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【戦国最大の疑問】豊臣秀長が長命だったら

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 23:52:49 ID:FAjIta2c
仮に秀長が長生きしていたら、家康他、天下はどうなっていただろうか。


2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 00:09:06 ID:hZOQqFgd
z

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 00:18:57 ID:OenxZSrp
ほかの秀長スレ立てた人ですか?

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 00:54:19 ID:ZYJK1vIa
>>1
いまだに総理大臣やってるかもな。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 05:44:45 ID:w0x11DT0
そんなに有能だったのか?

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 10:09:41 ID:G0cwgZSm
ee

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 11:41:12 ID:TR/U+q3h
豊臣政権の要石だし戦績も秀吉より上。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 17:48:42 ID:yFVN8lzH
歴戦の猛将にとっては関が原西軍武将の中にに家康以上に求心力のある人物がいなかったから東軍に流れた。
秀長が諸将にとって家康よりも尊敬される存在ならば関が原は起こらずただの徳川の乱で終わっていただろう。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 19:49:50 ID:tNln69sr
>>7
豊臣政権の要石は、実質上の家老で、豊臣(羽柴)家内の最大兵力であった蜂須賀衆を率いた
蜂須賀小六だっと思う。
豊臣家の弱体化の始まりは、小六の死後に蜂須賀衆を実質解体した事から始まると
考えてみたりも。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 22:18:55 ID:hZOQqFgd
近くで見ていた利家が、秀長の事を信長に報告してたかもしれないね。
てか、秀吉と違うのは、秀吉は若い頃から転々と職を変え、時には松下の
部下として働いていて、全くの戦国素人ではなかった。
しかし秀長は農作業一筋。突然武将として力を発揮できたのは他にはいないだろ。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 00:02:11 ID:TG7yP/Ly
そうかな?

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 00:25:30 ID:vM5zhwx3
あくまで兄あっての弟だとおもう。
そつなく武将稼業をこなしたのは、とてもすごい事だとはおもう。
堺屋さんの小説でしかしらないがね。

尊氏、信玄の弟と比べてどうのなのか。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 00:41:21 ID:QzzHPhe3
>>9
織田時代初期には、ガチバトルにゲリラ戦に隠密行動に大活躍した蜂須賀党
だけど、その数はどんなに後から増えたとしても数千程度だろ。


14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 01:48:58 ID:Fe/0zsg3
血縁関係でいったら秀長がナンバー2。
蜂須賀と比べられてもねえ。

尊氏の弟は大軍率いても新田に何回も負けている。武力・統率力が疑問。
信玄ねえ。戦死した時点でダメでしょ。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 01:55:13 ID:FvTOQbNW
>>13
中国戦役の時点で1万くらいだったらしい>蜂須賀衆
信長につけてもらった与力衆除いた秀吉の手持ちが2万くらいだから
約半分の兵力が蜂須賀衆だな。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 01:58:59 ID:Fe/0zsg3
きたー!来週のNHKのその時歴史は動いたで、秀長特集やるぞ!

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 02:00:46 ID:/vLnNf7e
第263回
シリーズ 秀吉の家族@
もう一人の秀吉
〜豊臣秀長 太閤記 (たいこうき) を演出した弟〜
放送日 平成18年9月13日 (水) 22:00〜22:43 総合

http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_yotei.html

戦国を統一した豊臣秀吉の成功のかげには、家族たちの献身的な働きがあった。その家族の群像を描くシリーズ『秀吉の家族』。
1回目は秀吉の弟・豊臣秀長。身命を賭して兄の天下取りを支えた秀長の生き方に注目する。
4年前、大分県日田市で秀長が着用したといわれる甲冑が発見された。この鎧からは秀長が秀吉と背格好まで同じだったことがわかるという。まさに秀長は秀吉の影武者のごとき存在であった。
さらに信長の一家臣から天下人へと出世していく秀吉の動きを綿密に追うと、その活躍に秀長の存在が不可欠であったことが浮かび上がる。
秀吉の最も忠実な分身に徹した秀長は、秀吉のために命を賭けて敵と交渉し、合戦では危険な最前線に身をさらした。さらに秀長は情けにあふれた行動で、味方だけでなく敵の信頼をもかちとり、秀吉の功績へとつなげていく。その葬儀には20万人の民衆が参列したという。
秀吉の栄光に隠された弟・秀長の献身の生涯を通して“もう一つの”太閤記の真実に迫る。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 12:41:11 ID:TG7yP/Ly
新田をなめている香具師がいるようですね。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 23:57:04 ID:4c6QHScE
NHKを楽しみにしてるアホも居るな。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 00:07:49 ID:Rxs//bv6
.

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 23:53:36 ID:tbxFWo/T
>>15
すまんがその一万ってソースは?

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:00:11 ID:AWuxm2nK
手勢1万あれば織田で軍団長ができるわな。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 10:05:49 ID:fNWRqkCG
.

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 12:09:02 ID:nguloXFd
z

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 12:33:30 ID:Ps3V+y3u
秀長が長命だったら?

関白秀次と秀吉の政治闘争が防がれ、秀次閥が急成長
秀吉死後は、秀頼派と秀次派の派閥抗争を調停する上でも秀長が秀次の後見役とり政を司る。
秀次も秀長後見の中でその政治手腕に円熟味を増し、臣下の人望は若年の秀頼を凌駕。
秀頼派は政治権力から徐々に駆逐される

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 14:04:01 ID:PHm+o3qa
秀長が長命だったら?

関白秀次と秀吉の政治闘争が防がれ、秀次閥が急成長
秀吉死後は、秀頼派と秀次派の派閥抗争が激化したため、秀頼と淀君を追放。
「秀頼君こそ、太閤殿下のお子であるぞ」
追い込まれた淀君は秀次追討令を全国の諸大名に下すが、兵は集まらず秀頼は
切腹に追い込まれた。

秀次は大阪城に収まったももの、生来の愚鈍ゆえか、華美な生活に溺れ、次第に
政治に飽き始める。次第に庶民は豊臣の悪政に倦み、怨嗟の声が多くなってきた。
秀長は秀次の実弟である秀保を間に立て、何とか事態の打開を図ろうとするが、
逆に秀保は秀次によって謀殺されてしまう。

「もはや、辛抱ならぬ・・・」
ついに秀長は秀次と開戦すべく諸大名に令を下した。秀長方に多くの大名が
付くのを見た秀次は大坂城を焼き払い、退去。東国に逃れようとするが、途中で
捕縛され、切腹となった。

秀長は伏見城に秀秋を迎え、補佐役として新たな豊臣家の再興を図るものの、
疲弊した豊臣家にかつての威光はなく、各地で紛争が表面化していった。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 15:33:05 ID:xt00y4Dc
秀長が長命だったら?

秀吉vs秀長、
秀長失脚のうえ領地替え、隠居に追い込まれて
秀頼が生まれて邪魔になった秀次か秀保あたりが養子として送り込まれる。
ってあたりが妥当だと思う。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 15:58:11 ID:EuJ+7hOn
秀長失脚もなくはないだろうがどういう理由でそれを行えるんだろうか?

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 17:26:52 ID:vtlEc7Ke
>>28
秀次失脚だって相当無茶な理由つけて実行してるぞ。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 17:54:08 ID:NJgtqd9K
秀次とじゃ比べものにならないからだろ?
実績も人脈もある古参の一人で、政務も戦もこなせる百万石の大名。

下手すると(本人の意思とは関係なく)豊臣が二分する位の実力者だろ。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 18:10:09 ID:3LkiIEnk
秀長は一番良い時期に死んだんだよ。
もし、もう少し長生きしてたら秀頼誕生後に
秀吉が難癖付けて秀次・秀長の両者を切腹させた事は想像に難くない。
呆けた秀吉にとって秀次も秀長も将来の秀頼の地位を脅かす危険な血縁である事に
少しも相違は無い。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 18:19:39 ID:vtlEc7Ke
>>31
晩年の秀吉は、明らかに近親憎悪的な傾向があるよね。
成り上がりの人に良くあるけど「俺の作った財産を親類ってだけで食いつぶしに来る穀潰しどもめ!」
って感覚もあったんじゃないかな?ナポレオンやヒトラーも、親族には冷たかったそうだが。

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 18:46:34 ID:elCVSGRY
>>29
秀次はそこまで無茶な難癖でもない、秀次は蒲生家の件や
各大名に誓詞を要求したり、朝廷に独自の献金したりと疑われるにたる行動をおこしてる。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 19:00:12 ID:mG17ILQi
秀長が秀次と同様に考えられないのは政権における存在の重みの違いも
あるが、秀長に直系男子の後継者がいないということも考慮にいれといたほうがいいと思う。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 19:10:12 ID:oDDCwWK9
>>31
秀次と秀長では置かれた立場が違いすぎる。
秀次は秀頼を後継者にする際の直接の障害であり、秀吉自身に
後継たる嫡子が生まれた以上は豊臣家での役割もほぼ消滅している。
一方の秀長は一門を含む豊臣家のまとめ役たる大黒柱であり、
彼の代わりはおらず、一門で最も信頼が置け、唯一家康に比肩しうる存在。
そんな秀長なら、秀吉としても粛清より、まず後見人の立場に置こうとするのが順当だろう。

そんな秀長が粛清されるとすれば、徹底して秀次派の味方をするか、
自分が後継者に名乗り出るかのどちらかのパターンだろうが、
前者にしろ後者にしろ、徹底した秀吉への忠勤振りを見る限り
秀吉の意思に最終的に逆らってまで我を通す可能性は低いだろうと思うが。

36 :秀長:2006/09/11(月) 09:43:24 ID:0+HqctY/
きっと兄弟喧嘩になったら、秀長は尾張中村の百姓に戻るかもよ

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 11:31:24 ID:RP88E1IS
秀長って武力が優れていたイメージはない
かと言って、黒田官兵衛のように頭の回転が速いタイプでもなかったんだろ?

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 11:47:43 ID:hRcGVNqC
織田家時代は「羽柴兄弟」で認識されていた武将だから、智勇兼備じゃないの? 
秀吉と行動を共にするか、最重要拠点を守っていたし。


39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 12:15:14 ID:r+PBFOSn
豊臣秀長が長命だったらギネスブックにも記載されて
知名度は豊臣秀吉と競う程になってただろう

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 12:33:11 ID:cO8uz++R
むしろ、官僚派のトップと言う印象がある。
関ヶ原で三成以下を率いて家康と戦いそう。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 12:40:09 ID:KCNLa839
秀長生きてるとそもそも関ヶ原が起きないと思われ。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 17:07:15 ID:RP88E1IS
前田利家と似たようなタイプか?

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 17:26:07 ID:CkgMvKHv
何一つ似てない
敢えて共通点を探すなら尾張出身てぐらいだろ
あと年齢が近いとか

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 17:26:11 ID:1zMTzC/B
むしろ秀長は三成より家康と近いじゃねーかよ

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 19:38:48 ID:7L82QsQQ
まあこんなふうに性格や実態の考察が、みんなバラバラになるくらい資料のない人間ってことだ>秀長

個人的には有能説は深読みのしすぎだと思っている。秀吉のオマケ、くらいのポジションだったんだろ。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 20:07:24 ID:XF2GaLoZ
国旗掲揚とかは西洋の文明だけど、ここ100年、200年はそれが世界のスタンダードになってて
日本も明治期に「ほうほう、なるほど、これが礼儀なんだな」と試行錯誤してその常識を身に付けていった。
韓国にはその経験がないんだろうな。どんなにキライでも相手に礼を尽くすことが自分達の存在を高いものにするって
発想がないんだろうね。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 20:08:06 ID:XF2GaLoZ
あ、誤爆スマソ

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 20:08:46 ID:/HODLrVv
蜂須賀小六よりもよっぽど事績がはっきりしてるわな。
蜂須賀のほうがよっぽどイメージを曲解されて伝えれてるな。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 20:11:16 ID:XF2GaLoZ
小六は皮の胸当てにモーニングスターを持ったプロレスラーが演じるのがデフォだからな…よく子孫が怒らないよなw

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 21:17:22 ID:RP88E1IS
「信長の野望」では、小六が秀長の直属の家臣ってことになってたが
そんな時期もあったのか?

秀長が因幡あたりに領地があった頃

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 21:24:35 ID:EqH9zBYM
>>44
三成の政策は基本的に秀長路線の延長

52 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/09/11(月) 22:39:11 ID:zDrdQc1C
そろそろ秀保が死んでなかったらスレにするか

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 00:20:05 ID:RJn5iStT
確かに大和豊臣家が存続してたらどうなっていたか

54 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/09/12(火) 00:23:49 ID:D30ypkQG
狂疾・末期養子・御家騒動で意地でも潰されるかと。

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 00:26:37 ID:PXLkkJIr
秀次が生きてたら家康も簡単じゃなかっただろな。
豊臣本軍が7・8万出てくるからな。でも秀頼に明日はない。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 00:28:49 ID:QZfMIFwA
利家は、五大老になれなかったかも

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 00:50:50 ID:79YsX6iG
>>56
利家はなれたんじゃないか?
むしろ宇喜多か上杉がなれなかったと思う。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 05:54:02 ID:3/1hlErG
>>55
むしろ光成らの失脚が早まって、平和裏に豊臣家を上にいただいた徳川執権政府の成立が
あったかも。
>秀次が生きていたら

徳川家と秀次とはものすごく関係は良かったし、秀次が長生きして立場が悪くなるのは
秀吉側近層だろ。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 09:11:38 ID:VO17i2Wu
>>34
なんでこの人はヤリチンじゃなかったの?

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 10:46:54 ID:6LP5pLjC
性欲が薄いか、やるのが面倒だったんだろ。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 22:45:04 ID:g5yHarnK
いずれにしても親藩の少ない羽柴家が
生き残れたかな

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 23:29:41 ID:qydWvZuF
家康利家輝元隆景秀家景勝に続く次点の結城秀康は家康の息子とは言え豊臣贔屓で豊臣恩顧の諸大名からの信頼も厚かったらしいけどな


63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 10:56:08 ID:QV44BEVu
秀長邸に家康が泊まりに来たとき、家康を拘束しちゃえばよかったのに。
秀忠ごときに豊臣家がやられる訳はない。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 13:16:24 ID:lkHjDQgh
>>63
それやったら戦乱に逆戻りだわな。つーか、そういうう事を考える奴を「下衆」と言う。
君の事だよ。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 13:24:11 ID:xTFHHihq
つまらん煽りをするほうがよほど下衆かと。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 13:48:45 ID:QV44BEVu
>>64 は?逆戻りだ?
逆に朝鮮出兵が無くなり、明の一般市民の大量虐殺がなかったり、
死人の数は減っていただろが。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 14:03:49 ID:lkHjDQgh
>>66
お前は何を言っているんだ?

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 14:15:28 ID:hpE2OQ4f
正直、どっちの言ってる意味もよくわからん・・
秀長邸に家康が泊まりにきたのって、いつだっけ?

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 14:31:42 ID:ICeB69Zu
相手を信用して泊まりに来た人間を、しかも天下に名のある人間を
いきなり拘束するなんて事を天下を治める人間の弟がすれば信を失うと思うけどねぇ。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 14:40:59 ID:lkHjDQgh
>>69
>>63は、その結果戦乱が復活しても、秀吉の朝鮮征伐や明国出兵が無くなるから
それでいい、と言いたいのだと解釈。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 14:48:39 ID:kPDh3Jlc
むしろ家康の滞在中は、三食すべて天ぷらを出し続けてみてはどうか?
なるべく微妙な食材を選べばいい。家康も秀長相手では断れまい。
「ほう、当家の味付けにご不満でも?」と逆切れする手もある。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 14:52:12 ID:ICeB69Zu
毒盛ったと思われないか?

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 15:00:18 ID:kPDh3Jlc
「何と!わしが毒をもったと申すか!」と、さらに徳川家に逆切れすれ。
家康一人殺せば勝ちだからおk

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 15:02:44 ID:LUcmjj7C
秀長も一緒に食えばいいんじゃね?

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 15:24:57 ID:EP2Y31Bb
>>63
なかが人質だったのを忘れてないかい

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 15:57:34 ID:QV44BEVu
>>75
殺しはしないよ。
人質にするだけなら、なかも殺されんだろう。逆に殺したら一捻りで潰されるぞ

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 16:10:07 ID:ICeB69Zu
で、それは意味があるのか?

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 20:34:21 ID:JgBE/2xi
正直、なかと旭を殺しても、いへやすは殺すべきだった。

秀吉に「これが50年後の大坂城ですよ」とか言って
夏の陣屏風でも見せたら、彼も同意することだろう。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 21:23:46 ID:dtz1u799
あの屏風を描かせたのが長政だと知ったら、黒田親子もその場で手討だな。

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 22:05:12 ID:jz+x06do
たられば言うなら信長が光秀と秀吉を打ち首にすればすべて解決だな

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 11:26:58 ID:T0QytW3f
このスレ自体が「たられば」なんだから、無粋なこと言わずに議論再開

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 11:45:30 ID:WOGe5Qx7
家康より長生きしてたら、秀忠は秀長には頭上がらないしなあ。
秀長と対等なのは利休くらいか?
仮に秀長体制で国が動いたら、どうなっていたか。


83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 11:55:55 ID:EZZ26TuK
利休とは対等ではないでしょう。宗麟の言葉は単なる対であって
政権における権力の大きさを示すもんじゃないし。

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 12:04:25 ID:WOGe5Qx7
そうですか。絶対ですね?

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 12:59:39 ID:LeusHrzd
2ちゃんに絶対なんて存在しません><!

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 15:26:07 ID:0Lxw3vvO
豊臣政権の寿命が順当にのびるだろうと思う。

秀長は諸大名、家臣から人望があったというから、
みんなの意見をうまく取りまとめつつ
秀長が他界するまでナアナアで豊臣政権を存続させたと思う。
少なくとも、存命中に他大名(特に家康)の急な台頭はなかったであろう。


87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 16:28:07 ID:OShYXva9
有力大名みんな長生きと仮定してみる。
五大老・・・豊臣秀長、徳川家康、小早川隆景、前田利家、蒲生氏郷、(補欠)毛利輝元

家康も好き勝手できなさそう。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 16:39:58 ID:unaBiHol
こうしてみると「長命」って結構重要な要素だよな。
家康が健康に拘ったのもむべなるかな、か。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 16:53:44 ID:RYT2JqVn
もし三方ヶ原の合戦後、病死するのが信玄ではなく信長だったら
徳川家は滅亡。信玄の上洛も成功してたであろう。
ただし信玄の織田狩りは上手くいくかどうか分からない
元織田家の家臣が群雄割拠する可能性も無きにしもあらず
浪人として毛利や北条や上杉や、その他の武将に庇護を求めて
再起を期すんだろうな。
武田家の家臣だった真田昌幸は主家滅亡後割拠し
織田家につかえ(滝川一益の与力)、北条家につかえ
徳川家につかえ、上杉家につかえ、豊臣家につかえと
主家をめまぐるしく代えてるし、織田家滅亡となれば
光秀も秀吉も当然のように主家を次々乗り換える姿が想像できる。


90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 17:00:40 ID:XdfnUiEn
家康を何とか不健康にして寿命を縮めるいい手があったらな・・

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 17:38:20 ID:rYhvQsIj
>>87
それだと秀長と家康の別格トップ2になって五大老にはなり得ない

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:28:44 ID:OShYXva9
>>91
家康が早死にしたら@秀長A秀忠の順になるかも。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 20:56:05 ID:t+T9BB7l
豊臣の支配基盤って、世襲続けるには問題あると思うんだが。
仮に秀長が長生きしても、関白職を若年でやるわけにはいかんだろうし、
成人した子孫が常にどの時代にもいないとならんわけだろう。
で、武力という面では室町幕府並みに不安定なわけだし。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 22:09:22 ID:hlBp8mr3
だから五大老の次は結城秀康だって。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 22:22:44 ID:ivPEMjwA
秀長が生存の場合大老制があったどうか。それ以前に朝鮮征伐による
秀次への関白職譲渡ということもなくなるかもしれん。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 00:16:39 ID:SY7Qjl37
淀殿vs秀長
秀吉がボケてたりしたら淀に誑し込まれたりしそうだな

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 13:01:24 ID:quqwuinZ
在日に乗っ取られ、暴走を繰り返すNHK。
暴走しているのは韓流捏造、大河ドラマ、連続テレビ小説だけじゃない。

NHK「その時歴史が動いた」 9月13日放送
シリーズ 秀吉の家族@ もう一人の秀吉 〜豊臣秀長 太閤記 (たいこうき) を演出した弟〜

番組内容
「木曽川周辺の川並衆が織田方についたのは秀長のおかげ」
「姉川の戦いのしんがり成功は秀長のおかげ」
「小牧長久手の戦いで織田信雄と講和を結べたのは秀長のおかげ」
「家康に臣下の礼を取らせる事が出来たのは秀長のおかげ」
ぜ〜んぶ秀長のおかげ。

解説した小和田哲男(静岡大学教授)
「あの〜まぁ秀吉ってのは、やはりまぁ確かに目端は利くし、才能はあったと思うんですけど、
まぁどちらかと言えば当時 『あのぐらいの武将』 は何人もいたんですよね」
「で、当時の資料って言うのは大体例えば、お兄さんと弟が一緒に出て行けば、
お兄さんの事しか書かれないって言うのが普通なんですよね。
ですからそういった意味でも秀長の働きっていうのは中々資料に残りにくい。
だから、そういった意味では秀長を追う事によって、まぁもう一つの太閤記が見えてくるかなぁ」

ちなみに秀吉は朝鮮出兵で在日に強く憎まれています。念のため。


98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 13:25:48 ID:QDTEI2ct
↑あんまり間違い無いけど

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 13:28:58 ID:ef4SXc/W
いや秀吉を『あのぐらいの武将』というのはちょっとわからん。
秀長がそうだっていうなら、もっともだが。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 13:36:37 ID:nV/eYGRk
同時期に信長、家康、(その他お好きな武将をどうぞ)、が存在していた事を考えると
「あのぐらいの武将は何人もいた」で間違っていない気もする。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 13:44:24 ID:4/ZAEbrb
でも信長・秀吉・家康らの天下人を『あのくらい』呼ばわりするなら、
他の武将は何と呼べばいいのかっていう気はする

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 13:47:56 ID:CJV1Wad0
秀長は優秀だけど、自分から動ける人間じゃないからな。
前田利家にも似たようなことは言えるんだけど。
秀吉の大きなプランがなくって、まともに動けるとは思えないが。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 14:27:43 ID:QDTEI2ct
実行力はすばらしいだろ。
大河で目立たないのはオカシイとの投書は多いのでは


104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 14:33:47 ID:5Bfpn6+Q
そんな投書をするのはこのスレの住人くらいだと思うが
あと堺屋太一ファンあたりか

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 16:16:00 ID:6s7efCPB
>>98
「秀長の功績もあった」ではなく「秀長の功績」って表現なんですよ。
秀長がいなければ秀吉は並みの武将、と言わんばかり。

あと小和田氏が番組の終わりの方でした発言は
「資料には秀吉の功績とあるが、当時は兄の記述しか残らないので弟がやったと判断してもいい」
って事ですよね。メチャクチャではないかと。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 16:16:56 ID:nV/eYGRk
分かった、じゃあ番組にそう投書しとけ。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 16:22:38 ID:WqIu4Pl1
あの番組はそういうもんだろ。今週は秀吉の功績の多くはねねのもんになってるだろうよ。

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 17:32:47 ID:JlLsVLO9
文句あんなら、てめえ等が教授なり、プロデューサーになって、
自分の伝えたいような番組作れよ。口だけ達者な奴等ばっかだな

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 17:53:27 ID:D3z4dpVK
評価的に間違って無いだろ
秀長がいなかったあれだけの成功は無い

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 23:17:47 ID:W2TI+syk
「文句があるならお前がやってみろ」って最低の逃げ言葉だよな。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 23:39:26 ID:CcOwiTt7
確かに
捨て台詞にしても品がない

112 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/09/18(月) 23:41:27 ID:fKb4DwSs
ますだひでき。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 00:32:58 ID:keTKvFOZ
>「資料には秀吉の功績とあるが、当時は兄の記述しか残らないので弟がやったと判断してもいい」
って事ですよね。メチャクチャではないかと。

これ同意。んなもん厨はともかく歴史家の言う台詞かと。
その論法なら、史料が僅かなのをいいことにどんな妄想でも投影できる。
秀長再評価は全般的なマイナー武将再評価の流れの一環だと思うけど、
反動でややもすると過大評価に傾きがちなのは事実なんでは?

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 00:49:26 ID:i/0zeaIK
資料だけでも秀長の優秀さは評価出来るが
当時の織田軍団では、
前田利家、佐々成政と同等の地位にいたことは間違いないし
内政では最大の評価を得ている

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 01:03:44 ID:amy9oQdh
>>114
軍団長に対する立場としては同等というか上としてもいいけど、織田家の地位
としては下かな。
前田や佐々は所領は小さくても信長の直臣であって、秀長は陪臣だから。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 18:12:56 ID:23ioAGrI
織田家の秀吉なんて人は他家にもいるわ。
天下人になったから評価できるのだ。
大和田殿は悪いことは言ってねえええ。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 23:51:07 ID:4Tzv1J86
>>115
それなりの地位はあったのでは、織田家では兄弟一対と見られていたのかも

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 00:13:51 ID:Vqe9e5cZ
>>117
あんまり言いたくないけどそれの根拠は?
年の差もそれなりに有り、正式に仕えた時期もバラバラ
秀吉がそれなりの身分になった時に秀長は秀吉の片腕として家臣になった
周りから見れば最初はどうでもいい足軽上りが弟を家臣にした
こんなのそれこそどこにでも居るに決まってるだろ

陪臣時代には全くの無名だった武将も主が大名になってから軽く名前を知られた
前田家の奥村某とかもいるわけで秀長も秀吉が大身の武将になってようやく
一隊を任されて名前が知れるようになったんだろ?
兄弟一対なんて妄想どっからでてくるの?正直漫画とか小説とか読みすぎじゃね?

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 00:46:18 ID:7TGmyIBI
陪臣は陪臣。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 00:56:34 ID:8YgV/tkO
>>118
秀吉が本拠に呼ばれたとき、代わりの武将を送ってない
柴田とかなら前田や佐々を残している
織田家でも信頼されてなければ出来ないこと。
毛利に隙を突かれる可能性は大



121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 01:27:50 ID:knBx+d8e
関ヶ原前夜の困難な時期に彼がいれば幾分か違った展開になりそうな気がするけどね。
石田三成と違って秀長なら加藤清正とか福島正則を抑えきれるはずだし。
豊臣政権があんなに簡単に崩壊することもなかったと思うけど。

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 07:44:32 ID:1nD8vcbR
秀長に頼らないといけないくらいなら、いつか崩壊する。

>>120
秀長:秀吉に任された
前田佐々:信長に任された

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 08:12:55 ID:vuWA8Lmq
秀長の政権における権能からすると秀吉が死亡しても大過なく移行できると思うけど。
関が原が秀長死亡後になるんだろうけど。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 14:00:25 ID:ETp1ymLf
>>122
アホ、信長の許可が無かった思ってるの。
秀長を認めていたから他の重臣を他方に向けることができた。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 15:27:52 ID:QbTGF4qh
>>121
まず秀長が秀吉より長命と仮定した時点で関が原前夜の構図自体が
誕生しない。あれは秀吉の独裁だった豊臣政権が中心を欠いたから
起こった権力闘争。

>>124
言葉足らず&日本語がおかしい。正直話の争点が見えてこない。
木下秀長は立場上木下家中では権力も存在感もあっただろうけど
秀吉が無名の時代(大名になる前)には対外的に無名だよ。

外交官じゃなくて内部掌握と人事を任されていたからよそに名を
知られにくい。


126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 17:02:41 ID:ETp1ymLf

鳥取城攻略あたりの組織において

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 04:44:43 ID:6ti6lZSX
秀長が長命だったら藤堂高虎とかが力をつけてきそうだね。
しかも高虎さんは長生き、動乱の予感がする。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 05:44:18 ID:WzlLOBZr
藤堂あたりが長生きしても、別に大勢に影響ないんじゃないか


129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 10:09:14 ID:tb39R6oj
秀長が長命な状態で、だと話が違うって事じゃないか?
秀吉死後まで存命な状態だと、豊臣政権に置ける最終的な
秀長の権威、権力自体が史実とは違ってくるだろうから。

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 19:30:14 ID:hzJfbFHU
 まず五大老五奉行の仕組みやらが成立したかどうかだな。
秀長が健在ならば関白秀次も存命の可能性が強い。
ついでにいうと千利休も存命していた可能性がある。
逆に三成の立場は史実ほどに脚光を浴びていなかっただろう。
関白・豊臣秀次、豊家筆頭・豊臣秀長が健在ならば
奉行衆がもう少し拡充され、顔ぶれも若干変わってたかもしれない。
五大老なんぞという制度は不要かもしれないが
 家康を外に野放しにするのも危険なので、やはり牽制と制度への拘束
実力の活用という観点から大老制度に準ずるものがあって
補佐する体制にはなったと思う。
 顔ぶれとして
徳川家康、前田利家、小早川隆景、蒲生氏郷、毛利輝元くらいだろうか。

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 12:39:34 ID:Ryg+eWEZ
利家は年齢的に無理だろ。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 21:16:26 ID:kNVAaGQ1
じゃあ家康が秀吉と同じぐらいの時期に死んだらというお題で。もちろん秀長も死亡済。
武断派七将が三成の命狙った時止めてくれた家康が死んじゃってるので三成も死亡という事で。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 05:38:12 ID:S878g2pp
>>132
じゃあ豊臣家の奉行職にあった三成を殺した罪で武断派七将を処罰。
所領没収の上、身柄は他家預かりで大名としては死んだも同然って事で。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 05:58:46 ID:UojTqGtz
>>133
その状況で誰が七将を処断するっていうか、できるんだ?
秀吉、家康、秀長、全員いないのに。
利家あたりじゃたとえ生きてても、そこまで厳罰に処断しないしできないだろう。
そんな重い処断をしようとすると、逆に武断派に殺されかねない可能性がある。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 06:39:48 ID:byDs4cBg
輝元なめるな

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 06:47:24 ID:wiLv4ldh
いや輝元は舐められて然るべき
西国一の大名でありながらホントショボい
コイツが元就レベルなら恐らく関ヶ原含め秀吉死後もっと面白くなった

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 07:49:08 ID:D67lx9Se
七将襲撃の時期―
毛利は輝元自身は三成派なんだけど、宗家の中央集権化に反対する
秀元派と揉めてるし、吉川広家は親父の代から黒田家と仲がやたらよくて
武断派寄り。家中で意見がバラバラ状態で輝元には統制できない。
宇喜多はお家騒動直後で、秀家が家臣の統制すらちゃんと取れてないし、
上杉は会津移封直後で、領国経営で手一杯。
利家はもう死んでる。

そりゃ西軍負けるはずだ・・。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 08:40:52 ID:oqlx4rDp
三成を少なくとも「襲撃事件」で殺すのはさすがに無理だろ。

そもそも家康が仲裁に乗り出したのは一度三成が伏見に逃げた後なわけで、
最初の襲撃で殺せてればまだしも、それで殺されたって事は逃げた先(伏見城)
攻めたとかそういう話に発展してしまうぞ?
いくらなんでもそこまでしたらどうなるか分からんほど七将側もバカじゃあるまいし
武断派庇う側にしたってフォローし切れんと思ってとめに入るよ。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 10:02:32 ID:YAe6fIeb
逃げた先は、伏見城ではなく家康の伏見屋敷じゃなかったっけ?
七将襲撃事件で三成を殺すのは、わりに簡単だと思うがなあ

さすがに城攻めのような大規模な軍事行動はとれないだろうけど、
屋敷を実力行使で囲まれれば、匿った方も、交渉の段階で折れて
三成を捨てる可能性は高いんでは
三成がどこの大名家の屋敷に逃げるかにもよるだろうけど
七将側は、三成が伏見に逃げてからも三成を殺害する気満々だったわけだし

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 11:35:06 ID:iTkrGph5
加藤清正、浅野幸長、蜂須賀家政、福島正則、藤堂高虎、黒田長政、細川忠興ら七将による石田三成の襲撃事件だ。
事前にこれを察知した三成は伏見に逃れ、伏見城内にある三成の屋敷にたてこもる。
世間に知られている話では、三成は家康の伏見の屋敷に逃げ込んで保護を求め、死中に活を求める行動に出たとなっているが、
家康の屋敷ではなく、伏見城の郭の内にある彼自身の屋敷というのが真相らしい。(笠谷和比古著「関ケ原合戦四百年の謎」)
清正らは兵を伏見に集め、伏見城内の三成とにらみ合いの状態となるが、このとき家康が仲裁に入って和談が取りまとめられる。


本当か嘘かはしらんけどググって見たらこんな記述が出てきた。

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 13:37:00 ID:zYhOVBKj
輝元は無能を装ったんじゃね。
確実に生きるために。
だから極端な行動をしなかった。

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 19:41:58 ID:mLShrTi/
隆景は、毛利家に影響力はあったんだろうか?

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 21:11:41 ID:iafAzSkP
三成襲撃事件だが、秀長が生きている時点で三成が恨まれる程の
権力を握れるか疑問だ。
秀長が三成の手綱押さえときゃ、武断派から襲われる事件なんて
起こらないんじゃないかな。
"三成憎し"で家康に組した武断派も、そうは成らず関ヶ原も無し。

勿論、家康は調略を繰り返すだろうが、名実共に豊家へ忠誠を誓う
武断派の力で失敗。そのまま寿命を迎える。
家康死後は裏工作がバレて徳川家は取り潰し。もしくは大幅改易。
豊家は政権基盤を再構築し、暫くは安泰だったろうね。

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 22:09:35 ID:5juOjd8I
いや、そもそも秀長が健在ならば、
総司令官として日本軍を率い、鶏林八道を踏み破り、山海関をぶち抜き、
万暦帝を捕らえて釜茹にしていただろうから、
家康は咸鏡道あたりに飛ばされていただろう

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 23:14:50 ID:TAKBoy5k
アンチがキレたか

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 07:38:06 ID:XCk3zgAJ
徳川氏朝鮮王朝の始まりであった

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 16:47:13 ID:Pyy726+L
当時の朝鮮の石高ってどれぐらいだったんだ?
300万石ぐらいはあったんか?
イメージ的には100万石もなかったっぽいんだが。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 17:58:11 ID:sshJ2dnl
開拓のやり方次第だな
一応中国地方に以上の領土ではあるわけだし
もっともあっちの民度の低さ、技術の低さ、治安の悪さ、気候の悪さ等
これを解消して何百万石も得るのは難しいだろう

149 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/03(火) 17:59:13 ID:Fp36iQzW
今の韓国が約90万石程度で、北朝鮮が約10万石程度。
16世紀の朝鮮半島が100万石のイメージは実状に近い。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 22:49:07 ID:Pyy726+L
>>148-149
となると、日本の石川県並の国力しかなかったと。

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 23:21:44 ID:l6/JFdX+
+富山県

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 23:28:59 ID:stpMEqmC
石高でいうと、そうかもしれないけど
犬食ったりキムチ食ったりしてんじゃんw

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 23:43:19 ID:P5G6peQE
唐辛子は、南蛮経由で秀吉が持ち込んだんでは??

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 23:54:04 ID:iEEZIVNN
>>150
北朝鮮2200万の総生産が、鳥取61万と丁度同じ位らしい

鳥取県が武装して必死にアジア威嚇してると考えれば
どれだけ無理してるか分かろうもんだな

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 00:21:54 ID:uECdy+6f
唐辛子はようわからんですな。
南蛮から来たという話もあればいやそうじゃなくて南蛮から中国を経由して日本に来たんだという話もあるし。
名前からすると中国経由なのかな?”唐”辛子だし。

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 00:27:44 ID:nDqfFBTu
>>154
東京都の財政規模がインドの国家予算をしのぐ、っていうのと似たような話で……
あまり意味のある比較でもないような。

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 05:31:29 ID:iKOABfLb
秀長はともかく秀吉は極めてアクの強い独裁者だからな
秀長が生きていても、どれほど秀吉に影響力を与えれたか・・・


秀吉と言う人間は、戦争戦略の天才。
でも、政治伝統にはかなり疎い。
性格はキチガイと紙一重な部分も多い。
ホラの吹き具合は周りの人間がついて行けないほどの物がある。

加藤だの福島だのそれこそ秀長あたりも、キチガイじみた行動力を持ち
日本史上最大の独裁者である秀吉の行動には違和感が有ったと思う。
現代人にもついて行けない部分が多い位だ。

極端な話、戦争はは勝つために何やっても良いと思うが、政治で何やっ
ても良いわけ無い。

太閤検地にしても隠し田持ってたら没収だからな。隠し田ってのは新規
の田んぼでも有る訳だから、農民にとっては相当酷い事だった、それを
農民での秀吉がやったんだからな。暴動起こせないように刀狩りまでし
て。

秀長の長生きというのは、独裁者であり大英雄である秀吉の暗黒面を
どれだけ軽減できたかに有ると思う。

秀吉がさっさと死んでいれば、秀吉の問題点である権力の極端な集中
が、改善されて、平和な時代が続いたと思う。

書いてて思ったのだが一番の問題点は秀吉への権力の集中にあるね。
それは秀吉自身の異常な能力に有るわけで、上で書いて有るみたいに
秀吉の功績が、秀長の力による物ならこんな事になってないよね。

秀吉がさっさと死んでいれば、秀吉は日本史上最高の英雄で確定して
ただろうな。

まとめが足りないな。長くなったすまん^^;

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 07:29:44 ID:rqN72EQ5
秀長もだけど小早川隆景があと3年生きてたら毛利と秀秋はきちんと動いていたのかが気になる

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 07:30:35 ID:rqN72EQ5
3年ならギリギリ死んでた…スマソ

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 14:29:11 ID:M/w87hLg
隆景と秀秋はあんま仲良さそうじゃないしどうだろうねえ。
当たり前といえば当たり前だけどさ。
秀秋来た翌年にはさっさと隠居しちゃってるし。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 20:12:45 ID:m07OMAje
その上譜代家臣も隆景に倣ってさっさと隠居してるしな。

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 23:19:51 ID:4+0Fw594
>>157
太閤検地は、土豪の恣意的な農民支配を禁じ、
一地一作人の原則を確立するなど、自作農保護の面があるよ
検地反対一揆を起こしたのも、土豪層だしね
それに秀吉が、私闘と無法の戦国の世を終わらし、
日本国内に法と秩序をもたらしたことも忘れてはいかんだろ

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 00:06:06 ID:k5XSIkrU
>>162
>太閤検地は、土豪の恣意的な農民支配を禁じ、
>一地一作人の原則を確立するなど、自作農保護の面があるよ
>検地反対一揆を起こしたのも、土豪層だしね

んな事は無い。実際検地後農民の年貢負担は増えたし、実際に一揆には貧農層まで
参加している。土豪層はそれまでの慣習として一揆の指導者に押し上げられただけだ。
土豪と自作農が利害対立とか、階級闘争とかしていたと考えない方がいいよ。

あと秀吉はその一揆を押さえ込む目的で刀狩をしたに過ぎない。目先のことだけを考えた
対処療法だよ。

確かに秀吉は秩序だけはもたらした(法は断じてもたらしていない。法によらない恣意的な
政権運営が秀吉の特徴だ)、だけどそれは極めて荒っぽく、普通の人が生き難い秩序だったと
これは断定して良いと思うよ。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 00:10:32 ID:0C5ih7/F
太閤検地に限らず、検地の性質だよね。

田んぼの数や取れ高がハッキリして、そこから正式に収入を計算された場合、
本当に困るのは厳密には農民じゃない、そこから中間搾取していた層なんだな。
それも農民と言えば農民だけど。

農民からすれば結局搾取されると言う意味では同じだが、
枠がハッキリすれば二重搾取される心配もなくなるし、基準以上に取れた分は儲かるから
やりがいも出る。さらにこれに加えて中間層も役人として整備されれば
癒着などの心配も減るわけで、農民からすれば結果的には良い事の方が多いわけだ。

この辺徹底した上で低税金にしてたのでは後北条家が有名だけど、
豊臣政権の場合これに経済的な発展と共に全国的に拡げたわけでやっぱり凄い。

ただ田んぼ一反を数えにくいからと言う理由で300歩に改めてしまう事で、
いらない反感を受けてしまったり、教養に関しての問題はあったようだが。

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 00:22:10 ID:d951l8ZR
>>163
秀吉個人の恣意的な運営だから法じゃない、てのも何かおかしな話じゃないか?
法というのは物事をする仕方。また、それがしきたりになったものを示すのであって
その定め方の是非や自体の善悪はまた別問題だろ。
秀吉が勝手に決めたって、それを全国単位で施行させたなら法は法。

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 00:42:08 ID:k5XSIkrU
>>165
「法治」ってそう言うもんじゃないでしょ?一旦執行されれば秀吉自身をも拘束するのが法。
秀吉は法を超然していた。これは法ではなく「命令」。そういう意味で恣意的と言ったのですよ。

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 00:50:43 ID:0C5ih7/F
>>163
検地して田んぼが多くなる事はあっても、
少なくなる事なんか無いんだから、年貢が多くなるのは当たり前。

重要なのは中間搾取の層がそれ以上に取りすぎていたと言う事。
それを抑制する方が重要。

荘園制、作合、職などを少し勉強した方が良いかと、階級闘争とか関係ない。


168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 12:08:44 ID:m5Ek1t2a
>>166
それいったら近代以前のほとんどの政権はそうなる。たまに支配者・大名権に
ついての規定のある分国法などがあるが、それは単に大名権力が弱くて押さえ
られなかったというだけ。
例えば江戸幕府は武家諸法度を定めたが、これは別に将軍は拘束されない。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 12:29:14 ID:ESJizm68
一反を360歩あら300にしたのは、2割近くのインフレ政策です。
同じ土地でも見かけの石高が上がり、税も増える。
一反360歩と言うのは一年が360日であるから、毎日働けば
一反で一石分の米採れて飢えないぞ、と言うそれないなりに由緒
ある物だったのに秀吉が替えてしまった。
そして見かけの石高と税収増やしてしまった訳だ。

まあ領地はっきりさせて税収安定させた構成は現代にまで続いて
るけどね。


一反は一年で一石採れる面積
一石は一年で一人が食べる米の量で
計算したら一日2,7合食ってた理屈ですね。
朝昼晩米でもそんな食わないかな・・・・w

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 13:30:30 ID:jUtZyeX+

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171 :狸伍長:2006/10/05(木) 15:26:58 ID:N1aqCIUX
秀吉の治世の特徴は、
農民の既得権益を取り上げる検地・徴税、
強大な堺商人の既得権益を取り上げる海外貿易の統制・徴税
(これは、博多奉行だった石田三成の思惑もあったろう)
等特に取り上げやすい権益を取り上げて早急に強い中央集権体制を作ろうとする焦りが感じられます。
ポスト信長という立場では同じな家康との力の差を引き上げ、
また秀吉が三法師=秀信の後見人だから協力している親織田家派からの権力剥奪といったものが焦りになり、
強引かつ徹底的な既得権益の奪取になったのかもしれません。


172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 17:59:31 ID:Tmf2mtES
下らん、秀吉が良くて家康がダメとか?
信長はどうとか、比較にもならん

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 02:15:16 ID:o2/ZJhdX
>>169
実際の税率は土地の生産高と、現地の人間と相談して決めてるんで、
一反の基準を改めたといって税率は増えんよ。
また一反は本来は度量衡上での単位に過ぎないし、
一反一石ってのは後にそういう課税を課したからなっただけ。

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 07:42:01 ID:E/1FtR2l
あ、敬愛する秀長さんに敬礼。

今んとこ良くも悪くも資料がないみたいだから、これから出てくる事を望む。

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 00:51:49 ID:XW2qhfKe
z

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 03:11:22 ID:1ZljgUGC
中村雅俊がこの人の役したのはおんな太閤記?

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 08:48:59 ID:k1eIBzKp
↑そうですよ

178 :MS:2006/11/18(土) 14:09:30 ID:gUljvON7
あれ、秀吉役は西田敏行と武田鉄矢とで違う時期ではないですか?

179 :OPS:2006/12/31(日) 18:49:46 ID:Mx8adAHM
もし秀吉晩年近くに秀長在世なら秀吉が選抜した五大老の中に家康の名前はないと思う。

180 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 19:03:36 ID:7syHOwE1
秀長がいたら五大老なんてくだらん職自体必要ない。

181 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 23:54:31 ID:8dv+OMDJ
生命力の弱い秀長にはあそこまで生き伸びるのが精一杯
もっと早く死んでもおかしくなかった

182 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 19:44:17 ID:RdE0P5S9
>>181
秀長ってそんなに病弱だったの?あれだけいろいろ転戦してるけど。


183 :OPS:2007/01/04(木) 20:03:38 ID:/UvO6f0Y
功績としては半兵衛以上ですか?

184 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 20:08:27 ID:WpGhJYyw
比較できんくらい秀長が上だが。実際竹中って講談+若死の影響が強すぎるからなあ。

185 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 20:24:27 ID:cLWw89vL
10万の兵力を軽々采配してる時点で最早異次元かと。

5万超えだすともう動かすのすら本来大変になってくる。
島津や上杉なども大兵力を動かす合戦では采配が鈍っている。
大阪の陣での家康もそうだな。

186 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 18:41:19 ID:WLwzEBvP
秀長は優秀な人間なのは否定しないが、政治的戦略的なお膳立ては秀吉自身が行った物だし
参謀、軍監として黒田官兵衛と蜂須賀がサポしてるし、重要な政治的な判断も秀吉の指示が有る。
何より10万の大軍を指揮してるからすごいってのは、ちがくて、1から10万整えるまでの方が難しい。
政治的戦略的に有利な状態で大軍を指揮したのだから勝って当然、秀長に卓越した士気能力があったなどは妄想だと思う。

他の大兵力を動かした連中と比べて責任の分散がしっかりなされてるしな。



187 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 19:25:40 ID:krKlfW48
>>186
>>185のたとえでいうなら、島津や上杉が一人で五万なり十万なりを指揮してたとかでもないと反論になってない。
そんだけの急造巨大組織を上手く動かせたってことはそれ自体が偉業なんだよ。

まぁ、コーエーゲーム的に「だから武力100」とかにはならんけどね。むしろ政治力の領分。

188 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 19:37:11 ID:bBMHBwXY
少人数でも統率するのが難しいのにそれを万の単位だからな。

189 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 22:13:56 ID:wtcreE5t
秀長の十万の兵力が寄せ集めであることも否定はしないけど
関ヶ原、大坂の陣の徳川方のようにある程度確立されている
大名の軍隊の上に立っているという点も否定できないはずだ
そしてお膳立ては秀吉と多くのそのサポーター達が担っている部分も当然ある
ならば引き合いに出される徳川だの島津だの武田、上杉、織田だののいわゆる
国家元首が捻り出す十万の軍勢とは少々異質なわけだ。
大名達が求められる十万の兵力はそれを整えるまでに軍の補給を確立させ
それぞれの寄せ集めをうまく編成し、それの士気を長期間維持し、戦略目標を決め
そして最後に戦術的成功を収める必要があるわけだが
秀長が単独で担っていた部分は士気を維持し戦術成功を収めた部分のみだと言っていい

もちろん秀長には十分な大軍を指揮する能力があることを認めるが
それを維持したり効果的な戦略を定めたりという部分は秀吉等が大名としてやっているため
大軍を動かしたという実績をすべて秀長に帰してしまうのは納得できかねる部分がある
指揮していくのも難しくはあるし当然偉業だが責任とやった部分の所在ははっきりする必要がある

長文スマソ

190 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 07:52:56 ID:S2ZGLUD3
四国九州征伐での黒田とか蜂須賀とかの活躍も結構有名だからなあ。
当時の秀吉の腹心である秀長蜂須賀官兵衛が相談しつつやってたと安易に想像できる。
秀吉の黄金期を支えた連中だからな、北条攻めだと徳川と前田が参加して首脳部を作ってるし。
三成もまだまだ台頭直前だし、利休も秀吉にべったりの時期だ。

実際、統一辺りまでの秀吉は、泰平を築いた家康並に隙が無い、まさに秀吉黄金期ですな。

191 :OPS:2007/01/09(火) 13:51:50 ID:ogfEXZ4U
十万の兵を指揮するのは確かに次元が違う。
上杉謙信は自分を最大限に活かす兵力は一万だそうです。

192 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 17:19:39 ID:DzEpAIpd
豊臣秀長が長命だったら→ギネスブックに載ったに違いない。

193 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 22:42:18 ID:XsgpIVYU
>>189
と言うかだからこそ凄いんだがね、5万とか10万とかに成ると、
必ずそういう軍勢になってくる、その中には当然元敵同士だったり、利害関係の絡むもの同士だったり、
というのが普通の大きさの軍とは比べ物にならないほど多くもなるし、
それぞれの意図も複雑になってくる。まして秀吉自身ならまだしも代理なんて余計に。

その辺を纏め上げて戦争に集中させる統率力って言うのは、1万前後で戦う合戦とは桁が違う。
政治の領域と言うゲーム的な別け方でいう意味でもない、そういう意味でなら10万だろうが1000人だろうが、
戦争は政治だし、それともちょっと違う、とにかく種類が変わってくる。

194 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 00:44:22 ID:civZqolP
秀長の2人の娘は天寿をまっとうできたのかな。
豊臣秀保に嫁いだおきくや、毛利秀元に嫁いだ大善院とかさ。
子供をのこしたのかも気になる。

195 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 05:24:37 ID:yqDGBMNU
亀レスだが
秀長どころか、秀次事件がなければ五大老制は存在しない。

196 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 21:34:04 ID:Xu7VTyZt
秀秋事件がなければ徳川幕府も存在しない

197 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 00:12:02 ID:onIrX1Ez
そうだね。関ヶ原で逆臣石田三成を倒した最大の功労者は秀秋。
もしその秀秋があの忌まわしい事件によって早死にしなければ家康が幾ら頑張ろうと
徳川が幕府を開くなんてありえなかったろうね。
聡明にして人望厚かった秀秋さえ長生きしていれば。

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