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【武田】2万5千で上洛【信玄】その46

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 22:53:31 ID:ArMmJZ7P
前スレ
【武田】2万5千で上洛【信玄】その45
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1157793068/

ここでは「武田は上洛できたのか?」から始まって。現在では
「どうすれば武田は上洛できたのか」
「どうして武田は上洛できなかったのか」
など、武田と織田を中心にした戦国時代の話が扱われています。
ネタによっては場所は東北から九州まで、時間は室町から江戸まで
幅広くカバーしております。

テンプレ
>>2-30ぐらい?


2 :298=309:2006/11/20(月) 22:58:18 ID:UFgHqs8g
2ゲト

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 22:58:29 ID:Irlu1HXw
45スレまとめ
>1-15テンプレ
>16-19 >30過去ログ関連スレ
>20-29 >34-43スレまスレまとめ

>33-55 上野攻めるより先に美濃を攻めたら 決戦したら
>36-39 1572年秋-1573年春関連文書
>56-122甲相同盟破棄と駿河侵攻
>67-104武田の勝率
>123-129西上野攻略
>129-154駿河攻略と第1次駿河攻略成功時のIF
>155-161氏康が長生きしたら
>162-171越相同盟 1569年越後の状況
>172-175信玄謙信が戦わないIF

>178-206信長信玄の家督相続時の石高国内外状況の比較 桶狭間の戦い時の尾張の状況
>207-228信玄はどの程度の能力か不利な環境だったか 継いだ段階での国力・周辺国との関係等の比較
>230-249甲尾同盟を維持していたら 上杉織田の関係 何故上洛しようとしたか

>254-339各大名の国力・周囲を取り巻く環境の比較・恵まれた大名
 >272 100万石越えた大名一覧
>278-339竜造寺隆信・大友宗麟・集権体制について
>279-286義信事件について >286義信謀反年表
>277-301相続問題・お家騒動

>345-364信長の戦場指揮の逸話
>365-393信玄の戦術指揮能力三増峠の戦い武田織田の指揮官クラスの死亡について
>394-411信長の戦術指揮能力
>412-471信玄の戦略駿河侵攻

>472-500 100万石クラスの大名 1570年上杉の国力 武田は同程度の勢力相手に拡大できるか
 >496同じ国力差から抜けた大名
>501-547同程度の国力相手 上杉との戦力比較 信玄の戦術 織田包囲網の状況
>548-586越後攻め駿河攻めについて 駿河攻め時の北条の思惑 武田の信用度
>587-607武田の上洛について 信玄信長の宗教観 第1次駿河遠征が成功していたIF

>608-635武田信虎の政策・甲斐国人衆
>636-660野々宮合戦 信長信玄の拡大速度・敵対相手の国力状況
 >647信長の生涯を通しての拡大速度
>663-680信玄は何故先に美濃を攻めなかったのか 斉藤上杉の比較・尾張信濃の比較
>681-715信秀の晩年尾張の状況 信玄信長家督を継いだ段階の比較
 
>711-738家格権威官位役職の効果影響力
>742-745直轄領
>746-790包囲網が完全に機能した場合のIF 地勢 武田による斉藤攻めIF
>791-866今川氏真が優秀なら及び織田と同盟した場合のIF 桶狭間後の今川の状況
>914-962家督相続時の有利さ・家臣の発言力傀儡か否か 他大名との比較・地理的優位性
>961-987板垣信方

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 22:59:00 ID:Irlu1HXw
上洛の可能性 ↓以下で上洛可能
・信玄が健康で長命
・足利浅井朝倉松永本願寺三好残党六角残党らも包囲網一致協力
・三方ヶ原の戦い後、徳川家を早期に攻略乃至は降伏
・武田軍が甲斐に帰らず1年以上遠征可能
・上杉が空になった信濃、上野を 襲うことは決してない
・北条も軍艦の記載のように援軍を出す
・三河尾張国境の 水野家が離反する
・織田との決戦で勝利する

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 22:59:39 ID:Irlu1HXw
各国の石高及び動員兵力(石高は太閤検地のもの)
ちなみに、万石あたり250人は比較的低い動員率、
無理すればもっと動員できるだろうがそういう兵力は基本的な守りに残すと解釈。

関東
上野:49万6千石/12400

甲信・中部
甲斐:22万8千石/5700
信濃:40万8千石/10200
飛騨:3万8千石/950
美濃:54万石/13500
近江:77万5千石/19375

東海
駿河:15万石/3750
遠江:25万5千石/6375
三河:29万石/7275
尾張:57万2千石/14300
伊勢:56万7千石/14175
志摩:1万8千石/450

北陸
越後:39万1千石/9775
越中:38万3千石/9500
越前:49万9千石/12500(慶長検地では68万石)
若狭:8万5千石/2125

5 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/09/09(土) 18:23:37 ID:5MgUYlr3
畿内
山城:22万5千石/5625
大和:44万9千石/11225
摂津:35万6千石/8900
河内:24万2千石/6050
和泉:14万1千石/3550
伊賀:10万石/2500

四国
讃岐:12万6千石/3150
阿波:18万4千石/4570
淡路:6万2千石/1550

各国の石高及び動員兵力(石高は太閤検地のもの)は以下参照
ttp://homepage3.nifty.com/ksatake/

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:00:21 ID:Irlu1HXw
1572年(元亀三年)十月三日(信玄、古府中を出立)の各勢力の状況

●武田
・甲斐…100%(5700)
・信濃…95%(9690)
*飯山周辺は残す。
・上野…36〜43%(4450〜5375)
*倉賀野、松井田、箕輪など領地は広げているが、ほとんど北西山間部なのがネック。
 面積で言えば4割だが、石高では三分の一程度とする意見あり(上野の平野部は南東)。
 14郡中武田は吾妻郡 碓氷郡 甘楽郡 群馬郡の半分 故に石高的に3分の一 の説。
 利根川以西を領土とすると、これに録野、片岡、多胡郡が加わる。(約四割)
・駿河…100%(3750)
・飛騨…10%(95)
*72年7〜8月に飛騨諏訪城を落としている。これ以前の直接の軍事行動はなし。
 もともと飛騨の豪族は越中の対一向一揆で上杉と仲がいい。諏訪城主江間氏も逃亡
 して上杉氏を頼る。
・越中…?
*68年に松倉(富山)城主椎名氏が武田に降っているが、71年には謙信に落とされている。謙信は73年
 には加賀まで攻め寄せているから、その頃までに越中の武田勢はなくなっていたとみるべきか?
 松倉(富山)城主椎名氏を降すのは『北陸の中世城郭第15号』より1573年1月の可能性が高い
・遠江…7.8%(500)
*遠征前に陥したのは71年に国境の榛原郡小山城(この時高天神や掛川も攻めるが落せず)と犬居の天野氏のみ 天方等はこの時点では未攻略 。
 武田が本格的に東に出てくるのは、氏康が死んで同盟復活する71年後半(正式な復活は71年12月)。
 遠征後は20%ほどに増大
・三河…12%(850)
*足助城を落とし、賀茂郡一部・設楽郡ほぼすべて・八名郡一部を支配。ただし全て山地なのがネック。
・美濃…ほぼ0〜5%(0〜675)
*秋山信友が岩村城を落すのが72年11月。 それ以前に落していた恵那郡の小城を、どの程度に見積もるか?
 18(21?)郡中これだけでは最大5%もないとする意見。

総計25035〜26635
後北条と同盟。義昭や顕如ら畿内の反織田勢力と連絡を取り合う。背後に上杉と上野方面を巡って火種。
ただし、もともと高税率のうえ、69年以降は戦もそれまでの二倍以上。領国の疲弊はすでに始まっていた
とする説あり、ただしソースは少ない。継戦能力にも疑問。


7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:00:51 ID:Irlu1HXw
●織田
・尾張…100%(14300)
・美濃…90%(12150)
*21(18郡?)郡中武田は恵那郡岩村周辺のみ 郡上郡遠藤氏は武田織田を秤にかけて日和見。
・志摩…100%(450)
*ただし、戦力としては水軍衆がほとんどと思われる。
・近江…70%(13563)
*浅井・六角は追い詰め中。他には甲賀郡の土豪と野洲郡のいつ蜂起するか判らない一揆衆。
・伊勢70%(9923)
*桑名・三重郡の一揆衆。配下からも寝返られ、本城も明け渡され乗っ取り進行中の北畠氏を除く。
・三河…10%(728)
*水野氏など、桶狭間以前から織田についていた豪族。

総計51114
この他、畿内各地に協力勢力と敵対勢力あり。義昭とは抜き差しなら無いところまで。堺などの都市も抑える。
若狭の豪族たち(逸見・粟屋・内藤)、大和の筒井他、摂津河内和泉の細川畠山荒木などが味方勢力として存在。
池田和田淡路の安宅などはテンプレ時は旗幟をはっきりさせていない。

●徳川
・三河…78%(5675)
・遠江…92.2%(5875)
*両国とも、武田にどの程度侵略されているか。また調略如何によっては動員はさらに下がるかも。

総計11550
三方ヶ原の戦力を考えれば妥当か。ただし武田軍撤退後、特に遠江では支配率は グンと下がっているだろう。上杉と同盟。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:01:24 ID:Irlu1HXw
■三方ヶ原の戦い後の情勢。

1572年
十二月 二十二日 三方ヶ原の戦い

1573年
一月  三日 武田軍野田城を囲む
北山城や摂津河内の国衆から義昭に付く者が続出する。信長は村井、島田、朝山日乗を講和の使者に出すが義昭は一蹴。
近江志賀郡の石山、今堅田に兵を入れる。
二月 十五日 武田軍野田城を落とす。
二十四日 柴田、丹羽、明智、蜂屋の軍が近江を攻撃。石山、今堅田も数日で開城。

三月 二十五日 信長、岐阜を出陣。
   二十九日 細川藤孝、荒木村重が逢坂に信長を出迎えて忠誠を誓う。

四月 三日〜四日 上京焼き討ち。二条御所を包囲。
   七日 調停の仲介により信長と義昭との和睦なる。
   八日 信長、京より岐阜へたつ。
十二日 武田信玄死去
柴田、佐久間らは六角氏が立て篭もっていた近江愛知郡の鯰江城を攻略。さらに百済寺も焼き討ち。

七月 足利義昭京より逃れる。

八月 朝倉・浅井両家滅亡。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:02:07 ID:Irlu1HXw
■この情勢をもとにした推測。

織田は
近江に浅井・朝倉への抑えとして木下、磯野で合計七千ほど、
江南の抑えと京へのにらみに八千ほど、
北伊勢への抑えと尾張の守備に五千ほど、
美濃では岩村への抑えに三千ほど抑えに置くとすれば、
(基本的な任務は守備、現状維持)
計算上は2万8千ほどを対武田に向けられるのでは?

武田は
北信および上野へ対上杉に五千ほど、
美濃岩村の秋山隊が三千ほど、
北条の援軍が二千〜三千で、
合計ニ万〜二万五千ほど?

武田は
北信および上野へ対上杉に五千ほど、石高的には10万石3000ほど
美濃岩村の秋山隊が三千ほど、石高的には6万石1500ほど
北条の援軍が二千〜三千で、
遠征軍合計実数二万五千ほど
信玄率いる遠征軍は石高的には84万石〜90万石で21000〜22500ほど+北条の援軍2000〜3000
+美濃へ入ってくる秋山隊が3000ほど

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:02:37 ID:Irlu1HXw
その他の勢力 東国

●長尾上杉
・越後…100%(9775)
*ただし、揚北衆特に本庄氏の扱いは微妙。
・上野…10%(1240)
*沼田・厩橋近辺と考えるとこれぐらいか? 武田・北条におされ気味。
・越中…20〜25%(1900〜2375)
*神通川以東(新川郡)松倉・富山は1573年正月まで攻撃中。72年〜73年にかけての遠征によって、越中の大部分を支配下に収める。
この時は越中から加賀にまで攻め込み、顕如から信玄へ援軍要請が行われた。
松倉(富山)城主椎名氏を降すのは『北陸の中世城郭第15号』より1573年1月の可能性が高い
・飛騨…三木氏や江間氏とは友好的。1572年の富山攻めでは江間氏が援軍派遣してる
・信濃…5%?(510)
*飯山城とその周辺は保っていた模様。最大見積もってもこの程度。

総計13425〜13900
・遠征能力○
遠征能力は高いが、北陸へ出陣中。仮に北信・上野に出陣するとしてもメリットは薄い? ただし史実
ではこれ以前も以後も関東への出兵を繰り返している。武田・北条・加賀を敵に回して織田・徳川と同盟。
関東の諸将(佐竹ら)とは疎遠になった。

●後北条
・遠征能力○
武田・上杉と並ぶ大国だが、武田とは同盟中。今回の武田西上でも援軍(二千~三千?)も出している。
数年前まで戦っていたとはいえ、手切れをしてまで武田を攻める事は無いだろう。北関東には他に敵
もいる。

●朝倉
・越前…100%(12500)
*寺社領については、明確な根拠を示さない限り否定されます。
・若狭…?
*守護武田氏は抑えているが意味なし。有力国人である逸見氏・粟屋氏などはこぞって織田について抗争中。
 朝倉軍の一部は粟屋氏の居城を攻撃していた模様。(武藤氏が反織田に回ったが、この時期の動向は不明)

総計12500+?
・遠征能力○
遠征は10000程度は可能か? 現在、越前にフラフラ様子み。70年の講和以降、浅井への援軍以外に
出兵なし。経済疲弊。一部軍役拒否の状態。若狭の支配圏は低下中、むしろ抑えるための兵力派遣
が必要。

●浅井
・近江…9.5〜14.5%(1850〜2825)
*伊香郡、高島郡の半分、浅井郡の小谷、山本山城しか残っていない。
高島郡はもう少し高いとみる説あり。これも考慮に入れた。

総計1850〜2825
・遠征能力△(朝倉が来れば助力可)
単独での侵攻は辛い。木下隊に苦戦。小谷城の眼前に虎御前山砦を築かれて押し込められる。

●六角
・近江…?
*愛智郡鯰江城で逼塞状態。甲賀の土豪がどれほと力になるか?

●松永・筒井(反松永)
・大和(11225、ただし双方合わせて)
*寺社勢力は心情的にも筒井派。土豪も多くが筒井につく。
・遠征能力×(両派とも)
大和で両派が泥沼の抗争中。お互い支援を求めて織田や三好と手を組むことに。
元亀三年の時点では織田の支援を受けた筒井側に有利。松永は押されっぱなし。


11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:03:08 ID:Irlu1HXw
●長島一向宗+国人
計20000?
遠征しないが尾張は目と鼻の先。ただし動きは鈍い。守備力は高い。

●石山本願寺+雑賀衆?
計23000?
遠征準備は謎だが、近江まで歩いて1日。 ただし動きは鈍い。守備力は鬼。本願寺自身は織田と直接
軍事衝突は行っていない(するのは後年)。信長との外交ルートあり。
※もともと本願寺と一揆は別ものであり、絶対的な命令権があるわけではない。各地の一揆はそれぞれ
の権益を守るために支配者に抵抗した。また、兵力には老幼婦女が多数含まれていると考えられる。

●北畠
・伊勢…30%(4253)
*大湊など、伊勢湾の海上交易に大きな影響力をもつ。かつては南伊勢五郡を有したが、織田へ離脱
 するものが出る。
計?
・遠征能力×
織田による内部からの乗っ取り進行中。そのため勢力としては身動きとれない。隠居させられた北畠
具教は面従腹背。武田と接触をとっているが(根拠は不明)、実質どれほど動かせるかは不明(後年、
具教が討たれたときに北畠残党が挙兵するが、一族などの一部に留まる)。
ほとんど織田の一部とみなしてもいいとする意見あり(ただし、信雄が正式に跡目を継いで北畠軍が
織田の一環として行動するのは74年以降)。

●伊賀
六角に協力したり北畠についたり。基本的には中立。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:04:23 ID:Irlu1HXw
その他の勢力 三好

三好一族の主だった頭(各国の支配率は不明、動員数は100%の場合)

 畿内
・本家:三好義継 三人衆との関係から信長に従っていたが、義昭と共に敵対する
・三人衆:三好長逸、三好政康、石成友通 これも一枚岩ではない。義継や久秀と
抗争の為に行動をともにしていただけ。特に石成は一人信長についた時期もある。
・三好笑岩 基本的に、四国三好家にちかい。信長以前は本家と戦い続ける。
・三好政勝 管領細川家の家臣。長慶を親の仇と長年争い続ける。

・摂津(8900)
・河内(6050)
・和泉(3550)
*ただし、この全てを三好一族が抑えていたわけではなく、細川、畠山、池田、和田、荒木、伊丹、など
 その他在地勢力が根を張り、反三好から織田につくものも多数いた。他に足利家につくものも多数いた。

総計18500-敵対勢力
・遠征能力×
反織田という形で立場は同じになったが、指揮が統一されたわけでもなく分裂状態のまま。
統一行動は難しいか。


四国
・阿波三好家:三好長治-篠原長房 基本的に、主筋になる細川家と争ったり講和したり。 畿内には
あまり関わらず。播磨方面で抗争があった模様?
・讃岐十河家:十河在保 阿波三好家と行動を共にす。
・淡路安宅家:安宅信康 四国三好家についていたが、1572年には義昭信長につく。

・阿波(4570)
・讃岐(3150)
・淡路(1550)
*安宅信康が織田についてしまったので、これは三好には加えられない。
  離反は確実であるが織田に付いたとも言い切れない。

総計9270-安宅氏の勢力
・遠征能力×
お互いに争ったり結んだり。このころには篠原長房との確執が表面化しだす。73年4〜5月に長房が
討たれた後は抑えられていた豪族たちが反旗を翻すことになる。
四国の三好家関連は、後にほとんど信長に属することになる

 おまけ
●足利将軍家
・山城…?
*北山城の国人が義昭に呼応し、明智の配下から離脱者が出たとの記録あり。また細川藤孝や石成友通
などの勢力もあり。細川・明智は織田勢力とみなしてもいい。和田池田伊丹などは義昭勢力。

総計不明
・遠征能力×(史実でも城に篭った)


13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:46:09 ID:mkJOItRz
あれほど立てるなと・・・・

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 01:58:36 ID:fPweTg8v
需要があるんだからいいじゃまいか
もう上洛について語りあうだけではなくなってるし。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 02:21:57 ID:N0CFUG3b
信玄って織田包囲網無しでは信長に勝てないんでしょ。
ザコに過ぎないね

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 04:19:12 ID:Kk1tujcb
単に信長が強すぎるだけだろ
全体として見るなら信玄はやっぱ強いだろ

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 05:44:53 ID:Fr4qNAXZ
織田包囲網の最大の立役者は
武田信玄じゃなくて、足利義昭だけどな。
というか、織田包囲網は、足利義昭の策謀だ。

彼は足利幕府最後の将軍だから、不当な評価のされ方だけど
かなりの策士だと思うよ。
南北朝時代の足利家が強かった時代に生まれていたら
かなりの名将として名を残したんじゃないのかな。


18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 16:53:49 ID:FU5aebbJ
義昭評価でよくいわれるけど、そりゃ過大評価というかひいきのヒキ倒し。

実際に義昭がやったのは手紙をばら撒いてもともと信長と敵対していた連中、
信長に反感をもっていた連中に挙兵の名分を与えただけで、別段義昭の唆躁で
信長に敵対したなんて勢力はいない。さらにその勢力もめいめい勝手に戦って
いただけで組織だっていたわけでもなければ、連合軍として同盟を組んでいた
わけですらないのだから。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 18:35:13 ID:bdKt3bg0
まだやんのかよwwwwwwwwww
どうせループするだけだろ

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 11:38:06 ID:fKrbjFlh
健康な信玄が25000で、三河尾張国境を越えました。
さあどうなる?

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 13:30:45 ID:F7E1M+4P
徳川と織田に挟み撃ちされて終了

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 13:58:43 ID:n+NxL0LX
アグネスタキオンの引退と一緒で、いいときに信玄死んだじゃん
織田にやられてたらここまで持ち上げられることも無かった。
今川義元のようなやられキャラだったな

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 14:20:47 ID:RTQmIfgF
NHK大河ドラマ『風林火山』

千葉真一=板垣信方

戦国自衛隊か影の軍団みたいなwww

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 20:34:26 ID:N+UKVCwu
死んだ勝頼は影武者で本能寺を計画したのが勝頼だったとしたら。

そして安土を本拠とする武田・京を支配する明智の連合が…。

羽柴、柴田とどう戦うか!

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 22:40:04 ID:F7E1M+4P
>>24
http://life7.2ch.net/utu/


26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 01:05:49 ID:k96ECEHD
典厩信繁がいない武田家は信玄の独檀場でしかないので、
信玄がいなくなったらもうアウト。
どう考えても上洛は難しい。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 12:37:28 ID:mEGQmYFj
どうでもいいけど信繁と書いてしまうなら典厩って書いた意味なくなるよね

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 17:37:48 ID:E4MjH/IN
>>20
殲滅されるか
三増峠のように上手く脱出するかもしれない
けど大勢はそのまま織田有利なんじゃ

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 19:02:53 ID:BolFmkpG
>>28
殲滅って、、織田軍はどれだけ動員できると思ってるの?

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 20:50:41 ID:3lT4zLId
敵地で前後挟撃される困難さを理解してるのか?

31 :ダイジェスト野郎は中立なのだ:2006/11/26(日) 22:57:17 ID:EbHC4Tnc

元亀四年/天正元年(1573)年

○織田包囲網消滅 ダイジェスト

2月23日 織田信長、遠三周辺の件で武田信玄は2月17日
に野田表を撤収したことを通達。──『細川家文書』

2月26日 浅井長政、某へ足利義昭の屋敷落成、足利義昭
御内書が武田信玄に下されたこと、東美濃へ武田信玄が出
撃し加治田城・つぼ城を攻略したこと、朝倉義景も間もなく
出陣する旨を通知。──『小島明氏氏所蔵文書』


32 :ダイジェスト野郎は中立なのだ:2006/11/26(日) 22:58:36 ID:EbHC4Tnc

○足利義昭の苛立ちつのる

2月26日 柴田勝家・明智光秀・丹羽長秀・蜂屋頼隆、
足利義昭与党の籠もる近江国石山城を攻略、破却す。
──『信長公記』

3月6日 足利義昭、織田信長へ人質を返還し、戦の
ために、二条城の堀を掘る。──『兼見卿記』

3月25日 織田信長、上洛のために美濃国岐阜城を
出陣。──『信長公記』


33 :ダイジェスト野郎は中立なのだ:2006/11/26(日) 22:59:42 ID:EbHC4Tnc

○将軍義昭挙兵す

4月2日 織田信長、足利義昭の挙兵に対して洛外を悉く
放火。──『京都市小石暢太郎氏所蔵文書』

4月3日 織田信長、洛外の堂塔寺庵を除外して放火す。
──『信長公記』

4月3日 織田信長、山城国賀茂から嵯峨に至る在所
を悉く焼き払う。──『兼見卿記』

4月4日 織田信長、足利義昭の挙兵に対して上京を
悉く放火。──『京都市小石暢太郎氏所蔵文書』

4月5日 正親町天皇、織田信長へ二条晴良・三条西
実枝・庭田重保を勅使として派遣、足利義昭との和議
を講じさせる。──『兼見卿記』

4月5日 柴田勝家、山城国天龍寺惣寺中へ、織田信長
の厳命により焼き打ち免除を安堵。──『天龍寺文書』


34 :ダイジェスト野郎は中立なのだ:2006/11/26(日) 23:02:18 ID:EbHC4Tnc

○信長、家康へ信玄の備え怠らぬよう通達す

4月6日 織田信長、上洛にあたり小栗大六を派遣してきた
徳川家康へ足利義昭の挙兵については織田信長の身に
覚えの無いことであり、「君臣御間」ということで従来の忠節
が無駄としないために種々の道理を講じたが足利義昭の
承諾が得られなかったため、去る4月2日・3日の両日に
洛外を、4日には上京を悉く焼き払ったので足利義昭と
講和が成立したことを通達。
また徳川家康の近江国横山周辺への出陣は無用であること、
遠江・三河国境の武田信玄動向の件は油断無きように備え
ることを通知。──『京都市小石暢太郎氏所蔵文書』

4月7日 織田信広・佐久間信盛・細川藤孝、和議に際し
織田信長名代として幕府御所を訪問し、足利義昭と会見。
──『兼見卿記』『信長公記』

4月8日 織田信長、美濃国岐阜城へ向けて京都を発す。
──『兼見卿記』

4月11日 織田信長、近江国百済寺を灰燼にし、美
濃国岐阜城に帰還。──『信長公記』


35 :ダイジェスト野郎は中立なのだ:2006/11/26(日) 23:03:54 ID:EbHC4Tnc

○信玄没す

4月12日 武田信玄、信濃国駒場に於いて病没。
──『兼見卿記』『信長公記』『本願寺文書』

○義昭足掻くも徒労に帰す

7月2日 足利義昭、京都を「御退座」。
──『本願寺文書』

7月3日 足利義昭、京都二条城を退き山城国槙島城
へ移る。──『兼見卿記』

7月7日 織田信長、入洛して京都二条妙覚寺に布陣。
二条城を攻囲する。──『信長公記』

7月12日 三淵藤英、柴田勝家の勧降により京都二条
城を退城し、伏見城へ移る。──『兼見卿記』


36 :ダイジェスト野郎は中立なのだ:2006/11/26(日) 23:04:48 ID:EbHC4Tnc

○信長、信玄の病死を伝え、義昭を毛利領へ追放す。

7月13日 織田信長、毛利輝元へ武田信玄は既に病死しており、
朝倉義景は大した行動は出来そうに無いこと、三好氏以下は
取るに足らず、足利義昭が自発的に軍事行動に及ぶ様子は
おそらく無いこと、足利義昭が「天下被棄置」てしまったので織田
信長が上洛して鎮定している状況であること、足利将軍家の件は
「諸事遂議定可随其」としたので毛利輝元へ相も変わらずの
入魂を希望すること、毛利氏分国中に別儀が無いことは結構
であることを通知。──『太田荘之進氏所蔵文書』


37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 23:24:10 ID:sdDInOWO
>>29
3万弱じゃまいか?
でも尾張まできたら危機を感じてもっと動員するかも。
徳川軍も6千程度はやってくるだろうが。
つうか敵領のど真ん中で孤立した上狭撃されたら確実に殲滅されると思われ。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 02:32:44 ID:6n9w2IB/
戦国関連の書籍でも、武田は信玄死なずとも簡単に上洛できる状況ではないと言われてるしね

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 04:49:16 ID:B0/kdvlu
>>37
マジレスしていい?

殲滅=損耗10割=皆殺し

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 10:38:02 ID:s5uuSOzj
マジレスって言うか、あげ足取りだな。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 12:55:07 ID:pfOOJrvY
4月某日
尾張の平野にて、武田軍2万5千vs織田軍3万で激突
訓練度:武田95p、織田95p、、ほぼ互角
士気:武田80p、織田98p、、、祖国防衛の織田が上
疲労度:武田70p、織田30p
装備(鉄砲):武田300p、織田3000p
民衆の協力度:武田10p、織田100p
地の利、城の利用など:武田10p、織田80p
主将の能力:武田80p、織田95p
部将の能力:武田60p、織田80p
激闘5時間
武田軍1万5千で敗走
織田軍2万5千で追撃
三河某所にて、徳川軍5千待ち伏せ
激闘3時間
武田軍5千で敗走
追撃する織徳軍2万5千
4月某日
武田軍300、甲府に帰還
と、思ったら、上杉軍1万が待っていた・・・

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 15:08:45 ID:tZf7H3O7
揚げ足取りというか言葉遊びというか
軍としては敵中で雲散霧消してしまえば殲滅と大差ないし

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 17:32:17 ID:B0/kdvlu
日本語としても、軍事用語としても誤ってるのを指摘しただけ
多分、誰かに指摘されるまで使い続けるだろうからな
真面目に書いたレスであればある程説得力に欠ける



適当な書き捨てレスだったらヌルーしたが

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 21:49:40 ID:0lTTMIuF
軍事用語だと
部隊の2割の死亡か死傷で壊滅じゃなかった?

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 23:05:17 ID:JCjVfeWn
すると歴史小説なんかで使われる殲滅戦もダウトなのか
言葉狩りジャマイカ

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 00:14:41 ID:Hgzxiksk
単に43の殲滅の使い方が日本語としても軍事用語としても
間違ってるだけでしょ
それよりもう少し建設的な話をしよう
といっても話題が尽きているかもしれんが

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 01:02:12 ID:05r2+0Sd
>>34
>4月6日

信玄が野田城を包囲しているころだと思うけど、
家康は、
>近江国横山周辺への出陣
するつもりだったのかなー?

信長は義昭の挙兵に対応するために上洛したみたいだけど、
尾張方面への危機感、ないみたいだねー。

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 12:28:11 ID:D8L4Jqr0
>>47
たしかに、信長と家康は
遠江・三河国境の武田信玄はそのままにして、
家康が近江へ出陣するかどうかを相談しているようですね。
信長の信玄への危機感の薄さと、
家康の信長への気を使ってるのが感じれます。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 01:59:40 ID:BUUlZeBi
前年飛騨に参陣した遠山から信玄の病状を聞いて死んだと確信してたとか?

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 05:25:34 ID:EwsueILj
そう簡単に徳川領を侵食できないとふんだんじゃまいか。
実際信玄の侵攻速度は遅かったわけだし。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 14:36:57 ID:Sh1Reb9s
信玄が浅井なんかに今度岐阜に出陣する積りだよ
って言ってるのと同様
家康の近江出陣も社交辞令みたいなものじゃないか

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 20:27:24 ID:B1AKwq/o
>>48
ていうか信長は言われるほど危機感持ってなかったらしい。
来たら困るなぁ程度だった。
むしろ信玄の方が直接対決して負けたらどうしようと上洛を渋っていた感がある。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 22:40:51 ID:beDTTVQe
>>52
信長がそれほど危機的状況じゃないというのは理解できるし
テンプレ見てもそのように思えるけど

>ていうか信長は言われるほど危機感持ってなかったらしい。
>来たら困るなぁ程度だった。
>むしろ信玄の方が直接対決して負けたらどうしようと上洛を渋っていた感がある。
これに関しては何かソースとか根拠はあるの?

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 23:07:53 ID:ByHGmJd7
想像だろう。しかし両者の国力差を考えると仮にそんな感想を持ってたとしても納得できる範囲ではある

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 23:12:14 ID:beDTTVQe
>>47
信濃美濃三河国境付近から信濃に入ったころだと思う。
野田城は2月に落としていると思う。

>>54
やっぱしそうか?

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 01:55:44 ID:j2bO43gf
信長包囲網全勢力合わせてやっとこさ互角に戦える状態だからな。
それぞれの勢力は「信長なんかとむやみに戦って消耗したら背後からやられる可能性が高い、
それなら牽制だけして戦いは本願寺とかに任せるのが得策」
と考えちゃうのも無理はない

57 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 01:53:50 ID:rBKeXq+Y
>>55
そうだね。勘違いしてた。
信玄は2月頃から撤退を始めている。
そして、もちろん信長はそれを知っていた。

58 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 10:09:46 ID:j1NDmXj9
まぁ、反信長側も呑気といえば呑気
本願寺は越中の一揆を助けるために信濃へ兵を出してくれって西進中の信玄にお願いしてるし
越中の一揆は謙信への餌のために信玄が扇動した捨て石というのが通説なんだけどね
当時の情報伝達速度からくるタイムラグも考慮にいれないといけないかな?

59 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 23:53:43 ID:5Xumw7Tb
信長の勢力拡大のスピードは凄まじかったからこのまま放置しておけば余計に立場が不利になる。
信玄としては玉砕覚悟で織田とぶつかるつもりだったのでは。

60 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 11:44:15 ID:7Xa7tmZX
バカのループは恐い

61 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 12:21:47 ID:5B8EXYIB
ループが怖いのにこのスレに来るなんて、
怖いもの見たさってやつ?

62 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 23:35:28 ID:0pBoOb2x
中公新書の「信玄の戦略」で原昌胤が虎胤の子ということになってるんだが、そういう説があるの?

63 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 22:15:58 ID:XcjlrEOq
>>58
まあ信玄にすれば上洛という大義名分をもった南下政策でもあるわけで。
畿内政権ってのは案外脆いんだよな、四方に敵を抱える恐れが大きいから。
実は信玄上洛、信長との主力決戦なんて信玄自身考えていたかどうか怪しい。
今回の作戦は謙信が動けない状態で短期に東海地方に今後の勢力拡大の橋頭堡を
築きたかっただけかもしれない。東濃や尾張国境を武田が実効支配すれば
信長も主力を率いた各個撃破が史実どおりのスピードでは進まないだろうからねえ。
問題は案外公方―朝廷ラインかな。義昭の行動だけは首尾一貫していないから読めん。

64 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 08:35:32 ID:f3owucSt
この時期の信長の本貫地は尾張美濃寄りだから畿内政権とはいえないだろう
ってか信長は後年の安土移動の際でさえ距離をとっていたよ。大坂城築城と本拠地移転が信長の案を秀吉が使ったんだというのは俗説だし

65 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 14:31:52 ID:4Q+CK/+1
畿内政権ってのは確かに言い過ぎかもしれなかったな。
であるなら濃尾に本貫地を置く信長政権にとってやはり東濃や尾張国境に
信玄が実効支配できる橋頭堡を築かれれば厄介にならんかね。
実際武田が信玄没後長篠合戦まで徳川と三河戦線の一進一退を繰り返したから
まあ信長政権にとっては大した影響はなく反信長勢力を各個撃破できたけど
それでも75年までは東濃に築かれた武田勢は木曽路の最前線として機能していたわけでしょう。
三河にも同じようにより強力な前線を構築できるまで信玄が生きていたら信長の武田攻略は
長引いたと思うがなあ。
さすがに信長が各個撃破のペースが落ちこそすれ失敗したとは思えないし
同時に信玄があのまま上洛コースを邁進して濃尾平野で主力決戦したとも思えない。
信玄の「上洛」の目的は後背の安全をようやく確保できた上での織田・徳川領侵略でしょう、というのが
自分の考え。

後背の安全というなら謙信を越中や越後揚北の撹乱で牽制したのは信玄いつもの策だが
後北条の外交や対武田戦線があそこまで機能しなかったのは不可思議だわ。
まあその帰結が氏政の再同盟だろうけど北条の武蔵・相模・駿東の防衛ラインってあそこまで
脆いもんかね。まあ上杉相手の季節限定戦争とは勝手が違うんだろうけど余りに…
国境の小豪族を篭絡して懐柔することと大勢力同士の激突との違いといえばその通りだが。

66 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 15:55:47 ID:PhEtHozg
信長は5年ほどかけて地道に斎藤氏を撃破した
時間を浪費したように見えてこれが信長の短期間の雄飛の原動力となった。美濃衆の戦力もさることながら、本拠地周辺に機動的な兵力を持った敵対大名が消滅したから
信玄は何度も謙信の部下を離反させてるんだから、信長のようにしぶとく越後を屈服させるための攻勢を続ければ、障害上杉の動静に戦力を注がなきゃならない非効率な戦略から脱却できたのでは?

67 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 19:19:26 ID:dNdf6xZB
できたならやってるだろ

68 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 21:44:56 ID:eZAQb002
>>66
つーかそういう書き込み見るたびに思うんだが5年や10年で50万石の斎藤氏を滅ぼしたことって相当凄いと思う
早すぎだろ 信玄とか一生かけて80万石程度だぞ それを家督次いで20年足らずで・・

69 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 21:58:44 ID:2iEFTTye
信玄の場合信濃併呑したところで有力勢力のひとつにしかならないからな
勢力拡大は織田より遥かに難しい

70 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 22:38:34 ID:sBsicL6v
信長だって美濃併呑した時点では有力勢力のひとつだ。
勢力拡大だって、信長以前に濃尾や畿内の統一支配を成し遂げたものがいないことを
考えれば、信長だからこそできたといえるものだろ?
信長の相手は分裂した弱小相手だからというのなら、信玄が相手にした信濃の豪族は?
となる。

71 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 08:20:23 ID:u91Y0Ko0
美濃併合時に百万石以上を領する大名が全国でもどれだけいたというのか
信長の美濃併合以降の西の敵対国との国力比と信玄の信濃攻略時のそれとは全く違う
信玄は信濃納めたところで東西南は同盟国で自分以上若しくは同等の石高、北も同等以上の国力

72 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 08:20:31 ID:gVucPJbY
謀反起こしまくりの家臣団に悩まされ、一揆衆の撃破すらできなかった謙信程度に対処できなかったのが信玄の器の限界

73 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 11:32:55 ID:AGDK0ZF7
半国の守護代の家老の地位から比類ない勢力まで成長したことが凄いのに、
比類ない勢力だから勝手当たり前って言うのは、突っ込みどころがおかしいだろう。

74 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 10:54:46 ID:fcZvNQc5
信長と信玄が親の後を継いだ段階で石高を比べれば、
おそらく大して変わらないはずなんだよ、信玄は甲斐一国、
対して信長は尾張半分以下だが、尾張の総石高は甲斐の倍以上あるので。

だから両者の勢力拡大を比べる上では、まず信玄の信濃侵攻と、
信長の尾張統一戦を比較すべきで、それぞれに要した期間は両者ともあまり変わらない。
問題はその後で、信長はその後斉藤家を比較的短期間に併合したが、
信玄はとうとう上杉を滅ぼせなかった。この段階で両者に大きな差が出来てしまった。

この点には異論はないが、両者の地理的な条件の違いや、
義龍が若死にしたって事情も考慮しなければならないから、
安易な優劣論にはならないと思う。

75 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 16:26:54 ID:QPc27xBZ
大してかわらないという根拠がまず曖昧
信長は散々過去スレで出たように父の遺領を丸ごと継がず、弟に分割したりしていた
それでも甲斐22万石と同等ならば、信長の動員兵力は最初から千単位も可能だったはずだ

76 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 17:03:44 ID:aLyKkFP1
>>74
家督相続の時点では、信長の方が分が悪い。
独自の動員兵力は1000を切っていた。
尾張国内戦では、兵力劣勢の戦いが多いよ。

77 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 19:59:36 ID:Rm/17PiO
大きな要因は信玄の戦闘の下手さにある、同等の勢力相手には負けるか引き分けるかしか
してない。

78 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 20:47:00 ID:fcZvNQc5
>>75-76
確かにそうかもね、大して変わらないはずだと言ったのは早計だった。

79 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 11:00:01 ID:vQsJD2z5
>>77
それでも百万石の勢力圏を作り上げたのが信玄の本当の凄さ。本質は民政家であり戦略家だから流布してる虚像と大分違うね
川中島でも不用意に兵力を分散させて危機に陥った話が本当なら、やっぱり戦術家として問題あり。もっとも相手方の謙信も戦う前に不用意に兵力を分散させて結局負けてるからどっこいどっこいだが(本当は上杉軍のほうが一千ほど数が多かったが後方に5千残したため劣勢に)
あと川中島で義信がポカしたといわれて、信玄贔屓だと後の廃嫡の正当化の理由の一つになってるが。上杉方から見ると義信は不利な状況から謙信の本陣を脅かすほど果敢に反撃した猛将と見えていた(謙信も後に述懐しているとか)

80 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 11:46:36 ID:2bV4EmdZ
若い頃の信玄は信長より短気だったのではなかろうか?
志賀攻めでも川中島でも信長だったら違う面を見せただろうと思う。
信長は戦闘よりも、むしろ調略を基本戦術としていた
また提携や同盟を重んじ、できるだけ無駄な戦は避けていた。
そのための徳川との同盟であり、浅井や斉藤との婚姻政策だった。
また戦争で下したとはいえ、神戸や北畠にも子供を送り込み
相手の家名を残して実質的に乗っ取る形で地盤を固めた。
もし、信長だったら早期から謙信の天才を見抜き忍耐して婚姻政策や
贈り物外交をした事は想像に難くない。
また、北信越の豪族・武将達の調略を基本戦略とし
「天下布武」か何か全武将を一つにまとめるでかいスローガンを掲げ
戦力を拡散せずに甲斐・信濃の戦力を一点集中主義で美濃に向かわせるか
関東制圧に向かわせるか軸のぶれない戦略を敷いたであろう。

81 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 11:49:52 ID:Z54yTPlJ
てきとうに読んだだけだけど二束三文の小説にでてきそうな発想だな

82 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 12:03:18 ID:2bV4EmdZ
信長-家康同盟と比べて、信玄-謙信同盟が出来てれば前者の比じゃない。
凄い勢いで越中、越前、信濃、奥羽まで勢力圏が広まってても不思議じゃないはず。


83 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 12:12:51 ID:vcw0ROPf
>>82
その場合は北条・今川同盟と抗争する事になるだけ、
地理的に遠い上杉との連携は難しいし、
甲斐は北条・今川に挟まれているから、
多分武田家は滅ぼされた可能性が高いと思うよ。

84 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 12:43:00 ID:LkUlvxBp
信玄・謙信同盟成立となると、謙信を頼った信濃豪族達が完全に邪魔者になるな
そもそも対立も協調もしてなかった武田・長尾が抗争始めたのは北信濃支配圏を巡る争いが原因だし
謙信が退くにしろ信玄が譲歩するにしろ、火種は残りそうだ

85 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 13:18:20 ID:TRikGj0Q
>>82
あいつらじゃ無理、北条か今川にやられるのがオチだろう。
どっちかが劣勢になったところで同盟破棄されて滅びる、たぶん武田が

86 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 14:10:38 ID:l0Y2LUzN
>>82
上杉は敵にすれば季節限定で面倒だが味方にすれば季節限定でしか役に立たない。
まあ無理して謙信本陣と衝突したくないんだから越相同盟のときの武田の行動のように
適当に敵勢力に翻弄されて終りだろう。あてにならんよ軍神様は。
>>77
>>79も指摘しているけど信玄の戦略は甲斐を中心とした勢力の拡大。
継続した勢力の拡大が戦略目標なら民力=兵力の損耗を避けるのは当然で
同等の勢力と主力部隊で激突する方が浅薄な戦国大名だろう。乱戦時の戦術面に劣っても
仕方ないしそういう事態で戦いに挑まないのが慎重な信玄らしい戦いだと思うが。
信濃北進、川中島(第四次決戦は最近異論多いが)、西上野、駿河南進も幾度か失敗しても
結局武田の掌中に入っているのは事実、その間に拙速な合戦があったのも事実。
まあ氏康や信長みたいに劣勢における派手な合戦がないっていうのは裏返しに言えば
そういう事態に追い込まれない信虎期の甲斐一国の掌握、名門としての大義名分てのが大きいのだろう。
個々の戦術面に優れていたというのは近世の築いた「虚像」だろうね。

87 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 17:11:56 ID:XkZf2r13
>>86
いや、信玄にも、
塩尻峠の戦い、北条領劫略、三増峠の戦い
っていう神速の機動力を見せた華々しい戦歴があるよ

88 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 18:20:36 ID:qeGIpZeP
でも三増峠はかなり危なかったんじゃないの?
最後脱出できたからよかったものの、あの状況は全滅しててもおかしくないよ。
浅利は死んでるし、計画が甘すぎたんじゃないか?

89 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 20:58:29 ID:TRikGj0Q
ていうか三増峠って意味の無い撤退戦だし、結局のところ小田原にまで行って何も出来ずに帰ったという話。
これだから甲陽軍艦に毒された奴は

90 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 22:46:20 ID:vcw0ROPf
本拠地を攻めることで北条の目をそっちに向け、
駿河領有を確保したという点で非常に有益な軍事行動だったと思うけど。

91 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 00:37:50 ID:JJ83t/Ml
信玄が駿河を領有できたことってあったっけ

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 04:59:59 ID:rPGpoPmu
1568年から死ぬまで領有してるじゃん


93 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 05:43:07 ID:1zKAcDHQ
上杉って北条と結んでても何もやってないじゃん
何が義だよw

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 05:48:53 ID:rPGpoPmu
お前が何だよw
ここでは誰も義の話なんかしてないだろ。

95 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 05:50:26 ID:mD8s6isH
武田が駿河獲れたのは氏康が体調崩して軍を指揮できなくなったからじゃないの?
三増峠後に北条の国力が下がった訳じゃないし、結局運がよかっただけ

96 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 06:20:43 ID:5BGL/rfL
>>90
別に三増峠のあとに、駿河の北条軍が引揚げて駿河が手薄になったなんて記録はないのだが。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 06:23:21 ID:rPGpoPmu
>>95
氏康がいなくても戦果は戦果。
それにその運を生かせたことも評価できる。
駿河確保の戦略的にも成功した作戦だと思う。

>>87
ただ、別に北条方が打撃を受けた様子はないので
華々しいと言えるかは争う余地があるだろうな。
普通に三方が原を上げておけば良かったのではないかな。
それと北条領劫略って何のことかよく分からないんだけど何?



98 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 07:07:28 ID:k4asoIQT
>>96
1569年の10月に三増峠の戦い、
同じ年の11月に駿河に再侵攻、翌年1月にはほぼ占領って時系列で、
関係がないってことはないでしょう。

本拠地への直接攻撃と野戦での勝利により、
北条が防御構想の練り直しをしているうちに、
まんまと駿河占領という戦略目標を達成したというべきかと。

99 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 07:37:23 ID:k4asoIQT
>>95
ちなみに、北条氏康が死亡したのは1571年10月で、
病を得たのもその年になってからだったはず。

100 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 12:56:19 ID:mD8s6isH
いや、1569年の時点でかなり深刻な病状だったよ。一時は書状も書けなくなったほど。
その後、やや持ちなおすが息子の区別すら難しい有様だった。
んで、最後に一気に重体になったのが1571年。

101 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 13:27:43 ID:mb6C4odG
氏康の健康不安に助けられたわけか
信玄は幸運だったな
しかし、謙信って敵に回すと厄介だが味方になると頼りにならない……

102 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 14:58:16 ID:SfTNwzlS
まるでにちゃんねらーだな

103 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 15:29:41 ID:3PS732lB
北条とはその後二年くらい駿河で戦っています。
完全に占領したのは氏康死後です。富士川以降を手に入れたのは。

というか、駿河の城奪われてなかったか。三増峠の後。


104 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 19:37:30 ID:k4asoIQT
>>103
それはそうだが、少なくとも今川館は1569年の12月に落しているでしょう。
同じ年の4月には北条軍に阻まれ駿河からすごすご撤退しているのに、
9月に北条領に攻め込み、10月に小田原城包囲して帰途に三増峠の戦い、
そして11月に駿河に再出兵して12月に今川館攻略。

この流れで北条領への侵攻が陽動としての用を成していないって事はないと思うが?
その時北条家の実質的指揮を取っていたのが氏康であろうと氏政であろうと、
まともに駿河でやり合って奪えなかったので、
根拠地攻撃という陽動をして、その隙に駿河の主要部を奪取という流れに変わりはないのでは。

105 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 00:54:59 ID:OW2HkBnF
>>104
だから、北条領への侵攻の後に、駿河の北条軍に異動がなければ「陽動の役を果した」とは言えないのですよ。
その記録はあるの?という質問です。
三増峠をどうみるかにもよりますが、結果からすれば侵攻してきた武田軍を撃退した、とも言えるわけです。
その結果北条で人事異動が生じて駿河の北条軍が減ったというのならともかく。逆に十月に三増峠、十一月
駿河出兵の流れをみると、仮に北条に駿河の軍を異動するつもりがあったとしても間に合わないような。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 01:06:02 ID:OgMEadPO
104が言いたいのは、駿河防衛軍のことではなく
相模からの後詰が減るからやり易くなるということでは?

107 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 07:25:32 ID:CohYJO84
>>105
まあ、>>106さんのとおり。
直接駿河から兵力を削減しなくとも本拠地を別方向から攻めれれれば、
自然と目はそちらに向くでしょう。
しかも主力軍ではないとしても野戦で敗れたのだから、
ごく一時的なものであれ戦力や戦意の低下は避けられない、
迅速に駿河方面へ救援を向けるのは難しくなると。

逆に本拠地を攻められているのに、駿河方面への警戒態勢が全く変わらないというの変だし、
まして警戒態勢が変わらなかったとすれば、にもかかわらず数ヶ月前には撃退できた武田軍に、
今度は今川館まで落されてしまったというのもあまりにも不自然だ。

結局三増峠の戦いと、その二ヵ月後の今川館攻略が無関係ってことはないと思うよ。

108 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 20:20:46 ID:bIRwPCJJ
相模侵攻は陽動より牽制が適切。それと同時に今川勢への示威も目的だろう。
今川も相模侵攻の後、このタイミングで駿河侵攻をするとは思わなかったのだろう。
不意をつき調略した今川の武将の手引きもあり迅速に制圧、さしたる損害を受けずに駿河を手に入れた。
その背景には上杉家臣への調略や越中の一向宗を利用して、謙信を越後に釘付けに成功させた戦略がある。

109 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 07:03:58 ID:5MYhvrni
>>1まあああああああああああだこんなスレが立ってたの????

世間で  信長>>>>信玄なんて言う奴いないよ、いたら笑われるよ

見事な兵卒の揃え方や様々な戦の仕方、外交や工作などを頻繁に利用する信玄
に信長がどうやって勝てるの??1572年の時点では鉄砲数千艇も揃えられない
んだよ、どうやって勝てるの??

信玄が上洛遅すぎた理由は上杉や北条などの警戒だったが、それだけ列強が周
りに多かったってこと、信長の周りってどんなのがいたの?ひたすら弱敵ばか
り、おまけに自らドジって信長包囲網??小競り合いで武田軍にボロボロにされ
てるよねえアハハハ!!

110 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 07:23:38 ID:aaU9/hwP
このスレの釣りレベルも落ちたものだ。

111 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 07:47:16 ID:H6Kip/X2
ID:5MYhvrni
よっぽど悔しかったのか
こっちのスレでは5回連続書き込み

結局信玄と謙信どっちが最強なの?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1162723293/109-113



112 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 19:58:18 ID:ZAV8yKAE
>>109
それじゃあ、たかが2万5千で、どうやって信長を撃破できるか、論証してみろよ

113 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 21:01:12 ID:aaU9/hwP
スルーしとけば良いのに。

114 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 00:19:05 ID:wTUkc2W1
>>112
家宝買い漁る→家臣の忠誠と能力の底上げ
騎馬Sで騎突→怖いのは謙信だけ

115 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 00:34:13 ID:uKNDIN0p
烈風伝は良いよなぁw

116 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 01:41:05 ID:9D/lRpD1
無理に同盟破棄して今川に攻め込むよりも、当初の戦略を貫徹して
上杉を滅ぼすべきだったな。北条との不毛な戦いも無かったし、
嫡子の粛清も無かったし、徳川の台頭も無かった。

武田の対上杉の調略はかなり進んでいたから、集中戦略をとれば
あと4〜5年で上杉を滅ぼせた可能性はある。

越中は飛騨の江間氏を侵入させて5万石ばかり掠めとったし、
他の豪族にも一通り調略がかかってる。元亀三年の西上のときは
一斉に日が吹いて上杉の越中支配は壊滅状態。

上野も西側をジワジワ掠め取って、そのまま北条との同盟が健在なら
北条高広を完全に駆逐するのも可能だったろう。

越中・上野の手足をぶった切って締め上げていけば、そのうち越後でも
謙信の権力基盤が瓦解する。上杉を始末してから、天正三年ごろから
木曽路と日本海ルートから西進しても、十分に信長に対抗できたと思うね。

117 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 13:41:31 ID:tGk02a3M
折角謙信を謀略や外交で奔走させても、結局信玄がやったのはその隙に土地を掠め取る程度で打倒戦略ではなかったからなぁ
やっぱり越後領有に魅力が無かったからなんだろうか?

118 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 18:40:22 ID:/C6miocr
>>116
上杉家臣の内応なんて何度も何度も成功しているのに、
各局ここ一番の合戦で勝てずに終わっているでしょう。
その後続けていても同じことだったと思うよ。
信玄もそう思ったからこそ、方針を転換したのだろうし。

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 18:44:37 ID:DFeoJ4oI
謙信が莫大な遺産を残していたというし越後は魅力あったと思う。
加賀には本願寺という強力な味方もいるから戦略的価値もある。
ただ、駿河も魅力的ではあるし、より落としやすいのは駿河。

少しずつ土地を掠め取っていくようなやりかたでも
塵も積もれば山となり、やがて上杉打倒につながる。
漸進的ではあるがそれが信玄の得意な打倒戦略だと思う。
川中島を通じて、同程度の勢力である上杉に合戦で勝利し
急進的に勢力を拡大するのは困難だと踏んだんだろう。

しかしそのために北条と決裂してしまったのは痛かったなあ。
あそこで躊躇せず武田と袂を別った北条がすごいというべきか。
北条は武田とともに駿河に侵攻する手もあったのに。
まあ武田が駿河を攻めたのはそう間違いではなかったと思う。

120 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 21:23:31 ID:U7+9+0H2
おっとこんなスレあったんだ。
流れを切って申し訳ないが山梨県人としての感想。(ただし歴史認識は素人レベル)
上洛は「あの瞬間(朝倉が引き上げる前)のみ運がよければ」可能だったかもくらいかな。
ちょうど来年大河が風林火山で本がいろいろでていて読んでみているが
啄木鳥の戦法はウソ(霧中の遭遇戦?)
武田「騎馬隊」はウソ
長篠の鉄砲3000丁3段撃ちはウソ
山本勘助は実在したとしても軍師ではない
数冊買って読んだがこういうのが多いけど実際はどうなのかな。
買った本の中では洋泉社の真説・川中島合戦というのが結構面白い。
本の中でも触れているが実際に川中島合戦(4次)の詳しい記録ってほとんどないんだね。
川中島から越後の海まで直線でたった50キロ。こいつは魅力だったろうね。

121 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 23:21:34 ID:Gsf0eoDZ
>>120
>武田「騎馬隊」はウソ

武田軍団は、騎兵だけで構成されていたわけじゃないが、
馬上の巧者が多かったことは確かだから、騎馬軍団の範疇に入ると思うよ
ましてや隊程度の規模なら、存在したことは間違いない

122 :120:2006/12/15(金) 00:57:35 ID:c6u3etE/
>>121
レスどうもです。
山梨県人の自分がいうのもなんですが一応、読んだ本では
「隊」と銘打つからには騎馬武者の集団を意識させるが
当時、騎馬武者(騎馬に乗った侍)はいくらでもいた。
太向義明氏によると武田騎馬隊を打ち出す主張はいくつもあるが抽象的なものばかりで
具体的な根拠を示したものはほとんどないそうです。
一方、戦国時代、戦国大名、戦国武将を扱った書物では騎馬隊に触れているものはないそうです。

武田騎馬隊肯定論者が取り上げるのは長篠の合戦のみだそうです。
例外は川中島合戦図屏風(岩国美術館蔵)ですがこの屏風は永禄4年の合戦の状況を描いたもので
飯富昌景の部隊が描かれていますがその箇所には騎馬兵などまったくなくあるのは馬丁の付いた
空馬だけの列だけだそうです。それでは乗り手はというととっくに下馬して前方に進んで待機しているそうです。
三方ヶ原も騎馬隊で蹂躙したようなものではなく服部半蔵の覚書に当初は双方とも下馬して戦い
武田騎馬武者が出て行ったのは徳川が乱れて追撃戦にはいってからのようです。

とまあ、本の受け売りですが本では騎馬は戦闘力ではなく馬は輸送力と追撃と退却に有効だったと
いいたいようです。
後は武田家武将の名前が昔と変わっているのに驚きました。
秋山信友→秋山虎繁
高坂昌信→香坂(春日)虎綱
内藤昌豊→内藤昌秀
とか地元なのにねえ(涙)これって正式に認知されているのかな?


123 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 07:15:14 ID:BVyqqTQM
>>121
そんな事言ったなら織田だって北条だって上杉だって、
みんな騎馬軍団になってしまう。
基本的に騎兵のみの編成を持たずに騎馬軍団の名乗るのは詐称ってものだよ。

124 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 08:05:58 ID:VpedR7as
まだ騎馬軍団がいたなんて遺物がいたんだな

125 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 08:19:39 ID:p0BN+U42
つうか謙信の遺産は家臣や領民が貧しいのをいいことに高利貸しした結果じゃないの?
謙信の財力が戦略に役立った事例なんてあるの?誰かをカネで買収したとか

126 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 09:27:40 ID:pmNN+od5
謙信は、越後の石高に対して多い兵力を動員してるんじゃないか?
財力のお陰かもね。

127 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 10:55:42 ID:dowz1IBt
騎馬軍団と呼べないっていうのはちょっとなぁ

ただ、騎馬隊がいないっぽいってだけでしょ。
なんらかの根拠はあったんだと思うよ。
てか、過去スレで解決してなかったっけ?

128 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 11:00:16 ID:p0BN+U42
いや、過去スレを問題にするのなら騎馬の比率はむしろ上杉や北条のほうが高いぞ、とか
甲陽軍鑑でさえ騎馬突撃を否定して下馬戦闘するってかかれているぞとか
否定論ばっかじゃなかったか?

129 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 13:06:01 ID:NXSm1suf
いや、騎馬突撃をしないからといって、騎馬軍団ではないとはいえないし
騎馬突撃が可能かどうかについても、サラブレットを使った実験では話にならないし。
暴れ馬だったから、突撃は無理、というのはわからないでもないが
それほどの暴れ馬なら、鎧武者を乗せるだけの馬力はあるし
兵器としてはかなりの脅威になるので、無いとは言い切れない。

追撃の時に、騎馬武者が自然と突出して
あたかも騎馬突撃のように見えた可能性はある。
追われる側としては、これだけでも相当な恐怖だろう。

>本では騎馬は戦闘力ではなく馬は輸送力と追撃と退却に有効だったと
この辺がいいところだとは思うけどね。
特に、山地は部隊の移動が遅いのが普通なのに、それなりのスピードで来られたら
どれほど恐怖を感じるか。
移動速度の遅いはずの小荷駄隊が速くなるだけでも、とんでもない脅威になる。


あくまで、黒澤明的な騎馬軍団が否定されたに過ぎないんだよ。

130 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 13:43:40 ID:VpedR7as
〜とは言い切れない。
〜の可能性はある。
某新聞社の社説みたいだな

暴れ馬ならなおさら槍持った足軽の中に突っ込ませて、暴れられたら落馬して首とられるぞ
追撃にしても何十キロもある鎧着た武者の乗ったポニーがマトモなスピード出るわけ無い
ちゃんと整備されてない石ころだらけの道を全力疾走でもしようもんならポキポキ馬の脚が折れる
しかも騎馬武者ともなれば、その首討ち取れば相当のご褒美がでるぐらいの身分のもの
雑兵に狙い撃ちされる

それから物資輸送隊の速度が上がってもそれ自体に脅威は無い
それに伴って軍全体の速度があがることに意味があるわけで、戦場ではもはや輸送部隊速度うpの恩恵はもうない

そして荷駄部隊が騎馬軍団とやらの任務なら「武田騎馬軍団」じゃなくて「武田輸送軍団」だな

131 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 13:54:11 ID:jbcXKaBH
騎馬軍団で盛り上がっているところ越後侵攻問題に戻して悪いが…

いわゆる「北進」か「南進」かなんて議論はやっぱり信玄の限界の一部になってしまうんだよな。
まず信玄中期までの戦略がいわゆる「北進」であったことは否定できないだろう。
一、信虎から家督相続時点で甲斐は完全支配(河内・郡内も服属)。
二、諏訪盆地、佐久盆地への進出は信虎時代から始まっておりかつ甲府との距離が近く勢力も弱い
三、諏訪、佐久を拠点とすれば松本、伊那、上田、さらに善光寺平への進出も容易。これらは
 甲府からの実質的な距離も近い。いわば甲府を中心とした同心円的支配。
四、木曾は松本の、西上野は佐久盆地の重要な後背地。まあ西上野攻略は手間取った上に
 北条の北武蔵進出に対する上杉牽制の役目も大きかったから単なる「北進」とは言えないかも知れんが。
五、そもそも「北進」の目標は日本海にあったのか?現実に謙信が、またその父や関東管領顕定がそうで
 あったように越後は「ゆるやかな統一と分裂」にあり支配困難な大国。更に冬季は国境が封鎖されるために
 迅速な軍事行動が不可能で「甲府を拠点とする限り」支配は不可能である。
六、いわゆる「三国同盟」のうち特に義元−信虎・信玄ラインは緊密な関係。一方、信虎−氏綱ラインは
 信虎と扇谷上杉との関係から険悪。もっとも信玄−氏康時代からは好転してかなり相互に戦略的に
 協力している(西上野攻略、越中一揆煽動、松山合戦など。まあ利害が一致していたわけだが)。
七、信玄の領国支配において「甲府を拠点とする」限り駿河は強力かつ野心的でなく友好的な同盟者が
 支配していることが望ましい。それがなければ甲斐本国や伊那盆地の国境は不安である。
八、ということで三河に脅かされ家臣団を掌握しきれていなく、混乱した駿河を放置することは危険である。
 氏康−氏真ラインも氏綱−義元ラインが簡単に破綻したように駿相関係が安泰とは言えない。特に河東は
 氏康時代に喪失した「小田原を拠点とした」北条にとっての重要な後背地。

というわけで「北進」から「南進」への戦略転換は前者の行き詰まりではなく甲斐や分国の安全保障の側面が
大きいと思うが如何?偶然「北進」が信越国境で滞った時期と駿河侵攻時期が重なっただけで実際駿河領有は
東に北条という大勢力を抱える以上、氏真がまともでない形で相続したのだから止むを得ないことだと思う。
北条に野心なしか?と言われれば氏直を庇護した氏真の養子にしたりと結構えげつないことしているからなあ。
その意味では氏真との侵攻前の敵対や駿河侵攻と北条手切れも仕方ない出来事だった。

132 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 14:56:21 ID:EgzF2qbK
万単位の軍で考えるからおかしなことになるんじゃないの?
数百人規模の備ええに十数人の騎馬隊で突撃かける戦の話が
つたわって、万単位の軍になったときもその印象が残ってたって
話じゃないの?

133 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 17:19:26 ID:AVGFougA
>〜とは言い切れない。
>〜の可能性はある。
>某新聞社の社説みたいだな

そっちはどうなんだ?
否定できる絶対的な根拠があるのか?
根拠が無いのに断定してるだけじゃないか。

134 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 17:35:37 ID:AVGFougA
>それに伴って軍全体の速度があがることに意味があるわけで、戦場ではもはや輸送部隊速度うpの恩恵はもうない
部隊の中で移動が遅いは、小荷駄隊ではないか?
山岳部において、小荷駄隊が部隊全体のスピードを落としていることは無いのか?
小荷駄だけはぐれさせるわけにはいかないんだから。

部隊全体の機動力が上がれば、それだけ布陣するスピードが上がる。
まだ布陣していまい、と思うような時に
すでに敵が布陣していたらどうだ?
騎馬武者達がすでに陣取っていたらどうだ?

>暴れ馬ならなおさら槍持った足軽の中に突っ込ませて、暴れられたら落馬して首とられるぞ
そんなことが本当にできると思うか?
武者を乗せた超重量の物体が突撃してきて、そんなことができるのか?
恐怖のあまりまともに戦う事はできないんじゃないのか?逃げないで戦うほどの士気があるのか?
まして、追撃戦に使うのだからやられる側のその士気の低さは明らかだと思うが。


あと、これも参考になるかも
ttp://blog.livedoor.jp/taka0219j/archives/50727297.html
しかも、日本の馬は欧州のと違って短足だったので、重さに強かった可能性は十分にある。

135 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 18:06:52 ID:BVyqqTQM
>>133
>>128とかは?

というか、>>129こそが典型的な騎馬軍団否定論なんだけどね。
普通は当時の軍隊の騎馬の運用はそういう状況だから、
とても騎馬軍団とは言えない、って結論になる。
ところが、発想の逆転というか何というか、
なぜかそういう状況でも「騎馬軍団」といえるって話になってしまっているが。

136 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 18:24:48 ID:AVGFougA
>>135
129は128に対する答えでもある。
「騎馬突撃」をあまり重視しすぎるのは問題だと思ってる。

でも、それは世界規模で考えて初めて
敵陣に「騎馬突撃」しないとダメって話になりうるのであって、
当時の日本人にとっては、「騎馬突撃」が無くても「騎馬軍団」ではない、と思わないはず。
要は、当時の人間が武田軍団を騎馬に強い軍団として特別視したかどうかが大切で、
だから「恐怖」「脅威」という言葉を使っている。

つまり、当時の日本において、
最も騎馬の恐ろしい軍団であれば、
それは日本にとって間違いなく「騎馬軍団」なんだ。

日本の「色黒」は、アフリカでは全然「色黒」じゃないでしょ?
そういうこと。

137 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 18:29:33 ID:mTF+YJBU
騎馬軍団というから違和感を感じる
騎馬部隊程度ならイメージ的に合いそうだけど
でもそれは武田に限らず他の大名にも存在していることだからな

138 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 18:30:27 ID:AVGFougA
ちょっと例えが不十分だったかな。

現在、白米は別にご馳走でもないよね?
でも、戦国時代に白米は間違いなくご馳走だったよね。

でも、現在白米がご馳走で無いからといって
戦国時代にはやっぱり白米はご馳走だった。

当時の人間、その地域の人間にとってどうだったのかが、一番大事でしょ。

139 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 18:36:21 ID:AVGFougA
騎馬部隊っていうと、騎馬隊があるみたいでおかしくなる。
>でもそれは武田に限らず他の大名にも存在していることだからな
だから、他の大名とは違う「騎馬軍団」と言わしめる何かがあるんじゃないかと。

>騎馬軍団というから違和感を感じる
当時、武田と戦った人間は
ヨーロッパもモンゴルも知らないわけだから。同じ視点で見ないといけない。

140 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 19:06:28 ID:VpedR7as
当時に神も仏もいたように騎馬軍団もいたってことだな
アホクサ

141 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 19:08:27 ID:BVyqqTQM
>>136>>139
いや、ちょっと待ってくれ。
あなた根本的に間違えてはいませんか?
当時の人は誰も「武田騎馬軍団」なんて言っていませんよ?

「武田騎馬軍団」というのは、現代の人間が、
それこそモンゴル軍やヨーロッパの騎兵部隊のような騎馬軍団を思い浮かべて、
戦国時代の武田家にもそういうものがあったと思ってしまい、そういう呼び方をしただけ。
しかし、実際にはそのような軍団は存在しなかった。
だから「騎馬軍団はなかった」という話になる。

142 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 19:15:12 ID:BVyqqTQM
つまり、「騎馬軍団」という言葉は戦国時代当時は関係なく、あくまでも現代人の感覚。
現代人がそのようなものが武田家にあったと誤解して、現代においてそう名付けてしまっただけ。

確かに当時でも東国の武士は騎馬が巧みだ位のイメージはあっただろうが、
それは武田も北条も上杉も皆同じ。
武田軍だけを特別扱いなんて誰もしていない。

143 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 19:16:00 ID:AVGFougA
これによると、信長公記に書かれてるみたいだけど。
ttp://blogs.dion.ne.jp/eternalbeauty/archives/3471156.html

144 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 19:21:51 ID:AVGFougA
>現代人がそのようなものが武田家にあったと誤解
なぜ、武田だけ誤解されるの?
そういう話なら、武田以外にも言われるはず。

145 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 19:22:02 ID:BVyqqTQM
>>143
いや、騎馬軍団なんて信長公記どこにも書いてないし・・・・、
確かに「馬上巧者」とは書いてあるがそれは関東勢の小幡氏に対しての言葉、
正に関東勢は騎馬が巧みだというイメージがあったことを示す例にはなるが、
別に武田軍全体のことでも、武田軍だけ特別にそうだというわけでもないし、
まして騎馬軍団だとも言ってはいない。

146 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 19:23:12 ID:BVyqqTQM
>>144
武田勢に完膚なきまでにやられてしまった神君家康公の手前、
江戸時代は武田最強ってことにしておかないといけなかったからだよ。

147 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 19:28:51 ID:AVGFougA
ttp://curry.2ch.net/warhis/kako/1008/10088/1008818023.html
そう。
このスレを張って、とりあえず篭城する。
肯定派の人間のだれか、後詰出してくれ。

148 :OPS:2006/12/15(金) 20:02:26 ID:FGAE4kNR
学校の先生が僕に一つの宿題を出しました。
武田信玄晩年の西上作戦においてもし信玄に三年の余命があれば天下が取れたか
京を制圧できたか。
信長はどんな行動に出たか。
家康は攻め滅ぼされたか。
みなさんに一つ意見が聞きたいです。

149 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 20:22:27 ID:fRXG78Tr
そんな宿題でるのかww

150 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 21:01:51 ID:ENgW5W5c
>>131
武田の北進が滞った時期をいつごろだと看做してますか?第五回川中島から
第一次駿河侵攻までだって五年は間があいているのだが。
桶狭間で氏真がトップにたってからだって八年は経っている。

偶然、とみるには時間があきすぎていると思われるが?

151 :120:2006/12/15(金) 21:27:49 ID:c6u3etE/
120,122です。数字コテ今回で止めます。
>>148
県人の自分個人の考えでは「運」と「包囲網」があれば上洛は可能だった。しかしその後はもっと大変だったでしょうね。
自分自身はあれが上洛作戦だったかわかりません。ただ上洛するという宣伝をしなければ
包囲網はできなかっただろうし戦いながら運がよければ行けるところまではいくつもりだったのではないでしょうか?
朝倉が引き上げた時点で上洛はほとんど諦めたと思います。

騎馬隊については言いだしっぺなので読んだ本では<以下、引用します>
ようは騎馬隊でも騎馬軍団でも呼び方はどうでもよく組織化されていたかいないかを問うているみたいですね。
たとえ騎馬突撃があったとしてもそれが騎馬隊組織化の存否となんの関係もない。
乗馬の馬格で当時は120〜140センチ程度でこんな小さな馬では重い鎧武者をのせたらよろよろ歩きであったというのが
加茂儀一氏の意見だった。これはいささか極論かもしれないが実験結果や当時は蹄鉄の技術もなかった。
これでは怒涛のような突進など期待できない。
おまけに馬上の働きというのは意外に不自由で槍や薙刀などは使いにくかった。
これは安芸武田流の宗家を継いで流鏑馬(やぶさめ)指導などを行っていた金子有りん氏(りんの漢字が出てこない)が詳しく説明している。
こういう条件下では武田家に限らず騎馬主体の戦法など発達しようがない。
<というのが記載されていました>
ただ武田館址から出土した馬骨の写真も載っていて小柄だが太い骨格を持っていてかなりの重量物を背負って
斜面を登り下りが出来たのが推測されるとも書いてあります。
著者は、すずきまさや という歴史研究家です。
どうも長文すいませんでした。

152 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 21:33:11 ID:c6u3etE/
連投すいません。
>>151で以下の理由から
馬は輸送力や追撃、退却時に威力を発揮したと結論づけていますね。

153 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 21:47:50 ID:+7Ux1EfO
なるほど。でも信長公記にあるように、
馬防柵を設置。騎馬武者の突撃、威力など馬鹿に出来ないんではと思うんだが。

154 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 22:35:13 ID:BVyqqTQM
>>151
それもまた極論かと。
騎馬軍団や騎馬隊というほどの戦闘部隊はなくとも、
少なくとも「馬上巧者」な武者がいて戦力になっていたのもほぼ間違いない。
大体サラブレッドあたりと見比べるから、極めて小さいと思ってしまうのであって、
ユーラシアを席巻したモンゴル軍の馬だって大きさは日本の在来馬と大して変わらない。

155 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 22:36:52 ID:Mzub4yur





  ま た そ の 議 論 か





156 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 00:16:43 ID:Q9fVV/L8
>>154
>騎馬軍団や騎馬隊というほどの戦闘部隊はなくとも
これで結論が出ているでしょう。武田に騎馬隊やら騎馬軍団なんていう、軍事兵科でいう
騎兵部隊は存在しない。そもそも十六世紀の日本の軍制で騎兵隊を編成するなんて不可能。

>少なくとも「馬上巧者」な武者がいて戦力になっていたのもほぼ間違いない
こちらについても、誰も否定してませんよ。しかし、そういった「馬上巧者な武者」がどれ
ほどいても、それは騎馬隊、騎馬軍団なんてものにはならない。

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 06:19:17 ID:pg8yfKHv
なんでお前らそんなに言葉にこだわってるの?
そんなのどうでもいいというのが第三者の意見です。
154も156もイメージしてる部隊は一緒でしょう?
ならそれでいいじゃないかと。
騎馬隊という言葉を近代的な意味に限定する必要はない。
そもそも、誰が騎馬隊の意味をそんな狭く限定したんだ?

北斗七星は星座じゃないそうですよ。
でもあれは星座と言っていいと思う。
誰かが勝手に決めた「星座」の定義なんて知ったこっちゃない。

158 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 06:48:37 ID:ED5vbE6U
三方ヶ原の戦いで家康に完勝したことが
信玄の過大評価につながっている
長い江戸時代で講談などで褒めちぎられ
様々な伝説が生まれたのだろう
武田騎馬軍団のような・・・


159 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 09:52:08 ID:uHl8erzV
>>156
それはよく承知していますよ。
ただ>>151で紹介されている論を読むと、
あたかも騎馬が戦力になっていなかったと言っているかのような印象だったので、
もしそうなら、それは極論だろうと。

>>157
昨日も書き込んだ事だけど、
少なくとも「騎馬軍団」って言い方は現代人が現代人の感覚で、
そういうものが武田軍にあったと誤って思い込んでしまい名づけたもの。
しかし、実際にはそういうものは存在しなかったのだから、
「武田騎馬軍団」はなかったと結論するしかない。

160 :篭城者:2006/12/16(土) 10:20:04 ID:tQWlx+xY
とりあえず、
当時の文献で、武田家だけを特別視したものがない事はわかりました。
その事は、こちらの勘違いでした。すいません。
どうやら、明治政府の陸軍が色々と捏造を行ったようです。

しかし、
騎馬軍団って本当に現代の尺度で考えないといけないんでしょうか。
日本国内で最も騎馬に優れた軍団は
日本において「騎馬軍団」ではないんでしょうか。

日本の野球界において、150kmを投げるピッチャーは、メジャーリーグのレベルを知った現在では、
剛速球投手と呼んではいけないんでしょうか。

161 :ツクリテさん ◆nb9SteZRZA :2006/12/16(土) 10:26:58 ID:tQWlx+xY
もう1つ戦国的に例えると、
織田軍を最強兵力を誇る軍団だ!
と言ったら、
今の兵器の前では何の力もないから
最強兵力とは呼べない

当時の火縄銃を指して
今の兵器に比べたらたいしたことがないから
兵器とは呼べない

と言われているような違和感を覚えます。

162 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 10:45:33 ID:uHl8erzV
>>160
だから、別に武田軍が日本国内で最も騎馬に優れた軍団って訳でもないんだって。
一段落目で自分が言ったことをもう忘れてるの?

>>161
その前に、現代的な概念でしかない騎馬軍団なんて呼び方で、
戦国時代の軍隊を語るほうがおかしいと気がつきませんか?

163 :篭城者:2006/12/16(土) 11:09:52 ID:tQWlx+xY
>だから、別に武田軍が日本国内で最も騎馬に優れた軍団って訳でもないんだって。
ですから、西国の人間が東国の誰に当たっても
「騎馬軍団」だ!
と思うでしょう。
たまたまその代名詞が武田だったというだけです。

>現代的な概念でしかない騎馬軍団なんて呼び方
言葉は時代によって定義が変わります。呼び方に恒久的に絶対的な定義なんてありません。

164 :篭城者:2006/12/16(土) 11:13:51 ID:tQWlx+xY
特に、織田・徳川の勢力が最初に当たる山岳部である事が大きいのではないでしょうか。
平野で当たる以上の衝撃があると思います。





165 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 11:41:35 ID:uHl8erzV
言葉が時代によって変わるって、
そもそも騎馬軍団なんて言葉当時はなかったと、何度言えば分かるのか・・・
あなたのやっていることは自分の都合で変えているだけ。

166 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 11:59:43 ID:OJO7axwQ
当時に現代の騎馬軍団なんていない、そんな表現をした当時資料も無い。
格別武田氏において騎馬武者の存在比率が高かったわけでもなく、むしろ北条やらのほうが多い。
にもかかわらず「騎馬軍団」といわれるのは武田氏のみ。
これだけそろえば創られたものと考えるのが普通だと思うが。

ID:tQWlx+xYのいってる事は、当時の概念・人々の意識に「騎馬軍団」がいたのだから、存在するというものなら、
当時の人がいると信じて裁判にかけて殺された魔女も存在したということになるぞ。
一九九〇年代の人々からすればノストラダムスの地球滅亡も真実だったということになるぞ。
人前でこんなこといってたら黄色い救急車呼ばれるぞ。

167 :篭城者:2006/12/16(土) 12:08:40 ID:tQWlx+xY
泥仕合になるので、これで最後にします。
例え話です。
昔、弁慶という人が居ました。
彼は、身長は160〜170程度でしたが、当時としては「巨人」でした。
しかし、当時、日本には彼を巨人と呼ぶ人間は居ません。
「巨人」という言葉は無かったからです。
彼を「巨人」と呼んではいけないのでしょうか。
その当時の基準で、言葉を使うべきなのではないでしょうか。

「方面軍」という言葉だって、当時はありません。
当時と今では軍制も違います。それでも、当時としては「方面軍」と呼ぶべきものだったから、今現在「方面軍」と呼んでいます。

「騎兵」という言葉は、元々騎馬に乗ったものを指す言葉でした。
しかし、今は馬に乗っていなくても「騎兵」です。
なぜなら、当時の「騎兵」に近いからです。

このように、言葉は時代や地域等の背景によって
使い分ける事になります。意味も変わってきます。

168 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 12:35:09 ID:S7srISr9
>>159
120,151です。
誤解を与えたらすいません。
著者も
当時、騎馬武者(騎馬に乗った侍)はいくらでもいたとあります。
単なる騎馬武者の群れを「隊」というのはどうかというのです。
騎馬突撃があったとしてもそれが「隊」とは因果関係はないのでは?
ちなみに前レスでも書いているように戦力になっていなかったとは著者は一言も書いてありません。
馬上のチャンバラより輸送力や追撃、退却時に威力を発揮したということです。
繰り返しますが武田館址から出土した馬骨の写真も載っていて小柄だが太い骨格を持っていて
(前足が発達している)かなりの重量物を背負って 斜面を登り下りが出来たのが推測されるとも書いてあります。

169 :篭城者:2006/12/16(土) 12:49:42 ID:tQWlx+xY
>>166
これだけ読んでいなかったので、例外的に反論します。
>格別武田氏において騎馬武者の存在比率が高かったわけでもなく
数が必須条件だと勝手に決め付けないでください。
それはあなたが勝手に定義した妄想の騎馬軍団です。
数があるに越した事はないですが、
要は、質の問題。いかに、騎馬の運用がうまかったか。強さが騎馬にあると思わせたか。

>むしろ北条やらのほうが多い。
それについては163、164で反論済みです。
初めて出会う事の驚きをよく考えてください。2番目3番目に会った者より印象が強くなるのは必然です。

>当時の概念・人々の意識に「騎馬軍団」がいたのだから、存在するというものなら
この解釈が既におかしいです。
私は、当時の人々はヨーロッパやモンゴルの騎馬隊を知らないのだから、
騎馬の驚異的な運用がなかれていれば、日本にとっては「騎馬軍団」なんですよ。
雑賀衆が他の勢力から突出して鉄砲の運用がうまかったら、
それは「鉄砲軍団」です。現代の感覚と比べても意味がありません。

>魔女も存在した
スレ違いにはなりますが、「魔女」と呼ばれる人間は存在していました。
しかも、本当に魔女はいました。
しかし、ファンタジーのような魔法を使う、とかいうのは勝手な妄想です。
魔女と呼ばれる人達は、薬の調合を得意とする民族に端を発します。
教会が、彼らのその能力を脅威と思い、異端のレッテルを貼りました。
それが、時代を経るにつれ勝手にファンタジーのような魔女のイメージを作られてしまったのです。

まるで、武田騎馬軍団が騎馬武者だらけで構成されているというイメージのように。
勝手に作った妄想のイメージが裏切られたからといって、
存在そのものを未定する、というのはあまりにも極論です。

>武田館址から出土した馬骨の写真も載っていて小柄だが太い骨格を持っていて
これは、結構な証拠になりうるのではないでしょうか。

170 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 12:56:46 ID:P3/6p9vq
巨人と言う言葉が無いから巨人じゃないって言うんじゃなく、
騎馬軍団じゃないから騎馬軍団ないんだろうに。
いつまでやるんだ?
ちなみに当時に騎馬軍団と勘違いしたやつが居たとしても、
たんに勘違いしたやつが居るというだけだぞ。
鉛を金と勘違いしたら鉛が金になるのか?

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 15:00:46 ID:n1BxHZzK
やたら「騎馬軍団はなかった」に拘ってる人は
最近その話を耳にしたので人に言いたいのでしょうか。

しかし一連のレスから当時の「騎馬隊」の内実が明らかになった今、
それを騎馬隊と呼ぶかどうかにこだわるのは不毛な話だと思います。

ともかく武田軍には屈強な騎馬武者がいた。
彼らの力で数的劣勢を覆し上洛することは可能だったか。
優秀な指揮官が精兵を率いれば逆転劇はありえる。
ただ相手の信長も非常に優秀な指揮官で兵も熟練・・・。

172 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 15:01:12 ID:OJO7axwQ
>>169
なら武田氏が他大名と比べても画期的な騎馬武者の運用をしたということを示してくれ。
それにしても、当時織田信長が導入した普通のそれよりちょっと長い槍をもって「織田長槍部隊」なんていわれてるか?
魔女にしてもそのファンタジーを信じてる人間が多数いたわけだから、当時の感覚から言えば魔法使う魔女がいたんだよ。
都合よく時代とか、対象ずらしちゃだめよ。
ドラキュラが十字架に弱いとかニンニクを嫌うとか地底人とか火星人の地球侵攻とか。

当時の感覚って言うのは大事だけども、既に騎馬軍団には現在で定義されてて、それと合致しないならその定義における騎馬軍団は存在しない。
まして当時に「騎馬軍団」なんて呼ばれてすらいないのに、なぜわざわざ「騎馬軍団」と呼ぶ必要があるのか。
論文でも書いて「普段は輸送部隊で、追撃においては敗残兵を狩り出す騎馬武者の集団とはバルバロッサである」とか論文書いて新しく言葉創ったら?

173 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 16:18:33 ID:uHl8erzV
というか、当時「騎馬軍団」という言葉があって、現在とは違う意味で使われていたというなら、
当時の意味ではそれは騎馬軍団だ、と言えるかもしれないが、
そもそもそんな概念当時はないからね。
現代的な意味でしか「騎馬軍団」という言葉がない以上、現代的な意味でそれを捉えるしかなく、
そして現代的意味の騎馬軍団は当時存在していなかったのだから、
「騎馬軍団」は存在しなかったと結論するしかない。

当時方面軍という言葉はなくとも、現代の感覚で方面軍といえるものがあったのだから、
それを方面軍と呼ぶことに支障はないが、騎馬軍団は存在しなかったのだから、
存在しないものを騎馬軍団と呼ぶのはおかしい。

まあ、確かにただの言葉の使い方だけとも言えるけど、
議論が言葉と言葉で行われる以上、こういう詭弁を放置すると、議論にならなくなってしまう。

174 :篭城者:2006/12/16(土) 17:13:50 ID:tQWlx+xY
もうずっと黙っていようと思っていたんですが
言いたい放題なので、反論します。

「騎馬軍団」の定義は、本当に1つしか存在しないのですか?
騎馬突撃を必須とするかどうか1つ取っても、解釈が違うのに。

>魔法使う魔女がいたんだよ。
>都合よく時代とか、対象ずらしちゃだめよ。
いつ、時代をずらしました?
魔女狩りはそんな短期間に行われたものではないですよ?
元々、そういう所から始まったのに、やがて魔術でも使うかのように恐れられ
魔女狩りは壮絶なものになっていったんです。
勝手にイメージを膨らませてね。

175 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 17:39:19 ID:Q9fVV/L8
>>174
兵科として騎兵隊を意味する「騎馬軍団」の意味は一つしかありません。
仮に当時騎馬軍団という言葉があり、武田にそのような軍があったとしても、それは
中世日本という狭義でしか通用しない騎馬軍団があったというだけであって、軍制に
おける騎兵部隊が存在したということにはなりません。

そして、現代日本において「武田騎馬軍団」という言葉が使われる場合はまず騎兵部隊
のことをイメージして語られてきました。だからこそ、「武田に騎兵部隊なんてない」と
いう意味で「武田騎馬軍団なんてない」と結論されるのです。

当時の日本人が騎兵隊をしらなかったらとか言い出したところで、十六世紀の日本には
武田に限らず騎兵隊なんて存在しません。当時の人間が武田の騎馬武者を使った独特の
戦法を指して「騎馬軍団」と呼称したとしても、それは兵科としての騎兵隊にはなりません。

176 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 17:41:24 ID:S7srISr9
>>171
120です。
もし私を指しているのならば
>最近その話を耳にしたので人に言いたいのでしょうか。
これに近いです。
正確にいえば本で読んだので実際どの程度世間で認知されているか皆さんにききたいだけです。
人に言いたいのではなく聞きたいのです。
自分は山梨県人なのでお恥ずかしいかぎりですが周りにあまり関心がある人がいなくて。
しかし子供のころに聞いた話と最近の本ではだいぶギャップがありますねえ。

177 :篭城者:2006/12/16(土) 17:46:24 ID:tQWlx+xY
兵科としての騎兵隊なんて、最初から期待してません。
騎兵隊がなければ、騎馬軍団と呼べないという根拠はあるんでしょうか?
そもそも、現代とは兵器も何も違うわけですから、
現代とまったく同じ条件を当てはめる事自体、無理があるはずです。


178 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 17:47:44 ID:kretzi4r
軍の編成に騎馬を集中して運用するというシステムが無いならば
その軍には騎馬隊は存在しないと言って良いでしょう
日本には騎馬武者はいましたが騎馬隊は無かったのです

179 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 18:06:18 ID:uHl8erzV
>>177
だから、兵科としての騎馬隊がなければ騎馬軍団とは言えないんだよ。

あなたが自分で述べている通り、
確かに当時「方面軍」という言葉はなかった、「方面軍」というのは現代の概念、
しかし、その現代の概念にに当てはまる実体が当時にもあったから、
それを「方面軍」とよんでいる。これは問題ない。

同様に当時「騎馬軍団」という言葉はなく、それは現代の概念、
そして、その現代の概念に当てはまる実体は当時はなかった、
だから「騎馬軍団」はなかったと結論するしかないでしょうが。

あなたは自分の都合で勝手に言葉の意味を定義し、
つまり、そういうものを騎馬軍団と呼ぶのだと自分で勝手に定義し、
だから騎馬軍団はあったと言ってもいいと言い張っているだけ。
はっきり言って詭弁にすらならない、ただ難癖をつけているだけ、
仮にも話し合いを行おうとする上で、これほど有害なものはない。

180 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 18:14:03 ID:OJO7axwQ
>>変なコテ
黙る気がさらさら無いなら最初から言わないほうが良いよ。
そもそも騎馬軍団が存在したって言う自分からしてまともに定義づけしないじゃないか。
しいていうなら当時の人間が武田氏の騎馬武者みて、脅威を感じて、それを騎馬軍団とした、なんて随分とアバウトでどんな風にも解釈を変えられるもの。
魔女にしても魔女狩り開始時点と勝手にイメージを膨らませて魔法使うっていうイメージとがあると自分で認めてるじゃないか。
短期間に行われたものでないというならなおさらのこと。
というか魔女に対してそういう魔法使い的な「イメージ」があって、当時の人間が「魔法使いだ」と認識すれば存在したことになるんだろ?
どういう理由でとか一切関係ない。

まず武田氏の騎馬軍団の定義して、どういう資料にその定義の騎馬軍団の存在がみられるのか明確にしたら?
現代とは兵器も何も違う時代の存在を、現代の既に定義がある言葉を使ってその存在を示そうとしてる時点で間違い。
だからなんか新しい名称つけたらと提案してるのに。

181 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 18:38:06 ID:BNcvaf1g
騎馬部隊なんてものはなかったし
当時の人も騎馬軍団なんて意識はない。
なのになんで騎馬軍団があったなんていえるんだ?
投石部隊はあったが騎馬部隊なんてもんはない。

182 :篭城者:2006/12/16(土) 18:44:50 ID:tQWlx+xY
元々、騎馬軍団と呼んだって構わないじゃないか、
って話から始まってる(129-136)のに、
いつの間にか、絶対に存在する根拠を示せ!
って話にされて…

卑怯極まりないよ、ホントに…。

183 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 18:45:09 ID:+RQcmiqE
戦力区分じゃなくてステイタスシンボルなんじゃねーの?
騎乗しているのが指揮官で、一般的な数の歩兵(雑兵)が配下に付く。

184 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 18:54:20 ID:kretzi4r
>>182
もう書き込むのは止めたほうが良いかと
少し落ち着いてから過去ログなど読み返してみられては如何か

185 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 19:17:24 ID:uHl8erzV
>>182
いや、最初から一貫して騎馬軍団と呼ぶのはおかしいという話にしかなっていないが。

大丈夫?

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 19:43:46 ID:dvytBAhy
>>120
特に誰を指したわけではありませんが。
世間での認知度は低めだと思いますよ。
少なくとも私の周りでは。

しかし戦国板での認知度はかなり高い気がしますね。
初心者を煽るネタとして格好の材料になるんでしょう。
馬鹿らしい。小さい小さい人間が多いようです。
まあ私のチンコの小ささも友人の間で有名ですが。

自分には、本当につまらないことで言い争っているように見えます。
互いに意地があるのでしょうか。こんな便所の落書きに。
ここで名誉を傷つけられても実生活には何の関係もないのに。


187 :186:2006/12/16(土) 19:44:48 ID:dvytBAhy
訂正
×チンコの小ささ
○度量の小ささ

188 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 19:49:55 ID:Q9fVV/L8
>>182
一億歩譲って、武田信玄・勝頼の軍を武田騎馬軍団と呼称してもかまいませんよ?
ただし、そこで使われている「騎馬軍団」という単語は兵科としての騎兵部隊の事
を意味するのではないということをはっきりさせておけば。

ただ、そんなことをしても言葉をもてあそんでいる以上の意味が見出せませんがね。
「自分の定義では象とは四本足で歩く動物のことだ。だから現代では犬と呼ばれている
動物も象と言ったって問題ないじゃないか」
ま、主張するのは個人の自由です。それが他者に受け入れられるかは全く別ですが。

189 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 20:00:19 ID:l3G94m60
>>187
わざとだろwww

190 :篭城者:2006/12/16(土) 20:07:44 ID:tQWlx+xY
だったら、これからは兵科じゃないって但し書きつけますよ。
それで気が治まるんだったらね。
しかし、なぜそこまで現代の兵科の呼び名に拘るのか理解できませんよ。
「騎馬軍団」っていう兵科はないんでしょう?

だったら、「騎馬軍団(騎兵部隊ではない)」
って書けばいいんですか。

191 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 21:02:22 ID:FZ7Jv2jM
「騎馬軍団(本当は違うけど個人的にはこう呼んでいます」
でいいよ。

192 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 21:04:08 ID:+acXQ/mg
学研の歴史群像ごときを引き合いに出していいかどうかはわからんが、

「武田氏などは(中略)非戦闘員も含めた総人員の
7%から8%というところ」だそうだ。
騎馬武者の割合がね。
そして、後北条氏はさらに騎馬武者の割合が高かったとか。
それでも、10%には至らなかっただろうと。

そして、「長篠以前は騎馬白兵戦主体であったかのような主張は
明らかに誤りである」と言っている。

193 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 21:04:56 ID:Q9fVV/L8
>>190
現代では、騎馬軍団という言葉が騎兵部隊の意味で使われるからです。
少なくとも、武田について語るとき、騎馬軍団といって騎兵部隊のことを指さないで
使っている例は見たことありません。

そしてあなたがどう表現しようとそれで気が治まろうと、「騎馬軍団(騎兵部隊ではない)」
といってうなずく人は極少数派でしょうね。はっきりいって、あなた一人を満足させる
だけの効果しかない言葉の遊びにしかなっていません。

194 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 21:09:48 ID:ewPnB/cH
武田軍団は、軍役状などから分かるとおり歩兵の長槍部隊も存在していることは確かであり、
全軍が騎兵からなる騎兵軍団ではない
だから、武田騎兵軍団は存在しなかったと言える
そういう騎兵軍団は、世界史上でも、蒙古やテュルクマンしか存在しないと言えるだろう
だが、武田騎馬軍団なら存在したと言える
なぜなら、信長公記の
「馬防ぎの為、柵を付けさせられ」(馬を防ぐために柵を作ったのであって、歩兵を防ぐためではない)、
「関東衆、馬上の巧者にて、是れ又、馬入るべき行にて(一番、二番同様に騎馬戦術で)、推し太鼓を打ちて、懸かり来る」
という記述や、家康が石川数正に宛てた書状に「馬一筋に入り来るべく候」という文言があることから、
織田、徳川方が武田の大規模な騎馬戦術を警戒していることが明らかであるからだ
このように他国から恐れられている騎馬戦術を持つ軍団は、十分に騎馬軍団の範疇に入ると言えよう

そもそも「広義の騎馬軍団(主戦力であれ副戦力であれ、威力のある騎馬戦士が多数いる軍団)」を、
蒙古やテュルクマンの「狭義の騎馬軍団(騎兵軍団)」と同じ意味で捉えていることが混乱の原因だろうと思う

195 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 21:14:03 ID:FZ7Jv2jM
>194
ごめん。
もう終わってるから。。。

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 21:46:39 ID:dvytBAhy
>>195
あんたの人生が?


そんなレスはしなくていいんだよ。
レスするなら正面からしてやってくれ。

197 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 22:00:42 ID:P3/6p9vq
釣り目的のレスに正面はないだろうw

198 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 22:03:13 ID:+acXQ/mg
騎馬軍団の話はもう食傷気味だから
引っ張らずに他の話題にしてくれ
っていいたいんじゃないか?

と脳内補完によるフォロー

199 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 22:23:16 ID:FZ7Jv2jM
>198
補完乙
正確には>194の内容は「個人的には騎馬軍団と呼べると思う」というだけ。
そんな話はもう終わっていると言う事。

200 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 23:31:43 ID:lB2l6FAG
まあ正面からレスするなら
194でいう騎馬軍団は存在した
しかし質は別として形式的にはそのような騎馬軍団は各大名も持っていた
関東衆が特に質に優れた騎馬武者である可能性は十分ある
しかしそれなら武田以外の関東の大名も騎馬軍団であった
史料上からは騎馬の比率が多い大名は武田ではなく北条

とすると戦国最強の騎馬軍団は北条と考えるのが妥当なんじゃないか

201 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 01:10:04 ID:ArLVUZ1C
冗談じゃない!
戦国最強武田騎馬軍団が、嘘だということになったら、
信玄が信長に勝てる要素がなくなってしまうじゃないか。
そんなことは・・・断固認めない。

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 01:27:10 ID:OUyQt2vJ
>>201
えー、我が共産党は憲法改悪を断固認めません。

で、なんでそういうことするの?
まさかおもしろいと思ってやってるわけじゃないだろうし。
何か嫌なことがあったのだろうか。

203 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 02:52:46 ID:drJwj/pj
>>202
えー、我が共産党は憲法改悪を断固認めません。

で、なんでそういうことするの?
まさかおもしろいと思ってやってるわけじゃないだろうし。
何か嫌なことがあったのだろうか。

204 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 09:36:37 ID:cVqWflKS
そろそろ捨民党の登場だろ?

205 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 14:52:09 ID:bFSMCgDb
いや、だから東国山岳部の騎馬軍団なのが問題なんだって。
山の中で自由に布陣されたら、平野でやられるよりびっくりするって。
別に、武田騎馬軍団があるからといって
北条騎馬軍団があったって、一向に構わないんだが。

天下を取った徳川を苦しめた、というだけでも特別扱いする理由はある。

とりあえず、表現の自由を守ろう!基本的人権を守ろう!憲法改悪絶対阻止!!

206 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 15:31:24 ID:PkfjPi+3
弱小(あくまで比較)だったころの徳川を苦しめたからってどういう理由だよ。
だったら、後に天下を取った徳川を下僕扱いしていた今川はさらにもっと特別扱い
するべきだと?
それから、騎馬は山の中では動けない。馬とは平地を走るように進化した動物なので
少しの傾斜にも弱い。未訓練の馬では30度の坂でもダメだったとか。訓練でもう少し
いけるようにはなるそうだが。

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 15:49:25 ID:UihUFItG
>>206
ちょ、おま30度ってwwwwww
軽自動車が登れなくなる激坂wwww


208 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 15:55:43 ID:cVqWflKS
いや、チャリでも頑張れば行ける!


多分。

209 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 19:17:32 ID:bFSMCgDb
参考スレ
ttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156992018/l50
・日本の在来種は高さ1.3mくらい体重400kg
・日本の在来種は山岳向け
・日本の在来種は江戸時代に弱体化した
・北条の騎馬武者は割と重装騎兵に近い(軽装騎兵よりも)

210 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 19:25:38 ID:zWnPoG82
馬上での巧者が多数いた
山に慣れ親しんだ馬なので山での輸送隊として重宝した
少数精鋭の騎馬の奇襲部隊がいた
アルプスアイベックスなみに崖から駆け下りて奇襲出来た

多分騎馬(武者が強い)軍団だったってとこじゃないのかな

211 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 22:01:57 ID:DRR+3UxH
武田の騎馬は史実でその具体的な強さは発揮されているのか?

212 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 23:23:43 ID:m+UawD0T
長々と騎馬の話をしているが
武田騎馬隊らしき物が他の大名家より
圧倒的に優れていた訳では無いでいいんじゃないの?
武田軍の強さは騎馬隊がいたからじゃ無いだろ

213 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 00:54:07 ID:zVu/HZUu
それじゃあ武田の強さの理由って何?素朴に気になる

214 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 01:31:45 ID:6L9gEcrb
>213
強くなかったんだろ。

215 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 02:04:41 ID:gW5PsX2F
アーッの契りを結んだ集団だったのでみんなの結束力が強かった。

216 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 02:08:59 ID:zVu/HZUu
しかしなんだかんだ言って武田が
山国一国から百万石を超える大大名にまでなったのは事実。
強くないというのは無理があるような・・・。
もし強くないなら武田家の強大化の理由ってなんなの?

217 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 02:10:13 ID:gW5PsX2F
>>215が理由

218 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 02:13:39 ID:G61r1Ryj
まあ一番の理由は周りがというか武田家が攻めた相手が
武田家より国力低かったことだろうな

219 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 02:16:55 ID:zVu/HZUu
アーッはともかくとして武田家は結束力が強かったのでしょうか?
勝頼の最後を見るとそうは見えないのですが。
やはり信玄のカリスマや統率力が結束の源だったのでしょうか?

220 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 02:21:51 ID:gW5PsX2F
勝頼はアーッをしなかったし、諏訪の跡継ぎという認識で
後継者と認められなかった。
一番の理由はアーッをしなかったから。
家臣達はアーッに飢えていた


221 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 02:23:45 ID:zVu/HZUu
>218
駿河攻めや北条との戦いはどうでしょうか?
対等かそれ以上の国力を持つ相手と戦って
領土を拡大しているのは強さの証明にはならないでしょうか?

222 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 02:24:59 ID:zVu/HZUu
質問ばかりですみません

223 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 02:27:31 ID:gW5PsX2F
信玄が同盟関係をしっかり考えなかったのがいけない。
駿河攻めはウジザネ公の周りがボロボロになってました。
そう、武田滅亡の時と同じシチュエーション。

224 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 02:40:01 ID:zVu/HZUu
>223
いえ、同盟をこじらせた事の是非ではなくて
対等かそれ以上の北条を相手に見事に領土を獲得してみせたのは
ある程度の強さの証明になるんじゃないか、とおもったんです

225 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 02:42:39 ID:gW5PsX2F
北条さんは援軍を出してる余裕がなかった。
家中ボロボロの今川家を倒すのは簡単だった。


226 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 02:48:11 ID:zVu/HZUu
一回駿河に出張ってませんでしたっけ、北条。
それで武田が小田原まで攻め込んで
そのあともう一回駿河を攻めて占領したんじゃなかったでしょうか

227 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 02:53:54 ID:g4U4JLWt
北条は上杉がバカ過ぎて役に立たなかったから領国の守備を優先したらしい。
つまり駿河を再度占領できたのは謙信のおかげ。それに氏康の体調悪化と死。

228 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 03:07:49 ID:zVu/HZUu
なるほどなるほど。それで北条が領国守備優先に
走ったきっかけというのはやはり武田の小田原攻めや三増峠などの
一連の北条戦役なんでしょうか?
あと上杉に対しては足利義昭を通じて和平を働きかけてたりしてませんでしたっけ

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 05:59:28 ID:ChYgRWpQ
>>224
俺もなんやかんや言って信玄はかなり名将だと思う。
戦国屈指の名将の一人だと思う。それ以上ではないが。

武田の強さといえば合戦と調略かな。
合戦は弱小勢力にはけっこう強い。
だいたい数的優位をもって押し切ることができる。
これは簡単なようでいて難しいこと。失敗例は大内や今川。
確かに同格かそれ以上の相手には勝てないが、
それが普通なのでマイナス評価にはならない。

但し数的優位を保てたのは戦略、戦術に優れたからというよりは
>>218の言うように父が築いた土台の部分が大きい。
勿論その土台をそっくり掌握したのは信玄の手腕として評価できるが。
戦略で言えば同格以上の北条を敵に回したり
戦力差の明らかな信長に喧嘩売ったり、疑問のつく行動がある。
戦術的には対村上の大敗のように国力がなければ終わってたこともある。

んで、攻城戦はお世辞にも上手いとは言えないと思うが
それを補うように調略で切り崩すのはよくやってたな。
まあ攻城戦なんてだいたいそんなもんではあるけど。

後、思いつくのは金山による経済力かな。
それと中盤までの今川・北条との友好関係。
これは両者の利害関係の一致によるところが大きいので
一概に信玄の手腕とは言えないが武田の強さを支えた地盤なので挙げとく。

230 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 07:54:31 ID:zVu/HZUu
>229
丁寧な説明ありがとうございます。


231 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 00:04:29 ID:lli4Q9Kp
>>221
そりゃ弱くは無いと思う、信玄も武田家も
ただ超一流かと言われたら否定せざるを得ない気がする

駿河攻めですが当時の今川家は武田家の半分程度の国力
家中はバラバラ
それに加えて徳川家と組んで攻めたのだから
勝つのはわりと普通のことだと思う

北条との戦いは北条から領土を奪ったと言っても旧今川領で
北条領と言えるか微妙ではある
また上野方面では逆に武田が攻められていたりもする

>>228
>武田の小田原攻めや三増峠などの
それそのものはあまり関係無い気がする
それよりその武田との全面戦争に対し、上杉が北陸での争いにかまけて
越相同盟が機能しないこと

更に北条氏にとって本来の敵である
三船山合戦以降里見氏が勢力を盛り返しはじめたこと
古河公方簗田氏が独立離反の動きを見せたこと
北関東で佐竹宇都宮氏が連携し、バラバラだったのが
ある程度統一の方向に向かってきたこと

により武田の相手をしている場合じゃなくなったことに加えて氏康の死亡も

232 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 00:58:55 ID:5il23fpQ
>231
>上野方面では逆に武田が攻められていたりもする
これは初めて聞きました。その結果とられた領土とかあったんでしょうか?




233 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 01:25:16 ID:2C+TXCVQ
>>232
いくつかの城が寝返ったりしているが
多分北条との再同盟時にまた武田に帰属したと思われる

元亀元年信玄は駿河や上野を行ったり来たりしているが
見方を変えれば武田が北条に振りまわされているようにも見える

234 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 05:58:25 ID:JVn2b9CL
久々にきたら騎馬隊だけの部隊は存在しなかったことは周知の事実だと思っていたけどとんだ厨もいるのね。
なぜ他家にも存在した騎馬が武田家だけ有名かと言えば馬自体が強かったの。甲斐や木曽は名馬の産地として有名。天然の坂路調教地だから。
競馬の世界で昔は関東馬の方が強く、理由を調べたところ坂のある競馬場で調教していたことがわかり、関西馬が坂路調教を取り入れたところ関東馬を圧倒した事実がある。
現在では坂路=山道で育てた(鍛えた)馬は強いと言うことは立証されている。


235 :234:2006/12/19(火) 06:14:09 ID:JVn2b9CL
貼り忘れたけど
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E6%B5%A6%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC
詳しくは↑を読んでほしいけど、今の美浦トレセンではきちんとした坂路調教が出来ないから山梨移転案があるくらい。
徳川の創作云々抜きにして、これらを考えれば甲斐の騎馬武者が強かったのではなくて馬は他国よりも強かったと考えてもよいと思うけど。


236 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 20:16:33 ID:/POrMNwt
その論法でいけば武田に限らず同地を支配した歴代の勢力とか周辺の騎馬も有名じゃないとおかしくなるが
普通に甫庵の創作が後世を毒しつづけてる、でしょ

237 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 20:30:17 ID:J3/PqiNo
>>234
関東のほうが大レース多い
輸送競馬は馬にとって負担
→有力馬は関東に入厩する
後天的に鍛えられる部分なんか極々僅か

238 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 20:36:22 ID:F84Z9oDq
>>237
競馬論議は競馬板で・・・


関西馬が良績を残しているのは異論ないけどさ

239 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 20:55:34 ID:KK6epWyL
>>186
どうもレスありがとうございます。遅れましてすいませんでした。
今日、本屋である本を立ち読みしたら信玄が天下を取れなかった理由で孫子を持ち出して
川中島の合戦で別働隊が間に合わなくて謙信と信玄の一騎打ちがあったなんて書いてあった。
まだこんなことを書いている作家がいるのかって萎えてしまった。
いやはやよく出版したものだ。当然買いませんでしたが。

240 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 21:04:02 ID:F84Z9oDq
>>239
天下を取れなかった理由として?
一騎打ち?

241 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 21:49:38 ID:5il23fpQ
「信玄の戦争」とかいう本じゃなかったですかね?それ

242 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 21:50:39 ID:KK6epWyL
>>240
あ、言葉足らずでごめん。
天下を取れなかった理由として孫子の兵法を取り上げていた。
まあこれは著者の考えでべつにとやかくいうつもりはないですが。
あきれたのは川中島の方です。
昔よく言われていた事柄(啄木鳥の戦方〜一騎打ちまで)に別働隊が間に合わなかった
とういうのを付け加えただけの文章です。
とくに現地調査や文献などを調べた様子も見受けられなかったので駄目だこりゃとなった次第。

243 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 21:52:20 ID:rE6C+7Tw
一騎打ちで勝ってたら天下統一してたんじゃね?

244 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 23:16:43 ID:X5hdYAXr
現在の事情は知らんが当時の馬は産地から全国に供給されているんじゃないか?
どこかの馬が強かろうが結局みんな陸奥や関東甲信と九州南方の馬を使っているんだから
馬の差は存在しないだろ

245 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 23:36:24 ID:9rHK0/4w
>>244
なわけねーだろ。基本的に、馬は自給自足。自分が使う馬は自分の家で生んで育てて調教して使う。
馬ってのは戦力ですよ?例えば甲斐で生産された他より優れた馬を信濃や越後などの敵に渡すなんて
すると思うか?

246 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 23:53:07 ID:X5hdYAXr
>>245
>馬は自給自足。自分が使う馬は自分の家で生んで育てて調教して使う。
マジで?ソースは何?
ていうか各個人がそんな簡単に育てられるものなのか?
ついでにそんな小規模じゃ経済性悪そうだし。
中国なんかじゃ馬は北か南の産地から供給されるみたいだが。

>例えば甲斐で生産された他より優れた馬を信濃や越後などの敵に渡すなんて
>すると思うか?
第3者を介すれば普通にあり得ると思うが、
またそれとは別に敵対しない相手になら普通に売り渡すこともあると言うことなんじゃ。

山内一豊の妻が馬を買った話しや
信長やその家臣達が南部の馬を使っていたりとかすることから
普通に馬市場があったと考える方が自然だと思うが。

247 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 00:14:30 ID:FDcAMciH
家というのが各家ではなくて大名家を指しているのかもと言う可能性もあるけど
御料牧場みたいな官牧の存在があることからやっぱ効率的に生産するためにも
戦国時代でも牧場で大量生産が普通だったと思うけど・・・


248 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 08:19:39 ID:GDSMznxz
武士の装備は自弁の時代
逆に牧で集中生産してそこから分配してるシステムだったら馬が行き渡らないだろ

249 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 08:42:37 ID:VK/ZtmlC
自弁と牧場で大量生産
どっちかでないといけないのか?
並存していたと考えるのが常識的じゃないのか。

陸奥みたいな所では主に自弁
畿内みたいに貨幣経済の発達したところでは
馬喰による流通もあったと

250 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 12:04:02 ID:shdbGwJ7
そりゃ馬に関わらず武士の装備は自弁が基本だろうけどさ
(大坂の陣で家康が鉄盾を支給したとかの例もあるけどさ)
いくら自弁と言っても刀槍も各自が一から作ってるわけじゃなく
買うなりして手に入れているんだろうから
馬だって買うのが普通なんじゃないか
でないと馬喰なんて職業成り立たないし
名馬の逸話なんかが成り立たなくなる

251 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 12:52:10 ID:wMYL9DOI
下級の武士は、普段農耕に使ってる馬に乗って戦争に行く。
大名や、重役クラスは、東国産の良馬を買い求める。
てことじゃないの?

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 15:55:58 ID:KrUfM1eA
だいたいそういう感じでいいんじゃないか。
余裕がある奴は良い馬を買い求める、と。

で、多くの奴はたぶん余裕がないので地元馬が中心になる。
すると良馬の産地は合戦で少し有利になる。
武田が合戦でよく勝てば何故強いか分析されるようになり
強さの要因の一つとして良馬の多さを挙げる人もいた、という話では?

しかし>>236の言う通り、昔から甲斐勢力が騎馬で有名だったという
話は聞いたことがないから(単に不勉強だったらスマン)
実際のところ良馬がそこまで有利をもたらしたとは思えない。

253 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 21:15:52 ID:OuOE/WRa
甲斐の黒駒といえば聖徳太子が乗ったという言い伝えがあるほど大昔からから有名だぞ。
平安時代には朝廷に献上していたという記録もあったはず。
山梨や長野を含めて各地にある駒ヶ岳と言う名前は良馬が自生していた山を指すことが多い。同様に駒がつく地名もそういうのが多い。

あと馬の売買については、信長に馬を売ったとかで謙信に切られた家臣がいたはずだが。

254 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 22:12:33 ID:4vGOxTAd
柿崎景家か。怪しいもんだけどな。

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 22:55:16 ID:KrUfM1eA
>>253
いや、良馬の産地なのは分かるけど。
騎馬隊が強い、というエピソードはある?

256 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 00:45:21 ID:prNOu0lM
たしか信長が安土で楽市令を出したときに、中山道を通る商人はかならず立ち寄れ、
馬商人は安土でのみ商売をしろとかだしたと聞いた記憶が。

>253
自分の馬を安土で売ったら信長が買い付けてその礼状を柿崎に送る→謙信が内通を疑って誅殺。
だったかな。正直不思議なエピソードではある。

257 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 02:12:11 ID:vFarEK5X
>>256
信長による、謀略だったとかな

258 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 22:20:22 ID:+FgGmPMP
>>256
景家は病死したっていう話をきいたことがある。

259 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 10:13:39 ID:aUrS7QVx
二万五千のうち、草が五千で信長と家康を暗殺。
三河・尾張・美濃まで取れれば天下が見えてくるかも

260 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 10:59:49 ID:oSehyoVH
このスレでは信玄は信長に及ばないという意見が
多数派のようですが、実際に信玄は戦国大名達のランクを
つけるとするなら、どこらへんにはいると皆さんは思われるでしょう?

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 11:29:29 ID:ikL4RkOU
それは別のスレでやってください

262 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 12:32:31 ID:oSehyoVH
あ、お気にさわったらすいません。
信玄が並み居る戦国大名たちの中でどれだけの力を
持つ存在であったかがわかれば、そこからどれだけの条件を
付加すれば上洛が可能であったかがわかりやすくなるのでは、と
思ったんです。

263 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 14:05:43 ID:41NTUtcU
能力や国力運などを除外して結果で考えるのであれば
信玄は20万石から100万石へ成長した大大名
元就や信長家康三好長慶尼子経久宇喜多直家みたいな異常な成長率誇る大名や
佐竹義昭義重、最盛期までの長宗我部元親伊達政宗竜造寺隆信などには及ばないものの
かなりの成長率
一流大名といって良いと思う

ただ国力とか運を考慮すると信玄が相手をして勝てたのはかなり格下の相手ばかり
戦場では常に相手を上回る兵力で戦っている
包囲網が余程上手く機能して、武田が戦場で織田の兵力を上回れば可能性はあるかも
ただ信長は信玄と違って相手より少数の兵でも何度か勝っているので
武田が兵数で上回っていても不安は残る

264 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 09:04:35 ID:yNjWw3jP
>>263
伊達政宗は膨張率三倍だし信玄より条件もいいから
信玄より上ではないとおもうぞ。

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 10:42:04 ID:lLE3fDrN
>>264
ヒント:かかった年月

266 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 16:45:16 ID:zINShE4m
政宗のほうがすごいかもな。
数年で芦名倒してるからな。


267 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 20:33:43 ID:A1gEGL28
そりゃ50万石も相続してりゃあね
信玄や元就だったらもっと急激に成長したよ
畠山なんて4万石程度の小大名相手にてこずって
1万3千の大軍でも二本松落とせず撤退し
その間に援軍呼ばれて逆に死にはぐって
何だかしらないが居なくなったから二本松攻撃再開したが落ちない
内応させて戦力削いでみたが落ちない
城下焼いてみようとしたら撃退され
また総攻撃してみたが落ちない
結局4ヶ月攻め続けたが落ちず諦めて相馬氏の仲介で助命を条件に開城させた
葦名は当主不在+内乱、佐竹は関東で忙しく援軍にこれなかったからよかったものの

268 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 22:19:59 ID:GuZ1g2iI
生まれた時代も地域も微妙に違うのだから、
比較するのは難しいだろう。
無難に古人のいうとおり、一定の業績を残した人物は、
まとめて英雄ということでいいんじゃないかという気がする。

269 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 00:16:37 ID:cXOk/V/I
戦略的には信玄が上に思うが戦術的には謙信や信長が上に思う。
信玄には人口密度、国力がなかったのが不運だったのでは。
>>263氏の
>ただ国力とか運を考慮すると信玄が相手をして勝てたのはかなり格下の相手ばかり
>戦場では常に相手を上回る兵力で戦っている
はもっともだと思うが信玄の思想自体が5,6分の勝ちが一番いいと思っている?ので
当然ではないでしょうか?
兵隊の補充は簡単にはきかないのでよほどの事情がないかぎりどの大名も不利な条件で
戦いを挑む馬鹿もいないと思うが。戦略で戦わず勝つのが一番。
(桶狭間みたいな少数が多数を相手に勝つなんて運や環境がないとそうそうないと思う)


270 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 01:39:20 ID:YR+XhrQa
とりあえず攻められそうなとこを手当たりしだいに攻めて
まわりを敵だらけにしちゃった信玄の戦略を
上洛を考えて一気にいった信長の戦略とくらべるとかなり落ちるとおもうぞ。
信玄の一番の失敗は長期的な戦略がなかったことじゃないの。

271 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 01:41:18 ID:FjrLqx2q
>>267
たかだか二十万石を百万石程度にしかできなかった人間と、毛利元就を同列においてる時点で間違い。
次にAがBであったならもっと成長できたよってのは、(現にお前によって)主観に大いに左右されるから不毛で無意味な仮定。
人取橋は倍近い兵力差だし、結局二本松城とったんだから、川中島の信玄から見た戦果と大差無い。
川中島なんか半分ほどしかない兵力の謙信に弟まで討ち取られてそれこそ死にはぐってる。
村上相手にはコテンパンにやられてるし、独立して領土も少ない徳川に逆に侵蝕されてる今川攻めたら逆に甲斐に叩き返されてるし。
大差ないじゃん。

>>269
一時的とはいえ周囲を敵だらけにしといて戦略が優れてるはない。
相手より常に多い兵士で戦に臨むのは大変結構なことだが、それが信玄上洛に際してもかなえられる願いかどうか。
自分より優位な相手とは戦いたくないというのは包囲網の面々も同じで、どこも積極的に織田と戦いたくない。
そんな中で信玄が上洛行動起こした場合に、織田が武田より多い兵力で阻止しようとするのは明白。
そうなれば信玄は甲斐に逃げ帰る。
仮に包囲網の面々が積極的に織田と戦って、信玄が兵的優位を確保して織田と決戦することになった場合に、
その不利を何度か覆した信長相手だとこれまた不利をひっくり返されるから微妙。
後者の、包囲網勢が積極的に攻勢に出た場合のことを>>263はいってるわけだが。
で、どっちにしても上洛は不可能と。
後者の後半の展開はアレなんだが、そもそも前提からして無理矢理だからな。

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 03:23:53 ID:hcgyrvAe
>>269
そう、みんな優勢な状態で戦いたいんだよ。
けど天下を目指すなら、最大勢力以外はすべて一度は劣勢の戦いに臨むことになる。
常に兵力多数で戦えるってことはないと言っていい。
だから戦術的な能力はとーーーっても大切なんだ。
戦略だけで勝つのは理想だけど、現実はそんなに甘くない。

数的劣勢を覆した大名が運だ環境だって言うけど不思議なことに
一度数的劣勢を覆した大名は二度、三度と覆す傾向にある。
例えば信長、元就。これはもう彼らの能力によるものだと思う。

で、信玄は国力とか運とかっていうが。。。
信長だって最初から尾張50万石を継承していたわけじゃない。
むしろ尾張内は敵だらけ、国外も敵だらけ、信玄より状況はずっと悪い。
元就については言わずもがな。
それに京への近さって言うなら甲斐→美濃→近江。尾張→美濃→近江。
実はほとんど変わらないんだよね。

運ってなに?よくわからんけど。寿命のこと?
でも当時は人生50年。信玄は十分生きてる。何のこと?

全体として君の考えは非常に好きじゃない。
戦わず勝つって、戦国時代っていう名称を馬鹿にしてない?
この時代は戦うことが最良の道なんだよ。だから戦国時代っていうんだ。
合戦で己を強さを見せ付けてこそ「勝つ」ことができた、そういう時代だ。
ここは何の根拠もなく言うけど。

273 :261:2006/12/28(木) 03:28:51 ID:hcgyrvAe
>>262
このクソみたいな流れは262のせいってことだ。
分かりやすい煽りだが効果はあったな。クソが。

274 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 07:08:20 ID:YR+XhrQa
信長=元就>>>>>>信玄=政宗

275 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 15:09:43 ID:T6IvIe//
>261
随分カリカリしとるようだが、とりあえず信玄の京への道のりに
信濃をいれてないのと、木曽路が大軍で行くには橋頭堡がないと厳しいのと
戦争における調略の重要性を軽んじているのはどうかと思うぞ。

276 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 15:26:19 ID:h4OZQNxY
>>275
横からだが
>戦争における調略の重要性を軽んじているのはどうかと思うぞ。
どこに調略を軽んじている発言があったんだ?

277 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 15:35:17 ID:T6IvIe//
>>戦わず勝つって、戦国時代っていう名称を馬鹿にしてない?
この時代は戦うことが最良の道なんだよ。だから戦国時代っていうんだ。
合戦で己を強さを見せ付けてこそ「勝つ」ことができた、そういう時代だ。
ここは何の根拠もなく言うけど。

この部分だな。戦う前に十分に調略や下準備を整えておいて「戦わずして勝つ」
状態をつくるのは重要だろう。関が原なんかそれで決したようなもんだし。
もっとも完全に戦わないというわけにはいかないが、やたらめったらに戦う事が
最良の道じゃあるまい。

278 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 15:53:37 ID:h4OZQNxY
被害妄想じゃないか272も275も
どっちも戦争だけで勝つとか戦争外だけで勝つとか考えてるわけじゃないだろ
極端過ぎ

279 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 15:54:37 ID:h4OZQNxY
まあ269は信玄に国力が無かったと思う辺りがアレだが

280 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 16:00:54 ID:T6IvIe//
誤解の無いようにいっとくと俺は269じゃないぞ

281 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 16:14:01 ID:h4OZQNxY
>>280
いや文体からして269とは別人だと思っている
上のは単に269への感想
連続で書いたため勘違いされるようなことになってしまったみたいで済まないが

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 19:02:23 ID:6/4Iz5rt
>>275
ちょっと生理ひどくてイライラしてた。
みんなごめん。



283 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 19:39:42 ID:T6IvIe//
女性だったのかΣ(゚д゚lll)

284 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 19:49:00 ID:cXOk/V/I
なんかみんなカリカリしているね。俺269だけど。
そんなに滅茶苦茶なことを書いた覚えはないつもりだったんだが。
戦わず勝つってそんなに変か?別に毎度毎度そんなことがあるとは思っていないけど。
ようは戦う前に戦略レベルで有利な条件を整えて実際の戦闘で被害を出来るだけ少なくする
という意味でいったんだが。なにも戦闘なしで本当に勝つなんて思っていないよ。
>>279
俺は山梨県人だ。今でも国力は無いぞ。逆に国力があったと思うのか?

285 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 19:58:06 ID:cXOk/V/I
あ、連投すまん。
>>272
えらいカリカリしているようだが別に喧嘩しているわけじゃないし落ち着けよ。
あと「運」というのは山梨の人口密度が一番だな。

286 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 20:27:47 ID:h4OZQNxY
>>284
確かに甲斐は国力低いけど
信玄勝てた大名はそれに輪をかけて低い

信長や元就の場合は周りが国力高いため
相手の兵力を上回るや戦わずして勝つなどの戦略は選べない時期があり
どうしても戦術で挽回する必要があった

287 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 20:28:41 ID:h4OZQNxY
誤 信玄勝てた大名
正 信玄が勝てた大名

288 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 21:32:50 ID:cXOk/V/I
>>286
ん?俺が不勉強なのかもしれんが信玄が戦った大名は上杉、北条、今川(氏真)、松平くらいしか思いつかないけど。
織田は岩村城あたりの局地戦だからどうかな?
どれを指しているの?まあ松平よりは国力はあっただろうが。

289 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 21:40:46 ID:J58nx9ZJ
>>288
不勉強だと思います。諏訪、小笠原、村上などの信濃の大名たちと戦ってますから。
領域が一国未満でも戦国大名扱いは普通されます。
あいつらは大名じゃない、せいぜい豪族レベルだとか主張するのも自由ですが、その
場合信玄は国持ち大名でありながら豪族に負けたとなりますがよろしいか?

290 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 21:57:52 ID:cXOk/V/I
ええ、いいと思います。

291 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 23:04:17 ID:h4OZQNxY
>>288
簡単に書くと
武田23万石対諏訪4万石
武田25万石対高遠藤沢4万石
武田33万石対村上16万石(上田原の頃)
武田27万石対小笠原10万石(塩尻峠の頃)
村上は信濃の半分近くだけどそれ以外は皆1郡程度の勢力

また上杉も武田より国力は低いし
今川が滅ぼされた時は
武田は既に80万石に対し今川は40万石ほどで、それに加え30万石ほどの徳川と共同
ただ北条は武田の倍ぐらいの国力だけど局地戦で勝ったり駿河を奪い返したけど滅ぼせたわけじゃないし

信長は継いだ段階で尾張の1/4
15万石ほどで70万石超の今川と戦いながら
同程度の勢力の清洲織田家を滅ぼし
更に美濃50万石ほどの斎藤家を敵に回しながら
信長700対弟についた柴田勝家1700に打ち勝ち
一応尾張の半分を支配する岩倉織田家を滅ぼし
桶狭間で勝って
同程度の国力の斎藤家を滅ぼしたと
でこの段階で100万石超えたから単独で信長を上回る国力の相手はいなくなったため
これ以後の相手はみな織田よりも低い国力の相手となったけど

292 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 23:32:35 ID:cXOk/V/I
>>291
なるほどサンクス。
>武田33万石対村上16万石(上田原の頃)
>武田27万石対小笠原10万石(塩尻峠の頃)
これだといかに甲斐一国の国力が弱かったのがよくわかる。
おまけにその頃の武田晴信の甲斐での地盤は決して強固なものではなかったからね。
その点では長尾景虎も同様だろうけど。
ではこの辺で自分はいったんおちます。
今も山梨は国力が弱いんで(笑)一兆円の借金があるそうですわ(涙)

293 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 02:47:05 ID:NDH0jkxf
cXOk/V/I は武田以外の大名にも興味もった方がいいよ。
じゃなきゃ、ずっと>>292みたいなこと言い続けるんだろう。

294 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 12:41:47 ID:qR2K5xbI
?

295 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 15:44:47 ID:QYhH2Uyv
強い弱いは相対的なもの
後背が同盟により不安のない22万石+アルファで10万石程度の奴を相手取れば普通は優勢で当然じゃないか

296 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 13:18:18 ID:26JDlANC
信玄は悪政を行ったというのが2chでいわれる事があるんですが
実際の所はどうだったんでしょうか?

297 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 13:19:53 ID:jqAcCikN
>>296
信虎以上の重税
これでは不満?

298 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 13:22:09 ID:eJ6UHx98
でも他国の農書や甲府の農民達から受けがいいけどな
武田家

299 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 16:52:27 ID:ncLxm9vI
本領での本年貢は安かったが
棟別銭やらその他の特別税が多くて高かった
このあたりは三戦板時代の過去スレでかなりやったような

300 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 18:21:49 ID:bNIJwEp8
>>298
まあ税の高さは一つの指標だけど、高税=悪政というわけではない。
例えば税が適正に使われ、何らかのかたちで民に還元されるなら。
その点、信玄はそれなりに良い使い方をしてたから
受けがいいんじゃないかと思ったりする。

金貨の造幣や治水、頑張ってたみたいだし。
戦費も多いけど侵略戦に勝つなら甲斐的には文句ないしね。
もちろん負けた側は辛かっただろうけど。信濃とか。

いずれにせよ実際のところは善政、悪政と一括りにすることはできないだろうな。
ああいうのは極めて恣意的な概念で、前政権は常に悪政と言われる。
信玄だけじゃなく政治一般についてそうだと思う。

301 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 04:06:13 ID:N/Zu8sbf
農書”培養秘録”より

徳川家興りて200余年、戦国時代の旧癖は今に治せず。
それ兵法を講明する家は極めて多けれども、食料が
満ち足りるよう講明する家は極めて少ない。

故にしばしば飢餓となり、餓死者が野に満ちる
大国を領する諸侯といえども、大概みな財用のたらさるに
困りて借金の淵に堕ちいらざる者は稀なり。
故に兵法を講するといえども、内実は武備も衰えたること
甚だしい。
これ皆、食法を修めざるの禍いなり。


ふりかえるに中古以来賛美すべき至りは、武田信玄公のみ。
乱世の中といえども、よく農政を修めて境内の百姓を撫安し、
衣食富みたりて、武備もまた精鋭なりき。
故にかの家滅びてすでに200年に及ぶといえども、甲州の百姓
皆その恩を慕たいて、涙をすにいたる。

なおかつ彼の家にて堤防を築きて洪水の難を防ぎ、
百姓の為に農を勤めるに便よきならしめたる水利精要の
如きにいたりては、最も善を尽くしたる者にて、
世の宝とする所なり
絶世人英雄感嘆するにあまりあり。

302 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 11:41:09 ID:POlWnMHF
軍事的には戦に勝って少しづつでも領土が拡大するなら、
従軍する者たちには実入りがあるのだし、雑兵だって略奪による臨時収入があるから、
多少税金が高くても基本的に問題はない。

信虎に対する不満が高まったのも、単純に税が重かったからでも、
軍役がきつかったからでもなく、甲斐統一以後領土の拡大が著しく停滞して、
信虎に従う豪族たちの実入りが少なくなってしまったから。
だからこそ、税も軍役も信虎時代以上だったにもかかわらず、
信玄に対しては信虎時代ほどの不満は出なかった。

ところが、長篠の戦以後領土の拡大がまた長く停滞してしまい、
一気に破綻への道を突き進むことになってしまったと。

303 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 13:23:59 ID:mB4pLXqJ
>>301-302
別の見方をすると、信玄の経済は他国からの略奪で賄われていたものであり、
これは領土が拡大する限りにおいては機能する自転車操業でもある。

長篠によって経済が破綻したというのはたしかだが、正直、信玄があと10年
生きていても同じ状況に陥っただろう。というか、信玄晩年にすでのその兆候
はある。今川を落とした結果、周囲にあるのは上杉、北条、徳川&織田。どれ
も一万以上の軍を動員できる大国であり、侵略するにはこちらも万以上の軍を
動かす必要がある。それで大きな領土を得られれればいいが、実際にはこの頃
になるとそれぞれの城をいくつかをおとして終わりなんて戦果も少なくない。
これでは”わりが合わない”ということになる。

304 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 13:29:20 ID:KHqjXZsD
北条氏のように税を安くしかつ簡素化した大名が存在したのを無視して信玄賛美されると、いかにも江戸時代の政治的都合って感じがするな

305 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 13:44:24 ID:N/Zu8sbf
>>304
実際それもあるんだけど甲州流水利土木術は
かなりのもんなんだよ。砂の多い川を堰き止める方法とか実に
こまかく記されてて、その後の堤防技術に大きな
影響をあたえてるから。
だから土性変換や気候変通を専門とした農書で
武田がベタ褒めされんのも道理ではある。

306 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 14:02:05 ID:mbpm57Lv
>>304
でも、北条って上杉にさんざん狩場にされたんでしょ?
いくら税が軽くてもセキュリティサービスが皆無じゃ困るな。
当時にとって治安は何にも代え難い重要項目だと思う。

307 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 14:59:43 ID:UoJQu18M
>>300
全体的な善悪論には同感だけど
>その点、信玄はそれなりに良い使い方をしてたから
って具体的にこれはという点あるの?治水以外に

>>301
江戸時代後半、甲陽軍鑑にどっぷりつかった時代の評判が役に立つのか?
甲斐では江戸時代初期の伊奈?あたりだかがやった治水事業のほうが大規模のはずだが
それも何時の間にか信玄の功績となっているし

>>302
>信虎に対する不満が高まったのも、単純に税が重かったからでも、
>軍役がきつかったからでもなく、甲斐統一以後領土の拡大が著しく停滞して、
>信虎に従う豪族たちの実入りが少なくなってしまったから。
ただそれだと何で信虎の信濃侵攻が上手くいった直後に追放劇が起きたのかということになる

>>305
それは同感
徳川史観の影響がかなり大きいとはいえ
16世紀半ばに大規模な治水を行った大名を自分は寡聞にして知らない
これが後半になるとかなりの大名が行っているが

>こまかく記されてて、その後の堤防技術に大きな
>影響をあたえてるから。
ただこれは知らない、できれば体系別に詳しく

>>306
奥深くまで侵入されたのは最初の時だけで
後は北条領の外周部や親北条勢力領じゃないか
それほどセキュリティーが甘いとも思えないが
これは地理的要因も大きいと思う
武田だって駿河や信濃は荒らされたこと多いし

308 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 15:15:43 ID:N/Zu8sbf
>>307
堤防溝キョク志に詳しくあったと思うけど
今手元にないから書けない
スマン

309 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 15:16:24 ID:RGhRUROc
税が高くて払えない、これでは食っていけないと言う。
すると役人が飛んできて家族を人質にされたり、殺されたりする。

かたや税は安いが戦争のときはほったらかしにされ
家族を殺され土地を奪われ奴隷にされることもある。

どっちがいいかは当時の農民に聞いてみないと分からないな。


310 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 15:22:21 ID:UoJQu18M
>>308
堤防溝恤志
キョクがひらがなだったけどこれのこと?
分類が森林工学だけど自分はそっちは何も知らないんで

別に謝らなくてもいいって
いろいろと専門書調べたことある人間なら、それをもう一度取り寄せて調べて
まとめあげるということにどれだけ時間かかるか分かってるから

311 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 15:28:34 ID:N/Zu8sbf
>>310
それそれ
なんか尻切れとんぼな会話でかっこ悪くて

312 :300:2007/01/01(月) 15:29:56 ID:RGhRUROc
>>307
とりあえず金貨の造幣と戦勝を挙げたが
他は、年貢を納める枡の大きさを統一した話とか?
これは土豪による中間搾取を防止したんだと思う。

でも武田のことあんまり知らないんだよね。
300はすごく適当な推測。
詳しく知ってる人がいたら教えて欲しい。

あ、自分もちょっと調べてみます。


313 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 15:31:42 ID:UoJQu18M
>>309
北条だって戦争の時放置していたわけじゃないし
武田だって民を守りきっているわけじゃないし
戦争の時は何処の大名下でも基本的に同じじゃない?
信長にしたって焼かれたりとか初期にはあったと思うし

武田は農民の逃散とか凄かったようだから
当時の農民にとってはあまり良い政治だったとは思えないけど
北条以外の大名はみな似た様なものか?

314 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 16:47:06 ID:mB4pLXqJ
>>312
『武田信玄 伝説的英雄像からの脱却』笹本正治 中央公論社
お勧めです。1997年でやや古い本ですが。
度量衡や貨幣の業績を称える一方で、信玄堤や椿道などは「信玄がやったという確かな
史料はない」と疑問も呈しています。

315 :300:2007/01/01(月) 17:46:30 ID:RGhRUROc
4公6民の他、以下の諸役も多い。
棟別銭(家屋税)年200文、
過料銭(臨時の軍事費)、
普請役(築城や堤防の役)、など。

年貢はまあ普通の範囲だが、
棟別銭に関しては他大名に比べ明らかに高い。
過料も多め。普請役も多め。

これだけ見れば農民にはけっこうきつかったと思う。
ただ治水のおかげで新田開発ができ、水害も緩和された。
金山開発で頑張ればけっこうな賞与が出ることもあった。
悪いことばかりでもなかったと言える。
それと良い悪いは別にして収奪システムは確固と作られてる。
農民には厳しいが戦国大名としてはそれが正しいのだろう。

で、大規模な鉱山開発、治水、築城を続けた結果、
土木工事のレベルがかなり上がったらしい。
また武具・工芸関係の職人を優遇したので腕のいいのが集まり
紙細工とかそれなりにいいのができてたらしい。
そういうので、農民とは関係なく>>305のいうように
農書関係では評価がとても高いようです。

316 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 09:41:40 ID:Er8jp9Yk
>>307
あまりにも直後すぎなんだよ。
信濃で領土を拡大したその同じ年に信虎は追放されている。
それが極めて上手くいったことから考えても、
計画はそれよりずい分前から入念に行われていたはずで、
たまたまその年に領土拡大に成功したからといって、いきなり中止には出来ないでしょう。
仮に中止にしてしまっても、そういう計画を企てたという事実は残ってしまうから、
その後はその発覚を恐れ続けることになる。
その時点ではもうやるしかなかったと言うことでしょう。

もしも3年できれば5年くらい早く領土の拡大に成功していれば、
何とかなったかも知れないが。

317 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 13:44:14 ID:uE8Lw2Wb
>>316
正確にはその前年からじゃないか
軍鑑だと晴信の初陣とされる36年からになるけど

ただ計画が随分前からと言うのは・・・
そんな根回ししていたら普通は途中で漏れるんじゃないか?

318 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 16:38:40 ID:s3xxiUTM
>>317
誰もそう簡単に漏らさない。

しかしまあ謀反の理由を戦争が上手く行かないからってことだけで説明するのも厳しいな。家臣への厳しい態度、強引過ぎるやり方への反発も一つの理由だったと思う。他にも要因はいろいろあるんじゃないかね。

319 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 16:50:42 ID:uE8Lw2Wb
>>318
でもクーデーターや謀反の失敗の大半が露見しかけて無理に実行したら
やっぱ駄目でしたという例が多いから長期だとやっぱ漏れるんじゃないか
しっかりと組織立っているならともかく、甲斐の豪族の寄せ集めなんだし

ただ後段は同意、単一の理由によると考える方がおかしいな
今川がひそかに後押ししている可能性もありうるし

320 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 16:51:01 ID:Dmh00ixx
義信の謀反はなんでバレたんだっけ

321 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 16:53:10 ID:uE8Lw2Wb
>>320
飯富昌景が密告した

322 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 17:09:58 ID:bkEy8kxs
いつになく落ち着いた雰囲気。素敵だね。

信虎が追放された要因だけど、
信虎の人格や専制性もやっぱり一因ではあるんでないかな。

外征に成果が上がらない事だけに求めるのもいけないような・・・

323 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 19:30:50 ID:Er8jp9Yk
>>317
年は勘違いだったかも知れないが、
恐ろしく手際よく成功したことから、場当たり的な計画ではなかった可能性が高い。
なるほど失敗したクーデターは漏れそうになって慌てて実行し、
やっぱり失敗ってパターンが多いと思うが。
成功した場合はしっかりともらさずに機が熟すまで待てたからだとも言えるし。

もちろん信虎追放は単一の理由だけではないでしょう。
領土が拡大できないだけで追放では、
ほとんどの中小の戦国大名が追放されることになってしまうし。
根本的な理由として信虎の専制的な政に対する不満はあっただろうが、
領土の拡大とそれに伴う家臣団への利益の分配がもう少し多くあれば、
その不満も多少は解消されまた違った展開になっていた可能性も大いにあるだろうと。

324 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 22:07:05 ID:L3HLseJy
なんと言っても当時の武田の重臣がそのままスムーズに晴信体制に移行してるしねぇ。
事後処理という程の乱れもなく信州計略にかかってるしクーデターというよりやはり追放か。

325 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 22:31:32 ID:eedVaHH/
>>323
そう。成功する場合はしっかり根回ししてある。
それが仇になって漏洩、失敗することもあるけど、
漏洩を恐れてばかりでもダメってことね。

326 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 22:37:47 ID:eedVaHH/
ごめん間違えた。論点は「長期」ってところか。
微妙なところだな。焦って短期でやって失敗したら元もこもないし
かといって長期過ぎれば状況も変わるし密告も出てくる。

そもそも武田の場合が「長期」に過ぎたかどうかを考えるのは難しい。
まず他家の場合を参考に、武田独自の状況などを加味して考慮する、
ちょっとめんどくさい。

327 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 23:37:55 ID:uE8Lw2Wb
織田で考えるなら
信勝謀反は信長はある程度感づいていたのか林の元に乗り込んで問いただしたりしている
荒木は途中でばれた?
松永は北陸情勢受けて突発?
光秀は突発?

陶の謀反の例だと義隆はある程度感づいていたかもしれないけど
陶の権力が強すぎて止め様が無かった?

道三の場合も気づかれていたけど土岐には止めることが出来なかった?

伊達の天文の乱だと
根回し不足か周辺諸国を巻き込んで何年もの大乱に

六角の観音寺騒動の場合は突発的だけど上手くいった?

328 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 08:54:47 ID:x1TRcFr7
信虎の場合はまず専制的な行いから、基本的に豪族たちの反感が高まっていた。
しかも、甲斐統一後長いこと領土拡大がなく、それに伴う利益豪族たちへの利益の配分もなかった、
確かに追放される前年に始めて領土拡大に成功したが、
それで一気に不満が和らぐというほど劇的なものでなく、
結局追放は決行されたって事でしょう。

信虎追放後のゴタゴタがほとんどないことは、
極めて広範に信虎への不満が溜まっていたということであり、
つまりその原因は慢性的なものであったことが推測される。

329 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 23:55:13 ID:zSNyt1rT
不満は慢性的
計画は首謀者だけである程度たてていた?
根回しは極短期間ってとこじゃないか

そもそも信虎が駿河にいつ行くかなんて計画段階では分からないことだし

330 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 03:43:33 ID:4hS7bA0X
武田家について
http://live23.2ch.net/test/read.cgi/livecx/1167834794/

331 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 04:16:13 ID:wmED8Ve5
ずっとタイミングを図っていたとすれば長期的だったといえる。

が、もういいじゃないか。長期かどうかなんてたいして重要な話じゃない。
結果は成功した。原因は信虎の態度やら何やらいろいろ。
で、加えて戦争しても甲斐以降領土を拡張できなかったことも一つの原因だったかもしれない。
そうだとすれば領土を拡張できた信玄はその限りでマシな統治者だったといえる、と。
それだけで善政と言うには足りないと思うが。


332 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 10:33:39 ID:hoOX73BZ
信虎があちこちから集めた他国者の新参家臣団からも裏切られたっぽいからなー

333 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 18:07:01 ID:uBSoAQAs
>>332
信長に似てるな
信勝(信行)に負けて追放されたようなもんか。

もう少しうまく歯車が回転してれば、どういう業績を残したやら。


334 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 18:10:08 ID:MkdHXk7p
信玄が健康だったら上洛は成功するよ!
だって俺が蒼天録でシミュレートしたもん!
楽勝だったよ、その後信長倒して天下統一!
信玄強すぎ!信玄最高!離反最高!

335 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 18:26:59 ID:uBSoAQAs
はいはい
すごーくおもしろーい

336 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 21:50:22 ID:eFQRkNCx
信虎程度の領土拡大では不足だった可能性もある
信玄でさえ最初の10年ぐらいは軍役に不満を持たれていたみたいだし

337 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 06:44:58 ID:LymwEjtA
信虎追放は面白いテーマだね。何せその後の家中に動揺がほぼ見られない。
もちろん信虎が残虐行為を繰り返したなんてのは眉唾だけど守護大名から
戦国大名に転換する時期にかなり甲斐の国人層に不満があったのは事実だろう。
守旧的にして分家筋が多く信虎と同格意識をもった有力国人層の守護専制への嫌悪、
領土拡大や外交政策における行き詰まりと無益な軍役負担との嫌悪、人心一新の機運など
案外晴信相続時は有力国人の連合政権における守護傀儡化が目的だったのかもねえ。
いずれにしろ武田を考える上では「守護職」ないし「守護大名意識」をもう少し検証する必要が
あるかも。信玄の「大儀なき横柄な」信濃侵攻もその意識が強いように感じられる。

338 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 09:36:09 ID:yf/veSs4
まあ、戦国時代の侵攻にいちいち大儀なんて求めても仕方ないとは
思うけどな。

339 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 09:41:03 ID:IMuK0afw
「一年に二度も戦する信玄は信虎と変わらない」という不満が妙法寺記に載っている
戦で喜ぶのは土地とかもらえそうな武士階級の中程度以上だけ

340 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 13:15:37 ID:McwMl23r
>>338
国人同士でもさまざまな繋がりと言うか派閥みたいなものも
あったりするからそれなりに大儀が無いと禍根とか残すよ
まあ、あっても不平は出るだろうけど


341 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 14:06:50 ID:WZkZwlXG
信玄は生涯に三回負けているらしいけど
そのうち二回は村上義清に負けた
あとの一回は誰に破れたの?

342 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 14:13:15 ID:K5/+8iAY
>>341
川中島第4戦のことじゃないか?

343 :バナナマン:2007/01/05(金) 14:25:16 ID:dRRdeqd2
四回戦は一応引き分けか信玄の勝ちでしょ

344 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 14:28:42 ID:K5/+8iAY
>>343
信玄の弟とか重臣が何人か死んでるから局地戦としては信玄の負け

345 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 14:41:45 ID:ZTBXzXpE
自分自身

346 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 16:36:40 ID:9Ktk1oAY
時の流れ

347 ::2007/01/05(金) 16:43:32 ID:f9hcXSgq
たしか長野業正に負けてなかったっけ?

348 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 17:05:40 ID:qVwsMzII
>>347
落とせなかったときは信玄自身が率いてないから、どうだろう。
「3回」の真意はよく分からんな。

349 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 17:16:06 ID:+uN7Su4T
業正には6回攻めてものの見事にはね返されたんじゃなかった?

350 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 17:38:28 ID:upl6la8E
徳川侵攻(上洛とも)も結局失敗してるんだから負けだな

351 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 18:26:56 ID:WbChx0ul
薩田峠で北条に負けてたような。

352 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 18:40:00 ID:FvSPF+JP
>>347
城を攻めて落せなかったってのを負けに数えると、
生涯負けなしとか言われる謙信ですらボロボロ負けが出てくることになるし、
信玄なんてどのくらいあるか直ぐには数えられないくらいになってしまう。
多分敗戦3回なんて言っているからには、そういうのは除外した上でのことでしょう。

353 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 20:09:31 ID:aM2lznh2
信玄の生涯戦歴72戦49勝3敗20分
で3回負けていると言うのは
対村上の上田原
対村上の戸石城攻めの失敗
対村上の一環である小岩岳城攻めの失敗
の3つ
先人がどういう基準で選んだのかは謎だけどね

このよく伝わっている成績では信玄は業正とは戦っていないことになっている
また家臣の落とした城も信玄の勝ち戦に加えていたり
落とされた城は負け戦に加えなかったり
城攻めて落とせなかった場合は基本的に引き分け扱いにしていたり
戦いによって戦略で勝ちとしていたり戦術で勝ちとしていたり
薩田峠での北条との戦いも無かったことになっている

まあ信玄の『生涯戦歴72戦49勝3敗20分』を根拠に信玄を評価する人間メディアは
基本的に講談小説準拠と考えていいんじゃないか

354 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 21:17:11 ID:yf/veSs4
長野攻めの6回はどうも信玄が攻めてなかったり、
刈り働きだけで帰ったのが混じったり、
兵力的にありえないのが入ってたり、いろいろ不明確だからなあ・・・。

355 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 22:08:22 ID:7RtiSxmk
甲陽軍艦が捏造の塊だからな

356 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 22:21:39 ID:qVwsMzII
>>351
薩垂峠?
勝敗つかずな感じではあるが今川への後詰に行けなかった北条がむしろ負けてる。
かといって武田が勝ったとも断言できないが、少なくとも負けてはいないと思う。

357 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 22:24:35 ID:LDFia4vh
まあ、なんというか、箕輪城外を思う存分焼き払ったり奪ったりできれば
「引き分け」と当時の人は解釈したのでは?有能な将が勇猛な兵を率いて
篭る城、が大変堅いのは当たり前のこと。それをポンポン抜けなかったか
らと言って負けというのは大げさだろう。

358 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 22:27:02 ID:qVwsMzII
>>357
城攻めはおとせないのが普通だしなあ。
負け、と言ってしまうのはちょっと。
相手の体力を奪えれば引き分けとしていいと思う。

359 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 22:45:51 ID:6aZ0/f/q
>>357-358
戦争の定義からやり直しましょう。
目的を達成できなければ勝利とは言いません。
城を落すのが目的で攻めて落せなければ、その過程で雑兵を何人討ち取ろうと
究極、敵大将を討ち取ろうと、相手の国力を奪おうと、それは負けです。

逆に、端から焼き討ち略奪で相手の国を乱すのが目的で出兵して、敵が出てきた
からもしくは出てくる前に撤退したのならそれは負けとはいいません。

360 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 22:54:00 ID:WbChx0ul
武田が駿河に侵攻した後に薩田峠は北条の大軍に攻めとられてる。
さらに徳川が北条と通じた。だから信玄は甲斐に撤退したんだよ。

361 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 23:15:34 ID:qVwsMzII
>>359
なるほど。
俺は負けの数をやたら増やさないために負けの定義を狭めた。
でなければどうしても攻撃側に不利な判定になると思ったので。
例えば3度の攻城戦の末、4度目についに陥落なんてケースで、
結局勢力を伸ばした側に1勝3敗という数字がつくのは、微妙じゃない?

それで>>359のように言ったんだが、
君のように「負け」の意味に拘るのもいいと思うよ。


362 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 23:17:16 ID:qVwsMzII
× >>359のように言ったんだが
○ >>358のように言ったんだが

363 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 23:31:45 ID:qVwsMzII
>>360
えと、言ってることがよく分からん。
武田が駿河侵攻→薩田峠を北条が占拠→徳川が北条へ→信玄撤退
という流れだと言いたいのでしょうか?
だとすれば俺の知ってる歴史とはずいぶん違うんだけど。

364 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 23:55:13 ID:aM2lznh2
別に城攻めの勝ち負けの定義とか負けの意味を狭めようとかどっちでもいいけど
問題なのは基準が曖昧なことだな
引き分けなら引き分けにすべきだし負けなら負けにするべき
大名ごとはもちろん信玄だけにしても基準がちょっとな

ついでに合戦のカウントの仕方も曖昧
正直72戦という数値なんていくらでも変えられそう

>>355
しかし72戦というのも軍鑑にしか記述が無いような武田の戦勝を数えていたりする

>>363
だいたい>>360の言う通りでしょ
武田が駿河侵攻→薩田峠を北条が占拠→武田と北条対峙
武田本格的な衝突を裂け迂回して甲斐へ撤退
駿河の大半を北条が占拠
その間北条と徳川が同盟

戦術的には武田は北条に勝てなかったし
戦略的には駿河の大半の支配権を失った武田の大敗

365 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 23:56:20 ID:WZkZwlXG
信玄を負かしたのは村上義清だけ
また直接は戦ってないが上杉為景の軍にも勝っている
もっと評価されていい武将だな

366 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 00:02:04 ID:1jDAjh6q
>>361
別に微妙でもなんでもなく、その例では一勝三敗です。
信長の例になりますが、長島攻撃ではそれこそ二度失敗して三度目に成功で
一勝二敗とカウントされてますがね通常は。

>364 でも言ってますが、『信玄の生涯戦歴72戦49勝3敗20分』は勝ち負け引き分けの基準が
ものすごく曖昧、というより信玄に有利になるように恣意的にカウントしている。

367 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 00:25:29 ID:fP3CrLpC
>>364
同意w
正直どっちでもいいし問題は基準。


で、薩峠の話だけど北条が薩田峠を占拠って具体的にいうと何のこと??
薩田山砦も横田城も武田が制圧した上で北条と対峙したでしょ。
で、北条はこれを抜けず撤退。その後蒲原城まで武田が攻略してるし。
この一連の戦いで駿河の主導権を握ったのは明らかに武田。

368 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 00:35:31 ID:fP3CrLpC
>>366
通常って何よw 
まあ俺が言いたいのは1勝3敗という戦歴にも関らず3敗の方が勢力拡大してる微妙さ。
数字を見てぱっと分かるほうがいいでしょ。でももうその話はいいよ。俺は君の言い分認めてるし。
それと俺は信玄の3敗とかいう戦歴の恣意性は否定しないよ。
むしろアンチ信玄だからその恣意性に大きな疑問を感じる一人。
だいたい生涯何戦何勝なんていろんな武将で言われるの全部そうだよねw

369 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 00:48:46 ID:vy/k2O0+
ああー疲れた。全部読んだよ
ここで疑問に思うのは
「武田何しに兵出したんだ?」だ。
国力(兵力)は信長が優勢、地の利もある。
騎馬軍団みたいな特別のウリもない
で、武田信玄は「自分より弱い勢力としかやりたがらない」でオケ?
ジリ貧が恐くなってトチ狂ったのか?それとも誰かが言うように橋頭堡獲得?
思うに信長の勢力全体を潰そうなんて考えてなかったんじゃないか?
むろん京なんて本気で目指してなく。
なんてね。ただのドキュンだったのかもね



370 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 01:09:17 ID:7RjcqJCn
上杉為景って誰だよ

371 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 01:11:36 ID:o420UZ9f
なんというか、釣りかもしれんが
「自分より弱い勢力としかやりたがらない」というのは
どこの大名も同じ。そしてそううまくはいかないのも戦国時代。
信玄にしたって国力同等以上の北条と戦って駿河を奪取してみせた実績が
あるように完全に国力上のやつとだって状況次第では戦うだろう。
北条攻めの時に芦名、越中一向一揆、甲越一和などで謙信の足をからめとって
北条を攻めて状況を打破したように、当時の信長は四方に敵勢力を抱えていて
武田だけに集中できない状況だったと思う。
この状況に乗じて上洛を狙ったのかそれともただの領域拡大かは議論の分かれる所だが
少なくとも信玄は無茶に兵をだしたのではないと思うぞ。
個人的には四方の反信長勢力と頻繁に連絡をとってたり、これに乗じて足利義昭が挙兵した
事、兵站の問題などから上洛前の橋頭堡確保だと思う。

372 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 01:17:19 ID:fP3CrLpC
>>369
クマー

373 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 01:22:16 ID:W3O2Hfs3
>>367
>薩田山砦も横田城も武田が制圧した上で北条と対峙したでしょ。
そういう話しもある
ただどっちでもその後駿河が北条のものとなり
信玄は蒲原城をはじめとして各城を取り戻すための戦いをする羽目になるわけだが
その状態を持って武田有利とするのはいくらなんでもおかしい
この時点では北条が有利でしょ

>>368
>だいたい生涯何戦何勝なんていろんな武将で言われるの全部そうだよねw
それどころか信玄一人にしても基準が曖昧だからなー
小岩岳を敗戦と数えるなら藤沢や飯山、箕輪あたりの城を攻めた時も敗戦とするべきだし
滝山や高天神も敗戦とするほうが正しい気がする
若しくは小岩岳も引き分けとするべきか
まあそれ言ったら戸石崩れも城攻めの失敗だから引き分けにするべきと考えることも出来そうだが

374 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 01:27:01 ID:TiwpwH/m
すまんレス読んでないので流れみてなくてすまんが、
朝倉が撤退したのを詰問してる信玄の書状があるでしょ?
あれは、少なくとも最終的にはやはり信玄の目標は織田打倒=上洛、だったことの証だよね?

375 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 01:29:52 ID:W3O2Hfs3
>>374
いや
単に朝倉が撤退すると織田の大規模な徳川への援軍が来る可能性が出るので
それを恐れただけと言う可能性もある
長期的には織田の打倒も考えていただろうけど
状況によっては織田との再同盟も普通にあると思う

376 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 01:32:43 ID:o420UZ9f
たいした損害もなく、包囲を切り上げて自主的に帰ったなら引き分け、
大きな損害を受けて逃げ帰ったなら敗北、とかそんな分け方なんじゃないかな、
よく載ってる戦績とかは。

377 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 01:37:43 ID:W3O2Hfs3
>>376
まあそのたいした損害と大きな損害の差が曖昧なのが一番の問題だな

378 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 02:28:24 ID:fP3CrLpC
>>373
俺は依然373がどう考えているのかよくわからん。
理解力不足。本当すまん。俺の書き方が悪かったとこもあるし。
そもそも薩田近辺の戦いは多いがどれのことかも不明なまま。
とりあえず俺の考えを示すので指摘してくれ。

1568.12.13 第一次薩田峠の戦い 武田vs今川 
朝比奈信置の内応により今川軍撤退、駿府今川館までも放棄。
武田は薩田以西の駿河を攻略、さらに秋山が遠江まで一部進入。

1569.1.18〜4.20 第二次薩田峠の戦い 武田vs北条
両軍主力を率いて対峙するが、特に衝突もなく両軍撤退
北条は結局今川の後詰に行けず

1569.10.6 三増峠の戦い 武田vs北条
両軍少なくない損害受ける。一般的には武田勝利だが、そうだろうか

1569.11.28 岡部正綱らが駿府今川館を占拠
よって再び武田が駿河に侵攻

1569.11.30 薩田山砦の戦い 武田vs今川旧臣・北条
武田が薩田山砦を制圧、さらに横山城も攻略

1569.12.6 蒲原城の戦い 武田vs北条
武田が北条綱重の守る蒲原城を攻略。以降、蒲原城は武田の支配下に

1569.12.8 岡部正綱、開城
以降、岡部正綱らは武田に臣従。駿河の武田領国化がほぼ完成。

このように俺は薩田戦など一連の戦いで武田が有利に事を進めたと思うが
どの時点で駿河が北条のものになり(駿河の大半を北条が占拠?)、
いつ北条の手に渡った蒲原城を武田が取り戻したのか教えてくれ。
薩田以東の一部駿河が北条の手にあったことは同意するがほんの一部だしな。

379 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 02:48:59 ID:o420UZ9f
>378さん、おれは373じゃないけど
第二次薩田峠の戦で信玄が甲斐に戻ったあと
掛川に逃れていた今川氏真が家康に和議で騙されて城を落とされ
北条領地の伊豆まで退去したんだよ。
この時氏真は北条に駿河の支配権を委譲してる。
これによってまだ駿河には各地にいくらか今川家臣が残ってたが
統治権力は北条に移り、北条は各城に武将と兵力を派遣したんだよ。
その間隙をついて北条牽制の為に信玄は小田原を攻めたんだよ。
こんな感じでどうかな?

380 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 02:55:27 ID:W3O2Hfs3
>>378
基本的に一緒でも
徳之一色城や花沢城についてはどう考えてるの?

思うに今川勢力残党を北条と考えるか否かの違いではないかと

381 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 03:04:57 ID:W3O2Hfs3
>>378
>>380は基本的に年号と事項は一緒、
でも駿河西部の北条方についた城についてあなたはどう考えるの?
という意味の文章

あと
>薩田以東の一部駿河が北条の手にあったことは同意するがほんの一部だしな。
一部か?富士川以東は大半じゃない?
富士川以西を一部というならまだ分かるけど

69年の秋以降は武田が駿河で主導権を握ったが
69年春の段階では北条が主導権を握っていると考えている
>>373でのこの時点と言うのは当然69年春のこと

382 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 03:30:01 ID:fP3CrLpC
>>379
今そこのところについて書こうとしてたw

373が379のことを言わんとしてたなら納得だが、
俺的に話が錯綜してたから確認しときたかったんだよ。
まあ、とりあえずその路線で話を進める。

第二次薩田峠で北条の目的は掛川城への後詰。
しかし北条は薩田に布陣する武田を抜けなかった。
結果、今川は徳川の圧力に耐えかね開城し、滅亡。
今川を救援する北条の目的はかなわなかった。
その意味でむしろ北条の負けと書いた。
で、武田側としても北条の目的は阻止できたが
だからといって駿河を制圧できるようになったわけでもなく勝ったとも言えない。

従って>>364につき、戦術的に勝てなかったというのは同意する。
しかし駿河の名目上の支配権を北条にとられたのは薩田峠で勝てなかったことより
徳川より先に今川を降伏させられなかったことや同盟を破ったことに原因があると思う。
第二次薩田峠をもって武田の戦略的大敗というのは武田に酷な評価。
と、言いたかったのです。

>>380,381
問題は把握したがちょっとレスすることが多くなったので絞るよ。
だいたい上の記述でまかなえてると思うんだが。

>思うに今川勢力残党を北条と考えるか否かの違いではないかと
ぽいなあ。だいたいそんな感じな気がするよ。

>69年春の段階では北条が主導権を握っていると考えている
そこがわからん。第二次薩田峠をどう捉えるかという話かもしれんが
俺は薩田から動けない北条は後手に回っている感じがするんだけど。



383 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 03:37:20 ID:fP3CrLpC
どうも遅くまでつき合わせてすまんね。どーぞもうお休みください。
寝ても「論破されて逃げ出た北条厨m9(^Д^)プギャー」とか言わないから。
大丈夫。絶対言わないから。絶対。

384 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 03:43:29 ID:W3O2Hfs3
>>382
>第二次薩田峠で北条の目的は掛川城への後詰。
ここも相違点みたいだ
自分は北条の目的をどさくさにまぎれて駿河を横取りすること
武田の目的を駿河の制圧
と考えているから
北条にとって今川がどうなろうが気にしないだろう
大義名分に利用した程度の存在でしかないと

>徳川より先に今川を降伏させられなかったことや同盟を破ったことに原因があると思う。
>第二次薩田峠をもって武田の戦略的大敗というのは武田に酷な評価。
>と、言いたかったのです。
これは自分の書き方の問題だったかも
第二次薩田峠をもって武田の戦略的大敗と言っているのではなく
それらを含めて武田の戦略的大敗
ただ武田も一部駿河を占領しているから
最初の駿河攻め全体でみるなら戦略目標の一部達成にはなるかもしれない

385 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 04:19:27 ID:fP3CrLpC
>>384
>北条の目的をどさくさにまぎれて駿河を横取りすること
あー。そういう見方か。

まず、俺は後詰を成功させることの意義を重視してるのかな。
あれはけっこう重要だと思うんだよね。
成功すれば周りの小勢力がなびくようになるし信頼も築けるし。
あそこで武田に勝てば駿河攻略上の意義はかなり大きかったと思うんだよ。

それと北条氏だって今川は存続していて欲しかったと思うよ。
北条氏の目は基本的に関東だし関東にたくさん敵がいる。
いつでも駿河に兵を向けれるってわけじゃないし
本拠に近い駿河は少しでも同盟軍がいたほうがいい。
どうでもいいって程ではないと思う。

>それらを含めて武田の戦略的大敗
はい同意。大敗とまでは思わないが、疑問はつくと思う。

386 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 15:39:06 ID:wYhMs6a2
後年の秀吉の北条攻めの際は、東海道からの攻撃で箱根城塞軍が容易く落とされてからは小田原城がいきなり包囲されて
折角大動員した兵力が封殺されて一方的に敗北、だからなぁ

387 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 21:45:05 ID:7pkTqOET
要するに一般に言われる信玄を三回負かした武将は村上義清って事でしょ?

388 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 21:50:06 ID:KK1mxdvf
どのレスをどう要約したらそんな結論になるのか説明してくれ

389 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 21:56:34 ID:jV8E6zHr
>>387の頭の中じゃないか?

390 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 01:35:31 ID:xb5lt/5S
一般に信玄は生涯三回しか負けていないと言われてる

村上義清は信玄に三回勝った

=信玄に勝った事ある武将は村上義清だけ

391 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 09:00:13 ID:ORf92kH6
言われているのが間違い
どうせ城攻め失敗も引き分けに加えるおかしな評価からでしょ
だいたい上州の虎こと長野の爺様が出てこない時点で……

392 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 14:12:08 ID:xb5lt/5S
上州の黄斑 ってどういう意味?

393 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 14:13:46 ID:LuupZxEy
AOEとかでよくいるタイプ。
内政と軍備整備に時間かけてるうちにアーチャーラッシュであぼーん

394 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 16:11:40 ID:HwjmvwF/
信玄は雑魚にしか勝ってない

395 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 17:38:16 ID:LuupZxEy
信長最強これ常識

396 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 17:47:32 ID:OgYjZ0/l
早雲最強、これ常識


397 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 17:57:38 ID:LuupZxEy
>>396
それは否定しないが、早雲と信長では時代が違う。

398 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 18:13:22 ID:abjatYom
今川義元にしても信玄にしてもみんな100万石超えてから天下鳥
に乗り出しているが当時の100石ってどうゆう意味があったの?

399 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 18:24:03 ID:LuupZxEy
>>398
偶々じゃないの?
義元だって最近の説じゃ天下取りに向けての上洛じゃないって話だし、
信玄もこのスレを読むかぎり勢力圏拡大が主眼だったというほうが説得力ある。

400 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 18:27:51 ID:w7o2x1sq
>>398
義元は実は100万石持ってないよ
80万石ぐらい

401 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 11:48:52 ID:el/KjS7G
そもそも天下取りのために動いていた、というのは後付けだからな
信長以外はスローガンすら掲げなかったわけで
みんな自分の勢力拡大と保全が第一だったんでしょう、普通に
もし本気で天下取ろうと考えてたら、例えば義元なら上洛しやすいようにより西側に本拠地を移動させるなりしたはず

402 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 11:56:22 ID:/C9X3Gq3
確かに、目的なんてそれぞれ違うからな。
例えば天下を狙った織田、地方政権の樹立を狙った北条、義を貫いた上杉
自転車操業のため、国を維持するためにひたすら侵略を続けた大名もいる。

403 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 12:00:20 ID:el/KjS7G
>>402
>義を貫いた上杉
( ゚д゚)ポカーン

404 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 12:04:46 ID:d3F87slv
>義を貫いた上杉
>義を貫いた上杉
>義を貫いた上杉
>義を貫いた上杉
>義を貫いた上杉
>義を貫いた上杉
>義を貫いた上杉

405 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 12:26:53 ID:/C9X3Gq3
関東に援軍送ってやっただろうが。それも14回も。
こんな事してくれる大名は他にいないぞ。
それと多少の略奪は仕方のない事だ。
じゃなきゃ国人は言うこと聞いてくれないし

406 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 12:36:33 ID:+BCXHctT
>>405
援軍じゃなくてしっかり領土奪ってるじゃないか
ついでにいえば謙信ほど同盟者を裏切った大名は戦国期といえど珍しいぐらいだぞ

407 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 12:36:40 ID:T72bSEYQ
>>405
人身売買は?
はっきりいってやったことだけ見ていくと信長のほうがよっぽど義に溢れてるよ

408 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 12:44:06 ID:NWu8t2UQ
まあ人間バーベキューよりはマシって程度かな

409 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 13:00:46 ID:bBMHBwXY
あのコピペも馬鹿が張り付け回った上杉謙信のコピペと変わらん。

410 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 14:13:23 ID:+xDEgSLm
人身売買って上杉ばかり騒がれているが、どうなんだ?

411 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 14:35:40 ID:0qAD8cF1
>>410
武田もすごいよ>人身売買

ただ、人身売買はどうでもよく、謙信の政治上の言動をみるととても義の人とは言えん。

412 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 16:59:54 ID:4x8r6sJI
人身売買ってなんだ?西洋でも名のある家の者は殺さず身代金でかたをつけてたけどその事を行ってるのか?
ああ、武田様は豪族虐殺とか一族一門金山送りとかやってたみたいだけどな。

413 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 17:45:16 ID:MztopU8+
春秋に義戦なし

414 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 18:41:40 ID:44NlS8WK
>>412ってなに言ってんだ?

415 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 19:35:07 ID:WGUbn41V
負けた腹いせに城下を荒らしまくって帰る軍神上杉謙信w

416 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 19:46:57 ID:tXSUCSBw
武田信玄の本を読んでいて、疑問に思ったことがあるのですが、よろしければ
お答えいただきたく。
武田信玄はなぜ早い段階で美濃のほうの攻略をしなかったのでしょうか?
そのほうがよっぽど早く上洛できそうな気がしてくるんですが。
やはり、武田にとっても斉藤は手ごわいんですかね?それとも、上杉が
いたから?または、駿河のほうからでないといけない理由でもあったとか?


417 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 19:54:43 ID:/ZQ2kM+9
>>416


418 :416:2007/01/08(月) 20:02:16 ID:tXSUCSBw
>>417
それは、今川・北条と同盟をきってからですよね。それよりも前の段階で
美濃攻略をしなかたったのは何でかなぁと。

419 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 20:04:42 ID:bBMHBwXY
美濃の国力を舐めちゃいかん。それに交通の面もあるしね。
それに>>417の言う通り海に面した領地ってのは重要だよ。

420 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 20:13:56 ID:aV8OVnX4
>>416
今川義元が倒れるや否や、武田は今川との同盟破棄するとともに
織田とは友好的な関係を築いているんですよ。織田の親族が武田に
人質として差し出されたんじゃなかったかな?
その織田は斉藤を攻め立てたわけで。
要するに当初、武田は今川領を織田は斉藤領を欲したわけ。

斉藤領を武田と織田とで食い合うよりも信玄は弱体化した
今川領のほうに魅力を感じた。


421 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 20:34:27 ID:aV8OVnX4
三国同盟破棄前なら理由は
謙信と川中島で争ってるからでしょ。
もし謙信との争いがなかったなら美濃方面から上洛しているはず。
当面の問題のない今川義元は将軍の命令に従って西上している。

422 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 20:35:52 ID:bBMHBwXY
将軍の命令?

423 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 23:09:55 ID:Oy0Mbc48
よく美濃から上洛しろと言う人が出てくるが
武田が簡単に美濃を取れるとはとても思えん
美濃からって人は信玄だったら楽勝とでも思ってるの?

424 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 23:13:54 ID:WGUbn41V
できたならそうしてるだろ。
当事者の信玄がしてないんだからそれが最善だったんだろう

425 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 23:21:38 ID:T72bSEYQ
だから信濃―美濃ルートは無謀だと何度言えば(ry

426 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 23:41:16 ID:yNLinCAR
信濃から美濃は山路だから大軍や兵糧の輸送が難しいのでは
交通の発達した東海道の方が大軍を率いての上洛がしやすいと思う。
もちろん海に面している利点もあるだろうし。

427 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 00:11:41 ID:Eylw9mTR
そもそも、木曾氏が武田に服属するようになったのが結構後のことじゃなかったか?

428 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 01:39:00 ID:zUwMHA0S
>>427
1554年か55年
2回目の川中島の時だな


交通面は同じ山道の上野を攻めれたことから
飯田から東美濃を攻めることは可能だろうけど
謙信とやりあってる上に
美濃は50万石超の大国
謙信とある程度停戦和睦が出来たとしても
信玄が勝てるかどうか

429 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 01:43:29 ID:zUwMHA0S
>>420
>今川義元が倒れるや否や、武田は今川との同盟破棄するとともに
>織田とは友好的な関係を築いているんですよ。織田の親族が武田に
>人質として差し出されたんじゃなかったかな?
それは違うと思う
三国同盟の完全な破棄は68年
武田と織田が同盟結ぶのは65年
人質ではなく信長が養女としていた遠山家の娘を勝頼の嫁に送った

430 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 10:36:22 ID:b+Wq4m6a
結局、信玄はどうあがいても天下なんぞ取れなかったということだな。
上洛できたところで、信長みたいに大胆に本拠地を移すという発想も
なかっただろうし。

431 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 12:14:22 ID:aAsvqMD7
もし信玄が上洛を果たすなら、南部晴政と同じように日本海経由で若狭から京へ向かうのが一番だが、
そもそも信玄は日本海を見ることなく終わった。

ある意味、謙信との対決は日本海経由の上洛ルートを拓くためだったと言う新書をこの間読んだ。
木曽路を抜けて美濃を攻め取るより楽だと考えたかも知れない。

432 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 14:03:31 ID:zrxxi69n
>>431
謙信を完全に打倒し、さらに北陸の全て制圧して京に抜ける上洛ルートの
どこが美濃コースより楽なのかわからんww


433 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 14:27:14 ID:e54jmrxl
景虎の力量を見誤っていたのだろう。
越後は為景・晴景・景虎が三代に渡りほぼ掌握されているように見えるが、
実際には国人たちも信服している様子がない。
美濃の方が手ごわく見えたんじゃない?

434 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 15:59:35 ID:gGlw7YIX
一向宗と折り合いがつけば北陸の制圧は容易な気がするが
上洛と言うのが謙信みたいな上洛なら
若狭湖西は半ば将軍家の管轄だから平和裏に上洛は出来そうだ

435 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 17:25:52 ID:7xD4NVXo
顕如に嫁を出してるから、本願寺や一向宗への折り合いは問題ないんじゃねの

436 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 17:57:10 ID:BiXXvOLM
>>433
いや、謙信だけじゃないから。

日本海コースだと越後、越中、加賀、越前+近江か若狭を制圧
木曽路コースなら美濃、近江だけでOK

いくら一向宗と友好関係にあるといっても何があるか分からんし
領地が接すれば問題が起きることは十分あるわけで。
それに加賀を素通りできたとしてもまだ木曽路の方が楽。

>>434の言うような上洛だけなら別に日本海に出ずとも
美濃を通っていけばいいわけで。まあ、いずれの上洛にせよ
上洛のために日本海ってのは新書らしく飛躍した話だと思う。

437 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 18:04:58 ID:XevL6S1M
越後の直江津から若狭まで船で行くとか

438 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 18:12:52 ID:b+Wq4m6a
そもそも信玄は上洛して何をするつもりだったの?
源氏の名門の俺が上洛して将軍を奉じて天下に号令をかけたら
皆が平伏するとでも思っていたのだろうか。

439 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 18:33:18 ID:v9l4dajO
その前に信長を倒さなければならないわけだが、無理だろ、兵力2倍でも怪しい

440 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 21:43:26 ID:aAsvqMD7
> 美濃を通っていけばいいわけで。
甲斐源氏の名門武田が、成り上がり者の斉藤道三を信用する理由が無い。

仮に、武田信玄が上洛を目指していたとしたら、その理由は、天下に号令するという理由ではなく、
息子に偏緯を賜って宗家としての権威を確立して、領国経営を安定させることが目的でないのか。
それを脅かすかも知れない仮想敵である隣国を信用して、のこのこ上洛するほど信玄はお人よしではないだろう。
海路経由であれば、天候しだいで厄介な隣国をパスすることも可能だ。

441 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 22:35:59 ID:v9l4dajO
不可能でしょうよ

442 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 00:07:58 ID:8ZZEYH0P
>>440
ゲーム脳?

443 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 00:53:56 ID:KXBD9Afr
ttp://www.youtube.com/watch?v=QzU5i-OGWlg
まずはこれ聞いて勉強して来い
話はその後だ

444 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 01:07:00 ID:5sjEldLU
謙信も簡単に上洛してるし、越後を取って
たまに京に遊びに行きたいという野望があったのかもしれない。

445 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 01:10:02 ID:Ubfqmgdq
父親を追放し、嫡男を幽閉して殺し、三男に跡を継がせず
お気に入りの側室の娘の子供を跡継ぎにして国を滅ぼした信玄万歳!
人は城、人は石垣、人は堀とかよく言うよ。

446 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 01:15:59 ID:Lh4P/9K8
またまた、義信事件の本質や
年齢からして勝頼が後継となるしかなかった事情を
全くわかっていない荒らしがいるのか・・・・

人は城・・・の言葉なんて、信玄はひとことも発してないんだけどね。

447 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 02:20:45 ID:8UGcfGv4
早い話が

「人は商品」

でFA?

448 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 07:14:18 ID:LAtA9WCu
木曽路からの攻略はあり得ないだろう。木曾谷と東濃は信府の後背地。
それと謙信の二度の上洛は軍事的なものではなく領国経営の権威付け。
しかも朝廷と幕府に対する「公式訪問」だ。信玄の「上洛」とは話のレベルが違う。
まあ甲府を本拠とする限り上洛作戦も領土拡大の一環だと自分は思うがなあ。

449 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 13:54:30 ID:ck2CXvl7
>>443
何コレwwwwwwwww

450 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 17:02:59 ID:WSy3WfQt
当時の織田家の石高はかなりアバウトだが武田家の約6倍。畿内での商業収入も加えたら織田の経済力は計り知れない
 
もし信玄が生きていて織田領内に攻め込めていても、
織田家が本気になれば他の敵対勢力を相手にしつつ武田の兵を圧倒的に上回る兵の動員も不可能ではなかった。
ただでさえ不利な攻める側なのにあの兵力で本気で上洛する気だったのか知りたい

451 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 19:40:14 ID:5jZjVYJl
>>445
それは間違い
正しくは 人は尻 人は石垣 人を掘り

452 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 22:49:54 ID:ljE9FVjo
>>450
6倍は絶対ありえない
1572年じゃ武田は100万石ほど
それの6倍って言ったら600万石になる
尾張美濃伊勢近江若狭山城摂津河内和泉大和
すべて足しても400万石いかないぐらいだぞ

正確にはテンプレ見ればわかることだが

453 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 00:08:53 ID:V1gO0SVk
ラインハルトさまは、自分の数倍
あるが兵力分散した同盟軍を
各個撃破したな

ただ、信長は信玄軍を十分ひきつけてから叩くつもりだったと思う
信玄軍が本当に一直線に京都行くつもりなら、だけど。


454 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 00:29:16 ID:gGLLBhb6
銀英伝の戦術は実際にやったら失敗するものが多い
例を挙げるなら他のにしたまえ

455 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 01:05:32 ID:kJvMZT9o
「尾張の弱兵」伝説を忘れたか。
尾張兵3人=三河兵1人、三河兵3人=甲州兵1人、とかいう強さの公式があるそうだが、それでいくと尾張兵9人を甲州兵1人で相手できることになるぞ。
俺は織田の何が嫌って、ビジネスライクで武士の美学がないところだな。
銭を旗指物にすんなっつーの。

456 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 01:10:20 ID:kJvMZT9o
>>641>>645
信玄が死んだ当時の状況から考えれば、武田軍があのまま京に向かってきたら信長としては本当にやばかった。
信玄は一向宗とともに信長包囲網の代表格だったから、武田軍が上洛してきたら、反信長勢力はさらに勢いづいただろう。
長篠で織田・徳川が勝てたのは、長篠城にこだわり、敵に挟み撃ちされる状態になったのに撤退せず、軍議の場で「御旗・楯無も照覧あれ」を言ってしまったバカ勝頼のおかげ。
信玄相手だったら、ああはいかなかった。
家臣に裏切られて殺され、死後、家臣に家を潰されたバカ信長の信者乙。

457 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 01:17:22 ID:24GnbCxo
>>455
一瞬真田の事かと思ったw

458 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 01:34:53 ID:sNC5SpMy
6文銭あげ

459 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 01:38:27 ID:kJvMZT9o
>>457
真田の六文銭は、「この銭を持っていつでもあの世にいってやるよ」という決死の覚悟の表れ。
ただ銭をリアルにデザインしただけの織田の旗とは一緒にすべきではない。
だいたい何だよ、「天下布武」って。
要は「日本を武力で統一します」って宣言してるだけで、何の深みもない。
やっぱり織田はクソだな。

460 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 03:05:45 ID:ZoYfkUfv
>>459
いろいろ大変だと思いますが、お幸せに。

461 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 04:15:27 ID:kJvMZT9o
>>460
皮肉どうも。
信長厨がウザいだけなんで、心配ご無用。

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