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緊急動議 家康を封じ込め!!

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 19:09:16 ID:KYyuoMmw
太閤秀吉は、死の床に就いて、最期の遺書を書いた。
「秀頼事、成り立ち候やうに、この書付の衆として、頼み申し候、
何事も、この他には思い残すことなく候、かしく」
悲しくなるほど情けない遺書である。
太閤秀吉とも有ろう英雄が、死に際して、国家の将来も、政権の行く末にも、
また朝鮮に在陣する数万の将兵にも、思い残すところなく、ただ、我が子の未来を案じて死んでいったのだ。
だが、同じ子供を持つ父親としては、その気持ち察するに余りある次第であります。
そこで皆様のご意見、名案にて、秀吉の願いを叶えてあげて下さいませ。




2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 19:14:33 ID:/rlpAf5W


3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 19:17:21 ID:N2ctdNiv
石田三成に150万石やってれば良かった。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 19:34:10 ID:KYyuoMmw
物凄く反発されて、関ケ原の西軍大幅ダウン

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 20:06:05 ID:8gNt9BAL
多分金吾の所領から引かれるだろうからいいんじゃね

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 20:09:52 ID:KYyuoMmw
金吾の所領、150万石もないのでは?

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 20:14:40 ID:jQUpeI+C
秀吉亡き後の、家康クラスの実力者と言ったら

石高で言えば
前田利家、毛利輝元、上杉景勝
器で言えば
黒田如水、伊達政宗、島津義弘
権力で言えば
宇喜多秀家、小早川秀秋、石田三成

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 20:15:44 ID:KYyuoMmw
自分の意見は、宇喜多秀家に駿遠参の3カ国を与えてれば、かなり効果はあったと

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 20:20:19 ID:KYyuoMmw
器と権力のところは疑問ですね


10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 20:29:39 ID:8gNt9BAL
特に2番目の器は水漏れが酷そうだ

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 20:35:58 ID:KYyuoMmw
うまい

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 20:36:18 ID:0fjcHpqY
(●ω・`)ぶちころすぞ!

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 20:53:02 ID:KYyuoMmw
8の続き
この辺(駿遠参)の武将って、10万石以上やらずに、5万石前後でも、十分大出世な連中ばかりでしょ。
ここに宇喜多を持ってきて、旧宇喜多領で中村や山内らを5万石前後で加増してやれば、現実的だったと思うんですが。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 21:09:05 ID:kJBzpwZv
>>13
それは無理だよあれは秀次が大将でその対価だから
あと信雄が徳川領を受けてたら切腹に追い込まれたかも知れないな、よく逃れたよ

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 21:16:45 ID:Ou7XQJVT
漏れの提案
とりあえず、太閤死亡時点での石高や大名配置はそのままで。

1)七将の皆さん三成襲撃→三成さんには、ここであっさり死んでもらいます。邪魔です。
2)これで豊臣恩顧が割れる原因を消去→関ヶ原のような決定打を回避します。
3)あとはひたすら持久戦です。
  関ヶ原がなけりゃ毛利も120万石のままです。五大老の宇喜多も残ってます。
  上杉はなんとなく潰れているような気もします。
  加藤清正や福島正則は、三成いなきゃ豊臣家に忠実でしょう。
黒田や細川は、もとから忠実じゃないから、敵に回さない程度に優遇します。
  これで、家康もそうそう簡単には豊臣家を滅ぼしたりできません。 
4)家康がやっぱり横暴になるでしょうが、関ヶ原がなければ一気に天下人にはなれません。
  あとはひたすら狸が死ぬのを願いつつ我慢です。時間との戦いです。
  挙兵したら負けです。
  大坂城では家康に毎晩てんぷらを勧めます。一刻も早い死を願いつつ連日宴会に誘います。
5)家康が征夷大将軍にならずに死ねば、豊臣方勝利。そうでなければ、負け。
  つなぎで小早川秀秋を呼び戻し、中継ぎに関白にする手もあります。
  秀頼君が成人したら、この世から消えてもらえばいいんです。

実は東軍贔屓だけど、家康も関ヶ原がなかったらかなり困ったと思う。
ちまちま毛利や宇喜多に難癖付けて力を削っただろうけど、時間がかかるから。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 21:19:02 ID:Ou7XQJVT
ごめん、ズレて物すごく見にくくなった・・・

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 21:19:10 ID:kJBzpwZv
>>15
それを誰が統率できるかって事だよ

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 21:35:07 ID:jQUpeI+C
宇喜多秀家、上杉景勝あたりが統率しそう

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 21:40:41 ID:lViDsdII
三成がいなければ浅野長政あたりが豊臣家代表で頑張ってくれそうな気がするが・・・
史実でも速攻で家康から謹慎処分喰らってその後すぐに篭絡されてるし、やはり力不足だろうか

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 22:05:14 ID:snzIC3LY
小早川秀秋を繋ぎで関白にするのは悪くないかもよ?
あほでもいいよ 一門なんだから看板として担いどけ 
関白にしちゃえば裏切りようもない
で、五大老の残り(毛利・宇喜多・上杉)で家康を牽制すればいい
関ヶ原でも西軍のほとんどは、別に三成の統率力で集まったんではなく、
毛利の石高(動員力)で集まったんだから、五大老が残ればなんとかなるよ

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 23:08:19 ID:YTforMoN
このスレ読んでると、架空戦記の「異戦関ヶ原」だったかな?を読んだヤツがスレの方向を作ってるような気がしてくる

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 23:21:42 ID:22uwBhnG
まあ趣味の戦国時代板だからねえ。
架空なんとかの一つも読むだろうねえ。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 00:53:13 ID:KxMTqbUb
というかある程度現実的な範囲で話を進めればあれだけ出てる
架空戦記のどれかには似ちゃうんじゃないかと思うぞ。

個人的に関ヶ原がおこらないとなると、さっさと幕府開いて地固めが
出来ないから徳川家の跡取りの問題も出てくるんじゃないかと思う。
家康自身、秀忠でいいのか迷い出しそう。

24 :家康:2006/09/05(火) 01:12:26 ID:QeDyDxjC

今だから言えるけど太閤殿下は死ぬ前に、
「秀頼に天下を治める器量がなければ、そなたが天下を治め成され」
と、言い残したんじゃよ。それでわしも不満分子(三成ら)を成敗してから、
15年も秀頼の成長見守ったというのが真相なんじゃよ。

これ、ホントです。皆さん信じてくださいよ。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 01:50:18 ID:H/C7iw+z
>>15
面白い。関が原が無かったらそういう展開ありそう。
前田も利家が無くなった直後で全然関が原の戦には関わってないけど、
じっくり時間かけて跡継ぎが育ったらかなり力のある大名になってるだろうし。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 02:02:43 ID:UxFr0m4J
>>21
どこが?
作ってる人とおぼしき>>15のレスは全然内容違うし

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 02:13:48 ID:MEeUYOIJ
>>15
三成が死んでも対立は解消されないんじゃないか?
それにやっぱり徳川は、単独での国力が比類ないものなんだから、難癖つけて上杉、佐竹と潰すでしょ
そしたらまた東西割れての関ヶ原ですよ(決戦場は違うだろうが)
東軍は家康を総大将に伊達、最上、南部ら東国諸勢と、常陸・会津に入れた徳川譜代でそれなりの結束力がある

でも西軍は三成がいた関ヶ原と状況は大差ないよ
三成がいなくても武功派と吏僚派の対立は続いてるだろうから、結束力があるとは考えにくい
総大将が小早川秀秋じゃな尚更なぁ・・・

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 03:30:59 ID:J5W4I3Xa
秀秋は暗愚ではないよ。
ただ生い立ちが難。
期待されたりされなかったりと秀吉に赤子が生まれる度に翻弄され、最終的には厄介払い。
小早川の養子に出されて、しかも隆景の旧臣たちは隆景に従って離れてしまうし。
豊臣政権に執着があったとは思えない。
関ヶ原では自軍を動かす最も効果的な状況が訪れるまで傍観を決め込んだりと
度胸は十分だが、命を張って西軍を統率する意志は持てないだろうな。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 03:51:34 ID:RYbn2Lpt
うーん…ひどい話だけど、上杉を捨て石にする方法はあるかも。
>>15の設定で、三成死亡で上杉征伐があったとして…

上杉征伐がそのまま続行されると、史実どおり豊臣恩顧もみんなで参加する形になる。
いくら徳川250万石といっても、単独で100万石越えの上杉、毛利、前田とは戦えない。
最終的には上杉に勝つだろうけど、時間もかかるだろうし損耗する。
んで、戦後に上杉領を分ける際にもこれがすべて徳川家の所領になるとは考えられない。
恩賞を与えなきゃならない大名数も多いだろうし、参加した恩顧にも加増せざるを得ない。
東北勢の伊達や最上の所領が大きくなっても、徳川にとっては所詮外様なんだから、
そう簡単に統制できないんじゃない。
上杉攻め後、東北・お膝元の関東の大名バランスが変化すれば、それはそれで対応するのに
時間がかかる。

あとは、西国の毛利と宇喜多の前田の2代目の頑張り次第。難癖を交わして、残れ残れ作戦。
西国には、関東からそう簡単に遠征もできないし。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 06:51:06 ID:u8IUHEAz
何もやらなきゃおk

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 06:52:01 ID:zONyNUkG
>>27
>そしたらまた東西割れての関ヶ原ですよ(決戦場は違うだろうが)

上杉や佐竹を徳川が攻めても、全国の大名が東西に割れるような
天下分け目の戦いにはならない。
なぜなら残りの豊臣系の五大老と恩顧の諸大名が内部で割れないから。
会津征伐の時のように、武断派は遠征に参加し、他の五大老は国許で
傍観するんでない?

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 07:21:42 ID:kFRyxxdi
あらら・・・このスレ読んでると大坂方がそのまま粘れば、気のせいか
何とかなったような気がしてきたわw
しかし、戦わず耐えつづける持久戦っていかにも家康が取りそうな戦法だな

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 10:51:54 ID:rVi2TzoL
>>24それなんて白帝城?

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 13:14:08 ID:MEeUYOIJ
>>29
上杉や佐竹の所領は家康が強奪する感じになると思うが
実質的に権力も握ってたんだからそれくらい造作もないでしょう
落ち着くまで徳川で預かってあげるね^^ とか
誰を入れるか決まるまでね^^
とか何とか言ってそのまま居座りそう
家康が天下取るまでは伊達や最上の加増も待たせればいいと思うし

あと前田は人質取られてるからね、不戦が精一杯でしょう
でも史実より家康に集まる兵が少ないから出兵は強いられるだろうね


>>31
いや、上杉や佐竹攻めた時点では何も起きないだろうけど、
家康が明確な野心を持って西上開始したら黙ってられないでしょ?
ここで決戦に至ると思うんだけどな・・・

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 13:55:36 ID:nnTwlKVK
>>15
膠着状態に持ち込んで逃げ切る作戦は面白いと思った。
長久手の後から関東移封あたりの家康のように、
じっと静観して時間を稼ぐのは悪くない。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 13:57:05 ID:XyKz61oZ
家康のやり方なら、石田生存の吏僚派全盛時には、武断派の連中の肩持ち続けて来たけど
上杉討伐の後、逆に少数勢力になった吏僚派側に回ると思う
常に小西や福原らを擁護し、加藤、福島らには過度な挑発を行い続け
今度は彼らを石田の変わりにしてしまう
そうやって立ち上がった武断派の連中を、関ヶ原の時の様に叩き潰せば(小早川の役は黒田辺りで)
石田の居ない吏僚派じゃ家康に従うしかなく、いつの間にか江戸幕府成立キタ━(゚∀゚)━ !!じゃね?

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 14:26:19 ID:H5H+aWXt
>>14
それは無理だよあれは秀次が大将でその対価だからの意味を詳しくご説明を・・・

信雄の駿遠参、家康の関東への移封は、論功行賞よりも、左遷的な意味合いが強かったのでは・・・
豊臣政権にとっての安全を考え、上方からより遠くへ、中央からより地方へ・・・と

私の言う宇喜多の駿遠参への移封は、家康の進撃路にフタをする役目を期待したものです。
実際、秀吉とその幕僚たち(とくに主導的役割を担ったのは三成)は、中山道と東海道に多くの豊臣恩顧、
反家康の大名を配しました。
だが、現実に関ケ原が起こった時点で、有効に機能したのは、真田だけでした。
真田のような小大名が篭城しただけで、徳川の別働隊は立ち往生し、決戦時に間に合いませんでした。
同じ事が東海道で起こっていれば、関が原の合戦の結果は、大きく変わったのでは・・・という期待を込めての意見であります。


38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 15:02:13 ID:WNq6vimy
>>36
武断派の連中は、そこそこ保身術には長けてるので暴発するかなぁ
(福島正則はわからない)

池田は家康の娘婿だし、関ヶ原の前に黒田は家康の姪を娶ったし、
加藤も徳川一門の娘を貰って、姻戚関係を結んでいる。
細川は前田に連座して三男を江戸に人質に送っている。
そもそも家康としても、わざわざ手なづけた武断派を好んで
敵に回す必要がないというか。一戦するにはリスクが大きすぎるというか。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 15:12:52 ID:H5H+aWXt
>>15様の意見には、下記の疑問が残ります。

三成の佐和山蟄居後、家康は、かなり乱暴な手段で、そして物凄い勢いで、独裁権を強化していきます。

@伏見城乗っ取り
A大阪城に第二の天守閣を建築
B次席大老前田利長の無力化(その生母を私的な人質として江戸に連れ去る)
C伊達、福島、蜂須賀との縁組復活(これは、前田利家ら4大老の反対で、一旦は取りやめたもの)
D徳川に忠義を励んだ者への加増
E宇喜多騒動に対する不公平な判決
F石田三成暗殺未遂事件の加害者7人の罪の不問
G浅野長政の五奉行追放
H上杉討伐の強行(大老宇喜多、奉行増田・前田の反対を押し切る=五大老五奉行合議制の崩壊)
などなど、チョット考えただけでも、1年あまりでかなりの独裁権を強化しているのがわかります。

実際ここまでの独裁権を持っていた家康が、関が原の合戦を望んでいたとは思えません。
上杉征伐後、毛利、宇喜多に難癖をつけて討伐すれば、加藤福島らが束になって掛かって来ても、ビクともしない体制を築くと思われます。
そんな家康が、一歩間違えれば負けていたかもしれない関ケ原(小早川が裏切らない。毛利・島津・長曽我部が積極的に参戦)を、自ら望まないと思います。
関が原のたった1回の合戦で、天下を取ったというのは、歴史の後知恵、結果論ではないのでしょうか?




40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 15:43:16 ID:YojGj4+I
>>39
関ヶ原レベルの大きな戦さで、全国の大名がふたつに割れて戦わないと、
戦後の大規模な改易・加増という石高の一新と、大名配置の入れ替えが起きないから
徳川家が400万石の一人勝ち、豊臣家65万石への転落という状態が発生しないんでは?
関ヶ原に類似する一戦に勝利するのは、徳川幕府を開くのにやはり必要だと思うが。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 15:50:24 ID:H5H+aWXt
>>39を踏まえて、私なりの家康の天下取りプラン(関ケ原がなかった場合)
@上杉征伐後、大規模な奥羽北関東の知行割。
 敵対した上杉・態度不鮮明な佐竹の滅亡。不可解な行動をとった伊達の大幅減封
A豊臣家の行動を規制する意見書(信長が義昭に出した意見書のような物)の提出。
 豊臣家は徳川の許可なく、大名と接触出来なくなる。
B宇喜多(50万石)征伐。
 加藤(25万石)、福島(24万石)ら豊臣恩顧の大名も、宇喜多に味方するが、難なく各個撃破。
C毛利征伐
 残しておけば、豊臣における徳川のような存在に・・・
D秀忠、豊臣政権の執権に・・・
 鎌倉幕府における北条家のような実質的天下人になる。
E豊臣秀頼、一子も残さず死去。(毒殺説あり)
F公家から関白を迎え、家康幕府を開く。

以上、皆様のご意見をお待ちしてます。


42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 16:00:15 ID:pEpKjrf1
いっそのこと秀吉とその一党が関東入洛してればどうだろうw

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 16:03:58 ID:6LgNpXIL
>>41
@不可解な行動をとった伊達の大幅減封

 これは奇妙で、ありえない。家康が小山から反転し、関ヶ原にむかったため、
 政宗は、家康が負けたときの保険を考えて、和賀を攪乱させたとみるから。
 家康が順調に上杉侵攻をした場合、政宗は曖昧な態度を捨て、信夫口から
 ストレートに100%正攻法で上杉領へ襲いかかるだろう。
 また、徳川との婚姻、百万石の反物をたてに外交で揺さぶってくる。
 いずれにせよ、加増はあっても58万石より1石の減封もない。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 16:18:32 ID:MEeUYOIJ
@関ヶ原勝った状況でさえ加増してるのに、伊達の大幅減封なんか出来るわけがない
 西を押さえられない時に東にケンカ売ってどうするんだ?
 そもそも不可解な行動って・・・政宗は関ヶ原が一日で終わるわけがないと踏んで工作してたんだから、
 その時流では南部家への一揆騒動は起さない可能性が高い
 従順に上杉討伐に従うだろうから厳封する理由がないよ
Aはどの段階で出すのかな
 D、Eの後じゃないと段階が早すぎるように感じるが
 ただ、そういったものを出すだろうということは同意
BCはどうだろうな
 史実の上杉みたいな流れで滅ぼすのか?
 上杉、佐竹を滅ぼせば対決姿勢は明らかになると思うが
 そしたら豊臣恩顧は黙ってないだろうし、やっぱり決戦になりそうな・・・

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 16:19:23 ID:H5H+aWXt
>>43

私の考えでは、伊達正宗(秀吉の小田原征伐・奥羽仕置時、関ケ原合戦時の行動を考慮に入れて)が、
家康の天下取りを積極的に支援するとは想像できない。
むしろ、合戦途中、もしくは知行割後に、必ず、不可解な行動、消極的な反徳川行動を取った考えられます。
巷間伝えられる様に、政宗が気宇壮大な野望の持ち主であれば、必ずや、東北の混乱の長期化を図ったはず・・・

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 16:32:18 ID:ztzS6Hrl
>>41
>E豊臣秀頼、一子も残さず死去。(毒殺説あり)

ん???秀頼様、死んでますがな!
いや、このスレは…家康の天下取りを阻み、秀頼様を救う方法を考えるスレ。
是非、前向きに天下の取れる構想をお聞かせ下されませ。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 16:40:40 ID:H5H+aWXt
>>44

@に対しては>>45を参照
Aはごく早い時期に出せたはずです。
 例 関が原の合戦前、正月年賀の順序を秀頼から挨拶するか、家康から挨拶するかを迷った末、ほとんどの大名は、家康から行っている。
   この時点でも、多くの大名は家康に媚を売るのに精を出していた。
 この種の意見書の提出は、実際、多くの大名が行っている自己規制の文書化であり、その範囲を豊臣家と豊臣恩顧の大名に迫るものであります。
BはAの結果、当然のごとく、宇喜多は対決してきますが、北への抑えがない今となっては、各個撃破されるはずです。
CはBの時点で毛利がどう動くかで決まります。
 関ケ原でも、家中の意見が二分して、統一行動が出来なかった毛利家です。
 宇喜多に積極的に味方するか?有効な支援を施せるか?
 信長時代の本願寺救援策のような中途半端なものにならなければ良いのですが・・・
 恐らく、中途半端な行動を取って、徳川の天下統一事業の総仕上げとして、征伐されるのではと・・・


48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 16:50:09 ID:H5H+aWXt
>>46様 ご心配なく
私自身は、ただ家康の天下取りは関が原の合戦が無くても、いやむしろ無かった方が、
より安全に、より確実に行えたのではないかと述べただけで有ります。

私自身は、豊臣に最も忠実で、最も積極的な擁護者であった宇喜多秀家に、駿遠参三カ国に加増転封する以外に無かったのでは・・・であります。



49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 16:51:18 ID:6LgNpXIL
>>45
>家康の天下取りを積極的に支援するとは想像できない。

いや、積極的に「支援」してますって。この時期の徳川−伊達の関係は
「蜜月関係にあった」と「治家記録」などにもはっきり見られるし。家康が
政宗に与えた重要な書状は8月5日〜9月1日辺り集中しているわけで。
戦後、家康は100万石をきっちり履行せざるを得ないよ。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 17:21:04 ID:PYkPk/1v
秀吉と面会した時に天ぷらピザの眉毛が動いた途端に
謀反の疑いがある。として八丈島に島流で取り潰し。


51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 17:26:39 ID:MEeUYOIJ
>>47
いや、史実を見てみろって
家康は政宗に滅茶苦茶気遣ってるぞ?
天下が定まりつつある時でさえ、懐柔する方が得策だと判断したわけだろ
その家康が懐柔も試みずに伊達を減封なんてのはリアリティがないよ

政宗の側から見ても、和賀一揆は天下を窺ってのものとは考えられないぞ
あわよくば南部領の一部を掠め取って、和賀の正当性を認めさせた上で、
伊達領に併呑しようとしたに過ぎない
秀吉に滅ぼされた家を復興させるのは、
徳川時代に移行する、言わばどさくさに紛れる時期であれば、可能だっていう甘い読みがあったんだろう

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 17:35:32 ID:H5H+aWXt
>>45殿に対する反論
いや、積極的に「支援」してますって。は、関ケ原合戦時ですか?
それとも、この三成亡き後、関ケ原が無い場合の上杉討伐時ですか?
文脈から読むに、関ケ原合戦時のことだと察しますが、私には、伊達が徳川による天下統一よりも、東北の混乱の長期化を図っていたように読めるのですが・・・
重要な書状が8月5日〜9月1日辺り集中しているのは、何も政宗に限ったことだけではないです。
関ケ原という運命の決戦を前に家康は、多くの大名の歓心を買うために、大幅な加増を約束し、媚を売るかのような書状を送っています。
そして、その多くが戦後、空手形に終わっています。
また、味方した多くの大名の子孫または、本人の代で、大阪の陣の前後に、滅ぼされています。
史実では、伊達政宗に対する100万石のお墨付きは、空手形に終わっています。
私の想像(空想、妄想)ですが、上杉征伐後、旧上杉領会津での大規模な一揆の発生、
それを裏から糸を引く伊達政宗というのが、いかにも、独眼龍政宗らしいのですが・・・


53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 17:42:47 ID:0uyzaTz+
佐竹を送ったから万事解決!

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 17:43:03 ID:JdkebwcA
秀頼を生かすたくば徳川の養子になれば良かったんですよ。

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 17:51:12 ID:6LgNpXIL
>>52
>私には、伊達が徳川による天下統一よりも、東北の混乱の長期化を図っていた
 ように読めるのですが・・・

 政宗は家康が天下人になることは、文禄の朝鮮征伐辺りから想定して
 自家の安全をはかっていたと思うな。忠輝と五六八の婚姻は、徳川への
 全面協力のあらわれだし。この関ヶ原の時の政宗の関心は、東北の混乱でなく、
 天下人家康を睨んだ伊達家の地位の確保だったろう。彼の関心は長井・置賜な
 ど旧領の回復と、その地域の仕置きをはかった仙台城を築くこと。
 混乱でなく、基盤づくりが主体にあった。政宗はとりあえず、徳川に恩を最大限
 売っておくことが頭にあったと思う。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 18:03:46 ID:L0FylFFN
>>41
家康の天下取りの考え拝見しました。矛盾が多すぎです。
まず@の段階で無理です。
順当に会津征伐があった場合
佐竹も伊達も協力的態度に終始するのは明白です。
両者の胡乱な行動はあくまで主戦場が上方で、天下を二分しどっちが勝つか
見当もつかなかったから。
天下の耳目が会津に集まっている状況でそれを実行したとは思えず
またして得られるメリットは皆無。
逆に
>>態度不鮮明な佐竹、不可解な行動をとった伊達
という前提が>>45のご意見であった場合で考えても
 会津征伐で一番注目を浴びるのは白河口です。
ここでの一戦が天下の耳目を集めるわけで逆にいえば
上杉は存亡をこの一戦に賭け局地戦であり一勝でも収めれば
天下の軍に動揺させることも不可能でない。
 ここからしても徳川が誰が見ても完勝という状況を
演出しない限り、後々の指導力に問題を生じます。
 上杉が負けた場合泥沼の本土決戦にもつれ込むでしょう。
史実のような減封であれ生き残れるのと違い
後がない存亡を賭けた戦の場合、すんなり決着がつくわけもないです。
まして言い出しっぺの徳川が白河口で上杉にてこずった場合
>>41>>47のようなことをお考えなら、それこそ徳川側がてこずるでしょう。
どうしても後背の佐竹伊達の協力なくして早期の収拾は図れないでしょう。
この時点で
家康の指導力のほころび
佐竹伊達に大きな貸しを作るということになります。

たとえ会津征伐を成功させたとしても、恩賞の問題があります。
徳川が戦果をあげていない場合、どうしても他家に大きな恩賞を
与える必要性が生じます。
ここで下手な大名を配置して肥後の佐々のようになった場合
関東の後背に位置する場所ゆえその地の鎮撫と安定化に時間を取られるでしょう。
それこそ>>47の様のお考えなら確実に紛糾するでしょうねWW
 旧上杉の安定化すら未確定な状況で伊達や佐竹を征伐できるのは
いつになるでしょうWW

会津征伐での言いがかりに等しい口実と、
他家に協力を要請しないと収まらなかった徳川の力量
そして戦後処理の紛糾
 こんな状況の前後に、佐竹や伊達を叩くという再度の動員があった
場合家康の指導力の無さは決定的になるでしょうねW
 会津征伐に続いて短い期間に伊達征伐の再動員があった場合
諸侯の徳川への疑念は不信は高まったではないでしょうか?
徳川と身近な大名だけで実施した場合は私戦であり
この場合は徳川の消耗は大きいでしょう。
伊達の場合も上杉同様存亡がかかってますから窮鼠猫をかむ
くらいの気迫で望んでくるのではないでしょうか。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 18:08:22 ID:L0FylFFN
 そして伊達を征伐するのに再度天下に動員した場合
家康の指導力と方針への疑念は高いでしょう。
 会津征伐ですら反対が大きかったのですから、その失敗の収拾の為の
伊達征伐ともなれば他の大老への大きな貸しになると思いますね。
徳川が一歩擢んでるどころか
屈服させた前田や他の宇喜多、毛利に
自分の領分である関東奥羽の仕置きに口出しを許す状況に
なってしまって
どうしてAになれるでしょうか?

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 21:10:26 ID:fZYv13p5
伊達に関東切り取り自由と手形切れば、失明した眼が輝く、おまけ米沢付き。
釣れるなたぶん。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 22:55:01 ID:H5H+aWXt
>>51殿、>>55殿、>>56殿、>>57殿に対する反論
何やら家康の天下取りプラン全体よりも、伊達がどこまで家康に味方できるかの細部に意見が集中しているようですので、ここで明確にしておきます。
まず、私は伊達が上杉に味方して、家康には刃向かうとは一言もいっていない。
まず>>51殿
政宗の側から見ても、和賀一揆は天下を窺ってのものとは考えられないぞ
あわよくば南部領の一部を掠め取って、和賀の正当性を認めさせた上で、
伊達領に併呑しようとしたに過ぎない・・・
それこそ、私の言いたいこと。
政宗には、天下人の器量はないが、かといって、一国の主で満足できるタイプではない。奥羽の覇者、奥羽探題的な地位を求めていたのでは・・・と言うのが、私の意見であります。
しかし、それが、絶対的安定社会を求めた家康の考えとは相容れない為、伊達の行動次第では、減封も有り得ると申したまでであります。
家康と政宗の関係も、豊臣政権を揺さ振るという目的においては、政宗のこの性格は、家康にとって大いに利用価値が合って当たり前です。
次いで、>>55殿、
政宗は家康が天下人になることは、文禄の朝鮮征伐辺りから想定して 自家の安全をはかっていたと思うな。
文録朝鮮征伐の頃には、政宗は秀次に擦り寄っていますが・・・?
政宗自体、小田原の陣以来、家康には借り(秀吉への取り成し)が有ります。
最後に>>56殿、伊達や佐竹が家康に味方して、上杉討伐が速やかに行けば、それだけ私の言う家康の天下取りプランが実行しやすくなるのではないのでしょうか?
また、上杉は存亡をこの一戦に賭け局地戦であり一勝でも収めれば、天下の軍に動揺させることも不可能でない。
まさしくその通りで有ります。上杉勝利の可能性が全く無かったわけではないと思います。
戦はやってみないと解らないは、一面の真実でありますし、大軍つねに勝とは言えません。
しかし、家康も勝利に自信が有ったことも確かです。雪が降れば、撤退しなければならない北国攻めを前にして、あの時点まで、宇喜多ら上杉征伐反対派の説得に努めているからです。
つまり、徳川は、あの時点までなら軍事行動に差し支えが無いと、あの時点からなら十分上杉征伐は可能と判断していた考えられます。
>佐竹伊達に大きな貸しを作るということになります
何度も言いますが、家康は空手形を乱発しています。
またその手形を実行したとしても、後で取り返している例が多い。そして、その際、合戦は一度も起こっていない。
関が原の合戦以降、戦いで滅びたのは、豊臣家だけであります。後は、無抵抗で滅亡していったのであります。
佐竹は関ケ原の合戦前ですでに、相馬岩城ら組下与力も含めて80万石の大領主です。そしてその存在は、家康にとって常に苦々しい存在でした。
上杉征伐に参加し、加増されて100万石の大大名になった佐竹、それに匹敵する伊達が、家康の本拠のスグ側、北関東と奥羽に存在している。
こんな状況を安定社会を目指した家康が黙って見過ごせるとは考えられません。
家康の矛先が、向かってくるのは明らかです。
そして、それがわかっていたからこそ、佐竹は関ケ原時点でも、積極的に家康に味方せず、上手な負け方を目指したと思われます。
もっとも、佐竹が考えた以上に、家康の戦後処理が厳しかったのは確かですが・・・。


 




60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 23:45:28 ID:MEeUYOIJ
なんか態度が大いに軟化してるな
>>41では伊達の大幅減封とだけ書いてあるし、
>>45にしても政宗は東北混乱の長期化を謀るという前提に立って、
不可解な行動、反徳川行動を取るだろうと示唆している
(ちなみにこの件に関してはID:6LgNpXIL氏と私とで史実に基づいて反論してるが、
 あなたの再反論は“こうするのでは?”という願望的観測によるもので論理性がない)
これらを見て“減封も有り得ると申したまでです”と受け取る人間はいない

また、>>59で“家康にとって大いに利用価値が合って当たり前です”
と書いているが、何故利用価値のある伊達を大幅に減封するのか、自己矛盾している

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 23:47:03 ID:L0FylFFN
>>59
私は家康の構想が>>41のようであったなら絶対@の段階で蹉跌したと
思えます。家康があのような感じで構想していた可能性は高いとも思いますが・・
 運の良かったのは関が原があったからで>>41のようなやり方では@の段階で
失敗するのが確実だろうからです。

 私はあの上杉征伐で先端を開くのは白河口の徳川軍であると確信しております。
他の場合信夫口の伊達以外は最初は日和見するのは明白だからです。
そして私は家康の初戦敗退と見ております。
家康が征伐にこだわったのは自分が豊臣の名代として天下の軍を指揮する前例が
必要だったからで、上杉を征伐するのは本意ではないと思います。
というか家康は上方で三成あたりが小規模な決起をすることを前提に
していたと思えるからで、積極的に上杉を攻めようとした形跡は
見受けられないです。
こちらから攻めなければ戦争にならない。伊達最上で足止めできれば良い
という思案だったのではないでしょうか?
 そして家康の場合上方とか包囲する大名を信服させているわけではなく
寄り合いに近くこの意味でむしろ関が原の西軍のような状況であったわけです。
 自分で言い出した以上最初に戦闘を開始する責任を果たさないと
家康の威信に関わります。
しかし天下の誰もが強引なと内心疑念を抱いてるような戦闘で、佐竹信用ならず
のまま相手の内地に戦闘しに行く軍が士気が高いと思えず
なにより家康は大規模な混成軍を指揮した経験がないのです。
諸大名連合を指揮したのは関が原が最初であり、軍資金不足、中仙道と東海道の
連動のまずさといった失敗もやっております。
 >>59は徳川以上に上杉が勝算と見たからこそ征伐に突入したという点を
見落としているかあえて無視されているようですね。
 そういった点を考慮しても私は緒戦上杉有利で
緒戦の状況次第で長期化は免れず、その時点で家康の指導力は低下していたと
愚考しております。

 それと関が原と違い天下の軍を全部動員して得られるのは会津だけです。
乱発する空手形の担保自体もないのですよ?
徳川が辛勝しても
上杉が潰れた後の会津がどのような状況になるか・・
そうたやすく治まるとも思えないです。

>>手形を実行したとしても、後で取り返している例が多い。
>>そして、その際、合戦は一度も起こっていない。
それは全て関が原以降の話です。全国の大改編を実行して以降
行なっている事例であり、関が原の起きない会津征伐だけを前提とした
貴殿の筋書きではありえません。
他に徳川に単独あるいは連合で対抗しうる勢力が並存しているのですから
 家康は家の存亡を賭けて向ってくる有力大名を数回に渡って
大動員して征伐する必要性を強いられるでしょう。
関が原で一気に決着がつけられ誰の目にも徳川の天下と映って以降の
改易処分と同列に語られてもww
 逆に申せば
>>そして、その際、合戦は一度も起こっていない。
となるのなら関が原で西軍が勝っていたら戦国に逆戻りなどという
意見が出るわけもありません。
徳川ならば起こさなかったというのなら、むしろその根拠を窺いたいです。
あくまで関が原の起きない五大老筆頭で他の大老奉行や豊臣家健在の
状況でですよ。



62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 23:51:27 ID:FAjIta2c
小早川秀秋を西軍の大将に、結城秀康を将軍に迎え入れる条件で味方に付ければ
よかったのにね

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 00:45:23 ID:Kw0AXqaE
宇喜多を東海に入れて、何とかなるもんかねえ?
家康の隣りなんていたら、家中がガタガタにされるよーな気もする。
明石っちの頑張り次第だろうけど、家康の掌中には旧宇喜多家臣がいるわけだし。
もちろん宇喜多は関ヶ原では頑張ったけど、家康にはまだまだ不気味なほどの時間がある。

>>60
教育指導の一環としてのディベートじゃないんだし、議論が纏まってってると思えばいーんじゃないのん?
相手がどー捉えるか次第でもあるけどさー。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 04:31:42 ID:nGLDltkk
>>60殿への反論
>不可解な行動、反徳川行動を取るだろうと示唆している
 私には、伊達の行動が、家康の目的・思想と東北安定後も、合致しつづけるとは思えない。

>ちなみにこの件に関してはID:6LgNpXIL氏と私とで史実に基づいて反論してるが、
 政宗の小田原遅参、東北の一揆の煽動、関ケ原での自己利益追及、家康の100万石のお墨付きが空手形になったこと、
 全部史実をもとに考察しているつもりですが、あなたには、天下をほぼ、もしくは完全に手中にしていた秀吉に対して起こした行動を、
 天下統一途上での家康には起こさないと言える根拠があるのでしょうか?

>あなたの再反論は“こうするのでは?”という願望的観測によるもので論理性がない
  こちらは、IFの上杉討伐、関が原の合戦が無かった場合を想像している以上、>こうするのでは>という、表現にならざるを得ないのは、当たり前ではないのでしょうか?
>何故利用価値のある伊達を大幅に減封するのか
  豊臣政権揺さ振る期間、徳川の天下統一までは利用価値があり、それ以後、東北安定には、政宗の性格と実力(動因兵力)は邪魔である。
  どこも矛盾していないのでは?


65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 05:35:23 ID:Y9gh++59
>>64
>東北安定には、政宗の性格と実力(動因兵力)は邪魔である。

それは逆。家康は天正期から東北の押さえと安定に政宗は使える男だと
評価し、岩出山城の縄張りを始め、秀次事件の際も裏で支援してきたから。
最初から違和感があるのが「大幅転封」論だな。上杉攻略に功があったにも
かかわらず、岩出山城を取り上げられる? 北目城は伊達の軍事要衝だし、
実力で奪った刈田の白石城はすでに片倉が整備し、石川昭光が入っていた。
おそらくテコでも動くまい。
関ヶ原翌月の10月中旬には、「仙台城居城のこと」、つまりより関東に近く
なる仙台開府の許可を、家康は早々と政宗に与えている。この件だけでも「大幅
減封」と矛盾してるね。

66 : :2006/09/06(水) 10:22:41 ID:hpP6qWib
三成が早くに死んで、清正や正則が秀頼擁護にだけ徹底したとして
宇喜多秀家に、三河、遠江、駿河を与えたとして
佐竹義重が不慮の死を遂げて、佐竹義宣の方針で佐竹家が家康を牽制したとして

家康、政宗、義光VS上杉、宇喜多、佐竹、真田

このリトル関ヶ原が実現する可能性はありますかね?

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 10:42:56 ID:hyCdK8md
>>10
君が「水漏れの酷い器」だと誤解しているのは、笊ですよw

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 11:28:55 ID:AZOHNiYI
>>64
>こちらは、IFの上杉討伐、関が原の合戦が無かった場合を想像している以上、
 “こうするのでは”という、表現にならざるを得ないのは、当たり前ではないのでしょうか?
いや、そのすぐ上の文章はどうなんですか?
小田原遅参〜等と史実に基づいて考証してるでしょう。
それを>>64以前のレスでも記してほしかっただけです

>全部史実をもとに考察しているつもりですが、あなたには、天下をほぼ、
 もしくは完全に手中にしていた秀吉に対して起こした行動を、
 天下統一途上での家康には起こさないと言える根拠があるのでしょうか?
それ以前の問題です
あなたは政宗が家康にとっての問題行動を起すとして、断定的に大幅減封と書いたんですよ?
私に否定出来る根拠があるかどうかじゃなくて、あなたに肯定出来る根拠があるのかという問題です
私はそれに反論すればいいだけの話なので

で、ここから反論させてもらうわけなんですが、
まず家康の空手形乱発の件をどのように言いたいのかがいまいち解りません
政宗が手形を信用せず奥州切り取りに動くと言いたいのであれば、それは別次元の問題です
空手形だと悟ったからといって、家康に敵対行動するとまでは言えませんよ

更に、小田原遅参は当時の情勢がまだ上手く把握出来なかった、若しくは把握したくなかったもので、
これは天下が定まってからの謀略とは色合いが異なるということです
時期が遅れすぎたのも、毒殺未遂事件が起きたことが一因です


69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 11:32:18 ID:AZOHNiYI
次に、一揆扇動とは大崎葛西一揆でしょうか、和賀一揆でしょうか
それとも二つともですか?
まず一揆を起すことが天下への野心だと考えているのであれば、それは違うでしょう
政宗の読みとしては、
“新領主が上手く領地を治められなければ、秀吉が自分に統治を託すかもしれない”
“一揆の鎮圧に尽力すれば、恩賞としてその一部でも拝領できるかもしれない”
というものだったでしょう

和賀一揆の件に関しては>>59の通り
むしろ占有の既成事実を作り、家康政権下で正当性を認めさせようとしたものであると私は考える

つまり、これらの行動は豊徳両 政権下での 領土拡大を期したものであり、
ここから発展して天下を窺っていたのだとまで考えるのは間違っているでしょう

関ヶ原の自己利益追求とは何のことか解りませんが、
上記を参考にして頂ければ答えは出ると思います

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 11:33:27 ID:AZOHNiYI
失礼、>>59ではなく>>51でした

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 11:35:58 ID:AZOHNiYI
>豊臣政権揺さ振る期間、徳川の天下統一までは利用価値があり、
 それ以後、東北安定には、政宗の性格と実力(動因兵力)は邪魔である。
  どこも矛盾していないのでは?

そういう考えであれば自己矛盾しているという言葉は訂正しておきます
ですが、>>65氏の言う通り、それは逆です
豊臣政権下においてなぜ毛利家はあれほどの力を持つことを認められていたんでしょうか
それと同じことです。政権樹立の後方には強大な後ろ盾が必要なんです
実力のある武将が家康に従う姿勢が必要ということです
そしてその後ろ盾が徳川政権下では伊達家になるわけで(付近で一番強大な親徳川)
だからこそ史実において家康は政宗の懐柔に腐心し、政宗もそれに応えたということでしょう
家康は政宗を敵に回す方が東北安定には邪魔と考えたことが歴史的事実です
(これは和賀一揆を理由に減封に処さなかったことを見ても明らかです)

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 20:35:27 ID:nGLDltkk
まずは、>>68,>>69,>>70>>71殿をはじめ、多くの方々に、私の説明不足、文章力の欠如、浅学非才さのために、誤解を与え、不快な思いをさせたことを、深く反省し、あらためてお詫び申し上げます。
順を追って、説明を追加し、重ねてご意見を申し上げます。
最初に>>68での>史実に基づいて考証してるでしょう。それを>>64以前のレスでも記してほしかっただけです。についてですが・・・
例えば、私の意見に対する、反論に対しての反論の場合、元になる私の意見では、史実をもとに私なりに考証したものを書いていると思うのですが、私の説明がいたらないのか、文章力のせいか伝わらなかったのかもしれません。
また、>断定的に大幅減封と書いたんですよ?に関しては、
>>41では、関ケ原の合戦がなかった場合(以下、架空世界と記します)の家康の天下取りプランを時系列的に箇条書きしたので、断定的な印象を与えてしまったと思われます。いわば、年月日の抜けた年表のような物を書こうと思い、あのような形になってしまいました。
ですからE豊臣秀頼、一子も残さず死去。(毒殺説あり) のような、もっと、物議をかもすようなことも(断定的に)書いてしまったのです。
>空手形だと悟ったからといって、家康に敵対行動するとまでは言えませんよ
私は、前にも述べましたが、伊達政宗が、あからさまに徳川に敵対するとは、一度も言っていませんが?





73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 20:48:43 ID:nGLDltkk
>>72の続き
>>69の>まず一揆を起すことが天下への野心だと考えているのであれば、それは違うでしょう・・ですが、
私はすでに>>59で、政宗の天下取りは、否定していますが。
>つまり、これらの行動は豊徳両 政権下での 領土拡大を期したものであり、
ここから発展して天下を窺っていたのだとまで考えるのは間違っているでしょう ・・・
政権下での領土拡大=野心が、絶対的安定社会を目指した徳川政権の下では、危険思想ではないのか?と、申し上げているのですが。
>自己利益追求とは何のことか解りませんが
 自己利益追求=領土拡大であります。



74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 21:28:28 ID:nGLDltkk
>>73の続き
>>71での>豊臣政権下においてなぜ毛利家はあれほどの力を持つことを認められていたんでしょうか>からの一文、大変、感銘を受けました。
>>65殿の>関ヶ原翌月の10月中旬には、「仙台城居城のこと」、つまりより関東に近く
なる仙台開府の許可を、家康は早々と政宗に与えている。>ことと、
併せて考えてみると、私の政宗野心説は消し飛びます。
これが事実(嘘だと、言っているのではありませんぞ。念のため)なら、徳川政権安定に最も貢献した外様大名とも言えます。
なぜなら、「関ケ原の翌月」というごく早い時期に、居城の移転(恐らくは、当然何らかの改修も含まれるのでは・・・ )ということが、
徳川に届け出→許可という手順が踏まれていたのであれば、これが後に多くの大名が改易御家断絶処分となる幕法の前例になった可能性が高い。

また、徳川の後背地に強力な親徳川勢力の存在が、政権の安定には重要というご意見にも、目を開かされました。そう言う見方もあるのか・・・と、

実は、私の政宗野心説に対する反論の多くが、徳川の天下取り以前の史実を元にしておられ、正直、それはでは、あまり参考にならないのではと考えておりました。
なぜなら、関ケ原以前と以後とでは、家康に心理的な大きな変化があったと考えているからです。
若い頃は、織田家との関係で、律義者と評され、壮年期、天下を意識した頃からは、周囲の歓心を買うために、長者の風格と呼ばれた家康が、関ケ原以降には、冷酷な組織人に変わりました。
派閥拡大の為に愛想を振り撒いていた家康とそれに接していた政宗の言動を基に反論されても、納得し難かったのですが。
今回、家康天下取り後の政宗の行動の例証、家康・政宗の関係のご解説を頂き、これは架空世界でも十分有り得る事実だと感じました。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 22:23:43 ID:jcivqFLg
>>73-74
貴殿の言い分はわかりました。
が政宗が>>45のような行動を家康にとる以上勝算はあるのでしょうか?
あの政宗が秀吉の小田原征伐・奥羽仕置時、での不可解な行動を遂行できたの
はあくまでも負けても伊達家は潰れないという保証があってのこと。
 @秀吉にとって最大のライバルである家康が存在している。
家康は地政学的に伊達との連携を必要としており
そして家康も後背の奥羽に秀吉の息のかかった蒲生がいることを喜ばしく
考えていない、という点で利害は一致するわけで
家康が政宗を救うであろうことは計算に入っていた。
 Aそして秀吉にとって奥羽は目的ではなく主攻目的は大明征伐にあり
そのような時期に伊達を潰そうとして再度の混乱を起こすことを
望んでいなかった。
 Bまた政宗の狙いは秀吉への挑戦ではなく豊臣の天下での奥羽鎮撫の役目
を蒲生から奪取してしまうことが目的で天下まで望んでいたわけでもない。
 
 かよなわけで伊達は最悪でも伊達潰しはないという計算のもの
起こした行為であったと推測できます。


76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 22:28:47 ID:jcivqFLg
>>今回、家康天下取り後の政宗の行動の例証、家康・政宗の関係のご解説を頂き、これは架空世界でも十分有り得る事実だと感じました。
 その場合伊達はどのような計算で会津征伐での不穏な動きをとるのでしょう?
戦後徳川との関係が気まずくなるなど百も承知でしょうに?
政宗が二股膏薬ながら狡猾であったわけで、計算もなにもなく家康の足を引っ張る行為
をとるわけはないと思います。それだけの成算があるのでしょうね?
 それを説明していただけなければ、貴殿の意見は矛盾していると思えます。


77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 22:36:13 ID:jcivqFLg
>>関ケ原以前と以後とでは、家康に心理的な大きな変化があったと考えているからです。
>>天下を意識した頃からは、周囲の歓心を買うために、長者の風格と呼ばれた家康が、関ケ原以降には、冷酷な組織人に変わりました。
あのー貴殿の>>41の計画では関が原はないわけですよね?

史実の関が原は体制破壊・革命に等しい変革であり
貴殿の意見である>>41は体制内改革・構造改革なわけです。
 上記の後家康が豹変するのは当たり前です。
家康は革命で圧倒的な徳川天下の主催となったのだから当然でしょう。
変わらないほうがおかしい。

貴殿の構想だと後述のパターンであり、この場合家康は豊臣の家老の立場を
変えられないわけです。
上記のパターンですら豊臣の家老の立場を克服するのに長い年月を必要としたのに
後述の場合もっと時間はかかるでしょう。
貴殿は>>41という斬新な意見を述べながら、家康の心理状況は関が原と大差ない
変化を見せると決めてかかっておいでのようです。
 史実と違う状況である限り家康の心理も当然違った変化を見せて当然であり
史実のような豹変をいきなりするとは考えがたいのですが?

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 22:43:57 ID:hZOQqFgd
IF 秀長が存命であったら。

@前田利家以下、秀長体制を築く案を出す。
A子飼の清正・正則以下、長浜清洲出身武将は賛同。
B外様の島津・長宗我部等、九州四国も秀長派なので賛同。
C近畿も秀長の統治地大和を中心に完全に手中。中国地方は縁故の
小早川・宇喜多がいるので安心。
D家康は秀長の力を恐れて、秀頼支持へ。北の伊達と接近。
Eここで秀長を中心とした豊臣方と、家康・伊達・秀頼を中心とした
徳方と激突。
F豊臣方は、佐竹・上杉を中心に伊達阻止網を、秀頼は幽閉措置を取る。
G孤立した家康に、秀長は秀忠を豊臣の養子にする条件で許すと提示。
H孤立無援、伊達は動けず秀頼も使えないと知った家康は条件を飲む。
I伊達は所領没収、秀頼は島流し。
J秀長は、戦国の世を終わらせ、天皇に政権を返すのであった。農民出身
の秀長ならでわの案であった。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 22:57:05 ID:jcivqFLg
失礼しました(汗
>>76
>>今回、家康天下取り後の政宗の行動の例証、家康・政宗の関係のご解説を頂き、これは架空世界でも十分有り得る事実だと感じました。
ではなかったです。それに必要なかったなww

 おと肝心な点をば
貴殿は肝心な点を見落としてますよ
>>41でのBとCは各固撃破は無理です。
まず宇喜多を標的にすれば毛利の危機感を煽るのは必定です。
当然ながら貴殿は宇喜多秀家と吉川広家が兄弟の関係である事も
宇喜多秀家が息子に輝元の娘を貰い関が原前から接近していた事実も
ご存知しょうから
関が原なければますます宇喜多と毛利の関係が密になったことなど推測のうちでしょう。
 まず宇喜多側が毛利に共闘を求めてくるのは必定
そして関が原でのような毛利の足並みが乱れも期待できないことも
お考えですか?
前田恫喝、上杉征伐の後に宇喜多征伐となれば・・次はお前だと主張している
も同然ではないですか?
 この状況で家康と不戦なんぞと毛利が足並みを乱すとは到底考えられないのですが。
そして宇喜多を敵とすることは高台院も敵にするわけで(関が原は宇喜多が先にけんかを売っただけで)
この場合宇喜多を徳川が理由なくして攻めるわけで
高台院を代表とする豊臣サイドがさすがに黙視するとも思えません。


80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 23:03:03 ID:1tHpalnh
>>78
> I伊達は所領没収、秀頼は島流し。

甘い。伊達を所領没収くらいで許していては将来の禍根となる。
政宗は斬首、家臣どもは皆殺しにする必要がある。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 23:03:28 ID:AZOHNiYI
>>72-75
>私は、前にも述べましたが、伊達政宗が、あからさまに徳川に敵対するとは、一度も言っていませんが?

>>45で「反徳川行動を取ったと考えられます」と書いてあるのですが・・・
まぁ、そういう行動は取らないという認識であるというなら、この部分に関してこれ以上言うこともないです

>政権下での領土拡大=野心が、絶対的安定社会を目指した徳川政権の下では、
 危険思想ではないのか?と、申し上げているのですが。

えっと、残念ながら言いたいことを>>76氏に先に言われてしまいました
多少補足しておくと、
政宗も彼なりの大義名分がなければ、行動に移さないということです
大崎葛西一揆では新領主木村親子の失政から民を解放するというものがそれで、
和賀一揆では秀吉に取り潰された和賀家の再興というものが大義名分でした

もちろん建前上でのことですが、それがなければ行動に移せないですし、
移してしまっては本当に減封、最悪改易ということになったでしょう
第三者の視点から見ると愚かでしかない行為も、当事者から見れば意味が解るのです

つまり私は、あなたが「政宗は反体制行動を起す」と言った時に、
政宗が何を大義名分としてどのような行動を起すと想像、仮定するのか、
そこまで聞かなければ納得出来ないわけなのです
やや解りづらい文章かもしれませんが、言いたいことはこんな感じです

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 23:04:51 ID:hZOQqFgd
>>78
他の点はどう見ますか?

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 23:24:48 ID:jcivqFLg
まず>>1
の趣旨に沿った意見を述べとく。
家康封じ込めが破綻した理由は
@秀吉の構築した包囲網が要となる人材の死でほころんでしまった。
蒲生氏郷、豊臣秀長、前田利家
A包囲して封じ込めてる仮想敵国のトップを包囲する側の指揮系統の
トップに据えてしまっている。本末転倒

この2点に要約できるわけで
できることといえば家康に対する対抗軸を立てておく。
この場合まず利家は死ぬと仮定した上で、前田を豊臣に密着させる
手段を探す。
 史実では前田利家を秀頼後見としたのですが、このさい大阪城の
豊臣親衛隊を前田利政指揮下におく。
利長を秀頼後見とし秀頼を利長の猶子とするくらいの措置をとるべきでしょう。

加えて家康への天下政務の代行という措置を訂正して
家康の発言権を東国に限定し西国は毛利の預かりとする。
そして宇喜多をして毛利への協力と牽制をとり西国に家康の威令を届かないようにする。

東国に関しては上杉が孤立しているに等しいのですが
このへんをどうするか・・

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 23:53:03 ID:UhI7FmFc
秀次失脚が影響したのでしょう。
東国の大名は豊臣政権への参加が遅れたので、秀次と誼を通じて安泰を図る。
ところが秀次が処刑され、連座して多数の大名が取り潰し。
当然次の後ろ盾を欲したわけで、徳川家に頼るのは妥当なところ。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 02:05:15 ID:PeuFOPgi
利家が家康より後まで生きていたら何とかなりそう、と言ってみる。
無理か。

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 04:09:56 ID:sJ4PCs9n
利家が死んだ時点で家康が同世代の中では一番優秀で、経験がある。

対抗馬に秀吉に恩を受けていて、石高が徳川並み。人望もある。年齢がある程度いっている。
こんな人物がいればよかったんじゃない?

ちょうど冷戦期のソ連とアメリカみたいに均衡はとれるんじゃない?

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 04:16:35 ID:mBFc2dux
>>83
 >東国に関しては上杉が孤立しているに等しいのですが
 >このへんをどうするか・・

東国はそのまま放置しとけばいいんじゃないの?
仮定条件の
1)前田が大坂城抑えて他の五大老に優越して地位にあって、
2)西国が毛利に抑えられてる、で既に詰んでる。
この状態では戦をしても徳川は絶対勝目がないから、身動きできないでしょう。
上杉ひとつがあの位置に存在するだけで、十分、関東への抑制になる。

ただ、その仮定条件自体を実現するのが、難易度が高すぎるというか…。
太閤自身が、生前にそう取り決めて命じない限り無理でしょう。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 07:18:00 ID:9mBdc7iE
>>87
>上杉ひとつがあの位置に存在するだけで、十分、関東への抑制になる。

 上杉は孤立したままだと、伊達、最上との対応だけで相当四苦八苦して消耗することになる。
 会津は統治して日が浅かったため、領民はほとんど伊達に呼応しており、伊達が侵攻の動きを
 みせると、数千人単位で伊達に内応し、協力者が続出していた。>関ヶ原当時
 奥州の押さえとしても、不安定要因としてくすぶりつづけるよ。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 10:12:31 ID:d6oeDFr2
>>83
上杉があってもなくても、東海が豊臣恩顧に占められてて、
家康が関東から出られなきゃ、それでいいんじゃね?
大坂城を前田が掌握して、毛利・宇喜多で中国を押さえてれば、
畿内に隣接する地域は豊臣方なんだから、天下の情勢は動かないんでは。
そのまま家康は関東に封じ込めてしまえばいいっていうか…
だめ?

90 : :2006/09/07(木) 10:13:51 ID:vY8bUPd5
五大老って、
徳川家康、前田利家、毛利輝元、小早川隆景、宇喜多秀家
で、小早川隆景が死んで上杉景勝になったんだよな



91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 18:47:32 ID:3F2LIgxR
豊臣政権が続いていたとしても日本が良くなっていたとは全然思えないからねえ
秀吉一人の願いを叶えるために日本全体を犠牲にするのは馬鹿げている

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 19:24:40 ID:RZW5nU1D
家康一人の願い叶える為に大戦するのはもっと馬鹿げてるだろ
基本的な政治形態は変わらないんだから飾り物のトップなんて誰でも構わないんだよ
上手く補佐すれば済む事だ

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 19:31:00 ID:03uOnj5O
そもそも善悪の判断をするスレじゃないし。
秀吉が極悪人だろうが、家康が人非人だろうがどうでもいい事。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 19:34:35 ID:RZW5nU1D
うむ、その通りだ

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 19:54:49 ID:3F2LIgxR
>>93
もちろん秀吉、家康個人の倫理性は問題でない
豊臣政権ではその後250年の天下泰平はありえないということ
もっともこのスレは、豊臣政権を存続させること以外はどうでもいいらしいが

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 20:00:18 ID:a0KNqx6z
お前はスレタイを見たのか?

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 03:32:22 ID:rHnzgYEp
佐竹は駿遠辺り、上杉を甲斐、信濃に転封、東北は伊達を加増して周辺をまとめさせる
伊達は力を持てば必ず徳川と対立するし、上杉とも手を組むはず
後は尾張辺りに三成、畿内周辺に武断派を揃える

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 04:22:42 ID:wk5DKZNv
結局武断派と吏僚派の間がグダグダのうちは何やっても無駄だろ

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 04:27:25 ID:/srx/f3V
>>75への反論
>政宗が>>45のような行動を家康にとる以上勝算はあるのでしょうか?
まず、上杉征伐時に考えられる行動は、遅延行動、つまり形だけの出陣をして、サボタージュすることは、可能性は低いながらもあるのでは?
史実での長谷堂城の戦い時のような行動であります。
この場合は、上杉はまだ降伏していない。結果がどう転ぶかは、わからない状態であり、私の言う政宗の目的<東北の混乱の長期化=自己利益の追求がしやすい>を演出したものであります。
次に、上杉征伐(上杉滅亡)後では、旧上杉家臣への一揆の煽動、支援であります。私には、こちらの方が、より可能性が高いと思われます。
この場合、家康には、宇喜多、毛利という障害がまだ残っている状態であります。政宗が、家康は奥羽にまで手が回らないと考えるには十分な材料かと思うですが?


100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 06:42:32 ID:6OXipStE
>>99
>上杉征伐時に考えられる行動は、遅延行動、つまり形だけの出陣をして、
 サボタージュすることは、可能性は低いながらもあるのでは?

その可能性はないと思うよ。実際の史実でも、9月25〜29日に、伊達勢は本格的な
上杉攻め開始していた。政宗は、結城秀康に、上杉景勝との直接武力対決にでる旨の
書状を発している(「伊達勢、仙道筋へ御打出しのこと」)景勝は、背面を秀康軍、前面
に政宗直属の本隊を迎えて戦わなければならない戦況にあった。伊達勢の士気は高く、かさに
かかって攻めようとしていた。
家康不在中でもこの状況だったゆえ、家康が反転していなければ一気に上杉領へなだれこんで
いったことだけは間違いない。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 07:34:51 ID:cNjEMmf2
あるのでは?思いますが?

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 07:57:37 ID:r4J2aLKs
家康が参戦した場合、軍事要衝の白石城を手に入れた政宗の次の狙いは、梁川城だろう。
徳川が白河口で上杉と決戦している間、旧領をどんどん蚕食し、既成事実化していく。
「反物」とは違い、政宗にとって、これほど好都合な機会はない。


103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 09:19:22 ID:4WehpGwM
家康が反転しなかったら、家康を押さえに使って上杉領切り取るだけだと思うが
伊達が史実で消極的な態度になったのは、上杉とほぼ単独で当たらざるを得ない状況だったからだろ
家康が居て勝ちの目しか出ない時にそんな態度取るわけがない

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 13:31:30 ID:EPiRz5wG
ヒマ人が多杉

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 13:54:32 ID:VzaoIej2
そそ。伊達は家康無しでは、ガチで上杉とはやらんだろう。政宗は置玉地方
が欲しいだけ。先祖の墓あるしね。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 14:01:33 ID:DXggD4p3
 そうだな。何が哀しくて天下の軍で包囲している
しかも切り取り勝手のお墨付きも出ている獲物を前にして
他所の土地にちょっかいかけるという無意味なまねをして
注意を分散させる必要があるのか?
>>99
は少々支離滅裂というか強引に曲解してるようにしかみえねー

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 14:16:22 ID:DXggD4p3
まあ会津征伐の後政宗が野心を逞しくするとして徳川と直接敵対するような
愚を冒すとも思えない。
忠輝という手駒があるのにそれをもって徳川の家督相続に揺さぶりをかける
ほうがまだありえそうじゃねーの?
宇喜多と毛利の征伐が各固撃破できるというのも
あまりにご都合主義的だしさ。普通に考えて宇喜多までやられたら
次は自分だという危機感が毛利家中に出るのは必然でしょうに。

 それと豊臣政権の枠組み健在ならば
秀頼暗殺以前に家康暗殺という事件がおきる可能性もあると思うのだがな。


108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 14:58:47 ID:lVJ6xNBm
毛利・宇喜多を征伐するっていっても、その遠征にどれだけ時間と手間が
かかると思ってるんだ。

織田の毛利攻めは開始してから5年かけて、なんとか備中高松に
到達してるわけで。しかも宇喜多が協力して無血で道を開けた結果だし。
織田家が畿内を抑えて、近距離から兵站や兵力の補充が可能な状態でこれ。

西国の九州・四国の諸大名はほとんど西軍だし、中国に隣接する北九州は
毛利の影響力強い地域だから、家康の中国攻めに協力するだろうか。
東海・畿内の大名次第だけど、近畿は関ヶ原の時はほとんど西軍支持だったし、
東海の豊臣恩顧の諸大名が、毛利・宇喜多攻めに協力するかどうかなんて
全く保証がない。
というか上杉征伐で徳川自体も損耗したあとに、立て続けに西国遠征ができるわけない。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 15:02:22 ID:ymS7wmmv
浅野と石田を国替え

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 16:19:49 ID:xYQSFyni
伊達と宇喜多を国替え

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 17:34:24 ID:Ki+boWoV
>>108
はぁ?
高齢な家康がそんな馬鹿な行軍すると本気で思ってんのか?
狸親父の所以を舐めてはいけない。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 20:13:34 ID:4WehpGwM
>>110
それはまずいな
安定してる後背にわざわざ火種になるようなやつを入れてはいかんよ

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 20:18:47 ID:/srx/f3V
>>77殿への反論
>関ケ原以前と以後とでは、家康に心理的な大きな変化があったと考えているからです。
>天下を意識した頃からは、周囲の歓心を買うために、長者の風格と呼ばれた家康が、関ケ原以降には、冷酷な組織人に変わりました。
あのー貴殿の>>41の計画では関が原はないわけですよね?
>史実のような豹変をいきなりするとは考えがたいのですが?

貴殿は、徳川家康の心理状態というよりも言動が「豹変をいきなり」したと考えられているようですが、
私は>>39でも申し上げているように、秀吉の死後、徐々にでは有るが大きく変わっていると思っています。
秀吉の死後、太閤の遺命で禁じられている、大名間の縁組を企図した家康は、利家をはじめとする四大老の反対で挫折します。
つまり、ここまでは五大老の合議制も、太閤の遺命も守られていたわけですが、その利家が死に、三成が失脚するとたちまち、家康の独裁色が強まり、太閤の遺命も破られ始めます。
私は、秀吉の生前までの家康を例えると、「羊の皮を被った狼」、関ケ原以後は「羊の皮をかなぐり捨てた狼」、そしてその間の時期は「羊の皮を被っていることを隠そうとしなかった狼」だと見ています。





114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 20:56:32 ID:/srx/f3V
>>79への反論
家康が宇喜多を攻めた場合、毛利が一枚岩となって宇喜多を支援するとのお考えでありますが、そうなってくれるのであれば、秀頼もさぞ安心でしょうね。
家康なら吉川あたりに、毛利を攻めない云々の誓紙なりを出して、毛利家中分裂を図りそうなんですが?
毛利は、信長の荒木攻め、本願寺攻めが終われば、次は毛利ぐらい百も承知だったはずなのに、本格攻勢(三道併進)をかけなかった前歴があり、関ケ原の後も、立花宗茂らの大阪篭城を断っています。この時も、何らかの処分が家康から下されるのは解りきっていたはずであります。

大義名分云々に関しても、家康とその謀臣は幾らでも思いつくはず。上杉討伐が首尾良く行けば、これに参加しなかったというだけでも、いいのでは?
なぜなら、「秀頼様に上洛して挨拶もせず、奥州で叛乱準備をしている上杉を討つ」というのが、上杉征伐の大義名分なのですから、口実は幾らでも見つかるでしょう。

吉川と宇喜多が兄弟というのも、この時代どれだけの意味がある事なのでしょうか?
義兄弟間の戦いは掃いて捨てるほど有りますし、関ケ原以前から、宇喜多が毛利に接近している云々にしても、家康に対抗するには、毛利の力が必要なのは、西軍の共通認識であり、宇喜多だけが毛利に接近していたわけではない。
それどころか、関ケ原以前には、毛利の方から、家康に「兄とも父とも思う」と誓紙を出している。




115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 21:13:39 ID:/srx/f3V
>>114の続き
 しかも、この間、貴殿の認識どおりであれば、伊達は親家康の立場を貫いてくれるんですから。
>>79での高台院の問題でありますが、その間、家康は史実での大阪の陣のように、加藤福島らには別の任務を与える事も可能ですし、
それこそ秀頼様の旗印を使うという手段も家康は持っています。
まあ、その前に加藤福島が時を同じくして、一箇所で決起というのは考えにくい。熊本城と清洲城で篭城が関の山でしょう。
そうでなければ、宇喜多に味方している間に、本拠はがら空きなんですから。


116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 21:24:07 ID:ILU7Nr8p
とりあえず家康を殺せばよいと思う

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:04:47 ID:/srx/f3V
>>83へのご質問
私は、短文読んだだけで、決め付けてかかりたくないので、反論に入る前に、いくつかご質問させていただきます。
@に関しては、まさしくその通りであります。もう一人、小早川隆景を入れても良いのでは?
 隆景が生きていれば、毛利の最長老として、家中を一つにまとめ、家康に対抗してくれたはずですから。
 これを期待して、秀吉も、隆景に大老の席を与えたのだと思います。
Aに関しては、????
 豊臣政権下での、徳川の「肩書き」と言いますか、「立場」はすでに特別な地位を占めていました。
 秀吉の妹婿、母親をも人質に出さないと上洛してこなかった。
 当時、かなりの大名の主君であった信長とも、同盟者。
 秀吉にも負けなかった戦歴
 関八州250万石の巨封は、豊臣家自体よりも大きく、豊臣家のそれが全国の蔵入り地散在しているのに比べ、一箇所にまとまっている。
 これらを貴殿は踏まえた上でのAなのでしょうか?
 私には、上記全てを踏まえて、秀吉は、特別待遇で家康を政権に招き入れたというのが事実では?と考えております。
 それを、毛利と同列に扱うのは不自然では?
 
 利政の親衛隊の件ですが、豊臣家には黄幌衆という直属の旗本がありますが、親衛隊はこれとは別個の組織ですか?
 それとも、別の組織を作るのですか?その際は、前田家の旗本?豊臣家?新たに雇用? 
 
 利長の猶子ですが、主家の子をそうすると言うのは、聞いたことが無いのですが?前例は?
 淀君あたりがかなり反対しそうですね?秀吉も?三成も?

 以上のご質問、お答え下さい。

 私はあなたが、秀吉の家臣、三成の同僚であったなら、このように提案し、必ず説得できると言う現実的な意見をレスされていると信じております。


118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:09:58 ID:DXggD4p3
>>114
一枚岩となって支援というよりも家康サイドが即座に宇喜多征伐にまい進する
わけがない。
というか必要性が皆無だという事実も承知なさっていないようなので。
貴殿のご意見ですよ豊臣政権五大老筆頭という枠内で政権奪取に動く
とかいう>>41のご意見は?
 少なくとも上杉征伐の直後にどのような名文で?
>>、「秀頼様に上洛して挨拶もせず、奥州で叛乱準備をしている上杉を討つ」
>>というのが、上杉征伐の大義名分なのですから、口実は幾らでも見つかるでしょう。
現実に上杉は領土内での戦時へ備えた整備を進めていましたが?
上洛して説明するという手段を当初から放棄していた同然ですが?

それに宇喜多の場合、私なら征伐するよりもまず、お家騒動の余燼を煽って揺さぶるという手法をとりますが?
宇喜多責めなんぞすればせっかく亀裂させた火種を収拾させるような愚策でしかないと思うのですが?
まず先に背後で亀裂を煽っていくのが常道。

 追記すれば私の場合毛利征伐すら必要ないというでしょうね。
貴殿は毛利家のお家騒動すらご存知ないようですね。
しってたら毛利征伐するなんぞという発想が生じるはずも・・
私なら毛利家内の分裂を煽って秀元の独立大名化を煽り
毛利家解体への揺さぶりを緩やかに進めていくほうを
先に着手すると思うのですがね?

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:20:12 ID:HSY9EAQH
>>109
浅野は近江なら応じたかも
で三成が甲斐に入る肝があるやなしや

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:26:23 ID:DXggD4p3
それと私めが83なのでお答えします。
まず@ですが小早川隆景が常道です。少なくとも利家よりも
安全な人選でしょう。ですが残念ながら彼の場合
死去したという点、そして世継ぎとして押し込んだ秀秋が
その重責を担うには若すぎるという不安があります。
朝鮮出兵での失態で問題にもなっており、人柄的に家康への対抗軸足りうるか不安もあり
彼が積極的に動くは未知数であります。
彼が家門である点を考慮すれば本来彼にこそさせるべきなんでしょうけど。

 現実にいえば前田利家を秀頼の守り役とした延長線上に
利長および利政による大阪城指揮権の掌握を遂行していく余地はあったと
思われます。前田と徳川の均衡で天下の運営をバランスしていくのは
秀吉周辺の基本方針であったと思われます。
>>利長の猶子
正確に言えば烏帽子親が望ましいんでしょうけど、それか淀殿を再嫁させるか
利家の守り役の役目を継承させれれば一番いいんでしょうが
利家死去の不安(少なくとも秀吉の没時には病身であったといわれる点からも)と
その際の混乱を考慮すると、多少強引でも利家生前時に利長の猶子という
多少強引な手を用いて
豊臣家と前田家を融合させてしまうしか、前田と徳川の均衡で天下の運営をバランス
するという方針は保てないと思います。
徳川を潰すのが無理である以上、この手段は必要と思うのです。

秀吉死後の大阪城には豊臣家の方針や意思というものがなく、家康に家老として
専権的に壟断されております。
からなおさらだと思います。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:27:32 ID:wk5DKZNv
なんかこのスレ、一部の連中のチャットになってね?

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:33:25 ID:DXggD4p3
>>利政の親衛隊の件ですが、豊臣家には黄幌衆という直属の旗本がありますが、
>>親衛隊はこれとは別個の組織ですか?
基本的にいえば黄幌衆なのですがやはり別個の豊臣家の直属軍というものも考慮しておくべきと思います。
大阪城近辺に常駐させる旗本を拡充して、その旗本の存在で豊臣家の意思がいずれにあるか
戦場に一目瞭然となるような存在が。
黄幌衆だけですと容易に大阪城から動かしたりも出来ませんし、関が原のように秀頼出陣をどうこう
いう意見もありますが私は年齢的見地と豊臣家を担うのは彼一人しかいない点から
無理と考えております。
別個に戦場に秀頼総代として派遣できる旗印を備えた軍を置き
それを前田の指揮下におくことで徳川の圧倒的な存在感への
牽制になるのではと期待しているのです。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:34:26 ID:HSY9EAQH
三成が佐和山を中村式部に譲って駿府に入っても面白かったかも

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:47:47 ID:DXggD4p3
>>121
そのとおりですね(藁
>>117
Aですが
豊臣政権の成立時の性格からして
西の毛利&小早川と東の徳川は恭順の正確からして別格の立場にあります。
 特に小早川隆景生前には主に西のことは小早川隆景(と毛利輝元)
東のことは徳川家康と前田利家といってよい状況であったと聞き及んでいます。
むしろ家康が西国に口出しすることのほうが後付だったと思います。

逆に貴殿の述べているようなキャリアだからこそただ単に天下政務の委託では
5大老というものが有名無実となる危険を常に孕んでおります。
どうしてもどこかで家康の権能をセーブしておく必要があるのです。
豊臣家の天下を考慮するなら家康を五大老筆頭として政権に取り込むという
手段もいいのですが、彼の口出しの及ばない範囲を設けて
それを牽制パワーとしていく必要があります。

家康に天下政務代行を任せるが、前田家に大阪城と豊臣を委ね
徳川の東国取次ぎに対し西国取次ぎは毛利をあて
徳川が直接諸侯と接触する機会を減らし西国を毛利と宇喜多による指揮権で
東国を壟断するであろう徳川への牽制とする。
これでこそ五大老の有効な牽制機能が果たしうると思うのです。
ただ上杉がね・・どうするか・・


125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 23:05:43 ID:r9YrqAZW
太閤も、秀秋をわざわざ小早川家に送り込んで両川体制を壊してしまうより
隆景の後を、予定どおり養子の毛利秀包に継がせてりゃよかったのに
秀包は太閤がえらく目をかけて可愛がったんで、毛利家内の豊臣方として、
隆景のような抑えを期待できたのにな

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 06:14:46 ID:TDWOZcQv
まさか黒田はそうなることを考えて秀秋を……いや、ありえんか

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 07:20:05 ID:Y5b0uffc
まあ、それはさすがにありえんだろうw
もともと秀吉は輝元の養子にして、毛利宗家を乗っ取らせる計画だったし。
黒田は当時、豊臣家と毛利の折衝役のポストにあったから、
秀秋が小早川を継いだときも、いろいろサポートしてるけどな。
秀秋の家老・平岡頼勝は如水の姪の婿で、黒田家の重臣の姉婿にも当たる人物だし
あと黒田家の井上周防守の弟が秀秋に仕えているしで、縁は深い。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 19:35:55 ID:z+jaIiza
>>118への反論
>>79では、各個撃破は無理(宇喜多・毛利の同盟は強固で、
特に毛利家中の足並みの乱れが期待できない=家康の宇喜多攻めは無理)だと、
はっきりと断定した貴殿が、
>>118では、宇喜多も毛利も、攻める必要も無いほど、煽れば火がつくほど、乱れているとは、なんとも不可解なレスでございますね。どちらが本当の貴殿の意見なのでしょうか?
ぜひお聞かせ下さい。貴殿は、勿論、無理なことと必要の無いことの区別は、はっきりとつけていらっしゃると思いますので・・・・
まあ、私なんぞより、はるかに歴史に精通されている貴殿であるので、私の知らない歴史事実をご存知で、その辺の辻褄を合わせてくださると信じております。

私の歴史認識では、宇喜多騒動は関ケ原の合戦前に、徳川家康の裁定によって、一応の決着がついたと認識しております。
だからこそ、大阪城下で、市街戦一歩手前まで、対立していた宇喜多家中が、関ケ原に17000の大軍を動員できたのでしょう。
しかし、このとき家康は、宇喜多有利の裁定を下したわけではありません。
宇喜多騒動で秀家と対立した首謀者宇喜多左京亮、戸川肥後守、花房志摩守、花房助兵衛の4人(それぞれ万石級の家老)を、死罪にもせず、
他家預かりと言う刑罰に処し、関が原の合戦では、旗本として参陣させ、旧領からそれぞれの旧臣を呼び寄せました。
かなりの兵力だったらしく、宇喜多の兵が3割も減ったと書いてあった本(これは誇張しすぎ、ちなみに司馬遼)も有りました。

家康が宇喜多攻めで、この四人を利用し、それぞれの旧臣に叛乱一揆を起こさせ、この四人を優遇して、宇喜多家中から寝返り裏切りが出るように仕向けるのは、宇喜多攻めがある以上、当然のことでしょう。

私には、徳川が宇喜多攻めに出れば、上杉征伐に出遅れた連中がこぞって加勢参陣すると思っています。
これを繰り返すことで、徳川与党を増やし、敵対することの恐怖を植え付けていくは、現実政治には必要なことだと思うのですが。




129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 20:20:28 ID:UfD3jmhj
横レスすまんが・・・
>>128
>貴殿は、勿論、無理なことと必要の無いことの区別は、はっきりとつけていらっしゃると思いますので・・・・
>まあ、私なんぞより、はるかに歴史に精通されている貴殿であるので、
>私の知らない歴史事実をご存知で、その辺の辻褄を合わせてくださると信じております。

この文章は必要なのか?
ただでさえ長文なのに、見方によっては煽りとも取れるような無為な文章を書くのは慎むべきでは?
あとこれは氏にだけ言うわけではないが、ここにいる人たちはもう少し要点を絞って簡潔に書いてくれ


130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 20:46:15 ID:z+jaIiza
>>128の続き
毛利のお家騒動云々ですが、輝元の嫡子になっていた穂井田元清(元就の四男、正室の子はない)の次男秀元が、輝元に松寿丸が生まれたことによって、家禄相続を固辞し、別家を立てた一連の流れのことでしょうか?
吉川広家が庶出の子、秀元が毛利宗家を継ぎ、豊臣政権から優遇されていることに、複雑な妬みを持っていたことは聞き及んでいますが・・・。
貴殿のご指摘どおり、私は毛利のことは、詳しく知りません。ご教授下さればありがたいのですが。
私の認識以上に、お家騒動が、大規模なものであるのなら、さぞかし、家康自慢の謀臣・本多正信や当代最高の寝業師・黒田如水らは、さぞかし、家康の宇喜多攻め、毛利攻めに腕を振るってくれたことでしょう。

さらに貴殿は、戦に訴えるよりも、じっくりと時間をかけて、宇喜多、毛利を内部分裂させる方がより良いとお考えですが、
当時の大名たちの中で、家康が最高齢だったと言う事実も、考慮されているのでしょうか?
歴史の結果を知っている我々は、家康の寿命が関ケ原以後も、なお10年以上もある事を知っていますが、当事者の家康は知らないわけであります。
家康が持っている領地と兵力、地位と権限は秀忠に相続できても、家康個人の権威と実績は家康の死と共に、消えていくのは、当の本人が一番知っているとはずなので、自分の目の黒いうちに、宇喜多毛利の大掃除を急ぐはずでは・・・?
さらに付け加えれば、私が何番のレスで五大老の枠内で家康が天下を取ると言う自己規制をしたのでしょうか?
私の記憶では、>>15殿が、三成が暗殺され、関ケ原がなければ、豊臣家は安泰だと発言されたのに対し、
>>39で、関ケ原以前の時点で、徳川はかなりの独裁権(五大老合議制の崩壊)を持っていたことを反論し、>>41で、関ケ原がなかった場合の徳川の天下取りのプランを箇条書きで著したことから、私と貴殿の議論が始まったと認識しておるのですが?
貴殿は私が何度も「政宗に天下取りの野心はない」とお伝えしても、伝わらなかった経験がありますので、今回もその類でしょうか?

最後に、>>83への質問の追加ですが、私なんかよりも、はるかに歴史に精通している貴殿のことですから、秀吉が前田利家を加増しようとしたとき、三成が利家の「ものに激しやすい性格」と豊臣家の古参に多い尾張閥の領袖と言う立場、
家族主義的で、公平さに欠くところを危惧して、反対し、それを秀吉も納得したと言うエピソードもご存知ですよね。



131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 20:53:42 ID:2EkrHPaz
宇喜多を攻める理由無いと思うがな。上杉はまあ一応あったが。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 21:24:05 ID:wrxtMwT9
>>129
貴殿の意見に全面的に同意です。
>>128>>130
スレ違いの内容によくもそこまで・・・(汗
その如湯熱に感服します。
毛利宇喜多の征伐に関してですが予想どうりの反論やっぱきましたね・・
本来反論すべきなのですが、私も>>129同様
>貴殿は、勿論、無理なことと必要の無いことの区別は、はっきりとつけていらっしゃると思いますので・・・・
>まあ、私なんぞより、はるかに歴史に精通されている貴殿であるので、
>私の知らない歴史事実をご存知で、その辺の辻褄を合わせてくださると信じております。
この非常に知的な文章に感服受けました。ゆえにあなたが正しいです(以上
あなたのお考えに反論するつもりも毛頭なくしましたので正しいということでいいです。


133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 21:41:01 ID:wrxtMwT9
それとスレ内容に戻るようなので一言
130での三成のエピソードですよね。存じてます。金銭に細かく家臣を雇うのを
ケチっているとか言う批評すらありますね。
 ですが・・それがなにか?問題でもありまたか?
(あおりでもなんでもないです。正直それがなにか支障になるんですか?ってことで)

 私は前田利家をトップにするとは一言も申しておりません。
トップにするならその意見は問題になりますがね。
あくまで豊臣と前田を合体させて徳川の乗った天秤の反対側に
置くというだけで、それくらいでちょうどバランス取れるくらいだと思いますよ実際
 現実的に前田利家を徳川家康の対抗軸たらしめるのは
彼以外に適任がいないと判断した秀吉周辺の判断でもあったはずですが?
現実問題、家康と利家が事実上伏見と大阪で牽制しあって政局を収めていたのも
三成自身家康の対抗軸として前田利家を用いていたのも、
史実でも明白だと思うのですが?
利家が家康の同じ時期に死ぬとでも判断すれば、ともかく家康封じ込めに
利家の寿命が問題となる以上
前田家自体を持って豊臣家の後見たらしめるべきだと・・
前田利長自身、まあある程度の器量はあったようなので、なおさら問題なかったかと。

 >>豊臣家の古参に多い尾張閥
なのですが、本来そうしたものが豊臣譜代の家臣団として機能してしかるべきでは?
その領袖という点は私はプラスでしか判断できないんですが?


134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 21:42:06 ID:wrxtMwT9
確か前田家を秀次の所領に移すという案件で出た話ですね。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 21:55:52 ID:wrxtMwT9
で、すまそ。漏れは
>>1の質問に
五大老の牽制機能有効活用ということで

1)筆頭大老・徳川家康は本拠関東から切り離し伏見において天下政務の代行
2)次席大老・前田家は大阪城の管轄及び後見
3)徳川家は東国取次ぎに限定し西国取次ぎは大老・毛利家の預かりとする。
4)宇喜多家は毛利家の西国取次ぎに協力補佐し、牽制もかねて
  縁戚で結ばれた前田家とも協力する。
という活用方法はどうかとおもっており

ただ・・問題として上杉がな・・どうしたものやら
あの景勝が家康の補佐して東国取次ぎ手伝いとか想像もつかないし
会津に移って間もなく、武人肌でもあり、到底器用なことは期待できない。
徳川の背後を就く役目すら満足に出来るかどうかってことで・

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 22:32:29 ID:XgDvZX0F
このスレは…なんで、上杉の評価が低いのん?
誰かおせーて

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 22:46:02 ID:bj9OMj+5
ここでも上杉の評価は低いが、当時も上杉は他の大老よりも低く見られていたかもしれん。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 00:43:22 ID:ku9Ytuzj
おまいら詳しいなぁ。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 01:02:29 ID:PhHOAuO5
上杉景勝は、小早川隆景の死去で五大老に加わった補充要員だし、
もともと関東の押さえにと期待されていたのは、蒲生氏郷。
太閤としては、正直それほど期待はしていなかったとは思う。

期待して厚遇した前田より、さほど期待してもいなかった上杉が
健闘したあたりが面白いところ。

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 02:53:04 ID:ejV10MRc
あの…133のかた、たぶん、その人がききたかったのは、
少しぐらい加増転封も、許可しないのに、どう説得するのかでは…?
前田の権力をこれ以上アップするのに…?
これに応じなければ、豊臣滅亡なら、別になんでも、いいのんですし…?
立花宗茂、東海100万石で転封とか、どうです?

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 04:58:25 ID:CPstTWyU
とりあえず秀吉がもっと早く死んだ方が豊臣は長続きしたんじゃなかろうか


142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 06:15:58 ID:dlraZcjY
妻の実家が狙われた時にも動かなかった宇喜多が毛利を助けようとするか?

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 11:25:38 ID:nU+uRGJp
宇喜多と毛利は領国が接してるからな。
毛利までつぶしにかかったらさすがに危機感を感じるだろ。

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 22:36:25 ID:kOAHlv0W
>>140
つーか私めは>>1の問いに史実での
大阪・前田利家を守り役とした豊臣家後見
伏見・徳川家康の天下政務代行
という連立内閣方式での相互牽制を
一歩進めたやり方はどうか?といっているだけで
それほど非現実的だとは思えないんですが?

>>少しぐらい加増転封も、許可しないのに、
 逆にいえば、それならなんで史実では
関東250万石で>>117で彼が主張している
特別な肩書きを持った家康に天下政務代行にして五大老筆頭なんて措置を
とったの?と聞きたいくらいです。
あれこそ必要以上の徳川の強大化じゃないのか?と思うのです。
ゆえにこの方は>>41式でも家康の天下取りが可能だといってるくらいです。
 このへんでいえば私に矛盾だと指摘しているのと同様
>>130の問いかけも相当矛盾してますよ。
史実で家康の天下とりをを促すくらいに強大化する措置を取ってしまっている以上
秀次事件の頃の前田利家の脅威と比較にもならないくらい家康の方が脅威じゃないの?
 その家康を放置していきなり前田の問題を述べ立てるというのも・・・
この時期の前田は徳川の脅威に対するバランサー機能として有効活用できうる
存在であり、それがあったからこそ史実でも利家は家康に抗する存在として
置かれたと思うのですが?都合のいいとこだけ史実を述べてるのは
(私もそうでしょうが)>>130も相当ひどい言い分になってます。

 都合の良い言い草なんでもはや>>130には反論いたしませんが
>>140さんにお答えしました。


145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 22:44:13 ID:jB+oj+st
まぁ、家康を暗殺するのが一番手っ取りばやいよ。
でなきゃ、徳川家討伐。
それもできないんなら、ちゃんと善政してやられる隙を作らない
しかないね。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 22:59:49 ID:ejV10MRc
宇喜多さんは、毛利さんを助けそうやなぁ…。
でも、毛利さんは、宇喜多さんを助けなさそうや。
家庭の事情で…

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 01:10:31 ID:ZghUFVj5
秀頼を確保していたら秀家は何もできないような気がするんですが。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 11:35:29 ID:vhYPFUNF
あの…143のかたって、思ってたより、律儀なんやねん。見直しました。

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 11:37:50 ID:vhYPFUNF
すんません…144のかたでした。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 20:54:03 ID:BFiSw9qz
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