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【東照】 徳川家康 【大権現】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 17:27:31 ID:F/N5Rh1W
家康の天下取りは我々現代人に多くのことを教えてくれる。
幼少期の人質時代の屈辱。信長との同盟を守りきった律儀さ。
武田信玄との対戦。小牧・長久手での熟練した軍略。
豊臣政権下での着実な勢力伸張。そして文句なしの関が原での勝利。
天領400万石の圧倒的な徳川幕府。天下泰平250年。江戸は世界最大
の都市の一つとなった。

東京が首都となったのも、家康が始原。
次期一万円札の肖像は是非、神君家康公にしてもらいたい。
死ぬまで階段をかけ上がった人生の達人。


日本が誇る、KING OF SAMURAI 我等が徳川家康について大いに語ろう!!

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 17:29:29 ID:VDpFDgV8
やだ

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 17:32:14 ID:St1dkJ3E
私は

ピザは

嫌い

ロリコンも

嫌い

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 17:39:13 ID:oxmR6Jfu
家康は本当に野戦の達人なのか。
そうは思えないのだけれど。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 17:42:28 ID:F/N5Rh1W
>>4
何故そうは思えないの?

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 17:47:28 ID:F/N5Rh1W
武田、北条と戦国有数の大名と隣り合わせでよく戦い抜いた
と思うよ。しかも恭順しなかった。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 17:52:24 ID:ETB5RFVj
家康が空気読んで、あと16年早く死んでいたら
きっと大好きな武将でした


8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 17:56:35 ID:F/N5Rh1W
裏を返せば、信長は家康と組まなかったらすぐ滅ぼされてた
だろうし、秀吉も天下を取れなかった。天下統一の大勢を
握っていたのは実は家康だったんだよね。だから、最後は決して
棚ぼたではなくて、落ち着くべきところに落ち着いたというか。
落し物が無事に所有者に返ってきたという感じ。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:27:18 ID:AwYOg3L5
家康も小さい頃から孫子を学んでいた
人質時代に相当勉強したらしいね

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:29:32 ID:tgSz11Ea
孫子は武家の嗜みだからな
むしろ勉強していない武家の人物のほうが珍しい

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 01:20:59 ID:VOMt9P8f
人質時代は今川義元の名軍師、大原雪斎から教育を受けた。
雪斎が桶狭間まで生きていたらどうなっていたか分からない。


12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 09:36:04 ID:3grYilEc
>>10
あの当時、孫子読める武家はそう多くはないよ。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 14:33:17 ID:23ioAGrI
勝家公に次いで二番目に尊敬しているのは家康公である。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 02:42:27 ID:MUSbZTwj
>>12
やはり孫子と言えば信玄だよね。家康の偉さは負けて
いながら恨むよりも信玄を生涯尊敬し目標としたことだね。

>>13
柴田勝家好きな人結構いるね。自分はあんまり…
勝家は最初信長がうつけだと思って、弟の信行について
たんでしょ? それでよく許されたよなあ。
裏表ない武骨なところが信長の癇にさわらなかったのかも。
家康も信長と馬があったらしいけど、家康は武骨どころか
実は狸だったのだから、これまた不思議だね。だが聡明な信長に
それが見抜けなかったはずはない。家康には何か「敵にしたくない」
と思わせるオーラがあったのだろう。



15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 09:05:17 ID:TntO16PJ
まあ信行の家老ながら信長についたら裏切り者だけどね。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 15:21:48 ID:rvsSepeW
うむ。勝家は後の本能寺後の動きを見てもそうだが、どうも
「与えられた職務を全うする」タイプの人間のようだ。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 10:30:02 ID:XROeZfQc
>>14
信長は普通に実直な人が好きなんだろ

家康の関ヶ原の起こし方と豊臣の滅ぼし方は、狡猾というよりはむしろ強引で不器用だろう
本当の狡猾とは、秀吉のように光秀を利用して自分は手を汚さなかったり、
幼い三法師を立てるふりして政権を簒奪するのを言う

家康は結果として天下を取れたから他人から嫉妬され、いろいろと揶揄もされるが、
天下を取れなければ普通に誠実な人間と言われたはず

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 10:52:55 ID:DYCkthmO
>>1
家康を大名と呼ぶには違和感は全然ないんだが、侍と呼ぶにはなんとなく抵抗があるんだが?

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 12:27:45 ID:lbWk7NI6
>>18
それは家康に限らないのでは・・・

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 12:59:50 ID:7yeqFKES
でも、剣術も馬術も鉄砲術も医術も一流だったりするからな。
戦略能力も戦術能力も外交力も一流だし。
さらには、繁殖能力も一流だし。

政治家としての能力が超一流なのと、本人が全然自慢しないん
で目立たないが、かなりいろいろとすごい。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 13:47:00 ID:mSPqTWUP
東照大神などと余りに恐れ多い神号を自称するから天罰が下ったのだ
俗物の分際で天照大神に張り合うなど言語道断
慢心するにも程がある

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 22:38:36 ID:loo1oJb9
徳川家康の血液型
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/fortune/1153205316/

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 01:58:27 ID:1B5Fgryt
>>18
サムライというのは武士階級のことだよ。その発生から、院や殿上人の警護
のために側に「さぶらふ」つわもの達のことを言った。
将軍も大名も下級武士も皆侍です。

>>20
素晴らしいレスですね。その通り。日本史上最大の人物だと思います。

>>21
天罰とは何ですか? 信長は家臣に討たれ、秀吉は失政したのに、家康は
空前の安定政権を創始した。西鶴、芭蕉、近松、浮世絵等、日本が誇る
ジャポニズムの下地を創った。天罰どころか、神に愛された男です。

>>22
血液型はなんで分かるんでしょうね? 髪の毛でも残っていたのかな。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 02:09:58 ID:1B5Fgryt
レスし忘れた。

>>17
>秀吉のように光秀を利用して自分は手を汚さなかったり

これは本能寺の変は秀吉が黒幕だということ?
そういう説もあるみたいだけど、なんか眉唾だな。秀吉は信長の
ためなら死ぬ気で働いてきたから。織田家というより信長至上主義
だったんだと思われ。信長だけが主君だから、息子達には忠誠を誓わ
なかったということじゃないかな。




25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 10:54:14 ID:90vOhqNV
お世話になり申した

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 11:54:50 ID:zqjCXq0P
>>24
自分は手を下さずに光秀の謀反を利用してのし上がったということ

黒幕というと陰険だが、普通に光秀の動向をマークしていた可能性大だろう
いずれにしても悪玉は光秀とされ、秀吉は悪く言われないところが家康と比べてはるかに巧妙狡猾

ちなみに、光秀が山崎の合戦で憤死したというのは嘘で、
千利休と名を変え秀吉の参謀になったという説もある

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 11:59:35 ID:90vOhqNV
>>12
武経七書や琴棋書画は武家の嗜みじゃないの?
元が農民ならともかく、もともとの武家でも読める人がいなかったってなんで?

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 18:19:58 ID:aG/Ic9Xi
家康を知れば知るほど教育の強さを感じるよな。
学がなくても凄い奴もいるけど最後はやはり学がある奴が勝つというか。
スレ違いだが海外ドラマに「ホワイトハウス」というのがあるんだが
そこの米大統領が家康とだぶってみえるんだよね。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 13:31:56 ID:vqvB3+cm
家康の日課念仏の写経を見ると、鬼気迫るものを感じる。
やっぱり己の権力の為のお題目だけではなく、何かの使命感に追い立てられて
戦乱の終結と天下泰平を求めたようにも思うよ。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 16:45:34 ID:pr21IEjf
>>26
確かに中国攻めは秀吉一人でもなんとかなったっぽいのに、信長に
甘えを見せて「可愛い奴だ」と援軍に向かわしめるところが、秀吉の
狡猾さが窺えるね。秀吉は信長に対して大胆に甘えるところがあるね。
対謙信戦の手取川でも勝手に軍列を離れたり、荒木村重の謀反で黒田長政
を斬るように言われたのに命令に背いたり、それでも特に処罰されないところ
がやはり信長から認められていたということだろうね。

>>27
兵農分離は秀吉の刀狩と江戸の士農工商からだから、教養のない下克上で
のしあがった武家の方が多かったということだろう。
学問それ自体は寺社や公家の方がレベル高かったんじゃないかな。

>>28
明智光秀や石田光成は学があったそうだけど、敗者になった。家康はまず
武威で武功派の人望を集めたのだから、まさに文武両道だった。

>>29
そうだろうね。がむしゃらに権力に邁進したのだったら秀吉に恭順しなかった
と思う。秀吉の惣無事令に筋があったから協力し、秀吉が失政し天下が乱れた
から代って自分が治めたという王道を歩んでいる。


31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 19:34:32 ID:0JBwd3RV
>>29
たくさんの人を殺した罪滅ぼしの意味らしい
立派な心掛けだね

たまーに南無阿弥家康と書いてあったりする
遊び心なのか本気なのか

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 19:49:45 ID:t/mBgtOG
家康さん尊敬します

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 00:32:00 ID:mpCi8iDR
>>21
その当時の、天照の子孫を称する方を取り巻く集団のほうが、よほど罰当たりな
行動を取っていたと思うのですが?
 すくなくとも家康は民衆に平和と安心できる暮らしを提供したわけだから
いいとおもうよ。

 それと家康の場合、東方の仏・薬師如来を己の守護としていたのはあまりにも有名で
ただ単純に天照にライバル視して東照というわけでもない。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 11:42:54 ID:UVTEsWlq
日本史上3本の指に入る戦略家にして政略家だとおもう。

司馬氏によれば、村社会の島国根性でしみったれた国民性
なのかもしれないが。
今の中国人みたいな個人主義や血族主義のアジア的国民性から
集団性、協調性を重視する国民性への転換は
中世の国家から近代化するには重要だったと思う。

江戸中期に人治から法治への移行し始めるが、それも
家康による封建制が単なる独裁ではなく、中央国家の権力を
直轄領以外は改易権に留めるあたりに、「権力の抑制」に
対して意識的であったのも大きいと思うけどな。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 12:23:25 ID:CgewP+a9
>>34
司馬遼も晩年には、三英雄のうち「仕えるなら家康」と言っていますね。
信長や秀吉にはやはり、知れば知るほどやりきれない部分があるからなあ。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 14:54:44 ID:xjyBRL0+
司馬は晩年になって評価するようになったのかな?

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 18:19:30 ID:WME9GWAO
今から家康の生き方を真似ようと思うんだけど
家康って信玄を模倣したとかいうじゃない
ってことは家康は信玄の亜流でその亜流を模倣しようとする
家康にも及ばないおれは亜流の亜流の・・・・・orz

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 18:28:08 ID:xjyBRL0+
それでいいのさですよ。。。
家康の生き方が良いと思うなら( ̄ー ̄)ニヤリッ

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 19:22:14 ID:iMIQUF3S
>>36
もともと評価はしてたんじゃないかな? ただ個人的に嫌いだった
だけで。自分でも「これ苦しいな」って思いながら貶してるような
感がある。

>>37
傍流の方が気がついたら優れてましたってのは良くあること。
個人的には信玄は家康の足元にも及ばない将だと思ってる。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 19:53:17 ID:UVTEsWlq
>>37
なかなか現代で真似るのは厳しいと思われ。
薬マニア←薬事法違反
幼女マニア←青少年育成条例違反・つか強制猥褻罪
後家マニア
神仏妄想疑惑>>31(気分はもう生き仏)

…………。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 20:10:40 ID:hETK2UVf
>>39
評価はするけど、絶対褒めねーぞって感じが出ているな。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 21:45:06 ID:jw4qiy2m
三方ヶ原のときの茶店の婆の話はどこいった?

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 01:45:03 ID:sezVrqPb
>>37
とりあえず、食事を全部麦飯にすることから始めよう。
暇があったらとにかく身体を鍛える。大井川を泳いで往復するのを目標にすべし。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 15:08:53 ID:bJK4G1ZO
家康があの状態から天下を統一したことはかなり凄いこと。
これは間違いないよ。
が、しかし家康の評価を決定的に悪くしている、言い換えればなぜ家康はさほど人気がないのか…。

答えは簡単。ずばり三方ヶ原の敗戦&焼き味噌(脱糞)である。

豊臣を攻め滅ぼした事は大したことじゃない。
そんなの主家をさしおいて天下を獲った秀吉も同格だし。

戦の最中に逃げながらしかも脱糞だぞ?そんなヤツ日本に一人しかいない。

しかも言い訳が『焼き味噌』だぞ?

三方ヶ原さえなければ家康は最高なんだが…

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 15:56:00 ID:xtDcyJ/C
>>44
どうやら君は完全な信者にはなりきれなかったようだね・・・・・・・・・・・・・
信者はその醜態すら家康公の成長過程としてオナニーするからね
これは家康が若かったからとか将として未熟だったからという次元の話ではない
>戦の最中に逃げながらしかも脱糞
>言い訳が『焼き味噌』
これは根からくる家康のへたれさ臆病さを表している


46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 00:34:55 ID:r6/Dv+i+
>>44
人間のタイプの違い
天才タイプと学習タイプ
信長・秀吉は前者で、家康は後者
学習タイプは派手さがないので、一般受けしないのは当然
三方ヶ原の惨敗がなければその後の家康もない

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 13:00:01 ID:QQ+hooL0
>>46
そんな天才タイプとか学習タイプなんて信じれない。
レッテル張り的な二分法は司馬氏観を真に受けている感じがする。

家康個人の性格、嗜好は別にして、江戸期は中期から近世に分類される。
老中、奉行制度により正統派官僚が育ち、
>>34に書いたように、公事方御定書等も制定など中世的な
人治国家から法治国家への移行が基礎付けられる。
無論、江戸初期の幕府の志向性を決定付けるものとして
幕藩配置、諸法度の類も重要である。

近代は個人に依存せず、統治者個人の裁量権を限定させ
(三権分立、主権在民の目的である)組織によって社会が動かされる。
例え個人が倒れても、別の人間で十分代替される制度。
確かに面白みは無い。派手さも無い。しかし、統治にとってそんな事は問題ではない。

謀反人を殆ど出さず、豊臣恩顧の大名を手懐けた家康の人心掌握力は当代随一であろう。
しかし、選挙という人気投票で統治者が決定される時代では無い上に、
後世の人気という、「統治に関係しない人気」など最もどうでもいい。
合戦、謀略、人心掌握、内政など統治の為の手段でしかない。

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 13:56:30 ID:zYhOVBKj
かなり面白みはある。
すごいおもしろい人生だと思わないか。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 20:58:52 ID:rW/ms5/E
>>47
信じる信じないはお前の勝手だが、
そういう分け方はたとえ話として昔からある
絶対有利のはずのウサギが、なぜかカメに負けてしまうというあの話
信長・秀吉がウサギで、家康はカメ

50 :名無しさん:2006/10/02(月) 23:35:59 ID:9UrqZzU1
家康公は、豊臣家が、豊国大明神とつけて、太閤さんを奉ったので、東照大権現とつけたという説がある。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 23:51:30 ID:9PtvkYnQ
幼少期は人質として肩身のせまい思いをし、
成人になっても義元や信長のヨイショするため
性格のきついかみさんをもらい溺愛する息子を殺さなきゃならず、
それでも海道一の弓取りと呼ばれるまでになったのに
今度は百姓出身の猿に関東の田舎へ追いやられ
豊臣を滅ぼしてようやく目の上のたんこぶが消えて
やっとめぐってきた天下を楽しもうと思ったら
わずか一年あまりでぽっくり
本人にとっては満足な人生ではなかったかも。


52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 00:00:18 ID:NgI07E/f
3傑の中ではダントツで家康公が好きです

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 00:05:57 ID:2KeVsdG8
>>51
逆に言えば「生ききった」人生だな。
長寿なのに全く無駄の無い人生だった。合理主義者の家康らしいと言えばそうだがw

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 08:31:24 ID:xDOfCcrl
>>49
子供向けのおとぎ話の例えを真に受けるのはお前の勝手だが、
あくまでも子供向けの類型化であって、実際の亀と兎もそうだった
とか言い出す奴は単に痛い奴だ。

>>49おまえの心の家康」がこうだから、実在の家康もそうだったんだ!!
それが事実なんだ!!って言うなら何もいわんがな。

小説家が話を面白くするためにはキャラ確立の為の類型化は必要な事だ。
しかし、実在の人間がそうだったって言うのは、痛い人間でしかない。

人類を二分法で分類する事自体が問題じゃない。
男女により分類される二分法に何ら問題は無い。
それにより、思考パターン、体型、運動能力の傾向の差が見られるのは事実だ。
明確な「判断基準」が有ればな。
信長や秀吉だって旧来のいいところを取り入れ、自らの体験の失敗で学習している。
学習してなければ天才ではなくただの馬鹿だ。何もかも独創的な発想で、失敗がな
かった訳じゃあるまい。家康は独自性が全くない訳じゃなるまい。

何処からが学習タイプで天才タイプかどの基準で分類されるのか。
そういった分類があるといって説明するなら「判断基準」をまず示す事だ。


55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 19:31:15 ID:56rmcxBW
人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。

不自由を常と思えば不足なし、心に望み起らば困窮したるときを思い出すべし。

堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、                       

勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば、害その身に至る。

己を責めて人を責めるな、及ばざるは過ぎたるより勝れり。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 19:59:23 ID:COmtqjnN
家康に独創性がないなんてのは、司馬遼太郎の戯言だしな。
信長の場合は、前時代のシステムがボロボロになっていたから
壊して造ったのだし、もともと性格から言って自分流でないと
気がすまないタイプだった。
秀吉の場合は、個人的な趣味では独創的だが、天下を収める
システムの方はほとんど信長の構想のコピーみたいなもんだ。
秀吉が完成させたものが一部にあるから、独創みたいに見える
だけ。
家康の場合は信長・秀吉の時代のシステムで稼動しているものが
あれば、そのまま使ったってだけ。独創が必要な部分は、ちゃんと
独創で埋めている。本願寺を分割して統治したり、なんといっても、
財力と権力を切り離すという離れ業に近い体制を打ち立てている。


57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 20:46:35 ID:qrTlJyyD
>>54
悪いがお前の論理につきあうつもりはないし、
認めたがらない人にまで認めさせる気もない。
そういう分け方は昔からありますよと指摘しただけ。

というか、そういう大雑把な分け方はお前も使ってるじゃないか。

>信長や秀吉だって旧来のいいところを取り入れ、自らの体験の失敗で学習している。
>学習してなければ天才ではなくただの馬鹿だ。何もかも独創的な発想で、失敗がな
>かった訳じゃあるまい。家康は独自性が全くない訳じゃなるまい。

大筋で分かれているからこういう言い方ができるわけだろ

58 :参考:2006/10/03(火) 21:13:01 ID:kIXPl7E2
そりゃ違うぞ。確かに豊臣政権は徳川政権よりは下だが、
少なくとも、それまで存在したあらゆる中央政権よりも豊臣は強大だった。
なんせ日本中に命令して関東や奥羽を仕置きしたり大陸を攻めたりする程だったしね
秀吉存命中は家康も含めて誰も秀吉に逆らえなかった。
こんな強大な政権は実は今までの日本になかった。

それと畿内以外にもあちこちに徳川政権でいう天領(お蔵入り地)を持ちその合計は
220万石程度はあったという。
他に日本各地の金山、銀山を押さえ、博多などの港の運上益も独占。
経済能力はすざまじいものだ。

あと江戸幕府でいう親藩・譜代も豊臣政権には存在してた。
親藩は豊臣秀次、小早川秀秋、豊臣秀長、木下など、加藤や福島も実は秀吉の親戚筋だ。
譜代に相当するのは山崎の合戦以前の配下が相当するんだろう。
黒田、竹中、蜂須賀、山内、七本槍、石田など。
ただ、家柄の卑しい豊臣家の結束は秀吉が死んだあとは激しく脆かったけどね。

なんにせよ一つ言えるのは
実は徳川政権というのは豊臣政権に酷似してる部分があり、
実は家康が秀吉のやり方を模倣しさらに改良強化したものだ。
秀吉というお手本・土台がなければ
家康がいきなりあんな強力政権を作れたわけではない。

繰り返しになるが
それは秀吉が家康より劣っていたからでは少なくともない。
むしろ家柄を除いてはやはり優れていただろう。
単に秀吉が強い力で切り開いた道を家康が進んだから、
家康が強力政権を作れただけ。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 21:18:42 ID:kIXPl7E2
月並みな意見だが、
織田政権、豊臣政権があったからこそ徳川政権・江戸幕府が出来たのであって、
それは全て一人の人間の資質に帰せられるものではない。
戦国時代が信長、秀吉の行動や統治によってこなれ、
家康が信長、秀吉のいい部分・悪い部分を真似たり参考にしたりしたから、
江戸幕府が出来たのであって、
仮に信長や秀吉の立場と家康を交換したからといって、
一足飛びに江戸幕府のようになるわけではない。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 22:05:44 ID:fNo88kXF
>>59
そう。
まさに家康の言う急ぐべからずってやつだ。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 22:28:19 ID:kIXPl7E2
>>60
まあ、そうなんだけど、
家康は全て達観していたとかいうのなら賛成できない。
実際は家康もいろいろミスしたり焦ったりあきらめかけたりもしただろう。

そもそも家康は「自分が天下取れたのは運である」と言ってる。
これを謙遜と取る人が多いが本心だったろう。
今川義元が倒れ、一揆との戦いを凌ぎ、
三方ヶ原で命拾いし、信玄が倒れ、信長が倒れ何とか国元まで生還し、
秀吉が壮年の息子残すことなく倒れ、利家が倒れ、清正が倒れ、
実力で切り抜けたものや生きていても何とかした人物もあるが
さまざまな幸運や偶然が重なって天下を取ったのは否定できないし。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 22:42:49 ID:fNo88kXF
いかにも。
家康の天下とりは運ですな。

しかし達観だと思う。
周りにもいないか、そういう賢い方。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 10:33:32 ID:Itty3igS
>>61
運がいい、と簡単に言ってしまうのもどうかと思う。
運がいいやつというのは、よく見てみると運が来たときに的確にそれを
利用しているということであるし、また、運がくるまで我慢できる忍耐
力を持っているということでもある。
さらには、家康なんか特にそうだが、運がいい以上に不運に対して強い。
どのような不運がきても、じっと耐え続け、運が来るまでは辛抱強く待
ち、運が来たら機を逃さず一気にすべてを賭ける。確かに、天下を取っ
たのは運かもしれんが、その運を天下取りの運にまで成長させるのは、
並大抵のことではない。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 10:59:45 ID:ZK6yBVY1
>>61
思いきり謙遜だろう。
運なんてことをいえば、信長や秀吉のほうが当てはまる。
「武田信玄と石田三成のおかげで天下を取れた」とも言っている。
俺が俺がと言わないのがこの人の特徴。

それと同じ天下人でも、秀吉の見るべきところは天下を取るまでで、
天下をとった後は思いきり暗君になってしまうのがなさけない。
チャンピョンになるよりそれを維持することことのほうが難しいということ。

家康がすごいのは、戦国を昇華し江戸への前段階として肯定したこと。
家康が平和な新時代を築いていなければ、
信長と秀吉はだだの乱暴者と暗君と言われていただろう。
信長と秀吉は家康に感謝すべき。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 11:01:27 ID:sb+PzioH
家康だって、信長や秀吉と同時代に生きてるわけで、時勢の流れというのもあるでしょ

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 12:05:17 ID:2XhysEdb
>>63
福本漫画のキャラが浮かんだww

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 12:50:09 ID:F6KZvyaZ
>57
信じる信じないじゃなくて、単に根拠を聞いてるだけだが?
後、その杜撰な分類は、お前が書いたのに合わせてるだけで肯定なんかしてない。
何処に認めたなんて書いている?

俺個人は三人は時代の中の連続性で捕らえるべきもので、個人の性格に帰したりすべき
ではないと思ってるが。ただし、統治結果の判定は、政治である以上、結果で行うべきだ。
これは政治学の基本だからな。

>58
>56も、徳川政権が織豊政権とは全く別物だなんていってない。
今までの流れでも、織豊政権の良い所は取り入れているとは書いていると思うが。
天才タイプ、学習タイプとか言う根拠のレッテル張りに、根拠を聞いてるだけ。

ただ、猿真似ではない。
まず、織豊政権に共通するのは、統治者個人に権力が集中しているものの、
統治者直轄軍(旗本)が少ない。(これは、本能寺成立の原因となる。)
に対して、徳川政権は将軍自体は老中などの合議制の上にあり
権力集中制は低いのに対して、軍事的に旗本8万騎と称される直轄軍を保有し続けた。
豊臣政権の合議制が外様を組み込んでいるのに対し、徳川政権は
外様を政策決定機構から可及的に排除している。
また、豊臣政権は織田政権に酷似している部分もある。
権力集中性や宗教政策、重商主義などはね。
だからと言って秀吉が独創性が無いとか、
信長は天才タイプで秀吉が学習タイプとかいう事にはならないって話。

結束が脆いというが、それができるかどうかが統治じゃないのかい?
個人の忠誠心(性格)に依存したシステムって言うのが、秀吉が築いた政権システムの
脆弱性に他ならない。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 12:51:34 ID:Rm1x1n33
>>64
家康は信長の安土時代の段階から、天下政治に参画していた節がありますね。
やはりその頃から、家康なりの天下経営の抱負があったのでしょう。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 16:16:26 ID:iKOABfLb
家康は長生きしたからな、人の生き死には神の領域だ。
いつ誰が死ぬか生まれるかは人類にも永遠に制御できないだろう。多分

家康が信長秀吉の失敗を見つめ、成功を糧に地道に日本の未来を考えて
現代にまで続く日本を作ったのは、家康の政治力もあるが信長秀吉の、後
を受け嗣いだからだからこそだよね。上でも書いてる人いるけど。

一言に運が良かったからとか、天下が転がり込んできたとかは、家康の事
を知っていれば言えないと思う。


家康の言葉で「道義は戦力なり」なんて言葉もあるからな。
この精神に重きを置いた、真の侍魂の根底は現代にまで続く江戸政権の
功績だと思う。

当時白人どもは肌の色が違うだけで、人間扱いもせずに、征服虐殺奴隷
を繰り返していた。
それも第二次世界大戦終結までだよ。

家康からの道義観が、現代の日本の元になっているとも言える
まあ日本は太平記とかさらに遡って縄文弥生時代から、日本人らしい行動
とっていたけどね。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 16:25:49 ID:iKOABfLb
まあ家康語るなら山岡荘八の徳川家康全26巻最低限読むべし。
たんに教科書だとか漫画よんで、天下盗んだ狸じじいなどと言うのは
家康の事をほとんど理解できてない証拠。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 16:30:40 ID:Rm1x1n33
>>70
でも、家康の偉さって、実感するのは社会に出てからだよね。
大人にならないとどうにも理解出来ない部分が、家康には特に濃いと思うよ。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 16:54:25 ID:dBE0BAqo
小中学生の道徳の授業に欲しいんじゃない。
逸話とかためになるよね。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 17:07:32 ID:Rm1x1n33
>>72
松本清張がそんなの書いていましたな、青少年向けの家康伝みたいなの。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 17:26:20 ID:iKOABfLb
小中で信長の野望は好きだったが、家康はあんま好きでなかったなあ
ハタチ超えて歴史本読み出してから家康が一番好きになったわ。

山岡家康全26巻読んだのも実は最近だしなあw

「生まれてくるときも死ぬときも所詮裸。
地位も名誉も天下も肉体も所詮、現世での預かり物なのだ。
だから使い潰してしまっては後の人間が迷惑するからほどほどにするのがいいのさ」

みたいな事書いて有ったな。

秀吉は天下を取ったが、家康は天下を譲り受け、後世に受け渡して行った

これは天下の私有を認めない、山岡家康の天下預かり物説

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 20:23:52 ID:acaxB8ru
>>67
家康の時代は、信長秀吉と変わらず主君に権力が集中した独裁者政治だった。
それを君がいうような老中による合議制に変えていったのは秀忠や家光。

私は信長秀吉と家康に統治者としてのタイプはたいしてかわりないと思っています。
もちろう後任者は、前任者の成功失敗をみて参考にできるので、政策ではそれぞれ
異なってくるでしょうが、それは枝葉のこと。
信長秀吉と家康の違いといえば、「二代目が守成を行うことができたか否か」だと思い
ます。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 21:31:02 ID:ZK6yBVY1
だから家康はわずか二年で将軍を秀忠に譲ったことが大いに評価できるわけ。
もはや自分の時代ではないと悟ったことは大いなる慧眼。

秀吉は子に恵まれなかったこともあるが、
何としても秀頼を後継者にしようと愚劣の限りをつくした。
>>74にあるが、秀吉は天下を私物化しすぎ。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 21:59:15 ID:dBE0BAqo
後だと参考になるから、焦らずってとこがいいのさ。

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 22:10:32 ID:Ol2zXe9W
永遠に発展する都を造った家康公

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 22:47:15 ID:W8kGmLec
>>76
逆を返せば
秀吉と秀次 太閤=関白の二元政治の失敗を見ておきながら
家康自身はこれをきちんと成功させ
なおかつ3代目への継承も見事に筋道を立てたという点が
評価に値する。
そりゃ実子と養子の違いはあったかもだが・・

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 23:06:06 ID:FOQdgH7I
>まあ家康語るなら山岡荘八の徳川家康全26巻最低限読むべし。

フィクションを読んで何が分かるんですか?

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 23:14:48 ID:Rm1x1n33
>>80
ちゃんと資料のうえに肉付けされたフィクションだぞ?そこからわかる事はいくらでもある。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 23:24:32 ID:qpu3vAMa
山岡自身からして、徳川家康に心酔していたというわけでもなく
当時のソ連アメリカ二大強国に挟まれて苦心していた弱小国家日本が
いかにして生きていくかという思いを、織田、今川に挟まれた徳川に託し
二百五十年の平和を築いた家康を未来日本のモデルケースにしたかったと
いう思いがあった。

現実の家康はそれほど善人でもないが、戦国大名として生きていくには
それなりの精神構造が必要だ

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 22:46:57 ID:+wDSu6x4
>>82
そのパターンでいうならば
織田と今川に挟まれた徳川の他にも
大内と尼子に挟まれた毛利というのもある。
昨今のバブル破裂とか失われた10年とか国会とマスコミの馬鹿騒ぎ
を見るにつけ、今の日本は徳川ではなく毛利の道を歩んでいると思う。

大内と尼子 米ソ冷戦
豊臣の世  アメリカの世界支配




84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 10:29:44 ID:zMgEI+GU
>>82
アメリカとソ連の話は、読者から言われてそうかもしれないと思った
という後付の話だったような・・・

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 12:03:56 ID:sPBDr5Oy
>>75
確かに、君のいう通り合議制が制度化されたのは家光の時代になってから。
しかし、老中に外様をいれず、旗本を保持しつづけたのは家康から。

最初の諸法度は1615年に公布されたのだから、家康の意向も働いている。
これにより、日本史上それまで天皇が法の枠外であった存在から
法の下に規制される存在となった。

家康自身が独裁権力を保持し続けたのは事実であるが、
志向性として、人治から法治への基礎作りはしていると思うよ。

後、>「二代目が守成を行うことができたか否か」に関しては
一代目が用意したものが全然異なる。
信長は、自らの制定した軍団制の弊害、人心掌握の失敗の為、
自らのみならず二代目も殺される。
秀吉は、秀次一族の抹殺に伴いただでさえ少ない羽柴血族を更に弱体化させ
外征に伴い武断派と文治派の確執を決定的なものに悪化させた。

二代目が守成を行う事ができる環境を用意できたかどうか、という統治者の業績
には決定的な差が有ると言える。

86 :あい:2006/10/07(土) 16:20:12 ID:Mw3Llcaj
大友宗麟さんにはがんばってもらいたかった。毛利をけちょんけちょんにやってほしかった。
尼子にも援助しなかったのが徳川に失敗だったなm

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 18:37:56 ID:bhwoJamQ
>>64
「思い切り喧騒」は言い過ぎ。
どう見ても。三河の小大名だった家康が天下取れたのは運の要素が多い。
その点、信長はとにもかくにも天下を自分の手でつかみかけた。

勿論、だからと言って家康が「たいしたことない」とは言わない。
その運を逃さずに長い年月かけて天下を取ったんだし、それは凄い。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 20:37:46 ID:qM7653xd
今川の授業
織田の授業
豊臣の授業を受け、実技をやった。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 20:58:05 ID:4g7Dz5tC
誰よりも上手く出来ました\(^o^)/

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 23:18:25 ID:aLAvtnxQ
授業を受けたのは雪斎ぐらい
他は自分から学びとったもの
それと信玄の影響がかなり大きい
敵味方関係ない

>>87
百姓から成り上がった秀吉は運だけか?
他人を師としてやってきたきたくらいだから謙遜してる部分大

91 :あい:2006/10/08(日) 00:30:04 ID:CgWzZxmP
>>90 秀吉の話はしていないよ。家康の話だよ。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 07:51:57 ID:+9iOJbRD
>>90

信玄房多すぎ、仮に信玄の政略を戦争から学び取ったとして。
それが生かされてる事は正銘できるのか?
甲斐征服したのがその成果とでも言うのか?

信長秀吉の反省点は明確に江戸政権に反映されているが
信玄の軍略はともかく政治力はその他大勢クラスだろう

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 08:12:26 ID:+9iOJbRD
ドラマの独眼竜政宗での家康の台詞が今でも好きだ
大坂の陣の後に政宗が家康を訪ねていって色々掛け合うんだが
江戸の噂で政宗が謀反を企んでるそうだと言ってその討伐を政宗に
依頼するんだが。
秀頼を殺し伊達や忠輝にも背かれるような事では天下はもたない
と言って、
「このままでは、明智光秀がおる。石田三成がおる」
で政宗は涙ながして、
「ご安心めされい、政宗はこの伊達政宗が討ち取りました」
なんて言って政宗は太平の為に天下取りの夢を捨てるんだが

まあドラマとは言え原作にも無い、光秀がおる三成がおるって
台詞には痺れたw
これこそ信長秀吉の失敗点の象徴の人物だからな。

政宗が光秀や三成を参考に反乱しなかったとしたら
とか考えると考え深い物があるなw

すまんね妄想乙w

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 11:41:14 ID:Qdct0Dt9
>>92
信玄を師として兵法を学んだことは家康自身証言している。
武田の遺臣を積極的に取り込んだのは信玄を尊敬していたからだし、
二君に仕えることになった遺臣のほうも、家康が信玄を尊敬していたので抵抗が少なかった。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 12:54:36 ID:g1Iv0yUH
>>94
当時の戦国武士が「二君に仕える」なんて江戸時代的儒教武士道を気にしたとは思えんな。

96 :あい:2006/10/08(日) 17:01:14 ID:GwSAh9Jn
>>95 江戸時代儒教×

  大日本帝国時代が朝鮮式儒教○

江戸期は朱子学です。 

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 21:23:45 ID:+Il0O31k
>>92
疾きこと風の如し→三成との戦を風のような疾さで決着させた
静かなること林の如し→関ヶ原後は15年も静かにしていた
侵略すること火の如し→大阪城を火の海にした
動かざること山の如し→輝元や秀頼を山のように動かなくした

まさに風林火山

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 21:34:08 ID:pzFSYsEB
>>96
朱子学は儒教の一派だからその訂正の仕方のほうが間違えている

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 11:51:59 ID:GyjyIQul
>>98
まぁ、朱子学=儒教と言ってしまうと、重要なことを見落とす
けどな。朱子学は儒教の名を騙った別の宗教じゃないかと思う
くらいだ。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 13:13:28 ID:Mr30FY3L
儒教は一種の哲学・思想学会であって宗教じゃねえよw

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 13:19:01 ID:2kCvCpJD
それは「マルクス・レーニン主義は宗教じゃない」と同レベルに聞こえるが

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 00:12:25 ID:s6xHyIJS
>>100
儒教は宗教だよ。
だって、根本となる原理は証明されてないし、それに対する姿勢は、
「信じろ」だもん。
まぁ、この点は共産主義もまったく同じだが。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 02:22:06 ID:PeXX8pZt
狭義の意味の宗教ってのは、「彼岸(あの世)」に価値を置いたものだよ。
マルクス・レーニン主義は唯物論、無神論の思想だから、狭義の宗教じゃない。
ニーチェやカミュの無神論もそうだけど、しかし広義の宗教と言える。
それは「信じてるもの」という意味ね。「ビートルズは俺の宗教だ」という風に。
儒教は彼岸には触れていないので狭義の宗教ではない。


104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 02:56:46 ID:cy3v2W12
んなこと言ったら仏教もキリスト教も狭義の宗教ではなくなるよ。
なんせどちらも、本来は魂もみとめず死後の世界も扱っていないのだから。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 11:28:30 ID:O0Gk94uH
小説とかだと筆者の思惑が反映されてて
立場によって描写が変わるので出来るだけ
史実に近いものを読みたいのですが
何かお勧めはないでしょうか?

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 13:48:41 ID:yoSGcHG/
>>105
目の届くもん全部読み漁れ。歴史なんて「事実」に主観を絡めて「真実」
を考えるものなんだから人にお薦めを聞くこと自体が無意味。かりに史書
にふれても結局「事実」の穴埋めをするのはあんたの主観。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 01:53:06 ID:ZQCpoHO5
>>104
>なんせどちらも、本来は魂もみとめず死後の世界も扱っていないのだから。

そんなこと初めて聞いた。詳しく論証してください。




108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 19:12:29 ID:5bE2UwuA
>>107
仏教はともかくキリスト教は死後の生や魂は認めてる筈だが。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 19:31:11 ID:5bE2UwuA
スレ違いを承知で描かせてもらうが、
本来の仏教で魂や死後の世界を認めてないなんてのも曲解でしかない。
ただ釈迦は「こだわるな」と言っただけだ。
釈迦は死後の世界や魂について盛んに質問してくる弟子に対して
「死後の世界なんてものはあるかないか誰にもわからない。
だから、そんなものにこだわったりせず、今を一生懸命生きろ」と答えた。

これを誤解・曲解して釈迦は「死後の世界や魂を否定してた」とか
得意げにいう連中がいるがそれは違う。
ようするに死後の世界について「わからない」から「こだわるな」と言っただけ。

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 20:55:10 ID:oJwh0vSE
「こだわり」が大事なのよね。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 14:01:37 ID:xk4fBTsG
>>109
質問されても答えられないから弟子に質問するなと婉曲に言った。
死後の世界が無いとすれば、仏教的世界観が最初から成り立たない。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 14:15:47 ID:IdfFOHrY
家康には何故人徳があったのでしょうか?戦国時代って武将も先陣きって戦ったりしてたみ
たいだけど、徳川家康も戦えたのかな?本多忠勝とか井伊とか強い武将が家臣だったけどど
うして家康についていたのかな?

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 14:21:53 ID:YkoOvT/l
つくもなにも本多は譜代の家臣だから元から
井伊はちょっと違うが

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 14:30:42 ID:JRtC3dEA
>>112
家康は自分というより徳川家の利益のために動いたし、徳川
家単体というより、岡崎衆の利益を第一においていた。
徳川家は岡崎だけでなくもっと大きくなったが、家康はその
支配下の家臣達の利益代表者であるという姿勢は絶対に崩さ
なかった。そのためには、どんな苦汁でも飲むをいう人物
だった。家康の配下にいる人間は、こういうことを肌で感じ
ていて、だから家康を盛り立てていった。

というか、強い武将だからって他人の下には立たないと考
えるのもどんなもんかと思うが。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 17:47:43 ID:AYlKRd28
つか家康が天下を取ったから徳川家臣団が高く評価されているだけ。
主君さまさま。本田や井伊より勇猛な武将は五万といたはずだ。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 19:30:03 ID:MoiXLmUt
>>115
織田家臣団も豊臣家臣団だってそうだろ
柴田、丹羽クラスなんて五万といるし加藤、福島クラスだって五万といる
家臣てのは概ねそんなモンじゃねーのか?

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 21:59:02 ID:sf/G7qcB
秀吉も五万といる。

118 :あい:2006/10/14(土) 22:46:03 ID:enG20JBo
総合しての人格で最後の勝負かけようよ

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 00:44:29 ID:AOCAUzi6
>>114
それ、別に徳川や家康が特別なんかじゃなくて、この時代の普通。
その普通が出来なくなった君主は見捨てられる。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 02:05:59 ID:NEkHd9W2
>>112
パフォーマンスの面もあるだろうが、
三河一向一揆で陣頭の家康を見て逃げ出す一揆方三河衆もいたそうな。

というか家康は武芸達者なんだが。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 07:54:27 ID:3YzFT77v
>>120
それは主君と戦いたくないからだ。

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 09:31:38 ID:4ghlYrKi
>>119
意外と普通ではないぞ。できたやつの方が少数派だからな。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 11:28:02 ID:XO6GpkPA
目指していても実現できない「普通」もあるさ。おまいらだって
彼女がいて、いい大学出て、いい就職して、友達にも恵まれて、
って「普通」を望むだろう?

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 15:49:39 ID:X/GY84Ib
譜代が家康を支えていたからな、家康の父が死んだ時には当主すらいない状態だった
そこで今川の代官の下で泥を啜って堪え忍び、桶狭間でようやく岡崎に戻れたのだ。

譜代の三河衆が献身的に支えたからこその徳川家だ。

ちなみに忠勝榊原クラスでも10万石。
本多や酒井井伊とかの大老でも5万石以下が多い。

物貰って喜んでる人間には解らない誠が有ったんだろうね。
家康も逆に土地は与えない!が、それでも忠誠を尽くす人間にしか政務は執らせない!
みたい0な感じでの繋がりを求めたんだろうな。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 18:05:20 ID:3YzFT77v
>>124
でも榊原は恩賞の少なさに愚痴を言った逸話があるけどね。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 18:25:28 ID:Ydhsa+QV
>>124
581 :無名武将@お腹せっぷく :05/03/20 21:28:33
戦国BASARAというのがカプコンから発売されるようです。
なんだか「無双意識しています」という感じなのですが、カプコンのアクションは面白いのでちょっと期待です。
で、シルエットを見ると「いかにも」なのがいますので公式で見てみましょう。

さて、今まで忠勝の格好いい所ばかり紹介していましたが、今日は格好悪いところを・・。

(忠勝の大誤算!!)
関ヶ原の戦いの後、忠勝は十二万石拝領し、さらに五万石加増されることになりました。
しかし、忠勝はこれを拒否、忠朝に譲ってしまったのです。
・・・とこれだけ聞くと「格好いい!」話ですが、実は忠勝には大いなる野望(?)があったのです・・。

それは国持ちになること!!忠勝は関ヶ原で大いに活躍したので、
「きっと国持ちぐらいにはなれるだろう」と思っていたよう。
なんとその時の為に部下への分配表まで作る始末。
結果言わずともかな。使者からなんの報告も無かった忠勝は、
焚き火の中へこっそり分配表を燃やしてしまったのでした・・・。

らしい・・・w

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 18:34:32 ID:8AKxVxPQ
家康は武芸達者って戦場で自分で人と戦ったりしたことあるのかな?

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 18:35:33 ID:8AKxVxPQ
家康は武芸達者って戦場で自分で人と戦ったりしたことあるのかな?

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 19:04:34 ID:qouvZTyT
>>127
無双じゃないんだよ、戦国時代は

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 19:08:49 ID:8AKxVxPQ
無双?

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 19:56:43 ID:ZyDGsP7D
自分の命を大事にしたんじゃないの。


132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 20:26:38 ID:7p72Ia69
>>128
鉄砲は撃ったことはあるが、格闘したことはないな。
まぁ、総大将が刀槍もって格闘しなきゃならんようじゃ、負け戦だが。
とはいえ、最前線で馬上指揮するのが家康の指揮方法ではあった。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 20:31:01 ID:2JHcQJJo
戦場で人と戦ったかと言われれば答えは否定的だが
別に逸話に残ってないだけで対武田戦では忠勝自身が戦闘に参加した戦いなんかも
あるし(つまり家康が戦闘に巻き込まれた可能性もある)
三方ヶ原や三河一向一揆等で眼前に敵が立ちはだからなかったとも限らない

第一中隊長程度の身分ならともかく大名クラスの人間が敵兵と戦闘していいはずが無い
信長なんかは異端すぎる。万一自分が死んだらどうするのか


134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 20:53:53 ID:8AKxVxPQ
えっ!信長は戦場に出てたんですか!?刺されたり、矢が貫いたら死ぬのに。ほんとうに気合いが入ってた人なんですね。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 20:58:53 ID:ZyDGsP7D
なんでも林美作を討ち取ったらしいが。

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 21:00:03 ID:ZyDGsP7D
体を張った鼓舞ってか。

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 21:03:43 ID:2JHcQJJo
信長は若かりし頃には稲生の戦いで敵将林美作を自身で討ち取ったり
壮年時にも対本願寺の天王寺の戦いで自らが陣頭に立って部隊を指揮し
鉄砲によって足を撃たれたとか

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 21:06:43 ID:8AKxVxPQ
そういえば功名が辻でも信長が足怪我してるシーンありましたね。自身も強かったんですねえ。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 21:34:35 ID:bRT5jKHM
岡崎で徳川四天王展やってる
見ごたえあり

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 21:40:46 ID:8HYqHX+A
行きたい!詳細希望!

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 22:00:55 ID:CHoy+k9J
>>140
家康と四天王の鎧、刀、槍、鞍、書状などに合戦図屏風多数

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 22:28:59 ID:ZyDGsP7D
家康の鞍・・・?
書状!!

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 23:11:34 ID:fjFxiaJR
>>127
大将の武芸は己の身を守るため、敵を討つのは家臣がやってくれるさ。
みたいなことを家康が言っていた気がする、嘘か誠かはしらんが。

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 23:27:36 ID:7p72Ia69
>>143
家康は剣術も馬術も鉄砲術も出来るが、全部趣味だから。
だいたい、最初から1000人くらいの部隊を指揮してるんだから、
自分で格闘している暇はないよ。大隊長が自分で小銃撃って突撃する
ようなもんだし。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 00:01:52 ID:P7+3v1gi
嫡男信康切腹の遠因となった大賀弥四郎の武田家内通や
石川数正の豊臣家鞍替えなど、結構裏切られたりもしている。



146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 00:21:21 ID:RJbCWv9X
裏切られるたびに持ち直し、実権強化と家臣団の統率に
励み、自身の鍛錬も欠かさなかったのが家康の凄いとこ。

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 00:31:10 ID:21TdRU15
>>146
運が悪いわけではないが、それ以上に逆境にたいして
非常に強いんだよな。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/16(月) 01:51:26 ID:ABw/CZ27
家康自身は立派な人間だと思うよ。
ただし家康の逸話の中には正当な評価ができないものが多いのよ。

例えば、本能寺の変の報に接した家康は、
「京に行き腹を切ろうと決意するが、本多忠勝の諌められ、三河へ戻ることに決した」
は、史実的には「家康は三河に逃げ帰った」だけのことだからね。

「○○しようと思った」けど「しなかった」ことは差し引いて考えないと。

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 07:21:04 ID:NVxn/HrZ
むしろあの状況下だと、逃げ切った事の方が凄いけどねw

京に行って腹斬ってるような人物では、どのみちその先でも生き残れん。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 11:08:04 ID:YeF68LI2
>>148
それって家康にとってふつうに不名誉なことだと思うけど、腹を切ろ 
うとしたことも信長への義理立てというより助からないと思ったから 
なのだから、本多にとってはいい逸話だが。

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 13:13:17 ID:tYhBEQ/+
家康はなんとなく不名誉な逸話が多いな
で、本多みたいに家臣に花を持たせるタイプの


152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 15:20:22 ID:4m3Jxj32
家康にも普通にイヤな逸話があるよ。

例えば
鷹狩りの時に目の前を通っていった油売りの商人に立腹し、
その場にいた家来に刀を与えて「あの者を斬れ」と命じた。
その家来は商人を4町も追いかけまわして斬り殺したという。
そして、家康はその刀を「油売り」と名づけて家来に与えその功をねぎらった。

まあ鷹狩りの時に前を通られたらムカつくのはわかるが
えらく小物じみた逸話だ。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 17:52:49 ID:/bitAcYw
誰の創作ですか。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 22:17:26 ID:UkF4CmBN
>141
全員の本物の甲冑や肖像画など
特に本多忠勝のは個人蔵だからなかなか見られない。
本に出てくる忠勝の肖像の掛け軸もあったよ。
それだけでも見る価値あり。


155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 06:27:38 ID:m0BIyLem
興味有るけど岡崎は遠いなあw

休み利用して日光の家康に会いに行きたいが、まだ行けてないw

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 07:54:03 ID:gvL7JI9d
家康て、天才的ひらめきも、独創的発想もないでしょ。
苦労人で連戦連敗で、晩年大勝した、たたきあげのおやじ。そんなもんでしょう。

孫子の兵法の教科書にしがみついてても、苦境からだっしえない。
信長との同盟をかわきりに、局面打開できたのであって、家康の才知によるものにあらず。

戦国の最終勝利者であることは、認めるが。忍耐強い読書家の合議制のリーダーてなだけだよ。
じつじょうわ。

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 12:27:37 ID:B8dTDgos
また、天才タイプと学習タイプか…・・・。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 12:32:37 ID:757FKoZP
>>157
いい加減反論するのもアホくさくなってきたな。
まぁ、大阪の陣関連で荒らしにくるアンチよかいいが。

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 12:34:00 ID:zylyZTIw
だけだよ、と言うが…
複数人の利益を尊重して一つの団体としてまとめる事がどれだけ難しいか分かるか?
しかも最終的にはトップまで上り詰める。天才的ひらめきがあったかどうかなんて
現代の俺等には分かりようが無いでしょ。何故そういう風潮が蔓延するかな?

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 12:38:40 ID:ia2YhI83
誰の目にも明らかにそう映るからでしょw

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 12:40:13 ID:zylyZTIw
>>160
そもそも天才的ひらめきって何?

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 13:00:17 ID:zxo4e18h
>>156
天才的ひらめきがないだと?
天才的なひらめき、独創的な発想、なんだそれ?それってすごいのか?

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 13:13:39 ID:ia2YhI83
>>161
おいどん天才じゃなかですから知りもはん

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 13:35:51 ID:B8dTDgos
大抵の人間は天才じゃない。
故に天才的ひらめきなど大抵の人間にはわからない。
ところが誰の目にも「天才的ひらめきが明らかに無い」ように映る。

天才的ひらめきってなんだろなwwwwwww

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 14:03:42 ID:zylyZTIw
「パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない」

↑天才的ひらめき

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 14:15:51 ID:ia2YhI83
意味的には簡単な事だよ
常人の成し得ない発想
例えば天才と言われる信長の発想
確かに普通では考え難いものが多く
行動も突飛で多くの謎を残している
対して家康の発想
彼の行動は一般的でよく考えれば難しい事ではない
俺でも簡単に理解できる
家康より奇抜な発想を持つ人間は多いだろう
しかしながら、家康の行動を他人に成し得るかと言う点を考える
まず無理である
というか他人が及ばないから家康が頂点に立てたわけである
つまり天才的なひらめきと人間の優位性は繋がらない
天才的なひらめき自体には価値はない

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 14:22:38 ID:ia2YhI83
要するにだ
家康は発想を行動に変える能力に秀でている
例え凡庸なひらめきでもそれを完全に形にする事は難しい
発想を確実に構築する発想の天才なのだよ
凡庸なひらめきを持つ天才的なひらめきをする人物なのである

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 14:53:09 ID:iTysZxdI
>>166
後10年くらいすれば、家康の凄さが解るから
それまでこのスレの事は忘れてなさい

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 14:55:48 ID:B8dTDgos
>>166
日本史上、それまで法の枠外にあった天皇を法をもって制御しようとし、

それまで実績も無く、形骸化した為、秀吉がなろうとしなかった
征夷大将軍なる職を絶対化した

はっきり言って、近代的過ぎると今の目から見たら「凡庸」かもしれんが
その当時から言えば徳川政権は世界で見ても遅れてるとは言い難く
家康とは関係ないがそれ以降の徳川統治は同時代の王朝などと比しても
先進的、合理的だよ、十分にな。
マネーサプライ調節、先物取引など、経済システムも洗練されている。
流石に幕末は遅れたのは事実だが、250年も経過すればやむを得まい。

今の目から見て凡庸(400年後の世界)であることが1600年当時にどれだけ
革新的か理解してからいえよ。

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 15:02:20 ID:AvDE3uRD
むしろ形骸化してたねは関白じゃ?
数百年も将軍による統治が続いていたのに
なんで今更平安時代の遺物である関白なんだよと言う感じだが

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 15:06:19 ID:757FKoZP
>>169
実際問題として、徳川幕府が欧米に遅れていたのは産業革命の有無
くらいなもんだろうしな。

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 15:09:34 ID:9phN2n04
>>177
でも、征夷大将軍は現代だからこそ
江戸幕府のイメージで屈強のものに感じるかもしれないが、
当時としては極めて脆弱なものでしかなかった。
なぜなら、それまでの二つの征夷大将軍政権が大コケしてたからだ。

鎌倉幕府 源氏嫡流はわずか三代で謀殺される。
足利幕府 まともな権威があったのは三代まででそれ以降は開店休業状態

当時は征夷大将軍らよる強固な政権づくりの先例がなく
不可能だと思われてたかもしれない。
その天、関白は藤原氏の栄華など成功例がある。

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 15:11:01 ID:9phN2n04
>>170
>数百年も将軍による統治が続いていたのに

その「将軍による統治」なんてものはほとんど存在しないのだが、

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 15:17:03 ID:3X7Y+1JI
秀吉は、「日本国の将軍」ごときの地位はどうでもよかったらしいです。

いずれは明を征服して,自分は中国の寧波に移住し,日本・中国・インドを
含む中華皇帝になり,後陽成天皇を北京に(中国王),
皇太子を京都に(日本王)それぞれ封じようと考えていたようです.
これは天正20年の25条の「事書」に記載されています。
(岡野友彦『源氏と日本国王』講談社現代新書2003年刊行、を参照してみて
ください)

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 15:17:04 ID:B8dTDgos
>>170
戦国時代の直前に起こった
嘉吉の乱、明応の政変などで将軍の権威は地に落ちてるよ。
それに対して戦国期でも大内、織田など官位を得ようとし、
朝廷権威自体はまだあった。
そもそも、征夷大将軍など鎌倉、室町でも「武家の棟梁」に過ぎず
官位自体は関白よりはるかに下。

後、鎌倉幕府は源氏直系は3代で後は公家からの派遣職に過ぎず
室町は義満の時以外は各地で戦乱が起き、それ以降は言うまでもなし。

両方共地に落ちてるなら、まだ関白の方が官位が上であり、
所詮幕府は臨時政府でしかないので、正統政権である関白を選択する。


176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 17:15:32 ID:m0BIyLem
将軍を閃いた頼朝は天才かもしれないね。
家康は新たに作るリスクよりも昔の伝統を補強し完成させる事を選んだ。

信長のように突っ走り過ぎれば光秀にやられ、秀吉のように独裁が強すぎれば三成が台無しにする。

現代人にも学ぶ的所は多いね。

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 17:39:28 ID:gsMoCwPA
敵を撃破するだけが才知ってか。
違うなあ。

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 17:56:56 ID:9phN2n04
>>175
そうとも言えない。
>>172で書いたとおり征夷大将軍による幕府は
過去二回とも大コケしている。
征夷大将軍による強固政権づくりに成功したのは家康が歴史上始めてだ。
それはそれでたいしたもんだ。

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 19:42:22 ID:jTNG2Lf9
>>172 >>178
大コケしたなんてどこの学者がそんなこと言ってるの?いったいどんな 
歴史観してるんだ、開店休業とか書いているが北条氏の歴史は全否定?

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 21:38:47 ID:lWrtasB6
>>179
文盲か?
何回か言及されてんだろ、鎌倉幕府自体はともかく
「征夷大将軍の権威は下がりっぱなし」と。

ここで言われてるのは征夷代将軍の役名が持つ権威
であり鎌倉幕府の政権としての能力ではない。

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 22:00:20 ID:9phN2n04
室町幕府は全くダメだった。

鎌倉幕府は肝心の源氏宗家が三代でポシャリ、あとは京都から形式的な征夷大将軍を招いて、
執権の北条氏が政権運営した。
征夷大将軍については全くのお飾りだった。
少なくとも家康の望んだ形ではない。

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 22:39:53 ID:jTNG2Lf9
>>180
だいたい将軍に権力が集中しているほうが稀なのだし、幕府が存在 
するということがそもそも将軍の権威だと思うが、ていうか権威と 
権力をはきちがえていないか。

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 22:53:46 ID:gsMoCwPA
1192創ろう。繕う。

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 23:20:11 ID:pC5I92bX
権威じゃなく権力ならいいのかね。

権威とは「他を支配し服従させる 「力」 」(大辞林)で
権力とは「他人を支配し従わせる 「力」
特に国家や政府が国民に対してもっている強制力」(大辞林)
なんだが
君の日本?語だとどういう意味か教えてほしいな。


185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 23:30:30 ID:pC5I92bX
因みにどうでもいいが

鎌倉時代の権威を現す言葉は「いざ鎌倉」であるが
鎌倉は将軍を指していて
江戸期の旗本と同じシステムと言うのかね?

すまんがどの学者がそんな事を言ってるのか教えてくれないか?

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 23:33:22 ID:zylyZTIw
>>184
その説明では少し不足じゃないか?
自発的か、なにかしらの力による強制力が背景にあるか?
と書かれているwikiの方がしっくりくる。

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 23:41:38 ID:pC5I92bX
wikiは当てにならないしな。
あくまで日本語の定義問題だし。
まずはソース付きできちんと説明して貰って、
それを鎌倉、江戸期の将軍との関係について説明まちでしょ。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 00:14:06 ID:UYhErY56
>>187
そうか?権力と権威の違い部分は間違いではないと俺は思うよ。
どちらにしても関係無いか。すまん。

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 00:35:20 ID:RcQg0ID9
権威と権力のちがいは天皇に置き換えればわかりやすいと思う。 
天皇は最高の権威ではあるが最高の権力を持っているわけでもな 
いだろ、うまく言葉では説明できないがニュアンスで理解してほ 
しい。

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 20:07:13 ID:p/ef61g2
家康の頼朝に対する個人的な思い入れも強いと思うよ。
頼朝は青年期、伊豆で罪人として監視されてたが、家康も
今川家で人質だった。自己投影することもあっただろう。
最高権力としての征夷大将軍を発明した頼朝にあやかりたいと。

信長は恐らく自分以外の人間を尊敬したことはなかった。
秀吉は出自が低かったので、華やかな関白や風流文化に憧れた。
家康は頼朝や信玄、そして信長や秀吉など優れた人間から学ぶ姿勢に長けていた。

ということだろう。

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 01:07:30 ID:D81qLc/1
でも頼朝に挨拶に来たのは秀吉だったな。
現在の神奈川県藤沢市白旗に記録が残ってる。

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 02:40:28 ID:XpQctme5
>>191
お前に出来ないことを俺はやったぜって威張ってたと聞いたが。

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 02:49:31 ID:D81qLc/1
いや、そんな大した意味じゃないんだけど、
ただわざわざ来たって事はそれはそれで興味があったんだろなと思って。

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 09:57:52 ID:yXvaSCVI
威張ってたのか。
さすがだな。

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 10:56:48 ID:0WKgd38u
「古来、天下を一代で統一し得たものはこの秀吉と頼朝のみ。
しかし、わしは卑賤の出、頼朝は武家の名家、だからわしの
方が一段上だ。」

ってなことを言うたらしいな。そこで満足しとけばよかった
ものをさらに一段上を目指そうとして明国なんぞ攻めるから。


196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 10:57:30 ID:E1qJ/6ir
人気漫画 SLAM DUNK 第二部連載開始か
[花道たちは] SLAM DUNK 第二部 #14 [3年生]
http://comic6.2ch.net/test/read.cgi/gcomic/1161175064/

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 14:27:04 ID:70XkIXiu
「功名が辻」の西田敏行はしびれる。イメージにぴったり。

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 14:47:00 ID:sX+fr6SE
同意、スゲー良い意味で腹黒さが出てる。

信雄を家臣団と嘲笑ってたとことか凄い良かったw

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 19:31:31 ID:LBMicxdx
司馬遼のつくった家康のイメージはどうも合わない気がして俺はだめだ

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 23:13:45 ID:2zdTSIZf
信雄を嘲笑う意味がわからなかったな。
演技は神だが。

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 01:38:28 ID:/AAN/khk
>>200
え?どういう意味でわからなかった?

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 12:45:54 ID:VQCus/0V
今横光の漫画を読んでるんだがここまでではないにしろ実際の家康も泰平を強く望んでたんじゃないだろうか?
野心だけであそこまで耐えることはできないと思うし

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 21:57:59 ID:U9WN3UMI
>>201
この愚人に信雄のことをあざ笑った意味おしえてくれえ。

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 21:59:42 ID:U9WN3UMI
>>202
ころっころっと洗脳されるんだな。
秀吉とか大好きやろ。

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 04:36:28 ID:aGm0x+MU
2ちゃんで関西弁を使う奴にろくなのはいない

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 20:51:34 ID:R8a3zkSB
>>197
津川雅彦よりはキャラ合ってるね

>>200
他人より優れているところを見つけて喜ぶような趣味はなかったからね

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 21:40:57 ID:XKRzYnoF
信雄は秀吉をとことん憎んでるけど、担ぎ上げて利用したって意味では、
家康も秀吉も同じ、なのに自分の事はのんきに信じてるから笑ったんじゃないのかな。
ただそれには信長と共にあった時期の感慨も混ざってるので、単なる嘲笑じゃない。
もう織田家は終わりなんだなというある意味自嘲にも似たものがあると思う。

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 21:58:58 ID:BS+hmC/E
信雄も家康を利用したんじゃないか。

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 00:38:26 ID:dGNYcFJj
単純に信雄がバカで有名だからではないのか、家中で信望などある 
わけなどないのに織田家をまとめてみせると言ったから笑った。

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 00:05:09 ID:pLO8pePi
心の中で嘲笑したとしても、他人にそれは見せない。
というのが俺の中の家康のイメージ。

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 01:08:37 ID:HRXr//DQ
>>210
同意、実際大河でも他の武将に関してはそうだし。

だからこそ意味があるんだと思う。
それまでほとんど織田の属将だった時期がこの凡愚な息子のおかげで終わろうとしている、
徳川家はこれからだという意味で、重臣らと笑ったんでは無いだろうか。

信雄の動向そのものなど既に嘲笑の対象ですらないと思う。


212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 17:59:15 ID:moBINshs
>>210
史実では「お坊ちゃまは手におえん」みたいなことを言ってなかったか?

流れをぶった切って申し訳ない。
他スレで思った事だが、徳川暗黒時代説、豊臣海外雄飛説というのは
根強いな。
家康自体は無論中世の人間であり、「日本を近代化すべし」など
意識してはいなかっただろう。(法治であるべしは分からないが、
第一は徳川政権の維持の為であるのは疑いない)

しかし、そういう奴がのたまう「近代化」なるものが近代どころか
「御恩と奉公」という1200年頃のシステムを出すのは何とかならんのか。
(石田三成の「豊臣御為」が「御恩と奉公」システムなんだから仕方ない
かもしれんが。)

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 18:23:24 ID:dQ7QKEF9
>>212
そんなに根強いか?
何度も言われていることだがまず石田が政権をまとめる所から
超えられない壁を感じるよな

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 22:09:05 ID:7XvUuSft
一部の豊臣キチガイか荒らししか言ってないような気がするが。
最近は秀吉<家康と単純に断定する風潮の方が目立つような。

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 22:47:06 ID:39QpRArA
世間一般的には、江戸時代は世界の文明の発達から取り残された暗黒時代というイメージがまだまだあると思う

2chレベルになると肯定的な見方が強くなるが

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 23:23:08 ID:HRXr//DQ
>>215
いや、世間一般は植民地にされる事への恐怖感の方が日本人の気質的に先立ってると思う。

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 00:22:43 ID:uH1UE8Ih
>>215
世界の文明じゃなくて西洋の文明だけの発達
それ以外の文明は軒並み潰されているんだよ

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 02:54:49 ID:/hCbFI0/
これと言った産業もなかった当時では、
逆にカモにされそうだけどな。
制限貿易は当時では妥当な判断だと思う。

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 12:31:55 ID:n2dN8fgo
>>214
一人もしくは多くて二人だな。
まぁ、実際問題、秀吉厨は三戦板では大坂の陣だけでもシンパが
多かったんでそれだけ言ってればよかったんだが、戦国板になって
ことごとく撃沈される格好になって、少しは勉強したんだろ。
で、司馬史観あたりから出てきた「江戸時代で発展がとまった」と
いう話を膨らませたバラ色の豊臣史観で書き込みはじめた。
もっとも、また集中砲火くらって撃沈されかけているが。

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 13:02:23 ID:ZLjSDVYn
>>215
今先進国になってんだから別にいいじゃねーかよw

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 16:13:18 ID:sf8l9prs
>>218
金銀がどんどん流出しちゃいそうだよね。
田沼期における制限貿易下でも俵物や銅を輸出品にして
金銀流出を防ごうと必死だったんだから。

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 16:27:12 ID:M/CuK9bi
自由貿易するとなると日本の大名連合的な政治形態がネックだよなあ。
薩摩藩で許可されてる品目が熊本藩では禁制品、とかいう事態になると
ややこしい。

列強だって三百諸侯と協定結んで貿易したいほどには日本に市場的魅力
感じてないだろうし。

かといって幕府がリードして日本統一の貿易基準定めるとなると諸侯や
朝廷から反発食らって革命前夜になる可能性もある。

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 19:31:19 ID:OpaVuKEh
>>216>>217>>220
>>215
豊臣が生き残るにはスレで
石田三成が勝利してたら産業革命がおきたとか
伊達政宗を奥羽征伐の段階で潰せば豊臣政権は安泰だったとは
主張して改行厨と称されウザがられた方。
 だから、どんなまともな反論しても無駄ですよ。
煽れば嬉々として反応してくれるが、まともな意見には耳も貸さず
スルーがこの方のいつもの反応です。


224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 21:15:54 ID:ZrrOZtrq
>>223
全然違う
そいつだとしても客観的な発言ぐらい認めろよ

俺のレスはこれとか
IDですぐわかるだろ
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1159761826/68

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 22:06:06 ID:HOmMH8iA
>>224
「豊臣が生き残るにはスレ」でどうしようもないのがいたからね・・・。
>>215が客観的な主張であるかはともかく、根拠や例示に乏しいと、
説得力は生まれないし主観的ととられがちになるのは仕方がないと思う。

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 23:09:47 ID:f5eURmFK
積極的に海外進出してれば
世界中に植民地ができて
今頃、日本語が世界共通語になってたかもしれない。

しかし、優秀な人材がみんな海外流出して
今のポルトガル・スペインみたく
本国は大したことのない国に成り下がってるかもしれない。

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 23:47:56 ID:Xyo57Qsv
家康って剣術とかあらゆる武勇に長けてたんだろ?

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 16:07:11 ID:mp9yldXY
鎖国しなかったらキリスト教国になってたかも。
あるいは既存の寺社勢力との宗教戦争が展開された
かもしれない。確かに西欧化が百年早まったかもしれないが
同時に日本らしさを失うのも早まったにちがいない。
19世紀後半までチョンマゲ文化が続いたことを誇りにして徳川政権に
感謝しようじゃないか。なおかつ質実剛健な武家社会の気風が
他国では真似できない迅速な近代化を準備したのだから。


229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 11:37:31 ID:8I5piEHf
山岡荘八の徳川家康を途中まで読んでいるが、
右府殿から築山、信康の仕置きを命じられる場面が
現在まで最も印象的でした。

ただ事件の経緯について小説的解釈には全く納得がいかない。
右府殿が、天下人として私情を棄てて婿殿の征伐を命じ、
三河殿が、公儀お役目として理解しつつも、親の情としては苦しんだ、
などという筋書きは一般的なものでは無いですよね?

この件についての通説的な理解はどのような筋書きですかね?

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 12:17:41 ID:C+haASkP
>>229
彼独自の解釈は毎度なので、一般の通説とか考えてる人は彼のペースだw
異本豊臣秀吉だと光秀生き延びて、秀吉の政治に何度も助言しているしw

山岡荘八の家康は、読むと解釈が一般的でない物が多くて、びっくりする
戦国の人物を歴史上の記号では無く、人間としてしっかり立っているから
史実はっきりしない部分も確定的に書いていて、信長や家康の行動も
ほかの歴史小説にありがちな結果を前提としての行動よりも、生きた人間として
行動して、偶然も絡みあい、結果的に歴史通りの動きになって行った、と、作ってある。
その辺の兼ね合いは見事だと思う。

読んでる時は違和感を感じても、しばらくたつと自然と納得していくような、じわじわした
説得力が有るね。

後、山岡荘八は戦前の教育を受けた超保守派なので、戦後の我々とはちょっと価値観が違う
ような所がある気がする。
他の作品でも、現代ではあまりTVにも載らないような本にも書かれないような天皇賛美がすごい。
読んでるうちに影響されて右よりの思想になりました。

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 14:34:14 ID:8I5piEHf
>>230
いや、山岡荘八論は同意だが
(とくに社会人になってからそう思うようになった)、
信康仕置きについてはどうなんですか?

私が知っている説だと
@信長が信忠との比較で優秀と思われた信康に危惧感を抱いた。
A忠次等の重臣と対立した・家康と対立した=お家騒動
の2つ位ですが、他にもあるんですかね?
そして学説上の通説は?

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 21:07:07 ID:F+daUB1/
>>231
現在だと、だいたいAかな。

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 01:52:44 ID:5rvcOqbq
>>230
独自解釈というと、朝日姫と秀忠の関係が印象に残ってるなぁ。
本当の母子のような感情を、お互いに抱くという。

読んで一番びっくりしたのは、秀吉が好意的に描かれてるところ。
晩年の秀吉の政治に関しては「きびしくw」見ていたと思ったけど、
人物描写は魅力的だった。
いや、読む前に、家康が美化されすぎという評を聞かされてたもんで、
家康以外を悪者にでもしてるのかという先入観がw

なんか、満遍なく皆さん美化されてるんじゃ?と何度も思った記憶がある。
というより、登場人物の良い面悪い面をきっちり描写していると言った方がいいか…。

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 02:02:33 ID:0MPWZ4T7
>>231
まだまだ分かってない部分みたいですね。
@の説は最近では支持を失っているようですし

家康が嫡男に腹切らせたのですから、江戸時代に信長のせいにした風説が作られたのかもしれないし
今川家に縁近い奥さんと息子が御家騒動の種になったのかもしれない。

松平元康が徳川家康に名前を変えたのも今川からの決別の意味合いが強いと言われているし
義元の姪である奥さんの事と確執から、信康が母のほうに流されて、抜き差しならない所に行ってしまった
のでしょう。

そう考えれば、山岡の解釈も納得行かないってほどでも無いような気がします。

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 02:13:03 ID:0MPWZ4T7
山岡の家康で、秀吉が西欧にアジア席巻される前に俺が明を取ってやる見たいな事書いてあった。
案外最近の説かと、思っていたが、戦後すぐに小説に書かれる程度には有ったのだなと驚いたな

山岡家康は終盤の、先の先の先まで読んで、泰平を築こうとした家康の行動が描かれているのが
為になるね。
本当に言ってた事なのやらわからんが、政治家のバイブルと言われてるだけある。

でも、ノベル板に山岡荘八が、政治家相手に勉強会を開いて、板の間に正座させて講義したなんて
書いてあったけど、事実だとしたら、なんかうさんくさいイメージだ。

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 09:18:08 ID:nJqWilm9
>>235
山岡さんは「戦争が終わった時死のうとした」とか「医者の言うこと
聞かずに酒を続けて死んでしまった」とか血気盛んで頑固なエピソード
があるのでそういうこともあったかもね。

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 09:56:20 ID:hfGaz195
家康不人気の一番の原因は、大阪の陣で豊臣を
滅ぼしたことだと思うけど、山岡家康では淀と秀頼を
生かそうとしていたと描かれている。
実際のところはどうだったんだろうか。家康が断固たる
処置をしたのは、石田光成等の処刑と大阪の陣だけのような
気がする。織田氏も残してるし、西軍の上杉、毛利、島津も
残している。
豊臣だから滅ぼしたというより、たてつくから滅ぼした
ということだろう。その人物を見極めてうまく処置した。確かに光成を
生かしておいたらまたなにかやらかすだろうし、淀もなにかしそう。


238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 10:15:39 ID:k6qr7omd
>>237
大久保長安の処理、大久保忠隣の処分などあの時期は幕府内外の締め付けが厳しくなっていった。
豊臣もその流れに乗らなかったから潰された。

軍を起こす前なら秀頼も淀殿も助かった可能性は高いが、一度幕府に盾突いた以上は殺しただろう。
公儀への謀反だからな。

石田三成は仏門に入って息子が助かったが、豊臣秀頼は息子まで殺されてる。
秀頼の方が厳しい処分を受けてるんだ。

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 11:12:29 ID:8iEl2dT2
>>237
 類推にすぎんのだが、旧主であり大坂を主城とする60万石の大名としては「絶対に」残せなかったと思う。

 ただ、諸大名と高台院の手前、徳川家の威令の前に粛々と従っていれば残ったと思う。
 最終的には今川家や吉良家と同じように「高家」として、「位階は高くそれなりに尊崇は受けるが、実力は無い」みたいな。

>>238
>豊臣秀頼は息子まで殺されてる。
 千姫の子だったら殺されはしなかったかも……
 というのは、あくまで世間的には「秀頼の嫡男」という人物はいなかった。
 ものすごく矛盾をはらんだ行動なのだが、淀をはじめとする「大坂の女達」は家康を嫌い、その孫娘である千姫を嫌い、秀頼と夫婦である事を認めようとしなかったが、家康を敵に回すのが怖かった。
 でも一方、豊臣家を存続させるために子供は作らなきゃいけなかった。
 でも、家康を怒らせるのが怖かったため、表立って側室を作り、それに子供を生ませる事が出来なかった。

 だから、表向きには全く存在しない子供が出来た。

 勿論、家康はこのことを良く知っていただろうし、事情も飲み込んでいただろうし、もしかするときちんと幕府に報告されていれば、案外フェアなところのある家康はそのこの存在を認めたかもしれない。
 でも、他の大名達の手前、例え仏門に入ったとしても、そんな子供のことを認めるわけにもいかなかったんだと思う。

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 11:16:29 ID:UQREA1fD
>類推にすぎんのだが、旧主であり大坂を主城とする60万石の大名としては「絶対に」残せなかったと思う。

理由書けばおもしろくなるんじゃないか。

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 11:19:15 ID:k6qr7omd
>>239
娘は千姫の養女として助けてるがね。
東慶寺20世住職の天秀尼が秀頼の娘。

謀反人の息子、しかも武家は許さないというのは『吾妻鏡』を愛読し、
頼朝を尊敬していた家康にとっては当然の処置だったと思う。

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 11:23:33 ID:k6qr7omd
>>240
織田信雄が旧領から移されたのと同じ。
もし安土城が残っており、そこにしがみついていれば信雄も殺されてただろうな。
旧主の身内を旧主の権威がある城にそのまま入れて大大名として残しておくのは危険すぎる。

243 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/04(土) 11:38:20 ID:91b2FKd0
>>家康の天下取りは我々現代人に多くのことを教えてくれる。 幼少期の人質時代の屈辱。信長との同盟を守りきった律儀さ。武田信玄との対戦。小牧・長久手での熟練した軍略。 豊臣政権下での着実な勢力伸張。

律儀がどうして豊臣に謀反を犯す。単に信長を恐れてへつらっていたという解釈だってできる。
それ以外道はなかった。家康を良く見たいのは分かったが唯それだけ。

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 11:39:19 ID:pDS8w51d
豊臣が大坂城にしがみついたおかげで家康は豊臣を潰すことに踏み切れたし、
その後の日本にとっては良かったんじゃないか?

245 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/04(土) 11:47:39 ID:91b2FKd0
何をもって良かったのか?
良かったのは関東の土着民だけ。地方からくるものは
どちらだって変わらない。

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 11:56:20 ID:k6qr7omd
>>245
関東や北海道が発展したのは幕府が江戸にあったからというのも要因の一つ。
まあ、これは豊臣家を潰したこととはあまり関係ないがね。

安定政権を構築するためには豊臣家の完全な臣従、一大名家としての位置づけが不可欠だったから、
豊臣家の屈服は避けられないな。

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 12:09:06 ID:Ad4RTPaV
>>243
主観を一切排除すれば、家康は豊臣への反逆者を討つという名目で機内を離れた
その隙に暗殺の窮地から助けてやった元奉行がクーデターを起こした
さらに留守を預かる大老や奉行までクーデターに加担してしまい
豊臣家本体も我関せずという冷淡な態度を取る
つまり大義名分上は家康の方が裏切られている(その裏切りを予見していたかどうかはまた別問題)
もうこんな体制下ではやっていけないと鎮圧後に独立することは当然の選択肢となる

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 12:15:06 ID:aduo6usq
関ヶ原後の豊臣家は、統治能力を失った前政権の残りかすみたいなものだしね。
幕府が開設して新たな武家政権が成立した以上臣従するのは大名として当然。

関ヶ原から幕府開設までの家康は豊臣家を相手取って争っているわけではないから
謀反には当たらないし、幕府開設後の家康は既に豊臣家との主従関係から
離れているので、むしろ大坂の陣は豊臣家の公儀に対する謀反であるとさえいえる。

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 13:09:13 ID:Qw0IADCf
そもそもあんな広大な関東平野に家康がでるまで都市を作らなかったのが不思議

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 13:16:02 ID:9eKcZ0hY
良い国作ろう鎌倉幕府。

251 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/04(土) 13:35:56 ID:91b2FKd0
でも家康が法度を破り政略結婚など推し進めた結果
起こったものがもとものと原因。

称号:マッチポンプ家康 を与えよう!

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 13:57:17 ID:k6qr7omd
>>251
元々の原因は秀吉が折角作り上げた政権を自分でガタガタにしたことだ。
自業自得の豊臣家と言うべきだろうな。

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 14:02:10 ID:XvTk6yxN
>>246
関東はともかく北海道は江戸次代は発展してないと思うが。

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 14:08:17 ID:k6qr7omd
>>253
江戸期の蝦夷地調査がその後の発展に繋がってる。
政権が上方にあったら幕府が調査に力を入れることもなかっただろう。
幕府による蝦夷地経営も江戸期に始まってる。
函館の発展なども幕府による蝦夷地経営の影響が大きい。

維新の際の江戸遷都論にも、蝦夷地の領土化と開拓のためという理由が挙げられてるしね。

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 14:09:02 ID:XvTk6yxN
>>239
>でも、家康を怒らせるのが怖かったため、表立って側室を作り、それに子供を生ませる事が出来なかった。
>だから、表向きには全く存在しない子供が出来た。

考えすぎだろう。
単に秀頼が女中の一人に手をつけて産ませただけ。

>>241
単に男系主義にこだわっただけだと思うが。
それと千秀尼には江戸城かせにけだした女子を匿い
幕府からの引渡し要請を拒絶しあきらめさせ、
「流石は太閤の孫」と驚かせた逸話がある。

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 14:12:02 ID:k6qr7omd
>>253
函館市史が参考になると思われる。
ttp://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/hakodateshishi/shishi_mokuji/tsuusetsu01-03_mokuji.htm

>>255
三成の息子は助けているので単純な男系主義とも思えない。
まあこの辺りに確証があるわけじゃないが。

千姫にもかわいがられていたようだね。
加藤明成とのトラブルの対応を見ても、幕府の覚えは悪くなかったと思われる。

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 14:16:03 ID:XvTk6yxN
>>254
確かにはそれはあるけどさ。
基本的には松前藩のわずかの和人がアイヌをこき使って統治してただけ。
それに江戸中期以降の北海道開発の意志もロシアに対抗してのものだしね。
首都が上方にあっても結局は北海道は開発されると思うよ。

あと、仮に貴方の理論を認めるとしても
家康は北海道まではどうこう考えてはいなかったろう。
別に先見の明があったわけではない。

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 14:19:24 ID:XvTk6yxN
>>255
石田と豊臣じゃ男系の重みが違いすぎるだろう。

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 14:19:28 ID:k6qr7omd
>>257
いや、先見の明があったなんて一言も言ってないんだがね。
言ってもいないことを否定されても困惑するばかりなんだが。

で、>>253については>>254>>256で納得してくれたかね?

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 14:20:18 ID:k6qr7omd
>>258
だから単なる男系主義以外の要素がそこに含まれているだろう。
男系主義だけなら同様に殺してるはずだからな。

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 15:42:56 ID:XvTk6yxN
>>253に関しては完璧になっとくはしてない。
上方に都があっても開発はされてたろうし、
松前が元々蝦夷を領有している。

>>260
いやあ。納得しないなあ。
石田三成なんて男系が残ろうとどうでもいいが、
豊臣は徹底的に直径子孫が残らぬように殲滅すべきだった。
これは男系主義だと思うが。


262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 15:49:09 ID:Qw0IADCf
家康のおかげで東京が誕生したんだからいいじゃねーか
東京がない生活なんてお前ら考えられるか?

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 16:00:11 ID:k6qr7omd
>>261
松前の開発では函館は開港されてない。
幕府が北方に注目したのはロシア船以前だ。
もう少し調べるといい。

純粋な男系主義であれば、男系と言うだけで全て殺すはず。
それが男系主義だ。

同じ男子でも殺すか殺さないかで差を付けるのは政治的な判断であって、
男系主義というイデオロギーではない。

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 18:46:48 ID:XvTk6yxN
正直、家康にとっては三成なんて恨みもないし、
子孫が残っても痛くも痒くもないわけで、
どうでもよかったと思うが。
それに対して豊臣家は絶対に秀吉の男系子孫を残すわけにはいかなかった。

あと、幕府が北海道に注目しなくても誰かがいずれは注目したろう。
北海道開発の功績を家康あってのものにするのはウーンだなあ。

なんだか、この点については平行線のままで終わりそうだ。
まあ、それもヨシだと思うが。
例えば家康が豊臣を存続させるつもりだったかそうでないかは
人によって全然意見が分かれてるし絶対的正解はないだろう。
家康の心の中の問題だしな。

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 19:29:15 ID:LugKYyXn
蝦夷地に世界最大の大金鉱でも発見されれば
熱心に開発に向うんでは・・?

266 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/04(土) 20:34:36 ID:91b2FKd0
>>262
東京がない生活って大阪が東京と同じになっているから大丈夫じゃないの?

267 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/04(土) 20:37:55 ID:91b2FKd0
東京という名前も余り気に入らない。
なんか中国のモノマネみたいな感じで
中国人からしたら日本は中国を憧れ敬って
崇拝するべき国とみなされちゃう。


268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 20:48:07 ID:za/Z5bQg
>>266
その場合、東京が今の大阪のように発展してるとは限らないわけだが。

>>267
漢字を全廃しろと言い出すんじゃないだろうなw
それから京都も中国のマネだぞ。
元号もそうだし、中国の影響がある要素を全廃しろとでもいうのかね。
キチガイだな、君は。

269 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/04(土) 20:49:36 ID:91b2FKd0
馬〜鹿
気に入らないが何故全廃にいくんだ
お前が先走りすぎなんだよ

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 20:52:09 ID:za/Z5bQg
>>269
いや、キチガイに馬鹿と言われても別に平気だが。
中国のマネだから東京が気に入らないというのは立派なキチガイだからな。

271 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/04(土) 20:56:12 ID:91b2FKd0
そうは思わないけどね。
気に入らないのが基地外ってまた先走り?
独りよがりだね君、まぁ冷静にいこうや。

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 20:57:00 ID:Dixwr+c+
>>270
つか、 ID:91b2FKd0はただのアンチだろ。
低脳だからまともな家康批判ができないだけで。

相手にしても仕方がないから放置するのが吉。

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 20:58:03 ID:aduo6usq
>>270
「関東の土着民」とか平気で書き込む奴だからスルーが吉
東京の名前が気に入らないんじゃなくて東京(江戸)が
日本の中心地である(あった)ことが気に入らないんだろ

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 20:58:11 ID:za/Z5bQg
>>271
そりゃキチガイは自覚症状がないからな。

>>272
OK、以降はスルーするよ。

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 20:59:06 ID:za/Z5bQg
>>273
アドバイスサンクス。

276 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/04(土) 21:00:51 ID:91b2FKd0


気にさわったならスマンと申しておこう。



277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 21:15:23 ID:EZ0NNnUf
徳川家康や徳川幕府が東京と名付けたならいざしらず
東京と命名したのは明治新政府だろうが。
江戸幕府が別名のように当時は江戸だ。
しかも東の京だから東京で中国は全く関係ない。

真性か?

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 21:22:49 ID:CJKEx7mc
江戸という一大消費地を作ったのは徳川の功績だが、
明治維新の時に大阪を首都にするという案があり、
それが通っていれば、関東地方がどうなっていたかわからない。

いまの東京の下地は作ったが、そこまでだな

279 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/04(土) 21:31:50 ID:91b2FKd0
>>277
確かにスレ違いだったのでもう言わないけど

話の続きだから付け加えると
その東の京がなんだけど、中国には北京、南京があるから
もちろん京都の京もあるが地方都市だから、東京は日本の玄関・顔だから


280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 21:50:11 ID:CJKEx7mc
>>279
ごめん、主旨がよくわからないんだが・・・

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 21:54:09 ID:Dixwr+c+
>>278
大阪遷都論はあっという間に潰れたよ。
なにせ官庁を置く施設がない上に新規に作る金もなかったから。

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 00:04:11 ID:GlJTJJiy
>>279
「東京」ってさ、正式名称「東京都」なんよ。わかる? 
「東の都」「東の大都市」じゃなくて正に「東の京都」って
意味で名づけられたわけ。

君の意見は子供のわがままレベルだし意味わかんない発言が多すぎ。

283 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/05(日) 00:44:27 ID:BmPqPMVd
不毛な意見の応酬は終わってくださいww

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 00:56:47 ID:kkWcAUa6
ttp://www.mainichi.co.jp/hanbai/nie/try/hero_ieyasu.htm

ここの“筋金入りの節倹家”のところに、「たんはん」という
御側衆とのコントみたいなやり取りが出てるけど、ほんとに
こんな事やってたのかねw
こと戦のことになると、シャレがきかないような気もするけど。

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 05:30:09 ID:2aSLNYvf
>>284
面白く読めた、家康逸話満載ですな
やはり家康は派手さよりも、道義の人ですな。
自家の事だけを考える他の大名に聴かせてやりたいよw

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 10:51:57 ID:/B2rlA16
>>243
律儀だと思うけどね。あの時代、家康が武田や北条と手を組めば
信長は孤立して滅ぼされるのも時間の問題だったと思うよ。
当時信長はまだ弱小で武田は強大だった。信長を恐れていたというより
今川家でのパワハラが相当なものだったから、義元を討って自立させて
くれた信長に相当感銘をうけたんじゃないかな。幼少期に一緒に遊んだ
竹馬の友としての記憶もあるだろうが。でないと普通だったら武田につくよ。
だから信長の勇躍も清洲同盟抜きには考えられない。

287 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/05(日) 12:23:15 ID:BmPqPMVd
>>286
独立したのが律義者なのでしょうか?

同盟している今川を背いた+弱小国が
武田とどうやって同盟を組めるのでしょうか?

どちらにも利益があるから同盟したのであって
結果的にもどちらにも良かったと考えられます。
徳川の隆盛も同盟なしには考えられないしね。


288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 13:18:41 ID:UPmiNqkW
>義元を討って自立させてくれた信長
どんな発想だそれは

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 13:32:00 ID:OwQOioxL
>>287
当時の義理は一代限りというのも多いからなあ。
忠臣は二君に仕えずとか(元々の意味ね)

今川、織田、豊臣とそれらに関する態度は一貫してると思うが。
忠誠を誓った相手が死ぬまでは律儀そのものに徹してる。

ついでに、今川-松平に関しては従属関係でかなり待遇が悪かったというのも挙げておこう。

氏真、信長の子供達に対する対応もべつに酷いものではない。
秀頼に関しては上で論議されていたとおり。

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 14:02:09 ID:UiSMY19L
>>289
家康が同盟関係を破棄したといえるのは、今川からの独立、
北条との同盟を破棄して小田原攻めに加わったこと、あとは
豊臣家を滅ぼしたことの3つだな。
後は、基本的に律儀に同盟を守っている。

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 14:05:18 ID:OwQOioxL
>>290
北条への同盟破棄は、その前に散々豊臣-北条間について斡旋したり
忠告したにもかかわらず、北条側が豊臣の調停案を蹴ったのが原因だと思うが。

豊臣家を滅ぼしたのは、幕府の主催者としての立場だから。
既に同盟という関係は変質してた。

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 14:13:21 ID:UPmiNqkW
独立して自分の政権を志向してる時点で律儀も何もあった物じゃない
その基準だと、例えば秀吉などはどうなるのか聞きたい
家康どころでは無い律義者となると思うが

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 14:16:38 ID:UiSMY19L
>>291
つうか、3回しかなかったといった方がいいんだが。
しかもどれも同盟が壊れて当たり前という状況だし。

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 14:17:43 ID:OwQOioxL
>>292
どこが家康どころではない律儀者なのか聞いてみたいんだが。
秀吉は明確な家臣だった時期が長いから、同盟関係のケースは少ないと思うが。
その中でも勝家、信孝、信雄と清洲会議での決定やその後の盟約破りを頻発してるぞ。

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 14:19:34 ID:OwQOioxL
>>293
それについては異論はないよ。
当時の評判を見ても家康の外交面での評価は上等な部類だしね。

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 14:19:42 ID:UiSMY19L
>>292
最下層から引き上げてくれた信長の子や孫から財産略奪しまくったり、
ぶち殺したり、それに反対した織田家の同僚を殺しまくるようなやつが
律儀なわけねーだろw

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 14:23:55 ID:OwQOioxL
ついでに言えば、家康の評判は豊臣政権の下で、
潰されそうになった大名をいくつも助けたことにもある。

伊達、最上、蒲生、浅野、小早川なんかの窮地を救ってるしな。
こういうところが律儀と評価された所以だろう。

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 14:29:58 ID:UPmiNqkW
>>296
信長が死んだら問題無いんじゃないの?
この律義者論においては

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 14:32:02 ID:OwQOioxL
>>298
おいおい、都合の悪いレスはスルーかよ。
>>294に答えてくれよ。

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 14:34:09 ID:OwQOioxL
つか、この ID:UPmiNqkWは昨日のID:91b2FKd0じゃないかと思えてきた。

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 15:00:55 ID:UPmiNqkW
>>299
三法師(織田家)からの独立、という一回にならないのは不思議だが
大体家康=律儀という意見一つとっても
織田への忠誠に基づいて行動したかというような点では分裂しそうだがな

家康の良さは、自立を志して行動したから格好いいんだと思うが

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 15:02:55 ID:UiSMY19L
>>298
秀吉は織田家の同盟者じゃなくって、家 臣 だが?
信孝は秀吉の同盟者じゃなくって、主 筋 だが?
勝家は秀吉の同盟者じゃなくって、同 僚 だが?

家臣による露骨なお家乗っ取り劇と大名同士の同盟関係や
外様大名による政権交代を一緒にするな。

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 15:03:36 ID:OwQOioxL
>>301
別に格好良さを語ってるわけじゃないからな。
それに、織田家からの独立も何も、盟約や同盟を破ったかどうかだろうに。
独立した勢力との約を破っても律儀なのか? お前の判断では。


304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 15:09:24 ID:UPmiNqkW
>>302
その二つを一緒にするなと言われたら、確かに話にならんな
問題にしているのは、そんな形而上の話じゃないんだが

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 15:10:56 ID:OwQOioxL
それからもう一つ、秀吉は重大な命令違反やってるぞ。
対上杉戦を控えての北国方面からの無断退陣な。
この一つ取っても秀吉の方が「家康どころではない律儀者」なんて言えないと思うが。

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 15:30:31 ID:a/xdTaVA
ID:UPmiNqkWは単なるアンチでしょ。
具体的に筑前の方が律儀な理由挙げてないんだから。
内心なんてわからないから具体的な行動見て判断するしかないのにそれも出さない。

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 15:30:45 ID:qglE5lNJ
>>289
氏真に対しては、徳川家に臣従してからも、会う機会があれば
ていねいに挨拶してた、なんて話もあったなぁ。

ttp://www.rakudo.jp/12_tokugawa.html

「披沙揀金」って本、誰か読んだ人いないだろうか?
買おうと思ったけど(ちょっと高くて二の足踏んでるという理由もあるがw)、
どういう本なのか、ちょっとぐぐっただけでは良く分からなくて躊躇してる。

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 15:35:25 ID:a/xdTaVA
>>307
内容は知らないけど検索したら版元が9月に倒産したらしいよ。
欲しいなら早めに買わないと手に入らなくなる可能性が高いと思う。
まあ、図書館に入れてもらうという手はあるんだけどね。
なんにしても早めに動いた方が良いと思う。

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 15:52:59 ID:oakqocoE
秀吉の「唐入り」に家康は批判的だったから参加しなかった、ってのはよく聞くが
あれは秀吉が参加させなかったんじゃないかな
家康が参加するならばポストは現地軍総司令官あたりだろう
功績が大きくなりすぎる(秀吉は成功を信じて疑わなかった)のを危惧したのではないか
家康がどんな理屈を言おうと専制君主である秀吉の命令には背けないだろうし
結果そのポストが決まっていないのが失敗の原因の一つになった
秀吉が渡航しようとしたら家康と利家が反対したし、自身の健康面の不安もあった
秀長が生きていたらそのポストに相応しかったんだがすでにこの世にいない
現地にいた小早川隆景は相応しいと思うが参加する一武将扱いだったし

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 16:03:03 ID:a/xdTaVA
>>309
自分も秀吉が参加させなかったんだと思うよ。
徳川をこれ以上大きくするのは危険すぎるからね。
結果としてそれが良い方に向いたんだけど。

でも本人も乗り気じゃなかったというのも本当だと思う。
功績を立てると危険視されるし失敗すると処分される。
どっちに転んでもメリットはないでしょ。

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 16:47:48 ID:6kbm0vdq
>>302
今川は同盟者でなく主筋だが。さらにいえば、家康個人は義元からものすごく厚遇されている。
織田は対等な関係ではなく、最初から上下関係があった。時間の経過とともに従属に変わったが。
豊臣は完全に従属している。

徳川のおかげで織田が躍進できたとか秀吉は家康に勝てずに実質同盟みたいなものだったとか、
徳川家康マンセー史観オツとしかいいようがないな。

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 16:50:53 ID:PheSVHFw
11月5日(日) 21:00〜23:24 テレ朝系
日曜洋画劇場特別企画
「信長の棺〜本能寺炎上後、消えた信長の死体!?光秀、秀吉、家康…真の暗殺者は!?
空前のスケールで描く大ヒット歴史ミステリー、初の映像化!!」

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 16:56:08 ID:a/xdTaVA
>>311
今川から独立当初の家康に独裁権なんて無いでしょ。
今川の松平家中の扱いが悪かったから独立という声が強くなっても仕方がない。

徳川アンチ乙!

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 17:03:41 ID:dy+lHJdg
つか、家康が当時の諸大名に頼りになる、信頼できると評価されてたのは事実だからねえ。
その評判に信長との長年にわたる同盟関係を守ってきたというのがあるのは確かだろう。
で、今川から独立したとか信長死後に独立したとか豊臣から独立して幕府を開いたのが
悪評になってるかと言えば当時そういう声は殆ど無いんだよね。

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 17:18:34 ID:2P7N4wqj
個人的な感情だけで動いてたらすぐ滅びるだろ、あの時代。

316 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/05(日) 17:26:02 ID:BmPqPMVd
>>286
今川主家から独立しまだ当時弱小国で、武田から見ると同盟相手から離反した
裏切りものあったはずの家康が 武田や北条とどうやって同盟を組めるのでしょうか?

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 17:30:29 ID:2P7N4wqj
>>316
おいおい、史実としてその後武田と約束結んで旧今川領を分割してるんだが。
武田が南進する気になれば即時同盟したっておかしくないぞ。
裏切り者だなんて武田や北条との同盟にはなんの意味もないね。
武田や北条だってお互い裏切り合い、その後も同盟結び合ってるじゃないか。
最低の歴史知識もないのか?

318 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/05(日) 18:00:04 ID:BmPqPMVd
>>317
密約は領地の取り分を話し合ったのであって
友好関係なんてない。
それに武田が密約を破ってくる気配を感じ家康は
氏真側に有利な条件を示し和議を結んだ。
同盟できる状態ではないことは明らかなはずだが、
しかも武田の同盟破棄は1568年のことだ。

聞いているのは1560年以降織田と同盟組まず
どうやって武田と結べるんだってこと。
揚げ足取りに来てそれも意味不明な理屈とは。


319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 18:03:45 ID:2P7N4wqj
>>318
別に同盟に友好関係なんて必要ないだろうが。
武田の同盟に友好関係なんかあるかよ。
今川はどうなった? 北条は?
利害関係が一致すれば同盟は結べるんだよ。
一致しなくなれば破棄されるがな。
武田が南進するなら松平と同盟結ぶのにおかしい事なんて無いだろ。
史実でもそうだったんだ。

意味不明なのはお前が馬鹿な思いこみをしてるからだ。
武田の外交関係を少しは見直せ。

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 18:06:44 ID:2P7N4wqj
言っておくが俺は武田と結ぶべきだったなんて思ってないぞ。
思考実験としてあり得る選択肢だったといってるんだ。
遠交近攻は当時の外交の基本。
今川と戦うなら武田と、武田と戦うなら上杉や北条と、
徳川だってそういう外交関係でやっていったんだ。
信長が破格で信長と家康の同盟関係が異例なんだよ。

321 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/05(日) 18:08:26 ID:BmPqPMVd
お子茶間みたいだね、相手する方が馬鹿だった。

掛川城を手に入れた家康は、この後およそ22年の間遠江を統治する。
また、これ以降徳川・武田の抗争が表面化する。この地での両軍の戦いは、
1581年の高天神城落城までの13年に渡り続く。

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 18:10:34 ID:2P7N4wqj
>>321
馬鹿はお前だろ。
壊れたレコードのように同じ質問を繰り返したあげく反論できなくなると人格攻撃で勝利宣言なんて、
厨の行動のフルコースじゃないかw
低脳は回線切って入門書でも読んでろ。

323 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/05(日) 18:14:55 ID:BmPqPMVd
君面白いねぇ。
全部論破されっやったのでもう白旗です。
ありがとう!

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 18:18:18 ID:2P7N4wqj
>>323

>お子茶間
>全部論破されっやった

もう少し落ち着けよ。
ただでさえ頭が悪いんだから。
焦ってどうする。

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 18:20:57 ID:NeFQcv4Y
律儀者だね。
信長が死ぬまで同盟にあったんだから。
清洲同盟なくして織田、徳川の飛躍なしと思うよ。

326 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/05(日) 18:23:22 ID:BmPqPMVd
はい、落ち着けるよう努力します。
すみません落ち着きがなくお子茶間などと言葉に逃げちゃいました。

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 18:25:04 ID:C6wEoeZl
基本的に初期資産というか、国人レベルから一〜二カ国を領有する位まで成長するのがつらいからね。
ある意味一般的に厳しい時期を乗り越えられたのは清洲同盟のお陰だろうね。

もっとも、信長や家康の場合は国主から大名、大大名になってからもつらいんだけど。
これは両者の置かれた立場が戦国時代にあっても特異、時代の中心部だったからだと思う。

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 18:26:00 ID:C6wEoeZl
>>326
いい加減にしようや。
単なる荒らしでなければ。

329 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/05(日) 18:31:31 ID:BmPqPMVd
>>328
了解。
僕も同意見です。お互いの利益が合致して織田徳川の同盟は出来た。
結果的にも両者の隆盛に大きな貢献を果たすこととなったと思う。


330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 20:58:43 ID:U+0AcBMD
秀吉はアレだが家康は律儀な人物だえ。

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 21:09:27 ID:iz6RdaLZ
というか家康は他人(人間)に対する恐れと敬意を死ぬまで持ち続けたという感じ。
祖父、父が殺され、自分が僅かな銭で売り飛ばされ、
譜代の家臣に一向一揆で背かれ、息子と嫁を殺したという経験が、
部下や同僚には信頼感を与えるように接し、同盟者には律儀であるようにさせたと思う。

秀吉は晩年は他人に対する恐れとか敬意を放り捨てたというかたがが外れた観がある。

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 21:21:23 ID:Wft2xgsS
 家康が三方が原直前に武田と結ぶという線はありえないと思う。

 家康が独立したての頃、武田信玄と同盟し今川領を分割しているが、その時に小勢で前線視察をしていた家康が武田家の宿将である山県昌景に襲われたということがあった。
 その後同盟中の出来事でもあり、家康は信玄に抗議をしたが受け付けてもらえなかった。
 以上のことから家康は武田のことを信用していなかった。
 で、家康の場合、目先の利益を優先させるということはあまり無く、家臣たちから「武田に降ろう」と言い出さない限りは、一度信用を裏切った武田と同盟を組むようなことは考えないと思う。

 しかし、それだけの目に合わされ、三方が原でも散々な目に合わされていながら、家康は信玄を尊敬し、また昌景を称えている。
 現実の政治状況と人の能力、好悪の情といったものを割り切って、尊敬すべきものは素直に取り入れたのは、すごいと思う。

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 21:42:28 ID:S3UY0FIR
酒井忠次は徳川四天王に入れる程の器か?

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 22:00:19 ID:MFRR0W8E
家康は長生きしたから天下人になれただけ
それ以上でもそれ以下でもない
あえて言えば、健康に人一倍気を遣った家康の勝利

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 22:14:23 ID:W+kHHWMU
関ケ原の戦い時に家康は59歳。天下人豊臣家の内訌を利し、謀略をもって決す。
厳島の戦い時に毛利元就58歳。中国の雄大内家の内訌を利し、謀略をもって決す。
毛利元就も長生きだけの人かね?

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 22:22:52 ID:60b74myQ
>>333
本人の器はおいといても、家康の義理の叔父で松平家最有力の家臣だからな。
それだけで軽く扱える存在ではあるまい。
それに実際に活躍してたんだから文句の付け所がないだろう。

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 23:10:42 ID:GADVJtZ4
>>334
長生きしたから天下が取れるなら天海か真田信之が天下を取ってるような気がするぞ。

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 00:30:26 ID:rGmGL9aW
逆に太閤は若くしてボケて終了

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 02:16:46 ID:F894Bl4L
>>337
宇喜多秀家もね

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 22:25:10 ID:sgHzZG3c
豊臣秀長が長生きしたら秀吉没後徳川征伐を行ったかな?
秀長VS家康ならどっちが勝っただろう

341 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/06(月) 22:44:21 ID:fjk/0otY
>>340
家康は利口だから負け戦を進んでしないはずなので
そんな戦いは有り得ないと思うが

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 22:49:34 ID:lLX5lurP
>>340
コピペか?

343 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/07(火) 18:41:49 ID:InF6x3Cc

家康はたいそうな律義者であった、間違いない。


344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 00:49:43 ID:eJOmTRvP
律儀というより、そうしなければ生きていけなかっただけ。

他力本願ともいえる。

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 01:39:00 ID:G+aIDTCo
そんなことを言ったら、
戦国時代、自力で生きていけた人なんて五人も居ませんが

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 05:17:21 ID:qF6usM1i
むしろ信長なんか足利義昭を利用して捨ててるぞ。
他力本願の上に律儀でもない。

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 13:29:39 ID:/NJZCIbJ
>>346>>346

これはひどいw

力も金も兵量も土地もなにもない男を将軍にしてやって贅沢三昧させてでかい屋敷作ってもらったのに?w
それなのに幕府開かせないから信長最悪とかなんとか言って各地の大名に手紙だして信長やっちまえってして
信長包囲網やったのにか?それを信長蹴散らしたけどそれでも我慢して将軍のままにしてやってたのに
またいらんことするからついに我慢の限界がきて将軍からおろして追放したんだろ

力も金もなにもない飾り物将軍のくせに図々しいにも程がある

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 13:48:29 ID:xI5lfr7Y
逆だな。
足利義昭の協力がなければ信長は近畿であんなに早く版図を広げることは不可能だった

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 14:42:56 ID:+e62geKV
義昭にそれなりの器量が有れば、それを立てる信長は自然と従わざるえない
上洛した信長の戦略には室町幕府の再興もあり得ると思う。
器があればの話だが

義昭の、将軍の力で近畿統一できるくらいなら、戦乱になってないよ。
義昭が初めに頼った朝倉が、義昭の協力が有れば近畿版図広げれると思うか?

信長が準備を整えていて、そのきっかけとしての義昭のほうが妥当でしょ

350 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/08(水) 15:05:04 ID:CxAe4m3N
348の負けだなw


351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 15:35:05 ID:xI5lfr7Y
義昭の協力がなければ畿内近畿の豪族と戦うしかない
室町幕府の再興は最初から信長の構想に無い
論破完了

350はバカだなw

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 16:33:32 ID:/tOS8UyC
スレ違いの口喧嘩をしているのは、誰と誰だ?

先生もクラスのみんなも目を瞑ってるから手を挙げなさい。



353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 16:43:21 ID:f1VMCw6F
>>347
それが成り立つなら家康の豊臣家潰しも同じようなものだろう。

力量がないものが政権を維持するなど笑止。
なにより豊臣家自体がそうやって信長の息子を殺し、孫をかついで作ったもの。
幕府を開いた上で生き残る道まで示したのに逆らったのは豊臣家の方。
時勢を見る目も決戦して勝つ力量もない一大名の癖に図々しいにも程がある。

こういうことになるな。

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 16:48:15 ID:KRwyW7bM
近衛の養子になったよ関白になったよ
近衛もういらんから追放じゃ

355 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/08(水) 20:42:52 ID:CxAe4m3N


家康はたいそうな律義者であった、間違いない。




356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 20:55:51 ID:f0ere92D
それが本心からか、打算の上かはともかく、
律儀者であることには間違いないな

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 21:08:18 ID:99caVJ9D
いかにも。

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 21:45:53 ID:UpKlJRhh
打算で律義者になれるんだったら、みんな律義者になってる

359 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/08(水) 21:53:17 ID:CxAe4m3N
ただの律義者では戦国の世は生き残れないと思う


360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 22:12:43 ID:99caVJ9D
律儀を装っていれば安全だよね。

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 22:23:15 ID:f0ere92D
>>358
打算だけでは律儀者になれない人が多いよ

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 14:37:04 ID:AB2ciSs/
徳川家存続のための計算の上に成り立った律儀でも、それだけに
命がけだからな。単なる性格的な律儀者よかはるかに迫力がある。
なんていうか、たとえるなら、そこら辺にいる美人と女優の美しさ
の差みたいなもんかね。美人でいることを仕事にしている人間と、
そうでない人間じゃあ、やっぱかなり違うもんな。

363 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/09(木) 15:09:31 ID:FerFo7oO
律儀のプロ家康はたいそうな律義者であった、つーこと?

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 15:18:48 ID:c49Ow4ja
律儀であるべき時は徹底的に律儀に、
冷酷であるべき時には徹底定期冷酷に。

そういう深みがない武将に天下は取れないってことだろ。
律儀なだけの名将なら立花宗茂とか何人もいる。
謀略家だって宇喜多直家など何人もいる。

そいつらとは器が違うってことだろう。
連中に天下は取れないし、安定政権も作れない。

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 15:34:23 ID:/JkL2BJD
付く相手、律儀であるべき時をちゃんと判断できるのが家康。
凡百の打算だけの大名なら三方原で信玄について全てを失ってる。
逆に律儀なだけなら信長没後に即中央政局に口を挟んで甲信を押さえられなかったり、
秀吉と対決せずにいたりして豊臣政権下の一大名で終わってる。

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 16:04:25 ID:krhB9Ypx
>>365
信玄につかなかったのは単に律儀ではないと思うが。
当時、信玄は遠江、三河を分断、山家三方衆を調略し、三河を
攻略していた訳だが、奥三河迄含めて武田は120万石
対する信長は200万石を越えている。
武田が仮に三河を蹂躙したとしても、織田との挟撃が可能であり
将来的な勝算の上で、武田に降っていないと思われる。

基本的に家康は戦国大名であり、更には無能ではない以上
パワーポリティクスに忠実であり、戦略上の判断として同盟を維持している。
結果として織田が武田に勝利し、家康は「結果として」律儀であった
ことになったと思っている。
そうでなければ、戦国大名、統治者として単なる無能だよ。

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 16:19:06 ID:4z/CWhxK
>>366
自分を高く売るチャンスといえばチャンスなんだが、
信玄を師として評価しつつ同盟者としては信長をより高く評価してたんだろうねえ。

あの局面で興味深いのは、威信を重んじて劣勢ながら野戦に撃って出たことかね。
短期的には籠城策の方が安心なんだが、命を懸けて撃って出るというは面白い判断だと思う。
追い詰められると積極策に出てギリギリまで屈しないというのは性格かね。

三河の一向一揆対策、後年では小牧・長久手前後の秀吉との駆け引きや
関ヶ原での小早川への銃撃なんかにそういう面が見えるが。

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 17:38:44 ID:CDf9lrb0
>>367
性格もあるだろうが、そうせざるを得なかったんじゃないかな。
信玄を範としたのは家臣団の構成が似通ってたからだと思う。武田二十四将が
信玄を含めて二十四、というように三河家臣団も当時は縁戚を基盤とした合邦
政府のような感があり、家康は絶対的存在ではなかったという説はかなり信憑性
高いと思う。城に篭って蹂躙されるのは家臣団の知行地なわけで、さっさと逃げ出すよう
な「大統領」では武田側に臣従する家臣も続出したのでは?
ポーズでもそういうことをしなければ軍団を維持できなかった。
その意味では真正面から一度当たれば面目は立つからね。一向一揆への対応もその系統かな。
小牧の時はちょっとスケールが大きくなって家臣への面目、というよりは外交的な面目が大きかった
のかもしれない。

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 21:48:53 ID:LhI2HlZk
>>367
修羅場で引かないやつほど怖いものはない。
だが、そういうやつが味方でしかも背中を守っていれば、これほ
ど頼もしいことはない。
家康が人生の大部分をかけて作り上げていった「律儀」の声望は
そういうもんだよ。

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 21:57:14 ID:LhI2HlZk
>>366
それもちょっと違うと思う。
家康は、信長が勝っても信玄が勝っても大丈夫なような方法を考えている。
そのためには、両天秤をかけるとか、勝つ方を選ぶとか凡百な方法ででなく、
追い詰められても裏切らないという姿勢を見せ付ける方法を選んだ。
もし、最終的に信玄が勝ったとしても、家康は強く抵抗して最後に降伏する
だろう。で、その時に領土の多くは失い、自分は腹を切るとしても、律儀を
売り物とした徳川家は小さな家であっても残る。
そういう強さのある律儀だから。


371 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/09(木) 23:21:53 ID:FerFo7oO

家康は有能だった、しかし秀吉にはかなわなかった
という認識はアリ、ですか?


372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 23:26:21 ID:EMr0q8qh
ナシ。

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 23:31:15 ID:zRsicZ6s
寿命・生殖能力・痴呆しない脳みそ

大名に最も必要な三大能力すべてで家康の圧勝だろ

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 23:34:26 ID:EMr0q8qh
そのうち寿命と痴呆しない脳みそってのは家康のすごさってわけかな。

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 07:50:08 ID:mnXxV7Jx
>>374
家康の場合、3点について全部自己管理の結果得た
アドバンテージだからすごいわな。

376 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/10(金) 09:10:41 ID:RbzeHPnI
>>371
家康が秀吉に負けを認めて臣下に下った歴史があるのだからアリでしょう。
現に生きているうちには何も出来なかった

377 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/10(金) 09:13:04 ID:RbzeHPnI
個人的意見では家康の優秀さは認めるけど
秀吉より少し下なのか大いに下なのかの問題。

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 09:36:36 ID:Qs320PSB
>>376
すると足利義昭最強?

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 09:37:39 ID:Qs320PSB
じゃないな、後陽成天皇最強かw

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 09:47:00 ID:KEISkVGx
>>376
秀吉のほぼ絶頂期に小牧長久手の野戦で快勝してるが。
家康を秀吉が軍事的に屈服させられるならわざわざ母親まで人質には出さん。

臣下の礼を取った者が主君より能力が劣るなんて与太ほざくのはやめようぜ。

「主君より優れた家臣など存在しねえ!」

お前は北斗の拳のジャギかよw

381 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/10(金) 11:10:39 ID:RbzeHPnI
>>380
そうムキにならないで、ジャキは面白型
家康が小牧長久手の野戦で快勝しても
臣下を取せる秀吉はスゴイともいえるし

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 11:12:41 ID:+ybUI1XL
>>381
ならやっぱり後陽成天皇が一番スゴいってことかw

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 11:38:04 ID:mnXxV7Jx
まぁ、臣下にしたからえらいんなら、松下なんとかだっけ?
あの秀吉を小者として使ってた侍。あれは、秀吉よか上だな。

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 12:03:31 ID:wmoGG8Fy
秀吉が損得抜きで家康を攻めれば兵力差からいずれ家康の敗北は明白だけど
そんなリスクを許容できるほど秀吉政権は強くなかったからね
信雄の講和はアホだって後世言われるけど、島津や北条の運命を見るとむしろ絶妙のタイミングだったんだよね
家康と秀吉の講和斡旋もしてるし、それに乗ったから家康は別格大名として君臨できることになった

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 12:18:21 ID:DsLh2ozW
家康はすごい。

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 12:51:12 ID:+ybUI1XL
>>384
秀吉政権の安定感の無さというのは特筆すべきものがある。
統一からして急速で大大名を温存して火種を残し、統治体制を十分に整えていなかったところに、
無茶な外征と後継者争い、派閥争いでガタガタになってたから。

政権の安定度一つ取っても秀吉は家康に遠く及ばない。

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 12:56:16 ID:5QaKsCGM
秀吉も家康も同じ簒奪だが、基盤が脆弱でしかも天下統一の苦労を背負い込んだのが秀吉
家康は乗っ取り方が上手かったし全国を強いて討伐して回る必要ももうなかった
やっぱり家康がボケずに長命だったのがポイントだろうな

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 13:01:10 ID:+ybUI1XL
>>387
秀吉が自滅しすぎたというのもある。

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 13:56:49 ID:7z6/sNDr
 今来たけど>>370の意見は面白い。

 私も家康の律義さというのは単純な性格の問題ではなく、「生き残る」ための究極的な知恵の結実のように感じる。
 一族というか、その家臣団も含めた、彼自身が主宰する「徳川家」という社会が生き延びるために。
 何よりもすごいと感じられるのは、その「社会」を守るためには、目先の利益に惑わされず、時には遠回りしながらも、必要だと思えば本人の命ですら使い捨てに出来た事。
 そして、領土や兵力、金銭というものの力を知り尽していながらも、最も価値のある財産が「信用」であることを理解していた事かな。

 私も三方が原は「追い詰められた末での英雄的行動」という意見を持ってたけど、>>370のような視点は確かに面白い。
 あれは「信用を最後まで守るため」だと解釈すると、それまでの家康や、その後の家康と比べても何らおかしくない。

390 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/10(金) 13:58:18 ID:RbzeHPnI
秀吉の政権の時期は戦火直後であって家康とくらべて
安定性はないとは一概に言えないだろう

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 14:15:10 ID:+ybUI1XL
>>390
安定性に欠けるさ。
直轄地と旗本が少ない(軍事力不足)
朝廷の権威を重んじざるを得ない(政権の権威不足)
無謀な外征の膠着(政権の評価の下落)
大老・奉行による統治体制(外様の大大名の合議で政権が安定するわけがない)

戦火直後だったのは家康も同じ。
秀吉の場合は無茶な外征をやって自分で戦火を招いたんだろうに。

ID:RbzeHPnIは脳の腐った秀吉信者だな。失せろ。

392 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/10(金) 14:50:24 ID:RbzeHPnI
別に秀吉信者ではないよ
少し意に合わないと罵倒とは家康廚らしい

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 14:54:58 ID:+ybUI1XL
>>392
IDをピックアップすればお前の発言はわかるさ。
具体論も述べずに秀吉マンセーしかしない馬鹿だとな。

具体的に政権や能力の内容について論じていれば信者なんて呼ばないさ。
わかったら巣に帰れ、阿呆。

394 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/10(金) 15:06:47 ID:RbzeHPnI
>>393
荒らしは帰れww

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 15:15:41 ID:DsLh2ozW
この板秀吉厨多いな。

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 15:30:24 ID:mnXxV7Jx
最近、RbzeHPnIみたいな秀吉厨が増えたな。

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 16:08:36 ID:drbXkcZO
長州人は徳川嫌いだからね=秀吉厨

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 16:53:01 ID:3vE0zReD
ぶっちゃけ、秀吉のどこがいいのかわからん。
あんな晩節を汚しまくった誇大妄想狂が。

ぎりぎりまで冷静に判断し続けた家康とは対極的だな。
その結果が一族滅亡と世界史でも類を見ないほどの平和な長期政権の差に繋がったんだが。

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 16:56:16 ID:mnXxV7Jx
>>398
戦国の華々しさを体現している存在と見られているからねぇ。
実際は、戦国時代のいい部分にとどめを刺したのが秀吉なんだが。
なぜかそれが家康ということになっているのが変な話だ。

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 17:02:05 ID:PbBrrhHY
>>399
詳しく知らないからではないかと。

秀吉と家康の事例を詳しく追っていくと、
秀吉が天下を失って家康が天下を取れたのはある意味当然の帰結だと思えてくるんだが、
大体そこまで知らないからな。

世間に流布してるイメージってのは怖いよ。

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 17:44:25 ID:mnXxV7Jx
>>400
まぁねぇ。例えば、唐入りなんぞもずいぶんとまともに評価されてないしな。
あれって、無謀な作戦って言われているけど、それほど無謀じゃないし。
また、内戦→外征ってのも歴史的にはごく普通の現象だし、清が数十万で明を
滅ぼしたのをみてもわかるけど、10万の陸戦力って相当なもんだし。
逆に言えば、あれだけの軍隊を派兵したにしては戦果が低すぎるわけで。
要するに、無謀な作戦ではなく、首脳部の戦略がちゃんとしてないからって結
論になるんだよな。それこそ、アレキサンダー大王やヌルハチのように、秀吉
自身が戦場に出るか、その代理が出来る家康を総司令官とするなどしとけば、
勝てた戦かもしれん。そういう視点って、ほとんどないんだよな。

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 18:04:37 ID:PbBrrhHY
>>401
秀吉は朝鮮について緻密な情報収集を怠って都合のいい情報ばかり耳にして舐めてたから
家康の渡海はまずなかっただろうね。
あれ以上徳川の武名をあげさせて領地を与えることになったら叶わないと思っていただろうし。

そもそもの情報収集が杜撰だったから朝鮮が道案内すると思ってたし
朝鮮を占領統治するためのビジョンもノウハウもなかったし。

そういう意味では無謀すぎる事業だったとは思う。
だいたい外征は勝つより戦果を維持する方が難しいと相場が決まってるんだから。

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 18:45:35 ID:mnXxV7Jx
>>402
例えば、投資にかえてみると判るかもしれないど、ある事業をするのに
100億の資金を投資するとする。
で、その評価で「100億あればそれなりのことができたけど、使い方
が悪い」のと「いくら計画がよくても、100億じゃ成功しない」という
のでは別なわけだ。
で、秀吉に唐入りは前者なわけ。だが、今は後者と思われているからね。
ここら辺は、日本人の軍事オンチにもつながっているんで、根が深そう
ではあるんだが。

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 19:54:03 ID:mnXxV7Jx
>>389
一般的には、秀吉は人間の心理を操るのに長けていたって言われるが、
人の心に対する理解という点では、秀吉は家康の足元にも及ばないと
思うんだよな。
人間が一番強く感じる心理は恐怖であって、家康はそれに扱うことが
出来た。恐怖の感情には、それと表裏一体の安心感があるが、政権を
とる前の家康はこの安心感を相手に与えることを常に念頭においてい
た。政権を取ってからからは、この両者を使い分けた。
一方の秀吉が扱えたのは、それより一枚劣る功利心でしかない。それ
が政権の崩壊にも直結している。

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 20:14:55 ID:SIsF86mD
それぞれの政権の成立過程を無視したこうした議論に何の意味があるんだろうか

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 20:26:05 ID:mnXxV7Jx
>>405
どの議論のどこが政権の成立過程を無視しては成立しない内容であるか
を指摘して、では、どういう議論なら意味のあるものか、それを示して
から批判するようにね。
でないと、議論の出来ない秀吉厨のひがみと認定されても文句いえないよ。

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 20:33:13 ID:PbBrrhHY
>>405
それはまず>>371に言うべきだろうな。

408 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/10(金) 21:00:16 ID:RbzeHPnI
今思ったけど、家康を出すとき必ず秀吉と比較してここが勝っているとか
そういう見解が多いね
なんか韓国が日本にやたら対抗意識してるのと同じような関係なのかなぁ?


409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 21:07:04 ID:mnXxV7Jx
>>408
お前が秀吉厨だからそういう妄想するんだろ。
一つでいいから、具体的な反論してみろよ。

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 21:08:38 ID:PbBrrhHY
>>408
お前自身のレスを読み返してみろよ。
この恥知らず。

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 21:11:33 ID:wAYGPG3+
信長厨もいるかもよ

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 21:13:58 ID:wAYGPG3+
>>409
ageるのはどうかと思う。落ち着いてsageようぜ。

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 21:24:08 ID:mnXxV7Jx
>>412
ID変えてまでご苦労さん。
もう、上げ下げくらいしか突っ込めなくなったか?
具体的反論、期待しているぜw

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 21:54:57 ID:StPRsYDH
そういえば、家康はあまり信長については言葉を残さなかったと
言われてるけど、秀吉に言及した例は多いのだろうか?

於江与にあてた訓戒状では、信長に触れてたっけ。
ttp://be.asahi.com/20040605/W21/7002.html
うろ覚えだけど、信長に関しては、
「織田殿は近世の名将にして大気にて…」なんて感じじゃ
なかったかな。信長の姪にあてたものだから、割り引く
必要はあるかもしれないが。

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 22:52:44 ID:xpB1M73L
俺は信長が一番好きだけどノブヤボだと信長使わないで家康使う
何故だろ?

416 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/11/10(金) 22:59:52 ID:ScDEJ7SU
いずれ上司の頸を狙うタイプだからだろう。

417 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/10(金) 23:15:44 ID:RbzeHPnI
>>410
お前こそ自分のレス読め
稚拙な感情だけで生きてるのか
今後はスルーだなww

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 23:31:56 ID:UbrhHrzD
秀吉の評価は周囲をはばかる必要ありと判断したのではなかろうか。
そういう所は慎重そうだし。

逆に秀吉の信長評を見てると、こいつが信長を殺したんじゃないか、とか思えてしまう。
どういう風に思おうが文句はないが、
自分の主君の後釜に座った時点でこき下ろすのは、正直感心しない。

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 23:32:32 ID:UbrhHrzD
ああ、アンカー付け忘れた。
418は>>414へのレスで。

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 23:39:20 ID:LBqVoqzV
>>408
それって逆じゃないの?秀吉厨は家康を落としめることでしか歴史を語ること
が出来ないように見えるが、大体戦国板でもお馬鹿なスレ多いし、スレタイを
見ただけで秀吉厨のレベルの低さが一目瞭然にわかる。

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 23:46:53 ID:MJXHsxBF
いくらなんでも主君が存命中にこき下ろす奴はただの馬鹿だろう、
414にあるサイトの信長評を見ても信長の短気さは指摘されてるし、
こき下ろしたっていうか正直な感想じゃないかね。

422 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/10(金) 23:50:23 ID:RbzeHPnI
>>420
個人の見解の相違だからね、ワシは前者じゃよ
秀吉がボケて・・・とかタワケた家康廚もいるし
結局は両巨頭の台頭も必然なんだと思う
運も実力のうち

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 23:55:06 ID:MJXHsxBF
家康厨・秀吉厨っていう言い方もアレだが、結局はどっちもどっちだと思うけど、
そもそも厨っていう括りでしか互いを見てない時点でどちらも冷静じゃないし。

424 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/10(金) 23:58:59 ID:RbzeHPnI
>>423
今後気をつけるよ!

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 00:03:56 ID:/Lsi2MX0
秀吉も家康も好きな俺は揉め出す度に肩身の狭い思いをする
歴史上の英雄とは言え両者とも人間だったわけで
弱点もあれば偉業も為した人物で互いに認めていきたいものだな。

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 01:00:44 ID:yowCAyD7
本心それがいいね。
ホントは評価しているのだけれども、ネットでは批判しているくらいが良い。

ツンデレみたいだえ。

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 01:12:03 ID:EAO3dFtT
>>423
厨って意外と便利な言い方なので大目に見てもいいんじゃない?

>>425
秀吉厨の家康叩きにはいささか憎悪の感情がこもっているようで引くことがあるが、
お互いの特徴を明らかにする上で必要な部分もあるから
適当にスルーするのがよろしいかと

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 02:31:18 ID:9Bxf0Cap
同じ天下の簒奪者でも
主家そのものを相手に合戦をしたわけではない秀吉と
主家そのものも相手にして潰した家康とでは、
家康の方が損ではあると思う。

簒奪自体の大変さ必要とされる実力も同じだと思うし、
評価はしきれないが、この差は大きい。

大きい割にこの簒奪の差自体は運以外の何物でもない。

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 02:53:22 ID:ZCRLOcXE
その差は同時に、
従順だった織田秀信一派と、
反抗的だった豊臣秀頼一派の差でもある。
この事をまず念頭におくべき。

仮に織田秀信が秀吉政権を非難して徹底抗戦の構えをみせたら、秀吉とて排除に動くだろう。

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 03:33:32 ID:uwgOU1JL
この、信長から家康に宛てた書状の文面って、ネット上の
どこかで見れないかな。信長の「温かみのある親しげな語り口」
ってのに急に興味がわいてきた。まさか、おねへの書状みたいな
語り口ではあるまいが。

ttp://www.city.nishio.aichi.jp/kaforuda/30bunka/bunz/bun89.html

しかし、この手紙の1年と数ヵ月後くらい(?)には、差出人は炎の中で果て、
受取人は山の中をほうほうの体で逃げ回ることになると思うと、何か不思議な気がする。

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 03:34:39 ID:1k+x7fNK
海洋国家としての道を閉ざした家康の罪は重いよ

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 03:38:38 ID:xokY5TjV
>>429
いや、既に信孝を排除してるから。
単に織田一族の方が数が多かったので残ったという話だろう。

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 03:39:47 ID:xokY5TjV
>>431
それは家康死後の時代の幕府の政策だ。
家康一代はむしろ貿易には積極的だぞ。
でなければ外国人の顧問なんぞおかん。

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 03:41:32 ID:xokY5TjV
つか、鎖国に関しても誤解が有りすぎるんだよな。
せめて中公文庫版日本の歴史の鎖国の巻くらい読んで概説掴んでから話に参加しろと言いたい。
少しばかり古いが入門用としては適当だろう。

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 04:02:36 ID:dJq7RNYT
>>431
海洋国家路線を捨てたのはむしろ秀吉だろ。
大陸進出路線とって失敗して対外路線の反面教師になった。

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 04:18:35 ID:1k+x7fNK
いくら必死になっても「家康なんぞが最終的に天下を取ったのは日本の不幸」は定説です

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 04:23:45 ID:dJq7RNYT
>>436
ライフスペースの教祖かよ、お前は。
研究者で家康と徳川幕府を評価してない人間なんていねーよw
最低限の知識くらい身につけてから出直せ。

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 04:29:22 ID:Hudco/9R
今日はID:1k+x7fNKか。

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 05:19:54 ID:Q79wIwpK
家康の律儀さは反省を知ってるって事かな。
年齢に追って器量が増しているのが家康の良いところだ。
信長が晩年多少傲慢な面が多くでて、不幸を招いたし
秀吉も死ぬ前の2年だけで、現在も悪口言われ放題だ。

家康は死ぬまで家康で有り続けたと言うか。器量を発揮し続けたと言うか。
これは口で言うほど、簡単な事ではないだろうなあ。

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 06:53:17 ID:5eQi4vr0
家康が日光東照宮をみたらどう思うだろうか。

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 07:12:56 ID:UJzrfXZr
>>440
遺言では「小さな堂」と言っていたし無駄遣いを嫌ったので、
家光の大造営(幕府持ちだし)については他の大盤振る舞いと合わせて否定的な見解を持つんじゃないか?

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 07:27:54 ID:ZK05HQwS
日光の造営もだが、江戸時代に何度も行われた将軍の日光社参りの莫大な出費はどうなのか
諸侯も参加させて幕府の権威を内外に示す効果はあるが、やるたびにかなり財政悪化してないか

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 07:41:04 ID:UJzrfXZr
>>442
あそこらのいらんパフォーマンスと鎖国による貿易の縮小は家康は嫌ったかもね。
自分が朱印船貿易や生糸貿易で財を蓄え、浪費を嫌ったから。

ただ、貿易の縮小については、家康が長崎−駿府ラインで実務を行って、
江戸の秀忠周囲の幕閣を蚊帳の外に置いたのが一要因じゃないかと思ってるんで、
これは家康の自業自得というか失敗だったと思ってる。

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 09:35:02 ID:U92Uyx04
鎖国は家康の政策ではないという説をよく見るが、
外国と交易してやり合えたのは家康ほどの器量があったからで、
それ以降徳川幕府が鎖国に傾くのは、ある意味必然的だと思う

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 09:40:42 ID:m9YioEGF
つかどうしても海外と自由交易したい、でも徳川政権も維持したい、って
なると九州の半分ぐらいを徳川の譜代・親族・天領で固めなきゃどう仕様
もないような。

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 10:44:12 ID:jEYidBHs
>>444
それ以降も外国と交易してやり合ってるけどねえ。
別に必然だとも思わない。

鎖国については日本側からの非積極的な態度と共に、
外国側の変化(日本貿易に関してのオランダの一人勝ち)というのも指摘されてるとおり。
ポルトガル、スペインの没落とイギリスの一次撤退&インド、中国方面への進出があるわけでね。

別に器量の問題ではなく、内外の状況と政策が合致した結果の鎖国。

447 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/11(土) 11:11:02 ID:pL/QYQlh
貿易に消極的なのは他にも理由があるのでは?
キリスト教の波及を抑えたい、
体制維持に不利になるような考え方の流入を避けたいとか

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 11:13:44 ID:jEYidBHs
>>447
ああ、禁教は当然。
家康在世中から禁教令が出てるから。

海外在住の日本人の帰国を禁じるとか猶予期間を削ったのは家光の時代だけど。

449 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/11(土) 11:25:00 ID:pL/QYQlh
今の北朝鮮も江戸幕府とやってること同じだね
現に将軍さまもいるし

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 11:28:39 ID:jEYidBHs
しまった。
キチガイにレスしたか。

ID:pL/QYQlhと。

451 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/11(土) 11:35:16 ID:pL/QYQlh
ID:jEYidBHs ← 吉外チョッパリ
もう少し丁寧な言い方出来ないのか?
どんな教育受けたんだ
お前の大好きなママ〜に言葉使い請え

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 11:35:41 ID:1PN8BDsq
”pL/QYQlh”みたいな粘着はマジでどうにもならないんだろうな。

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 11:37:37 ID:jEYidBHs
>>452
どうにもならんだろ。
一々相手にしても仕方がない。
IDがわかればあぼーんできるから別にかまわんがね。

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 11:51:37 ID:PrI61/hb
どうせいつもの秀吉厨さ
アホはスルー

しかし家康が鎖国の張本人扱いされるのは納得いかんな
駿府に残されてた遺産はどうやって溜めたと思ってるんだ
信長や秀吉ですら外国人の貿易顧問を持っていなかったのにな

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 12:02:10 ID:LrqJo9CT
>>454
そういえば、初めて八重洲の由来を知ったときには驚いたな。
三浦按針の方が有名だが。

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 12:04:03 ID:7OQiTFRY
なんでも秀吉厨とか決め付けたがるのはどうか思うがね。まあちょっと前の方でも議論になってるけどさ。

にしても家康の対外政策は秀吉の強硬策とは真逆で融和策とってるのにも関わらず
キリスト教に関してはスペインのフィリピン政庁からの求めがあったのに
拒否するなど禁教路線を踏襲してるのはなんでなんだろうか。


457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 12:10:56 ID:LrqJo9CT
>>456
旧教に関する悪評が耳に入ってたからではないかと。
信長、秀吉、家康の三人は宗教が政治に介入したり軍事力を持つことを許さない、
という思想では一致してたし、政策的にも継続して宗教統制を行ってる。

カトリックが日本国内の諸宗教のように統制できれば良し、
統制できなければ禁止するというのは首尾一貫した考え方だと思うが。

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 12:12:17 ID:LrqJo9CT
あと、秀吉厨かどうかは知らないが、おかしなのがこのスレに粘着してるということは自分も感じるね。
ここ毎日のようにおかしな内容のレスがある。

459 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/11(土) 12:12:19 ID:pL/QYQlh
俺は秀吉厨ではないし、
そういう言葉しか使えない幼稚な奴らは去れと言いたい

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 12:41:55 ID:U92Uyx04
鎖国は必然的だろう。
創業当時と安定期に入ってからでは経営方針が変わって当然。
家康の築いた体制が完璧であればあるほど、
その後、外国という要素は不要で邪魔なものとなる。

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 12:57:44 ID:LrqJo9CT
>>460
内部事情の方も変わるし外部事情も変わる。
自分も鎖国が必然とは思えないが。

まず第一に鎖国下でも朝鮮通信使などの外交は存在した
貿易に関しても吉宗が洋書の禁を緩めたり、田沼意次が輸出品である俵物への税を免除するなど、
その時々の内政によって対外政策に繋がる路線は変わる。

外国という要素は不要なものではない。

次に、いくら鎖国を守ろうとしても、幕末にそうであったように外国側が動けばそれに対応せざるを得ない。
上にも出てるが、鎖国は日本に積極的に関与しようとする国がオランダなどに限られたための結果に過ぎない。

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 13:38:23 ID:U92Uyx04
だから、江戸時代が普通鎖国と言われる程度に
外国との交流を制限するのが妥当だったということ

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 13:55:08 ID:LrqJo9CT
>>462
妥当というのと必然というのはまた別だと思うが。
いずれにせよ、鎖国に関しては必然であれ偶然であれ家康の責任ではない。

必然であれば家康の政策に関係なく鎖国は成立しただろう。
偶然であればやはり家康の政策に関係なく鎖国が成立したことになる。

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 14:34:38 ID:6NCzEMQs
鎖国というが、別に貿易をやめたわけじゃないしな。
中国・朝鮮とオランダと交易していたわけで、これは、東アジア地域
では他には旧教勢力以外のすべてだし。アメリカ、ロシアがでてくる
のはもっと後なわけだしな。
それに、そもそも貿易っていうが、何を売るのかね。戦国時代から
圧倒的に入超なわけで。それを比較的多く取れた金銀で決済していた
のが当時の日本の貿易だろ。管理貿易下でも金銀の流出が大きな問題で
田沼意次なんぞかなり苦労している。フリーにやったら、国内の金銀が
流出してしまい、まともな決済が出来る国家でなくなった可能性だって
ある。幕末に日本がなんとか持った一因として、国内に金銀がキープ
されていたってのはかなりし大きいしな。

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 14:39:18 ID:LrqJo9CT
>>464
何にでも座を作らせそこから税を吸い上げた田沼が
中国への輸出品である俵物(イリコ・干アワビ・フカヒレなどの俵につめた海産物)だけは
税をかけなかったからなあ。

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 14:49:32 ID:6NCzEMQs
基本的に当時の大規模な貿易ってのは、イスパニア型の収奪的な
交易だろ。
後にイギリスのように産業革命を達成した上での余剰生産物を売る
かのパターンが出てくるが。
で、前者型の貿易パターンは徳川幕府成立時にはすでに下火になり
つつあったし、秀吉がそれをやろうとして大失敗している。
で、後者のパターンは産業革命をやらないと意味がないし、やらない
で後者の貿易パターンに晒された国家は、軒並み植民地になっている。

鎖国の是非以前に、鎖国をしなかった場合の海外雄飛論(論ですらな
いが)ってのは、この「日本が産業革命レベルの発展を遂げている」を
前提としているんだよな。


467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 14:51:53 ID:DFpewdJi
>>464
同意。
大規模な海外交易を主張する人は国富の増加を当然の結果とするけど、
何を売って何を買うのかについての言及はあまり見ないよね。
新技術・新製品の発明が前提じゃああまりに説得的じゃないし。
>>465
さお銅輸出なんかも金銀流出を抑えて貿易黒字出すための苦心だもんね。

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 15:58:14 ID:lHk4BoHE
>>457
信長を最も苦しめたのは一向一揆だったし、家康自身三河の一向一揆と戦っているからね
教義を信じる信者は百戦錬磨の武士より恐ろしいのを家康はよく知っているしね

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 16:48:34 ID:gPahNbmS
>>466
鎖国してたらその産業革命が永遠に起きないだろ

つうか鎖国と言うが実際は諸国の貿易を抑えて
徳川家だけが利益を上げ優位性を保とうとした独占貿易と言う形なわけだが
まあ、それ自体は構わない
しかし、それは日本全体の対外政策を一手に受け持つ事になるわけで
幕府の政策に国運が委ねられてるにも関わらずその意識さえなく
事なかれ、臭い物には蓋、的政策でグダグタの内に100年以上も経過し
欧米諸国から土足で踏み込まれ不利な位置に追い込まれる結果になったのは
幕府の無能さから来た事は間違いない

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 16:54:07 ID:LrqJo9CT
>>469
>鎖国してたらその産業革命が永遠に起きないだろ

こりゃまた乱暴な意見だな。

>欧米諸国から土足で踏み込まれ不利な位置に追い込まれる結果になったのは
>幕府の無能さから来た事は間違いない

アジア地域で最も早く近代化を果たしたのは日本であり、
そのバックボーンを支えたのは江戸期の蓄積なんだが。
つか、無能な政府が250年も平穏無事に続くかよ。

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 17:01:02 ID:wAmOwW4v
鎖国政策の是非ということではなくて中後期の幕府の対外政策が硬直化していたのでは
ということをいってるんじゃないの。

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 17:34:18 ID:LrqJo9CT
>>471
そこまでいくと流石にスレの範囲外だと思うが。
家康とはもう関係ない次元の話だろう。

北方対策その他、語るネタは少なくはないだろうがね。

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 17:57:26 ID:gYwJfjGt
スレ違いどころか板違いだっつーの。

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 17:59:55 ID:6NCzEMQs
べつに産業革命は、貿易の結果できたものじゃないしな。
イギリスで発して、他が真似しただけだ。
むしろ、明治以降に文化的な背景が違うのに取り入れられた方が
驚異的だしな。
鎖国の結果、一番問題なのは、軍事力の弱体化の方だ。戦国時代
には、世界的にみても強国の部類だった軍事力が、鎖国体制の中
で低下してゆき、世界の先進国家からかなり水を空けられてしま
った。幕末に日本が辛い状況にいたのは、鎖国していたからじゃ
なく、軍事力がなかったからだしな。

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 18:46:32 ID:MfMEXeCB
>>474
明けても暮れても小競り合いばっかしててなんもない時期のほうが
短いくらいだからな >ヨーロッパ。
産業革命に関しては日本が遅れたっつーよりもむしろ欧米が
猛チャージかましたという方が正しいと思うし。
あれと同時進行で追いつけ追い越せする為には地理的にも政治的
にもモノの考え方でも近しい部類である必要があったと思う。
でもそれも結局は結果の問題だからなあ。

とはいえ流石に250年先の顛末をその創始者に求めるのは年数が
孕む変動要素を軽視しすぎだわな。
その原因を当時の為政者の性格に多くを求めるのもまた然り。

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 20:01:31 ID:9ZLAcF48
白人は宣教師送った後、軍隊で植民地化したり奴隷貿易したから
秀吉が怒ってキリスト教追放した。
幕府の鎖国もその影響があるかも。

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 20:48:16 ID:7FALreWA
日本が戦国時代は世界的に見ても強かったって書き込みよく見るけど本当にそうなの?

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 20:53:35 ID:6NCzEMQs
>>477
実戦経験豊富な30万近い兵力を持つ国はそんなにざらにはない。

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 21:05:40 ID:DFpewdJi
唐入りの戦果が芳しければ裏付けになるけど結果がああじゃね。
もっとも近い国相手に向けた拡大戦争に挫折してる以上強国とはいいづらい。
地理的に離れて関わりも皆無な国々との比較はあまり意味がないと思うし。


480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 21:12:18 ID:6NCzEMQs
>>479
島国ってのは、海戦で負けるとああいうもんだ。
それに唐入りの場合は、作戦首脳部がアホすぎる。
現地軍を束ねる司令官もおかないんだから。

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 21:19:49 ID:lHk4BoHE
>>480
現地司令官の適任者は秀吉か秀長以外にはいないからなぁ
十万人以上の混成軍を率いて勝利した実績があるのはこの二人のみ
そうゆう意味では家康でも実績不足になる
秀長が早逝したのはここでも響いている
調査不足・準備不足でもあったが

482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 21:44:28 ID:DFpewdJi
>>480
四方を海に囲まれる特性を持っているにもかかわらず
海上における兵站と海戦についての備えが杜撰だった点も、
現地司令官を置かずに軍事行動に移る点も軍事大国(仮)にあるまじき事実。
現地司令官を置けない事情が国内にあったのならなおさらのこと。
帥を起こし、結果を残せなかったにもかかわらず
強国であったというのはあまり説得的であるとはいえないような。
天候という不確定要素・時代性の要件がある元寇の失敗とは条件が違うしね。

483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 21:52:11 ID:6NCzEMQs
>>482
作戦無能と国の持つ軍事力とは別ものだが。
ハンニバルに援軍送らなかったからってカルタゴが軍事大国であった
ことに変わりはないし。

484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 22:00:56 ID:m9YioEGF
ただ、大規模軍事行動のセオリーが出来てないってのは軍事大国の名を冠する
には結構な痛手かも。物量軍事力に優れていても、実効軍事効果に優れないと
張子の虎だし。

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 22:45:06 ID:UvTeWs5+
鉄砲の保有数が世界一らしい、からきた話じゃないの。軍事強国とかいうのは。


486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 23:44:04 ID:DFpewdJi
>>485
その一点のみを以って軍事強国というのであれば益々説得的ではないね。
>>484のいうところの実効軍事効果は国土の防衛・対外的な進出によって
客観的に判断されるものであると思われるけれども、
前者を実現する局面は発生せず、後者においては口惜しくも失敗した。
当時の軍事力が対外的に及ぼした影響が明らかであるならいざ知らず、
世界史及び東アジア史において当時の日本が占める地位は決して高くはないし。
倭寇については国家規模の軍事力とはいえないことも付け加えておく。

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 23:53:33 ID:sg+Z0Nrl
>>486
俺としては密集方陣なんつう機動力をどぶに捨てた欧州軍隊なら機動戦でも仕掛けて
相手が方陣組む前に崩せば楽勝だとは思うけど>あくまで戦術的観点でね

後は殆どが傭兵の欧州と基幹戦力は常備軍を維持していた日本との差はでかいと思う。

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 00:07:50 ID:w1jMVGPf
>>486
そこまでごちゃ混ぜにして考えてどうするのよ。
単に、戦国時代の日本の軍事力が大きいか小さいかってだけのこと
だろ。ここで比較すべきことは、物理的な戦力の大小であって、戦
国時代の日本の対外的な位置なんて持ち出したってしょうがないわ
な。



489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 00:23:21 ID:9F9fOoRS
>>488
国家の軍事力の強弱を客観的に判断しようとするのなら
軍事力の行使と軍事力保有による影響力が基準になると思われる。
物理的な戦力の大小について極めて詳細な主張と、それらについて
有効的・実質的利用の可能性についての説明がないと軍事大国とは認め辛い。

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 00:25:04 ID:6FnvcLWU
国を守るだけの力があれば十分だからね。
幕末に海外が強力なったから相対的に過小になったのだし。
強国ってのは、海軍は別の条件付きだしな
そんな言葉に拘るのに意味が無いけど、拘ってしまうw

秀吉が大陸に挑戦してみたのは、大した意味が有った訳では無く
大陸への好奇心や余った兵力のはけ口だ
国内戦争の続きくらいに考えて、外征侵略の意味を分かってなかったようだ。
他国と比べてもしょうがないね。
軍事大国って言葉は否定はしないが意味はないな

491 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 01:13:59 ID:37tWtmen
ゲーム理論によるといろんなタイプの戦略を総当たり戦でぶつけると
最後に勝ち残るのがあるタイプだって聞いたことがあるが
家康はそのタイプだったのかな

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 01:47:20 ID:Gxn+jiUX
うーんと、ゲームはルールで最も高得点を出す戦略は変わる。
一番シンプルなモデルではナッシュ均衡に陥るんだけど
多分言いたいのは、繰り返し同じ相手にも当たるモデルだと思う。
それだと、最高点を弾き出すのは、前に当たった時に相手が
取った行動をそのまま忠実にやり返す戦略、簡単に言えば「信賞必罰」。

ただ、ゲーム理論は寡頭競争下が前提にあるから家康が取った戦略が
該当するかはむつかしいね。

493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 01:55:28 ID:SNM49w3t
>>490
>余った兵力のはけ口
これ、ものすごく大きな意味を持つと思うが。

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 03:40:52 ID:m38BYJut
狂った時代からスムーズに平和に行くわけにはいかないんだろうな
戦争に明け暮れた奴らが地位保障されずに社会復帰できるとは思えんし

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 07:34:44 ID:BniSny1E
あの当時の秀吉がどの程度理論的な思考に基づいて行動してたのか解からないからな
武断派のガス抜きとか伏見城同様 大名等の財政悪化を目的としたのか
単に戦時体制維持で政情安定目指したのか
ボケて帝になりかがったのか
対勝家 対北条の時位気合入れて攻めに行ったとは到底思えん

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 07:53:02 ID:4xFt2wr3
>>489
そもそもあの時代にあれだけの規模で渡洋外征できた国がないからあまり比較にはならん。
少なくとも、大規模な軍を外地で展開し、長期にわたって補給できたという点は特筆すべき。
戦術能力その他はその次の話。

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 21:56:21 ID:HazIoBMR
国防のという意味なら当時はおろか現代の日本もおそらくどんな国が侵略を重ねても
日本を陥落させるのは難しい、というか不可能だと思う。
ましてや戦国末期の日本なんかに攻め込んでも世界中のどの国が攻撃しようと陥落できない
国防の点では世界最強の国だと思う

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 22:00:42 ID:prVrAEiR
とりあえずあの装備だけなら極東最強軍の自衛隊を死に物狂いにさせたら、確かに怖い。

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 22:07:17 ID:T5dsE7Bf
>>497
スレ違いで悪いんだが、そうなのか?
装備は凄いが士気が低いイメージばかりがあるんだが…。

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 22:36:56 ID:prVrAEiR
そりゃまっとうに選ばれてるのに国から否定されてる軍隊なんて銀河系探しても
日本ぐらいにしかいないだろうから士気が高いわけないなw

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 22:37:42 ID:HazIoBMR
>>499
推測の域を出ないけど島国であり尚且つ近代以前は
他国からの侵略を受けたことがほぼ無く、近代以降も日本本土に外国軍が
上陸して来たことなど無いといっていい。
おそらく日本国民、大和民族は外国人に本土を蹂躙されるのをどこの民族よりも潜在的に恐れていると思う

現代ではだいぶその恐れも薄れてきたと思うがそれでも仮に中国人や朝鮮人やはたまた欧米人が
本土に上陸して各地制圧に入ったらとんでもなく反抗されると思う
自衛隊も平和ボケで士気は低いと思うが本土上陸してきたら気合の入り方が違うだろう

実際太平洋戦争でもアメリカが圧倒的兵力で各所の島を制圧しているが
どの島でも島の規模からはありえないような抵抗を受けていて潜在的に相当恐れられていたし
それが本土となったらどうなるのだろう?という危惧があり原爆を投下したとも聞く

精神面は多分なんとかなると思うので国防の点では世界最強ではないかと
スレ違いすまん

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 23:08:16 ID:9F9fOoRS
スレ違い以外の何物でもない。
当時の日本国(というほどの統一国家であったかはさておき)の軍事力
について願望なり妄想なりを持つのは構わないけれど、
軍事行動とそれが及ぼした内外への影響について触れずして
軍事行動そのものについてのみ着目しても説得力があるとは思えない。
それらについての客観的な検証を具備して初めて
当時の日本国が軍事大国であるという可能性を示すことができるといえるし、
そうでないのなら、軍事大国でなかったとはいえないまでも
軍事大国であったとはいえないのではないだろうか?

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 23:13:24 ID:VQ392nXi
>>502
能力と結果はまた別だからなあ。
元より当時の日本が、アメリカよりベトナムがそれぞれ強かったわけじゃ有るまい。

まあ、スレ違いなんで続けるつもりはないがね。

あ、ちなみに渡洋侵攻能力については>>496に書いたとおり。
異論があるなら当時海渡って10万規模の軍を運営、補給できた国を挙げてくれ。

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 23:50:52 ID:9F9fOoRS
>>503
そもそも、外征を行うために海を渡らねばならない条件を持った国は少なく、
渡海については「可能であった」ではなく「必要に迫られた」ものである。

不利な条件をものともせずに外征を行い得たというものではなく
不利な条件を前提にしなければ外征を行い得なかったというのが正確であり、
史実においても不利な条件を克服しえずに口惜しくも敗れているのだから、
文禄・慶長の役について「渡洋侵攻能力」が存在したというのはおこがましい。

貴方のおっしゃるように「当時海渡って10万規模の軍を運営、補給」について
成功しており、なおかつ外征の目的を果たしたのであれば文句はないのだけれど、
そうでない以上は、当時の軍事的実力についての主観的評価・願望でしかない。

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 01:08:38 ID:OrUW5Y81
どうでもいいが、喪前ら、徳川氏について疑問に思わないのか?

家康って徳川の前は松平元康だったんだが・・

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 01:37:37 ID:uKvdj3yi
>>505
 なんで改姓したのかって事?

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 04:06:02 ID:DYLh5RFL
>>504
結局事例は挙げられないんだな。
主観で語っているのは君の方だ。

負けたから「渡洋侵攻能力」存在したというのはおこがましいというのは何をか言わんや。
では、三方原の家康には戦力が存在したというのはおこがましく、
長篠の武田に軍事力が存在したというのはおこがましいということになる。

結果によって能力を全否定するほど愚かなことはない。

508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 04:29:38 ID:vxhCe1R/
つか、ID:9F9fOoRS的には当時の元より日本が当時のアメリカよりベトナムが軍事大国なんだろ。
俺もそうは思わんがそういう考えなら仕方がない。

509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 04:39:14 ID:vxhCe1R/
>>505
1.元々新田氏の子孫に世良田に住んでた得川氏がいた
2.家康の爺さんの清康が世良田姓を名乗ったことがあるらしい
3.三河守の官を受けるときに系図粉飾を行う必要があったのでそこで系図を結びつけた。

後は得川という字面を嫌って雅字である徳川に変えたくらいしか思いつかんが。

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 07:07:01 ID:uKvdj3yi
>>509
 あと、松平氏はそもそもは「徳川」が本姓で、いわゆる始祖とされる「徳阿弥」が「松平郷」に土着した際、「松平」に変えたという説があった気がする。

 ひょっとすると「得川」の「得」を「徳」にしたのは、始祖松平親氏の阿弥号である「徳阿弥」にあやかったのかも。
 ただ、徳川家が源氏新田氏の後裔を名乗るのは関東入府後だったはずなので、「得川」云々は後になってこじつけただけなのかも。

 意外に、考察するにしても、むづかしい話題かも……

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 07:14:55 ID:vxhCe1R/
>>510
それが三河守任官の時の新田氏系得川氏は藤原氏を称した前例があるということらしいのさ。
この辺はよくわからん。とにかく初期は藤原氏、後に源氏系新田氏に結びつけたのは確からしいが。

松平氏に関しては、途中まで賀茂氏の流れを称してたという話もあってわけがわからん。
難しい話題だと思うよ。

512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 11:34:57 ID:5EAo2huA
>>511
どれをとっても後付の系図だからなぁ。
三河の松平郷と酒井郷に土着してた家系って以外には特に突っ込んでも
益がなさそうな理論だな。

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 12:44:46 ID:IlebSMT+
>>507
まず、>>477の命題について文禄・慶長の役が題材とされていることを踏まえたうえで
結果の不発生=能力の不存在と主張しているわけではなく
結果の不発生=能力存在可能性の瑕疵と主張していることに留意しつつ、
>>502周辺をもう一度ゆっくりと読んでみたらどうだろうか?
反論すべき主張を取り違えて無理に頓珍漢な事例のあてはめをしても意味がないよ。

軍事力の強弱について検証する場合に、軍事力の行使・保持によって発生した結果が
主張の客観性を補強する材料となることは納得してもらえるだろうか?

不幸にして結果発生にいたらなかった以上、能力存在可能性を補強するために
軍事行動そのものの特性について着目せざるをえないのはやむをえないけれど、
外征について当時の日本国に類似した条件を持つ国家・集団が少ない以上、
渡海の事実のみを以って「渡洋侵攻能力を備えた」というのは苦しいよ。
他国がしたくてもできないことをやったといえる材料があれば別だけれど。
>>508
どのようにしてそうお考えになったのか興味あります。

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 14:06:40 ID:IlebSMT+
字kん

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 14:11:35 ID:IlebSMT+
時間に追われて間違えた部分を訂正します。
「渡海の事実のみを以って軍事的に強大と主張するのは苦しいよ。」が本意です。
>>514のお目汚しとあわせて申し訳ありませんでした。



516 :508:2006/11/13(月) 14:27:18 ID:ei34Ekye
>>513
>どのようにしてそうお考えになったのか興味あります。

自分では何一つ具体例を挙げずに他人の意見にひたすらケチ付けてスレ違いの話題に粘着してるからさ。

当時の日本が軍事大国か否かを建設的に論じるのであれば、
軍事大国とは何かを演繹的でも帰納的でもいいから定義し、
次に当時の軍事大国と思われる国の例を挙げ、
それらと日本を比較するというのが妥当でしょうが。

誰かさんはひたすら他人の意見を事例を挙げずに否定するだけ。
だから皮肉ったんだが理解できなかったのかい?

きちんと建設的な議論をやってくれ。ただし、余所のスレでな。
このレスに返事は不要だから。

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 18:22:09 ID:5EAo2huA
秀吉厨も迷惑だが自論厨も困りもんだな。

518 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/13(月) 18:30:00 ID:90FgvMdk

その言葉使い止めろ

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 18:58:49 ID:Xehlu2xb
武芸好きの家康のおかげで柔道・剣道・空手が広まったのに
アフォ徳川アンチはそれすらもわからないやつばかり
武芸なんて軽視されてたのにその時代はそれをわからないのか?
そんなお前らにあえていおうカスであると

520 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/16(木) 17:49:16 ID:teCKH2GC

馬鹿

521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 02:14:53 ID:mHxlbbFo
 みんな、東照大権現を見習って、行儀良く、心を広く持っていこう。

 皆に確認したいんだが、何歳くらいの時に家康を好きになった?
 漏れは20過ぎて、仕事をするようになってから、彼の律義が「奇麗事」のそれではなく、自分とその周囲の人間が生き延びるために「深く考えた出て来た行動の所産」だということに気付かされてからだが。
 学生の頃は信長や秀吉のように派手に見える人物や、謙信のような奇麗事を振りかざしている人物に引かれていたような気がするが、
歳をとって「地道な実績を積み重ねる事」や「実利に結びついた道徳のあり方」、そして「派手=無理=犠牲が多い」という事や「正義をたてに人を責める人」の存在に気付いてしまうと……

 でも、それってなかなか理解しづらいと思うんだが、みんなはどうなんだろう?

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 03:43:04 ID:iwCTm1F5
>>521
24才くらいで横山光輝の政宗読んで面白くて、流れで徳川家康読んではまって
山岡荘八の原作読んだら止まらず、今でも戦国とか江戸系の小説読んで、歴史オタの完成です

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 03:45:20 ID:iwCTm1F5
10代のころも漫画の政宗や家康読んだんだが、はまらなかった。
25才あたりでようやく頭入ってきたね。物語というより、多重的な論理観というか、戦国の武士の意地というか

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 04:46:44 ID:6QFt5VIF
>>521
大学生の時(20歳前後)
暇があったので手当たり次第歴史物やエッセイを読み漁って。

中公文庫の「日本の歴史」を通読したのもこの頃だし、
それで家康の政策の評価がわかってきた。

小説では、『覇王の家』『関ヶ原』『群雲、関ヶ原へ』

525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 10:03:21 ID:mSSl1r6j
大学のころだな。「覇王の家」を読んで好きになったんだが。
あれを最初に読んで家康好きになるのって結構多いんだろうか。
なんつうか、けっこうボロクソ言ってるもんなぁ。

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 10:27:30 ID:nLSxgkMd
>>521
同じく20歳過ぎてからだな。それまでは信長の方が好きだった。

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 11:18:49 ID:+1ncjQ+7
>>521
18歳のとき。なんつーか、英雄伝ではなく政治史として室町後期〜
江戸前期を考えたときに彼の非凡さと凄みが響いてきた。


528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 11:26:41 ID:qV1b2o4s
山岡荘八の家康の後半は、政宗が重要な副主人公的な扱いで登場する。
伊達好きは、関ヶ原前後の巻当たりから読んでも愉しめる。

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 11:26:56 ID:BJzuX4SG
16で家康好きってのは少ないのか。
小説とか読まないようにしているからか。

530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 12:17:23 ID:iwCTm1F5
でも戦国に知識深まってくると、誰好きとか嫌いとか思わなくなってきたな。
小物の武将にもそれなりに魅力を感じる。

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 16:38:16 ID:mHxlbbFo
>>530
 そうそう、人間としてどれも魅力があるんだよね。
 そこまで来ると会社の嫌な上司とか、変な顧客にも「この人にもいろんな事情があるんだろう」なんて考えられるようになって……

 かといって心を広くはもてない。自分も人間だから。
 そういう人達をまとめた家康は、ほんとに偉大だ。

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 20:26:36 ID:0BGtoA9O
>>521
家康好きは、モノごころついてからの事だから覚えてないな。
さて、何がきっかけだったのやら…。
実家の壁に、東照公御遺訓がかけられてあったが、あれじゃないだろうなw

533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 21:41:25 ID:kpHL2I1q
>>529
俺は十五で好きになった。
でも最初は三河武士とか色々な要素があったためどっちかと言うと
「徳川家」が好きだったんだ。家康個人の魅力にはまってきたのは17くらいでだな
戦国時代の考証とか、近代とかのことも調べるようになって初めて家康の真の魅力に気づく

534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 03:51:09 ID:IqNKfwHA
>>532>>533
 うわっ!若い。

 自分は仕事始めてからその良さにきづいてはまったクチだからなあ。
 ちなみに荘八御大の君子然とした家康よりは、司馬御大に無茶苦茶に罵られている家康の方が好き。
 ああした飾らない評価ほど、家康の真の評価があると思う。

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 11:38:40 ID:2iD2dL57
司馬舐めたことないゆえ家康が嫌いになることはなかった。

>>534
おまいさんにとっての家康とは。

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 12:27:42 ID:MqlqDL5I
うんこ臭そうな1万円札になるな

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 13:29:25 ID:ueEwND7x
大体、歴史嫌いだから特に好きということはなかった。
好きになったのは「徳川家康名言集」読んでから。
こりゃすごい人なんだと思った。

538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 14:45:08 ID:fp0CszK0
幼い頃読んだ関が原の合戦(漫画版)の内容をよく覚えてるよ。
私が読んだのはたしか、こんな感じでした。

秀吉が死んでから一年経たずして禁止されてるのだが、早速
伊達政宗や蜂須賀など有力大名と縁組を始める狸親父。

五大老と言っても、事実上は加賀の前田利家と徳川家康が仕切ってる。
家康に唯一対抗できる利家が亡くなり、ついに動き出す家康。

手始めに、上杉景勝が戦の用意をしており豊臣政権への敵対意志がありとの言い掛かりつけて、
豊臣政権から兵と軍資金を渡される。上杉討伐へ向かう最中、石田三成が挙兵。(この時点で家康の掌で踊らされてる)

ここで家康が「おのおの方どちらにつかれるかは自由である」との発言に続き、事前に打ち合わせしていた
福島正則(後に領地没収(笑)が、「今度の戦、秀頼殿は何のご存知もない。三成こそが豊臣家の敵とあると思います」
武将一同「そうだ、そうだ、我らをさしおいて」家康「にやり...」

書状作戦で、二百通以上の手紙を各大名に送る。吉川元春や小早川秀秋の裏切りに繋がるのだから、これが最大の勝因じゃないかな。
伏見城を千八百の兵で篭城した鳥居元忠も忘れられない。三河武士などの主君に忠実な部下を多く持てたのは最大の幸運だったろうね。


539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 14:46:44 ID:fp0CszK0

三成方は西軍総大将毛利輝元が大阪城から出てこない上に、一致団結に欠けてる。三成に対する深い恨みがマイナス。
@三成襲撃事件A島津義弘率いる兵は1500B秀秋はまぎれもなく豊臣家の一員だが、三成に身内を切腹させられ、
朝鮮出兵の時も前線で活躍したにも関わらず三成に「先頭で戦うなど大将のすることではないわ」などと言われる始末。

家康が目と鼻の先に陣を構えてることにも気づかない上、大垣城から出て、佐和山城を落として一気に秀頼のいる大阪城に向かうつもりかと焦燥感を感じ
ようやく出陣する三成。つねに後手後手。仕方ない、私が三成でも家康には勝てない。皆もそうだろう?なんせ戦国時代から信玄などの百戦錬磨の武将達と戦ってきた猛者だもん。

当時読んでて驚いたのが凡将秀忠率いる軍勢が信州の真田親子に足止めされてたこと。
三万八千もの軍勢が三千の真田に足止くうことと、家康自身に三男とで兵を二分できるほど、兵力に余裕があったことの二つ。

キーボード打つのが疲れたので、(省略)私が読んだ関ヶ原合戦本の徳川家康という人間の凄さを羅列します。
@東軍と西軍の戦況は一進一退の攻防。南宮山の小早川秀秋のどちらにつくかの決断で勝敗が決まるのは目に見えていた。
三成も狼煙をするも失敗。家康は威嚇射撃で恐怖感を与えた。秀秋が家康につくことで東軍の勝利で決着がつくけど、
『質問』もし三成が鉄砲隊使って家康より先に威嚇射撃を行ったらどうなってたろう? 逆ギレして西軍を襲撃するなどと考えると面白い。
秀秋が1602年に亡くなってるのもやられたかと勘ぐってたのを覚えてる。少なくとも清正がやられただろうね(暴笑)

小早川の裏切りによりちりじりに退散する西軍。追撃の先鋒隊を誰に任せるか。
ここで人間心理に通じた家康のエピドードが...小早川、脇坂、朽木など西軍についていた武将達に言い渡した。

彼らは、最初に西軍についていたという後ろめたさがあるので必死になって戦果を上げようとしたとさ。いやはや、家康って恐い人です。

540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 14:52:40 ID:fKu62DXx
538。元春は死んでるよ。 

541 :534:2006/11/19(日) 15:06:28 ID:wc5jysF6
>>535
 河岸変えたのでIDは変わってると思ういますが、534です。

 自分の家康評は、わかりやすい「いいひと」じゃなくて、「利己的」「功利的」にみえて「大局的に大勢の人のためになることをする」人だと思う。
 司馬御大は、著書の中で散々「功利的」「利己的」「暗い印象を与える」「粘着気質」と書き下ろしているが、三成や淀からはそう見えても、結局大勢の人に支持され頼られたのは家康。
 で、司馬御大は家康が天下を取るために行った陰謀や、人の感情をコントロールする様を描くんですが……
恐ろしい陰謀家を書こうとしているんでしょうが、ちょっと視線を変えてみると、深い人間洞察に溢れた逞しい男が浮かび上がってくるんですわ。
 あの戦国でここまでした男がいるか!という気分になる。
 しかも、よくよく読み込めば「自分と自分の家臣団」を守るという非常に「利己的」な動機だけども、それをなす為には他者から「信用」されないといけず、
その「信用」を勝ち取る為に死地をも飛び込むという部分が、いわゆる一義的な「正義漢」には感じられない魅力だと思う。

 例えば三成や幸村のような一義的な「正義漢」は、本の中や、死んだ当人は正義に酔えるだろうが、他者の為にはなれないと思う。

542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 15:11:11 ID:fp0CszK0
合戦も終わり、どこかに潜伏して身を隠す三成の探索を田中吉政に命じる家康。
この吉政という男、かつて三成の下で働いてた。もし、三成を発見出来なかったら、
かくまってるのかと言われ、何をされるか分からないので必死になって探す訳です。

後は家康の独壇場であります。改易や領土没収などで260年もの長きに渡り続く徳川幕府の基礎を築いたのでした。
おや?まだ豊臣家が存在してる...。日に日にたくましく成長する秀頼、千姫をあげてご機嫌とっといて、
国家安康君臣豊楽でいちゃもんつける。本当に恐い方ですね。黒田長政や加藤嘉明など豊臣恩顧の大名は既に江戸に残る様命じてある。
真田幸村が大阪方にいなかったら、多分、大阪の合戦の本を現在読んでもつまらなかったんじゃと私は思ってます。

真田が大阪の城に入ったことを家臣が家康に告げると、家康の触っていた障子がカタカタと震えたそうで、昌幸か息子かと問質し、
息子の方と分かるとホッとした家康だそうですが、その考えは甘かった事を嫌と言うほど思い知らされ、苦汁を味わうのはご存知のとおり。
大阪の合戦で家康は死んだとの説もあるぐらいですからね。

最後になりますが、戦国時代最強の武将は?との質問をよく見受けますが。何をもって最強というのか定義が分かりませんが、
戦略は徳川家康。戦術だけ見れば真田(昌幸・幸村)に軍配が上がるでしょう。ペコリ 長々とつまらない雑談失礼しました。

543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 15:13:23 ID:fp0CszK0
>>540
吉川なんだっけ...思い出せない。うむむ、元春は毛利元就の次男だったね。
五大老に中国地方から二人張ってるのは今思うと凄い。隆景or輝元。

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 15:39:27 ID:fp0CszK0
今の子供達には、もっと日本史の勉強をさせるべきだと思います。

レス1にもある様に
「『忍』に徹し『機』を待つ」
家康の生き様から学べることは驚くほどたくさんあります。

コンサルの船井幸雄さんは成功者の条件として素直・プラス発想・勉強好き
の3つを挙げております。当時としては驚異的な長寿であろう75歳まで生きた家康もかなりの勉強好き
でした。最新の医学書が中国で出来上がると、すぐ取り寄せて講師に講義をしてもらったそうです。
亡くなる何年か前までは鷹狩りを楽しんでたそうですので、かなり視力も良かったことがわかります。
煙草はなぜか薬と信じられた時代なのに、家康は吸わなかったそうです。本能的に煙草の害を見抜く見識の持ち主。

日本が生んだ史上最高のにんげん、家康に乾杯。

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 15:41:31 ID:wGauXHIN
>>543
広家だろ。

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 15:46:07 ID:7sSAPlzQ
どうも今の日本ってアメリカナイズされすぎるせいか、
信長人気が圧倒的になっている。
戦国ブームが耐えない日本、中でも信長が最高のスターになってるが。
信長の悲惨さがわかってるんだろうか。

たまに滝田栄のNHK大河ドラマ「徳川家康」の動画見てると、
戦国時代がいかにかっこいいものではないことがわかる。
また家康の天下は棚ぼたとか言うのもいるが、
いかに命がけだったか、もっと知って欲しい。

一番興味があるのは関ヶ原の真実だね。

滝田の家康は実像からかけ離れてるように見えるが、
実は内面の家康を何よりも描いてると思う。

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 15:51:09 ID:AnwiR2p0
いいじゃん別に。
最初から悲惨さだけじゃ誰も興味持ってくれない。

信長というカリスマで集まってきても、後から家康等の
政争の深さを知っていけばそれでいいんじゃないかと。
興味も持ってもらえないよりずっといい。

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 16:13:33 ID:w70nqpT1
うんこ臭そうな1万円札になるな


>>546
昔は秀吉今は信長が圧倒的人気だけど
家康が人気になったことなど一度もない

549 :534:2006/11/19(日) 18:49:56 ID:wc5jysF6
>>544
 亡くなる何年か前じゃない。
 大坂の始末の付いた翌年、田中に新しい隠居城を作ろうと視察がてら鷹狩りをやっていた。
 そこに京から茶屋四郎次郎がやってきて、当節流行の物と鯛のてんぷらを料理して食わせた。
 その翌日に腹痛を起こし、4ヵ月後に亡くなる。
 つまりは、ぶっ倒れるその前日まで鷹狩りを楽しんでいた……化け物みたいな精力の持ち主。

>>546
 あれは、戦国と大東亜を重ねていたからね。
 しかし、年をとると、信長のジェノサイダーっぷりに引いてしまう。
 文句なしにカッコいいんだが……尊敬する気にはなれない。

>>548
 終戦間もない頃、荘八御大が火をつけて大ブームが起こりましたが、何か?

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 19:20:42 ID:2iD2dL57
まあ落ち着いてちょう。

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 19:21:05 ID:6AiVTZPg
>>542 戦略は徳川家康。戦術だけ見れば真田(昌幸・幸村)に軍配が上がるでしょう。
家康が真田と直接対決をしたのは、大阪の陣のみで、結果は家康の大勝。
この事実を前にして何故、真田に軍配があがるなどと言えるのか。
幸村は大阪の陣で、道に迷って後藤基次を見殺しにするなど失態も犯している。

真田が大阪の城に入ったことを家臣が家康に告げると、家康の触っていた障子がカタカタと震えたそうで、
昌幸か息子かと問質し、息子の方と分かるとホッとした家康だそうですが、

まったくのデマ。
第一次、第二次の上田攻めでは家康は参加しておらず、恐れる理由が無い。
むしろ家康の怖さを知ったのは昌幸で、息子の信之に何度も、家康にお許し願えるよう頼んで欲しいと、手紙を
送っている。
九度山から「家康様に逆らった私が馬鹿でした、どうかお許しください」と必死に手紙を書く昌幸の姿は滑稽だ。

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 21:25:30 ID:fp0CszK0
>>549
八味地黄丸という漢方薬を飲んでたらしくて、子沢山に恵まれたのはこのおかげでしょう。
今でも薬局へ行くと買えます。

>>551
この事実を前にして何故、真田に軍配があがるなどと言えるのか。
確かに大阪の陣は家康方の圧勝で終わりました。しかしながら赤備えの影武者部隊を編成し
何部隊も連なる敵陣を突破、本陣に迫り家康が後退途中に何度も自害を口にしたのも事実でしょう。
いくさの実践経験が無く、有能な武将の意見を全く聞き入れなかった澱殿と治長が敗因の理由。

>幸村は大阪の陣で、道に迷って後藤基次を見殺しにするなど失態も犯している。
しかし、その後伊達政宗の部隊を後退させ、豊臣方の兵を大阪城に引き揚げるときしんがりをつとめ
「関東軍...男子はおらんのだ」は有名な話。
島津家臣の「真田幸村日本一の兵、古よりの物語よりこれなき由」
つまりは、昔からある軍記物語にもこれほどの戦いぶりはなかったと最大級の賛辞を送ってます。

>九度山から「家康様に逆らった私が馬鹿でした、どうかお許しください」と必死に手紙を書く昌幸の姿は滑稽だ。
石田三成は昌幸を卑怯者と評しています。
息子を使って、また手紙を送り助命の嘆願をし、
虎視眈々と徳川打倒の秘策を練ったのが真田親子です。

秀忠を足止めさせたのも、相手の心理を読み挑発行為を行い、相手が油断したスキを突いて
一気にそこを攻める。真田丸の戦いも同じく。家康に媚をうる姿は滑稽に映るかも知れませんが、
面従腹背で15年後家康を苦しめたことを考慮すれば、真田親子を自害させなかった家康の負けです。


553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 21:33:08 ID:AnwiR2p0
>>551
表裏比興の者とまで言われた真田昌幸に今更何をw

お前さん真っ先に騙されるタイプじゃね?

554 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/11/19(日) 21:43:45 ID:FS52YIkH
家康が見せる隙を真田親子がいかに上手く突くか。
そういう相性というか歯車がきれいにあうんだよなあ。

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 21:46:11 ID:7qZ9xsic
何で互いに見たくないこと、認めたくないことに目をつぶるの?
意味ないじゃん。そんな議論やめちまえ。

「謀略王家康のすることだから〜」「表裏比興の者がすることだから〜」
「そもそもソースどこよ?」の繰り返しになるだけっしょ。


556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 21:50:45 ID:+oQ/9ajz
こんばんは・・・・突然ですが関ヶ原は『宣明暦』で9月14日
といわれてます。。秋の刈り取りがすんだくらいで上杉軍が寒くなり
戦をしないだろうと思われる時期は今の太陽暦でだいたい10月中頃
かなと推測しますがご存知のかたいらしゃいますか??教えてください
最近思いついて書き込みしてスマソ^^*)

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 22:22:19 ID:fp0CszK0
名を遂げた武将に共通することは何も無いということが共通している。
つまり、皆それぞれ長所を最大限に活かし、確固たる信念を持っていたことだけは共通してる。

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 22:41:35 ID:fp0CszK0
4、5歳の頃だったと思う。関ヶ原の漫画を読んだのと、「人の一生は重荷」の徳川遺訓
これは後になって、家康死後に誰かの手によって書き記されたことを知る。
だけど小さい私がそんなこと知る由もなく、遺訓を覚えようと必死でした..。

と同時に自分が家康だったらと、当事者意識をもって本を読んだとき、
誰が260年も続く天下泰平の世がつくられると予想したろうか。

徹底的に考える。自分の曾曾曾曾曾..孫の代まで未来永劫末永く続く
徳川幕府の体制を築くのにどれだけ苦心したかと想像しただけで、
まだまだ努力が足りない未熟な自分に気づかされたりした。
今思うと精神修養になってたのかなぁと。

私だったら、ブレーンの本多や天海などに相談やアドバイスを求めたりはする。
でも、どんな場面においても最後は自分で決断を下すしかないんだよね。

人質として盥回しにされ、精神的なストレスから爪を噛む癖が身につく。
嫡男は自害命じられても律儀に信長との同盟関係を保つ。
武田信玄という当時間違いなく天下に最も近かった大名が隣にいて苦心する。
秀吉に頭を下げ、自身はナンバー二の座に、まだ我慢。

ほんと溜息がでるよ。
俺だったら戦のこと考えるだけで精一杯なのに、養生にも気を遣ってるんだから。

とにかく他人の失敗から学んでるよね。秀吉が女に溺れ、謙信が酒豪で脳卒中。
信長は気が荒く人から恨まれること多し。家康は見事に同じ轍を踏まずに遠き道を生きた。

家康マンセー

559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 22:59:04 ID:fp0CszK0
http://www.youtube.com/watch?v=Y7D2f2JcCb0
大河ドラマ 徳川家康 最終回「泰平への祈り」

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 23:06:57 ID:2iD2dL57
自分に非があれば遠慮せず言ってほしい。

こーれだよね。トップのあるべきすがた。
上に立つと視力の低下、見えなくなることがある。

561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 23:08:23 ID:eczQ84vd
意見があったら遠慮なく言えというが、実際に言っても相手にしないのが日本の上司の実情www

562 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 23:13:49 ID:6QbTN80x
1万円は秀吉のが似合う

563 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 23:16:40 ID:6QbTN80x
上の方の長文たちはみんながしってるエピソード語ってるだけな件

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 23:26:05 ID:fp0CszK0
>>563

当たり前のエピソードばかりで
悪かったな、この野郎。.。。


http://http://www.president-vision.com/movie/movie.php?hori.mpg



                        怒りは敵と思へ

                                  反省 めんご
                        

565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 04:57:13 ID:tTqkc/Bl
>>560
 人の話は、どんな愚論でも辛抱強く聞くこと。
 そうでなければ、言うべきことを言う人間が気後れして、意見を言いにくくなるから。

 家康がそのようなことを言ってた気がする。
 信長相手だと、言葉に気をつけないと殺されかねんし、秀吉は顔が笑ってても後で利休みたく始末されかねんし……
 家康の場合、自分の愛息の始末に一役買った男を家老にしたり、自分を裏切ったはずの家臣を呼び戻したり、その息子を取り立てたりしているから、(調子に乗ると別だが)意見を言いやすい人ではあるな。

>>561
 だから家康は素晴らしい、という話。

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 06:10:43 ID:gD0c6emO
>>552
横レスだが、大阪の陣では豊臣家の滅亡という戦略目標を達成してるから家康の勝利だよ。
苦戦しようが泣き言を言おうが。
つか、家康は本能寺直後にも知恩院で腹を切るとか泣き言言って止められてるからいつものことよ。

真田が勇戦力闘したのは事実だがそれと勝敗は別。
判官贔屓は嫌いじゃないが、それで政治は語れないのさ。

567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 12:19:39 ID:WqsPg4Pt
生き残った方が勝ち
当たり前のことだがな

568 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 12:37:09 ID:b6VdQ2MJ
家康影武者説もあるけど(笑)まあ眉唾的な仮説だからね..。

569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 12:40:52 ID:b6VdQ2MJ
「鬼の様な幸村が...秀頼様をーー♪」
天草四郎(秀吉の孫)の旗印は瓢箪で、豊臣家と同じ?似てるらしいよ。

570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 13:00:06 ID:WqsPg4Pt
家康なんてすぐ隠居してんだからどうでもいい
秀忠は家康の息子なのは間違いないし

571 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 13:01:22 ID:KQvjtPag
>>542
物語を追うのもいいが、当時彼らがどうして、どのような行動を取ったか考えると面白い。

何故1615年に大坂の陣になったかだって
74才の家康は、自分自身にもいつまで生きれるか、解らない不安があっただろう。
将軍秀忠に大軍を動かす経験をさせると共に、泰平の為に豊臣家を無力化させる
たんなる大名ならば取りつぶせば良いのだが、豊臣家はかなり特殊な存在だった
大阪城には禁止した、キリスト教徒も何万人も立てこり、宗教弾圧の側面もある。
さらに取りつぶされた、浪人達や行き場の無い大名も多数集まってきていた。
そう考えれば何故1615年の大坂の陣だったのかは、家康がぎりぎりまで我慢したと言える。

この我慢を秀吉は出来なかったとも言えるね。
もっと言えば秀吉の晩年を、よく知ってたからこその行動だったのだろうな

572 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 14:23:42 ID:iAjl99Vv
>>571
 というか、秀忠の将軍宣下の時といい、二条城の会見の時といい、家康は粘り強く秀頼(というか大坂陣営)に臣下に下るよう促している。
 冬の陣の直前だって、秀頼が大坂城を明け渡し、人質を出し、国替えに応じていれば、命まではとらなかっただろう。

 「元の家臣に頭が下げられるか」と突っぱねたのは大坂方で、よほどの馬鹿でない限りはその後の行方は想像付いていたはず。
(実際に加藤清正が二条城の会見に必死になったのもそれがわかっていたからだし、伊達政宗も関が原が終わって間もなくの頃、今井宗易に「秀頼は家康の元で養育し、成長後は徳川家の庇護下の一大名として一命を全うすべき」との手紙を残している)

 方広寺鉦銘事件の「こじ付け」で、「家康は何が何でも豊臣を潰したかった」と誤解されているが、あの手の因縁は家康も散々を吹っかけられている。
 むしろあの時点に至るまで粘り強く大坂方と交渉し続けていたことを考えれば、主家をしのいだ実力を持った家臣としては、異例なほど気を使っていると思うぞ。

573 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 14:32:44 ID:b6VdQ2MJ
>>571
家康は非常に幸運な男だったと思う。

1つ目は、
豊臣恩顧の大名が相次いで亡くなる。浅野幸長、前田利長など、
2つ目は
気性が荒く、おまけに結城家にいった次男秀康が梅毒にかかって死んだ。
家康の遺伝子を継承してると思えないほど短気だ。

3つ目は、
秀忠が凡将だったこと。関ヶ原では三万八千の軍勢を遅参させ、
大阪の陣でも戦場への到着を急ぎすぎて家康から叱られる。戦はへたでも、こういう男が将軍の座を受け継ぐ方が良い。

でも、時の権力者によって語られた歴史は、どれも最大の疑念を持って見なければいけないとの言葉があるように、
豊臣恩顧の大名を皆毒殺し、秀康を性病感染の女とsexさせ、大阪城にスパイを潜入させ、大阪城五人衆の意見を却下させる。
本能寺の変も光秀と朝廷の共謀、所領安堵の約束を反故にし、まさに権謀術数の男といえよう。
天下を取ろうと思っても、本人の努力以外の要因が働く為に、それを人は運を呼ぶが。
家康の悲願の夢であった天下泰平の世は努力によって成し遂げられたとしま思えん。

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 14:42:54 ID:b6VdQ2MJ
>>572
豊臣家が大坂城にいるから家康は攻め悩んだ。
国替えに応てから、すぐに豊臣家滅亡の行動を起こすのでは..

家康も豊臣家に細心の配慮をしたと言ってるが、
和睦の条件を破り捨てて、内堀まで全て埋めて裸城同然にするなんて、もう滅茶苦茶じゃ。

575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 14:46:48 ID:mWPWl8jh
秀忠の政治力悪くないし秀忠を翻弄したのは家康を何度も翻弄した昌幸なんだから
キャリアが違うんだから当たり前

576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 14:55:23 ID:b6VdQ2MJ
>>575
自分が家康だったらと想像してみ。三万八千の自軍ぬきで、天下分け目の戦いをする。

577 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 15:02:34 ID:mWPWl8jh
だから関が原ではぬきで勝ったじゃないか

578 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 15:05:18 ID:b6VdQ2MJ
どうすれば家康になれるか議論募集中。雑誌プレジデントより抜粋
「考える力をつけることが最も重要だ、という本質的なことが忘れられている様に思う。
論理力の訓練はモノを覚えることではない。誰かと徹底的に議論することの方が、よほど勉強になる」

ボストン・コンサルティング・日本代表御立尚資

579 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 15:09:19 ID:b6VdQ2MJ
三万八千の大軍を率いる秀忠の戦いぶりを見たかった。
もう、その願いは叶わないが、歴史の書物を片手に想像力を膨らませ中。

「空想は知識より重要である。知識には限界がある、想像力は世界を包み込む」。by einstein



580 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 15:23:56 ID:b6VdQ2MJ
■「読書で視野を広める」 京セラの創業者   稲盛和夫

 娯楽としてだけではなく、自分自身を高め、そして磨くために努めて読書すべきだと思います。
良い本を読むことを習慣づけて、そこに書かれていることを真剣に吸収するのです。
 仕事で夜遅く帰宅したあとでも、私は必ず本を読みます。いつもそばに置いてある中国古典
や哲学についての本を読むのです。

 お風呂の中で本を読むことさえあります。週休に休みがとれる時は、一日中本を読んですごす
のが大好きです。

 忙しくて、本を読む暇などないと思われるかもしれませんが、どこにいても限られた時間の
中から数分を割いて、良い本を開き、内容に感銘することができるのです。
もちろん、人生において一番重要名ことは、実際の経験を通じて学ぶこです。
しかし、読書は、それらの経験をもっと意味のあるものにしてくれるのです。その上、本は、
実際にまず経験できないようなことも教えてくれ、頭の中でシミュレーションを行うことを
可能にするのです。

 自らの直接的な経験と、読書を通じて得た間接的な経験は、人生で成功を収める上での
精神的な基礎をつくってくれます。
『成功への情熱』  稲森和夫著 PHP文庫 ISBN4-569-57506-4 ¥552より。

http://http://homepage1.nifty.com/iihon/200009recom11.htm


581 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 15:35:09 ID:L07PokYh
>>574
国替えに応じ、軍役を負担し、
人質を出して石高の少ない一大名になれば織田家と同様に豊臣家も存続できたさ。

それから、一旦軍を起こしたらもう容赦しないのは当然。
当たり前だろう。

582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 21:14:23 ID:iAjl99Vv
>>573
>気性が荒く、おまけに結城家にいった次男秀康が梅毒にかかって死んだ。
>家康の遺伝子を継承してると思えないほど短気だ。
 家康の遺伝子には短気者多いよ。三郎信康や亀姫、忠輝、頼宣など。
 それに、家康自身も結構短気。追い詰められたり、不意の事態に遭遇すると普段の彼から考え付かないような狂態を示すことがある。
 元々狂騒の気があったかと思われる。

 それを押さえつけていたのは、天性の「忍耐」というよりは、幼い頃からの苛酷な環境と自身の努力によって培ったもの。
 だから、尊敬に価するんだが。
 ちなみに秀忠にも同様の狂騒の気が見られるが、こちらも上手く制御していた。たぶん幼少期から跡継ぎとして養育されていたのが利いたのだろう。

>>574
 家康は、元主家であり過去(家臣たちが)散々な眼に合わされた今川家や吉良家をも高家として保護し、それなりの礼遇を与えている。
 豊臣家が一大名というか、徳川家(あと天下)にとって、無害な存在になれば、当然保護したろう。

 「天下一の名城」に「元主家の跡継ぎ」が「浪人を集め」前田家を始めとする「各地の大名に徳川討伐を促す書状を送る」などしていれば、滅ぼされて当然。
 家康は良くギリギリまで我慢したと思うよ。

583 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 21:25:57 ID:Q8z0jz0Q
家康に大義があったかどうかはともかく
大阪城に終結した戦国時代の膿をなんとかとかないと
無駄に戦乱が続いたことは確かだな

584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 21:48:45 ID:b6VdQ2MJ
>>583
全国から功成り名を遂げ様と集まってきた徳川家にとっての膿を
一気に片付けられたんだもんね。

585 :大阪人:2006/11/20(月) 21:57:22 ID:IvneG/e4
大阪城も天下の軍勢を相手に、名を上げれたわけだしな
正直一度も戦う機会無く消滅した江戸城よりは、よっぽど浮かばれる

586 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:14:46 ID:knD9M5KW
>>580
読書ってさ、娯楽目的だけじゃつまらんよね。

587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:18:03 ID:uB/gBbQY
大久保忠隣の改易は2元統治の犠牲だろうな。

588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:36:17 ID:IrLPH0VZ
家康は短気だろ
どちらかというと

589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:38:28 ID:kIHQ30rJ
>>587さんそうですね・・・・
結局・・・・忠隣、正純らはいったい・・・なんだったのだろう。。
ひとつ間違えれば譜代とは言え、福島正則や清正とかわらんが・・・・
無情だと・・・感じ松orz

590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 03:33:40 ID:hwT0PTdp
>>589
「強き御政務」ってのが当時からの評判だが、
政治に差し支えが有れば実子や一門でも改易するってのが幕府だし、
それが安定政権をつくったのも事実。

大久保忠隣の事件は一つ間違えれば秀次事件になってたわけだからな。
むしろ犠牲が少なくて済んだと言える。

591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 18:45:21 ID:8P264Jzu
それも大久保が大人しかったのと改易を申し渡したのが秀吉でなく家康だったからだな



592 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 21:27:14 ID:cKFKAeKS
足軽が家康の袖を引っ張って給料上げろと言ったけど怒らずに応じた。
信長ならその場で切り捨てるだろ。

593 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 23:28:50 ID:YFYAyn/P
俺でも切るけどな

594 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 08:33:37 ID:Mzhz1zcp
いや、信長なら給料相応の仕事が出来るか試してから斬るだろう。
使える道具なら多少生意気でも必要な間は大事にするのが信長。

595 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 08:40:09 ID:qvrwgYDt
みせしめに斬るのもよし。

596 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 10:57:23 ID:TIrzQC6B
家康はなるたけ下の者の意見を聞くようにしていたということ
織田家の場合は、下の者が意見を上申しにくい雰囲気があっただろう
本能寺の変で、家康がトチ狂って信長に殉じると言ったとき家臣が説得して逃げさせたが、
信忠は切腹を勧められたw
本能寺の変そのものが信長の独裁の結果でもある

597 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 12:16:18 ID:qvrwgYDt
自分の能力に自信があるなら独裁で。
だが家臣が離れてしまうか。

598 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 23:37:29 ID:eYtfriZ/
>>596
腫瘍で死にかけて、死ぬ覚悟を決めて治療ボイコットしたときも、
結局は家臣の諫言に動かされて治療を受け、命長らえてるしな。

家康はこの手の、
家康の暴走や武家の頭領としてあるまじき行いを家臣があの手この手で諫言する、話が多い。

599 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 09:35:59 ID:/30MH3xk
家康も独裁だよ。最終的には自分の考えで決定するし、臣下の多
くがそういう意見だからってだけで取り入れることはしない。
ただ、家臣の意見を聞く(取り入れるというより)という手順は
踏んだってこと。そうしないと、家臣の不満もたまるし、家臣の
能力も上がらないし。ただ、分野分野では自分より能力のある家
臣の存在を認めており、そういう場合はぜんぜん我を張らずに
その人物の判断を信用するんだけどな。

600 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 10:38:54 ID:ckSE7cny
独裁を取れないトップの弊害は毛利輝元を見れば明らか。
輝元の場合は、毛利家の構造にも一因があるので全て輝元の責任ではないけど。

601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 11:05:04 ID:A5e0gm9K
基本的に封建領主だから独裁権はあるが、
一番家臣を大事にし、家臣の意見を聞く姿勢を持っていた。
気分次第で処刑するということも少なかった。
だから重臣でも少ない知行で満足し、離反も少なかった。

現代でも小泉前首相は「独裁者」と言われたりした。
要するにキャラの違い。

602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 17:03:15 ID:ugKoUPvr
まず 葵徳川三代を見て 家康公を称えようではないか

603 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 17:20:22 ID:yQZZppaM
榊原康政は所領の少なさについて嘆いていたという逸話があるし、
譜代衆でも不満をもっていた人間はそれなりには存在した。

604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 18:41:13 ID:rIzir+Ap
酒井の逸話もあるよね

605 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 20:55:56 ID:8ZBsMlFz
>>603
康政や忠勝は不満を見舞いの使者に色々言ってたらしいが、
それが言えるのが結構いい主従関係だなと思った。

606 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 21:34:54 ID:ltsv3ALn
ああ良いねえ。
それで結局なっとくしたりね。

607 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 23:29:05 ID:TXb20Jcs
あの時代本気の本気で不満があれば行動に移すわけだしな。
「いやあ、給料低くて〜」といいつつも気に入ってる職場
見たいな感じか。

608 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 09:38:26 ID:m3DU7NTS
今の世、現実的に生きていこうとするならば戦国大名の生き様を勉強して自分なりに生かしていくしかない。
モデルとしては尊敬すべき武将がたくさんいるけれども、特に徳川家康を推したい。
家康は地味、堅実で華やかしいところはないかもしれないが、事戦争では結構アグレッシブな戦いぶいをしている。
三方ケ原なんかその代表だろう。俺は仕事上で判断に迷ったときは三方ケ原合戦の家康を思い出す。
慎重極まりない家康があんな強大な敵に立ち向かうその精神力を思い出すたびに「よし、俺もやってやろう!!」とファイトが沸くんだな。
結果は気にせずアグレッシブな自分がいるんだな。つまり家康を基本としていると局面打開に役立つのよ。
みんなはどうかな?そんな話を聞かせてくれ。

609 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 10:25:18 ID:agJ77jfx
>今の世、現実的に生きていこうとするならば戦国大名の生き様を勉強して自分なりに生かしていくしかない。


断言してしまっているがこんな発想は戦国オタしかしません

610 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 10:29:54 ID:BZbDRH0I
歴史なんてものの価値はまさに>>608のそれだよね。

>>609戦国オタになって良かったよね。

611 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 11:16:30 ID:GYBK8J1z
徳川家の譜代衆の所領の少なさはかなりなものなんで、
不満も多かったろうな。でも、あれだけ薄禄なのに康政
が愚痴る程度の不満の発露で抑えられるというのは、
すごいんだよね。普通の主従関係じゃちょっと無理だ。
たいていは、大封を与えてあとでつぶすって形になるん
だけど。

612 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 11:40:55 ID:IygbB5O2
>>610
いやいや、「三方が原の合戦」で学ぶべきは「無謀にみえても価値ある行動
がある」ってことで、猛然と立ち向かう気骨の基にしている、っていう>>608
は歴史の生かし方としては生兵法って奴だと思うけど。

寓話、逸話の生かし方なんて人それぞれだから別に可笑しい事じゃないし、
支えを持っていることは素晴らしい。

でも歴史に学ぶってそういうことではない。

613 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 11:55:26 ID:m3DU7NTS
なんだ、つまんねぇ、講釈野郎か解説委員ばかりか・・・
何不自由なく育ったんだろうな、こいつら。

614 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 12:00:19 ID:agJ77jfx
自分の思い通りにならないとぶーたれるのこそ坊ちゃん育ちっぽいけどな

615 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 12:21:13 ID:EbQoT+0M
家康厨って何でもかんでも持ち上げてる気が


616 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 12:35:00 ID:OtGqUnnP
局面によると思うけど、三方が原の戦いは失敗例として学べるかな。
しずがたけ然りこれ佐久間、小牧長久手然りこれ池田と同類かな、過信した結果が大敗。
相手を軽んじてた結果で大敗。
意地だけではね、意地は大切だと思うけど。
孫子で将に五危にあり。とある。思慮がなく勇気だけの奴は殺され、勇気のない奴は捕虜にされ、
短気な奴は計略にかかり、清廉潔白な奴は侮辱され罠に陥り、人情深く兵をいたわる奴は苦労が耐えない。

じゃーどうすれば良いんだよ?と思うが、程ほどに、臨機応変に応じていくことが必要じゃなかろうか・・・。
俺も家康が好きだな、三傑では家康がダントツに好きだよ。

617 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 12:45:37 ID:wJaYJhUU
>>611
譜代に高禄を与えるとお家騒動の原因になるという考え方が家康にあったと思う
その代わり、譜代衆のプライドを満足させることに家康は腐心している
秀吉の前で、家臣こそがわが財宝と見得を切ったり

618 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 13:12:32 ID:IKr0yPDb
>>616
とはいえ、あそこで籠城策を取っていたら当時の外様系は離反してたという予測もある。
まあ、大軍に正面切って挑んだのはかなり無謀なのは確かだがね。

>>617
家臣に大封を与えて統制に失敗、
一門の手綱を取れずに統制に失敗、
というのはどちらも室町幕府の失敗だから、
それから学んだんだろう。

619 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 13:31:31 ID:GYBK8J1z
>>617
その意識は、当然明確にある。でも、実際はわかってても大封と与えないと、
配下は納得しないわけで。徳川体制みたいな体制は、誰も知らなかったんじゃ
なくって、やりたくてもできなかったものなわけ。
でも、家康はやったんだよね。外様まではできなかったけど、譜代に関しては
成功している。それだけもすごいなってね。家康は、そのために緻密で独創的
な施策を行っているし、また、それ以前に家康の生涯の施策っていうのが、
薄禄でも仕えてくれる家臣団を養成するために費やされていると言ってもいい
わけで。

620 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 13:36:58 ID:GYBK8J1z
>>616
三方が原の戦いは失敗例ではないと思うが。
というのも、この戦いの結果、家康は声望も勢力も落としてない
から。
もし、信玄が勝ったらというIFもあるけど、その場合も三方が原で
戦っていた方が政略的にやりやすい。
三方が原の戦いで家康は「こいつは一筋縄ではいかない」という印象
を植えつけていることに成功しているわけだから、政略目的はちゃん
と達成している。

621 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 13:45:26 ID:ueHBkZKC
運よく信玄が死んだからだろうが
そうじゃなけれは勢力も糞もなく滅んでただろ

622 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 13:55:49 ID:40zmY2Nh
うんこ漏らしたぐらいだしね

623 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 13:57:31 ID:GYBK8J1z
>>621
そんなに簡単に滅びやしないよ。大石死なずだ。
信玄が一気に織田・徳川を壊滅できるほどの勢力ではないし、
また、信玄にしてもも織田はともかく徳川を完全壊滅させる
必要もない。さらには、信長が畿内を占領しても各地で残党が
動いたり、周辺大名と敵対関係になったりしたように、信長
以下の勢力でしかない信玄も同じような状態になる可能性は
とても高い。
その場合に、独立した外交や対武田外交を展開する上でも、浜
松に引きこもって武田軍が通りすぎるのを震えて見ていたという
実績と、劣勢ながら野外決戦を挑んで敗れたという実績とじゃ、
政略のやりやすさがぜんぜん違う。

624 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 13:59:05 ID:OtGqUnnP
そうかな?せめて三方が原に武田軍を」釘付けにしてないと・・・。
野田城落とされたわけだし。俺も信玄が亡くなったのは幸運だと思うね。

625 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 14:01:11 ID:ueHBkZKC
織田は滅びないさ
だが徳川は滅びる
あの状態で織田の援軍が来なかったら何ができると言うのだ
ご愁傷様です

626 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 14:17:51 ID:/TecP6eD
家康がおこなった家臣統制策で独創的なものって何があるんだろ。


627 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 14:22:44 ID:BZbDRH0I
信玄死ぬは幸運だね。

だが天下を獲ったのだからすごいのさ。

628 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 15:16:44 ID:ueHBkZKC
まあ、戦力差があったから敗れても家康が無能だとは思わんがな
籠城してはかえって危険だった可能性も否めんし
要は手詰まりだったとしか言えんな

629 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 15:22:33 ID:TxvsnYLj
謙信・信玄が生きていた頃の上杉・武田両家に
織田軍は一度として勝ったことがありません。

強国ひしめく地域で戦い続けていた経験は、兵力差以上に大きかったのでしょう。

その後、武田家は信玄が死ぬとまもなく滅び、織田家も滅びましたが、
徳川家康は武田家の家臣をそのまま徳川家の家臣として迎え入れ、
徳川家の範・礎としたのでした

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 16:12:04 ID:vc6S2CSW
うんこ譚は三河物語以外にもあるの?

631 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 16:54:41 ID:X1s0liME
三河の一向一揆で家臣団が割れたが、
その経験からか出奔した家臣も家康の下へは戻りやすかったようだ。

本多正信は有名だが、名代官として知られる伊奈忠次なんかは
二回も徳川家を出てその都度戻り関東の民政で活躍してる。

あと、独創的というか面白いのが大御所時代の側近の顔ぶれだな。
外国人、僧侶、商人、大工などという幅広い面々を側近として取り込んでる。

632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 18:42:43 ID:gxTD8O8F
>>626
独創的かどーかは知らんが、江戸幕府の
「権力の中枢に近づくと儲けが減る」ってのは
結果上手く機能していたと思う。


633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 19:11:05 ID:TxvsnYLj
上杉謙信 真言宗(&禅宗) 阿闍梨、権大僧都、自称・毘沙門天の化身
武田信玄 天台宗      権大僧正(破戒僧)
豊臣秀吉          豊国大明神
徳川家康          東照大権現
織田信長          自称・第六天魔王

634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 20:03:47 ID:asYq4T8i
一つ一つは独創性がないように見えてもきちんと組まれた政策は独創的で重厚な統治機構を作り上げた。
それが家康の凄みだと思う。

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 20:34:42 ID:2zLqeJQo
水軍、商工業、武器など新しい分野の育成に興味がないのかな。

636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 21:03:22 ID:asYq4T8i
>>635
そう思った根拠を資料出して説明してくれ。
単に史実を知らないとしか思えないんだが。

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 21:33:49 ID:g/ZVCgq5
>>629
そりゃあ、両者とも接触したのは一度しかないからな。
しかも、厳密にいえば信玄も謙信も信長と直接対決はしていない。

638 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 22:11:27 ID:2zLqeJQo
>>636
疑問に思っただけで、何も断定してない。

639 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 22:19:54 ID:Jr2iKubv
家康って好運すぎない?信玄が上洛中に死に、秀吉の死後すぐ利家も死んで
関ヶ原ができて、清正や浅野らが死んで大坂の陣。これ全部偶然か?
実はすごい優秀な忍者とかがいてみんな陰でぶっ殺してたりしてたってことはないのか?

640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 22:21:53 ID:asYq4T8i
>>638
なら自分で調べろ。

>>639
そんな優秀な忍者がいたら三方原や伊賀越えで不自由しない上に、
小牧長久手の時点で秀吉殺してるだろ。

641 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 22:39:47 ID:gxTD8O8F
>>634
徳川や江戸は実際の日本の一時代だっただけに、それ自体が
当時の独創性を測る上での「物差し」になってる部分はある気もするね。
「当時江戸幕府的でない≒当時としては斬新」みたいな。



642 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 22:47:20 ID:s6qi95iI
>>635
武器防具の類なら南蛮銅や大砲など最新の武具を熱心に取り入れている
海上に関しては水軍ではないがメキシコまで船を出して航海させたりしている

643 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 23:06:24 ID:ga6C1WbJ
【大阪】「格差社会は家康が悪い」…世間の好ましからざる出来事をすべて徳川家康(東京)のせいにして論じる座談会、20年ぶり復活
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1164549468/l50

644 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 23:50:10 ID:/uBDXE2D
>>607多分そんな感じだと思うよ

645 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 01:14:22 ID:TA4YbOoa
家康は日本史のA級戦犯だよ
江戸時代の250年間もの鎖国の所為で日本は諸外国に出遅れ、
日本人の国民性は閉鎖的になってしまった

646 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 05:34:29 ID:1UNtRy47
>>645
A級戦犯の意味も知らない馬鹿発見。

647 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 07:31:54 ID:8/bC9IEC
まあ、鎖国は家康が始めたものじゃないことも知らないお子様だからしょうがないだろ

648 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 11:48:03 ID:WAm+ytGi
そういや、こないだ歴史の授業で鎖国が無かった場合のシュミレーションを
やるってニュースがあったな。
結果は、日本経済は華僑に支配されていただろうってさ。

649 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 11:55:46 ID:Xgfv4XbP
脱糞無かった場合は

650 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 13:49:21 ID:ANZERspr
>>645 明治政府が朝鮮人を大量につれてきて混血した訳だが
その責任とれよ

651 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 14:12:29 ID:QRAmfzcO
脱糞脱糞ってウンコウンコ言って走り回る幼稚園児並みのメンタリティだな

652 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 14:21:38 ID:lLuIVaK/
>>616
A級戦犯が昭和初期のアレだけだと思ってるバカ発見
日本語不自由な奴だなw

653 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 14:24:33 ID:mPGgqmmf
>>652
頭に血が上ってレス先の確認もできなくなったか、低脳。
で、他のA級戦犯というのは何だ?
言って見ろ。
罪の重さでA〜分類されるケースをな。

654 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 14:25:45 ID:lLuIVaK/
アホはお前だよドキュン
A級戦犯=徳川家康
わかったか低脳ウジ虫くんw

655 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 14:27:39 ID:QRAmfzcO
>>653
あー、相手にするだけ無駄だと思うぞ
このスレに来るアンチなんて相手にするだけの価値はないだろ
幼稚園児に理を説いても無駄だ

656 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 14:59:15 ID:pL09aeqX
本来的な意味でのA級戦犯とは真逆の人物なんだがな、家康。
260年の平和を創出した人物だぞ?

657 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 15:08:05 ID:scFkzObe
鎖国は関係ないが大坂の陣ではA級戦犯に相当しない事もないな
まあ、戦勝国は裁かれないけどw

658 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 17:55:48 ID:Zwpt3BA6
戦勝国が裁くという慣行からすれば、
大坂の陣のA級戦犯は秀頼とか淀とかw

659 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 18:21:46 ID:dNPiavFO
>>651
気にしてるのかw

660 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 19:32:44 ID:7Yle9KzE
家康がうんこならお前らは存在自体がゴキブリの糞以下

661 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 19:40:05 ID:OKFvfZYb
そしてお前はカスであると

662 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 20:33:25 ID:nZQWmfrH
三方が原の合戦で、焼き味噌うんこ した

663 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 20:38:03 ID:Spr8QaLC
ここのスレの人に聞きたいんだが家康って三方ヶ原まであそこまでの敗戦って経験してないんだっけ?
何かの小説で見た気がしたんだがこの戦の前の家康はどちらかと言えばイケイケで
猛将タイプだった印象だったんだが
出来れば指摘頼む。

664 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 20:54:32 ID:pXjhwYz/
長州キムチ人

665 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 22:03:19 ID:9Sc4aPGb
>>645
日本の歴史に対するA級戦犯ならば
・天智天皇 白村江の戦いに負けた
・豊臣秀吉 最強の軍隊を持ちながらまともな戦略もなく海外遠征に失敗した
・昭和天皇&大日本帝国軍人 日本史上唯一の完全敗北を喫し日本を焦土にした

一方、家康は朝鮮から朝貢使節を呼び出したという点においてプラス評価だろう

666 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 22:07:09 ID:lLuIVaK/
家康はA級戦犯だよ
こいつのせいで日本の文明開化が遅れた

667 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/11/27(月) 22:07:16 ID:xAUskmjT
家康の呼び出した朝貢使節は宗氏の虚構だからなあ。
対外は0点でも構わない。国内を鎮めただけで充分偉い。

668 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 22:12:50 ID:CoiT4noC
>>666
文明開化する前に国内の金銀すっからかんになる方が先かと
絹を国産化するのも貿易赤字減少の一環でもあるし・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B9

669 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 23:26:19 ID:XOqu4XHs
>>666
お前全然スレ読んでないだろw

670 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 00:34:56 ID:+qLNp1Um
A級戦犯って何の事だと思ってるんだろ・・・。

671 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 09:37:47 ID:J2ZiEyTa
しょうがないよ。多分東京裁判のA級戦犯が誰で何したのかも知らないんだからw
鎖国については大体言葉自体が教科書用語だろ。
実態は制限貿易と海禁政策が順次強められたにすぎない。家康〜家光時代では
必要かつ順当な政策と主。ただ薬が効きすぎた感はある。


672 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 10:27:41 ID:eEuQ5MGw
東京裁判ってwwwぷっwww
だからお前は頭が悪いんだよwww
このスレとなんの関係もない
頭悪すぎだなお前
日本語不自由なのかwww

家康はA級戦犯

673 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 11:44:31 ID:zKYrHpe5
覚えたての単語って使いたくなるよな

674 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 11:54:16 ID:jIlGhsZd
凄いのが湧いて出たな

675 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 12:24:07 ID:tfvc8/PR
遅レスだが、榊原康政の愚痴は、所領の事に関する愚痴ではなく本多政信正純親子を重用して自分を遠ざけた事に関するものだったと思ったが。
所領に関する愚痴は多分酒井忠次が息子の家継の所領について苦情いったくらいか?
家康もすごいが家臣団もすごい。本多忠勝は関が原の後に加増しようとしたら断っているし(だから家康は忠勝の次男に別家を建てさせ、独立させると言う形で加増している)、
安藤直正は手違いで他の同僚より少ない加増しかされていなかったのに、家康がその手違いに気付くまで全く不満の色も見せなかったと言う。
名称の元に弱卒なく、勇卒の上に弱将なし

676 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 12:35:28 ID:Vqozo9N6
家康は鎖国のA級戦犯
何もおかしくはない

覚えたての知識で叩いてる奴らってバカ?

677 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 12:42:58 ID:QpU299Ex
とりあえず家康はうんこ漏らした

678 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 13:08:10 ID:ahlfWz+7
ただのうんこではない、匂いで信玄が攻めてこないようにするための計略。

679 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 14:05:52 ID:4QEpeuWX
はわあぁああぁぁ
ま、まさかそれが信玄の急死の?!

680 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 14:45:10 ID:w9XmVBA0
>>675
すごいなー
それだけ家臣の人心を掌握できてたわけか

681 :そういえば:2006/11/28(火) 17:39:17 ID:1+pMnaqc
そういや、一応は譜代の奥平家は江戸時代どうなったんだい?幕末まで続いたのか?

682 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 18:09:54 ID:ab2OiV8I
鎖国でA級戦犯を指名したいのなら、せめて秀忠にしとけ。
海外交易積極的な家康を鎖国の元凶とは無知を笑われるだけです。


683 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 18:10:48 ID:eByNlEDt
おいおい家光でいいじゃねーかw

684 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 18:13:35 ID:ab2OiV8I
 秀忠のコロに方針確定してた品。
家光周辺の幕僚とかは秀忠のコロに確定した機構と路線の
総仕上げ的な面が強いわけで
実行犯は家光でも
主犯ないし教唆したのは秀忠でいいだろ。

685 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 18:15:24 ID:eByNlEDt
秀忠はやっぱり忠輝や政宗が怖いから鎖国にしたんか?

686 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 18:38:06 ID:pBKGHps7
当時、東南アジアに急激に進出してきた南蛮人(東インド会社とか)に対する、防衛措置だったという説があったな
鎖国は厳密に言うと、制限貿易であって、日本は国を閉ざしますと宣言したことはない。
東南アジアが欧州の進出で揺るぐなか、人間も武器も物資も東南アジアに流出した。
だから貿易制限をした、という説。
正しいかどうかは知らん。

687 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 18:41:26 ID:eByNlEDt
まぁあれだ今も昔もアジアでまともなのは日本だけってことか

688 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 19:35:59 ID:++1QnXh4
>>682
戦国板に来るようなのは知ってる事だと思ってたけど、
そうでもないんだな > 家康の海外交易に対する態度

しかし、いわゆる鎖国に関しては、家康の影に隠れたような
格好になって、秀忠はラッキーだったかもしれない。

689 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 20:50:55 ID:k5IR7OlC
そもそも江戸時代における世界の貿易とは
有色人種を奴隷にしてプランテーションや鉱山労働をさせたり
貿易赤字解消のためアヘンを流し込みまくったり
産業革命による余剰生産物を売りつけて現地の手工業を壊滅させたり

こういう収奪貿易に日本も組み込まれたかったと後悔している人間が多いんだから不思議なものだ

690 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 21:19:54 ID:Mb1RoB9z
>>689
俺も不思議に思うんだけど、収奪する側に回れる前提なんだろうかね。
当時に普通に交易したら金・銀流出は避けられないように思うんだが。

691 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 21:24:13 ID:aH+qJcYx
レアメタルだけでなく、日本刀も量産されて質が落ちていったけどな

692 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 21:24:23 ID:3dgDmvk5
>>689
19世紀までの貿易ってのは、征服した地域の物資を略奪して直接交易品
にするか、そうでなければ略奪した物資を加工してそれをさらに植民地に
売りつけるかのどっちかだからな。鎖国をしなければ、その売りつける側
になれたのにと後悔している連中がたくさんいるってことだ。
俺としちゃ、略奪される側にならなかっただけ鎖国は有効だったと思うがね。

693 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 21:29:32 ID:3dgDmvk5
>>690
そうなんだろうね。無条件に勝ち組に入れると思っているんだろう。
なんでかは知らんけど。
でも、その勝ち組に入るための競争で愚劣な大失敗して勝ち組路線を破綻
させたのは秀吉であって家康ではないけどな。
一方の家康がやったのは、むしろ今と同じ、対等な外交関係の上に立った
平和的な交易だな。こっちは、時代を先取りしすぎたのか、後を継げる器量
が出なかったんで、鎖国になっちゃたけど。

694 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 21:45:22 ID:pk2K/9XA
堺屋太一あたりの影響じゃね?

695 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 21:49:26 ID:3dgDmvk5
>>694
司馬遼のほう影響でかいんじゃねーかな。


696 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 21:57:05 ID:+qLNp1Um
>>676
社会に出てから笑われる前に間違いくらいは改めとけ。

697 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 22:03:36 ID:miXcCiLt
鎖国しなければ、もしかしたら世界中が日本の植民地になってて、
今頃は日本語が世界の公用語になってたかもしれない。
でも、もしかしたらスペイン・ポルトガルみたく自国はダメダメかもしれない。
まあ、今は一応世界第2位の国になってるわけだし、おおむね間違ってなかったんじゃないか?

698 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 22:10:32 ID:3dgDmvk5
>>697
今、仮にも経済大国といわれるだけの裕福さを得られたって
いうことでは、どうみたって徳川幕府の功績が最大だよな。
戦国時代の人間じゃあ、今の会社組織なんぞ作れやしない。
江戸時代に我を張るだけの自意識過剰な人間であるよりも、
持ち場持ち場で最善を尽くすことが美徳であるという文化が
出来上がったのと、それ以上に世界最高の識字率を見ても
わかるように教育が最重要だって意識が根付いたのがでかい
わけで。
そこら辺を一切無視して、「徳川幕府は日本人を引きこもり
にした」なんて理論展開されてもねえ。

699 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 22:16:38 ID:9BBRx0Aq
>>681
http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html
ここで調べろ。

700 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 22:44:00 ID:irr3aKGo
アンチ家康は理性的な思考の結果というより、盲目的な信仰だからな
彼らの信仰を崩すのは根気が要るぞ

701 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 22:52:33 ID:ajQZmdwI
後代の幕府の外交政策の是非については議論の余地はあるんじゃなかろうか。


702 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 22:57:21 ID:3dgDmvk5
>>701
そりゃあ、そのとおり。
でも、「鎖国=悪」「江戸時代=停滞」なんていう間違ったイメージを
払拭する方が先だからね。
でないと、家康以降の徳川幕府の外交政策もまともに評価できないよ。

703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 23:14:14 ID:Mb1RoB9z
>>700
的確な指摘だね。
考察の出発点が家康以前の為政者(信長・秀吉)への賛美を前提にした
「家康=凡愚・悪、江戸期=日本史における停滞期」な人はいるかも知れない。
自らの信仰を支える要素として必要なんだろうけれど、理性的とはいえないね。

704 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 23:27:39 ID:tfvc8/PR
戦国……というより、南北朝時代から続いている内戦で荒廃させた国土と社会の復興をするのに鎖国は妥当な洗濯だったと思うの復興に鎖国は妥当な選択だったと思う。
鎖国といっても、当時国交名あった明、朝鮮、イスパニア、オランダのうち、侵略収奪にいそしんでいたイスパニアをスポイルしただけだし。

復興が終わり、社会的にも安定していた元禄以降も鎖国を続けたのはどうかと思うが、そこまでは秀忠や家蜜の責任でもあるまい。

705 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 23:34:32 ID:eMs60FUg
あれだな日本は平和が好きなんだよ
俺も平和が好きだ
江戸時代にアニメやゲームがあるならいきたいもん
だって女とやりたいならレイプしてもOKなんだぜ?
今の時代じゃ無理だもん

706 :前田 ◆LIBERALCQY :2006/11/28(火) 23:51:37 ID:l4jTg7bI
平和なら乱世が恋しい。
乱世なら平和が恋しい。
遠く離れているものが恋しい。
むかしむかしの人が創った平和を愛そう。


スイカ食べてえ。夏が恋しい。

707 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 00:27:52 ID:SqBVEunZ
鎖国は間違いだった

708 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 00:39:43 ID:vOU7xkf3
樺太千島を領有化できなかったのは完全に江戸時代の失政。
ロスケなんてまだまだ進出してなかったんだから日本がきっちり進出しとけばよかった。
つっても昭和の戦争に負けなきゃよかったんだが。

709 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 07:12:51 ID:ZQ3G619t
家康は当時世界でも指折りの金持ちだったらしいんだがどれくらいの財産があったんだろうか

710 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 14:31:40 ID:/Aln6xKZ
真偽はともかく、
へそくりで二条城の床を抜いたとかいう話もあるくらいだからな

711 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 17:52:23 ID:/2mPVT4K
>>709
金山独占してたからな

712 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 20:04:30 ID:GA4ye1Ex
堺町衆の矢銭も相当な額に到っただろうし

713 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 21:03:03 ID:/OTua5Av
家康が天下を取ったから愛知の武将が全国に配分された。
頼朝が天下を取ったから神奈川の武将が全国に配分された。
(島津、大友、毛利、少弐など)
足利、豊臣は外様の寄せ集め。

714 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 21:54:13 ID:7NF08kjq
713は日本史未履修組。

715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 23:53:31 ID:4eAjnaG9
>>709
久能山に残る記録によると家康死後に遺された金銀は200万両相当
その他財宝や江戸などに送った金銀を含めると600万両ほどの資産があったそうだ
途方もない額だよ
でも幕末にはすっからかん
金など皆無で銀が僅かにある程度だった
徳川家は代々家康に食わせてもらってたようなものだな

716 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 08:23:32 ID:+Q2LfbCw
金はどんどん小判にしてるからいいだろう。どんどん純度も悪く小さくなっていったが。

717 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 11:20:29 ID:LxT1oI1C
金銀の産出量が家康時代がピークであとは下がりっぱなし。長崎貿易で国外流出も
激しかったから後世の将軍にとっては致し方ない部分もある。>>715


718 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 13:44:30 ID:d4+jTtXA
金山を壊滅させた徳川幕府はやっぱ糞だな

719 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 13:47:55 ID:oR8eRKtv
>>718
今の時代も後の世からはそう言われるよ。

720 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 00:28:32 ID:dTInvE+H
足利義満と徳川家康を比較研究しています。
2人と天下を統一し時代の安泰をもたらした。義満の泰平は70年余りと短く、その間将軍暗殺とかあったりして
天下泰平とは言いがたい部分も多いが二人の政権構想や後世の影響を考えても面白い。

721 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 00:54:31 ID:aOSNRb/p
室町幕府は史上最悪の政権と言われてます

722 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 01:06:44 ID:v+S8YQqZ
最悪度なら
戦時中の大日本帝国>建武親政>室町幕府>平家政権>豊臣政権>>>越えられない壁>>>江戸幕府

723 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 00:46:22 ID:nFIgVZ/5
>>722
明治大正あたりはどこ入るか気になるな。

724 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 01:02:32 ID:njH+R2SU
生前、武家と公家の頂点を極めたのは義満だけだな

725 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 08:01:34 ID:3jBTc0U6
外交センスや貿易センスがあるからな。でも義満も金バンバン売ったような。

726 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 13:16:38 ID:ITcdeVRe
文化面でも義満は日本文化の創生者と言っても過言ではない。


727 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 15:52:49 ID:kWW6b9HW
やっぱ、ここのスレの住人(アンチ除く)は、
徳川家康>源頼朝≧足利義満>>(超えられない壁)>>豊臣秀吉>源義経≧後醍醐天皇
って感じかねえ。
イメージよりも政治的業績を優先しているしな。

728 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 17:03:10 ID:nhgMj76J
義経は政治的にはなんもしてないうちに謀殺されただけだから比較も何もない印象。

729 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 17:27:51 ID:Af4SeTD+
漏れは
徳川家康>源頼朝≧足利義満>>織田信長≧豊臣秀吉≧早雲庵宗瑞>>(超えられない壁)>>西郷隆盛>>源義経>>(超えられない壁)>>足利尊氏>>(超えられない壁)>>後醍醐天皇
かな。

だって、イメージなんて、客観的判断材料にならんもん。

730 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 17:29:08 ID:IHJ7WLGU
義満がなんでそんな評価高いか理解できんがな

731 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 18:01:34 ID:kWW6b9HW
>>730
むしろ、なんであんなに低いのかの方が理解できんが。
分裂状態の国家を統一したってのは、普通に評価すると英雄だが。
しかも、秀吉みたいに政権維持ができないところまで劣化させて死んだ
わけでもないし。

732 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 18:33:51 ID:v4sFCL/F
幕政改革。南北朝合一。勘合貿易。武家史上初の源氏長者、征夷大将軍。
公家としても准三宮、太政大臣。
さらには出家した上皇に匹敵する大上法皇の称号を送られ、治天の君となった。
室町幕府の最盛期を築き、北山文化、金閣寺の建立など文化的な遺産も大きい。

武家出身としては日本史上最高位にまで上り詰めたのが、足利義満だよ。

733 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 18:43:10 ID:Af4SeTD+
>>730
「皇統簒奪未遂」「明への従属」「成金趣味」と色々いわれちゃうけど、はっきり言って「善悪」なんてモノは「観る人間」と「時代背景」で容易に変化する。
だが、混乱した状況を纏め上げて、混乱を収めるというのは、単純に戦争に勝利するよりも難しい。
しかも、収めた混乱てのが、日本史上最悪の暗君とお坊ちゃまの起こした「アレ」だぞ。
正直、戦国時代終わらせるのより難しいと思う。

だから「革命者」である「織田信長」「豊臣秀吉」「早雲庵宗瑞」より上。

734 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 18:58:30 ID:o+9AXW2d
坊主なの?義満って

735 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 18:59:01 ID:o+9AXW2d
すげーな義満って
でもそれだと頼朝より上じゃないの?

つーか坊主?

736 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 19:35:14 ID:Af4SeTD+
>>735
漏れの中で頼朝は「乱を平定した大政治家」にして「農民主体の政治機構を創始した革命家」なんで。

あと、義満は跡目を息子に譲った後、出家してます。

737 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/12/03(日) 19:46:23 ID:0g8OgSJO
源道義

738 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 21:15:38 ID:rCOac64r
日本史上最悪の暗君とお坊ちゃまというのが誰と誰なのかわからん。

739 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 21:31:52 ID:dRCpSyKX
>>738
後醍醐天皇と足利尊氏

740 :720:2006/12/03(日) 23:40:07 ID:UvVQvf0z
南北朝内乱が長引いた原因は幕府内外の諸勢力が自己目的完遂のために都合のいい大義名分、自分を正当化してくれる権威が複数あること、
つまり自己都合でバックになる権威をころころ切り替えることができたためである。
つまり『天皇』が2人いたことだ。義満と家康もこの『権威』が反幕府勢力と結びついた時が、幕府の崩壊を招く、と
わかっていた。この克服方法が義満と家康の差でもある。この目障りな『権威』の始末について、
義満は 足利家への包含、家康は武家からの徹底的な隔離、という政策で臨んだ。
結果 義満は失敗し、家康は一応成功したわけだが、ご存知のとおり、
家康の危惧は幕末に現実となりその政策は根本的解決策ではなかったことが証明された。
失敗したとは言え、義満のほうが家康より慧眼ではなかったかと。


741 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 23:53:45 ID:cf7th2CT
>736
サンクス

742 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 00:26:55 ID:vvH4rMfa
>>740
現代の日本がどうやって天皇権威を統制しているかというと
象徴にして権力を持たせない・首相を任命できても指名や拒否はできない・国事行為について法できちんと管理する
つまり家康のやったこととほぼ同じであり
天皇制打倒や万世一系破壊を論外とするなら家康の方法がベストであることは疑いない
ただしこれを完全に機能させるためには神風や現人神を信じて戦い
そこから完全敗北することで誰もが納得できる環境を作らねばならないが
さすがの家康もそれを満たすことは不可能だろう

743 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 00:30:00 ID:PMKXjcMX
祭事と政治を切り離したわけだ

744 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 10:57:13 ID:l893YwwK
>>740
天皇家を取り込むというのは、天皇家と同化するというのと
同じパターンであって、ほぼ例外なく失敗している。
唯一成功したのが、寄生虫主義をとった藤原氏のみ。
平家も失敗したし、源家将軍家もこれを指向して絶えた。
秀吉も失敗している。義満はもうちょっとやり方のスケールが
でかいが、成功確率はあまり高くないだろうな。暗殺されたっ
て話もあるから、同化方針の中では上手くいきかけたの確かで
はあるが。
一方の、天皇家統御に成功している政権は、天皇家を閉じ込め
る方法をとっている。鎌倉執権家や信長、家康、明治以降の
近代政府あたりだな。

745 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 04:53:09 ID:4KH8RKWZ
しかしまあ冷静に考えると、よく天皇家なんてものが存在してるよな
世界最古の皇室
地位としては世界で一番権威があるのが天皇
同席したときにローマ教皇が下座に座る唯一の存在
島国ならではだな

746 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 13:04:16 ID:KtWP7/M+
>同席したときにローマ教皇が下座に座る唯一の存在


それは年齢の関係なんだ。残念ながら。

747 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 15:59:24 ID:2m2gqzg0
家康ていつから太ったの?最初から?

748 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 22:53:10 ID:BO/njpYO
>>745
とすると天皇と並んで写真が撮れるうえに
天皇には直立させて自分は腰に手をかけて尊大な態度を取る姿を公開できる
GHQの最高司令官が一番偉いことになるな

749 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/12/07(木) 22:54:37 ID:z4a7i/M0
GHQの最高司令官はアメリカの大統領の下座にいたよね。

750 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 23:17:46 ID:diZzhmpk
仮想戦記物で毎回家康がやられ役、というか情けないキャラになってるのが悲しいなぁ
まぁ勝者がそういう扱いを受けるのは仕方ないだろうが

無茶な展開の奴ばかりなんだし、三方ヶ原で大逆転、信康生かして信長と対決とか、小牧長久手で完全勝利とかいう展開ないのかね

751 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 23:25:09 ID:rX0MEXeW
>>747
体格は最初から良かった。
肥満体になったのは豊臣政権以降、ただし関ヶ原前にはダイエットを行って痩せている。

752 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 23:27:46 ID:z8wAQYZH
けどまあただのデブが長生きできるわけない

753 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 23:33:56 ID:7QPisOFH
日本の最高勲章である大勲位菊花章頸飾を受賞したのは、
今上天皇を除けば、
吉田茂
佐藤栄作
エリザベス2世
プミポン国王
ドワイト・D・アイゼンハワー大統領
の5人だけ!

754 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 23:38:56 ID:vqMf+heq
それって正一位よりすげーの?

755 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 23:42:39 ID:7QPisOFH
通常は、国家に大功ある者でも大勲位菊花大綬章までだ(中曽根康弘とかもここ)
大勲位菊花章頸飾は基本的に天皇自らや、皇族が付ける我が国最高の勲章。

位階で言えば、大勲位菊花大綬章は正(従)二位に相当、
大勲位菊花章頸飾は正〜従一位に相当
中曽根康弘は、死後、贈正(従)二位になることは確実

756 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 19:00:18 ID:1MVdOIXa
>>747
三方ヶ原の戦いの肖像画では痩せてるよね。
寄生虫に喰われていた頃は痩せてたけど、医療の研究してから寄生虫がいなくなり太ったとか記憶にあるけど。

757 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 22:34:17 ID:YRof5bjW
>>750
「燎原の覇者」をお勧めする。

758 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 12:31:02 ID:6c8hqkTu
「功名が辻」も今日が最終回。関ヶ原後、井伊直政があんなに
ピンピンしてるのがやはりドラマというべきか、司馬遼の詰めの
甘さというべきか。

759 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 13:22:46 ID:twA+gZUH
原作には直政はあんなに出てこないぞ。

760 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 14:07:24 ID:nwHUgpG7
>>758
あれは原作をほとんど無視したドラマだから。

761 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 15:49:55 ID:HYUURtF6
もっと原作を無視して 直政を主役にしてほしかった。

762 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 21:22:49 ID:up0gZJGB
あの役者さん、女形らしいよね。
なんか妖気みたいなものをかんじる。

763 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 21:33:53 ID:twA+gZUH
丁度小牧長久手辺りから出てきたから、石川数正かと思った、イメージ的に。

直政は顔立ちは整ってても、もうちょい豪傑のイメージある。

764 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 03:12:18 ID:I0yV6Qr/
功名が辻の西田家康良かったなあ。
今まで見た大河の家康で一番好きだわ。
俺が家康を好きなポイントである、家臣団との信頼関係の厚さと、
謀略を張り巡らしてそれを遂行する際のゾッとするような凄みが良く出てたと思う。
派手な部屋でファビョってる淀と、簡素な部屋で家臣と小声で策を練ってる家康との対比が素敵。

765 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 16:07:05 ID:KO3gRxE7
巧名が辻の梅雀秀忠良かったなあ。
今まで見た大河の秀忠で一番好きだわ。

・・梅雀の秀忠は真田太平記かなんかでも見たな。家重再臨きぼんぬ。

766 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 16:07:30 ID:4YNunU3C
>>761
どうせなら直弼までやってほしいよな、っておい
なぁ〜おまぁ〜さがなんで相談役だったんだろうか、正信はどこに言ったのかと思う。

767 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 21:30:07 ID:xOWrZTtg
俺は家康は西村のがヨカタ


768 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 22:04:42 ID:9+5GngLr
時代劇は俳優の年齢が高すぎるし
面倒だから宇梶でいいや、調べたらあいつもいい年だな

769 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 22:39:37 ID:30jChs29
やはり葵三代が良かったぽ!!

770 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 23:13:42 ID:GBWAx2HB
>>764
西田家康に同意
あれほど好人物ではないと思うが、他よりはましだな

771 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 23:50:44 ID:0OcUBV4j
>>769
そういや西田はあれで秀忠もやってたんだよな。
前から家康にしてみたかったという事だろうか。

ばっちりあってたな。

772 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 12:06:54 ID:uCDSDjj0
西田敏行公は神様

773 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/12(火) 13:56:29 ID:lbzHKm7N
914 :名無しステーション :2006/11/11(土) 23:37:34.60 ID:Hrrqp/QV
西田は一人で天下を統一し幕府を開きその後の幕府の基礎を築き
幕府を建て直しその幕府を倒した凄い人


ワロタw

774 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 03:42:58 ID:/c3F+vAS
信長時代の三河の奉行(三河三奉行?)について教えてください。

「仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三郎兵衛」とかいうのを
うっすらと覚えているのですが…。Wikipediaも読みましたが、
出典・参考文献については記載がありません。

可能なら出典、あるいは現在入手容易な解説書籍も紹介していただけると助かります。

鬼作左―組織を育てる“頑固者”の研究 (単行本)
童門 冬二 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569619290

本多作左衛門 (ほんださくざえもん) 「信念」を貫く男の生き方 (文庫)
童門 冬二 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569664350

あたりに載ってますか?

775 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 13:38:18 ID:GBf1TGkV
>>774
本多重次、高力清長、天野康景でググれ。

776 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 19:50:23 ID:Cm+caQqZ
おせん泣かすな馬肥やせ

777 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 23:45:07 ID:jBDEvxnz
>>777GET

778 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 18:58:39 ID:djkKS+kt
      /)   (ヽ、
    / /     ヽ ヽ
    { {      } }
    l l, -‐┬┬<,ノ 家康が最初からデブなのが納得いかん
     >'__,r'ニニ>、
    /-,/  ・ .・ l l
    〈ニ/、_= 人=ノ┘
     ⊂  ヽ(i)ノ ⊃
       ソ    /
    / (二 __ つ


779 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 20:34:56 ID:qZKEpj0i
オークションに本物の御遺訓だといってるのが
出てるんだが、これ本物か?

本物ならそんなすごいもん出すなって感じなんだが。

ttp://page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h46935697

780 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 02:40:18 ID:YLR7iblr
>>779
すごいな、この手の物は本に載ってるのしか見たことないや
でも、こんな物売るなんて、江戸時代なら改易されちゃうぞ!

16万は安いと感じる、明治大正あたりの複製捏造の可能性もそれなり有るだろうが・・・

781 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 04:36:16 ID:UwBKk/ef
模造品の予感

782 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 05:44:35 ID:Y15WlKAt
>これが本物(家康の直筆)である可能性も十分にございます。
出品者も本物とは言い切ってないな。
「(箱には)本物と書いてありますよ。」という言い方をしてる


783 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 15:58:56 ID:+/MrUMN1
東照公遺訓って、光圀の書いた物が一人歩きして、いつの間にか家康作と
されたんじゃなかったっけ?

784 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 13:31:26 ID:p5mP3Owg
徳川美術館館長の研究で家康作ではないと明言されてるとか

785 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 23:22:07 ID:GVJve+nK
東照大権現神爾なんたらみたいなのがなんかあった
俺は家康の家臣の子孫か?俺は近畿に住んでる
まぁなんだ家の神様は大権現様らしいから家康好きになるわ嫌いじゃなかったし

786 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 19:51:21 ID:sntAni0+
西田家康って何回目だっけ?

787 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 07:54:11 ID:ij07wLj8
もうちょっとトンデモ系の話がしたいなぁ。
三方ヶ原以前と以後で家康が入れ替わってる、とか。
俺は家康が天下を取って、その後四百年に渡って
日本を統治できたのは側近の天海が風水マスターだったと
かたくなに信じている(w


788 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 04:46:40 ID:2exaUkju
その天海は実は明智み(ry

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