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【義のために】直江兼続を語るスレ3【愛のために】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 07:28:16 ID:eavDxr76
<´ ̄ ̄ヽ. 
 〉 .ロ===}
/=/〉´Д`)
 |ゝ∪ ∪ 
 と__)__)


【義】【義】直江兼続を語るスレ 2【愛】【義】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154492224/
【愛の戦士】 直江兼続を語るスレ 【無双に見参!】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137033419/

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 07:57:10 ID:5Dsqrb0s
( ´゚ω゚` )

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 23:55:37 ID:j0AlbYZ8
3

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 20:29:35 ID:/09H9O76
4様

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 11:29:36 ID:esi4KNEN
           ∧ ∧          ゝ、  丿 ((   ) ) 丿  
            ( ´・ω・)         (  )( )/⌒ヽ ( (丿
          /    \          ( )((/ ;`Д´ )丿 ) )
         | r     r.\__  n   。(,..。.| ゚。  / o.._ノ    
         l |    |\___⊂(⌒)二| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| 
         | |    |        ̄ 从\从从从从从 /从

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 12:53:03 ID:iIWx8c6f
愛だろ!愛!

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 21:41:20 ID:EmE1ZK8w
とりあえず直江スレたったので挨拶させていただきますね

本多正信
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150550709/l50
【豪】本多政重【傑】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150189191/l50

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 23:21:12 ID:+ePBKVkx
前の>>991
今の直江津港あたりを直江荘といったので,
江戸時代になってその辺の庄屋になった人とか,
土着農民とかが,明治になって直江と名乗った可能性もあるな。


9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 06:42:58 ID:5f6yakj7
sgh

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 21:49:40 ID:Hj8ecm6G
>>1
正義の将には神武が宿るのだな!

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 17:30:56 ID:8LMOyLsM
>>1
スレ立て乙です!
直江スレも、もう3か。早いな。

12 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 01:15:36 ID:1/p38iDB
兼続スレって他の武将スレに比べて流れが早いよな

13 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 20:08:11 ID:cFFuwvg6
なんだかなあ

14 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 20:26:50 ID:h859QK2a
  愛
(´・ω・`)
文句あんのか?ヤっちゃうぞ!コラァ!

15 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 05:14:27 ID:4KH8RKWZ
直江兼続=レイ(南斗水鳥拳)

16 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 10:35:25 ID:Y8g1st/1
偽善は栄えない、ってことね

17 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 15:46:03 ID:zakQ85X1
http://viproom.heartring.net/log/vipper1700.jpg

18 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 01:47:38 ID:DSethS28
直江と伊達家の片倉景綱ってどっちがすごいの?

19 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 02:44:36 ID:7adKvOcs
>>18
評価基準を出せよ

20 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 14:35:02 ID:BksGF9Bb
>>17
直江のマネ?直江の末裔さん?

21 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 18:03:56 ID:ZkwnmMlM
>>18 すごさでいったら直江でしょう。 主家が領土没収され て、自分の治地を主家に与えたんだから。小十朗も政宗がそういう立場に陥れば、直江と同じことをしたかもしれないけど、実際にしたという事実があるだけに、すごいと思います。
小十朗にはない他の大名に対しての突っ張る様が魅力。

22 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 18:24:15 ID:jtoUF7b7
前田慶次郎と友達だったのはマジなんすか?

23 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 18:42:28 ID:ZkwnmMlM
>>22 ものの本によるとそうらしいですね。
幕末でいったら高杉と坂本みたいな‥
シーズン的には堀部安兵衛ってとこですか。
歌舞伎心があるところなんざ現代のローカルで、ロカビリーに興じる若者達に似ていますね。そんな清々しさと、愛の前立て物の兜を冠った戦鬼の大河ドラマを見てみたいのはきっと私だけでしょうね。

24 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 18:49:30 ID:jtoUF7b7
花の慶次も嘘ばかりじゃなかったんだ
サンクス

25 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 19:28:12 ID:ZkwnmMlM
>>24 利まつでは、甥の慶次朗のこの辺をどう描写していたかはちゃんと見てなかったのでわからないけど、1600年に上杉軍が最上を攻めたとき『穀蔵院ひょっとこ斎』と名乗って名馬『松風』に乗って参上。しかしこの合戦では苦戦を強いられ、直江は撤退を決断する。
直江の兵力3000 最上勢二万。
『上杉将士書上』によると、最上勢の猛追に直江はもはやこれまでと自刃を決意する。
これを慶次朗が止める。
『言語道断。大将ともあろう人間がそんなに心弱くてどうする。せっかちな野郎だ!俺に任せて少し待っていろ!!』といって、水野、藤田、韮塚、宇佐美等とともにとって返して最上勢を追っぱらった。
関ヶ原の戦いの後、諸大名達がこの武勇伝を聞き付けて、高禄で召し抱えようとしたらしいけど、すべて拒否。
その後わずか500石で直江のいる米沢の上杉家に移り住む。

慶次朗恰好良すぎ(-。-;)

26 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 19:39:34 ID:jtoUF7b7
>>25
それ、漫画のままじゃん!驚き!
慶次郎が勇猛だったのも本当の話だったんだぁ
サンクス

27 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 20:17:33 ID:ZkwnmMlM
>>26 こちらこそ改めて勉強になりますた(^_^;
資料は漫画じゃなかったけど、そのように記述されてます。
慶次朗の歌舞伎者は伊達じゃなかったというこですね。
こちらこそサンクスでした。

28 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 00:33:10 ID:vIAvRMKl
>>25
>直江の兵力3000 最上勢二万。

これは激しく間違いだろ。
最上・伊達勢のほうが兵力は圧倒的に少なかった。

29 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 10:41:23 ID:P03H/NsD
>>28
いや、そうでもないだろ
退却戦の殿の数の事を言っているのかと
退却戦の時は一部が殿となって戦うのが普通
でも最上軍2万はないわなw
最上全軍でも7千前後だし
伊達の援軍がどれくらい追撃に加わっていたのかは知らんが

30 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 13:01:49 ID:v6t9ZuYX
>>29
直江本軍が2万で殿が3千は多すぎるような気もする
確かに最上伊達で2万っていうのも無いな

31 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 18:17:44 ID:vIAvRMKl
最上軍は義光手勢が3〜4000人、長谷堂に1000人、伊達援軍が3000人だから、
全員が追激戦に加わったとしても最大7〜8000だな。
実際は細い街道追撃だから、正面戦力は数百がいいとこだろ。

32 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 18:29:03 ID:HuHqKQNl
穀蔵院飄戸斎
ひょっとさい であって ひょっとこ にあらず

33 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 19:26:02 ID:MFd/pNiQ
撤退戦にならないようにするのが総大将の直江の仕事でしょ
撤退戦になってしまってからは、直江の部下の武功
結局、直江に確かな武功ってあるのか?

34 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 19:55:13 ID:hhoJN3/v
>>33
何で戦をした事も無いのに、そんな偉そうなんだよ

35 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 21:27:13 ID:5XHH+OJd
直江スレが他の武将スレより流れが早いのって変なアンチが住み着いてるからなんだな。

36 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 02:31:06 ID:DnEZETEu
うむ。同じような内容なら2スレ目いらんよな。

37 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 00:30:57 ID:Xuincv6l
>>33
散々前スレで話したのに、くどい男だ。撤退戦に追い込まれる形になったのは
結局本戦があっけなく終わったからだろうに。そして、その撤退戦でも、直江
山城の働きはやはり大きかったろう。でなきゃ直江の名もあがるまい

38 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 14:22:04 ID:Hpr4ZvBT
>>33
おまいの論理だと源平の戦の富士川の合戦は鳥が倶利伽羅の合戦での武功者は牛になるのか?
安土城や大坂城や熊本城を建てたのは大工になっちまう


39 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 14:41:01 ID:fqDzAGaO
本戦で全てが決まるほど大事なら、上杉軍が東軍の西帰を阻止すべきだった
上杉にはその選択肢がありながらスルーしたわけだ
東西が泥仕合になって、その間に勢力を扶植しようと考えてたんだろう
当時としては一番確実だと思われた戦略だろうが、積極的に歴史の主導権を握る機会を逃したのは器量の限界としかいいようがない
普通に考えれば地道によくやったほうでは?

40 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 14:54:09 ID:Wrl7ha8C
四方敵に囲まれて北関東には上杉の総兵力を超える守備隊が残されているのに
上杉軍に家康の西進を止める選択肢があったとは驚きだ
みんなで国空けて万歳突撃でもするのか?
それとも守備隊残して小数で特攻か?

41 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 14:59:18 ID:fqDzAGaO
>>40
実際に撃滅できなくてもゲリラ的に後方を襲うか牽制するだけでも家康本隊の行動を掣肘することはできる
上杉方の史料にあるように景勝が「秀康なんか相手にできるか」と備えを退いたのはその観点から見れば失策でしょ
どの道、家康が西軍本隊を撃破すればいくら寸土を稼いでも最後は終わりだし

42 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 17:21:13 ID:9Wa2VP9Z
>>37
本戦とは関係なく考えても、勝てそうになかったけどね。


43 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 18:56:10 ID:921eMSlE
>>42
自分もそう思う。直江の指揮では、伊達の援軍がこなくても最上が勝っただろう。
山形も上山も落とせずに、雪が降ったんじゃないかな

44 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 20:27:40 ID:/POrMNwt
志村光安以下一千程度の長谷堂城を二万近くで攻めて落とせないぐらいだからなぁ
上杉家って強兵のイメージがあるけど個々の戦闘じゃ結構駄目なところもあるよね

45 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 20:31:35 ID:W7BIfY2d
守備戦闘なんてそんなもんだよ。守る側有利。
ゲームみたいに大軍で簡単に侵略できたら苦労しない。
特に城なんてのはいかなる大軍をうけても守れるように設計してある。
武田勝頼は一万五千の軍勢で長篠城を二ヶ月も攻め落とせなかったし、
そんな話しは結構ある。

直江はおろか、
信玄、謙信ですら、小規模、中規模の城を落せず撤退したなんて話しはゴロゴロ。
徳川も真田にやられてるし。

46 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 20:41:19 ID:hezfzAuB
まぁいずれにせよ不名誉な戦いな事は間違いないな。
最上を攻めた理由もいまいちわからんし。

47 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 20:51:36 ID:/POrMNwt
確かに信玄も謙信も城攻めでは結構負けや失敗があったな。厨なファンは無理矢理それを引き分けとか強弁するけども
臼井城や戸石城じゃ大敗もしてるし
そうなると敵の志村勢を誉めるべきかね?

48 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 21:01:06 ID:BoHGcgFk
当時庄内が上杉領で米沢が直江領で、
南北から攻めれば兵の少ない最上はあっさり滅ぼせるだろうからその後は伊達を牽制or共同で・・・
とか、最上に勝ったあとの事しか考えてなかったんじゃないかな

49 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 22:53:34 ID:a1UiZX4f
結局、この男にまともな武功など無く、
武功どころか確かな業績は文化事業だけじゃないかな
あとは、大藩のやる事業に出世した直江が乗っかっていただけ
ただの文官、ってことだろう

50 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 23:39:41 ID:SqrAX+iF
いくら守備側有利といっても、それは程度問題で、2万対1千じゃなぁ。
一般的には陣地攻略は守備側の三倍あればといわれてるし。
小城に撃退された例もあるけど、小城を攻略した例はそれより遥かに多いし。

小城に撃退された例だと、共通するのは例外なく守備側が戦上手だったことだ。
この場合も、義光の防衛戦略と志村・鮭延の戦闘指揮を誉めるべきだろな。

51 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 01:52:09 ID:eptZOsdR
なんか、直江スレって、やればやるほど直江の中身のなさが目立ち、最上が輝くな

52 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 02:11:22 ID:AHMDVEW9
その代わり最上スレは全然話が盛り上がらないけどな。

53 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 09:22:59 ID:TOBWydhq
長篠城の徳川勢はわずか五百だが。

54 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 09:48:18 ID:rLGyPYym
長篠城の場合は、城郭の改築と鉄砲の集中配備のお陰
一説には勝頼が家康をおびき寄せるために手加減して攻撃していたとか
実際のところ、小城でも強攻すれば犠牲が出るから家臣達はそういう攻めを好まない
例えば信玄の二股城攻めでも難渋すると合議制を持ち出して作戦を練ったりと結構微妙な舵取りを要求されていた

55 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 12:14:51 ID:Ig3GFQRF
そもそも城が簡単に落ちる方が稀。
魚津城の攻防戦は織田方3万に対し上杉方1千で3ヶ月間も戦いが繰り広げられた。
落城2ヶ月前には魚津城内の武器や食料はほとんどなくなっていて上杉方の兵は戦闘不能状態に陥っていたといわれている。
それに加えて魚津城は平城で長谷堂城より攻略しやすかったにもかかわらず織田方は力攻めを決行しても魚津城は持ちこたえた。
『大軍VS少軍=大軍が簡単に勝てる』と思ってる人間はゲームの影響を受け過ぎてるとしか思えない。



56 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 14:49:45 ID:TOBWydhq
直江じゃなくて謙信でも速攻で最上領制圧なんて無理だろ。

昔は一国取るのに何十年もかかったのが普通だよ。
大軍なら簡単に取れると思ってる奴こそゲームのしすぎ。

57 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 16:00:03 ID:aa4AhpOK
あとは秀吉の北条攻めを当たり前だと思っているところがあるな
あれで数が多けりゃ勝つなんて考える輩が多いんじゃないか

58 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 16:59:25 ID:AHMDVEW9
結局城攻めで一番重要なのは外部要因(後詰めの有無、天候・季節等)に
なっちゃうからな……数や策で落とせるなら苦労しねぇよな。

59 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 17:28:07 ID:VRFzY2St
>>56
そうだな。
信長が一気に越前になだれ込んで朝倉を滅ぼしたときも、朝倉は寝返りや降伏が
相次ぎ、ほとんど瓦解していた(させることができていた)というのも大きいし。
一国をあっという間にとるという発想はゲーム的かも。


60 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 17:48:05 ID:K9dLICsI
>>48 に賛成!
家康が小山で西に引き返して、伊達と最上に上杉攻めを命令されたけど、政宗は上杉と喧嘩する気なかったし、やる気満々だったのが最上でしょ。政宗は西の行方を見ていたかったのも事実かもしれないけど、西側が優勢だったら喧嘩したいのは最上だったろうね。
傍観してたら家康に叱られて渋々参戦ってところだから、伊達軍は本気じゃなかったってことかな。

61 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 18:32:12 ID:5sdwI4vl
>>60
そこが、関が原で数で上回り有利な布陣を敷いたから勝ったと思う三成同様の浅はかさだと思う
ちなみに伊達からの援軍で来た3000は上杉が撤退を始めて追撃戦に移るまでまったく戦わなかったらしい

62 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 00:31:24 ID:Gfb+VwU+
   愛
( ^ω^)

63 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 12:45:57 ID:Xba8GlOp
伊達と上杉はこっそり交渉を持っていたくらいだから
本戦の行方次第では連合してたかもね
結局双方のあては外れて、伊達は徳川への面目のためにしつこく攻撃を繰り返さなきゃならなくなったが

64 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 11:32:12 ID:ZTUT9GC0

確かに城を落とすのは簡単ではない
それを、調略をしたり、同時期の白石攻略のように虚をついたりして、工夫して落とすのが名将
大した準備もせず、力攻めで落とせると思った直江はやっぱり愚将ってことかな…

65 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 11:36:09 ID:zhk7WpgF
そりゃ上杉は120万石。最上はたった20万石強
普通なら勝負にならない

66 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 13:08:41 ID:4lryw/UE
>>64
長谷堂城を取り囲んで撤退しだすまで半月だろ
半月でなにができるかと
逆に簡単に落ちた畑谷城等を守っていた最上家の弱さが異常

>>65
関ヶ原の前哨戦ともいえる真田昌幸と徳川秀忠戦いはどうなるんだよ
250万石と15万石の争いだぞ
正確には徳川は家康と秀忠に別れていたので半分の125万石、真田は昌幸と信之とに別れていたから8万石で125万石と8万石の争い
それでも真田は勝った
短期決戦なら少数派側にも勝ち目はある


67 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 13:32:56 ID:gRYAVsXQ
>>64
それを言い出したら同じように攻めて城を落とせなかった武将は皆
愚将になってしまうわけで、単に普通なだけじゃねぇかという話に。

68 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 13:44:51 ID:MC+trFON
大軍勢で包囲して何ヶ月も落ちなかった例なんていくらもあるからな。
一つの城攻め(しかもわずか半月)でその将の実力は測れないだろうな。

69 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 14:51:44 ID:gYttFj9l
そもそも、城は簡単に落ちないってのが眉唾だけどな。
後世にまで名前が残る攻城戦は守備側の奮闘目覚ましかったものが多く、そういうの集めて
城は簡単に落ちないって言っても説得力なし。

こういう主張は、上田城や魚津城の攻城戦は、攻城戦としては当たり前のもんだって言ってるようなものだ。
上田城や魚津城、そして長谷堂も、守備側の奮闘目覚ましかったから、後世まで名前が残ってるんじゃねーか。

そして、畑谷城が弱いに至っては噴飯もの。
その畑谷城攻略で損害を出した上杉はさらに弱いんだな。
しかも、500の守備側に一度は撃退されている。
数の多さで勝てただけで、上杉ってのは戦ベタだな。

ってことになるぞ。その主張だと。

70 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 15:14:01 ID:vTtjKLus
>>69
簡単に落ちるってほうがマユツバだが、
簡単に落ちた城は守備側にミスがあったか、
政略や調略で骨抜きにされてかどっちかだ。

71 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 15:21:50 ID:gRYAVsXQ
>>69

同意。
そもそも記すだけの価値がないような場合は記されなかったのかも知れないという
可能性はある。

…ただし逆にいえば「かも」なんだから城が簡単に落ちる事は本当になかったのかも
しれない可能性も十分あるわけで。

史料を捏造したり脳内ソースや本人にしか分からん合理的推論で喚く事に比べれば
解釈そのものは多様としても「同一性を確認できるもの」を根拠にする方が議論の形
としては正しいと思う。

72 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 15:22:05 ID:vTtjKLus
そもそも
畑谷城は落とされ山野辺・長崎・谷内・寒河江・白岩の各城も上杉に落とされてる。
残ったのは長谷堂と山形だけ。
小田原の陣でも数ヶ月の戦いで最後かそれに近いまで粘り続けた城は何個かある。

73 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 16:14:10 ID:4lryw/UE
>>69
上杉が強いとか弱いとかじゃなく城攻めってのは月日がかかって当たり前
ひとつの城を10日やそこいらで落とせるなら力のある大名は5年くらいで天下統一できる計算になる
そんなペースで城を落とした人間なんていないだろうに
調略が得意だった毛利元就や武田信玄や豊臣秀吉とて敵の本城攻めとなると数年を要してる
半月や一ヶ月で城が落とせなかったから愚将といっている>>64こそ失礼だが愚かだ


74 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 17:24:39 ID:+7WZcjbV
直江の担当しなかった北方の庄内ルートからの攻撃では、寒河江等が割と簡単に落ちている

75 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 18:10:12 ID:gYttFj9l
戦力に大きな差が無いなら月日がかかって当たり前だけど、大きな差があれば全然当たり前じゃないし。
そこの所をごっちゃにして、主張してるんだよな、落ちにくい派は。

例えば関ケ原に例をとれば、主なもので伏見城、大聖寺城、岐阜城、大垣城、安濃津城や、九州では黒田如水により諸城が落城。
秀吉の四国攻めでも九州攻めでも諸城が落城という、いちいち城名をあげず、一括りにして語られている。
その中で、守備側の奮闘目覚ましかったものが、○○城攻防戦として後世に語られている。
そういう守備側が活躍した例だけ集めて、城攻めにてこずるのは仕方ないと主張している。
小田原攻めでもそう。>>72は一部の城は最後まで残ったと言ってるが、逆に言えばその他はみな落城したということ。

そりゃあ、城は防衛拠点として作られているので、守備側の防衛能力が上がるのは当然だが、だからと言って
攻略に何週間もかかるようになるかと言えば必ずしもそうではなく、攻防双方の戦力、戦い方によって左右され、
一概に城攻めだから月日がかかると言えるものではない。
そんな中、上田城や魚津城が讃えられるのは、普通なら落城するような状況で、守備側が奮戦したからだろ。
上田城や魚津城の奮戦は讃えて、長谷堂の場合は城に籠もってたから当然というのはダブスタだね。

当時人の意識としてもそうだろ。
秀忠は関ケ原に急がなきゃならないのに上田城を攻撃した。兵力の差から簡単に落ちると考えたからだ。
もし落ちにくい派が言うように、城攻めに何週間もかかるのが当時の常識なら、城攻めを行なうはずはない。

城攻めに何週間もかかるのが当然!、にしないと長谷堂戦を弁護できないからなんだろうけど、
明らかにおかしい主張になっている。

76 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 18:18:46 ID:gYttFj9l
あと、山形、長谷堂、上山以外の城は落城の話だが、それは義光の戦略だから。
兵力差の大きい防衛戦で、山形、長谷堂、上山を防衛ラインにする戦略。
それ以外の城は僅かな留守隊残して撤収命令。
畑谷城にも撤収命令を出したが、城主江口五兵衛が玉砕を決意した。
まあ、相応の損害を上杉軍に与えたけど。

77 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 18:33:12 ID:oDnWGoEn
上田城の合戦は真田の遅延策こそが真骨頂で
実質的な攻防戦は秀忠軍が上田城に対陣した9月6日から9月9日まで
3日行われた。
そこに家康の進撃命令が届き9/10には転進を決定している

長谷堂は15日間、攻防戦を行い長谷堂を落せず
西軍敗退の報が届き撤収
転進時、秀忠本隊、直江本隊は共にほぼ温存しているが
上杉軍は庄内を失ったが、秀忠は追撃を受けずに美濃まで転進している

関ヶ原時の出羽合戦は最上義光、志村光安ら諸将の軍略を誉めるべきで
直江、上杉軍は名将に相応しい軍略をしたかと言われれば違うだろう
愚将かどうかは別にして

因みに2万の兵の総大将でありながら、殿を勤めて食い止めたからってのは
本当なら、将帥としてはあるまじき行為で部隊長がやるべきもの
直江の将の器がしれる行為だと思う

78 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 18:36:33 ID:1kZBbmsV
前スレと内容カワンネ
直江有能無能論はもういらねーよ

79 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 19:07:00 ID:vTtjKLus
あのさ、何で直江が愚将であることを示すために
そんな依怙地になって頑張るわけ?
別に最上が善戦して二週間凌いだで十分だろう。

80 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 19:12:38 ID:vTtjKLus
>>75
防衛側の城がしっかりした造りでしっかりした将兵が守ってれば
そう簡単に城は落ちんよ。
何であんた自分の主張を押し付けるだけで歩みよろうとせんのだ。
多分、このスレに常駐しているアンチ直江・吉良なんじゃないかと思うけど。

城が簡単に落ちる場合もあれば、なかなか落ちない場合もある。
秀忠や本多正信の上田攻めにしろ榊原とか兵を知る将は止めたんだから。
最上攻めに関しては直江どころか謙信でも二週間程度で完了は無理。

81 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 20:54:15 ID:XzscEptz
>>80
おいおい、傍目からみても無理がありすぎるよ。

城を落とせなかったヘタレ指揮が問題なだけじゃなく、
その難しい城攻め、つまり最上攻めをやり始めた事が、それこそ兵を知らない、まさに愚将なんでないかい?

82 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 21:03:57 ID:gRYAVsXQ
>>81
そこまで行くと難癖だろう。
最上攻め、長谷川攻めは別に直江が独断で決めたわけじゃなんだから。

83 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 21:05:42 ID:gRYAVsXQ
間違い、長谷堂、ね。

84 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 21:32:07 ID:gYttFj9l
>>80
いや、城攻めの困難さは攻防双方の状況で変わるってのはこっちも主張してることだけど。
だから、城が簡単に落ちるわけないとか、そういう一般化した論に反論したわけで。
上田城攻めに反対論があったことは当然踏まえた上での話だよ、>>75は。
城は簡単に落ちない派の言うとおり、城攻めに何週間もかかるのが当時の常識なら、
秀忠が城攻めに取り掛かるはずないだろうと。いくら家康の進撃指示がなくとも、城攻めが何週間もかかるならするはずがない。

謙信でも簡単に長谷堂を抜けないのはその通りだと思う。最上の防衛戦略や戦闘指揮は、あなどれないものだから。
なれば、この場合その守備態勢をしいた最上を誉めるべきだ。
なのに、城は簡単に落ちない派は最上の防戦を当たり間のことのようにいう。
これがダブスタと感じた。


85 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 21:40:45 ID:vTtjKLus
はあ、ついでに言うと関が原で秀忠が遅参したのは
上田城攻めで手間取ったからではなく、
悪天候と準備不測によるものらしいが。
むしろ、何もしないわけにはいかないというので
上田城を攻めたらしい。
なんせ、途中で資金が尽きて金策のために本多が江戸に戻ったりしたからな。

86 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 21:42:44 ID:vTtjKLus
>城は簡単に落ちない派の言うとおり、城攻めに何週間もかかるのが当時の常識なら、

秀忠軍はさておいて、簡単に落ちなかった城の例もゴロゴロしてるよ。
勿論、簡単に落ちた城の例も多いが。

87 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 21:48:28 ID:gYttFj9l
いや、反論になってないんだが。
天候ばっちりで、準備万端、軍資金豊富だったとしても、城攻めに何週間もかかるのであれば、しなかっただろ。

また、上田城を攻めたのがポーズだったとしても、撃退した防衛側の働きは誉められる。
一方、長谷堂の働きは城があるからアタリマエ。この主張はおかしいだろ。

88 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 21:51:51 ID:vTtjKLus
>一方、長谷堂の働きは城があるからアタリマエ

誰もそんな事は言ってない。
最上は確かに善戦した。
しかし、だからといって直江が愚将だとかいう
根拠にはならない。
信玄・謙信も城攻めに失敗した例はたくさんある。

89 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 09:14:57 ID:ehlfhch3
>>78
禿同。
>>64>>77は何が何でも直江兼続を認めたくないだけやん。
誰もおまいらに無理してまで直江兼続を好きになってもらおうなんて思っちゃいないし。
マザーテレサの様な偉人でも100人が100人褒めるかといえばそうじゃない。
偽善者だと言い出す奴がいるのと一緒。
愚将だとか器が小さいと堂々といってのけるくらいなんだから、おまいらはさぞ立派な人間なんだろうな。
そんな立派なおまいらには是非とも政治家になってもらって国の借金を完済させてほしいもんだ。
ちなみに俺は家康が大嫌いだが奴の功績は評価している。
嫌いだからといって嫌いな人物の功績を偏見の目で見るのはおかしいよ。

90 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 09:36:36 ID:FGH/8rxp
「おまいら」と言うか、
多分このスレに何故か常駐しているアンチ直江・吉良の上杉ファンとやらが
一人で繰り返してるだけなんじゃないの?

別にそいつの言う事も決して間違ってはいないと思う。
そういう見方もあるだろう。
だが、そいつは自分の意見が全体の意見でないと
気が済まないみたいなんだよね。
いいじゃねえ。「直江は最低だ、愚将だ」と個人で思ってれば。
ただ、それを他人にまで押し付けるなよ。
いや別に1、2回くらいなら言っても良いんだよ。
それをいつまでも経っても延々と繰り返すなよ。

大体、そいつはどうなれば気が済むわけ。
このスレの全員が「直江は愚将だ。最低だ」と意見統一されれば気がすむのか?
そんなのあまりに横暴じゃん。
直江は最低だと思う奴も居れば、直江は優秀だと思う奴が居てもいいだろうが。

91 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 11:02:52 ID:ud5B3UND
別にアンチでもいいけどさ、もうちょっと巧くやって欲しいというか
そろそろ「代わり映えしねぇな」と思われてる事に気付いて欲しいというか。

92 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 11:24:53 ID:XgJQDgzM
山本勘助見習って長谷堂の戦いで死んでれば伝説になったな

93 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 14:12:49 ID:HruK0QHw
変な誹謗中傷はスルーでいきましょう

>>92
それなんだよね。いずれにしろ責任はとるべきだったと思う。
自決したり坊主になったりすると、かかげた「義」が間違いだったかのようになり、むちゃくちゃかっこ悪くなる。
味方を逃げさせて、自身は討たれればカッコよかっただろうな。
そうすれば、家中で嫌われたりすることもなく、直江家もつぶす必要なかったんじゃないかな

94 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 16:18:12 ID:ud5B3UND
>93
>かかげた「義」が間違いだったかのようになり

そもそもそこが分からんのだが。
何を指して「義をかかげた」としているんだ?

95 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 16:56:10 ID:E/hagV4Z

そもそも、陪臣の身でありながら二万もの大軍を指揮して、長谷堂城と山形城以外は落としたんだから愚将なんかぢゃないだろ。
常識的に考えても。2週間で一大名を平定なってのは無理があるだろ。武田攻め、朝倉攻めでも2週間くらいかかってるし。もっとも
信長が指揮してたし、相手の士気が以上に低かった点も挙げられるが。陪臣の身では奮闘した口では?もっとも、志村光安は最上
家中では屈指の名将。そういう点を考慮するべきだ。九州で、立花道雪が最後の戦いとなった筑後の戦いの時の相手の将は鍋島直
茂だったんだし。最上も直江も戦下手では無いよ。

96 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 17:58:27 ID:FGH/8rxp
>>92-93
それはアンチの意見だよ。
直江が戦後に頑張って上杉をまとめ改革を進めたから、
一時的に上杉家は持ち直したんだが。
むしろ直江がいなければ上杉は完全に潰されてたかも。

97 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 21:11:12 ID:VCOKlAvf
>>95
山形、長谷堂、上山以外の城は、
最上がいわば放棄したわけだから、
「落とした」とは言わないんじゃないか?

98 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 22:21:55 ID:jk1pmKK/
というか、兼続と言うか景勝と言うか、とにかく上杉の失敗は、
最上攻めの主力部隊が、与板衆ら直江の息のかかった連中プラス会津先鋒衆(牢人)だたこと。
生粋の上杉軍は参加させなかった、というより兼続の手に余った。
いうこと聞きやすい連中だけを集めて攻め入って敗退、というのはここが直江の限界だったんだろう。
水原とか数少ない上杉正規軍の参加者は活躍していただけに、
秋から冬にかけて東北兵に劣らない経験値を持つ北陸兵を連れて行かなかった(扱えなかった)
兼続の限界を恨むよ・・・。

99 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 22:37:17 ID:FGH/8rxp
>>98
>だたこと。

プッ

100 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 22:41:30 ID:m8wZwDta
>>98
つまり、景勝からは任されていたが、他の家臣たちには人望が無かった、ということかな。
あるいは、ヤル気満々なのは直江の周囲だけで、他の家臣たちは、対徳川、対最上の合戦にヤル気が無かったか

101 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 22:49:01 ID:jk1pmKK/
>>100
内部の人望があったという記述はないなー。
そもそもが景勝自体が謙信依頼の越後領主(特に上越の謙信も手を焼いた連中)を全然扱えなくて
村上系の信濃からの亡命者にせっせとエサをやって主力にくわえてたわけだし。


102 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 23:14:40 ID:ud5B3UND
どちらにしろあくまで仮定にしかならんな。

かもしかで話を進める場合は、悪役や道化を作らないように
推論しないと単なる脳内ソースと変わらん。

103 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 23:20:16 ID:jk1pmKK/
慶長三年(1598)時における城持ち級の重臣三十余人の顔ぶれ
上田・与板衆:六人。六万石の直江兼続を筆頭に合計石高は約十万四千石。
信濃衆:九人。二万三千三百石の須田満統を筆頭に合計石高は約八万七千石。
揚北衆:六人。一万一千石の本庄繁長を筆頭に合計石高は約四万二千石。
あきらかじゃね?

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 23:45:00 ID:GjkCLk01
>>94
>>93は前スレで義をかかげられなかったから愛の前立てにしたと訳のわからん事を書き込んでた奴だろ。
文面の内容が全く同じだ。
こいつは本当の事は何も知らないし知ろうともしないから言うだけ無駄だ。

直江後室亡き後、直江家や与板組が排除されたといっても一時的なことであって綱憲時代の家臣の屋敷割当(今でいうところの住所地図)を見ると与板組などは城下でもいい場所に屋敷を与えられている。
それでけでなく兼続の実弟が継いだ大国家と樋口家には上屋敷と下屋敷のふたつが与えられている。
この屋敷割当から見て綱憲時代には家中での信頼は回復していたと判断していいだろう。

105 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 12:04:35 ID:eoroFKAS
家康が西へ行ったから徳川軍との戦いなんて(´・д・`)ヤダ、と駄々こねて本当に兵を退いた景勝の下では軍事で成果を上げるのは無理のような
気分で戦略を決める君主の下ほど大変なことはないだろう

106 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 14:34:19 ID:7seNP+lA
>>105
さすがにそれは既定の戦略(徳川引いたら周辺固め)だったと思う。

ただ景勝の人材登用を見ていると、清濁併せ呑むといった、
大将に必要な器が欠けていたと言わざるを得ない。
謙信はその当たり意外とタヌキで、反抗的な有力領主をうまく使った。
景勝は謙信のまねをしていた、と自他共に認めているけど、
一番肝心な戦術&配下掌握のふたつを真似しなった。

107 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 23:53:40 ID:lr/O63FS
>>104
与板組や兄弟は信頼回復しても、肝心の直江兼続本人は、その後も家中で奸臣扱いされてるよ。
それが直江を直接知る人たちの直江評だよね。この板に居る人々のような後世の推測でも何でも無い。

オレは、愚将と思う方だけど、奸臣つまり悪人とまでは思わないけどね。でもあまりにも将として愚か過ぎる。

108 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 00:09:43 ID:GMXsSSTq
>107
>直江を直接知る人たちの直江評

当時の上杉における特定個人への評価を示す史料にはあまり覚えが無いけど
「後世の推測」ではない確実性の高い史料としてはどんな名前があがるの?

「その後も家中で奸臣扱いされてる」けど「後世の推測でない」ということは
「その後」である江戸初期の史料かとは推測できるんだけど……
104が上げている綱憲時代以降に兼続を直接知っている人間はほとんど
いないからいまいち時期の確定ができなくて。

109 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 10:23:03 ID:cUDm3KGw
つか実際に奸臣扱いされてたら
現代における直江の評価がこんなに高いわけないと思うが
そもそも現代人が持ってる武将のイメージって大抵、江戸時代に作られた評価がもとになってるし
この板で散々言われてる武田上杉最強伝説だってそう
もし本当に同時代の人間から奸臣扱いされてたら武田における現代では跡部長坂級の評価になっててもおかしくないでしょ
関が原で徳川に逆らったことで幕府に対する「負い目」があったんだし
それこそ江戸期では「神君に逆らったのは奸臣・直江が勝手に暴走させたからです」なんて言われ方されててもおかしくない
それが無いってことは少なくとも奸臣扱いはされてなかったって証拠でしょ
関が原後は次第に遠ざけられていったことは事実だとして

110 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 11:38:53 ID:XBbs7w3w
綱憲の子である5代目藩主吉憲の時に藩の行事として兼続100回忌を催してる。
この時に法名の達三全智居士に英貔院殿が追加。
米沢林泉寺にある直江夫妻の墓はこの時に立てられたようだ。
この出来事からもこの時期には兼続を奸臣扱いしていた空気はなくなっている。
よって>>107の情報はあっていない。
それでも中には兼続に良い感情を持っていない家臣もいたかもしれない。
兼続の人気と信頼が一気に上がったのは大正時代に入ってから。
時の天皇である大正天皇は米沢と春日山両方を訪れているのだが、それに合わせて上杉家を代表する人物の位が上げられている。
兼続もそのひとりで従五位下から従四位に引き上げられた。
これがきっかけとなり米沢でも兼続を再評価する動きがはじまり昭和13年には松岬神社に合祀される。
行動や発言から察するに大正天皇は上杉家贔屓だった向きがある。
今の兼続人気は皇室が作り上げたといっても過言ではない。
今でも上杉家と皇室との繋がりは深く、上杉博物館の開館日には高円宮夫妻が訪れた。



111 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 17:32:02 ID:kWj2dJUW
大正というと反幕府の思想が濃くなっている時期だな
直江状の逸話も手伝って急にスポットが当てられた感じがする

112 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 17:36:45 ID:g8CxQ28Q
作られた人気だったのか・・・

113 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 17:43:59 ID:GMXsSSTq
それを言い出したら作られたものじゃない人気があるのかって話になってしまうしなぁ。
自然発生的なもんにしてもどっかで尾鰭けて「作った」人間は必ず存在するわけだし。

114 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 22:19:55 ID:K434UsNm
反徳川、反幕府の人々にとってのアイドルなんだね。創られた虚像の名宰相
それでも徳川に堂々歯向かった。将才がなかろうと、人格が悪かろうと、これは確かな業績だよね。

実は、義をかかげてなかった、とか、徳川とはホントは仲良くしたかった、などどのたまうこのスレの直江ファンが、
実は直江を貶めているような気がしなくもない

115 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 23:48:15 ID:qCtqNWF1
このスレって直江好きは見なくていいなw
ショボイ講釈垂れがキャッキャッ喚くだけで話題もループばかり
なんの価値も意味も無い糞スレ

116 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 15:40:50 ID:4d3AfzhS
>>90
直江に何も間違いが無かったなんてことは無いんじゃない?直江の間違いを検証しようとしているのに。
まるで、無謬の英雄であるかのような無理な強弁弁護をするからアンチも反論せざるを得なくなる。
「直江の独断じゃない」などと、タイムマシンで軍議を見てきたかのようなことを言ったり。

でもまあ、この程度のアンチはどこのスレでもある。直江オタはこのスレで、我等アンチにもっともっと鍛えられて強くなりなさい

117 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 15:43:28 ID:LWW4TYLa
元々兼続は燃料を扱う程度の下級武士の子で、名家の直江家に入ったから出世したクチ
周りからの嫉妬があったんじゃないかと。それが関ヶ原戦後、特に本人死後噴出したのかも

118 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 15:52:11 ID:JCTvGzhN
>>116
いや普通に独断じゃ無理だろ…「上杉」が軍事行動してるのに。

それとも116は当時の直江が独断で最上攻めを決定できるほど
家中での権勢権力が強かったとでも言いたいのか。
そちらの方がよほど直江の実力を過剰評価していると思うが。

119 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 23:41:44 ID:NQNuvGoN
独断でなくとも直江の主導で行われたことは明らかだろ。
城攻めの難しさや最上の実力をナメていたんだろ。
そこが間違いだった

120 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 00:12:41 ID:GxRdNjGt
誰も間違いが無いとは言っていないの
欠点はあるけど優れたとこはあるよと言っているだけなんだよ
お前が数箇所の欠点上げて何も出来ない無能と断言するから
オイオイとなっているだけ

121 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 04:38:04 ID:vr3xjQOY
>>120
大企業の重役にまで成り上がった人間は、他の人間よりも有能であることは間違いない。
だが、その重役が中心になって動いていたプロジェクトがこけて
会社は倒産寸前→4分の1の規模に縮小したとしたら、そいつは無能な重役扱いだろう、普通。
実績主義で言うなら、他のところでどれだけ実績残しても、
(たとえば、社則を整備して社内モラールを上げたとか、文化事業で役所に誉められたとか)があっても
本業をコカしたら、無能扱いでしょ、ふつー。

122 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 07:10:05 ID:tXFbYvAl
またこの展開か。
ワンパターンにもほどがある。
勝てなかったから無能ってんなら徳川家以外全ての武将が無能だろ。

123 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 07:12:39 ID:CuYXqwI1
>その重役が中心になって動いていたプロジェクト
てかそもそも直江が主戦派だった史料的裏付けが出てないし。

124 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 12:45:17 ID:na7lxPRx
>123
オマイが話題ループの原因でないか?
直江が、上杉家の豊臣政権譜代化プロジェクトの推進者なんだよ
直江が私欲に駆られて懐柔されて豊臣政権に近づきすぎたから、徳川に敵視される羽目になった
大罪と言っていいだろう

125 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 13:35:24 ID:CuYXqwI1
けど関ヶ原後の徳川との折衝やってんのも直江なんだよな。

120万石の大藩でまさか他家(他勢力)との外交役が一人って事は
ないだろうし、それでも直江が表立って動いたなら普通にどちらとも
パイプがあったと考える方が自然じゃないか?

まさか当時の上杉に敗戦後の困難な交渉できるような人材が直江
しかいなかったというわけでもあるまいし。

126 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 14:11:22 ID:jBwLd2Fg
全てが直江の責任、というのなら敗戦後に詰め腹斬ってる・斬らされてるんじゃないの?

127 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 19:47:51 ID:vr3xjQOY
>>122
ワンパターンたって、お前さんのようなアフォが事実を認めずファビョるから
事実が何度も出てくるはめになるんじゃないのか?
徳川以外の大名は全部滅んだか?
上杉とほぼ同じ領土、さらに悪い立場で上杉以上の石高を残した毛利、
上杉と違って戦場で戦ったのに実質お咎めなしの島津、
家産を増やした大名だっているし、西軍についてもほぼ同格に復帰した立花、丹羽……。
上杉よりもやり手の大名はいくらいでもいる。
そうしたことをすべて無視して、徳川以外はすべてまけなんだから、
兼続の失敗はチャラ、とう田舎盆地おらが殿様日本一ファビョは醜いよ……。
どうしてこのスレはファンのほうが頭悪いのかな?

128 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 20:45:04 ID:CuYXqwI1
>>127
それほど「直江兼続」に高い評価してる理由って何?

129 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 21:48:37 ID:27gAK4im
ツマンネ

130 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 01:11:04 ID:mkpYdSVP
>>127
これらを全て同列には語れない気がする。毛利に関しては、吉川広家のアレは
むしろポカだった気がしないでも無いし・・・。まあ、西軍総大将に祭り上げられて
2国のこっただけでも大したもんだとも言えるだろうし・・・。

島津も挙国一致という状態ではなかったというのもあるし、いまさら日本の南端まで
行けるかよっていうのもある。立花や丹羽は、巧く立ち回ったっていうのとは別だし・・・。

131 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 02:30:19 ID:4dlkw2jt
>>130
だが、兼続擁護のあまりに
徳川以外はみんな負け組みで同じジャン、の方向へ持って行きたがっている
>>122みたいな兼続ファンに比べればよっぽどマシではないかね?

132 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 08:06:49 ID:Zw1ijKEL
>>124など

ていうか、
兼続アンチでずっと粘着してるあんたが
一番ウザイんだけど。
このスレで「兼続は最低だ」という結論を
出させないと気が済まないみたいで不愉快極まりないんだけど?

133 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 12:02:36 ID:tkSaB82e
否定派の兼続の功績は全く無いという点から始まり擁護派が史料を元に応戦するの繰り返し。
否定派が否定出来なくなると史料に対してケチをつけるかスルー。
一部の否定派に至っては己自身の勝手な想像で語っていて史実や残されている史料から大きく脱線した書き込みをする人間までいる。
で、最後にお決まりの文句である無能という言葉で締めくくる。
兼続擁護派は皆うんざりしていてるだろうよ。



134 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 12:42:42 ID:oL1eIX6i
出羽合戦に関しては逆だな

直江の軍略を持ち上げ、最上の防衛戦を城は落ちないのが普通と貶め
義昭の撤退命令があり、3城以外を放棄しているにも拘らず、
三城以外は席巻したからすごいと想像で語り
撤退命令の件をだしたら、何故そんな批判をするんだと言い出し、
撤退戦での総大将として取るべき行為から批判したら感情論で擁護。

前スレでも直江の軍略を擁護しきれなくなると、最上は取り潰しにあったとか
で関係ない話題を言い出して最上を貶める



135 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 12:52:54 ID:BYdJ6c3A
擁護派っていうか、一番うんざりしてるのは結果的に擁護にならざるをえない派だがな。
適当な非難を繰り返すもんだからそれに対して史料的見地から否定しないとならない。

っていうか否定するにしても否定する側がこれだけ該当人物を過大評価してるってのも
珍しいよな。ある種の褒め殺しなのか? w

136 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 16:25:24 ID:iExo7jC+
>>134
同意。

擁護派は極論に走りすぎる。数点批判されると、全否定だと言いだす。
欠点は欠点、長所は長所なのに、欠点を指摘されると全否定だと言いだす。

特に、出羽合戦に関してはあやふやな知識で直江の軍略を持ち上げるから、何度もループしてる。
で、反論し切れなくなると全否定だとか、投稿者の批判に移る。これの繰り返し。

137 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 17:13:48 ID:BYdJ6c3A
>>136
じゃあ逆に今度は136が思う直江の長所を上げてみてはどうだ?
で、今度はそれについて是非を論ぜられればいいんじゃね。

2chでは一つの事に一々こだわらず次の話題を振ってみるのが一番。
立場が逆になれば新しい発見があるかもよ。

138 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 20:27:17 ID:cF78BkNM
全否定だと異論唱えるなら言い方変えろ
誰だって「無能」なんて言われたら全否定以外思いつかないぞ

139 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 21:20:47 ID:G4Ttelgv
否定派さんは最初から結論が決まっていて、それを正当化する根拠を求めているだけ。

140 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 21:34:01 ID:BYdJ6c3A
というかここで言われてる「否定派」は別に直江自身を否定してる(できてる)
のとはちょっと違うと思うぞ。

上杉の失敗はまず直江の存在ありき、関ヶ原も対豊臣外交も直江主導って
そもそも上杉における直江兼続が藩政を個人的思惑で左右できるほどの
重要人物だと勘違いしてるのか曲解してるだけだと思う。

141 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 22:29:26 ID:iExo7jC+
いやあ、まさに投稿者批判になってきたな。
もはや直江の議論でもなんでもない。ただの罵り。

特に3〜4名、仲がいいのがいるようだし。

142 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 22:45:28 ID:4dlkw2jt
盆地の人間は心が狭く、頑固。
京都、米沢、山形。
みんな犯罪王国なのもそのせい。

143 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 22:51:53 ID:EJlph0vX
政宗公をはじめ優秀な人物はみな仙台へ移ってしまったからね
上杉DQN軍団が入って米沢も地に落ちました
嘆かわしい限りです

144 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 23:00:38 ID:BYdJ6c3A
別に批判してる気はないんだが。
ただ現時点ではどうしても勘違いとしか思えない、と言ってるだけで。

実際、何でそんなに直江の評価が高いんだ?

145 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 00:17:17 ID:pZxnDh9e
ああやっぱりね。初めからこう言いたかったわけだ。→>>143
なんかアンチ上杉の伊達ヲタ臭いと思ったんだよ。

146 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 01:16:32 ID:pZxnDh9e
ちなみに特定の一人物を指して言ってるのであって、伊達好き一般のことでは無いので悪しからず、と。

147 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 01:42:40 ID:B6wM028P
確かに松川スレに居た人物と文体が似ている

148 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 06:25:39 ID:wIX8/YsC
伊達はどうでもいいが、兼続の嫌いな点は
独善的な官僚、というところだな。
景勝の潔癖症もあって、越後時代も米沢時代も
自分の支持者は忠義者、いい人、正義、美しい、
夫支持者は不忠者、悪い奴、醜い、といった漢字での冷遇
(普通の冷遇ではなく、なんとうか人格否定的)。

自分の養子にした本庄の次男(だっけ?)と
いじめぬいた長男との差などをみると、
人事で好き嫌いを出しすぎて嫌われた
(兼続のように信者やシンパは多いが、敵はもっと多い)
三成と通じるところがある。

149 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 19:48:13 ID:zG0fO4sr
>>144
いいじやないか。
少々、失敗した部分はあったが、
あの一時はガタガタになった上杉家を
まとめていただけでも評価できる。

親豊臣政策にしろ
関が原までは間違ってたわけではないんだし。
というか正しかったわけだしさ。

150 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 19:59:56 ID:jMVQLvkO
確かに有能な人物であったかもしれんが
景虎を強引にだまし討ちした事実は拭い去れんぞ。



151 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 21:10:38 ID:sWUnCXd2
>景虎を強引にだまし討ちした事実
というか直江って御館の乱でそんな大きな功績上げてたっけ?
動きはしたんだろうが正直あんまぱっとしないというか、印象薄かったんだが。
その分小説なんかだとここらへんは作家の腕の見せ所だけど。

152 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 22:11:02 ID:9Y4rQiX7
与六は柿崎左衛門大輔に酷いことしたよね(´・ω・`)

153 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 00:08:00 ID:rFGa8NWC
>>151
印象が薄いも何も確かな記録なんか残っていないが。
兼続が記録上で登場するのは天正8年8月15日付けの佐藤庄左衛門と皆川式部賞丞に奉行の知行状を交付したもの。
御館の乱の1年後だ。
御館の乱の時に兼続がどういった行動や発言をしたのかを示す確かな史料は何一つ無い。
景勝の小姓だったわけだから何等かの働きはしただろう事は予想できるが。

154 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 04:00:24 ID:KrUB55TU
小姓がどれだけ影響及ぼせるのかというのが焦点になるな
有名なのは前田利家、片倉景綱とかいるけど
戦ならまだしも騙し打ちみたいな軍師的な働きも出来るのだろうか?
いまいちこの立場は男色ばかり目立って曖昧なとこが多いような気がする

155 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 05:15:22 ID:u0FK9rps
とりあえず直江についての一通りの説明してくれ

156 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 08:12:15 ID:X7+mUGxJ
米沢の商工会議所と役所観光課が狂信的に持ち上げている人物です。(確かな事実の説明終わり)

157 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 21:03:07 ID:d7nU+Mz1
よく小説で言われるのは関ヶ原の時家康が上杉領から撤収し西へ向かうとき
兼続が「速攻で追撃しましょう」と進言したけど景勝がヤダよって言って
それが上杉の運命を決めることになってしまったってあるね。

あん時追撃してれば西軍が勝ったのかな。
佐竹も家康を裏切るだろうし結構真実味あったのかも。


158 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 06:24:33 ID:7syHOwE1
でもそれだと秀忠軍が真田に釘付けされることも無いし、
東北の勢力は上杉になだれ込んでくるだろうから、
佐竹が混じるくらいじゃ上杉に勝てる見込みはなさそうな気がする。

関ヶ原に至るのはもうちょっと後だし、別に問題なさげ。

159 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 06:26:10 ID:h33ofHJ9
某スレでこんな書き込みあった。

487 :名無し議論スレにて投票方法審議中 :2006/12/31(日) 06:11:06 ID:7syHOwE1
っていうか上杉は豊臣に対して云々とかの問題以前に、現在進行形で徳川から
喧嘩吹っかけられてる張本人なんだから西軍なのは当たり前だな。

良く考えてみればそうだった。
このスレで直江が上杉120万石を潰した張本人のように言ってる奴がいるがそりゃおかしい。
徳川が理不尽な喧嘩をふっかけられたから仕方なく応戦しただけ。
勿論、前田みたいに徹底的な屈従姿勢を取る手もあるが、
それもなんだし、上杉は武門の意地を貫き通せたと思うよ。

160 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 08:42:55 ID:WYEi0iEr
>>159
「それもなんだし」というのが理由ってステキだなw

161 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 10:57:01 ID:7syHOwE1
>>159
それ書いたの俺だけども、
少なくとも関ヶ原前で上杉が徳川とぶつかる事になった事に関しては景勝の政治的なミスではあっても、
兼続が何かできる事ではなかったと思うよ。逆に景勝はちょっと巧くなかった。

つーかこんな短い間にまるまる引用されると誤爆したのかと思ってびびるから勘弁w

162 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 00:20:12 ID:F6B8KikK
>>160
お前さんは徳川にペコペコする上杉を見たいのかい?

163 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 00:38:09 ID:F6B8KikK
ていうか真の上杉ファンとやらが
何で歴史上の事でそんなに怒るのかわからん。

日本の現代の領土とか自分の利害に関係ある事件ならともかく
四百年も前に起こった失策に文句言ってもしかたないだろう。
大体、歴史上の人物や勢力は有名どころも含めていっぱい失策してるよ。
武田も織田も豊臣も長宗我部もくだらない失策で家を滅ぼした。
でも、そんなことは歴史上の出来事だ関係ないし、
何もかもわかっている現代人だからいえることだ。

むしろ景勝・兼続の朴訥な行動が
現代の上杉の武名やイメージを守り。
「人間万事塞翁が馬」で上杉家を守った側面もある。

コセコセと立ち回って所領を維持してもしかたないし、
最上は攻め切れなかったが、さして上杉の名に傷はつけてない。
つーか歴史上の出来事にケチつけてもしかたない。
信長に「何で本能寺にもっと兵を集めておかなかった?」とか言うようなものだ。

164 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 00:48:51 ID:F6B8KikK
大体、こんにちの世間一般の評価は
義光も含めた最上などよりもずっと上杉の方が評価高い。

世間というのは
策を弄して成功する者よりも
朴訥な行動を取って失敗する者を高く評価するもんだしね。

そして最上や蒲生はつぶれ、前田は低評価となった。

165 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 01:29:53 ID:2o+AAFdZ
それは関ヶ原の動きと何の関係もなく後世の上杉家が頑張っただけの事だろう・・・・。
また名が上がったのも何の関係もない甲州軍学との対立からに過ぎないものだし。

上杉鷹山が草葉の陰で泣いてるわ・・・。

166 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 01:47:20 ID:+JHMTAnu
凄まじい贔屓の引き倒しを見た。

167 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 02:17:39 ID:PksePYJJ
>>166
ものすごいよな、>>163>>164は。

168 :163 164:2007/01/01(月) 02:28:38 ID:F6B8KikK
まあ俺は四百年も前の歴史上の人物に
失策とかどうこういうのは無意味だと言いたいだけだが。

169 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 02:43:49 ID:2o+AAFdZ
その割に最上や蒲生は貶めてる辺りがまぁ何と言うか凄い。

170 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 02:55:17 ID:nsGn+w4l
>>168
じゃあ四百年の昔の人物の
業績がすごいとかどうのこうの言うのも
まったく無意味なことですよね?
よって直江兼続は失策もなければ功績もない、無価値な人間。
これがFA?

……馬鹿じゃないの?
直江ファンはほんと頭が悪い。

171 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 05:41:50 ID:T2WlUlvs
>>170
ファビョったwwwww

172 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 12:14:05 ID:Luk0w4sS
>>170
お前はただ無能と言いたいだけちゃうかw

あんまり贔屓すぎても引くんだけどな
評価というより知名度の問題だよな
どちらが上とか言うのはナンセンス
ある意味、運がいいか悪いかの問題になっていくし

173 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 14:11:43 ID:F6B8KikK
そだね。
もし、仮に関が原で東軍が負けてたり
家康が討ち死にしてたりしたら
東軍についてた大名は全員「無能」とか「時勢が読めない」とか
罵られてたわけね。
関が原で西軍が戦術的に勝つ可能性なら幾分あったわけだし。

174 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 14:13:23 ID:8ufE5G1X
新年早々戦国時代の人のことを考えてる板住民たち乙
年があけるたびに戦国時代は遠のく

175 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 14:23:08 ID:F6B8KikK
最上が奮闘したのも、
東軍勝利まで粘ればという計算があったからで
席か原で徳川が瓦解したら士気喪失で
一気に落ちることも考えられるしね。

176 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 14:34:02 ID:+JHMTAnu
言いたいことと書いてることも繋がってないし
「仮に」以降は何を受けて出てきたのか
まぁ何というか凄い

直江が凄い好きなんだろうなとは思った

177 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 14:37:40 ID:xn9OaCgE
上での方でもあるけど、後詰ない篭城は無意味だからな。

178 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 14:40:26 ID:F6B8KikK
>>176
それはお前が読解力がないからだろう。

もしも西軍が関が原で勝ってたら
東軍についた武将が「時勢が読めない」とか罵られ。
西軍についた武将が「先見の明があった」と讃えられてるだろう。
って事だ。
歴史なんてそんなもんだ。
運の要素が左右する。

山内一豊の妻も、もし東軍が負けて山内の全所領没収とかいうことになったら、
後世では「夫をそそのかして破滅させた愚婦」とか言われてたろうね。

179 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 14:48:04 ID:nsGn+w4l
>>178
だからその理論から言うと、
上杉や直江の評価されているところもすべて
運がよかったから、になってしまうだろうに……。


180 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 14:54:01 ID:PksePYJJ
>>175
そんな当たり前のことを・・・
地方で勝ち負けても、関ケ原の勝ち負けに左右されるのは当然だし。
仮に最上が上杉領深く逆襲したとしても、西軍が勝てばちゃらになる。

まあ少なくとも関ケ原が長引いたとして、長谷堂を落とせたかというと微妙だけど。

181 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 14:55:02 ID:wgB5kNiX
>夫をそそのかして

あー、えー、そのー、うん、大河ドラマはおもしろいねぇ、うん

182 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 15:30:09 ID:Luk0w4sS
>>179
直江に限らず世の中そんなもんだって
全部予見して動いてもある弾みで崩れる事もある
だから誰よりも上とか下は無意味なんだよ

てか運に恵まれているなんて上杉に一番いえることなんだけどねw
直江の評価は運を味方に最善尽くしたとこだと思う
もちろん問題は無いとはいえないよ。与板とか与板とか

それを加味しても長谷堂は難しいと思う
あの戦い長引けば長引くほど最上に有利に働いてくる
仮に落とせたとしても他が攻めてこないとも限らない
伊達の片倉みたく漁夫の利を狙う連中はいるだろうし

183 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 18:07:47 ID:2o+AAFdZ
というか、アレだ。俺は最上義光や伊達政宗が好きだから、
兼続はさほど好きというわけではないが、ここの健全な直江兼続ファンの名誉の為にあえて言う。

どっちのファンもアホに付き合っちゃダメだ。そこは抑えないと最低限のスレの品位が地に落ちる。

誰の事を言ってるかは各自の想像に任せる。
いくらなんでも不毛すぎ。

184 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 20:30:09 ID:nm8wANt2
黙って見てたけどさ、元日位は角を立てずまったりと書いて欲しかったよ、みなさん。


185 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 23:57:54 ID:mB4pLXqJ
>>159
それだと直江状はどうなるの?となるが。
直江だけの責任とは言わないが、当時の彼は上杉家の宰相格だったのだから、
それが間違っていると思うのなら景勝をなんとか止めるなり翻意を促すなり
しろよとは思う。
しかし主君と宰相がイケイケじゃあ止められるはずはないわな。

186 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 03:34:42 ID:C/xW6QMO
直江状は史実ではないらしいが

187 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 05:50:43 ID:ST4Hucf7
正直、直江状が真実あったとしても、あの時点で弁明しても遅い。
景勝の政治的なミスは既に決定的。なら開き直って、ああいう書状を出すの自体は
士気を高める意味では悪くないとは思う。

その前にどうにかすべきだったと言うなら知らんけど。

188 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 08:53:29 ID:/6EJaUoK
景勝より直江でしょ。一外様大名の家老という立場を逸脱して、豊臣政権に関わり過ぎ。
懐柔されて介入しすぎた。秀吉の思う壺

189 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 13:00:56 ID:6KJmV2eV
>>112
どの武将の人気も後世の人間によって作られもの。
典型的なパターンが武田信玄と織田信長。
武田家というより信玄人気は信玄を師と仰ぐ家康によって江戸時代に花開く。
幕府は甲州流の戦術を採用し、多くの大名は幕府の御機嫌伺いのため、これに従った。
川中島の合戦図屏風が多く残っているのはこのため。その多くは武田方有利に描かれている。
上杉方有利に描かれているのは福井県と和歌山県に残っている屏風。福井藩と紀州藩の初代藩主の結城秀康と徳川頼宣は上杉謙信を尊敬していたため上杉方の史料を元に上杉方を有利に描かせたといわれている。
ちなみに藩の戦術も越後流を採用している。
明治時代までは武田>越えられない壁>上杉の図式くらい人気に差があった。
大正時代になると皇族の上杉家贔屓によって上杉>武田と人気が逆転する。
戦前の教科書には必ず上杉家(特に鷹山)の功績が紹介されていた。
この図式は1980年代中頃まで続いたが1980年代後半から武田家を主人公にしたドラマや映画が数多く封切られ再び武田>上杉の図式になる。
婚姻関係すらないのに、なぜ皇族が上杉家を贔屓にしているかは古くは謙信の時代から天皇や朝廷を敬ってきた事が挙げられる。
ちなみに大正天皇から現在の皇太子まで続けて米沢を訪れている。地方のしかも県庁所在地でもない小さな街に歴代の天皇が訪れるのは稀である。
信長人気は現在も作られ続けている。特にゲームソフトの『信長の野望』が最たるもの。
たかがゲームソフトだがされどゲームソフトなのである。こういったものによって人気に拍車がかかる。
来年の大河ドラマで島津家が主人公になるが婚姻関係のある皇族がサポートするような事にでもなれば人気に拍車がかかる可能性は当然ある。







190 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 14:32:18 ID:C/xW6QMO
>>188
親豊臣政策自体は間違いではないと思うが。
それを後世の連中が結果見てどうこう言ってるだけ。

191 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 14:37:37 ID:xp3/35CY
それはどうかな〜

秀吉存命中から徳川になびいていた大名はいるしな。
もちろん豊臣と距離を取ると言うわけでなく、豊臣とも上手くやりつつ、徳川に近づいていったとか。
東北では最上がそうだよな。伊達もそうだし。

192 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 14:43:51 ID:C/xW6QMO
そもそも親豊臣政策でなければ上杉は滅亡してた可能性も高いのだが。

柴田勝家は魚津城陥落後に一気に春日山を落とす準備をしてたわけで、
その攻撃に混乱し弱体化してた上杉は耐えられなかったわけで、
所詮は上杉なんて本能寺の変が一ヶ月遅ければ滅んでいた程度の勢力で、
むしろ豊臣に屈することで生き延びたことはラッキーであろう。

そして越後40万石から会津120万石にしてもらったのも親豊臣政策と
直江が着にいられてたのと五大老としての徳川への対抗意識のため。
親豊臣政策でなければ、いくらでも滅亡機会があったわけで、
歴史上の出来事から一つだけ抜き出してどうこう言うのが意味がない。
越後40万石が豊臣の好意で120万石になり
それから30万石になったんだから良いんじゃないの?

193 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 14:56:08 ID:C/xW6QMO
伊達
自らの手で奥州南部の大半を切り取り150万石
豊臣政権で60万石程度にされる。
関が原で怪しい行動をとったためその後も所領はほぼ横ばいの60万石
ただし、のちに開墾などで150万石とも言われる大藩になる。

最上
自らの手で20万石を切り取る。
豊臣政権によって安堵されるが加増はなし。
最初は親豊臣で駒姫を秀次に差し出すが殺され徳川に近づく
関が原での活躍で57万石に加増。
ただし徳川政権下で策を弄しすぎてのちにお家取り潰し。

微妙だな。

194 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 20:35:10 ID:LkPWL22v
中国の皇帝は蛮族からの使者で
無能な者は手厚く遇して多くの手土産を持たせ
有能な者は冷淡に扱う
とよく言うな

195 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 00:33:31 ID:EHcUEBSo
>>194
お前はどこまで直江が憎いんだよ。

196 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/01/03(水) 00:37:24 ID:iNr/GbvB
秀吉がどこまで中国古典の知識を持っていたのか探りたくなってしまふ

197 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 01:52:52 ID:PPiWTtS8
>>194が直江憎さに悶絶する姿に萌え

198 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 19:39:28 ID:EHcUEBSo
上杉の会津百二十万石なんてのは
上杉が自分で取ったものでもなんでもなく親豊臣政策が効を制して豊臣から貰ったものだろう。
だから上杉がその義理から豊臣に義理を尽くすのはスジが通ってる。
結局敗れて米沢三十万石になったけど、大体、元の石高に戻っただけ。
いいんじゃないか、豊臣への義理と武門の意地のためにスジ通すのも。
前田みたいに保身のあまりコセコセしてるよりはよっぽどいい。

あと、前スレで都合の悪い事はなんでも直江と吉良に押し付けて
鷹山の改革とか都合のいい事は上杉の家風のように言ってる輩がいたが、
今回も
「会津120万石=上杉の力」
「関が原の敗北=親豊臣政策の愚」
のように都合のいいところばかり貼り合わせてかってに憤慨するのもいい加減にして欲しいもんだ。
親豊臣だったからこそ120万石が得られたんだろうが。

199 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 20:35:14 ID:Sw4mi4Qv
つまり時勢に翻弄されただけのアホだっつうことだ
直江が有能だった、ってのがどこにも見つけられない

200 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 20:50:10 ID:EHcUEBSo
>>199
その辺の朴訥さも上杉の魅力だろう。
武田の魅力の一つに悲惨な滅亡があるのと同じ。
そして結局はその朴訥さが効を制して生き残ることも出来たし、
歴史に多くの名を残した。

201 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 04:04:45 ID:ZyzTOHyq
>>199
200ほどあるレスの中でどれとどれとどれがお前の発言か手に取るように分かるんだがw


202 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 07:10:31 ID:dyytCroo
直江兼続と石田三成が「義兄弟」だと書かれた本がありました。
どういう関係なのでしょうか?
姻戚で相聟に当たるのでしょうか?



203 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 22:43:14 ID:j9dJjSJo
朴訥さで生き残ったなんて何処でそういえるんだ?
違うだろ、上杉に利用価値があったのと、幕府の名家優遇政策のおかげで残ったんだろ
何か、外交も軍事も 最上>直江って感じ

204 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 22:48:09 ID:cLWw89vL
最上>直江は同意、って言うか当たり前、桁が違う。

ただ兼続も優秀ではあったと思うけど。

205 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 23:16:36 ID:oc3F05k1
>>203-204
それは言いすぎだろう。

206 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 23:38:14 ID:BJp2Kj3n
最上は外交下手だろ
関ヶ原の時は伊達は素早く上杉と和議を結んで中央の動きを様子見する作戦を取ったのに対し最上は徳川と上杉の御機嫌伺いでオロオロ
どっちつかずの姿勢をとっていたが故に上杉に仕掛けられた
確か山形県内にある記述にこの時の最上家の狼狽ぶりが記されてたはずだぞ
義光亡き後のお家騒動も誰として沈静出来なかった
家老以下政権を握っていた連中の力のなさを表している

207 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 23:40:28 ID:BJp2Kj3n
ただひとついえるのは関ヶ原の時には最上家には運があった
運も実力の内であるのは確かだ

208 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 00:33:10 ID:RKE31SAi
最上は必死だったろ。
ここで最上厨の言っているような余裕はなかったと思われ。
余裕あるような言動をして上杉軍を嘲笑したのはポーズだよ。
それなのに長期化しても最上は負けなかったとか
空論を前提に最上を評価しすぎ、直江を貶めてもな。

209 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 01:52:30 ID:pD4FKiM6
>>206
>関ヶ原の時は伊達は素早く上杉と和議を結んで中央の動きを様子見する作戦を取ったのに対し

伊達と最上では置かれた状況が違う。
上杉がまず最上を狙っていたため、伊達は様子見に出る余裕があった。
伊達に白石城を奪われ、普通なら反撃に出て然るべき上杉が伊達と和したのは、
最上と伊達一度に事を構えることを上杉が嫌がったから。だからこそ伊達は様子見が可能になった。

>最上は徳川と上杉の御機嫌伺いでオロオロどっちつかずの姿勢をとっていたが故に上杉に仕掛けられた

徳川に対しては御機嫌伺いというものではないな。上杉攻撃別動隊の主将格として、
徳川と連絡取るのは当然だし、家康反転を受けて上杉に対しては時間稼ぎに出るのは当然の戦略。
第一、どっちつかずの姿勢だったから上杉に攻められたのではなく、上杉は始めから最上を狙っていた。
劣勢になったから時間稼ぎという、至極真っ当な方針。

>確か山形県内にある記述にこの時の最上家の狼狽ぶりが記されてたはずだぞ

この状況では狼狽して当り前だと思うが。
だからこそ時間稼ぎを行なったのでは。

>義光亡き後のお家騒動も誰として沈静出来なかった家老以下政権を握っていた連中の力のなさを表している

これは外交能力や軍事能力とは無関係だよ。

外交能力を語るなら、最上は秀吉存命中のかなり早い段階から徳川に近づいている。
小田原へは政宗より遅い着陣だったが、家康への根回しが奏功し特に何事もなし。
朝鮮出兵でも家康と一緒に本土に居残り兵の損耗なし。
そして、家康の信頼を獲得し、上杉討伐の際は伊達を差し置き東北勢の主将格に。
そして、関ケ原の翌年に庄内への進攻を家康に認めさせて庄内領有。
さらに信頼を背景に外様ひしめく東北で、外様でありながら57万石へ。
軍事能力は長谷堂で散々語られている。


>>208
>最上は必死だったろ。
ここで最上厨の言っているような余裕はなかったと思われ。
余裕あるような言動をして上杉軍を嘲笑したのはポーズだよ。

そうだと思う。必死になって当然だよ。
兵力が圧倒的に違うんだから。
で、必死になって時間稼ぎをし、戦闘にになれば必死になって直江を撃退した。
もそも、話の流れは必死だったかどうかではないと思われ。

>それなのに長期化しても最上は負けなかったとか
空論を前提に最上を評価しすぎ、直江を貶めてもな。

これは上の文とは繋がらんね。
必死になって直江を撃退したんだよ。
長期化しても負けない理由は空論ではなく、根拠立てて過去ログで話があったぞ。
むしろ、世の兆候では、直江の出羽合戦を評価したいが為に、最上側の働きをおとしめるていると思うが。

210 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 02:15:45 ID:pD4FKiM6
長々と書いたが、直江に外交能力や軍事能力が無かったという事ではない。
上のレスに反応しただけ。

直江も別の所で外交や軍事の能力を示したのだろう。
ただ、引っ掛かるのが、直江を讃えようとするときに、出羽合戦を持ち出してくること。
これは、その辺の二流雑誌のようにイメージだけで語るならともかく、
実際は直江の活躍よりも最上側の活躍が光るものだった。
なのに、無理してこれで語ろうとするから無理が生じる。

信玄も戸石城で破れた。
だが信玄が無能だったわけではないし、村上が頑張った結果だ。
この件で無理矢理、村上の働きをおとしめ、信玄を持ち上げようとしても無理が生じる。
同じように、直江の働きも出羽合戦でなく別の所で語るべきではないか。

211 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 02:18:26 ID:2qA6lFWC
>むしろ、世の兆候では

どこの世だw
世間はこういう戦国時代の小競り合いに関心は無い。

212 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 07:43:23 ID:RKE31SAi
>>209
必死どころか最上にとっては「薄氷を踏む思い」だったろ。
それなのに「長期化しても負けない」とか軽々しく推測して断言してもね。

213 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 23:36:00 ID:h3pvIBaG
>>210
直江に出羽合戦以外に合戦で目だった武功が無いから、それだけが語られるんでしょ

信玄の戸石城は、勢力拡大上必要な合戦だった。
しかし、直江の最上攻めは、大して必要でもない合戦を、城攻めの難しさを知らず、なおかつ相手を舐めきって、そして撃退された。
やはり愚将といっていいのでは?

214 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 05:35:42 ID:cYPKoKuR
そりゃ必死だったと思うし、余裕なんかないだろうけど、
色んな情勢が絡むんだから、余裕が無い=長期化でもたない、ではないと思うが。

いずれにしても最上義光>直江兼続は間違いない。
合戦はもちろん、政治実績も桁が違う。

だからと言って直江兼続も優れていたということの否定にはならん、
比べる相手が悪いだけだろう、それも納得できないならちょっとさすがに現実が見えてないとしか思えない。

215 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 05:45:15 ID:PVHCdlsD
>>212
>必死どころか最上にとっては「薄氷を踏む思い」だったろ。

必死な中でも適確に戦い、直江の裏をかいて損害を与えたり、総攻撃を退けたりしている。
戦況をはかる要素は戦いぶりであって、必死だったかどうかではないな。

>それなのに「長期化しても負けない」とか軽々しく推測して断言してもね。

軽々しい推測ではないぞ。過去ログで読んでないだろ。
過去ログ嫁。

216 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 06:37:13 ID:VfLNg1dJ
暴力が削れてないとかレスしてたけど、
本当かね。
長谷堂や植山でも最上兵の死傷者も少なからず出てたんだが。

それに二週間で落ちないからといって、
長篠城や岩屋城のように長期戦で落ちる可能性もあるだろうし。
ましてや援軍のあてがない状態になれば
士気喪失してイッキに落ちることもありえる

217 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 13:21:45 ID:7OKVizqD
>>216
たしか、楯岡光直が水原に追い返されたりもしているから、それなりに最上側も
損害を被っているんだよな。ただ、上杉側も損害を被っており膠着状態に陥った


218 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 16:47:34 ID:PVHCdlsD
>>216
>長谷堂や植山でも最上兵の死傷者も少なからず出てたんだが。

そうか?
あいにくそういう話はほとんど聞いたことが無いので詳しく。
それから>>217があげてる須川の戦いは、上にも書いてあるけど本来守備側の最上が、
義光手勢で奇襲をかけようとして失敗したって話で、長谷堂の防衛能力が削られたって話ではないよな。
城が落ちるっていうのは、塁が崩されるとか、曲が潰されるとか、○の丸が落とされるとかして落城となるものだ。
他の攻城戦の話を読むと、そういうことが書いてある。長谷堂にはそれが無いよな?

>それに二週間で落ちないからといって、
長篠城や岩屋城のように長期戦で落ちる可能性もあるだろうし。

単なる可能性の話ならどうにも言える。
なら、逆に最上の奇襲が成功して、直江の首を挙げることも、可能性としてはあるよな。
ただ、そんな単なる可能性の話はしても仕方ないことだ。
現実に起こったことは、長谷堂は攻撃を撃退し続け、時には城から打って出て逆襲し損害を与え、
防衛拠点は無傷だったということだ。

>ましてや援軍のあてがない状態になれば
士気喪失してイッキに落ちることもありえる

その前に冬になる。
時間が経てば経つほど撤退リスクが高まるのは直江勢。

219 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 17:12:50 ID:hILEUmCL
自分が聞いた事ないから無いって凄い理屈だなw

220 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 17:37:20 ID:PVHCdlsD
>>219
だから、そういう事があるのなら書いてくれと言ってるんだが。
揚げ足取りにもならない揚げ足取りを、わざわざ書き込むんなら、知ってることを併せて書き込んでくれよ。

221 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 18:05:29 ID:BKGU3/Oe
直江厨はまともな反論が出来ず、くだらない揚げ足取りしか出来なくなったようだなww

222 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 20:42:27 ID:1jDAjh6q
>>218
そういやそうですね。時間が経てば撤退しなければならなくなるのは攻撃側の
上杉軍ですな>冬。

223 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 22:18:59 ID:7ZN37aLi
愛は盲目♪

224 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 02:16:17 ID:nnyUdvmv
だから二週間くらい城を落とせないことの一つや二つもあるだろう。
そんな話しは少なからずある。

225 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 03:42:41 ID:iJW/mFNW
まぁこの情勢下で無理に最上を攻めようとしたのは景勝の見通しの甘さであって兼続のせいでは無いと思う。

だが個々の局地戦を見てもこの兵力差にしては手際も悪い、これは兼続の評価が下がっても仕方ない。
粘られるだけならともかく撃退までされてるようでは擁護もできない。


226 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 07:08:46 ID:nnyUdvmv
二万の兵を手足のように動かすのは難しいだろ。
そんなことが出来るのは信玄・謙信や三英傑くらいだ。

227 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 10:05:44 ID:iJW/mFNW
北条氏直は5万動かしてますが。

228 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 10:19:56 ID:5Hjhkl2u
>>226
手足のように自由に動かすってレベルだと、総大将の話とは関係ないぞ。

229 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 19:34:56 ID:nnyUdvmv
>>227
それは北条家の確立されたシステムの問題だろう。
当時の直江は政務の面では上杉家を掌握してたが、軍事の面では掌握しきれてなかったね。

230 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 20:56:10 ID:9/8Y5MmW
>>227
手足のように?

231 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 21:44:51 ID:aqyTe6uk
>>229
本業の各工場からは反発くらってた営業担当専務みたいなかんじかな。

232 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 23:38:59 ID:5lXihS2l
>大して必要でもない合戦
それは違うぞ。アホ君。

233 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 20:30:30 ID:08srlLLm
庄内と白石をしっかり守って、中央の結果待ち、ってのが普通に上策だっただろ

234 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 00:36:34 ID:r62MrWUW
長期戦を想定したな。
失策にしろ、上策にしろ、何れにしても、景勝の判断だから、
直江は余り関係ないだろう。

235 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 01:17:46 ID:o/zi5jKb
攻めた事は景勝の戦略ミス、攻めてからは兼続の戦術ミス。



236 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 01:39:46 ID:p7NXfUvB
>>235
何故かお前のレスを見て頭の中で「虹とスニーカーの頃」が流れた


237 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 18:00:15 ID:JhQm4xLf
二ヶ月やって代わり映えせんのならまだしも
たかが二週間で代わり映えせんのを責められてもなあ。

238 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 19:27:33 ID:LYmDMWsn
また2週間だから仕方ない、かよ・・・

問題なのは、期間の長短じゃなくて、その間の戦い方だろ。
2週間の間、直江は長谷堂を攻め立てたが、撃退され続け、逆襲を食らい、
長谷堂はビクともしなかっただろ。
有名どころの武将も討ち死にさせるお寒い状況で。
それで攻め落とせたはずだと言われてもね。

で、そういうことを指摘すると、城攻めだから仕方が無いとか、2週間じゃ
無理だとかお馴染みの擁護が入るけど、論破されまくってるのにまた出てくる。

で、他にも城がなかなか落ちなかった例を出してくるけど、そういう例は
攻撃側より守備側が賞賛されている戦いなはずなのに、それが最上の長谷堂になると
城攻めとはそういうもんだ、とか、城攻めだから当然とかなる。

そもそも、素直に最上を評価できず、理屈をこねくり回して最上の戦いを当たり前の
ことにして、苦しい擁護に走ってることが、長谷堂戦の本質を表していると思うが。
信玄ファンは戸石城の戦いで、あれは城攻めだから当たり前とか言ってるのか?


239 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 19:43:30 ID:JhQm4xLf
勿論、最上はたいしたもんだろ。
ただ、数々の名将や大勢力でも城攻めに失敗する事はある。
そのことで直江を貶めすぎるアンチがいるのがどうかと思うんだな。

240 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 20:47:12 ID:KFNPEQuO
だから、長谷堂で語らなければいいと思うんだが・・・
どうしたってこの戦いは最上に分があるんだしさ。無理にこの戦いを評価しようとするから無理が出る。
まあ、底の浅い歴史雑誌がろくすっぽ調べもせずに、長谷堂で直江マンセーしてるのも原因かな。

241 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 22:40:46 ID:o/zi5jKb
>>239
城攻めに失敗しても名将と呼んでもらえる事があるとすれば、
それは他に確固たる実績があれば良いだけのこと。

長谷堂絡みの一連の最上合戦はどう見ても大惨敗なんだから、
コレで反論する事自体無理がある、ファンなら他の話を出せば良い。

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