期待を削いで兄をたてるためという説もある。

帝位についた文帝からの冷遇は確かに厳しかったが、これは王族全般に対するものだったわけで、
しかも翌々調べると曹植の上奏文の内「親族間のやりとりを許して欲しい」「若者が徴発されて困ってる者が多い」
みたいな時々の施策についてはきちんと取り入れられてるし、さりげなく思いやりも見せてる。
ただ、混乱があると「曹植が立った」と噂が立つぐらい未だ曹植に影響力があったことと、
間を繋ぐ役人がやたらと讒言をしたりするので、立場上どうしても重用はできなかったんだろうと思う。

曹丕の怒りは基本的に曹植本人よりも曹植を立てよう・担ごうとする人物に向けられる傾向を感じる。

31 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/07(木) 13:45:46
>>30
成る程。
私も文学に疎く普段ROMってるけど頑張ってください。
1さんが某スレの曹家ハァハァな人な希ガス…違ったら失礼W

32 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/08(金) 21:57:32
 (((植)))
  (´Д`)
 ⊂  _つ
  人 Y
 し(_)  呼んだ?


33 :135:2006/09/08(金) 23:44:03
>>29 >>30
ありがとう。ゴメン、昨夜熟睡してしまたorz
今日はもう酔っぱらいすぎて、読めないかけないおーorz
明日は帰れないから日曜日にレス書くお、ゴメン。
>>31 >>32
子桓さま子建さま元仲さま(;´Д`)ハァハァw
ついでに武帝たんもハァハァw

34 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/09(土) 00:07:09
ROMっていたんだが・・・あんた面白いなw大丈夫か?
まともな考察スレが増えてほしいから酔ってないでがんがれw

35 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/09(土) 01:14:27
>>34
ヤッホー子建さまも酔っ払いだから大丈夫だよ!
酒に対しては当に歌うべしだよラララ
なんか曹操の短歌行かきたいから書いとくお、誰もリクしてないけど読んでくらさいw

『短歌行』 曹孟徳

酒に対しては当に歌うべし  人生幾何ぞ
たとえば朝露の如し  去りし日ははなはだ多く
慨して当に以て慷すべし  幽思 忘れ難く
何を以て憂いを解かん  唯だ杜康 有るのみ
青青たる子が衿  悠悠たる我が心
但だ君が為の故  沈吟し今に至る
幼幼と鹿鳴き  野の苹を食す
我に嘉賓有らば  瑟を鼓し笙を吹く
明明として月の如きも  何れの時にか採るべし
憂いは中より来たりて  断絶すべからず
陌を越え阡を度り  枉げて用って相存す
契闊談讌し  心に旧恩を念う
月明らかに星稀に  烏鵲南に飛ぶ
樹を繞ること三匝  何れの枝にか依るべき
山は高きを厭わず  海は深きを厭わず
周公 哺を吐きて  天下心を帰す

36 :総合スレの135:2006/09/09(土) 01:28:46
ごめん名前忘れた。
>>35の意味は(適当だお)……
「酒を前にして大いに歌おうじゃまいか
人生など幾ばくのものか! たとえば朝露のように儚いもの
過ぎた日ははなはだ多く、まったく悲憤にくれるばかり
物思いにくれるこの心を何で解き放とう? ただそれは酒ですよ!
皆さんは青々と襟を立て、私は悠々といい気分だ
ただあなたがたの為だけに、私はこうして歌ってきたのです
鹿が幼々と鳴きながら、野の蓬を食べています
私によいお客があれば、琴を奏で、笛を吹いてもてなすでしょう
その想いは月光のように明らかなのに、どうやっても手に取れません
そんな憂いは私の中から湧いてきて、断ち切ることができません
しかし、遠い道を千も越えて、無理をして来てくれた皆さんがここにいる
久しぶりに会う者同士で酒を飲み宴会をし、旧交を温め会おうじゃないか!
月は星が稀になるほど明るく、かささぎは南に飛んで行き、
木のまわりを三度も巡って、どの枝にとまるべきか考えている
山がいくら高くても構わない、海がいくら深くても構わない
周公(周の武王の弟君で辣腕政治家)は、口のなかの食べ物を出してまでお客に会ったから、
天下の名士を集められたのですよ!」

この『短歌行』は烏桓の戦いのに宴席で作られたらしいですが(定かでないのかも)、
自分の集めた文武百官をずらっと並べて、ご満悦な曹操が目に浮かぶようですなw
青々と〜の後のくだりは、良い人材に対して渇望する気持ちを詠っていて
ほとんど恋歌のような熱っぽさですw。
才能ある人物のためならば、琴を奏で笛を吹き、山を登り谷を越え食べ物を吐き出しますよ!
一人だって有能な人物を見逃したくない、世界の才能は私のもの!
そんなにして集めた皆さんが今ここに揃っていて、私はなんて幸せなんだろう!
というごきげんな気持ちが激しく伝わってきます。
満月の宴席で矛を横たえ、部下にこんな熱愛のような詩を詠み、そのあと大敗して黒焦げになる曹操が好きだw。

37 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/09(土) 03:05:36
良スレ発見!
昔あった和歌・漢詩スレ好きだったなあ。
直ぐ寂れて仕舞ったから、135さんに期待。
(*´Д`)ヨパラーイ135さんの解説で曹操テラ萌エス(笑)

38 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/09(土) 04:29:33
>>36
曹操もだが1氏のごきげんな気持ちが
激しく伝わって来る件wwwww

39 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/09(土) 09:24:26
曹操も>>1さんもテラモエスwww

ところでマジメに>>1さんに質問。
曹家や建安の七子、西晋の陸機兄弟なんかの詩を詳しく知りたいって思ったとき、
日本語の本でオススメはあるだろうか。

40 :総合スレの135:2006/09/09(土) 17:14:14
>>37-39
レスthxです……ちょwww昨夜酔っ払いすぎorz失礼しますた。
溜まってるぶんも含めて、>>33のとおり日曜の夜に(多分)まとめてレスします!

とり急ぎ、>>35-36の曹操の『短歌行』の訂正を……
(酔って書くもんじゃないなorz)。
>>36
・「酒を前にして大いに歌おうじゃまいか  →酒を前にしたら大いに歌うべきじゃないか
   (じゃまいかって、曹操たん2ちゃんねらー……orz)
・烏桓の戦いのに宴席で → 烏桓の戦いの後に宴席で
   (「後」が抜けてますた)
 つまり、この詩が207年ごろ(烏桓後、赤壁前)の宴席での作だとすれば、
エン州を奪還し、官渡・烏桓で大快勝を挙げ、連戦連勝まさに破竹の勢いで、
三公を廃し丞相に任ぜられそう(もしくは既に任ぜられている)、
曹丕さま曹植さまや曹沖君は賢い盛り、ギョウに銅雀台は造る、郭嘉もまだ生きている、と、
まさに中華統一に両手が掛かり、曹操の絶頂期だった訳ですね。
それはこんな詩も出てこようものと、容易に想像できますなw。
 ちなみに星(自分以外の群雄:孫権・馬超・劉表とか)を稀にするほど明るい月光は
曹操自身の勢力をたとえたもので、南に飛ぼうとするが寄る辺のないカササギは
長江流域でさすらう客将劉備を指している、というのがよく目にする説だと思います。

 まあ、このすぐ翌年(208年)冬には赤壁の大敗が待っているのですが……
出されたご飯は残さず食べ、転んでも黒焦げになっても歯が折れても泣かない曹操が好きですw。
では、今日はとり急ぎ……。

41 :37:2006/09/09(土) 19:55:08
訂正乙です。135さん、また酔ってレスしてホシスwww
>>40 曹操って凄いな・・・。
蜀ファンだけど135さんのお陰で曹操ファンになりそう。ww
アゲ進行忘れてたのであげます。

42 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/09(土) 20:29:45
そんなあなたに
つ出師の表

詩じゃないがこれはあり?

43 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/09(土) 21:30:45
>>42
>>20-21を読め…
1さんを泣かせちゃいけねぇ…www

44 :1/2:2006/09/09(土) 23:12:43
では出師の表書きます
長いんで前半と後半に分けて

先帝創業未半而中道崩。
今天下三分、益州疲弊。
此誠危急存亡之秋也。
然侍衛之臣不懈於内、忠志之士忘身於外者、蓋追先帝之殊遇、欲報之於陛下也。
誠宜開帳聖聴、以光先帝遺徳、恢弘志士之気。
不宜妄自非薄、引喩失義、以塞忠諫之路也。
宮中府中倶為一体、陟罰臧否、不宜異同。
若者作姦犯科及為忠善者、宜付司論其刑賞、以昭陛下平明之理。
不宜偏私、使内外異法也。

侍中・侍郎郭攸之・費禕・董允等、此皆良実、志慮忠純。
是以先帝簡抜以遣陛下。
愚以為宮中之事、事無大小、悉以咨之、然後施行。
必能稗補闕漏、有所広益。
将軍向寵、性行淑均、暁暢軍事。
試用於昔日、先帝称之曰能。
是以衆議挙寵爲督。
愚以為営中之事、悉以咨之。
必能使行陳和睦、優劣得所。
親賢臣、遠小人、此先漢所以興隆也。
親小人、遠賢臣、此後漢所以傾頽也。
先帝在時、毎与臣論此事、未嘗不歎息痛恨於桓・霊也。
侍中・尚書・長史・参軍、此悉貞亮死節之臣。
願陛下親之信之。
則漢室之隆、可計日而待也。

45 :2/2:2006/09/09(土) 23:39:02
続き

臣本布衣、躬耕於南陽。
荀全性命於乱世、不求聞達於諸侯。
先帝不以臣卑鄙、猥自枉屈、三顧臣草廬之中、諮臣以当世之事。
由是感激、遂許先帝以駆馳。
後値傾覆、受任於敗軍之際、奉命於危難之間。
爾来二十有一年矣。
先帝知臣謹慎。
故臨崩寄臣以大事也。
受命以来、夙夜憂嘆、恐託付不効、以傷先帝之明。
故五月渡瀘、深入不毛。
今南方已定、兵甲已足。
当奨率三軍、北定中原。
庶竭駑鈍、壤除姦凶、興復漢室、還于旧都。
此臣之所以報先帝、而忠陛下之職分也。
至於斟酌損益、進尽忠言、則攸之・禕・允之任也。
願陛下託臣以討賊興復之効。
不効、則治臣之罪、以告先帝之霊。
若無興コ之言、則責攸之・禕・允等之慢、以彰其咎。
陛下亦宣自謀、以諮諏善道、察納雅言、深追先帝遣詔。

46 :訳1/2:2006/09/10(日) 00:08:57
意味の前半です

先帝におかれては、天下統一の大事業の半ばでお亡くなりになりました。
今、天下は三国に分裂し、わが益州は国力が衰え、存続できるかの瀬戸際にあります。
しかし、内では文官達が政務に励み、外では武官が死を賭して働いているのは
先帝から受けた御恩を陛下(劉禅)にお返ししようとしているからにほかなりません。
よって陛下は、臣下の進言を良く耳を傾け、先帝の遺徳を輝かし、
臣下を励ますべきであり、軽薄な言動をもって忠臣の諫言に耳を塞ぐべきではありません。
朝廷と幕府は一体であり、賞罰を行うのに不公平があってはなりません。
もし法を犯した者・忠義の行いがあった者がいれば、
それぞれの役所に命じて、適切な賞罰を行い陛下の厳正公平なことを
天下にしめすべきであり、私情をもって法を曲げるようなことはなりません。

侍中・侍郎の郭攸之・費禕・董允らはみな誠実で、忠義の厚い者たちです。
それで先帝も彼らを抜擢し、陛下の相談役として遺されたのです。
宮廷のことは何事も彼らに相談した上で施行すれば、
まず間違えることはなく、民生の安定に役立ちましょう。
将軍の向寵は温和な性格で、軍事に精通しております。
かつて先帝に採用されたさい、有能であると高く評価され、
それで皆から推され督に就任したのです。
軍事のことは何事もかれに相談して施行すれば、必ずや三軍互いに協力し、
将兵にその力を十分に発揮させることがでしょう。
賢臣を重用し、つまらぬ者を遠ざけたのが前漢興隆の所以であり、
つまらぬ者を重用し、賢臣を遠ざけたのが後漢衰退原因であります。
先帝がご存命の時、ことあるごとに私とこのことを論じ、
そのたびにつまらぬ者を重用し、賢臣を遠ざけ、国を衰退にみちびいた
桓・霊帝のために痛根し、嘆息したものであります。
先にあげた者たちはすべて誠実で忠義な者達であります。
彼らを信頼し、重用されれば、わが漢朝の興隆は疑いありません。

47 :訳2/2:2006/09/10(日) 00:43:27
私はもともとただの平民で、南陽で畑仕事をしていた者です。
この乱世に生まれ、一生無事に過ごすことが出来れば何よりと思い、
諸侯の間で名を馳せようとは考えてもおりませんでした。
しかし、先帝は私ごときのために、わざわざ三度までも我が家をお訪ねくださり、
天下の形勢についてご下問くださいました。
私はこれに感激し、先帝にお仕えすることを誓ったのです。
その後、荊州陥落と当陽での敗戦という切迫した情勢のなかで
軍師の大任を拝命して以来、早くも二十一年になります。
先帝は私が慎み深いのをよくご承知で、崩御される際、
私に天下平定の大事業を成し遂げるようお託しになりました。
以来、そのご遺命にたがわぬよう、日夜心をくだいてまいりました。
それで、五月に濾水を渡り、瘴癘の地に遠征いたしました。
いまや、南方の平定も終わり、軍備も充実した上は、
まさに三軍を率いて中原を平定いたすべきであります
微力をつくし、敵を討ち滅ぼし、漢皇室を再興して旧都洛陽に帰還したく、
これこそ先帝の御恩に報い、陛下に忠をつくすために私がなすべき本分であります。

利害得失を考慮して、忠告し進言するのは、郭攸之・費禕・董允の任務であります。
私にはなにとぞ魏を討伐して漢室を復興する責任をお任せください。
もし成果を挙げることができなかったときは、私の責任を問い、
先帝の霊前に報告なさってください。
もし治世に有用な進言がなされないときは、
郭攸之・費禕・董允の怠慢を問い、その罪を明らかにしてください。
陛下におかれましてもよく熟慮のうえ、臣下に治世の道をお尋ねになり、
正しい言葉をとりあげ、先帝の遺詔をよくよく思いだしてください。

私はご厚恩をこうむり、感謝にたえないものであります。
いま、出陣にあたり、この上奏文を前にして涙が流れ、申し上げる言葉を知りません。



以上です

48 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/10(日) 01:31:36
あげますよ
>>44-47
出師の表乙!さすがに名文だ。・゚・(ノД`)・゚・。
劉禅だって泣くね…

49 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/10(日) 01:39:47
劉禅説教されてる。・゚・(ノД`)・゚・。

50 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/10(日) 04:05:37
>>44-47
GJ!!解説も是非キボン
俺も理系だけど、高校大学漢文ノータッチで
三国志ヲタだと思っていたが、文学的側面から見るのは新鮮だ。
曹操とか詩から解釈すると別の面が見れるね

51 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/11(月) 03:08:47
1さんまた寝ちゃったのかな・・・・w

52 :135:2006/09/11(月) 05:06:31
ご、ごめ……つい呑み過ぎて卞喜殿と仲良しに(ry
出師表vrythxです(ry
今夜(ry

53 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/11(月) 11:05:32
>>50
私も理系ですww
解説ってなに書きゃいいんだか・・・

出師の表は227年、第一次北伐の前に上奏され、
後に「これを読んで泣かざるは人にあらず」と評された名文です。
前半で皇帝の心得と北伐中の留守を任せる者たちについて、
後半で自らについて言及し北伐の決意を述べています。

荊州を失い、夷稜で大敗し、蜀は弱体化していますが、
幸い、文官・武官ともに優秀な人材がそろっています。
陛下には良き人材を重用し、民を安寧に導いていただきたい。
私は魏を討伐し、漢皇室を復興してまいります。

と述べていますが、ほんとは関羽・張飛・馬超・黄忠といった武官や、
馬良・法正・糜竺といった文官を次々と失い、人材面でもかなり苦しかったはずです。
それでもなお、蜀は北伐をせねばならない!それが私と先帝との約束なのだ!
という諸葛亮の胸中が伝わってきて・゚・(ノД`)・゚・

ちなみに三顧の礼の出展でもあります

54 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/11(月) 13:28:54
>>53
GJ!!やっぱ本人が書いた文章は
人を表すつーか、生で伝わる気がする…
孔明。・゚・(ノД`)・゚・。

>>52
卞喜殿てwwww大丈夫か?

55 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/11(月) 16:47:49
意外と理系多いね!
白文読み下す作業好きなんかなwww

56 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/11(月) 18:57:57
あげるよ!

57 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/11(月) 22:03:21
卞喜>>1さんまだー?

58 :総合スレの135:2006/09/11(月) 22:52:41
大変お待たせ(ry 今日はまだ卞喜さんとは(ry
自分が全レスしたほうがいいのか分からないので、アレだったら教えて(ry

>>27
赤ちゃんスレ読みますた! 子建さまテラカワユス(*´Д`)ハァハァ
『白馬篇』などを詠んでた頃の曹植は、順風満帆の貴公子といった雰囲気ですね。
『雨に喜ぶ』はかの『朔風』と同じ時期の作らしいというのが驚きです。
『白馬篇』の勢いに溢れる公子の姿はない代わりに、
詩聖と言われるだけの、数学的に洗練された美しい情緒がありますな。
彼は辺境の王に封ぜられても、いつも国民を見て思っていたんだね。

>>29
レスthxです! 皆さんの解説はほんとに勉強になります。

>>30
なるほどー。thxです。曹丕も立場上、ノブレス・オブリージュというか
どうしても護らなくてはいけないことが多かったのでしょうね。
乱世が明けたとは言えず、蜀の北伐や呉との国境もすっきりしないときに、
人気のある皇位継承者を担ぎ出す家臣のせいで
国政を騒がせるわけにはいかなかったのは、容易に想像ができますな。
若い頃の二人の公子の仲良しな作が好きな自分としては、
子桓さまはいい兄貴であって欲しいです。ツンデレでもいいからw
最近の研究ではそっちが主線らしいですね。よければもっと教えて下さい!

59 :総合スレの135:2006/09/11(月) 23:26:54
>>31
多分正解(ry

>>32
子建さま(;´Д`)ハァハァハァハァl \ァ l \ァww

>>33
對酒當歌(ry

>>37
http://curry.2ch.net/warhis/kako/1019/10195/1019584124.html
これでしょうか? こないだ読んだけど、仲達のポエムに感動(ry

>>38
満酌須べからく辞さず(ry

>>39
単位交換で教わっていた某大の漢文の教授によれば
今のところ(数年前)、そういう本はないそうです。orz
日本語の本だと、>>11さんも出している『曹植』(伊藤正文注、岩波書店)が
一番読みやすいしオススメでしょうか?
あとは、いま手元にあってアマゾンにも載ってるぶんだと(あんまりなくて済みません)、
岩波文庫から松枝茂夫先生の『中国名詩選』、
ちくま書房から吉川幸次郎先生の『三国志実録』、
朝日文庫から入谷仙介先生の『中国古典選(上下)』
集英社から内田泉之助先生の『古詩源(上下)』(これはオススメ)など?
あと、ほとんどの図書館には平凡社の『中国古典文学大系』がありますよね。
http://www.frelax.com/sc/ 中国語だと、こんなのもありますが
繁字の本ならばかなり読めますお。また引越し荷物を発掘して(ry
あと、ご存知とは思いますが http://mujin.parfait.ne.jp/ こんな便利なところも。

60 :総合スレの135:2006/09/11(月) 23:42:37
>>41
蜀の人だと、馬超伝の「馬岱をよろしく……」っていうところが好きです。

>>42
う(ry

>>43
thxです。・゚・(ノД`)・゚・。

>>44-47
出師の表thxです! >>53宛てにまとめてレスを(ry

>>48-49
。・゚・(ノД`)・゚・。

>>50
生の文章は、まるで昔の中国人が目の前で息をしているようですよね!

>>51
卞喜殿(ry

>>53
解説乙です! 劉禅……孔明を泣かせちゃいけねぇよ・゚・(ノД`)・゚・
ちなみに、状況や相手がまったく違うのですが、自分はいつもなんとなく
>>21-22と『出師表』を比べてしまいます。
『今天下三分、益州疲弊、此誠危急存亡之秋也』と
『天下之事、未知終始、此朝士干食之秋』のフレーズが似ているからだけかも知れませんが……w
でも、この二編の文章は、同じく自分の国家に対する想いを抱いていた
二人の軍師の、性格や土地柄・人間性の違いが現れているなぁ……と思ってしまいます。

ちょっとだけ補足するならば、この有名なほうが『前・出師表』で、
228年の北伐に際した『後・出師の表』が(ry これまた長い(ry

61 :総合スレの135:2006/09/11(月) 23:52:39
>>54
まったくその通りだと思います。卞喜さんは(ry

>>55
白文を下すのも好きですが、自分はいい漢文の堅素で数学的な美しさが好きです。

>>56
age乙です!

>>57
大変お待たせ……卞喜さんは(ry

【今のところ、まだうpしていない/うp途上の宿題】
(どなたかうpして下さるの歓迎(ry)

・上文帝誄表(曹植)
・王サンの賦(王粲)
・曹叡の作品
・曹丕の葡萄の評
・請祭先王表(曹植)
・曹家や建安の七子、西晋の陸機兄弟なんかの詩を
 詳しく知りたいって思ったとき、 日本語の本でオススメのやつ
・後・出師表                                   //

62 :総合スレの135:2006/09/11(月) 23:54:49
ごめん、>>59>>33>>34の間違い(ry

63 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/12(火) 00:43:38
>>60
>でも、この二編の文章は、同じく自分の国家に対する想いを抱いていた
>二人の軍師の、性格や土地柄・人間性の違いが現れているなぁ……と思ってしまいます。
ほんとにそうだね。そんな見方もあったんだ・・・・
新鮮な視点から見れるのが、文学スレの醍醐味だね。1さんGJ!!!!

64 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/12(火) 05:03:03
>詩聖と言われるだけの、数学的に洗練された美しい情緒
>いい漢文の堅素で数学的な美しさ
詩にこういう形容初めて見た。さすが理系の人W
1さんが言いたいこと凄く分かる。

出師の表の人もGJ!!名文て言ったらまずこれだな。

65 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/12(火) 07:23:31
卞喜さんとは何ぞや??

66 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/12(火) 14:00:08
リバース?www
age

67 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/12(火) 19:20:48
卞喜=toiletか!いまきづいた!
ちーちゃんも二日酔いとかなったんかな?

68 :総合スレの135:2006/09/13(水) 01:50:56
子建さまの文帝誄発見ヒャッホウヽ(・∀・)ノ
……改めて読んだら、涙と鼻水が流れ落ちて。・゚・(ノД`)・゚・。(ry
長いので、今週中ぐらいにうpします(多分)。

ところで今気づいたのですが、>>45さんの『前・出師表』の最後に
「今当遠離、臨表涕零、不知所言
 (今遠く離るるに当たり、表に臨みて涕零し、言う所を知らず)」を加えて頂(ry

>>63
諸葛亮はアグレッシブで、周瑜は普段は落ち着いた人だったような気がします。

>>64
出師表はまさに名文ですね。こんなに孔明先生を悩ませる劉禅なんて(ry
孔明先生といえばということで、梁父吟をうpしておきます。

『梁父吟』 作者不詳
歩して斉の城門を出で  遥に蕩陰の里を望む 
里中に三墳有り  塁塁として正に相似たり
問う是れ誰が家の塚ぞ  田疆古冶氏
力を能く南山を排し  文を能く地紀を絶つ
一朝 讒言を被りて  二桃 三士を殺す
誰か能く此の謀を為せる  国相斉の晏子なり

69 :総合スレの135:2006/09/13(水) 01:52:12
>>68の意味は(適当ですお)、
「梁甫(地名)の歌;
斉の城門を歩いて出て、遠くに蕩陰(地名)の村を眺めると
そこにお墓が三基あります 並んで立ち、よく似ています
これはどちらのお墓ですかと聞きました
これが有名な公孫接・田開彊・古冶子のお墓です
三人は南山を動かすほど力が強く、
大地の四隅を繋ぐ紐を切るほど学問もできる人たちでした
ところが、ひとたびでまかせを言われ、二つの桃が三人を殺しました
誰がこんなはかりごとをしたのですか? それは斉の宰相の晏嬰です」

孔明先生は、この歌が好きでよく口ずさんでいたと蜀史に書かれています。
晏嬰は春秋時代の斉の宰相で、身長六尺に満たないものの(三国時代の誰かのようだ……)
三代の君主に仕え、よく諌言をし、国を立派に治めた人気のある名政治家です。
その晏嬰はあるとき、力が強く頭もいい三人の勇士が威張っているのを侮りがたく思い、
二つの桃を用意して、三人に「何の功績でこの桃を食べますか」と問いました。
前者二名が桃を食べ、それぞれの武勲を言いましたが、
古冶子は「自分は黄河の主の大亀を捕らえた」と言ったので、
二名は自分達の功績が古冶子に及ばないのに桃を食べたことを恥じて自決し、
古冶子は二人が死んでなお生きている自分を恥じて後に続きました。
こうして、二つの桃だけで三人の勇者を殺した晏嬰の歌なのですが、
これが「晏嬰ってそんなことでずるく人を殺すなんて陰険な奴!」という話なのか
「桃だけで三勇士を排除した晏嬰って頭いい! すごい!」という解釈なのかは
自分はよく知りません。何となく、孔明先生は後者ではないかな……と(ry
 とにかく、曹操に故郷を蹂躙され兄と別れ、こんな歌を歌いながら畑を耕しつつ
密かに智謀を練っていた(言いすぎか)先生は、ある日劉備に拾われたのでした。

70 :総合スレの135:2006/09/13(水) 01:54:09
>>69に補足ですが、『梁父吟』は孔明先生の作だという説もあるそうです。

>>65
関羽に斬られた(ry

>>66
関羽(ry
ちーちゃんは、従軍する日に二日酔いでどうたらってのがどこかに載ってましたね
(魏書?)。後で捜してみます。二日酔いって辛いよね(自業自得)。
それも曹操の期待を削いで兄と争わないようにする、彼なりの演出だったのか……
なんとなくですが、そこは素なような(ry

71 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 03:26:23
良スレあげ
1さんGJ!!!!最近毎晩このスレが楽しみ。

72 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 07:28:34
>>1さんなりの三曹ひとりひとりの印象というかイメージが聞きたい


73 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/13(水) 15:40:55
さっき個人情報スレでorzしてたよねwwwww

74 :135:2006/09/14(木) 00:22:20
>>71
thxです! 毎晩はアレですががんがるよ。
皆さんのうpも期待(ry

>>72
曹操ヽ(`Д´)ノ 曹丕(*゚∋゚) 曹植(*´Д`)

……済みません冗談です。
いま携帯なので、また今度(ry
でも、誉め称える形容詞の羅列になりそうでハァハァ(ry
皆さんのイメージも聞いてみたいです。

>>73
ばれた。昼休みに携帯(ry

75 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/14(木) 11:32:30
>>74
ちょwwwww三曹wwwwww

76 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/14(木) 21:36:14
曹植たんはうんこするよ。>個人情報スレw

77 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/14(木) 22:29:45
主旨がズレてきてるな

78 :50:2006/09/14(木) 22:56:39
1氏を応援したい気持ちは在るが
書ける知識がある人が少数なのでは?
かくいう俺も漢文なんぞ高校でやったきり。

既に何人かがコメント済みだが、
1氏の良い処は、独特のセンスもだが
例え専門家でなくとも、或る程度の知識を元に
歴史上の人物の手に直接なる作品を読んでいる為に
人物像の解釈が非常に生々しい処だと思った。
文官等、「他人の手に拠る史書」読者・
「史書を元に想像で描いた歴史小説」読者とは視点が異なる。
故に72氏のような質問が出るのだろう。
72の答えは俺も期待している。

過疎るよりは2ちゃんらしく微笑ましい雑談も
挟んで盛り上げて行きたいな。頑張れ1氏。

79 :総合スレの135:2006/09/15(金) 00:57:54
>>75
冗談ですお……

>>76
子建さまは(ry

>>77
ごめん、冗談がすぎますた。

>>78
フォローthxです! 今日はもうすでに杜康の徒なので(ry
とりあえず、週末ぐらいに曹植の『文帝誄』をうpします。
……自分は有名な三国モノ(吉川・北方先生などの小説とか、横山・蒼天航路などのマンガ)を
読んでいなくて、ゲームもしないので、視点がズレているだけのような気もしますorz
皆さんの三曹や三国人物のイメージも聞いてみたいです。
>>72さんの質問の答えを考えてみたのですが、文章力不足でうまく纏められないので
とりあえず三曹の作品をポコポコとうpしながら解説(偏見)していって、
このスレが終わるころには人物像がなんとなく形になっていればいいかな……と(ry
せっかくリクエストして頂いたのに済みません。
>>30さんや>>44さんのような解説はすごく勉強になりますが、
感想やageも、一緒に作品のよさを分かちあえたみたいで嬉しいです。
毎晩はちょっと無理ですが、一人で本を肴に晩酌より楽しいのでがんばりますお!

80 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/15(金) 01:42:53
気楽に行こうぜ〜
1さん・他の人の解説・雑談含めて楽しみにしています。

81 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/15(金) 02:26:46
良スレハケーン
>>3-6
個人的にこれ好きなんで嬉しい(*´Д`)
宴の主催者をヨイショするのはお約束だったのかもって説はさておき、
美しい景色を見て、曹丕は儚い人の命のなかせめて長く、って感じなのに対して
こんな素晴らしい時がいつまでも続くよ、な曹植。
性格の違いを感じるとともに繊細な兄を励ます朗らかな弟…といった印象を受けますな。

自分は曹丕好きなんだけど、曹丕は曹操とか曹植の詩と比べたときに感じる繊細さとかダークさが好き
そんな感じで曹丕の短歌行が一番好きだ。

82 :135:2006/09/15(金) 17:39:15
>>80
thxです! 自分も皆さんの書き込みに期待(ry

>>81
あれ? これは自分が酔っ払って、寝てる間に夢遊病のように書いたレス??
……そんなワケないですなww
自分も曹丕の『短歌行』には非常に惹かれます。
今夜は寝ようと思ってましたが、何だか大変嬉しいので
深夜に『短歌行』うpします。

83 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/15(金) 20:42:16
良スレ発見!!!
昔のノートを出してきた。
>>35「山は高きを厭わず  海は深きを厭わず 」は
1.どんなに高い山でも深い海でも、それを嫌がらず
 私は友を探し求める。
2.山は高ければ高いほどよい。海は深ければ深いほど良い。
 人は優れていればいる程良い。(有能な人材)

と解釈が分かれるそうだ。
1さんや他の人の書き込みに期待。頑張れ。


84 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/15(金) 22:54:59
あげますよ

85 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/15(金) 23:29:01
これは自分の解釈でなくて陳舜臣氏の三国志にあったものですが
その本での「短歌行」は赤壁前夜、将兵を鼓舞するために
曹操が歌にしたとありました。

敵を目前にして虚無的なムードで唄いだし
その後で「青々たる」で才能を求める曹操の恋歌じみたトコで
兵士各人にそれぞれ想う人を思い出させ、一転
「山は高きを厭わず 海は深きを厭わず」ときて
曹操は人材を求めている、諸君の力を見せてくれ、
(手柄をたてよ、手柄をたてよ)と歌い上げたと書いてました。

これ読んで漢詩に興味持ったです

86 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/16(土) 00:34:42
曹植タンの詩を投下してみる。

「七哀詩」 曹植
明月高楼を照らし、流光 正(まさ)に徘徊す。
上に愁思の婦あり、悲歎して余哀あり。
借問す「歎ずるものは誰ぞ」
言う「是れ宕子(トウシ)の妻なり。」と。
「君行きて十年を越え、孤妾 常に独り棲む
 君は清路の若く、妾は濁水の泥の若し。
 浮沈 各(オノオノ)勢を異にし、会合 何の時に諧(カナ)はん。
 願はくは西南の風と為り、長く逝きて君が懐に入らん。
 君が懐 良(マコト)に開かずんば、賤妾 当(マサ)に何にか依るべき。」


87 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/16(土) 00:48:25
(意味は適当。)

明月は高楼を照らし、月の光はさまよう。
楼上に愁いに沈む女あり、嘆いて尽きぬ悲しみがある。
ちょっとお尋ねします。「嘆いているのは誰ですか。」と。
(女が)言う「旅人の妻です」と。
「あなたが行って十年を越え、私は常に一人で棲んできました。
 あなたは清らかな路の塵、私は濁水の泥のようだ。
塵と泥は元が同じ物でも、浮(夫のこと)と沈(妻のこと)は状況が異なり
再会は何時かなうのだろうか。
せめて西南の風と為って、遠く行ってあなたの懐に入りたい。
あなたが懐をもしも開いてくれないなら、
賤しい私は何を頼りにしたらいいのか。(何も頼るものがない。)」

曹植タンの「洛神の賦」が一番好きだが、
あまりの長さにうpを断念。

88 :総合スレの135:2006/09/16(土) 02:09:33
いっぱい解説が! 皆さんthxです! ワーイ!!11!

>>83
なるほど〜! 1しか思いつきませんでした。
「山より高く海より深い才を求めた」というのも、『魏書』郭嘉伝の
「自若とした郭嘉と謹厳な陳羣の両方を重用した」という話のようで、とても曹操らしいですねw。

>>84
あげthxです!

>>85
なるほど〜。自分は三国志小説を読んだことがないので、とてもためになります!
赤壁前夜だと、「惜しい哉奉孝」の郭嘉や愛息曹沖君を亡くして日も浅く、
また曹操のイメージが少し変わってきますね。
しかし、百万の自軍を前にして矛をおろし歌う英雄という図は、とても絵になりますなw。
ただ、「鹿が幼幼と鳴いて」いるのが気になりますね……
藤原長家ではないですが、鹿は秋に鳴くという話を聞いたことがあるので、
真冬の赤壁で鹿が鳴き蓬を食むというのは……中国の鹿は種類が違うのかも??

>>86-87
ワーイ子建さまだ。thxです!
『七哀』は美しいですね。何も言うことがないほど美しいです。
王粲の『七哀』は乱世の不幸や苦労がありありと伝わってきますが、
曹植たんの手にかかると、「七つの(多くの)哀しみ」までがひたすら美しいですな。
「洛神の賦」は自分も大好きです。ファンタジー! ……確かに長すぎ(ry

89 :総合スレの135:2006/09/16(土) 02:35:19
>>81さんの曹丕の『短歌行』をうpしておきます。

『短歌行』 曹子桓

仰いで帷幕を瞻る  俯して几筵を察る
其の物は故の如く  其の人は存ぜず
神霊は倏忽とし  我を弃てて遐遷す
瞻るを靡き恃むを靡く  泣涕 連連たり
幼幼として鹿遊び  麑は鳴き草を銜み
翩翩たる飛鳥  子を挟み巣に棲まう
我は孤り煢独  此の百離を懐う
憂心 孔だ疚ましく  我を能く知る莫し
人 亦言うに有りて  憂いは人を老わしむ
嗟 我が白髪  生ずること一に何ぞ早き
長吟 永歎し  我が聖なる考を懐う
仁者曰く寿なり  胡ぞ是れを保せざる


>>88
意味は(適当ですお)……
「顔をあげて帷幕を眺め、うつむいて机と筵を見る
それらの物はかつての通りだが、その人はいない
魂はたちまちのうちに、私を棄てて遠くへ去って行った
見ることもできず頼むこともできない 涙が連なるばかり
鹿が鳴きながら遊び、小鹿は草を食んでいる
鳥はかろやかに飛び、ひなを挟んで巣に入っている
私だけが身寄りもなく この遠い距離を懐っている
人は「憂いは人を老化させる」と言うが
ああ、私の白髪が生じるのの何と早いことだろうか
声を引いて吟じ、嘆息し、私の偉大であった父を思う
立派な人は長生きをすると言うが、なぜそうはならないのか」

90 :総合スレの135:2006/09/16(土) 02:56:04
 この曹丕の『短歌行』は四行詩で、明らかに曹操の『短歌行』を踏まえていますね。
 曹丕は、220年1月に曹操が没した後の同年10月に禅譲を受け、皇帝に即位するわけですが
この詩は父王である曹操の死を悼んでつくられたものだそうです。
 これは個人的な見解ですが、弟である曹植の詩が天衣無縫な燦然たる宝石のようであるのに対し、
曹丕の作品は整然と理知的であり、曹植の作は彼の素直な感情の美しさに輝くのに対し、
曹丕のそれは冷静な落ち着きに整えられているように思えます。
 同じ嘆きの詩でも、曹植の嘆きはその素直な美しさから
人に手を差し伸べたくさせ、その心情には悲しみを豊かに感じ表現できる豊穣さがあるのに対し、
対する曹丕の詩は、ある意味で芥川ばりに(逆かw)内省的だと思えます。
その動きのない抑えた哀悼は、人が足を彼さえ把握できないその闇の深さの前に止めてしまうような、
背筋の凍るような怖ろしいまでの悲哀、すべてが硬直したような心情の脆さがあると思います
(そういう意味では、曹植たんは曹操似だなぁと(ry)。
 『世説新語』などには魏文帝について随分アレなことが書かれていますが、
こんな詩をつくる曹丕なので、人を選ぶというか一筋縄ではいかないというか、
ある意味誤解されやすい、ひねくれた(うまい言い方が思いつかなので済みません)人だったのかな……と(ry
奇譚集のようなものを編纂したり、数々のひねくれたエピソードなども
「ああ、分かるー!」という感じではないかと思います。
 そういうわけで、この曹丕の『短歌行』はかなり好みが分かれる作品だと思いますが、
自分はこの作とひねくれ子桓さまが、なんだか物凄く好きで(ry。

※ところで、この詩が曹操の没後わりとすぐに詠んだ作品ならば、
鹿は秋でないのに鳴いていますね。やっぱり中国の鹿は(ry

91 :総合スレの135:2006/09/16(土) 03:00:48
補足ですが、曹操を悼むこの曹丕の『短歌行』に対して
曹植の『武帝誄』があって、これを比較すると兄弟の性格の違いがここにも(ry
しかしこの『武帝誄』はやたらと長く、自分は『文帝誄』もいまだうpしていないので(ry

92 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/16(土) 03:11:35
みなさん、1さん、乙!!
鹿か。生物板あたりで聞いてみる?

陳舜臣氏は小説家だから
盛り上げるためにちょっと前夜とか脚色があるかもしれないよね
烏丸〜赤壁は207年〜208年冬の僅か一年たらずの間で
曹操の「短歌行」その間の作だから、秋だったのかもしんないね。

93 :総合スレの135:2006/09/16(土) 03:49:41
フロ入ったお!

>>92
なるほど〜。週末でも、鹿について少し調べてみますお。

>>89に補足というか、意訳の下から五行目(「私だけが身寄り-「人は「憂いは)の間に
「心の憂いはまるで病気のように疼く この私の胸中を知るものはいない」
を追加してくださいorz。おやすみまさい。

94 :総合スレの135:2006/09/16(土) 04:18:07
さらに補足訂正
>>89
×仁者曰く寿なり→◎曰く仁者は寿なり
>>90
四行詩→四言詩

なんか色々違うかもしらません、ごめんなさい。
酔っ払ってレス(ry

95 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/16(土) 13:28:27
251 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2005/12/24(土) 23:31:34
http://www.lingshidao.com/gushi/caorui.htm

こんなん見つけた
曹叡も詩書いてたのか
批評したいが漢字難しくて読み下せん

96 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/16(土) 14:25:20
重くて見られないんでコピペよろしく

97 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/16(土) 14:30:12
ウホッ、大量投下乙!!!!
連休、住人お勧めの「曹植」を読んでみる。
難しいけど人物像を直接感じてみたい
頑張るよ!

98 :81:2006/09/16(土) 14:48:01
短歌行既にキテルー!!1さんありがとう!!
>>90
激しく同意。
個人的に、曹操や曹植の作と読み比べた時に
曹操は雄大さというかスケールの大きさから、
曹植はその素直な感性やのびやかさから、
詩に織り込まれている美しい自然に自分も溶け込んでいくような、
自然と人は繋がっている感覚があるのに対し
曹丕の場合、偉大な自然と小さな個の明確な境界線みたいなものを感じます。
孤独の上に彼の詩は成り立っているような。あくまで個人的印象ですが。

自分が短歌行が好きな理由は、その孤独感がストレートにこっちを抉ってくるから。
あとは、彼のこれまでとこれからの人生を象徴しているようなフレーズに溢れているからでしょうか。

血縁者はまだいっぱいいるのに
曹丕は「我は孤り煢独(私はひとりぼっちだ)」と言う。
父とは折り合いが悪く、兄弟を遠ざけ、母にそれを非難され、妻に死を賜り、子にそれを恨まれる。
仲の良い鹿の親子を引き合いに出していますが(鳴き声は盲点でした、どうなんでしょ?)
鹿といえば、やっぱり曹叡との例のアレ。
狩りで母鹿を射る曹丕。母を殺された身の自分と重ね、子鹿を殺せないと言う曹叡。
しかしその曹叡もいつか自分の妻を殺してしまう…因縁めいた悲しみを感じます。

99 :81:2006/09/16(土) 14:50:18
文武百官がかしずいていても、
「我を能く知る莫し(私のこの悲しみをわかってくれる者はいない)」。

この短歌行、自分の詩才だって父に負けてないよ!ってノリで作ったって解釈もあるでしょうが
(実際、『短歌行』を題材にしてる時点でコンプレックスみたいなのはバリバリ感じますし)
自分は曹丕は本当に曹操の死が悲しかったんじゃまいかと思います。

後継者に指名されてヒャッホーって抱きついて喜んだり
曹操の死後メソメソしてて司馬孚に怒られたり、
激しい感情のうねりを覗かせるエピソードも結構多い曹丕様。
上に立つものとして冷静に、理知的であろうとする彼の中に渦巻く感情、
彼の詩にはそれがちらちら見える気がします。
父の死を「我を弃てて」と表現する、どこか大人になりきれていないような脆さ、
大勢の人の中だからこそ痛々しく響く「我は孤り煢独」、「我を能く知る莫し」。
…切ない。

長文スマソ。嬉しさと思い入れのあまり書き殴ってしまった。
1さん改めてありがd。


えーと一行でまとめるとぴぃ様(;´д`)ハァハァ

100 :135:2006/09/16(土) 18:20:06
わーい皆さんthxです!
いま携帯なので(ry
今夜は帰れないので、自分は明日夜まで(ry
構わずどんどんスレを進めて(ry

ではまた(*´Д`)ハァハァ

101 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/16(土) 21:31:40
みんなGJ!!!
>>86-87 解説も是非キボン!!
曹植タンが街の女の人に会った話し?

102 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/17(日) 01:36:39
曹操=cao cao
曹丕=cao pi
曹植=cao zhi
曹叡=cao rui
でぐぐると英語の資料も結構出てくるね。
中国人が訳したのだと意味が分かっていいかも。

103 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/17(日) 02:17:41
漢文もワカンネけど英語もワカンネllllorzllll

104 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/17(日) 05:16:24
>>96
コピペしようとしたら見れない字が一杯だったOTL

105 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/17(日) 20:54:10
日曜は人いないなぁ…

106 :総合スレの135:2006/09/18(月) 06:47:06
済みません、昨夜は熟睡(ry 連休なのに雨ですお……orz orz orz

>>95
おおー、thxです! ……自分は簡字が読めず(ry orz
手元の曹叡たんの繁字テクストを幾つか発掘したので、後ほどうpします!

>>96
トライしましたが、なぜか字が「??」になってしまうのが多くorz
PCに詳しい方の降臨を(ry

>>97
皆さん投下thxです!!!!11!
『曹植』はマジでおすすめです。曹植たんの写真がナイスだと思います(ry

>>98-99
たしかに、父王曹操の死後おもむろに、父の最も名高い詩作を踏まえて同題を詠むというのは
ひねくれ感と共に、偉大な父を失った曹丕の空虚な解放を思ってしまいますね。
特に、彼の作に多く見られる理知的な引用をどかした
「仰瞻帷幕 俯察幾筵 其物如故 其人不存
神霊倏忽 棄我遐遷 靡瞻靡恃 泣涕連連
……我独孤煢 懷此百離 憂心孔疚 莫我能知……」の部分だけを見ると、
クラシカルな四言詩に託したこの彼の哀悼は、その洗練された繊細な感情表現が
土臭さい土台に載せらているが故に、生々しくぞっとさせられる程ですな……
自分は曹植の美しい感情の発露が煌めくどの悲しみの詩よりも、
ある意味ではこの曹丕の『短歌行』の抑えた救いのない闇に、心を抉られるような思いをします。
※こんどはもっとご機嫌子桓さまの作もうpします(ry

>>101
ごめん、よく知りませんです(ry orz 自分も解説キボンです!

107 :総合スレの135:2006/09/18(月) 07:02:07
>>102
情報thxです! ピンインはなんか可愛いですね。
曹植たんをぐぐったら、トップにきたWikipediaの『三国志演義ポートレート』が衝撃(ry
試しにCao Cao氏の"The Short Song"を調べてみたら、解釈はやっぱり
>>83さんの1と2が両方ありますね。時間があるときに、いろいろ見てみます!

>>103
自分も辞書がなければワカンネorz

>>104
同じく(ry

>>105
板じたいが過疎っている気が(ry

ネタふりとして、曹叡の詩を一篇うpしておきます。

『燕歌行』 曹元仲

白日は忽ち宛宛と西に傾き
霜露は惨凄として階庭を塗る
秋草は葉を巻き枝茎を摧く
翩翩たる飛蓬 常に独り征く
遊子に似て安寧にあらず

意味は(適当です)
「明るい太陽はたちまちのうちに西の空に沈みかかり、
霜と露がいたましくきざはしの前の庭を覆い濡らします
秋の草は葉を縮れさせ、枝や茎を曲げ衰えています
蓬はいつもひとりで飛ぶように転がっていきます
まるで旅人のように安らかに落ち着きません」

108 :総合スレの135:2006/09/18(月) 07:21:46
>>107
この曹叡の『燕歌行』は、いつの作か自分はよく知らないのですが、
黎明期の七言詩であり、父帝曹丕の同題の作を踏まえています。
曹叡は曹丕の作を踏まえたものとともに、叔父である曹植を踏まえた作も多く詠んでいます。
晩年に痩せ衰えた叔父を心配してくれたり、叔父の没後はその名誉を回復させ
作品を集めたりと、史実にも叔父びいきの甥だった記述が多くあります。
曹植もこの甥を頼りにしていたようで、何くれとなく手紙をしたためていますね。
建安文学を読んでいると、飛蓬といえば曹植、と条件反射のように連想してしまいますが、
この作が叔父のことを留めてのものかは、自分はよく知りません。

今夜ぐらいに、もう少し曹叡たんの作をうpしてみます
(とりあえず、『短歌行』と『種瓜篇』をやってみます)。

109 :総合スレの135:2006/09/18(月) 07:35:52
ゴメン、>>107の下二行があまりにも変ですたorz

×蓬はいつもひとりで飛ぶように転がっていきます
 まるで旅人のように安らかに落ち着きません

→◎蓬はいつもひとりで飛ぶように転がっていき、
 まるで旅人のように安らかに落ち着くことがありません

……あんま変わんないかorz

110 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/18(月) 08:43:00
曹叡の詩初めて読んだ。1さんGJ!!!!
感想しか書けないので、せめてあげておきます・・・・

111 : ◆XoQX5vgfQU :2006/09/18(月) 09:52:13
1さん乙!同じく雨で連休雨でorzだったから
気が早いが勝手にまとめブログ作ってみた。
http://blog.livedoor.jp/sangoku_bungaku/

訂正のやつはなるべくしたけど見落としあるかも。
いちおトリ付けとくから何かあったら呼んで下さい。

112 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/18(月) 11:53:07
魏武注孫子も文学に入るかな?
素の曹操が出ててかなり好きなので、まとめてみようかなと思ってる。

>>111
スバラシー!!

113 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/18(月) 14:32:38
>>111
仕事Haeeeeeeeeeeee!!!!!!!!!記念あげ!!
>>112
読みたいです!!!!!ヽ(´∀`)ノ

114 : ◆XoQX5vgfQU :2006/09/18(月) 18:59:44
111です。
ブログだと異常に見づらいのに気付いて移動しました

http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/

手抜きですいません。

115 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/18(月) 19:08:22
手抜きじゃないよ!!!111さんGJ!!!!

116 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/18(月) 23:06:52
>>111
ブログより超みやすくなったね!乙。

117 :総合スレの135:2006/09/19(火) 01:01:25
>>110
あげthxです! 曹叡も偉大な文学者ですよね。

>>111 >>114
すごい!!!11! まとめサイトthxです!
作品別に見やすくて便利ですね。

……早速でアレなのですが、>>106の曹丕『短歌行』で
×俯察幾筵→◎俯察几筵 でした……済みませんorz

>>112
もちろんです! 是非うpお願いします。
岩波の竹簡のやつと読み比べてみたいですね!

>>113-116
激しく同意ヽ(´∀`)ノ

曹叡の『種瓜篇』をうpしておきます。

『種瓜篇』 曹元仲

東の井の上に種うた瓜  冉冉として自ら垣を踰す
君と新たな婚を為り與し  瓜葛は相結連す
不肖の躯を寄託すること  太山に寄るが如くなる有り
兎糸に根株無きも  自ら蔓を延べ縁を登らす
萍藻 清流に託し 常に身の全からんを恐る
丘山の恵を被蒙し  賤妾 拳拳と執る
天は日を照らし之を知る  想うに君も亦 倶に然えん

118 :総合スレの135:2006/09/19(火) 01:23:21
>>117
意味は(適当ですお)……
「東にある井戸のところに植えた瓜が、だんだんと伸びて自ら垣根を越えました
あなたと結婚して、もともと瓜と葛のように親類のようであった私たちは相通ずる仲になりました
しがない私があなたに身を預けるのは、まるで大きな山に寄り添うようです
「ねなしかずら」に根はありませんが、自ら蔓をのばして縁をのぼってゆきます
浮き草は清流をながれながら、いつも自身が安全でないことを恐れています
大変にたくさんの恵みをこうむり、妻のわたくしはそれをしっかりと持ってゆきます
天は日を明るく照らし、これをご覧になっているのでご存知です
あなたもまた、一緒にこのようでありましょう」

これはなんとも、微笑ましくも甘く色っぽい恋歌ですね。
見ているだけでニヤニヤ、もとい、ニコニコしてしまいます。
自分はこの作のいわれや書かれた年代などは知らないのですが、
曹叡が新婚の新妻の気持ちを詠った作なのは明らかですね。
「縁」が「物のフチ」と「縁(えにし)」、「然」が「しかく(そのように)」と「燃えあがる」の
両方の意味があるところなどは、「か弱い女はしなやかな草の蔓のように、自ら良縁を掴みます」
「この関係をご存知の太陽のように、一緒に燃えあがりましょう」という意味も内含し、
あなたはどこのばかっぷるになり代わったのですか、というノロけっぷりを発揮していますw。
もちろん曹叡は男性なので、この作は洒落で詠んだものなのでしょうが、
その洒落振りはほとんど気障と紙一重、というキマりっぷりです。
そこからた易く想像できるのは、彼の実に洗練された頭の良さですね。
若いころの曹植がさらに粋になったような、スマートな貴公子ぶりが目に浮かびます。
これは個人的な感想なのですが、曹叡は悲しみや寂しさの歌も詠んでいますが
そこからは父帝曹丕のような闇よりはむしろ、はきはきした明晰さを感じます。
自分は当時の内外政のことなどは記述どおりの評価にしか理解できないのですが、
こんな詩を詠む皇帝は、きっと名君だったのだろうな、と思えます。

119 :総合スレの135:2006/09/19(火) 01:29:58
済みません、また間違えますたorz
>>117
×種うた瓜→◎瓜を種う
×倶に然えん→◎倶に然らん  でしたorz

120 :110:2006/09/19(火) 02:59:24
曹叡カコイイ・・・・ファンになったよ。
新婚の新妻って曹叡の嫁さん?後で殺された人だっけ?

121 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/19(火) 07:33:50
曹叡がどっかの新妻を想像した詩じゃねーの?

122 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/19(火) 19:21:24
よう、ツウな武将スレの関靖好き=1wwww
このスレもたまに覗いてやるからがんがれよww

123 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/19(火) 19:58:27
>>122
何様?
ってか醜いからvip以外でw使いまくんなよ

124 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/19(火) 20:01:15
まあまあ。マターリ行こうぜ・・・・

125 :総合スレの135:2006/09/19(火) 20:59:23
うほ! >>117にすごい間違い発見orz
×常に身の全からんを恐る→◎常に身の全からずを恐る でした……orz

>>120
済みません、自分の書き方が変でしたorz
曹叡自身や后ではなくて、(架空の?)新婚の奥さんを想像して詠った作だと思います。

>>121
フォローthxです!
これは丸っきりの想像なのですが、これが詩会や宴席などで発表された作だとしたら楽しいですね。
『魏志明帝紀』によれば、曹叡は「魏明帝天姿秀出、立髮垂地、口吃少言、而沈毅好断」
(魏の明帝は生まれつき容姿がとても優れ、髪は立つと地面まで垂れるほど長く、口数は少なく、
落ち着いていて意志が強く判断に優れていた)と、かなりのイケメン(?)だったそうです。
そんなかっこいい皇帝(or皇太子)が、こんな上品かつ艶っぽい洒脱な詩を披露したらば
当時は宴席に女性は殆ど出られなかった(踊り子さんや給仕の人など、職業上出る人は除く)らしいので、
男性諸君は女性に遠慮することもなく、口笛拍手、やんややんやの大喝采でしょうw。

>>122
ノシ
さっきは誉めて頂いて恐縮です。関靖は、普段と最期とのギャップに何故か惹かれます。

>>123
済みません、自分もw控えます……なんだか便利で。

>>124
フォローthxです! これからも皆さんで楽しくまたーり行きたいですね。


126 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/19(火) 21:41:28
>>125
>男性諸君は女性に遠慮することもなく、口笛拍手、やんややんやの大喝采でしょう

ほのぼのイイなぁ(´ー`)
「じゃあ、俺も」とかあったかも

127 : ◆XoQX5vgfQU :2006/09/19(火) 21:57:03
ここまでUP済
曹叡GJです。かわいい。

128 : ◆XoQX5vgfQU :2006/09/19(火) 21:58:27
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
すいませんこっちです。貼り忘れ。

129 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/20(水) 00:58:14
ツウスレから周瑜の遺書みにきた
感動したからむこうのログだが、

> 997 名前:無名武将@お腹せっぷく [] 投稿日:2006/09/19(火) 18:47:10
> >>970
> やっぱ、遺書のパワーは凄いよな。
> 最後の人間の全エネルギーだもんな

>>997に禿同、迫力に圧倒された。
あと馬超好きなんだが馬超は名文ある?リクエスト。

130 :総合スレの135:2006/09/20(水) 05:46:04
おはよございます、珍しく早寝したら超早起きしすぎたのでレスしておきます。

>>126
なんか劉驍ニか大喜びしそうです(ry。

>>127-128
すげー! 乙です!!
……そういえば、>>22を微妙に訂正orz
△ただ恨めしいことは、私の微かな志を実らせられずに、
もう我が君にそれを奉じられないことでございます。
→◎ただ恨めしいことは、私の微かな志を実らせられずに、
もう我が君にそれを奉じられないことだけでございます。
どうでもいいんですが、ここで重要な「耳」を入れるの忘れましたorz

そういえば、>>17,>>20の三曹に曹叡について調べてみたのですが、
中国でも「三曹」といえば曹操・曹丕・曹植を指すみたいですね。
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9B%B9
太祖曹操・高祖曹丕・烈祖曹叡を指して魏の曹家三祖と称するらしいので、
どっかで混ざったのかもしれないです。済みません。

131 :総合スレの135:2006/09/20(水) 05:49:11
>>129
通スレ、おもしろくて自分も好きでしたw。
自分は寡聞にして、これが直接馬超の手になる原文なのかは知らないのですが、
『蜀書』馬超伝によると、馬超は47歳で没するにあたって

「臨没上疏曰 臣門宗二百餘口 為孟徳所誅略尽 惟有従弟岱当
為微宗血食之継 深託陛下 余無復言」

(死ぬにあたって、劉備に手紙をしたためていわく、
「私の一族郎党二百余名は曹操のせいで殺され尽くされたために、
ただ今あるのは従弟の岱(馬岱)だけです。この滅びかけた一族のために、
(岱に)我々の祖先をまつり継がせて下さるよう、深く陛下に託し申し上げます。
他に重ねて申し上げることはありません)

と、このような手紙を書いたという記述があります。
遺書つづきですが、この文章を周瑜の遺書と比べると、
疲れというか無力さと衰え、非常な無念さ、一族を護れなかった家長の責任感とともに
彼の身に染みついた名族の高い地位と誇りを感じずにはいられませんね。
こんなはずじゃなかったんだ、と叫ぶ馬超の高いプライドが表れているように思えます。
周瑜の遺書のようにそこまで謙虚にへりくだっていない文章も、
原文なのかは分かりませんが、とにかくこの文章が蜀志に残っているのですから、
劉備に降った馬超がいかに下にも置かない待遇で扱われていたのかと思えます。
周瑜の文章は、志半ばにして病魔に倒れたにせよ、彼の人生は概ね彼の本意であり、
また、彼自身が自分の人生についてそう捉えられる大きく構えた
穏やかな人だったように思えるのに対し、馬超のこの文からは、
彼の激しい性格と高いプライドと、それが折られた不本意さが感じられます。
周瑜とぜんぜんタイプが違うのですが、自分は馬超のこの不本意さというか
なんとなく項羽っぽい孤高のイメージにも、なぜかとても惹かれます。

皆さんいつもthxです! そいでは、また。

132 : ◆XoQX5vgfQU :2006/09/20(水) 06:07:35
おおナイスタイミング!ここまでUP完了して寝る。w

133 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/20(水) 09:03:46
>>130
>なんか劉驍ニか大喜びしそうです(ry
テラワロスwwwww

134 :86:2006/09/20(水) 20:31:16
過疎ってると思ってたスレが伸びてるw

>101
では亀レスですみませんが、解説も書かせてもらいます。


135 :86:2006/09/20(水) 20:34:22
「七哀」という題意について諸説があり、詳細は不明。
呂尚は「痛みて哀しみ 義にして哀しみ 感じて哀しみ
 怨みて哀しみ 耳目見聞して哀しみ 口歎じて哀しみ 
鼻酸して哀しむ 之を七哀といふ。」としている。
また子建が漢末期に戦に行くために、婦人と離別する哀歎ゆえ
この詩を作ったとしている。  (『六臣注文選』)

他にも篇数を示すという説や、楽曲に由来するという説もある。

内容は、独棲する婦人の哀しみを述べたものである。
古くから夫を兄の曹丕に、妻を曹植自身を例えたものとし、
人生の浮き沈みを異にしている様子を表すとされている。

「天、月、高楼、上、一室、婦人、心」と、
その焦点がクローズアップされていく点がミソかと。


136 :86:2006/09/20(水) 20:36:47
連投スマソ。↑は>>86-87の解説です。


137 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/21(木) 01:25:33
解説GJ!!このスレ為になる。

138 :137:2006/09/21(木) 01:29:13
age忘れた

139 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/21(木) 02:07:25
129だけど1さんありがとう
馬超スレにコピペと感想行ってたから
時間あったら読んでくれ
言い方分からんが感動した。

140 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/21(木) 02:11:06
>>139
言い方が判るようになるまで本読めばお前も原文の馬超に触れられるぞ!

141 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/21(木) 09:48:13
いちお貼っとく
102 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/09/20(水) 18:26:49
俺も参加する。未読だから明日買ってくるぞ。

http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1157242060/131
↑ところでこれはおまいらの誰かか?www


103 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/09/20(水) 23:53:27
違うが、その文章には共感するところ大だ。

でも、俺的には、
馬超の遺書は、ある種の虚無感を感じる諦めの文面だと感じたなー。
それでも、毅然とした文章に垣間見える誇り高さに、
重ねて感動するわけですが。


104 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/09/21(木) 01:41:14
文学スレに馬超頼んだ129なわけだが。
>>102
>>疲れというか無力さと衰え
>>103
>>ある種の虚無感を感じる諦めの文面
分かる。>>102で周瑜とくらべてるが
馬超は言い方わからんが悲しい。

142 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/21(木) 09:49:06
105 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/09/21(木) 02:42:00
晩年は従兄弟殿とも配置が違っただろうし
病は深刻だしで流石の馬超も心が折れてたんだろうな

奏上の文面は精一杯膝を折ってる中の誇り高さが切ない
本人を知ってる人はさぞ心に響いたことだと思う


106 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/09/21(木) 03:03:41
だね
>>102
>こんなはずじゃなかったんだ、と叫ぶ馬超
馬超はこれに尽きる。


107 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/09/21(木) 03:10:54
俺の主観だと、そういう「叫び」すら感じられない印象。
だがそれがいい。

143 :101:2006/09/21(木) 14:44:37
>>134-136解説ありがd
私受験生なんだけど
ココ見てたら漢文勉強したくなりました
数学苦手なんでとりあえず文学部予定だったけど
漢文に進もうと思ったらヤル気がでた
ココ見ながら受験がんばります。

144 :総合スレの135:2006/09/21(木) 22:12:28
>>132
まとめサイト乙です! すごく見やすくて便利です。
……訂正お願いしますorz 曹丕『短歌行』の意訳
×私だけが身寄りもなく→◎私だけが一羽飛ぶ鳥のように身寄りもなく でした。
煢(すばやく飛ぶ鳥のように独りである)という字を、家族で営巣する鳥と対比させています。

>>133
いま年譜を見てみたら、曹叡が206年に生まれ、劉驍ェ217年に没しているので、
いくら曹叡たんが早熟の賢い子だったとしても、彼の『種瓜篇』を劉驍ェ見ていることはないですねw
こういう小エロは、劉驍ヘ手を打って喜びそうなので残念(ry

>>134-136
解説thxです! なるほど、感受性豊かな曹植に「多くの悲しみ」はよく似合いますね。
ついでに高楼の美女もよく似合いますww。戦を前に残してゆく美女に捧げた作だとすると、
やたらとベタでやたらとかっこいいです。曹植の作は、ロマンチックな絵が様になりますな。
視線の移動の滑らかで美しいレオロジーは、まさに詩聖と言うべきですね。
自分は、この『七哀』の「君若清路塵 妾若濁水泥」という句が
『七歩詩』の「箕在釜下燃 豆在釜中泣」の原型であるという説を聞いたことがあります。
どこで聞いたのか失念てしまったので、ご存知の方がいらしたら教えて頂ければ(ry

>>137-138
あげ乙です! みなさんの解説は本当にためになります。

>>139
こちらこそどもです。自分もうまい言い方ワカンネ(ry

>>140
がんばります(ry

145 :総合スレの135:2006/09/21(木) 22:23:48
>>141-142
すげー! コピペthxです。
>ある種の虚無感を感じる諦めの文面
なんだか凄く分かるような気がします。
彼の誇りは、曹操に一族を殺されて劉備に降った自分の敗北を認められないゆえに
彼自信を喪失して、その怒りと悲しみも空虚な諦念に変わったという感じでしょうか。
「臣門宗二百餘口 為孟徳所誅略尽 惟有従弟岱当  為微宗血食之継 深託陛下 余無復言」
この六句のうち、はじめの句は彼の誇りを、二句が彼の激しい感情と不本意さ、
三句がやるせなさ、四句が自責の念、五句が精一杯の恭順、六句がそれらを経て
もはや実質的には死んでいるも同然の、ただ存在するだけで動かなくなった彼の心情と、
しかし僅かに残された彼らしさを表しているように思えます。
「深託陛下 余無復言(深く陛下にお願い申し上げます。他になにも言うことはない)」という句は
自決する選択も許されず、ただ受け身で終わりを待つしかない彼自身と、
それを最期まで許さない、彼の最後の持ち物である誇りが表れているように感じられます。
その生々しい感情のカタストロフィが、この短い文言の魅力であるように思えます。

>>143
! そういう大事なことは、学校の先生によく相談したほうが(ry
(個人的には、自分は食うために(好きですが)理系に進んだので、
学部でちゃんと文学を専攻してみたかったとは思います)

146 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/22(金) 07:20:53
>>145
>この六句のうち、はじめの句は彼の誇りを、二句が彼の激しい感情と不本意さ、
>三句がやるせなさ、四句が自責の念、五句が精一杯の恭順、六句がそれらを経て
>もはや実質的には死んでいるも同然の、ただ存在するだけで動かなくなった彼の心情と、
>しかし僅かに残された彼らしさを表している
>その生々しい感情のカタストロフィが、この短い文言の魅力であるように思えます。

この解釈がオリジナルなら
あんた文学者で食える。マジで。

147 : ◆XoQX5vgfQU :2006/09/22(金) 15:13:09
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP完了
皆さん乙です。

148 :86:2006/09/22(金) 18:38:02
以前どこかのスレで司馬イの詩を見たが、スレ違い?
誰かうpをきぼんぬ。

>>143
やる気がある学部に進むのはいいことだが
文学で食べていくのはとても難しいよ。
それに文学は(少なくとも学部レベルなら)自分で勉強可能だと思う。

>>147
まとめ乙です。


149 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/22(金) 18:51:54
>>148
魏スレに行くといいことあるかもね。

150 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/22(金) 18:55:11
毛等が変わったものを他スレから
『大正天皇御製詩集』(大正五年)より

至誠不敢事権謀
三顧感恩興漢劉
名世文章出師表
忠肝義胆照千秋

至誠 敢えて権謀を事とせず
三顧 恩に感じて漢劉を興す
名世の文章 出師の表
忠肝義胆 千秋を照らす

諸葛亮は誠実で人を陥れる権謀を行わず
三顧の礼に恩を感じ劉備(劉禅)の漢室復興に尽くす。
名文出師の表は
(全てが忠義であった)諸葛亮の忠義をいつまでも照らし続けるものである。

151 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/22(金) 18:58:46
>>148
>>59の過去ログにあったよ。

ついでにあげとく

152 :151:2006/09/22(金) 19:00:28
かぶった

153 :86:2006/09/22(金) 20:07:26
>>149
サンクス。魏スレで司馬イの詩を発見。

>>151
過去ログを見落としてた。スマソ。>>59の過去ログはROMってた思い出のスレです。


154 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/23(土) 01:00:59
こういう角度の考察スレと魏スレが
同じ板に共存しているのが三戦板の面白さ。
歴史的考察系スレで論じられた人間像の骨格が
此処へ来て血肉を得て甦り、イキイキ動き出す。
歴史の醍醐味だね。

155 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/23(土) 09:48:38
こういうスレがあるから三戦板はやめられません(`・ω・´)
みんなすごいよ! すごいよ!

156 :143:2006/09/23(土) 15:08:01
>>145 >>148
ありがとデス。
とりあえず文学部受験は決めてるんで
受かってからのハナシですけど(笑)
ココ見てると漢文できてイイナすごいなって
ヤル気でるんでがんばります。

157 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/23(土) 16:22:26
>>144
>この『七哀』の「君若清路塵 妾若濁水泥」」という句が
>『七歩詩』の「箕在釜下燃 豆在釜中泣」の原型であるという説を聞いたことがあります。

七歩詩は曹植じゃないって説?
言われてみりゃ似てるね。
誰か解説ヨロ!

158 :135:2006/09/23(土) 19:22:15
うほ! レスたくさんthxです。
明日以降にレス(ry
皆さんthx(ry
では、また(ry

159 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/24(日) 00:57:45
みんなGJ!あげておきます

160 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/24(日) 09:11:05
皆さん凄く感性が豊かですね。

上の方で王サンの賦が好きと言いましたが
アップはもう暫くお待ち下さいませ

161 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/24(日) 19:34:09
wktk みんなGJ!!

162 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 05:41:13
王粲(O゚・∀・)ワクワクテカテカ

1さんまた卞喜殿かな…w

163 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 07:43:19
このスレ毎日通勤の楽しみだ
>>150 大正天皇ってそんな歌よんでたんだ。
失礼だけど驚いた。

164 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 12:45:14
俺も驚き
大正天皇ってまともな人だったのか。

ところで1氏は別のコテハンが良くない?
過疎スレなんでコテハン自体は良いのだが
135=86氏だから紛らわしいかとw

165 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 17:05:42
>>164
大正帝の知障説はアカのプロパガンダだよ

166 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/25(月) 23:34:58
久々に来たらこんなスレが…

以前、曹丕スレに居た者です。(他にも居る?)とりあえず曹丕作 燕歌行

  秋風蕭瑟天気涼  秋風 蕭瑟として天気涼し
  草木搖落露為霜  草木 搖落して 露 霜となる 
  羣燕辭帰雁南翔  羣燕 辭し帰りて 雁 南に翔る
  念君客遊思断腸  君が 客遊を念いて 思い腸を断つ
  慊慊思帰戀故郷  慊慊(けんけん)として帰るを思い故郷を戀(した)わん
  何為淹留寄佗方  何為れぞ淹留して佗方に寄る
  憂来思君不敢忘  憂い来りて君を思い 敢えて忘れず
  不覚涙下霑衣裳  覚えずも涙下りて衣裳を霑(うるお)す
  援琴鳴絃發清商  琴を援き絃を鳴らして清商を發づ
  短歌微吟不能長  短歌 微吟 長くするを能わず
  明月皎皎照我牀  明月 皎皎として我が牀を照らす
  星漢西流夜未央  星漢 西に流れ夜未だ央きず
  牽牛織女遥相望  牽牛 織女 遥かに相望む
  爾獨何辜限河梁  爾 独り何の辜(つみ)ありて河梁に限らる

唐宋詩を読みなれると平凡な詩に見えるけど、多分最古の完全な七言詩。
ちゃんと韻も踏んでて完璧。訳は文選のを元にしました。

秋の夜長に出征した夫を偲んでいる詩です。勿論、虚構にして仮。 
叙情的で静謐、感傷的な風景描写は曹丕の詩の特徴と個人的には思う。

しかし、漢文の打ち込みって慣れないから大変だ。コツがあれば教えて下さい。
禰衡の鸚鵡賦、曹丕の楽賦各種も持ってはいるのだが、なにせ長い…。


167 :1(総合スレの135):2006/09/26(火) 00:15:15
>>147
まとめthxです!

>>148-149,>>151-153
Thxです。自分も最近『晋書』を初読なのですが、これは衝撃的ですねw。
いちお、晋書からうpしておきます。

『晋書 高祖宣帝懿紀』より 司馬仲達

天地開闢 日月重光
遭遇際会 畢力選方
将掃穢甫 還過故郷
肅清万里 総斉八荒
告成帰老 待罪舞陽

こ、これは……公孫淵討伐の際の作なので、238年頃ですが、
未だに四言詩というのが泣かせますね。それしか出来なかったのか何なのかw。
こんな詩をひねくり出してみるほど戦勝が嬉しかったのか、司馬懿w。
いつも三曹や建安七子などの名品ばかり目にするせいか、いやはや、
なんというか、作者が何を考えているのかが分かり難い迷作ですねw。
この作も彼にとっては政治的なパフォーマンスで、
評判どおりの狸っぷりを発揮している、と考えるべきなのでしょうか?
しかし、曹家の文才をその血に汲む主君曹叡や、曹植派の才能ある文人達と
親しい交流があったら、もう少しマシな(失礼)作を詠める気がします。
やはり彼は、そういう人々と詩作に言するまでの交流はなかった、ということでしょうか。
曹丕が生きていたら、絶対に何か言いそうですw。
ついでですが、自分は司馬懿は好きですw。

168 :1(総合スレの135):2006/09/26(火) 00:29:02
>>150
大正天皇がこんな御歌をお詠みとは、知りませんでした。
隙のない立派な御歌で、まさに国を統べる人が詠むのにふさわしいですね。
1800年の間に詩歌の技巧が如何に発展したかと思えます。

>>154
肉のない骨格は、それはそれでどうにかなりますが
骨格のない肉は、グニャグニャでどうしようもないですよね。
自分は当時の内外政の突っ込んだことなど疎いので、他スレは大変に勉強になります。

>>155
皆さんのうpや解説は本当に勉強になります。Thxです。

>>156
受験がんばってくらさい(`・ω・´)

>>157
『七歩詩』は、丸ごと後世の創作説だの、はじめの四句は曹植たんの作だの
諸説あるようですね。自分はよく知らないので、詳しい方解説お願い(ry

>>159
あげthxです!

>>160
王粲wktk! 自分は曹植の『贈王粲』も好きです。

>>161
禿同!

>>162
(ry

169 :1(総合スレの135):2006/09/26(火) 00:46:27
>>163
1800年後の隣国の皇帝の御歌に詠まれるとは、孔明先生もびっくりでせう。

>>164
「1(総合スレの135)」では如何でしょうか……

>>165
自分は詳しいことをよく知らないのですが、御歌は立派ですね。立派な方だったのでしょう。

>>166
うpthxです!! 自分も曹丕スレはたまに(ry
『燕歌行』は、燕の民謡を編じたものだと聞いたことがあります。
この篇の『二』も理知的に整った端整で美しい作ですよね。

漢文の打ち込みの便利な方法、自分も知りたいです……。
なにしろ未だ曹植タンの『文帝の誄』も酉陽雑俎もうpしておらずorz
上のほうにも『洛神賦』をうpして下さろうとしたけど長くて断念した方がorz
自分は『妾薄命』がとても好きなのですが、長(ry

170 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/26(火) 02:54:25
>>61
とりあえず一番短い梨に関する勅を

魏文帝詔曰、真定郡梨、甘若蜜、脆弱浚、可以煩飴。(藝文類聚 86果部上)

曹丕は真定郡の梨がお勧めのようだ。甘党皇帝。
葡萄のは欠字を確認したいのですぐにはうp出来ない…。

>>99はひょっとして、ぴぃ様スレの住人か…?

171 : ◆XoQX5vgfQU :2006/09/26(火) 10:53:58
ここまでUP済。
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/

172 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/26(火) 11:22:26
賑わって来たな〜住人GJ!!!
>>167
>曹丕が生きていたら、絶対に何か言いそうですw。
バロスwwwwwww司馬懿をからかう曹丕と
受け流す司馬懿のヒネクレ主従が脳裏をよぎったwwwwwww

173 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/26(火) 16:03:20
>>166
初めてこのスレで発言するがよろしく
まず、この詩は現存最古の形が整った七言詩なのは、事実です。
ただ、この詩の韻脚の踏み方は毎句末押韻なので、まだ完全な形ではありません。
それより、内容と芸術性が高いから七言第一とまで推す人もいるほど。

今現在、中国大学の古典文学の教科書、或いは文学史において、建安文学は大体単独一章となります。
三曹の詩文は必ず収録されます。
曹操の場合、『短歌行』が多い。次に『観滄海』&『亀雖寿』
無論『歩出夏門行』、『薤露行』、『蒿里行』なども採用される本があります。詩作自体多くはないが、選べる名作が多いです。なぜなら曹操は『詩経』以来の四言詩の正統継承者であり、且つ最初で最後の名手であります。
また、魯迅が曹操の散文を極力称揚して、『文章を改革する祖師』とまで賛美したので、
曹操の散文も採用されたことがある。主に自伝体名文『譲県自明本志令』が採用されます。
『設使国家無有孤、不知当幾人称帝、幾人称王』(この国家にわしがいなければ、王、帝を僭称する輩が幾人出て来たものか)。
などの名句は曹操でなければ吐かせない台詞として、元来人口を膾炙してきた。
(ここで余談だが、確かに帝を擁する曹操が帝位に上らない限り、劉備なども
皇帝になりたくともなれなかった。唯一それでも無理矢理になった人は…)
たまに遺言も。遺言も凄い。物凄く異質です。長くないが一読の価値はあります。
馬超や周瑜とはやはり一味、二味違います。


174 :173:2006/09/26(火) 16:05:24
曹丕は無論『典論』のあれは必ず収録されますが、あとは『燕歌行』も定番。
極稀に手紙に書かれる文芸批評に言及するものもありますが、教科書にまず載せられませ
ん。しかし読んでみたら非常に批評的な眼光があり、帝の身分を捨てて一文芸評論家とし
て建安七子を分析していたものはなかなか興味深いです。
基本的に曹丕の収録詩文は定番で統一されています。

曹植はかなりばらばら。ただ、やはり『白馬篇』、『野田黄雀行』、『送應氏』または『吁嗟
篇』辺りはよく収録されます。また、散文としての『洛神賦』も。それを解説するたびに
多分甄皇后への思慕も言及されます。意外にも『七歩詩』は収録頻度が低いです。偽作説
もさることながら、正直頓智によるもので、詩としての芸術性はそんなに高くないのも原
因であろう。


175 :173:2006/09/26(火) 16:06:01
建安七子に至って、もともと散逸されるものが多いから、七人の詩文を全部収録する教科
書や文学史は見たこともないのです。圧倒的に頻度が高いのは、王粲の『七哀詩』、そして
陳琳の『飲馬長城窟』。他は基本的にスルー。
そのほか、蔡文姫の『胡茄十八拍』を収録する本もあります。

呉は無視されています。
蜀は諸葛亮の『前出師表』(後の方は偽作説があってスルーされることが多い。ただ私見で
は後の方も真作に思えます。偽作説の最大な論拠、後について陳寿が言及したことがない
という点に絞られていますが正直あまり意味がない。また、テキストを分析する人から、
陰気臭いしマイナス面ばかり提起していて孔明らしくないという意見もあるが、前もそん
なに明るくないし実際蜀は後の時になったら更に危うくなったし。まあ定説がないのは現状です。)


176 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/26(火) 16:12:11
>>175
本当に後出師の表読んだことあるの?
あれには決定的な年代の矛盾とかあるのになぁ

177 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/26(火) 16:25:39
>>176
『後出師の表』の出所が呉の張儼の書いた「黙記」であること
表中にある趙雲の死亡年と趙雲伝の死亡年とがあわないことなどが挙げられているね

178 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/26(火) 16:52:07
>>173
フォロー有難う。この時代の韻は現代のと同じですかね。作品によってマチマチな印象があるのですが。ただ写本の際のミスもありえるしなあ。
全般的に後代ほどは気を付かってない気はします。
曹丕は割と使ってる方ですかね。

携帯なので読み難かったらスマソ。

179 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/26(火) 17:18:03
スレが賑わって来て良かったね。
>>173-178
解説GJ。
誰がどのレスに対する論説が少し迷うから
出来れば名前欄にレス番入れてくれると嬉しい。

180 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/26(火) 21:02:29
曹操の遺言好きだ。
誰かアップしてほしいなー
探してみよう

181 :1(総合スレの135):2006/09/27(水) 00:28:02
>>170
梨thxです! 曹丕はライチが酸っぱいだの砂糖黍だのと、甘党皇帝ですねw。
いま『酉陽雑俎』を人に貸しているので、葡萄は取り返すまでちょっとお待ちをorz

>>171
まとめthxです!

>>172
バロスwwww曹丕は司馬懿がヘタな詩を詠んだらば、嬉々としてからかいそうですw。

>>173-176
解説thxです! 学部はしっかり勉強できて羨ましいです。
一般教養の漢籍だと、論語と十八史略に唐詩概説、建安はせいぜい曹植が数編ぐらいですね。
『譲県令自明本志令』は名文ですね。ただめたくそに長い(ry
遺言は自分も大好きです。魏王がそんなこと言ってていいのかよ〜と思わされますw。
曹丕の『典論』は、有名なあの部分以外にも、結構意外なところに切れ端が残っていたりしますよね。
散在した名文の切れ端を探すのも、漢籍の楽しみのひとつですね。

>>176-178
解説thxです! 『後・出師表』も、真贋には諸説あるようですね。
自分も手元にあるのでうpはできるのですが、曹植の『文帝の誄』を先に(ry
『文帝の誄』は週末までお待ちください(ry

>>179
皆さんthxです! 確かに、レス番があると分かりやすいですね。

>>180
自分も今手元にないので、どなたかうpきぼんです!

182 :1(総合スレの135):2006/09/27(水) 00:48:14
↑どうでもいいんですが、
>『譲県令自明本志令』 ←令がひとつ多かったorz
それでは、また。……ついでに、ぴぃ様(*´Д`)ハァハァw

183 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/27(水) 02:15:57
>>167
しかし、後世の素人が見ても、ありありと下手さがわかる詩ってのもすごい…。
有名人の遺作?だからこそ残ってる物件だな。

これに関してだけは曹丕の意見は本当に聞きたいw

184 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/27(水) 08:05:10
今一番好きなスレだ。読んでるだけで楽しいよ。
勉強になる。スゲー。

遺言系がグッと来るので曹操の遺言&解説とか、
他のオススメ遺言があったらどなたかぜひ御願いします。


185 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/27(水) 16:40:54
>>181
でも教養で漢文あるだけいいね。
ウチは古文(源氏物語)はあったけど、漢文はなかったよ。
高校でも選択で、理系は取れなかった…

186 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/28(木) 01:23:00
司馬懿のは詩作っつーか…ポエムだなwww

187 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/28(木) 07:33:36
軍才はあるのになw>司馬懿

188 : ◆XoQX5vgfQU :2006/09/29(金) 13:41:24
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP完了
ついでにあげておくよ。

189 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/29(金) 18:07:06
まとめ見やすいね。
ぴぃ様スレも落ちてしまったし、ここは頑張って欲しいな。
とネタふれない俺が書いてみる…

190 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/29(金) 21:19:08
>>188
激しく乙華麗さまです。
文学板のころからのROM専住人だけど
本当に心和む良スレで嬉しいよ。
総合スレの135氏には本当に感謝(´▽`*)

191 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/29(金) 21:53:17
>>190
文学板って?このスレ1スレじゃないの?

192 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/29(金) 22:15:21
>>176-177
当然原文読んだことがあります。今でも多少暗誦できます。前の場合は全文暗誦できますが。
ただ、真偽について私は正直そんなに研究したことがありません。ご指摘ありがとう。
自分としては主に散文として読んでいましたが、後のほうも優れる文章だと思います。

>>178
韻に関して、ほぼ一貫してきました。無論、現代漢語に入声がなくなりましたが
(一部方言にまだ残っています)。
曹丕の時代にまだ古体詩しかありません。近体詩の成立は唐代以降のことになります。
古体詩の音韻などに関する規則が厳しくないので、孤平、三連音、失粘などの禁じ手はまだない。
韻脚も寛韻です。基本的になんでもよしと思ってください。
しかし、曹丕の『燕歌行』は試験的な作品だからいいですが、
毎句韻脚を揃える詩は音韻美に欠けています。
>>167の詩は初見ですが、毎句押韻でちょっと…申し訳ないですが曹操と比べれば
だいぶ遜色に見えてしまいます…というか余り詩に見えません。

>>179
ごめん。最初は166さんへの補足ですが、後は関係のない話です。
みんな盛り上がっているのを見て指が動いただけです。

>>181
言い忘れたが、古典文学を選ぶ人なら勉強できますが、
そうでない学部生は寧ろ多いと思います…

193 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/29(金) 22:23:29
>>167
でもこのストレートさが仕事人間司馬チュウらしくて愛しいVV

194 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/29(金) 23:03:48
>>192
論語読みの論語知らずみたいな返答だな…

195 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/29(金) 23:14:38
>>194
そんな無粋なこと書き込まなくても。
いろんなことあーだこーだと話せる場は嬉しいし、
どんな感想でも楽しく読んでるよ

196 :1(総合スレの135):2006/09/30(土) 14:05:43
皆さんthxです! 激しく風邪なので、色々少しお待ちをorz

>>163
太傅までになった司馬懿に文句を言える人はいなかったのでしょーかねw。
曹植や何晏などとは派閥を異にしたわけですし、曹爽も文才に優れたといいますから、
やっぱもとより文章に興味がない性質の人だったんですかねぇw

>>164
遺言ですか。ちょっと考えておきます(短いやつ)!

>>185
自分のところも一般教養に漢籍はなくて、単位交換している大学まではるばる行きましたお……。

>>186-187,>>193
なんつーか、もはや賦でもなくて、ただの韻のある字の行列ですねw
彼が出師表のような檄文を書かなくてはいけない状況に陥らなくてよかったと思いますw。
こんな詩(?)を詠んで澄ましている司馬懿の狸っぷりは、なんだか可愛いですねw。
郭淮とか、どう反応したのか知りたいです。悶絶したのか絶句か、引きつった追従笑いかw

>>188
まとめthxです! ほんとに見やすいですね。すごい。

>>189-191
皆さんのお陰です。Thxです!
自分は一応これが1スレだと思って立てたのですが、文学板にも何かあったのでしょうか。

197 :1(総合スレの135):2006/09/30(土) 14:06:48
>>192
解説thxです!
やはり文学部で国文をやる学生以外は、なかなか漢籍は選択できないですね。
他学部の学生には羨ましい限りです。外国語で中国語ならありましたが……。

> 余り詩に見えません
バロスwwwwwwwwwwwwwwwww

>>194
っ旦~~~マターリ茶でも……

>>195
フォローthxです! 司馬懿のトーヘンボクなどとうだうだ話せる場は楽しいですw。

そいでは、また……。

198 :曹丕:2006/09/30(土) 16:08:11
風邪の際は大人しく寝ていよ。
肺炎になるぞ…

199 :無名武将@お腹せっぷく:2006/09/30(土) 17:04:53
Σ(゚Д゚;)

200 :190:2006/10/01(日) 01:00:40
>>191 >>196
なんだか書き方がまぎらわしかったようですみませんです。
>>1にも載ってる「ねえ、曹操の詩って良いよね」スレの住人だったという意味でした。
一般教養の聞きかじり程度ですが三国時代の詩やそれにまつわる話は好きなので、
ずっともっと充実したスレがあったらいいなあと思っていたもので
ここが出来たときは嬉しかったです。

そういえば曹操の好きだった詩人て誰かご存知でせうか?
本人がいろんな意味でキャラが濃い&優秀でオリジナリティ有りすぎで
誰かの影響を受けたという話をあんまり聞けないので気になってるのですが。

201 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/01(日) 02:02:15
>>198
Σ(゚△゚;)

>>192
>余り詩に見えない。  それを世間ではポエムという。

202 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/01(日) 03:37:33
198に涙したw

203 :202:2006/10/01(日) 03:38:55
198に涙したw
1さんお大事にw

204 :1(総合スレの135):2006/10/01(日) 22:40:06
>>198
ぴぃ様キター(AA略
説得力ありすぎですw
あ、あれ? 何故か目から水が……

>>199
Σ(゚听;)

>>200
どもです。古文板の曹操スレは寂れてますな……
あとでこっそりあげておこう(ry
曹操は、とりあえず詩経大好きですよね。
曹植たんも同じですね。屈原先生とか。
当時の文人ならば当たり前か……orz


>>201
この悶絶の一編を晋書に残してるとゆーのがまた、司馬懿のすごいところ(ry

>>202-203
どもです……肺炎は怖いので寝ます(ry

205 :1(総合スレの135):2006/10/02(月) 13:09:15
どもです。>>198の助言に従い、肺炎にならないように休暇を(ry
>>164さんの遺言シリーズを持ってきますた。
短いやつで、正史より孫策の遺言です。
もっとも、これは本人が筆をとって書いたものではなく、
言ったことの纏めなのでしょうが、なかなか孫策らしい一篇だと思います。

ちょっと孫策が遺言に至るまでの解説……(ご存知のかたは読み飛ばしてください)。
 孫策は襄陽で父孫堅を失い、袁術のもとに寄寓しながら機を伺い、
わずか千名の兵を得、武勲を立てながら文武の人材を幕下にあつめ、ついに独立します。
 密通していた周瑜も魯粛を連れて孫策に合流し、太史慈と一騎打ちをしたり、
献帝を擁する曹操に近づき遠ざかりの駆け引きをしたりしながら、
たったの五年あまりで疾風のように江東・江南を制覇しました。
 自身の見栄えもかっこよく、性格も闊達で聞き上手で人に慕われ、
(演義では)奥さんも絶世の美女と、言うことのない爽やか君主の孫策なのです。
 しかし「史上唯一の一騎打ちをした君主」であるように
少々爽やかすぎる(?)きらいがあったらしく、
官渡で対峙する曹操と袁紹の隙をついて許都を攻め、帝を迎えようと
密かに軍勢を整えて計画を練っていたときに、なぜか単騎でそのへんに外出し、
以前殺した許貢の残党に襲われ重傷を負います。
その傷がもとでその晩に彼は死ぬのですが、そのときの遺言がこれです。

『呉書 孫破虜討逆伝』より
「創甚、請張昭等謂曰、
中国方乱、夫以呉、越之衆、三江之固、足以観成敗。公等善相吾弟。
呼権佩以印綬、謂曰、挙江東之衆、決機於両陳之間、与天下争衡、卿不如我。
挙賢任能、各尽其心、以保江東、我不知卿。至夜卒、時年二十六」

206 :1(総合スレの135):2006/10/02(月) 13:28:15
>>205の意味は(適当ですお)……
「孫策の傷ははなはだしく、張昭達を呼んで、こう頼みました。
 『わが国はどさくさのただ中にある。呉と越の皆をもってすれば、
 三江の護りは固く、勝敗のゆくえを眺めるには十分だ。
 君達諸公は、どうか私の弟をよく助けていってくれよ』。
そして孫権を呼び、印綬を腰に下げさせて言いました。
 『江東で兵を挙げ、この混乱のときがどちらに転ぶかを決め、
 天下の均衡争いに与するようなことは、君は私のようにはできるまい。
 しかし、才能ある者を推挙し任を能せ、それぞれが心を尽くして
 江東を保っていくことについては、私は君のように上手くできる人を知らないね』。
夜になって孫策は死にました。二十六歳でした」

どさくさに紛れ、ばくちのような(?)勢いで江東を制覇した孫策ですが、
最期の言葉をとってしても、彼のその性格が良く現れているように思います
(ちなみにこのとき親友の周瑜は別のところにいたので、呼ばれていないんですね)。
そんな重要な局面にいる君主なのに、フラフラと単騎でその辺をほっつき歩いていたりと
父孫堅に似て、軽はずみというか、「爽やかー!」な性質の人だったのでしょうw。
彼の計画していた大博打は、残念なことにその死によって日の目をみることはなかったのですが、
それが成功していれば、中国(と日本)の歴史は全く変わっていたでしょう。
彼は自身と弟・孫権の性質の違いもよく分かっていたようで、
要するに、自身がばくちのような生き方をしているという自覚があったんですなw。
周瑜といい孫策といい、自身の死を惜しく思うよりも先に
中国の平定という目標にむかって進んでいった呉の若い英雄達の爽やかさ、
南部の大らかな気風は、曹操幕下の文人達のそれのような技巧はありませんが
彼らの本質をもってして、充分に観賞に堪えうる名文を残していると思います。

207 :1(総合スレの135):2006/10/02(月) 13:31:10
済みません、>>205のアンカーは>>164さんではなく>>184さんですねorz

そいでは、また……。

208 : ◆XoQX5vgfQU :2006/10/02(月) 15:06:35
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP完了 あげるよ。

209 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/02(月) 17:21:32
>>208
乙。ちょ、ようかんマンwwwww

210 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/03(火) 18:16:47
1氏GJ!
孫策の遺言は悲愴感ないねー(笑)
毎日やるだけやってるから、いつ死んでも悔い無し、って感じ。
博打打ち孫策と穏やかに補佐する周瑜、
名コンビだったんだろうな。

211 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/05(木) 01:13:37
平日は過疎だねえ
呉の文は読みやすいね。
孫策もうすこし悲愴になれww

212 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/06(金) 17:38:25
週末あげしますよ

213 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/07(土) 16:26:30
孫策人気ねーなw
俺はこういうからっとしたのも好きだ。
文章って、短くても人と為りが怖いくらい出るな。不思議だ…

>>208
ようかんマソwww

214 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/09(月) 00:40:10
銅雀台に関した詩ってありましたっけ?

215 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/10(火) 16:58:35
策×瑜?

216 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/10(火) 17:12:12
個人情報スレにいるんだから〜こっちにもレスして1さん〜♪

217 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/10(火) 21:57:15
>>214
後世ならあるよね。
探せたらカキコするよ。

218 :1(総合スレの135):2006/10/10(火) 22:45:37
>>208
乙です! ようかんマンテラカワユスwwww

>>210-213
孫策はからっとしてますね。
「自分の死よりも、孫呉の行く末で頭がいっぱいだぜ!」という感じですw。
たしかに、呉の文章は読みやすいですね。
詩や賦じゃなくて平文だというのもありますが、
表現が平易で助字も多く、構成も素朴で分かりやすいです。
日本と直接隣国だったのは長江以南の地域なわけで、
文化や表現もより身近な部分があるのかな〜などと思ってみたり……。
文章は人為が生々しく出ますね。特に訓読前の白文は密度(?)が濃いので、
僅か数行の文でも多くの情報が得られますね。

>>214
銅雀台を題材にした三国時代の文学作品というのは
寡聞にして思いつかないのですが、たとえば>>3-5の『芙蓉池作』『公讌』は
西園(銅雀台)での宴を題材にしていますね。
3世紀初頭の話とは思えないほど、贅を凝らした様子が思われます。
そういえば>>5『芙蓉池作』(曹丕)の訳を忘れたのでうpしておきます。

219 :1(総合スレの135):2006/10/10(火) 22:52:20
>>5の訳(適当です)……
「夜(夕方)になって、車に乗って遊びにでて
ぶらぶらと銅雀台に歩いてきました。
二つのお堀の流れは互いを洗いすすぎ、
きれいな木々が川のまわりにぐるりと生えています
低い木々の枝は車の幌をかすめ、高い木の梢は天をかすめるほどです。
突然の風は車輪をすくい回転を助け、鳥が私の前を飛んでいきます。
夕焼けの赤い雲がきれいな月を挟んで見え、
華やかな星が雲間から出てきました。
空は光りかがやき、五色のいろが一つに見られ、何と鮮やかなことでしょう。
人の寿命は大きな松の木にはかないません。
誰も神や仙人のようにはなれないのです。
せめてここに心地よく遊び、自分を保って百年の寿命を終えたいものです」。

鳥が飛んでいたり夕焼け雲が出ているので、
「夜行きて遊び」と言っても、今でいう夕暮れの時間ですね。
3世紀にはもちろん街灯などないので、本当の夜は真っ暗で遊びになど行けないのでしょう。
こんな五言詩を詠んでいても、日本ではまだ弥生時代で、
東京の人は石器とか使ってた頃の話なんだよな……と思わされます。
唐宋の洗練された詩歌に比べると、そう何てことのない作品のようにも見えますが、
いかに彼が洗練された人であったのかということですね。
逆にそのぶんフォーヴィスティックで、彼の感動が直接伝わる効果があると思います。

>>216
す、すんまそん。あっちは気軽なので……こっちは時間掛かり(ry

>>217
自分も捜しておきます。
そういえば、『酉陽雑俎』の曹丕の葡萄の評(巻19、747話)。
東洋文庫の本を手元に取り返したんですが、これって対訳じゃなくて
今村与志雄先生の訳文しか載ってないやつなんでしたorz。
これを載せたらまずいだろうなーというわけで、どなたか原文ある方お願いします!

220 :1(総合スレの135):2006/10/10(火) 23:13:23
>>215
(レス順逆で済みません。見落として(ry)
「策×瑜」というのは、「うほ関係」ということですよね(違ったら済みませんorz)?
たぶん周瑜が赤壁前に蒋幹と再会したときに
「旧交をあたためるために一緒に寝た」というのが
「周瑜=うほ」な連想を呼び起こすのだと思うのですが(違ったら済みません……)、
これは少し違うのではないかと思います。
周瑜と蒋幹の出典が何処だったか忘れてしまったので(どなたかフォローお願いですorz)、
ちょっと違うのですが劉備と趙雲の話でいきます。

『蜀書』趙雲伝には、公孫サンのところにいた劉備と趙雲が仲良くなり、
趙雲が兄の喪のために公孫サンの下を去った後、袁紹の下についた劉備と
再び出会ったときに、「劉備と趙雲は同じ床で寝た(先主興雲同床眠臥)」と書かれています。
しかしこれは、べつに「うほ」ではなく、相手への信頼の証として同じ寝室、
あるいは同じ寝床に眠る、という中国古代の風習だそうで、さらに言えば
互いに同じ向きで眠るのではなく、一方が南枕で眠れば一方は北枕、というように
足と頭を交互の向きで寝たそうです(ソースはかつて教わった大学の某教授)。

そういうわけで、別に周瑜は「うほ」な人ではなく(多分)、
孫策と周瑜の「断金の交」もあくまで「固い友情の絆」なんであって、「うほ」では(ry

では、また……。最後に「うほ」な話で済みませんorz

221 :1(総合スレの135):2006/10/10(火) 23:24:34
あ、あと補足です。
>>167の司馬懿のヘタな(失礼)詩ですが、
集英社の『古詩選(上)』だと『讌飲詩』という題がついています。
詩の出典である『晋書』の詩の前にくる部分に、
「……讌飲累日、帝歎息、悵然有感、為歌曰〜(詩)」という句があるからですね。

ちなみに、建安〜陸機・陸雲兄弟のあたりの詩をざっと追うならば、
この『古詩選(上)』がオススメだと思うです。一冊に名編が纏まっているのでお手軽です。

では、また〜

222 :1(総合スレの135):2006/10/10(火) 23:26:11
何度も済みません。『古詩源(上)』ですorz
編者は内田泉之助先生です。集英社の「漢詩選」シリーズの4巻目ですね。
ではまた(ry

223 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/11(水) 00:18:08
801ネタ真面目に解説する1氏モエスwwwwww

224 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/11(水) 01:02:09
>>220
昔は男同士の友情は延長線上に男同士の愛があった

225 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/11(水) 01:05:58
>>219
>日本ではまだ弥生時代
同じことを思った。
『魏志』倭人伝を読むと
「倭人の男は顔や体に刺青をしている」とか「手づかみで食べる」といったように
倭人のことを書いてある。
それを読むたびに、体を傷つけることをタブーとしていた当時の中国人からみたら
倭人なんてとんでもない野蛮人に見えたんだろうなって思う。

ちなみに三国志を読んだ時に、卑弥呼に「親魏倭王」の称号を与えた明帝が
曹操の孫だと知って驚いたよ。

>>221
『古詩源』に司馬懿の下手な詩wが載っているとは知らなかった。
金欠だが明日買ってくるよ。

226 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/11(水) 01:30:19
>>220
腐女子諸君は、ショウカンなど知らなくとも
男同士の友情=ホモ、と妄想するのだよ。
飽くまで妄想。
真面目にレスしちゃいけない。
追記:「ウホッ!」と「801(やおい)」は微妙に違うんですよ。
前者:リアルな男同士のリアルなゲイ関係。
後者:腐女子の妄想の中だけにある耽美なホモ。
策×瑜はこちら。

…俺もつい真面目に解説してしまうじゃないかw

227 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/11(水) 02:36:14
「ウホッ!」と「801(やおい)」の違いなんて知らなかったよ。
…ここは色々な意味でためになるスレだねw

228 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/11(水) 04:38:38
簡単な境界線はウンコが付くのがウホッ!
付かないのがやおい

229 : ◆XoQX5vgfQU :2006/10/11(水) 14:14:23
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP完了

230 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/11(水) 18:14:31
『酉陽雑俎』の曹丕の葡萄の評(巻19、747話)を投下。

魏武有言 未夏渉秋 尚有餘暑 酒醉宿酲 掩露而食 甘而不飴 酸而不酢 

道之固以流沫稱奇 況親食之者



231 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/11(水) 18:20:27
↑でよかった?
『酉陽雑俎』はよく分からないので、
訳と解説は1氏かその他の有志の方にお願いします。

232 :1(総合スレの135):2006/10/11(水) 19:28:40
>>223-224,>>226-228
……ものすごく勉強になりますた(ry
なかなか奥が深い……男色義兄劉備スレは好きですがw(ry
そういえば、哀帝の故事にならって、中国では「うほ」(801も?)趣味のことを
「断袖」と呼ぶという話を聞いたことがあります。
こう書いてみると、とても優雅できれいな呼び方ですね。「うほ」は(ry

>>223
『魏志倭人伝』によると、倭人は孟獲も真っ青の
世界の果てに住んでいる勘違い原住民のように書かれていますねw
一方で、徐福伝説などがあって民間伝承では「倭人ナイス!」みたいな扱いもあり、
中国から見た日本は、本当に遠い謎の国だったのでしょうね。
しかし、弥生時代に海の向こうではこんなきれいな五言詩を詠んでいたとは、素直に凄いです。
北部の政権が続いて、操船達者な南部の人が来日しなくて良かったな〜と(ry

>>229
いつも乙です! 仕事速くて凄いです。

233 :1(総合スレの135):2006/10/11(水) 19:40:17
>>230-231
うは、>>217にもうレスして頂けるとは。Thxです!!

この文章は、南北朝時代の北周、後に梁を滅ぼした西魏に仕えた
ユ信という学者ら五名が、梁の時代に対話した記録だそうです。
ユ信が、自分はギョウ(これは三国時代に銅雀台のあったギョウですね)にいたころ、
珍しい葡萄を満喫したよと話したところ、どんな形なのか問う者、
やわらかい棗のようだと言う者など。そして魏肇師という人は、
三国時代の魏の曹操が葡萄についてこう評しているよと紹介します。
>>230の訳(適当です……)
「魏の武帝がこう言っております。夏はじめから秋にかけて、
なお暑さに余りあるころ、酒に酔って二日酔いのときに
(葡萄の)露を拭って食べると、甘いけれど飴のようではなく、
酸味があるが酢のようではない。書いたものだけでもつばの湧いてくるほど、
称えるべき貴重なものである。いわんや、(葡萄を)実際に食べた者は
(どれほどのものであろうか)」。

ここで魏肇師は、三国時代の曹操がこう言ったと紹介しているのですが、
東洋文庫『酉陽雑俎』の今村与志雄先生の訳注によれば、これは『全三国文』に
曹丕の発言として載っているそうです。確かに、いかにも曹丕の言いそうなことですw
暑いだの二日酔いだの、甘いだけでも酸っぱすぎてもイケナイだの、
弥生時代の人なのに言うことが贅沢だぞとw。
今村与志雄先生訳注によれば、この魏肇師の発言の出典となる『全三国文』には、
さらに「葡萄酒にすると甘くて美味しい、酔い心地がよくて酔い醒めスッキリ」などと
色んなことが書いてあるらしいです。有名なライチについてここちらが出典らしいですね。
自分は未読なので、ぜひ読んでみたいものです。

234 :1(総合スレの135):2006/10/11(水) 19:41:21
済みません、>>233のアンカーは217ではなくて>>219の誤りですたorz

235 :1(総合スレの135):2006/10/11(水) 20:35:15
さらにアンカーミス。>>232>>223>>225の誤りですおorz
しかも赤子スレで名前欄ミスしますた。超済みませんorz
ではまた……

236 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/11(水) 21:29:13
結局、曹操と曹丕どっちなんだろな
曹操が言いそうでもあるけど、曹丕のがそれっぽいような

237 :1(総合スレの135):2006/10/12(木) 02:13:45
>>236
今のところは、出典になるほうを正として、
曹丕の発言だという見方みたいですね。
確かに、いかにも甘党な曹丕の言いそうなことですw
皇帝の洗練された舌は繊細ですねw

やや神経質にも見えるこうした筆致の線の細さが、
同じ繊細でもはっきりした男性的な文章を書く曹操とは
微妙に合わなかったのかな〜、などと考えてしまいます。
文章の上でだけの話ですが。

しかし贅沢なことですね〜
曹丕・曹植兄弟の文章に出てくる食べ物は、
みんな旨そうでヨダレが(ry

238 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/12(木) 02:26:37
>皇帝の洗練された舌は繊細ですね
(;´Д`)エロスw

239 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/12(木) 07:53:21
曹操は陽性な繊細さ、
曹丕のは内省的な繊細さ
AAにすると
ヽ(操 ・∀・)ノ人材欲しいよヒャッホウ!
(丕 ´_ゝ`)葡萄がここまで美味なのを知ってるのは俺だけ


と、シロートが思った

240 :1(総合スレの135):2006/10/13(金) 02:46:08
>>238
小エロスww >>230-231さん、重ねてありがとんです。

>>239
曹操カワユスww 自分も素人ですが、激しく同意。

皆さんいつもthxです。
眠いので、>>170さんの梨を訳だけしておきます
(適当ですお……)
「魏の文帝の詔にいわく、真定郡の梨は蜜のように甘く、
非常にやわらかく、飴など話にもならないほどだ」。

葡萄の評でもそうですが、曹丕は飴に恨みでもあるのでしょうかw。
当時は飴も相当な貴重品だと思うのですが、
曹丕にかかると、そんなものは甘ったるいだけだと言いたいようで、散々です。
あまり彼の繊細な口には合わなかったようですねw。

真定郡はいまの河北省、黄河の河口一帯のあたりです。
きっと日本の梨の名産地と同じく、涼しく砂地がちで、美味しい梨がとれるのでしょうね。
一般に、梨はシャクシャクしているのが美味しいと思うのですが、
曹丕が「脆弱浚(噛むと沈み込むように脆く柔らかい)」と喜ぶということは、
どちらかといえば洋梨のような種類なのかも?
いずれにせよ、そんな肌の弱い果物を1800年前に何百kmも運ばせるのですから、
「(丕 ´_ゝ`)梨がここまで美味なのを知ってるのは俺だけ」
という感じでしょうかw。贅沢な話ですね〜。うらやましい限りですw。

241 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/13(金) 03:13:24
>>239がえらくツボに入ってしまった

242 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/13(金) 05:28:25
亀だけど、>>206の最後の数行に禿同
この熱さ大らかさが呉の魅力

243 : ◆XoQX5vgfQU :2006/10/13(金) 16:02:39
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまで追加済

244 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/13(金) 18:55:26
1氏&みんなGJ!!
曹丕のかわいさに虜ですよと。

お時間があれば、>>21-22の周瑜を解説もして欲しいです。
このスレ解説が面白いよ。

245 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/13(金) 21:47:33
曹操の遺言も期待して待ってますよ(・∀・)

246 :1(総合スレの135):2006/10/14(土) 03:44:31
おおー、酔っ払いだけど>>244だけはやっておこうw

>>241
曹操もですがぴぃ様カワユスですww

>>242
『呉書』は、なんか滅茶苦茶でものすごく面白いですw。

>>243
いつもthxです! 色が変えられて便利になりましたね〜

>>244
周瑜が遺書に至るまでの簡単な解説から……(ご存知の方は飛ばしてry)
 周瑜は廬江の人です。ここは今の安徽省で、長江の河口に近い場所ですね。
ちなみに省都は合肥市ですw。
 あざなは公瑾なのですが、これは春秋左伝の有名な一編である
「瑾瑜は瑕を匿し、国君は垢を含む(きれいな宝石にも小さな瑕があり、君主にも垢があります。
 小さな欠点にこだわってはいけませんよ)」から、名前(瑜)と呼応させて取られているんですね。
ちなみにこの逆パターンが諸葛瑾、字は子瑜ですw。
 父は洛陽の県令を務める名家の息子の彼は、董卓討伐のために
近所に引っ越してきた孫堅の息子、孫策と同い年で、二人は有名な友情の絆「断金の交」を結びます。
 その後、袁術の下に寄寓していた孫策に手紙をもらった彼は兵を率いて合流し、
独立した孫策と軍の両翼を分け担い、僅か数年で江東を平定します。
孫策が没した後は弟の孫権に仕え、呉の大都督となって軍勢をまとめ、
数で劣りながらも操船に優れる呉水軍の勝利を進言して孫権を説得し、
有名な赤壁の会戦を迎えます(正史のこの進言の文章はかっこいいですw)。
そして進言どおりの大勝利を遂げ、中国の統一に両手がかかっていた曹操を黒焦げにしてします。
 このあと、曹操を追い立てた呉は江陵を攻め、周瑜は猛将曹仁を破るのですが、
そのときに流れ矢で負傷し、この傷がもとで寝込みます。
しかし、孫権に天下二分の計を献策したり説教したりしている間に病気が重くなり、
蜀を取り馬超と同盟する手始めに襄陽を占拠しに行く途中に36歳で没します。
遺書は、このときに建業の孫権にあてたものですね。

247 :1(総合スレの135):2006/10/14(土) 03:49:15
>>246のつづき
 赤壁の英雄の称号は、正史だと周瑜(と魯粛)のものですね。
「演義」だと諸葛亮がものすごい活躍をしていますが、たとえば北宋の蘇軾の
有名な『前赤壁賦』では、赤壁(本当は少し場所が違いますが)を望んだ蘇軾の友人が、
「此れ孟徳の周郎に困められし者に非ずや(ここは曹操が周瑜に苦しめられた処ですね)」と
述べているので、明朝に「演義」がまとまるまでは、赤壁といえば周瑜だったのかもですね。
 そんな戦勝の英雄たる提督にもかかわらず、遺書の文面は非常に謙虚です。
『呉書』周瑜伝を読むと、いかに彼が謙虚な人であったかが繰り返し書かれていますが、
この文章だけでも、その器の大きさがよく分かりますね。
彼の国運に関する先見と、それを孫権に託すにあたっての説教じみた文面にしても
(孫権は皆に説教ばかりされていますw)、こんなに柔らかく諭す文も珍しいように見え、
彼が穏やかで器量の大きい人だったことを思わせます。
 孫策と同じく、自分の死を惜しむよりも先に乱世を鎮めることを思っていたであろう内容は、
美文ではありませんが、本質としての名文であると思います。
……ちょうど、「演義」の諸葛亮と周瑜のポジションを逆にしたら良いかもなど(ry
(自分は諸葛亮も好きですw

>>245
自分は今手元にないですorz どなたかお願いしますorz。
……あした(今日)午前中に起きられたら図書館行ってみますが、多分無理(ry

248 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 12:16:43
>>230,231>>233
助燃材投下〜〜

<梨の部分>
魏文詔曰:真定郡梨.甘若蜜.脆若凌(ニスイがサンズイ).可以解煩飴.(芸文類聚巻86梨)

<葡萄の部分>
魏文帝詔〓臣曰:且説葡萄.醉酒宿醒.掩露而食.甘而不●.酸而不脆.
冷而寒.味長汁多.除煩解●.又醸以為酒.甘若麹(麦が麥)米.
善醉而易醒.道之而流涎咽唾.况(ニスイがサンズイ)親食之耶.
他方之果.寧有匹之者.(芸文類聚巻87葡萄)

これが全三國文だと少し違ってるらしい
<梨の部分>
真定御梨.大若拳.甘若密.可以解煩釋渇.(全三國文)

<葡萄の部分>
中國珍果甚多.且復為葡萄説.當其朱夏渉秋.尚有餘暑.醉酒宿醒.
掩露而食.甘而不●.脆而不酸.冷而不寒.味長汁多.除煩解渇.
又醸以為酒.甘于麹蘖(蘖は旧字).酔而易醒.道之固已流涎咽唾.
况(ニスイがサンズイ)親食之耶.他方之果.寧有匹之者.
(全三國文)

>>230などと併せ読むと典拠元の書物によってコピペ改変されてってる悪寒
飴に恨みがあると言うより、飴みたいなもんが激しく欲すぃと思ってたのが
真定の梨を喰うと癒されるぅ〜〜、うはwwwって感じかな?

249 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 12:22:47
×甘若麹(麦が麥)米.
○甘於麹(麦が麥)米.
だった。

250 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 12:25:54
>>248
×真定御梨.大若拳.甘若密.可以解煩釋渇.(全三國文)
○真定御梨.大若拳.甘若蜜.可以解煩釋渇.(全三國文)
重ね重ね誤記すまん

251 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 14:27:36
>>248-250氏のメール欄が気になるw

252 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 15:46:40
>>251
コテハンさんだよ

253 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 17:38:21
どのコテハン?GJだよw

254 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/14(土) 17:51:04
>>246-247
>>248-250
GJ!!!!読めないから助燃材も訳してホシス…

>>246
>合肥市
そんなのあるのかwwwwww
腹よじれて死ぬwwwwww

255 :253:2006/10/14(土) 22:16:46
>>248-250
偽黒武堂のニセクロたんか!
おひさです。いつもご苦労様。
このスレ好きだから、書き込める知識がある人は書いてホシス
漢文読めないから感想レスで保守するだけの俺(ノД`)

256 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/15(日) 10:50:59
1氏GJ。
周瑜の字とか北宋の赤壁観とか視点がためになった。
「繰り返し」書かれている「かっこいい」周瑜観と遺書の解釈を
1氏なりでいいのでもう少し深く聞きたい

ニセクロ氏もGJ。元気そうで良かった…
優しいな。今後も一緒にスレを盛り上げて欲しいです。

257 :sage:2006/10/15(日) 17:11:49
>>255
俺もだ。つい昨日だがこんないいいスレ見つけられて感動した。
ただ漢文の勉強すれば読めるようになるのかな………
自分で読んでみたいよ。
周瑜が好きだからせめて周瑜の遺言とか
正史で翻訳されたのしか見たことがない。

258 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/15(日) 17:22:45
>>257
>>21-22とまとめサイトに
ここの1氏の訳があるよ(笑)

259 :257:2006/10/16(月) 17:46:38
有難う
勉強してみる。
sage間違えた…………

260 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 02:05:47
「憂愁のうた 漢〜六朝」という本が手元にあるのですが、その中の曹丕の
「上留田行」の和訳が何というか、とても妙です。
ここ、和訳の本文をまんまうpしても大丈夫?


261 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 03:20:40
みんな遠慮して私訳してるみたいだけど
どっから引用なのか書けばいんじゃね?

262 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 03:27:05
引用元明記すればOK

263 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 18:46:26
>>246-247の1氏に質問。
>蜀を取り馬超と同盟する手始めに
周瑜が馬超と同盟しようとしてたってほんと?
無知スマン

264 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 18:52:08
>>263
1氏ではないが周瑜伝にその旨明記してあるよ。
なので周瑜伝を読むか、最近はweb上で周瑜伝の引用ぐらい簡単に見つかるのでチェックしてみることを勧める。


265 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 22:05:23
>>248
藝文類聚だと鍾会と荀勗の葡萄賦も収録されてるね。
時代が下って三都賦にも葡萄の描写があったと思うし(手元に無くて記憶のみ。)
ギョウや洛陽では葡萄が珍しいけど見られるようになっていたようだ。

葡萄を植えたのは曹操か曹叡の可能性も無くはないけど、
一番蓋然性が高いのはやっぱ曹丕だな。


266 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/17(火) 23:13:13
それでは平凡社「憂愁のうた 漢〜六朝」より

『上留田行』 曹丕作
居世一何不同   世に居(あ)る 一に何んぞ同じからざる
 上留田      上留田
富人食稲與粱   富人は稲と粱(おおあわ)を食い
 上留田      上留田
貧子食糟與糠   貧子は糟と糠を食い
 上留田      上留田
貧賤亦何傷    貧賤なるも亦た何ぞ傷まん
 上留田      上留田
禄命懸在蒼天   禄命 懸りて蒼天に在り
 上留田      上留田
今爾歎息将欲誰怨 今 爾(なんじ)歎息し 将に誰をか怨まんとす
 上留田      上留田

これが直訳バージョンです。次が和訳。タイトルが
『貧乏な男のうた』
世の中 どうしてこうも違うのか アアー エイヤサッサ
金持ちは 稲と粱を食い     アアー エイヤサッサ
貧乏人は 糟と糠を食う     アアー エイヤサッサ
貧乏だとて 嘆くな悲しむな   アアー エイヤサッサ
運はもともと 天がきめるもの  アアー エイヤサッサ
お前さん また溜息ついた    アアー エイヤサッサ
怨むまいぞ 怨むまいぞ     アアー エイヤサッサ

訳者は伊藤正文・一海知義という方です。「上留田」という合いの手(?)
が訳しにくかったのかと想像はしますが…
何つーか、庶民の流行歌というか宴会ソングというか、とても能天気な
詩になっちゃってませんかね。
欠けた茶碗を箸でちゃかぽこ叩きながら謡う、気さくな曹丕タンが
頭に浮かびました。

267 :1(総合スレの135):2006/10/18(水) 01:54:31
>>248-250,>>251-255
おおー! ニセクロ氏、芸文類聚&全三国文投下thxです
(自分の訳は雑なので、梨など適宜訂正してやってください(ノД`) )!
自分は両方とも読んだことがないのですが、とても面白いですね。
特にワインは美味しそうです。確かに文章だけでもヨダレが(ry
この訳は、ニセクロ氏にお願いしても良いのでしょうか?

>>256
これは私見なのですが、この遺書でもっとも特徴的な要素は、
やはりその謙虚さであると思います。
『三国志』には多くの人々の文章が載っていますが、
こんなに謙虚な文はそう多く見ないように思います。
しかし、『呉書』周瑜伝での赤壁開戦への進言で語った自水軍の勝算の如く、
彼は優秀な提督であったばかりでなく、戦局を的確に分析し予想できる、
ある意味では郭嘉のような、先見能力のある優れた軍師でもあったのでしょう。
彼の「天下二分の計」は、今となってはそれが良策であったのかさえも判断できませんが、
彼にはその策に対する自信があったのであろうことが、この文章からも伺えますね。
死に際してこういう文章をすっと書ける彼は、普段から自分の青写真を持っていて、
それを展開させる状況を謙虚に穏やかに整えて、さっと実行する人だったのかと想像できます。
『呉書』を読むと、孫策亡き後の呉はとにかく君臣揃って言いたい放題、
そこに諸葛亮まで首を突っ込んできて滅茶苦茶な状況になっています。
そこを上手に纏め、赤壁の勝利へと導いたのは、
スマートな計画を立て、反駁し合う人々をそれに向かって纏められる
周瑜の人柄が大きな要素だったのではないでしょうか。
彼も過労死軍師だと思いますが、それを延々と檄文に綴るタイプではなかったのではと(ry

>>257-259
自分の訳は雑なので、あまりアテには(ry
>>21-22は台北市の台湾大学が纏めた『江表伝』のコピーから引っ張ってきたのですが、
同じものが『呉書』周瑜伝の註に引用されているので、手軽に読めますお。

268 :1(総合スレの135):2006/10/18(水) 02:40:28
>>260-262
おお、乙です! レスは>>266へ(ry

>>263-264
264氏のとおり、『呉書』周瑜伝よれば、周瑜は孫権に
「今曹操新折衄、方憂在腹心、未能与将軍連兵相事也。
 乞与奮威倶進取蜀、得蜀而并張魯、因留奮威固守其地、好与馬超結援。
 瑜還与将軍拠襄陽以蹙操、北方可図也
 (いま、曹操は戦いに敗れたばかりで、心身に憂いを抱えており
 将軍たちと兵を連ねて有事にあたる余力がございません。
 奮威将軍(孫瑜)とともに軍を進め蜀をとり、蜀を得たらば張魯を併合し、
 奮威将軍をその地にとどめて守りを固め、馬超と同盟を結びましょう。
 そして瑜がもどり、将軍たちと襄陽を占拠して曹操に迫れば北方はうまくゆきます)」
と進言しています。とっぴな進言に見えますが、彼には勝算があったゆえのことでしょう。
周瑜と馬超の同盟は、ぜひ見てみたかったものです。さぞ見映えのしたことでしょうw

>>265
Thxです! 自分は『三都賦』も未読なので、こんど読んでみたいものです。
そういえば、宋代の何だったかの古文を解説した集の
王翰の「葡萄の美酒 夜光の杯……」の註で、
「陳思(曹植たん)、葡萄を何ちゃら……」と書いたものがあったように思うのですが、
失念してしまいました。どなたかご存知の方(ry

>>266
Thxです……wwwwwwwwwwwwwwwwwコーヒー吹い(ry
腹筋wwwwwwwwwwシムwwwwwwwwwwwwww

269 :1(総合スレの135):2006/10/18(水) 03:09:02
むむむ、書き忘れ(ry
徳間書店が今月から、『十八史略』を文庫で出しはじめたみたいですね。
今月刊行の一巻は始皇帝まででしたが、小さくて軽いし、内容も砕けていて、
原文・訓読文・訳文・解説が纏まっていて読みやすいのでオススメですお……

270 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 07:38:53
>>266
高島俊男の三国志きらめく群像に載ってる曹操の歩出夏門行も
そんな訳になってたyo。
初めて見た時( ゚д゚)ってなったw

271 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 07:42:21
1氏&諸氏GJ!!
>>266 腹イタスwwwww
>>270 ゼヒ読みたいのだがw

272 :sage:2006/10/18(水) 12:18:21
>>269
情報ありがと。
十八史略って買えるのは
陳舜臣の小説しか出てなかったんだよね
早速買って帰るよ

273 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 12:21:13
sageまちがえたゴメン

274 :248:2006/10/18(水) 13:15:49
ttp://www-h.yamagata-u.ac.jp/pdf/annual2.pdf
山形大人文学部研究年報に載ってる福山泰男氏の
建安の「寡婦賦」について
とかはこのスレ的にいい内容のものじゃまいか
PDFゆえにちと容量が大きいのが難だけど

>>267
俺も本当は/に人に見せられるような訳出力無いので(笑

275 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/18(水) 18:35:02
>>274
ニセクロ氏の訳でいいと思うよ
ちゃんとしてるよ
そもそも漢文板よりキラクな三戦なんだしw
1さんの負担が増えすぎるのもね。

276 : ◆XoQX5vgfQU :2006/10/19(木) 16:13:33
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP

277 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 22:32:28
>>266の和訳の訳者と、おすすめ本の「曹植」の訳者は同じ伊藤正文氏だね

278 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/19(木) 23:03:40
Σ(゚Д゚)

279 :1(総合スレの135):2006/10/19(木) 23:55:57
 ☆ チン
      
☆ チン 〃 ∧丕∧  アアー エイヤサッサ♪
ヽ___\(\・∀・)
 \_/⊂ ⊂_)_
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:| |
|  真定郡梨    .|/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ……冗談です

280 : ◆XoQX5vgfQU :2006/10/20(金) 00:46:37
↑ツボった

281 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 01:01:26
ちょwwwまとめwwwww

282 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/20(金) 14:46:13
>>279
かわいい。
おーい山田くん、葡萄持ってきて

283 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/21(土) 21:02:46
>>272
確か岩波(だった筈)からも出てるよ
高いけど

284 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 01:50:42
このスレいいですね。僭越ながらネタ投下。決して歴史に残る名文ではないでしょうが、
個人的に気に入っているものです。
諸葛丞相死去後の詔勅です。
惟君體資文武,明叡篤誠,受遺託孤,匡輔朕躬,繼絕興微,志存靖亂;爰整六師,無歲
不征,神武赫然,威鎮八荒,將建殊功於季漢,參伊﹑周之巨勳.如何不弔,事臨垂克,
遘疾隕喪.朕用傷悼,肝心若裂.夫崇コ序功,紀行命諡,所以光昭將來,刊載不朽.
今使使持節左中郎將杜瓊,贈君丞相武郷侯印綬,諡君為忠武侯.魂而有靈,嘉茲寵榮.
嗚呼哀哉.嗚呼哀哉.
思うに、君は文武の才を兼ね備え、英知と誠実さを有し、先帝の遺詔を受けて孤児をあず
かり、朕の身を助けてくれた。絶えた家、衰えた国を復興し、その志は動乱を沈めること
にあった。かくて六軍を整備し、出生しない年はなかった。すぐれた武勲は明るく輝き、
その威光は世界の果てにまで浸透した。その功績は漢の末年においてまさに樹立されんと
し、伊尹・周公の巨大な業績に加えられようとしていた。どうしたことか、天にあわれみなく、
事業が完成を見る前に、病にかかってみまかった。朕はために心悲しみ、心臓は張り裂けん
ばかりである。そもそも、徳をあがめ、功をあとづけ、行いを記し、諡をつけるのは、
(死者の名を)将来に輝かせ、書物に載せて不朽にするためである。今、使持節左中郎將の
杜瓊を使者として、君に、丞相武郷侯の印綬を送り、君に忠武侯と諡する。霊魂という
ものがあるならば、この恩寵と栄誉を喜んでくれ。ああ、哀しいかな。ああ、哀しいかな。
(「正史三国志蜀書 井波律子訳」より)

劉禅の「逝かないで、パパ」が炸裂しています。家臣を悼む詔勅は数多いですが、ここまで感情
を生の形で出したものは珍しいでしょう。起草者の名は残っていませんが、泣きながら書いた
としか思えない迫力です。


285 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 04:14:56
このスレをざっとみた限りでは、参考文献に文選の訳注があがってない気がするが、
ガイシュツ?

ほかにもあるかもしれんが、自分の記憶では
確か集英社の全釈漢文大系と明治書院の新釈漢文大系の二種類がでてたはず。
(明治書院の方はもしかしたら未完だったかも)

個人で入手するには値段が高すぎて厳しいと思うが、
中国古典籍を扱う学科のある大学の図書館なら
おいてありそう。

286 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/22(日) 09:16:22
>>284
これ劉禅が書いたの?泣かせるね。いいな。
>>283
岩波から十八史略出てるの?
ぐぐったけど見つかんなかった・・・・詳細教えて欲しいです

287 :1(総合スレの135):2006/10/23(月) 12:02:21
>>270-271
自分も読んでみたいです。
「亀だって死ぬさ、俺もいい歳だ。でも心はまだまだ若いぞエイヤサッサ」
とかそんな感じだったら衝撃です。……でも曹操は、元からそんなイメージ(ry

>>272,>>283,>>286
岩波から出てる十八史略は、ハードカバーの大きなやつでしたっけ?
図書館にはありますが、丸善で聞いたら今は絶版だとか??

>>274-275
情報thxです! 週末にゆっくりPDF読んでみます。
建安の女性による文学といえば、自分は甄夫人の手になるという詩が好きです。

*自分の訳はひどいもんなので、>>248-250はできればニセクロ氏にお願い(ry
一ヶ月ぐらい手付かずになったのは、自分がやってみますが……

>>276
いつもまとめthxです。モララーwwwwww

>>277-278
Σ(゚Д゚)ほんとだ。
平凡社から出ている『中国古典文学大系』の
漢・魏・六朝・唐・宋の散文選も、この先生方の編ですが、
こちらは「普通に」読みやすくてオススメです……何があったんだろうw。
でも、エイヤサッサも親しみやすいですね。凡人にはできない訳ですw。

288 :1(総合スレの135):2006/10/23(月) 12:03:37
>>284
うp thxです!
自分も、この文章は劉禅が書いたのかと思い込んでいました……orz
もう一度正史を読み直してみます。
これも激情の伝わるいい文章ですよね。書き手の迫力に圧倒されます。
諸葛亮にはどれだけ感謝しても悼んでも足りない、という感じで、
お話として読んでいくと、先主の遺言→出師表→五丈原→蜀滅亡のところの
カタストロフィに涙しない人をいなくさせる勢いですね。
対する同時期の曹魏の記録を見ると、のんきにペリカンと戯れているのですから
そりゃあ人は蜀将に同情もしたくなるというものでしょう……

>>285
あれ、ほんとだ。『文選』は、明治書院のものならば
どこの公立図書館にも禁貸出の標準装備でありそうですよね。
あとは、さっきも挙げたのですが平凡社『中国古典文学大系』の23巻
(漢・魏・六朝・唐・宋散文選)などでしょうか?
ほかには、目加田先生訳の明治書院『世説新語』上中下とか、
読んでいてすごく面白いんですが(ゴシップがw)、このスレの範囲でしょうか。

289 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 13:39:39
>>288
>のんきにペリカンと戯れているのですから
何じゃそりゃ?おもしろそうww

290 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 20:24:37
>>270-271
270ではないがこれか?

東臨碣石 登れやこの山
以観滄海 見ようぜ海を
水河澹澹 水面ひろびろ
山島竦峠 にょっきり山だ
樹木叢書 木々はびっしり
百草豊茂 草々茂る
秋風?? 秋風つめたく
洪波湧起 大波起こる
日月之行 月も太陽も
若出其中 ここから昇る
星漢粲爛 きらきら銀河も
若出其裏 ここから出るぞ
幸甚至哉 素敵じゃないかよ
歌以詠志 歌おうぜ、さあ

…まだまだ続くんだがNAGEEEEE
以前ノートに書き写したものを打ったから間違い等あったらごめん
??は漢字が見つからんかった(;´Д`)

291 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 22:57:39
>>290
ひょっこりひょうたん島思い出したw

292 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 23:09:32
>>290
それそれwwwそれだww
それに「ヨイトコラ、ドッコイ、ソラキタ、ホイホイ」という囃子詞がつくとあった。

293 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/23(月) 23:36:14
雲行雨步。超越九江之皐。臨觀異同。心意懷遊豫。不知當復何從。
經過至我碣石。心惆悵我東海。

東臨碣石。以觀滄海。水何淡淡。山島竦峙。樹木叢生。百草豐茂。
秋風蕭瑟。洪波湧起。日月之行。若出其中。星漢燦爛。若出其裏。
幸甚至哉。歌以言志。觀滄海。

孟冬十月。北風徘徊。天氣蕭清。繁霜霏霏。鵾雞晨鳴。鴻雁南飛。
鷙鳥潛藏。熊羆窟栖。錢鎛停置。農收積場。逆旅整設。以通賈商。
幸甚至哉。歌以詠志。冬十月。

鄉土不同。河朔隆寒。流澌浮漂。舟船行難。錐不入地。蘴籟深奧。
水竭不流。冰堅可蹈。士隱者貧。勇俠輕非。心常歎怨。戚戚多悲。
幸甚至哉。歌以詠志。河朔寒。

神龜雖壽。猶有竟時。騰蛇乘霧。終為土灰。驥老伏櫪。志在千里。
烈士暮年。壯心不已。盈縮之期。不但在天。養怡之福。可得永年。
幸甚至哉。歌以詠志。神龜雖壽。

294 :274:2006/10/24(火) 07:52:33
藝文類聚(訳)<梨の部分>
1) 魏の文帝の詔に曰く:真定郡の梨は.甘きこと蜜の若くして.
  脆きこと淩なるが若し. 以って煩飴を解かしむ可し.
2) 魏の文帝の詔に曰く:真定郡の梨は.その甘さは蜜のようで.
  その脆さは淩のよう. (食感に関するニュアンスは訳し方がわかりません><)
  それで甘いもの(飴)を激しく求める気持ちを解きほぐすことができる.

<葡萄の部分>
魏の文帝は衆臣に詔して曰く:且つは葡萄を説かん.酒に醉うて宿し醒めしおり.
露を掩<ぬぐいと>って而して食べなば.甘くして而して不●.酸いとも而して脆からず.
冷たく而して寒く.味長くして汁多し.(そのように葡萄は)煩を除き●を解かん.
又た醸して以って酒と為さば.甘きこと麹米(甘酒)の若くして.
醉うに善ろしく而して醒めるに易く.之を道すれば而して涎流れて咽は唾に満つ.
况んや之を食うに親しんだものをや耶.
他方之果(他の世界にある果実で).寧んぞ之に匹する(匹敵する)者が有ろうか.

295 :274:2006/10/24(火) 07:53:12
全三國文(訳) <梨の部分>
真定の御梨は.大なること拳のごとし.甘きこと蜜のごとし.
以って煩(/熱っぽさ)を解き渇きを釋さしむべし.

<葡萄の部分>
中國は珍果が甚だ多いものだが.且つは復た葡萄が為に(その魅力を)説いてみよう.
其の朱夏の秋へ渉るに当り.尚も残暑の有るおり.酒に醉うて宿醒したところで
(/宵越して醒めたところで).
(朝露に濡れた葡萄の)露を拭いとって而して食さば.甘くして而して不●.
脆にして而して酸いならず.冷たく而して寒からず(涼やかだが冷た過ぎない).
味は長く汁は多く.熱っぽさを除き渇きを解いてしまう.
又た醸して以って酒と為さば.甘きこと麹蘖(蘖は旧字)におけるものであり.
酔うても而して醒め易い.之を道するに(之を説明するだけで)
固より已に流涎咽唾するのだから(/涎が流れだし唾が咽を満たすのだから).
况んや之を食すことに親しんでいたらどうだろうか.
他方之果(/どの地方にある果物であろうと).寧んぞ之に匹する者が有ろうか.

296 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/24(火) 10:44:51
>>294
>>295
何だかこっちも唾がたまってきた。ほんとーに甘党なんだね
名文だよ曹ヒタンw

297 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/24(火) 11:03:38
むかし、曹丕スレで
「曹丕が現代にいたら『今日のうまいもの』ってブログやってそうなおやじ」
なんて言われてたな・・・


298 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/24(火) 13:51:12
おやじ…
うん、いいんだ。
でも、30代で死んでるから、せめてお兄さんと…w

299 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/25(水) 01:33:07
曹丕お兄さーん!

300 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/25(水) 02:15:37
詩(うた)のお兄さん萌え

301 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/25(水) 13:00:40
みんなGJ。
流れ豚切りなんだが、>>247の「演義成立迄は赤壁=周瑜」に興味有り。
他に文献とか知ってたら教えてホシス

302 : ◆XoQX5vgfQU :2006/10/25(水) 14:43:47
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP

303 :290:2006/10/25(水) 17:56:52
>>293
超乙。区点コード表とにらめっこしていた俺にとってまさに神。
じゃ>>290の続き、“孟冬十月”からの高島俊男氏の日本語訳を転載。

初冬の十月 北風びゅうびゅう 空は真っ青 地上は霜だ 朝はくだかけ かりがね渡る
つばめは隠れて ひぐまは眠る 鋤鍬しまって 収穫山積み はたごはととのい 旅人を待つ
素敵じゃないかよ 歌おうぜ、さあ

故郷離れて 北地は寒い 流氷ただよい 舟は進まぬ 地面は凍てつき 冬草はびこる
川は流れず 氷を踏みゆく 隠者は貧しく 任侠横行 嘆かわしいかな 悲しみつのる
素敵じゃないかよ 歌おうぜ、さあ

亀は長生き それでも死ねる 天駆ける蛇 最後は土くれ 駿馬は老いても 千里を思う
烈士の暮年は 壮心やまず 人の命は 天命なれども 大事に使えば 長持ちするぞ
素敵じゃないかよ 歌おうぜ、さあ

304 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/25(水) 20:00:46
>>301
実際のとこ漢詩の知識はゼロに等しいが、有名な漢詩を二三紹介させてくれ。

まず唐代の杜牧『赤壁』の一節に「東風不與周カ便,銅雀春深鎖二喬」とある。
仮に前半を訳すなら「もしも東風が周朗に味方しなければ…」
後半は演義でも有名な銅雀台の二喬の掛詞(橋二つ閉ざす=大喬小喬を閉じ込める)ですかね。

もう一つは1氏も挙げた蘇軾の漢詩の中で「念奴橋 赤壁懐古」の一節「人道是三国周郎赤壁」
「人は言う、これぞ三国周朗の赤壁と」。こちらはストレートに「これが有名な周瑜の赤壁である」といった感じかな。
蘇軾は>>247の『前赤壁』、この『赤壁懐古』、さらに『後赤壁』と『赤壁三詠』と呼ばれる程赤壁について歌を詠んでるらしく、
彼も熱烈なファンだったのかもしれないw

あとは李白の「赤壁歌送別」。これはttp://curry.2ch.net/warhis/kako/1019/10195/1019584124.htmlの
90-91で詳しく紹介されてるんでそちらを参照して欲しい。

俺もあまり詳しくないんでこのぐらいが限界だけど、詳細についてもっと知りたければ1氏らの解説を待って欲しいw
では無責任にも俺はこの辺りで。

305 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/25(水) 20:42:50
>>303
孟徳wwwwwwwwwカワユスww

306 :301:2006/10/25(水) 21:11:25
>>304
解説ありがとう
演義がなければ「赤壁=周瑜」だったかも知らんのね。
周瑜ファンで名誉挽回に努めてるんで(笑)

307 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/25(水) 22:21:32
「素敵じゃないかよ」が流行る予感www

308 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 00:29:32
何となくしか意味がわかりませんが、曹丕作。誰か訳おながいします
下手に訳して意味違ってたら子桓様に申し訳がたたん。
素養がないってつらいな…

「於清河見輓船士新婚與妻別」

與君結新婚
宿昔當別離
涼風動秋草
蟋蟀鳴相随
冽冽寒蝉吟
蝉吟抱枯枝
枯枝時飛揚
身體忽遷移
不悲身遷移
但借歳月馳
歳月無窮極
會合安可知
願爲雙黄鵠
比翼戯清池


309 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 03:36:57
>>308
自分も訳をもっていないし、読解力もないが、
手元の漢魏六朝百三名家集で確認すると、
芸文類聚巻29には徐幹の作品として載っていて
「玉臺」では文帝作とするらしい

「玉臺」は多文「玉臺新詠」のこと
ttp://home.hiroshima-u.ac.jp/cbn/rikucho/yutai/yutai_lb.htm
をみると、いろいろ訳がでているようなので、
最寄の図書館で確認してみるのも手かも

同じホームページ内に「玉臺新詠」の収録作品のリストがある
ttp://home.hiroshima-u.ac.jp/cbn/rikucho/yutai/yutai_j.htm

「玉臺新詠」の訳も参考文献として重要だな

310 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 07:47:48
>>304-306
コピペしておきますよっと。
 90 名前:地雷魚 [] 投稿日:02/05/25 23:28
 赤壁歌送別 李白

 二龍争戦決雌雄 二龍争戦雌雄を決す
  「魏呉の二龍が雌雄を決すべく」
 赤壁楼船掃地空 赤壁の楼船地を掃うて空しく
  「魏軍は赤壁に楼船を並べて攻むるも空しく敗れた」
 烈火張天照雲海 烈火天に張って雲海を照らし
 「その炎は天にも届き、雲海をも照らすほどだったという」
 周瑜於此破曹公 周瑜此に於いて曹公を破る
  「かくして呉の周郎こと周瑜は彼の地にて曹操を破った」
 君去滄江望澄碧 君去って滄江に澄碧を望めば
  「君が彼の地にて澄んだ長江の古戦場に臨めば」
 鯨鯢唐突留余跡 鯨鯢唐突余跡を留む
  「二頭の鯨、即ち魏呉の戦いの跡を見る事だろう」
 一一書来報故人 一一書し来たって故人に報ぜよ
  「友よ、願わくば私に逐一その様子を手紙にて知らせてほしい」
 我欲因之壮心魄 我れこれに因って心魄を壮んにせんと欲す
 「私はその手紙を読んで彼らの壮気にあやかろうと思うのだ」

 91 名前:地雷魚 [] 投稿日:02/05/25 23:32
 >>90
 珍しくたくさん人がいらっしゃったので、もう一つ調子に乗って挙げて見ました。
 李白の南方へ赴任する友人との送別の際に歌った詩です。
 送別会の酒席で「やっぱ長江つったら赤壁だろう? な?」などと酔っ払って絡みながら、
 自分の好きな三国志の物語を思いつつ意気揚揚と歌った詩という感じがして、
 陽気で明るい歌だと思ういい詩だと思います。

311 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 14:19:31
>>310
つくづく思うが、周ユってカコイイなあ。
何故こんな人を、演義はおまぬけさんにできたんだチクソウ

312 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 15:01:41
三国志そのものが三国時代(に近い時代)の文学の1つな罠

313 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 15:18:55
>>308
このサイトで訳し済み
http://www5c.biglobe.ne.jp/~sikaban/shsinkon.htm

でもまぁ私訳してみます
「清河に於いて輓船の士の新婚して妻と別るるに見ゆ」

君と新たに婚を結んだのに
思い出を抱えたまま当に別れ離れることになったね
涼風<すずかぜ>が秋草をそよがせるなか
蟋蟀<こおろぎ>は鳴くよ、睦み合おうよと
冽冽として寒くなりゆくなか蝉が吟<うた>う
蝉は吟うよ、(独り身で)枯れ枝を抱きながら
枯れ枝が時に飛ばされて揚がるものだから
身も體も忽ち遷され移ろいゆく
(この)身の遷され移ろうのが悲しいわけじゃない
但だ(君と過ごせないまま)歳月の馳せゆくことが惜しいのだ
歳月は窮まることも極まることも無いのだろうけれど
會合、安んぞ知る可きか
  (君と体を合わせるのがいつになるかどうして知りえよう)
願わくば双つの黄鵠とあい為って
比翼となって清池に戯れたいのに

314 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 15:28:49
直太朗あたりに歌ってもらおう

315 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 16:53:43
ぼほぉ〜くぅらわはぁ〜けっこんしひぃた〜のぉにぃ〜

316 :313:2006/10/26(木) 17:48:36
訳して見て思ったんだがこの於清河見輓船士新婚與妻別は
その施された修辞が巧緻を極めててほとほと感心したよ
施された複数の修辞が互いに絡み合い綾なしあって
一つの統一された作品世界を作り上げている
やっぱひーちゃんは三曹の一人だけあるね

面白いのは黄鵠という単語の使い方
黄鵠は春秋や楚辞などの用例だと鳳凰と並べられる大鳥の類になる
ここでは年若いくぐい(白鳥)を指すらしい(黄は若いの意がある)
勿論、本来の黄鵠の用例から外れるから本当なら歴史から消え去る
可能性の高いものだった筈
でもこの作品が余りにも素晴らしかったので「雙黄鵠」と言う
別の用例の始まりになったようだ

例えば、風は已みて月清らかに、琴朗らかに復た鳴りひびく、から始まる
宋氏の擬晋女劉妙容宛轉歌とか、王維の雙黄鵠歌送別とか
ただ、どうして黄鵠を本来の用例からかけ離れた用い方をしたのか
分からなかったんだが、もしかしたら烏孫公主の悲愁歌を踏まえた上で
この詩歌を堪能してくれ給えと言うひーちゃんから建安七子への
暗黙の了解だったのかもしらん(参考までに↓に悲愁歌を置いときます)

悲愁歌          :烏孫公主 劉細君

吾家嫁我兮天一方, 吾が家が我を嫁がせたるは兮、天の一方、
遠託異國兮烏孫王。 遠く託せられしは異国なりき兮、烏孫王、
穹盧爲室兮氈爲牆, そは穹盧が室<むろ>と為り兮、氈が牆と為るところ、
以肉爲食兮酪爲漿。 そは肉が食と為り兮、酪が漿と為るところ、
居常土思兮心内傷, 居るとも郷土への思い常にありて兮、心の内は傷まし、
願爲黄鵠兮歸故ク。 願わくば黄鵠と為りて兮、故郷へ帰らん

317 :313:2006/10/26(木) 18:39:15
区切りも微妙だし訳も全く自信ないがついでに擬晋女劉妙容宛轉歌を


擬晋女劉妙容宛轉歌  :宋 氏(唐郎大家)

風已清月         風は已みて月清らかに
朗琴復鳴         琴朗らかに復た鳴りひびく
掩抑非千態慇懃      (演奏の)掩抑は、千態に非ずして慇懃とし  
是一声歌宛轉       是れ一たび声あげて宛轉<美人>(の歌)を歌う
宛轉和且長        (それに応じて)宛轉<美人>は、和して且つ長ず
願為双黄鵠比翼共翦翔   願わくば双つの黄鵠と為りて比翼して共に翦翔せん、と

318 :308:2006/10/26(木) 22:42:22
>>313殿 訳ありがとうございました
ロマンチックぅ…


319 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 23:33:18
曹丕ファンが多いのかもしれないけど
曹操と曹植の詩も読みたい。待ってます。

320 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 23:37:45
陸機の詩が好きなんで、いつか紹介したいなーと思ってるけど
上手く訳す自信なしorz
ところで白文書くときどうやってる?
ひとつひとつ外字で探すのかな。それとも漢詩サイトとかで見つけてくるといいのだろうか。

321 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/26(木) 23:47:47
>>293はピンインで中国語入力した。

322 : ◆XoQX5vgfQU :2006/10/27(金) 14:45:18
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP

323 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 06:31:01
>>304の杜牧『赤壁』が気になったので省略された前の二句を調べた
訳は適当

折戟沈沙鐵未銷/折れた戟が砂の中に埋もれているがまだ原形をとどめ
自將磨洗認前朝/自ら洗い磨けば古い時代の物だとわかる
続きの二句は>>304

余談だが南宋末の人で、「文章軌範」の編集者として有名な謝枋得
のリポートに拠れば、
「私は江夏(現湖北省武漢市付近)から洞庭湖の方へ(長江を)溯る途中、
舟が蒲圻縣(現赤壁市)を通過すると、石崖が見え、赤壁の二文字が有った。
そこで接岸してその地の父老に問い尋ねたところ、今に至るまで原住民が
田畑を耕すと弩・箭・鏃が出て、長さが一尺余りあったり、折れた槍が
出たりするとのこと。杜牧の詩に『沈んだ戟を洗う』とあるのは妄言では
無い」
とのこと。
今でもいろいろ遺品が出土したりするのかな?

324 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 06:44:42
連投で更に余談。
少し古めの地図や解説なんかでは、赤壁の位置を「蒲圻(市?)」とするが、
手元の2005年出版の地図だと赤壁市になっていて面食らった。
いつのまにか変わったんだな

325 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/28(土) 10:05:59
南アルプス市みたいなもんか

326 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 06:26:11
>463 名前:曹植 投稿日:2006/08/08(火) 22:59:50
>『豆』 曹子建
>
>夏、ナイターを見ながらビールに枝豆
>ああ、中国人で良かった
>しかし、うっかり皿の上で混ざった空の鞘を口に当て
>思いきり塩味の空気を吸い込んだとき
>嗚呼、この悲しみを何に例うべき哉

某スレ曹植作

327 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 09:40:47
ワロスww

328 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 13:07:46
http://p.pita.st/?m=lspmjtue
これ、どう思う?

329 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 13:40:31
>>328
PC許可しておくれ

330 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/29(日) 21:13:55
>328
左は誰なんだ

331 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 00:12:27
>>329ごめんなさい、やり方分かりません・・・
>>330多分曹丕。右は何かの映画でしょうか?

332 :1/2:2006/10/30(月) 04:16:32
何かネタでもないかと『楽府詩集』をめくっていたら
ふと「西門行」という詩が目に留まって気に入ったので訳してみる
作者は不明で、「晋楽の奏する所」と『楽府詩集』に注してあるが
『宋書』の楽志には魏の武帝・文帝の詩と並べて「古詞」としてこの詩を収録
『先秦漢魏南北朝詩』には根拠不明だが漢代の詩とするので、結構古そう
もしかしたら漢魏晋の豪傑たちが酒宴の席などで歌ったかもしれん

西門行
出西門、歩念之/西門を出て、歩きながら考えた
今日不作樂/今日楽しまなければ
當待何時/いったいいつ楽しむというのだ

夫爲樂/そもそも楽しもうというのなら
爲樂當及時/楽しもうというのなら、その時に楽しまないと
何能坐愁拂鬱/どうして悶々と苦悩して
當復待來茲/次の機会を待てようか

飲醇酒、炙肥牛/うまい酒を飲み、肥えた牛の肉を炙り
請呼心所歡/どうか心からの友人でも招いて
可用解愁憂/悩みなど解消してください

人生不滿百/人生は百年にも満たないというのに
常懷千歳憂/常に千年も先の憂いをいだくもの
晝短而夜長/昼は短くして夜は長い
何不秉燭游/どうして明かりを手にとって(夜に)遊ばずにいられよう

自非仙人王子喬/王子喬のような仙人ではないからには
計會壽命難與期/寿命を数えたところでたかが知れたもの
自非仙人王子喬/王子喬のような仙人ではないからには
計會壽命難與期/寿命を数えたところでたかが知れたもの

333 :2/2:2006/10/30(月) 04:17:54
人壽非金石/人の寿命は金石とは異なり
年命安可期/命の長さもたかがが知れたもの
貪財愛惜費/財貨をむさぼり出費を惜しんだところで
但爲後世嗤/後世嗤われるのがおち

『楽府詩集』にはこの後に別バージョンも収録しているが、その関西語訳が
ttp://home.att.ne.jp/wave/ayumi/SakeLave/Kan_mu01.htm
にあった。別バージョンには「本辞」と注がつけられているので
最初に別バージョンが作られて、音楽(晋楽?)をつけて歌うのにより適した形で
今訳したバージョンが作られたと考えていいのかな。
専門家じゃないからようわからんが

更にこの詩は、どうも文選所収の古詩十九首のうちの一つを
下敷きにしているみたいなので、原文だけ紹介

生年不滿百、常懷千歳憂。
晝短苦夜長、何不秉燭遊。
爲樂當及時、何能待來茲。
愚者愛惜費、但爲後世嗤。
仙人王子喬、難可與等期。

334 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/30(月) 22:24:12
>>333
さすがに関西弁は受け付けまへんわ。
漢詩の風情が全く消えているなぁ…ノリはいいかもしらんが。

335 :1(総合スレの135):2006/10/31(火) 19:01:30
おお、皆さんthxです! そろそろ全レスいらないのかも(ry
ところで自分の訳は限りなく怪しいので、ぜひ皆さん適宜訂正を(ry(涙)

>289
『魏書』の文帝のところに、池にペリカンが飛んできてどーのこーのってのが
確かありますよね。今、手元にないので、今度捜しておきます。

>290-293,>303,>305,>307
Thxです!! これは名訳ですねww
曹操がisn't it grand? Let's sing! とか言い出しそうでwwww
「人の命は 天命なれども 大事に使えば 長持ちするぞ」が気に入りますたww

>294-300
Thxです!! 自分の訳は怪しいので、ぜひ訂正を(ry
しかし迫力ある名文ですねw。戦乱の世に、皇帝が何を書き残しているんだかw。

>301,>304,>310-311
Thxです!! 自分もぱっと思いつくのはそれらですw(そ、そのうちまとめてうpします)。
……羅貫中の意図もいろいろ研究があるのだと思いますが、
もし自分が「演義」の作者だったら、周瑜がかっこよすぎてむかつくから噛ませ犬に、とか(ry
杜牧の伊達男っぷりはさすがですww

>302
まとめthxです! とても見やすいです。

>>308-309,>313->318
Thxです!! すごい。挽船は大好きですが、こんなロマンチックな訳は初めて見ました。
新婚の妻を詠んだフレーズから、曹植の「種葛篇」/曹叡の「種瓜篇」などを
連想してしまいますが、こういうのを詠ませたらやっぱ曹丕ですねー。

336 :1(総合スレの135):2006/10/31(火) 19:32:11
>319
もう少し寒さが深まったら、苦寒行と朔風でもやりませうか。wktk。

>320
自分も陸兄弟好きです。漢文の入力方法は、何かあるといいですね……
なるべく常用漢字がある字は置き換えたり、
IMEの手書きパッドをフル活用したりしていますが……

>323-324
Thxです! 岩波の唐詩選でも湖北省武漢市と蒲圻県の間になっていますが、
赤壁市というのが出来たんですね。 ttp://www.chibi.gov.cn/(重いです)
余談ですが、自分の知人が三峡ダム関連で、技術者としてあのへんをいじったらしいのですが、
未だに人骨や武具が出たりするそうです(焼けた人骨は、なかなか土に還らないらしい)。
自分が李白のようにねだって貰った絵葉書によれば、崖にでかい字で「赤壁」と書いてあって衝撃(ry

>326-327
ちょwwwwそれは自分が某スレに書き捨てしてきやたつです。済みませんw
ちなみに、中国では枝豆を食べないそうです(大豆になるまで待ってから収穫するらしい)。

>328-331
サルベージしてPC許可してみますた。http://p.pita.st/?m=x65llouw
おお、これは京劇ですか……? 中国的には、これはカッコヨスなのでしょうか。
漢服スレの回転周瑜といい、隣国といえど文化の差を感じますな〜。

>332-334
Thxです!! 自分もこれ好きですw。動乱の時代に生きた人は大変だったんですね〜。
岩波でも無名氏作になってますね。当時のはやり歌、ってとこでしょうか? 関西弁は新鮮ですw。
自分は中国楽器の古琴を少しいじるのですが、本場の人はこういう漢代の歌謡も弾けるそうです。

337 :1(総合スレの135):2006/10/31(火) 19:48:58
ところで、一ヶ月ぐらいかかってやっと曹植たんの「文帝誄」が入力できたので
いちおううpしておきます(誤字があるかも……)。『藝文類聚』の魏文帝の項より。
……訳はさらにお待ちを(ry

魏陳王曹植文帝誄曰.
天震地駭.崩山隕霜.陽精薄景.五緯錯行.哀殊喪考.思慕過唐.辟踴郊野.仰愬穹蒼.
考諸先紀.尋之哲言.生若浮寄.コ貴長傳.朝聞夕逝.死志所存.皇雖殪没.天禄永延.
何以述コ.表之素旃.何以詠功.宣之管絃.乃作誄曰.元光幽昧.道究運遷.●迴暦敷.
簡聖授賢.乃誉大行.屬以黎元.龍飛踐祚.合契上玄.五行定紀.改號革年.明明赫赫.
授命自天.風偃物化.コ以禮宣.詳惟聖質.岐嶷幼齡.研機六典.學不過庭.潛心無内.
抗志高明.才秀藻朗.如玉如宝.聽察無響.視睹未形.其剛如金.其勁如瓊.如冰之潔.
如砥之平.爵功無重.戮違無輕.心鏡萬機.鑒照下情.宅土之中.率民以漸.道義是圖.
弗営厥險.六合通同.齊契共檢.導下以純.民由樸儉.[糸弗]冕崇麗.衡[糸偏に沈むのつくり]惟新.尊肅禮容.
瞻之若神.方牧妙舉.欽於恤民.虎将荷節.鎮彼四鄰.朱旗所勦.九壤披震.疇克不若.
孰敢不臣.懸旌海表.萬里無塵.回回凱風.祁祁甘雨.稼惟歳豊.登我稷黍.家佩惠君.
戸蒙慈父.在位七載.九功仍舉.將承太和.絶跡三五.宜作物師.長為神主.壽終金石.
等弄東父.如何奄忽.摧身后土.俾我.靡瞻靡顧.嗟嗟皇穹.胡寧忍予.明鑒吉凶.體達存亡.
深垂典制.申之嗣皇.聖上虔奉.是順是將.乃払玄宇.基于首陽.擬跡穀林.追堯纂唐.
合山同阪.不樹不疆.塗車芻霊.珠玉靡藏.百神警侍.賓于幽堂.於是侯大隧之致功.陳元辰之叔禎.
潛華體於梓宮.憑正殿以居霊.悼晏駕之既俟.感容車之速征.
浮飛魂於輕霄.就黄墟以藏形.背三光之昭晰.歸屯夕之冥冥.嗟一往之不返.痛必闥之長局.

338 :1(総合スレの135):2006/10/31(火) 21:20:21
す、済みません。↑は旧字体混ざりマージョンですたorz
こっちが正解です(といっても誤字があるかもorz)

魏陳王曹植文帝誄曰.
天震地駭.崩山隕霜.陽精薄景.五緯錯行.哀殊喪考.思慕過唐.[手偏+辟]踴郊野.仰愬穹蒼.
考諸先紀.尋之哲言.生若浮寄.徳貴長博.朝聞夕逝.死志所存.皇雖殪没.天禄永延.
何以述徳.表之素旃.何以詠功.宣之管絃.乃作誄曰.元光幽昧.道究運遷.●迴暦数.
簡聖授賢.乃誉大行.属以黎元.龍飛踐祚.合契上玄.五行定紀.改号革年.明明赫赫.
授命自天.風偃物化.徳以礼宣.詳惟聖質.岐嶷幼齢.研機六典.学不過庭.潜心無内.
抗志高明.才秀藻朗.如玉如宝.聴察無響.視睹未形.其剛如金.其勁如瓊.如冰之潔.
如砥之平.爵功無重.戮違無軽.心鏡萬機.鑑照下情.宅土之中.率民以漸.道義是図.
弗営厥険.六合通同.斉契共検.導下以純.民由樸儉.[糸弗]冕崇麗.衡[糸偏+沈のツクリ]惟新.尊肅礼容.
瞻之若神.方牧妙挙.欽於恤民.虎将荷節.鎮彼四隣.朱旗所勦.九壤披震.疇克不若.
孰敢不臣.懸旌海表.万里無塵.回回凱風.祁祁甘雨.稼惟歳豊.登我稷黍.家佩恵君.
戸蒙慈父.在位七載.九功仍挙.将承太和.絶跡三五.宜作物師.長為神主.壽終金石.
等[竹冠+弄]東父.如何奄忽.摧身后土.俾我●●.靡瞻靡顧.嗟嗟皇穹.胡寧忍予.明鑑吉凶.体達存亡.
深垂典制.申之嗣皇.聖上虔奉.是順是小.乃啓玄宇.基于首陽.擬跡穀林.追堯纂唐.
合山同阪.不樹不疆.塗車芻霊.珠玉靡蔵.百神警侍.賓于幽堂.於是侯大隧之致功.陳元辰之叔禎.
潛華体於梓宮.憑正殿以居霊.悼晏駕之既俟.感容車之速征.
浮飛魂於軽霄.就黄墟以蔵形.背三光之昭晰.歸屯夕之冥冥.嗟一往之不返.痛必闥之長[ケイ/かんぬき].


339 :1(総合スレの135):2006/10/31(火) 21:30:25
>>338
マージョンって何だorz バージョンです。
『藝文類聚』巻第十三、魏文帝の項ですよと……orz

最後の行、
×歸屯夕之冥冥.→◎帰[穴冠+屯][穴冠+夕]之冥冥.です。

340 :無名武将@お腹せっぷく:2006/10/31(火) 22:15:01
>>335
>自分が「演義」の作者だったら、周瑜がかっこよすぎてむかつくから噛ませ犬に
おまいさん心が狭いな・・・・






実は俺もそう思った
かっこよすぎてマトモにゃやってらんねw

341 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/01(水) 00:18:27
>>340
嫁さんが美人だというだけでやってられんというに、やれイケメンだ風流人だ名家だ大物だ天才だと揃った日にゃ「血でも吐いて氏ね!」
と思って誰が責められようか?いや誰も責められまい(反語)

…真面目に考察すると、あくまで敵役なわけで格好良すぎても問題だし、あまりにしょぼくても敵として見栄えがしない…
その辺りのバランスが演義の周瑜像なんじゃないかな?曹操vs周瑜vs諸葛亮の熾烈な頭脳戦はやはり演義珠玉の部分ではある。

342 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/01(水) 05:47:16
>>338
超乙
楽しみにしてます

ついでに>>338の本文を校訂
2-4は天震地駭の行を本文の1行目としてとして2行目の4句目のこと
2-4 徳貴長博→徳貴長傳(伝)
3-8 ●迴暦数の●→「乱」の字の「舌」の部分を「卓」に変えた字
4-2 乃誉大行→乃眷大行
6-3 如玉如宝→如玉如瑩
12-4 俾我●●の●→両方「螢」の「虫」の部分を「几」に変えた字
13-4 是順是小→是順是将
14-3 塗車芻霊→塗車蒭霊
16-6 痛必闥之長[ケイ/かんぬき]の「必」→門がまえに必

で、そういえば宋本曹子建文集(勿論影印)があったなと思って
確認したら、『藝文類聚』はかなり省略されてるみたいだね
『藝文類聚』は514文字かな(めんどくさいから再確認してないけど)
曹子建文集は一行15文字として(確認してないが多分一定のはず)
80行+7文字=1207文字(題名を除く)
半分以下…

343 :1(135):2006/11/01(水) 06:04:30
訂正超thxです!orz
訳も誰か(ry

……むむむ、がんがろう……

344 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/01(水) 09:25:58
>>336
>もう少し寒さが深まったら、苦寒行と朔風でもやりませうか。wktk。
風流だなw
季節感ある2ちゃんねらワロス
クリスマスと正月はそれ読みながら過ごすか…

345 :1(総合スレの135):2006/11/01(水) 13:46:31
皆さんいつもthxです!

>>333さんの文選の『生年不満百』を、訓読と訳だけうpしておきます。

『生年不満百』
生年は百に満たず、常に千歳の憂いを懐く
昼の短き 夜の長きに苦しまば、何ぞ燭を秉って遊ばざる
楽しみを為すは当に時に及ぶ、何ぞ能く來茲を待たん
愚者は費えを愛惜し、但 後世の嗤と為る
仙人王子喬、与に期を等しくすべき難し

訳は(適当ですお……)、
「どうせ人は百歳までは生きられないのに、
いつも千歳までも生きるかのように心配ばかりしています
昼は短く夜は長いのがつらいならば、蝋燭を点して遊びましょう
楽しむためには今を逃してはなりません、来年など待っていられましょうか
愚かな人は散財を惜しんで、後世の物笑いの種になるだけです
仙人になった周の王子喬のようには、とても誰もなれないのですから」

曹丕も、「芙蓉池」で似たようなことをぼやいて(?)いますね。
それに対して「いや、千年もこうでありたいものですよ!」と爽やかに詩を返す
十代の曹植たんの怖いもの知らずな若さは、さすがでありますw。

>>344
それは……大変ですな……
それじゃ正月前には、馬超伝の「めでたくなんかないもん!」のところをやりましょうか……

346 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/01(水) 14:40:18
>昼は短く夜は長いのがつらいならば、蝋燭を点して遊びましょう

「暗いと不平をこぼすより、すすんで灯りをつけましょう」か!
(違う)

347 :344:2006/11/01(水) 16:19:21
>>345
クリスマスと正月はおまいさんの
苦寒行と朔風と正月の馬超伝で過ごすか
楽しみにしてるよ・・・・(´;ω;`)ブワッ

348 : ◆XoQX5vgfQU :2006/11/01(水) 17:10:30
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP

349 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/01(水) 18:20:19
>>355
> 曹丕も、「芙蓉池」で似たようなことをぼやいて(?)いますね。
> それに対して「いや、千年もこうでありたいものですよ!」と爽やかに詩を返す
> 十代の曹植たんの怖いもの知らずな若さは、さすがでありますw。
若い!若いよ曹植タン(*´Д`)
怖いもの知らずな若さって表現がピッタリで気に入ったよ。
曹丕タンは苦労性なんかな。。。

350 :1(総合スレの135):2006/11/01(水) 23:43:14
どもです。>>338を更に自分でも訂正(常用体に改め忘れますたorz)。
8行目 △民由樸儉→◎民由樸倹
15行目 △潛華体於梓宮→◎潜華体於梓宮

>>338は台北の台湾大学にあった明朝刊の影印のコピーから
引っ張ってきたやつなのですが、「乃眷大行」「塗車芻霊」はそれぞれ
「春」「蒭」で出てますね〜。昔の中国の人が書き間違えたんですねw。
>>342さん、重ねてthxです!

>>349
やっぱり、長男は背負うものが多いんでしょうか。ましてそれが一国となれば。
そんなストレス解消に、甘いものが欲しくなるのかもですw。

351 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/02(木) 01:25:18
>>350
曹丕の場合、生まれつきの長男ではなく人格形成の時期に唐突に兄の死によって長男の地位を手に入れてしまってるからね
しかもその時期は戦乱真っ只中で、父から受け継ぐであろう家長の座は一家一族どころか一城の命運さえも左右する立場
いきなり「兄死んだからお前が嫡男な」って言われれば外向き固く内に悩みを秘めた神経質でいながらも大らかを装う
文人皇帝曹丕の多面性はそんな抑圧された心とその抑圧の隙間からにじみ出る本来の曹丕という視点から見ると納得ができるかもしれない

352 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/02(木) 02:28:04
>>351
その上、弟二人が後継者候補に挙がってきてるからね。精神衛生上は良くない環境なんだよな。
曹植や曹彰の闊達さはそういったストレスが無かった事もあるんだろうね。

發怒曰君殺吾兄何忍持面視人邪 という曹丕の言葉は根深いものがあるよ。

353 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/02(木) 02:31:55
葡萄でも食べて癒されて下さい
っ∵∵∵

354 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/02(木) 11:59:13
>>352
曹彰はその辺認識してて、後継争いから身を引いてるよね
身を引いて押したのが曹植だったってのが曹丕にはさぞやショックだっただろうな

355 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/02(木) 12:14:18
そーすると>>30>>58みたいな話になるのかな
しかし曹丕ファン多いな(笑)
曹丕ファンってだけで珍しいのに
こんなに集まってるとは

356 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/02(木) 12:23:04
ありがとう、無双

357 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/02(木) 12:36:58
でも無双の曹丕はこんなだよ('A`)
ttp://www.gamecity.ne.jp/smusou4/chara_img/chara_popup_01.jpg

358 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/02(木) 13:38:17
倉舒絡みでの曹操の曹丕に対する発言は酷いと思うんだ

359 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/02(木) 14:08:16
>>355
俺は旧曹丕スレ住人
あのスレは曹丕の文章とかにも触れられてたからこのスレと住人が結構重なってるんじゃないかな

360 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/02(木) 14:14:28
>>358
酷いって断言していいのかな?
解釈の仕方によってはあれは曹操の親心にも見えるのだが…

361 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/02(木) 15:10:40
まあ「周不疑はお前に扱えるものではない」っていうのは、曹丕を心配して言ってるのかもしれんが、言わんでも……

362 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/02(木) 15:20:54
曹沖死亡時の「俺には不幸だがお前にゃラッキー」は厳然とした事実だし、
長男だから次代を受け継ぐ予定でやってきた曹丕と
曹操の寵愛で一気にピックアップされた曹沖がいれば不和の元にしかならんだろう
「(親として)俺には不幸だが(次代を考えた場合争乱の元は減るので)お前にゃラッキー」という
弟を亡くして悲しむ曹丕に曹操が投げかけたブラックな励ましとも解釈できる
曹丕の変人さっぷりは曹操をも凌ぐ一面も確かにあって、これで本当に励まされてしまったかも知れない
こんな解釈は曹丕を過大評価し過ぎと言われてもしょうがないがな

363 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/02(木) 22:06:30
すごい無理あるwwwwwwけどいい解釈だなwwwwwww

364 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/02(木) 22:13:13
いくらなんでも曹操に甘い、というか良く取りすぎな解釈だろ?

365 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/02(木) 22:29:07
まあまあ
良い方に取れるなら良い方に取って置きなよ(´ー`)

366 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/03(金) 11:36:42
素晴らしい解釈だ! 惚れたwww

367 : ◆XoQX5vgfQU :2006/11/03(金) 18:40:27
アドバイスのメール貰ったんで、
少しレイアウトを変えてみました

彡サッ

368 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/03(金) 20:26:58
>>367
素晴らしい!GJ。

369 :1(総合スレの135):2006/11/04(土) 00:24:58
>>351-355,>>358-366
すごい。362さんに感動w
>>352さんの張繍伝註の曹丕たんは、
「(曹丕が張繍に)怒って言うには、君は私の兄を殺したのに、
なぜ躊躇もせずに人の顔を見られるのだ」で良いしょうか。
曹丕たん、兄の曹昂が生きていれば、自分は一介の公子として、弟の曹植たんのように
楽しく文章を書いたり遅くまで狩に行ったり出来るのにな〜、とか思ってたんでしょうか……
ほんとに、葡萄でも食べて癒されて欲しいですw

>>356-357
……曹丕たんが幾らヒネクレ系(失礼)とはいえ、この悪人面はorz
曹丕ファンって少ないんでしょうか? 確かに曹植たんのほうが人気ありそうですがw
でも、蒋介石も息子さんに典論から引いた名をつけるぐらいだし、
>>328さんの曹丕と甄夫人の映画(?)もあるようですし、
大陸でもそんな嫌われ者という訳でもないんじゃまいかな……などと(ry
日本でいう、頼朝公と義経公みたいなものでしょうか。

ところで、ttp://www.gamecity.ne.jp/smusou4/
ざっと見てきましたが、曹植たんがいないような?(´・ω・`)

>>367
Thxです! すごい。テキストが分離して見やすいですね。

370 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/04(土) 01:11:01
>>369
曹丕は、もの凄く好きかとにかく大嫌いか、差が激しいような気がする。
専門家の解釈でも、ただの冷徹野郎に書かれてる場合も多いし。
井波氏も曹丕には冷たい文章が多い。
一番Σ(゚Д゚)となったのが、読み切り三国志中にあった
「(型破りなスケールを持っていた曹操と)
戦いもせず、ねちねちと小細工を弄し、優秀な弟の足を引っ張ることに
多大なエネルギーを費やしてきた曹丕とは、
とても同日に論じることは出来ない」って文章・・。
井波先生それはあまりに曹丕を低く見すぎではないですかと問いかけたくなった。

ただ、ネットでよく見かける曹丕ファンって
激しすぎて曹植や曹操を低く見なすor晒す傾向があると思うんで、
そこ自重して欲しいな。。

そんな自分は曹家はみんなだいすきです。

371 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/04(土) 02:46:43
6年の間に曹丕が作り上げた三国時代を代表するような者って驚くほど多いのにな。
このスレに合った話題を出すと典論を物したのも曹丕で、三国時代が漢文学の芽吹きになったのは
曹丕が皇帝として中華最大の権威として(曹操は何だかんだで結局、漢の中では一番の権威でない)文化保護に乗り出したという事があったからなのに。
文化史上では父曹操を圧倒的に凌ぐ存在と認知すべき偉人なんだけどね。
何故かあんまり評価されない。

372 :1(総合スレの135):2006/11/04(土) 03:28:18
>>370-371
自分も三曹は皆好きですw井波先生……orz
曹丕スレは初めのほうを見ていたのですが、しばらく2ちゃんねるをしない間に
落ちてしまったようですね……曹家スレを立てればいいのかとも思いますが、
他のスレの過疎ぶりを見るにつけ、ここで纏めてたほうがいいのかな〜という気も……
典論は名文ですね。蒋介石以外にも、近代の中国の人は典論から結構文言を引いてますよね。

ところで、自分は曹丕の政治や戦争の何如については好悪が分からないのですが、
個人的に『魏書』文帝紀第二の薄葬に関する詔が好きなので、酔っ払いついでにうpしておきます。
長いんですが、曹丕たんのリアリストなとこや繊細さや変なとこに細かくこだわるところや
オカルト、文人皇帝、醒めた人間不信ぽいところ、そつなく理知的に務めようとするところなどが
まとめて現れているような気が(個人的には)してます。
三世紀に「自古及今、未有不亡之国」なんてしれっと言ってしまうところが、
普段は君主ぶって澄ましてるけど、型破りな頭の良さのある人だったんだな〜と思います。
誤字はたぶんあるような〜済みません↓

373 :1(総合スレの135):2006/11/04(土) 03:30:42
『魏書』文帝紀第二、薄葬に関する詔

「冬十月甲子、表首陽山東為寿陵、作終制曰、礼国君即位為[木偏に卑]、
存不忘亡也。昔堯葬穀林、通樹之。禹葬会稽、農不易畝。故葬於山林、則合乎山林。
封樹之制、非上古也、吾無取焉。寿陵因山為体、無為封樹、無立寝殿、造園邑、通神道。
夫葬也者蔵也、欲人之不得見也。骨無痛痒之知、塚非棲神之宅。
礼不墓祭、欲存亡之不?也、為棺槨足以朽骨、衣衾足以朽肉而已。
故吾営此丘墟不食之地、欲使易代之後不知其処。
無施葦炭、無蔵金銀銅鉄、一以瓦器、合古塗車芻霊之義。
棺但漆際会三過、飯含無以珠玉、無施珠襦玉匣、諸愚俗所為也。
季孫以??斂、孔子歴級而救之、譬之暴骸中原。宋公厚葬、君子謂華元、
楽?不臣、以為棄君於悪。漢文帝之不発、霸陵無求也。光武之掘、原陵封樹也。
霸陵之完、功在釈之。原陵之掘、罪在明帝。是釈之忠以利君、明帝愛以害親也。
忠臣孝子、宜思仲尼、丘明、釈之言、鑑華元、楽?、明帝之戒、
存於所以安君定親、使魂霊万載無危。斯則賢聖之忠孝矣。

自古及今、未有不亡之国、亦無不掘之墓也。
喪乱以来、漢氏諸陵無不発掘、至乃焼取玉匣金縷、骸骨并尽。
是焚如之刑、豈不重痛哉。
禍由乎厚葬封樹。桑霍為我戒、不亦明晰乎。
其皇后及貴人以下、不隨王之国者、有終没皆葬澗西、前又以表其処矣。
蓋舜葬蒼梧、二妃不従、延陵葬子、遠在?博。
魂而有霊、無不之也、一澗之閨A不足為遠。
若違今詔、妄有所変改造施、吾為戮尸地下、戮而重戮、死而重死。
臣子為蔑死君父、不忠不孝、使死者有知、将不福汝。
其以此詔蔵之宗廟、副在尚書、秘書、三府。

374 :1(総合スレの135):2006/11/04(土) 03:32:52
訳の前半(適当ですお〜)、

冬十月三日、(曹丕は)首陽山の東に墓陵を作ることにし、
葬儀の段取りを決めて曰く、「今までの習いでは、即位した君主は棺桶を作り、
存命の間も死を忘れないようにしました。昔、(堯舜伝説の名君である)堯王は
穀林に葬られ、木を植えました。
また、(夏の名君である)禹帝は会稽に葬られましたが、農民は畝から離れませんでした。
故に、山林に葬れば、それと合わさることができるのです。
(立派な墓に)封じて木を植える慣わしは古来のものではなく、
私が採用することはありません。寿陵は山の地形に因んでその形を作り、
木を植えたり立派な墓を作らず、寝殿を建てず、園邑を造らず、
神道を通さないようにしなさい。
そもそも葬儀とは、(亡骸を)覆い隠すことであって、
他人から見えなくなることが本意なのです。骨は痛みも痒みも知らず、
塚は神のお棲まいになる家ではありません。慣わしで墓を祭らないのは、
生きている者と亡き者を?さないようにするためです。
棺桶は骨を朽ちさせるのに足り、衣類は肉を朽ちさせるのに足れば良いのです。
故に私はこの丘に、ものを食べたりしない虚ろな場所を造営し、
私の代の後にはその場所がわからないようにしたいのです。
葦炭を施さず、金銀銅鉄を埋蔵せず、すべてにかわらけを用い、
塗車芻霊の儀礼の間に合わせにしなさい。棺桶は漆を三回だけ塗り、
(遺骸には)珠玉を含ませず、珠の肌着や玉匣を施すような愚俗な真似をしてはなりません。
季孫が??をもってその亡骸を葬られたときに、孔子は階段をのぼってそれを止めさせ、
それを亡骸を中原に暴くことに例えました。宋公を手厚く葬った際には、
君子は(臣の)華元と楽?を、君主の悪を棄ておき臣にあらずと言いました。
漢の文帝の墓が発見されないのは、霸陵に求めるものがないからです。
光武帝の墓が掘られたのは、原陵が木を植えた立派な墓だからです。
霸陵が完全なのは、釈の功績です。原陵が掘られたのは、明帝の罪です。
これは、釈の忠義が主君の役に立ち、明帝の愛は親の害になったということです。

375 :1(総合スレの135):2006/11/04(土) 03:33:48
>>374のつづき
忠臣の孝子は、孔子・丘明・釈の言葉を思って同調し、華元・楽?・明帝の戒めに鑑み、
主君を安らかにし親を安定させることができ、万年の後まで霊魂を危険にさせませんでした。
これこそが、りっぱな者の忠孝というものです。

古来から今に至るまで、滅びなかった国は未だ有らず、暴かれなかった墓もありません。
喪が乱れて以来、漢氏の陵に発掘されないものはなく、金の糸や玉匣を焼き取ろうとして、
骸骨も共に焼かれてしまいます。これは火刑のようなもので、どれほど重ねて痛いことでしょう。
この禍いは、手厚く葬り立派な墓に木を植えることが原因です。
「桑と霍は我が戒めである」とは、良く言ったものです。
皇后から貴人以下に及ぶまで、王の国についていかなかった者は、
没した後は皆澗西に葬り、そこがわかるようにしなさい。
思うに、(堯舜伝説の名君である)舜帝は蒼梧に葬られたが、二人の妃は従わず、
延陵は子を葬るのに、遠くにある?博にしました。
霊魂というものが有るならば、それはここにだけいるというものではなく、
一澗の間も遠すぎはしません。もしこの詔に違反し、ばかげた改変をすれば、
私は地下で亡骸をはずかしめられ、はずかしめをさらに重ねて受け、
死んでなお重ねて死ぬことになるのです。臣や子が死んだ君主や父を蔑むことは、
不忠不孝であり、死者がそれを知ることができれば、あなたに福はないでしょう。
ですから、この詔を宗廟にしまって、副のものを尚書・秘書・三府に置きなさい。


予想外に長かった。済みませんorz

376 :1(総合スレの135):2006/11/04(土) 03:49:35
ああ、?が出てしまったorz
>>373の上の段落は、
4行目
×欲存亡之不?也→◎欲存亡之不[黒偏に讀のツクリ]也
9行目
×季孫以??斂→◎季孫以[王偏に与の旧字][王偏に番]斂
10行目と12行目
×楽?→◎楽[草冠に呂]

下の段落は、
6行目
×遠在?博→◎遠在[秦王子嬰の姓のエイ]博 です。

377 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/04(土) 03:49:56
>>371
文化保護の視点で言ったら後漢の霊帝なんかも再評価の余地があるよな
ただ皇帝という立場上、どうしても文化面より政治面や軍事面で評価を固められがちになるのは仕方ないのかも

378 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/04(土) 10:58:18
少帝(劉弁)も詩を作ったことがあるって聞いたことある。

379 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/04(土) 11:22:59
>>369
頼朝と義経は当たってるかも。
曹植は義経みたいな判官贔屓が強いね。

380 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/04(土) 13:37:05
悲歌
天道易兮我何艱。棄萬乘兮退守蕃。逆臣見迫兮命不延。逝將去汝兮適幽玄。

唐姬起舞歌
皇天崩兮后土頹。身為帝王兮命夭摧。死生路異兮從此乖。奈我煢獨兮心中哀。

381 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/04(土) 16:14:12
そう言えば曹植は詩歌なんかどうでもいいから政治で身を立ててこそって楊脩への手紙で言ってたな
文才があるからこその話しなんだろうか
まあそれを強烈に意識してたんだろうけど曹丕は典論論文は文章は経国云々と文学こそ国家の大事と謳ってるわけで
この辺もこの兄弟の複雑な関係が見えてくる気がする

382 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/04(土) 17:26:03
>>369
無双には曹植タン出てないんだよ。

383 : ◆XoQX5vgfQU :2006/11/04(土) 18:39:24
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP

384 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/05(日) 13:45:45
あげ

385 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/05(日) 20:18:31
>>373〜375
GJ!!訳楽しみにしてます
曹丕もいいけど曹植ももっと読みたいです

386 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/05(日) 21:53:55
曹操も読みたいよ!

387 :1(総合スレの135):2006/11/05(日) 22:47:08
>>377
自分も、後漢の霊帝と劉弁は「黄巾の乱の元とその気の毒な長男」というイメージ……orz
もっと勉強してきます。

>>379
人気は圧倒的に義経公ですが、頼朝公もファンは多いですよね。

>>380
うp thxです! 劉弁の奥さんの唐姫ですね。そうだ、こんな人もいたんであった。

>>381
文選の曹植たんは名文揃いですよね。自分は曹丕の手紙も好きです。
曹植は詩、曹丕は手紙や論が特に卓越して素晴らしいように思えます。
しかしそうはいっても、曹植たんの駢文の完璧な美しさといったら、
何故彼がある面では兄をも凌ぐ詩聖文聖と称えられるのか、非常によく分かりますよね〜。

>>383
(´・ω・`)人気ないのかな……

>>384-386
あげthxです! それでは、とりあえず曹植たんの短いやつを一遍うpしておきます。

『妾薄命二首 其一』 曹子建

玉手を携え同車を喜び  比びて雲閣の飛除を上がる
釣台は[ケン]産とし清虚  池塘霊沼を娯しむべし
仰ぎて龍舟を緑波に汎べ  俯して神草の枝柯を擢く
彼の[フク]妃の洛河を想い  退きて漢女湘娥を詠ず

*[ケン]→寒の下二点が足
*[フク]→ウ冠に必

388 :1(総合スレの135):2006/11/05(日) 22:48:45
>>387の訳は(適当ですお……)
「天子様と手をたずさえてうきうきと同じ車に乗り、一緒にならんで高楼の階段をのぼりました
釣台は高大として清らかな眺め、四角い池やきれいな沼が楽しめましょう
仰いでは龍舟を緑たたえる波にうかべ、下を向いては可愛らしい草茎を手折ります
(その光景に)かの女神がお住まいの洛水河を想い、
下がったのちに、漢水河や湘水河の女神のうたを詠みました」

これは『妾薄命二首』の1のほうで、自分は色っぽい2がとても好きなのですがw、
曹植たんと曹丕の関係が話題にあがっているので、1をうpしておきます。
というのも、「携玉手喜同車」という一句目は、自分は曹植が美女の白い滑らかな手をとって……
という話かと思ってwktkしていたのですがw、台北の広文書局の『曹子建詩箋』によれば、
どうやら玉手=天子の手、つまり皇帝に即位した曹丕の手らしいのでがっかりです
(いや、別に曹丕様がイカンという訳ではないのですがw)。
曹丕が禅譲を受けた後も、兄弟仲良くお出掛けして遊んでいたのですね。
「想彼[フク]妃洛河」というのは、『洛神賦』のヒロインでもある洛水の女神、フク妃のことで、
曹丕の妻の甄夫人を想ったのか……は、誰にも分からんですなw。

ところで、>>328さん(>>336にサルベージ)のポスターの内容を、ぐぐって発見しました。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E6%9B%B9%E4%B8%95%E8%88%87%E7%94%84%E5%AE%93&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
http://163.21.249.242/News/News.asp?iPage=&UnitId=133&NewsId=10210
舞台劇(ミュージカル?)みたいですね。
「曹丕与甄[フク]」とあるので、甄夫人をフク妃になぞらえるのは、中国では至極当然のことなのでしょうか。
そうすると、「退きて……」が意味深ですねw(曹丕&曹植たん、ゴシップで遊んでごめんなさい)。
曹丕と曹植は、禅譲後も(多分)親しく交流することもあったよね、ということで……

389 :1(総合スレの135):2006/11/06(月) 00:09:32
たびたびどもです。
友人の台湾人とチャットしていて、>>388の『曹丕と甄★』の中央日報を
訳したので、いちおううpしておきます(適当です……)。(★はウ冠に必)
http://163.21.249.242/News/News.asp?iPage=&UnitId=133&NewsId=10210

『曹丕と甄★』の劇は人間性を説く──中央日報 2004.04.08
 身体と音符で人間性を描く四幕の大型ミュージカル『曹丕と甄★』は、
新しい解釈となって五月に国家戯劇院で再演され、百分に及ぶその舞台は
観客に時空を越えさせ、曹丕・曹植と甄夫人の愛憎の情劇を感じさせます。
チケットはすでに即日で二公演分が発売されました。
 『曹丕と甄★』は三国時代の王朝を舞台としたもので、曹丕と曹植の兄弟が争い、
宮廷は腐敗し、権力を争う二人の兄弟の甄★に対する愛と恨み、
人間性の壊滅させる戦場が表現されます。劉鳳学、王正平、葉錦添、張維文の各氏は、
この劇の中で、「人間性」についての新たな焦点を探求してゆきます。
 2004年度版の『曹丕と甄★』は、「空」と「冷」、「純」と「素」のという
根源的な芸術的観点からつくられており、それらが全体を通した美学となって訴えかけます。
四幕すべての劇を包括する第一幕は、悲壮で静かな戦場であり、
第二幕は冷たく寂しい後宮、第三幕は侫臣の狡猾さと民衆の生活の純朴な様子があり、
芸術の上で強烈な「対比」を形成します。そして倒置した第四幕にきて、
壊滅的な情景のとものがなしい音楽の中で、曹植と甄★の愛をひっそりと描きます。
 この舞台の三人の主役は、陳逸民が初演時から冷たく横暴な曹丕を演じ、
王宏豪が多才で情熱的な曹植、表現力のすばらしい林威玲が甄★を演じます。
七年の時を経て、彼らは権力と愛情、そして舞台劇のキャリアを深くつんだために、
さらに繊細かつ迫力のある表現力を見につけたことでしょう。
 五月7,8,9日の国家戯劇院のほか、後に台南市立芸術センターでも公演が行われます。
チケットの発売はこちらまで。(郭士榛、台北ニュース)

390 :1(総合スレの135):2006/11/06(月) 00:14:56
>>389の説明。
劉鳳学氏:振り付け家、張維文氏:演出家、葉錦添氏:ファッションデザイナー、
王正平氏:ミュージシャンです。曹丕たんは悪役みたいですね(´・ω・`)
自分は一年ぐらい台北にいたのですが、国家戯劇院というのは
台北市内の蒋介石の記念堂と同じ敷地にあって、
日本でいえば永田町の国立劇場と千駄ヶ谷の能楽堂と新宿の新国が合わさったような
大きくてきれいな国立の劇場です。中国語ワカンネので、劇を観たことはないんですが('A`)

日本でいう、義経千本桜みたいなもんでしょうかね〜。

391 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/06(月) 00:58:16
>>389>>390
GJ!!!!DVDもあるみたい。日本じゃ買えないのかな・・・・
http://www.govbooks.com.tw/Shop/Stores_app/Browse_Item_Details.asp?Store_Id=103&page_id=23&Item_ID=38169&Cat_id=81&shop=53&Pid=15

台湾でも三國志は人気なんですか?

392 :1(総合スレの135):2006/11/06(月) 01:35:29
寝る寝る

>>391
台湾での三国志人気は、日本とそう変わらないかも? 普通に演義が人気です。
関羽は神様なので、台北の龍山寺という有名なお寺に日本のような関帝廟があったり、
商売をしているお店には可愛いポスターや人形があったりで、どこでも人気者です。
ただ、民間伝承(?)みたいなもので「劉備女性説」というのがあって、
劉備が張飛と愛の契りを結んだり曹操に横恋慕されたりしており、
事情を知らずにうかうかしていると、かなりぎょっとすること請け合いですw。

ところで、全然関係ないものをぐぐっていたら、
たまたま面白げなページを見つけたので貼っておきます。
ttp://finance.sina.com.cn/nz/jjxyy/1.shtml
大陸の日経新聞かブルームバーグといったサイトの、『経済学演義』というやつですwww
三国志演義になぞらえて、経済学を分かり易く解説! みたいな感じでしょうか?
自分は簡体字が読めず、経済学もかつてCを取ったのでwよく分からないのですが、
イラストつきで面白いです。「第五回:諸葛亮調整戦略 周公瑾生産果汁」←ひどいw
これが和訳で本になったら買うのにw。

393 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/06(月) 01:45:14
>>392
つ『水煮三国志』

394 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/06(月) 03:58:14
劉備女性説・・・詳しく知りたいような知りたくないようなw

395 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/06(月) 04:26:30
上杉謙信女性説みたいなもんかね

396 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/06(月) 04:42:29
女性説で盛り上がっているところ申し訳ないが
漢文に興味があってネットを回っているうちにこのスレにたどりつたため、
三国志は初心者同然の自分には>>378>>380の関係すらわからなかった。
というわけで、いろいろ調べまわった成果として『後漢書 紀巻十下』の
関連記事を貼っとくね。

明年山東義兵大起、討董卓之亂。卓乃置弘農王於閣上、使郎中令李儒進酖曰、
「服此藥、可以辟惡」
王曰、「我無疾、是欲殺我耳」不肯飲。
強飲之、不得已、乃與妻唐姫及宮人飲讌別。
酒行、王悲歌曰、
「(>>380の悲歌)」
因令唐姫起舞、姫抗袖而歌曰、
「(>>380の起舞歌)」
因泣下嗚咽、坐者皆歔欷。
王謂姫曰、「卿王者妃、(勢)不復爲吏民妻、自愛。從此長辭」
遂飲藥而死、時年十八。

※(勢)は勢の下の力の無い字。意味は「勢」と同じ

まとめサイトさんでは「悲歌」を唐姫の作にしてますが、
これによれば劉辯(少帝、廃位後の弘農王)の作ですね

397 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/06(月) 04:49:54
ついでなのでわかる限りで訳
翌年、山東で義兵が大起して、董卓の乱を討たんとした。
そこで董卓は弘農王(劉辯)を閣上に留め、郎中令李儒に毒酒を進めて
こう言わせたのです。「この薬を飲めば、悪疾を退散できますよ」
弘農王は「私には病なぞ無い、これは私を殺そうとしているのに違いない」と言って、
飲もうとしなかったのだが、(李儒は)無理やり飲ませようとしたので、
やむを得ずに、妻の唐姫や他の宮女達と別れの酒宴を開くことになった。
一同に酒がいきわたると(或いは、弘農王の手元に毒酒が酌まれると?)、
弘農王は悲痛に歌いだした。
「天道易兮我何艱(ごめんわからん)
 天子の位を捨てて帝室の守りである王の地位に退いたが、
 逆臣が私に危害を加えんとしており(或いは逆臣が今まさに危害を(ry?)
      私の命ももはやこれまで、
 お前のもとを去って、あの世へ旅立たん」
弘農王は歌い終わると唐姫に起って舞うように命じた。
唐姫は袖を挙げて歌いだした。
「天地も崩壊(せんばかりの苦難の時期にあたり)
 身は皇帝となりながら、夭折するのが天命、
 死と生と道を異にするのは、まさにこれから
 独り取り残される私、その心の哀しみをどうにかできようか」
唐姫は歌い終わると涙を流して嗚咽し、一同のものもみなすすり泣いた。
弘農王は唐姫に「おまえは王たる者の妃だから、当然吏民の妻として再婚することは
あるまい。自愛せよ。もう永のお別れだ」と告げた。
かくして弘農王は薬を飲んで亡くなった。時に十八の年であった。

解釈できなかった「天道(ry」の一句は「我」を「運」に作るテキストがあるようなので、
それを元に解釈すると
「天道はシンプルなものだが、うまくめぐり合わせること(運勢)の何と困難なものか」
みたいな意味かな

参考にすべき訳本等もってないので、誤読等の指摘をしてもらえると助かります

398 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/06(月) 15:39:39
住人マジ乙。
>>1
年末台湾旅行の予定があるのだが
劉備女性説について詳しく教えてもらえるだろうか?

399 : ◆XoQX5vgfQU :2006/11/06(月) 17:23:11
>>397-398
取り急ぎ「悲歌」を訂正
情報ありがとうございます
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/

400 :313:2006/11/06(月) 17:44:56
天道易兮我何艱

ここでの易は易しいではなく交替、代えるの意味の易かな
(易姓革命などの用法)

天道が易<か>えようとしているのだ兮,我は何ぞ艱<なや>もうか(又は恨もうか)、と
天道が我を易<か>えようとしているのだ,何ぞ艱<なや>みんか、の二重読みを意図してるかも

401 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/06(月) 19:55:12
>>388
>つまり皇帝に即位した曹丕の手らしいのでがっかりです
をいw曹丕ファンじゃなかったのかい?笑

402 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/06(月) 20:40:35
>>396
乙です
そこの記述と唐姫の最後はすごく好きなエピソードの一つだよ



403 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/06(月) 21:58:56
>>398
>>1氏じゃないけど、
義経=ジンギスカンみたいな、トンデモ伝承だよ。
京劇かなんかになってんじゃなかったかな。

404 :1(総合スレの135):2006/11/07(火) 00:55:08
>>393
すごい。明日買ってこようww

>>394-395,>>398,>>403
そうそう、台湾の人も冗談半分に考えているトンデモ話です。
自分も忙しかったので、詳しい内容は知らないのですが、
見聞した限りを書いておきます(気持ち悪くなるかもです……)。

女性劉備は、張飛とくっつくのが定番みたいです(年下趣味か、劉備w)。
そして、曹操(悪役)に横恋慕されるのが王道みたいです。
神様関羽や忠臣諸葛亮は艶っぽい話から外され、関羽の次に人気があって、
男らしい気さくなイメージの義弟張飛が優遇されてるのかな、と……。
女性劉備は、梁紅玉やムーランのような、強くて美しく、優しい女戦士として扱われるみたいです。
ビ夫人&甘夫人や孫夫人、劉禅の扱いは不明w。
 台北市内の市民球場の近くに大きな書店があって(神保町の三省堂ぐらい?)、
歴史関係の本が多く売っていたり、龍山寺という関帝廟がある有名なお寺や、
迪化街というアメ横のようなところ、西門というセンター街+秋葉原のようなところには
三国志グッズが並んでいたりするのですが、例えばうっかり事情を知らずに
「劉備と張飛」などという本を開くと、二人の愛が交歓されていたり、
可愛い女の子の「劉備ちゃんマスコット」が売っていたりして、かなりびびらされますw。

>>396-397,>>400
Thxです! 自分も両方唐姫かと思っていましたorz
後漢書は読み半端で、十八史略でしか知らないので、今度読んでみます!

>>401
もちろん曹丕たんでもいいんですが……30代皇帝曹丕様の手よりは、
やっぱり柳のような美女の風にもたえない白い手のほうが絵になる(ry

405 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 01:43:13
>>404
そんな妄想三国志がアリなら、
台湾の人は三国志艶義も認めてくれるだろう( ゚∀゚)

406 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 02:09:41
>三国志艶義
淑女とよい子の皆さん、18禁だよ(笑)

407 :398:2006/11/07(火) 09:44:43
レスありがとう。
劉備ちゃんマスコットを買って来よう(´Д`)

408 :396:2006/11/07(火) 13:02:30
>>400
Thanks

「易」と「艱」で「やさしい」と「困難」が対比させられている
とばかり思い込んでしまってたよ

409 :1(135):2006/11/07(火) 17:57:37
>>405
それHマンガですよね。自分も読んだことがありますw
曹操が衝撃。巨乳三国志ですねw。
台湾は、とてもおっとりした上品な国なので、残念ながら(?)Hな本は出回っていないようです。
日本のようなHビデオや雑誌なども規制が厳しいらしく、全く見かけません。
ですから、ぎょっとする女性劉備の描写といっても、せいぜい
張飛与劉備作了接吻(張飛と劉備はキスした)という程度です
(充分にぎょっとするかも?w)。
そんな割には、何晏ちゃんの楽しいお散歩グッズはそこらへんに出回っていたりして、
南国らしいお茶目な国でもあります(手出ししてはいけませんお……)。

410 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/07(火) 22:26:54
亀レスだが、>>373-375の詔はいいね。
>是釈之忠以利君、明帝愛以害親也。
>自古及今、未有不亡之国、亦無不掘之墓也。
この辺、本当に曹丕らしい。
頭のいい奴だったんだなと思うのに同意。

>何晏ちゃんの楽しいお散歩グッズ
ドラッグ(・A・)イクナイ!(゚∀゚)
何晏ってそんなのばっか知られてるが、
実際の文章は残ってないんかな?

411 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/08(水) 00:08:16
>>410
>釈の忠義が主君の役に立ち、明帝の愛は親の害になったということです。
>古来から今に至るまで、滅びなかった国は未だ有らず、暴かれなかった墓もありません。
曹操との関係を想像してしまう。ニヒリスト。
性格はおかーさんに似たのかもしれないね。

412 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/08(水) 00:56:29
親が感情過多だと子供は冷静になったりするよな

413 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/08(水) 01:02:57
>>410
論語集解読めばいいと思う
何晏が責任編集だったからな

414 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/08(水) 10:06:57
言志詩
鴻鵠比翼遊。羣飛戲太清。常恐夭網羅。憂禍一旦并。豈若集五湖。順流唼浮萍。逍遙放志意。何為怵タ驚。(世說新語箴規篇。類聚九十。廣文選十五。詩紀十七。初學記三十。白帖二十九)
轉蓬去其根。流飄從風移。芒芒四海涂。悠悠焉可彌。願為浮萍草。託身奇清池。且以樂今日。其後非所知。(初學記二十七。詩紀十七。類聚八十二)
浮雲翳白日。微風輕塵起。(書鈔百五十)

415 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/08(水) 14:20:40
>>414
括弧内の出典説明からすると『先秦漢魏南北朝詩』の何晏の部分かな
詩はこれだけしか残ってないみたいだね。
『世説新語』箴規篇の劉孝標注に名士伝を引いてこの詩とその由来を載せているが
「当時曹爽が政治の実権を握り、識者は危機を心配していた。何晏は非常に名望があり、
魏と姻戚関係にあったので、内心憂いていても、もう退けなかった。五言詩を作って
自分の心の内を述べて(言志)曰く、>>414の最初の引用部分」とのこと

時間が無いので訳は適当。詩も誰か訳してくれるとうれしいな

あと、「文」は文選に景福殿賦が採録されている(めちゃ長い)と論語集解の序文
を除けば、類書等にちょくちょく何晏の作品が引用されているのが残っている程度。
そのなかでは、「論」の文体で書かれた作品が目立っているかな

416 :398:2006/11/08(水) 16:13:22
盛り上がっているところ済まないが、
>>409「何晏ちゃんの楽しいお散歩グッズ」が
本気で分からないのだが・・・解説求む

417 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/08(水) 17:02:05
「何晏」「散歩」
「五石散」

418 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/08(水) 17:14:04
>>416
何晏は「五石散」という一種の麻薬を愛用していたんだが
この「五石散」を飲んだ後、薬の効き目を発散させるために歩き回る「行散」という風習が
魏晋時代に流行したらしい
そのことをもじってるんじゃないかな?

何晏が「五石散」を愛用した記述は『世説新語』の言論篇にあるので紹介

何平叔云、服五石散、非唯治病、亦覚神明開朗

訳)何平叔は云った「五石散を服用すると、ただ病が治るだけでなく、神明開朗になるのを覚える」と。

ついでに薬の流行と何晏の関係は劉孝標注に紹介されている

秦丞相寒食散論曰、寒食散之方、雖出漢代、而用之者寡、靡有傳焉
魏尚書何晏首獲神効、由是大行於世、服者相尋也

訳)秦丞相の『寒食散論』に曰く、
「寒食散の方は漢代に出てきたが、用いるものは少なく、その方を伝える者はなかった。
魏の尚書何晏が優れた効能をみつけ、是より世に大流行し、服用するものが相ついだ」


419 :398:2006/11/08(水) 17:23:27
>>417-418
丁寧なレスありがとうございます。
一種のドラッグだろうか?
1氏の助言通り手出しは控えます。

420 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/08(水) 19:27:11
個人情報スレが終わったよ(´・ω・`)
またいつか立つよね。

421 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/08(水) 22:36:36
俺も見送ってきました。1氏も顔出してくれて乙。


422 :1(総合スレの135):2006/11/09(木) 01:38:59
>>410-412
「骨無痛痒之知、塚非棲神之宅」とか、三世紀初頭の皇帝のいうことじゃないぞと。
ぴ様、幽霊とか本当は信じていないんですねw。でも、その面白さに惹かれるものがあったのでしょう。

>>413-415,>>417-419
おお、何晏ちゃんthxです!! 
>>413さん、そうそう、少し意外ですが(失礼)、論語集解者の筆頭は何晏なんですよね。
そう思うと、論語もけっこう面白く読めますねw。
『世説新語』だと、王ヒツに会ってどうのこうのとか書いてありますがw。
>>414,>>415さんの『世説新語』規箴第十の註より、上の鳥の詩だけ訳しておきます
(下のは、しばらく手付かずだったらやります……自分の訳は怪しいので、できればどなたかお願い(ry)。

「鴻鵠は比翼して遊び  群飛て太清に戯る
常に大網羅を恐れ  憂禍一旦に并ぶ
豈に五湖に集い  流れに順じ浮萍を[口+妾]うに若んや
逍遙として志意を放じ  何ぞ?タの驚れを為さん」

意味は(適当ですお……)
「翼を並べて遊ぶ大きな水鳥は、一斉に群れ飛んで広くきれいな空に舞いあがり、
いつも怖ろしい網の目がもたらす、憂うべき災いの一旦に混じってしまうことにおびえています。
どうして五湖に集って、流れにしたがってゆったりと水草を食んでいられましょうか。
そぞろ歩いて心を解き放てば、恐れ怯えて驚く必要がどこにありましょうか」

三句目を「身常入羅網」「常畏大網羅」、七句目を「永寧中懐[日+廣]」としているテキストもありますね。
七句目は「逍遙放志意(散歩でもして(ry」が何晏らしい気もしますがw。
しかし曹爽派だった何晏ちゃんは、政権崩壊の危機に怯えていたんですね。気の毒……。
『魯迅評論集』の「魏晋の気風および文章と薬および酒の関係」に、
何晏ちゃんと五石散についてのことが面白く纏まっているのですが、
これは魯迅の没後50年経ってるので、うpしても良いのでしょうか?
岩波の本も絶版のようですし……orz

423 :1(総合スレの135):2006/11/09(木) 01:40:25
>>416
>>409の書き方がまどろっこしくて済みませんorz
>>418さんのとおり、台湾には法に接触するようなどらーぐも出回っているので、という。
余談ですが、有名な台湾の檳椰というドングリのような実を
葉っぱ("grass"ではなくw)で巻いたようなものは、煙草やコーヒーのような嗜好品だそうで、
当然日本でも違法ではなく、生姜のようでおいしいです
(ただ、口の中が真っ赤になったり、台湾ではおじさんぽくてダサい食べ物だと思われていたりします)。

>>420-421
Thxです。このスレは個人情報スレで生まれた(?)ようなものなので、
またいつか穏やかに立つといいですが、寂しいですね(´・ω・`)

424 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/09(木) 18:19:43
どうでもいい個人情報を聞き出すスレ
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1163059677/1
避難所らしいが、他板に失礼なスレ立てしたのがここの住人でないことを願うよ

425 : ◆XoQX5vgfQU :2006/11/09(木) 18:52:43
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP・マイチェン

426 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/09(木) 23:54:04
>>423
ttp://www.luxun.sakura.ne.jp/luxun/sakuhin/jiishu/gisin.html
ここに魯迅の全文があるよー。
初めて読んだけど、実に面白いね。

427 :426:2006/11/10(金) 00:00:45
>>422宛だったゴメン

428 :1(総合スレの135):2006/11/10(金) 00:43:36
>>424
あれ、ほんとだ……何かに活用できればいいですが。

>>425
Thxです! すごく見やすいです。
ところで、>>422の訂正です……

×常に大網羅を恐れ→◎常に網羅の夭いを恐れ

この三句目は「常恐夭網羅」「身常入羅網」「常畏大網羅」と
テキストによって色々みたいですが、元はどれなんでしょうね。
集解は、金谷治先生の『論語と私』という本の先生による古註の解説が
素人の自分にも分かりやすくて面白かったです。

>>426-427
SUGEEEEEEEEEEEEEE!!!!!!!!!! すごい。Thxです。魯迅全集要りませんね。

429 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 02:11:30
漢字を旧字とかで入力してあるんだと思うんだけど、
?や空白になってる字を読む方法はありますか?
Windows XPです。
文字化け・・・・

430 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 03:19:14
まず自分のブラウザで使っているフォントを確認汁

自分はXP+IE(+壷)でMS UI Gothicにしてるが、
MS明朝やMSゴシックでもかなり表示できるはず。
ちなみにIEならツール→インターネットオプション→フォントで
変更可

そもそもこの板はS-Jisしか使えないみたいなので
投稿時点で文字化けして?になっている場合もよくあるので
その場合はどう頑張っても?のまま

431 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 03:46:04
常用漢字がある旧字は
なるべく常用に直せばいいけど、
常用漢字もない、表示もできない字は困るね。
ホウ統のホウさえ表示できない。

・ホウ統
・[ホウ]統
・[广+龍]統
・[マダレの中に龍]統
・●統(●はうんぬん)
・あきらめて?統と書く

等々。
みんな色々工夫しているようだけど、
どうしたらいいんだろうね?

432 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 07:35:59
龐統

433 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 07:45:29
辞書で五石散について調べると「寒食散」とも言うらしく
「寒食散」の項目に面白い文章が引いてあったので紹介

蘇軾「論商鞅」から抜粋
<原文>
世有食鍾乳烏喙而縦酒色以求長年者、盖始於何晏。晏少而富貴、故服寒食散、以濟其欲、
無足怪者。彼之所為、足以殺身滅族者、日相繼也、得死於寒食散、豈不幸哉。
而吾獨何為効之。世之服寒食散、疽背嘔血者、相踵也。用商鞅桑弘羊之術、
破國亡宗者皆是也。
<訳>
世の中には鍾乳石(五石散の原料の一)やトリカブトを食べて、酒色に
おぼれながら長寿を得ようとする者がいるが、思うに何晏がその走りであろう。
何晏は若くして富貴であり、いつも寒食散を服用して欲を満たしていたが
(彼を)咎めるまでもない。彼は自分の身も一族も滅ぼしておかしくないような
ことを日々相継いで行っていたわけで、寒食散が原因で(何晏が)死んだとしても
どうして不幸であったろうか。(むしろ寒食散で死んだ方が幸福であったに違いないw)
しかし我々はどうして何晏を見習おうか。世の中では寒食散を服用して
背中にできものができたり血を吐いたりする者が後を絶たない。
(秦の)商鞅や(漢の)桑弘羊のような政策を取って、国を滅ぼし一族を絶やす者は
みなこの寒食散を服用するようなものである。

蘇軾の「論商鞅」自体は、商鞅と桑弘羊の政策を司馬遷が史記で評価したことへの
批判であるが、商鞅のような政策を採用することを寒食散を服用することに
なぞらえたうえで、何晏をひきあいに出してきている。

この文章を読むと何晏は破滅的な快楽主義者みたいなイメージが湧いてくる

434 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 10:59:43
>何晏は破滅的な快楽主義者みたいなイメージ

蒼天航路ではそんな感じだね
DQNしゃべりでクスリ舐めて「ふおー」ってラリってる。
のちのち誅殺されてしまうんだっけ。

435 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 11:04:53
>>431
>>432みたいに普通にUnicode使えばいい。
それともそういうことじゃないのか?

436 :test:2006/11/10(金) 14:09:31
龐統

437 :430=436:2006/11/10(金) 14:24:58
すれ汚しごめん、普通にコピペできた。
ソース覗くとUnocode文字は数値文字参照(ユニコードタグ)使ってあるので
この板でUnocode文字はそのままでは使えないのかとばかり思ってたが
勝手にcgiが変換してくれるのね
というわけで>>430のS-Jis云々は忘れてくれorz

ちなみにソースごとコピペすればまとめサイトさんもUnicode対応の文字を表示可
例えば龐はソースでは龐(これを半角で打ってある)になっている

438 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/10(金) 16:02:16
張昭はけっこうすごいんじゃない?

論語と春秋左氏傳の注釈をしている。ただ、その後の呉の末路を見ると、どこまで精度が高かったのか疑われるが・・・

439 :1(総合スレの135):2006/11/11(土) 02:38:32
>>429-432,>>435-437
Thxです! なるべく常用漢字でタイプしていますが、無い字は困りますね〜
酔っぱらってUnicode表と睨めっこするのは大変('A`)

>>433
東坡様キター(AA略)Thxです!!!
何晏ちゃんはデカダンですね。本来は立派な儒学者の彼は、
大事な学問を義理と礼でがんじがらめの中国人社会の形骸化した盾に取られたら、
自らをもってその下らない盾を壊したくもなりますよね。
曹操や曹丕・曹植たんのように、「形骸化した礼イラネ」と言う人はまだいいですがw。
しかし東坡先生には、爛熟した魏宮の退廃に見えたのでしょうか。
魯迅以外にも、孫文も阿片戦争を何晏ちゃんになぞらえたことを言っていますね。

>>434
蒼天航路は読んでないので、今度読んでみます。がーん、そんななのか……
何晏ちゃんは曹爽派だったので、>>414-415の詩のとおりに
司馬懿の反曹クーデターで一緒に殺されてますね。
しかし言志詩は、技巧に走る何晏ちゃんの筆のそれこそデカダンスなところや、
個人主義っぽいところがよく出ているように思えますw。
折角なので、>>414-415さんの『世説新語』箴規篇6の註の該当部分をうpしておきます。

「名士伝曰、是時曹爽輔政、識者慮有危機。
 晏有重名、与魏姻戚、内雖懐憂、而無復退也。
 箸五言詩以言志曰、(>>414さんの言志詩)。因輅言惧而賦詩」
最後の句は、「(何晏は)輅の言ったことを恐れ、この詩を書きました」。

>>438
呉書では珍しくw熱心な学者さんですよね。
寡聞にして自分は知らないのですが、何か文章が残っているのでしょうか?

440 : ◆XoQX5vgfQU :2006/11/11(土) 03:11:54
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP
>>437
Unicode入力してみました
情報ありがとうございます

441 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/11(土) 05:37:13
>>439
> 酔っぱらってUnicode表と睨めっこするのは大変('A`)

実はそんなに大変ではない。
手順は以下の通り。
1.wordもしくはexelを立ち上げる。
2.該当する漢字を入力する。
3.webページで保存する。
4.保存したページのソースを見る。
5.該当する漢字のUnicodeゲット!

……まあ手順は面倒くさいかもしれませんが、表とにらめっこするよりはるかに楽だと思います。
もっと簡単な方法があったらごめんなさい。
ちなみに
> 2.該当する漢字を入力する。
ですが、
IMEパッドの手書きを利用すると良いと思います。

442 :1(総合スレの135):2006/11/11(土) 06:25:22
>>440 Thxです。いつもどもです。
>>441 Thxです! すごい。今度やってみます。

めでたく徹夜仕事が終了したので、週末のネタに他時代の息抜きを一篇('A`)

『浪淘沙(北戴河にて)』 毛沢東

大雨落幽燕
白浪滔天
秦皇島外打魚船
一片汪洋都不見
知向誰辺

往時越千年
魏武揮鞭
東臨碣石有遺篇
蕭瑟秋風今又是
換了人間

訳(適当ですお……)。
「幽州の燕に大雨が降っています
白波は天にとどくかのような勢いです
しかし秦皇島の外で魚をとる船は、
深く広い海の水の一滴も知らないかのようです
どこに向かっているのでしょう。

千年の時を越えた昔、
魏の曹操は鞭をふるい、
碣石を東にのぞんで詩を残しました
ものがなしい秋風が今ふたたびここに吹き、
世の中が移り変わってゆきました」

443 :1(総合スレの135):2006/11/11(土) 06:27:31
>>442
これは三国志が大好きな毛沢東が1954年に詠んだ詩だそうで、
彼が中国にとって、もっとも英雄的であった頃の作ですね。
明らかに、南唐の李イクの同名(同形)の作を踏まえたものですね。
そんな繊細でロマンチックな詩人が好きだったとは、少し意外に思えますw。
もしかしたら、曹植とかも好きなのかも知れませんw。

北戴河というのは、昔の燕国・幽州、今の河北省秦皇島市にある、
日本でいえば旧軽井沢のような避暑地だそうです。
始皇帝が有名な碣石門の碑をたてた蓮蓬山があるところで、
碣石というのは多分そのことだと思います(違うかも……)。
以降、中国の皇帝は、よく蓮蓬山に登って何ちゃらという話がありますね。
自分はよく知らないのですが、禅譲を受けていない曹操もここに行ったのでしょうか
(それとも、別に蓮蓬山に登ってはいなくても、
幽州は常に曹操(曹魏)の東にあったというだけの話でしょうかw)?
人の世は移り代わり、始皇帝、曹操、李イク……そして毛沢東という訳ですね。さすがですw。
彼は上手な詩をたくさん残していますね。もっとも、革命的なやつが多いですがw。

444 :1(総合スレの135):2006/11/11(土) 08:50:01
たびたび連投失礼です

>東臨碣石
いま勝手に気付いたんですが、
>>442-443のこれは歩出夏門行ですね。済みませんorz

白浪滔天=楊奉とか考えるのは考えすぎですかねw
寝よう……

445 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/11(土) 09:08:26
>>444
今それ書こうと思った。1氏乙。毛沢東のイメージじゃないんで驚いたけど自分を歴代皇帝になぞらえるのはさすが。

446 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/11(土) 09:34:31
1) 文字鏡を起動する。
2) 字を見つける。
3) unicodeタグをコピーする。
龐
龐

447 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/11(土) 18:45:40
人民は阿斗ではならぬ!

448 :429:2006/11/11(土) 21:08:00
漢字入力ありがとうございます
大分見れるようになりました。

近代中国の指導者も三国志ファンなんですね
歩出夏門行とか何晏とかマイナーなのに
正史をちゃんと読んでるんですね。

449 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/12(日) 02:57:44
>>439
何晏の評価として妥当な線だね。
残された資料の信憑性はどれぐらいなんだろうか?
女服、白粉、司馬氏が何晏を貶めるデマとも取れる。

450 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/12(日) 09:48:21
こうゆうデカダンな文化で出てくると世紀末を感じるね。
魏文化の円熟を過ぎて腐敗期なのかな

451 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/12(日) 15:12:27
だね
そのへん近代の革命家が叩きやすかったの鴨。

毛沢東は平仄を理解してるんだね。
文革やった割りに詩を読むのは
士太夫は詩ぐらい読むべしつー中国文化のセイか。

452 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/12(日) 20:50:07
誰か>>414の下2つも訳キボン

453 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/12(日) 21:18:15
>>452
上:
大地から抜けた根無しの蓬が風に飛ばされるままにさまよっている。
芒芒たるかな(広々とした)四海の道、悠々として終わるべし。
願わくは浮き草となって、清らかな池の側に身を託さん。
かつ今日を楽しむを持って、その後を知るところあらざる。

大意と不正確な読み下しを混ぜてみた。
風にさまよう根無し草の行く末に思いをはせて、自分もそのような人生を送ってみたいものだという感じ?

454 :1(135):2006/11/12(日) 22:08:39
下:
浮曇は白日に翳し 微風は軽塵を起す
(浮曇は明るい昼間に陰をつくり、僅かな風が細かな塵を巻きあげます)

続く句を知らないのですが、この二句だけだと
題材の爽やかさに反して不吉な感じですね。

455 :452:2006/11/12(日) 22:29:32
>>453
>>454

腐敗した宮廷から逃げ出したかったんかねぇ

456 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/13(月) 01:25:49
>>453
だが、「悠悠焉可彌」は「悠悠焉 可彌」と読んだのかな
ここはリズム的に「悠悠 焉可彌」と読みたいところ
「彌」の解釈に自信が無いが

「悠悠として焉(いずく)んぞ彌(きわ)むべけん」
(世界は)悠悠と広大で果てなどあろうか(或いは果てまで行けようか)

みたいな感じかな
「且以樂今日」の且も姑且の意味にとって

且(しばら)く以って今日を樂しみ、其の後は知る所に非ず。
とりあえずはこうして今日を楽しもう、後のことなど知らないさ

みたいに解釈すると現在の状況の不安定さが感じられていいんじゃないか
と思う。

457 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/13(月) 03:29:28
>>438
後世に残った文献から見ると、呉を代表する学者といえば韋昭かな
「国語(本の名前ね)」の注が現存するほか、史記・漢書の注あたりに結構
引用されてたような気がする
(ちなみに韋昭は避諱の関係で三国志では韋曜という名前で出てくる)
あとは、本物かどうかは知らんが陸績の「京氏(京房)易伝」の注が現存。
明代に「京氏易伝」他から残存する陸績の易の注釈を拾って作られた
「陸氏易解」という本もあるみたい。
さらに虞翻の易注の完本は現存しないが、唐の李鼎祚という人が作った
「周易集解」という本に大量に虞翻の注が引用されていて
(数えた人wによると1300節近く)、その内容は相当詳しく伺えるらしい

こうして見ると呉は結構優秀な学者を輩出しているね。
それに対して蜀は…誰かいたっけ?
辛うじて譙周が思い浮かぶ程度?
彼の「古史考」が史記注他に、「五経然否論」が儒教の経典の注釈等に
ちょこちょこ引かれる程度であまりまとまっては残ってなさそうだが
(ちなみに彼の文章は全三国文じゃなくて全晋文に採録されている)

458 :1(総合スレの135):2006/11/13(月) 04:15:55
>>445,>>447-448,>>451
胡風事件とかある割に、毛沢東はきれいな古典に則った詩を残していますよね。
>>442の浪淘沙は複雑な形式ですが、平仄も押韻もきれいですね。
もっとも、最後の「換了人間」という句は、「了」がいかにも現代的ですねw。

>>446
Thxです! 自分は文字鏡というものを持ってないですが……orz

>>449-453,>>455-456
Thxです!! ああ、如何にもデカダンの薫り高い文人の詩ですねw。
しかし曹丕たんのせいか司馬懿のせいか知りませんがw、
何晏ちゃんは不安げに怯えたような作が多いのでしょうか?
しかし目いっぱい自分の心配をしているところが、清談の個人主義っぽさですねw。

芸文類聚に何晏ちゃんのきれいな文章を見かけたので、
Unicodeの練習をかねてwうpしておきます(簡単な方法を教えてくださった人、thxです!)。
訳はそのうち……どなたか(ry orz

459 :1(総合スレの135):2006/11/13(月) 04:17:23
>>458のつづき
「魏何晏景福殿賦曰 立景福之秘殿 備皇居之制度 爾乃豊層覆之眈眈 
建高基之堂堂 羅疏柱之汨越 肅坻鄂之鏘鏘 飛檐翼以軒翥
反宇以高驤 遠而望之 若擒朱霞而燿天文 近而察之
若仰崇山而載垂雲 爾乃開南端之豁達 張筍之輪豳 華鍾杌其高懸
悍獣仡其儷陳 爾其結構則修梁彩制 下褶上奇 枅梧複畳 勢合形離
赩如蜿虹 赫如奔蜿 皎皎白閒 離離列銭 晨光内照 流景外烻 金楹斉列
玉承跋 青瑣銀鋪 是為閨闥 温房承其東序 涼室據其西遍 開建陽則朱炎艶
啓金光則清風臻 清露灢灢 渌水浩浩樹以嘉木 植以芳草 悠悠玄黄 皚皚白鳥
爾乃文以朱緑 飾以碧丹 点以銀黄 爍以琅玕 清風萃而成響 朝日曜而増鮮」
 (『芸文類聚』殿62より)

>>457
Thxです!! へぇーへぇーへぇー。陸績は、さすが陸機陸雲の縁者だけあるんですねw。
呉も多く立派な学者さんがいたのですね。カケラでも良いので読んでみたいものですw。
五代十国の蜀ならともかくw、劉備の蜀の学者さんは誰でしょうね? 浅学な自分は思い当たりませんorz

460 :1(総合スレの135):2006/11/13(月) 04:34:00
ヤターユニコードできたよーヽ(・∀・)ノ
ついでに李煜の浪淘沙もうpしておきます。

『浪淘沙』 李後主

簾外雨潺潺
春意闌珊
羅衾不耐五更寒
夢裏不知身是客
一餉貪歡

独自莫憑欄
無限江山
別時容易見時難
流水落花春去也
天上人間

毛沢東は、李煜のきれいな詩に和しながらも、春と秋、
没落の皇帝と勢い溢れる中共指導者の自分を対比させているんですね。さすがw。

461 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/13(月) 04:43:28
中国では科挙の上位者に文才は必須だからね。
いわんや君主においてや。(笑)
無かったから代筆させた君主もいるぐらいw

462 :1(総合スレの135):2006/11/13(月) 04:54:46
そうすると、「蓋し文章は経国の大業にして不朽の盛事なり」と明言して、
士大夫に文学の素養を必須とした皇帝曹丕たんが、ひいては
二千年たって毛沢東に詩を詠ませたとしたら、その影響力は非常なものですねw。

ところで、>>460訂正ですorz
△歡→◎歓 です(常用体)。

463 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/13(月) 04:59:08
>>459
『国語』韋昭注は、今でも『国語』の標準的なテキストなので
春秋時代の歴史や故事に興味がある人(で原典で読む人)は
お世話になっているはず
『京氏易伝』(の注)は『漢魏叢書』所収本あたりが入手しやすそう
虞翻の易注は老荘思想の影響を受けた王弼の注と異なり
漢代の解釈を受け継ぐものとして清朝の学者によっていろいろ研究されたらしいが
清・李道平『周易集解纂疏』(『周易集解』の注釈)が中華書局から点校本として
出ているので興味がある人は探してみるのもいいかも

正直俺には訳文を読んですら難解な易経の原文(原注)を
読む気なんか起こらんがw


464 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/13(月) 06:31:00
>>462
そこで曹丕か(笑)曹丕好きだな(゚д゚)オレモナー

冗談は抜きにしても、
曹丕の文学的業績はもっと評価されてもいいと思う。
> 「蓋し文章は経国の大業にして不朽の盛事なり」と明言して、
> 士大夫に文学の素養を必須とした皇帝曹丕たんが、ひいては
> 二千年たって毛沢東に詩を詠ませたとしたら
あながち冗談や間違いじゃないよ。
士大夫の三要素は科挙官僚・地主・文人。
これが明確に定まったのは九品官人法の頃じゃないか?

465 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/13(月) 07:49:29
毛沢東って確か
上に立てても文学的素養がないとうんこだな
その点でおkなのは俺と曹操だけ
みたいなこと言ってなかったっけ?

まとめサイトの曹操が少なくて泣ける・・
誰かもっと出してあげてください。

466 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/13(月) 08:01:25
このスレ元気あるなー。いいことだ。
1氏が冬になったら
曹操の苦寒行と曹植の朔風やるとは
個人情報スレでいってたが・・・
曹操は残っている作品が少ないし
気長に出してけばいんじゃね?

467 :1(135):2006/11/13(月) 08:44:27
中共は郭沫若氏とかを投入して、
毛沢東が大好きな曹操の復権に尽力してますねw
毛自身は、演義で曹操が呂伯奢を斬って言うあの台詞がお気に入りだったそうです。さすがw。
しかし文学上だけの話ですが、
曹操の詩が好きな毛沢東と
曹丕好きな蒋介石という対比は面白いですねw。

もっと寒くなったら、苦寒行と朔風やりませう。

468 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/13(月) 13:08:04
>>457
蜀は立伝されている学者数は多いけど著作物は少ないな〜
ほとんどショウ周・陳寿師弟のものばかりじゃないか?
諸葛亮が学問にあまり熱心じゃなかったのも多少関係してるのかも
国費節約のために史官廃止するような人だしw
そんな実益追求ばっかりしているような人の書いた文章が
後世に名文として讃えられるんだから不思議なもんだよな

469 : ◆XoQX5vgfQU :2006/11/13(月) 13:22:43
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP

470 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/13(月) 15:42:56
典論キタ━━━━(。A。)━(゚∀゚)━(。A。)━(゚∀゚)━(。A。)━━━━!!!!
曹丕の文で一番名作は典論と信じる俺。
ttp://www5c.biglobe.ne.jp/~sikaban/shronbun.htm
このサイトで全文読めるけど、何時かは此処でも訳したいな・・・・

471 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/13(月) 19:12:49
袁紹に進言を受け入れられず、官渡の戦いで黄河を渡る際に沮授が言ったとされる言葉。
「悠悠哉、黄河也。我其不反乎。」
「悠々たるかな、黄河よ。我それ かえらざらんか」
「悠々と流れる黄河よ。
私はもう、帰ってこれないのだろうね。」


出典はしらないけど、悲痛だなぁ。
沮授は曹操に捕らえられた際、仕官を拒み、
のち逃亡し、曹操はやむなく彼を処断したとか。
法家であり、多くの人材を愛し求めた曹操の心の痛みは計り知れない。
袁紹配下には田豊や審配といった忠臣がいますね。
そんな忠臣が仕えた勢力の趨勢を決定付けたのは
裏切り者の許攸。
許攸はかつて曹操に「霊帝廃位しようよ」と言った危険人物で、
曹操はこれを「伊尹や霍光の前例通りにいくと思うなよ」と断りましたが、
なんたる皮肉でしょうか。
しかし、208年には曹操も長江を渡ろうとして見事玉砕しています。
曹操配下には、建安七子・三曹といった詩人がいるのに、沮授の様なことをいう者がいなかった。
つまり曹操陣営は、赤壁(烏林かw)の戦いについては楽観視していたのでしょうか。
曹丕はのち呉討伐に赴いた際、詩を書いたといいますがw

472 :1(総合スレの135):2006/11/14(火) 02:24:54
>>470
SUGEEEEEEEEEEEE!!!!!!!!! 全文どもです。魯迅といい、すごい。
これは個人的な見解なのですが、
典論は>>373-375の薄葬詔と合わせて読むと、とても面白いと思っています。
「自古及今、未有不亡之国、亦無不掘之墓也」→「蓋文章経国之大業、不朽之盛事」。
典論にしろ九品官人法にしろ、滅びない国はなく、死なない者もありはしないが、
文章や法は後々までも伝えられるというのが、曹丕のスタンスではないでしょうか。
『与楊徳祖書』のような曹植への反駁というよりもむしろ、
曹丕は百年も経たずに朽ちる骨肉や、死守すべき地位や土地・財宝から解放された
文学で永遠の大伽藍をつくりたかったんじゃまいかな〜とか思ってしまいます。
自分のリアルな墓陵は、小さな地味なやつで充分とw。

>>471
Thxです! そここないだ丁度初読しましたが、後漢書の袁紹伝ですねw。
「上は其の志を盈し、下は其の功を務めん、ああ悠悠たる黄河よ、吾は其の済なるかな」
となるみたいですね。そしてそんな沮授にかわって郭図を使っています。駄目じゃん袁紹orz

赤壁はやはり、「哀哉奉孝、痛哉奉孝、惜哉奉孝」の郭嘉が(ry

473 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/14(火) 03:13:50
あげ

474 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/14(火) 11:01:56
374 :追思郭勲1/2 :02/06/02 14:05
赤壁直後…
                
 ⊂ ⌒ ⌒ ⊃          :::::::::::::::::::::::::::::        (  ⌒     )
  ⊂_  ) ⌒)       ::::::  郭嘉  ::::::::      (_ ⌒  ⌒ソ  ノ
                 :::::::  (゚Д゚ ) ::::::          ( _ )  )ノ
                   ::::::::::::::::::::::::::
                 
.____. (( 操 )) _______________________
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 ̄ ̄ ̄ ̄(;;;;(;;;;; ) ̄ ̄ ̄ ̄`ー' ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
     ≡≡≡       ≡            ::::::::|
    ≡≡        ≡            ::::::|
   ≡≡                      ::::::::::|
ああ奉孝…奉孝さえ生きていれば…こたびの敗北は無かっただろう…

475 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/14(火) 11:04:10
漏 れ 達 の 立 場 は ど こ に 行 っ た と で す か ?
  ,,';;::\         ,'\       ,           ,、                    ,;':\        ,;'\
 ,;';:::  \       ,;;:::: \      ,;';ヽ          ,;:'::\       !!|          ,;';;::; \       ;';::
,;';;::::    \賈  ?,;'::::::   \   ,,';  \        ;::::   \ヽ    ||!!!!l、       ,;';;:::   \荀 ケ,;';::
:::::::|||||| /二二ヽ   ;;/二ニヽ ヽ ,;';   _\程 c,;';::: ___ \ ヽ l!!;;;;;;||!l      ,;',!   ,  U _
::::::――| | 。 | |――| | 。 | |ー ヽ ||||||/Y y ;;Yヽ    /Y yY ;yヽ|||ヽ ,'||;;;;;;;;;;;;'||||荀攸 /,' ,ー―ヽu  /y ;!;!ー、 !!!!
::::|||||||||\二二/  ゝ ヽ二ニ/   | ||||||(三;◎;三)||| 。。(三◎;; ≡)  ヽ ;;;;;;;;;;;;;;;;';,|!,,,!|,, |!||||≡;◎| 、  |≡;◎; | |||||
::||||||||||||||!!!!;;;; /エエエエ|     | |||||'⊂⊃┴-'!!!; u !!ヽ┴┴!!!||||| | !! ̄ ̄\|||||;;;; |!!|!|ヽー―' ) ||ヽ―‐ '!!!!!!!
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  ' !!!!!    /      |      | ;!!!!!!!!;  /エエエエエエエ|''  !!  | !!||||||||||||!!!:::: |!!!!!!!!!!!!!!!く   u ;;;;  \|
        /  /''Y''|  |    |/;:: !!;;;;;;;  |エエエエエエエ/    /;;;;; \__人_/ |;;;:::::u       ヽ    |`
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   ;;ヽ   |エエエエエ] /   |;;;;;;;:::::::,,,,,,,  ,       ,,;;/  ;;;  / /''Y''ヽ  |   !;;::::::   ー   U

476 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/14(火) 12:37:22
懐かしいワロス

477 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/14(火) 23:16:49
>>472
『全三国文』の編集者の厳可均は、薄葬詔の一部が『文選』の張戴「七哀詩」の注に
魏文帝の典論として引用されていることを根拠にこの薄葬詔を『典論』終制篇だと
断定しているね
後半に「此詔」という言葉があるので、俄かには信じ難いが、出だしが「詔曰」など
では無く、「作終制曰」で始まっているところなんかを考えると一概に否定もし難い
気もする
『後漢書』礼儀志下の劉昭注も、「魏文帝の終制に略して曰く」と言ってこの文を
引用しているが、詔勅とは言ってない。

こういうことがありえるかどうかわからんが、薄葬詔を気に入って文帝が典論に
転用したり、逆に典論を転用して薄葬詔が作られたりしたのかもとちょっと妄想

実は>>1氏の紹介をきっかけに薄葬詔を精読してみようかと思っているのだが、
典故の多さに早くも挫折気味。
とりあえず、誤字を発見したので訂正
最初の段の下から2行目「丘明、釈之言」→「丘明、釈之之言」
釈之とは前漢の人で、文帝が自分の棺が発かれないように石と漆で固めようと
発言したときに薄葬するように諫めた人物の張釈之のこと。
漢書の巻五十に伝があるが、巻三十六の劉向の上奏文の中により詳しく述べられている。

で、今確認のために劉向の上奏文を読んでみたら、この薄葬詔は劉向の上奏文を下敷きに
してできてるね。「自古及今、未有不亡之国」もそのまま劉向の上奏文に出てくるし、
この言葉は更に元を正せば『呂氏春秋』安死篇に
自古及今、未有不亡之国也。無不亡之国者、是無不■之墓也。
(■は手偏+曰、あばくの意味)
とあって、更に大本の『呂氏春秋』を踏まえているみたい。

こりゃ厄介だ

478 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/14(火) 23:46:33
>>474-475
カワユスww

479 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/15(水) 00:05:16
>>477
曹丕のそれを下敷きにして更に日本の薄葬令が書かれているらしいぞ

480 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/15(水) 00:27:07
>>472
>>477
>>479
曹丕って三曹では地味な印象だったが偉い香具師なのな
盲目的にぴぃ様マンセーしてる訳じゃないんだな。
>>762>>764についてもkwsk

481 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/15(水) 00:28:13
>>462>>464だた

482 :1(総合スレの135):2006/11/15(水) 03:00:49
>>474-476,>>478
懐かしの八頭身武将www可愛いwww

>>477
Thxです。>>373-375の訂正thxです(多分もっとありますorz)。
そうすると、ほかの「釈之」の之も助詞じゃないんですね……ま、まあいいや(ry

へぇーへぇーそうなんですか!>厳可均
たしかに、>>470さんのサイトさんにも書いてありましたが、
残っている典論の中で、「蓋し〜」の文章はいかにも唐突に見えますよね。
曹丕たんが、自分の文章をカット&ペーストして再利用したのでしょうかw?
自分は斜め読みにも程があるので、精読したらぜひ典故の詳細を教えてください〜

>>479
あまり書くと板違いになりそうなのでアレですが(大丈夫?)、
平安の三筆である嵯峨天皇と、その弟の淳和天皇の遺詔ですね。
いま文献を見ていたら、この二人の天皇は、
>>477さんの『漢書』本紀第四の(漢)文帝紀第四と、
曹丕たんの薄葬詔の両方をふまえて自分たちの遺詔をあらわしたそうです。

>>480-481
中華思想の下にある中国で、統一王朝の皇帝がその名をもって文学を奨励したというのは、
趙匡胤たんを挙げるまでもなく、非常に大きな影響力があるのではないでしょうか?
自分はよく知らないのですが、科挙で進士になるためには文学的才能が必須らしいですし、
曹丕たんの「蓋し文章は〜」は、文芸に重きをおく後の王朝の礎になった名文だと思います。

483 :1(総合スレの135):2006/11/15(水) 03:07:50
あ、魏は統一朝じゃないじゃん……ま、まあいいか(ry

484 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/15(水) 03:14:07
文章こそ残っていないが三国志の註釈に引かれた魏略で「典論には〜という内容があった」ってのが結構あるね

485 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/15(水) 03:28:23
>>482
蓋し〜の部分が浮いてると言うけどもそんなこともないんじゃない?

前段で文才というものを相続、譲渡不能の個々人が所有する物として規定した後で
「そんな失われ易い文才によって生み出された文章は不滅であり、国家の大事として文章を作るべきだ」と
文才と文章の対比になっているし、
「書かれた物はずっと残り書いた人間を足跡を後に伝える物となる」と説いている

そんなわけで俺には奇麗な文章に見えてしょうがないんだが
悲しいかな大学では文学関係じゃなくて経済学一本槍だったもんで知識が足りん

486 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/15(水) 03:38:16
此処の人は皆国文出てそうだけど、違うんだね。
ちなみに俺は工学です。

487 :1(総合スレの135):2006/11/15(水) 06:30:27
>>484
自分は華佗伝しか思い浮かばなかったですorz
散逸した書物の切れ端が別の文章の中に見つかるのは楽しいですよね。

>>485-486
ノシ 医療系orz
自分も斜め読みの印象なので、どなたか詳しい方きぼんです……

Wikipediaに日本書紀の孝徳天皇の大化薄葬令が載っていたので、一応コピペ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%A2%B3

488 :1(総合スレの135):2006/11/15(水) 06:30:58

>「孝徳天皇大化二年三月癸亥朔
>甲申、詔日、朕聞、西土之君、戒其民日、古之葬者、因高爲墓。不封不樹。
>棺槨足以朽骨、衣衿足以朽宍而己。故吾營此丘墟、不食之地 欲使屠代之後、不知其所。
>無藏金銀銅鐵。一以瓦器、合古塗車・蒭靈之義。棺漆際會三過。飯含無以珠玉。
>無施珠襦玉柙。諸愚俗所爲也。叉日、夫葬者藏也。欲人之不得見也。
>廼者、我民貧絶、專由營墓。爰陳其制、尊卑使別。
>夫王以上之墓者、其内長九尺、濶五尺。其外域、方九尋、高五尋。役一千人、七日使訖。
>其葬時帷帳等、用白布。有轜車。上臣之墓者、其内長濶及高、皆准於上。
>其外域、方七尋、高三尋。役五百人、五日使訖。其葬時帷帳等、用白布。擔而行之。
>(蓋此以肩擔輿而送之乎)。下臣之墓者、其内長濶及高、皆准於上。
>其外域、方五尋、高二尋半。役二百五十人、三日使訖。
>其葬時帷帳等、用白布、亦准於上。大仁・小仁之墓者、其内長九尺、高濶各四尺。
>不封使平。役一百人、一日使訖。大禮以下、小智以上之墓者、皆准大仁。
>役五十人、一日使訖。凡王以下、小智以上之墓者、宜用小石。其帷帳等、宜用白布。
>庶民亡時、牧埋於地。其帷帳等、可用麁布。一日莫停。凡王以下、及至庶民、不得營殯。
>凡自畿内、及諸國等、宜定一所、而使収埋、不得汚穢散埋慮々。
>凡人死亡之時、若經自殉、或絞人殉、及強殉亡人之馬、或爲亡人。
>藏賓於墓、或爲亡人、断髪刺股而誅。如此奮俗。一皆悉斷。或本云、無藏金銀錦綾五綵。
>又曰、凡自諸臣及至于民、不得用金銀。 縦有違詔、犯所禁者、必罪其族。」
>(『日本書紀』巻第二十五)

曹丕たんのような整然とした美文とはいきませんが(失礼)、
漢・魏文帝の薄葬詔を下敷きにしていますね。
嵯峨天皇の薄葬に関する遺詔はいま手元にないのですが、とてもきれいな文章です。

489 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/15(水) 07:26:47
そういえば、伝統的に起草者不明の詔は、とりあえずその時皇帝の作品として
収録されているけど、魏の時代はどうだったんだろう?
少なくとも魏末晋初に張華が詔勅を起草している例があるようだが、
正直、梨が甘いだとか葡萄がおいしいだとかいう内容の詔勅をわざわざ臣下に
起草させたなんてイメージできんw
武帝・文帝クラスの文筆力があると、臣下にまかせずに自分でガンガン書いた
のだろうか?
少なくとも詔勅の根幹部分ぐらいは自分で書いていてもおかしくなさそう

ある日、詔勅の起草担当官の元に届く一通の葬制に関する典論。
そこには、これを元に立派な詔勅を書いてね by 文帝 というメモ書きが
みたいなシチュエーションをちょっと想像しちゃったw

490 :1(総合スレの135):2006/11/15(水) 07:53:09
>>489
>これを元に立派な詔勅を書いてね by 文帝
可愛いww
どうなんでしょうか?>詔勅の起草者 詳しい方きぼんです。
大体、なぜいちいち梨がどうこうとか詔勅をあらわすのかと……日記はチラシ(ry

ところで、『芸文類聚』の八十六巻・梨の項に何晏ちゃんの果物評を見つけたので、うpしておきます。

「何晏九州論曰、安平好棗、中山好栗、魏郡好杏、河内好稲、真定好梨
(何晏が九つの州を論じていわく、
 安平はナツメ、中山は栗、魏郡はアンズ、河内は米、真定は梨が大変においしい)。」

この文だけを見ると、二人はとても気が合いそうですが……w

491 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/15(水) 08:11:11
真定の梨大人気だなwwwww
ttp://www.pref.nagano.jp/kikaku/kokusait/kahoku/kahoku.htm
> 河北省の概要
> (略)
> 農業
> 華北平原(平野部)においては、小麦と綿花の主要な産地となっている。
> このほか、平地ではトウモロコシ、落花生、ゴマなどが裏作で栽培され、
> 丘陵地で生産される梨、ナツメ、栗等は全国の生産高の1/3以上を占める。

天津甘栗も河北省が産地らしいよ。

492 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/15(水) 08:24:28
うちは岡山なんで食ったことあるが、
鴨梨(ヤーリー)っつのが名産なんだと。
>>240の通り上品な洋ナシみたいで美味い。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E9%B4%A8%E6%A2%A8%E3%80%80%E6%B2%B3%E5%8C%97&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=

493 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/15(水) 08:35:11
真定って史記とかだと漢皇帝の近親の人を王に封じてる場所なのよね
それも1回でなく何度もね
こんな政治的な背景を考えると真定の梨が美味いと言うよりは真定に美味い梨を植えたと考えるのがいいのかもしれん
皇帝の近親者で王に封じられると金と物は有り余るのに色々やっちゃいけないから道楽に走る訳で、
(王の権限やら何やらが大きく制限されてた後漢でさえ王の道楽で弩3000挺集めたとかあるし)
誰かが暇と金にあかせて美味い梨を植えて、あまつさえ品種改良とかしていたとかいう可能性も沸いてくる

494 :1(ry:2006/11/15(水) 08:40:58
鴨梨とやらがあまりに旨そう&ちょうど旬らしいので、少し注文してみますたwww

495 :492:2006/11/15(水) 08:52:15
1氏ちょwwww何処に住んでるか知らんが、
届いたらぬくい部屋に暫く放置して柔らかくして食うんだぞ。
傷む寸前が美味い。スレ違い雑談スマソw

496 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/15(水) 09:35:51
>>490
曹丕タソ、何晏をいびらないで梨の甘さとか語り合えば良かったのに、やっぱ曹植派を遠ざける意図かな…

497 : ◆XoQX5vgfQU :2006/11/15(水) 10:37:30
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP・マイチェン

498 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/15(水) 11:01:12
>>456
ちょっと遅レスだが、大意がわかればいいやと思い手抜きしたんだ。勘弁ねw

499 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/15(水) 22:52:12
>>490の九つの州って?

500 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/15(水) 23:04:47
古代の聖人は中国を九つの州に分けた。
噂によると、世界には八十一の州があって、中国はその一部だという。

501 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 02:00:20
魏は幽州とかを全部冀州として纏めちゃって中国全体を九州に割り振りなおした
漢の時は幽、并、青、冀、エン、豫、徐、司、涼、雍、揚、荊、益、交、代と州の数が多かったから
>>500の言うように古代の尭舜に倣って九州として整備し直したわけ

502 :1(ry:2006/11/16(木) 02:53:50
ちくまの正史によれば、213(建安18)年に>>501さんの天下十四州を合併して
豫、冀、兗(エン)、徐、青、荊、揚、益、雍の九州としたそうです。

503 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 06:16:36
そういえば、梨の産地について真定郡と前に出てきたが
どうも三国時代に真定郡が無かった可能性が高い件について

後漢書の郡国志では真定国が光武帝の時に廃されて常山国に併合されている
三国志は志がないのでわからんが晋書の地理志は常山郡はあるが、真定郡は無い
ちなみに真定県のほうは両志に常山郡(国)内の県として出てくる
検索サイトで探してみたところ三国志では張燕と趙雲を「常山真定人」とする
(どっちも生まれは後漢末の人だが)

梨の詔勅が出た時は一時的に真定郡があった可能性は否定できないが
藝文類聚の「真定郡梨」は「真定梨」(『初学記』『白氏六帖』)か
「真定御梨」(『太平御覧』)の誤りで、梨の産地は真定県じゃないと
思う

504 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 06:19:34
ごめん
×梨の産地は真定県じゃないと思う
○梨の産地は真定県じゃないかと思う

一字違いで大違い

505 :1(ry:2006/11/16(木) 06:28:12
とすると、少なくとも建安18年以降に書いたと推察される
何晏の「真定好梨」も、真定県の梨なのでしょうか?

506 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 08:00:12
そうなるな
場所は真定県=真定郡でOKなのかな?
(現在の河北省?)

507 :1(ry @風邪休暇:2006/11/16(木) 10:23:02
ttp://mujin.parfait.ne.jp/search2.cgi?text=zhaji7-1
いまこちらの『廿二史箚記』を見ていて思ったのですが、
何晏ちゃんは>>490で、真定以外はぜんぶ冀州の各郡の名産品について論じていますね。
素人の自分は、そいじゃなぜ真定だけ常山と書かなかったのかな、という疑問が……

1)行政区分上の名称は常山郡だけど、馴染みのある真定という地名を使った
2)当時から「真定の梨」というのが名産だった
 (「新潟コシヒカリ」じゃなくて「魚沼コシヒカリ」と言いたい、みたいな?)
3)真定県の梨と言いたかっただけ
4)じつは真定郡があった
5)何晏ちゃんは行政とか気にしない/素で間違えた
6)後世の人が写し間違えた
7)その他

変な疑問で済みません……

508 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 12:54:25
>>507
2だったらいいなぁw


お大事に(´∀`)

509 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 13:06:04
冗談でなく2の可能性。
去年の今頃中国旅行に行ったんだが、
河北の梨は本当に魚沼産コシヒカリ的扱いで
ガイドのおばちゃんが
始皇帝の時代から云々つってたw

風邪は肺炎の元だから大人しく寝ていなさい。

510 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 14:26:58
>>507
自分もそこは疑問。
ただ同じ『藝文類聚』に『廣志』という本(『初學記』によれば晋・郭義恭の撰)
を引用して「常山眞定(の梨)」とでてくる。『初學記』に引用される『廣志』には
眞定御梨.大若拳.甘若蜜.脆若淩.可以解煩釋■(食肙)
と更に上の一文が続いており、これは明らかに文帝の詔に基づいている。
では詔勅の原文が「眞定御梨」であったかというとそこも疑問。
というのも、やはり『藝文類聚』に『永嘉記』という書物を引いて眞定とは別の梨のことだが
「供獻を以って御梨と名づく」とあるように御梨という言葉は皇帝への献上品の梨という
一種の敬語的な表現に基づいており皇帝の言葉である詔勅に使う言葉としてはまずい気がする
で、上述の『初學記』には『廣志』とは別に改めて文帝の詔を引いて「眞定梨」とある
これを踏まえて考えると
最初の原文は「眞定梨」→『廣志』にあるような「眞定御梨」という言い方が人口に
膾炙したことにより「眞定御梨」と書き間違えたテキストが出現
→それを不審に思った人が御は郡の間違いだろうと勝手に改竄
という経過を辿ってテキストが混乱していったんじゃないかと推理

まぁ、どっちでも文帝の詔勅を鑑賞するうえではたいした問題は無いが

511 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 14:38:36
ちなみに>>510=>>503です
三都賦の魏都賦にも「眞定之梨」という表現がでてくるし、当時のブランド品
だったんだろうね。
>>510は字数の節約のためにいろいろ書きたいことを削ったんだが
わかりにくかったらスマン

こういう考証の真似事はやっている方はムチャクチャ楽しいwwwww
読んでるほうは退屈かもしれんがw

512 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 14:48:46
いや、今まで傍観していたが非常に興味深い。
みんな国文出てるワケやないらしいに良く調べてんな。感心したわw

>>507は2でFAなんかい?w

513 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 14:53:46
昔のご当地ブランドかw

514 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 15:25:50
人間の心情なんて、何千年たっても同じようなもんだよな
と、いつも思う

515 :1(ry どもです:2006/11/16(木) 16:16:40
梨につきあって頂いてどもです……
自分はどうも頭がタワケなので、ちょっとまとめてみますです。
要するに、仮に後漢までには日本(冀州)に「魚沼県(真定郡)」という行政区分があって、
お米が名産だったとします(現地の方がいらっしゃったら済みません(;´Д`))。

  【前提として分かっていること】
A)後漢書では、光武帝の在位に魚沼県が廃されて新潟県に併合されている。

B)三国時代は、三国志に地理志がないからよく分からないけれど、
 後漢末に生まれた張燕と趙雲を「新潟魚沼の人」と記してある。

C)晋書では、新潟県はあるが魚沼県はすでにない。

D)芸文類聚で、曹丕が「魚沼県の米(゚Д゚)ウマー」と詔を出している

E)しかし全三国文では、皇帝なのに「(誰かに差し上げる)魚沼の御米(゚Д゚)ウマー」になっている

F)何晏が芸文類聚に
 「全国を論じるに、北海道のカニ、宮城のカマボコ、魚沼の米、兵庫の牛(゚Д゚)ウマー」と書いている

 ↓【疑問】
G)少なくとも220年以降に、なぜ曹丕が「魚沼県」と書いているのか?
H)少なくとも213年以降に、なぜ何晏は他の行政は都道府県単位で挙げつつ
 米だけは「新潟」と書かず「魚沼」としているのか?

 ↓【仮説】
I)曹丕のDとEはたぶん写し間違いで、本当は「魚沼の米(゚Д゚)ウマー」だった。
J)何晏ちゃんは、行政区分が変わったのは知ってたけど
 「新潟の米」より「魚沼の米」のほうがご当地ブランドで有名な言い方なので、そっちを採用しただけ。
K)(IJに矛盾する仮説として)三国時代に一時的に魚沼県が復活していた。

ということで良いのでしょうか?(ものすごくばかばかしくて済みません……orz)

516 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 16:28:00
テラバカスwwwwwwしかし面白いwwww

Kを採用すると、IJも矛盾なく成立するな。
記録が無いんで永遠の仮説止まりだが・・・・

517 :1(ry:2006/11/16(木) 16:40:45
Kを採って、Eは一番ありそうな写本の際のミスということにすれば、
D/F=G/Hがきれいに解決しますね。
しかしBがあるので、この仮説も永遠に証明できませんね……

>>511さんが仰るように、文章の観賞価値を損ねるものではないので
どうだっていいことなのですが……w
>>511さんをはじめ、皆さんつきあってくださってthxです。

518 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 18:02:28
一日見ない間に何やってるんだw

519 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/16(木) 21:23:38
それで梨の結論はどうなったんだい?
気になって寝れんw

520 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/17(金) 00:04:13
こういうところで熱い議論になる君達が素敵過ぎるw
あと>>1さんお大事に(´・ω・`)

521 :510:2006/11/17(金) 01:27:34
ちょっと補足
話をややこしくしている原因に、魚沼市(真定県)というのがあって
こちらは後漢から晋まで一貫して存在したっぽいこと
つまり、魚沼市(真定県)からみるとはじめは魚沼県魚沼市(真定郡真定県)だったのが
途中で新潟県に編入されて新潟県魚沼市(常山郡真定県)に変わってしまった。

じゃぁ、文帝の詔の魚沼の米は
a)ブランド名として魚沼辺りでとれるお米
b)魚沼県でとれるお米(でも文帝の時にはそんな県なかったかもよ)
c)新潟県魚沼市でとれるお米(でも何晏の文章は魚沼県の可能性がたかいよ)
のどれ?

仮にa)だとしても具体的にはb)とc)のどっちさ
何晏の文章を「魚沼県の米」とすれば
1)魏の時代に一時的に魚沼県が復活していたかもよ
2)昔魚沼県があった辺りの米を魚沼米と呼んでいるだけで、現在の地名と食い違っても
 おかしくないよ
芸文類聚の『広志』に新潟県魚沼市(常山真定)の米とでてくるので
3)魚沼県なんて広い範囲では駄目。やっぱり通は新潟県魚沼市の米じゃないとね

みたいな感じで整理してみるとどうかな。

522 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/17(金) 02:42:18
新米食いたくなった

523 :1(ry:2006/11/17(金) 03:29:10
なるほど、魚沼市(真定県)という自治体がずっとあるのですね。
>>521で非常に良くわかりました。Thxであります(・∀・)
>>493さんのとおり、真定は京都でいう吉野、江戸でいう高遠といった土地のようなので、
追放された高位の人が、戯れに梨など植えていたのかも知れませんね……
ttp://www.hebei.gov.cn/general1/history/city/03.html
いまはこんなところらしいです。
ttp://big5.cctv.com/geography/mfms/20011106/12.html
常山という地名には、面白い伝説があるのですね。

>>508,>>520
Thx lozです(`・ω・)

524 :510:2006/11/17(金) 04:27:34
参考までに『初學記』巻二八果木部棃第七引用の『広志』をうp
台湾繁体字をカバーしているフォントじゃないと文字化けがあるかも

廣志曰、洛陽北邙張公家棃、海内唯有一樹。有常山眞定[棃]、山陽鉅野棃、梁國睢陽棃、
齊郡臨淄棃、鉅鹿槀棃。上黨楟棃、小而甘。新豊箭谷棃。關以西棃多供御。
廣都棃重六斤、數人分食之。
又眞定御棃、大若拳、甘若蜜、脆若淩、可以解煩釋■(食肙)。
[]内は同じく『初學記』巻二八果木部棃第七の鉅野の注文に
「郭義恭廣志曰、有常山眞定棃、山陽鉅野棃。」とあるのによって補った

有常山以下は常山郡眞定県、山陽郡鉅野県(山東省西南)、梁國睢陽県
(河南省の山東省寄り)、齊郡臨淄県(山東省)のこと。
鉅鹿槀棃については考証は省くが鉅鹿郡槀城県が後漢の途中で廃されたらしいので、
その辺りに産する梨だと思う(ちなみに真定県の西)。
上黨楟棃は、上黨郡に産出する山梨でこれは郡レベルのブランド
新豊箭谷は新豊県の箭谷。ざっとみると『広志』では多少の例外を除いて
県レベルで梨のブランドが確立していることがわかる。

525 :510:2006/11/17(金) 04:37:30
鉅鹿郡槀城県の位置を間違えた。
×真定県の西
○真定県の東
三国時代付近の詳細な歴史地図を持ってないので、地名と現在位置に関する
考証は適当。
真定県は河北省の南よりで山西省に近い石家庄市付近と思われる

526 :1(ry:2006/11/17(金) 06:46:52
なるほど。ほんとにご当地ブランドだったんですね。
真定県=いまの正定県で、石家庄市にあるらしいです。
ttp://www.hebei.gov.cn/general1/area/index.html
真定の梨(省政府の宣伝文句が曹丕調)
ttp://www.hebei.gov.cn/general1/specialty/tt007.html
宣化葡萄
ttp://www.hebei.gov.cn/general1/specialty/tt005.html
京東の栗
ttp://www.hebei.gov.cn/general1/specialty/tt003.html


UDスレは反省しています。

527 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/17(金) 11:19:13
>>真定の梨(省政府の宣伝文句が曹丕調)
バロスwwwwww

三国志は地理に触れてないんだね。

528 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/17(金) 12:41:13
三国「史」じゃないからね。
官位や制度も本当はよく分からない。

ところでUDスレのpeony@warhisは矢張り1氏か。
白居易で直ぐ分かったw
俺は@他板で参加してるんで出来ないが
三戦も応援してるからみんな頑張ってください。

529 : ◆XoQX5vgfQU :2006/11/17(金) 15:55:23
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP

1氏へ UDスレコピペ
私もWeb製作板所属なんで入れないんですが
http://blog.livedoor.jp/sangoku_bungaku/
このブログ垢が余ってるんで
良ければ差し上げますから連絡下さい。
健闘を祈ります

530 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/17(金) 22:57:01
UDスレってなに?
全くわからん・・
別にわからなくてもいいのかもしれんが。。

531 :@soccer:2006/11/18(土) 00:37:49
【UD】キミも現代の華陀になろうよ!【がん撲滅】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1163704612/

テンプレサイトより
>このUDがん研究プロジェクトは一般人がパソコンの余力を提供し、
>がんの進行に関係するタンパク質と、その働きを邪魔してくれそうな
>分子の相性をパソコンによる計算で確かめて、薬の開発に役立てるというものです。

これのことだろ?
曹沖ってなんで死んだんだっけ?曹丕はぽっくりか。

532 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/18(土) 00:45:14
パソコンに突っ込んで起動させておくだけで
何処かの誰かの役に立つかもしれない! という素敵ツール
現在「team 2ch」は世界一のチームだぜ(´∀`)

で、板別所属者の集計とかもやっていて皆それに参加してる訳
(名前の後ろに「@所属板名」って付けている人がそれ)

533 :1(ry:2006/11/18(土) 11:25:26
UDどもであります(`・ω・´)

曹沖たんの疾病は何でしょうね。
正史の『魏書』巻二十・ケ哀王沖伝注の「魏書載策曰、惟黄初二年〜」というのは
曹丕の文章と解釈してよいのでしょうか?
これは>>284さんの諸葛亮を悼む詔勅と似た文章ですね。

さっき『芸文類聚』を見ていて目に入ったのですが、巻四十五の
「又魏文帝蒼舒誄曰、建安十二年、五月甲戌、童子曹蒼舒卒、乃作誄曰〜」は、
これも曹丕が曹沖を誄した文章なのでしょうか?

534 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/18(土) 14:59:14
曹沖はもともと身体が弱かったみたいだから、
肺炎にでもなったんじゃないかな

曹操の死因は脳腫瘍なんだろうかね?

535 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/18(土) 15:41:06
>>533
上の「魏書載策〜」は「全三国文」に文帝作「贈諡ケ哀侯詔」として収録
本文にも「皇帝曰」とかあるし文帝の作品でいいんじゃね
>>諸葛亮を悼む詔勅と似た文章
死者への贈諡とかはかなり儀礼的なものがあるので、
文体もある程度決まっていたかもね

『芸文類聚』の方も文帝の作品でいいと思うよ。『古文苑』にもこの作品が
収録されているけど、『芸文類聚』で省略されている後半部分も載っている。

536 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/18(土) 19:17:37
浮上

537 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/19(日) 14:52:19
UDのひなげしに感動したよ

538 :1(ry:2006/11/19(日) 14:53:06
なるほど、thxです! そいでは『古文苑』は未読なので、
『魏書』巻二十・ケ哀王沖伝注のとこだけうpしておきます。
確かに儀礼的な文章に見えますね。しかしきれいな文章ですね。

「魏書載策曰、惟黄初二年八月丙午、皇帝曰、
咨爾ケ哀侯沖、昔皇天鍾美於爾躬、俾聡哲之才、成於弱年。
当永享顕祚、克成厥終。如何不禄、早世夭犷。
朕承天序、享有四海、並建親親、以藩王室、惟爾不逮斯栄、且葬礼未備。
追悼之懐、愴然攸傷。今遷葬于高陵、使使持節兼謁者僕射郎中陳承、
追賜号曰ケ公、祠以太牢。魂而有霊、休茲寵栄。嗚呼哀哉。
魏略曰、文帝常言、家兄孝廉、自其分也、若使倉舒在、我亦無天下」

訳(適当ですお……)、
「魏書の策によれば、黄初二年八月八日、皇帝はいわく、
ああ、ケ哀侯沖よ、むかし天の神はあなたの身に美しさをあつめ、
誰にも増す聡しい才を若いうちに与えられました。
そしてめでたく長生きをし、活躍して人生を終えるはずが、
如何なるわけで病気になり、早世してしまったのでしょう。
私は天のはからいを受け、四海の内を享有し、一族のものを並び建て、
王室の藩としましたが、ただあなただけが斯くの繁栄にあわず、
かつ葬儀もきちんとしていません。追悼の思いに私は傷つき苦しみます。
いま、墓陵を高陵にうつし、使使持節兼謁者に僕射郎中の陳承をもって
号をケ公と追賜し、牛・羊・豚をささげて祭ります。
霊魂というものがあるならば、この寵栄をよろこんでください。ああ、哀しいかな。
魏略にいわく、文帝曹丕はいつも「兄の曹昂は、
おのずからその分というものがあったが、もし曹沖があれば、
わたしの天下は無かっただろう」と言っていた」

539 :1(ry:2006/11/19(日) 14:56:29
↑つづき
哀王沖伝に、曹操は曹沖のために非常に立派な弔いをしたと載っているので、
「且葬礼未備」というのは謙遜して言っているのでしょうか。
それとも、(皇帝となるべくして生まれた)曹沖が夭折したために、
彼を王として弔わざるを得なかったことについて述べているのでしょうか
(それは少し曹操に対してあてつけがましいw?)。 いずれにしても謙遜ですね。
曹操の死因は何でしょうね。なかなか立派な寿命だと思いますが……

>>537
中国史を読んでると、項羽と劉邦以外にもヒナゲシが結構出てきますね。
虞美人の典故を持ち出さずとも、中国ではなんとなく寂寥とした印象のある花らしいです。

540 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/20(月) 07:25:17
>>414
> 轉蓬去其根。流飄從風移。芒芒四海涂。悠悠焉可彌。願為浮萍草。託身奇清池。且以樂今日。其後非所知。(初學記二十七。詩紀十七。類聚八十二)

ちょっと戻るけど補足みたいなもの。
史記を読んでたら「老子・韓非列伝」に「転蓬」を見つけた。
注がついてたので読んでみたら原文は「蓬累」だが、意義未詳のため「正義」により「転蓬」の義として解することにしたとあった。
ここでいう蓬は日本のよもぎとは別種で北方に生え秋になると根ごと抜け風に飛ばされていくらしい。

541 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/20(月) 08:47:30
>>539
自分の考えでは、曹沖が夭折した当時はまだ後漢時代(建安十三年だっけ?)
たとえどんなに曹操が盛大に葬式を挙げたとしても、格式上は臣下の子供としてしか
埋葬できん
それが曹丕が帝位についたことで、ようやく「皇族」の格式をもって埋葬しなおした
ということじゃないかな

せっかくまとめサイトさんに書き下しを載せるところがあるので
たまには書き下しでも(旧仮名は苦手なので現代仮名遣いで悪いが)

『魏書』に策を載せて曰く、惟(こ)れ黄初二年八月丙午、皇帝曰く、
咨(ああ)爾(なんじ)ケ哀侯沖よ、昔 皇天 美を爾(なんじ)が躬に鍾(あつ)め、
聡哲の才をして、弱年に成らしむ。当に永く顕祚を享(う)け、克(よ)く厥(そ)の
終わりを成るべし。如何(いか)んぞ禄あらず、早世し夭昏せんとは。
朕 天序を承け、四海を享有し、並びに親親を建て、以って王室に藩たり、
惟(た)だ爾(なんじ)は斯(こ)の栄に逮(およ)ばず、且つ葬礼も未だ備わらず。
追悼の懐(おも)いは、愴然として傷(いた)む攸(ところ)。
今 高陵に遷葬し、使持節兼謁者僕射郎中 陳承をして、号を追賜せしめて
ケ公と曰い、祠(まつ)るに太牢を以ってせしむ。
魂にして霊 有らば、茲(こ)の寵栄を休(よろこ)べ。嗚呼(ああ)哀しきかな。

官職がずらずら並んでいる所は切れ目がわかりにくいが、多分
使持節・兼・謁者僕射・郎中
こうじゃないかな

542 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/20(月) 09:13:39
関連スレ

【勝手に】感じで漢詩【解釈】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1160294538/

543 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/20(月) 11:52:38
>>542
随分ロマンチックなスレだなw

544 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/20(月) 12:05:10
此処の住人訳は直訳調だよね
考察系スレだから其のほうが解りやすいよ
直訳も綺麗だからロマン訳に走らないでねw

545 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/20(月) 13:07:01
最初の方はルナティックだ…

546 : ◆XoQX5vgfQU :2006/11/20(月) 15:27:22
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP

>>541 訪問有り難うございます。

547 :1(ry:2006/11/21(火) 00:39:29
Thxです! 曹植たんを反射的に連想してしまう「転蓬」は、
じつは植物学的には、西部劇に出てくるコロコロ転がる草と同じものらしいですw。
Salsola/Tumbleweeds/ロシアアザミなどと呼ばれるユーラシア大陸原産の草で、
秋になると種子をいっぱいつけたままの草本が枯れて茎から折れ、
平原を風に転がりながら種を撒きちらすのだそうです(↓こんなの)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tumbleweed
http://www.desertusa.com/mag01/may/papr/tweed.html

なるほどー、「且葬礼未備」はその前の句にかかるのですね。
曹丕たんが禅譲をうけたので、皇族としての礼をもって再び葬れたのですね。
必要に応じただけにせよ、曹沖たんにそんな礼をとっておきながら、
自分には薄葬詔を出している曹丕たんの行動はおもしろいですねw。

……自分は白文と書き下しを両方書くのはめんどーで、つい(ry
ロマンのかけらもない直訳で済みませんorz
ついでにUDスレの華佗を少し訂正しましたorz
『魏書』華佗伝の裴注の曹丕『典論』と曹植『弁道論』の切れ端は、
やたら長いですが、とても面白いですね。房中術がどうのとかw

548 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/21(火) 10:10:44
ああ、テキサスボールって、中国にもあったんだ!

549 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/21(火) 11:04:28
つーかむしろ、中国とかモンゴル原産みたいだね

550 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/21(火) 12:25:02
だいたい「テキサスボール」ってネーミングはw

551 :1(ry:2006/11/21(火) 12:46:11
吁嗟、此のテキサスボール
世に居る何ぞ独り然るや

●==3 ヽ(・∀・)ノテキサスボール!

552 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/21(火) 13:54:18
それでいいのかwww

553 : ◆XoQX5vgfQU :2006/11/21(火) 16:51:25
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
閑だったんでここまでUP

554 :1(ry:2006/11/21(火) 18:40:49
テキサスボールヽ(・∀・)ノを放っておくのもアレなので、
ちょうど秋なので曹植たんの吁嗟篇をうpしておきます。
解説はたぶん夜に……

『吁嗟篇』 曹子建

吁嗟此転蓬  居世何独然
長去本根逝  夙夜無休間
東西経七陌  南北九阡越
卒遇回風起  吹我入雲間
自謂終天路  忽然下沈淵
驚飆接我出  故帰彼中田
当南而更北  謂東而反西
宕宕当何依  忽亡而復存
飄颻周八沢  連翩五山歴
流転無恒処  誰知吾苦艱
願為中林草  秋随野火燔
糜滅豈不痛  願与株荄連

(書き下し)
「吁嗟 此の転蓬  世に居る何ぞ独り然るや
長く本根を去りて逝き  夙夜(しゅくや)に休間無し
東西 七陌を経て  南北 九阡を越ゆる
卒(にわか)に回風の起こるに遇い  我を吹きて雲間に入る
自ら天路を終えんと謂(おも)わば  忽然として沈淵に下る
驚飆は我を接えて出し  故(ことさら)に彼の中田に帰る
当に南し、しかして更に北し  東せんと謂わば、しかして西に反す
宕宕(とうとう)として当に何に依るべき  忽にして亡び、しかして復た存す
飄颻として八沢を周り  連翩として五山を歴る
流転して恒の処に無き  誰か吾が苦艱を知るや
願わくば中林の草と為り  秋の野火に随い燔かれん
糜滅(びめつ)は豈に痛ましからざんや  願わくば株荄と連らん」

555 :1(ry:2006/11/21(火) 18:43:03
>>554の訳(適当ですお……)
「ああ、この転がる蓬よ、
なぜ世の中にこうしてひとりでいるのでしょう?
朝も夜も止まることなく転がりつづけ、
もとの根を遠くはなれ、どれだけ経ったことでしょう。
東西に七百の田の畦道をとおり抜け、南北に九千の田舎道を越え、
とつぜん起こったつむじ風に遭遇し、雲間まで吹き飛ばされ、
これならば天(/宮廷)へとつづく道の終わりまでいけると思えば、
たちまち深い淵に沈み、すると急な風に吹かれてそこから出て、
またもとの田んぼに帰ってきてしまいました。
南と思っていれば北に吹かれ、東にいきたいと思えば西に転がり、
広い平原には依るべきところもありません。
なんとなく消えて無くなってしまったかと思えば、また復活しています。
ころころと飛ばされて国中の八つの沢をめぐり、
ふわふわと転がって国中の五つの山をへてきました。
転がってばかりで同じところにあることはない私の苦労を、誰が知ることでしょう?
願わくば、林の木々のなかの草となって、秋の野焼きの火に焼かれたいものです。
もといた株の根とこの身を共ににできることにくらべれば、
火に燃えて滅びることなどは、どれほど痛いことでしょうか」

556 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/21(火) 19:56:23
曹植タソキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!
ヨモギの枯葉が吹き飛んでると思ってたけど
西部劇のコロコロをイメージしたら凄くマッチした。
曹植タソの中で一番好き。

557 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/22(水) 10:03:08
(/宮廷)っていうのが泣ける・・・

558 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/22(水) 13:20:27
>166 曹丕の燕歌行、六行目と七行目の間に
『賤妾煢煢守空房』(賤妾 煢々(けいけい)として空房を守り)
が抜けてないでしょうか?

詳しい方フォローお願いします。

559 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/22(水) 18:52:49
詳しくないんでageとく
支援よろ

560 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/22(水) 21:15:44
>>166氏のケアレスミスじゃない?
おれの手元にある本でも
>>558氏と同じく、『賤妾煢煢守空房』は挟まってあるよ。

561 :1(ry:2006/11/23(木) 01:49:20
どもであります(`・ω・´)

>>558-560
自分の文選でも、7句目にそれがあります。Thxです!
ついでに>>554も訂正しますorz
白文の三行目の対句が、
×東西経七陌  南北九阡越→◎東西経七陌  南北越九阡 ですた。

あと>>495さんに教えていただいた中国梨をげとしたので、うpしてみます。
http://p.pita.st/?m=tm5s3qns
十二月に入ってからが食べ頃らしいですね。
洋梨風ですね。熟したパイナップルのような、とてもいい香りがしています。

562 :1(ry:2006/11/23(木) 02:22:53
ついでに>>554-555をちょっとだけ……

曹植たんは、217(建安22)年、26歳ごろから、政情のために
国内のさまざまな僻地の王様に封じられていたのですね。
この作は、曹丕没後の太和年間に詠まれたものだそうで、
雍丘→凌儀→雍丘→東阿→陳と、毎年のように国替えをされていたころですね。
曹丕が意地悪をして、という見方がよく本などには出ていますが、
個人的には>>30さんのとおり、人気のある皇位継承者は遠ざけなくてはいけないという
頼朝公&義経公的事情があって、国政のために仕方なく……と思いたいですorz。
しかし、この五言詩のすばらしい修辞、対句と比喩が織りなす絶唱は、
読む人を曹植たんに同情させ、こんなに不遇の貴公子をころころ転がす
兄帝め許さん、という方向に持っていかせそうな気がしますw。

いずれにしても、自分は個人的には、こういう詩を詠む曹植たんは
やはり曹操の息子で、烏桓・赤壁に従軍した人なんだなぁと考えてしまいます。
我が身の不遇を嘆いた叙情的な作ながら、「東西経七陌」から
「連翩五山歴」のあたりなどは、「蓬のぼうけん」などと題したくなるほど
血湧き肉踊る躍動感にwktkさせれてしまいますw。
若い公子のころに『白馬篇』を詠んだ彼の闊達たる性質は、
不遇な晩年になっても損なわれることはなかったのだなと思います。

563 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 05:52:54
>>562
関羽の北上時に討伐軍の大将として期待されたりもしてますからね
文弱の貴公子とはちょっと違って、軍事に政治それに文化と何でもこなすマルチタレントっぽい事が三国志から窺えます
>>1さんの言う通り闊達な人だったのでしょう

564 :492:2006/11/23(木) 09:21:50
梨GETおめ!追熟させてな。

>>547
>曹丕たんが禅譲をうけたので、皇族としての礼をもって再び葬れたのですね。
>必要に応じただけにせよ、曹沖たんにそんな礼をとっておきながら、
>自分には薄葬詔を出している曹丕たんの行動はおもしろいですねw。
ちょっと戻るが、此れの意味が知りたいんだが・・・
此のスレ洗脳されて最近曹丕ファンなんよw

565 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/23(木) 09:56:28
案外曹丕より曹植のが曹操に似てるかもしれんね

566 :558:2006/11/23(木) 13:58:47
フォローありがとうございます。
追加でもう一つ。

同詩六行目
『何為淹留寄侘方』 検索した限りでは
「君何淹留寄他方」(君何ぞ淹留して他方に寄る)
ともあります。
これは参考にした文献の違いなんでしょうか?
再度申し訳ありませんがおながいします。


567 :木村貴光:2006/11/23(木) 18:43:45
私こと花岡美代子は愛知県岡崎で殺されました。
中部地方のクズどもこれ以上のホームレス猟りはやめろ!!中部地方はこんなやつばかりですわ。岐阜県と愛知県民はもう三国志を語るな!!でていけ岐阜愛知に核弾頭を落とせ!!一人も生かすなクズが…わたしゃ成仏できないよ!!


木村貴光は花岡美代子さんを支援します。ホームレスも立派な人間です。みんなで警察のクズどもに脅しかけて、ちゃんと捜査をさせよう。犯人わかってて動かない警察に喝を!!

568 :1(ry:2006/11/24(金) 00:31:41
曹植たんの文章は、闊達さという面では曹操にそっくりですね。
きびきびした動詞、大陸を流れるごとく飛ぶごとくに縦横に俯瞰する視線。
前向きな叙情性などは、英雄的な詩を多く残した曹操の息子そのものですね。
曹丕の作は線が細いですね。自分はこれが甄夫人の真作なのかは
よく知らないのですが、『塘上行』もどちらかといえば曹丕っぽいですよね。

>>564
不思議ですよね。黄初二年は、曹操の喪が明けてやっと国政に
ばりばり手がつけられるようになったので、まずはしっかり権威を固めるために
ほかの兄弟が爵位を賜り、>>541さんのように曹沖君も皇族として
葬りなおしたようにも思えます。それとも、この年は春に劉備も帝位についたり、
六月に甄夫人が没していたり、曹植たんが安郷に左遷されたりと忙しい年なので、
なにか曹沖君を特別に持ち上げるべき事情でもあったのでしょうか?
曹丕が自分に薄葬令を出したのは、父王曹操や漢文帝に倣っただけのようにも
思えますよね。でも、薄葬令を出しているのは黄初三年十月なんですよね。
曹沖君を盛大に葬った翌年の話なので、やはり不思議といえば不思議です。

>>566
明治書院の文選と集英社の古詩源でも後者ですね。
宋本とか版によって違うのでしょうか? どなたかおながいします(ノД`)

569 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 02:22:03
噂の中国梨キタ━━(゚∀゚)━━!! 熟成期間が長い!
熟したら是非味の感想もプリーズ

570 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 02:36:50
>>561か!確かに梨にしちゃデカい。っつかヱビスビールいいなヲイw

571 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 06:33:25
589は梨を題材にした漢詩を作ること。

572 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 10:03:18
いや、579までだ。
しかも梨という言葉を使ってはいけないw

573 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 10:24:17
+   +
  ∧_∧  +
 (0゚・∀・) ワクワク
 (0゚∪ ∪ + テカテカ
 と__)__) +


574 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 10:29:41
兄弟の不和の悲しい詩プリーヅ!
兄弟と言う言葉は使わないでw

575 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 12:02:24
やっぱ父の詩はいいよな。
          ∧_∧
    ∧_∧  (´<_`  ) この程度なら俺でも書ける。
   ( ´_ゝ`) /   ⌒i
   /   \     | |
  /    / ̄ ̄ ̄ ̄/ |
__(__ニつ/  FMV  / .| .|____
    \/____/ (u ⊃


…喧嘩売ってんのか?
          ∧_∧
    ∧_∧  (  ´_>`) 正直、七歩でイケル。
   (  ´_ゝ) /   ⌒i
   /   \     | |
  /    / ̄ ̄ ̄ ̄/ |
__(__ニつ/  FMV  / .| .|____
    \/____/ (u ⊃


     \\\
   (⌒\  ∧_∧
    \ ヽヽ( ´_ゝ`)
     (mJ     ⌒\
      ノ ∩兄 / /
     (  | .|∧_∧OKOK。
  /\丿 | (    ) 兄者マテ!ときに落ち着けって!
 (___へ_ノ ゝ__ノ  有り余る詩才を自慢して悪かったよ!

576 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 12:31:22
>>568
ちょっと調べてみたら、『宋書』楽志と『楽府詩集』で「君何〜」になっている
『玉台新詠』では「君為〜」になっている
侘方は它方の誤字じゃないかな?

「薄葬詔」については、皇族にふさわしい葬儀をすることと薄葬(厚葬)することとは
別問題じゃないかな。
中国では格式(礼)についてやかましいから、どんなに薄葬するにしても最低限の
格式は備えておかないと
極端な話、どんなに薄葬をするといっても、皇帝が一般人と同じ墓地に葬られるなんて
ありえない訳で。そんなことをしたら、葬られた人物は皇帝でないと言うにも等しい行為
黄初二年の文章から読み取れるのは、黄初二年に曹沖を皇族としてふさわしい格式を
もって武帝の墓(高陵)に付葬したということだけで、その時の儀式が(皇族としては)
豪華だったのか質素だったのかは、この史料からだけではわからんと思う

>>575
wwwww

577 :偽曹植:2006/11/24(金) 13:04:29
『(ry為詩』
発泡麦酒夜光缶
欲飲宅急便届了
我酔臥卞喜莫笑
古来甘味不仲酒

(『(ryする詩』
発泡するビール、夜に光る缶
飲もうとしたら宅急便が届きました
私は酔って臥します、卞喜様、笑わないでください
古来より酒は甘物に合わないのです!)



……昼休み真剣に考え(ry

578 :572:2006/11/24(金) 13:45:12
梨の字を用いず梨の詩。
兄弟の字を用いず兄弟不和の悲しい詩。
天晴れ哉、これぞ七歩の才!!!
唐の王翰は本作をパクったに違いないwwwww

579 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 14:39:28
又一日見ない間に何やってんだwwwww

580 :まとめサイト ◆XoQX5vgfQU :2006/11/24(金) 15:37:46
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP

この雰囲気大好きw

581 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 16:08:57
ギガバカスwwwwwww昼休みの詩聖と呼びたいwwwwwww

582 :564:2006/11/24(金) 16:28:39
>>568
>>576
ありがとう。格式と豪華さは違うんね。
想像つかん・・・・俺ももっと勉強してみるノシ

583 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 18:14:23
>>575 wwwwwwww
>>577 (ryする詩=涼州詞かいwwwww

584 :1(ry:2006/11/24(金) 18:51:26
どもです。バカスな偽曹植たんがいて失礼しますた(`・ω・´)
王翰たんごめんなさいw
>>575  流石弟者wwwwwww

ところで、上のほうに重大ミスを見つけたのでとり急ぎ訂正しますorz
>>35の訂正(書き下し)
△たとえば朝露の如し 去りし日ははなはだ多く
→◎譬(たとえ)ば朝露の如し 去りし日は苦(はなは)だ多く<br>
×幼幼と鹿鳴き  野の苹を食す
→◎呦呦と鹿鳴き  野の苹を食す(Unicode)<br>
>>68の訂正
×問う是れ誰が家の塚ぞ→◎問う是れ誰が家の墓ぞ

>>576
なるほどー、いつも教えていただいて超thxであります!!(`・ω・´)
礼と厚葬/薄葬はまた違う概念なのですね。よく分かりますた。

しかし、>>144にも書いたのですが、曹植たんの『七歩詩』は
真作なのか、それともやはり後世の手が入ったものなのでしょうか?
自分はよく知らないのですが、>>86-87さんの『七哀』の
「君は清路の塵の若く、妾は濁水の泥の若し」という句が、『七歩詩』の
「萁は釜の下に在りて燃え、豆は釜の中に在て泣く」の二句を
後世の人が創作するもとになったと聞いたことがあります。
言われてみれば、よく似ているようにも思えますが……?
初出の『世説新語』の時点で六句まるごと他人の作だよ説や、
『文選』の李善注にある後の四句だけが真作だよ説、
後の四句だが真作で、しかも三句目は本当は
×萁在釜下燃→◎煮豆然豆萁だよ説など、諸説あるようですね。
なんだかよく分からないよ、ということでしょうか……

585 :1(ry:2006/11/24(金) 18:52:56
↑訂正にソースの<br>がついてきちゃいますた。無視してくださいorz

586 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 21:53:16
豆殻を焚いて豆を煮るって奴だっけ?

587 :まとめサイト ◆XoQX5vgfQU :2006/11/24(金) 22:16:20
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
>>584の訂正だけUP

588 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/24(金) 23:25:22
ヒップホッパー楊奉ってネタスレにあったMC曹子建
かなり好きだったので転載してみるw



29 名前: MC曹子建 feat.ヒップホッパー楊奉 投稿日: 02/04/12 02:12
Poetry of seven steps 詩・曲 MC曹子建 

豆を煮て豆乳を作り 俺のbrother 罪作り
醗酵させて汁にする 絶望させて死ぬ曹熊
豆がらは釜の下で燃え 正に卑劣な沙汰で萎え
豆は釜の中で泣いていた (カマ カマ イェー カマ イェー)
もとは同じ根から生まれた同士 導師導く道は卞氏
どうしてそれほどひどく煮詰めるの 母が涙で見つめるの
どうしてそれほどひどく煮詰めるの(要チェケラ! ヒップホッパー楊奉!)

Poetry of seven steps
(yo-HO! yo-HO! ヒップホッパー楊奉!)
Poetry of seven steps
(say YO! say YO! brothers 熱い抱擁!)
Poetry of seven steps
(yo-HO! yo-HO! ヒップホッパー楊奉!)
Poetry of seven steps
(カマ カマ イェー brothers 深い愛情! 見せてくれ抱擁!)


589 :1(ry:2006/11/24(金) 23:56:21
>>588
Thxですwwwwwwwwwボジョレー吹いたwwwシヌwwwwwww
さすが楊奉wwwwwwwwwwwww白波五人男wwwwwwwww

wwwwwww……そいじゃ地味なほうもうpしておきますゼイハー

『七歩詩』 曹子建(?)

煮豆持作羹  漉豉以為汁
萁在釜下燃  豆在釜下泣(
本是同根生  相煎何太急

(書き下し)
「豆を煮て持って羹(あつもの)と作(な)し
豉(し)を漉して以って汁と為す
萁(まめがら)は釜の下に在りて燃え
豆は釜の下に在りて泣く(
本(もと)は是れ根を同じく生じたるに
相(あい)煎ること何ぞ太(はなは)だしく急なるや」

意味は(適当ですお……)
「大豆を煮て豆乳を作り、醗酵した豆を漉して汁にします
豆の殻は釜の下でたきつけに燃え、豆は釜の中で泣いて申します
我々はもとは同じ根から育った豆と豆殻なのに、
なぜそのようにひどくぱちぱちと加熱なさるのですか」


(ついでに>>554吁嗟篇の書き下しを訂正orz
×糜滅は豈に痛ましからざんや→◎糜滅は豈に痛ましからざらんや)

590 :1(ry:2006/11/24(金) 23:57:56
↑豆在釜下泣(
 豆は釜の下に在りて泣く(  「(」要りませんorz


591 :1(ry:2006/11/25(土) 00:20:51
×豆在釜下泣→◎豆在釜中泣
×豆は釜の下に在りて泣く→◎豆は釜の中に在りて泣く orz orz orz

592 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 12:43:07
MC曹子建wwwww

593 :MC曹子建ver.2 feat.ヒップホッパー楊奉:2006/11/25(土) 12:53:25
俺は荒野のテキサスボール  この世に独りstand alone
転がり続けてkeep rollin'  朝から晩までnever stoppin'
西に東に700マイル     北に南に900マイル
あるとき竜巻comin' up   俺様雲までblowin' away
これなら天までたどり着く  そしたら淵にまた落ちる
やさしい風、oh sweet home もとの田んぼにI'm back!
南部に北部 東部に西部   どこ行きゃいいのかSo Shock!
山越え沢飛びgo arowud   分かってくれよ 俺のmisery
もはやwanna be 秋の草   一緒に燃えたいlet's burnin'
さよなら楊修 K-rockin' レペゼン親父 in heaven.
Say YO! Say YO! Just like a rollin' weed
Say HO! Say HO! Never gathers no moss

594 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 14:20:52
アホwwwwww

595 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 14:54:37
>588
気になって過去ログ探しちゃったよw 他のもおもしれーww

漢詩を初心者向けにいくつか紹介している本に
「七歩詩は曹植の作じゃないんじゃね?」と書いてあった。
「皇帝の弟がこんなに庶民臭く豆料理に詳しいわけがNEEE」(意訳)とか。
となると梨皇帝の立場はどうな(ry 梨は高級品だからおKですかね。

596 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 15:03:10
その否定の仕方はどうかと思うが
ソースがイマイチ、曹植にしては下手、作風が違う、といったことから偽作とされることが多いんだそうな

597 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 16:01:21
>>584に書いてあるけど
七歩詩は出典が怪しいんだね。

>>588ハゲワラ。>>593は昼休みの詩聖殿?ww

598 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 17:42:31
>>595
なんだその否定www
でも父が酒の作り方考え出して
兄が梨に夢中な家庭環境だからなw

599 :1(ry:2006/11/25(土) 17:56:52
酒のつまみは豆ですよね

600 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 18:00:22
屁が出るぞ

601 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 18:15:49
三戦一上品なスレ住人が屁とは何事じゃwww
で結局、文選なのか世説新語なのか屁(ry

602 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 21:45:37
文選おもしろいよ文選

603 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 22:47:38
(・ω・)あげ

604 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/25(土) 22:51:24
http://www.youtube.com/watch?v=wL6a-Vlw_Gs

605 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 00:04:31
>>604
いきなり叫ぶ人が出るジョークビデオ。心臓注意

606 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 15:45:41
ちーちゃんは「そうち」?「そうしょく」?

607 :昼休みの1(ry:2006/11/26(日) 23:17:39
どもであります(`・ω・´)

「そうち」「そうしょく」はどっちなんでしょう?
どちらでもいいのかも知れませんが、
曹植たんのあざなの「建(けん)」という字の漢音での四声が去声で、
「植(ち)」も漢音で去声、一方漢音の「植(しょく)」は入声になってしまうので、
響きとしては、自分は「そうち」のほうが
あざなと音が呼応してきれいなのかな……と思っています。
曹丕・子桓(丕と桓)、曹彰・子文(彰と文)、曹沖・倉舒(沖と舒)なども
みんな韻が揃ってますね。曹操は芸が細かいですねw。

意味としては、漢音の「しょく」「ち」のどちらの音にも「建てる」の意があるので(新字源)、
「子建」との意味の呼応としてはどっちでもいいのかも知れませんねー。
現代のピンインだと曹植=Cao Zhiなので、「そうち」寄りなんですね。

七歩詩の真偽は、もうすこし調べてみるます(`・ω・´)
>>595さんの理由だったらいいなと(ry

>>605さんthxです。ふー、びっくり(ry

608 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/26(日) 23:52:17
× 韻が揃ってますね
○ 声調が揃ってますね

たぶん

609 :1(ry:2006/11/27(月) 00:08:49
ほんとだ。訂正thxでありますorz

「植」の音意は、なにやら辞書によって違うみたいですね。
大字典には「しょく」が建てる義、「ち」が植える義と明分されていますね。
新明解漢和だと、「しょく」は植える・建てるの両方の意で、
漢音で「ち」と読む場合は建てる・柱等の意のみになるようですね。むむむ。

610 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/27(月) 00:37:31
なにがむむむだ!


ゴメンいってみただけw

611 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/27(月) 11:24:08
へー
曹操の息子達って「子○」ばっかりで
字も簡単なモノばっかりだったから
手抜きというか、適当な印象だった。

孫家の兄弟みたいに、日本人にも「はあ、なるほど」感はなかったけど
そういうことだったのね


612 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/27(月) 13:09:37
據術字公路,當讀如月令「審端徑術」之術,音遂。
資治通鑑の注から

もしも「しょく」じゃないなら
植,直吏翻
と注があってもよさそうだが。

613 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/27(月) 13:20:43
ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/r04.htm
と言う意見もありました。

夏侯惇のトンorジュン。 Xiahou Dunでトンの方が近いから、
トンが多い。程度の話かと思ってました。
(実際にはトン=漢音 ジュン=慣用音 日本では伝統的に人名を
漢音で読ませる?)
子の名前を対応させてたりしたとは。

七歩詩の真実は…
司馬懿のアレが自分を低く見せるためにわざとああ書いたのか、
それとも頑張ってあの程度だったのか、と同じくらい謎ですね。
いつか解明することを祈りますw

614 :まとめサイト ◆XoQX5vgfQU :2006/11/27(月) 15:26:25
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP

615 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/27(月) 20:33:50
>>611
曹操の子供の字に「子」がついている人が多いのは
曹操の字が孟徳(孟は長男の意味)であるからでもあったり。
中国では、皇帝や親・親の兄弟の名の字を(失礼にあたるとし)避け子の名前をつけます(避諱)。
例えば、曹操が息子に仲○などの字をつけると
曹操の兄弟。つまり曹操の息子からみたおじに対して失礼にあたるので、子○という字をつけたとか。
これは兄弟字がついている人の息子に見られる法則で、孫権(仲謀)・司馬懿(仲達)の息子には子がついています。
勿論、陸遜(伯言)の息子の陸抗(幼節)など例外もおりますが。
尚、孟達は元々子敬という字でしたが、主君劉備のおじ劉子敬と同じ字だった為
子度に字を変えたようです。
間違ってたらごめんなさいorz

616 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/27(月) 20:37:19
>>615
[無知で]幼名について[すんません]
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1163590425/37

617 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/27(月) 20:44:40
>>615
馬孟起の子、馬秋や馬承の字は子から始まるのかな?
趙子龍の親父の字は兄弟順を表す字を持ってるのかな?
なんて想像ができるなw

618 :1(ry:2006/11/28(火) 01:36:40
Thxであります(`・ω・´)名前の話が気になったので、
三国志時代の他の人もすこし調べてみますた。
(A・B)のAは名、Bはあざなの末尾の字の四声。長くて済みませんorz

曹嵩・巨高(平・平) 曹操・孟徳(平・入) 
曹昂・子脩(平・平)曹丕・子桓(平・平) 曹彰・子文(平・平) 
曹植・子建(平・平/去 植:漢音チは平、ショクは去声)
曹彪・朱虎(平・上) 曹沖・倉舒(下・下) 曹宇・彭祖(上・上)
曹真・子丹(平・平) 曹叡・元仲(去・去)

曹仁・子孝(平・去) 曹洪・子廉(下・下) 曹純・子和(下・下 純:漢音シュン)
夏侯惇・元譲(平・去 惇:漢音トン/呉音ジュンいずれも平)
夏侯淵・妙才(平・平) 何晏・平叔(去・入)

孫堅・文台(平・平) 孫策・伯符(入・平) 孫権・仲謀(平・平)
孫翊・叔弼(入・入) 孫匡・季佐(平・去) 孫朗・早安(上・平)
孫峻・子遠(去・去) 孫休・子烈(平・入) 孫晧・元宗(上・平)

袁術・公路(去・去 術:>>612さんの遂/スイ) 袁紹・本初(上・平)
袁譚・顕思(平・平) 袁尚・顕甫(去・上) 袁煕・顕奕(平・入) 

司馬朗・伯達(上・入) 司馬懿・仲達(去・入) 司馬孚・叔達(平・入)
司馬師・子元(平・平) 司馬昭・子上(平・去/上 上:漢音ジョウ=去、ショウ=上)
司馬炎・安世(平・去)

馬良・季常(平・平) 馬謖・幼常(入・平)

諸葛瑾・子瑜(上・平) 諸葛亮・孔明(去・平) 諸葛誕・公休(上・平)

619 :1(ry:2006/11/28(火) 01:44:40
↑こんな感じなので、熟語からとったり(徳操や瑾瑜など)、
兄弟で字を揃えたり(司馬八達、馬氏五常など)という家もあるなかで、
曹操の息子たちは、名とあざなの四声の呼応を重視しているような気がします。
曹彪もような例外もあるようですが……w

>>612
Thxです! 『資治通鑑』は未読なのですが、そんなことが出ているとは。
それならば確かに、「植、音寘」などの一言があっても良さそうですよね。むむむ。
ただ、自分の辞書だと新字源と新明解漢和の両方に「植」の読みで「ち」が出ているのですが
「術」の読みは、新明解漢和にしか「すい」が出ていないのであります
(しかも、音意は「周代、一二五〇〇戸の称」)。
なので、「えんすい」は珍しい読みなので特別に記述した、などは……??
>>615
なるほど、三国時代は避諱が名だけでなく、あざなにも適用されたのでしょうか。

>>613さんのページだと、「植」の音意が
「しょく=植える、ち=建てる」と明分されてるのですね。
>>607,>>609のとおり、このへんは漢和辞典によって違うみたいですねorz
「夏侯惇」のトンとジュンは、トン:漢音、ジュン:呉音なので、
夏侯惇が北部(魏)の臣だからかと思ってました。
これは読みによって音意が違うことはないようなので、
どっちでも良いのかも知れませんですね……? 素人には難しいですねorz

七歩詩は、実は曹植たんが煮豆マニアで作った真作だといいな……w

620 :1(ry:2006/11/28(火) 02:06:22
あと少し戻りますが、>>569さん>>492さんの中国梨ひとつ喰いますた。
http://p.pita.st/?m=bvxp3vt3
洋梨のように柔らかくはなく、普通にシャリシャリしていましたが、
香りが非常に高く、熟したパイナップルそのものの香りがしました。
きっとカプロン酸系の芳香物質とフラノンが多いのだと思いますた。おいしかったです。

こうしてみると、曹操の息子たちの名はなかなか洒落ているかもしれませんね。
さすが、当代きっての詩人だけはありますねw。

621 :1(ry:2006/11/28(火) 02:22:30
>>618の袁尚・顕甫(去・上)は(平・上)の誤りですorz

622 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 04:58:32
>>620
うは、うまそう〜
ていうかこんなところでも専門用語炸裂テラカシコス(゚∀゚)

623 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 09:23:23
>>618
曹操家は偶然つうには声が揃いすぎだわな。
曹彪は気になるところw

624 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 16:10:05
曹操も凝り性だな

625 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 16:14:15
曹操と曹丕、やっぱり親子だな

曹丕の方が、さらにニッチなところに凝ってる気がするけど

626 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 18:09:05
>>619
>三国時代は避諱が名だけでなく、あざなにも適用されたのでしょうか
普通は諱だけだよね。避諱じゃないけどかぶらないようにとか遠慮があったんかね?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%BF%E8%AB%B1

627 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 21:09:25
図書館に大漢和辞典引きにいくんだ!

628 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/28(火) 23:12:25
>>615
>>619
>>626
避諱ほどのタブーじゃないけど被らない配慮かもね。

629 :1(ry:2006/11/30(木) 05:51:26
どもです(`・ω・´)そういえば、曹植たんの文帝誄訳をうpしておきます
(『芸文類聚』第十三巻、魏文帝の項より。Unicodeになおした白文もうpしておきます)。
書き下し間違いや誤字誤訳は多分大量に(ry 適宜訂正を(ry orz orz orz
自分はこの誄の歴史的解釈はよく知らないのですが、非常にきれいな駢文だと思います。
後半は>>373-375の薄葬詔(曹丕)を受けたものですね。氏ぬほど長くて済みませんorz

(ちなみに最近気づいたのですが(遅い)、『魏書』文帝紀第二の最後のほうのところの
裴注に、これの倍ぐらい長い「鄄城侯植為誄曰、惟黄初七年五月七日、大行皇帝崩〜」
という文帝誄が載ってるんですね。こっちが原文だったらどうしよう……orz)

630 :1(ry:2006/11/30(木) 05:52:30
(白文)
魏陳王曹植文帝誄曰.
天震地駭.崩山隕霜.陽精薄景.五緯錯行.哀殊喪考.思慕過唐.擗踴郊野.仰愬穹蒼.
考諸先紀.尋之哲言.生若浮寄.徳貴長伝.朝聞夕逝.死志所存.皇雖殪没.天禄永延.
何以述徳.表之素旃.何以詠功.宣之管絃.乃作誄曰.元光幽昧.道究運遷.乾迴暦数.
簡聖授賢.乃眷大行.属以黎元.龍飛践祚.合契上玄.五行定紀.改号革年.明明赫赫.
授命自天.風偃物化.徳以礼宣.詳惟聖質.岐嶷幼齢.研機六典.学不過庭.潜心無内.
抗志高明.才秀藻朗.如玉如瑩.聴察無響.視睹未形.其剛如金.其勁如瓊.如冰之潔.
如砥之平.爵功無重.戮違無軽.心鏡万機.鑑照下情.宅土之中.率民以漸.道義是図.
弗営厥険.六合通同.斉契共検.導下以純.民由樸倹.紼冕崇麗.衡紞惟新.尊肅礼容.
瞻之若神.方牧妙挙.欽於恤民.虎将荷節.鎮彼四隣.朱旗所勦.九壤披震.疇克不若.
孰敢不臣.懸旌海表.万里無塵.回回凱風.祁祁甘雨.稼惟歳豊.登我稷黍.家佩恵君.
戸蒙慈父.在位七載.九功仍挙.将承太和.絶跡三五.宜作物師.長為神主.壽終金石.
等算東父.如何奄忽.摧身后土.俾我焭焭.靡瞻靡顧.嗟嗟皇穹.胡寧忍予.明鑑吉凶.体達存亡.
深垂典制.申之嗣皇.聖上虔奉.是順是将.乃啓玄宇.基于首陽.擬跡穀林.追堯纂唐.
合山同阪.不樹不疆.塗車蒭霊.珠玉靡蔵.百神警侍.賓于幽堂.於是侯大隧之致功.陳元辰之叔禎.
潜華体於梓宮.憑正殿以居霊.悼晏駕之既俟.感容車之速征.
浮飛魂於軽霄.就黄墟以蔵形.背三光之昭晰.帰窀穸之冥冥.嗟一往之不返.痛閟闥之長扃.

631 :1(ry:2006/11/30(木) 05:55:37
(書き下し1/2、適当ですお……)
魏陳王曹植は文帝に誄して曰く、
天は震え地は駭(おどろ)き、山は崩れ霜は隕(お)つ。陽精は薄景し、五緯は錯行す。
哀しみは殊(ことさら)に考(ちち)を喪い、思慕は唐を過ぐ。郊野に擗踴し、蒼穹を仰ぎて愬う。
諸(これ)を先紀に考み、之の哲言を尋ねるに、生は浮寄の若く、徳貴は長く伝わり、
朝に聞き夕に逝けども、死して志は所存すと。皇と雖(いえど)も殪(たお)れ没せとも、天禄は永延なり。
何を以って徳を述べ、之を素旃(そせん)に表わさん。何を以って功を詠み、之を管絃に宣べん。
乃(すなわ)ち誄を作りて曰く、元(はじ)め光は幽昧にして、道は究(きわ)まり運は遷り、
乾の暦の数(わざ)を迴らせ、聖を簡(えら)びて賢に授く。乃ち大行を眷(かえり)み、黎元を以って属す。
龍飛(りゅうひ)して践祚(せんそ)し、上玄に合契し、五行の紀を定め、改号し革年し、
明明赫赫(めいめいかくかく)とし、天命を自らに授く。風を偃(ふ)して物と化し、徳を以って礼を宣ぶ。
惟れ聖質を詳しくし、嶷(ぎょく)は幼齢に岐(ひい)でる。
六典を研機し、学は庭に過ぎざる。心を潜ませ内を無(む)にし、志を高明に抗う。
才は秀で藻は朗かに、玉の如く瑩の如く、響(こえ)無きを聴きて察し、未だ形(あら)われざるを視睹す。
其の剛は金の如く、其の勁は瓊(たま)の如く、之は氷の潔き如く、之は砥(といし)の平らなる如し。
功を爵すに重きこと無く、違を戮するに軽きこと無し。心鏡万機(しんきょうばんき)、下情を鑑り照らす。
之の宅土の中、漸民し以って率い、道義是れ図る。厥(そ)の険を営せず、六合を同じく通ず。
斉(ひと)しく契り共に検(はか)り、下を導き以って純にし、民に由(なお)のこと倹樸し、
冕を紼(ふつ)して麗(なら)び崇め、紞して衡を惟れ新しむ。

632 :1(ry:2006/11/30(木) 05:56:51
(書き下し2/2)
礼容を尊び肅み、之を瞻れば神の若し。方牧(ほうぼく)を妙挙し、民を恤(あわれ)むを欽(つつし)む。
虎将は節を荷い、彼の四隣を鎮む。朱旗の勦(ほろぼ)す所、九壤は披震す。疇(たれ)か克く若(したが)わざる。
孰(たれ)か敢えて臣たらざる。旌(はた)を海表に懸(かか)ぐば、万里に塵無く、
凱風は回回とし、甘雨は祁祁(きき)とす。稼(みのり)は惟れ豊かに歳(めぐ)り、稷黍は我に登(みの)る。
家は君の恵みを佩び、戸は慈父を蒙(こうむ)る。在位すること七載、九功は仍(しき)りに挙ぐ。
将(まさ)に太和を承り、跡を三五に絶つ。宜しく作物を師し、長く神主を為す。
壽は金石を終え、算を東父に等しくし、如何ぞ奄忽(たちまち)に、身を后土(こうど)に摧(ほろぼ)し、
我を焭焭と俾(せし)む。瞻るを靡き顧むを靡く。
嗟嗟、皇穹よ、胡(なん)ぞ予寧(よねい)に忍(たえ)る。
明は吉凶を鑑み、体は存亡に達し、深く典制を垂れ、之を嗣皇に申す。
聖上は虔(つつし)んで奉じ、是に順じ是に将(したが)う。乃ち玄宇(げんう)を啓(ひら)き、
基を首陽にし、跡を穀林に擬し、堯を追い唐を簒(ねら)う。
山に合(おな)じくし阪に同じくし、樹せず疆せず、塗車蒭霊、珠玉を蔵(しま)わず。
百神は警(そな)え侍り、幽堂に賓し、是に於いて侯(きみ)の大隧(たいすい)を致功し、
之の元辰(げんしん)の叔禎を陳(しめ)し、華体を梓宮に於いて潜(かく)し、正殿に憑りて以って霊を居す。
晏駕(あんが)の既に俟(はや)きを悼み、之の容車(ようしゃ)の速く征くを感ず。
飛魂を軽霄(けいしょう)に浮かべ、黄墟(こうきょ)に就いて以って蔵と形す。
三光の昭晰(しょうせき)に背き、窀穸(ちゅんせき)の冥冥たるに帰す。
一たび往きて返らざるを嗟(なげ)き、閟闥(ひたつ)の長く扃(とざ)すを痛む。

633 :1(ry:2006/11/30(木) 05:58:00
(訳1/3、適当ですお……)
 魏の陳王曹植は、文帝のご崩御を悼んで申し上げます。
 天はふるえ地はおどろき、山は崩れ霜がおります。日の光は薄れ、
水・金・火・木・土の五星は錯行します。その悲しみは父を亡くしたほどに特別に大きく、
思慕の情はかつての偉大な堯の都の唐を過ぎるほどの大きさです。
わたしは郊外の平原で、手で胸を打ち、地を足で蹴って嘆き、蒼穹を仰いではうったえます。
 先人が記したものを鑑み、その哲学的な言葉に申しますには、生命とは定めがなく、
仮に身を寄せるが如きもので、ただ貴い徳だけが長く伝わると存じます。
孔子は、君子は朝に人の道を聞けたならば、その夕に没しても惜しくはないと言います。
死んでも志は残ります。皇帝といえども病に倒れ没しますが、その天の恵みは永遠につづきます。
何をもって陛下のその徳を述べ、それを白い旗にあらわし、何をもってその功績をうたい、
それを音楽に宣べればよいのでしょう。
 すなわち、ここに亡き陛下を悼んで誄を作って申しあげますには、
元来、この世は薄ぼんやりとしていたものを、陛下は道をきわめ良いことをもたらし、
天の月日の巡る仕組みを明らかにし、その言葉をえらんで賢い者に授けました。
ここに陛下のりっぱな事業を顧み、民衆としてこれに従います。

634 :1(ry:2006/11/30(木) 06:01:07
(訳2/4)
 陛下は階段を登ってご即位なさってから、人の最も貴いあり方に合致し、
天地をつくる木・火・土・金・水の五つの元素のあり方を定め、
年号を黄初と改号して年をあらため、明らかにあかあかと輝き、天命を授けられておりました。
風習をやめさせて、徳をもって礼を宣べられました。
尊い考えに詳しく、ご幼少のころから優秀さは飛びぬけてあられました。
治典・礼典・教典・政典・刑典・事典の六典をよく知って究め、
その学びは政務にとどまることがございません。
心を謙虚にしてその内を無にし、志は高明を願っていらっしゃいました。
才は秀で、その文章のお言葉は朗らかで、まるで玉の如く透き通った石の如くであられ、
音のないものを聞いて察し、見えないものをご覧になられておりました。
その武勇は金のごとく、その強さは美しい石のようで、まるで氷の潔いがごとく、砥石の平らなようでした。
功をさずけるに重すぎることはなく、誤りを罰するに軽すぎることがなく、
鏡のように澄みきったお心はどんなときにも、しもじもの情を汲んで照らしてくださいました。
人が住む土地の中で、人を感化して率い、道義を大切になさいました。
その険しさを苦労とせず、天地と四方の六合を同じく通じて治められました。
皆を平等に大切にし、共に考えとりしらべ、しもじもを導いて良きものにし、
民衆にもまさって倹約し、印の紐をもって(皇帝として)冤罪をあきらかにし、
冠の垂れ紐をもって(皇帝として)度量衡を新しく改められました。

635 :1(ry:2006/11/30(木) 06:02:25
(訳3/4)
礼儀正しさを尊び慎み深いことは、まるで神のようであらせられました。
地方の長官を絶妙に推挙し、民衆をあわれみいつくしまれました。
勇猛な将軍たちは陛下の旗印を荷い、四方の隣国を鎮めました。
陛下の朱旗がほろぼすいきおいに、中国の九つすべての州は震えさせられました。
どこに陛下に従わない土地があったでしょうか。どこに敢えて陛下の臣たらない者がいたでしょうか。
その旗を水面にかかげれば、万里には行く手を阻む塵ひとつなく、
恵み深い初夏の南風はかがやくように吹き、慈しみ深い雨はおおいに降りそそぎます。
作物は毎年豊作で、もちきびとうるちきびが我々の食卓にのぼりました。
家々は君主の恵みをおび、戸々は慈父の恩恵におおわれ、それをこうむりました。
七戴にわたって在位され、九つの功績は挙げるにいとまがありません。
まさにたくさんの平和をたまわり、満月のごとく欠けたるものはございません。
よく作物をよくつかさどられ、長く天地の神をまつる祭り主であられました。
その寿命は金石のごとく永遠であり、その年数は太陽と同じくあるはずでしたのに、
なぜ突然にその身を土の上にほろぼし、わたしをひとりにしてしまわれたのでしょうか。
見ることもできず顧みることもできません。ああ、この青い大空よ、
どうやってこの喪に服することに堪えればよいというのでしょうか?

636 :1(ry:2006/11/30(木) 06:03:49
(訳4/4)
 陛下の聡しさは吉凶を鑑みられており、そしてそのおからだはその存亡のときに達しました。。
くわしく規則をつくり残されておられるので、これを受け継いで申しあげます。
今上陛下(曹叡)は亡き陛下の死後の家をつくり、そのいしずえを首陽山におき、
その跡を堯帝の墓陵である穀林に擬し、偉大な堯帝を追うように称え、その唐の都をねらいます。
自然にある山や阪の地形に合わせて墓陵をつくり、木をうえず境界をつくらず、
塗車芻霊の儀礼を行ったり珠玉をおさめたりはいたしません。
百の神々が警護にはべり、その墓室につらなり、それによって陛下の墓道が完成であるとして、
日柄のよい日をえらんでそのおからだを墓陵におさめてかくし、
そこを儀式をとり行う表御殿としてもって御霊のお住まいになるところとします。
崩御のことさらに早いことを悼み、陛下を乗せて走る車の速くゆくことを感じます。
飛びゆく御魂はこのかるく遠い空に浮かび、黄泉の道に就いて蔵(しま)われることでしょう。
日・月・星の三つの光の明るさを背にし、暗く人目につかない墓穴にお帰りになることでしょう。
ひとたび行ってもうお戻りにならないことを嘆き、
奥深い廟の永遠にかんぬきで閉ざされることを痛みます。

>>633は(訳1/4)です。めたくそに長くて済みませんorz orz orz

637 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 09:30:24
>>629-636
めたくそに乙!!!!!取り敢えず乙!!!!!

638 :1/3:2006/11/30(木) 11:34:52
>>618
誰も突っ込まないので

曹植・子建(平・平/去 植:漢音チは平、ショクは去声)

曹植・子建(去/入・去 植:漢音チは去、ショクは入声)
の誤り

自分なりにも曹植の発音を調べてみたがようわからかんかった。
>>609
>大字典には「しょく」が建てる義、「ち」が植える義と明分されていますね。
は、どうも宋代の韻書の『集韻』や『礼部韻略』あたりに基づいているっぽい
ただ、同じ宋代に編集された韻書でも『広韻』では植(チ)では植えるの意味を
載せるだけで植(ショク)で植える・立志(立の誤り?)・置くなどの意味の解説を
していて、集韻のような使い分けが本当にあったのかは断定しにくい。

>>607
>現代のピンインだと曹植=Cao Zhiなので、「そうち」寄りなんですね。
も多分逆。
現代のピンインだと植はZhiの二声。去声の漢字の発音はピンインでは第四声になるのが
原則だし、『広韻』『集韻』で植(チ)と同音の漢字の「治」はピンインでZhiの四声
だし、同じく同音の「値」はチョクという別の発音もあるが、去声のチはZhiの四声で
入声のチョクはZhiの二声で読む。
また、藤堂明保編『学研新漢和大字典』では「植」の漢字音は入声のショクの発音が
変化して今のピンインのZhi二声に変化したとする。

639 :2/3:2006/11/30(木) 11:36:30
ちなみに清朝ではどうだったか、手持ちのありあわせの文献で判断すると
まず『康煕字典』の植字には、最初に入声のショクの発音(常職切)を挙げて
立てる・たてかんぬき・植物などの意味を説明した後、最後のほうに去声のチの
発音(直吏切)を挙げて、植えるという意味と経典なんかに出てくるマイナーな
意味を解説
作詩作文の参考用に編纂された『佩文韻府』は熟語を最後尾の漢字の韻によって並べた
ものだが、「曹植」の語が去声のチではなく入声のショクのところに収録されているし、
そもそも収録された熟語の数自体が入声のショクの方が多い。
また『佩文詩韻釋要』という本では植(ショク)の部分の注に
「種植。ゥ韻同。」(植えるの意味。ゥ韻(つまり去声のチ)で発音しても意味はおなじ)
とあり、植(チ)の部分の注には
「種也。樹立也。職韻同。又曲植独用」
(植えるの意味。立つの意味。職韻(つまり入声のショク)で発音しても意味は同じ
また「曲植」(養蚕の巣柱)の意味の時だけ職韻では無く、ゥ韻(去声のチ)で発音する)
とある。
ここらへんから考えると清朝でも植の発音の違いと意味の違いの関連は不明瞭だが、
全体の傾向として「植」の発音は、(曹植も含めて)「ショク」(が変化した)発音が
使われるのが一般的で、「チ」の発音は、儒教の経典等の特殊な読み方に由来する場合
が多く、最終的に現代ピンインでは去声のチの発音は消滅して、「ショク」
(が変化した)発音が生き残ってZhiの二声で読まれるようになったのかなと推測してみる。

640 :3/3:2006/11/30(木) 11:39:43
逆に遡って唐代ぐらいではどう読まれていたかはもっとわからん
唐代初の『漢書』の顔師古注では二箇所「植」の字の音注があるが
賈誼傳
「方正倒植」の注に「植、立也。音値」
韓延壽伝
「植羽葆」の注に「植亦立也。……植音常職反。」
とあって「立つ」の意味なのに「チ」と注したり「ショク」と注したりバラバラ
もう一つ、(多分)陳から隋にかけての時期位に成立した陸徳明『経典釈文』にも
植の字の音注が大量にある。そのうち、「たつ・たてる」の意味で使われている者は
必ず「チ」と「ショク」の両音併記されている。最初に「ショク」の発音が挙げられ
次に「チ」の発音が挙げられる場合とその逆のパターンがあるが参考までに抜き書き
すると次の通り。(儒教の経典を読むのはやっかいなので間違いが結構あるかも)

●最初に「ショク」の音を注し、後で「チ」の音を注す
   置鼓鄭作植(那注)…時職反又音値
   植虞旗(山虞)…時力反又音値
   立如植(左傳定十)…市力反立也一音値
   草木之到植者(外物)…時力反又音値立也本亦作置
●最初に「チ」の音を注し、後で「ショク」の音を注す
   植虞旗(獸人注)…直吏反又時力反徐音栽
   植旌(田僕)…直吏反又時力反
   植我トウ鼓(明堂位注)…市力反又音置徐音徒吏反又徒力反※
   君弱植(左傳襄三十)…徐直吏反一音時力反
※徐音は東晋・徐邈の音注。唐宋の韻書では直と徒の子音は異なる発音だが、
古い時代では同じ子音だったらしいので、徒吏反は直吏反に等しい…はず。
(詳しいことはわからん)

この他に、柱や柱状にに直立したものの意味でも「植」の字が大量にでてくるが、
「ショク」「チ」の両音併記だったり、「ショク」か「チ」のどちらかしか
音注が無かったりカオス状態
これから判断すると隋から唐初では「植」に決まった発音がなかったんじゃないか
としか思えない。

641 :4/4 orz:2006/11/30(木) 11:41:11
長々と書いた割りに明快な結論が無くて申し訳ないが、
「チ」と「ショク」で意味が異なるとしている辞書は、あまりアテにならんということと、
清朝以降では「ショク(が変化した発音)」が優勢っぽかったというのが
とりあえずの自分の結論です

642 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 11:52:54
ちょっとした疑問(>>606)から
ここまで発展勉強できるこのスレに感謝

643 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 13:39:33
みんな乙age

644 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 13:52:25
みなさん乙です!
ここは本当にいいスレですね。
毎日こっそり覗いて楽しみにしてます!

645 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 14:13:35



646 :無名武将@お腹せっぷく:2006/11/30(木) 21:42:59
住人乙〜
気軽に書けるのが趣味板の三戦のいいとこだよね
俺もシロートなんでROMらだが
たまに間違いを恐れずに頑張って書いてるから
間違いに気付いたら気楽に指摘してちょ(´Д`)
文帝ルイの解説もキボン

647 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 03:23:09
ああ、このスレ見なければ良かった…。
このままじゃ夜が明けるまとめサイトのおすすめ本全部欲しいよ金が無え。


この良スレめ。
皆さん乙です。

648 :1(ry:2006/12/01(金) 05:42:16
どもであります(`;ω;´)
自分は多分そこいらじゅう間違いだらけなので、適宜訂正を(ry

とりあえず、>>629-636を気づいたぶんだけ訂正orz
>>631最終行 ×紞して衡を惟れ新しむ→◎×紞して衡を惟れを新しむ
>>635下から4行目 「その寿命は〜 ;段落なので一文字インデント
>>636 1行目 最後の句点がひとつ余計
>>636 1行目 ×陛下の聡しさは吉凶を鑑みられており〜
 →◎陛下の聡しさは吉凶を鑑みられてあられ(ご自分の最期についても鑑みられてあられ)〜
>>636 3行目 ×今上陛下(曹叡)は亡き陛下の〜
 →◎今上陛下(曹叡)はつつしんでこの詔を奉じ、これに順じこれに従います。
  すなわち、亡き陛下の〜
>>636 下から6行目 ×表御殿としてもって→◎表御殿として、もって

なんかこの「文帝誄」は、『魏書』文帝紀第二の最後のところの、
倍ぐらい長い裴注のほうが出典な気がものすごく(ry そっちが原文だったら鬱(ry

>>638-641
いつも超thxです!! 訂正thxでありますorz 長年勘違いしてまし(ry
なるほど、どもであります。どちらかといえば「そうしょく」だけど、
本当は誰にも分からないよ、という感じなのでしょうか。
自分も唐詩で「植」の字が出てくるものを、思いついたぶんだけメモしておくます。
・孟浩然『田園作』(「卜鄰近三径、植果盈千樹……」)
・羅隠たん『暇日有寄姑蘇曹使君兼呈張郎中郡中賓僚』(「嘉植陰陰覆剣池、此中能政動神……」)
・王維『与胡居士皆病寄此詩兼示学人二首 其の二』(「植福祠迦葉、求仁笑孔丘……」)
・王維『寄荊州張丞相』(「方将与農圃、芸植老丘園……」)

ええと、これで詩形の平仄を考えていけば(ry そのうち(ry

>隋から唐初では「植」に決まった発音がなかったんじゃないか
なるほど、不思議な字なのですね。もしやワイルドカード的に使えたとか……w

649 :1(ry:2006/12/01(金) 05:46:27
>>464(適当ですが)
曹植たんはこんな追悼文(誄)でも、彼の特質であるいきいきとした動詞と、
大陸を飛ぶように俯瞰する父親譲りの闊達な視線を失わないと個人的には感じます。
とくに中盤から後半にかけては、読み手はそこに語られる亡き皇帝の覇業に
追悼文なのにwktkさせられ、そしてその劇的な終焉にあっと言わせられるように思います。
美しい駢体文、巧みな修辞と対句、絡み合う比喩と鮮やかな感情の発露の絶唱ですね。
 ちなみに、曹操が没した際に曹丕と曹植がそれぞれ
「為武帝策文」と「武帝誄」をあらわしたのが『藝文類聚』に出ているのですが、
これを比べると、この二人の文章の傾向の違いがすごい勢いであらわれるように見えますw。
羽をひろげて感情の中に飛び立つように、心情をいきいきと鮮やかに表現する曹植たんと、
いっぽうでその場に凍りついたような曹丕の差は、文体の違いをおいても明らかなように思います。
とりあえず、曹丕の「為武帝策文」だけうpしておきます。
 曹植たんの武帝誄は氏ぬほど長いので、そのうち(ry

(『芸文類聚』巻第十三、魏武帝の項より、白文)
魏文帝為武帝策文曰.
痛神曜之幽潜.哀鼎俎之虚置.舒皇徳而詠思.遂腷臆以涖事.矧乃小子.夙遭不造.
摜摜在疚.嗚呼皇考.産我曷晩.棄我曷早.群臣子輔.奪我哀願.猥抑奔墓.
俯就権変.卜弡既従.大隧既通.漫漫長夜.窈窈玄宮.有晦無明.曷有所窮.
鹵簿既整.三官駢羅.前駆建旗.方相執戈.棄此宮庭.陟彼山阿.

650 :1(ry:2006/12/01(金) 05:47:31
>>649 書き下し(適当ですお……とくに中盤ヨクワカンネorz)
魏文帝は武帝に策文を為して曰く、
神曜は痛み之に幽潜し、哀(あわ)れみ鼎俎(ていそ)を之に虚(むな)しく置き、皇徳を思い舒詠す。
遂に腷臆(ひょくおく)し以って事に涖(のぞ)む。矧(いわ)んや子の小さきを、夙(つと)に遭い造らず。
摜摜(かんかん)として疚く在り。嗚呼、皇なる考(ちち)よ、
曷(いず)くんぞ晩(おそ)くに我を産みて、曷(いず)くんぞ早くに我を棄つるや。
群臣は子を輔(たす)け、我の哀願を奪いて、猥(みだ)りに墓に奔するを抑え、俯して変わらず権に就く。
卜弡(ぼっくつ)は既に従い、大隧(たいすい)は既に通じ、漫漫と夜は長く、
窈窈と宮は玄(くろ)く、晦(つごもり)に明り無く有る。曷(いず)くんぞ所の窮(きわ)む有る。
鹵簿(ろぼ)は既に整い、三官は駢羅(べんら)す。旗を建て前駆し、方相(ほうそう)は戈(ほこ)を執る。
此の宮の庭を棄て、彼(か)の山阿(さんあ)に陟(のぼ)る。

(訳、適当ですお……とくに中盤ry)
「神の輝きはかげり、ひそみ隠れてしまわれました。
もはや死者には必要のない料理を悲しみがならここに置き、亡き陛下(曹操)を思って舒をよみます。
胸がふさがり気が沈みますが、葬儀にのぞみます。
わたしの胸はつらぬくように疼きます。ああ、偉大な王であった父よ、
なぜおそくにわたしを産み、なぜ早くにわたしを棄てていかれたのですか?
群臣はわたしをたすけ、わたしの哀願を止めるので、
むやみに墓に走っていこうとするのを抑え、机に向かって変わらず仕事をしています。
葬儀の準備の占いはすでに終わり、墓道はすでに通じており、
夜はむやみと長く、宮殿は奥深く静かに薄暗く黒く、新月の夜に明かりはありません。
このような苦しみに動きがとれないことがあったでしょうか。
亡き陛下をおくる葬列はすでに整い、三官は馬を並べております。
旗を立てて出発しており、方相氏(四つ目の面を被り、熊の皮と赤い服を着て、
矛と盾をもって厄除けの儀式をする官僚)は戈を執っています。
この宮殿と政務を棄て、かの(墓陵の)山の奥深くへのぼってゆきます」

651 :1(ry:2006/12/01(金) 05:49:05
あと、ずっと忘れてたのですが(済みませんorz)、
『魏書』武帝紀第一から、曹操の遺言もうpしておきます(この箇所でおk?)。
なんだか不祝儀つづきで済みませんorz

(『魏書』武帝紀第一より、曹操の遺言の白文)
庚子、王崩于洛陽。年六十六。
遺令曰、天下尚未安定、未得遵古也。葬畢、皆除服。
其将兵屯戍者、皆不得離屯部。有司各率乃職。斂以時服、無蔵金玉珍宝。
諡曰武王。二月丁卯、葬高陵。

(訳、適当ですお……)
(正月)二十三日、王(曹操)は洛陽にて崩御なさいました。
六十六歳でした。遺令にいわく、
「天下はなおのこと安定しておらず、古いしきたりに従うことはできない。
 葬儀がおわったらば、皆の服喪を除く。
 将兵で地方にたむろしそこを守る者は、皆そこから離れてはいけない。
 役所にいる者は、それぞれの仕事を率いなさい。
 遺体は平服で埋葬し、金銀や珍しい宝を蔵(おさ)めてはいけない」。
諡を武王といい、二月二十一日、高陵に葬りました。

652 :1(ry:2006/12/01(金) 05:51:30
>>648
>・>>631最終行 ×紞して衡を惟れ新しむ→◎×紞して衡を惟れを新しむ
↑デマですorz ◎紞して衡を惟れ新しむ (たぶん)

653 :まとめサイト ◆XoQX5vgfQU :2006/12/01(金) 09:21:26
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP

654 :1(ry:2006/12/01(金) 09:55:39
どもです(`・ω・´)
今気づいたんですが、魏書にある曹植たんの文帝誄長いバージョン
(「鄄城侯植為誄曰、惟黄初七年五月七日、大行皇帝崩……」というのが、
たぶん>>342さんの宋本と同じやつなんだろうなぁ……と。
ということは、長いほうが原文で、藝文類聚は省略版なんですね。鬱orz
ものすごくそのうち長いほうもやりますorz

So shock(ry



655 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 10:43:30
>>654
>So shock(ry

ズコー(AA略
>>649-651の感動が消えたw

656 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 13:36:40
残念ながら『藝文類聚』のような類書に引用される詩文は
省略されて掲載されることがよくある。っていうかそれが普通
曹植の文集もいったん散逸したものを、宋代に各種文献から復元したもの
らしいので、文帝誄の原文は『三国志』の注の可能性が高いと思う

そうはいっても
>>649の文章は『藝文類聚』でしか残存していないし、校勘の参考資料としても
重要なので『藝文類聚』も貴重な文献であることには変わりは無いが

ちなみに>>649は『漢魏六朝百三名家集』や『全三国文』では、「武帝哀策文」
と題されている。
この文章は『芸文類聚』巻第十三、魏武帝の項の更に「策文」という項目の
所に引用されていて、文章中にもただ「武帝策文」としかいわないが、
同じ『芸文類聚』巻第十三の他の皇帝の「策文」の項目では「○○帝哀策文に曰く、」
で本文が始まっているので、『全三国文』の「武帝哀策文」という文題でも
問題なさそう。ちょっと気になったので附記。

ついでに>>649を校勘
摜摜は宋本『芸文類聚』では焭焭になっている。

657 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 14:35:50
すげーな、1氏とか他の人も素人にしちゃ十分スゴイと思うが
>>656氏は研究者?そゆこと言わないのが2ちゃんの良さか。。。
いつも乙です。

658 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 21:43:40
文学とは離れるけど、先日、書道の授業で「鍾ヨウ体」を学んだ。
書道の授業でここまで興奮したのは初めてだ!

659 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/01(金) 23:08:46
So shock!
これ気に入ったw

660 :1(ry:2006/12/02(土) 03:52:32
どもであります(`;ω;´)

>>656
訂正thxであります! なるほど、「武帝哀策文」になるのですね。
「摜摜→焭焭」なるほど、thxであります。
自分の芸文類聚は上海古籍の古本なのですが、玉蜀紙で字が潰れていて
よく読めないので、そちらが正解なのだと思いますです('A`)

ついでに、>>650の訳がいろいろ抜けていたので
前半五行を訂正しておきますorz「矧乃小子、夙遭不造」はよくワカンネorz

◎「神の輝きはかげり、ひそみ隠れてしまわれました。
もはや死者には必要のない料理を悲しみがならここに置き、亡き陛下(曹操)の徳を思って舒をよみます。
胸がふさがり気が沈みながら、遂に葬儀にのぞみます。
ましてや小さなわたしは突然のことに遭い、準備もできておりません(?)。
わたしの胸はつらぬかれるように疼きます(摜摜在疚)/わたしはひとりぼっちで胸が痛みます(焭焭在疚)。
ああ、偉大な王であった父よ、なぜおそくにわたしを産み、なぜ早くにわたしを棄てていかれたのですか?」

あと書き下しも訂正orz
>>650 ×哀(あわ)れみ鼎俎(ていそ)を之に虚(むな)しく置き
    →◎哀(あわ)れみて鼎俎(ていそ)を之に虚(むな)しく置き

>>658
鍾ヨウの書は、故宮博物院の書の部に展示してあることがありますた
(真筆かどうかはよく知らないのですが……)。タイミングによって
展示されてたり蔵してあったりするみたいなのですが、期会があったらぜし。

661 :646:2006/12/02(土) 06:29:12
>>649は俺宛と見たがw

1氏、656氏、解説ありがd
曹丕と曹植はタイプが本当に全然違うな〜
子桓様は本当に繊細だね
このスレ見てると曹丕ファンになる(´Д`)

662 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 07:06:45
>>660
> 玉蜀紙で字が潰れていて
分かる。玉蜀紙ってトウモロコシの紙だっけ?中国の本って紙が悪いよね。
落丁・乱丁あるし変な匂いするし、酷いと最初から破れてる…最近はましになったけど。

663 :まとめサイト ◆XoQX5vgfQU :2006/12/02(土) 08:45:47
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP

664 :1(ry:2006/12/02(土) 14:14:51
どもです(`・ω・´)
また忘れないうちにメモしておきますorz
曹操の遺言は、魏書には(たぶん)>>651のこれしか出てないと思うのですが、
陸機たんの「弔魏武帝文」に遺令の引用があって、
そこが自分は非常に好きです(寵姫の再就職先がどうの、服がどうのとかいうやつ)。
文選に載ってたと思うのですが、たしか氏ぬほど長いので、そのうち(ry
陸機たんファンの住人の方に期待とか(ry

665 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 16:23:58
>>664
それだ!<遺言
長いのか〜、、誰か期待して待ってます(゚∀゚)

>ああ、偉大な王であった父よ、なぜおそくにわたしを産み、
>なぜ早くにわたしを棄てていかれたのですか?」
曹丕タン短歌行でもこんな事言ってたね〜
捨てられたって年でもなかろうに、繊細というか危ういというか
 だ が そ こ が い い

666 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 19:30:43
>>665
ちょっと待てよ
あの時代はそうやって親への愛を示すのが儒教的に正しい行為だった
むしろ親が死んでも気丈にしてるような奴は社会的に爪弾き
王位継承の為に世論にしっかりと後押ししてもらうようにするにしてもこのように嘆いてるポーズを作らないといけないわけ
この辺の父母への愛情という奴は現代日本人の観念とは程遠い
価値観が違う人間の文章を自分の感覚で「繊細」だとか「危うい」だとか言わない方がいいぞ

667 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 19:49:18
阮籍遭母喪,在晉文王坐進酒肉.司隸何曾亦在坐,曰:「明公方以孝治天下,而阮籍以重喪,顯於公坐飲酒食肉,宜流之海外,以正風教.」文王曰:「嗣宗毀頓如此,君不能共憂之,何謂?且有疾而飲酒食肉,固喪禮也!」籍飲噉不輟,神色自若.

668 :665:2006/12/02(土) 21:07:43
>>666
そか
しかし曹植と作風の違いは明らかだよね。
曹丕はなんつーか繊細?としか言い方が分からんが、、、

669 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/02(土) 23:57:05
それは間違いないよな。
1氏も言ってるが視線とかの違い。
曹植は動的で曹丕は静的な作風。
この辺は個人の資質かねえ。
儒教思想の忠孝をどう表現するかっていう。

670 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/03(日) 03:37:54
667の解説きぼん

671 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/03(日) 09:57:35
文学と離れるけど、おすすめの漢和辞典てなんですか?
デカイのはいらないんで、普段使える小さいので

672 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/03(日) 09:58:18
質問なんでageます

673 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/03(日) 11:53:45
>>650
当方和歌山在住なんだが、地元の節分に"方相氏"っての出るよ!
四ツ目で毛皮着てるよ!そうか中国の伝統だったのか。チョト感動。

674 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/03(日) 20:13:38
>>664
陸機は敬愛する武帝が細かいこと(沓の飾り紐作ったらいいよとか)
うだうだ言ってるのが気に入らなくて批判的なんだよね、確か。

全文読んでみてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ

675 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/03(日) 21:37:25
一説には今日は周瑜の命日だとか。
件の遺書が12月1日に書かれた、という話もあるそうです。
まあ暦とか色々あるだろうが、気持ち的に厳粛になるなあ…

676 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/03(日) 22:30:48
陸機のは確か文選の訳本に載ってたな
どこの出版社かは忘れた・・・

677 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/03(日) 22:36:25
>>664
>>676 文選てまとめサイトのおすすめ本の奴?

678 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/04(月) 00:07:10
全文と部分訳がググったらでてきた。
便利な世の中じゃ

ttp://wendy.supreme.jellybean.jp/?eid=504661

679 :1(ry:2006/12/04(月) 01:55:24
どもです(`・ω・´)

>>665-666,>>668-669
なるほどー。同じことを示したくても、兄弟で作風が違いますね。
シューマンとメンデルスゾーンみたいなもんでしょうか。

>>667,>>670
Thxです! 『世説新語』任誕第二十三、阮籍のとこですね。
いちおう書き下しと訳をうpしておきます(適当ですお……)。

「阮籍は母を喪(うしな)うに遭い、晉の文王の坐に在りて酒肉を進む。
司隸の何曾も亦(また)坐に在りて曰く、「明公は方(まさ)に孝を以って天下を治め、
而(しか)るに阮籍は重喪を以ち、顯(あきら)かに公の坐に於いて酒を飲み肉を食う。
宜しく之を海外に流し、以って風教(ふうきょう)を正すや」。
文王は曰く、「嗣宗は毀頓(きとん)すること此の如し。君は何を謂いて共に之を憂うに能わざる。
且つ疾(やまい)有りて酒を飲み肉を食うは,固(もと)より喪禮(そうれい)なり」。
籍は飲噉(いんたん)して輟(や)めず,神色自若(しんしょくじじゃく)とす」

「阮籍は母親の喪にいながら、晋の文王をの食事の席でぱくぱくと
酒を飲み肉を食べていました。席を同じくしていた司隸の何曾は言いました。
「殿はまさに孝をもって天下を治めてあられますのに、阮籍は母親という重大な喪中に
あっていながら、堂々と殿の宴席で酒を飲んで肉を食べています。
彼を海外に流罪にし、もって風紀を正すべきではないですか?」
文王は言いました。「嗣宗(阮籍)はあんなにやせ衰えているのに、
君はなぜこのことを共に憂いてあげられないのだ? それに、病気のときに
酒を飲み肉を食うことは、もとより喪の礼とされていることなのだ」。
阮籍はぱくぱくと飲み食いをし、顔色は自若としていました」

680 :1(ry:2006/12/04(月) 02:09:26
>>679つづき
父母を失って悲しむのが儒教の礼ですが、喪を嘆くあまり自分の健康を損なうというのは、
身体髪膚之れ父母に受く、敢て毀傷せざるは孝の始めなりとした儒教思想には反するようですね。
なにしろ、三国志演義の夏侯惇は目玉(ry
しかし、この話は任誕(リベラルな行い)の項に入っているので、
さすがに阮籍の飲み食いぶりは、すこし元気がありすぎと思われたということでしょうかw。
そう考えると、「武帝哀策文」で「ちゃんと仕事をしてるよ」とアピールしている曹丕は
さすが次期皇帝だけあってしっかりしてると取ればいいのか、「落ち込んで家臣に諭された」とか
書いていていいのかと疑問を抱けばいいのか、素人の自分にはよく分からんですね('A`)

>>671
自分は素人なので、工具は家にあった戦前の講談社『大字典』と、
中学で買った三省堂『新明解漢和辞典』、高校の角川書店『新字源』をずっと使ってます。
古文漢文板でも、一般人がふつうに使うにはこのへんがお勧めされていたと思います。
あとは台湾に住んでたときに縮刷の『漢語大詞典』も買いますたが、これは漢漢辞書で
面倒なので、たまにしか引きませんorz。
近所の市立図書館に大修館『大漢和辞典』がどどんとあるのですが、
自分はこれを引くほど漢籍を熱心に読むことは滅多に(ry

>>673
へぇーへぇーすごい。西日本には中国の古い風習が多く残っているんですね。
ぐぐってみたら、京都の平安神宮などでは節分に「追儺式」といって
この魔除けの人が出るみたいですね。しかしこの風習は『周礼』に載っているそうですが、
三国時代でもまだ続いていたのですね。

681 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/04(月) 02:35:49
>>680
>縮刷の『漢語大詞典』
大漢和辞典並のヴォリュームの原本を、目も潰れんばかりの細かい字で
1冊あたり広辞苑並みの分厚さで、3冊本に強引に縮小したやつだな

自分も持ってるけど、いつ崩壊するか不安でたまらん。
おまけにとあるページに巨大な蜘蛛?の死骸が張り付いてたっぽい跡が
そのまま穴になってあいてるしwwwwwww

682 :1(ry:2006/12/04(月) 02:49:27
>>674,>>676-678
全文SUGEEEEEEE!!!!! Thxです、そう、これであります。
訳は陸機たんファンの住人の方にお任せして良いのでせうか?
長いこと手つかずになっていたら、自分がそのうちやりますorz

陸機たんは批判的ですが、自分はこの曹操のこと細かい遺言が好きです。
1800年前の乱世の一代の英雄と思うと遠すぎですが、お香や組み紐がどうの
という話を読むと、本当に生きていた人なんだな……と親近感がわきます。
湧いたから何かの役に立つのか、というと、そういうわけではないですが……w。
しかし曹操は、詩作も遺令も型破りですね。魯迅が曹操の文章を評して、
「モダンで肝っ玉が大きく、何ごとにも気兼ねせずに書きたいことをそのまま書いている」と
言っていますが、そのとおりだと思います。そのへんがかっこいいところですね。
でも、『魏書』でも>>651の部分だけを採用していて、裴松之も注に載せなかったということは、
やはり当時は、偉大な魏王がお香の心配を遺令にのこすのはちょっと威厳が……という見方だったのでしょうか
(そのわりに、丁夫人に怒られたことを最後まで気にしてしょげていただの、
「曹瞞伝に曰く、太祖の人為は佻易で威重無き(太祖曹操のひととなりは、かるがるしく威厳が無かった)」
とか、爆笑して汁物に頭を突っ込んでずぶ濡れとかそういうことは書いてあるのはry)。

>>675
Thxです! へぇーそうなんですか、知らなかっt(ry
Yahoo! の天気情報を見てみたら、揚州の天気は東京よりすこし(数℃)寒い程度なのですね。
しかし湿度がかなりあって雨が多いようなので、冷たい雨は病気にこたえたのでしょうか。
一昨年のいまごろは、赤壁で大勝したなぁとか思ってたんでしょーかね。

>>681
それそれ、それであります。蛛すごすぎwwww自分のはゴワゴワの玉蜀紙で印刷が潰れていて
よく読めないうえに、日本に持ってくるときに一冊は背綴じが崩壊したのでガムテで(ry
>>662さんのとおり、総じて中国の本は紙や印刷の質がものすごいですね
(台湾・香港のものは、本省のものよりいくらかマシですが……)。
そう思うと、日本の本は週間雑誌にいたるまで装丁がきれいですごいです。

683 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/04(月) 02:58:39
呉軍師スレから周瑜の命日訪問。

>一昨年のいまごろは、赤壁で大勝したなぁとか思ってたんでしょーかね。
赤壁も今頃だね。遺言ではああ書いてるが無念であったろうな。

684 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/04(月) 03:10:58
しかし、陸機も最初のほうに

其の冢嗣に顧命し謀を四子に貽る所以を觀たるに、
經國の略は既に遠く、隆家の訓も亦た弘し

といって遺令を誉めているわけで、
陸機が遺令の不満な所だけを大量に引用したせいで、
立派な部分は少ししか伝わらず、
変な(失礼)部分がいろいろと現代に伝わるはめになったんじゃw

685 :1(ry:2006/12/04(月) 07:54:16
おはおございます(`・ω・´)
>>684
曹操ファンの陸機たんは、まさかそんなことになるとは思わなかったでありまそうw。
しかし曹操の寵姫は美女揃いなような気がするので、
四人の息子たち(丕・彰・植・熊?)もむざむざ手放すのは惜しかったのかも(ry
しかし小柄な曹操の服を形見分けするとは、息子たちもわりと小(ry(ry

>>675さん>>683さんに周瑜の命日を教えていただきついでに、
>>21の遺書の書き下しが抜けていたのを忘れないうちにうpしておきます。
あと>>267の出典を訂正orz
×『呉書』周瑜伝の註→◎『呉書』魯粛伝の註

書き下し(適当ですお……)
「瑜は凡才を以って、昔(むかし)討逆より殊に之の特遇を受け、
以って腹心を委ね、栄任を荷い遂げ、兵馬を統率し、
志(めざ)して鞭弭(へんび)を執り、戎行(じゅうこう)に自効(じこう)す。
巴蜀を規定し、次に襄陽を取るを、威霊に頼り憑(よ)らば、謂(おも)うに握(あく)する在る若し。
謹(つつ)しまざるを以って至るに、道で暴疾に遭い、
昨(きのう)自(よ)り医療たる、日を加え損う無し。
人の生くるに死は有り、短命に修むるは、誠(まこと)に惜しむに足りず、
但(た)だ恨むるは微かな志(こころざし)を未だ展(の)べず、
復(ふたたび)命を奉じ教(せし)まぬ耳(のみ)。
今は方(まさ)に曹公は北に在り、境場(きょうじょう)は未だ静かならず、
寄寓する劉備は、虎を養うに似る有り。天下の事は、未だ終始を知らず、
此は朝士(ちょうし)干食(かんしょく)の秋(とき)、至尊(しそん)垂慮の日也(なり)。
魯肅は忠烈にして、事に臨(のぞ)みて苟(なおざり)にせず、以って瑜の代と可(な)る。
人の将(まさ)に死に之(ゆ)く、其の言は善き也(なり)。
儻(も)し採る可(べ)く或(あ)らば、瑜は死して朽ちず。」

686 :1(ry:2006/12/04(月) 07:56:00
あと、魯粛伝の本伝のほうにも似た内容の周瑜の上疏がでているので、
忘れないうちにうpしておきます。これはどちらが原文なのでしょうね? 裴松之は注に、
「案此箋与本伝所載、意旨雖同、其辞乖異耳(案ずるに、この(>>21の)文章は
魯粛伝の本伝に載っているもの(↓)と趣旨は同じだが、そのことばが異なっているだけだ)」
と述べています。どちらが原文か自分はよく知らないのですが、
自分はどちらかといえば、なんとなく>>21が好きです。深い意味はないのですがw

『呉書』魯粛伝第九より、周瑜の遺書(白文)
周瑜病困、上疏曰、
当今天下、方有事役、是瑜乃心夙夜所憂、願至尊先慮未然、然後康楽。
今既与曹操為敵、劉備近在公安、辺境密邇、百姓未附、宜得良将以鎮撫之。
魯粛智略足任、乞以代瑜。瑜隕踣之日、所懐尽矣。

書き下し(適当ですお……)
周瑜の病は困(きわま)り、上疏して曰く、
今の天下に当たり、方(まさ)に事の役(えき)に有る、是れ瑜の心は乃ち夙夜(しゅくや)憂うる所、
願わくば至尊(しそん)先んじて慮(おもんぱか)り然らず、然る後に康楽す。
今は既に曹操を敵と為して与うるに、劉備は公安の近きに在り、辺境は密邇し、
百姓は未だ附かず、宜(よろ)しく良将を得て以って之を鎮撫す。
魯粛の智略は任ずるに足り、以って瑜の代を乞うば
瑜の踣(たお)れ隕(お)ち之(ゆ)く日にも、懐(おも)い尽くる所なり。

687 :1(ry:2006/12/04(月) 07:57:05
>>686の訳(適当ですお……)
周瑜の病気は重態になり、(孫権に)上疏して申しました。
「今の天下にあたりましては戦争のさなかで、瑜の心はこれを朝から夜まで憂いています。
願わくば、陛下には(有事のまえに)先んじて配慮して事が起こらないようにしていただき、
しかるのちに安らかに楽しんで頂きたいと存じます。
今は曹操を敵としているうえに、劉備は公安という近くにおり、
国境も遠くはなく、百姓たちも未だ懐いてはおりませんので、
良将を得てこれを鎮められますように申しあげます。
魯粛の知略は事を任せるに足り、これをもちまして瑜の代わりとして頂けるのでしたら、
瑜の病気にたおれて没しゆく日にも、思いのこすことはございません。」

呉書のうちで、(陳寿や裴松之の筆でない)呉の人が書いた文章は、
全体にとても親しみがありますね。やはり日本に近いからでしょうか。
曹操の遺令も、型破りで大胆な英雄らしさと細やかな詩人らしさが同居していて
とても好きなのですが、周瑜の遺書はいつ読んでもかっこいいですね。
曹操に「孤不羞走/孤(われ)は走(に)ぐるを羞じず
(私は(周瑜に負けたのだから)敗走しても恥ずかしくない)」と言わせるだけの、
英雄曹操に対峙するに足る人だなと思います。しかし魯粛伝の魯粛もかっこいいですねw。

688 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/04(月) 07:58:58
>>682
きっと当時の感覚では
爆笑してお椀に顔つっこむ>>>>越えられない壁>>>>お香を気にする
だった・・・・・・カモネ

>>684
陸機ぃぃぃぃ!!!!ww
全文読んでみたいなあ。日本語訳が何かの本に収録されてはいないのだろうか

689 :1(ry:2006/12/04(月) 08:06:08
>>爆笑してお椀に顔つっこむ>>>>越えられない壁>>>>お香を気にする
( ゚д゚ )それですお!(まじか)

陸機たんの訳は、明治書院の文選に載ってたような気がしますお。

690 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/04(月) 08:30:34
>>678
これ読んでたら朝からちょっと泣けてきた
本当に曹操のこと好きだったんだなあ
陸機に激しくシンパシー

691 :1/4:2006/12/04(月) 09:15:45
>>678はちょこちょこ誤字が目立つので訂正してうp
底本は六臣註文選で文字の異動は( )内に、
また底本にない文字が別のテキストにみられる場合は[ ]で補い
○(×)は底本の○という文字が無いテキストがあることを示す。
長いのでまずは序文から

弔魏武帝文 并序     陸士衡

元康八年、機始以臺郎、出補著作、游乎祕閣而見魏武帝遺令。
愾然歎息、傷懷者久之。
客曰、
夫始終者萬物之大歸、死生者性命之區域。
是以臨喪殯而後悲、観陳根而絶哭。
今乃傷心百年之際、興哀無情之地。
意者無乃知哀之可有、而未識情之可無乎。

機荅(答)之曰、
夫日蝕由乎交分、山崩起於朽壤、亦云數而已矣。
然百姓怪焉者、豈不以資高明之質、而不免卑濁之累、
          居常安之勢、而終嬰傾離之患故乎。
夫以迴天倒日之力而不能振形骸之内、
  濟世夷難之智而受困魏闕之下。
己而格乎上下者、藏于區區之木、
  光于四表者、翳乎蕞爾之土。
雄心摧(權)於弱情(憤)、壯圖終於哀志、
長筭(算)屈於短日,遠跡(迹)頓於促路。
嗚呼、豈特瞽史之異闕景、黔黎之怪頽岸乎。

692 :まとめサイト ◆XoQX5vgfQU :2006/12/04(月) 09:16:11
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP

693 :2/4:2006/12/04(月) 09:18:12
序文続き

觀其所以顧命冢嗣・貽謀四子、經國之略既遠、隆家之訓亦弘。
又云、
「吾在軍中、持法是也。至小忿怒・大過失、不當效也。」
善乎達人之讜言矣。

持姫女而指季豹、以示四子曰、「以累汝」、因泣下。
傷哉。曩以天下自任、今以愛子託人。
同乎盡者無餘、而得乎亡者無存。
然而婉孌房闥之内、綢繆家人之務、則幾乎密與。

又曰、
「吾婕、妓人、皆(×)著銅爵(雀)臺、
 於臺堂上施八(六)尺牀[張]繐帳、朝晡上(設)脯糒之屬。
 月朝十五[日]、輒向帳作妓。汝等時時登銅雀(爵)臺、望吾西陵墓田。」
又云、
「餘香可分與諸夫人。諸舍中無所爲、學作履組賣也。
 吾歴官所得綬、皆著藏中。吾餘衣裘、可別爲一藏。
 不能者、兄弟可共分之。」
既竟分焉。亡者可以勿求、存者可以勿違、求與違不其兩傷乎。

悲夫。愛有大而必失、惡有甚而必得。智惠(慧)不能去其惡、威力不能全其愛。
故前識所不用心、而聖人罕言焉。
若乃繫情累於外物、留曲念於閨房、亦賢俊之所宜廢乎。
於是遂憤懣而獻弔(吊)云爾。

694 :3/4:2006/12/04(月) 09:27:48
ここから弔文。
韻文になっているので、韻の変わり目で一行あけておく
ただし、唐宋の詩韻と合わないところがあるので間違いがあるかも

接皇漢之末緒、値王途之多違。佇重淵以育鱗、撫慶雲而遐飛。
運神道以載コ、乗靈風而扇威。摧羣雄而電撃、舉勍敵其如遺。
指八極以遠略、必翦焉而後綏。釐三才之闕典、啓天地之禁闈。
舉脩(修)網之絶紀、紐大音之解徽。掃雲物以貞觀、要萬塗(途)而來歸。
丕大コ以宏覆、援日月而齊暉。濟元功於九有、固舉世之所推。

彼人事之大造、夫何往而不臻。將覆簣於浚谷、擠爲山乎九天。
苟理窮而性盡、豈長筭(算)之所研。悟臨川之有悲、固梁木其必顚(顛)。
當建安之三八、實大命之所艱。雖光昭於曩載、將税駕於此年。

惟降神之緜(綿)邈、眇千載而遠期。信斯武之未喪,膺靈符而在茲。
雖龍飛於文昌、非王心之所怡。憤西夏以鞠旅、泝秦川而舉旗。
踰鎬京而不豫、臨渭濱而有疑。冀翌日之云瘳、彌四旬而成災。
詠歸塗(途)以反旆、登崤渑(澠)而朅來。次洛汭而大漸、指六軍曰念哉。

第一段…遺・綏・推だけ支韻で他は微韻
第二段…臻が真韻、艱が刪韻で他は先韻
第三段…災・來・哉だけが灰韻で他は支韻

695 :4/4:2006/12/04(月) 09:31:12
最後

伊君王之赫奕、寔終古之所難。威先天而蓋世、力盪海而拔山。
厄奚險而弗濟、敵何彊而不殘。毎因禍以=i提)福、亦踐危而必安。
迄在茲而蒙昧、慮噤閉而無端。委軀命以待難、痛沒世而永言。
撫四子以深念、循膚體而穨(頽)歎(嘆)。迨營魄之未離、假餘息乎音翰。
執姫女以嚬瘁、指季豹而漼焉。氣衝襟以鳴咽(呼)、涕垂睫而汍瀾。
違率土以靖(靜)寐、戢彌天乎一棺。

咨宏度之峻邈、壯大業之允昌。思居終而恤(卹)始、命臨沒而肇揚。
援貞吝(咎)以惎悔、雖在我而不臧。惜内顧之纏緜(綿)、恨末命之微詳。
紆廣念(家人)於履組、塵清慮於餘香。結遺情之婉孌、何命促而意長。
陳法服於帷座、陪窈窕於玉房。宣備物於虚器、發哀音於舊倡。
矯慼(蹙、戚)容以赴節、掩零涙而薦觴。物無微而不存、體無惠(慧)而不亡。
庶聖靈之響像、想幽神之復光。苟形聲之翳沒、雖音景其必藏。
徽清絃而獨奏、進脯糒而誰嘗。悼繐帳之冥漠、怨西陵之茫茫。
登爵(雀)臺而羣悲、眝(貯)美目其何望。既睎(晞)古以遺累、信簡禮而薄葬。
彼裘紱於何有、貽塵謗於後王。嗟大戀之所存、故雖哲而不忘。
覽遺籍以慷慨、獻茲文而悽傷。

第四段…山は刪韻、言は元韻、焉は先韻、残りは寒韻
    (歎・翰は去声の翰韻だが、平声で読め(寒韻)と文選に指示あり)
第五段…陽韻。望・葬は本来去声だが、平声で陽韻としてよめと文選に指示あり
    忘も去声の字で原文に注は無いが恐らく平声でよむ

696 :まとめサイト ◆XoQX5vgfQU :2006/12/04(月) 09:44:59
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
割り込み失礼しました。ここまでUP

697 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/04(月) 11:17:55
住人乙!!超乙!!!!
このスレ大好き。素養がなくて読み専でもうしわけない。。。

698 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/04(月) 13:55:24
曹植の詩は前衛アニメ
曹丕の詩は水墨画

っつう感じだね

699 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/04(月) 18:20:43


700 :1(ry:2006/12/04(月) 18:45:46
曹植は黒沢明、曹丕は小津安二郎?w

>>691-695
SUGEEEEEEEE!!!!!!! 全文thxです!!
陸機たんの文章は華やかで洗練されて、優雅でかっこいいですね。
しかし>>690さんのとおり、陸機たんは詩人曹操の信奉者というか、大ファンですねw。
なんとなく、呉大帝誄文(孫権を追悼した文)より曹操を弔う文のほうが勢い(ry

701 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/04(月) 23:47:25
住人乙乙乙乙乙乙華麗
>>686-687
こうきんの遺書が2種類ある…
直筆とか残ってれば判るのにな

702 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 00:24:18
陸機かわいいよ陸機

703 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 01:04:44
>>700
孫権は晩年ボケちゃったからね。

704 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 07:41:22
陸機からしたら、
孫権は祖父を死に追いやった男になるんじゃないか

705 :1(ry:2006/12/05(火) 13:24:20
(*備忘メモ:曹植たんの「植」の読みは、古今音表にはどうでているのかそのうち見てみる)

なるほどー。孫権は252年没、陸機たんは261年生まれなので、
陸機たん自身は直接孫権を知らないのですね(220年没の曹操もですが)。
陸兄弟のような西晋世代になると、時代的にも陸家的にも、
陸機たんが陸遜の敵だった曹操の大ファンと公言しても問題ないのでしょうか
(というか、むしろ曹操シンパを主張すべき?)。
孫権とも、陸抗たんの代でいちおう仲直り(?)してるという陸家公式見解でしょうか?
でも弁亡論でいろいろ言ってるし、陸機たん的には思うところがあったのかな。

呉書に載っている、陸抗たんが孫権におくった一連の上疏も好きです。

706 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 21:39:18
まとめサイトさんが控え目にクリスマスだ。乙!

707 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 21:46:10
あ、ほんとだ。可愛い

708 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/05(火) 22:40:11
>>698
今敏の「パプリカ」のCM見てると、曹植てこんなイメージかなと思う
色鮮やかで奔放で、夢見てるみたいな

709 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/06(水) 03:58:49
俺は曹植=黒沢明にハゲド。視線が大胆

710 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/06(水) 05:19:37
そういえば、陸機・雲の一族は讒言によって誅滅されてしまったようだけど、
陸遜の弟の陸瑁の子孫は南朝を通じて唐代に至るまで代々官僚を輩出する家柄として
栄えたようだね。
その中でもっとも有名なのは、唐王朝徳宗皇帝の宰相を勤め、諫臣として名高い
陸贄(りくし)かな。彼の上奏文は後々まで一つの模範として読み継がれたようだしね。

更に陸遜の先祖に陸續という人がいて(『後漢書』に伝あり)、
陸續の末子陸褒の子孫が陸遜を出す家系となったが、陸褒の兄の子孫が、
>>640に出てきた『経典釈文』の著者として有名な学者の陸徳明を出した家系。

こうやってみると陸氏が呉の大族なんて言われたのもうなずけるな
『新唐書』の宰相世系表に陸氏の家系を紹介して有力な分家でるたびに「○○枝」
と呼んでいるのが面白かったので、ごく簡単に陸氏の家系紹介

(後漢初め頃)陸閎(潁川枝)−桓−續(荊州枝)−稠−肅(丹徒枝)……陸徳明

續−逢(稠の弟、樂安枝)−表−穰−恢(晋・諫議大夫、諫議枝)
  褒(逢の弟)−紆−駿−遜……陸機
              瑁(遜の弟)…別掲
          康(紆の弟)−績……陸曄(晋書に伝のある人物)

瑁−穎−濯−漢公−冽−元之(晋の人、魚圻枝)
  英(穎の弟)−玩(太尉枝)……唐代に宰相を3人出す家系
          瓘(玩の弟、侍郎枝)……陸贄

この表は陸閎の子孫の家系が「潁川枝」と呼ばれ、さらに潁川枝の家系の中から
「荊州枝」(陸續の子孫の家系)が出て、さらに荊州枝の中から「丹徒枝」や
「樂安枝」や「太尉枝」等等がいろいろ分岐して…というふうに読んでくれ

711 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/06(水) 11:48:25
流れ豚切りスマソ。曹丕って海老の詩でも残してますか?
ttp://www.kihachiro.com/gallery5.htm

712 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/06(水) 15:44:28
陸一族すごいな。

713 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/07(木) 00:41:38
>>711
ないよ。これの為に私と友人の間で未だに曹丕のあだ名は「えび」。
これだけでは難なので、

魏文帝詔群臣曰、飲食之物、南方有橘、酢正裂人牙、時有甜耳。

藝文類聚から。他の文献(太平御覧等)は調べてません。あしからず。

なんとういか、乱世に不向きの人物に思える。唐代あたりで高級官僚の子供の生まれて
伝奇書いてるほうが向いてそう。しかしこの環境下で育ちながらも趣味嗜好を全うしたのは
流石なのか?

714 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/07(木) 10:24:20
まさにブログおやじ

715 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/07(木) 15:49:11
俺が>>298でブログ「お兄さん」だとry

716 :1(ry:2006/12/07(木) 18:56:15
どもです(`・ω・´)。30代はお兄さんでおk(ry
>>711
ほんとだエビだ。旨そう。しかし何故エビ?w

>>713さんthxです! いちおう下しておきまする(適当ですお……)。
「魏文帝は群臣に詔して曰く、飲食に之(もち)いる物、南方に橘(たちばな)有り、
酢(す)きは正に人の牙(は)を裂き、時に甜(あま)く有る耳(のみ)。」
(訳)
「曹丕は群臣に詔をだしていわく、南方にタチバナ(食用蜜柑の総称)という食べ物があるが、
まさに人の歯が裂けるほどに酸っぱく、甘みは少ししかない(甘いのはたまにあるだけだ)」。

たしかに、乱世にみかんの味の文句をいちいち下賜されても、群臣(司馬懿とか?)も
「へ?」という感じではw。曹丕は本物の甘党なんですね。曹操はみかん好きなのにw。
しかし、孫権の使者が曹丕に各種献上品とともにみかんを貢いでいますが、、
「親父ならともかく、俺はこんな酸っぱいもんイラネ」とか思われてたら逆効果(ry

>>710-711
すげー、thxです! 陸家は名家なんですね。そう考えると、
いきなりそんな陸家を任された陸遜は大変ですね('A`)
明に陸包山という画家がいるのですが、この人も陸家の血筋だそうです。
最近は要人を輩出しまくりの上海の人は、意外と大昔から続く名家の子孫という人がいて、
しかもそれが余裕で漢のころからの家だというので驚かされます(本当?)。

ところで、せっかく>>691-695さんに弔魏武帝文を全文うpしていただいたので、
かなり怪しいですが(orz)、書き下しと訳を↓にうpしておきます(とりあえず序文まで……)。
これを書き下していたら、なぜか本当に「曹操様そんな細かいことまで
いろいろごちゃごちゃ書かなくていいっすよマジで」と言いたくなった件(ry

717 :1(ry:2006/12/07(木) 18:57:47
(書き下し1/2、適当ですお……)
魏の武帝を弔う文、并(なら)びに序  陸士衡

元康八年(げんこうはちねん)、機は始めて臺郎(だいろう)を以って、
出でて著作に補(ほ)し、祕閣に游(あそ)びて而(しか)るに魏の武帝の遺令を見る。
愾然(がいぜん)として歎息し、傷(いた)ましく懷(おも)う者(もの)之(これ)久しくす。
客は曰く、
夫(そ)れ終始あるは者(これ)萬物の大歸(たいき)、死生あるは者(これ)性命の區域なり。
是を以って喪殯(そうひん)に臨みて後に悲しみ、陳根(ちんこん)を観て哭(こく)を絶つ。
今は乃ち百年の際(きわ)に傷心し、哀(かな)しみを無情の地に興す。
意(おも)うに者(これ)乃ち哀(かな)しみに有るべくを知る無く、未だ情の無かるべきを識(し)るや。

機は之に荅(答)えて曰く、
夫(そ)れ日蝕は交分(こうぶん)に由(よ)り、山崩(さんほう)は朽壤(きょうじょう)に起る、
亦(また)數(さだめ)と云う已(のみ)。
然るに百姓の焉(これ)を怪しむ者、豈(あ)に高明(こうめい)の質を以って資(よ)らず、
卑濁の累を免れず、常安(じょうあん)の勢いに居り、
終(しま)いに傾離(けいり)の患(わざわ)いに嬰(かか)る故(ゆえ)乎(かな)。
夫(そ)れ迴天倒日(かいてんとうじつ)の力を以って形骸(けいがい)の内に振るうを能わず、
濟世(さいせい)夷難(いなん)の智を受くるに魏闕(ぎけつ)の下で困(くる)しむ。
己(おのれ)の上下に格(いた)る者、區區(くく)の木に藏(かく)れ、
四表に光る者、蕞爾(さいじ)の土に翳(かく)る。
雄心は弱情(憤)(じゃくじょう)に摧(權)(くだ)け、壯圖(そうと)は哀志に終わり、
長筭(算)は短日に屈し、遠跡(迹)は促路に頓する。
嗚呼、豈(あ)に特(こと)に瞽史(こし)の闕景(けっけい)を異(あや)しみ、
黔黎(けんれい)の頽岸(たんがん)を怪しむ乎(かな)。

718 :1(ry:2006/12/07(木) 18:58:41
(書き下し2/3)
其の冢嗣(ちょうし)に顧命(こめい)する所を以って觀るに、
四子に貽謀(いぼう)する、經國の略は既に遠く、隆家の訓も亦(また)弘し。
又(また)云く、
「吾は軍中に在りて、法を持つを是する也(かな)。
小さき忿怒(ふんど)を大きな過失に至らしむは、效(なら)うに當らず也(かな)。」
達人の讜言や善きかな。

姫女(きじょ)を持ちて季(すえむすこ)の豹を指(さ)し、以って四子に示して曰く、
「以って汝に累(わずら)わす」、因りて泣いて下(くだ)す。
傷ましき哉。曩(さき)には天下を以って自任し、今は愛子を以って人に託す。
盡(つ)くる者は同じく餘り無く、亡ぶる者の存する無きを得る。
然るに房闥(ぼうたつ)の婉孌(えんれん)に内し、
家人の務めを綢繆(ちゅうびゅう)する、則ち幾(いくばく)の密なる與(か)。

又曰く、
「吾の婕妤(しょうよ)妓人(ぎじん)は、皆(×)銅爵(雀)臺に著(お)き、
 臺堂(だいどう)に八(六)尺の牀[張]を施し上(たてまつ)り、繐帳(けいちょう)し、
朝晡(ちょうほ)に脯糒(ほび)の屬(たぐい)を上(設)らん。
 月朝(げっちょう)と十五[日]には、輒(すなわ)ち帳に向いて妓を作(な)す。
汝等(なんじら)は時時(じじ)に銅雀(爵)臺に登り、吾が西陵の墓田(ぼでん)を望まん。」
又云く、
「餘(のこ)りし香は諸夫人に分かつべく與う。
 諸(もろもろ)の舍中(しゃちゅう)に所爲(しょい)無くは、
履(くつ)の組(くみひも)を作るを學びて賣(う)る也(なり)。
 吾が官を歴(へ)て得る所の綬は、皆(みな)藏中に著(お)く。
吾が餘(のこ)りし衣裘(いきゅう)は、別の一藏と爲すべし。
 能(あた)わざる者(もの)、兄弟で共に之を分くるべし。」
既に焉(いずくん)ぞ分かち竟(おわ)る。亡き者は以って求めること勿(な)かるべく、
存(あ)る者は以って違(たが)うこと勿かるべく、
求む與(と)違(たが)うの其(そ)の兩(ふた)つ傷(いた)ましからざらん乎(かな)。

719 :1(ry:2006/12/07(木) 18:59:38
(書き下し3/3)
悲しい夫(かな)。愛は大きく有るも必ず失われ、惡は甚(はなは)だしく有るも必ず得る。
智惠(慧)は其の惡を去(しりぞ)かせるに能わず、威力は其の愛を全(まった)くするに能わず。
故に前識(ぜんしき)は心を用いらざる所にして、聖人は罕(まれ)に言う焉(かな)。
若し乃ち情累(じょうるい)を外物に繫(かか)げ、曲念(きょくねん)を閨房に留むば、
亦(また)賢俊(けんしゅん)の宜しく廢すべき所(ところ)乎(か)。
是れ遂に憤懣(ふんもん)して弔(吊)を獻じて云う爾(のみ)。

(訳1/3、適当ですお……)
魏の武帝を弔う文、ならびに序文

元康八年(296年)、機ははじめて尚書省の幹部級の官吏になって、
曹叡がおいた朝廷の歴史を編纂する官位に任ぜられたので、
宮中の公文書館に行って魏の曹操の遺令を見ました。
悲しみで胸がいっぱいになってため息をつき、長い間傷ましく思っていました。
するとある人が言いました。
「すべてのものごとには始めと終わりがあり、そこへ帰ってゆきますし、
生死とは生命の小わけにされた分かれ目なのです。これをもって喪と
仮もがり(葬る前の人を棺桶におさめて安置すること)をして、その後で悲しみ、
しかし一年がたって古くなった草の根を見たらば慟哭を絶つのです。
今、あなたは百年前のことに心を傷め、情の必要がないところに
悲しみを発生させています。私が思うに、これは悲しむべきことではありませんし、
情をもつ必要のないことを知るべきではないでしょうか?」

720 :1(ry:2006/12/07(木) 19:00:24
(訳2/3)
機はこれに答えて申しました。
「そもそも、日蝕は太陽と月の出会いと別れによっておこり、
がけ崩れは腐った土壌によって発生します。これは運命というほかありません。
しかるにお百姓がこれを怪しむのは、太陽と月は高く明らかな性質を
もっているにもかかわらず、いやしく濁ることを免れないためであるし、
常に動かない山の地勢が、最期には傾きくずれてしまうからなのです。
そのように、(曹操は)天下をくつがえし、沈んだ太陽を戻すような力をもってしても
いのちある身体の内にそれをふるうことはできず、国を救い蛮族をしりぞける
かしこさを授かりながら、魏宮で病気にくるしめられました。
天地にいたるほどにすぐれていた人が、そのへんのとるに足らない木々に隠され、
四方すべての国中を輝かせていた人が、小さな土の下にかくれてしまいました。
いさましい心は弱気になって砕けちり、壮大な計画はあわれな志となって終わりました。
ああ、ことさらに天文を占う官吏が日蝕をあやしみ、
民衆がくずれかかった岸辺をあやしむだけではないのです。

(曹操が)長男の曹丕に王として遺令をのこしたものを見てみますと、
四人の息子たちに残したはかりごとは、経国の方法は後々までを見通しており、
家を盛りたてる訓もまた立派でありました。
また(曹操は)こう言っています。
「わたしは軍にいるときに、法を順守することをよしとした。しかし、
ささいな怒りを大きな過失にしてしまったことは真似しないほうがよい。」
立派な人は、もっともその通りなよいことを言うものです。

曹操は、娘を抱いて末息子の豹を指し、もって四人の(年長の)息子に示して、
「君たちにこの子の面倒をたのむ」と言い、そして泣きながら命じました。
傷ましいことです。さきには天下人さえをも自任していたのに、
今は愛児さえをも人に託さなければいけなかったのです。
寿命が尽きた人は例外なくみな同じで、亡くなった人がこの世に生きることは
ありえません。しかるに、(遺令で)閨房の美女にしたしく言及し、家人の務めに
こまかく思いを残すというのは、やはり少し細かすぎるのではないでしょうか。

721 :1(ry:2006/12/07(木) 19:00:56
(訳3/3)
(曹操は)またこう言っています。
「わたしの宮女や芸者たちは、みな銅雀台にあげて、そこに八尺の台をもうけ、
絹のとばりをおいて、朝晩に干し肉とほしいい(干した飯)といったものを供えなさい。
月はじめと十五日には、とばりに向かって歌い踊らせなさい。君(息子)たちは、
ことごとに銅雀台にのぼって、わたしの墓地を望むように。」
また彼は言いました、
「残っているお香は夫人たちに分けあたえてやりなさい。夫人たちのうちで
宮廷でやることのないものは、くつのくみひもの作り方を学ばせて売らせなさい。
わたしが官職についてから得たハンコは、みな蔵にしまっておきなさい。
わたしの残す衣装は、それとは別のところにしまっておきなさい。
ここにあがっていないものは、みな兄弟で分けなさい」。
それらは(夫人たちやハンコも含め?)すでに兄弟で分けられてしまいました。
死ぬ人は求めないようにすべきですし、生きている人は(遺令を)違えてはいけません。
求めることと違えることのふたつがあることは、ともに傷ましいことです。

悲しいことです。愛は大きなものですがいつか必ず失われ、
悪はひどいものですがかならず出会ってしまうものです。知恵は悪を
しりぞかせるには能わず、偉大な権力も愛をまっとうするには能わないのです。
ゆえにいままでの学者もそのことには心を傾けず、聖人がまれに言うだけ
だったのです。もし世間のさまざまなものに心をわずらわされ、
こまごまとした雑念を寝室にとどめるようなことをするならば、
それはまた賢く立派な人のやるべきではないことではないでしょうか。
これ(曹操の遺令)に憤懣やるかたなく、ついに弔文を献じて申し上げるしだいです。

722 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/07(木) 22:58:44
GJ!!!!

なんかやたらツボにはまる場所が多くて泣けるやら笑えるやらの
複雑な心境に陥ったwww
しかし陸機の曹操愛は凄い。感動した。
そして曹操の細かすぎる違令も凄い。呆れたw

そうか。ハンコも分けられちゃったかのか(ノ∀`)

723 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 01:42:56
歴史家が後世に伝えなかった理由が分からんでもないww<遺令

724 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 01:58:04
どもです。弔文の本文はたぶん週末ごろに……どなたか(ry

というか、なにがすごいって66歳で没してるのに小さな娘や息子がいるのが(ry
色(ry

725 :1(ry:2006/12/08(金) 02:00:14
↑名前欄忘れますたorz

しかし息子たちも、美女にむざむざ靴ひもなんて編ませておくのは惜しいと思って分(ry

726 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 07:29:09
>>724
でも孫権も死ぬ時7だか8歳だかの子がいたし、
当時のデフォなんじゃ?

70過ぎてから子供作ってた人もいたよね。魏の文官で。誰だったか忘れたけど

727 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 07:46:10
こんなちまちましたところもある曹操が大好きな俺は
陸機と熱く語り合いたい

728 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 09:23:34
禿同…だが、ハンコだ靴紐だをせっせと書き写す
文官を想像したら…やっぱ細かい部分は見なかった事にするわw

729 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 09:33:29
>>713
>>716
俺は今のミカンもすっぱくて食えない。
ましてや昔のミカン(><)

730 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 10:25:14
横光曹操は、温州みかんは甘くておいしいのだ って言ってたぞ!
左慈のせいで食べられなかったようだが(´ω`)

731 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 10:55:16
蒼天航路では、曹操の遺訓も随分豪快に
「すぐ職務に戻れ!金玉珍宝は墓に入れるなよ!」みたいに描かれてたけど
こうしてみると、なんかチョコチョコしてかわいいな。

732 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 13:52:35
>>726
鐘会が鐘ヨウの晩年の時の子ですな。

733 :まとめサイト ◆XoQX5vgfQU :2006/12/08(金) 14:21:57
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP

734 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 15:52:47
お香や夫人の心配してる繊細なところが(細かい?)
曹丕に受け継がれてああなったんかねえ。

735 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 16:16:27
夫人を大事にするところも受け継いで欲しかった

736 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 16:32:12
曹操の「大事に」じゃなぁ…w

当時の男女(夫婦)関係って、現代人の想像できない感じだったろうなー


737 :1(ry:2006/12/08(金) 18:22:12
そんな時代に、曹操相手に啖呵をきった丁夫人や
周瑜や司馬懿の奥さんは、すごい女傑なのかも……w
そして70過ぎて子ができるのがデフォとは……
山本五十六元帥のパパも真っ青(ry

しかし、すえむすこの豹って誰でしょうね?
曹彪(朱虎)じゃないし……
曹豹?w

738 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 22:11:12
曹豹www

739 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/08(金) 22:40:08
丁夫人と曹操の別れのエピソードは泣ける

740 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 06:03:59
曹豹については文選の注に『魏略』を引いて
「太祖杜夫人生沛王豹及高城公主」と言っている。
『三国志』に曹豹という人物の伝は見当たらないが、杜夫人の子に
沛穆王林という人物がいるので、この沛穆王林の字か幼名だろうか?
但し、大きな疑問として沛穆王林より幼少な武帝の子供がまだ何人かいたみたいで
中でも趙王幹伝に『魏略』を引いて

幹、一名良。良本陳妾子。良生而陳氏死、太祖令王夫人養之。良年五歳而太祖疾困、
遺令語太子曰、「此兒三歳而亡母、五歳而失父、以累汝也。」
太子由是親待、隆於諸弟。良年小、常呼文帝爲阿翁、帝謂良曰
「我、汝兄耳」文帝又愍其如是、毎爲涕涙。

とあって、趙王幹のエピソードとして遺令の話が出てきている。
とすると、文選の注に誤りがあるか陸機自身の勘違いで曹豹云々と書いてしまったか
のどちらかだろうか?

それにしても、いつも年少の弟に「パパ(阿翁)」と呼ばれて、
「俺はお前の兄さんだぞ」と教えさとす曹丕萌エスwwww

741 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 09:19:48
曹丕モエスwwww曹家の人は味わいがあるなあ。

742 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 11:14:52
陸機に言わせりゃ「味わいありすぎ」だろw

743 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 12:00:28
陸機といい曹幹といい
もしかしてバトロワスレと結構住人かぶってる?w

744 :1(ry:2006/12/09(土) 15:56:11
>>740
Thxです! なるほど、趙王幹が「すえむすこの豹」なのでしょうか。
この陸機がいう「曹豹」は曹操の息子で、陶謙のところの曹豹とは別人ですねw。
明治書院の文選の注だと、曹豹=「魏武帝の末子の豹」になっていますね(´・ω・`)
いちおう下しておきます
(適当ですお……、魏書第二十、趙王幹より)。
「幹(かん)、一名を良(りょう)。良は本(もと)は妾の陳の子なり。
良が生まると陳氏は死し、太祖は王夫人に之を養うを令(めい)ず。
良の年五歳にして太祖は疾(やまい)に困(くる)しみ、 遺令を太子に語りて曰く、
「此の兒(こ)は三歳にして母を亡くし、五歳にして父を失う、
以って汝に累(わずら)わす也(なり)。」 太子は由に是を親しく待(もてな)すこと、
諸弟に隆(さか)んたる。良は年(とし)小さく、常に文帝を阿翁(あおう)と呼ぶ爲(ため)、
帝は良に謂いて曰く 「我は汝の兄(あに)耳(のみ)」。
文帝は又、是の其の如きを愍(あわれ)みて、毎(つね)に涕涙(ているい)を爲(な)す。」
(訳)
「幹(曹幹)は、またの名を良といいました。良はもとは(曹操の)側室の陳氏の子でした。
良が生まれると陳氏は亡くなったために、太祖(曹操)は王夫人に彼を養育するように命じました。
良が五歳のときに曹操は病気が重くなり、王太子の(長男の)曹丕に遺令を語っていいました、
「この子(良)は三歳で母をなくし、五歳で父をうしなう。だから君が面倒をみてやってくれ」。
それで曹丕は良をほかの弟達にもまして、だいじに面倒をみてやりました。
良は年が幼く、いつも文帝(曹丕)を阿翁(パパ)と呼んでいたので、
曹丕は良に「わたしは君の兄さんなのだよ」といいきかせていました。曹丕はまた、
(良が)そんなふうに(自分を父と呼ぶことを)あわれに思って、いつも涙を流していました。」

趙王幹伝をみたら、この王夫人という女性が曹丕の立太子に尽力したので
曹丕も曹叡に「幹をよろしく」と頼んでいるみたいですね。
「おれは君の兄さんなんだよ、よよよ(涙)」と毎回泣く曹丕は、
やはりとてもおもしろい(興味深い)オッサン、もとい、お兄さんですねw。

>>743
バトロワスレは何年も前にROMってました。まだ続いてたのかΣ(゚Д゚)ミテコヨ

745 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 16:34:18
>>743
陸機を出したの俺ですw
せめて空想の世界で魏武に逢わせてやりたくてさ

746 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 19:15:29
小さい弟にパパと言われて
「まだオヤジじゃねえ、お兄さんだ!」と
複雑な心境になりつつ
父なき弟に同情する曹丕萌エスww

昨日甥っ子にオジチャンと言われたので他人事ではない_| ̄|○

747 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 19:44:54
>>746
(・∀・)人(・∀・)            ('A`)

748 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 22:24:34
>>746
甥におじと言われるのは正常だと思ふ
まあ気持ちはわかる

749 :746:2006/12/09(土) 22:30:52
去年までオニイチャンだったんだ_| ̄|〇
おいちゃんは曹丕に激しくシンパシー

750 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 23:55:00
(´・∀・`)ヘー

751 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/10(日) 00:06:12
曹操も曹丕も陸機も突っ込み所多すぎ
泣けるやら笑えるやら…

752 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/10(日) 00:39:49
>>745
オマエイイヤツダナ

753 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/10(日) 02:30:09
まとめサイト見たけど、ネタポエムとか見たらけっこう面白いな
ここの住人て自分で詩書いてるヤシいないのか?漢詩でも普通のでも
いいもの(三曹の詩とか)読んでるだけにいいものが出来そうジャマイカ?
と思うのは自分だけだろうか……

754 :ry:2006/12/10(日) 05:07:28
>>753
見魏武藻  看我夢話
嘆息喝酒  賢愚相遠。w orz

755 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/10(日) 08:21:41
>>754
よーするに_って事ねw

756 :他スレからコピペ:2006/12/10(日) 15:23:59
81 名前:無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日:2006/12/10(日) 01:08:47
>>65
藝文類聚 第四十五巻

魏陳王曹植光祿大夫荀侯誄曰.
如冰之清. 如玉之求D
法而不威. 和而不褻.
百寮士庶. 歔欷霑纓.
機女投杼. 農夫輟耕.
輪給輒而不轉. 馬悲鳴而倚衡.

757 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/10(日) 16:09:18
>>753
お前はブロードウェイを見ているだけでいいダンスが踊れるのか

758 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/10(日) 17:08:32
>>754
ワロス。現代中文風味ですな。押韻はこう言う方法なんかねw

魏武ノ藻ヲ見/我ガ夢話ヲ看ユル/嘆息シ喝酒ス/賢愚相遠シ。
魏武の詩文を見/我が寝言を顧る/嘆息し酒を呑む/賢者愚者相遠し。

759 :1(ry:2006/12/10(日) 19:14:15
>>755,>>758
自分は_ですw。>>754の韻は不(ry

アレなので、三国志に関係ある元ネタの蘇軾『東坡志林』の一篇をうpしておきます
(白文/書き下し/訳、適当ですお……)。

李邦直言、周瑜二十四経略中原、今吾四十但多睡善飯、賢愚相遠如此。
如叔安上言、吾子以快活,未知孰賢与否。

李邦直は言う、周瑜は二十四にして中原を経略し、
今(いま)吾は四十にして但(ただ)多く睡(ねむ)り善(よ)く飯(く)う。
賢愚(けんぐ)相遠(あいとお)きこと此の如し。
如叔安は上言す、吾が子は以って快活たる、未だ孰賢(いずれかまされる)を知らざる。

 李邦直は言いました。
「周瑜は二十四歳で中原を攻めとったが、わたしはいま四十歳にして、
ただよく眠りよく飯を食うだけだ。賢い人と愚かな人は、こんなに差があるものなのだなあ」。
如叔安はこれに申し上げました、
「私の先生(李邦直)は(早世した周瑜と違って)とてもお元気なので、
周瑜と先生のどちらがすぐれているのかは、まだ分かりませんよ」。

「今吾四十但多睡善飯」というフレーズが好きですw。
でも李邦直という人は、宋代のりっぱな文人で出世した役人さんだったのですね。
蘇東坡先生とはどういう関係かというと、周瑜ファン友達だったぽいですw。
如叔安という人は、自分は詳細を知りませんorz。李邦直のお弟子さんでしょうか。

760 :1(ry:2006/12/10(日) 19:15:39
>>756
どもです(`・ω・´)
コピペthxです! 荀イクスレの黒荀イクは、すごくおもしろいですw。
いちおう下しておきます。

魏の陳王の曹植は光祿大夫の荀侯に誄して曰く、
冰(こおり)の清き如く、玉の(きよ)き如し。法を威(おそ)れず、和に褻(けが)れず。
百寮(ひゃくりょう)の士庶(ししょ)は 歔欷(きょき)霑纓(てんえい)し、
機女は杼(ひ)を投(とう)じ、農夫は耕すを輟(や)む。
輪は給輒(ちょうきゅう)として轉(まわ)らず、馬は悲鳴し倚衡(いこう)す。

魏の陳王の曹植は、光禄大夫の荀侯を悼んで言います。
(荀イクは)氷のように清く、玉のように潔くありました。
法をおそれることはなく、初心を失って汚職にけがれることもありませんでした。
(荀イクの没した悲しみに)百の役所の役人や民はすすり泣きに装飾品を濡らし、
機織りの女性(妻)は杼をほうりだし、農夫(夫)は畑を耕すのをやめます。
車の車輪はまわらず、馬は悲鳴にいなないて車軸を傾けます。

荀イクは、曹植たんじきじきに誄を書いてもらえるなんていいですね。
息子の荀ツが曹植たんと仲良しなので、友人のパパということで書いたのでしょうか。

761 :1(ry:2006/12/10(日) 19:23:03
>>760の訂正orz
×給輒(ちょうきゅう)→◎給輒(きゅうちょう) です。

762 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/10(日) 20:05:43
>>760
ジュンイクスレの住人ですGJ!

僭越ながら、「法にして威せず、和して褻ならず」は「法を守りつつも脅かしはせず、周りと調和しつつもなれあいにはならず」みたいな感じじゃない?

763 :1(ry:2006/12/10(日) 20:15:59
>>762
Thxです! おお、それでありますそれヽ(・∀・)ノ
だらけて怠けたり汚職したりとかしなかったよ、
みたいな感じでしょうか。

764 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/10(日) 22:43:20
>>759
周瑜ファン友達て何だw

765 :1(ry:2006/12/10(日) 22:49:45
たびたびどもですorz
>>762さんにしていただいた訂正忘れますたorz
>>760
×法を威(おそ)れず、和に褻(けが)れず→◎法にして威(おそ)れず、和にして褻(けが)れず
 (而わすれますた)です。

>>764
北宋文人周瑜ファンクラブ?w

766 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/11(月) 10:49:04
俺もただ飯を食い眠るのみだ´ー`)

767 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/11(月) 11:00:16
めしを食いやがて死ぬでしょう

って何だったっけ

768 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/11(月) 11:07:42

>めしを食いやがて死ぬでしょう

横山三国志のホウ統の台詞
これいいよな


769 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/11(月) 12:44:24
腹減ったぜ

770 :まとめサイト ◆XoQX5vgfQU :2006/12/11(月) 16:47:05
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP

771 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/11(月) 23:01:36
ソショクはホント周瑜好きだな

772 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/11(月) 23:18:03
陸機タソの後半訳も待ってるよ

773 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/12(火) 00:05:03
>>770
乙。初めて見た

774 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/12(火) 00:37:25
まとめサイトさんは訂正済みのテキストがあって便利だ

775 :1(ry:2006/12/12(火) 02:40:48
どもです。纏めサイトさんいつも乙であります(`・ω・´)

>>772
いま2/3までおわったので、明日あたり(ry orz orz

あと中国梨ですが、追熟させたらシャクシャク感はありつつも
「脆若浚(歯が沈みこむように柔らかい)」くなりますた。
食べた後にミルクのような甘さがのこる不思議なおいしさになりますた(゚Д゚)ウマー
http://p.pita.st/?m=suefpivf

776 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/12(火) 14:55:03
梨美味そう・・・

777 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/13(水) 01:01:26
「国訳漢文大成」を読んでいたら、
唐代の人が禰衡のことを詠んだ詩を見つけたのですが、
載せてもいいでしょうか?

778 :1(ry:2006/12/13(水) 01:39:51
どもです(`・ω・´)
>>772さん
4/5まで終わりますたが眠すぎて氏ぬので、明日(ry

>>777
>>1のスレ建てを相談しているときに、蘇東坡でも土井晩翠でもおkにしようと
なったので、ぜんぜんおkであるとおもいます。ぜひどんどんよろしくです(`・ω・´)
というか、すでに杜牧とか毛沢東まで勝手にうpしてしまった(ry

779 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/13(水) 19:40:08
「鸚鵡洲眺望」      崔塗
悵望春襟鬱未開 重臨鸚鵡益耐哀
曹瞞尚不能容物 黄祖何曾解愛才
幽島暖聞燕雁去 暁江晴覚蜀波来
誰人正得風涛便 一点征帆万里回

悵望すれば春襟鬱として未だ開けず、重ねて鸚鵡に臨んで益す哀しむに耐えたり。
曹瞞尚お物を容るること能わず、黄祖何ぞ曾て才を愛することを解せん、
幽島暖にして燕雁の去るを聞き、暁江晴て蜀波の来るを覚ゆ、
誰人か正に風涛の便を得て、一点の征帆万里より回(かえ)る。

へたれ訳
(才能がありながら殺された禰衡のことを思い)
失望すれば私の春襟は不安で開けない
(禰衡の殺された)鸚鵡洲には初めて来たわけではないが
私もああなるのかと思えば、その悲しみはますますひどくなるばかり
曹操には受け止めるだけの力量がなく、黄祖はその才能を理解できない
このあたりはもう暖かくなり、雁は声を残し燕の国に帰ってゆく季節に
蜀からの雪どけ水で淅江は水量を増し、誰かが船にゆられて帰ってゆく
帰れるものはごくわずか、見送るものは数知れず


その前には陳琳の墓参りをして「どうか私を怪しまないでほしい。
わたしはあなたのようになりたいのだ」といった詩もありましたが、
題材が禰衡というインパクトのため、こちらを選びました。
禰衡は銭唐の北の方にその霊が乗り移った石の廟(霊石廟)があるそうで、
向こうではそこそこ人気があるようです。

780 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/13(水) 22:15:57
>>775
梨あまりに美味そうなんで、追熟中のラ・フランス一個食っちまったよ…

781 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/13(水) 23:38:13
>>779
禰衡はこんな詩を読まれるような男だったんだろうか

782 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/13(水) 23:56:03
陳琳とか禰衡とかそういうタイプの人が好きだったんだろう

783 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 05:10:14
崔塗は唐の末期の詩人。科挙に合格して十年もせずに唐王朝が滅亡。
その後のことはよくわかってないが、どうも結局仕官できずに
各地を放浪して詩を残したりしていたらしい。

多分この詩は才能に応じた官位に就けずに死んだ禰衡と
仕官できずに不遇の環境にあった自分(崔塗)を重ね合わせている程度で
自分も禰衡のように殺されるかも、とまで解釈するのは行き過ぎな気がする

詩は非常に苦手だが自分なりに訳すとこんな感じかな

悲しく(鸚鵡洲を)眺めやれば春の思いは欝として晴れず
ふたたび鸚鵡洲にのぞめばますます哀しみに耐え忍ぶ
曹瞞(曹操)ですらなお彼の人物(禰衡)をもてあましたのに
黄祖ごときがどうして彼の才能を愛することをを理解しようか
鬱蒼と木々の生い茂る島?(鸚鵡洲のこと?)は
暖かくなって燕(つばめ)や雁が北へと旅立つ音が聞こえ
長江は夜が明けて晴れ渡り蜀からの水波がきたことに気づく
誰であろうか、丁度うまい具合に風と波に乗って、万里の遠くへと帰っていく
(万里の遠くから帰ってくる?)一隻の船に乗っているのは。

784 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 10:48:07
作者が現代に生きてたら、間違いなく2ちゃんの住人だったろうな

785 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 11:48:24
ニート引き篭もり無職の三重苦で2ちゃんねらーやってるに違いない

786 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 11:51:17
だいたいデイコウ自体が2chねらーっぽいもんな

787 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 19:45:10
時の最高位権力者の目の前で2chカキコと同じ事を言えるのか・・・?

788 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/14(木) 20:29:46
>>783
訳してくださってThxです。
つけられていた句訳には
「幽島は此の洲を云う」
「暖聞燕雁去 燕は鳥にあらず国の燕なり、燕国の天に向って雁が去る声を聞く
燕は国名、平用、鳥名仄用は小児も知る所」
「江晴覚蜀波来
浙江に水の茫茫たるは是れ巴蜀の氷が融じて流れ来るが為めなりと知る」
「誰人正得風涛便 眺望する所、誰人かは知らず、風涛の穏かなるに利便を得て
一点征帆万里回 回(かえ)る者は得意、望むものは失意、羨むの意窮まり無し。」
とありました。
無理に訳そうとせず、句訳丸写しにした方が早かったです。

789 :1(ry:2006/12/15(金) 05:43:39
どもです(`・ω・´)禰衡thxです!!
自分は崔塗のも禰衡の『鸚鵡賦』も、どっちも読んだことがないのでアレですが、
>>779は絵のようでとてもきれいですね。陳琳のもぜひ見たいであります。
禰衡はジュンイク伝の裴注ではけちょんけちょんですが、いろいろな見方があるのですね。
崔塗がファンになるのだから、唐代には彼を良く描写した文章もあったのでしょうか……

ところで、やっと>>691->>695さんの陸機の本文がおわったので
いちおう↓にうpします(>>772さん遅れて済みませんorz orz orz)。
誤字下し間違い訳し間違いはたぶん大量にあるので、どなたか訂正(ry

(書き下し1/3)
皇漢(こうかん)の末緒を接(つ)ぎ、、王途(おうと)の多違に値(あ)う。
重淵(ちょうえん)に佇み以って鱗を育て、慶雲に撫して遐(とお)く飛ぶ。
神道を運(めぐ)らせ以って德を戴き、靈風に乗じて威を扇ぐ。
羣雄(ぐんゆう)を電撃に摧(くだ)き、勍敵(けいてき)を舉ぐこと其れ如遺(ひろうがごとし)。
八極を指し以って遠略し、必ず焉を翦(ほろぼ)して後に綏(しりぞ)かす。
三才(さんさい)の闕典(けってん)を釐(おさ)め、天地の禁闈(きんい)を啓(ひら)く。
脩(修)網(しゅうもう)の紀の絶えるを舉げ、大音(たいおん)の解紐(かいちゅう)を徽(つな)ぐ。
雲物(うんぶつ)を掃い以って貞觀し、萬の塗(途)(みち)を要(もと)め來歸(らいき)す。
大德は丕(おお)きくし以って宏(ひろ)く覆い、日月を援(たす)けて齊(ひとし)く暉(かがや)く。
九有(きゅうゆう)の元功(げんこう)を濟(な)す、固(まこと)に舉世(きょせい)の推す所なり。

790 :1(ry:2006/12/15(金) 05:44:39
(書き下し2/3)
彼(か)の人事の大造(たいぞう)、夫(そ)れ何(いず)くに往(ゆ)きてなお臻(いた)らざらん。
將に簣(き)を浚谷に覆し、山を九天に爲し擠(お)つ。 苟(いやしく)も理(ことわり)に窮し性の盡(つ)く、
豈(あに)長筭(算)(ちょうさん)の研(きわ)む所ならんや。川に臨むの悲しみ有るを悟り、
固(もと)より梁木も其れ必ず顚(顛)(くつがえ)る。 建安の三八に當たり、實(じつ)に大命の艱(なや)む所なり。
曩載(のうさい)の光は昭(あき)らかと雖(いえど)も、將に此の年に税駕(ぜいが)す。
惟れ神降の緜(綿)邈(めんばく)なる、千載に眇(はる)けくして期は遠し。
信(まこと)に斯(こ)の武の未だ喪(ほろ)ばざる、靈符に膺(あた)りて茲(ここ)に在す。
文昌(ぶんしょう)に龍飛すると雖(いえど)も、王心の怡ぶ所に非ず。
憤りて以って西夏に旅を鞠(やしな)い、秦川を泝(さかのぼ)りて旗を舉ぐ。
鎬京(こうけい)を踰(こ)えども不豫し、渭濱(いひん)に臨みて疑う有る。
翌日の云(ここ)に瘳(い)えるを冀(こいねが)うも、四旬に彌(わた)りて成を災す。

歸塗(途)(きと)を詠じ以って旆(はた)を反(ひるがえ)し、崤渑(澠)(こうじょう)に登りて朅來(けつらい)す。
洛汭(らくぜい)に次して大漸(たいぜん)し、六軍を指して曰く念(おも)う哉(かな)。
伊(こ)れ君王の赫奕(かくえき)たる、寔(まこと)に終古(しゅうこ)の難ずる所たる。
威は天に先じて世を蓋い、力は海を盪(うご)かして山を拔す。
厄奚(やくなん)の險にして濟ざらず、何の敵に彊(きょう)して殘(そこな)わざる。
毎(つね)に禍(わざわい)に因(よ)りて以って禔(提)福(しふく)とし、亦(また)危うきを踐して必ず安くす。
茲(ここ)に有るに迄りて蒙昧たる、慮は噤閉(きんぺい)して端は無し。
軀命(くめい)を委ね以って難を待つ、沒世を痛みて永言す。
四子を撫し以って念(おも)い深く、膚體(ふたい)を循(めぐ)りて穨(頽)歎(嘆)(たいかん)す。
營魄(えいはく)の未だ離れざるに迨(およ)び、餘息(よそく)の音(こえ)を翰(かん)に假(か)す。

791 :1(ry:2006/12/15(金) 05:45:33
(書き下し3/3)
姫女(きじょ)を執りて以って嚬瘁(ひんすい)し、季(すえむすこ)の豹を指し漼(さい)する焉(かな)。
氣は襟(むね)を衝(しょう)し以って鳴咽(呼)(おえつ)し、涕は睫に垂れて汍瀾(がんらん)とす。
率土を違(さ)りて以って靖(靜)(しず)かに寐し、彌天(びてん)を一つの棺に戢(おさ)む。
咨(ああ)宏度(こうど)の峻邈(しゅんばく)、大業を壯し允(まこと)に昌(さか)んたる。
思い終(つい)に居て始めを恤(卹)(うれ)い、命は沒するに臨んで揚ぐを肇(はじ)む。
貞吝(咎)(ていりん)を援(たす)け以って悔うを惎(そこな)い、我が在と雖(いえど)も臧(よ)からず。
内を顧(かえり)み纏緜(綿)(てんめん)を惜しみ、末命(まつめい)の微詳(びしょう)を恨む。
廣念(家人)(こうねん/かじん)の履(くつ)の組(くみひも)に紆(まど)い、清慮を香の餘りに塵(けが)す。
遺情の婉孌(えんれん)に結ぶ、何ぞ命の促(せわ)しきにして意の長きかな。

法服し帷座に陳し、窈窕(ようちょう)を玉房に陪(はべら)う。
備物を虚器に宣(の)べ、哀音(あいおん)を舊倡(きょうしょう)に發す。
慼(蹙、戚)容(せきよう)を矯(あ)げ以って節に赴き、零涙を掩(おお)いて觴(さかずき)を薦む。
物は微として存せざる無く、體は惠(慧)として亡びざる無し。
聖靈の響像を庶(こいねが)い、幽神の復び光るを想う。
苟(いやしく)も形聲の翳沒たる、音景と雖も其れ必ず藏(かく)る。
絃を清め徽して獨り奏し、脯糒(ほび)を進むも誰が嘗す。
繐帳(けいちょう)の冥漠たるを悼み、西陵の茫茫たるを怨む。
爵(雀)臺に登りて羣(む)れ悲しみ、美目を眝(貯)(み)て其れ何を望む。
既に古(いにしえ)を睎(晞)(み)て以って遺に累う、信(まこと)に禮を簡にして薄葬せん。
彼の裘紱(きゅうふつ)を何に於いて有る、塵謗(じんぼう)を後王に貽(のこ)す。
嗟(ああ)大戀(たいれん)の存する所、故に哲たりと雖も忘れず。

遺籍を覽て以って慷慨(こうがい)し、悽傷(せいしょう)し茲(ここ)に文を獻ず。

792 :1(ry:2006/12/15(金) 05:47:58
(訳1/3)
(曹操ははじめ)漢の皇帝のおわりを継ぎうけ、(その)王道は多難でした。
(しかし彼は)深い淵にひそんで鱗を育て、すばらしい風にのって遠くへ飛翔しました。
神の道を受けてめぐらせ、大きな徳をもち、霊験のある風に乗って権威をふるいました。
割拠する群雄たちを雷のように攻撃して砕き、落ちたものを拾うように易々と強敵を攻めおとしました。
天下をめざして遠くまで遠征し、必ず敵を滅ぼして退けました。
天・地・人の法典をあらためただし、天地の隠された法則を知っていました。
おさめられていなかった法律をつくり、文章や音楽のゆるんだ紐をつなぎなおしました。
迷信や占いを退けて世を清めて太平にし、万もの道をもとめてそれを帰属させました。
徳は非常に大きく、広く世を覆い、太陽と月をたすけ、それと同じように輝きました。
天下の偉大な功績をなしとげることは、まことに世の全ての人が推挙するところでした。

793 :1(ry:2006/12/15(金) 05:49:00
(訳2/4)
かの人(曹操)がおこなった事業は人にできるもっとも立派なことで、
それはどれほど遠くへいってもなお終わりのないものでした。
まさに「もっこ」で土を運んで深い谷でそれをひっくりかえし(、土で谷を埋め)、
それが世界の天にとどくほどになったところで崩れおちてしまったようなものです。
いやしくも物事の道理に限界がきて生命が尽きてしまったのならば、
どうして遠大な計画をたててもそれを実現することができましょうか。
孔子先生が万事は川の流れのごとく移り変わってしまうと悲しんまれたとおりですし、
もとより梁(はり)の木もいつかは必ず倒れるのです。建安24年は、実に(曹操の)命運が困難にあたりました。
いままでのりっぱな業績の光はあきらかでしたが、まさにこの年に馬を放った(休息した)のです。
神が(すぐれた人を地上に)降らす期会はとても遠くて千年に一度もなく、次はいつになるのでしょう。
まことにこの曹操(の業績)がいまだ滅びないのは、神の加護をうけて戦争をした結果だからです。
皇帝となって宮殿にのぼったといえども、王様(曹操)の心が満足するところではありませんでした。
憤って西夏(蜀方面)に軍隊を派遣し、秦川をさかのぼって戦をはじめました。
鎬京をこえましたが病気にかかられ、渭濱に臨むところまできて疑わしくなりました。
次の日にはそこで治っていることを願いましたが、40日間にわたって病気はつづきました。

794 :1(ry:2006/12/15(金) 05:49:34
(訳3/4)
帰りの号令をだして軍旗をひるがえし、崤山と渑山を登って帰還しました。
洛陽にもどって重態となり、75,000名の官軍を指して思いを述べました。
王様(曹操)のように光りかがやくことは、まことに今までもこれからも永遠に有り得ないことでしょう。
その威光は天に先んじて世をおおい、その力は海を動かし山を抜くほどでした。
どのように困難が険しくても解決し、どんな敵にも強い力をふるって滅ぼしました。
いつもわざわいを幸いに変え、また、危険にあっても必ず安全にしました。
ここ(洛陽)に戻るに至って蒙昧となり、思慮は閉じられて開かれなくなってしまいました。
身体と命を病気にゆだねて最期のときを待ち、世を去ることを痛んで遺令を出しました。
四人の息子を撫でるその思いは深く、身体と肌を寄りそわせ悲しみ嘆きました。
魂の営みが離れてゆかないうちに、さいごの息のことばを筆に託しました。

娘を抱いてもって病気に疲れて眉間に皺をよせ、すえむすこの豹を指して涙をおとしました。
気は胸をつきあげてもって嗚咽し、涙は睫毛を濡らして流れおちました。
彼のひきいた国土を去ってしずかにねむり、天にもとどく徳をちいさな棺おけにおさめました。
ああ、あなたの度量はたかくはるかで、りっぱなことをまことにさかんにすばらしく成し遂げました。
その思考は最期のときにも始めを憂い憐れみ、その命は没するときにも高まりをはじめていました。
正しいことや吝嗇することをたすけてもって悔やむことを止め、自分に責任のあることでも良しとしませんでした。
家の中のことを顧みて細かくくどくどと心を残し、最後の命令がせせこまいことが惜しまれます。
りっぱな心が(/家人の)くつのくみひもにまどい、清らかな思慮はお香の余りでぼろぼろになりました。
寝室の美女に情を残しておわった遺令は、なんとせわしなく未練がましいことでしょう。

795 :1(ry:2006/12/15(金) 05:51:36
(訳4/4)
礼服をきてとばりの座にならび、しとやかでなまめかしい美女を王様(皇帝)の部屋にはべらせます。
そなえものを亡くなった人の食器にそなえ、悲しい音楽をかつての寵愛した女性たちに演奏させましょう。
うれいに沈む姿をただして音楽を聴き、こぼれる涙をおおって杯を勧めましょう。
物は小さくてもなくなることはありませんが、体は恵みが深くても亡びないことはありません。
聖なる(曹操の)霊がぼんやりとあらわれることをこいねがい、
かすかな(曹操の)魂がふたたび光ることを想います。
いやしくも姿形と声がなくなってしまったら、音や影といえども必ず(一緒に)かくれてしまうのです。
銅雀台に登って皆で悲しみ、美女のきれいな顔立ちを見て、いったい何を望むのでしょう。
すでにいにしえの例をみているのに遺令にこまごまとこだわるのは、ばからしい例を後の王に伝えるだけです。
ああ、恋の情という非常に大きなものがある以上は、かしこい人といえどもそれを忘れないのです。

遺言をみて憤りなげき、悲しみに心を傷めてここに文を献じます。

796 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 12:34:12
gj!!!
しんみりしてきてたのに最後の怒涛の恨み節に噴いたwww
陸機って、他の作品は華々しい感じでいかにもきらきらしい才人って雰囲気なのに
この文章は凄く人間味に溢れてて好きだ。

797 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 14:14:52
陸機どんだけ曹操好きなんだwwww

798 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 20:48:27
靴紐とお香が余程ショックだったようでwwwww
でも幽霊でもいいから会ってみたい程ファンなのが切なくワロタw

799 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/15(金) 20:56:15
陸機の部屋にはきっと曹操のポスターが貼ってある

800 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 00:29:50
陸機の部屋にはきっと曹操の等身大抱き枕もある

801 :1(ry:2006/12/16(土) 01:40:24
陸機たんは、この文章を何のために書いたのでしょうね?
呉大帝誄文のように献じなくちゃいけなくて書いたのではないし、
西晋で曹家/魏への立場を示そうとしたにしては、内容が中途半端ですよねw
(曹操シンパを示したいにしては文句ryだし、アンチ曹操にしては褒めry)。
曹丕や曹植が残している文学論めいたものでもないし……

やっぱり序文のとおり、単純に曹操の文章に思うところがあって、
書きたくて書いた本音全開の文章なのでしょうか。
80年も昔に没している人にこんな文章を献じるなんて、よほどのファンだったんですねw。
元康八年(298年)には、陸機たんが好きなことを書きまくってもおkなぐらいに宮廷も世代も交代して、
八王の乱の前にしては政治も彼の立場も安定して(?)いたのですね。

>>800
等身大でも小さい(ry

802 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 02:07:47
待て待て
>聖なる(曹操の)霊がぼんやりと(ry
は、序文の
「銅雀台に八尺のベッドを作って、朝晩に食べ物をそなえて、宮女・芸者たちに
歌わせる」内容の遺言に対する批判の部分だぞ
これは、ベッドにあたかも曹操が生きているか(曹操の幻影でもあるか)のように
宮女達にふるまわせることを喩えている部分で、
だから次の部分で
>いやしくも姿形と声がなくなってしまったら(ry
といって実体(曹操の肉体)がなくなった以上、それに伴う声の響きや影など
存在しないのだと批判しているわけだ

まぁ、きっと幽霊でも会えるものなら会いたいと陸機が思っていても
不思議じゃないかもしれんが

803 :1(ry:2006/12/16(土) 02:26:50
>>802
補足thxです! 自分の書き方がへたくそすぎですたorz
ほかにも大量に日本語が変な訳がありますorz

>>798
なので、幽霊(降霊祭?)とかオカルトな話ではないですorz。

しかし銅雀台ってどんな建物だったのでしょうね?
高さのある立派な建物で、きれいな庭や離れがあって……というと
日本の戦国時代のお城みたいな感じでしょうか??
韓国に銅雀区という地名があるらしいのですが、
これは船着場に由来する(?)らしいとか……
(韓国語わからないので違うかもorz)

804 :1(ry:2006/12/16(土) 09:50:21
というか、>>795に肝心な一行の訳が抜けてるから、
幽霊話になってしまうんですねorz
>>795の抜けてた一行(◎)を足して訂正します。

「礼服をきてとばりの座にならび、しとやかでなまめかしい美女を王様(皇帝)の部屋にはべらせます。
 そなえものを亡くなった人(曹操)の食器にそなえ、悲しい音楽をかつて寵愛した女性たちに演奏させます。
 うれいに沈む姿をただして音楽を聴き、こぼれる涙をおおって杯を勧めましょう。
 物は小さくてもなくなることはありませんが、体は恵みが深くても亡びないことはありません。
 (そうやって)王様(曹操)の霊がぼんやりとあらわれることをこいねがい、 かすかな魂がふたたび光ることを想います。
 (しかし)いやしくも姿形と声がなくなってしまったら、音や影といえども必ず(一緒に)かくれてしまうのです。
◎楽器の弦を張りなおして一人演奏し、干し肉と干し飯を進めても、それを誰が賞味するのでしょうか。
 銅雀台に登って皆で悲しみ、美女のきれいな顔立ちを見て、いったい何を望むのでしょうか。
 すでにいにしえの例をみているのに遺令にこまごまとこだわるのは、ばからしい例を後の王に伝えるだけです。
 ああ、恋の情という非常に大きなものがある以上は、かしこい人(曹操)といえどもそれに囚われるのです。

 遺言をみて憤りなげき、悲しみに心を傷めてここに文を献じます。」

805 :1(ry:2006/12/16(土) 09:51:35
ついでに余りにも意味が通じないミスだけ訂正&補足orz

>>791 ×窈窕(ようちょう)を玉房に陪(はべら)う。→◎窈窕(ようちょう)を玉房に陪(はべら)す。
>>792 △(しかし彼は)深い淵にひそんで鱗を育て
       →◎(王/皇帝を龍になぞらえて)しかし彼は、深い淵にひそんで鱗を育て
>>793 △いやしくも物事の道理に限界がきて〜→◎(そのように)いやしくも物事の道理に限界がきて〜
>>793 △建安24年は、実に(曹操の)命運が困難にあたりました。
       →◎建安24年は、このように(曹操の)命運が困難にあたりました。
>>794 △家の中のことを顧みて細かくくどくどと〜→◎(それだけに)家の中のことを顧みて細かくくどくどと〜
>>794 ×最後の命令がせせこまいことが惜しまれます→◎最後の命令がせせこましいことが惜しまれます

あと、>>793の孔子がどうこうというのは、「悟臨川之有悲」という陸機の原文が、
論語の「子在川上曰、逝者如斬夫、不舎昼夜」を(たぶん)なぞらえているからであります。

806 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/16(土) 13:17:31
乙です!

西晋を讃えるなら司馬仲達マンセーにするべきじゃないの?
だから陸機は政治的なこと抜きにして
これを書いたんだと思う。
てか陸機ファンとしてはそう思いたいw

807 :1(ry:2006/12/16(土) 15:02:44
簒奪者である司馬氏は、かつて曹家が後漢の末裔に対してそうしたように、
ことあるごとに曹操(&曹家で帝位についた人)とのシンパを主張して
自分たちの正統性を世に知らしめていますし、ましてやもとは敵国(呉)の人で、
陸遜の孫である陸機にはいちおうの動機(?)がある? と思ったのですが……

でもそうだったら、「留曲念於閨房、亦賢俊之所宜廢乎」なんて書けないすねw。

808 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/17(日) 18:34:30
陸機の話で盛り上がってるところすみません。

曹植の「七哀詩」http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1157242060/87
を日本語脚韻&七七調(四行ごとに七五調or七六調)で、
漢文はわからないので日本語訳を読みつつ意訳しました。
もちろん、脚韻の文をつくるのも初めてなのでうまくできてるかどうかわかりませんが
曹植が好きすぎて作ってしまったので載せてみます。

月照らすんだ 包む 高楼
あたりに澄んだ 光ただよう
彼女はひとり 思いわずらい
嘆いてばかり 果てもない

嘆く身の上 問う 思うまま
彼女の答え 「旅人の妻」
十年も前 旅立ちの日は 
ひとり住む家 まるで悲話

路上で掃かれる 塵のあなたと
河に 没する 泥のわたしと
同じものでも 浮く、沈むだと
会おうとしても いつのこと

ああ西南の風になりたい
入っていくの 懐へ愛
その懐に 入れないなら
何を頼りに できるかしら


参考にした日本語脚韻のページ
ttp://www.gabacho-net.jp/j-rhyme/poems-asami.html#meter

809 :808:2006/12/17(日) 19:38:07
あっちゃー。
日本語脚韻のページよく読んだら
二重韻(一母音+一音合わせ)でないとダメって書いてありました。
なので、これは七七調の意訳ってことにしといて下さい……orz

漢詩の七五訳の本もあるらしいですし!(言い訳)
ttp://www.s-book.com/plsql/com2_detail?isbn=4087811816


810 :1(ry:2006/12/17(日) 22:34:26
どもであります(`・ω・´)すごい。井伏鱒二みたいですね。
いつも芸のない直訳で済みませんorz orz orz

韻の整った定型詩は、どこの国のことばでもきれいですね。
三国時代では、曹丕はいろいろと実験的な作を残していますが、
それが唐宋の洗練された形につながったのですね。
しかし曹丕は、戦乱の世に凝り性な皇帝だな……さすが戦争中に詩を詠んだ曹操の子w

811 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/17(日) 22:39:36
イメージ的に
曹操はなんにでも興味を持つ子供タイプで、
曹丕は一部のものに凝るヲタタイプ
曹植はオサレ文化人

812 :808:2006/12/17(日) 22:58:09
いえいえ、1さんの訳も素敵だと思います。
私は漢文だめなので、訳せるだけで尊敬です。

七哀詩の七七調意訳は、趣味で短歌をやってるので七七や七五調にするのは
まだできるのですが、韻がかなり難しかったです。
1音だけでも苦労したのに正式に『1子音+1字』だったら
多分できませんでした。

曹丕はこだわり屋なのがかわいいですね。
やっぱり長男っぽい感じがします。

813 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/17(日) 23:03:26
ところで陸機の弔文はやっぱ趣味で書いたんかね?>>807
陸機余裕あるなー

814 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/17(日) 23:08:09
趣味で書いたんだと思うなー
他の作品見ても、陸機の文章っていかにも名門育ちの優雅な雰囲気に溢れてて、
せせこましくないし、政治的なことあんまり考えてなかったように思う。
祖父や父に似ず軍事の才はからっきしで、
八王の乱にひっかかってあっさり処刑されてるとこから見てもあんまり世慣れてない印象

815 :813:2006/12/17(日) 23:15:47
>>801
>>806
>>807
>>814
成程。余裕っつか、ボンボンで余裕無いのに気付かなかったとw

816 :317:2006/12/17(日) 23:30:42
>>3-5
多分同じく読まれたもの劉驕i公幹)の公讌

公讌詩    :劉驕i公幹)

永日行遊戲,懽樂猶未央.
遺思在玄夜,相與復?翔.
輦車飛素蓋,從者盈路傍.
月出照園中,珍木鬱蒼蒼.
清川過石渠,流波為魚防.
芙蓉散其華,ロrロy溢金塘.(ロr:草カンムリに函,ロrロyで蓮の蕾の意)
靈鳥宿水裔,仁獸遊飛梁.
華館寄流波,豁達來風涼.
生平未始聞,歌之安能詳?
投翰長歎息,綺麗不可忘.

1)書き下し風味
日を永くして遊戲を行い,懽樂つくして猶も未だ央<み>ちず.
思いを遺したまま在るは玄夜,相與にして復た?翔せん.
輦車は素蓋を飛ばし,從者は路傍に盈つ.
月出でて園中を照らし,珍木は鬱とし蒼蒼とせり.
清川は石渠を過ぎて,流れ波だって魚防を為せり.
芙蓉は其の華を散らし,ロrロyは金塘に溢れる.(ロr:草カンムリに函)
靈鳥は水裔に宿まり,仁獸は飛梁に遊ぶ.
華やいだ館は流れ波だちに寄り,豁達として來たる風涼し.
生平(平安の世を生きていて)未だ始め聞かず,之を歌うに安んぞ能く詳らかならん?
翰を投じて歎息を長くせん,この綺<あや>なすさまの麗わしさ忘るる可からず.

817 :317:2006/12/17(日) 23:33:19
2)口語風味
一日中遊び戯れても,未だ未だ楽しみ足りなくて.
まだ面白いことねえかとやってたら何時の間にか真夜中だよ,
 サタデーナイトだ、お馬鹿よ楽しめ.
車に乗って屋根吹っ飛ぶぐらい飛ばしてゆこう,従者どもはてんやわんやよ.
着いた時には月が園の中を照らしてた,
 怪しい景色wwwあの変な木のくねり具合、なんかいそうじゃね?
川がきらきら、石乗りこえて流れ落ち,魚が鱗光らせて跳ねてるよ
芙蓉の花が月光の中でほとほと落ちて,蓮の蕾が月明かりで金色になった池に溢れてる.
あの水際にいるの、霊鳥じゃね?,あの飛梁の上にいるの、仁獣じゃね?
せせらぎの畔に立ってるコジャレた東屋,
 まったり寛いでたら開けた感じで風が来た、涼しくていいねコレ.
こんな平和な世の中だから俺達こうやって遊んできたけど今日みたいな日はなかったね,
 これ歌にしたいけどこんなの上手く作れねぇよ.
だから筆を投げたね、溜息つくよ、しみじみだよ,
 俺、今日のこの素晴らしさ、忘れねえよwwwっうぇっうぇっw

818 :317:2006/12/17(日) 23:43:09
自分は文字化け上手く直せないので有志乙ということで。すいません
そして今度は趣き変えて父曹操を悼んだ曹植の三良
杜甫が現れるまで詩聖の名を一人恣にしたちーちゃんだけあります

三良詩    :曹植(子建)

功名不可為,忠義我所安.
秦穆先下世,三臣皆自殘.
生時等榮樂,既沒同憂患.
誰言捐ツ゚<[身區]>易?殺身誠獨難.
攬涕登君墓,臨穴仰天歎.
長夜何冥冥?一往不復還.
黄鳥為悲鳴,哀哉傷肺肝!

はい、今度は

1)書き下し風味
功名、為す可からざるとも,忠義は我の安んずる所ならん.
秦穆が先に世を下ると,三臣は皆自残せり.
生時には栄楽を等しくし,既にして没さんとするに憂患を同じくす.
誰が言わん、ツ゚<[身區]>を損なうは易しと? 身を殺すは誠に独り難きもの.
攬涕して君の墓に登り,穴に臨みて天を仰ぎて歎きをつくす.
長夜の何ぞ冥冥たるか? 一たび往きて復た還らず.
黄鳥、悲しみの鳴きごえを為さん,哀しい哉、肺肝を傷つけん!

819 :317:2006/12/17(日) 23:44:03
2)口語風味
功名は(天の差配によるから自分だけで)為せるものではないけれど,
  忠義は自分の努めだけで成し遂げられるものだろう.
秦の穆公が先に逝去してしまうと,
  三臣は皆自裁して後を追ったという.
生きている時には栄楽を等しくし,死するにあたって憂患を同じくしてみせた.
一体誰が言うのだろう、身体を損ねるのは容易いことなのだと?
  身を殺してみせるのは本当に何より難しいことだというのに.
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を拭いて父上の墓に登り,
  (棺の納められた墓)穴に臨んで天を仰いでまた歎く.
日の落ちたあとの夜の長さよ、どうしてこう冥冥としているのだろうか?
  一えに(父上がこの世から)去ってしまってもう二度と還らないからだ.
(喪われた親を慕って)雛鳥は悲しみの鳴き声を挙げる(挙げよう),
  臓腑を傷つけんばかりの、この哀しさよ!

820 :317:2006/12/17(日) 23:46:01
>>818
途中にある「はい、今度は 」は消し忘れですんで
見た人それぞれで無かったことにして下さい(恥

821 :1(ry:2006/12/18(月) 00:17:23
>>813-815
なるほどー。弁亡論もけっこう内容が中途半端ですよねw
陸機たん、清談に逃げるわけでもなくクソ真面目に朝廷で仕事してたら、
あっさり讒言にのせられて処刑されたんでしょうか。
長沙討伐もやらされちゃった感満点だし、弟・陸雲も笑顔満開の箱入り坊ちゃんだしで(ry

しかし、陸機の時代までくると、>>691-695さんのとおり、文形そのものがとても洗練されてきますね。
三曹前(ex.>>380)とくらべると、ものすごい発展ぶりですね。曹丕の実験詩は無駄ではなかったと。

>>816-820
Thxです!! そいでは有志になって、いちおうユニコードを追加しておきまする。
>>816
・相與復?翔→相與復翺翔
・ロrロy溢金塘→茞萏溢金塘
>>818
・誰言捐ツ゚<[身區]>易→誰言捐軀易

>>817は口語というかVipper風味wwwwwwっうぇwwwwww
しかし劉テイはもともと華やかというか派手で、VIP風が妙に似合う(ry
おまいら親友の兄貴の奥さんが超美女らしいです→うp! うp!→おk→wktk(0゚・∀・)→も う だ め ぽ→ネ申(ry

おなじく建安七子の王粲も、『公讌』を詠んでいますね。
曹兄弟&文化人サロンメンバーで、夏の夜に銅雀台で宴会したんでしょうか。
弥生時代に優雅というか、劉禅ではなくてもうらやましいw

しかし曹植たんは、楽しいことも憂うこともぺらっときれいな詩にしてしまってすごいです。
陶淵明以前の人として、もっと評価されまくってもいいような……w
自分の広文書局の曹植選集だと、「曹操の死を自分が追えなかったから詠んだ作、
または秦穆の墓の前を遠征に従軍してて通りがかって詠んだ作」と注がついてます。
>>666->>679あたりを見てみると、親のために自分の身体を傷つけたり死んじゃったりはだめじゃん、
みたいな感じもしますから「自分が殉死できなくて云々」は無い気がしますが、どうなんでしょう?
やっぱり「曹操の死を悼んで詠んだ」か「秦穆墓を通りがかって云々」が妥当なんでしょーか……

822 :1(ry:2006/12/18(月) 00:19:38
↑・ロrロy溢金塘→菡萏溢金塘 ですorz orz

823 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/18(月) 00:31:55
秦穆公大好きなんでちょっとどきっとしたww
曹植の詩に出てきていたなんて(ノ∀`)

でも、穆公さん、司馬遷には「後事を考えず、大事な臣下を殉職させてアフォかおまえ」って
批判されてるんですよねえ。
曹植の時代にはそういう認識はなかったんでしょうか。
「穆公が亡くなったときは殉職した者がいたけれど、
 そのようなことは軽々しく出来ることではない→私に出来るわけねーだろうが」という意味なのでしょうか。

824 :317:2006/12/18(月) 00:46:24
>>822-823
自分は最後の行の黄鳥を雛鳥と見て曹操の死を悼んでのものと考えてます
秦穆と三良が題材に出てるのは丕、植、彰が官職に就いてたため
父の曹操を秦穆に、自分を含めた兄弟三人を臣下として仕えた三良に準えたのかなと
植は以前官職に就くに当たって父からオマエも人の臣下になったからには云々と
訓示を受けてたことありますし、そういうの踏まえての詩じゃないかなと


825 :1(ry:2006/12/18(月) 02:54:07
目が覚めて気づいたのでメモ(済みません)。
史記の西戎の秦穆って、太平記で魏文帝が召しだした、
羽の生えた不老不死の仙人児童(?)を寵愛していた周の穆公?(しらべる)
あれは本当の話なんでしょうか。オカルトだなぁ……

826 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/18(月) 06:26:54
菊慈童かい。八百歳の美少年が本当の話だったら凄すぎると思うがwwww

827 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/18(月) 07:54:23
史記の表見てみたら、
周に穆王ってのがいるけど(5代目)
この人のことじゃないの?

秦穆で有名な故事は、
蛮人に馬を喰われたけど許したら
後に晋と戦った時に助けてもらったってのと
羊の皮五枚と交換百里奚しか知らないなあ。

てか、その>>1さんが言ってるオカルトな話を知らないので
なんともいえないのですが・・・

828 :317:2006/12/18(月) 08:18:36
探したらこのサイトに詳しい説明あった
http://www5c.biglobe.ne.jp/~sikaban/

http://www5c.biglobe.ne.jp/~sikaban/sanryou.htm
黄鳥は詩経秦風の「黄鳥」も押さえた上で読み取ってねということか…orz


829 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/18(月) 11:08:13
>>827
「大平記」「菊慈童」でググったらあったよ。
曹丕らしいオカルト話。中国での出典は何処なんかね?

830 :829:2006/12/18(月) 11:09:43
「太平記」ね

831 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/18(月) 17:58:20
菊慈童(きくじどう)
三国志で有名な魏の曹操の長男曹丕は自ら即位して文帝と名乗る。その時代の話。
山から流れ出る薬の水の源を訪ねよとの勅命を受けた探検隊は、山奥の藁屋に少年の姿の仙人を見つける。
七百年前、周の穆王の枕を誤ってまたいだ罪でここに流罪となった慈童は、形見に賜った枕に書かれた観音鬱普門品の一節を菊の葉に書き写し、そこから滴る露が薬となって長寿を得たと帝にそれを捧げ、一同にも振る舞って庵に帰るというめでたい曲。
ttp://www.nohbutai.com/contents/05/02ka/2kikujidou.htm

832 :まとめサイト ◆XoQX5vgfQU :2006/12/18(月) 19:05:11
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
ここまでUP

833 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/18(月) 21:41:03
周の穆王って崑崙山で西王母に会ったって話が残ってる人だよね
神話の色濃い時代だから、そんな話も残ってるんだろうね


834 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/19(火) 02:59:47
確かに秦の穆公は何度も周を攻めてるが秦穆≠周穆じゃないかな?
太平記の周穆話が何を基にしているか定かで無いので判らないが

835 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/19(火) 04:19:47
腐女子乙

836 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/19(火) 04:39:07
……誤爆?

837 :1(ry:2006/12/19(火) 05:36:49
>>828
なるほどー。伊藤先生の『曹植』でもそういう解釈になってるみたいですね。
新字源を引いてみたら、詩経の小雅に黄鳥という編があるんですね。これかな? いちおううpします。

『黄鳥』(詩経:小雅-鴻雁之什より)
黄鳥黄鳥、無集於穀、無啄我粟。此邦之人、不我肯穀、言旋言帰、復我邦族。
黄鳥黄鳥、無集於桑、無啄我粱。此邦之人、不可与明、言旋言帰、復我諸兄。
黄鳥黄鳥、無集於栩、無啄我黍。此邦之人、不可与処、言旋言帰、復我諸父。

>>826-827,>>829-831,>>833
Thxです! そうか、菊慈童の穆公は周の穆天子伝の穆公満で、
曹植たんの三良詩の穆公は、秦の西戎の穆公籝なんですね。やっと理解orz

自分も『太平記』がなにを底本として引用しているのかは知らないのですが、
700年前の王様に仕えた少年がまだ生きてるという噂をきいて、捜索隊を出す曹丕はすごいですねw。
今でいったら、北条時宗公の小姓が九州の山奥にいるから探そう、みたいな話ですね。
しかも、せっかく見つけたその仙人少年(?)から始皇帝のように不老不死の秘訣を
得ようとするわけでもなく、宴会だけしてお土産持たせて帰しちゃうって、
さすが皇帝に即位してすぐに「自古及今、未有不亡之国」とか詔した人だなぁ……w
でも、あまりその長寿の菊澪はききめがな(ry

>>835-836
菊慈童が穆公に寵愛されていたけど、穆公の枕を踏んづけて追放=やおい?
>>226-228さんによると、「うほっ」なような気もしますが……
でも仙人とか神話のファンタジーな世界はやおいになる?
ただの小間使いだったとか、親愛の情を深めるための>>220的習慣だった気もしますがw
あまり三国時代から離れると板違いになるので、とにかく菊慈童はうっかり枕を跨いじゃったということで……

838 :1(ry:2006/12/19(火) 05:40:54
×籝→◎贏 です。字が潰れてよく見えないorz

839 :226:2006/12/19(火) 07:51:09
真面目にレスせんでええわてwwwww

話戻すと、秦穆なら曹丕から700年前だけど
周穆は1000年位前じゃない?
太平記は700年としてるの?

840 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/19(火) 07:53:26
>>837
いちおう訂正
>菊慈童が穆公に寵愛されていた
穆公じゃなくて穆”王”ですよー
周はずっと王です。公じゃありません

841 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/19(火) 08:12:44
混乱の元は「周穆公」が「700年昔」に「菊慈童を寵愛した」と書いている太平記か…太平記は何処まで宛になるんだろう

842 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/19(火) 16:45:41
全くアテにならんだろw

843 :1(ry:2006/12/19(火) 22:16:44
太平記を盲信していますた(゚∀。)アヒャ
年末に読みなおして調べてみますorz

844 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/20(水) 17:04:17
周穆と菊慈童の中国の大元の出典て何処なの?その逸話知らんかったYO

845 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/21(木) 20:15:09
age

846 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/22(金) 15:12:13
いつもROMらせてもらってます。
時代背景が見えてきてとても楽しい。

847 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/22(金) 15:21:53
>>837
小雅の方にある鴻雁之什の「黄鳥」ではなく国風の方にある秦風の「黄鳥」

黄鳥.哀三良也.國人刺穆公以人從死.而作是詩也.

交交黄鳥.止于棘.
誰從穆公.子車奄息.
維此奄息.百夫之特.
臨其穴._惴惴其慄.
彼蒼者天.殲我良人.
如可贖兮.人百其身.

交交黄鳥.止于桑.
誰從穆公.子車仲行.
維此仲行.百夫之防.
臨其穴._惴惴其慄.
彼蒼者天.殲我良人.
如可贖兮.人百其身.

交交黄鳥.止于楚.
誰從穆公.子車鍼虎.
維此鍼虎.百夫之禦.
臨其穴._惴惴其慄.
彼蒼者天.殲我良人.
如可贖兮.人百其身.

848 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/23(土) 04:25:38
面倒なので序文と最初の一章だけ
<訓読>
黄鳥は三良を哀しむなり。國人 穆公の人を以って死に從わしむるを刺(そし)り.
而うして是の詩を作るなり。

交交たる黄鳥、棘に止まる
誰か穆公に從う、子車奄息なり
維れ此の奄息は、百夫の特
其の穴に臨みて、惴惴(ずいずい)として其れ慄(おのの)く
彼の蒼たる者は天、我が良人を殲(つく)す
如し贖(あがな)うべくんば、人 其の身を百にせん

<訳>
黄鳥は三良を哀しむ詩である。穆公が三良を殉死させたことを秦の國人が風刺して
この詩を作ったのである。

交交と(小さい)黄鳥が、(自由に往来して)棘に止まって安息している
穆公の死に従ったのは誰か、子車氏の奄息だ
この奄息は、百夫の英俊
秦人は彼の墓穴に臨んで、恐懼して慄然とする
蒼蒼たる天よ、穆公はわが国の善人をみな殺してしまいました
もし贖うことができるなら、わが国の人はその身を百回殺して捧げましょう

曹植の三良詩の
「臨穴仰天歎」
が、
詩経の
「臨其穴._惴惴其慄.
 彼蒼者天.殲我良人. 」
に対応しているみたいだね

849 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/24(日) 16:00:13
「菊慈童」「彭祖」
まさか曹宇たんじゃあ…((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル

850 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/25(月) 14:35:42
曹宇たん?なんで?

851 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/25(月) 22:20:28
ググってみたら能楽の話か。
彭祖は曹宇の字だが、田豫の息子もそんな名前だな。

852 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/26(火) 22:44:38
中国の文献には残ってないのかね?
日本の能楽にしか残ってない逸話なのか…

853 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/27(水) 18:13:39
江戸の日本人の創作話?

854 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/28(木) 09:58:16
話豚切り失礼。
ジュンイクスレでの曹植タソが仏教徒だという件について

855 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/30(土) 11:20:37
師走は忙しいのかな

856 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/30(土) 12:05:34
1氏はUDスレでインフルエンザで寝込んでたよ
俺は帰省中。良い新年を。

857 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/30(土) 19:09:28
>>1さん……
ゲンキダシテ(´・ω・`)つ【梨】

858 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/30(土) 19:51:34
インフルエンザで死ぬ人もいるから皆気を付けてね。
私もこれから帰省します。
また来年宜しくね!

859 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/01(月) 00:20:27
あけましておめでとう(・∀・)
今年も楽しく勉強になるスレを期待してます。

860 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/01(月) 02:03:06
おめでとうございます。
基本ROMですが今年も楽しみにさせていただきます(゚∀゚ )ムッハー


>>345
>それじゃ正月前には、馬超伝の「めでたくなんかないもん!」のところをやりましょうか……

これが激しく気になる件
1さんの解説読みたいお


861 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/01(月) 09:16:04
>>336
もう少し寒さが深まったら・・・


も期待してますお

862 :1(ry 【中吉】 【1507円】 :2007/01/01(月) 18:43:55
どもです、新年おめでとうございます。昨年は大変お世話に(ry
みなさんもインフルエンザには気をつけてください……あやうく涅槃(ry

>>857
こないだ北京へ行く用事があったので、ついでに露店でやたらと売ってる梨を食ってみますたが
甘くて水気が多く、大陸で乾燥した喉にはたいへん(゚Д゚)ウマーですた。
でも、やっぱり歯ごたえはシャクシャクしていて、洋梨のようにフカフカではなかったです。
みかんも甘くて(゚Д゚)ウマーですたw
http://p.pita.st/?m=sheghdrs

863 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/04(木) 07:49:39
あけましておめでとうございます!
みなさん今年もよろしくお願いします(・∀・)


>>1 さん
インフルエンザは大丈夫ですか?

中国行けるなんてウラヤマシス…
梨と蜜柑の写真見てたらよけいに行きたくなりますた。

864 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/04(木) 13:45:19
登古鄴城 岑參
下馬登鄴城
城空復何見
東風吹野火
暮入飛雲殿
城隅南對望陵臺
漳水東流不復回
武帝宮中人去盡
年年春色為誰來

865 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/04(木) 15:03:40
1さん大丈夫かな?ましゃかSARSか鳥インフルで略

866 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/05(金) 12:38:16
いつもいつも>>1氏ばかりに原文から訳まで全部任せるのは
負担がかかりすぎる気がするので、
僭越ながら「苦寒行」の原文と訓読のみうp
訳と解説は>>1氏にお願い

苦寒行  魏武帝

北上太行山、艱哉何巍巍
羊腸阪詰屈、車輪爲之摧
樹木何蕭索(瑟)、北風聲正悲
熊羆對我蹲、虎豹夾路啼
谿谷少人民、雪落何霏霏
延頸長歎息、遠行多所懐
我心何怫鬱、思欲一東歸
水深橋梁絶、中道(路)正徘徊
迷惑失故路、薄暮無宿栖(暮無所宿栖)
行行日已遠、人馬同時饑
擔囊行取(采)薪、斧冰持作糜
悲彼東山詩、悠悠使我哀

867 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/05(金) 12:43:37
北のかた太行山に上る、艱(けわ)しきかな何ぞ巍巍たる
羊腸阪は詰屈(きつくつ)たり、車輪 之が爲に摧(くだ)く
樹木の何ぞ蕭索たる、北風の聲は正に悲し
熊羆は我に對して蹲(うずくま)り、虎豹は路を夾(はさ)んで啼く
谿谷には人民 少く、雪 落つること何ぞ霏霏たる
頸(くび)を延ばして長歎息し、遠行 懐(おも)う所 多し
我が心の何ぞ怫鬱(ふつうつ)たる、思いは一に東歸せんと欲っす
水は深く橋梁 絶え、中道にて正に徘徊す
迷惑して故路を失(しっ)し、暮に薄(せま)りて宿栖(しゅくせい)無し
行き行きて日 已に遠し、人馬 時を同じくして饑う
囊(ふくろ)を擔(かつ)ぎて行きて薪を取り、冰を斧(き)りて持ちて糜(かゆ)を作る
悲しきかな 彼(か)の《東山》の詩、悠悠と我をして哀します

年末に本屋で中国語訳を見つけて買って、大晦日に読んでたのだが
暖房の無い下宿で一人寂しく年を越した俺には辛い作品だったw

868 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/05(金) 22:35:17
文章はチンコの大業にして不朽の盛事なり

869 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/06(土) 01:41:45
まとめサイトに日本語おすすめ本があるけど
みんな中国語の本読んでるの?中国語おすすめ本情報もキボンです

870 :1(ry:2007/01/06(土) 02:23:08
新年おめでとうございます(`・ω・´)
スレを放置して寝込んでいますたorz orz orz
はじからやっつけていきます。注)太平記はまだ読みなおしてないですorz

>>847-848
Thxです! ほんとだ、そっちを踏まえているのですね。
中華書局の『三曹詩選』だと、建安16年(211年)に曹植たんが秦の地に西征したときに、
そこで秦穆に殉じた三人について詠んだ作としてあるみたいですね。

>>849-853
曹宇たんだったら((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル
菊慈童の件は、そのうちゆっくり太平記をあたってみます……

>>854
ぜんぜん知らないので調べてみるます(`・ω・´)

>>860
おお、これは蜀書馬超伝の裴注で、馬超の側室の弟である董チュウという人が
年始の挨拶にいったら、曹操に一族を皆殺しにされた馬超が
「超搥胸吐血曰、闔門百口、一旦同命、今二人相賀邪
(馬超は胸を叩いて吐血して曰く、一族の百人が一日で命を同じく(無く)したのに、
今二人でともに年賀など祝えるものか)」と憤慨したというところですね。
こうやって助字がはいっていない文章には、なんとなく切迫感がありますね。
しかしこのへんの背景は馬超スレにいったほうがよさそうなので自粛しますが、
「三族皆殺し」というと妻の一族も含むらしいのに、この董チュウという人はなぜ生き残ったのでしょうね。
お姉さん(董氏?)と馬超の間には子供がいなかった=妾=妻ではない=殺されなかった、という話でしょうか?
姉を曹操に殺されていたら、この人も年始の挨拶になど来られないでしょうから、お姉さんは助かったのかな……

871 :1(ry:2007/01/06(土) 03:03:46
>>864
岑参たんキター!!(AA略 Thxです!

(書き下し、適当ですお……)
古(いにしえ)の鄴城に登る  岑参
馬を下りて鄴城に登る
城は空にして復(ま)た何を見ゆ
東風は野火に吹く
暮に飛雲殿に入る
城の隅より望陵臺は南に對し
漳水は東に流れ復び回(かえ)らざる
武帝の宮中より人は盡(ことごと)く去る
年年、春色は誰(た)が為に来る

(訳、適当ry)
「馬をおりて鄴のお城に登りました。
お城はからっぽで、もうなにも見ることはできません。
東風が野火(指の燐が光る火=鬼火)を吹いてゆきます。
日が暮れてから、飛雲殿(鄴の宮殿=銅雀台のひとつ)に入ってみました。
お城の一隅から望陵臺(銅雀台)が南に対しており、
漳水(今の漳河)は東に流れて、ふたたびかえりません。
曹操の宮中の人は、もう誰もいなくなってしまいました。
毎年、春の色めきは誰のために来るのでしょうか」

これは岑参が739年に、三国時代に銅雀台のあったギョウに行ったときの作だそうです。
ギョウは随の楊堅が焼いてしまったので、岑参が訪れたときには廃墟だったのですね。
曹操は、岑参のときにすでに500年ぐらい昔の人だったので、
今でいえば、韮山城を訪れて北条早雲をしのぶような感覚でしょうか。

872 :1(ry:2007/01/06(土) 03:41:38
>>861,>>866-867さんthxですワーイ!!! 今日は究極に眠いので、あした(ry
今年はずいぶん暖かいようですが、やっぱし寒さは自分も身にしみます……orz

>>868
ピンインだと、経国=チンクォなんですよね(´・ω・`)

>>869
ええと、自分はいつも中華書局の『三国志』全五巻(繁字)を参考にしています。
あとは、文選とか世説新語へんは明治書院、十八史略は徳間書店に中文・日本語対応のいいやつがあるので、
中国語で読むのは商務印書館の『全三国文』(簡字)とか、
中華書局の『晋書』(繁)、『資治通鑑』(繁)、『魏晋文学要』(繁)、『先秦漢魏晋南北朝詩』(繁)、
『三曹詩選』(簡)、広文書局の『曹子建詩箋』(繁)、上海古籍出版社『藝文類聚』(繁)ぐらいです。
ややこしいので、大して真面目に読んではいないのですがorz

あと、年末に中国にいったときに『魏晋四言詩研究』(崔宇錫、巴蜀書社)というのを
見かけたので買ってみますたが、これは繁字で読みやすいのでwktk(0゚・∀・)

873 :866:2007/01/06(土) 13:44:20
>>1氏復活おめ
別にすぐに訳せという意味でうpしたわけでは無いので
無理をなさらずに

自分が買った本は『昭明文選注析』(三秦出版)
簡体字で文選所収の作品の抄訳(全訳じゃない)です。

主に唐以前の漢文籍を中心にいろいろ集めてます
読む暇(ついでに学力もw)が無いので文字通りの
コレクションですが

このスレを知ってから三国時代前後の漢文資料の
蔵書が急に増えましたw

874 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/07(日) 11:14:57
では、>1さん完全復活まで保守代わりに。
「陳琳墓」       温庭筠
曾於青史見遺文 今日飄零過古墳
詞客有霊応識我 覇才無主始憐君
石麟埋没蔵春草 銅雀凄涼起暮雲
莫恠臨風倍惆悵 欲将書剣学従軍

曾て青史に於て遺文を見る
今日飄零して古墳を過ぐ
詞客霊あらば応(まさ)に我を識るなるべし
覇才主無くして始めて君を憐む
石麟埋没して春草に蔵し 銅雀凄涼として暮雲起る
恠(あやし)むこと莫れ風に臨んで倍(ますま)す惆悵することを
書剣を将て従軍を学ばんと欲す

※石麟=墓の側に置かれる麒麟像のこと。

875 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/07(日) 11:16:34
おまけ:景福殿の賦の読み下し文 >>459の部分だけ
景福の秘殿を立て、皇居の制度に備う。
爾して乃ち層覆の耽耽たるを豊にし、高基の堂堂たるを建て、
疏柱の汨越たるを羅(つら)ね、坻鄂の����たるを粛む。
飛櫩翼のごとく以て軒翥し、反宇䡾(けつ)として以て高く驤(あが)る。
遠くして之を望めば、朱霞を摛(の)べて天文を耀すが若く、
迫くして之を察れば、崇山を仰いで垂雲を載するが若く。
爾して乃ち南端の豁達たると開き、筍虚の輪豳たるを張り、
華鐘杌として其れ高く懸り、悍獣仡として以て儷び陳(ならびつらな)る。
爾して其結構は則ち脩梁彩制あり。
下は褰上は奇、桁梧復畳して、勢合い形離れ、
赩たること宛虹の如く、赫たること奔螭の如し。
皎皎たる白間、離離たる列銭あり。
晃光内を照し、流景外に烶(て)る。
金楹斉しく列りて、玉舄跋を承け、青瑣銀鋪、是を閨闥となす。
温房その東序を承け、涼室その西偏に処り、
建陽を開けば則ち朱炎艶(うるわ)しく、金光を啓けば則ち清風臻(いた)る。
清露瀼瀼として、淥水浩浩たり。
樹うるに嘉木を以てし、植うるに芳草を以てし、悠悠たる玄魚、㿥㿥たる白鳥。
爾して乃ち文るに朱緑を以てし、飾るに碧丹を以てし、
点ずるに銀黄を以てし、爍るに琅玕を以てし、
光明熠爚として、文彩璘班たり。
清風萃りて響を成し、朝日曜いて鮮を増す。

876 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/07(日) 12:07:18
早々に訂正
垂雲を載するが若「く」。→垂雲を載するが若「し」。
南端の豁達たる「と」開き→南端の豁達たる「を」開き
儷び陳(ならびつらな)る→儷(なら)び陳(つらな)る
爍る→爍(かざ)る
清風萃りて→清風萃(あつま)りて

>459は短縮版のようで、フルバージョンの読み下し文を
載せる気力はさすがになかったです。

877 :1(ry:2007/01/08(月) 00:34:39
皆さんどもであります(`;ω;´)
とりあえず、>>871を訂正
×飛雲殿(鄴の宮殿=銅雀台のひとつ)→◎飛雲殿(鄴の宮殿のひとつ)
たぶん、宮殿(鄴城)には○○門とか△△殿みたいに建物がいっぱいあって、
飛雲殿も銅雀台もそのなかのひとつですよね。

あと、この作は上海古籍出版の岑参集校注で「野火=指燐火、也称鬼火」と注がついていたのですが、
曹植たんの吁嗟篇の「秋随野火燔」は鬼火の話ではないですおね……(((( ;゚Д゚))))ガクガクブルブル

>>873さんthxであります!!(`;ω;´)
>>866『苦寒行』(曹操)の訳です(適当ですお……)
「北のかたにある太行山に登るに、山々はけわしくそびえ立ち、何と苦しいことか。
羊腸阪は(羊の腸のように)やたらと曲がりくねり、車輪はこのためにくだけてしまった。
木々はものがなしいさまで、北風が悲声にうなり吹きつける。
熊やひぐまが私をみつけてはうずくまって隠れ、虎や豹は道をはさんで鳴いている。
渓谷には人も少なく、雪がひどくはげしく落ちてくるではないか。
頸をのばして深い溜息をついて嘆き、遠征にあたる多くのことをおもう。
私の心は固くふさぎこみ、いっそ東の故郷へ帰ってしまいたくなる。
川の水は深く、橋は途中でなくなってしまい、道半ばにして本格的に迷ってしまった。
どうしたらよいのか分からなくなったが戻る道もわからず、夕暮れがせまるのに泊まる宿もない。
行けども行けどもしてもう何日も経ち、人も馬も同じく飢えてしまった。
ふくろをかついで薪をとってきて、氷を切りだしてきて粥を作ってみた。
かの偉大な周公が遠征に苦労した悲しい東山詩を思い、私の心は限りなく憂い哀しい。」

878 :1(ry:2007/01/08(月) 00:47:55
>>877つづき
ちょっとだけ解説(ご存知のかたは飛ばしてry)……
この作は、建安11年(206年)の正月(新暦の二月)に、前年に曹操に叛旗を翻した
袁紹の甥である高幹の討伐に赴いた際に詠んだものだそうです。
200年に官渡の戦いに勝った曹操に対し、并州にいた高幹は袁紹の息子たちや涼州馬氏、
モンゴル人勢力などと同盟を結んで巻き返しを図ろうとしたのですが、
曹操に寝返った(?)馬騰の命で出陣した馬超にやぶれ、一旦は曹操に降伏したのですね。
しかしその後、再び反乱を起こしてギョウを襲い、今度は同盟者が得られずに、
206年に曹操自ら率いる軍勢に捕らえられて殺されたそうです。これはその高幹討伐の際の話ですね。
太行山というのはいまの山西、河南、河北3省の境にあり、山頂の標高は2000m程度で、
山肌は花崗岩の切り立った断崖ででき(脆いんだろうな……)、華北平原から山西高原に入る要所だそうです。

官渡から烏丸にかけての曹操の劇的な快進撃は、いまとなって歴史書に読むぶんには
まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの鮮やかさで、すごいぞ曹操! という感じですが、
じつはこんなに雪中行軍でみじめに苦労していたんだなぁ……と思うと涙涙です。
なにしろ、205年に曹操はもう51歳なのですから、それがこんな辺境(失礼)の山中で
道に迷ってうろうろし、雪にまみれ、食うものもなく、部下に指事を求められてもどうしていいか分からん、
首をのばしていっそ家に帰りたくなってみたりしていたのかと思うと、うう涙が……w。
(しかも中華書局の解題をみていたら、「水深橋梁絶」という部分は
濁流に橋が流されて途中でなくなってしまったという解釈らしく(((( ;゚Д゚))))ガクガクブルブル)。
華北を統一し、ギョウに銅雀台をつくり、権勢をふるってかっこよく活躍していた曹操の裏にはこんな苦労がウエーン
曹操は、こういう英雄的でかっこいいんだか惨めな苦労話なんだか分からない作を
書きたいままに書いてるところがかっこいいと思いますw。しかし四言詩のうまい曹操が書いた五言詩は、
素朴というか独特の古めかしい感じなのが、題材と相まって謎の威厳を感じさせるように思いますw。

ちなみに、東山というのは詩経の豳風にある『東山』という四言詩だそうであるます(長いので、またこんど……orz)。

879 :1(ry:2007/01/08(月) 01:04:00
>>874
Thxです!!! 温庭キン&何晏デカダンズキターヽ(・∀・)ノ ……訳は近日中に(ry
>>459は短縮版だったのですねorz そのうちフルバージョンも探してみるます(`・ω・´)
陳琳の遺文というのは読んだことがないです。探してみよう。

>>873

自分はこのスレを見はじめてから、全三国文と芸文類聚を読みはじめますた(斜め読み)。
簡体字が苦手なので、台湾製の工具書の繁簡対応索引が大活躍であります(´・ω・`)デモメンドクサイ

880 :1(ry:2007/01/08(月) 01:14:00
>>879
どうでもいいんですが(よくない)、温庭キンの間違い。先生済まんですおorz orz orz

881 :1(ry:2007/01/08(月) 01:16:17
温庭イン(ry


  <⌒/ヽ-、___
/<_/____/ 寝る……

882 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/08(月) 03:18:43
>>879
>商務印書館の『全三国文』(簡字)
これは持ってないけど、清朝の厳可均編集のやつかな?

ご存知かもしれないが知らない人のために解説しておくと
厳可均は唐より前の「文」を収集して
『全上古三代秦漢三国六朝文』という文集を編纂
で、この『全上古三代秦漢三国六朝文』の中が時代別にわかれていて
『全上古三代文』に始まり『全秦文』…と王朝別に名前がつけられていて
『全三国文』はその一部。

『全上古三代秦漢三国六朝文』は著作権の切れている書物なので、
いろんな出版社から活字に組みなおしたものだの原本の影印だのCD-ROM版だのが出てる
また>>1氏所蔵のもののように各時代のが分売もされてるみたい
ちなみに自分は中文出版社からでている影印本(断句あり)でもっています

そして三国時代ゆかりの人物の文に関しては、没年の関係から
『全後漢文』『全晋文』に収録されている場合があるので注意
陳琳の文章も『全後漢文』に収録されている

883 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/08(月) 12:02:02
苦寒行キタ━(゚∀゚)━!
曹操ファンとしてずっと待ってました。

やっぱりいいな。もーとくすてきだなあ
曹操の詩を見るに付け、
己が見極めた路をがむしゃらに突き進んだ、どうしようもなく素直な人だと思う

884 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/08(月) 22:58:30
北海道民の俺には身に染みる詩だ(つд`)

885 :1(ry:2007/01/09(火) 01:18:07
>>882
Thxです! 厳可均のやつの時代別であります……ヴァー全後漢文持ってないですorz orz
はじめにバラバラで全随文・先唐文、全後周文、全北宋文と全上古三代文を持っていたので、
去年全三国文を買ってみたのですが、晋と後漢はどうせ読み終わらないと買わず(鬱)
影印本は高いのと、読むのが大変そうだから活字のほうがいいや〜と思って買いませんですたorz
もしこれから買う予定の方がいたら、けちらずに影印のを求めるべきでありますねorz

そうだ、上海古籍出版『温庭イン詩選』の「陳琳墓」注をみればOK(・∀・)!
とおもったら、そこから3ページ落丁で見られず……orz orz orz
最近の中国の本はびっくりするほどきれいですが、やっぱり落丁には注意がorz

>>883-884
曹操の作は、曹操の頭の中丸出しみたいに見えて、自分には関係ない大昔の中国の英雄オサーンなのに
なんだかやたらと共感できて、読んでいてとても楽しいですw。
彼は天性の詩人ですね。自分は魯迅の曹操評がとても好きなので、
>>426-427さんが教えてくださったサイトから、抜粋訳をコピペして貼ってみます。↓

886 :1(ry:2007/01/09(火) 01:18:42
 『魏晋の気風および文章と薬および酒の関係』(魯迅)より
「……曹操自身にしましても、文章改造の先達の一人であったのですが、惜しいことに彼の文章は
大へんわずかしか残っていません。かれは肝ッ玉の大きい人でありますが、文章は通脱によって
力を得ているところが多いのです、また文章を書くときも気がねをしないで、書きたいことをそのままに書いています。
ですから曹操は人才をあつめるときにもこういいました、不忠不孝はかまわぬ、ただ才能さえあればいいと。
これは他の人ではどうしてもいえない言葉であります。曹操の作った詩のなかに
「鄭康成は酒をのみ、地に伏して気絶す」というのがありますが、ごく時代の近い事実をもち出しているのです、
これも他の人にはどうしても真似のできないことであります。もう一つこういうこともあります、
たとえば人は死ぬ前に遺言を書くもので、それが有名人にとっては大へんモダーンなことであったのです。
その頃の遺言には一定の形式がありましたが、また死んだらどこそこへ埋めろとか、誰それという名士の墓の側へ葬ってくれとか、
いろいろ書いたものであります、ところが曹操だけはそうでなかった、彼の遺言は形式に従っていないばかりか、
その内容も残った着物と妓女(専属の女楽士)をどう処置するかといった問題にまでふれているのです……」

887 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/09(火) 03:52:05
>>874
とりあえずこんな感じに訳してみた。
訂正歓迎

六句目は自分のみたテキストが
銅雀荒涼對暮雲
になっていたので、それに従った

かつて史籍において(陳琳の)遺した文章を見、
今 あての無い旅の中ふらりと(陳琳の)古びた墓に立ち寄った
文才ある君(陳琳)に霊魂が有るならば(陳琳と同じような境遇=覇才無主 にある)
私(温庭イン)を知るべきだろう
(私=温庭インも)才能がありながらそれを正当に評価してくれる主君がおらずして
初めて君(陳琳)を憐れんだのだから
墓の側に置かれた麒麟像は埋もれて春の草に隠れ、
銅雀台は荒涼と(荒れ果てて)暮雲に対している
風が吹くにつれて失意を増しても怪しんでくれるな
(文才を自任しながら)書・剣を携えて従軍せんことになろうとは

888 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/09(火) 07:55:01
>>886
なんて素敵な評なんだ( ´∀`)

889 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/10(水) 19:04:57
孟徳かこいいよ孟徳

890 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/10(水) 20:55:30
次の人が答えれスレは新しい個人情報スレ?

891 :無名武将@お腹せっぷく:2007/01/11(木) 05:42:26
1月10日は曹爽の命日だったらしい

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