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▼殺生関白▼羽柴秀次▼

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 20:07:32 ID:2kl/Yh2s
彼が生きていたら、豊臣家の運命も変わっていたのでは?

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 20:13:14 ID:gitNovm4
クソゲー関白秀次
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156423008/

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 20:13:59 ID:uiIDKFGt
秀次にいったい何ができたというんだ・・・

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 20:20:42 ID:2kl/Yh2s
秀次切腹事件で危なかった人物

藤堂高虎
山内一豊
伊達政宗
最上義光

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 20:59:43 ID:2kl/Yh2s
秀次の悪行話は粛清を正当化するための後付のような気がします。
実際は聡明な人物だったかもしれませんね。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 21:23:08 ID:2kl/Yh2s
秀次事件のあと落書があり「ゆくすえめでたかるべき政道にあらず」と
豊臣家が真の天下人でないことを指摘する者もいたそうな。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 00:55:52 ID:oxmR6Jfu
秀次事件で疑問なのは
妻妾と子供がみんな殺された事ですね。
秀次の子供ってどんなのがいたんでしょう?


8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 01:48:44 ID:aDA5S9kE
>>7
そりゃあ生き残られて秀頼を脅かしそうなのが出てきたら怖くてしょうがないからな。
秀吉だって徹底的に滅ぼすさ。正当性のない後ろ暗さもあるわけだし。
ちなみに殺されたのは、三条河原にて秀次の遺児(4男1女)及び正室・側室併せて39名。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 02:59:49 ID:tI1XpLwH
一番危険な人物の家康には無警戒で、秀次一族に矛先を向けた秀吉って認知症だったの?

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 03:15:31 ID:MAjCcqRX
当時の家康は義理堅い人物で通ってたからな
秀吉自身も危険視して遠ざけるんじゃなく、積極的に中央政権に参画させてたし
家康の本性を見抜けなかった秀吉の迂闊さを責めるのは自由だが、
認知症扱いは無いだろ

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 04:04:20 ID:6GzQ1l88
>>9
前田利家は死にかけだし、
宇喜田は馬鹿だし、毛利はヘタレじゃん。
結局、頼れる大物は家康だけ。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 05:29:27 ID:aDA5S9kE
>>9
秀次は隙を見せた(つーか隙だらけだった)が、家康は最後まで秀吉に隙を見せなかった。
もうろくした独裁者に、少しでも権力を持つものは、隙を見せたらおしまいだってことですよ。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 01:08:53 ID:2NkVrtVU
>>7
娘が一人許されて生き延びてますね。
その後なんと三成の援助を受けてたとか。
最後は大阪の陣で大阪方について
徳川方(浅野家?)に捕らえられて
殺されてます。
数奇な運命としかいいようがない。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 14:58:30 ID:ZeHW72rY
駒姫(最上義光の娘)があまりにも可愛そうですね。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 15:22:59 ID:n7x7KCf6
秀次の父親って讃岐に流されたの?

秀次が腹切らされる前に、弟の秀保が、十津川で変な死に方してるけど、秀吉に暗殺されたのかな?

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 17:10:07 ID:da+Yh3RP
>>13
真田幸村の側室になった娘とは違うんか?

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 19:39:41 ID:gEh33QCf
今回の大河では3話程主役なのでいくらか名誉回復したんではなかろうか。
ただ、「功名…」の主役っていったい誰なの(?.?)。

18 :一豊:2006/09/18(月) 19:44:18 ID:3qodD+Bv
(´;ω;`)ぶわっ

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 21:59:52 ID:rKHLOCsh
>>17
千代

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 01:30:32 ID:81HmRGMa
妻妾の中には有力者の縁者も多かったし
死にかけた大名もいるしなあ
そういうとこも豊臣政権の終わりをはやめたんじゃまいか

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 15:43:48 ID:VoO7CbOB
家康のように秀吉が死ぬのをひたすら待ち続ければよかったのに・・・
忍耐が足りんぞ!秀次!
おぬしが生きておったなら家康は天下を取れなんだかもしれんのにのう・・・

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 17:43:50 ID:y0KyqzLR
>>13
通説と違って実際には三成は秀次助命に奔走して、秀次死後は遺臣達を召抱えてるくらいだからな。
遺臣たちの多くは三成に恩を感じて、関が原で奮戦し討ち死にしてるくらいだし。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 17:49:31 ID:KREanf2s
>>21
隙がなくても理由つけてころされたろうなあ。
実際、自害の理由もなんだったか全然わからんし。
妊婦の腹を割いて胎児取り出したとかいわれても、全然信用できんわな。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 17:51:11 ID:KREanf2s
>>22
まぁ、秀吉を煽ってはいたんだろう。秀次を関白の地位から引きずり下ろすとか。
でも、耄碌ジジイがあそこまで暴走するとは思わなかったんだろうな。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 19:24:07 ID:B/NXct9G
>>5
秀次の乱行は信長公記の「たいかうさまのぐんきのうち」にも
一応の記述があり全くのウソではない。
あと「聡明であった」とはおせじにも言えない。
福島正則が「せいぜい土いじりしか能のない男」と酷評している。


26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 19:52:06 ID:a34D+nMQ
>>25
>福島正則が「せいぜい土いじりしか能のない男」と酷評している。

それは正に福島のことじゃんw  秀次は文学に造詣の深い相当な教養人。
奥州征伐に来た際も、足利学校の貴重な書籍を京に持って帰ってる。


27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 20:03:09 ID:B/NXct9G
どうかねえ。
秀次のまわりに教養関係で伊達政宗とか浅野幸長とかと交流できたのが
彼の能力の証のように言われることがあるが、
邪推すると豊臣の次期後継者の秀次にチヤホヤと集まっただけとも言える。
それと最上義光に大切な娘を差し出させたのも地位ゆえだなあ。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 20:13:08 ID:ErxL7wPF
信長公記とたいかうさまぐんきのうちは作者同じだけど別物だろ
それに牛一の記事も伝聞程度のものに過ぎず、どの程度信頼できるか疑問
とりあえず秀次に関して悪い噂があった、としか

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 20:56:11 ID:tbXon8To
>>2の クソゲー関白秀次 が意外に面白かったおれはたぶん少数派。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 20:58:34 ID:JNPgFQNf
後付け話っていうのは色々有るんだろうけど
三条河原っていうの見せしめだから、その時の根拠っていうが有るんだろう

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 21:10:47 ID:B/NXct9G
逆に言うとちょっとした怒りから農民を殺害する程度の出来事は
多くの人物がやってたかもしれない。
常識人に見える家康ですら鷹狩りの最中に前を横切った商人に怒り
家臣に命じて斬り殺させたなんて逸話もあるしね。

秀次も関白になった権力と尊大な気持ちからちょっとムカつくふるまいをした
庶民を殺した程度の事ならあっても不思議ではないんだよ。
なんとなくそういう気持ちはわかる。俺も秀次の立場ならそうしたかもしれない。
そういう行動が「殺生関白」として伝わったのかもね。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 00:17:09 ID:JOcd28na
>>25
秀次の乱行は信長公記の「たいかうさまのぐんきのうち」にも
一応の記述があり全くのウソではない。


著者の太田は秀吉に仕えた時期があったから、信憑性に問題がある。
秀頼を後継者にと考えた秀吉にとって邪魔になったと考えた方が自然

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 01:31:13 ID:6yJr6/nQ
秀次の側室が多かったのは、豊臣政権に参入した時期が遅い東国の大名達が、
家の安泰のために送り込んだと聞いたけど本当?

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 03:03:47 ID:Z4J/+PHs
>>31
殺生関白はよく狩りをすることからきたらしい。
高貴な人は殺生をしてならないというのは昔からけっこうあるからな。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 03:52:51 ID:LkFDDdRk
いや、もし俺がそういう身分になったら、ムカつく奴は殺すと思う。
秀次もドン百姓から天下人になったわけだからね。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 08:33:51 ID:JOcd28na
>>34
>高貴なひと

家康は鷹狩りが趣味だったぞ


37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 09:19:01 ID:+YNRJk3o
九条政基みたいに本当に人殺しちゃった関白がいるからね

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 02:55:28 ID:RmPxGaXu
結局、針小棒大に誇張されただけだと思うけどね。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 03:21:25 ID:YZifCJrr
昼間から飲めや謡えや乱交三昧
公家なんてヤル事が無いから金のある秀次にたかって
これは想像できるな

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 00:48:12 ID:7JYxARWw
>>33
最上義光ははじめ拒否したような・・・なのに連れてかれて・・・。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 04:17:04 ID:ISUiDrcx
>>40
それは秀次粛清後のアリバイ工作でしょ。額面通りに受け止めるのはちょっとなあ。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 06:34:04 ID:7JYxARWw
>>41
アリバイ?なんのこっちゃ。初め断った事とは関係ないっしょ。

また>>33に関してだが、公家の娘や京付近の大名の娘も同じく混じってるので、全く関係ない。
秀次が失脚させられた事自体は秀吉の陰謀によるものだと思うし、可哀想だと思うが、
女好きだったのはまず間違いないだろう、関白を譲る際の訓戒状の件もあるし。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 06:42:11 ID:9PNYuejo
>>42
あなたが他人の文意を読めないと言うことだけがよくわかりました。


44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 07:27:14 ID:FUMIJnIm
>>42
秀吉、秀長兄弟は子供少ないし
ヤリチン秀次でいいじゃん むしろ頼もしいよ

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 12:06:37 ID:RBIansRb
>>44
ヤリチン秀次の将来・・・8男7女とかになって、諸大名と姻戚関係持ちまくり


ちょっwwヤベッwwwwww

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 22:41:35 ID:uYFSC65r
秀頼がぶっちゃけ邪魔だったな
ヤリチン秀次は、家康みたいに諸大名と姻戚関係持ちまくれるから
むしろ豊家にとってはGJ!


47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 22:45:53 ID:7JYxARWw
>>43
先に人のレスにレスしておきながら、元の俺の文章無視して
文意が読めないとか逆切れされても困るんだが。

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 22:56:47 ID:KShszwE6
秀次が仮に生きていても家康の敵ではないから結局豊臣は滅びたんじゃないかな
もし家康に勝てるほどの人物なら自分の危険を早く察知していったんは身を
引いていたと思うけど

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 23:11:46 ID:V26WBOVN
滅びるにしてもあそこまできれいに片が付いたか、て辺りが問題じゃないかな。
家康にだって寿命はあるわけだし、出来は悪くないにしろ秀忠に父親までの才覚が
あるとも思えないから家康が死ぬまである程度の権威、権力を保たれるとさ。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 23:20:53 ID:GZHy9Ncy
秀次に、家康と対抗できる力はたぶん無いだろう。

もしも秀吉が、秀次を殺すことなく、そのまま秀次を関白に据え置いたまま亡くなったとしたら、やはり家康は野心を剥き出しにするだろうし、豊家恩顧の諸将からも家康に媚びる裏切り者がでるだろうな?

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 23:26:43 ID:RO17SqQc
現役関白の権威ってそう捨てたもんじゃないのでは?


52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 23:43:07 ID:YIoJaGPh
秀次が秀吉の後継者として存続した場合、家康は秀頼を担ぎ上げて対抗するんじゃないかな
正則の秀次評みたいに豊臣恩顧でも秀次に微妙な感情を抱いていた人物も居るみたいだし、
家康が彼らや淀殿を懐柔することは有り得ると思う

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 23:52:04 ID:pHEzlc4e
秀吉むかつくな

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 00:01:50 ID:2GpN35/O
むしろ三成むかつく

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 00:02:25 ID:XO3i0vAC
秀次の母ともの事を考えれば、晩年の秀吉の悪辣さが、よく見えてくるような。

まさか秀吉は、秀次の生殖能力を妬んでたんじゃないだろうな?

大政所なかは、いい時に死んだんだろうな。
息子が、孫や曾孫を殺すなんて事件に、生きていて遭遇してたら堪らなかったんじゃないの?

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 02:15:59 ID:mqokpps9
>>52
家康はむしろ秀次に取り入って操る方が楽なんじゃないかな。
四国征伐とかで一緒に居た時間は長いわけだし。

でも秀次が消されなかった場合、秀次切腹後にかなり不審な死に方した弟の秀保も
生きてる可能性が有るんじゃないかな?
その場合、秀吉死後も大和豊臣家は存続してる事になるから、秀次は結構な戦力を
持つ事になりそう。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 06:57:28 ID:EuBJyMVK
>>41
最上義光は最初は秀次の「駒姫を側室にくれ」という要求を断ったのは史実だよ。
ただ、そのあと採算の申し出を受けるうちに
秀吉の後継の秀次に娘を差し出すのは有利と考え直し嫁に出したという。

だが、その時点すでに秀次はすでに失脚していて、
駒姫は秀次に会う事も出来ずに秀次の側室として首をはねられたというわけ。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 10:29:58 ID:xzXglR7f
>>55
>まさか秀吉は、秀次の生殖能力を妬んでたんじゃないだろうな?

これはかなりあるだろう。
秀次が秀頼のことを、「あれは太閤の子ではない」と
いったのが秀吉を怒らせ、あのような事件を
引き起こしたといわれている。



59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 10:48:05 ID:5ulxLw3u
だからといって正室・側室達までも惨殺するなどもってのほかだわな。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 12:00:50 ID:dcN18Wfc
>>47
>>43のアリバイ工作というのは、最上義光が最初娘を差し出すのを嫌がったという記録は
実際は秀次に取り入るために積極的に差し出したものの、秀次が失脚する段になって
秀次に取り入ろうとしたことが自分にまで類が及ぶのが嫌で、嫌々ながら
娘を差し出したってことに捏造したかもしれないってことでは?

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 12:26:05 ID:9HyY2wUG
>>60
>秀次に取り入るために積極的に差し出したものの、

そりゃないな。進物なら、鷹か栗毛の奥州名馬などを贈っておけばよい。
伊達などは秀吉に愛妾を所望されても、易々と献じるのを拒否している。
まして可愛い愛娘を、義光が差し出すわけはないよ。

62 :60:2006/09/24(日) 12:50:12 ID:dcN18Wfc
>>61
俺に言われても・・・・。
41=43の言ってる事を代弁しただけだし。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 13:07:10 ID:vqvB3+cm
>>61
お前は本当に文章の意味を理解できない奴だな。
つーか、秀次に側室を差し出す事を進物と言う感覚で考えていること自体がおかしい。
鷹や馬を送る事とは根本が違う事がわかってないみたいだし…。

何のために政略結婚があるのか、この時代の家、家族とはどういうものか、
そこから勉強しなおすべきだと思うよ。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 14:50:12 ID:XO3i0vAC
>>58
だよね。秀次は、秀吉と違って生殖能力には恵まれてた。殺された子の中にも、男子は1〜2人いたそうだし、当時の秀吉は朝鮮出兵など妄想にとりつかれていた。
きっと、「まだ若い秀次が、これからも、どんどん男子を作って、秀頼は蔑ろにされるどころか殺される」なんて妄想にとりつかれてたのではないかな?
そんな気がしてならないんだよね。
その妄想と、秀次の生殖能力への嫉妬心が、あんな基地外じみた事件を引き起こしたんじゃないかな?

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 15:19:24 ID:i4eMar5E
実子の秀頼が秀吉死後に蔑ろにされるのを怖れたというのはともかく、
生殖能力への嫉妬云々は勘ぐりすぎだろ
秀吉と秀次の仲が決定的に悪化したのは秀頼誕生後のことだし、
それ以前の秀次もやりまくりだったけど秀吉との関係は良好だった
一時的にも後継者であった秀次が自身と同じく精薄だったらそっちの方が困るでしょ

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 15:30:51 ID:EuBJyMVK
>>60
たいした根拠もなく想像だけで「捏造」とか決め付けられてもなあ・・・・

>>61
>まして可愛い愛娘を、義光が差し出すわけはないよ。

こちらの断言っぷりもわけわからん。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 15:49:18 ID:dcN18Wfc
>>66
かもしれない、って言ってるのを決め付けと読み取るそのお頭を何とかしてくれ。
可能性としてはありえない話ではないだろう。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 15:55:08 ID:ayk8bZTU
>>41>>43
アリバイって言葉の使い方が間違ってるのに
文意も糞もないだろ。
意味は解釈可能だがそういう問題じゃない。
何で戦国板ってこういう馬鹿ばっかなんだ?

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 16:02:47 ID:9HyY2wUG
>>60
そう。>>60の「捏造」説が根拠もない、妄想の類だから指摘されたまで。
論外なのは>>63。外れなコメントも笑止。奥州一揆の情勢等もっと勉強
したほうがよいだろう。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 17:21:23 ID:EuBJyMVK
別に最上義光は駒姫を慰みに秀次にくれてやったわけではない。
あくまでちゃんとした婚姻外交だろうが、
それを理解できないとは頭が痛い。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 19:19:53 ID:k0Q/y44s
殺生関白って、
摂政関白をもじったもの?

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 20:05:44 ID:VCif4UcQ
その発想はなかったわ!>摂政関白
どうだろね

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 20:17:59 ID:i4eMar5E
広辞苑にも(「摂政関白」をもじった語)と書いてるじゃん

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 20:43:26 ID:OwuMvEm5
ここまでくると釣りなのか、ホントに馬鹿なのか分からん

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 21:18:33 ID:y5IXFwLi
まあ釣りだと思う

76 :60:2006/09/25(月) 00:07:44 ID:50fTeg+b
>>61
>>66
>>69
だからさ〜俺は39、40のやりとりをみてアリバイ工作の意味を
こういう意味じゃないかって解釈しただけなのに、なんで叩かれなきゃならんのさ。
史料がねつ造されてる云々は別に俺の主張ではないんだが。

77 :43:2006/09/25(月) 01:25:34 ID:wL1gGaUJ
>>41>>43なのだが。
>>60が書いたのと同じように解釈したけど面倒だったので一文ですませただけ。
>>39-42の流れがかみ合ってないよねって言いたいだけだから。
どっちにしても、それぞれの主張に沿った史料があるならそれを示せばいいんでない?


78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 15:53:16 ID:vZeiUt6J
>>60
なんか本人の俺を素通りして随分レスが進んでるが、一応
嫌々ながらってのは史実だと思うよ、資料を見る限りでも状況からの類推でも
とりあえず駒姫に対する義光の愛情は半端ではなかった。
しかしまぁどうしてもという事で送ったわけだがこの時期は資料によって曖昧で
ハッキリしない、秀次の顔も見なかったというのもあれば、2年は暮らしたと言う説もある。
ただどっちにしても秀頼が生まれた後の事になるので、
積極的に送ったとしては非常に疑問が残る。

また最上義光が政略結婚のためだけに駒姫を送った事で、
自分に累が及ぶのを嫌がるような冷血漢なら、あんなに助命を訴えすぎず、
また処刑されたあともあんなにたてついて、結果自分まで幽閉されてしまうような事にはならんよ。
そしてこの窮地を家康に助けてもらい、この時の豊臣家への恨みを胸に
関ヶ原では上杉相手に獅子奮迅の働きを見せるわけで。

基本的に謀略家で伊達側の資料により冷血なイメージを持たれやすい義光だが、
この一件に関しては大した根拠も無く判断して欲しくは無い。

>>68
同意だ、だからアリバイ?なんのこっちゃと言ったんだが、
通じなかった、まず日本語の勉強からすべきだな。

>>76-77
お前ら本人か?
まずはアリバイと言う単語から勉強しなおせ。
日本語を喋ってもらわないと会話ができん。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 20:04:18 ID:ZfjPHVYW
だったら嫁に出す前に秀吉の所に如何なものかって伺いをたてれば?

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 21:05:27 ID:vZeiUt6J
秀吉は朝鮮出兵の総指揮中、国内政治に関することは秀次に委任してる。
んなくだらん事でわざわざ聞いてくれるほど暇じゃない。

下手すりゃ秀吉からも秀次からも不興を買うハメになって最上家取り潰し
なんて事も普通に考えられる。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 21:51:58 ID:BbGjWd30
名馬だの金だの差し出せば高感度が上がるだろうな。
娘を出すというのは親戚になるわけだから秀次の時代が来たとき最上は大きくなるからねえ。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 22:59:22 ID:ZfjPHVYW
>>80
どうかな?秀吉は秀頼が産まれて直ぐに帰って来ちゃってるだろ
むしろ20万石の大名が秀吉を通さない方がおかしいよ

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 00:56:44 ID:RjNJABFM
別に無断で側室に送ったわけじゃないぞ、何言ってんだ?

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 01:51:29 ID:wp1qcL5/
どんな文書が残ってるの?

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 01:56:13 ID:wp1qcL5/
最上の取次ぎ奉行はだれ浅野?

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 07:08:20 ID:DQoL/6qu
>>78
いや勿論、義光は娘を秀次に売ったわけでも、
嫌がる娘を強引に秀次に送ったわけでもないだろう。
秀次に嫁がせることが駒姫の幸せになるとも思ったんだろうね。
そしてうまくすれば駒姫が秀次の嫡男かそこまで行かなくても豊臣家の分家の祖でも産むかもしれない。
しかし、秀吉に実子(?)が産まれたのは「まさか」の出来事だったと思われ。

どちらにしろ「駒姫を秀次に嫁がせた」という事に眉をひそめるような意見は
のちの経緯を持つ現代人だからこそ持つ印象で
当時としては秀吉の後継者で関白たる秀次に娘を嫁がせるのを躊躇する理由はなかっただろう。

87 :86:2006/09/26(火) 07:09:58 ID:DQoL/6qu
あ、厳密に言えば鶴松はすでに産まれて死んでた筈。
でも、これ自体、奇跡みたいなもんだから、
続いて秀頼までが産まれるのは義光にも予想できなかったろ。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 07:19:02 ID:vFR6hfSt
>>86
語尾がすべて「だろう」「かもしれない」「思われ」。単なるあなたの
浅はかな主観で、説得力がないよ。秀次は駒姫を見初め、奥州下向の数
年後側室として所望した。(相当執着していたことがわかる)
義光は内心苦悩の上、断り切れずに差し出したのが真相だろう。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 07:32:56 ID:SDJpSGlA
うまいなアンタ

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 07:41:18 ID:8jmraX5j
そんな殺生な…

91 :86:2006/09/26(火) 08:10:14 ID:DQoL/6qu
>>88
おいおい、そんな事、言ってたら何も居えないだろうが。
そもそも、あんただって最後に「真相だろう」とか言ってるじゃん。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 08:22:37 ID:Rfbfj0OG
なんか典型的なダブルスタンダードだな。


93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 08:48:12 ID:RjNJABFM
>>86
駒姫の嫁いだ時期が残念ながら確定的な資料が少なく曖昧なので断言は出来ないが、
秀次の顔も見ないうちに殺されたと言うのもあれば、側室に入って2年近くは経ったという
説もある、まぁ大体その前後なんだろう。と言う事を踏まえた上で考えてみて欲しい。

秀次事件が1595年、秀頼が生まれたのが1593年。しかし生まれたのが1593年なんだから、
淀君が孕んだのはその約一年弱前と言う事になるだろう。
つまりどちらにしろ、「秀吉の子が出来た事が判明してから嫁いだ」事になるのよ駒姫は、予想以前に。
この状況で義光が娘をやるのに躊躇するのはいたって自然だと思うんだが。
愛娘なだけに余計に。しかし時の関白の命に逆らえなかった。

何もおかしな点は無いと思うが、また義光はもともと豊臣家からやや冷遇されていたので、
秀吉に泣きつけるような立場ではなかったと言う点も付け加えておく。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 09:05:13 ID:cRp0RLMd
最上は家親を家康の近従としているように、九戸の乱征時頃から家康派の武将だしな。


95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 09:15:44 ID:f2LQj2KT
地理的に中央から遠い東北の諸大名は、総じて秀吉への接近が遅れた。
そのため西国大名に比較して、東北の大名家は冷遇された。
だから秀次を通じて豊臣政権との接近を図り、また地理的に近い関東の
徳川家の助けを通じて政権とのコネクションを間接的に持つしかなかった。
親徳川勢力が多いのはそのせい。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 09:36:34 ID:DQoL/6qu
なんつーか、最上厨がいるんじゃないの?
「義光がわずかでも政略結婚という理由で駒姫を読めに出すわけがない」
とかいう思い込みで話してる輩。

別に最初はとりあえず断ったけど、再三、頼まれて、
「まあ秀次とよしみを通じておくのもいいし、駒姫のためにもなるだろう」と考え直して嫁に出した。
で良いと思うんだが、
あくまで頑として秀次に逆らえなかったと主張するわけ?
いやあ、別に秀次くらいなら断りとおせるだろ。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 09:55:08 ID:d6c4UI39
駒姫「私が豊臣を呪い殺しました。ざまあみろです。」

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 10:13:25 ID:RjNJABFM
>>96
政略的な意味があるかというなら、無いわけ無いだろう。
ただ秀次の要請によるものだった、コレに余計な反論を入れるからだろう。

あと関白の要請をそう簡単に断れるわけないだろう、
菊亭晴季とかかなり悲惨だぞ。

俺が言いたいのは秀次の死自体は悲劇だろうが、
側室をあんなにも集めて遊んでいたのはあくまで秀次の悪癖であって、
>>33のようなそれすら原因を求めるようなレスに対して反論したまでの事。

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 10:27:24 ID:7jL2RhWD
今出川は秀吉没後に右大臣で復帰してるからこの辺の動きは難しいな、近衛信尹の失脚とか
東国だと蒲生の問題がね、後に宇都宮が改易になってそこに蒲生が入る訳だけど

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 10:33:17 ID:RjNJABFM
>>95
最上は色々と事情があってアレだったが、
東北の大名が冷遇されたってのはどうだろうか?
割と優遇されてる大名も多いだけに中央から遠いから冷遇と言うのは根拠として微妙な気がする。
親家康が多いのは単純に近い所からってのは当たり前だし、コレも微妙。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 10:49:12 ID:7jL2RhWD
木村常陸が淀城を預けられていたとすれば伏見の秀吉のお膝元に位置するわけで
秀次と関係の位置付けも難しいな

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 18:48:14 ID:Rfbfj0OG
徳川は関東奥羽の諸大名の取次だったんだろ。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 23:50:15 ID:+ge4eho5
>>34
遅いレスですまないが、高貴な人は殺生してはならないというけど、
左大臣頼長は人に気に食わない奴を暗殺させ、
しかも自分で自慢げに日記に書きちらしている下郎だ。

まあ、そんな奴だから悪左府と呼ばれて嫌われるのだろうが。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 00:43:27 ID:dFIKeoy0
秀次の狩りに関しては、行った場所が問題なんじゃなかったっけ。
まぁそれ自体がデッチ上げかもしれんので、なんとも言えないけど。

ただ関白になる際の秀吉からの訓戒状見る限り、狩りが好きだったのは事実っぽい。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 06:59:50 ID:MCmYhp0A
>>97
八幡太郎義家「見事に羽柴家は断絶したな」

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 07:31:52 ID:iW/28dQg
あの訓戒状って何時の時代だっけ?
秀次の漁色を戒めて「自分の真似をするでないぞ」とか逝っちゃう奴
あれを見る限り秀吉との関係は極めて良好だったはずなのにどこでボタンを掛け違えたのやら・・・

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 10:29:18 ID:CgewP+a9
>>106
>どこでボタンを掛け違えたのやら・・・
秀吉に子供が生まれてからだな。実際物凄く良くあるお家騒動のパターンではあるけど。

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 10:37:03 ID:dFIKeoy0
>>106
関白を譲る時につけくわえたものだったはず、
ただ個人的にはこの訓戒状の内容から見ても、
極めて良好な関係とは言いがたいものを感じる・・・。

コレから関白になろうという人物に対してあの幼児を諭すかのような
訓戒状を出す辺り、信頼と言う点で言えばやはりどうしても疑問があったのではないか・・・、
少なくとも秀吉にとっては。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 11:00:21 ID:iW/28dQg
勿論秀頼の誕生が秀吉=秀次間の不和の原因になったことは重々承知してるけど、
当初は秀頼に秀次の娘を見合わせることで、秀頼と秀次に分散した
豊臣家の権力の一本化を果たすという構想が秀吉にあったと聞く(ソースは失念したけど)
その場合秀次こそが秀頼の最も信頼できる後見人になったはずなのに、
自らその後見人を始末してしまう晩年の秀吉はやはりどうかしてたと言うしかない
まあ自分が秀頼を大事に思う心境を踏まえて、秀次も血の繋がらない秀頼ではなく
実子に跡を継がせようと思うに違いない、と勝手に思い込んだのかもしれないけど

>>108
まあ正直秀吉は秀次のことをそんなに評価してなかったとは思うw
けどあの訓戒状から駄目な息子を諭す親心みたいなものを感じてしまう


110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 20:27:46 ID:tqgGIXsk
秀吉やたら養子が多かったからなぁ
養子陣に比べると秀次は見劣りしただろうね
養子の結城秀康みたいなのが秀次の位置に居たら
秀吉は安心して死ねただろうな

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 15:58:54 ID:QSCnAmE9
>>110
秀康が養子にいたら、かえってビクビクもんだろ。
それに、秀吉の養子陣じゃ、優秀なのは実質人質の秀康と秀家だけで
血縁関係は実子も含めてボロボロだよ。豊臣家の教育はかなーり問題
あったからしょうがないが。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 21:22:37 ID:V2ylrNF2
豊臣秀次って本当に謀反を起こそうとしたのか?

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 21:31:59 ID:SANjM4ys
太閤記

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 21:48:34 ID:oPR2wUTn
>>111
秀家が優秀???
奢侈癖があり、その費用で家の財政は傾いた。
内政はガタガタ。
お家騒動を起こし統率力もない。
軍事もお家騒動までは宇喜多譜代、
それ以降は明石にまかせっきり。
関が原で福島と渡り合えたのも明石が指揮取ってたから。

うーんいいところなしのような・・・
豊臣に付き切った以外は秀秋や秀次と多分、大差ない。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 22:18:06 ID:7ViN0+e8
>>112
十中八九捏造。まあ、最後の最後は多少そういう動きもあったかもしれないが、それは
そこまで秀吉が追い詰めたってこと。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 22:24:42 ID:SANjM4ys
まあ有能として書くわけないよな。
「有能なのになんで殺したんだ」って言われちゃ困るからな。
逆に「無能だから殺した」と言えば納得させることができる。

まだ28歳だったんだよね。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 22:59:27 ID:WxuCvbat
関白秀次が出した人掃令が大学入試の参考書にでてるから歴史に名を残したじゃないか

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 07:26:48 ID:W8NpVFUY
秀秋ってけっこう優秀じゃないか?
早く死んだからあれだけど関が原では絶好のタイミングで裏切ったり
岡山の行政改革やったりけっこう業績残してる。
きっとそこそこ切れ者だったんじゃないかと

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 09:33:15 ID:ZQ+E0yX0
松尾山に布陣出来た時点で秀秋の戦略勝利だろ
間違いなく名将の器
ただ東軍圧勝に導いてしまったが失敗というか若さなんだろうな

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 09:36:56 ID:I6TfV9qE
>>118
>>119
家老の稲葉、平岡の力だろ

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 12:27:39 ID:0CYNrWbY
>>119
名将の器が戦後神経衰弱に陥った挙句憤死しないだろw

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 18:13:26 ID:zgJhG6/+
>>120-121
天才

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 22:35:35 ID:fAncnM9C
そもそも秀秋ぐらいの世代の大名で、自らの才覚で大軍を率いられる武将自体少なくない?

もしも秀秋が太平の世まで長生きしてたら、豊富な合戦経験の有る、関が原生き残りの老将として
頼りにされたかもよw

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 22:37:23 ID:Yy/IF2I0
豊富って…

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 23:06:48 ID:lxaINJmf
秀秋は朝鮮出兵も経験してるからなあ
あの年齢の大名としてはむしろ実戦経験豊富な方だったんじゃないかと

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 23:10:20 ID:Yy/IF2I0
>>125
加藤とか福島と大して年齢変わらないじゃん。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 23:20:00 ID:lxaINJmf
福島正則・加藤清正は1561/1562年生まれで小早川秀秋は1582年生まれ、
それこそ親子といってもいいくらい年齢が離れてるぞ

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 23:25:09 ID:Yy/IF2I0
>>127
すまん、秀次と間違えてた…orz

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 23:27:07 ID:lxaINJmf
秀次は1567年生まれで伊達政宗や立花宗茂、真田幸村とほぼ同じ年代だね
この辺の連中とは仲が良かったんだろうか
たしか政宗は秀次事件で厳しい立場に追い込まれてたよね

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 23:28:31 ID:NeojYhHv
>>128
秀次は朝鮮出兵してないし、君には書き込みは早すぎるんじゃない?半年ROMってなよ

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 01:15:35 ID:Sv0EjKV9
謀反だったら連座を三条河原で見せしめにすればいいのに
妻子の根絶やしを見せしめにしたんだから凄いよ秀吉

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 08:34:02 ID:Ha3QPFaQ
秀秋ねえ。
奴は秀吉に多数の優秀な家臣をつけられてるからね。
奴のあげた功績がどれだけ奴自身の才覚によるものか疑問。

あと、岡山への移封は言われているほど難しくはなかったろ。
むしろベストミックスだったかもね。
宇喜多秀家は自分を微塵も疑わず豊臣家の一員だと思いこんでて、
ずっと「羽柴秀家」もしくは「豊臣秀家」と文書に署名してたような男。
しかもお家騒動のあとは領内は豊臣ゆかりの家臣が牛耳ってたし
同じく豊臣ゆかりの家臣が付けられてた小早川秀秋一行には
むしろやりやすかったかもね。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 10:08:32 ID:Dn+/lgMa
>>121
まあ秀秋の死については色々いわれてるからなあ。
秀秋の死ぬ三日前に弟死んでるし。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 11:00:28 ID:WYpMQsZP
>>132
>ずっと「羽柴秀家」もしくは「豊臣秀家」と文書に署名してたような男。

当時の羽柴姓を与えられてた大名はみな正式な文書には羽柴姓で署名している。
秀家の自負がどうこうというのは全く関係ない。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 11:48:56 ID:x9LlVA7+
文化人秀次が政務を執り
名将秀秋に軍事を任せていたら
豊家は安泰であった

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 19:25:17 ID:8DO1gZmr
>>134
家康だって羽柴武蔵大納言で署名しているもんな。
逆に正式にもらえていない加藤清正が署名したら
蟄居させられるくらいだし。

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 19:32:59 ID:Sv9Lg50G
でも豊臣が滅亡したら、みんなその姓捨ててるw

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 19:39:38 ID:K5tiALvI
>>137
豊臣は滅亡してないよ。
木下家が豊臣を本姓とし続けた。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 19:50:00 ID:Sv9Lg50G
>>138
壇ノ浦で平家滅亡してないって言ってるようなもんだぞ・・・

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 21:05:33 ID:G7Sjzwdf
>>137
その代わり毛利も島津も「松平」に。

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 21:22:47 ID:Sv0EjKV9
正室が秀吉の妹、継嗣の嫁が秀頼生母の妹
豊臣の縁故ならやっぱ家康が最強かな

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 22:15:03 ID:8G32fAoV
>>135
どう見ても、そこまでの器じゃない。
暗愚ではなかったと言うに過ぎないでしょ、残念ながら。

その二人が居た所で、江戸に居る狸の化物にナニができたのか?と甚だ疑問。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 22:35:43 ID:5quPy/tv
秀次が生きてると家康が豊臣攻められんだろう。


144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 22:41:39 ID:G7Sjzwdf
>>143
秀次が家康をどうにかできるような器とでも?
まあ、秀次は家康と非常に仲が良かったから、平和裏に政権交代が行われたかもしれないけどな。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 22:48:43 ID:PYi7uYXs
秀頼が存在せず秀吉から秀次にスムーズに政権移行が行われた場合家康の出る幕は無いだろう
秀次が政権を執った時には五大老みたいなシステムも無いだろうから

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 01:11:35 ID:zxTRBoE3
秀次が生きてる限り北の政所は豊臣方に着くから家康は何もしてこないだろ

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 01:14:58 ID:kuU6i02k
>>144
個人としての器量は大したことなくても成人の天下人後継者というだけで、家康といえどもうかつに手は出せない。
史実でも幼君秀頼の代理として西軍を破って実質的に天下を手に入れたわけだし。
もちろん秀次が諸大名の離反を招くような大きな失策をすればまた話は別だが、
生前の実績を見る限り、家臣の補佐があればそれなりの治績を残せる程度の器量はある。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 03:14:27 ID:6Ok3V5UE
どうだろうか?秀頼だろうと秀次だろうと秀吉じゃなければ同じだよ、家康から見りゃ。
軍事的に見ても秀次にとって家康は、初めて大将として采配を奮った合戦で圧倒的な実力差を見せ付けられ、
その後も秀次が大将として戦うような戦いの横にはしっかり補佐として家康がついて行ってる
いわばそこで信頼してると言うだけでなく、まず真っ先に敵にまわしたくない存在と思うだろう。
ここに落とし穴がある。

まず穴をほじくるとしたら秀次の家臣からだろうね、
当然前野やら木村やらも史実と違って生き残るわけで、彼らが実質政治の中枢に入ってくるのは
まず間違いないだろう。田中や中村、堀尾らも近い関係上優遇されるに違いない。
しかし彼らの武力は大した物ではない。

逆に面白くないのが、朝鮮出兵で奮戦した連中、
秀次は当たり前だが彼らの奮戦は見ても居ないし、居残り組みとばかり仲良くなってるので、
自然と疎遠になる可能性は高い、秀吉が死んだ事で骨折り損になる可能性がかなりある。

また宇喜多秀家・小早川秀秋ら秀吉の養子連中が血筋とは言え同じく養子の秀次の言う事を
素直に聞くというのも違和感を感じる。
実子の秀頼ならともかく、秀次に対してそんな簡単に動いてくれるだろうか?
秀秋なんか結局秀頼も裏切ったようなもんだし、秀次なんか余計だろう。

三成らいわゆる文治派に関しても秀次に対する忠誠心と言う意味では疑問もある。
無論、豊臣家に対する忠義として動いてくれる期待もあるが、例えば上記の宇喜多秀家が
秀次と不和になったりした場合、どちらも豊臣家なら三成は秀家につくのは間違いない。

つまり関ヶ原における西軍が秀次の味方になってくれる保証など何一つ無いわけだ。
むしろ、秀次の経歴を見る限り、西軍諸将よりはるかに家康や政宗の方が関係が深いわけで、
むしろ彼らの武力に頼らなければ、収まりのつかない状況になる可能性がかなり高い、
ここで家康に依存してしまうようならアウトだろう。
「それなりの治績」レベルじゃ家康の前では、屁でもない。
それ以上が無ければこの状況を打破できる可能性はゼロに等しい。

ただ>>144の言うとおり仲が良いだけに平和に交代する可能性は大いにある。

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 05:36:33 ID:UZySorDB
秀次の予定は明の関白なんだけど
とりあえず名護屋入りの予定が入ってたんだよね

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 07:14:32 ID:1uZ3h5RT
家康が関が原前後に見せた謀略の凄さも5大老筆頭として政務代行者という立場が
あってのものによるところが大きいと思うのだが。
ゲームや仮想戦記みたいに能力があればなんとでもなるというもんでもないでしょ。

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 07:50:08 ID:9dcZXvSO
五大老筆頭・秀頼後見人として中央政権に参画してない家康なんて
領土がでかいだけで天下に大した影響を持てないだろ
江戸時代の前田氏みたいなもの

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 11:27:30 ID:2XOI119u
>秀次は当たり前だが彼らの奮戦は見ても居ないし、居残り組みとばかり仲良くなってるので、
>自然と疎遠になる可能性は高い、秀吉が死んだ事で骨折り損になる可能性がかなりある。

確かに出兵そのものが失敗し、土地を得られなかったわけで十分な恩賞を与えることが出来ず不満が残る可能性はある。
ここに家康が付け入る点ができる点では同意。

>また宇喜多秀家・小早川秀秋ら秀吉の養子連中が血筋とは言え同じく養子の秀次の言う事を
>素直に聞くというのも違和感を感じる。
>実子の秀頼ならともかく、秀次に対してそんな簡単に動いてくれるだろうか?
〉秀秋なんか結局秀頼も裏切ったようなもんだし、秀次なんか余計だろう。

彼らから見れば義兄であり秀吉とも血縁なんだから、秀頼がいない場合ならば当然秀次に仕えるだろ。
秀秋は秀頼誕生で他家に追い出されたことも裏切りの一端にあるわけだから、秀次が跡を継いだならこの裏切る動機も弱くなる。

>三成らいわゆる文治派に関しても秀次に対する忠誠心という意味では疑問もある。
>無論、豊臣家に対する忠義として動いてくれる期待もあるが、例えば上記の宇喜多秀家が
>秀次と不和になったりした場合、どちらも豊臣家なら三成は秀家につくのは間違いない。

通説と違って三成は秀次助命に奔走するなど決して不仲ではない。
それに秀次と秀家が不仲になった場合三成は秀家につくと言うが、
秀吉の甥である秀次〉赤の他人である秀家 なのに秀家につくという理屈がわからん。
だいたい秀次が跡を継いだのに秀家が秀次と対立すれば豊臣家に対する反抗であり、武力に訴えることになればただの謀反だ。


153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 11:28:41 ID:5DdTbPGW
>>148
同意
豊臣家の派閥抗争を秀次独断で、纏め上げるのは無理だと思う

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 12:17:29 ID:9dcZXvSO
勝手な妄想を捏ね上げただけじゃん
秀吉を家康、秀次を秀忠、秀家・秀秋を忠輝・忠直、三成を正純、家康を政宗あたりにでも変えてやれば
そのまま江戸幕府初期の政情不安を指摘する文章になる

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 16:45:37 ID:6Ok3V5UE
>>152
秀家も秀秋も朝鮮出兵に行ってるのよ、
そういう意味でも上の文章と繋がってる面もあるの。

秀秋が小早川に送られたのは秀次在命中だよ、
どちらにせよもう後を継がすつもりなど無いからこそ送ったのであって、
残念ながら秀頼がいなかろうと同じだろう。某漫画じゃあるまいし。
また秀秋が小早川の領土を有していないなら、むしろ存在意義が無いので、無視しても結構。

三成と秀次は不仲では無いという説があるという程度で、
どっちとも言えないというレベル、仲が良いなどと言う話は聞いたことが無い。
だが秀家は三成と元々つながりがあるので、単純な話。
三成が武断派に襲われたときも助けられてるし。

ただの謀反・・・なんていったって誰が抑えてくれるのよそれを。
別に武力で反抗するとは限らない。言う事を聞かないだけかもしれない、
でもだとしたら秀次側から攻め入って黙らせないといけないかもしれない。
と言っても、宇喜多・小早川の両名を敵にまわすと、
毛利を敵にまわしたも同じなので、生はかな兵力では勝てない。
さてそうなった場合秀次の経歴から言って、誰の力を借りるのが一番確実だろうか?

>>154
政宗が関東で240万石の大名だったら、それでも充分意味が通じるよ。
仙台で60万石じゃどうにもならんがね。数字も考えないなんて妄想にしても酷い。

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 17:05:01 ID:PVsX+Cyx
>三成と秀次
若江八人衆中七人が秀次死後三成に仕え、うち五人が関ヶ原で戦死、という
状況を考えると、以前からそれなりに懇意だったんじゃないかとは思えるね。

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 17:13:50 ID:6Ok3V5UE
>>156
それも含めて色んな説があるよ、その辺はもう少し調べてみると面白い。
三成が秀次の家臣を引き取る形になったのは、そもそも
秀次の遺領を譲り受ける形になった事が原因として大きい。

ただ以前からのつながりを示すようなものは存在しない。
まぁ三成は家康があまり好きでないし、家康も含めて秀次周りの人間は、
三成からすれば苦手な人間が多いのが事実。
秀次自身尾張出身だし、前野長康もそう、いわゆる尾張閥。

少なくとも以前から懇意だったと言う説は聞いた事が無い。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 17:16:27 ID:2XOI119u
>>155
仲がいいからといって秀家と三成が組んで反抗する?んなバカな。
どんなかたちにせよ謀反は謀反、秀家が秀次に反旗を翻すにしても何の大義名分がある。
正当な豊臣家後継者秀次と養子の一人に過ぎない秀家、人望のない三成では諸大名がどちらにつくかは自明の理。
それに秀秋が荷担するにしても(秀秋が秀次へ謀反を起こす積極的理由があるとは思えないが)、毛利が支援するかな?
小早川は秀秋入嗣でそれまでの重臣の多くは隆景とともに三原に移っているわけだし、
史実の関ヶ原をみても毛利吉川とは別行動をしていてすでに毛利系の大名とは言いがたい。

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 17:24:18 ID:6Ok3V5UE
>>158
謀反とまで行かなくても、朝鮮出兵組みで組んで、
不平分子になる可能性は大いにあるといってるの。

そんな状況で天下が収まってるとどのクチで言えるのよ。

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 22:28:40 ID:2XOI119u
不平を持つ不満分子はいつの時代でもいて当たり前だろ。
問題はその不満分子がどのような動きをするかだが、豊臣宗家に力がある以上
それら不満分子にどれだけのことができるかと言えばたかが知れているだろう。
また同じことをいうが実績をみる限り、秀次は家臣の補佐を受けながら天下を治める程度の器量はあるように思える。
実際個人的にはさほどの器量のなかった秀忠が江戸幕府を安定させた
事例があるわけだし、秀次とて二代目としてうまく天下を治められた可能性は十分ある。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 22:35:06 ID:y2EKLiPS
>個人的にはさほどの器量のなかった秀忠
なんだ釣りか

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 22:39:52 ID:2XOI119u
>>161
秀忠は政治家としてならまだしも、武将としては無能だろ。
肝心の政治家としての部分だって有能な家臣によるところが大きい。
アホかお前は?

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 22:44:09 ID:y2EKLiPS
初代がでかい存在になりあがった2代目としてはかなり有能の部類だよ
2代目が秀忠でなかったら徳川300年の基礎はできなかった
秀次なんぞと比べて大差ないってのは釣り以外のなにものでもないぞw

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 22:52:23 ID:2XOI119u
そうか?別に本人の才覚が大したことなくても体制を固められた例は足利義詮の前例もある。
組織のトップは本人が必ずしも有能である必要はなく、家臣が力を発揮出来るようにすればいいんじゃないか?
日本史では少ないが中国史を見ると結構ある組織のスタイルだと思うが。

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 22:53:01 ID:PVsX+Cyx
>例えば上記の宇喜多秀家が秀次と不和になったりした場合、
>どちらも豊臣家なら三成は秀家につくのは間違いない。

だとすると、この二人はどう「もう少し調べてみる」と「間違いない」
ほど親密だったのが分かる?

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 22:53:57 ID:uRluNmnm
だいたい秀次もそうだが、秀忠みたいな体制固めの役割を担う人間は武将としての能力なんて、もう求められていないんだよ。
ケンカが多少強いところで、もはや何の意味もない世の中にしようとしているわけなのだから。必要なのは法と、それを執行する組織作りと行政力。
それに関して秀忠は抜群の能力を発揮している。

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 22:54:14 ID:PVsX+Cyx
あ、ごめん途中で単に
>可能性は大いにある
に変わってるのね。

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 22:56:58 ID:uRluNmnm
>>164
家臣が能力を発揮出来るようにすることの、出来るトップってのは物凄く優秀だぞ?
いっぺん社会に出てみ?そういう能力を引き出してくれるトップって言うのがいかに希少か
わかるとおもうよ?

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 23:00:45 ID:6Ok3V5UE
>>160
秀忠の時代に、徳川の勢力を脅かす勢力がどこに存在したんだ?一体。
外様最大の勢力を誇った加賀前田でさえ100万には実際は届いてないぞ。

完全に治めきって、地方の力も奪い去った後の二代目と、
まだまだ収まりきって無い部分のあった二代目で同じと考えられるのは単純にも程がある。

秀次が秀忠と同じで済むようにするには、秀吉死後の20年間に
家康が行った事を全て行う必要がある、秀次に人並み以上の統治能力ぐらいはあったろうと言うのはわかる
だが、正直言って関ヶ原前後の天下の情勢を舐めてないか?
まだまだ武力で押し切らなければならない部分が多く存在していた上に、
豊臣宗家は実力者の相次ぐ死と朝鮮出兵で恐ろしく消費してる。過信できる力など何一つ無いぞ。

それをひっくり返せるのは「家臣の補佐を受けながらなら〜」とか寝ぼけた枕詞のつく奴に、
出来るわけが無いだろう。

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 23:01:42 ID:y2EKLiPS
>>164
不安定な政権で絶頂時ですら実効支配は畿内周辺にしか及ばず
その支配権もいくつかの名家の集合体としてしか機能してなかった政権と
徳川の体制を比べることが間違えてると思うが・・・
(秀吉が目指したのも足利ではなく徳川の選んだ道)

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 23:23:41 ID:J2Fswmit
というか朝鮮出兵組みに、そんな天下を脅かすほどの横の繋がりある?

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 23:28:10 ID:2XOI119u
>>169
実際秀吉が没した直後天下を取る実力、意志を持っていたのは徳川家康くらいだが、
史実でも幼君の名代として賊軍を倒すという形を取らざるを得なかったわけで、この段階では家康ほどの実力者であっても豊臣家の御為という大義が必要だった。
つまりまだこの段階では豊臣家の権力、権威はまだまだ盤石だった。
まして秀次が跡を継いだならば自己の判断がある成人の当主なわけで史実よりも格段に家康の天下取りは難しくなる。

それと
>まだまだ武力で押し切らなければならない部分が多く存在していた上に
この武力で押し切らなければならない部分とは具体的に何?


173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 00:08:07 ID:MUk2FiPw
秀頼が生まれた時点で三好に戻ればよかったんだよ

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 00:25:46 ID:dfQeZkZJ
>>172
当然、戦国の真っ只中と言うわけでも無いんだから
いくらなんでも力づくというわけには行かない。
それは豊臣の権威などと言う秀吉亡き後にはどうとでもなってしまう代物ではなく、
ようは時勢の流れに他ならない。天下の情勢を読み取った家康がそれを利用したと言うだけ。
本当に豊臣の権威が存在するなら、秀吉が死んだ後の家康の行動に
利家らが弾劾した時点で、家康は粛清されなければおかしいでしょ。
でも粛清どころか、ますます増長、聞く耳持たず。

あと前提が間違ってる、秀次にとって家康は三成やらなんぞより遥かに信頼のできる味方だよ、
家康がそれを利用しないわけ無いでしょ。
自己の判断のある秀次だからこそ、周囲の余計なクチバシが入らない分、
神輿にするには秀頼より遥かに楽。

武力で押し切らなければいけないと言うのは、戦争しなければいけないと言う意味じゃなくて、
武力を盾に、外様の力を削いで、中央への影響力を削ぐと言う意味。
秀次にできるだろうか?

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 00:28:57 ID:2LkrxWM4
マカマカー!

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 00:29:44 ID:2LkrxWM4
マカマカ?

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 00:41:23 ID:ilzytbqj
>>174
秀次にとって家康が信頼できる味方だというのが分からん。小田原〜奥州のこと?
だとすると根拠に乏しいし、秀次は秀吉が家康を警戒していたのを
よく知っていたわけだからそうそう簡単に頼るかな?

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 01:32:20 ID:OnO5WUrH
そもそも秀次と家康の仲が特別に良かったなんて聞いたことがない
秀次事件の時も家康は秀次と距離を取ってたおかげで難を逃れてるわけだし
朝鮮出兵で活躍した連中や秀家と仲が悪かったという根拠もない
それなのに「不平分子になる可能性は大いにある」と言われてもねw

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 04:08:13 ID:dfQeZkZJ
特別仲が良かったとは言うんじゃなくて、ただ情勢的に近いのは尾張系の人間、
前田利家、実際交流のあった政宗、それと同盟組んでる家康らになるでしょ、
突然三成ら五奉行が配下になるというのも妙な話。
そもそも固有の力を持つ外様の有力大名である大老家はともかく、
五奉行は、秀次の体制になったときに同じ力を発揮できるだろうか?
それこそ木村や前野らと政争を始めてしまう危険性はあると思う。
もっとも利家はすぐ死んでしまうからあてにできんけど。

ちなみに、前提を確認したいんだが、当然秀吉が1598年までは生きてるわけだし、
秀次が政権を動かすのってそれ以降ということだよね。

朝鮮出兵連中が秀吉死後に不平分子になるのは根拠も何も、
史実どおりでしょ、秀次がいたから不平が無いなんてそれこそ根拠が無ければ、
ありえないよ。秀秋が秀吉に領土削られるのも1597年、これも史実。

三成が味方かどうかは知らんし、存在意義も変わると思うが
(説によって変わるが増田と一緒に秀次を讒言したと言うのも説としてあるので本当に謎)
秀吉の死後に彼らの紛争を抑えなければいけないのはどっちにしろ史実の流れでしょ。

あと秀吉は外様は誰だって警戒してたし、家康だけ特別警戒してたと言うほどじゃない、
むしろ信頼してた点もかなりある、もし本当に警戒してたんなら、
朝鮮に無理矢理にでも連れてって、真っ先に消耗させるでしょ。
でも、何故か国内の政治に専念したいというのが許されてる。

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 04:19:55 ID:OnO5WUrH
秀次が政権を執った場合当然秀吉政権の多くの官僚たちは閑職に追いやられるだろう
君の指摘どおり外様の有力大名である五大老と違って、
五奉行は秀吉の権威がその権力基盤、秀吉が死んだ後の連中に政争を始められるだけの体力はないよ
大した揉め事も起こらず政権から消え去るだけ
秀吉死後の所謂武断派と文治派の対立は武断派の連中の三成への個人的反発が原因、
対立してた文治派が政権から消えれば武断派には特に揉め事を起こす理由もない
多少不満を持ってたとしても秀秋みたいな小僧ははなから問題外

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 04:48:19 ID:dfQeZkZJ
そうかもね、とは言え朝鮮出兵関連の撤兵指示はさすがにすぐ必要なので
そのまま三成が任されるだろうから、そこでの軋轢はヤッパリ起こってしまうだろう。

そうなれば三成襲撃事件は史実どおり起こると思われるが、
確かに史実と違って近江の地盤が無い秀次政権では帰る場所はなくなってる可能性が高く、
そのまま豊臣政権から五奉行ごと消え去ってしまうかもしれない。
とは言え史実どおりなら秀家や家康の助けで一応は助かるだろうし、
上杉や佐竹などの有力大名との関係もなくなるわけでは無いだろうから、
そんな綺麗に消え去るかどうかはわからない。
実際、関ヶ原でもベクトルは違えど同じく消え去りかけてた所から関ヶ原を起こしてるんだから、
予測はつかない。

ただそうなった場合、正則・清正と前野長康らを中心とした尾張の勢力が牛耳る豊臣政権ということだろうか?
それはそれで興味あるが。

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 05:15:29 ID:OnO5WUrH
朝鮮出兵の撤退は秀吉の遺言通り五大老筆頭である家康が取り仕切ったはずだけど記憶違いだったか?
もし秀次が存命なら当然秀次の仕事になってるはず
関ヶ原で失脚した三成が蜂起したのは豊臣家を蔑ろにする家康に反発したからでしょ
秀次政権で同じように失脚(すると思う、人望無かったし)した三成が果たして
秀次に対し同じようにクーデターを起こすだろうか
そもそも前提が秀次生存のifである以上真面目に考察するのもどうかと思うが、
自分はその場合三成には反乱を起こす理由も大義名分も無いと思う

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 06:16:16 ID:dfQeZkZJ
関ヶ原も基本的に大した大義名分など無いしね、お互いに。
そんなもんあったら、はじめから秀頼を連れてこれたし。

三成が豊臣家が安泰なら自分は消え去ってもいい
なんて聖人君子のような考えならそれもありだが、基本的には
自分の立場を守るために豊臣家が必要だったのであり、
それを排除しようとする徳川に対抗したってのが始まりであって、
秀次が秀吉以来の自分の立場を排除しようとしたなら、家康と何の違いがあるのか?

あっさり政治の舞台から引き摺り下ろされてハイそれまでよってのは
甘すぎる気がしてならない。そんな人物ならそもそも関ヶ原など起こせない。
また一緒に排除される五奉行連中もそんなに単純な連中なら、
豊臣政権の基盤を支える事などできないよ。

秀次生存のIFならコレは重要な事だよ、これを治めなければ成らないのだとすれば
やはり秀次には荷が重いとしか思えない。
別に秀次に能力が無いといってるわけじゃない、
秀次や事件で連座させられた連中主体の政権では相手が悪すぎる。

家康の手を借りるなら話は別だが。

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 08:13:29 ID:2nCmKKNh
>>170
そりゃ違うぞ。確かに豊臣政権は徳川政権よりは下だが、
少なくとも、それまで存在したあらゆる中央政権よりも豊臣は強大だった。
なんせ日本中に命令して関東や奥羽を仕置きしたり大陸を攻めたりする程だったしね
秀吉存命中は家康も含めて誰も秀吉に逆らえなかった。
こんな強大な政権は実は今までの日本になかった。

それと畿内以外にもあちこちに徳川政権でいう天領(お蔵入り地)を持ちその合計は
220万石程度はあったという。
他に日本各地の金山、銀山を押さえ、博多などの港の運上益も独占。
経済能力はすざまじいものだ。

あと江戸幕府でいう親藩・譜代も豊臣政権には存在してた。
親藩は豊臣秀次、小早川秀秋、豊臣秀長、木下など、加藤や福島も実は秀吉の親戚筋だ。
譜代に相当するのは山崎の合戦以前の配下が相当するんだろう。
黒田、竹中、蜂須賀、山内、七本槍、石田など。
ただ、家柄の卑しい豊臣家の結束は秀吉が死んだあとは激しく脆かったけどね。

なんにせよ一つ言えるのは
実は徳川政権というのは豊臣政権に酷似してる部分があり、
実は家康が秀吉のやり方を模倣しさらに改良強化したものだ。
秀吉というお手本・土台がなければ
家康がいきなりあんな強力政権を作れたわけではない。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 08:18:02 ID:2nCmKKNh
>>170
>(秀吉が目指したのも足利ではなく徳川の選んだ道)

繰り返しになるが
それは秀吉が家康より劣っていたからでは少なくともない。
むしろ家柄を除いてはやはり優れていただろう。
単に秀吉が強い力で切り開いた道を家康が進んだから、
家康が強力政権を作れただけ。

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 16:42:20 ID:LfsU2cpN
クソスレ候補だったわりには、えらくまともな議論になってんな。

秀吉死後に家康が豊臣家を二つ以上に割ることが出来るかどうかだな。
つまり、秀次政権にどういう派閥が出来るかだが。
まず、五奉行を中心とする秀吉側近衆だな。だが、これは幼君を抱くのと
違って一気に衰弱するだろう。中核となる大名もおらんし。
次に、秀次側近衆だな。ただ、この連中は秀吉が死ぬ前は権力的にはさほ
どではないし、大きな武力を持っているということもない。秀吉の旗本衆
を動かせるようになるくらいか。権力は飛躍的にあがるが、その基盤はま
だまだ根付いていない。
次に、秀次恩顧大名とでもいう勢力で、細川・伊達など次代を見て秀次に
近寄った連中ということになる。秀次が長く後継者として位置していれば、
この層はかなり増えているはず。ただ、この連中は家康派とはかなり重な
る部分も多いだろう。
次に、豊臣家忠誠大名っていうか、家としての豊臣家に従う連中だが、こ
の層は宇喜多秀家の他は有力大名はほとんどいない。子飼い加藤・副島な
んかも関が原で家康についたのを見てもわかるが、秀次につくとは限らな
い。むしろ、秀次に対しては反発している傾向がある。特に副島はそう。
それから、豊臣一族。この層に対しては、秀次は実子の秀頼よりも求心力
が落ちる。それだけに、反発が大きくかえって敵になりやすいかもしれん。
ただ、北の政所と秀次の関係にもよるが。
後は、毛利みたいに基本的に日和見な連中だが、こいつらの場合は、やっ
ぱ養子の秀次の場合は求心力が落ちる。

なんていうか、秀頼の場合と違って、敵味方がはっきりしていない感じで
はあるな。これで各大名の取り合いになった場合、どうなるかってことだ
が。

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 20:02:25 ID:zYhOVBKj
短くまとめられるかがカギ。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 20:26:30 ID:99lnm2K7
秀次が死なない=秀保も死なないって仮定したら、豊臣一族単体でも十分戦える。

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 21:05:16 ID:dfQeZkZJ
それどんどん仮定が都合良く解釈されすぎて無いか?

だったら初めっから秀長が死なない仮定をだした方がわかりやすい。

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 21:05:33 ID:H3G11J57
秀次政権顕在の場合
関が原のような戦争が起きるかだが
確実に起きると思う。
動機として

1)朝鮮出兵での恩賞無き戦い
外部に報奨を得られない以上、国内の乱によって勢力拡大を望むのは
いわば当然であり、戦乱を望む雰囲気は十分あっただろう。
であれば関が原のような戦も起きたのだし。

2)秀次自身が戦争を欲していた。
秀次政権の場合二代目であり、秀吉に比べ統制は弱まるというか威光は
低下するのは避けられない。
まして秀吉は問題を山積して亡くなったのであり
秀次は自身の政権が天下に号令する前例として謀反する敵を
討伐すべく天下の軍を動員する名文を必要としただろう。
ちょうど家康が上杉征伐を強行したように。
 そして1)とも微妙にリンクするが、どこかに空きを用意して
国内の再編成をしなければ国内にある憤懣を処理しきれない。

>>186
ここから秀次が誰を槍玉に挙げるか推測すればよい。

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 21:23:54 ID:H3G11J57
おそらくランクとしては史実での五大老クラスだろう。
前田と宇喜多は係累と関係からして秀次と行動をともにする与党となり
細川や尾張系の連中は分裂する可能性はあるな。
秀次は国内の結束の為外に敵を用意する構図を使い、どこかを槍玉にする
と思う。
でおそらく毛利、徳川、上杉あたりが狙われる相手になると思う。

上杉の場合、史実での徳川に対したように秀次に敵対したか?
ありえる。秀次には最上、伊達そして前田が接近しており
これは上杉とは色合いが異なる。

毛利の場合、微妙だが上方に近すぎて政権基盤の近所で戦争を起こすことを
秀次周辺は望まないと思う。

徳川家の場合。かなりの相手だが狙うだけの見返りは大きい。
徳川を倒したら秀次の権威は高まる。東国での大規模再編が可能となり
>>190での1)の不満をある程度解消できるだけの余裕も出来る。

秀次政権では狙われる可能性の高い徳川と上杉と
豊臣家で傍流に追いやられる連中が接近して野党になる構図を考えればよい。
 三成たち史実での奉行衆は、秀次政権での本多正純のように前時代の辣腕官僚として
粛清される危険が大きく、政権から外されていく可能性は高い。
 上杉や佐竹そして小西と三成の関係は史実と変わらないだろうし、これに徳川が
加わるパターンで考えればいいと思う。
この連中が徳川嫌いとか言うのはあくまで後世のこじ付けの感が強く
実際のところ、彼らと徳川が組んだ可能性も勢力図によってありえると思う。
名文として正統な後継者として秀頼を使う方法があるしな。

 どういうきっかけかは分からないけど
この二つのラインが戦争で決着をつける事になると思う。

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 21:32:51 ID:oyfUo8ls
秀次生存でしかも関白職にも就いているというIFだと2頭制が秀吉の死まで
続いているということであり、その場合秀吉は秀頼の後継体制の担保のために
統治システムの改編をおこなってるのではないだろうか。

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 21:39:49 ID:dfQeZkZJ
ちょっと待って一応この仮定は、秀頼がいないという事が前提らしいよ。

実際もし存在したら、三成ら旧体制派が黙っちゃいない事はまず間違いないし、
大混乱してしまうだろう、まぁ妥当な仮定だとは思う。

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 23:11:37 ID:1+idxDCM
>>193
秀頼がいるは、前提とはできないな。
というか、それを前提とすると、秀頼派と秀次派の激突以外の選択しか
なくなってしまうし。

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 23:32:47 ID:dfQeZkZJ
>>194
だろうね、
っていうか俺がそれを言ってるので、
俺に言うべき事では無いかと。

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 05:22:20 ID:AHVU6C0M
秀次・秀保が生きていても、やはり秀吉が死ねば、家康に媚びる勢力がでてくるかもしれないし、小早川秀秋でも担いで分裂させ弱体化を企む者も出てくるのでは?

秀保の家老は、藤堂高虎。
藤堂高虎なんて秀保を暗殺してしまうかも知れない。秀吉死後、藤堂高虎が秀保に忠誠を尽くすか、どうか疑問

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 06:30:28 ID:xZ6vyILl
>>196
つくすだろ。
藤堂高虎は主君をころころ変えたがそれは主家が滅亡したから
積極的に主を裏切ったことは一度もない。

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 07:34:32 ID:XCk3zgAJ
政局がどう転んでも秀秋様の決断次第で決まる

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 08:55:50 ID:m1ySUhbv
そこで東国大名を動員した第三次朝鮮出兵ですよ。

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 12:58:41 ID:Vy4VM/bt
今戦国時代からかえってきた。秀次を殺したのは秀吉の陰謀でした。理由は自分が信長に自分がやったこと(三法氏擁立)
を家康にさせないため

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 13:36:03 ID:yMUGyGdg
>>200
お前スゲェな

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 14:12:21 ID:ty3XsOAy
>>196
高虎をまるで呂布か松永久秀のようにみなすのっていまだにあるんだな。

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 20:29:23 ID:27ABIqlI
松永久秀は言い過ぎにしても、
小説の影響でむしろ善人のイメージが流れすぎてる印象もまたあるよ。

確かに裏切って主君を変えたというよりは、時勢の流れで主君が変わっていったのが
藤堂高虎だけど、この秀保に関してとか、微妙にグレーな物も混じってる。
なんとも言えない人物ではあると思うよ、柔軟な思考力を持ってた事は疑いないし。

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 21:28:22 ID:nM/JB/+3
秀保に関してそんなにグレーなの?
死んだ後出家して高野山に登ったり、大和豊臣家の断絶回避の為に
高吉擁立に奔走したりしてなかったけ。

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 00:10:08 ID:i07NiDFs
>>204
まさにその辺、いくらなんでもその後の美談過ぎる話と、もともと1万石前後の大名だった高虎が
主君死後に有能と言う話だから・・・というだけで7万石の加増になって戻っている事は、
やはり微妙な違和感を感じざるをえない。

秀保は一族虐殺された秀次の弟、その家老が一度出家しようとしたにもかかわらず、
あっさり戻ってきて何故か異例の大加増・・・。

無論証拠など無いが、その後の高虎のあっさり家康に鞍替えした柔軟な考えを見る限り、
いくら秀長に心酔してたからといって、あまりに行動に差があるように感じられるんだよ。

今まで言われてきたような君主をコロコロ変えるような不義理な人物と言う評価は間違いだと思うけど、
最近の高虎評は本などの影響を受けすぎて逆にあまりに善人に捉えすぎてるように見える。

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 00:13:35 ID:Rm1x1n33
>>205
そりゃ高虎も戦国大名だから海千山千だよ。だけど君は高虎の旧来の評価を
引きずりたくてしょうがないように見える。

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 00:58:01 ID:i07NiDFs
どう見えようと自由だし、レス自体は否定しないのなら特に文句は無いよ。

ただ一つだけ
>>196は俺じゃないぞ、ただ>>197みたいなのもどうなのよ?って事。
状況によって高虎の忠誠に疑問を持つ事がそんなに間違ってるとは思わないって事。
積極的に裏切ってないと言うけど、じゃ秀頼は高虎にとってなんなのよと。

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 05:21:40 ID:7R4d7OLd
とりあえず表向きの理由は朝鮮出兵時での戦功による加増だろ>高虎
他では島津や加藤嘉明とかが朝鮮出兵で加増を受けてる
秀保の死によって大和豊臣家は断絶したわけだから、その遺領分け(場所は四国だが)という側面もある

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 00:58:52 ID:lXaQMfC8
秀次の両親の逸話とかあんまり出てこないよな。
秀吉が城持ちになる前とか、どんな立場だったんだろう。

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 01:30:54 ID:Q2vd8/rT
>>209
秀次の父については、こんな一説があるみたい

http://www.miwa-e.ed.jp/05gakunenn/6nenn/2/2-1/newpage2.html

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 07:56:22 ID:oD1b0twM
>>210
1551年に秀吉の姉と婚姻してるのか。
やはり秀吉は国人の子供だったんだろうな。

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 08:58:02 ID:bTriU6w6
つーか、秀吉の出生は謎でもなんでもない。
ようするに半農半士の子。
それが大げさに表現されて「農民の子」とか言われた。
半農半士といっても、当時はよっぽどの上級武士以外は
農村に居て農業を兼務するのは当たり前だったし。
それなりの武士でもおかしくない。
確か秀吉の乳は足軽大将の地位だったはず。

213 :212:2006/10/05(木) 08:58:59 ID:bTriU6w6
乳→父

214 :やきにく:2006/10/05(木) 10:17:04 ID:pqda/B+K
母の再嫁先も同朋衆の筑阿彌だしね。
武士と農民、国人大名と土豪なんて区別はないに等しかったわけで。

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 18:43:12 ID:Q2vd8/rT
吉房が慶長17年に没して、戒名が「建性院殿三位法印日海大居士」だというのは、瑞竜寺の木下家過去帳に書いてあるらしい。
吉房の墓
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/n_16_honkoku2.htm

ともの墓は善正寺
http://www.h5.dion.ne.jp/~zikkoji/houjyoue.htm

http://www.hal-kyoto.com/ki/kyosikai/q_and_a/chikusyozuka/index.html

渡辺世祐氏によると善正寺にあるのは、秀次の墓じゃなくて秀勝の墓らしいけど。
ともは最初、嵯峨に善正寺をたてて1600年に現在地に移したらしい

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 20:46:50 ID:4ShDYLoT
母のとも(日秀)は夫と子供3人と孫にまで先立たれて、豊臣家の滅亡まで見てるんだよな。
浅野・木下家に兄弟が居たねねより悲惨かもな。

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 20:48:51 ID:7p72Ia69
>>216
というか、弟が息子殺して、夫を追放したんだからなぁ。
ただの百姓やってれば、こんな悲惨な目にあわんですんだんだろうに。

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 01:11:08 ID:qXW725kN
秀次事件の時には、きっと秀吉は死ぬ3年前で、既に性機能なくなってたんだろうな。
案外、その腹いせがあったのかも?

ともの晩年は悲惨だったと思う。他の息子も、秀勝は秀吉の無謀な出兵が原因で、秀保も秀吉の暗殺説もある。年が寄ってから、家庭崩壊させられた。ある意味で、お市以上の悲劇かもしれない。
お市は美人で、ともはダサい百姓老婆のイメージがあるから、お市のように同情されて悲劇のヒロインに持ち上げられることがないんだろうね?
案外、北政所は、ともの不幸に同情してたかも?

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 10:22:16 ID:KmndnXS5
まぁ、秀吉の血族は秀吉のせいでみんな不幸だからな。
姉は一家崩壊、弟は酷使されて早死に。妹も兄の政略結婚のせいで鬱病だし。
正妻と妾が争って、息子は殺されるし。ちゃんと、淀から秀頼を取り上げて、
北の政所のもとで養育させれば、もっとましな展開になったろうに。
もともと下層から成り上がって環境の激変があったとしても、不幸の多くは
秀吉の不徳のせいとしか思えないな。

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 13:28:20 ID:NJ2qv1U7
はいはい

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 22:43:26 ID:trVVuwcd
とも視点での豊臣家を大河ドラマ化したら面白そうだな。

今までの秀吉視点での立身出世物語とはまったく雰囲気の異なるものになりそうだし。

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 00:10:05 ID:qNZc/96m
>>221
恐ろしく冷徹な、怪物のような秀吉像が見られそうだね。

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 00:40:53 ID:Ww7Hgvk6
晩年の、ともの事を考えてみると、秀吉の悪政がよく見えてくるように思えるね

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 00:58:44 ID:gMw5JtCt
>>219秀長はどうだろう?俺は秀長ファンなんだが
秀吉に毒殺された説もあるよな

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 01:05:54 ID:qNZc/96m
>>224
秀長が毒殺だったかどうかはわからないが、秀長も、兄に親兄弟が将棋の駒のように
扱われて、内心思うところもあっただろう。実の父親も追放同然で追い出されたわけだし。

秀吉がもし秀長を暗殺するとしたら、秀長がそういう機微を、ふっと秀吉の前で出してしまった
時にそう考えるかもしれない。「こいつ、オレを恨んでいるのか?」って。

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 01:16:16 ID:hXdHOsrd
佐治日向守や副田吉成とか妹の旦那も悲惨な目にあってるしな。

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 01:37:36 ID:Ww7Hgvk6
秀長が病気にかかった時には、秀吉は祈祷したりして回復するように祈ってたんじゃなかったっけ?

当時は、まだ大政所も健在だったし、秀長は有能で権勢欲もあまり強くないから、秀吉は頼りにしてたのかも?

秀長が死んでから、秀吉は目に見えて狂ってるね

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 02:55:47 ID:25ecYUGr
秀吉の一族ってのは元々秀吉のおかげで出世してるんだから幸せ云々とか甘い事言い過ぎだね、
親兄弟が将棋の駒の様に〜ってもそんなのは何処の大名・武士も一緒、
それでさえも生活が保障されてるだけまだどこぞの百姓よりはましだろうね。
特に百姓身分の女なんて子供生むだけの農奴みたいなもん、
夫が死ねば自分や家族を養うために新しい夫へ、自分が子供を生めなければあっさり捨てられる、
当然男は男で農業の重労働をこなしながらの賦役や兵役、大半の農民はただの雑兵として死ぬか、
貧しい生活をしながら一生年貢を払い続けるだけの一生を送るかしかない存在だぞ。

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 03:03:12 ID:UWoN0LQW
秀吉が秀長を暗殺したなんて妖説太閤記なみの妄想だな
あっちは小説としては滅茶苦茶面白かったが

>>228
信長も家康も一族は彼らのせいで大なり小なり不幸になってる
けど秀吉は豊臣家自体が滅亡してしまったからな
生き残って血筋を残したのは豊臣完子くらいだし
そう考えるとやはり権力者と言うのは業が深いな

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 03:06:56 ID:qNZc/96m
>>228
とっくに否定された農民暗黒史観を恥ずかしげもなく披露されても…。

それに、秀吉の実家が貧農だと言うのも今はほぼ否定されている。
豪族と豪農の間くらいの家柄と言うのが今の主流。実は前田利家の実家と大差ないくらい。

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 03:35:05 ID:25ecYUGr
>>230
戦国時代の農民が大名・武士に比べて悪い待遇でないと?
もはやただの珍説だねそれは。
また利家の実家といえば荒子に2千貫の領主、信長に利家を小姓として
仕官させれる位の力を持った家、
「農民ではなかったかもね」程度しか言われてない秀吉と大差ないとは、
秀吉の実家がどれくらいの家だったかご教授願いたいもんだ。

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 12:47:16 ID:+oXuYSpv
木下工務店

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 12:48:21 ID:757FKoZP
>>228
まぁ、あれだ。少なくともいえるのは秀吉ってのは、家族愛が
ありそうでないってことだ。もしくは、非常に自分本位な家族
愛の持ち主だっていうかね。周囲も大変だったろうなと思うが。
秀吉が人を殺すのを嫌ったとうのと同じように、家族に対する
愛情が深いっていうのも、誤ったイメージなわけ。秀次なんて
その最大の被害者だしな。

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 13:18:00 ID:UWoN0LQW
家族に対する愛情が深いからこそ、家族を脅かす危険のある人間に冷徹になれる、とも言える
秀次粛清も結局のところは実子の秀頼可愛さから出たもの
秀吉の家族愛は愚かではあったが自分本位だったとは思わない

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 17:58:47 ID:qNZc/96m
>>231
武士と農民が階級として分離されていない時代だぞ?そこを理解してる?
秀吉の実父が織田家に仕えていたのも秀吉が今川の松下家に仕えていたのも
秀吉の「木下家」が、当時の支配構造の中で、少なくとも最小単位を担っていた階級だったからだよ。
絵本太閤記みたいなエピソードはただのファンタジーだよ。

秀吉自身が小物として信長近辺に仕えられた理由。織田家家臣の浅井家から嫁を迎えられた
理由。名目上とはいえ利家と親友付き合いができたという理由。

それが、秀吉の才覚だけで可能になったと考えるのなら、当時の社会を全く君は理解していない。

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 05:04:38 ID:prCxjxme
まあ少なくとも秀吉の実家が「豪族と豪農の間くらいの家柄」だったり、
「実は前田利家の実家と大差ない」なんてのは有り得ないな
最大限好意的に解釈しても没落した足軽頭の家に過ぎない

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 08:50:30 ID:D4YjrV6i
ヤング利家と友人だったって話が一番凄いな

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 14:24:03 ID:DTjHJRCW
>>235
武士と農民が混同されるのはよっぽどの底辺で一介の足軽とかそこらへん、
だから秀吉の家はまさにその底辺で百姓と変わりない存在、特に父の死後はね。
また秀吉が今川家に仕えたのは単なる小者として、
秀吉の父が織田家に仕えれたのも一介の足軽として、
秀吉が父の家督も継げずに各地を放浪したというのがその証拠であり、
当時の支配体制での秀吉の家の地位はしょせん百姓か足軽か?程度のものでしかなく、
父の死後からのスタートは百姓からのスタートと変わりない。

>秀吉自身が小物として信長近辺に仕えられた理由。織田家家臣の浅井家から嫁を迎えられた
>理由。名目上とはいえ利家と親友付き合いができたという理由。
ここらへんははっきり言って秀吉の才覚以外の何ものでもない、
ただし小者として信長に仕えたというのは底辺からの話であり、信長近辺とかではない、
浅井家も当時では単なる弓衆であり大した家柄でもなくむしろ下の方、
(浅野長勝に実子がいないこと大きかったかもね)小者として仕官していた、
もしくはある程度出世したいたであろう秀吉とはそこまで身分違いの話ではない。

で、理解してない俺に>実は前田利家の実家と大差ないくらい。
というのを具体的に教えてくれよ。

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 16:23:23 ID:DTjHJRCW
>浅井家
間違えた、浅井じゃない浅野ね。

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 19:00:58 ID:sXqsUBhp
秀吉が資料にでてくるのって美濃攻略戦あたりからで
それまでは今ひとつわからんのじゃなかった?

ところで秀次の父の長尾家って元々土豪?


241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 19:17:38 ID:dj1Gfv0C
前田家は城持ちのそれなりの豪族だと言うのに

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 21:31:25 ID:eQMDY3Hi
>>238
家督www

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 21:33:07 ID:mQ3kevNp
秀吉の出自は結局謎が多すぎるので、
「何をやっていたか?」と言う点に関して、色んな説があるのは聞いたことあるが、
荒子城主の前田氏と大差ないとまで言い切ったのははじめて見た。

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 22:18:35 ID:oM5clJHN
左翼イデオロギー的農民観がおかしいという突っ込みまでは良かったのになあ。

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 01:22:50 ID:HUG4Xh+G
結局秀次のことをネタにして秀吉を叩きたい勉強不足の厨だったようだ

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 04:40:41 ID:7PGKSmSR
小者は身分は平民で扶持が1〜2貫、足軽の扶持が2〜3貫らしい、
だから父は足軽で、小者として仕え始めた秀吉はまさに最下層。
一方の利家は2000貫の領主の息子で自身は14歳で50貫、
家督を継ぐ前に450貫(家督相続後は2450貫)の知行を得ていた利家とはまさに雲泥の差がある。

まあ秀吉がいかに凄まじい出世を果たしたかってのが分かるね。

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 05:03:44 ID:7TVutE0l
秀次の話していいかな?w

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4101309329
この本の秀次はちょっとすごいな。内容はムチャクチャだが「これなら秀吉も妻子丸ごと皆殺しするなあ」って納得してしまったw

あと
http://www.hidetugu.jp/

こんなのあるのね。

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 10:33:40 ID:HUG4Xh+G
秀次倶楽部は笑ってしまうほど秀次を美化してて面白いw
自分は未見だが大河ドラマの秀次もこんな感じだったんだろうか

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 11:44:41 ID:RoYqpGOy
>>248
個人的には大河の方がまだ納得できる、
学問にしても政治にしても頑張ってはいるけどどこか空回りしてる所も
大河では一応描いている感じではあったし。
倶楽部ではまるっきり、美化して物凄い善政の優秀な政治家のように書かれてるけど
大河ではそこまでやってない、最期の演出がカッコよかっただけw

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 19:22:04 ID:CSLSn4Jp
極めて貴重な親族一家を皆殺しにして、結局羽柴家は断絶

なぜ筑前は頼朝の轍を踏んでしまったんだ

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 20:28:25 ID:7TVutE0l
>>250
個人うんぬんよりも、家臣団の方が力が強い連合政権的な政府は、結局
長続きしない、ってことじゃないかな?鎌倉幕府が安定したのは北条氏の絶対的指導力が
確立してからだし、徳川幕府は配下の親藩、譜代、外様にそれぞれ権威、権力、財力、を
分散させる事により将軍家への求心力を高め、長期安定政権を築いた。

そういう意味で秀吉の政権には知恵が無いわな。室町幕府の延長線上にしか過ぎないように
見えるよ。

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 20:53:39 ID:pEdFuXuc
知恵というか時間が足りなかったという気がする。
そもそも秀吉が「自らがトップの政権」を構想し始めたのは本能寺の後だろうし。

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 21:31:34 ID:cGkSMPFP
もっと早いうちから秀吉の養子になってれば、情も移ったのかもしれないが・・・
初期の扱いは数少ない一門の有効利用って感じだったしな。

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 22:29:16 ID:LrKl4ObS
http://www.hidetugu.jp/
この漫画の三好笑岩さん家紋が丸に三になってる。
松皮菱知らんのか?

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 02:51:56 ID:K92NE9TG
>>240
秀次の父親については、>>210>>215以外に、長尾姓だという説や、大高村の農民説などがあるみたい。

母ともと年令差もあるし、ともは、秀次を産む以前に誰かと婚姻歴があったのかな?なんて思ったりもする。末っ子の秀保とは46才も離れてるし、何だか不自然だもんねぇ。

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 04:15:55 ID:a91LP7db
>>246
秀吉が小物だったかはわからんわけだが。
ただ前田よりは下だったろうとは思う。


257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 14:53:30 ID:orKJgOx5
>>251
秀吉時代は別に家臣団の力は強くない、少なくとも室町・鎌倉に比べれば遥かに秀吉の独裁といえる、
家臣団の力が向上するのは秀頼が幼君であったために権力が家臣の手に委ねられてしまったから、
秀頼を補佐できる親族も居なかったし。
豊臣政権の泣き所はよく言われるように結局は親族の少なさと譜代の臣が居ないことでしょう、
特に晩年まで子供が居ないのは痛かった、家康みたいに息子達に領土を与える事も出来なかったし。
まあ秀頼の誕生も最悪のタイミングだったけどね。
あと徳川も豊臣の延長線みたいなもんで、言われてるほどの差は無い。

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 16:00:53 ID:y060xk8F
>>257
親族の少なさと譜代が居ないのは、そのまま豊臣家と徳川家の政権構造の差であって、
それは大きな違いがあると思うんだけど?

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 16:16:12 ID:9DQTzJrR
そういう欠点がわかってたからこそ秀吉は豊臣賜姓による擬似親族の構築、
子飼いの七本槍や奉行衆の登用で親族・譜代の薄さを補おうとしたわけで・・・
そういう様々な工夫で辛うじて成立してたのが豊臣政権なわけよ
結局後継者が幼いため外様の中央への介入を黙認する羽目になり、秀吉死後脆くも瓦解してしまうわけだが、
逆に言えばその脆いバランスの政権を生前ともかくも保っていた秀吉は
やはり一流の政治感覚の持ち主だったと言うしかない
少なくとも豊臣政権を室町幕府の延長線上に捉えたりするのは誤り

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 17:08:11 ID:MOq6L5ml
>>259
つーか、五大老なんて機構を作って、それにいたよっている時点でもう…。

例えば徳川幕府の時代に、老中筆頭に前田家とか伊達家の人間が着いたら
普通政権簒奪されたって理解するでしょ。どんな人でも。

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 17:29:32 ID:9DQTzJrR
秀吉が五大老というシステムを作ったのは秀長急死・秀次粛清後のこと
一族に人材が無く、跡継ぎが幼君である秀頼を支えるために秀吉が最晩年に構築したもの
五大老は外様の有力大名を中央に参画させることで政権運営をさせると同時に、
お互いに監視させることで特定大名が権力を濫用することを防ぐ狙いがあった
この五大老の人選はなかなか秀吉も考えたようで、
実力ナンバーワンの家康に対して前田=宇喜多、毛利=小早川の縁戚大名が
合同して対立するように作られてる
まあ所詮は一時凌ぎの苦肉の策、秀吉死後に野望を露にした家康に速攻で無効にされてしまうが、
当時の秀吉には他に取る手段が無かったんだろう
秀次さえ存命ならこんなものに頼る必要は無かったんだけどね、こればかりは自業自得としか言い様がない

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 21:27:19 ID:hk1HkIGT
というか秀吉のあのタイミングで天下を統一するには
徳川毛利上杉などの巨大な大名を政治的に抑えるしかなかったしな。

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 22:36:58 ID:MOq6L5ml
>>262
むしろ秀吉の体制って、西日本は羽柴(豊臣)−毛利同盟で、東日本は豊臣−徳川同盟で
押さえた体制、ってふうにも見れるな。んで、秀吉がやじろべえの真ん中。

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 02:42:43 ID:+35mQxNP
>>258
譜代がいないってのは、徳川みたいな古くからの譜代が居ないって事ね、
豊臣家に譜代が居ないわけじゃない、親族も同じく少ないけど存在する、
ただそれは程度問題の話であり、政権構造自体の差異という程ではない。

>>263
秀吉存命中は徳川も毛利も秀吉の同盟相手と言えるほどの力は無いでしょ。

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 16:14:23 ID:6QhAzCkO
>>264
同盟ではないが、ナンバー2を二精力作ってバランスを取ろうとしていた。
豊臣本家220万石
徳川256万石
毛利120+小早川36万石+吉川14万石+毛利秀包13万石=183万石

小早川隆景が生きていれば、東:徳川、西:毛利でバランスを取ろうとしていたのがわかる。
隆景が死んで、ぜんぶおじゃん。

秀吉のナンバー2模索は、秀長の死から始まり、
・秀長
・秀次(←ここまでは身内)
・徳川と毛利with小早川隆景
・徳川と前田
の流れになっている。
優柔不断かつ日和見と言う点では毛利以上、
味方としては一番できの悪い前田に運命を託したところで、ジ・エンド。

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 01:29:53 ID:50RVn+VP
利家って選択は間違いじゃないだろ
内府違いの詰問状の件では、反徳川の大名を纏め上げた。

利家側
毛利輝元、上杉景勝、宇喜田秀家、細川忠興、加藤清正、加藤嘉明、浅野幸長
佐竹義宣、立花宗茂、小早川秀包、小西行長、長宗我部盛親、浅野長政、前田玄以
増田長盛、長束正家、石田三成

家康側
伊達政宗、福島正則、池田輝政、黒田長政、藤堂高虎、森忠政、織田有楽
黒田如水、有馬則頼、金森素玄、新庄直頼

利家が家康よりも長生きしたならばそもそも関ケ原自体発生してないし、徳川幕府
自体の成立も怪しかっただろう。


267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 02:04:31 ID:C3UZwvNc
>>265
まぁ、それじゃあ良くっても三国志にしかならんわな。
実際は、豊臣家を蚊帳の外においての東西決戦だったが。


268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 02:13:46 ID:/AAN/khk
>>266
どうかな・・・その後の家康暗殺未遂事件、利家なら切り抜けられたと確実に言えるかどうか、
正直怪しい。そこまでの力が利家にあったなら、もっと事前に打てる手はいくらでもあったろう。

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 02:26:52 ID:C3UZwvNc
>>268
有り金全部賭けるなら、家康と利家のどっちを選ぶかって言われりゃ、
迷わず家康を選ぶもんなぁ。

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 02:38:01 ID:/AAN/khk
何より家康は最後のチャンスに全てを賭けていたが、
利家には野望自体が無く、当然家を賭けてまで博打に出るはずも無い。
むしろそういう人物だったからこそ最後まで秀吉から警戒されず、信用されたわけで。

何よりもこれが大きい。覚悟の無い人間では自ら旗頭になれようはずが無い。
かといって反家康派に神輿にされるほど無能ではない。
いざとなったら家康と組んで平和裏に政権交代ぐらい訳無くやってのける。

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 09:01:00 ID:U2r0bn2t
利家は病に倒れるまで家康と対決する気満々だっただろ
利家に家康を打倒できるだけの実力があったかどうかは疑問だけどな

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 13:28:01 ID:Ko9pBDAE
>>268
>もっと事前に打てる手はいくらでもあったろう。
例えば具体的にどんなだろう?
三成を隠居させるとか武断派との仲立ちとか?
利家死後、家康が活発に動き出した事や、三成vs武断派の確執が表沙汰になったからなぁ。


>>270
>覚悟の無い人間では自ら旗頭になれようはずが無い。
利家は家康と一戦もやむなしって腹づもりでだったんだが。
実際堀尾吉晴らの仲裁がなければ戦になっててもおかしくない位の状況だった。
何をもって覚悟がないとか言うのか。

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 18:43:39 ID:p8Ve58Mr
>>272
家康を倒した後、秀頼が成人するまで、天下を背負って立つ
覚悟があったとはとても思えないがな。
で、それができなきゃ、また戦乱が始まる可能性はかなり高い
しな。家康は勝ったあと即座に天下を固めたが、利家にはその
能力も覚悟もないわな。(まぁ、ただの一戦で天下を決めて
しまうなんて芸当は、家康以外にゃできないだろうけど)

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 19:21:09 ID:Ko9pBDAE
>>273
>家康を倒した後、秀頼が成人するまで、天下を背負って立つ
>覚悟があったとはとても思えないがな。
すでにわけわかめなわけだが。

後見人として上座で秀頼を抱いて諸大名の参賀の礼を受けたり、遺言で利長に豊臣家の危機の際には
在京の軍勢と自領の軍勢半分を率いて豊臣家を守れと残してるくらいだし。
内府詰問では、五大老筆頭で石高も倍くらい違う家康に対して堂々と渡り合ってる。
島津加増では家康の反対を押し切って断行してるし。
これで豊家重臣としての覚悟が無いってんならどう説明するのさ。

>また戦乱が始まる可能性はかなり高いしな。
>家康は勝ったあと即座に天下を固めたが、利家にはその能力も覚悟もないわな。
というか、何を持って利家には覚悟も無いとか、戦乱が起こる可能性が高いとか脳内で断定して、
自分の妄想を垂れ流してるのかがわからん。
タイムマシンで過去に戻って利家を見てきたのか?
家康がいない豊臣天下行く末のIfの時代でも見てきたのか?

領国経営、軍事能力は過去の経歴からみても利家は家康に及ばないと思うが、
豊臣家の安泰を願って家康と対等以上に渡り合ってる。

他人の好みはどうでもいいが、自分の好みで勝手に妄想ソースで利家には覚悟も能力も無いって断定してるのが痛すぎる。

それに利家が>>273の言うような無能な人間だったら、家康も当時の平均寿命を越えた
高齢って危機的状況の中なぜ利家の死を待ったかのよう動き出したのか。
寿命で死ぬ可能性がかなり高い状況でそこまで時を待ったのはそれだけ利家を侮れない
人間だと思ってたからだろ。

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 19:58:29 ID:p8Ve58Mr
>>274
まぁ、利家大好きなのはわかったからさw
必死に長文書いて、痛々しいぞw

まぁ、幼君の下で、利家が補佐して徳川家を滅亡させてさらにその
残党を蠢動させず、不安にかられる他の大大名も抑えきると。
なかなか、天下が取れそうだな。利家すげーやw

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 20:03:32 ID:67JTu5gj
頼りになる人間がみんな死んでしまい、家康に対抗できるのは利家一人になってしまった。
秀吉もそのあたりの事を重々わかっていたから、晩年特に前田の権威を高めるように努めた。
毛利上杉をさしおいて大納言にしたり、秀頼の後見人にしたりな。
秀吉は利家に名実ともに豊臣政権保守派筆頭の地位を与えたわけよ。
実際利家はとても人望があったし、その地位に立つべき人物だと思われていたわけよ
この利家が秀頼とともに大坂城にいるかぎり、家康といえどもだいそれたことはできなかった。
つまり利家が生きて家康に牽制を加え続けていれば、家康の台頭を防ぐ事はできたと思う。
利家はその時代家康と唯一同格と言える人物だったし、家康から喧嘩を売れば
勝てないだろう。



277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 20:16:23 ID:U2r0bn2t
痛々しいのは何一つ理論的な書き込みが出来ないID:p8Ve58Mrでしょ
利家に覚悟(笑)が無かったという根拠を述べなければお話にならない

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 20:27:15 ID:50RVn+VP
ID:p8Ve58Mrが痛々しいな。
そういや鳥屋って糞コテも利家嫌いみたいで、どこから拾ってきたかわからん
妄想ソース垂れ流して利家叩きしてたがID:p8Ve58Mrからは同じ臭いがする。

279 :織田常真:2006/10/23(月) 22:54:40 ID:6PEu8ToF
まあまあ、双方ここは先の内大臣であるわしの顔に免じて納めてはくれまいか

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 00:16:12 ID:rensGvwu
>>279
ただの人になったおまいの言う事は誰もきかないだろうよ

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 11:19:06 ID:8TnJMQQA
こんなのがあった。ID:p8Ve58Mrからは全部妄想ソースで語ってる鳥屋臭がする。


499 名前:鳥屋尾宅間守 ◆Mzllk81HNE 投稿日:2006/04/21(金) 23:42:08
んだね。高坂、陶、井伊は文句なく有能な男達であるのは疑いないわけだ。
尻で前田家の家督を相続した利家と同列にされても困るわな。
まあ大納言まで登りつめたのは秀吉が家康を牽制するためだったことは誰の目にも明らかだったわけで。

「なんの取り柄もない男だが秀頼のことは粗略にすまい。」とだけ秀吉は思ったわけで。
しかし唯一の希望もこの男は裏切ったがね。
死期が近づいて、いよいよという時に息子利長を呼び寄せ
「おまえは金沢に帰り八千を率い、利政には大坂に八千詰めさせ有事に備えよ」と言ったというが、この話が事実だとしたら利家も本当にわざとらしい男だな。
利政ならともかく、利長がそのような物騒な命令を聞くタマかどうか親ならわかるだろうに。利家はおそらく実行しないことを見越して、ただ自己満足のために戯言をほざいただけだろ?
また家康が見舞いにきた際「わしは長くあり申さん。息子をお頼み申す。」と涙ながらに訴えたという話もある。
後の前田藩が幕府におもねるため、史書をそう書き替えたとも考えられるが、しかし、いままでの利家の処世術を考えると、これが一番しっくりくる。おそらく事実ではないかな。

中には「家康が見舞いに来たら差し違える」と言った話もあるが、絶対うそだなwへたれ利家にそんな度胸があるわきゃないwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 11:27:29 ID:K5MQjh0x
その鳥屋というコテは知らんがとりあえず妄想ソースでも何らかの「根拠」を用意してるだけ遥かにマシに思える

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 00:49:38 ID:HRXr//DQ
賤ヶ岳などから見ても、確かに最後は主家や恩より自分の家を取る武将ではあると思う。

別に批判してるわけではなく、そういう柔軟性を持てた大名だと思う。
情勢を冷静に見極める能力は長けてるし、あの情勢下で、家康に対して批判を行うのはともかく、
豊臣家のために合戦まで起こす事に利があるならやるだろうが、果たしてあるだろうか?
逆に家康も豊臣も倒して天下を取ろうとでも思っていたならともかく。
そういうわけでもない、秀頼の事は本気で案じている事は疑いないし。

上杉景勝のような意地が先行する頭の固いタイプならともかく、利家がそんな愚行に及ぶとは思えない。
かと言って軽視されては困ると言う事で、婚姻を始めた家康に素早く批判を行い、
存在感を見せ付けている政治的な手腕はさすがだと思う。
家康と刺し違える云々も情勢次第ではそういうことも考えたんじゃないだろうか。

だがあくまで政治的な解決を求めていたんだと思う。
そういう意味で、利家が居た方がかえって徳川政権への委譲がスムーズに行ったのでは?
というのは同意。一番中立な立場でかつ現実を見る事が出来た人物だと思う。

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 01:45:43 ID:9cCepxr4
>>283
ほとんど胴衣なんだけど一つ

>利家が居た方がかえって徳川政権への委譲がスムーズに行ったのでは?

俺たちはパックストクガワーナを知ってるから、豊臣政権が続くより徳川政権のほうが
長期安定政権なんだろうと知っているが、当時の人達から見たらどうだろうか。

スレタイでもあるように、晩年の秀吉はたしかに朝鮮出兵や秀次を自刃においやるなど
愚行ともいえる事を行ったが、それでも政権としては今までに無いほど確固たるもので、
嫡子秀頼が成人するまで利家亡き後家康がサポートを続けていれば、江戸時代以上に
長期安定政権になって、西欧諸国とも対等に渡り合えてたかも知れん。
無論あっという間に西欧諸国の植民地になってたかもしれないが。

なんにせよ、豊臣政権下で家康の力が強くなったから平和的に政権移譲しよう
ってよりも、せっかく何百年と続いてきた戦乱期を強大な力で収めたのだから、
現政権を維持する方が何百倍も確実だし、利家もそうした意向の遺言も残してるし
豊家よりも強大な力を持つ徳川家を危険視してたと思うんだが。




285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 03:12:05 ID:ljAPdbPQ
>利家が居た方がかえって徳川政権への委譲がスムーズに行ったのでは?
ありえん、利家がそんな人物だったら家康を詰問なんかしないし、
利家の立場を考えれば徳川政権への委譲の何処が中立かつ現実的なのか・・・。

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 05:06:49 ID:hI4EfZH4
この人は以前秀次が粛清を免れて秀吉死後も生きていたらという仮定の話でも、
秀次と家康は仲が良かったから平和裏に政権交代が云々と逝って突っ込まれてた人
相手にしなくていいよ

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 15:42:57 ID:GS0yfQdM
利家が例えば生きてて、経過はこの際無視して家康を倒したとする。
そうするとその後の豊臣政権はどうなるだろうか?
とりあえず前田、上杉、佐竹辺りで徳川領はもってかれそうだ。

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 17:39:17 ID:WSr9mcVC
上杉は最上領、伊達領の一部を併合 佐竹は伊達領の一部を併合
前田は大谷領の越前を併合して、関東の一部30万石あたりで大谷とか
深く考えずに即レスしてみた

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 02:02:37 ID:yKuE19BD
聚楽第って名前が好き。

伏見城は味気ない。

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 08:58:22 ID:ZfK5EgSg
聚楽よ〜ん

291 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 04:20:57 ID:Zg5Di7dP
この人の存在って一般層には殆ど知られてないよね。

292 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 00:29:27 ID:MX9b6EZW
秀次は関連エピソードに陰惨なものが多いから、あまり一般的には取り上げられないんじゃないか
殺生関白とか畜生塚の話とかドン引きだろ
けど知名度自体は実績と比較したらこんなもんじゃないの
秀吉の後を継いで関白になったといっても実権は殆ど秀吉が握ってたし、統治期間も短かった
日本史の用語集で取り上げられるくらいの評価で妥当

293 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 19:36:35 ID:5nsco84/
殺生関白は有名じゃないの?
加藤清正や小早川秀秋は知らなかったが
秀次は知っていた。
見てた大河ドラマとかにもよるか。

294 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 21:57:30 ID:j43Ho1HQ
秀次は太字ではないが教科書に出てるな。
清正や秀秋は用語集には出てるが教科書には出てなかったはず。
今はどうか知らないけど。

295 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 22:55:42 ID:KBje+nBQ
秀秋は小学校で出てきた気がする
関ヶ原を決定付けたとかで

296 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 23:42:54 ID:1ovF+/yn
小一郎みたいに普通の死に方をしていたら
有名になることはなかっただろうな。

297 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 22:02:59 ID:stA5rH2X
秀次の弟と淀の妹お江与が結婚して、その娘が淀に養育されている。
秀次の娘は大坂の陣で大坂方にはせ参じている。けっこう複雑だな。

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