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どこの出身兵卒が強いのかな??

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 01:20:07 ID:hZWJSov6
ドコの国の一般兵士が強いのかな? 率いる将の力量抜きで。 よく尾張兵は弱いから信長が工夫したとか精悍な薩摩隼人とか言うじゃない お国自慢、思い入れも大歓迎〜

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 01:44:39 ID:ybDVXNGS
軍の強さは

1、装備
2、数
3、状態
4、作戦
5、士気

これらの条件で左右される。個人の強さなどほとんど入る余地はないよ。
もし、兵個人の体格やら士気やらで強さが決まるなら日露戦争は瞬殺だからな。
下らないことでスレ立てるんじゃねーよボケ。つまり三河だ。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 03:02:11 ID:TWJ8PuAW
兵が強いという事実ではなく
そういう情報により相手に威圧を与えられることも考慮したほうがいいと思う
長篠合戦だって武田の兵が強いから勝つなんて言われてたし
数は織田のほうが多かったのに

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 03:06:41 ID:sEfIIoli
薩摩隼人が強いんじゃないか?

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 03:12:22 ID:RcBgRWqW
戦場で銃弾が雨あられと飛び交う近代戦争と、鉄砲が辛うじて普及し始めた戦国時代の戦を同列には語れないだろ

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 03:26:59 ID:m9wcCfLA


7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 03:42:36 ID:mVmdPsQq
どこもあんま変わらん

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 04:12:41 ID:jATTt9kS
兵卒なんて士気が全て

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 09:57:48 ID:rajzQEtb
大阪の連隊が何日かけても落とせなかった砦を久留米の連隊が1日で落とした、
とうちの博多のじいちゃんが言ってたよ。大阪人はそろばん勘定で無理だと思ったら、
あきらめが早くて、九州はバカが多いから計算しないで突っ込んでいく。
だから強かったって。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 21:22:15 ID:hZWJSov6
基本的に山国の人の方が強いと思う。 尾張より美濃や三河とかね

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 21:27:20 ID:MgAiFlni
美濃や三河が山国?
平野の国でなくね?
そんな事言ったら飛騨や甲斐や但馬なんかどーなるよ?


12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 22:17:54 ID:zeA4ft7I
結果論で語ると隼人で間違いない

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 22:37:44 ID:uP3XqJxO
>>12
鹿児島の兵はどの時代も戦してるなあ。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 23:30:14 ID:MnTd/Xzf
日本人だったら別にどこでも一緒だろ 平均すれば
まぁ精鋭を選りすぐっていたなら別だが・・

15 :ひょーりみ ◆7rAzqBFcf. :2006/10/12(木) 23:45:24 ID:3HdTQcDI
一領具足

16 :白馬青牛:2006/10/12(木) 23:52:03 ID:mO1F9R9U
>>9
それは、どの戦闘での事か?久留米の聯隊と大阪の聯隊だけじゃ
確認出来んよ。後半の文は、九州兵団と近畿兵団の性格の違いを
よう表現されておる。衡陽攻略で武勲を立てた大阪や京都の兵団が、
日本軍が大敗した芷江作戦で、「部隊はオトリとして使われる」噂が流れ、
古参兵の入院が相次ぎ(合理的出兵拒否)、戦闘に参加し生き残った
古参兵は、入院した兵隊から「何の為に参加したんか」と馬鹿にされた。
インパールでも安兵団を馬鹿にしたよう、九州兵団では臆病もんと、
罵倒されよう。
>九州はバカが多いから計算しないで突っ込んでいく。九州が強いか
弱いか別として、近畿兵団が軍感状を授与された衡陽攻略の、
九州の部隊は、久留米師団じゃのうて南九州の熊本師団じゃったが、
一度の総攻撃で兵の大半が犠牲になる無謀な猛攻をしとる。
確かに勇猛じゃけど、九州兵団は、仲間に対する見栄から無茶するね。
自己の生命の軽視から生殖本能が目覚めるんか、九州兵は慰安婦を
連れとるのに、強姦をする悪名で恐れられた。韓国兵の性格が類似する。
九州は儒教の影響が強いせいか、自軍が強かったとする白髪三千丈、
ハッタリ、隠蔽体質も強い。
高麗女狩りした戦国薩摩兵の性格は、近代九州兵団に受け継がれておるね。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 00:00:35 ID:9Xyjr+2+
都市部より、田舎の兵卒のほうが強い気がする。
純朴だから

18 :白馬青牛:2006/10/13(金) 00:25:07 ID:KSaCvxE9
>>17
田舎兵の純朴性は、指揮官にとって戦場心理の孤独感から逃れられ、
安心感を与えるんじゃろうけど、兵隊が指揮官に依存する状態は
好ましいとは云えん。強弱とは関係ないね。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 01:29:50 ID:NXYIcgTq
九州の兵=剽悍で攻撃力が強い
東北の兵=守りの戦いになると粘り強い
近畿の兵=弱いが目ざといので斥候向き

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 01:37:39 ID:Nwx9eBDE
>>19
中国もそうだよな

世界各国、共通なんじゃねーか?

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 01:49:42 ID:iJrewvL2
>>19
関東の兵:金ぴか

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 01:52:59 ID:tn3hHwqV
>>21
ワロタ


23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 02:16:37 ID:WB2I5THP
有名どころは
薩摩
三河
土佐
越後
甲州
あとはどこだろ?
うーん
結局地域でなく指揮官によるでしょ。
士気かなり影響しそうだし。


24 :白馬青牛:2006/10/13(金) 02:22:53 ID:KSaCvxE9
>>19
実例じゃのうて、風評の推測じゃのう。また近畿兵団愚弄か。

九州の兵=勇猛で勢いのある時は強いが、攻撃は大雑把で渋とさに
欠ける。
東北兵=困苦に耐え、忠誠心に強いが、防御戦には強く無い。
鈍重で不器用。
近畿兵=合理的で始めから、勝ち目の薄い戦に退却するが、
戦闘能力は、数々の武勲から低く無い。民主的風土の影響か、
田舎の隷属農奴兵より、知力もあり。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 05:58:28 ID:Cm1G0UhL
戦国じゃ南海道や東海道にも精兵がいるよな。
でも旧軍じゃ東北出身と九州出身が精鋭とみなされているぐらいで
明治時代までに東北・九州以外は精兵じゃなくなったのか?

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 20:08:22 ID:dY0k2mg7
譜代、外様とかが関係してるのかね。 徳川期にノンビリ過ごした地域と、仮想敵国とされ緊張を持たれ続けた地域と。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 20:10:52 ID:F9u7IbMz
山国の人はよく山道を歩き(甲斐、土佐など
平地の人は歩かない(尾張など

これで差が出る

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 20:12:38 ID:yinceCmm
強いより弱いと言われてたほうが敵の油断誘えるし有利になりそうな気がするんだ

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 21:24:32 ID:gbquJV3I
状況次第で変わるものさ
弱い弱い言われていた長州兵だって禁門の変では
当時全国最強と言われていた薩摩、会津相手に寡兵で押しまくったし
口先だけだと馬鹿にしていた肥後人も
西南戦争では薩摩兵以上の精強さをみせた

30 :白馬青牛:2006/10/13(金) 23:10:19 ID:rH+Yh4CY
>>25
あのねえ、旧軍で九州や東北の兵が評価されたんは、戦闘実績じゃのうて、
従順性じゃろう。都会兵は何時裏切るか解らん云う不信感が辺境農奴兵の
信頼に繋がったんじゃないか。実際の戦闘実績とは違うよ。
精兵云々文句があれば、近代戦で比類なき戦歴と実績を持ち、常に寡兵で
大軍と闘うた広島師団より、活躍してからの事じゃのう。
東海地方の名古屋師団の戦歴は、一級品で東北兵よりは強いよ。
第二次長沙作戦でも、熊本第6師団とエースの座を賭けて、争ったが、
名古屋第3師団、熊本第6師団、両者供に中国国府軍に敗北したけどね。
名古屋師団の中でも、精強部隊は、三河の豊橋聯隊、更に優秀なのは
静岡聯隊じゃろう。
>>29
熊本第6師団でも、鹿児島第45聯隊よりも、熊本第13聯隊の方が、
攻撃的じゃったそうな。長州、周防の山口の兵隊は、広島師団管区の
中では、精強と云うに、一番ほど遠い部隊じゃったが、戦闘において
上官に作戦方法を提案する等、知的能力も高いよ。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 23:13:44 ID:3Cc1KQe4
戦史小説とかの評価見ると
三河兵、土佐兵、島津兵の三強がずば抜けてるよな。

武田兵や織田兵は、兵卒単位としては弱い。


32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 23:20:07 ID:Pw2SFSSB
どうして白馬は戦国時代板で必死になって20世紀の兵士の話をしてるんだ?

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 23:21:30 ID:RNYW45eP
尾張と三河なんてほとんど隣接してるのに強弱が表れるわけねーだろ。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 23:34:50 ID:Wi0XUC6j
尾張と三河は隣接してるから大して変わらない
三河と遠江は隣接してるから大して変わらない
遠江と駿河は隣接してるから大して変わらない
駿河と甲斐は隣接してるから大して変わらない
甲斐と相模は隣接してるから大して変わらない
       ・
       ・
       ・

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 00:26:31 ID:JgfPCQA0
駿河と甲斐は山を隔てているからどうかな。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 00:31:57 ID:kpoE6ocK
>>32
郷土の英雄。帝国陸軍師団の歴史 其の弐
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/chiri/1144579367/l50

戦国日本最強の国
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152023682/l50

世界史上最弱の軍隊を語る
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1141994478/l50

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 00:48:51 ID:UA5wkRwo
>>33
強弱はともかく、気質はちがうだろう。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 00:58:05 ID:JRtC3dEA
>>37
尾張と三河っていうより、岡崎衆と織田家の家風の違いって
感じだけどな。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 01:12:24 ID:Bxh0Rqwd
>>37
愛知県民は尾張と三河で気質が違うのか?
地図上では密接しているように見えるけど一体何が両者を分けてるんだ

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 01:17:18 ID:Vwaexne9
>>39
マジでバカっぽいなお前

41 :白馬青牛:2006/10/14(土) 01:33:59 ID:GXILkl1C
>>32
20世紀の郷土師団、聯隊の性格は、戦国時代から受け継がれておるん
じゃないか。陰徳太平記に、秀吉の言として、「畿内の兵は、敵の勢いの
有無を推し量って、軽き進み軽く退く。」「東国の兵は短気ゆえ、
長い間城を守りぬくことは難しく、小勢でもって多勢に当るときも、
久しくこらえることが出来ぬ。」
「中国勢は、小勢で城を守り、小をもって対陣すること、何百日、何千日を
経るとも、士気衰えて引くということはない。」・
このように畿内・坂東より優れた中国勢を退治する為に、柴田・惟任・
滝川を始め、諸将多き中に、この秀吉を選ばれたことからみても、
信長様が、よく人を知る名将であること、明らかであろう。」と続く訳
じゃが、毛利側の資料で、秀吉の自慢話も真偽は解らんが、各地方の兵の
特質は、近代郷土兵団、聯隊の性質と類似する。近代広島部隊の活躍は、
小勢で大軍相手に一歩も引かんかった事、防御戦に一度も敗北したことも
無かった事。毛利側の資料であっても、戦国期の性質が近代広島兵団に
受け継がれた事を実証しとる。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 02:24:19 ID:X6YmQ2vn
愛知県民は皆尾張と三河は違う、と考えている。ガチです


43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 02:32:39 ID:7jbalNhT
誰か白馬のじいさん隔離してくれないかな?
長野業政や真田昌幸を知らないようだし。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 05:04:50 ID:iGavaBZU
>>39
三河人と尾張(名古屋)人の敵対意識は凄いぞ、
特に年輩の方は。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 08:36:23 ID:Pta0RjNg
陰徳太平記(笑)

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 09:53:09 ID:SXU2lOjg
陰徳太平記なんて、特に毛利に都合よく書かれているものを引っ張り出して、
何語っちゃってんの?広島のキチガイは。
難波戦記を持ち出して大坂の陣を語るようなもんだろ。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 12:05:49 ID:IJ3pmFSa
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150275919/l50

93 :白馬青牛 :2006/10/03(火) 22:33:40 ID:ocZpPCrC
>>71-84
琉球兵に苦戦した薩摩兵が強いんかねえ。薩摩の釣り野伏り戦法の
主力は、戦場で強盗行為もする家族単位で移動する野郎部隊じゃないんか。
遊撃戦は得意じゃろう。九州征伐の黒田勢が「近国の野郎のたねを断つ」
為、野郎の妻子も惨殺したんじゃろう。薩摩正規軍も長宗我部相手に
正面激突で苦戦しつつ退却した処を野郎軍団の遊撃側面攻撃にまかす戦法。
(薩摩人は遁走を恥とせん柔軟性があったことは長所じゃが、)
薩摩の戦法も長宗我部ら四国勢に通用しても、毛利、黒田勢には
通用せんね。
薩摩軍が蛮行で名を成したことは認めるよ。大友城下の者を売り飛ばし、
朝鮮出兵でも、テルマ・カクセイ(高麗おごじょ)を拉致したことも。
戦国期の南九州の伝統は近代熊本兵団(熊本・鹿児島・宮崎・大分の
壮丁で構成。)に受け継がれ、熊本師団は、女子挺身隊(慰安婦)を連れて
いるのに(中国姑娘)強姦すると悪名があり、占領地には、都城(宮崎)の
部隊を進駐させるよう苦慮したようじゃ。宮崎や大分なら兎も角、熊本や
鹿児島じゃあ、占領地の婦女子にとって恐怖じゃったろうね。

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 12:41:58 ID:6gsC0qVa
白馬はもっと戦国時代を勉強してからきなさい。

昭和期の話がしたいだけだろ?戦国板の住人には興味ないよ。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 13:43:47 ID:em2tIjg2
長州800は肥後5000に匹敵する

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 13:47:10 ID:Bxh0Rqwd
長州800の装備が凄かったからな

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 14:38:43 ID:YPX6dT8k
>>50
装備は同じ

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 15:17:29 ID:Vwaexne9
関東人は東京と埼玉で気質が違うのか?
地図上では密接しているように見えるけど一体何が両者を分けてるんだ

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 16:03:38 ID:uMLiPmsE
>>52
東京は田舎者の寄せ集まり。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 16:25:18 ID:+57jayCq
>>24
>困苦に耐え、忠誠心に強い
って、防戦の苦境では最重要な要素では。

55 :白馬青牛:2006/10/14(土) 23:08:01 ID:6pxRlgVs
>>46
『陰徳太平記』の記述が、近代広島兵団の性質と類似性があるのに、
根拠ものうて一概に否定出来まい。否定出来るんなら根拠を出せ。
>>48
戦国時代の勉強?あんたは、文献のみじゃのうて、民俗学、考古学的要素も
含め、戦国期の全体像を考察したんかのう?戦国期の人物の歴史を
調べるだけじゃあ、全体像を考察したことにならんよ。個人崇拝の
新興宗教に過ぎん。
>>54
防御戦の苦戦で重要なんは、「攻撃なら一人の勇者がいれば、他者は、
それに従がえば良いが、防御戦で、兵隊は、小陣地に数人に孤立するんで、
いちいち細かい命令指示をまたずに、各個人が自信を持って戦闘行動の
出来る能力が要求される。各個人が、磨かれ、鍛えられた兵士でないと、
そこが弱点となり、敵に抜かれる。」(広島第231聯隊。まるさ聯隊
戦記、遥かなる戦場から。)「防御は攻撃戦以上に兵一人一人の
戦闘能力が勝敗を左右する。」(梶浦元広島第231聯隊長。)
上官に従順な東北師団に防御戦を期待するんは無理じゃろう。
東北兵団は実際失態の連続じゃったし、防御戦に弱かった。
しかも歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した
実例も無い。実例のない地域兵団に防御戦は酷じゃったね。民主的要素の
強い地域の兵団で無いと防御戦は無理じゃろう。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 23:18:57 ID:b3itxtI3
薩摩、肥後、博多、土佐、長州、紀伊、大坂、越後、信州、甲斐、仙台

なんか強そうなイメージあるのは、こんな感じかな

全然、適当だけど

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 23:49:13 ID:ShffP36X
常陸は古代から近代まで強兵で知られるのに自己主張が下手だからマイナー…
まあ、常陸に限らず関東自体がそうだが
頼朝も尊氏も家康も武家の棟梁たる将軍達は皆関東で兵を挙げて天下取ったしね

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 01:54:28 ID:NEkHd9W2
>>52
埼玉は東京に住めなかった貧乏人、通称都落ちの巣窟

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 02:00:30 ID:oH8JfU5v
>>1
マジレスすると日本人ならどこでも同じ

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 11:03:28 ID:i72vW9sN
>>52
新宿、渋谷、池袋、上野などの東京の主要都市を歩いている4割は埼玉人。

ちなみに格差社会と言われてるのは関東では東京だけの現象。
わかりやすくいうと世田谷区と足立区の平均所得の差などで
埼玉と東京というより23区内で彼らを分けているものがあるな。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 12:16:40 ID:8RifGC86
三河、越後の強兵っていうのはよく聞くけど。
主君に従う忠誠心、歴戦している点が強調される。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 12:55:06 ID:2439J7sC
たぶんどこが強いとかないよ。 単なる思い込みだと思う。
指揮する人物いかんでしょな。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 13:05:46 ID:LsdEpMp5
同時代の興福寺の記録にも、武田征伐に駆り出される明智勢の様子を

他国立ち殊更遠国迷惑の由也、甲斐・越後の弓矢、天下一の軍士の由風聞、一大事の陣立也

と表現してるから、事実はともかく甲斐や越後の兵隊が強兵だと言う認識はかなり一般的だったんでしょ
信玄・謙信の死後でも甲斐や越後の兵が如何に怖れられたかがわかる

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 14:57:04 ID:6y3WyYvm
雑魚と言われた尾張兵も信長が指揮したら大活躍

正直、同じ人間なら差はない

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 15:19:58 ID:AW2dmed7
同じような実力でも、方言による威圧感の差が出るとか?

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 16:06:07 ID:8RifGC86
体格・性格・経験が違えば、戦闘の向き不向きも当然生まれてくると考えるべき。
たとえば、越後兵は毎年のように雪の中を行軍し、鍛えられていた。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 17:05:06 ID:VO7/WpTT
薩摩隼人だから強いのではなく
戦で勝つことが出来たことで 呼ばれただけだろ

九州の中で飛び抜けて強かったらあっという間に
統一してた筈で
本州に攻め込めてない時点で 十人並み

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 23:14:59 ID:robZZs83
九州から攻め昇れなかったのは、そう言った戦略を持った大名が出なかっただけ。 しかし兵卒は強いぞぅ〜 関ケ原敵中退却なんて織田信長と尾張兵では想像できん!  よく言えば蛮勇。悪く言えば馬鹿だもんね〜

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 00:05:32 ID:zkNKXdsN
織田軍は攻める時も退く時も島津なんて比較にならん
なんせ慢性的に四面楚歌で打ち破り続けたんだからな

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 01:05:41 ID:ZM6eXJ6P
慢性的な四面楚歌じゃ全方面に強兵も弱兵も振らなきゃいけないから
織田軍の兵卒は強くは感じられないだろうな

それだけ動員できる時点で十分軍としては強いんだが

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 01:11:45 ID:Zoxjdjbv
指揮官と戦況が占める要素が大きすぎて、純粋に兵の強さを比較するのは不可能だな。

72 :白馬青牛:2006/10/16(月) 01:29:07 ID:Q3ofBn/s
強兵の産地が、上杉、武田、島津の人身売買がさかんな産地になっとる。
現地の住民を拉致し、略奪したことが、強兵になるんかね。
現地民に恐怖を与えたじゃろうけど。
>>68
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州人の、いつもの儒教的朱子学的白髪三千丈的、ハッタリ屋さんは、
ほどほどにせい。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 08:14:58 ID:kp3WrlES
>>68
>よく言えば蛮勇。
良く言ってないってそれ

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 11:50:24 ID:4TjShfkx
肥後兵マンセー

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 11:53:59 ID:AAjnhs5H
>>72
九州人と一括りにするな。
盲昧な輩め。

76 :白馬鹿青鈍牛:2006/10/16(月) 15:06:10 ID:m5B5ncvj
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歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 19:10:39 ID:3Mf4qRZg
しかしあれだな。拉致、略奪、人身売買の有無で戦国期の兵卒の強さを決められてもなあ。
現代のモラルで戦国時代の兵卒の強さを問えるのか?
それにモラルを備えた兵の資質=兵の強さなのか?
単に広島を持ち上げたいばかりに、周りを貶めてるようにしか見えないぞ。
尻尾丸出しだ。

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 20:40:06 ID:kp3WrlES
>>76
四行も五行も同じことを繰り返し書くな。阿呆に見えるぞ。

てか戦国時代に備後や安芸の兵が強いってのは聞いたことが無いが
ホントに強いのか?

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 21:34:58 ID:HDClRaiu
広島信者の電波にマジレス(ry

80 :白馬青牛:2006/10/16(月) 23:37:27 ID:5jzHF1Gj
>>77
モラルつまり、「精強は軍紀にかかる。」兵士の足を鎖で逃げれぬよう
撤退した農奴隷属体制の中国国府軍より、同志的結合を持った
共産八路軍の方が強い。封建的体質より民主体質であった方が強いよ。
>>78
安芸勢は、応仁の乱や京都・船岡山合戦で、鬼吉川・鬼平賀と武将、
国人部隊も武勲を立てとるよ。安芸門徒も、石山本願寺に織田軍包囲網を
突破し兵糧を送り、帰りの方が困難じゃが、犠牲を払いながら、
兵団が崩壊せず戻った云うことは、それ程精強じゃった云うことじゃ。
「進者往生極楽・退者無間地獄」の黄旗のもと、その精神は安芸門徒の
気概じゃ。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 00:32:22 ID:wR0WOy+m
一に上杉二に武田三に徳川四に浅井・・・っていう遊び歌があった気がした。(確か十まであったけど忘れた。織田と朝倉がいたかな)
基本的に住んでる環境が苛酷なほど兵は強くなるって言うし、あとは戦争ってエネルギー使うから、食うもんも関係してたと思った。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 00:40:04 ID:v1mgaxiE
体力とかの先天的資質はどこの地方もそんなに変わらんと思う
ただ風土が生む気質の違いは確実に戦いに影響を及ぼす

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 01:07:44 ID:JQsTCzBN
一般的に南国は、攻撃型。勢いに乗ると恐い

北国は、粘り強く持久戦に強い

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 01:22:15 ID:b5TDrBEJ
中国でもそうだって聞いた事がある
江南の兵は粘りが無い

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 01:47:45 ID:ia2YhI83
土地じゃなくて血の問題だよ
日本人全部イタリアに持っていったら全員陽気になったり
イタリア人全部ロシアに持っていったら全員大人しくなったりはしないだろ
鹿児島県民と宮城県民入れ換えたら性格まで入れ替ったりすると思うか?
無論多少の影響はでるだろうが基本的には変わらないはずだ
日本人は単一民族と言っても多種の混血であり
地域によって各種の比率が違う
それによって民族性の違いが出てくる

86 :白馬青牛:2006/10/17(火) 01:49:57 ID:eOpD+2Ru
>>83
確かに南国の兵は、攻撃型で勢いのある時の強い。
九州や四国の兵団はそうじゃった。
じゃが、北国の兵が、粘り強く持久戦に強いとは云えんよ。
近代の東北兵団や、戊辰戦争でもあっけなかったしね。
じゃが、不器用なんじゃが敵陣地をじっくりと時間をかけて攻める場合は
強いじゃろう。東北や日本海側の兵は、そうじゃった。
>>84
中国でも、北の山西軍は鈍重であるが、困苦に耐える。南の広西軍は剽悍、
獰猛。西の四川軍も強いね。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 01:53:33 ID:a3IPcpzC
厨房でも論破できるような
根拠の乏しい主張しか出ないな。
不毛なスレだ・・。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 03:56:55 ID:AvDE3uRD
常陸こそ最強
弾け方が半端ない
九州や東北は質朴精強など言う割りに実際はえらく打算的だ
その点常陸人は打算も無視して突き進む強さがある
平将門は一族の争いから勢い余って関東制覇し新皇名乗ったり
佐竹は頼朝の討伐を受けたが山から山へとしぶとく転戦し
ついに頼朝も留めを刺せず諦めて帰った
長倉氏は主家の家督争いから勢い余って関八州総出で討伐を受ける
だが孤立無援ながら粘りに粘ってついに落ちず鎌倉府も諦めて引き返した
戦国時代も各勢力とも割拠し続け他国の直接支配を受ける事はなかった

明治維新も薩長土ではなく常陸から始まった
水戸藩は御三家ながらも大暴れ、多勢の犠牲者を出しながら突っ走る
その余波で薩長土が目覚めるも、水戸藩は泥沼の内戦に突入
新政府での栄達も幕府擁護も知った事かとばかりに
戊辰戦争でも「諸生討伐」の為に出兵して諸生を追い回し
諸生党も会津落城後なぜか関東に逆走
「水戸城を奪い天狗討つ」と水戸城になだれ込み大激戦
※天狗党=改革派(新政府側)、諸生党=保守派(幕府側)
明治6年まで戦い治まらず殆ど壊滅
幕末に於ける一番(無意味に)熾烈を極めた戦いと言える

近代戦ではペリリュー島で水戸連隊は2ヶ月以上に及ぶ奮戦の末玉砕
米軍上陸作戦史上最大の損害率を与える
米軍もパラオの人々もその戦いぶりを讃えた
「日本軍がいかに勇敢に戦ったか祖国に伝えよ」
と言うニミッツ提督が旅行者に宛てた石碑が残る

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 17:41:47 ID:JqalOrQm
常陸兵。 ノーマークだけど確かに凄いなぁ 鹿島神宮を中心とした武の地域ではあるしね

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 19:29:15 ID:AvDE3uRD
>>89
そう
武術は常陸・下総あたりから派生したものが大半だからね
飛鳥時代に常陸鹿島で国摩真人が神妙剣を創案して以来
各武術形態が創られていき剣、槍、杖、薙、棒から
柔術、弓、手裏剣、馬術、鎖鎌、忍術に至るまで広がり
鹿島の〇〇使い、と呼ばれる各流派の武芸者が
行商人のように全国に普及させていった
島津の御家流で有名な示現流も常陸の笠間から伝わったものである
常陸は言わば武芸者集団
個人の戦闘力はかなり高い
だが、全くまとまりがなく非常に飽きっぽいと言う欠点があり
防衛戦はやたら強いが外征はグダグダになると言う特徴がある

91 :白馬青牛:2006/10/17(火) 22:19:17 ID:W7AoFcl+
>>88-90
常陸?越後の上杉謙信に、小田城を攻め落とされて、二十銭、三十銭で
売られた奴隷民か。
宇都宮師団(群馬、栃木、茨城)は実績が無いしのう。ペリリュウ島の
負け戦を自慢するしか無いんじゃろう。戦歴に乏しい関東兵団でも、
緒戦の水際作戦で有利にたった事と自然要塞ゆえ米軍が攻略に手間取り
2ヶ月もった云うことじゃ。防御戦にも強うない。
ニューギニアでも、広島5D浜田第21聯隊(島根)が宇都宮51Dに
防御戦闘方法を教えたぐらいじゃし、サワラケット山越えでも、
宇都宮師団は、行軍の辛さに軽機関銃はおろか小銃さえ捨てて、行軍し
乞食部隊同様になったが、島根の浜田聯隊は小銃一丁すら損じる者は
無かったので、中野宇都宮51D長は、「君達の部隊は羨ましい。」
全員あの難行軍を武器を捨てずに持っている」と賞賛された。
武器を捨てる北関東の兵士が、武芸者集団とはのう。武器を粗末にして
武器を捨てて、どうして闘えようぞ。北関東は武人向きじゃないだっぺ。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 22:23:05 ID:Wgv9zeRx
日本のイタリ○、常陸

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 01:33:59 ID:UzIx86/n
>>91usi
上杉の前身・越後守護代の長尾氏は、関東から越後に進出して勢力を拡げた家。
越後は関東出身御家人が多いし、関東の植民地みたいなもんじゃわい。

中世の史料、『田植草紙』(鎌倉,室町期の中国地方の小歌)にある。
「坂東殿ばらは弓は上手なるもの、空立つ鳥を射て落といたり、
さても上手や、空飛ぶ鶴を落といた」

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 02:34:08 ID:QwPKj1jB
というか小田城を常陸の中心地かなんかと考えてる鈍牛に誰も突っ込まんのか

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 02:50:58 ID:EBR7Ze9B
痴呆にマジレスするのもなぁ…
アホ牛がデタラメ言って他を必死に貶めても
広島が最強なんて事ありえないしwww

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 02:57:49 ID:/F7vwQ3n
数百年のスパンというものを考慮に入れない当たり、アホ牛らしい。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 08:37:11 ID:z7PDLXbE
広島って畜産関係が盛んだったっけ?

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 11:27:52 ID:EBR7Ze9B
BSE感染牛が一頭ふらついてるみたいだがな

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 13:57:45 ID:dMG1579N
広島人から見ればその狂牛こそ悪質なアンチ広島だ。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 16:25:59 ID:qtPFwbal
牛さん、誰も納得してねぇみたいだぞ。つまりいつもの長文は説得力ゼロってこった。

まあ戦国時代のことをろくに知らんくせに他を貶めたり、論点ずらして近、現代に
すりかえるやり方じゃ誰も納得しないのは皆承知なんだけどな。
ということで今のところ広島兵全滅じゃわいw

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 19:24:10 ID:77GqMwx6
近代の話にしてもデタラメ言ってるけどw

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 19:24:44 ID:mT/CNnVb
広島市内とすると届出先は芸北家畜保健衛生所だな>BSE

103 :白馬青牛:2006/10/18(水) 23:12:04 ID:V8KpvMa/
昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。
云うたら関東蛙らが反論根拠を提示せず、一言コメントで罵倒を、
繰り返しあがるで。思うたら案の定じゃのう。越後蛇に喰われた関東蛙の
泣き声が今日は、雨じゃのうてもやかましいのう。こんなら関東蛙の
合唱団でも、結成して公演したらどうかいの。
>>93
関東は、古代から「人種的」に近畿地方、北方渡来系に征服されとるが、
関東は近畿地方や渡来人の植民地云うことか。越後蛇に喰われた蛙君。
鎌倉以降の資料で、弓射下手の関東武士が後世平家物語などの書物により
弓馬に優れておったように誤解され、書物を読む層に風評偏見として、
取り入れられただけの事。わしの言の方が偏見じゃ云うんなら、
『更級日記』に当時の関東は、葦や萩が高く茂り、馬に乗った人の弓の
先が見えんほどで、弓馬の術が発達するんか?遠くを見渡せん土地で
モンゴル人のように、視力5,0以上ぐらいの視力を得られるんか?
弓や小銃の射撃で、視力は大切じゃ。旧日本陸軍の兵士も射撃では、
中国人兵士に劣っておった。
平家降人や西行から都の技術を取り入れたら、武術の起源は関東なりと
水戸学的、つまり儒教朱子学的発想で文献妄想に自慰する。関東奴隷民は、
韓国と朱子学同士で起源論を争うほうが似合うっぺよう。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 00:17:17 ID:W8MbQJUX
>>103usi
征服じゃなくて、先進地畿内から進んだ文化・文物の受容を通して服従したということ。
征服じゃなくて、中央貴種の血を在地豪族が取り込む⇒招婿婚。

>『更級日記』の関東
それは港区三田のあたりだろ。武蔵の南端。広範な武蔵武士の発祥地から外れてるね♪
そんな辺境野原にも、弓を持った武人の姿が見える。
うしちゃん得意の悪質騙しw
>平家降人や西行
実戦の役に立たない流鏑馬だけw頼朝の都趣味だな。


『今昔物語』の源頼光
若ク候ヒシ時、オノズカラ鹿ナドニ罷合テ、墓々シカラネドモ射候ヒシテ、
今ハ絶テ然ル事モ不仕候ハネバ、此ノ様ノ当物ナドハ、今ハ箭ノ落ル所モ思エ不候

>鹿などの狩猟を行っていた若い頃と違って、今の自分は在京が長いため(都の武者だから)
>狩猟を行う機会がなく弓箭の技量が低下し、狐を正確に射る自信がない。

都で日頃行える馬上弓射は、馬場で行う静止的で単純な運動、流鏑馬や笠懸などしかない。
幅の狭い平坦な馬場で、都のお遊戯武芸⇒西行の武芸

実盛の言葉にあるように、坂東武者が強弓を自在にあやつり、強馬を訓練して人馬一体に乗りこなし、
恐れを知らない騎兵であったことが『平家物語』の他、『源平盛衰記』、『保元物語』などの記述からも
推察出来るのである。(1995年、愛知大・福田以久生氏)

105 :白馬青牛:2006/10/19(木) 01:19:22 ID:DoiE7YYT
>>104
ほいで、『とはずがたり』の鎌倉から岩淵まで原野を歩いた記述は
嘘か?浅草観音堂の馬に乗った者が見えんほど、荻が生えとった事も、
嘘と断言出来るんか?河内源氏に征服された関東奴隷民が、頼光の諸事に
忙しいんを都に技術が無いと誤魔化し、斉藤実盛も、富士川合戦に参加
しとった根拠はあったんか?
記述の推察?研究室で妄想し、諸学問の分野から考察する事を拒否した
学者は、戦前の作戦室で妄想し拙劣な作戦を立案する参謀殿と同じじゃ。
歴史は通説を疑うことから始まるんに、関東蛙君は、カルト信者のように、
文面を都合よう解釈する。ほいで関東武士の視力は10,0を下まわらんと
捏造したいんか?これじゃ人類の起源は関東と云いかねんのう。
縄文文明派は、そう工作したいんじゃろう。カルト朱子学的歴史観は、
理解出来んのだっぺ。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 01:35:20 ID:W8MbQJUX
>『とはずがたり』
はいはい、下ノ道経由で武蔵国で一番の田舎を辿るコースねw
今で言えば鳥取島根だな。
北区岩淵、川口の周辺とか、ちょうど武士団不毛地帯じゃないか。
嘘って何の事だ?w

狩猟が馬上弓射術訓練に最重要だと認識出来ないのか?畿内武士も同じく狩猟が実戦に通じる。
この伝統は形を変え、形骸化しながらも江戸時代まで生きてる。

出鱈目で血圧上るよw

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 01:42:33 ID:3fx04NaC
>>103
郷土を誇るならいざ知らず
あることないこと並べ立てて他を貶めるのが安芸の武士なのか?
大した武士もあったものだw
確かにそんな武士は他国にはおらんわ
それに一国内でも文化の形成と過程は異なるのに
お前はいつも関東だの関西だの一くくりにしてる時点で抜けてるんだよ
広島広島言ってる割には他国の威を借りなければ何も言えないのだなw

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 01:56:08 ID:6yMtOf8Q
戦国板だよね? 戦国の大トリの関ケ原や大阪城接収で広島さん戦ってねーじゃん まぁ事情はあっただろうけど何だかねぇ

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 02:00:44 ID:wVXNlueR
草が生えてるから弓馬の術が発展しないってどんな論法だよwww
安芸の方では馬場が存在しなかったの?
それに視力云々て、騎射するのに眼が霞むほど遠くから射るとでも思ってるのか?
マジで面白い事言うなwこのオッサン

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 04:41:33 ID:d5Ne0ETp
陰徳太平記信者だからしょうがないよ。



111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 09:13:04 ID:Vq/TrdMb
てか、安芸の毛利自体、関東由来じゃないか。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 13:09:25 ID:/Jvg3mML
中国勢は馬から降りて戦ったらしいね。下手だったんだね

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 13:32:41 ID:Plydn4HF
神奈川県厚木市に毛利という土地が今もある。

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 14:16:47 ID:3fx04NaC
>>111
毛利氏、吉川氏、小早川氏、安芸武田氏、高橋氏
全て東国武士だな
畿内から東国に下向して土着し武士になった者達が
鎌倉幕府成立と共に恩賞を与かり支配したものだ
安芸は東国武士の植民地だなw

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 15:25:03 ID:qg4ZzFWh
でも大江はもとは京でしょ

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 15:33:39 ID:JEFtkYJS
>>115
114の3〜4行目。
>畿内から東国に下向して土着し武士になった者達が
>鎌倉幕府成立と共に恩賞を与かり支配したものだ

前スレを嫁とか、過去ログを嫁とか言ってない。
自分のレス先くらいきちんと嫁。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 16:31:08 ID:MHNUg9el
大江氏は元々河内でも鎌倉で関東武士として飛躍したからね。

戦国期の田舎の豪族は自分の先祖と鎌倉武士とのつながりを切望したものだよ。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 16:56:19 ID:qg4ZzFWh
ごめん
畿内の字を見落としました

大江音人とか大江匡房のことが言いたっただけ

119 :白馬鹿青鈍牛:2006/10/19(木) 17:01:44 ID:9DXsUj9x
広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強
広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強
広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強
広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。
昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。
昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。
昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。


120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 17:10:22 ID:bRiyt6x1
広島の兵卒が、強いんなら、徳川勢に勝ってからいやあええのに。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 17:16:26 ID:wVXNlueR
広島が天下取った事実も他国人に支配されなかった事実もない

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 20:09:52 ID:eu0YrNNj
広島人としては狂牛のアンチ行為で広島武士が陥れられてるのが悲しい。
無論、坂東武者や薩摩隼人と比べられるのは厳しかろうが特に劣っていたという資料は見当たらないよ。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 21:06:36 ID:6yMtOf8Q
そうなんだよね。 出身はどうあれ毛利一族という、すぐれた将の下に山陰、山陽、北九州まで席巻した実力は評価できると思う 問題なのは牛さんの他をまったく認めようとしない広島マンセーな所

124 :白馬青牛:2006/10/19(木) 22:11:47 ID:kcn/JGZ7
>>106
何で荒川沿いが関東で田舎地帯なんか。二条はわざわざ田舎を選んで
旅したんか?ほいで書いてある記述が嘘なんか?云う聞いたんじゃ。
騎馬に関わらず、狩猟訓練が実戦に最上であることは云うまでもない。
じゃが、武士よりも、専門の猟師の方が上じゃ。
あんたが引用した五味文彦氏の文から、朝廷に武芸を持って仕える
「帯仗の者」達について「これらの武士の供給源は、京都周辺の豪族
なかでも河内・摂津の豪族であった。」これらの武士が後に、
「東国に勢力を広げた」「頼義朝臣の威風大いに行はれ、拒捍の類みな
奴僕のごとし。」東国武士が平家降人から武芸を習う以前に、近畿地方の
武士に隷属しとるよ。狩猟訓練に形骸化はあるまい。
日本の風土で遠矢は向かんが、西国の方が遠矢の技術が東国より優れて
おった事に反論は無いか?視力の問題も答えとらんのう。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 22:17:12 ID:PAkZWeVY
日本みたいに狭い国土で変化はありません、そりゃ北海道と鹿児島くらいになれば
少しはあるかもしれんが

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 22:25:13 ID:gjk2aVOx
>>125
アホか?おまえ
緯度で言えば10度以上差があるのに少しはあるかもしれんがって・・・
soreni隣近所の村でも風習が大きく異なる事だってあるのに

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 22:31:26 ID:wVXNlueR
そもそも東国武士は畿内から下って来た者達だろ
同じものを指してどっちが勝ってるとか
気狂いも大概にしろと

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 22:40:12 ID:d5Ne0ETp
>>124
>何で荒川沿いが関東で田舎地帯なんか。
この時代は、はっきりいって田舎です。
おまえ江戸時代以前の関東の中心地がどこか分かってんの?

129 :白馬青牛:2006/10/19(木) 22:52:54 ID:kcn/JGZ7
>>107
あることは兎も角、ないことたあ何か?具体的に云わにゃ解らんど。
他を貶める云うが、わしゃは、根拠ものうて貶めたことは無いよ。
安芸の武士は温情をもって降人を保護した(尼子や立花城の大友の
籠城した者の命を助け、城兵を大友氏に護送した。)事や、近代の
広島兵団が北清事変でも軍紀厳正で精強、世界に日本軍の誇りを示した
事等、郷土の誇りじゃ思うし、「中国者の律儀」安芸人の武士道じゃ。
わしが、他地域を貶める云う前に、自地域の武士道を云やーええじゃ
ないか。列島東西の文化が違う云うんは、風土的に大区分したが
小区分したら更に違いが出よう。他国の威を借る云うんは何処の文か?
あんたの抽象的な文じゃ、解らんど。

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 23:12:56 ID:uRsFBiFV
武士の定着していったの大まかな流れって
畿内→(蝦夷征伐)→東国→(鎌倉幕府成立)→九州/東北/広島 だよな
東国武士の分家が土地もらって土着したのが各地方の中心的武家勢力だし

と思ったが大内氏だけ土着だったな。よって中国地方の純然たる英雄は大内義隆で決定 大内マンセー


131 :白馬青牛:2006/10/19(木) 23:25:14 ID:kcn/JGZ7
後の煽りは、負け犬の遠吼え、短文コメントでいちいち答えるのは、
面倒臭いが、ちいたー(少しばかり)答えたろうか。
安芸広島の国人領主は、山口や岡山と較べても関東武士系が多いよ。
関東武士系でも、広島の風土で育ったもんは、広島人じゃ。
武士団構成も傘連判状が如く西日本型の横社会制度じゃ。
奥州藤原氏が、人種的に東北人よりも京都人であっても、文化的に
蝦夷であったように、関東が近畿や渡来系の植民地であっても、
坂東人であるように。わしの血流に関東系が流れとっても、まぎれもない
広島人じゃ。人種的に北方渡来系に吸収された関東人が血脈にこだわるんは
朱子学的解釈なんかのう。
ほいで、>>122のような、にせ広島人まで登場して、広島を貶めとるのう。
関東雑魚や琉球に苦戦した薩摩強盗集団に劣る訳あるまい。


132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 23:35:40 ID:yyz0DPl9
>>124usi
普通の猟師は騎馬じゃないなw

鎌倉街道の下ノ道は、鎌倉から芝・浅草方面へ抜ける海沿い低地の道。
府中から菅谷方面へ抜ける丘陵地の上ノ道や、熊谷方面への中ノ道の方が開けてる。
弓馬に長けた精強な武士団を生み出した丘陵地、
秩父平氏・西・横山・村山・河越・比企・児玉・丹党…。

沼沢と原野に囲まれても、武士は高地に館を構える。
浅草の場合、周囲は原野や低湿地だが、海と千束池に囲まれた台地上にあった。
九世紀以来の坂東の兵は、だだっ広い関東平野で騎馬で広範囲に活動し狩猟する。五味氏も言ってると思うが。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 23:38:06 ID:yyz0DPl9
>うし
文章を都合よく継接ぎするいつもの癖、どうとでも創れるしw
感情が先走りし過ぎで出鱈目ばっかw

日本馬の特性=勾配に強い。
これを最大限生かして戦ったのが坂東武士だな。五味氏も述べてることだよ。

・五味氏が述べる【東国武士団】
季節を問わず、昼夜の区別なく、悪所にも馬を踏み入れて合戦を行い
その日常は高度に訓練された戦士の生活であり、反面、西国の海戦には弱い。
・五味氏が述べる【西国武士団】
季節の訪れとともに合戦を行う季節的な武人で、4・5月に集中。海賊的。
東国の年中の武人に敗れた。

源氏の摂津在住の郎党と、坂東兵の関係知ってるか?
弓馬に長けた坂東の兵を畿内在住の郎党として組織したのが、渡辺綱らの伝承に反映されてるか。
元木泰雄氏の指摘。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 23:59:17 ID:yyz0DPl9
>>133
三連投失礼、一つ忘れてた。西国の遠矢な。
それは西国武士が得意な馬に乗らない「船の戦」で有効なんだろう。
平家でも太平記でも遠矢の場面は海だな。
馬上の弓射では余技に近い。笹間氏が言ってるよ。

関東=騎乗の伝統は、騎乗下手な安芸武士と違って戦国期でも生きてる罠。
五貫文の身分でも騎乗する結城氏、騎乗足軽の鉢形北条。
時代遅れでもあるが。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 01:37:35 ID:KVWaiNk3
>>131
都合よく180゚も話し変えるなよw
畿内政権に支配された関東が畿内の植民地なら
関東政権に支配された広島は紛れもなく関東の植民地だろ
安芸で生まれ育った関東人が安芸人なら
関東で生まれ育った畿内人は関東人だろ
お前の言ってる事は話しにならんほど支離滅裂だ
安芸について簡単に言える事は
畿内と関東に支配され続けた土地に過ぎないと言う事だ

136 :白馬青牛:2006/10/20(金) 02:26:48 ID:vtY5kjRU
>>132-133
普通の猟師が、騎馬じゃないんは、東西日本でも如何に騎馬文化が
定着せんかったか。云うことじゃ。関東丘陵地の畑作農耕地帯を
武士団を生み出した地としておるが、相模の三浦、和田氏等は
海岸地帯の海民要素が強い。縄文期から動物タンパク質摂取も内陸より
海岸の貝塚民の方が多かったことからも、狩猟だけで生活出来る訳
あるまい。採集〜畑作が関東丘陵地の生業で狩猟は副業であろう。
都合よう後継ぎじゃ云うとるが、引用した文は五味氏の『武士と文士の
中世史』じゃ。P11「平将門に率いられた東国の狩猟の民、藤原純友に
率いられた西国の漁撈の民、これらすべてを狩猟民と呼びたい。山野河海を
活動の場とする民である。」とされ、東西の違いを云うておられるが、
両者は、P17の図3武士団のモデルで、非農業民に分類しておられる。
じゃが、五味氏のどの文から引用したんか解らんが、関東が季節を問わず
と云うのは、想定出来んよ。戦国期の上杉謙信が冬季に関東で略奪した
ように。西洋でも、東洋でも、近世前は季節的な武人じゃ。
西国の水軍も大陸の大型船に対抗出来んので海戦に弱いよ。弓馬戦も
東西日本供に大陸と比べ弱い。郎党も坂田金時のように東国人もおったが、
拾うて来た者を、秦氏の様な随身の家柄と同一視することは、
出来んよ。

137 :白馬青牛:2006/10/20(金) 02:58:48 ID:vtY5kjRU
>>134
西国の遠矢も船戦に限らんよ。「吉野・十津河の指矢三町遠矢八町」と
奈良県の山地民も遠矢を得意としとる。大陸のモンゴル人も遠矢が
弓術の基本じゃろ。ナーダムでも、遠矢が競技として受け継がれとる。
遠矢無くして、弓馬狩猟文化も乏しいんじゃがのう。旧日本軍兵士が
射撃訓練しても、より訓練されて無い(実戦は豊富じゃが)が、森林が
日本に比べ少ない大陸農耕民の中国人兵士に射撃で劣っておった事。
東西列島日本人は、射撃、弓馬に疎いよ。戦国期においても騎馬に
こだわる関東の伝統?も大陸では通用せんよ。
社会制度的に主従縦社会の関東は、外来者に征服された云うことじゃ。
関東武士が広島へ殖民しても、社会制度は、西日本むしろ封建要素は、
広島と比べ関東武士の殖民の少ない岡山の方が強いよ。
いっつも、わしの文面から内容を読み取ることが出来んで、わしの文面の
言葉尻を取って、云うとるが、ええ加減頭を使うたらどうかいのう。


138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 03:14:01 ID:bU21kGUG
>>129
ではお前が上で貶しめようとした常陸を例にとってみよう
佐竹は基本的に大義のない戦はしていない
そして敵対勢力を攻めても極力寛大な処置をとっている
白河氏や江戸氏のように攻め落としても緩い同盟関係を結ぶのみで領地をも返している
戦国期に佐竹のもとに集まった勢力の大半は元々敵対関係にあったものだ
それでも保護を求められれば受け入れた
領内統治についても評判がよく、現代に至っても佐竹は善政を敷いたと語られている

近代では例の水戸聯隊らはペリリュー島での戦いで
世界戦史上に名を刻む精強さを示し
米軍もその勇猛さを賛美した
そしてこの戦いで島民の犠牲者をたった一人も出してない
島民からの自発的な協力の申し出があったが
全て断り夜間に空襲をかい潜りパラオ本島に全員避難させた
日本軍全滅後帰島したパラオ人は悲しみ日本兵の遺体を丁重に埋葬してくれた
反日感情の強いアジアの中でパラオは希有な親日国であり
現代でも日本人以上にペリリュー島守備隊に畏敬の念を持ってくれている

お前はこう言う人達の心まで踏みにじる下衆な妄言を吐いて恥ずかしくないのか?

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 03:24:39 ID:KVWaiNk3
牛さん
ログ読んでて気になったのだが
俺は関東人の視力がよくなかったって話し初めて聞いたんだけど
何に載ってる話しなの?

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 04:03:05 ID:zVfR9/lW
おい狂牛、いい加減にしてくれ。
日本語もまともに読めないと広島を陥れてるのはお前の方だ。
あのな、安芸毛利の精強に疑いがあるとはそもそも考えてないがお前が痛いというのだ
戦術も教育基準も国力も違う大戦時の評価を戦国板で持ち出す痛い論法に
更に勇名を馳せた他国の武者を落とすだけで
安芸武者の覇を語るには実績も勇名も足りぬと言うのだ。
お前がやってるのは逆に安芸武者の評価を落とすだけのアンチ行為なんだよ。
あと私は南蟹屋在住の生粋の広島人だ。田分け。

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 04:52:48 ID:Frgb5ZxK
アホ牛は数百年という時を無視できると思ってるから仕方ないよ。
こういう論法の奴っているよな、
他者を貶めないと特定の者を褒められない奴。
或いは自分では上手い比喩を使っているつもりで場を白けさせる奴。

まあ、いいや。
以後NGにするから勝手にやってくれ

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 15:50:44 ID:6zRgO/FU
同じ戦国板の地政学のスレでも同様の過ちを犯している件

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 22:37:41 ID:ArPGgIxj
牛は無視しないと不毛な流ればかりだな
>>36を見ると軍板とかで構ってもらえなくて流れてきたんだろ

144 :白馬青牛:2006/10/20(金) 22:57:40 ID:txz++SIH
>>138
佐竹氏の祖は源義光じゃしのう。義光は、後三年の役で捕虜を保護するんが
武士道じゃと都の価値観を持っておったが、関東化しとる義家に
拒否された経緯がある。義光の考えが佐竹氏に受け継がれとったんかのう。
>水戸第2聯隊が、ペリリュー島の戦いで、世界戦史上名を刻む精強さを
示しとされるが、水戸聯隊の負け戦であり、水際作戦で主導権が握れた
だけで他部隊と比べ精強とは云えんよ。敵軍が健闘した部隊を
賞賛しとるだけの事じゃが、他スレでも云うたが、戦闘した兵士は、
弱兵の関東兵団ながら健闘した思うよ。ニュウギニアで宇都宮51Dと
共に闘うた島根の浜田聯隊の兵士も戦闘の駆け引きの下手さや行軍の弱さ、
死中に活を求めるしぶとさに欠けるんは別として、北関東兵士の勇敢さは
誉めとるよ。パラオの島民との話は感動もんじゃ。
第2聯隊は、日清戦争で旅順虐殺で批難されたが、パラオでは、
日本人の誇りを示したね。じゃが、最後のこういう人達と、パラオの人達の
威を借りるんは筋道が違うとる。

145 :白馬青牛:2006/10/20(金) 23:43:53 ID:spXfbp6M
>>139
日本列島内の話じゃのうて、ステップ地帯の人間と対抗出来るほど、
関東人が視力に優れとったんか、>>105で皮肉を含んだ質問したんよ。
>>140
わりゃほんま広島人か?全文広島弁じゃ書けんのか?安芸武者が
実績が無い?ローカル地域戦闘と違うて、戦国期の最大の激戦は
朝鮮の役じゃ。最大の功労者は碧蹄館で戦闘指揮した隆景さんじゃろう。
http://fukubara.web.infoseek.co.jp/2006/2006_3_1.htm
隆景「なしてか言うたらのー、」から広島弁の練習でもせいや。

146 :白馬青牛:2006/10/21(土) 00:27:52 ID:5hFa4XjM
>>141
>数百年という時を無視。云うとるが、地域将兵の性格は、そがいに
変わるとも思えんのう。
http://fukubara.web.infoseek.co.jp/2006/2006_3_4.htm
朝鮮の役での戦闘も、熊本勢の猛攻や兵站を無視してイケイケは、
近代熊本兵団の性格に似ておる。勝ち戦も、負け戦も豪快じゃのう。
小西、加藤は肥後人じゃないが、指揮官も地域兵団将兵の影響を受ける
事も、ようある事じゃ。朝鮮住民を慰撫せんかったんは失敗じゃったね。

広島、中国地方勢が死中に活を求める戦闘を常に強いられたんは、
偶然の皮肉か。運命か。我が広島人の先人は激闘を常に克服して来た。
ほいで勇将の吉川広家さんが、関ヶ原のような、たった一日の戦闘に
過ぎんのに、裏切り者の汚名にされたんは、世間の評価が可笑しい。
確かに政略には疎かったであろうが。それだけで評価されとるんは、
過小評価の典型じゃ。文吏派は昭和の参謀殿と同じで作戦を企画しても
実戦を知らん。残念ながら、我が郷土の安芸武田氏出身の安国時恵瓊さん
も戦さを知っとらんかった。

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 01:09:34 ID:CVaaDqPT
>>136-137
中ノ道は違っとったか。
ほいでも、鎌倉街道の府中中心に上州方面、武蔵野丘陵で多数の武士団が派生しとる事実は変わらん。
山林原野湿地、川にも馬を乗り入れ戦うんじゃよ。平坦な馬場じゃないけん。
ほいで馬上、近距離で狙いを定め強弓を射る。基本は立鞍の前方射じゃ。
狩猟は日本史板じゃ。へっぽこ随身は日本史板じゃ。遠矢は歩射じゃ。
江戸時代の騎馬断絶期を考慮せい。千石の旗本でも馬すら飼えん。馬も呆けたわい。
大陸に固執しちょるんは、中華の奴隷民じゃからかのう。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 02:16:38 ID:sCPvoNGz
>>144
またそうやって無理矢理他を貶しめようとする
水際作戦で主導権を握れたからって言うが
では何故他島の水際作戦ではペリリュー島ほどの戦果をあげられなかった?
それにペ島では500以上の洞窟を要塞化し水際での戦力損耗を抑えたから長期抗戦が行えた

大戦末期に負け戦云々など不毛もいいところ
11聯隊が終戦まで勝ち戦を続けていたとでも言うのか?
それに兵力消耗による消滅を兵卒の強弱に直結させるのは余りに安易すぎる
虐殺云々もさも第二聯隊が凶悪であったかのような口ぶりだが
広島師団で虐殺等により戦犯になった者が何人いる?
広島に限らず全国に言える事だ
地元の事を棚に上げて他を非難するなど余りに稚拙であろう
それと最後にパラオ人の威とか言ってるが
パラオ人が日本に威?
さっぱり意味がわからん

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 02:36:15 ID:OAaDR4Xi
そろそろこの牛に構うの本当に辞めない?
脱線に付き合うだけ付き合ってスレ違いどころか板違いにまでなりつつある。
以後牛をNGワードでスルー

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 02:39:37 ID:XpQctme5
とりあえず、佐賀。

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 03:09:04 ID:rMnk1l3p
陸奥、下野、常陸、武蔵、美濃、信濃、甲斐、越後、越前、三河、紀伊、近江、土佐、肥前、肥後、薩摩

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 09:10:09 ID:NPE9CkHn
>>1は面白いとこに目をつけたな〜と感心してみるw

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 11:36:53 ID:qkvTOcmd
1.信濃
2.甲斐 越後
3.三河 薩摩
4.上野
5.蝦夷(アイヌ)
6.

38.蝦夷(シャモ)
39.下野
40.武蔵
41.尾張
42.琉球

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 14:25:02 ID:pGNU2phn
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1161370784/
牛はここにでも逝ってろ

155 :白馬青牛:2006/10/21(土) 23:38:01 ID:D4/YJrkx
>>147
広島弁は、初心者のわりにうまいわい。
関東丘陵地帯の高句麗民移住地帯、武蔵野西部畑作地帯から関東武士が
発祥したことは、宮本常一氏も指摘されておられる。じゃが、相模の
漁撈集団の丘上がりの武士団も軽視しちゃあいけん思うよ。
平坦な馬場云うが、関東の方が平野が多かろう。騎兵の運用は、
退却しながら敵を自軍の有利な地帯におびき寄せ、包囲殲滅する戦闘で、
関東武士団が騎馬戦闘を理解しとったとは思えん。関東は引くことを
知らんようじゃ。狩猟は、山岳地方の文化で、平野の多い関東地方を
強調出来るんかのう。随身は、家元的文化要素じゃが、へっぽこじゃ
あるまい。秦氏は河内の文氏と共に、聖武天皇の騎馬護衛兵じゃったし。
遠矢は視力も大切じゃが、近矢は騎馬遊撃隊の臨機応変にかかる。
江戸期に馬文化が断絶したんなら、関東の馬文化も伝統的継続に乏しい。
大陸と比較せにゃー、鎖国史観に陥るわいのう。大陸の明軍と比較して、
日本軍の特性を考察せにゃあいけん。中華の奴隷民は、
朱子学の影響の強い、縦社会や水戸学思想の関東の方じゃろう。

156 :白馬青牛:2006/10/22(日) 00:44:43 ID:NSdtLmxI
>>148
わしは、北関東の兵団を誉めたと思うが?貶めとらんよ。皮肉を云うた
部分はあるが、概ね逆に誉めとる。
南洋の玉砕の島々は、敵を上陸させ、水際作戦を取っとらん。
ペリリュー島の戦闘と形態が違うよ。自然要塞が米軍の猛攻を
阻止したんが、他の玉砕の部隊より精強じゃったと根拠にならんよ。
他島で玉砕した部隊が弱かったと貶めとるんは、あんたじゃないか。
何れにしても、負け戦さは負けじゃ。日本的滅びの美学に甘えて、
我々は頑張ったじゃと、結果論を無視し、我が軍の拙劣さを、我々は
努力したと、情緒的価値観で隠蔽したいんか。
広島第11聯隊は、激戦の苦闘を重ねたが、戦闘で玉砕や大敗したことは
無いよ。戦犯の数を調査した事は無いが、戦犯は、即ち犯罪者か?
冤罪で処刑された方もおられるが、証拠文書を焼却し罪を逃れた人と、
同一に論じることは出来ん。全国に云えることだと断定しとるが、
逆に地域差が無かったと云う根拠を示して貰いたい。
地元の事を棚上げにしたか?原爆投下の時、米兵を市民がリンチした事は
地元広島の恥じゃ言うとるし、マレー戦後の不本意ながら華僑粛清に、
参加した方の苦悩や、逆に憲兵から、法を犯しても華人のスパイを
匿った広島5D第3大隊将兵の法よりも人情が大切じゃったと云う
日本人の美風も、『郷土の英雄。帝国陸軍師団の歴史』の前スレに
書いとるよ。
パラオ人が、日本人に好意を持っとることで、それに甘え、パラオ人の
威を借りとるんじゃないか。

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 00:58:55 ID:8hQrODeY
広島第11連隊は2個大体丸々捕虜になる帝国軍始まって以来の快挙を成し得た名誉の部隊だから
全滅するまで戦うような馬鹿はしないわなw
逃げた者勝ちが広島で言うところの精強なのだろう

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 01:01:47 ID:0aF7ciDX
【戦国時代板】派生議論スレ
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1161370784/l50

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 01:21:20 ID:A2N5I8cJ
琉球が弱いと言われるのはやはり薩摩との戦のせいだろうか?
だがもし郷土により兵卒に強弱があるならば薩摩隼人のみと戦をして負けたからとて最弱の烙印はないのでは?

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 01:27:04 ID:TfP2Gtpe
>>159
逃げ名人の広島より立派

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 01:53:08 ID:jH6G9Oy+
一番大事なときに居ない それが広島クオリティ

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 01:54:36 ID:BJpPg7ym
スルーできないなら軍板か誘導乗ってくんね?
はっきりいって狂牛並にうっておしい

163 :白馬青牛:2006/10/22(日) 02:07:37 ID:NSdtLmxI
>>157-159
広島第11聯隊や広島第231聯隊(ソ連軍の捕虜となる)は、
戦歴や実績で快挙を成し得た名誉の聯隊であるのは、その通り。
じゃが、戦闘で負けたことは無いし、逃げた事も無いよ。
ほいで、宇都宮第14師団は、徐州会戦の時、まさか逃げておらん
のじゃろうね?何しろ>>138世界戦史史上に、名を刻むと自負されとる
ようじゃし、まさか、前線で闘うた広島5Dや姫路10Dを無視して、
逃げるまねはせんと断言出来るんじゃろうね?回答して貰いたいのう。
>>159
薩摩は琉球に苦戦し、手を焼いとるよ。
http://www2.oiu.ac.jp/6/tukoitir/sei0020.htm
「味方頗る死傷あり」琉球側の計略に「帯刀はしめ従士過半死す」と
苦戦しとる。薩摩兵は正面激突じゃ、本領を発揮出来ん。
釣り野伏りの側面攻撃じゃないと。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 02:08:09 ID:MA5NPnqj
>>156
お前どさくさに紛れていい加減な事言い過ぎだろw
サイパン、グワム、アンガウル、タラワ、テニアン…など全て水際作戦を用いている
敵の隙が多い上陸時に攻撃するのは常識的な作戦だ
しかし日本軍は制海、制空権を米軍に完全に掌握され
空襲や艦隊の援護射撃により水際作戦も意味を成さなくなって来た
だからペリリュー島ではそれまで余り行われなかった後退戦術を用いた
水際でできうる限りの打撃を与え、上陸を許した後は後退し徹底抗戦するというものだ
人工、自然の洞窟を整備し無数の地下陣地を敷いて組織的ゲリラ戦いを行った
これは予想以上の戦果を挙げ硫黄島ではペリリュー島を参考に更に大規模堅固な地下陣地を敷く事になる

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 02:16:11 ID:8hQrODeY
>>163
俺は宇都宮師団なんて知らんわw
何故俺に聞く
>>138の事は>>138に聞けよw
俺が知ってるのは広島第11連隊の2個大隊が
何の抵抗もせず米軍の捕虜になり司令部を大激怒させたと言う事だけだ

166 :白馬青牛:2006/10/22(日) 02:24:30 ID:NSdtLmxI
>>161
一番大事な時に広島部隊に頼るんか。依頼心が強いのう。
>>164
ほう、サイパン、グアムに水際作戦を用いたと云う根拠は何か?
敵をみすみす上陸させて敵の主導権で戦闘したんじゃないか。
組織的ゲリラ?具体的に述べられよ。負け戦さを自慢しても、
意味がない。我が宇都宮14Dはよう頑張ったで欠落した部分は何か?
敗戦を美化し、反省点も述べず、自慰し酔う精神は凄いもんじゃのう。

167 :白馬青牛:2006/10/22(日) 02:31:00 ID:5AOKv0sV
>>165
敗戦時に、捕虜になっただけじゃが、同様のケースで捕虜に成らず、
戦うた部隊はあったんか?司令部を激怒させたと云う根拠は、
何処の資料からそう断定出来たんか?詳しく述べて貰いたい。

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 03:13:48 ID:jH6G9Oy+
>>165
広島兵を頼りにしたのは石田三成であって俺じゃねーよwww
散々広島兵最強の電波飛ばしといて一番大事な時に頼れば依頼心が強いだと
さっさと処分されろよ腰萎え患畜

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 04:01:46 ID:8hQrODeY
>>167
広島第11連隊が捕虜になったのは8月3日だろ
お前は敗戦日も知らんのか?
同様のケース?そんなのあるなら教えて欲しいわw
こんな裁判沙汰になった著名な事件で資料も糞もあるか
事件に関する資料全部漁って異論があるなら書けよ

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 11:56:37 ID:KD/82DLy
近代史をやりたいのならば、余所でやれ。
特にアホ牛、お前は問答無用で消えろ。

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 12:16:51 ID:oHsbAvAu
美濃衆は知勇兼備のイメージが強い。
尾張衆はなんか軽いイメージがある。

以上

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 12:43:11 ID:6bhzIkL5
広島と近畿が大好き
山口と山陰も好き
四国と岡山は少し嫌い
東日本と九州は嫌い
関東と東北は問答無用で大嫌い

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 14:54:59 ID:H8Hs5irf
太平洋戦争の話はアメリカに負けた時点で負け犬の遠吠えにしか聞こえないな
傷を舐め合って慰め合うのはどうかと思う

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 20:52:39 ID:ExhOdD2t
尾張兵は弱いらしい 商業が発達していたからね でも装備は鉄砲の配備率からしてよさそう
三河兵は強そう 特に忠義に厚い部分は高得点ではないでしょうか
薩摩兵は強そう 地方に行くほど強くなる法則ですね しかも鉄砲の配備率もかなり高いし
越後兵は強そう 鉄砲の配備率は低いけどカリスマに率いられ無駄口叩かない・石投げられても
        微動だにしない部分とかかっこいい
甲斐兵はよくわからん 「甲斐の黒駒」とかいう名馬の産地で騎馬は強かったたしいけど

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 21:16:53 ID:+XDXHlHA
兵士一人一人の強さを出身別に数値で格付けする方法は無いんだよな
国ごとの戦争となるとどうしても支配大名の動員力、戦術、装備に影響を受けるんで4っつに分けてみた

A 兵士一人一人は強くないが優れた大名が率いて他国を圧倒した
B 兵士一人一人も他国より平均的に優れており、支配した大名も優れており他国を圧倒した
C 兵士一人一人も他国より平均的に優れていたが、支配層が分裂したり暗愚だったため侵略を許した
D 兵士一人一人は強くない上、支配層が分裂してたり暗愚だったためどうしようもなかった

イメージでいくと A=尾張、安芸、摂津など B=甲斐 越後 薩摩など C=信濃、肥後、伊予など 
D=山城 伊勢 能登辺りか
こういうわけ方どうよ

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 23:33:50 ID:D4RiZ0q6
薩摩は勢力の拡大に時間かかりすぎてて
たいして強くないだろ
立地条件から視たら並の勢力だよ

あくまで九州人の中でだけで大威張りしてて欲しいよ。

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 23:41:15 ID:PXUEga73
薩摩人同士で戦ってたから拡大に時間がかかったともいえる。

基本的に田舎ほど兵が強いイメージは全時代を通してあると思う。
古くは西国より坂東とか、尾張より三河とか、九州四国、特に薩摩土佐とか。

>>175氏の分類は、しっかり実例とか意見とかまとめながら話し合ったらすごく有効だと思う。

178 :白馬青牛:2006/10/22(日) 23:43:59 ID:2QU3wrOb
>>169
また、文面の揚げ足でしか反論出来んようじゃのう。わしは、
広島第231聯隊を含めて、敗戦時云う言葉を使うたんじゃが。
橘丸事件は、船上で捕虜になった訳で、他兵団のように戦闘に負けた
訳でも無い。あんたの司令部を激怒させた云う根拠を聞いとるんじゃ。
>>175
安芸が、兵一人一人が強くないと云う根拠はあるんか?
越後が強い?幕末の時、安芸に進駐した越後の榊原の武士は、
安芸の海田の町人と喧嘩して強かったんか?海田町民を恨む暇が
あるんなら、越後人も武を磨けえや。イメージ云う根拠の無い、
ファンタジーの低脳振りにはあきれる。なるほど、越後兵(高田聯隊)が、
兵一人一人の実力が反映する防御戦で負けるんは当然じゃのう。

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 23:57:05 ID:+lBz1jX/
ぐる貨幣

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 00:14:59 ID:vV/75PdG
薩摩は戦国から近代まで最強と言われ続けたけど
強いと言われる根拠は何なんだろうね
全国規模での活躍って朝鮮出兵の時ぐらいじゃないか?
九州征伐でも関ヶ原でも敗走、大坂の陣は不参加なのにそれでも強いと言われるのだから
何かがあるはずだ

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 01:19:26 ID:7BuX029q
薩摩人の自画自讃だろうな。
島津に暗君なしとかいうのも同じく。

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 01:50:23 ID:6irvHamW
島津君も伊達の次の次の次ぐらいには強いよ多分

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 02:51:01 ID:mq3MFKsR
じゃあ、大したこと無いな。

というのは冗談はともかく、
薩摩兵で特筆されるのは上の者に対する従順さらしいが。
だから多少無茶な命令でも普通に行動に移してしまうとか。
まあ、受け売りなので参考までに。

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 04:09:57 ID:pWVKW7UU
大河を好んで見る程度の無学の者なんですが
薩摩や三河の身をていしてでも主君を守ると言うのは
何か特別な理由があるものなんですかね?
戦死者の遺族に恩賞や勲功を多く与えたりとか
特別な教育制度・宗教を施したりとか
スレ違いと言われたら素直に退散します。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 10:41:31 ID:Y1U2d4sE
肥前兵は?? 葉隠の舞台でもあるし、今でも荒っぽいよ佐賀人は

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 14:49:22 ID:LMRURANW
九州は宮崎人以外は荒っぽいよな

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 14:56:48 ID:WMhOxFPz
宮崎人は大人しいのか
気候が温暖だと性格も穏やかになると言うが
千葉とか静岡とか愛媛とか

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 15:00:09 ID:MDzhvE6g
長崎の松浦も大概にして温和なもんだよ

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 15:11:25 ID:WMhOxFPz
でもよく考えたら南国と言われる土佐は全然温和じゃないじゃん
誰だこんな説唱えたのはっ

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 15:28:08 ID:Y1U2d4sE
国別の気質が決定付けられたのは、概ね江戸時代なんじゃないかな 島国根性とかも江戸の影響でしょ 土地が天領とか1国に1大名とか。 もちろん気候とかもあるだろうけどね

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 15:35:14 ID:mZXWpz/i
佐賀人は穏やかだと思うが。少なくとも鹿児島や福岡に比べりゃ。

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 15:37:10 ID:mZXWpz/i
>>184
田舎の兵はすれておらず、
よく言えば素直、悪く言えば批判能力に欠けているからだと思う。

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 16:09:02 ID:dfMFTUFp
まあ腕っ節とか、江戸時代だと相撲の強い奴が多かったとか
東京もんは貧弱ですう

正直上の広島弁の人は怖いなw

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 16:28:04 ID:WMhOxFPz
かごンま人は毎朝ちぇすとぉて丸太叩いてたんでしょ?

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 17:01:02 ID:MXiRwePC
食べ物が乏しかった国が強いんじゃね?
土地が貧弱だったり冬が厳しかったり街道筋から外れて流通が滞ってたりで。

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 18:25:22 ID:WMhOxFPz
そしたら北東北最強じゃんw
冷害、大雪、山岳、飢饉
飢餓飢餓飢餓!
貧しすぎて戦できませんみたいな

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 19:08:48 ID:+rcux8KN
おい牛、何で関ヶ原の後、精強な安芸人は黙って減封喰らったん?
>広島、中国地方勢が死中に活を求められる戦闘を常に強いられた
だったら何で抗戦しなかったのかな?「防衛戦」は得意なんだろww
>我が広島人の先人は激闘を常に克服してきた
そうだな、そんで関ヶ原のときは大阪城にいたんだよなwwwww
お前の中では関ヶ原前の毛利家〜いきなり幕末なんだろうが
ちゃんと37万石時代の頃も学ぼうなw
黒歴史にしないでさw

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 19:11:45 ID:MDzhvE6g
>>197
sageろ
失せろ
巣にお帰り

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 22:16:34 ID:Idh8w+1K
>>193
戦国の東京人は貧弱じゃない

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 22:19:11 ID:a/8Tvo6m
200!ところで、、、>>199戦国の東京人って・・・w

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 22:23:42 ID:Idh8w+1K
馬鹿レスに反応したまでだが

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 22:32:35 ID:a/8Tvo6m
やはり

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 18:03:28 ID:TsMTEe+V
>>184
「薩摩や三河の」とあるけれども
この場合 勢力図が変わらなかっただけのことで
日本中変わりなく「身をていしてでも主君を守る」と言うのは
大なり小なりあった。

たまたま 統治が長続きしただけのこと。

ご当地の方々からすれば自慢半分だろw


204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 18:44:11 ID:HQTPaFsD
主君がいなくなったら食いっぱぐれちゃうもんね

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 20:27:48 ID:7MXLl8kD
◆一概には言えないけど…強い弱いではなくて東北地方や北陸地方、信越地方等雪が沢山降る風土の人間は凄く我慢強いょ。

◆これは、戦国時代や第二次世界大戦以外にも現代社会で働く人々にも当てはまります。激しいストレスと目標を達成するのに徹夜の残業…まさに戦!
関東や関西で大企業を経営している社長曰く『雪の多い北陸地方や信越地方の人間は辛抱強いからな〜』

昭和の時代に東北地方から沢山の集団就職者(上野駅に到着)がいた事はテレビやニュースでご存じだと思います
彼らは本当に粘り強い精神力で仕事に従事した。

◆その人間が育った環境や気象風土が大きく左右すると思う!上杉や前田をみても分かるように雪が多く降る地方の兵隊が強いか弱いか分かりませんが…その粘り強さで大敗する事はあまりない。



206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 20:32:59 ID:n8wxy1oU
戦国時代に限れ!!という声が聞こえるのは承知で。
二次大戦の直前ごろ、岩手(だったか他の東北の県)では甲種合格の率が高かったらしい。
その理由については、乳児死亡率が高く、徴兵検査を受けた時点で既に「生き残りの勇者」だから頑健な人が多いのではないか、
というように考えられていたらしい。

少しの貧乏なら、兵の強化につながるかもしれない。

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 21:16:39 ID:7gnINbSO
>>205
前田は尾張だがね。

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 21:38:53 ID:7pLbdUaa
>>207
信長公とは幼なじみなんだよな?あと丹羽も

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 21:50:51 ID:32CgPtV3
将校、指揮官クラスは尾張でも兵卒は北陸人では?

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 22:28:09 ID:GWJe4nIZ
宇喜多もなかなか強かったと思う。
将校に戦上手が多かったから?

211 :白馬青牛:2006/10/25(水) 23:17:33 ID:s8fNrOVm
>>184
主君と家臣の衆道、男色の関係もあるでしょう。
>>197
関ヶ原で戦闘しとらんのじゃに。意味の無いことを云う。
国衆も、秀吉の時勢から検地政策にもうんざりしとった。輝元さんが、
「殿下(秀吉)の御下地」と秀吉の威を借りることにも。国人領主や
国衆の連合体が崩れ、解散したと云うほうがええじゃろう。
江戸期の毛利家は、山口県の歴史じゃ。安芸兵が再び舞台に立つんは、
戊辰戦争の安芸農民兵で構成された神機隊の東北討伐(相馬、仙台)じゃ。

212 :白馬青牛:2006/10/25(水) 23:40:38 ID:s8fNrOVm
>>205
ところが、大敗しとるよ。例えば仙台13Dの冬季作戦。
>>206
岩手の兵は、山形の兵と共に弘前師団(青森、岩手、秋田、山形)の中では
強いとされとるけどね。弘前36D第222聯隊とかね。対八路軍に苦闘
し、ビアグ島で米軍相手に最期を迎えたが健闘した。
乳児死亡率が高いんは、貧困から間引きをしよったけんのう。生き残りの
強さに期待してものう。兵隊は育てて強うなるもんじゃし。
弱肉強食で淘汰しちゃあいけんよ。

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 00:44:10 ID:7sYwapT5
早速湧きわがった
余程やる事ないんだなコイツ
蛍光灯に群がる虫みたいな野郎だ

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 01:12:06 ID:93b8NQy9
新手のアラシだな。ほんとに。

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 07:43:13 ID:CjtKigg5
ここは せ ん ご く 板だよっ  もしかしたら、万が1にも気付いていない可能性があるからね

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 10:40:47 ID:E+7YCqi1
牛、明治のこと言っても意味ないぞ!!

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 11:05:02 ID:dwF7dvmF
白馬青牛さん江。
ここは戦国板です。
書き込むのであれば戦国時代のことにしてください。
戦国時代と近代を比較しながら書くのならまだしも近代のみというのは非常に不快です。
近代のみを書きたいのであれば軍事板に行ってください。

蛇足ではありますが自分は育ちが関東なもので広島弁が理解できかねるときがあります。
よろしければ標準語を多用してください。


218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 20:11:07 ID:sil4+mxI
同意
また同様に折角の良スレです。
荒らしを相手にしましょう

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 22:41:21 ID:CjtKigg5
三河や薩摩など精悍と言われる兵士の地域は、田舎者ゆえに愚直なまでに指揮者に従ったから強いのでは? と、東北陸の少しだけ貧しい兵士が最強ってトコまで話が進んだが続けましょう

220 :白馬青牛:2006/10/27(金) 01:39:25 ID:wkYZXL+5
>>217
あなたは、何で人に指図されるんですか?いらん世話ですよ。
方言を使うんも個人の自由ですし、人に強制される筋合いは無いでしょう。
郷土の風土や兵士は、戦国期と近代は関連するゆえに近代の事例も
書いとる。戦国期だけに限定すると、資料や比較要素にも乏しく、
>>219
氏のような妄想意見のオンパレードになります。
指揮官に従順な兵が有能と前提条件をつけておられるが、広島5Dを指揮
された、東北仙台人であられる今村均将軍が、
「今更ながら広島人のねばり強さと闘志に感じ入った。」
「広島の青年達は「気がきいていてズルくさい」と云えよう。」と、
云われたが、東北人は「気がきかんで真正直(鈍重)」と云えるんかのう。
上に従順なだけじゃ、激戦で勝利する事は、難しい。
指揮官の人情と云うか戦場の孤独感を田舎兵の純朴性で満足させるだけの
事。広島部隊の様に老獪に(ズルく)闘う事が必要じゃのう。

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 02:37:07 ID:/hCbFI0/
まさに馬耳東風

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 04:18:36 ID:GLhBhWRT
あぼーん
NGマジお薦め

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 07:21:21 ID:h5b4feRA
まさに馬の耳に念仏


224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 08:35:23 ID:wqGCk5Jd
牛さん。 ココは、比較的少ない資料の中で皆が考え、時に妄想にツッ込んだりするスレなんだけどな 比較的多い資料が好きなら、自分でスレ立てるか、皆が言うように軍事板に行けば良いのでは。

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 12:56:55 ID:h5b4feRA
祝!IDがフェラ!

で、ついでに言わせてもらうが、自分の考えや妄想を補強(あくまで付け足しだぞ)するのに近代をちょっと出すのはまあ許せる。

だが人が戦国を前提に考えてるものを近代で否定しまくるのはいかがなものか。
まあはっきり言うと「空気を読め。愚か者。人を説得したければ、まず自分が信用されるように振る舞え。」
ということだな。岩波の名将言行録でも読んでこい。

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 17:19:53 ID:GLhBhWRT
荒らしはスルーが原則
牛をNG登録すればすむじゃないの?
中高生じゃないんだから
余計付け上がるだけじゃないの
ほっといて楽しめばいいじゃない

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 18:05:49 ID:mdcICXN8
>>219
に同意

「三河や薩摩など精悍と言われる兵士の地域は、
田舎者ゆえに愚直なまでに指揮者に従ったから強いのでは?」を考えると

指揮者が良かったから勝ち残る事が出来た事と
兵卒自身の資質の良悪 とが
混ざっていて しっかりと分別されていないぞ。

薩摩や三河の兵卒一人ひとりの資質の高さを現している話ってないから、
どうしても家康の言葉とか「領国の維持出来た事実」に頼っての書き込むことになる。

徳川の時代や明治の薩摩の政治家のおかげでの過大評価は好ましくない。


 

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 18:09:30 ID:C596CbUd
このスレの方に聞きたいんだが浅井旗下の湖北武者と呼ばれた兵卒は
やはり勇猛だったんですかね?


229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 18:19:34 ID:mp3lQjZO
>>228
弱い軍をやっとのことで倒した神君などであってはならない
戦国最強の江北荒武者軍団を蹴散らし、情けない尾張者の織田を救ってやった
我らが神君東照大権現様万歳!

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 19:37:56 ID:8qaNaDzO
そういや近江侍は有能だな
戦国期を通じてかなりの人物を輩出しただろ
単に勇猛なだけじゃなく知勇優れる人物が多いし

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 20:53:59 ID:GLhBhWRT
時代は限定してないみたいだけど姉川だとしたら徳川があたったの朝倉だったと思うが

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 00:24:53 ID:wgfi5Kgp
愛知人は堅実で人事に厳しいと思うね(ケチとも言う)、芸事も盛んで古来職人の産地。
だから組織が強固で職人気質がある。
まあ、兵卒が強いというより組織が強固で技術指導が上手いという印象がある。

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 00:09:39 ID:4NaKVZff
やはり武将云々では無く兵士が強いのは薩摩! 関ケ原の退却は他の国の兵士では不可能。 維新討ち死にになってました

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 00:32:42 ID:Cltvzdx0
三河・近江には一向衆が多いから勇猛。


235 :白馬青牛:2006/10/29(日) 00:41:04 ID:sr8nWYMV
>>224
比較的少ない資料でも、宣伝で自地域を強兵としたかも知れんし、
後世の実例も必要になろう。皆が言うようにたあ、自分の意見で
わしに反論すりゃあええのにのう。わしに苦言を云うのに他人の威を
借りて巻き込んじゃあ、いけんよ。士道に反するのう。人を批判する
暇があるんなら自分に誇りを持つ行動をしたらどうか。
>>225
その前提条件が、どの書物から、三河や薩摩が精悍とされたんか?
その自我自賛文書も、実例から検討せんといけんけどね。
近代と比較するんは、近代の日本軍が、混成部隊は別として、郷土兵団で
構成されとった故、風土、地域社会組織の影響が強いと云うことじゃ。
まあ、わしが、空気を読む以前に、わしに対する批判で人に空気を
入れたりする方が好きなんじゃろう。人を説得する?自分が信用される?
わしの振る舞いに指図する、あんたは何様か?
名将言行録?そがいな物ばっかり読んどるけー、上層指揮官武将の
個人崇拝しか出来んのか。わしは、無名の前線で激闘した戦士こそ誇りに
思う方じゃ。上層指揮官も郷土性の基盤の上にある人物に過ぎん。
ゆえに、地域性が重要になる。このスレの「どこの出身兵士が強いか」も
地域性の違いを、近代も含め、郷土の社会制度の違いと地域兵員の個性も
含め考察する視点が必要であろう。

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 00:42:23 ID:4LZgXSmm
陰徳太平記w

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 00:57:31 ID:hFHKdlaB
>>234
一向宗か。確かに日本では馴染みは薄いが確かに信仰が厚い軍隊は強いな。

238 :白馬青牛:2006/10/29(日) 01:59:38 ID:sr8nWYMV
>>234-237
そう、東海や北陸では一向衆の活躍もあり、農奴状態の関東や東北と
違う社会であろう。市民が自治権を主張した近畿地方も、土一揆の活動も
無視出来ん。1496年美濃斉藤氏が、近江六角氏討伐による近江領占領
に抗して闘うた近江馬借一揆軍は斉藤軍を撃破、敗走させた。
三河は、古来傀儡師の産地であり、芸能流浪の民である要素も強いね。
一向宗や浄土真宗地帯の軍隊は、確かに強い。伊勢や北陸、郷土広島も
含め。進者は極楽で退者は地獄じゃしね。ただし、安芸は、領主との確執が
余り無い社会じゃった。

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 02:00:45 ID:MeXm7JQX
本願寺も島原も苦戦したね

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 02:05:49 ID:0OuEqUm0
言わなくても分かってると思うが馬鹿は放置な
餌をやるなよ

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 03:32:00 ID:74P/dEmQ
ん?
このNGワードはアレか?

>>239
島原はキリシタンだけ、ではないからちょっと参考にするには不適切じゃないか?
非キリシタンも原城には結構入っていたらしいから。
どちらかと言えば大坂の役に近いと思うが、
浪人衆のもう行き場のない、逃げ場のない悲壮感と精悍さに被って見える。

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 06:20:49 ID:GBjGu89E
牛さんも学はあるみたいだし、今回みたいに空気読んでくれたら歓迎するよ。
ここは戦国板だし煽りあいより考察系として充実させたい。
宗教色の強い他の地域ってあるかな?

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 15:50:39 ID:EYtOVyif
懲りずに農奴とか言ってるし。

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 16:19:27 ID:fwe8+OIt
丹波兵ってどう?やっぱマイナーすぎ?

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 18:31:22 ID:4NaKVZff
兵の強さはワカランが名将が居た地には味噌の産地が多い。 仙台、越後、信州、愛知と  当時の兵卒の戦場食、米味噌と関係あるのかにゃ?

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 18:39:08 ID:TEwbcbtN
>>235の白馬青牛さん江
>自分の意見で
>わしに反論すりゃあええのにのう。わしに苦言を云うのに他人の威を
>借りて巻き込んじゃあ、いけんよ。士道に反するのう。人を批判する
>暇があるんなら自分に誇りを持つ行動をしたらどうか。
己の意思で苦言を呈しましたが、返事が
>あなたは、何で人に指図されるんですか?いらん世話ですよ。
>方言を使うんも個人の自由ですし、人に強制される筋合いは無いでしょう。
と返されましたよ?

批判も賛同もなければそれは放置ですよ。

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 22:34:26 ID:I4c9ev2I
学のあるやつが農奴とは言わん。

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 23:48:30 ID:bagM7y2z
もともと一向宗の発祥は東国でしょ?
親鸞が教行信証を書いたのも常陸国でだし常陸は親鸞の布教基地だった。
一向一揆を指揮し本願寺を坊官として支えていた下間氏は茨城の下妻市から来ていると言うし

249 :白馬青牛:2006/10/31(火) 00:36:18 ID:Ndx6l7zt
>>242
わしゃは、知識が足りん思うとるし、煽りのおかげで忘れとった事等、
事物を調べ直し再確認出来るゆえ、好都合じゃ思うとるよ。
じゃが、他人の空気までいちいち読まんよ。ほいでも考察系と
充実したいんは、同意じゃ。
宗教色の強い地域は西日本〜北陸、東海地方まで及んでおるが、それより
東は浸透しとらんのじゃないか。東日本の封建社会基盤が拒否したん
じゃと思う。
>>244
丹波兵は健脚力があるんじゃないか。近代の福知山聯隊・篠山聯隊しかり。
>>248
一向宗の発祥が東国?起源論に固執するんは韓国人と東日本人の特徴じゃ。
縄文文明1万年史観か?一向一揆が盛んな地域が東国よりも西であるのに、
東日本の社会構造から隷属農奴民に、自治権や民主制を求めても無理じゃ。
戦国期の宗教改革や宗教戦争は、西欧と同現象として比較でき、
近代国家形成に貢献したと思うが、東日本は隷属縦社会でその段階を経て
おらん。東日本は旧共産圏の東欧農奴社会と同じ社会段階を歩んだんじゃ
ないか。専制東日本社会に民主制度は早過ぎたんじゃないか。

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 00:58:00 ID:/5rfLIYy
>>248が言ってる常陸と親鸞の関係は密接だろ。

一向宗だから強いとか言うのも憶測に過ぎないんじゃないか。
信長「(加賀越前の一揆の類)物の数にあらず候」。

安芸の毛利は同盟軍として本願寺に加担したわけで、門徒じゃないわな。
浄土真宗と安芸国は、江戸期の檀家制度の段階で特に密接になったのか?

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 01:48:21 ID:dYhfIZ8y
>249
なにをもって東日本を隷属農奴民とする?
そもそも一揆ごときに何時までも関わっているのは領主がヘタレだからだよ
ろくな智慧も武力も持ち合わせていない証拠。

一説では日本の領主の封建制は税の徴収権に過ぎず、本当の意味の封建制は無かった
という説もある。
頼朝がポックリ逝こうが実朝が暗殺されようが無問題。
「鎌倉殿=関東武士団の代表」であり板東武士は自分で主君を選び
武力でもって天下人にしただけだよ。それがずーっと続いてきた。

252 :白馬青牛:2006/10/31(火) 02:41:38 ID:RM3JKuu4
>>250
地域社会に浸透しとらんもんを語ってもねえ。
信長は、対石山本願寺で苦戦して無いんか?
兵糧を敵の包囲の中、突破した安芸門徒が参加しとらんと云う根拠は?
>>251
東日本が、隷属農奴であったんは、江戸期の村落の構成でも、
概ね、東日本は村の代表は世襲制で小作人も隷属小作。西日本は村の代表は
選挙(札入れ)で決め、小作人も契約小作。(宮本常一氏・長島信弘氏)
武士団の構成も、東日本は主従制隷属縦社会に対し、西日本は、合議制
横社会。宮本常一氏は松浦一揆にその形態が見られ、中世初頭から、
西日本は一揆契約による合議制とされる。
民主制の西日本と専制農奴制の東日本と区分せずして、戦国期の考察は
出来んよ。伝統的農奴東国兵の弱さは、権力に従順じゃった事もあろうね。
なにしろ、隣の村がつぶれようと、援助もせず、我が耕作地が増えるぐらい
に思うとるんじゃろう。共同意識も相互扶助の無い、連帯間のない軍、
部隊、集団は、弱いよ。弱肉強食の東日本兵は弱かったのも納得するね。

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 03:22:49 ID:dYhfIZ8y
権力に従順じゃったモンが天皇や上皇を追い出したり、新皇を擁立すんかい?
土豪、土民に選ばれた権力者でなければ東国では潰されるがね。
自分の身も自分で守れん奴は生きていけん。

そもそも契約や談合で主従関係を成り立たせようとするんは商売人の根性じゃのう
それは連帯感でもないし信義で動くとは言えン。
しょせんお雇い兵士を頭にして一揆を起こすレベルが関の山じゃのう。

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 05:31:18 ID:80JMiioP
>>252-253
なんとなく、広島県人?
いや別に他意はないですww


255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 11:12:07 ID:4sm9zCel
甲斐>三河>薩摩じゃない(o^ー’)b

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 12:56:50 ID:dYhfIZ8y
甲斐、三河なら間を取って信州。真田、諏訪、小笠原、望月はどうよ。
騎馬とゲリラは強いぞ。

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 13:44:59 ID:ooFVOP7s
強いと言われた甲斐、三河兵は幕末になってしまうと、あまりパッとしなくなってしまったのは何故? 指導者? 武器?  薩摩は強兵のままみたいだけど。 スレ違い承知で質問ですが

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 14:02:06 ID:tH+Erfeq
幕末は兵器と兵学の強さと総大将・兵士の士気が
そのまま強さになったんじゃろう。
薩摩・長州は上記の4点を兼ね備えていた。
兵器の点で見れば、薩長土肥幕以外は50歩100歩で論外。


259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 15:41:36 ID:4sm9zCel
>>257
甲斐と三河は幕末では徳川譜代系の支配地になってたから軟弱になったんじゃない。その点薩摩は外様だから幕府に対抗してたから強兵だったんだよ(o^ー’)b

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 17:57:45 ID:+55aVHme
士気、練度、武装など様々な要素によって
同じ地域でも強さが変化するから一概には言えない
強兵などと言う定評はなかった長州だが
禁門の変では当時最強と言われた薩摩、会津などを相手に凄まじい強さを見せた
勇猛さでは薩会に勝っていただろう
また、薩摩と会津は確かに強かったが、どちらも武装の差には勝てず壊滅した
幕府歩兵は長州征伐や鳥羽伏見では役に立たたなかったが
後の脱走組は各地で新政府軍を苦しめた

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 18:42:43 ID:dYhfIZ8y
それは確かにある。どんな精兵でも戦略目標が無ければ戦力を集中できない。
これではどんなに強くても勝てない。

また精鋭ほど重要拠点、激戦区に配置されるため全滅、敗走したからといって
弱いとも言えない

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 18:59:33 ID:vF9F2Xl0
旗印でびびっちまうこともあるから風聞ってのもバカにできないよな。


263 :白馬青牛:2006/10/31(火) 23:10:35 ID:axGkpgNP
>>253
権力に従順だないなら、天皇家を滅ぼしておったんじゃないか。
平将門も皇室の末裔として王権の権威を借りてないか?
古代から「西国は、君姓で祖先の不明なものが多く、天皇家との
繋がりを強調してないが、東国は、天皇家と結びつくことによって
権威を維持した。」と、直木孝次郎氏は云われる。
「流離した中央貴種」信仰が東国社会の豪族に強かったんじゃろう。
なるほど、関東人は権威に弱いのう。
契約や談合?で主従関係?じゃのうて同盟関係じゃろう。
商売人と云われるが近世以前の領主は商売人でもある。関東人を
売買した上杉謙信は奴隷売買の商売人じゃないんか?武田信玄も
そうじゃろう。近世の官僚化した、商業から分離した武士を前提に
云われてものう。関東のお雇い武家奉公人も、奴隷扱いする旗本奴に
対抗し町奴集団を作ったしね。江戸初期においても上下の連帯感は無いね。
いや、近代関東兵団でも、戦死する可能性が強い初年兵を私的制裁で
しごき、いじめぬいて殺す。弱者必滅、淘汰が関東流進化論か。
(戦闘馴れしてない兵は、戦闘へ出せば死んで行くと、関東的合理主義。)
隷属農奴社会の伝統は、残忍で憐れじゃのう。

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 23:16:29 ID:6l19VsnG
卑怯者に言われたくはないな。

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 23:56:52 ID:Wzx7zOgX
憐れな程に関東に対する劣等感丸出しだなw
広島なんて二等国民がいくらあがいても
近畿や関東に勝るものなど何一つないのにw
ドンゴリ仙台とでも張り合ってろ
いい勝負だ

266 :白馬青牛:2006/11/01(水) 00:09:42 ID:7v36898d
>>254
わしは、広島人じゃが、>>253氏は広島弁をマネシしとるんじゃろう。
>>256
騎馬とゲリラ?ゲリラ戦が東国で一般化しとった根拠は?おそらく
後北条氏に呼ばれた紀州乱波等、西日本の戦闘法が東国へ影響を
与えたんじゃないか。引くことを知らん東国武士に遊撃(ゲリラ)戦が
出来るんかのう?遊撃戦は、近江の土一揆のように庶民が勢力を持つ地域の
戦闘法で、専制農奴地帯の関東で採用され難い戦闘法じゃろう。
>>257
「言われた」が根拠じゃ妄想に過ぎんが、それは兎も角、甲斐、三河、
薩摩を誰が強い云うたんか?詳しく書かれよ。『川角太閤記』では、
武田の戦法は田舎者の兵法で全国的に通用するもんじゃない。
秀吉は馬鹿にしとるんに、どこが強兵か?
>>258
戊辰戦争の対相馬軍の戦闘で奥羽同盟軍と前線で主に戦うたんは、
芸州(広島)と因州(鳥取)兵じゃ。安芸神機隊兵は寡兵の中、筑前、
長州兵の援兵要請にも答え苦労した。じゃが安芸兵は、相馬、仙台、
米沢藩兵らと戦い一度も負けとらん。むしろ駒ヶ峰の戦闘のように、
退却した新政府軍諸藩兵が驚き、嗤笑する無暴な切り込み白兵戦で、
農民主体の神機隊、隊士陣場松右衛門以下敵陣を占領した武勲も光る。
兵器は兎も角、東北東岸戦闘では、筑前・筑後・肥後・伊予・長州・
因幡と較べ、安芸農民兵の独壇場としても過言では無い。

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 00:10:21 ID:OyKbHGMi
権力に従順でないなら、天皇家を滅ぼしてた、っておかしくねえか?
権力振かざしたいやつが天皇の権威を借りるんだろ?しかも自ら擁立して。
まじ我田引水的だな。

あと毛利得意の苅田戦法も人身売買並にインモラルだったことを忘れるなよ。

もはや牛のは考察ではなくて優劣になってるな。だから嫌われるんだよ。

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 00:15:51 ID:8op6QvVV
なぜそんなに広島をマンセーするのかがわかんねーな
最強の兵卒よりある意味きになるなw

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 00:19:34 ID:B6Wkhx+T
>>252
殺生に寛容な親鸞の教えが、関東武士に受け入れられたのは自然な事。
ところで、親鸞と本願寺教団じゃ月とスッポンだがw

大坂の石山本願寺の門徒は九州から関東まで、全国から集まった集団だよ。
尾張はもちろん、相模・武蔵や越後からも門徒が番衆として参加してる。

毛利の家臣に門徒は多かったかもしれないが、織田方にも多かったんじゃないか。
逆に、本願寺勢=本願寺教団の信者だと言い切れるものでもないし。
門徒であったとしても、毛利氏の兵だな。

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 00:27:38 ID:Lnv7bix+
>>266
すまなかった。広島の兵が日本最強だよ。
これでいいかい?

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 00:39:49 ID:B6Wkhx+T
>>266
日本史板にレスしたから。

まっ、戦国関東武士の騎乗術の優秀さは、尾張・三河武士の間にも知れ渡ってたわけだが。
戦国安芸の百姓も、坂東殿ばら(関東の侍)の印象をこう唄ってたのにw

『田植草紙』(鎌倉,室町期の中国地方の小歌)
「坂東殿ばらは弓は上手なるもの、空立つ鳥を射て落といたり、
さても上手や、空飛ぶ鶴を落といた」


織田方の視点という点は差し引かなきゃだけど、『信長公記』
(近江の本願寺門徒、秀吉や長秀にとっては)物の数にて員あらず。

272 :白馬青牛:2006/11/01(水) 00:48:31 ID:yHN4WDji
>>265
関東に対する劣等感は、残念じゃが無いのう。
広島は、農奴関東より武勲はあるよ。関東が広島に勝てるんは、
人の多さと食文化に乏しく、兵隊も弱い事、妄想が激しく、
土着劣等感から、征服民の西日本人に敵意を持つ憎悪性には、
脱帽するよ。
仙台を馬鹿にしとるのう。確かにドンゴリ鈍重仙台兵であるが、
関東兵よりは、忠誠心も強うてましじゃろう。
関東人は相手の実力を見て、相手に心服するところがあるけーのう。

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 00:58:58 ID:Lnv7bix+
んで、広島から何人天下人って出たんだっけ?
俺の住んでる愛知県からは信長・秀吉・家康とたった3人しか出てないよ。
強い広島の事だから数十人は出てるんだよね?
あと、今年はプロ野球をあまり見なかったから知らないんだが
日本一になったチームは確か広島だったよね?
甲子園でも広島代表校が毎回優勝か準優勝してたって事で間違いないよね?

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 01:01:38 ID:VbWnP/aY
結局、どこが強いンだ?

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 01:12:39 ID:VbWnP/aY
おまいらアイヌを忘れていやしないか?


276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 01:13:41 ID:B6Wkhx+T
厳島神社の神主家は、戦国期まで鎌倉系に乗っ取られたから奴隷神社なのかな?

安芸の享保三年一揆とやらで、土地集積の上層農民に虐げられて爆発した安芸農民は
広島奴隷民という理解でいいのかな?

毛利の傘連判状的世界も、毛利の勢力が拡大した時点では様相も変わってるよね。
宮本常一は西国史観の民俗学者で、1581年に亡くなった人だね。

>>273
帝京選抜出るよw
>>275
安東?

277 :白馬青牛:2006/11/01(水) 01:21:51 ID:yHN4WDji
>>267
中央王権の威を借りて東国武士は威張っとったんじゃろう。
>>268-270
実際に、安芸兵が強いんじゃけーしょうがないよ。
>>269
浄土真宗が殺生に寛大?関東流の都合のええ解釈論じゃ。
石山本願寺で関東・東日本から多く集まったと云う根拠は?
都合のええ毛利の兵じゃと云うとるが、関東人は、法華宗か
朱子学(水戸学)の名分論で妄想し韓国と争うとれ。
>>271
またネタ切れで、同じ言の繰り返しか。関東人と韓国人は
似とるのう。安芸人が日常的に歌うた云う根拠はあるんか?
西行や平家降人から騎馬技術を教えてと泣きを入れた
騎馬下手の関東人が。戦国期の戦闘に騎馬要素の比重が高い訳も
無く、野戦派の家康が誉めるぐらいのこと。家康は真田あたりに
苦戦しとる。西国での戦闘では通用せん。攻城や籠城戦闘の
比重が多い時代じゃのに。時代遅れの東国騎馬兵など、朝鮮に
出兵しても明軍の騎馬兵に通用せんよ。向こうはモンゴルと
闘うとったのに。土着妄想で世界に通用する訳あるまい。関東
ロデオ騎馬武者なんぞ。
近江の本願寺より石山合戦で信長は負傷してなかったか?
何で長期に及んだんか?

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 01:39:58 ID:B6Wkhx+T
>>277
だから親鸞。戦国の本願寺は一種のカルト集団に近い。
諸国門徒参加の番衆、ソースは神田千里氏。
うしもネタ切れじゃんw『田植草紙』のは事実だし。

泣き入れたとか、明らかな捏造言って満足か?
西行の流鏑馬武芸は望月牧経由で信濃武士らの二番煎じあたり。所詮は馬場武芸。

信長に聞いてくれw

279 :白馬青牛:2006/11/01(水) 01:58:50 ID:NKvlkmT9
>>273
何が嬉しゅうて天下を狙わにゃあいけんのん。
山口県人は、大内氏が京都へ介入したよう、権力を望む部分が
あるけー、明治政権もその流れじゃが、広島人は権力志向が強う
ないよ。政治屋集団は別として。中国地方の雄でええよ。
広島の野球は今強う無いんに、何で大嘘を書くんか?
>>276
厳島神社が、佐伯氏から藤原氏になったことが、何で鎌倉の
奴隷になるんかか?安芸の一揆が上層農民に虐げられたと云うんも、
農奴社会の東国的解釈じゃのう。安芸の庄屋は他の村へ赴任する
行政官じゃったが、村落上層部と小作人の家を見分けることが、
出来んほど、村の家々の大きさ、様式が平均化しておったが、
関東や東北は上下が断絶した格差社会で、権力に屈する気持ちが
強いんであろう。
傘連判状は横の同盟関係じゃが後に毛利氏の勢力が突出し、
毛利氏が山口へ移って解散したと云うほうがええじゃろう。
宮本氏が1581年没?戦国時代の人にするんか?

280 :白馬青牛:2006/11/01(水) 02:19:57 ID:NKvlkmT9
>>278
カルト(原理主義)集団に近いんは、他宗に対する排斥から
日蓮宗じゃないか。浄土真宗における原理主義とは何か?
仏典を忠実に解釈しとる訳でも無い。どこが原理何か?
原理主義云う言葉も解釈出来んとはのう。
ほいで、諸国門徒番衆の人員数は見つかったか?
書物に載っておったら事実とは云えんよ。
どうせ知識人が書くもんじゃし。戦後になって、大戦当時の兵士の
見解が戦記に書かれ、上層部の報告文書とくい違いがあるのに、
近代以前に兵士が見解の文書に乏しい。
上層部が、敗戦時に証拠を隠蔽する為焼き払った部分を、
考察するんが歴史じゃないか。文書を一言一句、解釈するんは、
まさに、宗教原理主義に他ならん。歴史を宗教と勘違いしとるんか?
歴史解釈原理主義者なんか?

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 02:38:27 ID:Zwz5XnXf
煽り合いと一方通行の優劣の主張のみ
これが良板と呼ばれた戦国板かね。
どうしたん君ら?
正しい意見は受け入れて否定する分には資料を添えて巧く運営してたのに
みんな熱病か?

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 03:49:51 ID:MZFB80Us
>>281
広島の株を持ち上げようとして結果下げてる事に気づかない間の抜けた牛の相手に忙しいんだよ

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 07:31:39 ID:Wv9G3aQL
>>281
じゃあお前やっとけ

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 08:38:32 ID:EeLxslCp
そもそも>>256>>266で「関東でのゲリラ戦」と言ってる段階で話が噛み合うはずも無しw
信濃望月家の騎射術に関しては>>278氏も言ってるのが正解だろう。
ちなみに西行は佐藤家だから「藤原秀郷流」ね。

277 >攻城や籠城戦闘の比重が多い時代じゃのに。
これは初耳w 
東国武士は城を落とすのも上手かったよ、家康も上手い。
なぜ難攻不落の大坂城に真田丸が設けられたか考えればわかるでしょ。

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 09:28:33 ID:FQtGQmNA
つまり、薩州、甲州、三河あたりがつおいってことだな
薩摩隼人がつおいことは感覚的にわかる気がする

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 12:39:10 ID:4KO6A5Oj
広島人は、郷土愛が強いといいますが、こんな人ばかりですか?

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 13:07:49 ID:P9CzoYy/
>>286
いいえ私を始め多くの広島人は郷土であったり人物であったりを自虐して
楽しむ人間のが大勢です。例えば遊楽施設もない癖に人だけ多い
カープってまだあったの?駅前なんとかせぇや、スラムじゃないか等
私の嫁さんはもうり?という程度。まあ女は歴史は結構こんなもんだが。
本気で嫌ってる訳ではないが牛さん位に熱烈に郷土を押されると何というか
むずがゆい。

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 18:28:05 ID:nJqWilm9
薩摩藩は統制力が強く、上士>下士>百姓の身分がその他の藩と比べ
異常なほど隔絶されていたって話をきいたことがある。

身分の完全分化と強力な統制って強い軍隊の基本だからその辺も影響
あるのでは。

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 18:40:10 ID:FQtGQmNA
今の鹿児島県民を見て、どうこういうのはおかしいと思うけど、統制とかそういうものではなくて、
なんか退くことを知らない強さっていうのかな、そんな感じを鹿児島県民から受けるわ。

全員がそうとは言わないけどさ

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 19:08:36 ID:R3H10gpF
長淵剛とかWWW

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 20:58:18 ID:+9DsSshV
逆だよ
薩摩は退く事をよく知っている
駆け引きの上手さで強いんだよ
至って政治的な行動をする
薩摩人は玉砕する事はまずないし
不利になると迷わず退却する
勇猛さを誇った軍団でも玉砕して潰えてしまってはそこで終りである
九州征伐でも関ヶ原でも徹底抗戦などせずに退いているし
幕末にも怜悧と言われた長州人の方が後先考えない猛勇さを示し
逆に薩摩人は至って冷静に行動した
西南の役でも不利な戦況で振り返ると
薩摩人はいつの間にか居なくなってると肥後人が閉口した話しが残っている
冷静な思考と進退の速さが薩摩のウリであろう

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 21:33:11 ID:wBLybeof
と鹿児島県民が申しておりまするw

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 22:04:07 ID:4KO6A5Oj
>>287
やっぱりそうですよね。
私は福岡ですが、福岡でも同じようなものですよ。

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 22:05:13 ID:vaEB/gtk
薩摩人はさっさと逃げる話は何かで読んだけど
それが冷静かどうかはまた別の話でしょ。

冷静なら西南の役とかはないと思うんだけど。。。

295 :白馬青牛:2006/11/01(水) 22:57:20 ID:UC8vV5R8
>>284
関東は>>256氏によると、ゲリラ戦が強いんじゃそうなけー、どがいな
理由で強いんか尋ねたんじゃが。騎射術も都から学んだもんじゃし、
信濃の騎馬文化が高句麗系の影響が強いとしても、信濃はモンゴルや
高句麗と違い牛車文化が無い。牧畜家畜飼育の形態に欠落部分があるよ。
だいたい、日本は、口取りと馬柄杓が必要な機動力の無い騎馬軍は、
戦闘の呈をなしとらんよ。人が馬に乗せられておるに過ぎんのに、
それらを無視して世界に通用せん東国騎馬文化を語る。
暴れ馬を乗るんはロデオぐらいじゃ。ちいたー(少しは)世界の
騎馬、家畜飼育文化を考察して意見せーや。
攻城や籠城戦要素の強いんは西日本云うことじゃ。東国武士は城を攻め
落とすんが強い?『川角太閤記』で秀吉は甲斐武田の城攻め下手を、
田舎者の兵法としとるんに。家康も上手い?大阪の陣で圧倒的多数の味方
をもって攻略したんが強いんか?真田氏の戦闘は、遊撃、籠城戦の要素等
西日本的であるが、真田氏と修験道の関わり、真田氏の幸隆や幸村の
山伏に変装したモチーフ。楠正成が畿内山岳民と関わりが深いよう、
真田氏も、山伏ネットワークで西日本的戦闘法を学んだかのう。
真田氏のルーツを海野氏か西からの流れ者か判断出来んが、
徳川氏の祖徳阿弥が賤民視された遊行僧であったように、
西日本の被差別民との関連の可能性も民俗学的考察から否定出来ん。

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 23:20:27 ID:+9DsSshV
>>295
どこから学ぼうが強さには何ら関係ないでしょう
同じ術を学んでも強弱の差はあるし
本家をしのぐ事は珍しくありません

何故信濃の騎馬武者だけ高句麗やモンゴルと比較するのか理解に苦しみます
まして国内戦なのに世界に通じるとか通じないとかが何の意味があるのか分かりません

攻城戦に限らず戦では兵を多く集められるならそれに越した事はありません
少数で無理に戦う事など無意味です

真田や徳川がどうとか自分で判断できないとか言ってる事を何の意味があって書いてるのですか?

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 23:43:44 ID:7EkMZVlK
まーまーみんな。
落ち着いて話し合おうよ。







丹波兵についてを。

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 00:16:18 ID:IJtz7Rbh
丹波といえば栗とノムさんだが、
結構強そうだw

299 :白馬青牛:2006/11/02(木) 00:19:48 ID:TNwz7Gsv
>>287
同じ広島県人でも、あの地区の人間は気にいらんとかありますしね。
市長選に立候補したサテライト・漫画道場氏は、やっぱり権威欲の強い
地域の出身で(全ての人達がそうでは無い。)糞生意気で横柄な
外道変節者じゃが、広島人の恥を全国にさらしあがるんわいのう。
中国(地方)板並みの批判となった。
わしゃは、選挙でしか批判出来んしのう。云うんはありますね。
郷土意識より出世欲の強い地方柄だけあるわい。安倍総理の
兄貴分格のN川syunjiさんの息子も、友人と云うだけで推薦するんは、
如何なもんか。政治的ローカルな話になってしもうた。
続いて、広島駅前の荒神市場あたりがスラム?闇市の頃からの雰囲気を
残す広島らしい街ですよ。あなたも荒神市場で買い物をしたことはあるで
しょう。まあ、駅前も洗練され過ぎたと思いますよ。
広島百貨は、西武が撤退し、大型デパート福屋になったし。でも本屋が
広うなったけー良かったか。昔松原町のあの辺は、一般住居から売春宿
まであった、レトロな街じゃったんですよ。喫茶ムシカの方、駅前東から
猿猴あたりは昔の雰囲気が残っとりますね。昔の広島の老人の人達は
郷土意識も強かったですし、他県人と違うと自負されるんは、広島が、
全国の兵が出征した地で、他地方兵と比較して我々広島人は日本でも
特別なと云う自負でしょう。他県人には許されても、広島人が風の悪い
行動を取っちゃーいけん云うんがありますし。

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 00:30:37 ID:0W/g0FT1
丹波…哲郎?

丹波と言えば細川かな
そして松永一族
で赤鬼
京に近いし応仁の乱以来ずっと戦乱が続いてきた
織田軍とは4年に渡って争う
光秀も苦戦したようだし強かったんじゃないか?
よく知らんから適当な意見だがw

301 :白馬青牛:2006/11/02(木) 00:48:48 ID:TNwz7Gsv
>>296
本家をしのぐ?関東武士が?戦闘形態が、騎馬戦主体となっとったんか?
口取りや馬柄杓で馬に水を飲ませんと行動出来んのに?
世界と比較せんのは、東国流鎖国史観になって仕舞うよ。
日本の騎馬が優秀とするんは、日本のサッカーが世界屈指の実力を持つと
ホラ吹く様なもんじゃ。兵力動員と、また人海戦術好きの関東流か。
寡兵で多勢軍を相手に闘う事が無意味か?最初から成功例を否定しても
つまらん。兵士は、敵に対して必勝の精神で対峙する訳じゃし。
真田や徳川が自分で判断出来んことに意味があるか。と、つまらん事を
云うとるが、歴史は、文化人類学、民俗学、考古学考察を含め、
多面的に構築するもんじゃ。断定、判断まで出来んよ。
むしろわしに対する反論者が、強いと「言われた」と具体的戦闘実例を
云わず、妄想しとるんじゃないか。

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 01:18:53 ID:R/K6THnH
丹波といえば宮津
宮津といえば大江山
大江山といえば鬼伝説
だから弱くはなさそうだ

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 01:44:18 ID:GIrsHT+3
>>279
広島野球は時代遅れ、非力。大阪から集めてる広陵以外は。岡山>広島
表裏一体佐伯朝臣w
>頭庄屋罷免閉門、村役人交代制とあるんだが?幕末にも富裕層ら標的に一揆が起きてる。

>>280
cultが原理主義?合言葉「破門」で脅して門徒を戦に駆り立てる、いわば基地外集団といえる。
常陸の信徒が支えてた初期浄土真宗とはえらい違い。
ほいで…気に入らない専門家を叩く毎度のパターンw

>>301
京都のは江戸期の侍みたいに流派で縛られたような馬場武芸だってのw
律令軍団制を支えてた中央の軍事力も、東舎人に代表されるような東国の騎兵など。
畿内源氏の家人などは、武に堪能な東国兵から集めた形跡。
つまり東国から都に伝播してる。馬の産出量が違う。痩せ馬に乗った都の下級官人…。
去勢してないから馬丁が必要。そして全国共通。

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 02:22:58 ID:cz341GVa
>>295
だから〜 なんで「真田、諏訪、小笠原、望月」が関東のゲリラになるの?
>>256>>278氏も信州信濃って言ってるでしょ!
いったいどこに「関東のゲリラ」って書いてあるんだ? 

305 :白馬青牛:2006/11/02(木) 03:16:47 ID:SdERLI4B
>>303
「日本史板」に、疫病が明治期じゃ云う、妄想を振り舞いとったが、
あんたあ、毎回馬鹿な事云うのう。野球じゃ関係無いことも並べて、
ご苦労様じゃ。浄土真宗が、禅宗や日蓮宗より権力との関係が、
一番薄かったし、関東で宗教改革の様な社会変革も無かった。
関東農奴民は、自治意識のない、権利意識もない、越後の奴隷売買
商人の謙信に売り飛ばされるぐらいじゃろう。
馬場武芸でも都に劣るロデオ関東武士か。まだ世界に通用せん騎兵じゃ
云うとる。関東の徴発された兵士は蝦夷より弱かったことが自慢なんか?
今日も世界的に通用せん、妄想オナニー東国鎖国史観全開じゃのう。
>>304
あんたが、信濃は関東じゃ無いと文化類型で語ればよいこと。
フォッサ・マグナ以東は文化類型で東日本に属すると考えとるが、
間違えと云えるんか?

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 08:39:41 ID:67A+XWz/
牛さん。 まー言ってることは具体的で良いのだけケド、何故関東をそこまで敵視するの?   埼玉の女にでもフラレたんか?

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 08:49:12 ID:cz341GVa
フォッサ・マグナ以東は関東か・・・ すごいな関東文化圏

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 09:09:51 ID:GICQgtEV
新潟ってどうなんだろ?
強そうな気もするけど・・・

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 10:19:19 ID:0W/g0FT1
なんかいつも農奴とか言って得意になってるけど
現実問題として一番多くの披差別地区を有してしるのは中国地方じゃないか
全国の20%以上に当たる
正確に言うと中国地方と言うより広島に多い
現在でも400を越える披差別地区がある
都道府県別に見れば福岡に次いで全国二位になる
適当な事言って他地域にケチつけてる暇あるなら
地元の解放に協力でもした方がいいんじゃない?

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 10:20:22 ID:75DzFODu
山岳部とか局地の兵卒はどれも精強で大差ないと思うけどね。

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 10:24:13 ID:GICQgtEV
どうして山地の人は強そうに見えるんだろう?
山地の人が仮に強いとしても、平地では強さを発揮できなかったりするんだろうか?

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 12:04:16 ID:OjBmptWR
302さん。宮津は丹後じゃなかったっけ?大江山は丹波だけど。たぶん。丹波の赤鬼こと赤井(荻野)悪右衛門直正のいた黒井城の近くに住んでます。あと丹波で有名な人は…特攻隊の生みの親、大西滝治郎?中将かな。

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 14:47:26 ID:hDgQENMa
牛くんが都合良く無視した毛利の「苅田(=田畑を荒す)」戦法は、放火、乱取りに匹敵する戦場の狼藉です。兵糧攻めという名にかこつけた略奪です。

つまり人身売買をどうこう言える立場ではないほど毛利の戦法は卑怯だったって事です。
しかも大将自ら率先して雑兵にやらせるなんて酷いな。

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 16:17:15 ID:R3x4vkqx
>>312
村上水軍が大友に九州での奴隷の売買を認めないと脅されると
大友に従順になった経緯を知らないと見える。
九州でも島津北上時には凄い有様だったことも有名だし、何処も一緒。
それとも広島だけはなかったと言いたいのか?

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 16:17:53 ID:R3x4vkqx
盛大にアンカーミスw
312→305で

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 16:30:39 ID:0W/g0FT1
それ以前に人身売買は古代から全国的にあったもので珍しい事ではない
弥生時代から生口や奴婢など奴隷と見られる存在が記されている
奈良時代の近江の記録(国司解文)では一人あたり稲千束で取引されたと記されている
又、日本記によると各地での略奪されて奴隷化された者達の記載があり
略奪されて奴隷化された安芸人数百名についての記録もある
その後も人身売買の風習が続き、全時代を通して禁止令が出されていたが近代まで絶える事はなかった
戦国期に関しては人取りは軍略として各地で行われた
秀吉の九州での記録(九州御動座記)によれば
妻子までも売り払う者が居たと記されている
他に伴天連追放令の一項目に人身売買を禁じる旨が記されている事から
海外にまで売却するものが居た事が伺える

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 22:18:01 ID:pQVHJufC
>>305
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1138247458/160-163

318 :白馬青牛:2006/11/02(木) 23:36:16 ID:zDySOv7I
>>306
関東を、とりわけ敵視しとらんよ。わしの先祖も関東武士系が多い故、
好んで批判しとる訳無いが、反東日本鎖国的史観の立場と列島東西
社会制度の違いから考察しとるだけじゃ。わしが、関東の女にフラれて、
楽しいんか。関東だけのことじゃのうて、わしゃは女にようフラれる。
>>307
わしゃは、東日本じゃ云うとる。
>>308
新潟は、東日本の中では強いんじゃないか。近代兵団でも、高田や新発田の
聯隊は、東日本屈指じゃないんか。広島と比較するとミジメになるが。
>>309
東日本農奴社会の庶民は、飢饉で喰われとる訳で、被差別民が存在する
キャパシティーすら無い憐れな社会じゃしのう。農奴社会は。
>>310-311
戊辰戦争で勇敢であった京都府下桑田郡の農民兵の「山国隊」もね。
甲府城を攻め、背後から甲陽鎮撫隊が襲って来ても屈せず、逆襲し
大勝利した。地の利が読める山国猟師の狩猟の延長の戦闘が、
幕府軍武士団を倒したね。山岳兵が勇猛であるが、海に接してない兵は、
進取に欠ける部分があり、海岸の砂浜で鍛える方が健脚に貢献する等、
様々な考察すべき要素はあるね。地域風土でも、平野の少ないピリッとした
隙の無い安芸兵と、山地も多いが、平野も広い間が抜けて、大雑把な
風土の東北地方の兵とは違うよ。

319 :白馬青牛:2006/11/03(金) 00:34:13 ID:lE03aBct
>>313-316
苅田戦は、平将門以来上杉、武田等、東日本の伝統じゃろう。放火、
乱取りそのものが、苅田戦の後におきる。
http://homepage.mac.com/takashisa/sengoku/sengoku.html
この本は未だ読んでないが、東日本の民衆は憐れじゃ。
戦国民衆の視点で書かれた藤木氏も、東日本と九州の乱取りや人身売買の
例を多く書かれておられる。また、九州を除く西日本について、身代金に
よる人身売買は書いておられるが、それを持って全国的と解釈されとる
ように思う。毛利氏と武田氏の被官の扱いの違い、秀吉の拉致売買は、
「東国の習い」等、逆に地域差を現すもんじゃと思う。
弥生期のそれは、『東夷伝』の倭人生口。倭人は漢人の奴隷民じゃった。
日本記?は読んどらんけー、安芸人数百名の記録はどの項にあるんか、
提示して貰えんか?
苅田は、古代〜戦国期まであったが、近代以降も先の日華事変で、
日本軍、中国国民党軍もやっとったよ。憐れなんは、中国人民衆じゃ。
>>314
その資料は、手元に無いゆえ、確認出来んが、能島(あるいは来島?)の
水軍が大友氏の船や南蛮船を略奪した事じゃないんか。従順になったと
記されて無いと思うが。大友氏と三島水軍は交易相手で、水軍側が、
大友氏に朝貢した訳でもあるまいし。安芸でも労働力になる民衆拉致は
あったよ。じゃが、本場の東日本ほどでも無く、何処も一緒と云える
根拠も無い。武士団や村落の社会構成が違うゆえ、列島が同一に時代的
変化を辿ったとは云えんよ。


320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 00:51:39 ID:ROv0C0EQ
新潟と広島比べてみじめになるわけがない

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 01:01:01 ID:gxqGFAEz
最近は牛さんがこのスレに必要だと思うようになってきたなw
意見には納得は出来ないんだが反証を出してきたり
明確な視点(一方方向だが)で語られてるのが小気味良い。
中国だけやなくてよその地域からもこう言う人がわらわらでてくると
このスレは充実するな。

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 13:34:12 ID:NCYRFFp2
>>牛さん
関東での人取りも身代金や人質交換に根差すものですよ
秀吉は北条征伐以前に九州で度々人取りや人身売買の中止を命じている
無論豊臣の支配地域でも禁じた
「東国の習い」とは東国の特異性を示す意味ではない
藤木氏もその事に触れていますが
著書を読んでいるのならあなたも知っているはずなのに随分とセコい言い回しをするのですね
それと東日本が本場などと言っていますが
どのような根拠に基づいているのでしょうか?
事例など提示して頂きたい

あと、広島が全国トップクラスの被差別地区保有県である事に対する見解を頂いていないのですが?
そして西へ行くほど差別社会が広がっているのがほぼ定説になっていると見受けられる
現在も被差別人口の約80%は西日本に集中しています
あなたの言う事は全く逆です
これもどう言った理由によるものなのですか?

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 17:40:19 ID:shC6eYGC
>>牛
>>苅田戦は、平将門以来上杉、武田等、東日本の伝統じゃろう。放火、
乱取りそのものが、苅田戦の後におきる。

苅田が東日本の伝統という根拠は?苅田は毛利の功城の戦法として小早川隆景
がはっきり記しています。全国的には、苅田は武士に付き従ってきた下人が行う
卑怯な行為で、大将自ら放火、苅田、乱取りを禁止する布告を出して厳しく取
り締まります。
しかし毛利は自家の攻城の戦法として苅田を記しています。つまり下人のやる卑怯な
所業を公認し、大将自ら指示して行っているということです。安芸兵は上から下まで
下人並みのモラルしかなかったということですね。
上杉、武田等〜と言うのなら、上杉、武田が苅田を正式な戦法として記している文書
を示してください。陰徳太平記並みのじゃ困りますよ。毛利は小早川隆景並みの武将が
悪気もなく記しているんですから。
気まずくなると起源説に逃げる牛も下人並みに卑怯ですね。まあ安芸の伝統なのでしょうが。

あと「放火、乱取りが苅田戦の後におきる」とは初耳です。もしそうだというソースを持っている
のなら、放火、乱取りの引き金になる苅田は本当に卑怯な戦法ですね。

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 19:33:44 ID:4SNY0c6C

つまり東日本の伝統を安芸兵が学んだと言う事だろ

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 00:13:34 ID:MgWLCLfG
安芸の話はもう飽きた

326 :白馬青牛:2006/11/04(土) 00:26:07 ID:JgBgd6cm
>>320
実際日華事変でも、安芸兵の活躍に較べて、越後兵はミジメじゃった。
>>322
関東での人身売買が身代金変換もあったかも知れんが、東国農本主義では、
労働力確保の意味あいが強いんじゃないですか。人身売買を法で禁止
しても、人間と云うもんは、悪知恵が働くもんで、労働力を売り買いする
口入業者に転向すりゃええことです。
「東国の習い」は、藤木氏の云われる時代的なものじゃのうて、藤木氏は
民俗学的列島地域の社会構成も考慮せず、戦国大名なら、上杉・武田・島津
等、特定地域を例に偏って書いておられる。蛮行は近畿の松永の例も
あるが。毛利氏については、資料不足か、事例に乏しいんかのう?
リベラル派の藤木氏は、共産主義的な文献実証、社会段階論で書かれ、
民俗学的考察、フィールド・ワークに欠ける。
http://www2.aasa.ac.jp/people/kanare/1602.htm
最初の文に宮本常一氏の教えで「あるく・みる・きく」とあるが、
重要なこと。文献を漁るだけじゃあ、一語一句を額面通り捉える
カルト宗教になるよ。人間的経験がないと歴史資料はよう扱えんね。
最後のほうの文に、「東日本は有力な家を中心にそこに隷属する人たちで
構成されていた社会だ。これに対し西日本は、ほぼ同じ力を持った人々が
連携することで形つくられた社会を特徴としている。」東西日本の
社会構造を知らんもんが文献で妄想しても意味がないよ。

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 00:26:31 ID:2QY5ZicF
西国で刈田が行われていなければ、
長曾我部元親が伊予かどっかに攻め込んだとき、
刈田で全部刈るのは可哀想だから、半分は残しておいてやれ、って命令を出して
伊予の民衆からなんて慈悲深い殿様だ、と好感触を得た話はどうなるんだ?w

西国、少なくとも四国では刈田が普通に行われていたからこそ、この逸話があるんだろ。

牛、恣意的な情報の取捨選択は、恥ずべき行為だと認識しているか?

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 01:43:58 ID:zE5voFjB
>>326
戦国時代の話をしてるんじゃないのか?

板違い

329 :白馬青牛:2006/11/04(土) 02:04:23 ID:JgBgd6cm
>>322
被差別部落のことを云われるが、被差別民も中世は、隷属した農奴で無く
自由民ですよ。傀儡子も「自ら進んで彷浪し、王公が居ることも知らず、
傍らに村長がいても怕(おそれ)たりせず、課役税金がかからず
自由を楽しむ。」
東国の江戸政権も、被差別民を縛り固定化した側面も強い。
あなたは、近代的解釈で被差別民を見る共産主義史観で解釈しておられる。
>>323
毛利氏の苅田戦の記述は何処からの引用か?蛮行の代表上杉・武田・島津に
ついて記されたものは多いが、毛利氏ものは知られとらんので、引用した
文書を提示せいや。
苅田を攻める側がだけがやった訳でも無い。戊辰戦争の時でも、
奥羽連合軍が退却する際、民家に放火し捨石にして逃げとるよ。
日華事変でも中国国民党軍も退却する際は同じく。
http://home.n00.itscom.net/hasegawa/tagami/gomado.htm
資料の信憑性は検討せんといけんが、1に奥州の者による人妻を含む
女性の略奪、7に上杉景勝が空気を入れた一揆勢が、苅田をやっとるのう。
苅田、略奪が身近であった故の事じゃろう。
ほいじゃが、わりゃは「卑怯」じゃ、人に対して絶対使うたらいけん
言葉じゃに、平気で使う神経は、ほんま糞外道じゃわい。われの地元じゃ
「卑怯」云う言葉が軽い言葉なんじゃのう。
>>327
土佐の例でもって西日本では普通とは云えんよ。西日本でも、
朝鮮の役で、略奪した薩摩と慰撫した隆景さんら安芸人を一緒に
されてものう。苅田も根こそぎ収奪する場合と次回の略奪、侵攻や兵站の
確保の為残す場合がある。人の情報がどうじゃ、こうじゃ云う前に、
わりゃ何処の文書から引用したんか?云えーや。

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 02:15:43 ID:zE5voFjB
結局、広島が一番といいたいわけ?
あなたのせいでスレがものすごく殺伐としているから
どこかよそでやってほしいのですが


331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 04:11:54 ID:8MwX5P9y
安芸国守護武田家って甲斐武田の分家だろ、というか一時兼任だったかな。
もともと甲斐国の影響下では?

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 08:58:26 ID:1tAg/O9G
>>330
同感です。
もうウンザリしてきました。
そんなに広島自慢したいなら、自分のHPでやったらいいんですよ。
周りに迷惑ですよ。
誰もありがたがってないです。

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 11:48:43 ID:qM8FIB9n
廣島・もみじ民 :2006/10/14(土) 02:01:15 ID:Trs+O0oK0
>>418
わしゃは、アンチ東国、アンチ縄文文明、アンチ江南派、じゃけど。
ベッキー(翁)さんにもアンチじゃのう。


アンチ東国だから、仕方ないじゃけぇのう

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 18:35:29 ID:nP4tKOwK
関東アンチが目的なら他に行け。
他スレの書き込みも見ると、どうやらそれが目的のようだが。

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 19:31:59 ID:vpsA6fKo
広島第五師団はシンガポールで華人処断の名のもとに虐殺をやらかした帝國陸軍最狂のDQN師団

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 20:09:41 ID:SE2Mf+km
みんなもNG登録しろよ

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 23:45:17 ID:Z8DH95un
>>329
お前、会話が成立したこと無いだろ。

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 23:54:29 ID:EOv1NuUI
それで、京都って弱そうな気がするけど、どうなんだ?

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 00:32:07 ID:FqBJ1/H9
京都たって山城やら色々あるからなぁ。

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 00:37:51 ID:cB6fXJsE
山城だって木津あたり国一揆の連中と洛中じゃ全然別物っぽいしなぁ

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 00:41:37 ID:Bwy1anxb
牛が無理矢理に京都擁護するよ。

342 :白馬青牛:2006/11/05(日) 00:47:45 ID:Cgv1uTr9
>>330-332
余計な世話じゃ。
>>331
武田氏が守護であっても関係ない。社会構成において、安芸は西日本じゃ。
>>333
アンチ東国鎖国史観じゃ。
>>335
ここにも同じ事を書いとるんか。ご苦労なこと、お国自慢板に書いたよ。
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/chiri/1144579367/
の436じゃ。
>>337
会話の成立?わりゃは、自己の意見と同じじゃったら成立としとんか。
>>338
実例を挙げず、弱そうな気じゃ云うたら、自己妄想判断になるのう。

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 00:50:00 ID:B6dZeiW5
アホやこいつら〜夜中んなっても戦国武将の話しとる〜

発作か〜!

死んだちょんまげのおっさんどもの話でなんでこんな盛り上がるねん〜!

友達おらんのか〜!

爆笑じゃ〜!


344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 00:50:38 ID:WAOz7h8t
思っただけで、そこまで言われるのはひどい気がする

別に討論する気はないのですが、あなたが荒らしというのなら
そのレスはよくわかる

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 00:57:05 ID:o12sZ+AE
いや、腐っても鯛は鯛だから全国から一流武人を集めるくらいの事はできた。
洛中でも兵卒なら技術的にはひけは取らないレベルだったと思う。
北面や北嶺には精鋭部隊はいただろう。

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 01:00:09 ID:fIE85erh
三河は、今川時代からの搾取と忍耐で団結力がある。
越後は、謙信の統制が厳しくて強い軍団が出来た。
甲斐は軍法による組織力ある。
土佐は一領具足で野生の強さがある。

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 01:00:32 ID:WAOz7h8t
なるほど。
山城はあまり雑兵というものが少ないように思ってた

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 01:03:15 ID:B6dZeiW5
アホやこいつら〜まだ寝んと戦国武将の話しとる〜

発作か〜!


死んだちょんまげのおっさんどもの話でなんでこんな盛り上がるねん〜!

友達おらんのか〜!

爆笑じゃ〜!


349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 01:14:17 ID:o12sZ+AE
>>342
あ、ごめんまちがえた。
「甲斐武田家の影響下では?」ではなく「甲斐武田家の植民地では?」です。
失礼すますた。

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 01:17:18 ID:cB6fXJsE
>>345
全国から集めた武人を京洛の兵卒と呼んでしまうのはどうなんだ?

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 01:28:23 ID:WAOz7h8t
やっぱり、兵卒は他地域から見たら少ないんでしょうか?

352 :白馬青牛:2006/11/05(日) 01:48:05 ID:FWmpozPq
>>346
搾取による忍耐や統制、軍法による組織力、野生で強い軍隊が出来るんか?
妄想笑い話をしとるんか。圧制が兵隊を強うするんなら、兵士を退却
出来んよう鎖で繋いだらええじゃろう。中国国民党軍やソ連軍のように
専制体質の軍隊のように。笑い話が好きじゃのう。
>>349
安芸が武田の殖民地と云う表現も可笑しい。安芸は社会構成が
西日本型じゃ。安芸国人領主も、東日本系が多いが、国人連合も
傘連判状のように、横関係で、東日本の縦型主従社会とは違う。
ルーツを云うんなら武田氏も祖の義光は近畿系じゃし、形質人類学的にも
東日本の在来低顔、エラの張った四角顔の縄文系は、西日本や渡来系の
高顔の北方新モンゴロイドに人種的にも征服されとるよ。

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 02:28:08 ID:o12sZ+AE
え?縄文人は、西日本や渡来系に征服されたんでつか?初耳です。
幕末のコロリやアメリカネイティブみたいに海外渡来人からの伝染病で激減し
したのだと思ってましたよ。

あと武田氏は普通に甲斐と安芸の守護職だし・・・人類学的ルーツ論じゃないでしょ。

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 02:31:24 ID:I2ci29Yy
>>352
友達もなく、話し相手もいないあなたは、
ここでしか話しができないかわいそうな人です。

ニートで劣等感にあふれたあなたは、
広島の自慢をすることで自我を維持しているかわいそうな人です。

以上、私のプロファイリングでしたw

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 03:05:34 ID:7oLPkSoJ
リアルじゃ誰も相手にしたくないだろあんな奴w

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 03:17:03 ID:VxJeaXax
>>牛
会話というか、コミュニケーションは
相手の意見を理解しようとすると共に、自分の意見を相手に聞いて貰えるように努力すること。

地方でならいざしらず、地方という枠のないネットで、
権利だ自由だとか言いながら改めない奴に、会話が成立する余地はないよ。
ふと方言が出てしまうならご愛敬だが、あなたのは嫌がらせ。

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 03:37:07 ID:fEydiqk2
上杉謙信>織田信長>武田・毛利>北条
・手取川の合戦で上杉勝利
・長篠の戦で織田勝利
・三増峠の戦いで武田勝利

戦国最強の越後軍団

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 08:10:49 ID:z4GDL8Rz
うわ〜 で〜た〜短絡的極論。 待ってました  でも嫌いじゃないなこういうの。 牛さん! これだよ!! ツッ込み所満載の発言に根拠を持って楽しく検証してあげる。 と言う訳で誰か↑↑ヨロシク

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 10:57:54 ID:UKAnB/M7
もうすっかり狂牛をいじるスレと化したな

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 14:54:00 ID:Z/RXoFsE
>>352の白馬青牛さん江
どこか頭でも打ちましたか?
本当に統制や軍法による組織力、忍耐や野生味という兵卒の強さの無い武装集団が強いとでも思うのでしょうか?
義勇兵や一揆勢でも一個の兵卒に気構えや搾取に対する忍耐や恨みがあるからこそ強いのだと自分は思います。
それこそ兵士を退却出来ないよう鎖で繋ぐようでは強い軍隊はできないでしょう。

他人の意見を良く聞きましょう。
その上でもう少しオブラートに包んで意見してみては如何ですか?

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 17:12:42 ID:iEaZaf3C
関東を悪意満々でけなしておいて、自分が痛いところをつかれたら卑怯と言うな、って・・www
これじゃあ誰も相手できないと思うぞ。

↑のような呼びかけは、もう何回もしてるのにな。

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 21:20:47 ID:7oLPkSoJ
いっそ広島民国で独立すれば?



363 :白馬青牛:2006/11/06(月) 02:26:10 ID:PA8DAf5r
>>353
日本本土の縄文人は、渡来系に人種的に征服されとるよ。
伝染病は、弥生後期の青谷上寺地遺跡の人骨に見られるが、
古墳時代に多いゆえ、土着民が人口を減らした可能性は否定せんよ。
社会構造を無視し、守護職じゃ云うても意味がない。
>>356
何、人につまらん説教しとるんか。人に努力せいじゃ、自分の意見と
合わんもんは会話の成立する余地はないじゃ、拒絶しとるんはあんたの
方で。嫌がらせしとるんは誰なら。
>>357
妄想全開の鈍重越後君じゃのう。
>>360
あんたの、忍耐、野生味云うんは抽象的で推測に過ぎんよ。兵卒の強さは
訓練、連帯感、戦闘知力の要素が強い。
まあ、搾取に対する忍耐は、無批判な恭順性となり、恨みは、より弱い方へ
向けられる。兵士を精神的に鎖で繋げて逃げれんようにしたんが、
旧国軍の欠点じゃった。

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 02:57:08 ID:X3IdKctA
牛乙! (=゚ω゚) ノ 

>社会構造を無視し、守護職じゃ云うても意味がない。

おいおい、ムチャ言うなよw社会構造で守護職を決める訳じゃないんだから。

>兵士を精神的に鎖で繋げて逃げれんようにしたんが、旧国軍の欠点じゃった

つーか脱走兵は普通に銃殺じゃんw 戦争中ですよ。

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 03:06:33 ID:TqTWqJjQ
牛よ、人の意見にケチつけてばっかいないで自分の主張してみたら?
>>357だってちゃんとした主張なんだから。ケチつけるんならアンタはどう
思ってんだよ


366 :白馬青牛:2006/11/06(月) 03:11:24 ID:PA8DAf5r
優秀な兵士と云うと八路軍兵士じゃが、彼らの同志愛が精強な部隊を
作ったと云える。
http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/417_1.html
八路軍の少年兵が戦闘を一種のゲームのように考え、わずかな距離を
置いて撃ち合っていても、八路の少年兵たちは笑声をまじえて雑談
しあっている。
後半に、広島第5師団の浜田と山口の聯隊が苦闘した崑崙関(広西人が
英国軍を撃退した場所。)の戦闘が出ておる。広島第5師団と中国軍の
戦いが、武田勝頼軍と織田・徳川連合軍の戦いと似通っておると伊藤氏は
云われるが、武器や糧量に欠き、竹槍を持って攻撃した広島第5師団の
ような状態に勝頼軍があったこどうか。兎も角八路軍については、
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/an1/hansen.htm
にも、八路軍について書いてあるが、思想云々は兎も角、自分で考えさせ、
本を読ませ、講義を聞かせる等、戦闘知力のある優秀な兵士を作った。

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 04:00:52 ID:F88dH/q0
なんで日本の戦国時代の話に、支那の八路軍が出てくるのかねえ?

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 08:36:09 ID:nGg0aGM6
つまり結論は、旧石器時代から明治まで広島人は特に歴史上で活躍する事無く、日露戦争くらいからボチボチ活躍しだして、太平洋戦争を頑張ったと(^.^)b  そして何故か中国共産党と仲良しこよしと言いたいのか…  なら納得

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 12:33:27 ID:OqVeL7HN
それで、一番強いではなくて強め、弱めで考えると…

地方は強め、
畿内とか駿河とか都チックなところは弱め

と見た

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 12:39:08 ID:S0pvvyrZ
人格批判や考察抜きの煽り入れてる奴なんなの?
スルー耐性ないな
あぼーんにして自分らは自分らで語れないないのか?
おまえらの煽りしか見れないぞ、全く。

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 12:44:48 ID:OqVeL7HN
で、やっぱり地方というか田舎の人は強いと思うんだわ

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 16:29:45 ID:mbXxWADF
なんだ。出稼ぎの中国人だったんだ。
じゃ、これからスルーだな。

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 20:34:14 ID:En+G4gw2
あと強い、と言うのも特化したものが有ればこそ。
瀬戸内なら海にたけ、関東なら騎馬、の様な具合に。

長短を考えないで、一元的に強い弱いを論じるのはどうかと。

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 21:00:30 ID:F02AyZBG
>>352
お前は馬鹿か?強い軍隊が出来るかどうかは、大名の指導力次第だ。
地域別の条件を生かすかどうかだよ。

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 22:47:28 ID:/kMBDnVu
戦前の日本の軍隊において、徴兵した兵卒の質を出身都道府県別に査定してみた記録によると、
全体レベルとしてもっともすぐれて精悍だったのは佐賀県からの兵士だったとか聞く。


376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 00:01:41 ID:ALQaA7aU
〈うしの効能〉
うしがいるとスレが盛況。
うしがいなくなったら過疎る。

http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152023682/l50

377 :白馬青牛:2006/11/07(火) 00:13:31 ID:+yr1SaDx
>>367-368
戦国時代と近代の日本兵、郷土兵士の性格に相違性があるんか?
朝鮮の役でも兵站を無視し、補給に苦しみんだ事は日本陸軍もそうじゃし、
石田光成らと昭和の参謀、上層部も類似しとるんじゃないか。
http://world-reader.ne.jp/renasci/history/okazaki-060922.html
に、地理、地形、風土を無視し、『机上の作戦を立てても現地では通用
しないのである。東条は陸軍大学での作戦の攻防の授業の延長のように
考えて指令するのが好きなのだ。東条は「戦争ゲーム」をしていた。』
「戦争ゲーム」と云うんは、八路軍の少年兵の実戦のそれとは違い、
日本の上層部は、机上の妄想で作戦を立てた訳じゃ。
上の方に、第5師団が『「広島鯉兵団」と呼ばれ、日本一の機甲兵団として
最強を誇った。』と出ておるが、歴戦・武勲から当然の事。現在のプロ野球
の「広島鯉兵団」(カープ)は、残念ながらさえんのう。
>>145>>146の朝鮮の役でも安芸勢は奮闘しとるし、日清戦争にしても、
緒戦から闘うとるど。中共の政治体制を誉めたことは無い。チベット侵攻に
しても。権力が出来るまでの八路軍は興味深いが。

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 00:20:46 ID:Pm029Sqp
ここは戦国時代板、おk?
日本近代史じゃないから、よろしく。
しつこいとそれ相応の対応とらせてもらいますので

その話題にふさわしいところが他にあると思いますよ。
すみわけたほうがお互いにとってメリットがあると思いますが

379 :白馬青牛:2006/11/07(火) 00:41:05 ID:+yr1SaDx
>>369
近畿や駿河も弱いこたーないど。駿河・伊豆の壮丁で構成された
静岡聯隊は、歴戦の名古屋師団の中でも随一の精強じゃった。
二番目に三河の豊橋聯隊ぐらいじゃろう。静岡聯隊は、フォッサ・
マグナ以東の地域で一番強いかも知れん。安芸吉川氏もルーツは駿河で、
駿河時代から吉香は勇猛じゃった。それと安芸天野氏のルーツは伊豆。
駿河・伊豆は、山地が多い地帯でありながら海の進取性を持ち合わせた
優秀な兵士を生む。
>>373
瀬戸内の水軍も小型船戦法で大陸の水軍に対抗出来んし、関東の騎馬技術の
拙劣さも再三書いとるよ。世界に通用せん水軍や騎馬を自慢しても、
日本の恥になるだけじゃ。
>>374
強い軍隊が出来るかどうかは大名の指導力次第?兵隊を将棋の駒ぐらいに
考えとるあんたが、指揮しても失態するんがオチじゃ。上層部に無能な
人間が多いんは、戦国期も近代も変わらん。朝鮮の役でも明らかじゃ。

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 00:42:23 ID:YeO6UNc+
朝鮮の役か
朝鮮で奮闘という言葉がもっともふさわしいのはまあ泗川の島津勢だな
名島30万石の小早川隆景も碧蹄館や晋州城攻略で活躍してるな
あとは黒田・小西・細川・立花・宇喜多・加藤清正あたりか
で、毛利輝元以下3万は慶尚道で何をやってたんだっけ?誰かおせーて

381 :白馬青牛:2006/11/07(火) 01:01:22 ID:+yr1SaDx
>>375
徴兵した兵卒の質を出身地別に査定?何時、誰が、どのような査定を
したんか。また九州のハッタリ癖か。マレー戦で、脇役の
久留米第18師団が主役の広島第5師団に対しての嫉妬かいの。
>>378
歴史で、その該当時代を考察するには、過去や近現代の事例も考慮せんと、
全体像が構築出来んのは当たり前のことじゃないか。
しつこいとそれ相応の対応をとらせてもらいますじゃ?
わりゃは、人を恐喝しとるんか。柄が悪りいのう。メリットじゃ利害
なんぞ余計な世話じゃ。わりゃは、押し付けがましゅう人に強制すなや。
ほんま、あつかましい人間じゃわい。

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 01:09:28 ID:8jpNf+lQ
わりゃ

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 01:13:44 ID:ypwapdme
そろそろ本気でそれ相応の対応を取ろうぜ。

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 01:17:52 ID:YeO6UNc+
わりゃ(笑)

385 :白馬青牛:2006/11/07(火) 01:21:33 ID:+yr1SaDx
>>380
泗川の戦いのう。島津勢の犠牲者が少ないんは、激闘じゃなかった
云うことじゃ。碧蹄館は、朝鮮の役の最大の決戦で平壌方面から
敗走した日本軍の死中に活を求めた戦さであり、較べようがない。
前線で苦闘した部隊と島津のように、高麗人カクセイ狩りを
やっとった部隊と一緒にされてものう。
毛利軍は蔚山で加藤を救援し共に籠城戦にしとったよ。
吉川勢の明軍を敗走させた功績も光る。
島津は、小国の琉球相手にてこずっておるが、得意のハッタリが
効かんかったんかのう。

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 01:45:45 ID:NI/ZF/3K
なるほど、死傷率が低いと激闘ではなかった、という事ですか。

つまり、ザマでローマ側の死傷率が低かったのは激闘でなかったから、と言うことですね?

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 02:29:20 ID:aPtyyIst
>>385の白馬青牛さん江
死傷率の度合いで激闘か否かという判断をしてるようですが

泗川の戦い
・戦力
島津軍:7千 明・朝鮮連合(董一元)軍:三万七千〜二〇万
・死傷
島津軍:二百以下 明・朝鮮連合(董一元)軍:三万八千七百十七〜八万

連合軍の戦力を話半分としても損害は最小で一九.四パーセント。
最大で四〇パーセントと、連合軍は多大な損害を受けています。
「三〇パーセント消耗の原則」を用いますと連合軍は『全滅』しています。
最小の一九.四パーセントでも「二〇パーセント消耗の原則」がほぼ当てはまり、正常に機能しないことになります。
これだけの戦果を挙げた戦いが激闘ではないとは考え難いと思います。

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 07:12:59 ID:xa4P7+cC
しょうがないよ。毛利得意の苅田狼藉戦法じゃ無用な死人がたくさんでるからね。
ちなみに無辜の民を巻き込んだ「戦闘による」死人じゃないけどね。

しかも「碧蹄館の戦い」って小早川隆景が薩摩得意の釣り野伏せ戦術を駆使して
勝った戦いだろ。明軍に突撃して壊乱させたのは立花宗茂だしな。



389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 07:30:26 ID:YeO6UNc+
関ヶ原で1500人が壊滅後、薩摩大隈2国になった島津が10日かけて琉球制圧して→苦戦となると
安芸兵には2日くらいで陥としてもらわないとな。苅田狼藉戦法でw

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 12:10:23 ID:+ZNHw0v1
安芸人が粘り強いと言う事は証明されてるなw
この数相手に連日よくやる。

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 12:40:23 ID:tK+M+Enl
まあ、牛君のハッタリはツッコミ所満載だから結構楽しんでいるよw
もちろん都合の悪い所はスルーされてしまうので少し寂しいがw

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 17:52:12 ID:ILGFlzXo
>>390
粘り強いというか進歩しないというかw

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 19:31:38 ID:tK+M+Enl
まあ、あれだけ書き込んでも誰も安芸兵が強いと思われてない所が哀愁が漂ってイイんだよ

ところでヤクザと武芸と総理大臣とカカア天下の国上州はどうよ。

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 19:36:10 ID:dvdmPO7r
継続は力なりというが曲がりなりにも認知というか受け入れられつつあるなw
確かに俺自身牛さんが書き込んでないと寂しかったりするからな
名物牛。

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 23:00:39 ID:j3mXzUXe
毛利は関ケ原も大阪も不戦敗の為に強さ測定不能。 強いかもしれんがヘタレと言うことで

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 23:18:38 ID:fk/VkzwT
第五師団も太平洋戦争の初期のアメリカとあたる以前では活躍できたが
後期になると空気的存在感で気づいたらソ連に降伏したりしたあたり、通ずるものがあるな

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 00:17:52 ID:gQaPgMh9
やはり島津でせう。

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 00:41:57 ID:bh2Qc/ks
島津なら立花の方が戦国的には強い希ガス。

399 :白馬青牛:2006/11/08(水) 00:53:37 ID:yXA4zSMv
>>387
明・朝鮮8万死傷は、島津氏が高野山の供養石碑に8万人を討ち取った
云うんが根拠か?死傷者も戦闘員だけじゃのうて、「男女生子迄も残らず
撫で斬り致し鼻をそぎ其日々塩に致す」と民衆男女や赤ん坊まで含む数と
追撃で逃げる敵を多数殺したとしても、死傷者数は上増し数じゃろう。
じゃが、島津と明の関係は疑問点も多い。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/rekishikou/003/re_003_040326.htm
「鼻切り島津軍の蹂躙好きは兎も角、島津は明と内通しとった疑惑がある。
義弘氏が、明より豊臣政権に尽くす意思を持っておったように書いてあるが、
義弘は、秀吉に対し抗戦論者じゃなかったか。島津は、文禄の役で遅れて、
来るし、肥後にもちょっかいを出し、肥後侵攻意欲もあったろう。
薩摩人は、頭がええし、利に聡い商売上手。幕末でも昨日は会津、今日は
長州じゃ。平気で裏切る腰の軽さがある。南九州でも隣国の肥後や
特に日向の方が余程純心で、薩摩は商人気質じゃろう。越後商人、
甲州商人も名高いが、人身売買蹂躙三大王国は、商人気質が強いのう。

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 01:20:56 ID:ajsmx7+m
ドン五里仙台人ですが、私自身逃げ足の速さには自信があります

401 :白馬青牛:2006/11/08(水) 01:25:05 ID:yXA4zSMv
>>388
>毛利得意の苅田狼藉戦法とまだ根拠の無い事を云うとる。じゃけー、
根拠を提示せーや。隆景さんの戦法が薩摩起源や立花宗茂を持ちあげる
九州ハッタリ喇叭をぷっぷ吹いてものう。
http://hamuzo001.web.infoseek.co.jp/kobayakawa.htm
碧蹄館の戦いが、ここにも出ておるが、先手一の手の立花宗茂が
打ち破られとるど。秀包さんや桂氏、内海氏、粟屋氏、白井氏等安芸勢は
激戦を奮闘しとる。

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 01:32:01 ID:Vpfjd+F2
おいおい。微妙に話をずらしてないか?

鼻削ぎ落としは首級の代替だろ?それを言ったら戦国時代の武士は全員罪人。
現代の倫理で過去の歴史を裁くのは考察でも何でもないぞ。

で、島津の疑惑を言う前に小西と明軍が共謀して、お互いに敵を討ち取った数を
本国にうまく報告したいから朝鮮人の死体を送りあったことも言うべきだな。

牛はまともに反論できないもんだから悪意に満ちた工作活動に忙しいなw

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 01:58:48 ID:geHXfQ7d
そこのトップページに思い切り坂東平氏の子孫たちの興亡て書いてるのがセツナス
しかし牛のもってくるソースは陰徳太平記や通航一覧やらゴミ売やら説得力がありすぎて悶えるぜ

>第六軍が小早川隆景、毛利秀包、立花宗茂、高橋直次、筑紫広門ら筑前の大名で編成され、一万五千の軍勢で渡海した。
>第六軍は釜山に上陸すると、全羅道を漢城に向けて進軍した。しかし、平壌まで戦線を拡げていた小西行長が明の大軍に
>大敗を喫し、在陣奉行として渡海していた石田三成は、朝鮮半島の戦線が拡大しすぎていることを懸念、軍勢をいったん
>漢城に召集した。文禄2(1593)年正月26日、漢城に集まっていた日本軍三万と李如松らが率いる明軍二十万が漢城
>郊外の碧蹄館において合戦し、大勝した。しかし、この合戦で得たものは何もなく、急速に和睦の話が進んだのである

そのページによると碧蹄館では筑前兵卒が一番活躍したと書いてあるな。

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 02:13:34 ID:DjffoMPq
>>402
捏造乙。碧蹄館の戦いの後に石田三成が立花宗茂に向かって行った言葉は知らないのか?
「今度当国在陣中、度々の御働は申に及ばず、中にも碧蹄館の先陣、抜群の御手柄なり、、、」
立花軍は緒戦で明軍を破ってる。常識です。

あと小早川隆景の書いた「永禄伝記」知らねーの?攻城戦で苅田が出てくるぜww

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 02:15:19 ID:DjffoMPq
↑間違い
>>402じゃなくて>>401ね。すまん、すまん。

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 02:23:33 ID:0q8TDEF+
>>401
ざっと見てとりあえず5箇所くらい突っ込みたくなったw

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 03:53:00 ID:bh2Qc/ks
牛乙! (=゚ω゚) ノ  さあ遊ぼうか。

「立花宗茂」
碧蹄館の戦いでは、小早川隆景が「立花家の3千は他家の1万に匹敵する」と評するほどの
獅子奮迅の活躍により、鉄砲の速射や、奇襲戦を活用し、数を誇る明軍を撃破し、
多大な戦功を上げ、秀吉から感状を拝領した。

更に慶長の役の蔚山での戦いでは、明軍の十重十二重の包囲を受け加藤清正が
窮地に陥っていることを知ると、宗茂はわずか500の兵を率いて夜襲を行い、
明軍の包囲網を突破し、加藤清正を救出した。
加藤清正をして「日本軍第一の勇将」と絶賛させた見事な戦いぶりであった。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%AE%97%E8%8C%82

カッコ良すぎだぜ立花宗茂。なあ牛。

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 06:32:01 ID:G+aIDTCo
>>407
おいおい、牛は損傷率が高くなければ勇戦したと認めない奴なんだぜ?
立花宗茂が味方の損傷率を抑えて戦っていたら、
牛にしてみれば虐殺に他ならないんだよ?

まあ、世間ではそれを名将と呼ぶんだが。

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 07:18:22 ID:5b46T0u6
盛 り 上 が っ て 参 っ た

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 09:34:26 ID:Vpfjd+F2
牛のソース読んだけど、小早川秀包って見事な負けっぷりじゃね?
うまく体裁整えて書いてあるけどさ。捏造してまであたかも立花が惨敗したせいにして。

で、牛はそろそろ近代戦を出してくるのかな?ここは戦国板ですよ。

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 14:59:08 ID:cG5Gg5Cf
おまいら牛すきなw
牛乙
牛に聞きたいが安芸以外の名将って誰がおるん?

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 20:57:45 ID:f0ere92D
なあ、そろそろ
牛 迷 言 集 を編纂しないか?w

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 21:11:51 ID:zDsFOt/b
700くらいいってからでいいんじゃないかw

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 21:29:56 ID:jfqsDiFM
>>399の白馬青牛さん江
損害が八万と報告したのは明側ですよ。
島津側は三万八千七百十七と報告しています。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%97%E5%B7%9D%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
島津側の報告は、はたして『民衆男女や赤ん坊』を含めた数なのでしょうか?
仮に明側との誤差四万を『民衆男女や赤ん坊』としても、島津側の報告は純粋な連合軍の損害と見做せるわけで
>>387で書いた通り、損傷率は一九.四パーセントになります。
この数字は大戦果と呼んで差し支えないでしょう。
どれ程鮮やかに戦おうとも三万八千を超す死傷を与えた戦いは激闘と呼べるものだと自分は思います。

ちなみに連合軍の兵力二〇万は頭に『呼称』と上記のサイトで表記されています。

415 :白馬青牛:2006/11/08(水) 22:11:20 ID:j7Er9lyX
>>402
現代の論理で、歴史を裁いとるんはマルクス共産主義史観による時代発展の
段階説で考察し、地域別に考察しとらん、あんたの方じゃ。戦闘を知らん
安国寺恵瓊さんも朝鮮の民慰撫派じゃったが、他地域はどうかのう。
小西も島津と同じく撤退交渉しとるし、越後人の坂口安吾氏も、小西行長と
沈惟敬の文禄の役の和議(商談)について書いておられる。さすが、
越後商人と云える洞察力で作家ながら、坂口氏の見解は感心させられる。
悪口を云われた仙台人は、坂口氏をボロクソに、けなすであろうが。
>>403-404
坂東平氏と起源論か。坂東の人種的に渡来系や近畿系に征服されたん
じゃし。筑前の大名云うても、>>401の桂、内海、粟屋、白井諸氏は
安芸の武将じゃ。今日も、立花の九州ハッタリ文書で喇叭を吹いとるのう。
それは後として、「永禄伝記」のどの項から引用したんか具体的に書け。

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 22:34:19 ID:mnbxnijr
戦国武将にさん付けってなんか新鮮だなw

織田信長さん
羽柴秀吉さん

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 23:01:16 ID:f0ere92D
でも小西行長は呼び捨て。

418 :白馬青牛:2006/11/08(水) 23:07:59 ID:j7Er9lyX
>>407
九州立花ハッタリ物語が根拠か。秀吉からの個人感状が珍しいんか。
http://www.yoshimi-rekishi.or.tv/iwami1.htm
に、石見の吉見広行さんが、蔚山籠城戦での奮戦で感状を得たことが
出とるが、激戦の将士に感状は当然の事。小早川秀包さんは、碧蹄館の
功績で、5万5千石(実質7万5千石)の加増となったが、
義兄弟の立花宗茂さんは、対島津戦の功で13万石。ほいで碧蹄館の
功績が多いと云うんならどのくらい石高が加増されたんか?調べた処、
見当たらんので、是非加増石高を提示して貰いたい。
蔚山の話は、軍令に従がわず独断で蔚山の加藤を救援した吉川広家さんの
功績に、清正さんが、馬印を送った話のパクリか?蔚山攻防に背後から
明軍を襲い打撃を与えたんは、毛利秀元さんじゃし。蔚山の宗茂さんの功績
もハッタリなんかのう?兎も角九州の資料を検討する時は、白髪三千丈
が多いんで注意が必要じゃ。近代でも、『熊本兵団戦史』に第二次長沙作戦
の敗北の記述が無く、元熊本58Dの川崎春彦氏の58Dの犠牲が多かった
衡陽攻略を書いておられん。広島の『第十一聯隊史』が都合の悪い華僑
粛清を書き、その他の郷土資料でも宜昌作戦の敵性部落への放火や、
上官の命令で捕虜を殺害したことも素直に書いてあるし、中共側や国府軍側
の中国、台湾の資料と我が軍の見解等、広い視点で記述してあるんは、
郷土の誇りじゃ。深い考察も無い、薄っぺらなwikiを挙げても意味が
無いよのう。九州の隠蔽虚勢資料を引用しとるんじゃろう。

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 23:16:08 ID:0CsheWNa
牛はどんな文献から引用しているのか挙げろ
話はそれからだ

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 23:29:06 ID:M0YRgq0m
ソース1:陰徳太平記
ソース2;そこらへんの都合のいいことがかいてあるサイト

以上

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 00:09:11 ID:3omrUn6c
まぁぶっちゃけ牛はすごいよな。
なんだぁかんだぁ良いながら誰かにかまってもらえてるし。
牛の人気に嫉妬w

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 00:37:57 ID:4SiUOvKp
>>415
>>402をよく読め。「論理」じゃなくて「倫理」だ。狭い了見でしかものを考えないから
目が効かなくなったか?www
で、安国寺恵瓊を「さん」付けするほど敬愛しているようだが小早川隆景の遺言三か条を
知らないようだな。
「其二に曰く、安国寺と曰ふ僧は勝れて利口の大侫人なれば、人の国家をも覆すべき者なり、
彼が謀にくみし給はば、国歌を失ひ給ふべし、必ず愼みて彼に欺れ給ふべからず。」
まあ小早川は関東武士の流れを汲むから牛は嫌いなんだろ?

>>415の後半は意味不明だ。負け惜しみか?見苦しいな。

碧蹄館の戦いの捏造も認めたら?反論するのに随分調べたんでしょ?
どの資料も立花宗茂戦功第一だったから苦しい言い訳か?
ちなみに>>404の石田三成の言葉は碧蹄館の戦いの宗茂の抜群の功績がすべて宇喜多
秀家の功に成ってしまったから三成自身が秀吉に口を利いて上げようと申し出て
る内容だ。立花宗茂は断ってるけどな。

自分の捏造と勉強不足を棚に上げて人にソース出せって言うのはマヌケだなww

423 :白馬青牛:2006/11/09(木) 00:37:59 ID:WGVlhGTS
>>414
損害8万と>>399の高野山の石碑文には「泗川表大明人八万○○」
http://www.realintegrity.net/~shimadzu/shimadu-histricsite/kohyasan/shimadzu-korea.htm
に、出ております。戦闘報告は先の日華事変でも、追撃した時、人情から
見逃した兵も加算されとる事(しばらく休んで時間を見計らって戻り、
殺してもおらん殺害人数を報告する。ただし純朴な兵は本気で敵を
殺害する)は郷土資料にもあります。朝鮮の役の時代なら、蹂躙した
地帯で予備の鼻を確保し、それを戦闘の成果に加算すれば良いでしょう。
敵側が敗走のおり、村を略奪し住民を殺した遺棄死体からも鼻は取れます。
最前線兵士と敵側兵士との物々交換でも要求出来るでしょ。(実際に
日華事変でも、戦闘では殺し合うが、交戦以外は物々交換があった。)
文書を額面通り解釈するんは、現代の法律がそうなんじゃけー、
交通規則通り時速制限を日本国民のドライバーが全員守った云うような
もんですよ。我々は、法を犯してでも前の車の流れに合わせる訳で。
日本は尊法主義の国民では無い訳です。世の流れに乗っておるんです。
こういう現実を無視して机上の妄想をするんが、戦前の軍上層部や現在の
官僚や歴史なら文献史学者もそうでしょう。また話がズレたか。
何かのきっかけで、様々な現象を云うんが、わし流です。
しかし島津氏の泗川戦には、あなたの云うよう激戦に含まれるんじゃないか
と様々な見解があるでしょう。薩摩の守備隊500名の内戦死者150名を
出したとか、防戦から追撃に移転した時期の島津軍の死者は爆死2名かの?
http://www.ijyuin.com/seinenbu/ijyuin-townhistory/ijuin,no,rekisi,honnprn.htm
今回は「日置市伊集院町の歴史」から見てみた。

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 00:48:51 ID:TlRDgoFW
>>418
蔚山城は何度か攻められてて、毛利秀元の蔚山救援は1597年12月から
98年1月の話で、立花宗茂は5月に救援してるんだがな。

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 00:50:04 ID:2MJCInFM
郷土資料を全否定はしないが
ある程度の確からしさしかないことは
頭に入れておいたほうがいい

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 00:59:26 ID:uStWvvg4
牛乙! (=゚ω゚) ノ  さあ今夜も遊ぼうか。
しかし最近、牛イジリがマイブームになっちまったなw

>>418
>広島の『第十一聯隊史』が都合の悪い華僑粛清を書き、その他の郷土資料でも
>宜昌作戦の敵性部落への放火や上官の命令で捕虜を殺害したことも素直に書いてある

これは素直に戦争犯罪じゃね?熊本兵団の作戦失敗や軍人同士の戦闘被害とは別次元の話。
刑事事件と軍事作戦は同列には語れない鴨。

んじゃ、また明日。(=゚ω゚)ノシ

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 01:05:45 ID:RktaUOfc
牛語録 まとめ編

近現代の第五師団の功績→師団長・参謀の交代による影響は無視。誰が指揮しても広島県人は強い。
                  マレー攻以後の太平洋戦争の戦歴についてはスルー
戦国時代の毛利家の功績→兵卒の出身地(筑前・防長その他)は無視。大将・侍大将が安芸武士団ならどこの兵卒だろうと強い
                  あと朝鮮の以降の毛利家のヘタレぷりもついでに無視 
カープの戦績→残念ながら擁護しようが・・・

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 01:08:14 ID:uStWvvg4
あ、そういや首の代わりに鼻を削ぐ場合はヒゲを少しくっつけておかないと
兵士の首とは認められない場合があったとか。
朝鮮の役ではどうだか知らないけどね。

んじゃ、お休み(=゚ω゚)ノシ

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 01:12:11 ID:4SiUOvKp
まあどっちに転んでも兵卒は九州兵という結論だな。悪かったな、牛。

釣り野伏せにひっかかった牛隊全滅

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 08:00:08 ID:ygsCYGxx
>>423の白馬青牛さん江
「日置市伊集院町の歴史」を拝見しました。
追撃戦時の損害が二名のみというのは流石に信じられませんね。
もっと損害がでそうなものですが、
・戦闘可能な負傷者は損害には含まれてない。
・戦闘不可能な負傷者でも戦闘が終了した後に死ねば戦闘時の損害ではない。
これ位しなければ万単位の軍が戦って一方の損害が二百足らずというのは有り得ないと思います。
そう考えると連合軍の損害報告には戦闘不可能な負傷者が多数含まれているのかもしれませんね。

島津側の戦果を虚偽の報告や民間人で水増ししているとしても、連合軍側の損が報告のほうが四万以上も
数が多いのが気になりますね。
脱走兵と考えた方がいいのかも知れませんが、俄然数が多すぎます。
やはり島津側の報告には虚偽や水増しはそれほど無かったと考えた方が自然かと思われます。

>>423の文はとても読みやすかったです。
無理にとは言いませんがこれからも願いしますね。


431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 09:03:39 ID:eOH5GyGX
スレ住民にこう言う認め方をさせるコテもいるのか
力押しと言うか無骨者と言うか
もはやみんな楽しんでるだろw


432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 09:16:25 ID:7vwRXH3t
耕す土地の質

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 17:10:05 ID:3omrUn6c
>>432
言い得て妙なり

434 :白馬青牛:2006/11/09(木) 23:45:10 ID:hY+fIJVv
>>424-426
相変わらず、宗茂さんの功績による加増を提示せんのう。隆景さんや
清正さんが宗茂さんを誉めた話も胡散臭い。戦場での蛮行は、九州兵団の
独壇場じゃろう。慰安婦を連れとるのに強姦するは、このスレにも
書いたか。熊本第13聯隊輜重隊の○○○元伍長の記にも、戦闘で捕虜に
した少年兵を歩兵達が奪い取り、伍長の面前で刺殺した話がある。
伍長「それでも日本兵か。赤ん坊みたいな者を殺して気持ちいいのか、
無抵抗で降参した者を大勢で殺すのは卑怯だ。」
歩兵「第一線を知らぬ輜重隊が何をいうか。毎日毎日戦友が殺されてみろ。
口惜しくなるのが当然だ。仇を討つのがなぜ悪い、お前はチャン(支那兵)
の方が正しいというのか。」
伍長「俺はただ君達歩兵は日本の武士道と云うものを重んじているだろう
と思ったからなんだ。」
逆に云うと、九州の人でも、温情を持つ武士道を知る方もおられた云う
ことじゃけどね。
じゃが、北清事変(義和団事件)でも、世界に軍紀厳正を示した
広島第5師団を愚弄するとはのう。今村均将軍は、「南支攻略軍、
(久留米18D等)の占領した市街の多くは、広東をはじめ、市民が悉く
避難しているのに、仏山一帯(広島5D占領)は、日本軍と生活起居を
同じくしている。皆このようにあらねばならぬのに、正反対の状況を
呈しているものが多い。これは国軍の仁義にもとる、遺憾のきわみだ。」
「仁義」に厚い広島師団の戦闘は「仁義なき戦い」じゃないど。

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 23:49:55 ID:/YbucUU6
伏字にする意味がわからん
牛も広島第5師団とやらを見習え

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 23:58:47 ID:9kLyzJEI
しかし広島第5師団とは凄いんだな
何でそこだけ突出して強いのかは疑問だが。


437 :白馬青牛:2006/11/10(金) 00:33:35 ID:BpinXvl+
>>427
辻政信参謀が作戦を立てた、山西省の戦い、特に忻口鎮では苦闘したよ。
山口第42聯隊は全滅状態まで追い込まれた。山口聯隊を指揮した
大場聯隊長も会津人じゃけー、非難の手紙が来たり苦労された。
辻さんはマレーでも机上の作戦を立て拙劣な立案に兵士は苦労したが、
前線将兵の奮闘で勝利した訳じゃし、師団の歴史にいつも名将に恵まれる
訳ない。また、名将の今村均将軍でさえ、南寧で敵に完全包囲された。
ほいじゃが、名将の条件は戦術より人徳の要素が強い。
マレー戦以後の浜田聯隊が宇都宮51D兵士に戦闘を教えたことも
書いとるよ。>>401に書いとるよう、朝鮮の役の小早川軍には、
安芸国賀茂、豊田郡備後も含む三原衆が多かったよ。兵隊も動員するんは
当然じゃ。三原衆は豊臣の養子の秀秋さんの代で、多くは安芸に戻るんじゃ
けどね。関ヶ原の安芸勢は、前線で戦うとらんし、云うても意味が無い。

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 00:50:45 ID:nw2GQPee
牛は都合の悪いところはすべて無視するんだな。

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 01:24:54 ID:MygfV3dt
>>434
>>相変わらず、宗茂さんの功績による加増を提示せんのう。隆景さんや
>>清正さんが宗茂さんを誉めた話も胡散臭い。戦場での蛮行は、九州兵団の
>>独壇場じゃろう。

話が全然繋がってねえw
加増が無いから功績を認めないってのも凄い論理だがw

440 :白馬青牛:2006/11/10(金) 01:25:26 ID:FhMnASQG
>>430
明側でも戦死者数は、勝った時も、負けた時も加算されるでしょう。
日華事変でもようある事です。明・朝鮮軍が泗川にどれだけ兵力を
投入したんか解りませんが、泗川に8〜20万とは考えられません。
http://www.h4.dion.ne.jp/~kosak/korea.htm
に、よると、明・朝鮮連合軍は、4路に分かれ、中路軍と東路軍を合流で
3万6700で泗川の島津軍と戦い敗れたとされます。明軍も東路西路も
あり、中路の島津軍だけに大部分の兵力を投入することも出来んでしょう。
「鬼石曼子」と呼ばれたとありますが、近代の薩摩壮丁も含む、
熊本第6師団も「赤鬼」と呼ばれたようで、歴史的な因縁ですかね。
まあ中国人の云う鬼は亡霊や憎しみを持つ相手を表現する意味なので、
日本語の単純に勇敢なイメージとは違います。中国では、日本人を蔑視する
時には「小日本鬼子」と云います。戦前でも中国語の知識の無い兵士は、
鬼と云われ、我々日本兵が勇猛に思われとると喜んでおったそうです。

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 02:43:02 ID:ZFXLkmMV
牛乙! (=゚ω゚) ノ  遅くなってごめんな、寂しかったろ。

ところで慶長の役でもやっぱ小早川秀包は加増されたんだろうね?どのくらいなのかな?
文禄の役の小早川隆景もやっぱ加増されたんだろうなー。
そういえば慶長の役で総大将小早川秀秋が敵中に斬り込み10以上の首級を挙げる大活躍
だったのに減封されちゃったね。

もともと『小早川家35万石は養子の秀包が受け継ぐはずだった』けど
羽柴秀俊(秀秋)が養嗣子となり、秀包は廃嫡、別家させている。これがて1591年だろ?
(秀秋が養子となるのが1592年、家督を譲られるのは1595年頃だったか?)
で、秀包が13万石に加増され独立大名となるのがこの頃だが・・・まあ、加増かねえw

立花宗茂はもともと筑後柳川13万石の直臣大名だし、本多忠勝の10万石とかと
比べてもこの辺が相場だったんだろうかね?
もっとも小早川秀秋は最終的に51万石に加増されるからよほど精強だったんだね牛君!

んじゃ、また明日。(=゚ω゚)ノシ

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 03:07:48 ID:td0tkI5N
>>441
最近はおまえさんも来ないと淋しいよw


443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 04:15:29 ID:c2o2ntxT
牛、広島東洋カープの強さも挙げてくれ

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 07:44:41 ID:JBuvwDIJ
>牛
加増恩賞主義の牛だったんだな。
まあ確かに碧蹄館の戦いでは立花宗茂の加増は0だね。その殆どが宇喜多の功績
になってるな。小早川秀包もな。
ちなみに立花宗茂が碧蹄館での早朝の緒戦で明軍と戦っているときは小早川軍は戦場
に到着さえしてなかったんだが・・・。宗茂が一度撃退した後にやってきて午後から
の会戦には参加できた。

牛はその辺全部スルー?必死で話をそらすなよ。

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 19:12:00 ID:s92lJfbQ
>>440の白馬青牛さん江
他所では三万八千の表記も見受けられましたが、大半が二〇万と表記しています。
上記のサイトでは総数が一〇万と少々数が少なく感じます。
また、「10倍以上の朝鮮軍を敗り〜」「李氏朝鮮と明の連合軍を退路が無く兵力差30倍〜」
と、表記しているサイトもあり、島津軍の兵力がどの程度だったのか気になりますね。
四千、7千、一万二千の表記を見つけましたが、仮に島津:連合軍の兵力差を一:一〇にすると
四千:四万、7千:七万、一万二千:一二万とかなり連合軍にばらつきが出ます。
流石に三〇倍は有り得ないと思いますので切り捨てますね。
両軍の報告から考えれば七千:七万ぐらいが妥当だと感じます。
損害報告を話半分と考えれば、また違った考えができるかもしれませんね。

446 :白馬青牛:2006/11/11(土) 01:40:12 ID:c2JVrA6E
>>441-444
加増云うても、関ヶ原の秀秋さんの背信加増まで同一視しとる。
秀秋さんの首級をあげた敵兵も戦闘員か非戦闘員か定かで無い。
慶長の役は、小早川勢より、毛利・吉川勢の奮闘じゃ。
隆景さんは、帰国後官位があがっとるし、秀包さんの加増を政治的な
もんじゃ云うとるが、隆景さんと別に所領を貰うとるし、他家から養子が
来ても、分家で10万石以下は普通じゃろう。秀包さんの武功が大きかった
と云えよう。>>145にあるよう、立花軍の偵察に出た斥候と明軍が遭遇し、
(斥侯・偵察以外が戦場に到着してないと云うんも笑わす。)
戦闘が始まり、(戦闘は机上の予測は出来ず、突然始まるのが常で
あるが、)結局、数に優る明軍に立花勢は後退する。秀包・元康・宗茂軍が
態勢を立て直し、側面攻撃で打開したんは、後のことで、その辺
全部スルーか?九州儒教朱子学的虚勢張りは、今日も健在じゃのう。

447 :白馬青牛:2006/11/11(土) 02:14:15 ID:8K0WXzhM
>>445
明軍全体の総数すら、20万あったかどうかも解りません。
中国人は遠い距離を万二千里と表現するように、自軍の数や戦闘でも、
被害が出た時(敵の被害に対しても)は表現を大きくします。
4路軍の中、東路軍の一部の兵力を加えても、10倍になるかは疑問です。
また、日本でも特に九州は、朱子学の影響が強いので、白髪三千丈的表現を
考慮する必要があります。

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 02:25:06 ID:h4F677fq
攻撃は薩摩  粘りは越後  守りは信州  騎馬は甲斐  鉄砲は紀伊  水軍は安芸

団結は三河  意地は坂東  士気は加賀  気位は山城  自由は和泉  逃げは尾張

これで決まりじゃね?  


449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 05:09:18 ID:kdlF4BCy
自由とか意地とかどうやって比較するんだ?
あと坂東って広すぎだろ

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 05:26:23 ID:ON88HeeZ
攻撃は越後で突撃が薩摩だな。
粘りは奥羽で蹴鞠は遠江。

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 05:34:49 ID:dkL7UQNr
>>449
特徴だよ。一般的なイメージ程度と理解すりゃいいだろ

>>450
蹴鞠は遠江、採用

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 06:35:26 ID:1edHmvL+
皆の衆乙! (=゚ω゚) ノ あ、牛君も乙。

>戦闘は机上の予測は出来ず、突然始まるのが常であるが
その通り。だから先陣には最強の立花部隊が当てられたのだろうな
川中島もそうだが突発的な遭遇戦は全滅の可能性もある。未知の土地では特に危険。
「敵の伏兵を見抜く」と言われた宗茂の眼が必要だった。
ところで慶長の役でもやっぱ小早川秀包は軍功が有ったらしいね。どのくらい加増されたのかな?

>448 兵卒レベルで言えば馬は信州ではなかろうか?馬牧が多いし

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 06:47:31 ID:ON88HeeZ
馬と鷹の名産地なら奥州だろうな。
確か伊達が織田に、駿馬や鷹なんかを送っている。
信長はその中でも、特に白鷹を気に入ったとか。

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 08:43:58 ID:8uwXA4hz
九州が朱子学の影響を強く受けてるって?
ありねー

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 14:34:18 ID:YyZyHq8d
>>448
攻撃は薩摩…どうせ過大戦果だろ
粘りは越後…どうせ横田だろ
守りは信州…どうせ真田だろ
騎馬は甲斐…どうせ騎馬特性Sだからだろ
鉄砲は紀伊…どうせ鉄砲特性Sだからだろ
水軍は安芸…どうせ村上だろ
団結は三河…どうせ一揆>殿だろ
意地は坂東…どうせいざ鎌倉だろ
士気は加賀…どうせゲームで選ぶと本願寺だからだろ
気位は山城…どうせ将軍だろ
自由は和泉…どうせ商人だろ
逃げは尾張…どうせ多国籍軍だからだろ

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 15:13:56 ID:dkL7UQNr
>>455
どうせ無能なお前は、他人が上手くまとめてる事を嫉妬してるだけなんだろ

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 15:47:48 ID:CygjGK1/
うどんは讃岐
餃子は下野

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 16:15:53 ID:YyZyHq8d
>>456…どうせ肥儲なんだろ

どこがどう上手いのか説明してください
むしろ、ソースはどの資料なんですか?
武田さんは騎馬をそんなに運用していたんですか?
鈴木さんは織田さんより鉄砲を持っていたんですか?
坂東の意地って具体的に何なんですか?
織田さんは尾張兵しか使わなかったんですか?
あんな安易なレッテル貼りをして恥ずかしくないんですか?

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 16:38:08 ID:dkL7UQNr
>>457
うどんは讃岐、採用
餃子は下野、採用

無能はID:YyZyHq8d、追加

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 16:42:15 ID:9B8R83Ab
正確にはスルー奨励IDがYyZyHq8d

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 17:11:07 ID:0eCaBimf
戦国の馬は
関東>信濃>甲斐

だね。

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 17:13:58 ID:78WPG+Lt
>>458
・貴方の批評よりよっぽど納得できますよ。
・まずは御自身で調べられては?
・武田騎馬軍団とまでいわれたのですから使ってないわけは無いと思いますが?
・大量に鉄砲を持っていればいいというわけでは無いでしょう。
雑賀のように代名詞になるような鉄砲集団が評価されたのでは?
・底力が凄いという事では?
・貴方はなにを言っているんですか?
・人のことを言えますか?

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 17:24:15 ID:9kaiEjlR
牛の好きな長州は兵は雑魚だが装備が優れてたから勝っただけだろ。
戊辰戦争は兵器の差があるから兵の強さの参考にはならんわな。
実際長岡みたいな小藩でも装備の優れたとこにはなかなか勝てなかったわけだし


464 :白馬鹿青鈍牛:2006/11/11(土) 18:29:08 ID:xrI7RRT/
広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強
広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強
広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強
広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強広島最強
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
歴史上東北が、他地域に蹂躙されたことがあっても、守り通した実例も無い。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
九州の兵卒が、強いんなら、毛利勢に勝ってからいやあええのに。
昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。
昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。
昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。
昔から関東は奴隷民で、関東が近代に至っても「武人じゃないだっぺ」。
関東雑魚や琉球に苦戦した薩摩強盗集団に劣る訳あるまい。
関東雑魚や琉球に苦戦した薩摩強盗集団に劣る訳あるまい。
関東雑魚や琉球に苦戦した薩摩強盗集団に劣る訳あるまい。
関東雑魚や琉球に苦戦した薩摩強盗集団に劣る訳あるまい。
戦闘した兵士は、弱兵の関東兵団ながら健闘した思うよ。
戦闘した兵士は、弱兵の関東兵団ながら健闘した思うよ。
戦闘した兵士は、弱兵の関東兵団ながら健闘した思うよ。
戦闘した兵士は、弱兵の関東兵団ながら健闘した思うよ。

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 20:31:56 ID:1edHmvL+
(=゚ω゚) ノ まあまあ皆の衆、せっかく纏めたんだから一つ一つ検証すればえーんでない? 

>鉄砲は紀伊

これは別に良いんじゃないか?最初の国産火縄銃は根来寺杉之坊惣門主
津田監物算長(楠氏、杉ノ坊算長)自らが種ヶ島に渡って鉄砲と火薬の製法を習い、
それを根来寺門前西坂本に住む芝辻清右衛門(堺鉄砲鍛治の始祖)に
製作させたのが最初で、これが後の津田流砲術になる。
根来の僧兵が約二万人。中には雑賀の土橋氏(泉識坊)がいる。相当な数だ。

明国海賊船の南蛮人により鉄砲が伝えられたのが1543年。
津田監物が阿瑠賀放至(鉄砲)を紀州に持ち帰った1544年。
事実上の日本砲術の始祖と言えるかな。
まあ、県民性と関係あるかどうかは知らないがw

466 :白馬青牛:2006/11/11(土) 23:07:05 ID:z9pJFf3f
>>448
根拠も実例もない妄想じゃのう。日本の馬の暴発する騎馬軍等、明の
李如松軍に通用せんし、安芸を含め水軍も古代から日本より造船技術の
優れた、伝統の朝鮮軍に通用せん。日本軍が得意とするんは歩兵しか無い。
越後兵が粘り強く戦い勝った実例も無い。>>463氏が装備云々を
云うとるが、長岡藩もガトリング銃(機関銃)を使いながら官軍に
降伏しとる。長州兵が雑魚なら越後兵は雑魚の餌じゃ。
>>451
イメージでのうて、実例根拠を云えーや。
>>452
先鋒を最強部隊があたるとは云えん。予備兵と交互に使う訳で。
野戦では遭遇戦がほとんどであるが、斥侯の偵察時点で全滅の可能性とは
大袈裟じゃ。宗茂さん云々は兎も角、敵の伏兵を見抜くんは、戦闘経験者の
「経験感」じゃ。秀包さんの加増は文禄の役のものであろう。
>>453
農耕馬として、東北の南部馬は江戸期を含め、ブランド馬じゃった。

467 :白馬青牛:2006/11/11(土) 23:54:36 ID:z9pJFf3f
>>454
九州は朱子学の影響が強いが、ありねーと同意?
http://www.wing8.com/dcity-yame/kurashinojiyoho/200111/con01.html
にも、朱子学の教育や影響が書いてあるが、特に九州西側の東シナ海
沿岸は、東シナ海文化圏であろう。
http://www.ajkj.jp/ajkj/kumamoto/kikuchi/kanko/shisuikoushi_park/shisuikoushi_park.html
泗水孔子公園もある。かって司馬遼太郎氏が日本は儒教の影響が中国・
朝鮮と違い少ないとされ、ドナルド・キーン氏に薩摩の例を挙げられ、
論破された司馬氏は、キーンさんに、うっかりした事は云えませんな。
と誤魔化しておられたが、九州は薩摩のみで無く、儒教の影響が強いね。
広島の仏教・浄土真宗的な慈悲や温情を重んじる精神と九州の儒教・
朱子学的思想精神とは違うね。

468 :454:2006/11/12(日) 00:34:29 ID:2TqmF+TR
反論を。
まずは主張の変更、というか詳細です。
一般的に呼ばれる戦国時代という時代において
九州が朱子学の影響を強く受けていたことはありえないと。

http://www.wing8.com/dcity-yame/kurashinojiyoho/200111/con01.html
これは八女の五條一族の話が主なようですが、そもそも南北朝時代の
話であって時代が違います。しかも朱子学の影響を受けていたのは南朝側
だけのようで、九州全域が南朝側だったら理解できますが、そうではないようです。

>朱子学の教育や影響が書いてあるが、特に九州西側の東シナ海
>沿岸は、東シナ海文化圏であろう。

これの真偽は知りませんが、このまま読み取っても九州西側だけであって
九州全域ではありませんね。

http://www.ajkj.jp/ajkj/kumamoto/kikuchi/kanko/shisuikoushi_park/shisuikoushi_park.html
泗水孔子公園もある。

孔子公園に行かれました?これだけで九州に儒教の影響が強いとは言えないと思いますが。
長崎に関帝廟、天主堂、天草にも天主堂ありますよ。

>かって司馬遼太郎氏が日本は儒教の影響が中国・
>朝鮮と違い少ないとされ、ドナルド・キーン氏に薩摩の例を挙げられ、
>論破された司馬氏は、キーンさんに、うっかりした事は云えませんな。
>と誤魔化しておられたが、

こんな話知りません。で、知らないことを前提に、これは江戸に幕府が
開かれた後のことでしょうか?
それに朱子学=儒教ではないですよ?
朱子学の影響がいつのに儒教の影響になったのでしょうか?

>広島の仏教・浄土真宗的な慈悲や温情を重んじる精神
そうですか。知りません。

>九州の儒教・朱子学的思想精神
広島と九州を比較することに無理がありませんか?
九州は儒・仏・神・基が混在していると思います。
これは九州だけではなく、日本がそうかもしれませんが。
で、どうやったら九州が朱子学の影響を強く受けていることになるのでしょうか?

469 :白馬青牛:2006/11/12(日) 02:20:51 ID:kSYSOBml
おまんチョチョポリスぅー

わしゃあチンボ逆むけになってションベンちびりそうじゃー

広島武士が最強の民族じぇけえのぅ

470 :白馬青牛:2006/11/12(日) 02:32:55 ID:P4mnWRJ9
>>468
南北朝時代から朱子学の影響があったと云うことです。民俗学的にも、
九州・南西諸島、と朝鮮半島の少なくとも南部を含む地域に特徴的に
分布する共通要素、長床鋤・打ち鋤・縄筵を下野敏見氏は東シナ海文化圏と
される。熊本は、何度も行きましたし、孔子公園にも行きましたが。
朱子学は、南宋の江南思想、道教の影響も強い儒教国粋思想です。
司馬氏とキーン氏のそれは中公新書を読まれると良い。
後に司馬氏は、薩摩人の作家海音寺潮五郎氏の薩摩式の葬式に金達寿氏が、
「あ、それ朝鮮式だ」と云われたことに、「朱子学の影響でしょう。
もっとも金達寿的古代史風に言えば、あすこは惟宗氏(秦氏)で、
朝鮮筋目だという説もある。」金達寿氏は「九州というと、一番日本の
中で我々の体質に合うようですね。九州人というのは、どちらかというと
慶尚道の人間に気質が似ているんじゃないかな。悪く言えばがさつだと
思うんだけれども」九州は、民俗学的にも新羅・伽耶の分れ、慶尚深南道
(九州慶尚デープ・サウス)じゃと思う。九州兵団と韓国兵の類似、
蛮行や向こう見ずの勇敢さ。薩摩人の海音寺潮五郎氏は、関東武士が
好きで、「従来の日本人と違って、坂東武士の荒らしくて勇敢で
強情っ張りは朝鮮的性格だと思う。」と、される。九州の方も朝鮮人を
勇敢な民族と思われるんで九州と朝鮮は相思相愛であろう。海音寺氏は
「儒教の教えが地球全体が小さな閉鎖社会になってしまった今日では、
大いに参考になるはずである。無限の前進をよしとするアメリカ的方式は、
儒教では淫ー恣欲過度として、中庸と反対の最大の悪徳とするのである。」
海音寺氏は儒教を強調されるが、広島人のわし等は、浄土真宗の教えです。

471 :白馬青牛:2006/11/12(日) 02:36:15 ID:P4mnWRJ9
>>469
偽者が、また出現しとるのう。意味がのうて、つまらんこたー云うなや。

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 04:19:36 ID:snZ4SdW4
>>471
お前がいなくても充分面白い牛だから消えろ。
新参には荒らしに見えるだろうがこのスレに限定すればコレはコレでいいんだw


473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 04:51:57 ID:NzG4s3T7
金達寿にみたいな朝鮮起源主義者の与太話を出して九州人と朝鮮人を
一緒にされちゃあたまらんなw
朝鮮兵を勇敢だと思ってるのは朝鮮人だけだよw

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 04:58:55 ID:R2CjnBYB
九州と朝鮮が相思相愛?

ハハ・・・

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 06:36:00 ID:5HQXZSHT
九州出身として朝鮮人扱いされれのはさすがに笑えんぞ牛

476 :454:2006/11/12(日) 16:13:33 ID:d5VApsXX
>南北朝時代から朱子学の影響があったと云うことです。
南北朝時代に朱子学の影響を受けていた五條一族がいたことはわかりました。
しかし、それが南北朝時代から戦国時代まで九州において朱子学が
影響を強く与えていたことにはならないと思います。

>民俗学的にも、九州・南西諸島、と朝鮮半島の少なくとも南部を含む地域に特徴的に
>分布する共通要素、長床鋤・打ち鋤・縄筵を下野敏見氏は東シナ海文化圏とされる。
なるほど、わかりました。これは具体例として農具をあげられたようですが、
ほぼ同じ気候帯で海を隔ててですが隣接している地域ではそうなることも道理だと思います。
しかし、これが、九州が朱子学の影響を強く受けていることとイコールにはなりえないと思います。

>熊本は、何度も行きましたし、孔子公園にも行きましたが。
それなら旧泗水町に孔子公園があることが、
九州が朱子学の影響を強く受けていた証拠にならないと思いませんか?

>朱子学は、南宋の江南思想、道教の影響も強い儒教国粋思想です。
そう断言されても、という感じです。〜と考えられる、と言われるなら納得できますが。

>司馬氏とキーン氏のそれは中公新書を読まれると良い。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4121002857/sr=1-1/qid=1163314924/ref=sr_1_1/250-0991811-5006655?ie=UTF8&s=books
これですか?

>後に司馬氏は、薩摩人の作家海音寺潮五郎氏の薩摩式の葬式に〜広島人のわし等は、浄土真宗の教えです。
海音寺さん一人で九州を代表するのは無理があると思います。
同様に司馬さんやキムタルスさんの言葉を否定することはしませんが、
それだけをもって九州は朱子学の影響を強く受けているとは言えないと思います。
阿蘇に阿蘇神社あり、島原・天草に天主堂あり、球磨・椎葉に御神楽あり、と様々だと思います。
朱子学の影響を受けていないとは言い切りません。
少なからず受けているでしょうが、それを強く受けているとは思えません。

広島の人だって、浄土真宗だけじゃないと思いますよ。


477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 17:31:44 ID:hVqlf29Y
トリつければ済む話

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 17:59:05 ID:T+blDHyx
>>1
小人数ならイタリア

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 22:05:05 ID:KjjkcXyt
雑賀集ぢゃ

480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 23:29:34 ID:nb+yt5om
なんか雑賀衆の評価が高いみたいだね。
和歌山市民としてはちょっと嬉しいなw
あと、皆様方ルイス・フロイスも著書に記述している根来僧兵衆もよろしくwww

空気読めずのレス、スマソ

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 00:58:51 ID:eIm2bBTN
木を見て森を見る牛

482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 02:04:30 ID:SYSnNQyM
牛君乙! (=゚ω゚) ノ あ、偽ウシ君も乙!
>>466
>「斥侯の偵察時点で全滅の可能性とは大袈裟じゃ」

??斥侯の意味知ってるよね・・・? 立花隊は碧蹄館では第一陣。『先陣』です
まさか3000人の先陣が斥侯だと・・・?
斥侯の十時らは敵伏兵を蹴散らして後、すでに本隊に合流しとります。
碧蹄館では立花隊の「前備」十時伝右衛門以下500名は明け方に明軍の先鋒の
騎兵部隊2000と遭遇。突撃するも十時以下100名以上が死傷。
さらに宗茂二千の兵と明軍後続部隊が戦闘、手負死人二百余に及ぶ。
わずか3時間で死傷者1割。これは事実上の全滅覚悟の決死隊と言えるのではないか?
さらに宗茂軍3000は右側面攻撃にも参加している。
中央からは第2隊の粟屋、井上は6000で隆景本隊が続き。
左側面の秀包、毛利元康、筑紫の第三隊は無傷の5000人。
数字だけ見てもたいへんな奮戦ぶりだと思うけど?

>「秀包さんの加増は文禄の役のものであろう。」
つまり慶長の役でも小早川秀包は軍功が有ったのに加増されなかったと言う事でしょ
なら立花が加増されてなくても不思議はないでしょ。

483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 02:44:13 ID:AF/uWBh+
俺の予想:牛とはリアルじゃこんな人間
http://www.nimaigai.com/ssm.html

484 :白馬青牛:2006/11/13(月) 23:58:52 ID:ZFd5icuG
>>476
司馬氏とキーン氏の対談は、それです。>>470の司馬氏、金氏の発言は、
『歴史の交差点にて』(講談社、司馬遼太郎・陳舜臣・金達寿)です。
風土と民俗の項から要約すると、
司馬「薩摩士族では長男が大事にされ、次男以下は板敷きかどこかで飯を
食っている。これはまさに朝鮮式ですね。ぼくのような西日本人(九州を
除く)は長男絶対制というのはわからないな。」
金「九州全体でそういう傾向があるといいますね。福岡の人の例ですが、
やはり長男というのはたいへんなものですね。朝鮮では財産は、基本的に
全部長男です。次三男はどうにもしようがない。」
陳「中国の場合はあまりやかましくないね。遺産の分け方は、中国では
平等に分けて、長男だけは祭祀料のプラス・アルファがある。」
宗族制の違いは、列島でも、西日本の末子相続、東日本の長子相続と
大雑把に二分出来ますが、九州の長子制は、中国よりも朝鮮の影響が
強いと思います。九州でも漁村は末子相続が多いんですが。
宗族制が発達した地域は、朱子学を受け入れる素地も強いんでないかと
思います。アイヌ人やモンゴル人は末子相続で、宗族制は、中華文明化
した要素もあり得るんでないか、その点から云えば、東日本人は文明人。
西日本人やアイヌ人は野人。九州は西日本と朝鮮の中間で半文明人ですか。

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 00:59:17 ID:eFRoNX1M
陰徳太平記と言い・・ww

486 :白馬青牛:2006/11/14(火) 01:14:49 ID:HMcjas1J
>>476
神道は、道教の影響も強いでしょう。天草・島原のキリスト教の影響、
隠れキリシタンや、一向宗を弾圧した儒教王国薩摩にも、隠れ念仏と
して信仰者は多かったでしょう。広島も、他宗の寺等多くあります。
しかし地域に対する文化、影響を考えると広島は「安芸門徒」風土です。
間引きもしませんでした。北陸も「北陸門徒」で、真宗風土でしょう。
岡山は「備前法華」に代表される法華宗。
>>482
わしは、>>446からの流れで、突発的な遭遇戦を斥侯偵察時に限定して
云うたんじゃが。斥侯は本隊に連絡せず、玉砕したらいけんよ。
決死隊云うて攻撃するより、敵を引き付け、左右側面に迂回し、
敵殲滅が目的じゃないか。途中から反転迂回するよりも、
中央で、勢いのある敵の攻撃を我慢する方が苦しいよ。
文禄の役、朝鮮の役全体で最大の決戦は碧蹄館で、互角に持ち込むことが
出来たが、慶長の役は、半島南端で苦闘した戦闘で両戦闘を同一視は
出来んよ。

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 01:56:31 ID:EVXqAxv5
>中央で勢いのある敵の攻撃を我慢する方が苦しいよ。

(=゚ω゚) ノ その通りだ。隆景本隊付きの粟屋、井上が参戦するまで中央を死守して
いたのが立花隊。だから隆景は十分に陣形を整えることができた。
立花隊が退却するのは粟屋、井上到着の後。それまで一歩も退いていない。

少数の兵で多敵を足止めするには途切れず攻撃を続けるしかない。敵が防御を
固める事により動きが止まるのだ。これは決死隊でないとできない。
少しでも息を抜けば一気に攻め崩される。(粟屋隊のように・・・)

PS.一向宗なら真宗浄興寺派の本山はもともと常陸の稲田草庵。
   常陸二十四輩と下間氏も忘れないでね。

488 :白馬青牛:2006/11/14(火) 01:57:02 ID:HMcjas1J
>>483
「ささ男」か。そがいなんは、旧国軍の参謀殿や学者に多いタイプ
じゃろう。学問は、情報を、分析よりも総合的に解釈する事が重要じゃ。
穴があるんが当然じゃないか。それを恐れるんは、専門家として、
恥ずかしい云う自惚れがあるんじゃろう。経験や知識のデータも、
歩いて探さんとのう。机上の理論になるわい。事物を真正面から
捉えたら苦悩が増える。視点を変えて捉える方が面白いんじゃにのう。
「ささ男」は、根が真面目で洗脳され易いタイプじゃないんか。

489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 02:07:27 ID:V1oeAnc5
>>488
あんたは正に旧国軍の参謀や学者に多いタイプだと思うが

490 :白馬青牛:2006/11/14(火) 02:27:57 ID:CULaBSEj
>>487
あんたー、何でも立花勢が強かったように見せたがるよのう。
戦闘で先陣だけ戦うて、後の者が高見の見物しとる訳あるまい。
到着たー、笑うたよ。退却せんと敵を引き付けられんよ。
あのねえ、攻撃する方が足が止まったらいけんのじゃ。この場合は明軍の
方じゃ。明軍が攻撃に終始しとる所に、迂回側面攻撃が効果をもたら
すんど。粟屋隊が攻め崩された?どがいな根拠からか。
ほいで、常陸に真宗の影響が強いんか?真宗の痕跡と社会的影響は違うよ。

491 :白馬青牛:2006/11/14(火) 02:30:29 ID:CULaBSEj
>>489
思い込みの強い、あんたの方が参謀タイプに近いわい。

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 02:46:42 ID:gSrwUdyM
牛さんはツンデレ

493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 09:49:43 ID:V1oeAnc5
>>491
いや、さすがにあんたには負ける。
東日本への偏屈じみた思い込みはどうにかならないんかのう

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 12:07:38 ID:WZxNI6LV
劣等感からくるコンプレックスじゃね?

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 17:32:33 ID:EVXqAxv5
>>490
(=゚ω゚) ノ 逆だよ真宗は東国の民衆、風土の影響を受けて生まれた。

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 17:35:56 ID:O/ZsoJJD
>>493
同感です!!
こういう人間がインパール作戦みたいなのを起こすのです。

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 23:02:37 ID:XmV8Ytqh
確かに。自分が一番正しいと思い込み、人の意見を聞かないのは破滅するね。
というか社会人としても失格だろう。

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 23:14:56 ID:jGQPyuCY
広島って強兵という感じはしないけど、ここまで資料を揃えて皆と戦える牛さんには脱帽。 願わくば東北、関東、中部、四国、九州の郷土自慢が対抗したら楽しいのにな。 とアゲておく

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 00:02:33 ID:X2ck0yjq
では東北の仙台自慢。
伊達政宗が有名だが、それよりフル装備で5里を駆け抜ける脚力と持久力
を持つ仙台藩兵が誇りです

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 00:42:38 ID:D86Ra0R3
500(σ・∀・)σゲッツ!!

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 03:57:15 ID:v50BnH+T
広島の師団が最強ってw


歴史的には全く役にたってない犬死に軍の代名詞ですよ、少し風刺の効いた軍関係書籍見てごらん


…広島人大ボラも大概にしとけ

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 07:44:00 ID:yirnRhhy
500を過ぎてもオレたちを納得させられない牛は、ある意味最強。

ということで一番強いのは牛さんで決定!(ただし机上のみ)

503 :白痴馬鹿青二才鈍牛:2006/11/15(水) 17:27:51 ID:ZpYpDPkL
>>501
それは、全てあなたの思い込みです。広島師団最強は世界の常識なのです。もっと広く世間を見るようにしてください。

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 19:42:16 ID:xgbHotLy
圧倒的劣性からも負けん気で向ってくる牛に
相対しながらも親しみすら感じさせる良スレだったのに
急に厨増えてつまんなくなったな
あのさ煽りでなくて頑強で偏った論に自分の知識で向っていけよ。
なら歓迎するから。
ただの煽りなら知識ないオレ同様ROMに撤してろ

505 :白馬青牛:2006/11/15(水) 21:21:51 ID:9r19ySfQ
中学生の頃の落書きで、「股間から多連装機銃が生えた体育教師」
を書いて、『バルチン砲』と命名した覚えがある。

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 21:35:45 ID:/YvN6xRp
やっぱり薩摩兵。 もぐもぐ風林火山でも強いよ! 大将が強いのは伊達だがな

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 21:37:35 ID:hd4/ca7w
>>504
お前は圧倒的劣性からも詭弁と電波で向ってくる伊達厨の相手を出来るのか?
今、牛さんを相手にしてるのは本当に優しい奴と相手を論破することに快感を覚える奴だけだ。
誰がこんな状況を作ったと思う?


508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 21:48:20 ID:K6ANpLAW
>>504
お前の意見の方がこのスレには合ってない
黙ってれば勝手にくるだろ
荒らしはスルーと名なしに教わってこなかったのか?

509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 23:22:26 ID:X2ck0yjq
電波か・・・たしかに伊達政宗は強かったけど、正確には東北の中では強かった
って事だな。でも全国に名前を知らしめたのも事実だし仙台市民の誇りだよ。




坂本龍馬の方が好きだけど

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 23:43:39 ID:B5OyrQX8
どこの出身兵卒が強いか資料を提示しないとスレが進まないのは当然。
牛の相手が嫌なら、より多くのデータを提示するのが筋だろうな。

>509
伊達の兵士が強いというデータをもっと詳しく提示しないから電波扱いされてるだけだよ
気にする事はない。
仙台市民の誇りにかけて郷土資料をupしてくれ。(=゚ω゚) ノシ

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 23:53:15 ID:UrXO9pMb
>>504
牛も相当煽ってるんだが。むしろ牛は感謝すべきじゃないのか。


512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 19:32:16 ID:ep2Ok4X3
また牛来てないんか
つまんないな

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 20:18:29 ID:1SoEwjIR
牛ーっ もういじめないから帰っておいで   (=゚ω゚) ノシ
一緒に板東武者最強論を語り明かそう。

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 22:24:39 ID:0UiEH026
やめとけって。
奇矯屋んとこで毒吐きまくってるぜ。
牛の名前でググってみ。

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 02:15:07 ID:HGwGnnuK
>>514
お前あんな所までチェックしてるのなw


516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 03:08:18 ID:29tbI0Nj
>>510
自分には全く知識が無いので色々探したらこんなの見つけた

ttp://www.asahi-net.or.jp/~gr3t-tkhs/profile/column/date.html

少し凹みました

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 19:46:20 ID:HFw3zqla
じゃあ近江兵が最強ってことでいいですね?

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 20:12:48 ID:DzASZiza
>>510
伊達の兵士より弱いのは、神保相茂の兵士だけだろw

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 21:57:25 ID:u+lIGz9Z
(=゚ω゚) んー・・・そうだな。
戊辰戦争でも武家の仙台藩兵が弱かったので民間人の烏組が作られたんだったか?
まあ烏組は乱暴狼藉だが強かったぞ・・・職業柄。

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 22:56:08 ID:29tbI0Nj
同じ東北でも庄内は強かったとか

この差は何?

521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 12:19:51 ID:H3+2Vsla
(=゚ω゚) 庄内の民衆って強いね。太閤検地に反対して一揆起こしたり、
幕末京都の新徴組。銃火器を自力で装備した民間義勇軍の黄金隊とか
乱世には一般市民が進んで戦ってるようだ。

経済力と教育かな?

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 18:22:09 ID:rVrSceGs
前半部見てると山国が強いとの事だが、庄内は比較的平地が多いよな 兵卒の中でも強い部類だろうな。 すぐれた将校、大将がいたら、もっと有名になってたかも…の土地だな

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 18:33:39 ID:rgffYqiG
美濃が強かったんだろ?
だから信玄は攻めなかった

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 19:13:50 ID:d6orc1Dt
秋山信友が美濃の城落としてるぞ
飛騨にも攻め込んでるが、アルプス越えての維持は難しいから統治はしてないが

525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 19:44:38 ID:cnxCucPO
木曽路をなめてはいかん。

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 21:57:33 ID:wMZ8YIn4
>>523
強いとか関係ない。山は交通の便が悪いから東海道を攻め上るだけ。

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 12:03:32 ID:318NVNku
じゃあ三河兵が最強だな。

528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 13:33:10 ID:dxYnQI4w
三河は信州、甲斐、駿河より強かったのか?

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 14:17:38 ID:5pV6fYiz
調べてみたら東京が最強でした

東京10、青森7、大阪6、愛知・鹿児島・熊本4、秋田・千葉3、
山形・石川・徳島2、北海道・埼玉・静岡・長野・岐阜・広島・山口1

ソース
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%82%93%E3%81%B1%E3%81%8F%E6%A8%AA%E7%B6%B1

530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 16:31:32 ID:QjhbH1zj
東京が強いのはサッカー。
高校入学で全国に散って地元はカスしか残らないが。

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 18:43:49 ID:58DV4sBb
戦国当時の話を。

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 21:05:08 ID:0UZle7w/
あははは〜 何かと思ったらチビッ子相撲かよ! チビったわっ  相撲と言えば尾張の人たちは、記録が多くあるからか好きだよねェ

533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 21:29:41 ID:dxYnQI4w
(=゚ω゚) プロ力士だとモンゴル・・・ いや、青森が強いな
先代の若貴や舞の海とか業師が多くて面白かった。
なぜか東北には拳法体術の名流が多い。
南部の諸賞流、仙台の心眼流、会津の合気柔術。
現在の合気道や居合抜きの原型は東北発祥だ。

534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 01:18:02 ID:eaLMXBfv
武田双角と林崎重信か。
そう言えば、現代剣道に影響を与えている、
北辰一刀流の千葉周作も奥羽だったか。

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 01:39:02 ID:AlSkQzy0
武士の首取り相撲は坂東武者。

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 19:11:53 ID:A6j1X8SL
もう日本人は強い!ということで。

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 22:41:51 ID:Rr37340q
弱体化が進んでいるけどな

538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 00:30:32 ID:nMnoNNYE
背は伸びたが

539 :白馬青牛:2006/11/21(火) 02:38:32 ID:hPOF3Mky
しばらく、ご無沙汰しとったよ。
相撲の話になっとるのう。戦前、陸軍部隊で相撲が強かったんは、
土佐の高知聯隊じゃったそうな。うとうとしだした。はー、寝るわい。


540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 07:29:49 ID:eHGiFTer
戦国時代全国が合戦に明け暮れていた間
東北は雪合戦していただけだから弱兵

541 :白馬青牛:2006/11/22(水) 00:20:46 ID:LjK89BR7
東北が武術の地じゃ云うとるけど、戊辰戦争でも広島神機隊には勝てん
しのう。神機隊の活躍が詳しゅう出とるサイトも少ないが、
http://page.freett.com/sukechika/ship/ship08.html
ここの文では広島藩の正規部隊とあるが、「神機隊」は、農兵主体部隊で、
誤解を招くのう。「彼らは山中の戦いに馴れ、屋根を利用した散兵戦や
山道での追撃戦に大いに役立ったと言われて居る。」
平野の少ない地域の広島人が、山岳や陣地戦闘に強かったのは、
近代広島兵団の武勲からも明らかであるが、記述が少ないのは簡略に書いて
あるので仕方ないか。
http://www21.big.or.jp/~kirin/syotai/tyugoku/sinki.html
ここには、神機隊が「隊士が民間有志で(中略)さらに仙台方面に転戦、
勇名をとどろかせた。」と大雑把な記載じゃが出ておる。
■戻る■を、クリックしたら、中国地方の各部隊の編成が出とるのう。
広島神機隊が、東北諸藩兵を抜刀攻撃による白兵戦で奪取した「駒ヶ峰」の
激戦を「勇名を馳す」の一言じゃ、郷土広島自慢人のわしからすると、
不満じゃ。

542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 00:22:57 ID:hFKNxzK+
本物きたw
もう来ないかと思ったじゃねぇか!
忙しい時は無理しないでいいからまたこいよな、牛。
今日は忙しいから明日にでも資料集めて反論してやるから待ってろ
おかえり

543 :白馬青牛:2006/11/22(水) 01:42:29 ID:LjK89BR7
>>542
本物で、>>539も、わしじゃ。
http://www21.big.or.jp/~kirin/syotai/tyugoku/tyugoku1.html
の、広島神機隊「駒ヶ峰の激戦」じゃが、寡兵の神機隊が、他の官軍
諸藩兵がその無暴を嗤笑する中、「剣を抜き吶喊して突撃を為し、
躍りて駒ヶ峰関門前なる敵の砲台に登り、縦横斬殺し、賊兵は死屍を捨て
遁走せり。」
四日後は駒ヶ峰奪回をはかる奥羽同盟軍が大挙襲来し、
「賊兵頗る猛烈なりしが、我も亦寡兵を以て奮戦し、遂に旗巻嶺下に
撃退し、」「本通の筑前長州両兵苦戦するを以て応援の命阿り、
我兵直に進て奮戦し本通の砲台を奪う。」等激闘した。
四条総督より特に「芸州(広島)藩は毎戦能く奮戦艱苦して賊軍を挫く。
其の軍事上の好機を致す、深く大慶に存する所」との沙汰を賜った。

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 01:54:45 ID:KOBItUy7
>>541
広島より薩摩の方が脅威だったけどな

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 02:09:09 ID:KOBItUy7
それと庄内藩、佐賀藩も強かったんだな。
ttp://www3.ocn.ne.jp/~zeon/bakumatu/syounai.htm

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 07:40:25 ID:DsiNyGVB
>>543
「賊軍」って言葉を使ってるところが文献として信用がおけないな。まさに勝てば官軍的資料で誇張が過ぎる。
まあ煽りだろうけど。

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 11:23:41 ID:KOBItUy7
それと戊辰戦争と武術の地どーのこーのって何か関係あるの?
そりゃ鉄砲には勝てんさ

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 16:46:03 ID:Farjp/ac
>>543
Link先にはこんな大袈裟に書いてなかったんだけど、「」内は何処からの引用?

>「剣を抜き吶喊して突撃を為し、
>躍りて駒ヶ峰関門前なる敵の砲台に登り、縦横斬殺し、賊兵は死屍を捨て
>遁走せり。」

>「賊兵頗る猛烈なりしが、我も亦寡兵を以て奮戦し、遂に旗巻嶺下に
>撃退し、」「本通の筑前長州両兵苦戦するを以て応援の命阿り、
>我兵直に進て奮戦し本通の砲台を奪う。」

>「芸州(広島)藩は毎戦能く奮戦艱苦して賊軍を挫く。
>其の軍事上の好機を致す、深く大慶に存する所」

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 16:53:34 ID:Farjp/ac
>撃退し、」
引用だとしたらこんな書き方しないか

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 18:17:10 ID:spt8RPqD
(=゚ω゚) 牛おかえり。迷子になってたんだね、よしよし。
東北がとりわけ武術の地というわけでも無いよ。ユニークな柔術が多いという話だ。

武人は防人の時代から当然関東、九州が多い。
あと、京都奈良、三河、信州も武芸の穴場だね。

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 22:29:07 ID:IKTs0Wo3
まさに集中放火w

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 23:19:38 ID:spt8RPqD
(=゚ω゚) まあ、史上最多金星の安芸乃島は好きな力士だったけどね 
・・・と、たまに褒めたらどんな反応が返ってくるんだろう。ワクワク♪

553 :白馬青牛:2006/11/23(木) 01:23:52 ID:cUUkjQuL
>>546
「賊軍」と書いてあったら信用出来ん?あんたの感情論はどうでもええが、
都合が悪いと何でも拒否するようじゃ歴史を考察するんに向かんよ。
>>548
これも感情論で大袈裟ときたか。
郷土資料「戊辰戦争と神機隊の戦歴」からの引用じゃ。
>>550-552
防人の時代から武人云うて、隼人なんか門番の仕事で、関東の連中は、
九州が磐井のように、新羅と内通されたらまずいゆえ、徴発されて
九州へ行った訳じゃし。弓馬の家は、坂上氏のように渡来系であり、
彼らこそ武人じゃ。
相撲の話か。金星はどうでもええ。広島県出身力士を褒めて、
わしの反応を期待しても、「ほうかいのう。」ぐらいのことじゃ。

554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 01:40:31 ID:5jkkobdi
牛さん、お尻貸して。

555 :白馬青牛:2006/11/23(木) 01:48:03 ID:cUUkjQuL
ほいで、九州の薩摩じゃ、肥前の佐賀が出とるが、肥後が出とらんのう。
「人国記」では、肥前と比べ勇に劣るように書いてあるが、どうせ
「人国記」は、東日本人の偏見で書いとるもんじゃし。
勇猛な近代九州の兵団の中でも、肥後の熊本聯隊が一番勇猛で命知らず
じゃった。勇猛さでは、肥前兵を含む久留米師団や熊本師団の中でも
鹿児島聯隊より上じゃ。朝鮮の役でも加藤・小西勢で、肥後兵はイケイケ
じゃったのう。今回は他地域兵の長所を云うてみたわい。

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 02:49:14 ID:H64o8CRW
でも近代戦で一番武勲あげたのが広島なんだろ?
どの点が優れていたの?

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 09:21:53 ID:i2t28rzK
>「人国記」は、東日本人の偏見で書いとるもんじゃし。
はいはい感情論感情論

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 13:41:52 ID:nqajuf9b
>>553
(=゚ω゚) ほう、九州と新羅の内通を指摘するとはさすが鋭いな。
だが渡来系坂上氏の弓馬での武功は道嶋嶋足ら東国夷の武功じゃないかな?
東国夷あっての坂上氏の弓馬だと思う。
防人もそうだが「夷をもって夷敵を制す」というのが中央の政策だしな。

戦国で弓馬が強いのは藤原秀郷流の上野、下野、それに馬牧の有った信州だろ。
あの佐竹氏が手を焼いたのが下野の那須衆だ、那須与一の裔で『那須七騎』と言われた
(那須氏・大田原氏・伊王野氏・大関氏・千本氏・福原氏・芦野氏)
中には越後上杉で弓馬の達人也と言われた大関氏も居るな。
大関氏は上杉景勝の鉄砲奉行、軍奉行となり最上や大坂の陣で活躍している。
もともと上杉氏は関東管領だったから下野武者ともかかわりが有ったのかも知れない。
上杉の鉄砲隊が那須与一の流れというのも面白いな。 なあ牛。

>金星はどうでもええ。わしの反応を期待しても「ほうかいのう。」ぐらいのことじゃ。
(=゚ω゚) おお期待どおりの反応だ。
なるほど金星取れるのは平幕だから自慢にはならないか。牛って相撲通だな。

559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 16:19:23 ID:BL4NoD4G
>>541
武術が盛んでも、それで戦に勝てるというわけじゃないだろ。
特に銃撃戦が本格化しているような幕末じゃ。
新式の兵器をひっさげ、錦の御旗とやらを掲げる西軍に属せば、
それだけでも有利だというのに、
その中で無理に広島兵の武勇伝なんか晒されてもねえ。
>神機隊の活躍が詳しゅう出とるサイトも少ないが
てことは、あんまり活躍してないからサイトを作ろうって人もいないんだろうな。
そりゃそうだ、主力は薩長土肥だもん。
(肥前は本当に最新の装備だったけど、やる気はあまりなかったらしい)
広島の兵士が勇猛かどうか知らないけど、
薩摩の伊地知正治や土佐の板垣退助のような優秀な指揮官は広島から出ないのかねえ?
幕軍にも、桑名の立見鑑三郎や会津の山川大蔵などの人物がいるが。

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 18:40:54 ID:O8Z9H6vt
このスレ、本当に牛が来ると歯車が回りだすなw
横の連絡抜きで牛に向かって行ってる

561 :白馬青牛:2006/11/23(木) 23:13:50 ID:GKBNIx40
>>556
広島部隊について、元広島第231聯隊長の梶浦銀次郎氏は、
「理知・機敏・剛毅の良質、知情意の調和のとれた将兵。」とされ、
元広島5D長今村均将軍は、「広島の青年達は純朴度と文化度の
平衡がとれ「気がきいていてズルくさい」といえよう。」
「広島人のねばり強さと闘志には感じ入った。」とされる。
つまり、戦闘上手と云うことじゃ。一例を挙げると、越後の高田第58
聯隊が、中国軍に敗れた中島高地を広島第231聯隊は3分の1の兵力で
守り抜き中国軍を撃退した。広島部隊の勝利の要因は、精強に俟つことは
云うまでもないが、訓練の合間に兵隊達が創意工夫した小石、空瓶が
役に立った。高田聯隊のときは、日本軍陣地の銃火の衰えに、破壊された
鉄条網を踏み越え、大挙して最後の詰めの突撃に成功して中国軍が勝利
したが、広島聯隊は、中国軍が勝負あったと最後の詰めの攻撃に、小石や
空瓶の一斉投下である。ガラスの破片は匍匐して来る敵兵の肌を切り、
土塊や石は手榴弾と思い込んで逃げまわり、それが散ると目をやられる。
そこに残り少ない貴重な残弾の一発必中の射撃を集中する。平素の
兵隊達の創意工夫もあって、敵の最後の詰めの戦闘を逆に撃退した。
広島部隊は、「戦闘知力(気がきいていてズルくさい)や防御戦闘に必須の
細かい命令指示を待たず戦闘行動出来る能力、攻撃なら一人の勇者が
いれば、他の者はそれに従がって進むからまだよいが、防御戦は、兵一人
一人の戦闘能力が勝敗を左右する。」これらの特質に優れておった。
越後健児の高田聯隊もインパールで東北兵団の中でも特に精強と評価され
ながら苦労したね。「如何に高田58の兵とて山砲三発では如何せん」。

562 :白馬青牛:2006/11/23(木) 23:59:37 ID:SEcNiIrm
>>558
そう、兵卒の多くが関東で徴発された者で、対東北蝦夷戦に苦労した。
古代〜平安期の武人の供給地は、百済系の多い、摂津・河内じゃった。
関東も河内源氏の植民地になったね。鎌倉政権も、弓馬の技術を、
平家降人や西行のような「都に馴れたる輩」に学んでおるしね。
鎌倉政権以降、弓馬は関東と云う宣伝が全国に伝わっただけじゃしのう。
畠山重忠が指名されたんを辞退し那須与一となったそうじゃが、(実際は
解らん)畠山さんは、「強弓遠矢打物などの時は仰せ蒙るべし」と言上した
そうな、これらは一般の関東武士が苦手としとった技術かのう?

横綱であろうが、平幕、いや幕下であろうが、どうでもええよ。
負けて星を落とした力士に対する温情も大切じゃ。力の後ろに「士」が
付いとる限り。

563 :白馬青牛:2006/11/24(金) 00:46:23 ID:dunGukA1
>>559
ほいじゃが、広島と鳥取の兵はいっつも前線にやられたしのう。
相馬藩も降伏したのちは、前線に立ったが、(近代以前は降伏した地域の
兵を前線に出す、津軽藩士の家に生まれた、作家今東光氏は、狡猾な薩長が
背後におり、津軽藩が前線に配置されたと憤慨されとった。)仙台藩や
米沢藩の猛攻に押され、広島藩の神機隊が交代し前線に立つこととなった。
主力が薩長土肥云うんは上層指揮官のことじゃろ。
桑名の立見氏が名将かのう。日露戦争の黒溝台で弘前8D(青森、岩手、
秋田、山形の兵)を指揮し成果もなく損害を出し、広島5Dや、仙台2D、
名古屋3Dの救援を仰ぐことになった。特に広島5Dが活躍し、立見尚文
臨時司令官から感状を授与されたが、福山第41聯隊の柳條口の攻略や
村山支隊(浜田第21聯隊)の露軍撃破を文面に書いてあっても、
黒溝台そのものの攻略で、広島第11聯隊第1大隊が弘前8Dの苦戦を
救援し、黒溝台を攻略したうえ、渾河を渡って烟台子をも占領したこと
が、立見氏の広島5Dに授与された感状の文面にない。黒溝台の攻略
だけは、自らが指揮した弘前8Dの手柄にしたかったんじゃろう。
黒溝台の広島第11聯隊の武勲は陛下の勅語の文面に、「左翼に優勢なる
敵を迎へ勇猛果敢之を渾河右岸に撃退し其企図を挫折し多大な損害を与え
たり朕深く之に従事せし将卒の労苦察し其の功績を嘉す」とある。
ほいじゃが、あんたは、優秀な指揮官じゃあ、何の評価で決めとるんか?

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 01:15:04 ID:j5Gg7nA+
>>562
いつもの電波なw

565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 08:12:45 ID:WkcdDg0J
>>562
(=゚ω゚) こらこら、冒頭に『道嶋嶋足の弓馬』と書いているのにわざとスルーするーな。
道嶋嶋足は陸奥国牡鹿郡・・・現在の宮城県民。

既出だが西行が鎌倉八幡様に伝えた流鏑馬神事は「藤原秀郷流」
関連性は不明だが上野、下野の武家が名乗っていた流派と同名だ。
古来弓道は神事の色彩が強く作法に厳しい、板東武者が都の兵から学ぶとしたら
おそらくそっちだろう。
弓馬礼法、有職故実。武家の格式と嗜みというやつだ。
小笠原流礼法はご存じの様に正式には「小笠原流礼法弓馬術」と言い
足利、徳川将軍家指南役の弓馬の家だった。
現代でも大規模な武道大会の開始は小笠原流御宗家の鏑矢にて始まる。
(=゚ω゚) と、言う事は562の論理で言うと、さぞや強かったんだろうね小笠原流礼法・・・
ぜひ軍功を教えて欲しい。

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 11:55:51 ID:iUCy2B2h
よく分からんのだが、先鋒が敵に崩されて2番手、3番手が投入されて敵を撃破したら
強さは、先鋒<2番手、3番手になるのか?
戦う条件や環境が違うよな。


567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 17:44:51 ID:PFNf5DaN
先鋒が与えた損害が皆無だったらそうなる
が、常識的に考えて損害0ってのは有り得ない

568 :白馬青牛:2006/11/24(金) 23:31:37 ID:gq4WrbnQ
>>565
東北で朝廷側についた蝦夷も関東で徴発された兵も同じようなもんじゃ。
秀郷流、秀郷の末云うても、西行は関東人じゃあるまいし。起源を
云うたら関東の軍事貴族も近畿人、渡来人になるじゃないか。
信濃豪族の海野幸氏が弓の持様について西行の説を云うと、並みいる
弓矢の達者もすこぶる感心したそうじゃ。まあ騎射技術も「京畿の輩」に
学んだ東国武士じゃし。
弓馬の時代の坂上氏の「家世々弓馬を事とし馳射を善くす」と、
弓馬の廃れた時代の小笠原氏の「弓馬の家」を比較する事自体可笑しい。

569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 23:35:38 ID:HMs9hBhI
それに先鋒だって仲間が来て持ち直したら戦闘に参加するだろうしな

570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 00:03:57 ID:IRNiObgm
>>568
だから弓馬じゃなくて、西行は流鏑(ry

>「家世々弓馬を事とし馳射を善くす」
弓馬の時代w
地方頼みでも軍事重視の律令国家だから、建前上褒めてるようなもの。
実戦経験ゼロの狭い馬場武芸をねw

571 :白馬青牛:2006/11/25(土) 01:10:25 ID:P0cYwqjN
>>570
地方頼み?東国あたりの徴発された農奴兵に過ぎんのに。
実戦ねえ。関東武士の岡崎四郎義忠の嫡子佐奈田与一の馬が暴走し
馬を御すことが出来ず、郎党との距離が離れてしまい、与一は討たれた。
関東の実戦とは面白いもんじゃのう。お笑い騎馬武者そのものじゃ。
北・中央アジアの遊牧民の人達が聞いたら大笑いするんじゃないか。
関東は、馬場武芸よりも、何秒馬に落とされずに乗れるかと
関東ロデオ大会でもやっとりゃあええよ。

572 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 01:24:20 ID:jZENRqab
どこにだってその程度の面白エピソードくらいあると思うが。
近畿人は実戦で落馬したこと無いのか?へー
あっ初めから暴れる馬には乗らないのか

573 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 01:36:54 ID:qN9hQmGn
>>568
(=゚ω゚) そりゃー信濃武士海野が引用解説したから「は〜なるへそ、ごもっとも」じゃね?
つーか、東国を指導していた西国の武士って誰?
また弓の射法は心得であって武力の強弱にはあまり関係ない。
基本的に武力は兵数とスピードと打撃力、だから戦場では兵法知らずとも事足りる。

鎌倉の弓馬四天王が海野幸氏・武田信光・小笠原長清・望月重隆。
つまり甲斐源氏と信濃武士だな。 >>278氏も望月牧の弓馬の影響を指摘しているだべさ。
・・・あ、ごめん安芸国守護の甲斐源氏武田信光を出したのは悪気は無い。

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 02:20:26 ID:b24/nXVB
ここで北・中央アジアの遊牧民を出す意味がどこにある?
自分の得意分野に持ち込む釣りとしか思えんな。

実に安直で稚拙な振る舞い。

575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 10:52:04 ID:ckSE7cny
>>571
日本には虚勢の技術がなかったから、
日本の軍用馬は総じて気性が荒いと宣教師が書いていますが?
関東=日本、広島=異界というのならば、まあ納得できますけどねw

576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 21:37:22 ID:tgMRmsbY
>>571usi
『平家』を都合よく解釈するなってw
佐奈田与一の馬は東国一の強馬・夕貌な。
組討で与一を討ち取ったのは相模武士の俣野な。

・律令政府が期待した軍事力はこれ。
殷富百姓才堪弓馬者
・元来、都の軍事力を担ってたのも東国出身の富裕層だが、世襲に及ぶようになり…
近衛舎人は弓矢を具すといえども、武勇には及ばぬ者なり

・将門の乱を鎮圧したのは同じ坂東人の秀郷や貞盛らだが、京から派遣された征東軍ですら…
征東軍の副将軍に、平清幹(安房平群郡司)など坂東の『兵=つわもの』が任じられてる。
征東軍が東進していく道々で、諸国の兵の参加も増え、征東軍は膨れ上がっていく。
征東軍は残党追捕で活躍してる。夷(東国人)をもって夷を制す、でもある。

『群盗』『凶賊・強盗』。例えば、泰和2年(899)の太政官符に全てみられる。
藤原秀郷(下野)、橘近保(駿河)、藤原玄明(常陸)。代表的な群盗勢力。
毒(賊)にも薬(官)にもなる、群盗勢力=『弓馬に便なる富豪層』こそが国衙の軍事力。

577 :278 ◆VY//G4pnEI :2006/11/25(土) 21:59:28 ID:tgMRmsbY
>>573(=゚ω゚)
>鎌倉の弓馬四天王が海野幸氏・武田信光・小笠原長清・望月重隆。
それはありえないな。史料はむろん、軍記物語からも探れない。
貴種の武田信光は(鎌倉方にとって)、表裏定かでないような存在。
弓馬の小笠原は室町中期以降。それも京都における馬場儀礼だし。

戦国期でいえば、甲斐・信濃武士より馬を重要視してるのは関東武士でしょ。
岩槻なんて武蔵国内において馬産地でもない所で、騎兵の割合が異常に高いし。

上野武蔵甲斐の勅旨牧は貢馬の制度が廃れたが、信濃の望月牧だけは中世まで続いてたほど。
それで、京都貴族社会における弓馬儀礼(流鏑馬ねw)と、信濃武士の関連性を感じたわけよ。
距離的な近さもあるだろうしね。

578 :白馬青牛:2006/11/25(土) 23:21:52 ID:OzTrve9u
>>573
あのね、「京畿の輩」とは「京都に馴れたる輩」云うこと。
例えば下河辺行平は、源頼政の郎従の家系にして「京都に馴れたる輩」と
云われ、甲斐の武田有義は平重盛に仕え、他に諏訪氏や小笠原氏等も
「京都に馴れたる輩」じゃろう。信濃や甲斐が確かに多いが。
弓の射法だけで、いや銃器においても射撃技術だけで、武力の強弱とは
云いきれん。日華事変でも射撃技術は中国軍の方が日本軍よりも優れて
おったし。
武力と云うか戦闘において、兵力の数よりも、スピードがより重要じゃ。
時機を失すれば勝機も失する。じゃが兵法(わしの云うんは武術より
戦術のこと)知らずは駄目じゃ。孫子も「兵は詭道なり」と。
機先を制し、敵を騙し、敵の精神的動揺を誘い、敵に冷静な判断力を
失わせること。つまり戦闘で大切なんは、主導権を握ることじゃ。
>>561で戦闘主導権のない防者の広島部隊が意表をついた戦法で
中国軍から戦闘主導権を取ったように。「気がきいていて、ズルくさい」
前線将兵に老獪さがないと広島部隊のような勝利を得ることは出来んよ。

579 :白馬青牛:2006/11/25(土) 23:42:54 ID:OzTrve9u
>>574
騎乗技術の優れた北・中央アジアの遊牧民と比較せんでどうするんの。
日本だけで自慰してもしょうがない。
>>575
虚勢の技術は無いね、日本や朝鮮は。暴れ馬を戦闘に使う自体が、
日本に家畜管理文化が乏しかった云うことじゃ。ほいで、車や犂を
使う文化は(モンゴル・高句麗・近畿は牛車を使う)西日本迄で
東日本はさらに家畜管理文化に乏しい(高句麗人が多く渡来した信濃や
百済人の多い甲斐でも今の処牛車の文化が無い)。

580 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 23:52:08 ID:ghpebQe7
なら帝國陸軍も独陸軍と比べろよ
お前の書いてる内容こそが自慰だろ

581 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 00:04:44 ID:QV1rX3U9
世界と比べたら広島聯隊なんて・・・w

582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 00:18:25 ID:Rp7e5ko6
>>578momiji
甲斐に多いとは初耳じゃ。

あのね、平安末の武士いうんは、何らかの形で京都との関わりを持っとったんじゃよ。
久下氏に従属しとった武蔵大里郡の弱小領主・熊谷直実の場合、
平知盛の家人となる事によって、正式な武士身分となれたんじゃ。
『吾妻鏡』で源頼朝が「本朝無双の勇士」と称えとるんが、子の熊谷小次郎直家じゃ。
これに反発したんが、下野の大名・小山政光と朝光じゃ。小山親子も勇士じゃのう。

583 :白馬青牛:2006/11/26(日) 00:32:00 ID:u8CogfxZ
>>576
『平家物語』の斉藤実盛の後世虚言物語を先に例に出したんは、
あんたじゃ。同じ関東人が討ち取ろうと騎馬戦闘を知らん者同士じゃ。
東国の富裕層も兵卒も東北蝦夷に苦戦するようじゃあのう。
ほいで、あんたは、蝦夷、縄文に劣等感を持っとるんじゃろう。
律令時代の関東の敵が、蝦夷より強力なオホーツク文化人相手じゃのうて
良かったね。近隣地帯や降伏した兵を前線に出し、主力部隊は督戦するんは
近代より前の戦闘じゃ当たり前じゃ云うたのに。関東隷属農奴兵が勇敢と
勘違いしとる。隷属社会制度の方が忠誠心で信頼出来るだけの話。
河内源氏に隷属した関東人がよう吼える。「天下一之弓上手」の渡辺党の
綱は摂津じゃったが、武人の供給地は摂津・河内じゃろう。
高橋昌明氏の云うよう関東はセミプロと云えば、誉め過ぎじゃろうのう。
まあ、東国史観者は狭い視野でものを云う。
http://d.hatena.ne.jp/Wallerstein/20061105/1162695442
ステレオ・タイプの関東優越史観者の根拠の無い前提条件をつける思考を
批判してあるゆえ爆笑したが、関東人は近畿地方、貴族を軟弱と先入観を
持って、自らの偏見で文献を解釈しとるんは、マルクス史観者、
関東優越学者やこのスレの関東原理主義者も変わらんとみえる。

584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 00:37:39 ID:+6smgo4l
まぁ西洋からみたら日本って遅れてるんだなーって思った
どうして西洋はあんな進んでるの?
鉄砲なんて普通思いつく?

585 :白馬青牛:2006/11/26(日) 00:54:13 ID:u8CogfxZ
>>580
ドイツ軍とは、当然戦闘しとらんよ。ほいじゃがドイツ軍を挙げる処、
相当敗戦軍であるドイツ軍の評価が高いようで。
ほいで、広島移民が多い日系人部隊は、ドイツ軍と戦闘しとるよ。
しかも武勲を立て、白兵戦でも日系人部隊が突撃するとドイツ兵は
逃げとったじゃないか。白兵戦は戦闘の最後の決勝戦であり、
負けた方は劣等感を持ち負け癖が付くよ。
>>582
ほう、熊谷氏は弱小領主か。現在の広島市安佐北区可部(可部の地名は、
古くは渡来系漢部・綾部からであろう。)に本貫を移したが、
広島へ移住した豪族を貶すのう。

586 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 01:17:04 ID:Rp7e5ko6
>>583
おいおい、(京都優越学者で有名な)高橋氏って…電波だらけの昔うしに戻ったかw
高橋氏のいうセミプロって、坂東武者じゃなく北条時政らだろ。嘘乙。
時政=セミプロ、何の根拠もないんだけどw

>渡辺党w
穢れ除去氏族の渡辺党w新日吉社の流鏑馬の射手なw水軍だろ。
渡辺綱は架空の可能性も高い。

ところで、広島浄土真宗は葬式仏教じゃないの?w

>>585
貶しちゃいないさ、領地が小さいから弱小。河原兄弟も弱小だけど勇敢。

587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 01:38:18 ID:Id3vvea3
おっ、278乙 (=゚ω゚)  あ、牛も乙!
>>577
そうだな「弓馬四天王」って当時言われてたかどうかはしらん。
平将門の下総も大きな馬産地ではないが、湿地が多いので高台部分に放牧すれば柵も要らず
小さな馬牧が簡単に造れた。 また下総は氾濫河川が多く土地争い(戦争)が絶えなかった。
まあ、馬が良かったと言うより馬と戦争に慣れていたのが板東武者だろう。

京都公家の馬術と言うと「賀茂の競馬クラベウマ」「馬長」とか室町期の「庭乗」と
いう競技馬術だな、これには騎射は無い。
上杉謙信が八條房繁に学んだのがこの庭乗と言われている。今川の蹴鞠のようなモンか?

流鏑馬は一応武家乗馬の儀典化。つまり剣道や柔道の様にルール整備された武芸競技。
笠懸、流鏑馬、犬追物が小笠原家により規定されたが文治三年(1187年)頃。
だがこれらの馬術は応仁の乱の頃には流行らなくなった
まあ、テクは凄いが、あまり実戦的では無かったのだろう

588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 02:17:38 ID:nkRTN6YL
ちなみに牛さん。
電波や嘘はちゃんと認めてから次書いてね。
ホラ吹きっ放しはいかんよ。それこそまさに自慰行為。

589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 03:26:13 ID:O03VgZTc
>>585
すげー詭弁wwwそれ帝國陸軍じゃないだろwwwww
なら、日本の騎馬がいつ北・中央アジアの騎馬と対決したわけ?wwwww

レスする度に内容に矛盾が重なってくな

590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 08:27:29 ID:BeS2YfiN
>広島移民が多い日系人部隊
牛さん そういうのは「アメリカ軍」っていうんだよwwwwwwwwww

591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 23:30:22 ID:b2+24vh5
>>587(=゚ω゚)
関東の馬が信濃に劣るということはないと思う。ただ馬の自給率は信濃武士が高かったろう。
下総は古代以来の馬産地。5つの官牧、将門。
戦国の『結城氏新法度』66条。
江戸時代は幕府の牧が広範囲に設置されて、この時代は日本一の馬牧の集中地。

競馬は馬場において、互いに邪魔しあいながら速さを争う。馬長というのは知らない。
王朝貴族と近衛武官が好んだ騎射は、的が動かない静止的で実戦に通じない競技で、
室町期に流鏑馬的な騎射が廃れた理由の一つ。
武士が好んだのは運動的な犬追物で狩猟・実戦に近い。小笠原弓馬も室町期はこれ。

それで…
>笠懸、流鏑馬、犬追物が小笠原家により規定されたが文治三年(1187年)頃。
小笠原流と鎌倉時代は全く辿れないよ。
江戸時代になって隆盛した赤沢系小笠原氏が創作したもので、偽系図レベルの話。
小笠原流自体が信濃小笠原氏じゃなく、分家で幕府近習の京都小笠原氏で室町中期以降。
これが没落して戦国期、本家の信濃小笠原氏の貞慶等が出てくる。

592 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 23:49:06 ID:b2+24vh5
>>583
蝦夷が最強なのは九世紀頃か十世紀までな。劣等感?

593 :白馬青牛:2006/11/27(月) 00:14:49 ID:W31u9YVh
>>586
高橋氏の文は、P163「北条時政の他浪人や流人がかなりのウエイトを
占め、相模の中村・三浦一族、下総の千葉氏以外さしたる名前も見えない
以上、傍流ないしセミ・プロ」といって、はなはだ見当はずれに
あたるまい。」とされとる。わしが昔可笑しな事云うたじゃ、電波じゃあ、
嘘つきたあ、なんなら。どこで嘘ゆうたんか云えいや。わりゃは、わしが
>>583で、根拠のない前提条件をつける関東原理主義思考じゃ云うたら、
都合が良うないんか、知らんが、礼儀の悪いレスを返しあがるのう。
高橋氏は、P164「一時的に軍務につく者は武の専門家とはいえない。」
じゃけえ、セミ・プロが多いじゃないか。ほいじゃが、わしは高橋氏の
プロの兵以外が弱い云われるんは同意出来ん。広島神機隊も京都山国隊も
アマチュアじゃ。世界史的には、米独立戦争でもテネシーあたりの
山岳民兵が英国正規軍を包囲殲滅しとる。じゃが関東領主農奴の
土地争いは問題外じゃ。渡辺氏が水軍を持っとったら騎射技術が無い事に
なるんか。関東の者はよう根拠のない前提条件を付けるわい。
靺鞨・女真は、騎馬と水軍と両要素を持っとったど。
浄土真宗が葬式仏教?その根拠を詳しゅう云え。

594 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 01:06:56 ID:Tj6xejy9
>>593
高橋氏のは散々論破されて懲りたと思ってたが・・・w
セミプロで指してるのこれだけ→北条時政の他、浪人や流人。根拠無いw
杉橋隆夫氏:著しく中央のしかも京都に偏重した分析視角。

早川牧の中村氏、馬と水の武士団千葉、三浦。三浦一族は騎馬にも長けてたが。
妻帯の浄土真宗は増殖するw安芸は知らんが、肥後のケースはまさにそう。
親鸞の教えは常陸な。
安芸武士は毛利家臣。門徒だから強かったなんて事はありえない。

595 :白馬青牛:2006/11/27(月) 01:10:01 ID:vOWE9Hq7
>>587-591
農民土地争いのどこが実戦なんか。スローガンじゃのうて、関東の
戦闘方法とやらを云えいや。都の騎射技術がないよう後世の例を挙げて
工作活動か。つまらん。的が動かんのは静止で実戦に通用せんじゃと?
http://members.at.infoseek.co.jp/ikokunotabibito/sisen2/seikai12.htm
チベット系の遊牧民カムバやアムドの騎馬技術はどうか。われの妄想じゃ
あ、実戦的でないんか?的に向かい射撃しとるが、静止じゃしのう。
曲乗りも遊戯か。「井の中の関東蛙世界を知らず。」
上の文にある、東チベット人カムバが、頭が良く商才があり、勇敢で
白人女性にもてるのと較べ、関東人は前提条件を付ける癖があるよう
頭が悪く、近畿地方に経済的に支配されたよう商才にも乏しい。
退く事を知らぬ勘違いの勇敢さしか無く、白人女性にもてるかどうかは
知らんが、関東人はカムバに、我々は口取りや馬柄杓、歩く者の速度に
合わせる優れた騎馬文化があると自慢するんかのう。
>>588
じゃけえ、どこが嘘なんか具体的に云えいや。わしの言は嘘や電波と
前提条件付けか。ほんま関東の人間は陰湿で隷属奴隷根性が染み付いとる
よのう。

596 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 01:28:51 ID:Tj6xejy9
>>595
>農民土地争いのどこが
それ言ったら戦国時代も同じじゃねw弥生以来の伝統。

京や奈良の騎射は半島通じて大陸から伝わったもので、都オリジナルじゃない。
で、そのチベット系の人たちは今も馬乗って戦ってるの?

597 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 01:38:19 ID:CsXNUgd0
牛さんのレスに戦国時代が出てこない件

大陸や古代の話をしてもいいから結論をちゃんと戦国時代と関連付けろよ。

598 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 01:58:43 ID:B0/kdvlu
広島マンセー原理主義者だから無理www

599 :白馬青牛:2006/11/27(月) 02:04:10 ID:vOWE9Hq7
>>589-590
自分の気に入る返答じゃなかったら、詭弁じゃまた前提条件反応か。
日本の騎馬が北・中央アジアの遊牧民と対抗出来る根拠を云えいや。
米軍であっても、彼らは日系人部隊じゃ。白人兵や黒人兵じゃない。
>>592
蝦夷が最強なら、なんで近畿人の奴隷になり、支配されたんか。
>>594
論破したじゃあ、強がり、虚勢だけは相変わらずじゃのう。
わしが意見したら、妄想世界に閉じこもるのう。
騎馬に長けていたが、云うんならどの点がそうなんか?わりゃは、
空虚な実戦スローガンでばっかしじゃのうて、具体的に云えいや。
広島が、海外移民県じゃったのも真宗王国で、東日本のように間引きの
産地でもないしのう。肥後が真宗の影響が強いとは初耳じゃ。
真宗王国は北陸に多い。ほいで、常陸における真宗の何か?文化、社会的
影響とは何があるんか?安芸武士が毛利家臣云うより国人連合。
拘束力が薄いゆえ兵力動員に遅れる弱点もあったわい。真宗地帯は、
権威、権力に弱い縦地帯の兵よりも、兵士の横の連帯感があり、長所にして
強みじゃのう。

600 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 05:03:22 ID:B0/kdvlu
戦ったことすらないのに、北・中央アジア>日本って無根拠に主張したのお前じゃんwwww

お前いつも「ほいじゃ聞くが」とか言って、強引な例え話して論点逸らすよな

601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 05:10:55 ID:i2+vepBW
ま、最強は
薩摩、越後辺りだな

602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 12:57:23 ID:6RHotr13
インパールの三個師団が全て広島人の師団だったら、デリーの赤い壁に日章旗が翻っていた。間違いない!

603 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 13:08:38 ID:JTRxvcBt
>>602
ありえない。
輜重を軽視したジンギスカン作戦なんてアホなことを実行させる参謀がいる限りw

604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 13:46:32 ID:wO8XoYQZ
>>599
戦ったことないのにどうやって根拠言えと?
それにその日系人部隊、広島師団と何の関係もないだろ。
じゃあさ、その日系人部隊が負ければ広島師団は弱いってことになんのか?



605 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 16:47:42 ID:JTRxvcBt
>>604
単なるお国自慢だろ。
鹿児島のヤシ等よりましだよw

606 :白馬青牛:2006/11/27(月) 23:52:55 ID:ym8qN+Zk
>>596
10世紀の温暖化により東国の生産力が上がり、西日本では干ばつが頻発
し、近畿勢力の利権も絡んどると思うが、気候変動が東国の土地争いの
要因になったと思う。近畿地方の騎射は渡来系の技術じゃと思うが、
関東や東北はどうか?オリジナルな騎射文化はないよ。信濃や甲斐は
高句麗系や百済系の影響であろう。蝦夷も騎射は、オホーツク文化人か、
渡来系の影響じゃろう。そのチベット人が今も馬に乗って戦う?
現在チベット・ゲリラは中国と交戦しとらんよ。じゃが、中国人は四川・
青海の山岳、遊牧地帯に住むチベット人カムバや羌系を「西蕃」と呼び、
チベット高原の中央部の穀倉地帯チベット人を「烏斯蔵」と呼び区別した。
カムバは、モンゴル人と較べると騎射技術では劣るであろうが、
山岳地帯ならではの健脚力、歩兵としても優秀じゃ。
河口慧海氏は、カム人は忍耐力があり、モンゴル人や(高原の)
チベット人より身体が強壮で、強盗をやるような奴でも人を救う為には
随分熱心にやり、義侠心に富み、おべっかなど大嫌いの性質である。
モンゴル人や特にチベット人はおべっかを言う。と書いておられる。
山岳地帯の人間は誇り高いね。日本でも、戦国末期、近世初期の領主に
山民狩に抵抗し、人質の婦女子を殺害された紀州や四国の阿波祖谷地方も
例外ではない。

607 :白馬青牛:2006/11/28(火) 00:34:16 ID:DbiFj/+r
>>600
旧日本陸軍が、漢人がほとんどであろう馬賊討伐で騎馬隊を編成し討伐に
向かったが、水野祐氏は戦争体験で「どうも日本の戦争というものは
伝統的な考え方は歩兵隊であって騎馬隊は遅れております。(中略)我が
騎馬隊は一回の進軍で全滅してしまい、二度と騎馬隊は作られません
でした。なにしろ、向こうの騎馬の連中は、手綱も外してうしろを向いて
銃を構えて、ちゃんと正確に射ってくる。日本の騎兵はあんなこと
出来ないですね。あんなものに絶対かなわないと思ってみていたのです。
私の父は日露戦争に行きまして、北海道の旭川の騎兵隊で、とにかく
日本の騎兵は弱いんだといっていました。ロシアのコサック騎兵なんかに
絶対かなわないから、コサックが来たら逃げたという話ばかり聞かされ
ました。」とされるが、比較材料になろう。そのくらい日本の騎馬兵は
拙劣じゃった。日本の騎馬兵が優秀じゃったと夢を見んなや。
>>601
根拠なきスローガン活動じゃのう。

608 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 01:17:18 ID:56aKRv23
>>602
3日で蜘蛛の子を散らすように逃散してるに10もみじまんじゅう

609 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 01:17:54 ID:gY8Evxbd
>>591
(=゚ω゚)  ありゃホントだ「下総国兵部省官牧・馬牧4、牛牧1」
下総って古代からけっこう大規模な馬産地なのね
下総や美浦に競馬のトレーニングセンターが有るのは知っていたが・・・w
競馬と言えば都の「競馬クラベウマ」だが競馬は十例トオツラ、馬長ウマオサと呼ばれていたらすい
たしか競馬は長谷川一夫の映画「地獄門」でやってた希ガス。
ちなみに正月十五日宮廷の年頭公事の競射が「射礼ジャライ」これは歩射だそうな。

室町期に流鏑馬的な騎射が廃れたのは大規模な戦闘も無くなり、戦闘馬術から
「庭乗」という供覧馬術に流行が変わったため。
庭乗は拍子乗・曲乗と見た目の華美を競い、歩き様を変えるため馬の脚の筋を切ったりした。
これでは戦闘できない。

まあ、あと現在の小笠原家の弓馬故実が正統かどうかは別問題で信濃小笠原家が
弓馬の達者ならこのスレ的には問題ないと思う。
そっち系のサイトだけ紹介しとく http://www.yabusame.jp/y_history/y_history04.html
小笠原長清については吾妻鏡が元ネタらすい。
 「十五日癸未 鶴岡ノ放生会ナリ。二品(頼朝)御出。参河守範頼、武蔵守広信、信濃守遠光
 ・・・足立右馬允遠元等扈従ス。流鏑馬アリ。射手五騎、各々先ズ馬場ニ渡リ、次ニ各々射訖ンヌ。
 皆的ニ中ラズト云ウコトナシ」

たぶんこの信濃守遠光が長清の父加賀美次郎遠光(信濃守)の事だろう。
牛っ!遊んでやれなくてゴメンな、591を恨んでくれ (=゚ω゚)ノシ 

610 :白馬青牛:2006/11/28(火) 01:32:01 ID:DbiFj/+r
>>602-603
実際広島の部隊はインパールで戦うとらんけえのう。仮定の話じゃ根拠に
薄い。じゃが、広島部隊じゃったら、インパールの前線部隊
15D・31D・33Dと同じ戦闘方法はせんかったと思うよ。
マレー作戦で広島師団の快進撃は、常に敵を攻め立て、つまりクリンチ
状態で敵に包囲殲滅する機会を与えんかった。戦闘は数より速度が
優先すると前にも書いたが、冷静に敵に考える余裕を与えたら駄目じゃ。
ほいでクリンチをはずし、離れたら敵の砲弾の餌食になるだけじゃ。
インパールはそれで敵に余裕を持たせ、やられた訳じゃ。まあ敗戦の
要因は、戦術のみではなく、いくつもの要因が連鎖した状態であるのが
常じゃが。インパールは牟田口司令官の絵図じゃろう。上層部が拙劣な
作戦を立てたんは、マレー作戦でも同じ。なにしろ辻参謀殿じゃったし。
>>604
国は違えど、広島県移民二世が多かったゆえ、全く関係ないとも云えまい。
日系人部隊がドイツ軍と戦うたんも参考材料になるよ。ドイツ軍の白兵戦
は弱点と見えるし。日系人部隊が負ければ云うても、日系人部隊は
負けとらんよ。また広島師団が共に闘った他師団より拙劣な戦闘をした
例もないよ。

611 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 01:46:51 ID:nXGDRkRb
つまり戦国時代の安芸兵は主張できるほど大した実績はないけど
近代の安芸兵だけは強かったってわけだね。

612 :白馬青牛:2006/11/28(火) 02:09:19 ID:xrymcv2F
>>609
またか。わしが>>595でチベット系遊牧民の曲乗りを挙げたのに、
白々しゅう実戦的じゃない云うとる。関東人は妄想が好きじゃのう。
近畿人に隷属した事を忘れたいんかのう。
>>611
戦国時代の安芸兵が実績がない云う根拠を云えいや。
応仁の乱〜朝鮮の役まで武勲を立てとるよ。

613 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 02:19:34 ID:nXGDRkRb
>牛
牛の最近の発言をまとめたまでだ。戦国時代に言及しないのは実績に乏しいからだろ?
お前こそ戦国板と脈絡のない近代と中央アジアの話ばかりじゃないか。
戦国時代に安芸兵が強かったと言いたいなら、根拠を示すのはむしろお前の方だ。

614 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 02:21:05 ID:zkfStU7V
>インパールは牟田口(ry
同意

>戦闘は数より速度が優先する
東部戦線
電撃作戦(速度)→ベルリン陥落(数)

>ドイツ軍の白兵戦は弱点と見えるし
WW2の時代の歩兵を白兵戦に特化させてどうすんだ?
WWIで機関銃に突撃→全滅みたいな戦争してんのに、白兵戦狙いの戦術なんてただのバンザイアタックだろ

615 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 12:55:16 ID:gY8Evxbd
>612
(=゚ω゚)  おいおい、漏れは曲乗りも静止射も否定はしてないぞ。
ただ日本の長弓は馬上では使いづらいし馬具も独特、当然戦術も違う。
西洋の馬術は馬が芸をするが和式馬術は人が芸をすると言うが道具の違いの差は大きいだろう。
ひとくくりに馬術うんぬんで海外の馬芸と比較はできんだろ。

616 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 15:40:28 ID:PD26UNCD
>>610
広島師団がドイツの陸軍に勝てるって証明になってないな。
アメリカ軍と日本軍では兵力が違うんだよ。アメリカ軍並みの兵力だったら
日本軍もドイツ陸軍に勝てると思うぞ。つか断トツで世界最強のなるかもな。
別に広島人だからとか関係ないだろ


617 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 22:26:25 ID:zkfStU7V
>>616
そりゃ日本だけチートしたら最強だわなw

618 :白馬青牛:2006/11/28(火) 22:39:45 ID:8j4XlV/6
>>613
大した実績がないと決め付けとるんはワレじゃろうがい。おどれが先に
安芸を実績がない云うて、決め付けて愚弄したんで。早う戦国時代に
武勲を立てた地域と安芸兵と較べてその根拠を云えいや。戦国最大戦で
外国勢との長期対決である朝鮮の役については語ったが、一日劇場決戦の
関ヶ原に武勲もあったもんじゃないがのう。ほいで、戦国板と脈絡が
ないじゃ前提付けとるが、どがいな理由で近代や中央アジアと脈絡が
無いんか具体的に書けや。諸地域による考察なきは鎖国史観に外ならん
云うて、わしゃは、何回も云うとるど。
>>614
白兵戦を特化?現代でも白兵戦がのうなった訳でもあるまいし。米海兵隊
白兵戦の訓練をしとる。ほいで、白兵戦は基本的に敵が浮き足立った
戦機を捉えて敢行するもんじゃ。機関銃の餌食になるんが解っとって
やるんは自暴自棄の思考停止状況においての場合じゃろう。白兵戦は、
お互いの距離が接近し突撃する最後の決勝戦じゃ。敵味方、彼我の将兵の
精神状態で、勝負が左右される戦闘において、重要な要素を占めるよ。
ほいじゃが、先の大戦で英軍ら西洋諸国の軍隊は白兵戦となると、
すぐ手を挙げ降伏して来たね。英軍は前線にグルカ兵がその役割を
しとった故かのう。新大陸の米豪軍は、白兵戦でも挑んで来たけどね。

619 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 22:44:10 ID:2IsiAPHa
第5師団歩兵第11連隊こそ帝國陸軍最強、と今でも言うやつがいるがな。
軍板にでも逝ってくれw

620 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 22:51:17 ID:pk2K/9XA
まぁ広島自慢はともかくとしてw
白兵戦は戦闘の最後の決だからなくなることはないね。
地上戦闘は地面を占領しなければならないわけだから。

でも挺身団に広島人が多かったと聞いたことはないし第1空挺団も特戦群も広島県人多くないよ。
お国自慢もほどほどに。

白馬青牛はここの25?
ttp://travel2.2ch.net/test/read.cgi/chiri/1144579367/

621 :白馬青牛:2006/11/28(火) 23:15:38 ID:8j4XlV/6
>>615
長弓は、重装騎兵が使う武器じゃ。軽装騎兵は短弓を使う。日本の騎馬は
騎乗者は重装騎兵の装備である甲冑を付け、馬には、馬甲を付けず、裸に
して軽装騎兵の装備じゃ。おとぎの国の騎馬兵に過ぎん。西洋の
騎馬甲冑も、やたらに重たい重装備で、騎乗者が倒れたら従者が起こす、
おとぎの国の騎士じゃしのう。騎馬戦闘は、北・中央ユーラシアの
乾燥草原ステップ遊牧地帯の戦闘法で、東アジアの湿潤地帯や西洋の
農耕地帯には、発達せんかった。西洋のステップ地帯は現在のウクライナ、
ハンガリー迄じゃ。ロシア人が農耕民でありながら、コサック騎兵が
優れておるんは、近隣遊牧民と黒海周辺の地理的要因。華北の漢人も
北方騎馬民族の影響とステップの延長風土が生んだもの。中国では南船北馬
じゃ。地図を見て華北の川が、「河」、華南は「江」。満洲西部が「河」、
満洲東部〜朝鮮が「江」であることも、風土を現しとる。日本列島は、
ステップ地域などないし、列島東西も「江」の湿潤風土になる。その
風土性を無視して中国の「南船北馬」を、日本列島も「東馬西船」と
無理やり当てはめたんに過ぎん。

622 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 23:23:36 ID:cN58T5n5
>>619
軍板に居られなくなったからここに来たんだって

623 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 23:39:07 ID:6Wv4TZNS
またも負けたか大阪ry


は、軍板ではおなじみの句。西国の兵隊が弱いのは、昔から結構言われてること。

>>614
ドイツがもすかうの喉笛に噛み付いておきながらソビエトに負けたのは、
・これからという時に最悪のタイミングで偉大なる冬将軍様が来た事
・ヒトラーが前線指揮官の讒言を無視してスターリングラードを攻めた事、
・イタリアのヘタリアぶりがry
の上記が挙げられる。
大体、ソビエトの軍なんて一万の敵に二万人を突撃させて、一万の兵士を残して勝つ。って軍だからな。
速さも大事だが、その後の維持と処理が1番大切。

624 :白馬青牛:2006/11/29(水) 00:12:28 ID:qvz754hn
>>616
証明云うて、実際両者が戦闘しとらんど。あんたの云う兵力が何を
指すんか解らんが、日本軍が断トツで世界最強になるたあ、どがいな根拠
からか?旧国軍は郷土部隊じゃし、地域による兵団の性格も異なる。
>>620
旧国軍の挺身隊のことか?大陸打通作戦で、編成された特殊部隊である
桜挺身隊は、広島39D兵士で編成された。弱兵は陸軍中野学校出身の
特務機関S中尉だけじゃ。広島70Dにも挺身隊はあったし(広島第
121独立大隊金崎挺身隊の活躍は敵中深く疾風の如く潜入攪乱し、
神出鬼没にして、敵兵舎に突入する大胆極まる放れ業をやる等、
軍司令官から全部隊へ好戦例として示達され感状上申となった。)
これは、広島人が遊撃ゲリラ戦においても優れておったことを実証して
おる。戦術感や知的能力に優れた広島人ならではじゃのう。
華北戦線でも弘前36Dで編成された挺身隊はあったよ。
中国ではゲリラ部隊の要素が強い挺身隊も南方戦線では、挺身隊は
斬り込み白兵部隊のニュアンスが強うなるね。何で第1空挺団が出て
くるんか解らんが、地理版のそれは、「郷土の英雄。帝国陸軍師団の歴史
弐」の事か?廣島もみじ県民はわしじゃ。

625 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 00:23:07 ID:kNDPxAaC
>>618
実績がないものを出せと言われてもないものをどう出せと。アフォかお前は。
結局、牛は人の主張にいちゃもんは付けるけど自分から主張するのは
恐いんだろ?戦国時代の知識がないからな。
安芸兵が最強を主張するなら事例はたくさんあるんだろ?なんで戦国
になるとあいまいな書き方になるんだ??

>戦国板と脈絡が ないじゃ前提付けとるが、
そもそもこの板自体が戦国が前提になっているのだが。日系アメリカ兵にまで
飛躍するアフォには気付かないか。

>どがいな理由で近代や中央アジアと脈絡が 無いんか具体的に書けや。
自分のレスを読み直してみろよ。どこに戦国時代との関連が出ている?
それとも日系アメリカ兵と戦国時代の兵に脈略があるとでも?中央アジア
の騎馬民族が戦国時代に影響を与えたの?

>諸地域による考察なきは鎖国史観に外ならん 云うて、わしゃは、何回も云うとるど。
そりゃそうだ。では中央アジアと戦国時代を比較する意義は何?
薩摩、尾張、三河、甲斐、越後、武蔵などと中央アジアを並列に考察することが鎖国
史観解消になるのか?
もしかして各国史(日本史含)、地域史=鎖国史観だと思ってんの?

626 :白馬青牛:2006/11/29(水) 00:40:56 ID:s/RJsyZN
>>622
軍版は、日本最強師団スレが消えてしもうたけんのう。
>>623
大阪の部隊が何処で負けたんか、連敗した云う実例も挙げずスローガン
活動をやっとるだけじゃないか。関東の兵も弱兵の代名詞じゃろう。
軍司令部から評価が高うなかったね。インパールで前線に立った、
宇都宮33Dも中支派遣軍では雑魚扱いじゃないか。宜昌作戦でも、
乙(警備)兵団の中から広島39Dは最前線。次に評価が高いんは
四国の善通寺40Dで、石本支隊が参戦。それに較べ大阪34Dと共に、
宇都宮33Dも後方でお茶を濁しておった。宇都宮33Dも仙台師団の
新潟や福島の兵が混じっても、群馬、栃木、茨城の兵も含むとなると
前線には出せんと第11軍では評価されたんかのう。近畿兵団は、
軍の評価は低くとも衡陽攻略の武勲があるが、関東は近畿兵団と較べると
武勲に乏しいのう。

627 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 01:02:07 ID:XaunWNYF
>>624
読解力の無いあんたに分かりやすく説明るの難しいが、小学生に説明するつもり
で頑張ってみる。これでウダウダ言われたらもうお手上げ。つかワザと困らせようと
しているだけの性根腐った古狸なんだろうけど。

つまり、日本がアメリカくらいの国土・物量・兵器・兵の数・資源等あれば断トツで
世界最強になれたんじゃないかなって思っただけ。別に決め付けているわけではない。
こんな小さい国があれだけやれたんだから。

あと地域によってすら兵団の性格違うって自分で言ってるのに、アメリカの
軍隊と広島師団結びつけるってバカか?







628 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 01:19:39 ID:XaunWNYF
その日系人部隊がドイツ陸軍に勝てたっていうのは、アメリカの軍隊で日本人
を訓練して戦わせればドイツ陸軍に勝てるという証明にはなるけど、広島師団が
勝てるという証明にはならないよ。

629 :白馬青牛:2006/11/29(水) 01:23:47 ID:s/RJsyZN
>>625
ほうか、あんたの地域じゃ実績がない弱兵地域なんか。
虚勢を張るところ関東の隷属奴隷地帯の人間か?近畿地方を罵り、
根拠のない関東妄想物語で夢を見とるんは関東人。越後人に蹂躙され、
奴隷として売られ、哀れじゃ思うけどね。戦国時代についてどこが
曖昧なんか?朝鮮の役の安芸勢の活躍は云うたか、応仁の乱や京都
船岡山合戦でも安芸勢は大内氏の尖兵として前線で戦うとるし、
安芸国人衆の吉川氏や平賀氏は鬼と称される活躍じゃ。
戦国時代の知識がないと云うんは、どの文から解釈したんか?
戦国時代は兵卒から見た資料がほとんど無いゆえ近代の例から地域兵士の
考察が必要不可欠じゃ。わしも歴史に詳しいほうじゃないが、
西国と東国の社会制度の違い等、民俗、地理等様々な考察から多角的に
考察しとるよ。文献専門の一元解釈の妄想史学者より、ちいたー
ましかのう。ワレのように前提条件を付け、世界と比較せず何で
日本のことが解るんか。思考が関東鎖国主義史観に外ならん。
日本の馬文化も中央アジアの馬文化と比較することで特徴が明確になる。
地域史も民俗文化も国内だけじゃのうて東アジアの諸習俗の影響を無視
しては無意味じゃ。学問は閉じこもったら終わりじゃ。

630 :白馬青牛:2006/11/29(水) 01:51:53 ID:C3ItKxng
>>627-628
また虚勢を張り、わしが読解力が無いじゃ、根性腐ったじゃ、
バカじゃ云うて罵ることでしか優位に立てんと思うとるんは
関東奴隷根性かのう。日本人として風が悪い云う意識が無いと見える。
じゃけえ、世界最強になれたんじゃないかなって思うじゃなしに、
根拠となる事を具体的に述べよ云うたんじゃ。思うだけなら妄想ですと
自己宣言しとるだけじゃないか。米軍の日系部隊は民族区分された
部隊じゃし、米軍と国別で解釈してもしょうがない。
逆に広島師団がドイツ軍に勝てん云う証明にもならんね。

631 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 02:03:01 ID:5VfRtx7a
>621
中国の「南船北馬」を、日本列島も「東馬西船」と無理やり当てはめたんに過ぎん。

(=゚ω゚)  ん?「西国の兵はたいしたこと無くても操船術はナメてはいかん」と雑兵物語にも
書いてあった気がするが・・・ 今度気が向いたら調べとく。

馬に関しては日本書記や風土記にある馬産国は甲斐、駿河、常陸、上総、信濃、
美濃、飛騨、備前、日向、薩摩、対馬さらに延喜式で下野、安房、相模、武蔵が加わる。
 ・・・古代から馬産国はほとんど東国、九州やね。
古代の朝敵は蝦夷だったから自然信濃、関東に軍馬が集積され馬牧も増える。
だがこれは蝦夷の武器供与になりかねないので飼部の戸数、馬の売買は
政府によって管理されたそうだ。

実際放牧された野馬なんて調教する技術が無い事には軍馬にはならないからな
兵士レベルでの繰馬能力は推して知るべし。
これは一騎打ち時代の騎射馬術から時代が下り、戦国になると集団騎兵戦術となったため
修練馬術よりも難馬、癖馬を矯正する調教馬術の方が広まった事からも推察できる。

>馬には、馬甲を付けず、裸にして軽装騎兵の装備じゃ

おいおい馬鎧なら古墳時代からあるよ・・・ もちろん戦国時代にもある。
あまり重いと馬体がもたんだろ。それに長巻で脚払われたり熊手に掛けられたら意味がない。
ちなみに日本では神武帝の時代から歩兵も長弓だよ。

牛もそろそろ寝ろ (=゚ω゚)ノシ 明日また遊んでやる。

632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 02:39:42 ID:g3xyvy83
>>627
小学生はお前だ
そういう下らない無意味な厨妄想は好きじゃないな

その設定のとこまで築けるのであるなら朝鮮だろうとイタリアだろうとどの国でも最強になれる
それがアメリカだっただけ
その設定が前提なら中の人なんか関係ない

633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 03:44:01 ID:XaunWNYF
>>630
でも民族に区分されているからって何で米軍と国別で解釈できないのか
意味プ〜や。白黒黄色いるけどさ、色違い!って区別されるの?されたとして
みんなアメリカ兵に変りは無いよ。

>広島師団がドイツ軍に勝てん云う証明にもならんね。
まあね、実際戦ってないし。でも米軍との戦闘を比べてみてもある程度の
予想はできるんでないかな。

>>632
あはは。そりゃそっすねー反省します
でも日系人部隊と広島師団関係ないと思いません?
それで広島師団がドイツ陸軍に負けないと言っている牛も妄想でしょうに


634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 07:19:50 ID:/RLiDJI2
一々、「関東人は〜じゃ」「これも関東人の〜かのう」とほざく、この内容こそが根拠のない妄想で西国人特有の閉鎖的偏見だということにきづかないのかwwwwwwwwww

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 12:10:38 ID:XaunWNYF
そうだ牛、関東人が奴隷根性持っている根拠を具体的に述べよ。

そもそもどういう意味だよ池沼?

636 :620:2006/11/29(水) 12:23:36 ID:qcjCczHi
>>624
挺身団=空の神兵のことだよ。
知っててとぼけてるのかい?

第1空挺団と特戦群を出したのは戦国時代の話に旧軍の話を出したからさ。
WAiRは知らんけどね。
46iRから1AbnBへの転属者がほとんどいないところを見ると少なくとも現代では言うほど広島の兵隊が強兵とは思えないんだけどね?
時代が違うと言うのであれば旧軍の話もスレ違いじゃないの?

637 :白馬青牛:2006/11/29(水) 22:52:56 ID:Wlakuyru
>>631
『雑兵物語』は、関東人による『関東雑兵物語』じゃないか。馬の調教技術
も、平家の郎等であったが、因人になって梶原景時に預けられた武蔵国の
都築経家が、陸奥より悪馬が献じられ、誰一人乗りこなせん処、見事に
御して見せ、厩別当にした処、特別な方法で馬を飼い馴らし、数珠繋ぎに
した馬達が、人手を借りず彼の馬の尻について来た。経家が入海した為
「その飼けるやう」を知る者もおらんようになったという。
関東では、馬を御せる技術を持った者がほとんどおらんかったんじゃのう。
後の戦国時代になって癖馬を矯正する技術とは、具体的に何か?
馬鎧は古墳時代、渡来系の影響であったが、日本の戦国時代は革か藁
じゃったんじゃないんか。古代のパルチア重装騎兵の馬に対する防御は
銅鎧じゃった。重装騎兵の役割は移動出来る防御壁で機動力はない。
そして武器は長弓・長槍じゃ。機動力、追撃は軽装騎兵の役割で、武器は
短弓を使う。敦煌壁画にあるよう鮮卑の重装騎兵も長弓を使用した。
日本では軽装騎兵による機動力が伝統的に重視されんかった。
そもそも実存した人物か解らん日本の神武帝の時代云うて、何時の時代
なんか?じゃが弥生期の倭人もおそらく長弓であったろう。

638 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 23:45:46 ID:/Aln6xKZ
>>637
馬甲は馬への負担を軽減する事を目的に、革製を用いられることが多かった。
また、鉄砲が普及するまでは皮でも十分。
想像以上に丈夫だからな。
とういか、武士・兵士の鎧も当世具足までは皮が主流なんだがなあ。

639 :白馬青牛:2006/11/30(木) 00:23:52 ID:NM90QIpm
>>633
国別で米軍であっても、第二次大戦時は、日系人部隊として編成された訳
じゃし、現在の多人種混合の米軍とは違う。広島師団は英軍とは戦闘しとる
が、どう予想出来るんか?予想屋のあんたに尋ねるが、ドイツ軍とグルカ兵
あるいはインド兵が戦闘した場合はどう予想するんか?
>>634-635
ほいじゃあ、ここに来とる妄想関東人閉鎖的偏見はどう思うんかいのう。
関東人あるいは東北人も混じっとるんじゃろうが、つまらん罵りを浴びせ、
虚勢を張り、わしの文面全部分じゃのうて、一部分を採り上げて、そこから
自分勝手な解釈を付けてわしにカバチ(文句)たれる。人の揚げ足捕りに
熱心じゃわい。他板でも毎度の事じゃ。親方小方、主従関係で結ばれた
上下の区別の強い社会は嫉妬も強いと宮本常一氏は云われたが、
このスレの関東人を見てなるほど、隷属奴隷根性かと考えさせられるよ。
戦国期、関東人が越後人に蹂躙され奴隷化されたことも要因の一つかのう。
>>636
挺身団だけじゃあ、何処の挺身隊か解らんし、第1空挺団も現在の自衛隊の
習志野空挺団のこと云々はっきりさせて云うたらどうかいのう。
ほいで、第1空挺団に広島人が何人おるんか調べたこたあないが、何で
空挺団にどれだけ転属するかで強弱を決めれるんか?そもそも広島人は、
軍人指向も強くなく、上官に従順な性質じゃない。お国自慢板の
郷土の英雄。帝国陸軍師団のスレでも書いたが、広島39Dで編成された
挺身隊の勇士であるI岡曹長やM村一等兵も上官に逆らい、上官に暴力を
振るう等軍隊では悪兵に属するであろう。わしの身内である曾祖父も
気にいらん上官は暴行しとったし、祖父も行軍訓練を友人と一緒にさぼり、
煙草を吸うて休んどったよ。全ての兵士じゃないが、広島人は上に諂わず、
隷属屈辱感をもたん真の勇士もおられた訳じゃ。

640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 00:26:19 ID:q/aNZkHQ
現代の関西人(西日本)ばかり優秀なスポーツ選手を輩出してることからも
関東人はうんこ

641 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 00:50:29 ID:jRe93W/l
関西出身の優秀なスポーツ選手というとノリと清原のことか

642 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 00:52:16 ID:t7YTsr5k
それただのDQNじゃんw

643 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 00:54:40 ID:v6NmhDkA
>牛
>他板でも毎度のことじゃ
なるほど。何が原因かより一層明確になったなwww

644 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 01:12:05 ID:d7DqZeFa
>>639
予想屋のワシに言わせれば広島師団はドイツ陸軍にはコテンパンにやられる
じゃろうけぇのう。他は自分で妄想してな。妄想自慰は得意なんだろ

てか質問を質問で返すなよ。疑問文には疑問文でって学校で習ったか?
それとも学校あまり行かなかったのか?サボり癖は血筋か?それとも引きこもりだったか?

>わしの身内である曾祖父も
>気にいらん上官は暴行しとったし、祖父も行軍訓練を友人と一緒にさぼり、
>煙草を吸うて休んどったよ。全ての兵士じゃないが、広島人は上に諂わず、
>隷属屈辱感をもたん真の勇士もおられた訳じゃ。


自慢になってないよwなんつーかもう手遅れだこれw
間接的に真の勇士以外の広島人は隷属屈辱感持っているって言っちゃっているよw


わかったわかった、広島師団が強かった理由がやっとわかった


訓練サボる人が多かったから!納得したからもういいよ。最強の理由がわかったww

645 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 01:14:25 ID:t7YTsr5k
助けに来たぞ!!
      アッララララーイ      アッララララーイ
                              
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646 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 01:35:45 ID:gCUlmJ3f
>>640
甲子園優勝が関東と北海道ばかりの件

647 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 02:23:06 ID:EoKSYktC
>『雑兵物語』は、関東人による『関東雑兵物語』じゃないか。

(=゚ω゚) う・・・陰徳太平記以下なのか?雑兵物語

ところで都築経家って「つつきの平太経家」武蔵七党の都筑党の事か?
都築郡は相模、武蔵主要官道沿いだから古代から兵部省の駅伝駅馬、早馬の補給のため
駅家や馬牧が有ったらすい。勅旨牧の立野牧は国内最大級ではないかと言われてるらすい。
武蔵七党中には馬牧の別当もいたし蹴馬の党(つーか盗賊)もいたようだ

>後の戦国時代になって癖馬を矯正する技術とは、具体的に何か?

ほとんどの和式馬術は失伝しているので新当流馬術の具体法はわからないが
おそらく「責め馬」の事だろう、馬を痛めつけ力づくで矯正する。
鞭を馬の頭部や股間に打ち込み声で気合いを掛ける。手綱をしゃくり、煽る(アフル)。
癖のつよき馬は縄をさし後、人に引かせる。十日も二十日も日々世々に責める。
昔の地方の馬産地や地方競馬騎手は時々やていたそうだ。
ただこの方法、馬体の大きい馬や過敏な馬には当然できないそうだ。よって現代馬では無理。

ついでに重装騎兵も日本の湿地山間部では無理だろ、密集体系が使われだした頃には
鉄砲が普及している。
アイヌは一位の短弓だが和人の銅鐸には長弓の絵が彫ってあった希ガス

648 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 02:24:10 ID:KIVN6Mi1
とりあえず全国規模の公共の場では標準語を使おうぜ。

649 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 03:02:39 ID:t7YTsr5k
>>646
ヒント:高校の強い部活は中の人の出身が違う

650 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 03:06:06 ID:UQ7RShh9
まあそれは西日本でも同じことだ
たしか一番よそ者率が高かったのは島根か鳥取だったはず

651 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 07:37:49 ID:gCUlmJ3f
>>649
ヒント:オテモヤン、アトリ、サトー、オーマエ、イシアヒ、マス、フミ、ハンカチ。関東の注目選手はやはり関東人。

>>609(=゚ω゚)
そのサイトは突っ込み所満載のページが揃ってるんだよね。小笠原、武田のとことかw
しばらくの間、うし任せた∩( ・ω・)∩ 

652 :白馬青牛:2006/11/30(木) 23:51:12 ID:yMZ+UnOe
>>644
じゃけえ、ドイツ軍とグルカ兵、インド兵が戦うたらどう予想するんか?
早う答えんかい。妄想自慰が得意な予想屋さんよ。人に質問しよって、
わしが質問したら、よう答えんたあ、つまらん。
祖父は、途中まで他の兵達と一緒に行軍したが、途中の山に登る坂道で、
友人と共にうまく隊列から抜け休んで煙草を吸い、帰り道で合流した訳
じゃ。全部サボった訳じゃない。兵隊の要領じゃ。そのくらい「気が
きいてズルくさく」ないとやれんよ。
また、揚げ足取りか。中隊単位で悪兵の数が多数派の訳あるまい。
ほいで、各中隊から知力や基礎体力も抜群で、意志強固な自ら自己犠牲
出来る志願兵を集めて特殊部隊を編成しても、一般部隊より精強である
とは限らん。優秀な選抜兵では、同類性格に偏り、戦術に柔軟性がなく
硬直化された状態になりえる。「兵は詭道なり」敵軍の発想の裏を
突かんと戦勝は望めん。一つの部隊には、悪兵とされた人達の硬直化されて
おらん創案や行動が激闘には必要であろう。
そういやー、伝統と武勲を誇る広島第11聯隊ながら陸軍大学受験に
十年近く合格者皆無のことがあったようで、第11聯隊は勉強嫌いの
(頭から受験しない者も相当にあった。広島人の出世嫌いか。)
個性の強い、カンシャク持ちか、一癖も二癖も持合わせてた青年将校が
多かったそうじゃ。癖者の将校や悪兵の兵士等の個性が比類なき武勲を
立てた要因でもあろう。

653 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 00:33:30 ID:Zo5iLPeI
>651( ・ω・)∩ 

(=゚ω゚) 突っ込めってw 釣り師じゃのう。
ところでマスとはマス大山の事かねチミィ。総帥は半島人だったな。


654 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 00:53:38 ID:VHXLlZGQ
>>652
>人に質問しよって、 わしが質問したら、
質問されたら答えろバーカw人の質問にまともに答えたこと無い癖に
よく言えるな妄想自慰が得意な妄想爺さんよw

広島師団最強なの納得したっつたろ?もういいよ広島は。
でもサボる兵士を真の勇士と言ったり悪兵と言ったり矛盾してないか?
まあでも前々からだし、もうとりあえずどうでもいいよ広島は。聞き飽きた

655 :白馬青牛:2006/12/01(金) 01:17:00 ID:Se9NPztv
>>647
文献に上下はないよ。『雑兵物語』は関東兵卒の物語云うとるだけじゃ。
まあ、敵兵士の鼻の削ぎ方た略奪方法等、武具、兵糧に至るまで参考と
なる資料であろう。相模と接しとる都筑郡は、武蔵七党の、横山党か
西党の勢力範囲か?詳しゅうは知らん。立野牧を含め武蔵じゃあ、
多摩川、山麓ラインの西部に牧が多いんは、高句麗系の影響かのう。
武蔵と下総と接する檜前牧は、百済と縁の深い漢氏系じゃろう。
調教方法じゃが、いきなり乱暴に乗りまわしたら駄目で、「控馬の法」と
云うて歩ませて微かに汗ばんでくると、前足を縛り跳踏出来んようにし、
轡をはませて水を飲み草を食むことを許さぬ。日中または夜間に控しては
これを牧場に追いやる。数日間これを反復すると、ようやく腹は小さく
堅く、臀は大きく実となり、そこではじめて乗用につかせる。
これがモンゴル式じゃ。じゃがモンゴルは去勢もする。
重装騎兵は山岳地においても高句麗の例があるよ。むしろ日本は機動力を
活かした軽装騎兵に乏しい為、短弓を採用せんかったとも云える。
>>651
小笠原が備前で武田が安芸のことか?

656 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 16:27:30 ID:NVZ/5Mtj
ドイツ第6軍が広島人ばかりだったら、A軍集団は後背を心配することなくコーカサスへ行けたのに。
つーか、疾風迅雷の広島人がA軍集団の主力だったら冬になる前にコーカサス通り越してペルシャ湾に到達してたわ。

657 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 17:14:16 ID:wU/yE47Z
下手な煽り

658 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 19:16:51 ID:Zo5iLPeI
>相模と接しとる都筑郡は武蔵七党の横山党か西党の勢力範囲か?

(=゚ω゚)  オイラも知らんから検索してみた。
武蔵七党については表記はバラバラだそうだ ttp://www.myj7000.jp-biz.net/q&a/q&a3.htm
「武蔵七党系図」=横山党、猪俣党、野与党、村山党、西党、児玉党、丹党
「武家職号」=丹治、児玉、猪俣、私市、西野、横山、都築
出自は丹党が大丹生氏、横山党、猪俣党が小野氏、野与党、村山党が平氏、
西党が日奉氏、私市党が私市氏、児玉党、都築党が藤原氏を称する。

都筑党は「綴党(つづきとう)」「都築党」とも表記されているな、詳細不明とある。
綴(都筑)党は石川牧・立野牧の有った武蔵国都筑郡域の丘陵地帯を地盤とした武士団
一説には綴党の根拠地は早渕川沿いの荏田城(江田)という地域で
「荏田」とは、古い言葉で水はけの悪い湿田の地を表していたという。

資料価値はともかく平家物語の『鵯越の坂落し』に出てくる。
>是を初めとして秩父・足利・三浦・鎌倉・党には猪俣・児玉・野与・横山・西党・都築党・総じて私党の兵共
>源平乱れあひ入かへ名のりかへおめきさけぶ声山をひゞかし馬の馳せちがふ音はいかづちの如し
ついでに「源平盛衰記」
>爰に武蔵国の住人綴党の大将に、太郎、五郎とて兄弟二人あり。共に大力也けるが、
>太郎は八十人が力あり東国無双の相撲の上手、四十八の取手に暗からずと聞ゆ。
・・・でも由比ヶ浜の一騎打ちで綴の太郎、五郎は和田義茂少年にまとめて討ち取れる。

659 :白馬青牛:2006/12/02(土) 00:17:12 ID:fNxKuhqg
>>654
旧国軍では、命令に忠実でない兵を「悪兵」云うレッテルを貼った訳で、
その「悪兵」とレッテルを貼られた方々も戦闘行動では「真の勇士」たる
活躍をされた人達も多く矛盾しとらん。じゃが広島は規律に厳格な部隊
じゃ。広島師団から熊本師団へ転属された方は、「広島兵団の厳正な軍紀
とは対照的に、(熊本兵団は、)規則は極めてルーズであった。
広島兵団では想像出来ないことであったが、この部隊(熊本)では、
古参兵達が日夕点呼ののち夜遅くまで酒を飲む風習があった。この為、
初年兵は夜遅くになってから鶏料理をつくらされたり、羅店の町に酒を
買いにやらされたりしていた。」と、される。
九州兵団は、そこらへんは容認されとったようじゃ。南国的開放性か。
広島部隊では、夜遅く酒を飲んだだけで重営倉送りになりかねん。
じゃが、兵達が深夜酒を飲んだのがバレて処分問題となった時、
某下士官が、「立派な兵にさせますと兵達の親に誓って預かった以上、
わたしが嘘をついたことになります。この責任は私にあるので、腹を
切ります。と中隊長の軍刀を拝借しようとした時、中隊長は、部下を
預かった責任者は自分であり、私の責任である。お前が腹を切る必要は
ない。」兵達は、その、いきさつを中隊長から聞き、処分は厳重注意で
終わった。現代は薄れてきたが、上に立つものが一番大切なものは、
能力よりも責任感である。上下の信頼関係が部隊を精強にする。
まただんだん話がそれたが、重要なことゆえ、書いたわい。

660 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 00:26:08 ID:lAcW9HzM
ギギギ

661 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 00:59:21 ID:eVPNnCuz
見事に脳内で完結してんな

662 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 01:02:23 ID:GGBNneQl
日本軍なぁ・・・先人達には敬意表すべきだと思うんだが
日本残酷ナントカという本読んで青ざめたんだよな・・・。
幕末から戦後までの処刑であったり、戦争での死体写した写真が
どっさり載ってたんだが、ああいうの見ると日本は恐さがリアルにわかる

663 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 01:15:08 ID:eVPNnCuz
世界から見たら優しいもんだド阿呆
同一民族での内乱と大陸の異民族と戦ってたやつらの拷問・処刑の方法を比べてみろ

664 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 01:23:40 ID:GGBNneQl
そうなのか?戦国時代の処刑よりも凄まじいの?

665 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 02:31:26 ID:eVPNnCuz
聞いてきたら?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1156159955/

666 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 09:04:43 ID:bbOejYB9
>>664
戦国時代の処刑法は南蛮の影響が入ってどんどん残酷になってなかったけ?

667 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 13:26:45 ID:GGBNneQl
>>666
あまり詳しい事わからない。けど、残酷さは戦国がピークなんだろうな

668 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 17:01:12 ID:UnO66Sr8
>>667
日本ではね。
でもヨーロッパに比べたら可愛いもんだ。

669 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 23:16:34 ID:vZsXxOlD
鳥籠とかよく作ったよなあんなもん

670 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 14:48:37 ID:Hl/tWHY0
>>お国自慢、思い入れも大歓迎〜
1よ、お国自慢板に立てるべきだったな

671 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 19:39:53 ID:gTrrgfaN
つぎのネタは残酷な処刑法のお国自慢か?
隠れ切支丹は凄そうだが

672 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 15:49:38 ID:NrmRwZuD
結果がすべて! と言う事で三河にてアゲ

673 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 18:21:40 ID:pUeZcuCe
いや、どう考えても薩摩。
利点
@鉄砲が多い。
A剽悍。
B忠誠心が高い。
C朝鮮出兵での活躍。
D釣りの伏せの戦法。
E座禅陣(退却戦)。
F言葉が通じない。(調略ができない、忍が入れない)
G貿易港があるために武器の最新化ができる。
などがある。

674 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 18:22:53 ID:VWmDwM8c
桜島、霧島同時噴火で鹿児島沈没の可能性あり

675 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 19:09:16 ID:aVAbzG3z
島津vs立花では・・・?

676 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 23:57:32 ID:KufFcRB+
島津だろっ! 時代や装備は変わっても、強兵と呼ばれる地域は他にあるか?

677 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 00:08:06 ID:F0Frn5w/
島津は16世紀後半以降、地の利を生かした鉄砲戦術だな。

678 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 13:24:51 ID:PlA52nBw
>676
関東

679 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 15:25:10 ID:UBqTZmQ4
関東はねえだろ、
家康が関東に来てから徳川軍が弱くなったのを知ってんの?

680 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 16:57:13 ID:bOVVCdfR
>>679
移住した三河武士だろ。
平和になって実戦から遠ざかったから、つーかどこも同じく。

681 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 19:20:42 ID:PlA52nBw
>>679
徳川軍が在来の関東兵とは言えないだろ。
というか関東兵を封じてた存在が徳川幕府

682 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 19:27:32 ID:W6iA8tqL
>>675
立花道雪、宗茂の軍は、大将が兵の戦意を引き出すタイプだからなあ。

683 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 21:15:01 ID:DZVlqaev
徳川は小牧長久手の時から、関東移封を経て
小田原とか関が原の時は兵力が2〜3倍になったから
三河武士は全体の1/3くらいかもしれないけど
そこまで弱くも無いし、間も空いてないな

大阪の陣は間空きまくりだし、武将も入れ替わってるし
兵卒は戦争を知らずに〜僕らは育った〜♪連中なんだろうな、三河物語にもそんなのあったし

684 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 21:29:50 ID:UBqTZmQ4
秀吉の命令でもとの領地に地侍を残してはいけないってのがあったもんでさ、
指揮者=徳川軍、兵士=関東兵
だとおもったのさ。
それに徳川軍って兵農分離してたの?小牧・長久手後にさ。
石川数馬の出奔で変わったのは甲州流と忠勝らを重用しはじめたことじゃない。
だもんで徳川兵は農民、よって関東にはきていないのでは?

685 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 21:46:00 ID:DZVlqaev
大移動したんでしょ、10万人とか
それで江戸を開墾するわけだし

686 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 22:55:29 ID:HCGnolRP
徳川軍の強さのピークっていつぐらい? 小牧長久手くらいかな?

687 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 23:02:40 ID:UBqTZmQ4
>>685
農民は移動できません。確か・・。関ヶ原の上杉みたいに?
でも、結局言いたいのは関東兵はよわいことだよね〜

688 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 00:11:49 ID:RLY62o3g
>>684>>687ID:UBqTZmQ4
根拠も述べずに(ry
家康配置以降、多くの関東地侍層が帰農を余儀なくされてるが。

689 :白馬青牛:2006/12/10(日) 00:19:55 ID:VFQKUPEI
>>673
@DEFGは、異論を唱えるほどじゃないが、ACは、同じ九州でも、
剽悍さでは、肥後熊本の方が薩摩より、一枚も二枚も上じゃろう。
近代熊本兵団じゃァ、鹿児島聯隊より、熊本聯隊の兵士の方が、
鼻息も荒く、命知らずで勇猛じゃった。西南戦争でも後半は熊本隊の方が
薩摩士族兵士より、勇猛じゃったんじゃろうて。朝鮮の役でも、
C文禄の役、慶長の役の蔚山の籠城戦等、小西、加藤の熊本勢の武勲は、
薩摩が泗川での活躍に較べ、優るとも劣るものではない。兎も角、
「鬼よりこわい六兵団」の世評は、概ね熊本聯隊の性質であろう。
薩摩は、肥後兵に較べ勇猛性では劣るものの、DEのように、機転が利く
利口な部分があるし、肥後に劣ると一概に云えん。逆に云うと、九州の
突進性の強い風土でこそ、薩摩の意表を付く、側面攻撃が功を呼び、覇を
唱えたと云えよう。戦闘で銃撃戦から白兵戦に移行し攻撃した時の最大の
弱点は、側面から銃火でやられること。薩摩は、遁走を恥とせず、
迂回殲滅と北方遊牧民の戦闘方法に近いね。九州の東シナ海側は、
東シナ海文化圏として、中国・朝鮮に近いが、肥前、肥後の方が、
勇猛で中華的なんかのう。薩摩人は武人より現実的な商人気質じゃし。

690 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 00:25:52 ID:fgYwb8JL
自分でモノを考えることがない人たちが最も強いに決まってるでしょ。

どこの出身なんていえるわけがないでしょ

691 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 00:33:53 ID:RLY62o3g
>>689usi
おっ、来たなw
南九州の薩摩は剽悍なチビッ子、肥前は鉄砲戦が強い。

692 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 15:53:08 ID:F2wnmPWs
葉隠の世界なら肥前が最強なのだが…

693 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 16:05:48 ID:Hq1BCHCr
>>692 観念の世界か?

694 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 17:33:31 ID:9NGPrHvY
雑賀衆は若い頃からワカメを好んで食ったらしい
だから眼が良くいい鉄砲撃ちになると聞く


695 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 18:49:59 ID:YZqSXYOn
新説だな。しかしなぜ根来ではなく雑賀なのだろう?
しかし鉄砲といえば>>673は立花にもほとんどあてはまってる気がする。

696 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 19:06:58 ID:JQja2XFp
ブルーベリーなら聞いた事ある

697 :前田 ◆LIBERALCQY :2006/12/12(火) 00:40:49 ID:uO9nrVsY
ブルーベリーを食べ続ければ視力が良くなると聞いたが。

どうなんしょ。

698 :白馬青牛:2006/12/12(火) 01:31:13 ID:YZgwL1oI
>>691
薩摩も肥後と較べると多少劣るが、九州西部・南部は剽悍であろう。
肥前が鉄砲戦が強いんかどうか知らんが、肥前は松浦党、龍造時等水軍の
産地じゃったのう。
久留米師団の久留米聯隊は、筑後、肥前(佐賀県)で大村聯隊は肥前
(長崎)じゃった。久留米師団の中でも久留米と大村の壮丁は剽悍
じゃったろう。マレー戦の緒戦コタバルでの久留米聯隊の決死的突入や
シンガポール戦での大村聯隊の猛攻、(ただし英軍に、砲攻撃で
押し返され苦戦したが、)九州兵団の勇猛振りは発揮したよ。
久留米聯隊はコタバルで多大な犠牲を出し、大村聯隊もシンガポールも
同じく犠牲者を多く出した。その勇猛性ゆえ一回の戦闘で犠牲者を多く
出すので、長期戦には不向きな部分や突進性が強く、後方司令部を
無視した為、軍司令部が危機に陥ることもあった。
また久留米師団は通称「泥棒部隊」の名もあり、マレー戦では聞かんが、
ガ島やビルマで同胞の日本軍から炊飯、諸用具まで盗んだようじゃ。
逆に云うと、盗みとりの機敏さは、戦闘で大いに役に立ったであろう。
同じ日本軍であろうと、まあ盗まれた方が悪いのが当然で、
戦闘じゃったら命を奪われとる。

699 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 01:33:06 ID:yjHB9Ut5
田舎の奴は地元で戦うと強いが外に出るとザコだったり他地方の奴と組むと足をひっぱる

700 :白馬青牛:2006/12/12(火) 02:07:28 ID:YZgwL1oI
九州兵団は、陣地攻撃をするとき、正面を見すえて応戦するので、
戦死者は、ほとんど眉間を射抜かれとったそうじゃ。
肉を切らせて骨を断つか。いかにも日本人好みの郷土兵団で、
九州兵団の世評が評判が良いのも、そうゆう個性の強い兵団じゃった
ゆえじゃが、勇敢と云うか無神経と云うか度胸のあるところは、
大陸の中国兵にも似とる。「ツンゴピン(中国兵)の奴、なめとる。
立ったまま、こっちを見とりゃあがる。」一般の日本兵は伏して
頭だけで出しとるのにツンゴピンは大胆じゃ。九州は東シナ海文化圏
に属するので、性質も一般日本兵と違う部分が多いかも知れん。
>>694-697
食物よりも生活環境。日本人は平原のアフリカ人や高原の
モンゴル人のように視力5,0以上は、ほとんどおらんじゃろう。
矢張り、騎馬や射撃は大平原の諸民族の得意とする処であろう。
日本のような森の風土の兵士は、偽装しておびき寄せて、
射つしかないね。

701 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 03:23:27 ID:/9GU3tFb
日本は海洋民族でもあるな
鉄砲射撃は日本の方が発達していたのではないか?

702 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 07:43:24 ID:aZCCnN8S
>>697
数時間で効果切れるからイギリスの飛行機乗りは出撃前に食べてたらしいよ

703 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 23:47:43 ID:1zSRrepk
>689 「泣く子も黙る6師団」じゃなかったっけ。小さい頃、意味も分からず節付けて歌ってた気がする。ついでに
「またも負けたか8連隊(大阪)も」w。6師団が熊本兵団であることを知ったのは大きくなってからだが。
 因みに福岡県人だが、郷土の久留米18D(菊)と56D(龍)を誇りに思っている。北ビルマで、大軍を相手に終戦に至るまで
 組織的戦闘力を失わなかった敢闘精神を誇りに思っている。防御戦、退却戦にこそ、兵の強弱があらわれると思うが如何?

704 :白馬青牛:2006/12/13(水) 00:24:20 ID:QE5zAru1
>>701
日本人は、海洋民族じゃのうて海辺民族じゃろう。海辺の民が食生活を
海に依存しても、古代から周辺諸国と較べても造船技術に劣り、
船文化に乏しい。特に太平洋側は黒潮じゃし、遭難したら海流に乗って
太平洋の大海原に流される。
戦国期の鉄砲の量産と技術は別の問題じゃ。土地の広い大陸の民の方が
射撃は巧いね。

705 :白馬青牛:2006/12/13(水) 01:48:19 ID:QE5zAru1
>>703
「鬼よりこわい」でも「泣く子も黙る」でもどっちでもええが、
ビルマで、前線で攻撃した部隊は、
15D(祭){名古屋60i・京都51i・東京67i、補充兵は京都師菅}、
31D(烈){高田58i・福岡124i(久留米18Dから離され、
ガ島全滅後再建した。)・奈良138i}、
33D(弓){水戸213i・宇都宮214i高崎215i(ただし仙台師団
(宮城・福島・新潟)の兵を含む。}。
久留米師団(菊・龍)は、烈の福岡聯隊を別として、前線で闘ゥとらん
かったゆえ、将兵が元気じゃったんで後の雲南の戦闘でも敢闘じゃろう。
特に15D(祭)は、近畿的合理主義で勝敗が決まったら消極的に
なったんを、玉砕するまで闘ゥた九州人が馬鹿にする傾向があるが、
衡陽攻略のように、九州兵団に優るとも劣らん戦闘をした近畿兵団じゃ。
弱い訳あるまい。病人でも戦闘参加したがる、戦場は勝敗より自分の
勇猛さを見せる舞台と考える九州人の虚栄心も、見栄っ張りの韓国人的
性格に似て、大陸や半島に近い連中じゃのうとも思う。
久留米師団は、マレー半島戦でもコタバル戦で損害を多く出し、それから
後方でお茶を濁し、決勝戦のシンガポール戦で、ようやく広島5Dと馬を
合わせて出た訳じゃ。牟田口(佐賀人)氏は、自分の地元の師団を損害を
抑えて、いっつも後だしするのう。防御は攻撃以上に兵士の強弱が出るが、
南寧・宜昌等、広島部隊の防御実績は比類無き武勲じゃった。

706 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 01:54:28 ID:qdMWRdSM
その文書くのに1時間半もかかったのかw

707 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 03:48:03 ID:5DO317bj
この牛さんは何者

708 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 05:13:50 ID:zThH5Z8u
やっぱ早稲田じゃね?
雑草の強さがある
慶應じゃこうはいかない

709 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 06:15:12 ID:5MYhvrni
>>ばーーーーーーか!!甲州信州の武田兵が最強に決まってるだろ!!

武田兵一人倒すのに三河兵3人って言われてたんだよ、ちなみに三河兵
一人倒すのに尾張兵3人って言われてたんだねえ、やっぱ山岳地帯の兵
が最強なんだよ、野生の名馬の産地でもあるしね

710 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 06:31:33 ID:5MYhvrni
九州の島津あたりも天下無双って言われてたな

711 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 10:27:44 ID:5FQaixH7
いい加減、戦国時代限定にして
近代の戦争の話は日本近代史で

712 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 18:00:59 ID:JSocnxbW
武田と言っても甲州、信州はちがうんじゃね?
武田を基準に三河と比べるなら北条との比較も面白い。

武田も長野攻略には手こずった。剣聖上泉信綱とかも居たし上州もイイね。

713 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 20:19:15 ID:QLk1vDmQ
>>711
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/chiri/1144579367/l50

714 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 20:42:15 ID:MUQidnKn
>>705
は?牟田口?
腹痛てぇwwwwwwwwww
牟田口が何をしでかしたかもまるでわかってねえなwwwwwwwwwwただ西国の地名が載ってある資料をコピペしただけだろwwwwwwwwww

715 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 21:14:27 ID:rfDI8jYG
>>679-688
徳川軍8万のうち半分以上は、武田兵を含む関東武士じゃないか。

静岡兵だけじゃ4万もいかないよ。


徳川四天王・赤備えの井伊隊は武田旧臣団、
水戸徳川家の家臣団も武田旧臣団、
北条綱成家は旗本になってるし、
関東の代官は、武田旧臣と後北条旧臣。


武田の動員兵力が3万、
後北条の動員兵力が6万、
関東移封後の徳川の動員兵力が8万だから、
当然、関東武士全員が徳川家臣になれたわけではない。

716 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 21:27:08 ID:vJ+iPo2B
>>715
兵卒(含む非戦闘員)と将校を分けて考えた方が良いよ。

717 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 21:45:16 ID:rfDI8jYG
承久の乱・関が原の戦い・大阪冬の陣・大阪夏の陣
での東軍の大勝利、
全て東国武士の輝かしい功績である。w


無敵・東国武士軍が、西軍を、かんぷなきまでに叩きのめしたのである。www


承久の乱
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E4%B9%85%E3%81%AE%E4%B9%B1

関が原の戦い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E3%81%8C%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

大阪冬の陣・大阪夏の陣
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E3%81%AE%E5%BD%B9

718 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 22:54:45 ID:fQkF3bIQ
白馬青牛さん、若しかして日本史板の大學教授さんじゃないんですか?

最近、日本史板に来られてませんが・・・



719 :白馬青牛:2006/12/14(木) 00:50:10 ID:MGTlWB0m
>>706
文を書くのも時間をとるよ。確認の為資料を見たり、烈兵団の奈良は
何番聯隊じゃったかじゃあ、ほいで文が長いけえ削っとったら時間も
かかるよ。
>>714
牟田口氏が久留米18D長の時、マレー戦で前線で闘こうとる広島5Dに
泣きつき救援を求めたことか?シンガポール攻略で途端に元気が出て、
牟田口久留米18D長自ら第一線に出ると駄々をこねたことか?
大村55iが、英軍の反攻で全滅の危機にあった時に、「第一線に出る。
聯隊長が戦死する前に、もう一度、会っておきたい」と泣いたようじゃが、
九州人らしい見栄、ハッタリをかませたんじゃろう。
西国の地名の資料?何なら、そりゃは。それたァ、あんたの方が、
牟田口氏が何をしたか書いてわしに異論なり云うたらええことでえ。
>>718
日本史板は、最近書いとりません。わしは教授と云うほど知識も
ありません。しかし、研究室に引きこもりの多くの大學教授殿も、
妄想を弄んどる連中で一部の人達は除いて賢くは無いでしょう。
気が向いたら日本史板にまた書きますよ。

720 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 12:58:08 ID:lzYyF8wK
>>716
(=゚ω゚) 三タマの八王子千人同心なんてどうだ?新撰組の時代まで活動していた感じだが。

721 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 20:48:45 ID:1iUgWJeK
717の逆を言うと、元寇、室町幕府成立、朝鮮の役、維新、
で主に九州兵大活躍。
関ヶ原・大坂の陣では九州兵は出てないに等しい。


これに並ぶなら、甲州兵。
長篠の戦い後の鉄砲に対する認識と自慢の騎馬兵。
しかし、鉄砲の新式化が難しい。

722 :白馬青牛:2006/12/15(金) 00:08:06 ID:AaAAVio7
>>721
九州兵の活躍だけに言及するんは、九州人の自分達を大きく見せたがる
ハッタリ癖じゃろうが、確かに九州勢の活躍まで否定はせんよ。
元寇の役は、伊予の河野氏の活躍も目立つが、地元ゆえ九州兵が多かった
ろう。室町幕府の足利尊氏の九州から東上する時は、中国兵や近畿兵、
つまり敵に近い地域の兵を前線に出すので、功績と云えるほどでもない。
朝鮮の役の活躍は、九州と中国地方の兵の独壇場。関ヶ原や大阪の陣は、
政争であり、特に大阪の陣は、全国の大名軍と浪人軍との戦さ。
維新、戊辰戦争は、中国地方と九州地方兵の活躍じゃが、前線に配置した
東北兵が戦意に乏しく交代した部分もある。戊辰の相馬戦では九州の
筑前兵は相馬軍に撃退され、大砲を奪われたはらいせに、相馬藩士の捕虜を
殺害する蛮行に及んだね。しかも前線で相馬軍を撃退した広島神機隊が
捕えた捕虜を詰問すると理由をつけ、殺害に及ぶとは九州兵の蛮行は、
近代海外派兵以前の伝統じゃのう。ほいじゃが、九州人が、(日本は騎馬に
拙劣じゃに、)甲州兵を誉めるところ、九州兵の蹂躙、略奪好きと共通性が
あり、親しみを持つんかのう?

723 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 01:30:04 ID:6wsqnho5
(=゚ω゚) まあ、維新の官軍も慶喜が恭順しちゃったしから幕府正規軍との本格的関東防衛戦を
経験していないからなぁ。
ほんらいなら箱根、甲州口で陸海の幕府正規軍と各地代官付きの天領の農兵郷士を使った
一大防衛戦が行われるはずだった。

>日本は騎馬に拙劣じゃに

うーん。たしかに日本の馬はあまりよろしくない。というか繁殖法が悪かった。
本来良馬を基に優駿を繁殖させるべきなのだが、野馬として放牧し
良馬ほど租税や軍馬として排出してしまう傾向にあった・・・千数百年間ほど

724 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 11:08:44 ID:dl0FwvWc
>>719
やっぱり都合のいいことだけコピペしてるだけだな。
そんだけ日本軍にくわしいくせに、牟田口厨将について知らないわけがない。
軍板で「牟田口さんってどんなひとですか><」と聞いてみろw

725 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 14:03:12 ID:4MyciyCv
兵卒では北朝鮮最強

726 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 15:05:05 ID:iRszkJHu
何の役に立つのかしらんが、投げナイフ避ける訓練してるもんな

727 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 15:56:31 ID:uoS/MJ+Y
>>698
肥前兵の鉄砲いくさの技量に感心した安芸吉川氏。

728 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 21:05:03 ID:tdHW1YOu
>705 15Dが弱くない?「強い菊龍、弱い安」というのは、敵の方がよく知ってたよ。消極的になった時点で強兵の資格はないだろう。


729 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 22:00:54 ID:8IYILzAG
どうでもいいけどなんでこのスレは脱線しまくりなんで?
ひょっとしなくても情緒不安定な畜生さんの所為?

730 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 22:42:19 ID:iRszkJHu
斜め上なレスを返してくれるから楽しくてしょーがないんだろ

731 :白馬青牛:2006/12/16(土) 23:54:08 ID:67NWfIJa
>>724
あんたァ、日本近代史板の牟田口氏信者か?その質問はあんたに尋ねるよ。
>>727
肥前兵の鉄砲いくさの技量に感心した安芸吉川氏と云うのは、
どの資料からか?
>>728
おいおい、15Dは祭であって安は京都53Dじゃ。
伊藤正徳氏の『帝国陸軍の最後』によるとビルマ派遣軍中、英国人の
リード大佐は、姫路(兵)54D(島根東部、鳥取、岡山、兵庫の兵)が
世界最強の師団と評価されたようじゃ。
敵の方がよく知っていた?そのビラは誰が書いたんか?前線の31D
(烈)の福岡124iが久留米18D(菊)出自じゃ云うことも知っとった
んか?それとも大村、久留米の部隊と違い福岡じゃけん弱かったんか?
それにしちゃァ、久留米56D(龍)福岡113iの拉孟の敗戦を
自慢したがるしのう。どっちゃにしても久留米18D、56Dの菊、龍は
前線で闘うとらんのに、もし我々が前線におったらと云いたいんじゃろう
が、そがいなこたァ牟田口閣下に云うべきで、近畿地方の兵の責任に
することもあるまい。近畿地方の兵は負け戦さになると思うたら、
真っ当に闘わん。近畿兵団の戦意喪失は、衡陽攻略で善戦した68Dが、
芷江作戦ではオトリとして使用されると云う軍の方針に反発して、
古参兵の入院(合理的出動拒否)が相次ぎ、結局中国軍に散々に敗れたが、
この戦闘に参加した兵士は、入院した兵士から「何の為に参加したんか。」
と散々馬鹿にされたが、九州兵団なら逆に参加拒否兵士は臆病者の謗りを
浴びるであろう。じゃが、そりゃあ兵の強弱に関係ないよ。何れにしても
久留米師団は玉砕で敗北した訳じゃし。あくまで負けであって武勲を
立てた訳でもない。

732 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 08:09:43 ID:JbVtjwTI
>731 久留米18D、56Dの菊、龍は前線で闘うとらんのに
 こういう嘘はいかんよ。立派に最前線で、それも激戦地で戦ってる。18Dは中国戦線以来の攻撃兵団だよ。

>久留米師団は玉砕で敗北した
 あんたはよく調べてる割に嘘が多いよ。師団玉砕なんてしてない。正確に書きなさいよ。 

733 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 15:53:40 ID:mgcbwwHr
(=゚ω゚) 帝軍の事は知らんが、まぁ仮にそうだったとしても
「玉砕=敗北」というのは早計だわな。作戦遂行上やむない全滅も有る。

関ヶ原の少し前。家康も鳥居彦右衛門に伏見籠城を命じ永久の別れを泣いたと言う。
伏見の戦いで籠城組は玉砕したが、彼等の戦いこそ三河武士の鏡と言われている。
強兵ゆえの全滅という場合も有る。

734 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 21:36:13 ID:+uNQwhRD
どう読んでも厨将なんて書き方は、信者かアンチかで言ったらアンチなレス内容なのに
何をもって信者認定したのか気になるな

735 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 22:56:56 ID:2Vszb6dQ
>>731usi
いつ、どこの合戦か知らないが吉川元春の書状にある。
「(竜造寺衆が数百丁の鉄砲で大友を撃退)誠に心地能趣候」
毛利と大友との敵対関係からして、この書状の内容はともかく
毛利氏が九州勢との戦闘を通じ、鉄砲戦術を取り入れたことは想像できるかもよ。

それでも鉄砲戦の本場は、島津・大友・大村・竜造寺など九州大名だろう。

736 :白馬青牛:2006/12/18(月) 00:56:07 ID:ZW36KIkP
>>732
馬鹿たれじゃのう。わしゃは、インパールのことを云うとるんで。
ビルマ派遣軍の師団単位で、中で最も格と戦歴があったんは久留米18D
じゃ。攻撃兵団じゃ云うんなら前線で闘うべきじゃろう。
広島5D(鯉)は、マレー作戦で、虎の子エース師団として最前線で
闘うとるじゃないか。久留米18D(菊)は、近衛GDと共にマレー作戦に
投入され、選ばれた精鋭と評価されたが、(同じ久留米56D(龍)は、
マレー戦に参加予定であったが、久留米18Dより評価が低く用無し扱い
じゃった。)広島5Dの様に常に前線で闘うた訳でもない。
まあ久留米18Dは、脇役なんじゃし主役の広島5Dと較べ中国戦線も
含め格と戦歴に劣るけんのう。誰が師団全体の玉砕云うたんなら。
しかも福岡113iが拉孟で玉砕したんは事実じゃないか。
わりゃあ、言葉尻をとって、人を嘘吐き扱いしやーがるのう。
自分の低脳を人のせいにすなや。嘘吐きなら、ハッタリ虚勢張りの
九州にゃあ勝てんよ。

737 :白馬青牛:2006/12/18(月) 01:39:51 ID:ZW36KIkP
>>733
「玉砕=敗北」闘う兵士がおらんようになるんじゃけえ、そうなるよ。
じゃが作戦立案者の責任が一番重いじゃろう。日本では歴史的に感情的に
楠木氏、真田氏等、健闘し玉砕した散り際の潔さが賞賛され、近代戦でも
健闘玉砕した部隊は日本人的美学、心情で英雄になれる伝統がある。
久留米師団の雲南の戦闘や宇都宮師団のパラオの戦闘が語り継がれるんは
そういうことじゃ。広島師団が南寧や宜昌で玉砕しとったら語り継がれるで
あろうが、広島師団は「必勝の精神」がカラーで負けることは出来ん。
http://members.at.infoseek.co.jp/ijan/shiryou-rentaika3.htm
廣島歩兵第十一聯隊歌の2に「いただき守る強者(つわもの)は必勝の念
いや高く」とあるよう負ける訳にはいかん。3では「日清日露の戦役に
たてし勲(いさお)は数知れず」と歴戦の武勲が表されておる。
久留米聯隊歌の2「玉砕の意気いや高く」や鹿児島聯隊歌の2「散るも
桜のいさぎよし」と九州らしい、命知らずの猛攻を称えてある。
聯隊歌は、兵士の地域特徴、部隊の性格を表し面白い。

738 :白馬青牛:2006/12/18(月) 01:54:15 ID:ZW36KIkP
>>735
>いつ、どの合戦か知らないが吉川元春の書状にある。じゃあ解らん。
その書状を提示しんさい。あんたの文の内容じゃあ、鉄砲の量産が多い
だけで、技量のことが出とらんど。具体的な鉄砲技量について書きんさい。

739 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 22:51:01 ID:Q3eNFYCV
>「玉砕=敗北」闘う兵士がおらんようになるんじゃけえ、そうなるよ。

(=゚ω゚) ああ海軍のじいさんはよく言ってた「船が無くなりゃ戦はでけん」とな。お国柄か?
軍神広瀬とかも健闘玉砕の英雄。戦意高揚キャンペーンの一環だな。
だが伏見籠城の場合戦略的に意味のある玉砕だべ、司馬遼風に言うと「銀を打つべき所に金を打つ」って
ところだろう。特務を受けた精兵の仕事と言う事だ。

そういや宇都宮師団で思い出したが宇都宮ギヨーザも宇都宮師団が残した軍都のなごりだな
・・・いや、なんでもない。

740 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 23:08:01 ID:ZWNveZ1b
白骨街道と呼ばれるインパールで、牟田口は何をしたと思ってる?
インパールに阿鼻叫喚の地獄を生み出したのは他でもない牟田口である。
そしてそれを生み出した張本人は、鉛玉の飛んでこない後方で何をしていたか?
語りたくもない

741 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 23:26:51 ID:ye5mx+mU
>>723
東北・越後の諸藩も、幕府側に間違いなく、ついただろうね。

742 :白馬青牛:2006/12/19(火) 01:23:21 ID:sFvooSqH
>>739
意味のある玉砕はあるんかのう。久留米師団の部隊は拉孟・騰越で
玉砕したが、衡陽戦で方先覚以下中国軍は大阪68Dや熊本58D等に
壊滅的打撃を与えながら糧量不足や将兵の疲労から籠城をやめ降伏した。
中国軍の方が合理的ではあるが、評価は別れるところじゃ。
司馬遼太郎氏は前線の戦闘は経験しとらんよ。ほいで、好き勝手なことを
戦後云われた訳じゃ。特務を受けた云うて、お国自慢板の帝国陸軍の
スレに書いたが、陸軍中野出身者ら特務機関の連中が我が国の名誉を
どれほど汚したか。
>>740
牟田口氏の女遊びのことか?九州人らしいね。九州兵団はビルマでも
慰安婦連れで女が必要じゃったんじゃろう。じゃが拉孟や騰越では、
従軍慰安婦の方々も朝鮮人慰安婦を投降させたが、日本人慰安婦が叫んだ
『日本へ義理だてすることはない!』の一言は重いね。日本女からすれば
彼女ら騙されてかき集められた朝鮮人慰安婦を悲惨な谷底に突き落とした
のは同胞の日本人であるとの気持ちがある。そして最期に青酸カリを飲み
将兵と運命を共にした。彼女達は、敵軍に屈せず、朝鮮人慰安婦に
おける日本軍の罪も一身に背負って自決された。彼女達こそ後世の人達に
問いを投げかける意味のある玉砕とするには、余りにも悲し過ぎるのう。

743 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 12:55:48 ID:C+qCjmXF
>>742
>意味のある玉砕はあるんかのう。
レオニダス王

>彼女ら騙されてかき集められた朝鮮人慰安婦を悲惨な谷底に突き落とした
>のは同胞の日本人であるとの気持ちがある。
http://www.hermuseum.go.kr/kor/cyber_img/img03_02.gif

744 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 19:12:04 ID:C+qCjmXF
慰安婦大募集って書いてあるのにどう騙されたわけ?

745 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 21:41:58 ID:L6v6mqhC
朝鮮の女を騙していたのは朝鮮人のブローカーであって、日本人じゃない。
てか、もともとキーセンみたいなのがいたし、かなりの報酬も得ていたのに、
なんで今更被害者ぶるかねえ?
まあ、大半が嘘吐きで金目当ての薄汚いババアだろうけど。

746 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 22:12:18 ID:mJG0UJ78
牛さん、ある程度の時代違いは関連0って訳じゃないから解ってもいい
辛うじて我慢できるが極東議論だけは勘弁してくれ
ここまで良スレになったじゃないか。
恐いのが沢山湧くからそれだけは勘弁
スルーしてくれ

747 :白馬青牛:2006/12/19(火) 23:31:08 ID:scJht4cZ
>>744-745
世界史板でわしにカバチたれた洗脳されたネットウヨの思想厨が来たわい。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/p39saku/Ianfu.htm
このサイトで、敗戦で軍票が紙くずになったこと、だまされて連れて
こられた女性達も含むことを書いてある。儒教社会で(戦前の方の話では、
中国・朝鮮では処女は財産で、既婚婦人と性交渉は、公はタブーでも、
隠れて出来るが、未婚の処女は絶対タブーじゃったそうじゃ。)白眼視
されるのに彼女達がカミングアウトするのにどれだけ勇気がいったか。
「確認せねばならぬのは、軍の関与による慰安婦制度は、事実として
決着済みなのである。」このサイトは法的や政治的側面のことが主で
あるが、「日本の責任逃れ体質を世界に知らしめ、国益を損なっている。
日本が国家責任を逃げ続けようとするために、根拠の薄い補償要求を
しばしば受け入れる弱腰外交が必要となっている。」には同意じゃのう。
政治的に左翼、右翼を問わず思想厨や彼らを利用する連中が国家の足を
引っ張るんは今始まったことじゃないが。

748 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 23:34:37 ID:mJG0UJ78
あーあw
もうダメだなこりゃ

749 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 23:45:17 ID:DaXY6dR9
>>738
技量とは読み取れないのは確かだからそれは訂正する。川合的論法になってまうw
別の書状で、
永禄10年(1567)、元就が平佐源七郎に与えたものがあるそうで(毛利家文書)、
「殊更今比はてつほうなどと申事候て……よくよく物語り申すべく候」
近頃のいくさは鉄砲というものが現れ被害に遭うから、鉄砲について十分に話すべし

毛利の鉄砲(鉄砲中間=鉄砲放)は、大友氏との戦を通じて体験した影響が大なのではないかと思う。

750 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 23:59:49 ID:C+qCjmXF
>>747
楽浪郡のころから日清まで支那へ性奴の供給地だったのに何言ってんだか
併合で本国人並の水準にしたからこその価値観だろ池沼

で、軍が朝鮮の業者に依頼→業者が慰安婦大募集
の流れのどこが軍の非難される点なわけ?
糞みたいなサイト貼って詭弁を吐くくらいならレスしなくていいよ白痴

751 :白馬青牛:2006/12/20(水) 00:12:23 ID:kXcYP0/8
お国自慢板、「郷土の英雄。帝国陸軍師団の歴史」スレにも挙げたが、
http://homepage1.nifty.com/zpe60314/ianfu3.htm
売春業者を督励したのは軍であり、慰安婦も軍隊の要求によって連れて
こられた(時に騙されて)要員で、部隊と共に行動したのに、
業者の責任で軍と何ら関係ない、と責任を取るのが上官のすべきこと
なのに、責任を放棄する体質が兵隊をも道具にした。
彼女達の悲哀をちゃかし馬鹿にする者は、ほんま日本人の恥さらし
じゃわい。国益以前に真っ当な人としての情がない。
http://www.kr-g.gr.jp/siryou/renkou-23.htm
其の二 キム・セグクさん (77歳)1日に40〜50人の相手
に、「日本の軍隊の中でも九州第六師団が一番悪かったです。」と
証言されておられるが、「慰安婦を連れているのに強姦する。」
熊本6Dは、「鬼よりこわい六兵団」と、慰安婦だけでなく、市民にまで
暴行・強姦で悪名を取ったが、朝鮮の役以来の伝統と云えようか。

752 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 00:15:02 ID:rwLeHeIx
>意味のある玉砕はあるんかのう。

(=゚ω゚) うーむそれを言っちゃー硫黄島から手紙は来ない。
まあ、望むと望まざるとに関わらず国境線の砦や城。合戦で敵の側面、背後を衝く部隊(騎馬や空挺)。
それから味方の逃亡を助けるシンガリとかは全滅もやむなしだろうな。

岩屋城攻防においては高橋紹運勢700が数万の島津の大軍相手に玉砕するが
2週間の攻防戦により島津勢は消耗。損害多数により秀吉軍と戦わずして撤退。
桶狭間の戦いでは国境の丸根、鷲津、善照寺、中島の砦はほぼ全滅。
・・・でも結局信長は勝った。

>>746
(=゚ω゚) あーあ、、、お気の毒ですが・・・無理みたい。

753 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 00:18:14 ID:iSgWwETz
>>712
騎兵は上野・下総・相模・武蔵・常陸とか、甲信越より関東武士だよね。

>あいぬ君も来てたんだ。がんがれ( ・ω・)∩ 
>(=゚ω゚)
師団ネタ詳しいね。
>>751あおうまのおっちゃん
お国自慢の師団スレ過疎ってるぞw

754 :白馬青牛:2006/12/20(水) 00:52:57 ID:kXcYP0/8
>>748
相手が低脳で洗脳された馬鹿を無視せえ云われても、世界の方々に日本人は
国際的に通用せん幼稚で捏造、隠蔽する民族じゃ思われたら後世の人達に
申し訳ないよ。こういう連中が日本人ズラしとるんは憤慨に耐えん。
日本人でも、真っ当な神経と気概を持つとる者もおるんじゃ。
>>749
鉄砲の量産は、九州が先進的じゃったろう。ほいで大友氏はキリシタンを
抱えとったけんのう。
>>750
楽浪郡の頃から云うて、倭人は生口(奴隷)を中国へ献上しとるじゃ
ないか。奴隷民に他ならんよ当時の倭人は。どうせ嫌韓サイトの受け売り
じゃろうて。洗脳されて可哀想なのう。軍の関与は>>751にも書いたが、
あんたは、臆病者の巣窟である軍上層部の代弁者か。責任を放棄する者に
自国民が守れる訳もなく、満洲じゃあ、日本人開拓民を見棄てて逃亡した
のう。開拓民にゃあ、軍用列車じゃ云うて乗車拒否したわい。血みどろで
戦闘した前線将兵と違い、後方で作戦遊戯をしとった軍上層部を弁護する
神経は理解出来ん。思想中毒患者は重病じゃのう。

755 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 01:10:00 ID:otyTD6CA
薩摩は赤ん坊の頃から錘を背負わせて足腰を鍛えていたそうだ。
今でもその風習が残っている地域があるらしい。
ザビエルが鹿児島に上陸したとき、十字架を背負ったキリストを思い起こさせ
異国での布教活動の励みになったという記録も残っている。
これだけ徹底していれば強くなるのも頷ける。

756 :白馬青牛:2006/12/20(水) 01:16:53 ID:kXcYP0/8
>>752-753
戦闘は一要因だけで展開が変わるんじゃのうて、様々な要因が連鎖して
起き、勝機となるか敗退することになるかじゃろう。
島津勢は、緒戦で毛利・黒田勢に負けとるよ。これじゃあ戦闘の主導権は
取れん。四国勢の拙劣な戦闘でまんまと島津勢の釣り野伏りの術中に
はまり、島津勢に主導権が移りかけたが、秀長軍と云うより黒田勢に
またもやられ敗退となっただけのこと。
関東武士が騎馬隊を組織的に運用出来たか疑問じゃ。口取りを付け、
馬柄杓を使う集団を騎馬兵云うんも可笑しいが。

757 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 01:30:12 ID:iSgWwETz
>>756
だから騎馬隊などとは(ry

758 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 10:18:46 ID:8hkFmd7J
>>755
星一徹も真っ青だなwwwww

759 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 01:05:03 ID:X3PRimCP
>>755
集団戦でなく一対一の決闘やらせても薩摩は強いの多そうだな。
日本一かも

760 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 01:25:26 ID:cDWB7hoH
チビだし特に強くもないだろ。

761 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 01:28:25 ID:VOTNJBcE
(=゚ω゚) 薩摩は精神力がすごいな、でも格闘術で強いかは個人差があるからな
示現流祖の東郷重位は京都で善吉和尚に負けちゃったのが剣豪へのきっかけだし。
幕末のタマの百姓も薩摩に負けてはいなかった感じ。

>753
(=゚ω゚)あ、 いや、師団ネタというより・・・ 宇都宮ギョーザの話だった

762 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 01:40:51 ID:be4zOMXh
示現流って2マンセルで夜道を後ろから不意打ちのイメージのが強いんだが
ガチで強かったのかな?
島津も伏兵や夜襲のイメージ

763 :白馬青牛:2006/12/21(木) 01:47:12 ID:x3aUkv4Q
>>759
『甲子夜話』二十四巻第八話、文政六年(1823)のこと。
大森の路店にて、薩摩の武士三人が安芸の武士一人に喧嘩を売ったが、
薩摩武士は、袈裟に切られて一名死す。又一人は真向を切られて死す。
初めに右手を切られたる者は逃失て在らず。
薩摩人3人で安芸広島人1人に勝てんかったよ。1名が逃亡するとは、
薩摩人は逃げ足だけは速いようじゃのう。足腰を鍛えた賜物かいのう。
まあ、廣島人に喧嘩売る馬鹿度胸というか、向こう見ずの勇気はあったよう
じゃのう。日本一じゃあ、毎度のハッタリかますんなら、
廣島人に勝ってから云やあええのに。


764 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 02:40:50 ID:JXBGCUDi
結局はそんな変わらんに一票。同じ日本人だし士気によりけりだろ

765 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 05:25:24 ID:X3PRimCP
>>763
廣島人に勝った程度で日本一語るのもどうかと思うがな

766 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 11:49:17 ID:PQJB8C+x
広島人ごときに負けたのに日本一語るなってことだろ

767 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 13:28:13 ID:ybZiVtiA
ギギギ
あんちゃん、わしゃ悔しいよ

768 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 15:27:59 ID:dwNRxGOP
ここまでのレスを総合すると

最強=広島

ということですが、異論はないですか?ないですね。
広島最強で決定しました。

769 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 17:10:05 ID:9C7kH/P/
はい。異論は御座いません。

廣 島 最 強 !

スレ終了。

770 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 17:41:56 ID:IdONJpwJ
そんな最強の広島さん。 なぜか関ケ原、大坂の陣は不戦敗  幕末は山口県人が頑張った!

771 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 18:13:40 ID:sntAni0+
確かに現代でも薩人は口ばっかしだよな。
その割には理屈も言えないし。

772 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 18:42:21 ID:VOTNJBcE
(=゚ω゚) あ、広島の武芸者って意外と強かったんだわ。
有名なのは槍の佐分利流、剣の信抜流、柔術の不遷流、渋川流などなど。
わりと質実剛健な流派が多い。
特に不遷流なんか柔道大会で本家講道館を負かしちゃったりしていた。

まあ、浅野家と言えば播州浅野家も・・・強かったようだ。いろんな意味で。

773 :白馬青牛:2006/12/21(木) 23:24:08 ID:acZXNUZh
>>764
士気は重要な要素であるが、わしは風土によりかなり違いがあると思うよ。
あんたの言じゃあ、中国や西洋諸国も同じ人間が戦闘することで違いがない
と云うことか。
>>770
戦闘しとらんのに、不戦敗たァ都合のええ言葉じゃのう。幕末の長州の
権力奪取と地域兵卒に何の関係があるんか?権力志向が強いところ
九州人か?生憎広島人は権力欲に薄いよ。
>>772
浅野藩の武術は関係あるまい。武士階級が庶民と喧嘩して強かった訳でも
あるまいし。安芸で武士の子弟と町人子弟の喧嘩、ほいで長州征伐で
進駐した越後高田藩と安芸海田庶民の喧嘩もあったか。「安芸の国でも
海田がなけりゃ殿に恥辱は取らせまい。」と。越後人も恥辱を取ったのう。
渋川流は、『マレー戦記』の著者、越智春海氏も習われたが
越智氏は、柔道よりも空手に近く、凶器を揮って来る相手を斃す修練が
重点だった。と書かれておられたが、わしは、祖父から棒をくぐって
受身をする練習のことは聞いたことがある。祖父は柔道、剣道初段じゃが、
五段クラスも子供扱いしとったよ。曾祖父は柔道、剣道共に五段じゃった
そうじゃが、武術の素養もあったが喧嘩の実力で、後で認められた名誉段
じゃなかったかと思う。曾祖父の寝込みを襲うても絶対勝てる人でなかった
と祖父が云うちゃったわい。曾祖父が遊郭に行ったら夜の街の業界の人達も
頭を下げよったそうじゃ。勿論広島5Dに入隊しても上官にあいさつも
わざとせず、気にいらんと暴行し、上官を屁とも思わんかったようじゃ。

774 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 23:35:29 ID:U3PGf4IA
・・・それでおまいさんは、ケンカで朝青龍に勝てるんだよなw

775 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 00:24:46 ID:ZFYIce2P
>>773
>>764は同じ日本人同士でといっているのになぜ中国と西洋諸国も同じなのか
という疑問がわくんだ???

>>774
・・・・・・・・・・・え?


776 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 00:30:27 ID:2FRqhNgr
ピカ脳のウザさは異常

777 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 00:45:35 ID:UvTLoNfn
>773
(=゚ω゚) ん?曾祖父とはいつの生まれだ?戦前の五段なんて高段位の部類だぞ。
喧嘩で名誉段なんてありえんと思う。実力だろう。もっと威張ってイイ。
まあ、当時の町道場は普通にケンカで腕を磨いてたからな。
稽古にはケンカが一番良いだろう、ふっふっふ。

武芸では岡山に竹内流という名流がある、かの片山伯耆流も高木流もここから出た。
そして作州浪人宮本武蔵。備中武芸者あなどりがたし。

>774
(=゚ω゚) 口げんかなら圧勝だろうな

778 :白馬青牛:2006/12/22(金) 00:52:35 ID:TBJQArkx
>>774
喧嘩で最初から負ける思う者は喧嘩せんことじゃ。あんたァ闘う前から、
はあ、戦闘気概がのうて負けとるよ。気で勝っとらん者がどがいに勝てる
云うんの。やる前から勝っとらにゃあ。必勝の精神じゃ。
>>775
近代軍隊も組織構成の差異が各国で異なっとったか?日本人同士云うて、
わしゃは、再三云うとるが、西日本と東日本じゃ社会構成が違い、
同一国家に属する国民であっても、同民族と前提条件を付けるんは
可笑しい云うとるんで。西日本でも九州は、文化的に西日本色と朝鮮の
中間色となろう。
>>776
人情のかけらも無い腐れ外道は、つまらん罵倒しか出来んのう。

779 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 00:52:59 ID:45jEx93F
誰でも知ってるような異名を持つとこが強いんじゃないかな。
薩摩隼人とか三河武士なんか有名だよね。
弱ければ異名なんか付かないし、無理につけても後世に残らないと思うんだけどどうでしょうか。
武将の異名はよく聞くけど、国や地域についた異名ってどれぐらいあるのかなあ。

780 :白馬青牛:2006/12/22(金) 01:24:20 ID:TBJQArkx
>>777
曾祖父は明治一桁の生まれじゃ。祖父は、戦前の初段クラスで戦後の
三段クラスじゃと。練習相手は人間だけじゃのうて野生動物もあろう。
笑ようるが、何が可笑しいんなら。宮本武蔵は美州か播磨か諸説あって
正確にゃあ解らんで。
ほう、あんた口喧嘩でも勝てんのか。口ごもりょうる瞬間一発喰らわ
されたら終わりじゃのう。
>>779
異名たァ何なら。有名?現地民に暴行、強姦すりゃあ、恐怖を敵に与え、
有名になれるよ。じゃが戦闘実績とは一致せんよ。
後世に残るんは、日本的には玉砕し負けるか、軍の指揮官に従順であったか
どうかが問われる訳じゃし、戦闘実績とは関係ないよ。


781 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 01:26:26 ID:uh1O6Pwo
お国自慢から身内自慢にシフトしたかw

782 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 01:30:16 ID:96w5+/3w
隼人も異名ってほどじゃないけど、三河武士って異名なのか?
三河武士は一応、室町と江戸で2回幕府興すのに貢献したから地域名で呼ばれるんだろうな
江戸だけだったら徳川武士でいいから

783 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 01:33:18 ID:2FRqhNgr
>>780
日本語使えよ糞コテ

784 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 01:33:37 ID:4UW5bZSC
上官に暴行ねぇ…

なにそれ?どんだけ強かろうがしょうもないな。

785 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 01:38:03 ID:NC2CE7hb
中世、安芸国の小娘が憧れた関東の若侍。
決して、女が群がる亀田のイメージではない(^ω^)


『田植草紙』(鎌倉,室町期の中国地方の小歌)
坂東殿ばらは弓は上手なるもの、空立つ鳥を射て落といたり、
さても上手や、空飛ぶ鶴を落といた。
若い殿御が翔け鳥射たる弓手は、さても射たのふ見事や
弓の姿は。

786 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 02:02:11 ID:+eMnTUTU
山国でFA

787 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 02:06:00 ID:eTXv2U/V
久々に覗いたが、牛まだいるんだな。

牛は前から人の考えにケチつけるだけで自分から論を展開しようとしない。だから堂々巡りでつまらん。

って書くと、その根拠を出せぃって言ってくるだろうな。根拠はこの板の牛レスすべてなんだが。

果てしないやつだよ。牛はwww

788 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 03:30:36 ID:ZFYIce2P
>>778
同じ大和民族でも西と東に分かれた場合は異民族だということか?

789 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 06:41:10 ID:+eMnTUTU
否定するのは楽だからだろ

790 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 00:02:20 ID:9ZWZufcb
少なくとも広島は強くない 強いのは菅原文太だけ 三河の国だYO 天下人だらけだし

791 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 00:03:59 ID:Pp8sLczl
>>790
菅原文太は群馬県人なのだが・・・・・・・。

792 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 00:10:35 ID:Pp8sLczl
>>782
隼人は部族名だね。
>>784
復員者はホラ吹き兵隊が多かったらしいからね。
特に速成教育は。

793 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 00:33:40 ID:QopUb74K
>>790
三河の天下人は家康だけじゃないの・・・
将軍でも秀忠とか浜松時代じゃなかった?それなら遠江だし
吉宗、じゃなくてマツケンは三河人だけどなw

794 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 00:36:06 ID:GG5u9hvy
>>780
(=゚ω゚) こらこら「実力だろう。もっと威張ってイイ」と褒めているのに突っかかる
ヤツがいるか。
講道館四天王の西郷四郎が慶応二年生まれで死後加納館長より名誉6段位だから
当時五段なら最高段位の部類だよ。 ・・・たぶんな。
武蔵は播磨生まれを自称してるな、たしか新免氏は播磨、美作両方にいたと思う。

>口ごもりょうる瞬間一発喰らわされたら終わりじゃのう

(=゚ω゚) 学生のケンカみてえだな。平和でイイね。
うちの地元はケンカで口より先に手が出るお国柄でな、武器や集団戦も普通に使われる。
もっとも今時の学生は平気でナイフ刺すからな。怖い時代だわw

>791
文太兄ィは東北出身じゃけんのう。生まれは大陸だったか?

795 :791:2006/12/23(土) 01:07:03 ID:Pp8sLczl
>>794
失礼、仙台の人だった。
勘違いスマソ。

796 :白馬青牛:2006/12/23(土) 01:32:20 ID:7CWT4w8n
>>785
坂東蛙君よ、また同じコピーか。つまらん、最近ネタが無いんか?
>>788
同じ大和民族が東西に分かれたんかのう?人種的には西日本人が東日本を
開拓し東日本人が生まれた訳じゃし。じゃが大和民族であることを
拒否する人達は東日本人に多いんじゃないか。東北地方の人達で、蝦夷、
縄文文明マンセイで大和民族は征服者で自分達は被害者であるとしたがる
人や、反西国史観の網野善彦氏等の学者、>>785の坂東蛙君にしても土着を
強調し、西日本、特に近畿地方に憎悪感情を持っとる。東日本人が
東夷や蝦夷と呼ばれても、人類学的に蝦夷の直接子孫じゃのうて、
北方渡来系の方が影響が強いんじゃにのう。西日本と較べて土着系が
多いだけのことじゃ。
西日本と東日本は文化的にも、社会構成も違い、江戸期は西の銀、
東の金と経済圏が違うとるよ。

797 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 01:57:08 ID:f7OHC7LW
そんなに気に入らなければ無視すればよいものを、あらゆる手で>>785を貶めようとする牛に切なさを感じた。

もっともらしく民族学みたいなものを絡ませてるが、そもそも東日本とか関東人っていうくくりが
西日本出身のオレからみてもコンプレックス丸出しなんだよな。

ちなみに関東に住んでわかったことは関東の人間は西とか東とかそれほど意識していないことだ。
牛も文献ばかりじゃなくてもっとフィールドワークで知識を収集しなさい。

798 :白馬青牛:2006/12/23(土) 02:22:49 ID:7CWT4w8n
>>790
広島が強くないと根拠を云わんで吼えるだけか。天下人ねえ。権力欲が
強いだけじゃないか。菅原文太氏は仙台人じゃろう。作家の井上ひさし氏
の先輩。学生時代同じ新聞部じゃなかったか?
>>792
復員兵にほら吹き兵隊が多かった云うんは東京の話か?
まあ、前線で闘わず、後方でウロウロしとった連中に限って戦後に
なってほらを吹く者が多いんじゃが。特に指揮官の連中はのう。
>>794
ほいじゃが、あんたの文じゃあ、おちょくりあがるとしか思えん
文章じゃたど。曾祖父の若い時代は、剣術、柔術じゃし、講道館柔道たァ
違うわいのう。段たァ、免許、目録の時代じゃけんのう。ほいじゃが
実力者じゃったけえ、後の世代の人らから、実力を段で表現したん
じゃろうて。
隙を見せたらその時点で負けじゃ云うたんじゃが、ほう、学生の
喧嘩のう。学生の喧嘩の方が口より先に手が出るんは当り前じゃないか。
喧嘩で武器を使うんはええが集団戦は風がようない。
昔から学生の喧嘩でもナイフを使う者はおったで。まあ、幼稚園の頃の
喧嘩は、ほとんどのもんが石を使うて殴るんが最初じゃないんか。
少年でも幼児でも、昔の喧嘩の方が今たァ荒いよ。

799 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 02:31:59 ID:9f0CDIo1
>>795
近代軍隊にローカルな近世武士の喧嘩話、ネタが同じはうしちゃんよw
田植歌のなかでも代表的存在『田植草紙』(中世成立)は
安芸国のものじゃわい。
>>796
憎悪感情ってw
>>798
散々ほら吹いて、あげくは少年犯罪を助長するのかw


重籐巻いたる弓のふりをしてな
坂東殿ばらの肩に掛からばやな
弓のふりして坂東殿御にほれたよ
何と言うても思うに寄らぬ我が身や
厳しいは坂東殿御の姿よ
(『田植草紙』晩歌三番)

800 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 02:37:14 ID:OZRr1pu7
>>796
東北人だけど先祖が大和民族だったか蝦夷かだったかなんて知らん。
どっちでもいい、日本人には変わりないから。
当然西日本の人達に恨みなんてないけど、そういうの持っている人周りにいたら
情けなく思うよ

>>798
そうかな?今の奴らの方が限度知らない、手加減知らない、罪悪感少ない
集団武器当たり前みたいな感じがして恐いんだが。



801 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 13:28:11 ID:w/fZGxgx
三河武士だろう

802 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 16:47:21 ID:ZLjLBlGx
美濃はそこそこか

803 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 19:19:21 ID:dPaFt933
以外に強かった石田三成軍

804 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 20:05:00 ID:9cj4YL07
西日本人が東日本人を開拓したって愉快な人がいるみたいだね
東日本が縄文文化なのは縄文生活で事足りるぐらい裕福だったからだよ
当時の地球環境だと東北あたりは今の雪深いイメージではなく
程よく温暖で狩猟動物や食用植物には全く困らないユートビアですよ
弥生時代と縄文時代じゃ縄文時代の方が平均寿命が長いしね
稲作による貧富の差と支配階層の形成、武力闘争など無縁だった訳
だから蝦夷征伐に於いて蝦夷側に全体を糾合するような強力な指導者が生まれず
それ故に征伐に時間がかかったが、最終的に大和朝廷に吸収されたの
あえて西日本人・東日本人という言い方を使えば、その二つは全く別の文化土壌を持っている訳で
開拓という言葉を使うのは間違いだね

805 :名無し議論スレて投票方法審議中:2006/12/23(土) 20:13:39 ID:RMZZRi4c
一般的に強いと呼ばれるのは、備前、関東、紀伊、
一般的に最強と呼ばれるのは、肥後、越後、土佐、三河、薩摩、甲斐。

疑問なのは近江、美濃。
書物によっては強かったり、弱かったりする。

軍団的に強いのは、黒田、島津、徳川、武田、一向衆、雑賀、石田、
福島、加藤清、蒲生、上杉、立花、キリシタン衆、長曾我部、柴田、
中川、森、磯野、吉川、伊達、最上、後藤、真田、・・・・(もっといるけど・・・

806 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 20:15:37 ID:9cj4YL07
真田とか最上とか防衛戦で強いのは当たり前だと思うが…

807 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 21:03:11 ID:lCep5Acw
林羅山が編纂した諸家系図伝の付記録「諸国記」では
三河、越後、甲斐、薩摩が強兵とされてるね。

808 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 21:24:15 ID:o5LL03g8
朝鮮被れの徳川史観の温床の言葉など信用できん

809 :白馬青牛:2006/12/23(土) 22:02:33 ID:cnjj3Dq4
>>799
『田植草紙』の坂東殿御のう、安芸は鎌倉期、関東の御家人移住が
多かったけんのう。移住者に惚れたおなごもおったじゃろう。
じゃが、南北朝時代、坂東武士の実戦は憐れなもんじゃ。
楠軍の河内の悪党部隊に苦戦し、新田義貞軍は、赤松軍の播磨の
悪党戦法に手も足も出ず退散しとるよ。途中で参戦した東海勢や近畿勢を
含むとしても、人海戦術の関東は多勢で小勢を攻めるんが好きじゃのう。
ほいでも攻城下手じゃあササラじゃのう。まるで日華事変の小勢日本軍と
人海戦術の多勢中国軍の戦闘と似とる。西日本と東日本は戦闘方法でも
大きな違いがある。関東のどこが強いんかのう。あんたァ、いっつも
関東が強かった云う実戦実例を挙げんのう。
わしの文の何処がほら吹いとんなら。少年犯罪を助長するじゃ?
最近の少年ら、思うように暴れられんで可哀相なで。坂東武士のように
多勢に小勢にかかる集団に頼るんや、弱い者いじめは外道じゃが、
暴れるんは悪りいたァ思わんね。

810 :白馬青牛:2006/12/23(土) 23:27:35 ID:cnjj3Dq4
>>800
民族、文化等が違うとって同民族とも云い難いが、国籍同じ日本国民には
違いないよ。あなたの周りよりも、文筆に携わる人達のこと。東北史家の
高橋富雄氏のように蝦夷側の視点のみで大和側は侵略者であり、蝦夷は
侵略軍に抵抗した民族と賞賛する。どうも大和民族に蔑視、敵意があるん
じゃないかと思うよ。ただし高橋富雄氏の蝦夷は人種概念でなく
文化概念とした処は評価出来るけどね。元仙台13Dの関幸輔氏も
近畿兵団に対する感情は、大阪兵団を「おとぼけ師団」と罵倒した
ことや、わしが、お国自慢板の帝国師団スレや民俗神話板の蝦夷スレで
挙げた東北側視点のサイトも含め、東北人は大和に複雑な感情が
あるんじゃないかと考えるよ。
わしが少年時代やそれ以前の昔の方が限度を知らん、生死を賭ける喧嘩を
しとった者が多かったよ。少年同士の喧嘩で殺人もあったが、今のように
マスコミがギャーギャー騒がんだけの話じゃろう。まあ、西日本の方が
東日本より気性が荒いし、とりわけ広島県はのう。スコップや鋸、鉈を
持ってする大人の喧嘩の影響をガキも受ける訳じゃし。東日本の喧嘩概念が
全国共通じゃないよ。教育問題の議論で昔と違い最近は親は学校へ抗議
してくる云うんじゃそうなが、ピンボケしとるよ。昔の方が親がおらんで
(叫んで)学校へ来たよ。学校の規則で相応しくない物を持った生徒が、
教師に一時預かりされたことで、学校の規則です。じゃ教条的な言を云う
先生に対し学校の先生はぬすっと(盗人)を生徒に教えるんか。わしんち
(わたしの家)の物をがめたん(盗んだ)を返せ云うて、職員室で暴れる
親もおったのう。昔の親の方が子供に対する愛情は強かったね。

811 :白馬青牛:2006/12/23(土) 23:48:24 ID:ySpaKtNl
>>804
縄文人が裕福で寿命が長い云う根拠は何処にあるんか?30歳生きれば
長寿でおめでとう。じゃのう。ステレオタイプの縄文文明論者じゃわい。
貧富の格差も西日本よりも東日本の特徴じゃ。
>>805
強いと呼ばれる云うて、誰が云うたんか。そう云うて宣伝した人物と、
戦闘実例を挙げい。
>>806
善戦して玉砕じゃのうて、最終的に守り抜いたんじゃないと実例に
ならんよ。
>>807
林羅山が示した実例とは何か?

812 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 23:55:40 ID:o5LL03g8
相変わらずズレたレスつけるなこの人

813 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 00:37:26 ID:Yun/e9Ho
現代の東北人の感覚で言えば、東京にとにかく憧れてて関東より西の日本など知ったこっちゃ無いのが大半。

814 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 00:55:41 ID:z7B55AT5
それって大抵の田舎に当てはまるよね・・・広島とか広島とか広島とか

815 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 03:55:01 ID:4QixO/Z8
>>809
>関東は多勢で小勢を攻めるんが好きじゃのう。
(=゚ω゚) 逆だろ。平将門、新田義貞、小田五郎、長野業正、佐倉宗吾、水戸浪士、田中正造
巨大な権力相手にも怖れず戦うのが関東人だ。

>ほいでも攻城下手じゃあ
(=゚ω゚) んな事たぁ無いべさ。つーか、太平記のアレって日本初の攻城戦じゃね?
情報不足と、大軍を維持する資金不足。それに手柄にはやる連中の先走りで
被害が拡大しただけで、よせ集め組織が悪い。城攻め自体は下手ではない。
これと同じ事は島原の乱でも言えるな。

例えば日露の旅順攻囲戦で「要塞攻略に必要な坑道戦教範の欠如」が露見し、
以来帝軍は工兵による坑道戦の強化に勤めたと言われている
だが太平記時代には既に宇都宮公綱が「千早城箭倉の下の崖を掘り」と有るし
南北朝では関城の坑道戦が行われた
つまり近代要塞戦の基本は押さえていたことになる。
ちなみに関城坑道跡は帝軍も参考として調査をし日本三坑道に挙げられている。

816 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 05:06:15 ID:SikZHhhI
>多勢で小勢を攻め
あのー、これって常道、基本中の基本ですよ。
スポーツとかタイマンとかなら話は別ですが、どう考えても今そんな話はしてませんよね。
基本も押さえないで応用が出来ると思っているのですか、あなたは?

817 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 09:01:45 ID:2rAWDXy6
そういや旅順の時の無能な指揮官って中国地方出身の人間じゃなかったけ?
無駄に殺された士卒がかわいそうだよな。

818 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 10:55:29 ID:gcTVNyhm
浅井の強兵と三河武士はガチ。

819 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 18:46:48 ID:XGRwVa1i
三河武士


赤揃えをパクったものの
惨敗して鎧を脱いで逃亡した奴ら

820 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 21:49:44 ID:4QixO/Z8
(=゚ω゚) 三河強いよ、ケチだし頑固だし、良くも悪くもしぶとい。
負けても負けてもいつかは取り替えされる感じ。

821 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 16:23:36 ID:/N2KU58T
白馬青牛はピカで脳がやられた気の毒な人

822 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 16:36:05 ID:A2KRPDrC
広島はキチガイばっかだから原爆で間引いてちょうどよかったな

823 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 17:38:06 ID:xYHoISvB
>>798
如何でも良いが、作家の井上ひさし氏は山形県出身。

824 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 01:56:56 ID:yCr4yMYZ
>>809
田植歌は安芸だけじゃない。中国山脈地帯を中心に、南は土佐、西は肥後。
安芸国山県郡のそれが『田植草紙』であって、内容は連動してる。
で、移住した坂東武士とは唄われてないし、読み取れないが。
仮に強引にそう受け取っても、「坂東殿ばらは弓は上手なるもの」が肯定されるだけ。

楠木に赤松?『太平記』の城郭戦じゃん。
太平記全否定論者で明治期の学者・久米邦武を信奉してるusiなのにw
(=゚ω゚)が言う通り本格的な城郭戦はこの時代から。
人海戦術って太平記の兵数を鵜呑みにしてるの?
東国武士が得意としたのは平安末以来の突撃戦法なんだが。
戦国の軍役状でも槍や馬が多いのが北条、上杉は槍が多い。結城や佐竹は馬。 

「日本国中の兵を集めても、真っ向勝負で相模・武蔵武士に勝つのは難しい。
でも策を使えばこれを挫く事ができる。」・・・と、
『太平記』で楠木正成に語らせてるだろ。 

825 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 11:49:03 ID:+zrOWgLJ
>>809
少勢に多勢でかかるのは戦術の基本だろ。平和ボケしたアホウだなw
その強くない関東武士がどうやって幕府を開いたのかも是非教えてほしいものだ。

826 :白馬青牛:2006/12/26(火) 21:40:24 ID:DxkPRmKQ
>>815
田中正造氏には同意じゃが、水戸浪士は朱子学の影響の強い水戸学思想じゃ
けえ、思想狂信者のカテゴリーに入れた方がええと思うよ。
文献で知られる範囲で初の攻城戦と云うだけのこと。弥生期の高地集落や
西日本に多い古墳期の朝鮮式山城は、防御、守城戦闘を考えて造られた
物じゃ。古代から野戦と攻城、守城戦闘は行われ、山の多い地帯は、
南満洲の高句麗、四川山地のチベット・ビルマ系の羌系諸種族等、
防御施設を造っとるよ。日本の平安期初期まで弩兵が重要視されとった
ことから、攻城を想定した武器を活用したんは明らかであろう。
秀吉が武田の城攻めで数日で兵を引いたことを、田舎者の合戦の仕方と
川角三郎左衛門は記しておるが、陰徳太平記でも中国勢に較べ、関東勢の
短期で守城放棄する弱兵さを書いてある。攻城や守城、遊撃戦を含め、
西日本の戦闘方法で関東が拙劣じゃった云うことじゃ。

827 :白馬青牛:2006/12/26(火) 22:25:40 ID:DxkPRmKQ
>>816
常に少勢で多勢にあたった広島人から云うと、多勢が有利であるが、
多勢で勝っても自慢にならんねえ。多勢は基本と云うんは大陸中国の方か。
ツンゴピン(中国兵)の戦闘は少勢では戦意がなく逃げるが、多勢となると
命知らずか。と云えるほど勇猛になるねえ。
>>817
乃木将軍のことか。乃木愚将論は司馬遼太郎氏の引用じゃろう。
その司馬氏は戦時中、前線の戦闘の経験は無い訳で、司馬氏の戦後の
功利主義解釈で云われるのは如何なものか。前線兵士は指揮官の能力とは
戦略、戦術にあらず指揮官の人徳によると。司馬氏は昭和の参謀殿を批判
しながら石田光成が好き。石田光成が、昭和の参謀とどう違うんかのう。
人徳が大切であるとされるのは今村均将軍も同じで、「アレキサンダー
もナポレオンにしても項羽にしても、軍隊と苦難を共にしていた間こそ、
常勝将軍だったのだ。下と離れて豪華な生活をやりだし、酒と女に
身と心を傾けだしたとき、皆いけなくなってしまった、と私は考えている。
矢張将師の将の将たる人徳は、欠一致に役立つものと思う。」と云われた。

828 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 22:38:27 ID:oLs/o//k
アメリカ合衆国の否定ですかwwww
少勢→多勢なんて弱者の理論じゃん

829 :白馬青牛:2006/12/26(火) 23:06:24 ID:DxkPRmKQ
>>823
井上ひさし氏が、山形出身でも仙台一高時代、菅原文太氏が一年先輩で
同じ新聞部じゃった云うことじゃ。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~jesazuma/libray04.htm
上の方の118『物語と夢』の書評にも出とるよ。
確認する為の検索に時間を取ったわい。


830 :白馬青牛:2006/12/26(火) 23:14:17 ID:DxkPRmKQ
http://www5c.biglobe.ne.jp/~jesazuma/library04.html
じゃったか。

831 :白馬青牛:2006/12/26(火) 23:19:31 ID:DxkPRmKQ
http://www5c.biglobe.ne.jp/~jesazuma/library04.htm
これかいのう。

832 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 23:47:41 ID:VlWFk5tL
>>827
多数を揃えるのは雁首揃えればいいわけではなく、
それを維持できる金銭物資に、高度な組織力が必要なのは言わなくても良いことだよな?
また、牛の言うように孫子でも言われていることだが、
同時にクラウゼビィッツも触れている。
毛利だって多数の兵を用意できるようになってからはちゃんと有利な兵数を整えているじゃないか。
最後に、負けることが恥で、戦う以上は勝たなければならない、その為の努力を十全にするのが基本。
この場合の「勝つ」は戦術ではなく戦略的な意味でな。

833 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 23:54:26 ID:nxYaAhDj
毛利は強敵相手には逃げてばっかで最後は何もできないまま日和って二国に減封。
兵はともかく愚か者なのは確か。

834 :白馬青牛:2006/12/27(水) 00:21:32 ID:t/6hHRtv
やれやれ、>>831で出て来たわい。
>>824
山県郡は、駿河から移住した吉川氏の移住地じゃが、何言葉遊び
しとるんか。関東武士の弓術が優れとる云うんは、鎌倉政権の宣伝に
過ぎん。あんたが例に挙げたことがある近藤好和氏も、壇ノ浦で新居宗長を
倒した浅利与一との遠矢合戦で、新居に対し『土肥が、「東八箇国には
此矢に射勝すべき者覚えず」という理由で、名立たる坂東武者でなく
敢えて甲斐源氏の浅利与一を推挙している点。この一連の遠矢応酬の
口火こそ坂東武者の和田義盛が切っているが、それはむしろ狂言回しの
役割であり、主役は阿波国の新居宗長や甲斐国の浅利与一だったところに、
なにがしらの歴史事実が反映されているとすれば、それは坂東武者が
遠矢が得意でなかったということではないか。』と、される。
近藤氏は近距離の弓技は坂東武士の得意とされるが、近距離の騎射も
都の技術に学んだ坂東武者が強いとも云えんのう。坂東武者は、
近畿地方の悪党軍の遊牧民、狩猟民的半弓に対し、機動を生かす騎馬に
不似合いな農耕民的長弓じゃ。遠矢に下手なものが近距離戦云うてものう。
近畿南部の吉野・十津河の山地民は遠矢も得意じゃったしのう。
久米邦武氏の見解は参考になるが、信奉?云うて、わしゃは宗教屋じゃ
ないど。文献において本格的に城郭戦が現れる云うことじゃろ。
文献の兵員数鵜呑みにする訳あるまい。近畿の悪党勢より関東各地や途中の
東海や近畿で徴発した兵で圧倒的軍勢に膨れ上がるは当然じゃないか。
平安末以来の関東武士得意の突撃戦法とは何か?無謀な突撃をして
悪党勢の半弓に射抜かれるか、太刀による白兵攻撃で悪党軍の槍に
突き殺されるか。じゃろう。軍役状の徴発した者達の槍や馬を誇っても
意味がない。鎌倉政権が成立した以後、武蔵、相模が強いと云うんも、
徳川幕府が出来て三河武士のカブが上がったと同じで、武勲、実例と
関係ないど。

835 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 00:36:24 ID:wO6VRSE3
>>834
何が言葉遊びなんだか。反論になってないぞw

遠矢は騎射じゃなく歩射。
都の技術ってのは、動かない的を非力な腕で静止的に射る流鏑馬や笠懸。
で、華麗さが求められる儀礼的なものだぞ。
室町期、武家の弓馬故実の小笠原氏にしても華麗な技が足利幕府に受け入れられたわけで
現在、弓馬で有名な小笠原も武田も甲斐だが、この故実は江戸以降それも吉宗の頃だし
甲斐=騎馬のイメージ、諸々の影響で関東は損してるな。
信長公記で褒めてるのも上州であって甲斐は触れてないが

続きはまたあと

836 :白馬青牛:2006/12/27(水) 00:48:07 ID:t/6hHRtv
>>825
人海戦術、兵の動員力であろう。西日本の横型社会と違い、
東日本は隷属縦社会であることも大きな要因じゃろう。
>>832
兵力の動員に毛利軍は何時も困っとったよ。織田軍の中国征伐に
対した時も苦労したし、九州征伐の時も輝元さんは、秀吉さんに
怒られた。家臣の言いなりになる愚か者よと。
逆に毛利の家臣団の国人達に云わせれば、毛利家とは横連合の傘連判状で
あるよう毛利氏は代表者に過ぎん。命令を素直に実行するいわれは無い。
国人領主の家臣も国人領主の言いなりにならん。現代でも民主主義国より
共産主義国の方が兵力の動員は容易いんと同じじゃ。その点毛利氏は
封建的制度の世に組織も兵力の動員力もなく、天下を取れる要素なんぞ
無いね。

837 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 00:54:26 ID:yWbyt0fo
牛は資料を偏った見方しかできないね

838 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 00:55:41 ID:5EFaqrWm
>水戸学思想じゃ けえ、思想狂信者のカテゴリーに入れた方がええと思うよ。

(=゚ω゚) うむ。天狗党と芹沢鴨。血盟団事件の井上日召、橘孝三郎。
たしかに彼の地は宗教、思想テロが多いな。 
でもまあ、水戸学思想は全国に広まっていた・・・が、途中から薩長は
口先だけの尊皇攘夷になったがな。軒先貸して母屋を盗られたわけだ。

だが、彼等はタダの思想テロではなく世直しの義士でもあった。
将門や小田は人に頼られて挙兵し最後まで戦ったわけだし
血盟団ですら五・一五事件の先魁として昭和維新烈士の名を送られている。
国定忠治、新門辰五郎ら博徒ですら弱きを助ける仁義つーもんが有った。
だから彼等は義民と言われる。仁義無き戦いでは江戸っ子は納得しねぇぜ。


>悪党勢の半弓に射抜かれるか、太刀による白兵攻撃で悪党軍の槍に・・・

(=゚ω゚) 半弓にそんな威力は無ェって。甲冑を突き抜けないから騎馬で接近し
駆け抜けざまに長弓で撃ち込んだんだよ。射程距離も違いすぎるし。
山岳夜襲では長弓は不自由だからだろ ・・・つーか悪党って半弓使ってたのか?これだけに関しては詳細希望!
あと、雑兵物語では打刀で普通に戦ってるが?

>835 おっ!続き希望。

839 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 01:24:53 ID:0235RtqZ
>牛
少勢で多勢に当たらざるをえない時は、各個分断は基本なんだが。つまり少勢で勝つ為には数的有利は必要条件。
すなわち多勢を分断して自分より少勢のグループを意図して作り出し、各個撃破は戦術の初歩だ。もっとも少勢で戦を仕掛けるのはそもそも愚策だがな。
はっきり言って牛は無知過ぎる。話にならん。
戦闘をロマンで語るなよ。そういうやつが頭にいると兵の無駄死が増えるだけだ。もっと勉強しなさい。

840 :白馬青牛:2006/12/27(水) 01:27:58 ID:t/6hHRtv
>>835
反論になっとらんのは、戦闘実例を挙げん坂東蛙君じゃ。
風評なんぞ、権力が側につけば後世何とでも云える。
また同じ言か。モンゴル人ではナーダムで遠矢競技があるがモンゴル人は
坂東武者より騎馬技術が疎いんか?静止的に射るチベット系遊牧民の例を
挙げたが、坂東武者より彼らは非力なんか?馬鹿げなことを云うのう。
悪党勢の戦闘の補足として、列島の狩猟文化の指標は、弥生時代から
大雑把に西日本の猪に対し、東日本の鹿。
(ただし、東北地方のマタギの人達は熊の要素も強い。)
東日本の狩猟獲物であある逃げる性質の鹿(鹿には初矢を第一の功する)
と違い、西日本の猪突猛進に向かって来る猪には止めを刺す猪槍等の道具が
重要であり、(猪には致命傷を与えた者を第一の功とする。)
西日本の悪党軍は文献に現れる以前から日常生活に槍を必要とした機会が
多かったんじゃないか。狩猟文化では、東海地方の三河や遠州は、
猪が指標となるので、東日本より西日本となるが。
あんたの続を見るたァ、わしゃはそろそろ眠いんが先じゃ。

841 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 01:46:02 ID:5EFaqrWm
826>古墳期の朝鮮式山城は、防御、守城戦闘を考えて造られた物じゃ。

(=゚ω゚) んーそうかもしれないが、山城のニート戦は・・・微妙だな。
大楠公だって圧勝したわけでも無し。兵站を絶たれたら終わりだと小早川隆景も言っておろう。

石田三成が決戦の地に選んだ大垣城も、都人が恐れた難攻不落の鎌倉城も
武田の躑躅ヶ崎館も一見要塞には見えない。
また、いざとなったら背後の山に逃げ込めるようにできてるもんだろ。
江戸城だって甲州口へ脱出することになっている。
攻防の戦略なんて素人目にはわからないものさ。

842 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 03:53:10 ID:+nVqBb/m
なんでそこでモンゴルやチベットを引き合いに出すのかわからんなw

843 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 07:49:03 ID:3e+jI4Ay
>>834
半弓っておもちゃとか?
南北朝以前の中世城郭は、騎兵戦術へ対して臨時の交通遮断施設レベル。
馬に乏しい河内が遊牧民w楠木に幻想抱きすぎ
相模の北条政権は敗れ去ったわけだが?栄華を極めた三河武士とは違うな。

壇ノ浦の三浦党・和田義盛は騎射で遠矢、新居は歩射。
騎馬での弓射という不利な体勢で弓を射る義盛にかなわない京武者の平家武士が
伊予国の新居に頼ったわけで、理由は平家武者の弓が弱いから
・・・となるわな。

>>835
usiの戦闘実例は太平記と平家なんだが?
熊谷親子と平山主従の計5騎が、悪七兵衛景清ら平家武者24騎を圧倒した
一の谷の先陣とかか?

田植歌が風評の影響?
早乙女(田植娘)らの興味を引かせる内容に、庶民の田植歌なのに政治力が絡む?
室町幕府は京都なのに。

都の騎射は非力な子供(寺院の稚児)でも上手に出来るレベル。モンゴルとか関係ないし。
武士の狩猟は鹿。

844 :名無し議論スレて投票方法審議中:2006/12/27(水) 21:37:48 ID:by9JL863
違う見方で、尾張兵が最強じゃない?(但し信長が率いたときのみ)
大量の兵と鉄砲と堅固な陣地で長期戦に持ちこめられたら兵農分離してない兵なんて、楽勝だね。


845 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 22:08:52 ID:7wKyevCP
それは尾張兵が強いんじゃなくていち早く常備軍を取り入れた信長がすごいんだろ

846 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 23:46:59 ID:eq9CDJ8U
このスレって何の為にあるわけ?

847 :白馬青牛:2006/12/28(木) 00:06:28 ID:oEFAHMTW
>>838
おいおい、尊皇攘夷は口先でないと困るよ。南宋の朱子学思想のコピーを
日本でやられたら。じゃが攘夷思想はネットウヨの嫌韓、嫌中に受け
継がれておるし、日本もよいよ中国、朝鮮、韓国と同類の東アジア
朱子学の国じゃわい。
>国定忠治や新門辰五郎ら博徒ですら?博徒の方が儒教思想に感化された
武士階級より武士らしい。義理、人情もある。が、国定忠治は、幼児を
殺害しとるし、外道列伝に加えた方がええ。新門一家は維新後〜大正期まで
浅草で勢力を持ったようじゃのう。浅草六区各興行館じゃ、新門一家の
若い衆が用心棒をつとめたんじゃろ。広島・呉の「仁義なき戦い」は、
飯干晃一氏の題名と茨城県人の深作欣次氏の映画の影響でそう云われる
だけであって、仁義がない、とは云えんよ。国定忠治の残酷さ、
関東版「仁義なき戦い」には敵わんよ。
半弓は狩猟用に猟師が使うとったんじゃけえ、野生動物に有効じゃに、
人間相手に威力が無い訳あるまい。半弓が威力が無いんなら、モンゴル等
の遊牧民の矢は威力が無く、東南アジアやアマゾンの長弓の方が戦闘に
有効なんか?
悪党の半弓をネットで検索したが、概要ぐらいしか出てこんね。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~yume-n/root7.htm
連射の可能な蒙古式の小さな弓と出とるだけじゃ。
http://www.ikedakai.com/heihoyogo.html
【弓】(ゆみ)に、馬に乗ったまま射かけやすい短弓(半弓)が南北朝期に
表れる。と解説にあるが、文献よりも猟師の日常狩猟生活の道具が
戦闘に応用されたと考えるほうが良いと思う。

848 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 00:14:14 ID:U8K1+PMl
(=゚ω゚) あ、ごめん半弓でも弓力10kg以上なら甲冑を射抜けたそうだ。
ttp://www.rak2.jp/town/user/caw57320/ とは言っても当世具足の話だと思うが。

朝鮮や赤穂浪士が半弓使っていたのは知ってたが戦国にも有ったのだな。
伊賀・甲賀で半弓が使われたそうだから悪党も使ってた・・・かも。さらに情報希望。
モンゴルのヤギ角かなんかで造った弓はもっと強いらしい。
もっとも学生が使ってる長弓でも強いのは2、30kg以上の有るし必然として矢も重くなる。
威力に関してはやはり長弓とは勝負にはならんだろう。

>846
(=゚ω゚) そ、それは・・・

849 :白馬青牛:2006/12/28(木) 01:02:28 ID:oEFAHMTW
>>839
敵兵を分断し各個撃破は理想であって、教科書通りにいかんのが戦闘の
現実じゃ。少数で戦いを仕掛けるのは愚策であっても戦闘の流れで、
敵兵の心理状況で違うた展開になる。どうせあんたァクラウゼィッツの
受け売りかドイツ参謀本部流の杓子定規な理屈を付けた戦闘解釈じゃろう。
>>843
河内源氏に隷属した関東蛙が泣いとるのう。北条は相模に移ったが元来
伊豆じゃろう。伊豆の漁師。栄華を極めた三河と同じく関東武士の勇猛
宣伝の効果か。壇ノ浦の口先だけの坂東武者がピエロになったが、
あんたの言から、その口先だけの伝統は継続されとるようじゃのう。
ほいで、新居は阿波の住人ど。安芸に本貫を移した熊谷氏じゃが、
贔屓しちゃあいけんけえ、云うたるが、先陣で勢いがある方が優位に立つ
んは当然じゃないか。京都政権が東人を野蛮視したんを坂東人が自分達が
勇敢であったと勘違いしよるだけのこと。モンゴルは関係無いじゃの、
今日も関東鎖国史観全開じゃわい。

850 :白馬青牛:2006/12/28(木) 01:44:33 ID:oEFAHMTW
>>848
動物の角の弓、遊牧民の使う角弓は威力はあるじゃろうが確かに長弓ほど
じゃない。軽装騎兵の機動性と、騎射の連射に有利なが、牧畜民は半弓
だけでなく、鮮卑やパルチアのように機動性に乏しい重装騎兵には威力の
優れる長弓を持たせとるよ。じゃが元来、長弓は多くの原始民族で、
射魚の風習に伴っておる。長弓は空中では不利じゃが、水中を貫通する
には有利で、中国西南部やベトナム、日本の奄美の島々でも最近まで
射魚の風があったそうじゃ。長弓は狩猟よりも漁撈に関係が深い。
倭人や縄文人の文化が東南アジア的であることも関連する。
アイヌ人は、オホーツク文化人等、アムール・ツングース系の狩猟文化の
影響も強いので半弓じゃが、古墳期の渡来系も北方系じゃに、
現地民の長弓を採用しとる。おそらく当時東アジア重装騎兵全盛時代
じゃったことから、威力のある原住民の長弓を選んだんじゃろう。

851 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 01:57:18 ID:BjrLVosi
>>847
それがソースとは(絶句
>>849
仁井(新居)紀四郎親清は伊予だろ。伊予国新居郡新居発祥。
隷属w猟師w
河内源氏とか表現するのもアホくさい。いつものうし発言w

背後に城郭を控え、敵わず城に逃げ込む景清ら、平家方は城の中から矢を射かけ
馬を射られ徒歩立ちになった熊谷親子に対し、城の中で引篭もってた…という話だが。

西国の歩射遠矢にしても、それを得意としたのは九州や瀬戸内武士(岡山愛媛)であって
京・畿内の武者はただ見てるだけ(^∀^)
罵倒に対し罵倒で返せば、元就まで待とう廣島武士って感じか。
>>850
(*゚∀゚)

852 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 05:30:50 ID:b5m+MOMj
日本語使わないのはコンプレックスか何か?

853 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 08:05:31 ID:b5m+MOMj
維新の前の下関戦争と長州征伐に触れないのはわざと?

854 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 13:09:02 ID:Hd1Gy0VE
>>849
自分の言ってることにちょっと自信ないだろ。各個撃破はクラウゼヴィッツよりも遥か以前からの戦術なんだがな。
クラウゼヴィッツはそれを一般化しただけ。ただし戦史がベースになっているからただの理論として吐き捨てるのはただの無知。それこそ末期のドイツ参謀本部と一緒だな。

それに牛が敬愛してやまない毛利元就だって陶の大軍を厳島の狭い土地に誘いこんでるんだが。まさか心理戦だけで勝ったと思ってるのか?
心理戦といっても家臣に偽の裏切りをほのめかす書状を出させるなど、武士とは思えない卑怯な手を使ったよな。

牛の平和ボケもそこまでにしとけ。地形を利用した敵の分断なんて不良のケンカでもよくあることだぞ。
学者の本やネットからだけで知識を集めてばかりだから視野が狭くなるんだ。もっと広く勉強しなさい。

855 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 15:32:52 ID:21C0Aexp
>>854の言っている事は正論だが
言っている内容は中身がない様に見えるな

856 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 17:36:08 ID:JBsYATJ2
>>853
長州藩は廣島じゃねぇというのが牛理論

857 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 21:25:10 ID:Q1bySo6W
>>855
ヒント
ここは牛追い祭り開催中だから

858 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 22:04:59 ID:4zvuYJVC
>>857
トマトもぶつけようぜ

859 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 00:55:14 ID:UbalRHtF
ただの煽りより中身がある反論が爽快なスレなんだな

860 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 01:36:31 ID:ntFjkZ55
中身がないのはお互い様。煽りは牛もひどいよな。

861 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 02:23:07 ID:l8fFs9WQ
>>850
(=゚ω゚) ほう、なるほど射魚ちゅうのは初めて知った。でもアイヌに関してはやや?だが。
うろ覚えだがアイヌ半弓は一位の枝で造るやりかただった希ガス。
枝製の半弓は東南アジアとかにも有ったような・・・ 自身はないが。

モンゴルの弓は現代の和弓家にも引きこなせないほど強いらしいから素材の違いも
有るかもしれん。古代に合成弓は無いだろうからな。
和弓では江戸以降に鯨のヒゲを貼り合わせた李満弓(鯨半弓・駕篭弓)と言うのが有るが
幕末の武藝十八般略説には弓(木弓)銃弩(大弓)李満弓と分けられている。
雑兵物語では長弓の先に付けた「ハズ槍(変換できん!)」が活躍してるな。

>国定忠治は幼児を 殺害しとる
(=゚ω゚) 赤城の子守歌か?やったのは本人じゃないけど、たしかに1人殺してるな。
盗賊同士の抗争のうえの夜襲だから親父の巻き添えになったんだろ。風魔なんかもっと酷い。
山賊なのも事実だし貧民救済したのも事実。

(=゚ω゚) あと、敵兵を分断し各個撃破は普通に有るだろ。能島水軍の言う「我が全力にて敵分力を討つ」わけだ。
孫子にも我が兵は集中させ敵兵は分散させろと書いてあるし

862 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 22:31:57 ID:UbalRHtF
>>860
オレも>>861みたいなのが中身のある反論で楽しんでるのだと思うんだが

863 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 18:09:45 ID:clNgQf7Z
>>849

>河内源氏に隷属した関東蛙が泣いとるのう。


頼朝将軍家は三代で北条氏と関東武士に
皆殺しにされました。


あんたの書いてる事は、根拠のないデタラメな自己願望だよ。

朝鮮人がやっている事と同じじゃないか。

見てて見苦しいよ。

864 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 18:23:26 ID:clNgQf7Z
212 :日本@名無史さん :2006/11/18(土) 23:19:14
北条執権の荒々しい対朝廷政治手法は、平新皇将門の遺恨を晴らすかの如く痛快無双である。
承久の乱(1221)後鳥羽上皇隠岐、順徳上皇佐渡、土御門上皇土佐に配流。
元弘の乱(1331)後醍醐天皇隠岐、尊良親王土佐、尊澄法親王讃岐に配流。
後鳥羽・後醍醐の狂乱に対する果断な処罰があったればこそ、皇室が今日まで存続したんだと思う。
臣下による<朝廷処罰>の歴史的意義、意見聴かして。


219 :泰時命 :2006/12/13(水) 23:37:29
>212
土地の土豪が、天皇や朝廷に打ち勝った。実にすばらしい。
ただ、平氏や源氏は朝廷の官職にも興味があり、ちと情けなし。
北条氏こそ、関東武士(御家人)のための政治体制確立の立役者なり。


865 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 20:00:16 ID:DAwvhNSU
尾張兵はオシャレ

866 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 22:34:01 ID:nVYnhADb
尾張のお洒落な武士はチョンマゲがエビフライだったらしいな

867 :白馬青牛:2006/12/30(土) 22:37:02 ID:zD6y45vq
>>851
半弓が西日本山岳籠城遊撃戦重視、長弓が東日本平野部野戦重視と云う
分類も出来、東西の戦闘方法の文化的相違を挙げたんじゃが。
新居は姓から元来伊予であろうが、阿波の住人じゃ。まあどっちゃでも
ええ。あんたが例に挙げたこともある近藤好和氏は、東国でも甲斐と違い、
坂東八箇国は、遠矢下手としとってじゃ。関東は常陸、下総等、低湿地
水郷地帯も多いので近距離の射魚の影響かのう。城に引篭るんを軽視する
たァ、関東籠城山岳戦下手の解釈であろう。相変わらず京・畿内の武者を
蔑視するのう。源為朝は、少年時代に九州へ遷って暴れたが元来畿内ど。
安芸廣島武士は、元就時代以前の応仁の乱での安芸勢の活躍、大内義興軍で
の京都・船岡山合戦で「鬼平賀」と呼ばれた平賀弘宗さん、更に時代は
遡り応永十年の山名満氏軍の相手に御薗宇城で三年間籠城し、遂に山名軍を
撤退させた平賀弘章さん等、廣島人は武勲や籠城戦にも伝統を誇るよ。

868 :白馬青牛:2006/12/30(土) 23:23:56 ID:zD6y45vq
>>854
敵兵を分散し各個撃破する事が、古来からの戦闘法であることは、
云うまでもない。その戦術の常道が机上の理論通りに簡単に出来る訳でも
ない。敵の虚を付かにゃあのう。あんたの、常識的戦闘方法を机上の理論
解釈で論じる方法こそ、近代日本の参謀本部の師匠ドイツ参謀本部式
じゃのう。陶軍を厳島へ釘付けにさせた、桂元澄さんに陶晴方さんへ
内通誓書を書かせた事か。ほいじゃが桂元澄さんも桜尾城に留まり、
陶晴方さんに対し攻撃しとらん。「中国者の律儀」を表したど。
>>856
その通りで、長州は山口県であって広島県じゃない。山口県は大内氏が
室町期、都の政争に安芸兵を伴って兵力を動員し介入したよう、幕末も
同じ性格で覇権欲も強いが、中国地方モンロー主義の広島県と性格が
異なる。毛利氏も山口県に移り、山口人と成り大内氏の性質継続者と
なっただけ。

869 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 23:44:38 ID:GrqA1HsN
広島人は戦上手だが出世欲や覇権欲が無かった為、天下を取れなかったのではなく
そんなのに興味がなかっただけと言いたいのかな

870 :白馬青牛:2006/12/31(日) 00:11:17 ID:qHhNzII/
>>861
東南アジアでも、山岳地のチベット・ビルマ系は半弓を使うじゃろう。
海岸部や低湿地は長弓の伝統が強いんじゃないか。
弓の素材でどれだけ威力に違いが出るかは、わしもよう解らん。
国定忠治が手下に殺害させた訳じゃが、命令したんは親分の忠治じゃろう。
薩摩人士族の末である海音寺潮五郎氏は、この件の忠治に関して、
『左右に子分どもを居流れさせて、首実検をしたというのだ。いたいけな
子供まで殺し、女に傷を負わせ、いやらしい話である。しかし、これが
ばくち打ちの義理なのだ。武士道とよく似ていよう。「父と子のために
かくし、子は父のためにかくす。直きことおのずからその中にあり」と
いう孔子の教えの方がずっと人間的だ。』
博打打ちや武士道が残酷と決め付けられるのもどうかのう。
儒教的教養の無い者は禽獣に過ぎん、薩摩人らしい儒教を上位に置く解釈で
あるが、わしは、真宗王国の広島的に仏教的な「慈悲の心」が大切じゃと
考え、海音寺氏と見解が異なる。

871 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 00:19:38 ID:Uzb5q67C
何?この糞コテスレ・・。

872 :白馬青牛:2006/12/31(日) 00:36:14 ID:qHhNzII/
>>863
頼朝将軍家が潰れても、河内源氏の義光や義国の末は関東でも支配階級
じゃったじゃないか。関東の支配者層は相模の三浦半島が弥生時代から
斥侯的存在として移住したよう、北方新モンゴロイド系である西日本人、
朝鮮半島からの渡来系じゃ。朝鮮人がやっている事と云う処、
朝鮮人に劣等感でもあるんか?関東土着民を代表して、朝鮮半島からの
渡来系に支配された恨みか?NEVER掲示板を見たら、韓国人に劣らず、
日本人側も嘘吐き、捏造に熱心じゃのう。お互い様と云うべきか。
>>869
広島人は、政治屋等は別として、覇権欲や出世欲に乏しいのう。
近代軍隊でも廣島聯隊から陸大受験に熱心でなく、合格者も少なかった
ことからも云えるよ。

873 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 00:38:33 ID:bI9DnnNK
>>780

広島人だが、お前みたいな広島弁は初めて見た

キモいな

874 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 01:08:54 ID:EB6mX0iW
>>872
>広島人は、政治屋等は別として、覇権欲や出世欲に乏しいのう。
近代軍隊でも廣島聯隊から陸大受験に熱心でなく、合格者も少なかった
ことからも云えるよ。



これがもし関東の軍隊なら、馬鹿が多いいい見本じゃ!とかいいそうこの人なら


875 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 01:30:49 ID:bI9DnnNK
つか>>780の言う広島って、どの辺りだよ

広島って北と南とでは全然違うぞ



876 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 03:43:43 ID:Q1gv/J3f
>>867
その阪急とやらのソースを示せよ。柳弓に毛が生えたようなものか?w
新居(仁井)紀四郎は諸本で違うのかも知れないな。
射魚ね・・あおうまワールド全開ですな(゚∀゚)

>遠矢下手
出番すらない伊勢平氏の京武者は無視かw遠距離じゃ清盛みたくヘロヘロ矢になるから?

壇ノ浦の遠矢で関東武士は遠矢でも騎射、西国武士は歩射という場面、
騎射は短めの矢を使うし、吹返しが邪魔であまり引き絞れない。
威力の出る近距離で矢継ぎ早に射る。鎌倉以前の弓射騎兵はこれ。
戦国期でも弓射騎兵はわずかにいたようだが、弓射騎兵の全盛は治承寿永期。

馬上では劣るが船戦に長けた瀬戸内武士は、下馬射で長弓大矢で遠矢…余技的。
甲斐の浅利は遠距離飛ばすために長弓を使ってるが、
騎射に当てはめると完全に余技になる(大庭の故実↓)

>>870
真宗王国の広島→江戸時代以降でしょ。
>>872
在地有力勢力との婚姻を通じて勢力基盤を得る。武士発生の根幹に関わる事なのに
相変わらず考慮しない姿勢だな。
半島から多数流入してるのは古墳期の畿内渡来(ry

877 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 03:44:59 ID:Q1gv/J3f
【吾妻鏡】
鎮西八郎は吾が朝無双の弓矢の達者なり。
しかれども弓箭の寸法を案ずるにその涯分に過ぎたるか。
その故は、大炊御門の河原において景能八男の弓手に逢う。八男弓を引かんと欲す。
景能潛かにおもへらく。貴客は鎮西より出で給うの間、騎馬の時、弓聊か心に任せざるか。
景能は東国に於いて能く馬に馴るるなりてへれば。
則ち八男が妻手に馳せ廻るの時、縮相違ひ、弓の下を越ゆるに及びて、
身に中たるべきの矢、膝に中たりをはんぬ。
この故実を存ぜずば、忽ちに命を失うべきか。勇士はただ騎馬に達すべき事なり。
壮士等耳の底に留むべし。老翁の説、嘲哢すること莫れと云々。

源為朝は日本一の弓矢の達人だ。
だが、体躯に対して大き過ぎる弓を用いていたのではないか。
大炊御門の河原の戦において景能は、為朝の弓手にあってしまい射られそうになった。
その時思った。為朝は九州から来たので騎乗での弓の扱いに慣れていないのではないか。
それに対して景能は、東国の者だから馬の扱いによく慣れている。
そこで、馬を為朝の妻手に馳せた。
そのため、体に当たるはずの矢が左膝を射られただけで済んだ。
この故実を知らなかったら命はなかったろう。
勇士はただ騎馬に達すべきだ。
壮士らもよく憶えておいて欲しい。老いぼれの言う事だと馬鹿にしてはいけない。

878 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 05:33:23 ID:h3e5QtnQ
牛は都合のいい解釈しかできないんだな

879 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 13:00:52 ID:5RkBpL1K
訂正:楊弓。江戸の時代劇でお馴染み、座って射る盛り場のあれ。

usiは弓が小さければ良いように考えてるようだが、日本の弓は独特の構造だから
長弓が理由で諸国に劣るわけじゃない。逆にオリジナルな創意工夫があるし。
西国で最も騎馬に長けた鎮西武士の為朝でも、相模武士の景能に指摘されたように
むしろ長弓は西国騎兵が好んだともいえる。
体格・リーチがないと、大きな弓で長い矢は射れないけど。
東国でも南北朝の弓射は歩兵。戦国の東国大名は弓(歩射)装備が少なめ。

880 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 14:55:43 ID:x7qK665+
>>872
家系図=血が繋がってるって判断するのもどうと思うぞ。
そもそもその家系図ですら大体において怪しいものばかりなんだから。
家系図に一箇所でも嘘偽り、間違いがないとでも?
まあ、正直地方に土着した源氏は全部怪しいよなww

関東に下る源氏一族を土豪が皆殺しにし自分達が成りすます。
最初はなりすましていたが、いつの間にか自分達の中に源氏のプライドが根付き育ちはじめる。みたいな。

武田信玄なんて、義光の血なんてひいてないだろな。
鎌倉時代後期〜南北朝にかけて源氏の血筋なんて没落してるよ。
土地の土豪が甲斐源氏を簒奪した家が続いてるってことだよ。


いくら信じろといっても
「血が繋がっているw」しかも「何百年も前の人物と血が繋がってるw」

なんてこんなトンでも電波飛ばされたら、あまりの衝撃波で吹っ飛ばされそうになったよ。
しかも、それを証明するのがたった1枚の「家系図」なんてねw

881 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 15:01:27 ID:x7qK665+
系図が意味しているのは「武田家」に各時代にそういう人物が居て
武田家の〜代目を引き継いで、その〜代目+1代目に引き継いだって事で
「源満仲」と「武田〜〜」の血が繋がってるって事を証明するものではありません。

そんなのその辺りにいる乞食が「私は清和天皇の血が繋がっている」って言い出すのより
1%くらい信憑性が高くて事実っぽい事を述べているにすぎないよ。
信じちゃって、それで喧嘩しあうとかって滑稽だよ。


武田家の本家が「私は武田信玄と血が繋がっている」なんてのは事実じゃない。
でも。武田の本家が「私は武田家の初代武田〜の後を継いだ40代目の当主である。」って言えば
信じる。

しかし、いくら嫡流に近いといっても本家でもないし、分家した時代にそれを証明する公的文書があちこちにあって
事実って証明できるならばいいけど、それも出来ないのに「武田の分家」なんて信じちゃうのも
一体どういう脳みそなの?って感じ。

尚且つ武田本家ですら、武田信玄と血が繋がってるなんて証明不可能なのに
分家にすぎない奴が「血が繋がってる」なんて思い込んでる様は笑っておなかが痛いよ、ほんと。

882 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 15:04:11 ID:x7qK665+
鎌倉幕府のトップは、執権・北条氏だよ〜ん。


北条氏(ほうじょうし)は、伊豆国出身の豪族で、鎌倉幕府の執権職を世襲した一族である。
また、代々鎌倉幕府執権職を継承したことから執権北条氏ともいわれる。

時方のとき伊豆介となって伊豆国北条郷(現静岡県伊豆の国市)に土着し、
北条氏を名乗ったというが、詳細はわかっておらず、平氏ではなく、東国から北条の地に移り住んだ豪族とする説が有力である。
その傍証として、伊豆の他の豪族と比べて地元に同族が少ないことが挙げられる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%B0%8F

883 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 15:05:12 ID:x7qK665+
鎌倉幕府のトップは、執権・北条氏だよ〜ん。


鎌倉政権はまた、坂東の武士たちの訴訟調停機関の側面も大きかった。
源頼朝が坂東の武士たちに奉じられたのは、かれの調停能力の高さに武士たちが服した結果でもあった。
「一所懸命」という言葉が示すように、武士たちは自分が開拓した土地を守ることに命を懸けた。
そして、土地争いが起こったとき、公平な調停を期待できる機関を求めていたのである。
これが、鎌倉幕府存在の意義であり、その成立は時代の趨勢に合致していたのである。

ところが、源頼朝のあとを継いだ頼家は幕府存在の機微が理解できなかったらしく、血統こそ尊いと思ったようだ。鎌倉政権を担う武士たちは家来として扱い、
結局、反発を蒙って失脚、幽閉先の修善寺において暗殺された。その後は弟の実朝が継いだが、かれも、頼家の子公暁によって殺害された。
そして、かれら以外の頼朝の子孫もまた、ことごとく非業のうちに世を終わり、源氏嫡流は断絶した。

頼朝の子孫が断絶すると、源氏との血縁をもって京から九条頼経が将軍として迎えられたが、のちにその子頼嗣とともに京に帰された。
これは、頼経が反北条御家人らと北条氏打倒の陰謀を画したためといわれている。
その後は、皇室より宗尊親王が迎えられ、その子惟康親王、ついで惟康親王の娘婿久明親王、その子守邦新王と続いた。

しかし、かれらが将軍職についた時代は、鎌倉幕府執権である北条氏の権力は絶対的なものであり、将軍とは名ばかりのまったくの「お飾り将軍」であった。


http://www2.harimaya.com/sengoku/kamakura/html/km_syogn.html

884 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 15:27:47 ID:Ta1IHtrW
>>872
君にとっては「義光や義国は源満仲の子孫で、家系図があるから彼・彼女も源満仲の子孫」

とかいうのは事実wなんだろうけれど、俺を含め、かなりの多くの人間にとって、そんなのは
「妄想」「妄信」「伝説」であって、んなものは事実でもなんでもないって事だよ。
なんなら世の中に出て多くの人に聞いてみなよ。
みんな顔は笑顔だけど、心の中では「はー?何コイツ、気持ち悪!精神病?」って反応されるよ。


もう少し良識を持って欲しい。
なんで証拠も無く、証明も出来ないクダラナイ妄想を事実と思い込むわけ?
馬鹿もいいところ。
結婚して、子供が出来て父親がそんな馬鹿だったら自殺する。
「妄想は妄想」「伝説は伝説」「事実は事実」ってキチンと区別できる
大人にならないとこの国は滅ぶ。
「義光や義国が源満仲の子孫で、家系図があるから私も子孫」なんてのは妄想も妄想、糞妄想
これだけははっきりさせておきたい。

885 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 15:38:26 ID:DBSTrSpE
江戸時代の武士は悪質。
自分の家が卑賤上がりだからって、系図捏造するときに、
その辺の名家の系図抹消を行ってから、その系図に自分の名前を
連ねるとかを強権でやってるし。

886 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 16:01:06 ID:sO48dU8b
なんかコンプレックス持ちがいるようだ。
しかもしつこい。

887 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 18:26:53 ID:ew4aeE9p
>>884
残念だが、現代の国家は滅多な事じゃ滅ばない
つか民族問題以外で滅び(統合・分裂)ようがない
現代の単一民族国家が滅ぶような現実的なシチュエーションを出してくれ

888 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 19:05:31 ID:7syHOwE1
天変地異によって日本列島沈没とかw

889 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 21:39:43 ID:NeoKoiq+
>>870
(=゚ω゚) んー、射魚長弓説はオモロイけど、あんまり関係ないだろ
外国にもイングランド長弓隊とか有るし。
アイヌは半弓だが北海道だけではなく樺太千島まで広く漁労もしていたから山岳狩猟とは言い切れない。
アイヌの漁法は基本的に釣り、マレク(突き鉤)、キテ(銛)、網、梁ヤナ。
沖に出て刺し網、地引き網、川では梁を使って追い込み釣りや銛で仕留めた。
アイヌは薬草に詳しいので毒を使った漁法も有ったらしい。女はウグイとか雑魚も捕ってたようだ。
幕末に見聞された松浦武四郎の近世蝦夷人物誌に「瀬棚の小使役“シテバ”は
山では毎年2,3頭の大ヒグマを仕留め、海に出れば銛の名手で3mもある大トドやアザラシを
仕留めた」とある。
【突鉤のサケ漁】ttp://www.frpac.or.jp/kodomo/html/hito/nariwai/nariwai.html

基本的にアイヌは毒矢を使う。たしか坂上田村麻呂が蝦夷に毒矢攻撃されてたな。
ただ、相手が熊とか鹿だからすぐに毒が回るわけでもなく槍や山刀一本で
組み討ちで仕留めたようだ。 ・・・凄い。アイヌ最強w

 >国定忠治が手下に殺害させた訳じゃが、命令したんは親分の忠治じゃろう。
(=゚ω゚) だから盗賊同士の抗争だっちゅーの。
米軍の空爆みたいに民間人を無差別に殺した訳では無い。
スジ者の世界ではそう扱うのが落とし前のつけかただったんだろう。
カタギのアッシらには関わりのねぇ事でござんす。

ではまた来年(=゚ω゚)ノシ

890 :白馬青牛:2006/12/31(日) 23:31:41 ID:OcaZD2BS
>>874
これがもし関東の軍隊だったら?そがいなん関係なーわい。
わしが学校秀才の参謀タイプを馬鹿じゃ思うとるんは他板を見りゃあ
解ろう。英国の紳士が知性を軽視する傾向(英国紳士がクラスの中以上の
成績を取る子息に極めて疑惑にみちた目で眺める。紳士の子供はあらゆる
点において順応すべく期待され、同期の誰よりも多くの生徒をぶち殴った
とかは賞賛すべき偉業になるが、学業の優秀性は許容出来ん逸脱とされる
そうじゃ。)、人格を重要視したのと較べ、ドイツや日本は、エリート層
、秀才信仰が強い故に国家を誤らせたのであろうか。
『旧日本陸軍(海軍も同様)には、人物、器量、識見よりも、何より陸士、
陸大の卒業成績を重視する弊害があった。俗に秀才と云われる学校の
優等生は、単に記憶力が優れているだけで、人間として最も重要々素で
ある創造性、判断力、決断力、思考力が欠如していた。エリートコースを
たどった秀才がいかに愚者で小人物であるかは、軍人だけでなく、現在の
政財界を観ても一目瞭然である。英国のチャーチルが若い次官時代に、
「このような創造力の無い軍人を司令官にするほど怖いことはない」と
云って、軍司令官に推薦のあった四人の将軍の中の二人を蹴ったという
逸話がある。』と、森金千秋氏は云われた。
広島人の戦闘における知力と学業秀才の馬鹿たれと同一視してくれなや。

891 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 23:47:45 ID:/SdCs6kj
>>890
でもその理屈は何の努力もしないで「実は俺はすごいんだぞ。」みたいなこと言ってる
馬鹿と同じ理屈だよな。
言ってる本人に実力と実績が伴ってりゃ誰も文句は言わないが。
牛の話を聞いてると昔8連隊は戦では負けたが個々の大阪人は強いと言ってた
うどん屋の釜の大阪人を思い出したよ。

892 :白馬青牛:2007/01/01(月) 00:22:10 ID:ot0pKlzR
みなさん、新年おめでとう。
>>876
半弓は、古来から民間に伝わっとったもんじゃないか。
http//katohjuk-web.hp.infoseek.co.jp/aduma48-00-mokuji.htm
【吾妻鏡】第四十八巻の下記の方、原文正嘉二年(1258)八月大
十七日の鹿ヶ谷事件の解説では大弓でなく、半弓と解釈されとるようじゃ。
表芸の長弓だけでカバチたれるだけで、民間に伝わる半弓を無視しても
意味が無い。大阪の天満宮の流鏑馬は、いまだ半弓騎射じゃ。
ほう、あんたが引用した近藤好和氏は関東は接近矢としとるんに、
関東の遠矢たァなんなら。和田義盛のように口だけピエロの関東武士か。
まあ、接近矢の技術を含め西行や平家降人に学んだ坂東お笑い武士団。
騎射、弓術の早業なら半弓にかなわんのじゃに、長弓にこだわる頑固さは
関東流か。関東の騎射下手同様、瀬戸内水軍の船戦も船自体を武器にせん
拙劣なもんじゃ。
安芸門徒は、石山合戦のおり敵中突破し兵糧を運んどるよ。
関東の在地豪族も渡来系が多かろうに。埴原和郎氏によると東日本人でも
渡来系7に対しと在来系3の比率で、関東人は在来縄文系の直系じゃ
ないよ。西日本より多少在来系が多かっただけのこと。

893 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 00:46:48 ID:diGUEzDq
あけましておめでとう。
>>890
随分と秀才が嫌いなようだがお互い様だと思うぞ
秀才タイプはあんたみたいなの毛嫌いするだろうし
昔は不良だった???


894 :白馬青牛:2007/01/01(月) 01:28:46 ID:vvUqZC9+
まだ関東蛙君の騎射の時代的変化じゃ、日本オリジナルと他国と比較せず
独善性に酔う関東共産主義解釈の後は、やれやれ>>880氏の妄想かいの。
家系図に信憑性が薄いのはその通りじゃが、文献、系図解釈で
ギャーギャー云うても意味がない。人類学的根拠はどうなら。
http://www.pref.iwate.jp/~hp0909/koto/koremade/jinrui/jinrui.htm
埴原和郎氏の多変量解析分析では、奥州藤原氏が土着蝦夷、在来系では
無く、京都出身の可能性が強い。中央貴族藤原氏出身の系譜通りの結果に
なっとるよ。関東蛙君に云わせれば、秀郷流奥州藤原氏は、関東在来豪族の
血も濃いと云うんじゃが。>>882で東国から北条の地に移り住んだ説が
有力であると、同族が少ないんが、何で「東国」から移り住んだと断定
出来るんか?東国以外でもよさそうに。伊豆、相模は北方新モンゴロイドの
影響が東国の中では強い方じゃ。だいたい、どがいな(どのような)解釈も
出来る文献資料だけで歴史が構築出来ると思い込む方が妄想じゃ。
文献を読んで解釈出来るようになるんは他学問の要素も考慮し、
自己の人間としての経験や世間を知っとらんと妄想になるよ。
ほいで>>884の世の中の多くの人に聞いてみなよ?
何でわりゃ、世間に頼るんなら。昔、わしが少年時代、日教組の馬鹿な
教師も世間の常識から通用せんじゃカバチ(文句)たれとったのう。
世間じゃ、常識じゃあ、頼りにするたァ、自己の判断で生徒に向き合う
たらえかったのにと、昔を思い出したわい。だいたい自分に自信がのうて、
責任を負うことが出来ん人間が、世間がどうじゃ、こうじゃ、ゆうんじゃ。
そがいな(そのような)もんの、受け売りをしとるんが、あんたじゃ。

895 :白馬青牛:2007/01/01(月) 02:23:24 ID:vvUqZC9+
>>889
イングランド長弓隊は、同じブリテン島のウエールズ長弓隊を真似たん
じゃが。アイヌ人が狩猟より漁撈を重視したんは、縄文期からタンパク源を
主に海産物摂取したことからも云えることじゃが、わしは、アイヌ人の
半弓はアムール・ツングース、オホーツク文化人の影響があるんじゃ
ないかと考えるんじゃが。毒矢の使用も靺鞨・女真文化の影響であろう。
トリカブト(附子)使用等は。
国定忠治を盗賊と貶してもしょうがないし、江戸期に空爆があるはずも
ない。スジ者の世界ではそう扱うんが落とし前のつけかたか?
女子供はカタギじゃないか。関東では一族としてスジ者になるんか?
>>891
努力云うても、人様々じゃし、人に好かれる努力は、傍から観て気の毒に
思うよ。人気を得る為に八方美人になっとる人間は哀れじゃし、出世、
金欲に捉われた者も同じじゃ。そがいな努力して他人に見栄を張って、
意味があるんか?そがんなったら他人に経済力や俗物的名声に捉われ、
自分を見失い、ほんまの守銭奴に落ちる。いざ、命を賭すことも出来ん
ようになるんは自身の自由を自らが奪うことになるよ。
ほいで大阪8聯隊がどの戦闘で負けたか明確に云えず、スローガンで云う
自体がピンボケしとるよ。
>>893
一般的不良スタイルは、しとらんかったよ。人は人でわしは、わしじゃ。

896 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 03:44:15 ID:TWhRqr7i
おっ
現地語の意味を日本語で括弧書きしてくれてる
やれば出来るじゃないか

897 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 04:11:08 ID:sIFq/+f2
>>892
usiさんよ  その記事読んでみたが、事件の内容は建長寺門前で
伊具四郎入道が諏方刑部入道(弓手の騎射)に暗殺された、というものだろ。
それで弓とは書かれてないし、矢(毒塗り鏃)のこと。
鹿ヶ谷事件は全く関係ない。

つか、西国=半弓のソースは?
武士としての西行は、実戦経験が無いまま26才で出家した風流人にすぎない。
環境の整った細長い馬場で行う優美で儀礼的な競技として完成された
都流儀の煩わしい型にはまった流鏑馬の名手だっただけ。
興福寺の稚児でも出来る。
頼朝は古株の秀郷流末裔氏族に気を使う人w

898 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 09:34:07 ID:PVyPH8Wp
みなさん、あけましておめでとう。

牛いじりは正月明けてからにしたいと思う。牛も正月くらい家族と過ごしなさいよ。

899 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 10:20:00 ID:wcYvEakH
そうだな、元旦位は醜い煽りあいはな
新年明けましてお目出度うございます
昨年度中は半年ROMれ・童貞乙・ワロタなど大変お世話になりました
本年も同様にマターリとしつつ殺伐としたお引き立ての程宜しくお願いします

900 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 13:39:49 ID:1RRArx5d
(=゚ω゚)ノ 皆の衆、あけおめ。
以前>>637で都築経家の秘術で馬が人手を借りず数珠繋ぎに彼の馬の尻について
来た言う話が有ったがヒントを見つけた。

「釧路の馬丁の治平は幼少より乗馬を好み、立ち乗り横乗り曲乗りも自在。
身の丈3mの大熊を馬上からの投げ縄一本と犬2頭のみで捉え、熊の攻撃を曲乗りで捌き
武器も使わず仕留めてしまう。
放牧された野馬は掛け縄で父母を捉えれば5頭でも10頭でもその後に付き従ってくると言う」

(=゚ω゚) つまり馬群の核を見抜く眼力と制御が都筑流の秘術だったのかもね。
「あたりまえだろ」と言われりゃそれまでだがw
ちなみに馬丁の治平とは馬好きのただのアイヌのおっちゃん。

901 : 【大吉】 【1964円】 :2007/01/01(月) 15:00:22 ID:il245ijY
まあとりあえず運勢でも

902 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 20:41:29 ID:+BcWKA7r
>>895
ひねくれてんなあ。なんで努力という言葉でそんな話へ持っていく?

でも言われてみればなぜ大阪が弱いって言われてたのかわからん
実際はそんなことないだろうな。

903 :白馬青牛:2007/01/03(水) 00:03:15 ID:45w16ugx
>>897
そりゃあ、文献解釈の問題じゃ。あんたの云うソースたァなんなら?
わしが>>847に挙げたよう、わしは赤松悪党勢の西国山岳戦闘法と坂東の
拙劣な戦闘法の違いを表しておると考える。西行が出家したことと、
関東武士が西行から騎射技術を学んだことが、何で関係あるんか。
それたァ、関東の「実戦」とは何かと云うソースを希望するよ。
海音寺潮五郎氏は、源義平と義賢の大蔵合戦を例として、後世の博徒の
縄張り争いの「でいり」と同類とされる。騎兵の集団運用も出来ん坂東
武者の実戦とは何か?盗賊と闘うことは都の武士と変わらん。
ほんまの戦闘らしい経験をするんは、古代を除き、蒙古襲来以降、
外来戦闘の影響で西国から民間的な遊撃、籠城と戦闘変化が起きたと
云うべきであろう。型にはまった戦闘をしたんは関東武士じゃないか。

904 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 00:33:28 ID:qnAh4q0Z
文献解釈もなにも半弓と意味してない事を指摘したわけだが、
西行の騎射も吾妻鏡の記事だけで(流鏑馬神事)、それは万人が認めるところ。
流鏑馬における弓矢の持ち方以外に、西行ごとき何が残るよ。
悪党のいくさ=阪急のソースを出せと。847はネタだろ
角弓じゃあるまいし。それとも富士川の例の如く、非力だから使ったとかw

905 :白馬青牛:2007/01/03(水) 00:57:09 ID:mEaqPX0d
>>902
話が私事に、今思うとる方向に向うただけじゃ。>>890の流れで。
努力を美化してものう。戦国期の龍造寺氏の庶流江上氏の末である、
江上波夫氏は、「遊びで勉強するっていうと、今の人は不真面目と
思うものね。刻苦勉励するんだから。もっぱら研究室に通ってさ。
だからわざわざ狭くしちゃうんです。少し見聞を広くしておいたら、
読んだらすぐにわかるものはわかる。文字面だけで解釈するから、
えらい難しいものになっちゃうんです。考古学者だってそうですよ。
出りゃあいいんですよ。ところが予測が違ったら恥ずかしいんだ。
職人じゃないんだから。浜田青陵先生が我々に教えられたのはそれなんだ。
学者は絶対に広くなきゃいけない。常に横に広がる。下に掘るのは職人だ。
職人みたいな先生じゃぜんぜんダメだと言うんだ。浜田先生は、セース(
1845〜1923、英国人比較言語学者)先生から一日二時間も勉強
したら、四十過ぎたらボケる。一週間に二時間ぐらいでたくさんだ。あとは
広く経験したり見聞しろと言われたんです。実際、英国人は悠々と勉強して
いる。朝から晩まで魚釣って、お茶ばかり飲んで、あの連中のほうが、
自分でものを考えるというやり方を知っている訳です。」江上氏の言は
職人蔑視と誤解される人もあろうが、英国的アマチュア尊重文化でもある。

906 :白馬青牛:2007/01/03(水) 01:38:41 ID:mEaqPX0d
英国人の素人(アマチュア)尊重精神は、専門職(プロフェッショナル)
知識より、高く評価されるんは、イギリス文学が主張するところ。
シャーロック・ホームズがママチュアでありながら、プロのスコットランド
ヤードの刑事達より洞察力があること。英国紳士が、努力して金銭を貯め、
立身出世した裕福な資本家や専門職を汚らわしいと軽視すること等。
スポーツでも、サッカーは、もはや、紳士らしいスポーツじゃないそうで、
ゴールを決めた後でお互いが抱き合いキスしたりで品が落ちたと云う。
例えお互いに許し合っている仲(ホモ同性愛のことか。)とはいえ、公衆の
面前でキスするなど、紳士として許される行為じゃない。ラクビーは、
レフェリーが見てない時お互いに股間を膝で蹴り合う程度に留めとるゆえ、
紳士らしいスポーツじゃそうな。
マイスター性専門職尊重のドイツと英国は違うが、どうも日本の職人尊重
傾向は、明治以降ドイツ思想の影響が強まったとも云える。
鈴木秀夫氏は、個々では違う例もあるものの、西日本出身の学者は
ジェネラル総合的で東日本の学者はプロ専門に徹する職人気質の人が
多いとされる。東日本の方がドイツ的かのう。



907 :白馬青牛:2007/01/03(水) 02:16:44 ID:xDMX5npH
>>904
文献の一言一句解釈は、個人の思い込みに過ぎんよ。神学を論じとる訳でも
ないし。カルト教団じゃあるまいし。そう云やあ、中世史学者は、
考古学や民俗学的視点に乏しいと思うね。東国優先史観の網野氏は、
東国系でも例外かのう。
あんたァ畿内を非力じゃ、カスじゃ云うとるが、関東武士の方が筋力や
体力に上回ったと云う根拠を提示せず非力等と文献妄想しとるじゃないか。
治承の頃を云うとらんのに。南北朝期の当時の価値観で、民間のアマチュア
西日本の悪党を含む集団が寡兵で、東日本の専門家武士に対し、
戦闘形態が上回っておった云うこと。近代軍隊において戦闘で参考に
なるんは、関東勢じゃのうて、西日本悪党勢(播磨悪党集団は、丹波、
但馬の近畿北部と中国地方の因幡、伯耆を含む。)であろう。
源平合戦の頃は関東がアマじゃったが、戦闘技術より兵力の動員で
多勢が集まった要員が多いんじゃないか。

908 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 05:16:19 ID:FJ2FGqt2
>>892大阪の天満宮の流鏑馬は、いまだ半弓騎射じゃ。

(=゚ω゚) 大阪天満宮の流鏑馬神事だと思うが・・・ あれ騎射では無いんだわ。
弓で(つーか弓形木刀?)的板をひっぱたくモノらすい。
「難波鑑」によると江戸時代には半弓だったらしいが
現在の天神橋筋商店街のド真ん中では半弓でもムリぽ。

しかし、とうとうホームズまで出したかw いったいどこまで逝くのやら楽しみだw
シャーロック・ホームズのモデルは、たしかドイルの師匠のベル博士だろ?
現代で言う法医学的なアプローチができた臨床医だよ。
医師が警察に協力しても言語学者が下町の花売り娘をマイフェアレディにしても
なんら不思議ではない。

909 :白馬青牛:2007/01/03(水) 23:42:21 ID:S9UvrwfG
>>908
いまだにゆうたんは、間違いじゃ。「江戸期において」と訂正するよ。
ドイル氏がベル博士をモデルとしたが、問題はアマチュアリズムを
プロより上位に置く英国文化と云うことじゃ。「シャーロック・ホームズと
アマチュアリズム」で検索したら関連事項が色々出てくるよ。
「ピグマリオン」の話まで出したんか。イースト・エンドのコクニー訛りの
イライザをヘンリー・ヒギンズ教授が矯正する話じゃが、コクニー訛り
じゃあ「h」を発音出来んらしゅうて、Henry HigginsがEnry Igginsに
なるんじゃろう。ほいじゃが、下町云う概念が、階級社会の英国は違うよ。
東京の山の手がウエスト・エンドで、下町が、イースト・エンドたァ
云えまい。英国は階層差が激しい社会じゃし。訛り云うたら、現代の
江戸っ子は「ひろしま」を「しろしま」と云わんじゃろう。
歯切れのええ江戸弁?は聞いてみたいもんじゃのう。

910 :白馬青牛:2007/01/04(木) 01:02:25 ID:xJ31yeKB
検索しよったら面白いサイトがあったわい。
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/NetNews_site/Personal185.html
教育論議であるが、63、65の塩時計氏の意見、64の余丁町散人氏の
意見は、努力についてわしの言葉足りずの脱線と違い的確に云うと
られる。ほうじゃ、努力をそろ盤勘定して現世利益に還元する人間が
多い。帝国陸軍の将校や参謀達も「みんな」じゃないが、逃げる人間が
多かった。出世欲で責任を取らんような。英国の貴族が先頭に立つんと
大違いじゃ。賭博や宝くじで稼いだんと努力して収入を得ても優劣は無い
のにね。ドイツ式のガリ勉選りすぐった秀才たちも、知恵や判断力に劣る。
英国紳士は、一生懸命に努力し、それを公言して恥とも思わぬ人間を
軽蔑するそうじゃが、だいたい今日、魚が釣れる釣れんは、最終的には
海の神様が決めること、山の獲物も山の神様が決めることじゃ。
努力のせいにするんは傲慢過ぎる。優秀な人間など、個人の才能なんか、
社会の鋳型が決めるもんじゃ。本人がおらんでも、替わりを務められる
もんは、なんぼでもおらあーや。
NHKでホームズ見ながらカバチたれたわい。

911 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 01:57:29 ID:ktebS/ez
>>906
ラグビーヲタがネタに使いそうな話だ。
>>907
吾妻鏡は半弓を示してない。
江戸時代の流鏑馬w
悪党のヒント 地の利、コソーリ
少数東国騎兵の突撃戦法に、各地で敗れた平家方なわけだが。

912 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 03:24:22 ID:mlXCxx/p
>>906
ちなみにサッカーじゃなくフットボールね

913 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 06:45:36 ID:TCjbORDe
サッカー=足でボールをけって得点を争う競技。1チーム11人。蹴球
どうでもいい訂正すんなカス
和製英語嫌いなら金輪際使うな池沼

914 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 06:50:31 ID:TCjbORDe
JFAに日本フットボール協会に改名しろって抗議してから書けカス

915 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 12:01:17 ID:mlXCxx/p
>>914
釣りだよな?
Fはフットボールwww

916 :名無し議論スレて投票方法審議中:2007/01/04(木) 14:43:52 ID:LYGrkkFD
戦国時代の話しろ!

917 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 15:51:47 ID:TCjbORDe
JFA(JapanFootballAssociation)=日本「サッカー」協会
football(英語)=F(略語)=サッカー(日本語)
英語ならFはfootball、日本語訳ではF(football)はサッカー
ガチの池沼だったのか

918 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 15:58:00 ID:TCjbORDe
因みにラグビーの意味のが強いわけだが

919 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 16:26:39 ID:KHPQ4aGa
武田信玄もダヴーも禿げている

つまりハゲは強い

920 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 17:22:38 ID:vdjKkRyI
要するに鈍牛理論で言えば、日本兵が全員広島人だったら世界征服も可能だったってことか?
幸か不幸か東北人や関東人や関西人や九州人もいたおかげで、そうはならなかったとw

921 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 17:44:48 ID:mlXCxx/p
>>917
サッカーは日本語じゃないぞ
アメリカではフットボールと言うとアメフトの事なのでサッカーで通じる

922 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 17:47:18 ID:mlXCxx/p
無知丸出しだなwww

923 :白馬青牛:2007/01/04(木) 22:14:43 ID:AWWcaeWt
>>911
途中東海勢も連れ大軍勢に膨れあがる東国勢が少数じゃあるまい。
少数東国騎兵の突撃戦法たァなんなら。重装騎兵に必須の槍か矛を持って
突撃したんか?騎射の後いきなり組打ちじゃあ、突撃にならんのう。
せめて打物攻撃ぐらいは。吾妻鏡は東国側の後世の資料に過ぎん。
地の利も活用する術を知らん関東武士のハッタリ「でいり」の人海戦術。
わしゃ、ラグビーオタじゃないど。わしがサッカー云う日本に馴染んどる
言葉を使うた事が反響をよんどるが、>>906のスポーツの部分は、
『英国紳士』(ダグラス・サザランド著、小池滋 訳、秀文インター
ナショナル)から引用したが、P44の正確な訳文は、
『クリケットは紳士らしいスポーツである。少し下がってラグビー式
フットボールもそうである。これは紳士でない連中から「ラガー」と
呼ばれている。アソシエイション式フットボール(サッカーのこと)は、
もはや紳士らしいスポーツとは考えられない。ゴールを決めた後で
お互いが抱き合ってキスしたりする習慣で、品が落ちたのである。たとえ
互いに許し合っている仲とはいえ、公衆の面前でキスするなど、紳士として
許されるとは思えない。ラグビーでは互いにキスし合ったりはせぬ。
レフェリーが見ていない時に互いに股間を膝で蹴りあげる程度に留めて
いるから、これはずっと紳士らしいスポーツなのだ。』じゃが、
P46にあるよう、『紳士の一生においては、ほんの小さいころから、
点とりゲームより動物殺戮スポーツの方が上位に位置する。』

924 :白馬青牛:2007/01/04(木) 22:45:06 ID:AWWcaeWt
『英国紳士』P105に、『若い紳士はほんの子供のころから狩猟時の
安全ルールを習っているのだが、それでも事故は起きるだろうし、
現に起こる。公平を期すために言っておくならば、通常これは、大人に
なってから金ができて狩猟を始めた人の不注意によって生ずるのが常で
ある。しかしながら責任が誰にあろうとも、その者は直ちに一行から身を
引き、もし重大な事故だったら二度と鉄砲射ちをやらない、というのが
不文律だ。同様な理由から、犯人の名前は親友さえも明かさないもので
ある。
こうした標準的エチケットは、海外からの客人が必ずしも守るとは
限らない。最近アメリカのシンジケートの催したある狩猟の折に、一挺の
銃身からダダダダと弾が連発して何と八人の勢子に当るという、実に驚く
べき手腕が披露された。この人物は国外送還されなかったばかりか、
翌日もまた鉄砲射ちに招かれた。勢子の数が減っただけのことなのだ。』

925 :白馬青牛:2007/01/04(木) 23:12:12 ID:AWWcaeWt
まあ、英国紳士の人を喰うた表現の文章は面白いのう。
>>920
そがいなん云うたこたァないど。広島人が多数を占める広島師団が、
武勲、実績から国軍中の精強であっても、全戦闘の前線に立ったら
兵員数が足りんよ。日華事変の歴戦の戦闘で犠牲者も多かったけえ、先の
大戦の広島5Dが主役となったマレー戦じゃあ、兵員不足で通常前線に
立たん補充兵まで前線に使うたんに。華中の前線、宜昌にあった
広島39Dの方がまだ現役兵も多かったよ。仮定の話は空想になる。
実際の戦闘結果の武勲、実績じゃ。

926 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 22:31:59 ID:Jm9Pzzqr
>>923
>馳過伊具左方 
>落馬之後知中于矢之旨云々、 塗毒於其鏃云々
この記事のどこが半弓を示してるっての?どう見ても毒鏃の矢。 
内容も確認せず、サイトの解説を鵜呑みにしてもしょうがない。
それで、『吾妻鏡』を例に出してきたのはusiちゃんですよw

東国のいくさ⇒機動力を活かした消耗戦、騎射包囲戦の発展型。平山熊谷もこれ。
組討?どっちかが必ず死ぬシビアな戦い。勇敢さが必要。
「あづまをのこは いでむかひ かへりみせずて いさみたる たけき軍卒」(大伴家持)
西国武士が好きな船上の打物戦は下馬戦闘、流鏑馬好きの僧兵に代表される打物歩兵。
南北朝、戦国の騎兵は打物騎兵。南北朝以来の西国武士、下馬打物の伝統。

>途中東海勢も連れ大軍勢に膨れあがる東国勢が少数じゃあるまい。
楠木びいき『太平記』のか?東国だけでなく、諸国の兵も含むんだが?
10倍以上の肥後菊地勢に野戦で勝ったとされる(太平記)、多々良浜の足利勢は無視?
>>907
動員数に東西の差などない。

日本のサッカーとラグビーだと競技人口が天と地。特にテレビ局総スルーの関東w
>点とりゲームより動物殺戮スポーツの方が上位に位置する。
今の日本でそんな奴がいたら、残酷な基地害としか。

927 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 00:03:06 ID:Ao/okbtn
>>923「重装騎兵に必須の槍か矛を持って突撃したんか?」

(=゚ω゚) まあ、突撃と言ってもメクラ滅法突っ込んで逝ったわけでも無いだろ。
アホみたいに突っ込んで討ち死にしても手柄に焦った抜け駆けとして笑われた。
戦場には呼吸というモンがある。つまり突っ込む時節だな。
「秘書一番槍之説」とかいう本には戦場の作法として合戦には「槍を入る節」が有ると言う。
 >一番ニ進ミ出テモ続ク味方一人モナケレバ槍ノ功ニアラズ
 >敵味方トモニ手負死人眼前ニアルヲ見テモ、出テ首ヲ取ルコトナラズ、手負ヲ引カケ退クモナラズ、
 >両陣ノ戦士互ニ眼ヲ動カスマデニテヒッソリト鎮マリ、暫クタメラウコノ時備エノ強弱見ユルナリ
 >若シ一番槍ヲ入ルヤ否ヤ敵ノ備エ崩レ立テ、槍ヲ合スル敵ナケレバ一番槍トハ言ワズ、崩レ際ノ功ト言ウナリ。
 >弱キ方ハ多分場中前後ニ備エ色メキ槍合セニ至ラヌ以前崩ルル故ニ、毎戦槍ノ功アルコトニハアラズ
まあ、名のある武人には敵を突き崩せるだけの気合いと判断力が有ったというこった。

>>途中東海勢も連れ大軍勢に膨れあがる東国勢が少数じゃあるまい。
(=゚ω゚) 楠公は少数精鋭の宇都宮軍を一番怖れていたんじゃね。
つーか幕軍が全員東国だったんかいな?

>>関東武士のハッタリ「でいり」の人海戦術。
(=゚ω゚) ヤクザなら山口組とか関西系の方が・・・

>>916
(=゚ω゚) おお、残り70にしてまともな意見

928 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 20:49:31 ID:NEeFN8tT
>>925
広島師団が日本一の実績、武勲を誇ったっていうソースあるならみせて

929 :白馬青牛:2007/01/06(土) 22:09:23 ID:nwgmPuKg
>>926
半弓か長弓か解らんよ。弓だけじゃ。表芸が長弓じゃけえ、長弓と断定する
ことも出来ん。暗殺手段として目立つ長弓より半弓の方がええじゃろう。
鵜呑みに云々云うが、文献は解釈論じゃし、あんたも戦闘当事者がおらん
ようになった時代の13世紀中頃以降の後世の資料、保元・平治物語や
『平家物語』から関東優先史家の引用じゃないか。ちなみに、中国地方の
武士の戦記物である『陰徳記』の著者、香川正矩氏は文書記録だけでなく、
古老を訪ねフィールドワークして編集されたもんじゃ。戦記物にも
風土的着眼、地方的差異がある。
機動力?郎党歩兵の速度に合わせてか?包囲殲滅は軽装騎兵の迂回も
無くか。しかも発展型と云う限り、中央ユーラシアの騎馬戦闘と
比較したうえのことと思うが、中央アジアの騎馬軍団よりどこが、
発展しとったんなら?組打ち以前に打物の白兵戦になるんが普通じゃろう。
後世の南北朝期や戦国時代に、槍や太刀を使うたんは勇敢じゃのうて臆病
じゃったんか?古代、大伴家持に徴発され動員された関東奴隷兵を称えても
のう。『太平記』は楠木びいきじゃのうて、南朝びいきじゃろう。
北朝方の播磨の赤松悪党勢の活躍記述が少ない。多々良浜の足利軍も宗像・
小弐の九州の兵を含んどる。肥後の菊池勢も征服地の将兵軍を含み、離反者
も多く、東国が肥後より強かった訳でもない。関東が肥後に優るんか?
後世の近代熊本兵団と宇都宮、東京師団の戦歴を較べたら解ろうに。

930 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 22:13:18 ID:Lr+0i4Kk
>>927
スレの最初から言われてることだが>戦国時代の話をしろ
お前が牛にかまうから戦国時代の話にならないんだろ

931 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 23:18:49 ID:/tVdA9uh
>>930
スレの最初から時代違い時代違いと喚いてるのお前だろ?
当初は牛の傲慢さにそんな空気が大勢を占めたが
牛に抗しながら資料を絡めたアカデミックな論で
駆逐しながらこのスレを加速してきたんじゃないんか?
まあオレは>>927のファンだしこのスレの空気は好意的に受けとめてるんで反論しとく

932 :白馬青牛:2007/01/06(土) 23:28:54 ID:I0jGJiQF
>>927
抜け駆けは、坂東武者のお得意とする処じゃなかったかいのう。
戦闘下手の関東武士にとって耳の痛い話を書いとるが、関武士の無謀な
突撃を戒めたものか?突っ込む時期は敵が浮き足だした時じゃろう。
楠木が宇都宮勢を関東一の精兵と表現し、少数で死を覚悟して向かって来る
相手に対し、自軍の無駄な犠牲者を増やさんように云うことじゃ。
また宇都宮勢が現地民に対し略奪が激しかったゆえ、民心が我が楠木勢に
協力することを計算しての言じゃ。それを額面通り、宇都宮勢、紀清党が
強いと解釈されてものう。幕軍全員が東国の訳あるまい。戦闘指揮、幕僚
クラスの東国人の戦闘下手に責任があろう。
東国優先史観の網野善彦氏も、東国をヤクザ的、西国を遊撃戦の得意な
悪党的(忍者的)とされる。東国が後北条氏が使うた紀州から呼び寄せた
乱波集団や真田氏が西国に起源がある修験道と関わりが深いこと等から
見られるが、ヤクザ的組織の起源は関東であろう。縦社会、土地の姓を
つける習慣(清水ノ次郎長・平将門なら豊田あるいは相馬ノ小次郎)
何処で何兵衛か名乗る習慣。西国の悪党が遊民的漂泊民的であるのに
対し定住地縁的・農耕民的慣習とも云える。
任侠の世界でも、関東じゃあシマ(縄張り・領地)が特に重視されとる
ようじゃのう。

933 :白馬青牛:2007/01/07(日) 00:04:59 ID:X68qJp79
>>928
広島師団以上に実績・武勲を誇った師団があるんなら、広島師団と実績・
戦歴と比較して云うたらええことじゃ。まず自らが調べたうえで質問して
つかわさいや。

関東蛙君よう、>>931氏は、あんたのフアンじゃと。アカデミックな論
にゃあ笑うたけどね。アカデミック云う権威付けする処、権威好きな
同じ関東人じゃろうのう。
駆逐云うて関東蛙君は、実戦じゃ、関東武士が騎射に巧みじゃ、空虚な
スローガンを繰り返し、ましてや考古学的根拠もなく、関東武士が肉体的に
優れておったと妄想の世界に閉じこもりよるだけじゃ。
関東優先史観の引用で井戸を深う掘って、井の中の蛙になっとる。
様々な要素を考慮し横へ広げて事物を解釈せえ云うとるんじゃが。
わしが反論したら関東蛙君は、ますます閉じこもりょうるようじゃのう。

934 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 00:23:43 ID:3MIYUBHO
>>933
要するに無いってわけかwただお前の都合の良い解釈で言ってるだけだろ
あんだけ言い切ってんならちゃんと質問されてもしっかり納得できる答えする
のが筋じゃないか?まあでももういいよ。お前には何も期待していないから

935 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 00:28:25 ID:1N/7lJE+
いつまで時代違いの話をする気なんだ


936 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 00:35:18 ID:MP49zdAA
>>929
伊具の朗従が見たのは、落馬後の矢束と毒鏃。
矢は一切出てこない。矢を誰も目にしてない。つまりサイト解説の誤りってこと。

『平家』は京都の文士が作者で、主役は木曽や平教経など、
『保元』は紛れもなく鎮西為朝が主役、
関東武士を主役として描いてるのは『平治』で鎌倉義平。
肥後菊地も赤松も楠木も『太平記』な。
南北朝期や戦国時代の騎兵は、全国共通で打物主流。で、西国は下馬戦闘が多い。

肥後人は小柄だな。近代兵団の田舎兵と中世武士を比較するのが間違い。
大宰府の認識で勇敢さにおいて坂東>筑紫、というのがあるが。
戦国九州兵の強さは1570年代以降の鉄砲戦術だろう。紀州の根来衆なんかも。
結城家法度じゃ、およそ20石程度(十貫一疋一領)の弱小被官が自前で騎乗の結城氏。
下総や常陸は北東北を除けば、古代から国内有数の馬産地だからな。

江戸中期の隠匿より、初期の北条五代記よw

>>932
今度は宇都宮罵倒ねw我が楠木勢w
>>933
つまた人違い
考古学ねぇ、、、実用的な馬具が上野国などで出てるが、古代史だから武士登場以前遥かw

937 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 00:52:00 ID:MP49zdAA
矢⇒弓を見てない。

938 :白馬青牛:2007/01/07(日) 02:03:19 ID:X68qJp79
>>934
自分の無知さを棚にあげ、人に責任転嫁し、調べようとする気がない者に、
答えるほどの親切心はないねえ。
>>936
解釈論の問題を長弓と決め付けとるんはあんたじゃ。平安期の弩についても
明確なこたァ解らんのに。『平家物語』の作者も葉室幸長か源光行か
解らん。問題は成立時期が鎌倉政権期にあり、13世紀中頃の視点で
語り、あくまで物語であり、作り話じゃ。そこから何を読みとるかに
かかる。西国においてのみ下馬戦闘云うんはどがいな根拠からか?
肥後人が小柄と云うんも何時の時代の身長測定の結果か?
身長と戦闘能力の相関性があるんか?ドイツ人みたいな事を云う。
戦前平均身長が168〜173センチと高い華北兵が、平均160程度の
小柄な日本兵に負けることに納得出来んのか。身体の強壮さなら朝鮮人で
あろう。戦前日本人と同じ肉体労働しても、日本人はバテても朝鮮人は
平気じゃったと戦前の方は云われたが、食生活もあろう。ニンニクの
アリシンパワーかのう?中国の苦力も身体が強いそうで、日本人は
軍隊で訓練せんと肉体的に脆い部分があるね。シベリア抑留の
強制労働でも、体力に乏しい日本人はロシア人並みの肉体労働は出来ん
かったし、列島全国各地の地域によって差はないに等しい。要領の良さには
差があって、広島人は要領が良かったそうじゃ。うまく手を抜く云うこと
じゃが。
鉄砲は飛び道具で弓の延長なんに。モンゴル人も弓・鉄砲に巧みじゃ。
日本人と視力が違う。あんたァの毎度の関東強がり妄想断定物語は
笑えるよ。

939 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 02:16:41 ID:q4WDi9TW
牛とかいうのを見てると広島人として申し訳が無い。
確かに地元を擁護したい気持ちも分かるが、コイツはおかしすぎ

広島の人間が全部こんな基地外と思わないでほしいです

940 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 02:33:30 ID:xc8QzFj3
アカデミックとか言ってるやつ誰?
牛はずっとバカ丸出しじゃん。スレ最初から読んでくれよ。戦国時代の知識殆どなくて
都合の悪いところは牛は全部スルー&近代でごまかして来てるんだからさ。


941 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 03:08:41 ID:3MIYUBHO
>>938
無理すんなって。俺も悪かった。無いもの出せって言っても無理だわな

942 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 03:39:29 ID:Sj203z/o
>抜け駆けは、坂東武者のお得意とする処じゃなかったかいのう
(=゚ω゚) ・・・『一番ニ進ミ出テモ続ク味方一人モナケレバ槍ノ功ニアラズ 』と、
最初に書いといたが、戦場の呼吸や時節を読み切ったうえでの一騎駆けでないと
手柄にもならない場合も有る。
突撃時の呼吸を読み切ったうえでの一番乗り競争だよ。
ついでに神農を奉ずる伝統ヤクザと組織暴力団を一緒にしてはイカン。

>平安期の弩についても明確なこたァ解らん
(=゚ω゚) モンゴルも弩はあんま使わんので無いか?
騎射は風の影響があるしどうだろ? いくら威力が強くても使えるかどうかは微妙だな。

>シベリア抑留の強制労働でも、体力に乏しい日本人はロシア人並みの肉体労働は出来ん
(=゚ω゚) ・・・シベリア抑留については無知だな。体力が有っても死ぬよ。

>>930
(=゚ω゚) いや、初めは軽いジョークのつもりだったのだが、まさか2、3ヶ月で
1000まで逝くとは思わなんだwスマンスマン 931氏お気遣いかたじけない。

>>933 (=゚ω゚) 漏れはお前のファンだぞ!うれしいだろ、牛

943 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 04:10:34 ID:3MIYUBHO
朝鮮人は大多数がズル賢くて、目を離せばすぐサボる
やってるように見えても良く見ると手抜きしている。メシ休憩は早く入る癖に
最後にダラダラ戻ってくる。メシを少し多めに取るし人の物をかっぱらう
日本人にもズルいのはいたが、朝鮮人の場合は全員といっていいほどが呼吸
するのと同じように平然とズルをやってのける。だから日本人によくブン殴られていた
って聞いたんだがどうなんだろ?

兵隊だった人の言だが、ちょい大げさじゃないかと思ったけど朝鮮人がズルいってのは
何となくわかる気がする




944 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 11:30:47 ID:DaQpJV+e
殴ると根に持つから殴るなだとか唐辛子を取り上げると発狂するから唐辛子をやれ
みたいなチョンの取説があったと思う

945 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 11:38:45 ID:Kk+R4Zqi
>>939
> 広島の人間が全部こんな基地外と思わないでほしいです

それは、全てあなたの思い込みです。

946 :白馬青牛:2007/01/07(日) 23:47:48 ID:GfWV+TEg
>>936
昨日は眠とうなったけえ何じゃが、肥後が弱い思うんは『人国記』の
東国的風評偏見じゃ。北九州が磐井の乱等新羅寄りで、坂東から徴発された
兵を送っただけじゃないか。忠誠心を勇敢に勘違いし、九州人に用心棒代を
払え云うて要求したいんか?実用的な馬具が東国のみ特徴的な訳でも
あるまいし。新羅人子牛足が吉井連に改姓(193人)した上野の
多胡郡吉井町は出土品からも直線的な新羅系で、周辺に曲線使用の
百済的特徴と違うらしいが、あんたァ関東の歴史に詳しいゆえ聞くが、
上野(群馬県)の馬文化は、新羅系か百済系の何れの影響が強いんか?
>>939
こんなァ広島人じゃなかろう。
>>940
わしゃあ、馬鹿じゃが、わしの戦国時代の知識の無さを馬鹿に出来るほど、
知識があるんか?都合の悪い部分たァどの部分か具体的に云わにゃあ。
>>941
こんなも具体的な質問せえや。

947 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 00:26:54 ID:uEePLuzE
自分を否定する人には広島人でも容赦ないんだな

948 :白馬青牛:2007/01/08(月) 00:38:40 ID:UQOs3HCT
>>942
そりゃあ、戒める為の文じゃろう。実際に功名心による抜け駆けは
近代帝国陸軍でもあった。荻洲立兵仙台13D長の徐州無血(空き巣)
入城もね。神農は稼業人の香具師(テキヤ)の系統で渡世人の系統じゃ
ないね。モンゴルの江南攻略に弩を使うとるよ。
シベリア抑留の多くの人達は栄養失調にさせられた。ソ連人(ロシア人)
は、ノルマを達成出来たら食わせてやるじゃぬかしあがった。仕事の出来、
不出来で食い物の差別をしあがる。格差をつけてグループ別に日本人の
団結を削ぐ巧妙な手段のつもりかい。共産主義は平等じゃないねえ。
わしのファン?わしが喜ぶほどのこたァない。人によって受け取り方は
様々じゃ。わしみたいな馬鹿にスレの一つでも共感される方がおれば、
わしの誤字、脱字の駄文も無駄にならんかったと思うけどね。

949 :白馬青牛:2007/01/08(月) 01:30:12 ID:UQOs3HCT
>>943
そりゃあ、現場で朝鮮人を監督し酷使した者の報告書の類か?そがいな
文を額面通り受け取ったら、歴史文献も読めんよ。
朝鮮人は目を離したら云う理屈をつけて、朝鮮人労働者を殴ることに
快感を覚えとった者じゃろう。実際日本人たァ扱いが違うとった。
少しでも作業が遅れると朝鮮人の分際で!と居丈高になる。
だいたい日本人は(全ての日本人じゃないが)、朝鮮人に限らず、
中国人、英国人、豪州人に対し、つまり軍の捕虜を含め過酷な労働を
強制した。いまだに、当時奴隷状態にさせられた英国人や豪州人から、
補償せえじゃあ恨まれとる。日本人の行為は、あんましソ連のことも
云えんねえ。朝鮮人は歴史的経験からスレたところがある。大陸じゃあ、
戦争中日本人として中国人の上にあぐらをかいて徴発で甘い汁を吸う
とったが、戦後戦勝国ズラして、掌を返し国府軍に日本人を売ったり、
戦後朝鮮を通って日本へ引き揚げる人達が、どれだけ朝鮮人に酷い目に
合わされたかたァ、これはまた別の問題じゃ。
>>944
殴ると根に持つんは、朝鮮人より特に中国人の方じゃ。
彼らは面子を重んじるけえ、特に他人がおる人前じゃあ絶対いけんよ。

950 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 02:06:12 ID:DFZmRmZa
ツンデレ乙

951 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 02:24:03 ID:onm3Mk/Z
最初はなんとも思ってなかったが、広島人がだんだん嫌いになってきた。

952 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 02:57:28 ID:uEePLuzE
広島出身の友がいるがとてもいいヤツ
言っちゃ悪いが牛と比べて県民性とか郷土色って
あんま関係無いんだなと思ったよ。性格なんて人それぞれ
西日本の人間はこうで東の人間は〜・・・ はぁ あほらスィ

953 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 08:22:53 ID:A5kmIjqR
>>952
個人の資質。
また極端な郷土意識や愛国心を持つものはコンプレックスとナルシズムの塊と
言うのは心理学の定説。

954 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 12:54:43 ID:vAvL4Rdi
>>946
(=゚ω゚) いくら馬術が渡来品だからと言って軍用馬術が渡来武芸かと言えば・・・たぶんNOだ。
それは馬具の構造や操作法を比較すれば明白だろう。
実は「鐙」の歴史はさほど古くはなく起源は4世紀頃の中国西晋。4Cには既に日本に伝来している。
つまり馬上個人武芸の創生期は大陸とさほど大差が無い事になる。
この辺の馬具の違いが和式馬術が独自形式になっている原因だろう。

軍用和式馬具でひときわ異様なのがスリッパ状の馬鹿でかい袋鐙「武蔵鐙」だろう
「武蔵は馬城(まさし)に通じる」平安期には東国武士の象徴だった。

和製の固くて大きな和鐙や鞍は馬の操作性を制限してしまう。つまり洋式馬具とは
逆の構造という事だ。(モンゴルの馬具は中間形と言われる)
乗馬法も和式は鐙の上に踏ん張り立ち上がる「立ち透かし」の形になる。
繰馬は体が密着する洋式馬術が良いが踏ん張りが悪く格闘戦には向いて無い。
和鞍袋鐙なら弓や刀槍を取って両手放しで馬を操作し組み討ち格闘する事ができる。
「西洋馬術は馬が芸をするが日本馬術は人が芸をする」とはこの事だ。

>モンゴルの江南攻略に弩を使うとるよ
(=゚ω゚) はて?それは騎射だったのかいのう?知らンけど

955 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 14:17:17 ID:t4LGDXFF
弩を馬に乗って撃つはずないじゃん。撃てて一回だけだろ

956 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 19:07:58 ID:lp0h9MVy
とにかく、広島県が日本でもっとも強兵の産地であると言うことはこのスレを見てよくわかったよ。
これだけよってたかって一人に勝てないんだから、広島人は余程強いんだろう。
日本あっての広島ではなく、広島あっての日本だということを我々一人ひとりが肝に銘じなければならない。

957 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 19:43:54 ID:uEePLuzE
>>953
あ〜そんな感じするな。
でも芯がブレないとこは尊敬するよ。
ほんとに強いわ。年は40〜50くらいかな、勝手な予想


958 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 22:12:40 ID:DFZmRmZa
すれ違いの馴れ合いになるんだが牛も途中からこのスレを楽しみだしてる気もする
蛙君が出だした前後な

959 :白馬青牛:2007/01/08(月) 23:54:10 ID:jxt0/0fz
>>953
定説云う言葉が好きじゃが新興宗教か。心理学の定説たァ誰の説かいのう?
まあ、あんたも含め、わしを罵倒する連中の精神分析でもしんさいや。
>>954
鐙は西晋時代の銅桶とするか、漢代雲南省の銅器の装飾とするか中国でも
確定しとらん。一般的に漢人に普及したんは、五胡、北朝期の重装騎兵
全盛時代じゃろう。それ以前は遊牧騎馬民族も鐙を使用しとらんようじゃ。
遊牧騎馬民族のスキタイやイェニセイ川の岩壁に鐙もなく、両手を離して
槍を扱い騎射ように。スリッパ状の鐙は、西洋や南米の牧童も使用したよ。
近藤好和氏は袋鐙と表現されるが壷鐙のことじゃろう。
世界の鐙を調べてから、云うたらええのに。
弩は歩兵用じゃ。モンゴル兵は騎射だけじゃのうて、歩射もするよ。


960 :白馬青牛:2007/01/09(火) 01:52:23 ID:0Am1bJDM
>>958
蛙君たァ他板からの付き合いも長いよのう。

このスレも、もうすぐ終わるのう。戦国時代の兵卒スレらしい話題に戻る。
悪党、ごろつき、かぶき者を考察せずに兵卒は語れん。
http://5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/geinohsi12.htm
『室町時代を経て、戦国時代が彼ら(ごろつき)の最も跳梁した時代で、
次に織田・豊臣の時代となるのだが、そのなかには随分破格の出世した
者もあった。今日の大名華族のなかには、その身元を洗うてみると、
その頃の「ごろつき」から出世しているものが少なくない。彼らには
そうした機会がいくらでもあったのだ。この機会を取り逃がし、それより
遅れた者はついに徳川三百年を失意に送らねばならなかったので
あった。』(折口信夫:「ごろつきの話」)
解説に「彼らは本質的に「自分の気持ちに忠実な人たちで、
自己主張が強く、「個」の考え方が強く「忠義」という観念が本質的に
欠けていたのです。」折口氏の云われる、彼らを情念のおもむくままに、
意気に感じ気分に従がって生き、その為には生命を失うことも辞さぬと
いう風で、彼らは元来、芸能ことに舞や踊りの芸によって農民たちを
祝福ことにより、自らが衣食する芸術売買の徒であり、肉体を売る遊女、
遊行僧、修験道等の宗教家や下級武士は、社会の外にいる低い階級で元来
同一集団であったとされる。

961 :白馬青牛:2007/01/09(火) 02:04:56 ID:0Am1bJDM
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/geinohsi12.htm
忘れとったわい。「w」を。
つまり彼らは土地に縛られぬ遊民であった。

962 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 02:23:11 ID:/L5EFez1
>>959
(=゚ω゚) 紀元前の遊牧民に関しては知ってたが軍事技術伝承の観点からあえて無視した。
「兵士の訓練によって常時配備可能の技法」とは言えないからだ。
言い換えれば「特定民族限定技法」・・・つまり個人芸だな。人数が多いけど。
日本にもいたよ走る馬上で立ったまま弓を射て百発百中のアイヌのオッサンが
でもその人一代限りじゃ(あたりまえだが)
「スキタイ人が鐙無しでも両手を離して槍や騎射を使ってるから和鞍袋鐙なんぞ使わんでも
戦はできるわい!」とはいかんだろ(藁
戦力の基本はやはり兵士の動員数なのだ。

>スリッパ状の鐙は、西洋や南米の牧童も使用したよ。
(=゚ω゚) へぇ〜 その『格闘武具』が、どういう経路で『平安時代』の東国武士に伝わったんだい?
西国を経ずに直接アリューシャン列島でも南下したのか?

あと厳密には袋鐙(舌長鐙)と壺鐙は違うらすい。
壺鐙(古墳時代)→半舌鐙→舌長鐙(袋鐙・武蔵鐙) 
 ・・・と、なるそうだ。 近藤理論は知らん。


>戦国時代の兵卒スレらしい話題に戻る。
(=゚ω゚) つーか最初からそうせいよ・・・ 

963 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 02:45:03 ID:chTJbRQ1
>>959
宗教という言葉でピーンときた
おぬし広島原理主義者だな。
色んなスレで布教活動ご苦労さん
広島信者は増えたかい?

964 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 02:56:03 ID:gOaJNR97
一般的に同民族でも寒冷地に住んでいる方が体が大きいという傾向がある
もし、体躯に優れた方が強いという、自然界において当たり前の理論が
いくらかでも中世の日本で認められるならば
東北諸国が強いということにはならないかな

965 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 08:31:06 ID:VHWojcSw
装備・戦術の水準が同じっていう前提条件が必要だがな

966 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 21:23:24 ID:/L5EFez1
同一条件というのも難しいな。
鉄砲、射術に慣れている。馬術、操船に長ける。山に強い、海に強い、川、沼に強い
それぞれ地域の特性でも有るからな。

体躯については都市部も食料事情が良かったため意外と大柄だったとか

967 :白馬青牛:2007/01/09(火) 22:45:00 ID:8T0FRVD+
>>962
軍事技術伝承?そもそも戦闘は狩猟の延長じゃないか。アイヌの馬文化は
オホーツク文化人の影響であろう。世界の鐙については、
http://www.world-stirrup-collection.com/ga_sou.html
南米のページじゃが、クリックしたら世界の地域色のある鐙が見れるよ。
袋鐙は壷鐙の中の一形態に過ぎんよ。純粋な遊牧騎馬民族の鐙と違い、
壷鐙(袋鐙)系統は騎馬下手用の鐙かのう。
戦国期の考察に、関東蛙君のように前の時代でもええし、近代の地域兵士の
特徴は大切なこと。ようは、幅広い視野で考察することじゃ。
>>963
宗教云う一言でピーンときたか。そがいな短絡的結論を下す処が
カルト原理主義者の思い込みじゃのう。

968 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 23:13:42 ID:/1MOK4bi
>>967
新興宗教と言う言葉を出したお前もかなり飛躍してると思ったがね。
周知の事実に対してソース出せとかも笑ったがw

969 :白馬青牛:2007/01/09(火) 23:33:54 ID:8T0FRVD+
>>964
体駆に優れた方が強い?現代でも身体の小さいグルカ兵は傭兵として
重宝されとるで。自然界において当たり前の理論?同じ人類じゃ。
それをナチスのような人種論に結びつける。関東蛙君や、人類学板や
日本史板、近代史板、民俗板等でアイヌ=関東武士=白人論を展開する
関東人種妄想厨もそうじゃが、ほんま関東や東北の人達は、体駆や白人に
近いじゃ云うのが好きじゃのう。
http://homepage3.nifty.com/katote/INOCHIhtml
(2)日本の戦前徴兵データによる体位計測と地域格差の変動に、
時代的な地域変化があり、現在の各地域の身長から推測判断しちゃあ
いけんよ。


970 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 01:40:42 ID:D24sMsXx
>>967 >袋鐙は壷鐙の中の一形態に過ぎんよ。

>平安時代になると「壷鐙」の足を乗せる部分が踵まで伸びた「舌長鐙」へと変化し
>この形は『日本独特の形状で他ではみられない』
(=゚ω゚) と、そのサイトに書いてあるのだが・・・ 自分で紹介した所ぐらいちゃんと読めって!
まあ、面白いサイトだったので礼は言っておこう
 南米の鐙は、こりゃーたぶん別モンだわ。壷鐙の一種だろうね。
武蔵鐙は組み討ち格闘戦で落馬したさい鐙の横からも足が抜けられる様になっている
そうしないと足が鐙に引っかかって馬に引きずられる事になる。
さらに武蔵鐙なら足全体の踏ん張りがきき、乗り手は常に馬体から自分の身体を浮かせた
「立ち透かし」の形態が取れる。これによって馬体からの振動の影響を押さえ
さらに上体の自由度が増すワケだ。

>アイヌの馬文化はオホーツク文化人の影響であろう
(=゚ω゚) こーら牛っ!、適当に言ってるべ。 アイヌに乗馬文化なんてねーだろ。たぶん。
オイラが書いたのは幕末明治期の「近世蝦夷人物誌」に書かれた話だよ。
「白糠の渡し守の市松(混血のアイヌ)は武士の子供と自負し、自己流で弓馬に励み
アイヌの丸木弓で遠方の針を射抜き、疾走する馬上の鞍の上に腕組みして立ち上がり
蝦夷一円で第一の腕と讃えられ、誰一人これに続く者とてなくなった」と、ある。
ただ「走る馬上で立ったまま弓を射た」というのはオイラの間違いじゃった!

>軍事技術伝承?そもそも戦闘は狩猟の延長じゃないか。
(=゚ω゚) それは用法としては正しい。だが惜しむらくは兵法を知らず。
基本的に戦力は兵数で決まる。条件が同じなら数が多い方が当然強い
民間の狩猟は、あくまで個人、少数の技法。 個を集めると隊になる。
個別バラバラでは隊が機能しないのでその隙間を埋め隊を機能させるには規律が必要となる。
軍事技術伝承とは即ち体系化、システムの事だ。よって技法は画一化し兵組織は機能するわけだ。

971 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 01:56:33 ID:dFYlix04
>>938
『平家』の作者で最も有力なのは、下級貴族出身の信濃入道行長(徒然草)
他に藤原時長、合戦部分の源光行(都の軍事貴族)とか、藤原資経とか・・・
いずれにせよ京都一流の知識人によって、年代を重ねながら。
(行長=天台座主・慈円の僧坊)
>>946
群馬県埋蔵文化調査事業団 古墳に見る毛野王国の力
ttp://www.gunmaibun.org/osoretoinori/kohun-02.html
肥後が弱いと書いた事ないが、『続日本紀』大宰府の認識。
蘇我氏も傭兵としての東国人(健人)を抱えてた、東国=武人の歴史は古いよ。
5C伽耶。つかマニアックな>>954に感服(=゚ω゚)
〜9世紀蝦夷との戦闘を通じて、以降は将門ら坂東独自の自力救済世界で。
>>954
usiが好きな衛府官・検非違使随兵の移鞍の鐙(半舌鐙)は、螺鈿に金貝・蒔絵じゃけん(=゚ω゚)
>>969
南九州は小さいが、身体能力は高く感じる。特に沖縄。
廣島県人も比較的小柄なようだが、usi説だと北方渡来系だそうでw
東北・北陸は背高いが敏捷性?か。盛商は快挙だが、無難がやらかしたわい。
武士だったら、弓馬で朝夕狩猟してた平安末の限られた武士層が、体格的に一番良かったろう。

更に板違いだが、縄文〜古墳の西日本人小柄という河内氏のデータもある。
>>970
近世大名・近代以降は乱獲してるね(=゚ω゚)

972 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 02:15:18 ID:7XXYbdcJ
まあこれからは広島原理主義者でいいじゃないかw
白馬青牛じゃ名前負けだし、よっぽど似合ってるぞw

973 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 02:36:35 ID:6J5S3eTI
次スレは違う板に立てろよ
さすがにここに立てたら削除依頼するわ
あとアク禁依頼(これは受け付けてないし、ほんとは駄目なんだがw)

974 :白馬青牛:2007/01/10(水) 02:54:50 ID:eTgUoJ6S
>>970
日本独特云う文を、わしゃあ額面通り受け取らんよ。壷鐙の一形態に
過ぎん。落馬を考えとる自体騎馬下手云うことじゃないか。
馬柄杓や口取りを付ける程度の騎乗技術しかなかったんで。
騎馬技術はステップ草原地帯を中心とした文化で日本や西洋は駄目じゃ
わい。西洋は船文化、海戦に長けとるが、日本は小船じゃけえ駄目
じゃのう。昔のアイヌ人、渡島蝦夷も養老二年(718年)朝廷に
馬を献上しとるよ。チェンバレンじゃったか、アイヌの神話、伝承に
馬がよく出て来ると云うたんは。蝦夷を圧迫したオホーツク文化人の
本拠地であったアムールのツングース系も現在馬飼育(豚飼育も)は、
してないが叙事詩に馬の話が出てくる(オホーツク文化人が北海道へ
移住しても豚飼育をしたことは豚の骨が出とることから明らか)。
狩猟(漁撈も含む)こそ、集団組織運用の基本じゃないか。
漢人は北方遊牧、狩猟民族に苦戦したよ。戦闘は数より速度が優先するよ。
まあ、如何に兵士を訓練しても、日常生活で狩猟しとる者、草原地帯の
視力のええ者にゃあ弓射技術じゃあ勝てんよ。縦隊でも最前線の部隊の
隙間を埋めたら殲滅されるど。人間は命がけの戦闘時の孤独感からか、
最前戦の各部隊の間隔がだんだんと狭まる傾向にある。演習訓練とは違う。
そこで前線指揮官は間隔を狭めんように指示するんじゃ。
組織、システムは農耕系より家畜を誘導する遊牧系の方が上じゃ。

975 :白馬青牛:2007/01/10(水) 03:17:28 ID:eTgUoJ6S
>>971
東国んは徴発された奴隷兵。東国共産主義史観の自力救済か。
東北・北陸が敏捷?近代兵団でも鈍重が特徴じゃないか。
金沢師団の日露戦争体験者は、同じ旅順攻略に参加した関東兵団を
気が早いだけで役に立たん連中としておられるが。それに較べ北国武士は
攻撃は鈍いが着実に攻略する粘りがあると語られた。
武士云う特定階級たァ民間の猟師の方が弓に長じとるよ。体格推測妄想よ
のう。縄文人のデータ?本土日本人と人種が違うよ。(本土日本人には
縄文人の血の多少入っておる特に東日本人には。じゃが傍流であって
主流じゃない。)眠たいけえ、簡単に書いたわい。

976 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 07:57:20 ID:dFYlix04
>>974
落馬組討
>>975
奴隷じゃないどw
だから東北・北陸が敏捷だと思ってない。北陸スポーツ弱いし、バスケくらいか。
猟師の狩猟は弓だけじゃないだろ。槍や鉄砲も、それに徒歩だ。
西日本は縄文以来の落とし穴猟。
武士の狩猟は、群れを成して俊敏で弓で倒れてくれる鹿。
手段選ばず、獲れれば良いというわけではない。少なくとも鎌倉期以前は。
日本人=縄文じゃない、これはあくまでも牛説w

977 :白馬青牛:2007/01/10(水) 23:03:54 ID:O2ol7jL/
>>976
「西国の国造が皇別よりも、祖先不明が多く天皇との繋がりを強調せず
独立性が強い。一方東国は、天皇家と結びつくことによって権威を
維持していた。」と直木孝次郎氏が云われるよう東国は近畿王朝の権威が
好きじゃ。東国隷属縦社会は古代からその傾向はあったんじゃろう。
西国は独立性が強いけー、筑紫の磐井の乱も起きるよ。近畿政権からは、
信用されん。東国の権威に服従する忠誠心ゆえ、蝦夷の俘因や徴発された
東国人を防人に使うた訳じゃ。近代郷土兵団でも広島・名古屋・熊本・
仙台の師団は各作戦にエース主力級として活用されたが、戦歴に乏しい
仙台師団が実績以上の評価をされとるんは、東北・越後兵の忠誠心を
軍司令部が信用した部分も大きかろう。時代の差は多少あっても、
悪党・ごろつき的「個」を主張する集団より隷属縦社会の命令に忠実な
集団の信頼度は強い訳で、戦闘下手であっても東国・東北からの奴隷兵を
信用しただけじゃ。
逃げる鹿を追う王朝貴族型の武士の鹿狩猟たァ、山の猪や熊、海の鮫が如く
対決して来る相手とサシで命を賭けて闘うんが本来の狩猟者じゃ。
(農作物に被害減少や食糧確保の為、落とし穴のようなワナを使うんは
本質じゃない。)本当の武士の心を持っとるんは職業武士じゃのうて、
命を賭けて野生生物と闘う漁夫や猟人の方じゃ。

978 :白馬青牛:2007/01/11(木) 00:08:28 ID:mxbZPbrn
>>976
日本の民間の狩猟が伝統的に徒歩であることは、騎馬文化が列島の風土に
根ずかんかった云うことじゃ。上層武士だけ騎馬じゃったけんのう。
民間の騎馬狩猟も無い訳じゃない。大江匡房の『傀儡子日記』、
『新校群書類従』第六巻、杉山二郎氏の現代語訳。
「男達は皆弓矢と馬を使って狩猟生活を営んでいるが、或る連中は
両刃の剣七、九本を弄び、或る者は木製の人形を舞わせて手品奇術の
模倣して、生きた人間のように見せたりする。」後文の要約、
「女性が愁顔で泣く模倣し、淫らな楽を奏し、行きずりの人と一晩の
契りを結び、好いた男の為なら衣服等献じて関心をかおうとする。
役人に隷属せず、王公がいることも知らず、村長もおそれず、課税が
かからんので自由さを楽しんでいる。」と続くわけじゃが、傀儡子の男女は
情念・意気に生きる人達で戦国期の「ごろつき」や武士、芸能民の起源で
あろう。傀儡子の起源は折口氏は列島の土着性を強調されるが、
穹廬等の生活様式や習俗から、朝鮮で賤民とされた動物の屠殺者や
妓生の起源である禾尺・楊水尺(起源は契丹・靺鞨の北方民族で、騎馬や
水戦に巧みで、契丹に味方し高麗朝を悩まし、倭寇の一員にも加わった。
後に白丁と呼ばれる。)で、ある可能性が強い。
本土日本人云うたはずじゃ。形質人類学やDNA・HLAの遺伝子でも
本土日本人は縄文人の血を受け継いでおるが傍流で、北方新モンゴロイド
系の方が主流じゃないか。何をいまさらゆうとんなら。

979 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 00:26:54 ID:2b7alw6O
近畿兵団の評価低いのがそんなに悔しい?
たいそうなコンプレックスをお持ちで

980 :白馬青牛:2007/01/11(木) 01:32:20 ID:mxbZPbrn
>>979
わしゃあ、近畿人じゃないで。近畿兵団は数々の武勲のわりには
評価が低かった。大陸打通の時でも名古屋3Dと仙台13Dは
甲装備師団でつまり兵員数も多く装備の良く歴戦の経験からエース師団と
されたが、同じ甲装備の京都116Dは雑魚扱いじゃった。
じゃが京都116Dは大陸打通作戦の最大の山場、衡陽攻略で武勲を立て
感状を授与されとる。芷江作戦じゃあ、大阪68Dも含め前線でオトリに
なることを嫌い、将兵の入院が相次いだ。消極的、合理的出兵拒否じゃ。
敗戦が予想される戦闘には闘志に欠ける近畿的合理主義じゃ。
東北兵は戦闘の臨機応変さに対処するには不器用じゃが、
命令に忠実で餓死しても命令のない限りその場から離れんゆえ、
『「命令を出したら、必ず解除を忘れぬこと」という一条を東北兵団の
指揮官が守るのは、部下兵員の純朴さを知るからである。』と
伊藤桂一氏は云われる。東北兵の純朴さに指揮官が泣いた話は美談
じゃのう。指揮官からしてみれば最期まで信頼出来る兵士達じゃし。
指揮官の情感による忠誠心の過大評価の感もあるけどね。
近畿兵団と共に国府軍からなめられた関東兵団は、東日本の縦社会に
あっても、人間的にスレた処があり、指揮官に実力を見計らって云う
処があるようじゃ。東北や北陸兵団の純朴・実直さにゃあ及ばんのう。

981 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 01:52:42 ID:65pES+FT
郷土の英雄。帝国陸軍師団の歴史 其の弐
http://travel3.2ch.net/test/read.cgi/chiri/1144579367/

982 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 02:18:59 ID:x1Cq89dt
>>974
(=゚ω゚) あー豚の骨が何だって? つーかオホーツク文化人って・・・魚民だったのでは?
まあ、江戸時代ならアイノが馬に乗っていたのは確かなのだが・・・

渡嶋の蝦夷ってこれか?→ ttp://www7.plala.or.jp/t-aterui/aomori/a-ezogatisima2.html
扶桑略紀養老2年『出羽並びに渡嶋の蝦夷87人来たりて馬千疋を貢ず 即ち位・禄を授』
日本書紀斉明天皇6年『渡嶋の蝦夷1千余り海畔に屯聚し河に向かいて営す。 
営中の二人、進みて急に叫びて申さく「粛慎の船師多く来たり、我等を殺さんとする故に、願わくば河を渡りて仕官せんと欲す・・・』
と、あるが蝦夷と呼ばれた者が全てアイヌであったかどうかは不明だ。
なんでも1356年作の諏訪大明神絵詞では蝦夷ヶ千島には「渡党」「日ノ本(日高?)」「唐子(樺太?)」という
三種の住民が333の嶋に群居していたとあるらすい。
そのうちの渡党は津軽まで交易に来て日本語で話てたそうだ。
彼等がコシャマイン戦争で勝利後に蠣崎、松前氏となる。
現代では渡党はアイヌで無く和人の落ち武者、流民の裔だったのではないかと言われているねぃ。

>落馬を考えとる自体騎馬下手云うことじゃないか。
(=゚ω゚) 相手を落馬させるのが組み討ちじゃろうがっ!!

>戦闘は数より速度が優先するよ。
(=゚ω゚) 「条件が同じなら数が多い方が」と書いたはずだ。
よく孫子の「兵は拙速を尊ぶ」の意味をスピードと勘違いするヤツがいるが
孫子作戦篇では『長期戦に利益無し、国も軍も疲弊する(鈍る)』という意味で使う。
だから「兵ハ拙速ヲ聞クモ、イマダ巧ノ久シキヲ賭ザルナリ」と続くのだ。

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