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天下一の茶匠 千利休

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 20:44:42 ID:PThl0Gj6
切腹の原因はなんでしょうか?

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 20:47:47 ID:LrTknajB
利休って天皇の墓ぶち壊して自分の墓作ったんでしょ?

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 16:34:39 ID:7vVSJCFk
利休のやった行為って冷静に考えて死に値することってあっただろうか?
あれはあとからのこじつけで、秀吉とすれば、利休に消えてもらう必要がどうしてもあったように思えるが

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 18:47:53 ID:qFk9VOLD
スレタイがダサい。
「天下一の茶匠」よりも「茶聖」だろ。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 21:53:19 ID:31pFnzL+
リキュール

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 01:53:09 ID:iqGj2ixL
かなり寂れたスレになっているが、これも茶聖様の侘び寂びがなせる業かw

さて、スレを盛り上げるために話題を提供。切腹させられた理由を議論しようぜ!
史実に残っている像の設置場所とか茶器の見立てのいかさまとかではなく、もっと
本質的な議論をしよう。

私見。唐入りについて利休が強行の反対したからだと思っている。当時の商人たち
は明・朝鮮から高品質の織物や茶や生糸などを輸入して、国内の大名や南蛮人に売
るという中継貿易が盛んだった。つまり、商人たちは明や朝鮮に多大な利権を持っ
ていたことになる。この利権を守るために商人を代表して秀吉と対立したのだと思
われる。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 02:44:30 ID:DzUbIQ7+
利休の家に、一面の朝顔が咲いていると聞きつけた秀吉が
その朝顔を見ようと、利休の家に訪れたんだよな
けど、利休はその前に朝顔を全部切っちゃったんだよね
で、唖然とする秀吉を茶室に呼び
その室内に置いてある花瓶に
一輪だけ朝顔をさして秀吉を、もてなしたという逸話がある

利休は、その一輪の朝顔に美の侘び寂びを込めたつもりなんだけど
秀吉にしてみれば、満開の朝顔が見たかっただけなのに・・って感じで

そもそも、二人は感性も考え方も合わないんだよね
秀吉の黄金の茶室も利休から見れば、俗物以外の何物でもないし

多分、利休は秀吉をバカにした態度が出てたんだと思うよ

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 03:12:25 ID:TcQjqFg9
どっちの価値観が良い悪いじゃなくて、性格的に合わなそうだよな。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 03:23:23 ID:aQ0IcGLz
>>7
結局は単なる文化人特有の傲慢奇異の態度が気に入らなかったのかな。
利休十哲にも奇人は多い。
忠興 いわずと知れた基地外。妻ガラシャとの逸話が多々ある。

有楽斎 面の皮の厚さは戦国期No1

織部 利休同様、時の権力者である家康に逆らい切腹。

道勲 荒木村重。意味不明な謀反を起こすわ、妻子を捨てて城から一人
逃げ出すわ、自分を「どうくそ」自嘲するわ、まさに奇人。個人的には
一番好き。

右近 高山重友。戦国1のキリシタン大名。キリスト教の理念に従って
高槻城を無血開城するなど、骨の髄までキリスト教に傾倒していた。最
後は徳川政権下で国外退去をくらう

まともな俗世間の感覚をもっていたのは氏郷ぐらいなのかな。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 03:30:00 ID:DzUbIQ7+
その割には利休本人は金には、セコイんだよ

そもそも、政教分離をしない国は必ずと言って滅ぶけど

政治と文化も同様に、実力者同士が交わったらダメなんだよな

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 03:35:16 ID:dRp7qgRg
そう思ったから息子を託したのかな・・・。
まぁ死んだ後だから利休の意思があったかはわからんけど。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 06:37:10 ID:iEvlDuNB
一切を黒く塗ればと

13 :狸伍長:2006/10/07(土) 07:58:01 ID:ADFlwclO
利休の切腹には、いくつも側面があるけど、三成との対立もその一つ。
利休は茶頭としてだけでなく、堺町衆の利権代表であると共に、内政・外交執行者として秀吉の幕僚に加わっていた。
しかし、三成は博多奉行にして、幕僚制を更に進めた奉行制の推進者。
堺町衆が独占していた南蛮(東南アジア)貿易を拡大するため南進策を推した利休。
それに対して、秀吉の中央集権体制の強化を図るため、復興させた博多商人と共に、まだ利権が確定していなかった朝鮮を北伐で、一気に奪おうとした三成。
この権力闘争の果て、利休が切腹に追い込まれたのではないか?

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 15:34:04 ID:riL6eRHf
北進、南進って近代ではないのだから…。
けど、実際利休は商人的考えとして、沖縄・台湾・華南の一部(今でいう福建省)
あたりをおさえ、交易の利権を莫大なものにしたくて、秀吉に外征を具申したと
思われる。

しかし、派手好きかつ勲功としての領土が必要だった秀吉側は大規模な外征をす
る以上、大陸自体を攻めるほうがよいと考えたのだろう。明や朝鮮を支配または
従属することなど不可能と考えた利休とは激しい対立になったのかな。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 15:47:03 ID:tuG8/5rA
秀長の政権復帰が絶望なんだから、踏ん切りつけて身を引いとけば切腹までは
なかったんじゃないか

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 18:29:36 ID:kr9v/ZZd
>>13
というか三成が朝鮮出兵に乗り気だったという話は無いようだがな。
三成は内治重視だったと思うが。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 20:45:09 ID:F1+iYc3Q
>>12
あれが巷で才人とry

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 18:00:19 ID:kpFmIpjB
死罪の理由は定かではない。考えられる理由としては...

大徳寺楼門(金毛閣)改修に当たって増上慢があったため(自身の雪駄履きの木像を楼門の二階に設置し、その下を秀吉に通らせた).
安価の茶器類を高額で売り渡した(売僧(まいす)の行い).
秀吉と茶道に対する考え方で対立した.
秀吉が利休の娘を妻にと願ったが、利休は「娘のおかげで出世していると思われたくない。」と拒否し、秀吉はその事を深く恨んでいた.

高麗文化を敬愛するあまり秀吉の朝鮮出征に反対した.

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%88%A9%E4%BC%91



19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 18:25:30 ID:iew6kIbY
>>12
へうげものの利休は腹の中まで真っ黒だな。
個人的には今までの利休像の中で一番好き。


20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 19:13:08 ID:Z14PEqXC
利休は秀吉の命でブランド製造してたんだってね
無銘の茶器にお墨付きを与えて

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