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【義理人情】柴田勝家【現代で酷評】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 16:56:23 ID:th/iZkhp
どうせ>>1-1000まで酷評されると予想

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 16:58:04 ID:th/iZkhp
現代では明智や羽柴が織田家トップ2と言うキチガイども多し。
まあ慣れている。
それでも好きだ。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 16:59:12 ID:th/iZkhp
戦国時代板に勝家厨は自分以外存在しないと思っている。

4 :朝倉渦中feat.パストマスターズ ◆0Uj4ASAQRA :2006/09/01(金) 17:16:39 ID:62EEDOcZ
勝家の越前支配が中断されずにそのまま確立されていれば、
相対的に鞍谷氏の地位も向上したでしょうに残念でなりません。


5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 18:27:53 ID:7DG4b2AX
>>1
コラコラ

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 18:31:38 ID:th/iZkhp
なにか

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 19:37:15 ID:7DG4b2AX
いや、開口一番が超ネガティブだとおもただけ…

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 19:57:13 ID:aiwFQE2Y

柴田が叩かれるのは佐久間を制御できなかった無能だからだろ
佐久間が戻っていれば前田たちは離反しなかったはず
柴田は大将の器にあらず
信長がいなければ何もできない男
滝川と同レベルの武将
こんな男が秀吉に勝てるわけなかった
そういえば柴田は対上杉戦でも負けてるよな
こいつが大将だと負けまくりだなw


9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 20:06:50 ID:th/iZkhp
>>7
だって・・・
>>8が・・・w

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 21:00:20 ID:3+pwKW6D
負けって>>8が言ってんのはなんら戦略上関係無い「手取川の戦い」だろ?どうせ。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 21:22:11 ID:N/Rn+OdU
お市getで勝ち組決定

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 21:31:10 ID:th/iZkhp
1大岩山攻撃の疲労で動けない盛政軍
2美濃から長距離を大急ぎで引き返してきた秀吉軍
3秀吉軍の猛追、交戦しつつ権現坂まで撤退する盛政軍
4大返し後の追撃で疲労した秀吉軍
5利家軍が・・・加われば・・・反撃g・・・・・あれww撤退www?wwwww
あれ?Wwwwwwww

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 21:40:41 ID:th/iZkhp
前田殿!はよう茂山を降り疲労している秀吉軍一緒に叩こうぜ!^^
あれ?前田殿?オーイどこへいくんだー?

勝政が死んだほど必死に反撃体制つくったのに^^

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 22:10:25 ID:8LH9HkZQ
前田以外にも金森やら多数の武将が逃亡したよね
勝家は無能な上に人望もないのかよw
佐久間には命令を無視され、甥だかも速攻で秀吉に降伏してたよなw
勝家悲惨すぎwwwwwwww
こんな奴にもヲタがいるんだから不思議だよなw

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 22:13:43 ID:th/iZkhp
小さいころ大きな傷でも負ったのかねえ。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 00:38:43 ID:sauR9TqC
実際に戦闘で負けたせいで過小評価されすぎてるよな>勝家

冷静に資料を見れば、秀吉は実際に明智を撃って信長の敵討ちをしたというのに
清洲会議以降、勝家に政治的な主導権を握られ続けている。秀吉が勝家に対して
戦争を起こしたのも、政治的に追い詰められた状況を、そうしないと打破できなかったから、
と、考えた方が自然だ。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 01:04:16 ID:SxQq8Rmu
内外共にマジに恐れられていたと思うんだがなあ。
皆なめ過ぎよー。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 01:16:22 ID:p9idLLNM
>>14
優しいからこそ逃げた。っていう風にも考えられる。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 01:29:11 ID:SxQq8Rmu
ビビる大木も良いこと言ってたな。
さきほど日テレのノリタケの番組で、(大木は幕末オタ)
「皆は竜馬は最高!幕府いやだ。というが、幕府側の本も読んだのかと」
そういう物語の小説とかは少しを中途半端に読むより、多くを読まんといかんね。
まあ読まなければ良いんだけどね。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 02:02:12 ID:IjlvMvFl
大木は吉田松陰ヲタじゃなかった?

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 02:12:57 ID:SxQq8Rmu
勝先生!とか言ってた。
まあ、いろんな人物から学ぶのが良いからねえ。
幕末という時代が好きなんだね。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 03:15:47 ID:Tprvo4tQ
信盛のスレも立ったようで。
信盛とともに勝家評も上げなくては。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 03:28:25 ID:RIT2GUkM
光栄が勝家を筋肉馬鹿にしてるのが悪い

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 03:34:41 ID:kjvW/rQ9
確かに、政治ageの統率sageしたほうがリアルなんだろうが、
それだと印象に残りそうにないな。

ところで、佐久間スレの方が既にこっちのレス数を越えてる件について

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 04:49:35 ID:XCPXxZdc
前田利家の敵前逃亡を許したと言うが本当かね?
良い人というより馬鹿といわれそう

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 06:29:06 ID:NiLEVaH6
前田は実は結構したたかで頭のいい男だ
勝家と秀吉を両天秤にかけて戦っていたのは有名な話
勝家の使者として秀吉の元に行ったときに裏切りの約束をしたが
勝家が有利なら勝家につくつもりだったというのが定説だ


27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 13:11:02 ID:Tprvo4tQ
>>24
うう、それはいわんといてくれ。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 13:17:26 ID:Tprvo4tQ
日本人は知略オタが多いような。
なぜか合戦の采配がうまい人はそこまで評価されてない。
よく猪突猛進なんて言われるが賤ヶ岳の戦いの布陣は見事なものだ。
盛政奇襲の作戦も良いですし。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 13:18:45 ID:MRe1OP1k
ここで勝家が連携すればどうだった?

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 17:28:44 ID:Tprvo4tQ
勝家は天神山も攻めずとにかく守りを固めてるようだねえ。
脅かすだけにし、持久の策に出たわけだ。
まあ近江進出の理由は伊勢の秀吉の大軍を引き寄せて、
天嶮によってこれを防御し、一益の負担を減らし積極的に暴れてもらう。
そして春がきます。
北国勢の動きが便利になり、岐阜と連携し秀吉を奔命に疲れさせる。
できれば高野山以下根来雑賀の紀伊衆及び四国の長宗我部元親の策応を得る。
さらにできることなら足利義昭・毛利輝元らの策応も得て、
戦局を有利に展開し、機を見て進撃しようとした。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 17:31:02 ID:Tprvo4tQ
早期に決戦を仕掛けても兵力で劣るので不利だからねえ。


32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 17:36:20 ID:igEIEuVP
>>28
知略オタかな?
地味・堅実・現実的・冷静な人間の評価が低いだけのような。
秀吉>>>家康
西郷>>>大久保
安倍晋三>>>その他w

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 17:41:07 ID:Tprvo4tQ
安倍さんはまだ若いが、なかなかの人になってきたねえ。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 17:53:54 ID:vRTfEssz
>>1
>>1-1000までいくのでしょうか
頑張ってください。

私は柴田勝家好きだから応援します。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 17:56:48 ID:Tprvo4tQ
>>34
好きならどうぞ語ってください^^

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 17:59:51 ID:nX8dgL6m
ガチで聞きたい
柴田のどこがいいの?

時勢を読めない古臭いおっさんというイメージしかないんだけど

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 18:00:26 ID:MzvCfoUv
柴田勝家と安倍晋三

サプライズ人事なし

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 18:03:53 ID:Tprvo4tQ
>>36
知りたいなら柴田の本読めばわかります。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 18:24:01 ID:Ss+GIwnW
勝家の場合、傲慢といわれる以外に人格的欠陥も伝えられないしな。
ちゃんと、秀吉の織田家簒奪に最後まで抵抗して、裏切りかまして
自分を滅亡に導いた利家にも文句言ってないし。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 18:28:40 ID:Q2tFOron
頭が悪い

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 18:29:21 ID:7si6063q
>>36
判官贔屓だろ

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 18:36:08 ID:Ss+GIwnW
>>41
そうでもないだろ。
実際には、賤ヶ岳で勝家が勝利していれば、信孝を中心とした
織田政権が発足したろうし、それを中心として安定した可能性
もある。
賤ヶ岳だって、絶対負けが決まった戦いでもない。事実、前田
の裏切りがなければどうなったかわからんよ。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 19:13:06 ID:X0uZ/u0o
世間で思われてるより優位でもなく危うい勢力バランスの中で
名将・柴田の必勝戦術を破った秀吉は矢張りさりとての者・・・って事にもなるな

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 19:27:17 ID:Tprvo4tQ
さすが信長公に取り立てられた男秀吉だな。
勝家対秀吉
それは織田家の実力者同士のガチの戦い。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 23:40:20 ID:0uyzaTz+
北ノ庄城についてくわしい方おられますでしょうか。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 10:15:47 ID:3Ai/uyI+


47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 12:50:01 ID:TG7yP/Ly
知識披露しちゃいなYO

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 16:24:00 ID:zvi6ynT0
もし信長が生きていたら、次に粛正されるのは権六だったと思う。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 17:39:07 ID:G5/j3BeD
北ノ庄城の何が知りたい?

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 08:02:14 ID:cNjEMmf2
>>49
とりあえず知ってること教えて。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 08:07:41 ID:w+u4UshX
>>48
実際に信長が死に、勝家は粛清されなかった以上、妄想でしかないわな。

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 08:12:34 ID:cNjEMmf2
大河ドラマとかの影響ですかね。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 09:09:31 ID:L8qlOjFN
というより、ほとんどの人が大河か歴史小説しか読まないだろ
だから賤ヶ岳の話題になると盛政の行動が、とか知ったかぶりする人が多い

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 11:10:24 ID:vLaGZlTt
そう感情的になるな、玄蕃

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 11:23:53 ID:cNjEMmf2
なんだかんだ言って俺も盛政の本読んだわけだが。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 11:27:38 ID:2ejzgXM9
賤ヶ岳の敗因の多くは利家の裏切り。
秀吉の行動の速さに意表をつかれた感じはあるが、小部隊ごとに
攻めてくる部隊を個別にあしらっていれば、むしろ困ったのは
秀吉の方だったろう。最前線の部隊が戦っているときに、後方部隊
がいきなり退却し始めたら、そりゃ負けるわ。


57 :魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs :2006/09/08(金) 11:28:38 ID:isCElP6I
北陸じゃなければなぁ…
秀吉に勝てたかも?

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 12:29:11 ID:JvAr9xW/
織田家の地位の順位を教えてくれよ。

明智>>柴田>>羽柴>>丹波>>滝川

こうじゃないの?
所有してる領地じゃなくて、重用され具合とかでよろ

59 : :2006/09/08(金) 12:31:06 ID:TpLy+6f/
柴田>>丹羽>>滝川>>羽柴>>明智

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 12:36:13 ID:JvAr9xW/
>>59
マ、マジっすか

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 12:37:47 ID:Anz6BnBq
地位でいったら
柴田>>羽柴>>明智>>滝川>>丹羽
じゃない。
柴田は、筆頭家老だから地位という意味なら家臣団一番。
ただ、重用のされ具合からいうと
明智>>羽柴>>柴田>>滝川>>丹羽
かな、

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 12:39:45 ID:JvAr9xW/
>>61
そんな感じでしょうねェ
秀吉ってやっぱ凄いんだな

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 12:49:03 ID:yDQX6TI3
権六様は北ノ庄に住むおれ達のことを考えてくださり、秀吉が足羽山に布陣して北ノ庄城を攻める際にも、足羽川に架る九十九橋を壊さずに残してくださった。権六様ありがとう。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 12:49:33 ID:L8qlOjFN
>>61
地位は>>59の方が正しい

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 12:57:13 ID:Anz6BnBq
>>59
あ〜。古参の連中はそう思ってたかも。

>>56
前田が裏切ったのも、羽柴の財力、軍事力にびびったから。
その意味では、本能寺以降の出遅れと頭の堅さが一番響いた。
織田家の累臣であった勝家は、信長が死んでも織田家の家臣
であることに疑問を持たなかったし、まだ外隣に敵がいる状態で内紛
起こすのは気乗りしなかった。
まあ、普通の責任ある立場の人間ならそう思うし、
信長死んだらやりたい放題の秀吉が戦国とはいえ人間的におかしいw
勝家が秀吉の行動を、ちょww、おまっwwww
って見てた間に、圧倒的な優勢を作られて手遅れになってしまった。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 13:02:13 ID:L8qlOjFN
>>65
古参の連中がそう思ってた訳じゃなくて、秀吉も自覚してたと思うよ。
清洲会議〜賤ヶ岳までの秀吉の書状には織田家筆頭としていちいち丹羽に署名してもらってる。


67 : :2006/09/08(金) 13:06:04 ID:TpLy+6f/
>>61
明智の重要のされ方って・・?
前半だけじゃないの? 本能寺の直前とか、秀吉の与力扱いなのに

地位で言ったら丹羽は柴田に次ぐ、重臣ですよ

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 13:11:36 ID:Anz6BnBq
>>66
そうだね。地位という意味では丹羽は筆頭の柴田についで高かった。
そこを上手く羽柴が利用した。
明智は外様だし、地位という意味では>>59が正しいか。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 13:11:51 ID:cNjEMmf2
>>63
福井の方ですか。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 13:19:12 ID:2ejzgXM9
>>65
普通だったら、同じ織田家の同僚が主君の遺児や同僚を攻撃しはじめ
たり、自分の領土を略奪し始めるなんて考えないもんな。
まぁ、勝家が甘いといや甘いんだが、さすがに秀吉があそこまで忠義心
も倫理感もないとは思わなかったんだろう。


71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 13:33:29 ID:JvAr9xW/
利家とか蒲生とか佐々とかは丹波よりもさらに下なわけ?

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 13:49:36 ID:cNjEMmf2
勝家は秀吉に油断していた?

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 13:52:43 ID:2ejzgXM9
>>71
利家、蒲生あたりは、連隊長〜旅団長クラスだろ。
佐々は師団長クラス。
丹羽は小さいとはいえ、方面軍司令官だから、だいぶ上だな。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 13:55:48 ID:2ejzgXM9
>>72
まぁ、油断ではあるけどな。
社長が死んだあと、他の重役が会社乗っ取りを考えているかって危惧はして
いた。でも、速攻で後ろから刺してくるとまでは考えなかった。
このくらいの油断だと思うが。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 14:00:22 ID:cNjEMmf2
わかっていたんじゃないの?
それともいきなりで驚いていた、ということがなにかに載っていたのね。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 14:28:09 ID:2ejzgXM9
>>75
わかってたら、越前に戻らないよ。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 15:33:20 ID:fYFxRVqd
>>73
四国方面軍の司令官は信孝で
下に信澄・丹羽・蜂屋がならんでる状態だよ

丹羽は信長直属の遊撃師団長とでも言った方が適切かと

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 19:19:06 ID:w+u4UshX
>>74
清洲会議以降、織田家の主導権は完全に勝家側が握っていたからねえ。秀吉自信が
後世継ぎに押した吉法師まで勝家側に取られた。秀吉があのタイミングで動かなかったら
穏やかな織田連邦的体制に落ち着いたかもね。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 19:57:28 ID:+DIA+zuI
清洲会議後、勝家は近江長浜に本拠を移した方が良かったのでは。

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 20:03:51 ID:jrNxmPoV
え?羽柴の色が濃く残った長浜に本拠地を移すのか?
冬になれば孤立するのに?

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 20:06:39 ID:+DIA+zuI
一益や信孝との連携を考えれば長浜の方が有利かと。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 20:19:09 ID:cNjEMmf2
さすがに危険すぎる。

越前から近江進出で正解だった。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 20:32:19 ID:tbxFWo/T
丹羽は軍事的には信長からあまり信任されていないが、安土城建設などからすれば
信長からの信用は高かった。

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 20:35:55 ID:+DIA+zuI
勝家が長浜で睨みを利かせていれば、秀吉は岐阜の信孝を攻められない。
美濃の諸将(大垣の氏家、清水の稲葉、今尾の高木、金山の森ら)の離反も防げたのでは。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 21:10:12 ID:TB5rRp8k
長浜駐屯が正解だったろうねえ。越前-近江-美濃-伊勢って
勝家派の連携の要になる位置だし。

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 21:20:38 ID:nLeZcuSk
越前-近江間の雪をなめすぎ。長浜20万石に陣取っていざ攻められたらどうする?
越前50万石から兵を呼ぼうにも雪が邪魔して主力が呼べない
太平記や柴田退治記でも雪が邪魔して兵を動かせなかったらしいし
背水の陣で睨みを効かせるだけでは秀吉を抑えられないよ
長浜駐屯は愚策じゃないだろうか?

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 21:27:05 ID:vLaGZlTt
うん普通に愚策
ただ勝豊は止めたがよかったな

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 21:30:15 ID:yDQX6TI3
>>69福井市在住です。
個人的には、北ノ庄にとどまってくれた権六様が大好きです。当時の越前の人々からも愛されていたに違いないです。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 21:40:55 ID:TjilcPqZ
年いってんのに厨房並みでご免。>>86,87某マンガでピザデブとして描かれていた、
甥御殿を長浜に据えていたらどうなっていたんだろう?

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 21:43:11 ID:cNjEMmf2
勝家の加増は6万石かな。
長浜駐屯は無理ジャマイカ?
若狭の外に近江高島滋賀得た長秀と佐和山20万石の堀秀政がいてはる。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 21:43:56 ID:TB5rRp8k
>>86
普通に信孝・一益軍と連携して戦えばいいだけだと思うが。
それで勝てなきゃ、春になっても勝てないよ。
主力軍を長浜に置いて冬になる前に兵糧運び込めばいいだけだし。
いざ劣勢だったら、味方がくるまで篭城すればいいわな。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 21:46:39 ID:cNjEMmf2
>>88
やはりそうでしたか。
私もいつか福井に行ってみたいものです。
福井での勝家の人気はどのような感じですか?
知らねえやつもいると思うが。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 21:51:44 ID:nLeZcuSk
>>91
越前から近江に出ることの難しさは
・太平記の新田義貞の前例
・朝倉義景の前例
・賎が岳の柴田勝家の前例
・天狗党の前例もあるし
正直お奨めできない
おまいにこれら前例を破る策があるならきっとその進言は成功するだろうw

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 21:58:19 ID:nLeZcuSk
>越前から近江に出ることの難しさ
というより
>越前と近江間で兵を稼動させることも難しさ
だね。訂正

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:04:19 ID:yDQX6TI3
>>92福井で毎年行われる越前時代列行での主役は、朝倉氏一族や越前松平家を抑えて権六様が堂々の主役ですよ。
ちなみにおれは20代後半なんですが、周囲の人間に柴田勝家と名前を出してもほとんど通じないです。秀吉なら通じるのに…。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:05:27 ID:cNjEMmf2
>>91
そもそも勝家は織田家内での戦争は望んでいないからねえ。


97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:08:00 ID:TB5rRp8k
>>93
いや、だから冬季に移動するから難しいんであって、
冬季になる前に移動しとけばいいでしょうに。
拠点の城もあるし、北・南・東と全部味方なんだから、
敵中に孤立するわけでもなし。

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:10:30 ID:vLaGZlTt
ぼく ほんとは いくさなんか のぞんでなかったんだ

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:11:01 ID:cNjEMmf2
>>95
ほう、主役でしたか。
それはよかった。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:14:39 ID:+DIA+zuI
いっそのこと三法師を擁して勝家が安土に駐屯しちゃえば、秀吉は手も足も出まい。


101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:17:26 ID:nLeZcuSk
>>97
そうなると柴田は冬季を外して戦略を練らなければならない
あそこの雪は11月から豪雪になるし春まで待たないと兵の移動はできないから
たっぷりと4、5ヶ月は下手に動くことができないわけだ
のこりの僅かな日数でケリを付けられたのだろうか
実際にそのように彼は行動したのだろうか
史実の柴田はまんまと冬場を突かれて秀吉に滅ぼされたわけだけど

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:17:54 ID:vLaGZlTt
ただの山に立て篭っても

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:18:30 ID:cNjEMmf2
>>97
織田家最期の家臣、柴田勝家は冬季に長浜城を包囲されるまで、
中川さんや高山さん筒井細川の工作に躍起にならず、
徳川と北条の対陣についてや周囲、四方の敵にあたることに力を尽くすべきと訴えてきた。
信長はすでにいないけれども、それが本筋である。と。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:26:30 ID:cNjEMmf2
>>101
和平は?

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:28:46 ID:nLeZcuSk
>>104
出来たかもしれない
いざ戦争となった時は味方がかなり不利になる極めて危険な条件を度外視すればw

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:31:41 ID:cNjEMmf2
>>105
実際出来たじゃないか。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:32:21 ID:TB5rRp8k
>>101
そもそも、主力決戦だって、2日程度で終わったでしょ。
野戦で一決ならすぐだし、時間がかかるにしても、兵糧の手配なんかは
信孝・一益に応援うければいいだけだし。長浜や岐阜を拠点にしながら、
戦えば越前が冬だろうと、別に困らんわな。
越前から出てきて戦えないのは、近江に拠点がなく、出動した部隊と
本国との兵站が続かなくなるからで、勝家の場合は美濃・伊勢全体が
味方で長浜に拠点もあるんだから、その条件にあてはまらないでしょ。
むしろ、味方が分断されて各個撃破される方がよっぽどきつい。

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:34:05 ID:nLeZcuSk
そして秀吉に充電期間を与え冬になり
越前に引っ込んでいた柴田はやられると

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:34:56 ID:cNjEMmf2
>むしろ、味方が分断されて各個撃破される方がよっぽどきつい。

>>107
それを阻止するための柳ヶ瀬進出ジャマイカ

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:36:33 ID:cNjEMmf2
>>108
秀吉との決戦の覚悟を決め、外交の季節だったでしょう。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:37:02 ID:nLeZcuSk
>>107
その策をどうして取らなかったんだろうね
常識的に考えてさっき出した新田や朝倉の苦い過去が柴田には教訓となったんだろう
柴田は当時の常識に従順な人だったんだよ

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:41:05 ID:TB5rRp8k
>>111
もし、相手が完全に敵国だったらここまですると思うよ。
でも、一応、相手は同じ織田家の同僚だからねぇ。
実際、ここまでしたら宣戦布告と同じだもんよ。
多少なりとも良識もってたらできないよ。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:47:15 ID:nLeZcuSk
>>112
もし敵国なら長期を見越して必ず越前に引きこもると思う
近江には磐石な地盤もなければ兵を長期間滞在させるゆとりもないからね
問題は柴田が、目の前の相手に対し短期間で潰すさなければ自分がやられてしまうほどの
危機感をもって臨んでいたかどうかだと思う

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:50:38 ID:TB5rRp8k
>>113
臨戦態勢だったら、引きこもれないって。
味方がボコボコにされちゃうでしょ。それほど戦略眼がない人物とは
思えないよ。むしろ、冬が来る前に近江の拠点を確立させようとする。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:55:38 ID:nLeZcuSk
>>114
柴田の能登・越中方面の経略をみても
短期間に足場のおぼつかない土地を拠点に周囲を切り取るだけの戦略を打ってないからね
近江に限って果たして大胆な布石を打てたのかどうか

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:59:51 ID:TB5rRp8k
>>115
状況が違うから。
無理に進出すると痛手受けるかもしれないから漸進しようってのと、
無理にでも進出しないと、友軍が壊滅しかねない状況とだからね。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 23:01:03 ID:fJZwAzNh
派手な戦術というと、越中攻略は飛騨方面から斉藤新五郎が先に開始、
七尾城の仕置きは菅屋長頼が行いその後で利家に城を引き渡してる。
柴田軍団は堅実な領地経営が特色なのでは。他方面の作戦に寄騎が度々駆り出されているし。

それと越前の冬は現代よりも遙かに過酷。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 23:09:24 ID:nLeZcuSk
>>116
無理にでも進出しなければ友軍が壊滅しかねない状況というのは
おまいさんの考える状況であって
柴田本人がその状況を認識したのはずっとあとだからねえ

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 23:19:24 ID:nLeZcuSk
あと状況が違うからと言うが
武将の行動を推測する場合、それまでの実績等に当てはめて推測してるんだけれど
それを無視すればいくらでも語れますわな

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 23:22:16 ID:/9mjAzfL

秀吉の出世もまぐれ。
光秀に勝ったのもまぐれ。
何もかもあいつの実力じゃない。

常識で考えてよ。ワシは織田家の筆頭家老だよ。
秀吉よりワシのほうが強いに決まってるじゃん。こんなの常識だよ。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 23:28:05 ID:cNjEMmf2
それは俺も思うところ。

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 23:37:06 ID:TB5rRp8k
>>118
山城に敵軍主力がいて、味方は越前・美濃・伊勢に戦力分散
している状況だぜ。普通の戦略感覚もってれば、やばいと思
うわな。
ちょっと、戦国武将を馬鹿にしすぎてないか?



123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 23:41:26 ID:nLeZcuSk
>>122
もう一度いうけれども
その状況を危機的状況だと認識しなかったのは俺ではなく柴田だ

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 23:42:10 ID:cNjEMmf2
>>122
だから一益の負担を減らすための賤ヶ岳合戦ジャマイカ

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 23:43:46 ID:cNjEMmf2
>>123
危機的状況だと認識しなかったって?
しなかったらわざわざ冬に近江まで進まないわな。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 23:45:58 ID:nLeZcuSk
柴田の本国が越前だという致命的な問題があるから
一番有効な手段があの多角的な包囲だったんではないかなと思っている
それでも最後は「致命的な問題」によって足元をすくわれたけれども

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 23:47:37 ID:nLeZcuSk
>>125
ID:TB5rRp8kが考える危機的状況を危機的状況として柴田は認識してないということ

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 23:48:43 ID:nLeZcuSk
×ID:TB5rRp8kが考える危機的状況を危機的状況として柴田は認識してないということ
○ID:TB5rRp8kが考える時点の危機的状況を危機的状況として柴田は認識してないということ

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 23:49:28 ID:cNjEMmf2
>>126
>それでも最後は「致命的な問題」によって足元をすくわれたけれども
ここ詳しく

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 23:50:55 ID:nLeZcuSk
>>129
越前の雪のことだよ

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 23:52:15 ID:cNjEMmf2
敗戦の要因に直接的には関わりなかったよね。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 23:55:34 ID:nLeZcuSk
前田がいれば状況は変っていたかな?

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:03:47 ID:aamzA7sg
前田が柴田を貫いたとしても、戦況が長引くだけのような気も。
長引けば長引くほど織田家全体としても不利になるな。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:05:05 ID:NIM5uB2+
ただ柴田が取ろうとしてた戦略の中でどうしてもネックになってくるのが冬季をどうするか
結果的に冬を恐れて先走った感がある。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:06:43 ID:NIM5uB2+
>>133
やっぱ致命的な柴田の封地に尽きるのかな

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:11:32 ID:Ua3SVQFq
つか、賤ヶ岳だけ語ってもしょうがなくない?
秀吉は軍事、経済力で優位に立っていた上に、
毛利、上杉とも良好な関係を築いていた。
おまけに、包囲と言えば聞こえがいいが、本拠地分散してて
各個撃破の格好の餌食となりそうな地勢。
もう、この時点で勝負ありだよ。逆にだからこそ前田も裏切った。
秀吉止めるには、清洲会議あたりまでさかのぼらないと不可能だと思う。

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:19:48 ID:aamzA7sg
毛利も上杉も秀吉の肩をもつ義理はないだろ。戦況次第で秀吉、即ち織田家を攻めるって。
秀吉陣営を磐石のように語るが、実際は相当危うい橋を渡ってる訳で。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:24:42 ID:f8Jq6SeY
>>136秀吉止めるには、権六様と秀吉の出生の違いから考えないと不可能だと思う。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:35:29 ID:Ua3SVQFq
>>137
毛利は基本的にやるきなく秀吉に好意的。
だから、秀吉はほぼ全ての戦力を織田家乗っ取りに集中できた。
逆に、上杉は柴田の領土を狙っていた。
だから、ただでさえ劣勢なのに佐々を守りに残すはめになった。
だが、一番やっかいなのは北条。
ここが毛利並みに空気読めてれば、滝川も健在で徳川も出張れた。

俺は、賤ヶ岳の時点では既に手遅れで、ノーチャンスだと思う。
実際どうやって打開するよ?

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:37:20 ID:FFxroZey
勝政隊の兵を収容しきって反撃の態勢のある盛政軍に
神明山の牽制をすて、茂山を降り列を乱して追ってくる秀吉軍を権現坂にて共に迎撃し、
秀吉軍を混乱させ
神明山の大金が砦を乗っ取り中ノ郷の小川を襲い、佐称山の堀は逃走し、
盛政に好意的な中立賤ヶ岳の桑山も完全に寝返り、勝家軍の勝利もあった。

勝家は布陣采配では優れていたが、
勝因は秀吉と勝家の政治力の差だった。
味方作りの工作の非常にうまかった秀吉が大兵力も得て、
前田をも離脱させたことが、盛政軍の大岩山奇襲の時点で勝利を確信した要因だった。

んじゃね?

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:43:54 ID:FFxroZey
>>139
毛利家文書が言うには吉川元春・小早川隆景・福原広俊が相談をして、
秀吉・勝家両方の強弱がわからない。
だから、どちらが勝ってもいいように、両方に賭けて見合うのがよいと決定した。
すなわち秀吉方にも勝家方にも援助をしない。
そして、どちらに対しても敵対行動を取らない。
しかも両方に好意を示す。

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:44:20 ID:Kle9/rpc
>>95
そういえば、全く知らない事に気がついたのだけど、
福井での勝家さんの評判はかなり高いんでしょうか?
刀さらえで集めた武具を農具にして配ったというような
話はどこぞで読んだ覚えがありやすが、全般的に善政
をしいたと思っていいんかな。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:45:24 ID:FFxroZey
無理して悪政を敷いたと考えなくても良いね。

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:46:42 ID:NIM5uB2+
どう転んでも吉法師の利用以外に手はないよな

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:55:52 ID:FFxroZey
>>142
福井市のホームページからコピーしてきました。

九十九橋

古くは北ノ庄大橋や福井大橋などと呼ばれ、柴田勝家が北ノ庄城主となってから南側を石造り、
北側を木造で架け替えた。半石半木の奇橋として全国的に有名な橋であった。
江戸時代に何度も修理されているが、この半石半木の構造は明治42年に架け替えられるまで330年ほど存続していた。

船橋

舟橋とは、舟を48艘繋いで、その上に板を渡して造られた橋で、現在の九頭竜橋のところにあった天下三大舟橋の一つ。
柴田勝家によって天正6年(1578)に造られ、明治8年(1875)まで何度も架け替えられながら続いた。
舟と舟を繋いでいた鎖は、福井市郷土歴史博物館、柴田神社、毛矢の黒龍神社に残っている。

国道365号

滋賀県と福井県の国境となる国道365号・栃ノ木峠は,旧北国街道の中でも最高峰地点.
ここに設置される案内板「栃の木峠の由来」(今庄教育委員会)にも記されているように,
賤ヶ岳合戦の5年前の天正6(1578)年9月に柴田勝家が越前・北の庄(福井)を所領してからの後に,
福井と安土もしくは美濃の参勤路として機能させるべく幅三間の道幅へと改修した履歴があることから、
その柴田勝家がこの国道365号の開鑿者とも伝わるようになっている。

皮肉にも敗走路となってしまった。運命は定まっていた?

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:58:29 ID:Ua3SVQFq
>>141
つまり、模様眺めに徹して、秀吉が負けたら秀吉を攻めるってこと?
毛利は本能寺の変の後、秀吉の追撃はおろか旧領復帰の動き
すら起こしてないのだよ。
その文書は中央には関与せず、勝者と仲良くしていけばいいという
消極的な姿勢を裏づけてるだけじゃない?

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 01:01:24 ID:FFxroZey
最善の策でしょうね。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 02:05:05 ID:SDz/x2TF
北ノ庄城の方に足を向けて寝ては駄目だと親に伝えられた。

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 02:07:57 ID:aamzA7sg
>>146
戦況次第で参戦するぞって事だよ。絶対に動かないなんて保障は何処にも無かった。
本戦で柴田が勝っていれば、関東の滝川状態になったかもしれんね。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 02:21:08 ID:wY1fFEPF
あれ?蜂須賀を毛利の抑えとして残してなかったけ?

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 04:44:12 ID:wuNpWMsQ
おまいらなにいってんの?
越前に帰らないとお市とや れ な い よ?


152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 09:50:28 ID:Ua3SVQFq
>>149
そうは思えんけどな。
家訓からして天下を狙うなだし、旧領復帰の動きすら見せない。
本能寺の変後の草刈り場状態の時に動かずして何時動くよ?
やる気がないとしか思えない。
そもそも、両者に好意的中立の時点で、間接的には羽柴に味方している
ようなもん。本音では、気心しれて領土安堵をしてくれた羽柴の勝利
ないしは、内紛の長期化を望み、柴田の勝利は一番望んでいないだろ。
やるきがある上杉とは、はっきりと危険度が違う。

それと、この状態での柴田の勝ち方がわからない。前田の裏切りが
なかったとしても、元の膠着状態に戻るだけで戦況は好転しない。
ぐずぐずしてると滝川が潰される。どうするよ?

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 10:13:53 ID:6iycrna0
どうするよ? → → → 市と色んな体位でセクース。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 10:27:59 ID:ubh9fMkw
>>65
>本能寺以降の出遅れ
勝家は即座に撤退し明智を討とうとしたが
前田利家の強固な反対にあい断念
江戸時代の前田家の記録では利家は即座に撤退し明智を討とうとしたが
勝家は上杉や一揆を恐れてなかなか動けなかったことに

>>97
1582年
6月末清洲会議
7月領地の引渡し検地
8月信雄信孝尾張美濃国境の件で争う、秀吉信孝につく
9月信長100ヶ日忌
9月秀吉信雄の要請により伊賀伊勢の一揆平定
10月6日勝家は秀吉に5か条の覚書を出して非難
10月17日信長葬儀
10月18日秀吉は信孝に24か条の手紙を書いて信孝勝家を非難
11月勝家、前田らを派遣して和平公作
12月に北近江を攻め

勝家秀吉の対立が表面化してきたのが10月で
決定的になってきたのは11月か12月
そして11月には雪が降ってくる
柴田が危機的状況と認識した時点から急いで軍備整えても
冬季になる前に移動は難しいんじゃ
かといってちょっと対立した程度でいきなり兵を挙げるんじゃ
準備不足だし大義名分が微妙、秀吉側は正当防衛と主張できる。

>>107
南伊勢は信雄だから伊勢全体は言いすぎ
長野も信雄についているから中部伊勢の一部も秀吉側
また長浜があろうとも佐和山に堀がいる以上美濃近江間は分断の危機にあるんじゃ

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 11:01:57 ID:ubh9fMkw
>>152
毛利は財政難でもあったし、国人海賊の離反があって態勢を整えないことには動きにくかったのでは
それに秀吉も宇喜多残している。
70年代後半から宇喜多に阻まれて播磨へ進出できなかったのだから
羽柴が大敗して宇喜多が羽柴から離反して毛利につくとかでもない限り
積極的に動くことは無いと思う。

上杉もやる気が無いが・・・
佐々には逆に攻められて魚津城を奪われて越中を失い、
北条真田とも敵対、新発田も頑張っている
勝家が滅んだ後に秀吉に何故兵を出さなかったのかと責められている。

滝川は柴田信孝が滅んだ後も抵抗続け7月に開城
簡単には潰れないと思う、そもそも秀吉の主力が来るまでは
峰城亀山城などを奪って勢力を広げていたぐらい、
美濃の秀吉方を攻めたりもしている。

ただ全体としては秀吉が有利だろうな。
秀吉は筒井を国許に帰す余裕(逆に与力に無理をさせられないとも見れるが)もあるし、
海津を押さえている丹羽の兵力を前線に投入したりもできるだろうし
細川に越前沿岸を攻撃させたりもしている。

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 12:40:19 ID:GhTrEorr
>>154
賤ヶ岳で勝家が布陣した砦など見ると準備不足とは思えないですよ。あとこの戦は、和親条約を無視しまくった秀吉の挑発行為も問題なわけで、秀吉が正当防衛を主張するのはおかしくないですか?




157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 14:32:36 ID:UdHYEfWa
当時の書状を見る限りでは執拗に挑発してる秀吉に対して勝家は「戦いたくねー」って感じに見えるが。
秀吉が信孝を非難してる文面なんか戦う気満々じゃんw

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 16:00:10 ID:ubh9fMkw
>>156
>賤ヶ岳で勝家が布陣した砦など見ると準備不足とは思えないですよ。
それは年明けの話し
準備不足と言うのは上の方にあった勝家が秋に開戦するIFの場合
単純に軍備兵糧だけでなく諸大名への書状も勝家は11月くらいからじゃ。
そして秋の段階では秀吉も明確に敵対していないから
柴田から攻撃すれば正当防衛と言う論理も成り立つかもと言う話。
秀吉が明らかに兆発しだしたのは10月ぐらいからでは

>>157
そう、でそれが大体10月
それ以前に勝家が戦争準備始めたら秀吉を非難できなくなる。

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 17:09:09 ID:GhTrEorr
つい先程、勝家公の菩提寺西光寺に行ってきました。勝家の馬印や位牌等も隣の資料館に展示してあって勝家ファンにはたまらないと思います。

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 17:52:49 ID:FFxroZey
先程ですかw
うらやましいね。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 19:24:58 ID:m3rTUxrO
>>154
>勝家は即座に撤退し明智を討とうとしたが前田の反対で〜

マジすか

>>159
福井に泊まってくの?

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 21:01:30 ID:U7auju7l
>>154
前田は何考えてたんですかね?無能にも程がある。


163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 22:31:53 ID:AaGW18Wu
>>158
勝家が秋に開戦っていうのは、最初から秀吉を敵として戦う場合の
想定だからね。勝家も相手が敵だったら、そうしただろうし。
ようするに、秀吉を同じ織田家の同僚だと認識していたのが、勝家の
最大のミスだろうね。主筋だろうが同僚だろうが、平気で攻撃する
人間を相手にしているってのがわからなかったんだろう。


164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 23:38:02 ID:FFxroZey
>>163
堀秀政に覚書で外の敵と戦うべきだと訴えてるのにですか?

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 23:40:56 ID:FFxroZey
和睦する前までは織田家の内部での戦争は望んでないということでしょうね。
秀吉が工作に躍起になっていても、それを最期まで訴えてきた。
しかし秀吉が仕掛けてきたと。

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 23:46:18 ID:aamzA7sg
というか冬場の戦闘を避けたかっただけだろ。

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 23:50:27 ID:m3rTUxrO
>>154
ググってもヒットしないのでソースちょうだい

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 23:53:14 ID:FFxroZey
>>166
勝家は本気で織田家の分裂を危惧していたと思うよ。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 00:06:37 ID:GhShHO5c
織田家存続の為に動く勝家と、天下取りを目指す秀吉って構図ですよな。

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 00:17:32 ID:87cpeBQL
忠臣ですよ。

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 00:30:22 ID:09rBywvy
柴田が明智を討つなんて無理
北陸各地で一揆が起こっちゃって動ける状態じゃないだろ
それに柴田も秀吉との戦いに勝てば織田家を乗っ取ったかもしれんぞ
一回信長を裏切ってる裏切り者だし
それで信長に信用されず前田と佐々をつけられてるし
柴田を全面的に信用はできません


172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 00:35:06 ID:87cpeBQL
なんでそう毛嫌いするかな。
勝家は信長のこと裏切ったことないぞ?
勝家が裏切ったのは信勝でしょう。
信用されず前田佐々というのも相手が上杉謙信だからだと思う。
忠犬柴公が乗っ取るわけない。

そして『柴田』と『秀吉』ってなに?
贔屓が見える。

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 01:27:39 ID:ZoX7T0mh
>>171
ちょっと考えれば分かる事ですが、織田家を裏切ったわけではないでしょう?

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 04:39:06 ID:vtlEc7Ke
まあ結局、織田家を守ろうとしたのが柴田勝家で、織田家を簒奪しようとしたのが秀吉だったんだけどね。
それを見抜けず勝家を信頼していなかったのなら、信長も目の無い男ですなあwwwww


と、言う事になるけど、いい?>>171

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 06:25:15 ID:dlraZcjY
秀吉の行動した時期が絶妙だったんじゃ
あと数ヶ月早く秀吉が行動していれば冬がくる前に
勝家も近江に出兵出来たかもしれない。
あと数ヶ月遅ければ勝豊や信孝も粘れたかもしれない。

そういった時期を見計らって秀吉が行動したのだから仕方が無いんじゃ。



176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 08:26:31 ID:Lj8lwZaf
勝家関連で良かった本教えてくれないか?
小説でも良いんだけど

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 09:49:02 ID:a4YG2ZPe
羽柴と柴田の争い元はその頃の勢力争いともいうし、お市御料人のためという話もある。
本能寺後の1582年に柴田が岐阜へ行き織田信孝と話をつけ、お市を自分の妻としてしまった。

羽柴はこれを聞いて柴田を越前に帰すまいと近州長浜へ出陣したが、丹羽・池田の仲介でにより柴田はお市を同道して帰国。
こじ付けっぽい説でもあるけどねw

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 17:40:48 ID:vtlEc7Ke
関係ないが高杉晋作は秀吉が大嫌いで、一番好みの武将は勝家だったそうな。

179 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/09/10(日) 17:57:24 ID:3RSf9Co1

勝家「おらおら、長政より感じるだろ、市、ぐへへっ」
秀吉「茶々の乳首は小さくてかわいいのぉ、ぐへへっ」

尾張衆は偉くて、エロくて、どえらい、のがデフォ。

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 18:22:54 ID:+K7tW4Np
戦国時代の30後半はおばあちゃんと言って差し支えない年なんだが。
単純に織田家の立場を強めるための道具の奪いあいじゃね。男尊女卑の強い時代だからそんなもん。


181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 19:08:24 ID:elCVSGRY
勝家って別に忠臣でもないだろう、
市を妻にして、勢力的に信長の子息を上回ってる時点で野心見え見え。
だいたい清洲会議でも自分に近しい信孝を推してるし、秀吉とそんなに変わらん。
後継者が三法師に決まった後も信孝と同盟を結んで後押ししてるし、
織田家の内紛を嫌った訳もなさげだし。

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 19:19:01 ID:vtlEc7Ke
>>181
秀吉と比べれば忠臣

183 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/09/10(日) 19:23:29 ID:fTy7BgSx
なにより織田家から独立してないもんね。

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 19:29:20 ID:elCVSGRY
>>182 >>183
そりゃ単に秀吉が勝って、勝家が負けた結果だろうよ。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 19:36:48 ID:vtlEc7Ke
>>184
現実に秀吉が織田権力を簒奪し、柴田勝家が簒奪しなかった以上勝家のほうが忠臣。
なんで三成が、豊臣権力の簒奪を計った可能性もあるのに、忠臣呼ばわりされているのかを
考えてみるといい。

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 20:01:27 ID:+K7tW4Np
そこまで理解してるなら柴田勝家が忠臣って訳じゃないのも理解しよう。
三法師が後継ぎでいけない話しは無いのにたったのは権力争いのため。


187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 20:21:11 ID:jB+oj+st
まぁ、勝家が織田家内でどういう位置を占めようしていたか。
それが、いわゆる「忠臣」の範囲に収まるものだったかはわからない。
でも、清洲会議から最初の冬で勝家・信孝連合を不意打ちした秀吉が
織田の忠臣でないことは確かだな。
本来の構図は、逆賊秀吉を忠臣勝家が討とうとしたってことで、その
部分は間違いのない事実。
つまり、秀吉の悪逆を隠すために勝家は無能だとされているわけだな。
さすがに、引き際の綺麗さとかから、それ以上の悪罵はつけられなかっ
たが。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 21:18:10 ID:gSIXURpi
(´・ω・`)

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 21:18:10 ID:elCVSGRY
>>185
>柴田勝家が簒奪しなかった以上勝家のほうが忠臣。
だからそりゃ単に勝家が敗れただけだ、しかも現実には三成は主家を越える勢力を持つ事も、
豊臣と血縁関係を結んでの権力向上を図っていないので、
勝家と比較にならんよ。

>>187
>でも、清洲会議から最初の冬で勝家・信孝連合を不意打ちした秀吉が
>織田の忠臣でないことは確かだな。
そうでもない、勝家・信孝連合には信孝が清洲会議の決定を無視して、
三法師を不当に拘束して岐阜城に拘留し続けたっていう弱みがあるんで、
これではとても↓みたいな一方的な構図にはならん。
>本来の構図は、逆賊秀吉を忠臣勝家が討とうとしたってことで、その
>部分は間違いのない事実。
上の構図はせいぜい勝家側の大義っていう程度のもんだな、
秀吉側から見れば三法師に逆らう逆賊信孝に、それを支援する逆賊勝家って構図になるようなもんだ。

190 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/09/10(日) 21:19:53 ID:fTy7BgSx
>秀吉側から見れば三法師に逆らう逆賊信孝に、それを支援する逆賊勝家って構図になるようなもんだ。

実績からすれば秀吉は堂々と主家越えをやってのけてるからなあ。

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 21:28:25 ID:elCVSGRY
>>190
そりゃまた後の話だからな。
ただ実質を見れば清洲会談なる重臣だけの会談で織田家の後継者や
織田家の領土の差配(しかも家臣連中の加増)が行われてる時点で
重臣連中は主家越えは行ってるも同然。
しかもこの会談後の秀吉・勝家の両名の勢力が織田家を超越してる時点で、
どのみち織田家が天下に返り咲く事は無いでしょう。

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 22:00:55 ID:jB+oj+st
>>189
まぁ、秀吉視点から見ればそうなるんだろうけどね。
よく考えてみな。
同じ家中において、幼少の主君の養育権を争っていた。
で、会議で秀吉が養育すると決定して(これも本当かどうか微妙だが)
しかし、実際はそうはならず、主君の叔父が親類代表として秀吉に
渡さなかった。
で、この状況でいきなり攻め込むか?
これで攻め込むなら、ヤクザと変わらんぞ。
普通なら、信孝の行動は正しくないと非難して、もう一度会議を開
こうとするだろ。
しかも、時間が経過したことじゃない。清洲会議から半年のことだ。
もう、秀吉が冬を待って強引に簒奪に動いたとした思えないわな。

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 22:31:09 ID:vtlEc7Ke
>>192
つーか、その通りでしょ
>秀吉が冬を待って強引に簒奪に動いた

政治的には織田宗家を完全に抑えられて、秀吉は八方塞だったんだから。
体制が固まらないうちに動いて主導権を奪い返さないと、織田圏内の大大名、程度の存在で
止まってしまうわけだからね。

京都でやった信長の葬式を称えてる人もいるが、アレなんて切羽詰った秀吉の、やけくその
デモンストレーションでしかないからな。もし天下が取れなかったら、後世、この事だけでも
大笑いされてただろ。

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 00:51:51 ID:EiHkWkTp
>>180
33歳の厄年で、まあそういった方面からは辞退するってのが
通例だったっけ?しかし、勝家に輿入れしなければ、どうなってた
かな、お市の方。

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 01:08:43 ID:j+mWIgmj
羽柴秀吉の権威は自然に高まっていったが、それを快く思わない柴田勝家は
「今に見ておれ。わしが武威をもって打ち倒す事など、卵を石に投げつけるより訳の無いことだ」と言いながら
積雪を見てため息をついていたとか。

滝川一益の助言もあって年内は秀吉と和を結ぶ事になり、前田利家・不破勝光・金森長近・柴田勝豊を和議の使者として富田将監を介して秀吉の元へ。
秀吉は和議の件を快諾し、「丹羽・池田などと相談し、宿老共残らず同意を得たいと思います。それを一つの書状にまとめて誓紙としましょう。その由を柴田殿へお伝えください」と返す。

それの報告を聞いた勝家は「寒中ご足労をかけ申した」とねぎらいつつ、心中では「春になれば時候がよくなり、出陣しようものを」と秀吉を上手く欺いた事を喜ぶ。
が、秀吉は蜂須賀彦右衛門と木村隼人に向かい、「柴田から和議の使者をよこしたが、察するに冬の間は出陣でき難いゆえ、和議を唱えた。雪消える春ともなれば、大波の如く攻め上がるつもりであろう。柴田などの愚策をもって謀ろうとは、蟷螂の斧というものである」と。

太閤記の記述だから柴田は馬鹿殿っぽくなってるが、実際大差ないんだろうな。

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 02:07:48 ID:7L82QsQQ
>>195
太閤記を信頼するのは、「三国志演義」を信用するのとなんら変わりはないぞ。
あれはあくまで「読み物」だ。

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 02:13:06 ID:j+mWIgmj
太閤記の何を知っているのか知らんけど195の内容は史実と相違無いだろ。

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 02:20:06 ID:iQ2eR/bz
>>197
三国志演義の内容も、流れとしては史実とほぼ相違ない。
だから劉備は聖人君子で曹操はどうしようもない悪逆な人物であることも史実だと?

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 02:23:05 ID:j+mWIgmj
さあ?

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 03:01:00 ID:7L82QsQQ
>>199
自分の発言に責任を持てよ。史実だというなら他資料で君の主張を補完出来てから言うものだ。
君がやっているのは、その辺の週刊誌に出てる「実録!自民党総裁選!」とかを信じて
政治を語ってるのとなんら変わらん。

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 03:16:33 ID:j+mWIgmj
お前ら教わるばっかで調べようとする気も無いだけじゃん。
なんでそんなのに教えてあげなきゃならないんだろう。おれ先生なの?

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 03:28:26 ID:mW4ja0Mj
太閣記って前田家の者が書いたんでしょ?前田にも都合良く書いてあるはず…

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 04:10:01 ID:7L82QsQQ
>>201
誰も教えてくれなんて行っていない。君が言った事に対してみんなは反証を提示しているだけだ。
君が自説に拘るなら、それを保管する資料を明示する義務がある。

議論スリかえちゃダメだよ?

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 04:18:51 ID:j+mWIgmj
素直に教えてくださいって言ったらどうだw そうすりゃ教えてやらんでもない。

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 04:51:22 ID:RnXBU1AN
>201
反証を提示って・・まったく関係ない三国演議が信頼できないって奴?
何を根拠に195が問題としているのかそっちの方が知りたいな。
太閤記の記述でもそこは虚飾も何もない箇所じゃん。
言い掛かりで荒らすなって。


206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 04:52:28 ID:RnXBU1AN
アンカーみすったw

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 05:07:30 ID:j+mWIgmj
まあ予想だがID:7L82QsQQ彼は太閤記を読んだ事すらない。

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 05:41:54 ID:G6oZgR+n
話ぶったぎって悪いが賤ヶ岳でなんで勝家本体は戦ってないの?

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 09:03:20 ID:dSu3p3Kz
>>192
>主君の叔父が親類代表として秀吉に渡さなかった。
信孝は親類代表じゃない、なぜなら信孝の行動をもう1人の後見人である
信雄の賛同も得られていない行為で、完全なスタンドプレー。

>で、この状況でいきなり攻め込むか?
そりゃ攻めるでしょう、なんで躊躇する必要があるのやら。
清洲会談の方針を無視してみせたのは信孝なのに、秀吉が遠慮する意味が分からない。
また秀吉は信孝に非難する文書を送ってたり、丹羽・池田の清洲会談に出席した重臣や、
傅役である堀まで味方につけており、わざわざ会談を開くまでも無い状況を作り上げてきてる。

>これで攻め込むなら、ヤクザと変わらんぞ。
戦国武将なんてヤクザ以上の存在ですが?
大義名分が得られれば攻め込むなんて当たり前すぎる行為。
むざむざ機会を与えた信孝・勝家が馬鹿だった。

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 09:21:21 ID:PkEco/xb
>>208
賤ヶ岳での勝家の布陣は山を利用して長期戦に持ち込んで敵の戦意を揺さぶる作戦

盛政の大岩山砦強襲で敵の戦意を大きく揺さぶる

大岩山砦を落とした盛政は敵方の反応から、今なら勝家が前進して正面の敵を破れると進言

勝家側から見ると、正面の敵は堅く見えるし、しかも東野山の堀秀政陣営に動揺が見られない

結局動けず




211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 09:29:20 ID:JrI0S00E
>>192
会議では信孝信雄が後見になって三法師を安土で養育する
政治は宿老が京都に奉行を出し合って行うだったのでは。

信孝がいつまでも三法師を渡さないことに関しては勝家も非難していることだし
また秀吉が独断で政治を行ったこともいつまでも奉行を送らない勝家にも責任があるとも言える。
まああくまで秀吉サイトの見方、というか実際にそう主張していたと思うが。

清洲会議後の勝家の行動が遅かった理由の一つに前田利家が一揆に苦戦していて
そっちに気を取られていたことがあるかもしれない。
秀吉は逆に信雄の要請を受けて伊勢伊賀一揆を攻めた再に
大和南近江の諸勢力を動員して彼等から人質とったりして勢力を広げている。

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 09:30:00 ID:PkEco/xb
大義名分で考えるのは意味ないと思うけどな。
三法師を守り立てることなく天下を取った秀吉も死ぬ間際に、
家康に「秀頼のことよろしく頼み申す。」なんてトンチンカンこと言って、
家康が秀頼を守り立てるはずもなく結局豊臣家は惨めに滅亡。戦国時代なんてそんなもん。


213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 10:43:27 ID:RObKqWiL
>>212
大義名分では圧倒的に秀吉の方が悪質な簒奪者なんだよ。
太閤記なんかでそれを糊塗するために、勝家はかなり悪く書かれている。
上の「春になったら逆に攻めてくるつもりだった(秀吉の正当防衛だ)」
なんて、実際にはどこにも根拠がないわけだし。

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 10:53:18 ID:zDrdQc1C
雪には勝てないのよね

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 11:31:52 ID:HbDwRA4l
>>213
>上の「春になったら逆に攻めてくるつもりだった(秀吉の正当防衛だ)」
どこの話?

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 11:47:50 ID:pyIU2Yc0
>>215
>>195

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 11:48:03 ID:PkEco/xb
>>213
でも勝家も秀吉ほどあからさまではないとしても、織田家での自分の地位を維持したかった訳だし。
あと、真面目に太閤記を資料として持ち出す人はいないでしょ。笑い者だよ。

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 13:31:17 ID:G6oZgR+n
>>210
それだと戦犯と言われている佐久間盛政が悪いのか、出撃しなかった柴田勝家が悪いのか微妙な所なんだな。
調べてみたら筒井が裏切る予定になっていたとか何とかで、これを待って居たのかも知れないけど。

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 14:11:45 ID:RnXBU1AN
>217
>195は太閤記の記述だから云々と書いてあるよ。
ID:7L8QsQQが文盲なだけだろ。

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 14:32:01 ID:PkEco/xb
>>218
勝家の布陣もさすが鬼柴田というか、少なくとも非難されるようなものではないし、
一方で勝家前進が千載一遇のチャンスだったとか言われてるね。
結局答えを出そうと思ったら秀吉との政治力の差が云々〜って話に持ち込まざるを得ないんだろうな。
事実そうだし。


221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 14:32:46 ID:RObKqWiL
>>217
織田家筆頭重臣の地位をキープしようとするのと、主家簒奪して主筋の人間を
殺したり追放したりするのじゃ、随分と差があるように思うが。

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 15:10:24 ID:6TqsilRI
>>221
柴田は外戚になることで政権を簒奪しようとはしてなかったのかな?

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 15:29:46 ID:zDrdQc1C
秀吉も勝家も纂奪しようとしてたが政略に負けただけだろう
忠とか義を論拠として相手を非難することは自分の首をしめることになりはしないか

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 16:29:19 ID:RObKqWiL
>>222
成人の信孝を当主にしようとしていたところを見ると、織田家乗っ取りは
考えてなかったと思うが。他にもそういう様子はないしな。

>>223
誰でも簒奪するだろうって考えの方が変だよ。

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 16:47:26 ID:zDrdQc1C
当初は三七を擁立してたかもしれないが、結果的に三法師が家督を継ぎ一門の所領が極端に減ったんだから
他の武将同様勝家にも野心があったと見られても仕方ないかと
またいくら優秀だからといっても、順位的に優位な信雄を差し置いて三七を持ち出すのは
忠義というよりもより安定した織田家を目指しその中で優位に立とうと保身を狙ったのではないかと
単に忠義だけの犬公だったわけではなかったんだろう

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 17:13:30 ID:WSekFtdQ
信雄は信長の息子の中でも特に阿呆だと思われていたのかと思う。
宣教師評以外も信孝の評判は良さげで、無難だと思ったんじゃないかな。

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 17:30:53 ID:fAaDmjQD
>>213
長宗我部や雑賀と組んだりしてる時点で敵対する気満々じゃん、
だいたい冬前に和平を結ぶこと自体が今まで諍いがあった証明なんだから、
そのまま平和裏に進むと考えるほうがおかしい。

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 17:57:00 ID:4CC1KEhB
利家諸将が停戦和議に出掛けたのは小川忠ざえもん(前田方)の覚書だったよ。
つかこんなの捏造する意味なくない?

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 18:42:49 ID:PkEco/xb
>>227
当時の文なんか見る限りは開戦一辺倒の秀吉と違って、勝家は戦を避けようとしてるよ
信孝の三法師抑留を非難したりしてるし。


230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 22:26:42 ID:39hudrnE
そりゃ単に冬がきたからたろう、信孝も非難はしても依然同盟だし。

231 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/09/11(月) 22:33:22 ID:zDrdQc1C
勝家は纂奪者というよりもちろん忠犬と呼べる物でもなく己の保身のみ追い掛けた只の爺さんだったんだよ

232 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/09/11(月) 22:37:38 ID:X72DBIB2
初めて聞く視点だ。気づかんかった。

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 22:41:25 ID:7L82QsQQ
つまり信長というのはそのほうけた爺さんをありがたく北方司令官に任命するような武将であったと。

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 22:57:59 ID:WSekFtdQ
なるほど、信長公は実力より奇妙を求めたのですな。

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 23:50:07 ID:hSCq4KNz
信忠パパが死んだら土地は息子の物
だけど ちっちゃいからおじちゃんが面倒みてあげる って事になるんが普通だろうに と、思ったけど よく考えると 岐阜&尾張は織田さんの土地で 残りは株式会社織田 の土地だと思えば 重役の誰かが社長になるのはおかしくないかも
で、 柴田と羽柴が次期社長候補だったみたいな だから まだまだ仕事の出来ない息子たちが社長にはならないみたいな これで 息子だからって偉そうにされたら やってらんなくない? だめですかねこの考え方

236 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/09/11(月) 23:56:12 ID:X72DBIB2
いや、それで合ってるんじゃないかな。
専務取締役が中堅の取締役支社長に足許掬われたと思えばよろしかろう。

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 02:03:21 ID:LDPIROCQ
>>228
その和議で例の3人が調略されたとか聞くけど、真実はどうなんだろな。
通説じゃ3人が退却したのは、佐久間盛政が柴田勝家の指示を無視したからやむなく、という尤もらしい話だが。


238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 06:37:49 ID:boAJFZJR
>>167
村井重頼覚書で利家は出陣しようとしたが盛政の反対にあった
と書いている。

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 06:42:07 ID:EwVB5JMT
>>233
保身を追い求める事自体が即ちほうけているとはかぎらんよ
始皇帝に対する王翦と言う事もある

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 08:02:06 ID:k4hmkJO/
>>238
いや。それはまあ前田方の史料だよね。
個人的には>>145の勝家が明智討伐をしようとして利家の反対にあい…云々
の史料が聞きたかったのだが(´・ω・`)

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 10:47:12 ID:rjX5Guxc
>>236
で、その後、社長に納まった中堅の取締役支社長が、会社の株を勝手に
自分宛てに増資して会社を乗っ取り、同じく取締役を務めていた先代
社長の息子二人も会社から追放してしまった。幼少の嫡孫については、
もう価値が激減した株しか残らなかったと。

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 11:53:45 ID:nXFEN2q+
>>231
只の爺さんが当時日本最大勢力の筆頭家臣だったのか
日本ショボ杉

243 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/09/12(火) 12:14:12 ID:zffBPNKZ
だってさ家督順位から行けば三法師か茶筅なのに信孝を推して、仮に信孝が一番まともだからという理由だ
としても簡単に引っ込めて三法師擁立に同意しただろ、その後信孝と通じたかといえば少なくとも信孝が秀
吉と敵対するまでは一定のを保ってるし事なかれ主義丸出し。織田家を強固な組織にするつもりがあったな
ら会議ときの織田一門の領地配分や家督にも異を唱えただろうし、勝家の頭には結局織田の存続は必要だっ
たかも知れないけれど国姓爺のような忠義はなかったと思う。市を嫁に取ったのも保身の表われだよ
マジレスすると勝家が真の忠臣なら信長の御台か三法師の母を後見として立てる

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 12:34:09 ID:nXFEN2q+
>>243
市に再嫁を勧めたのは信孝。
あと、三法師の後見役は形式的とはいえ、織田家の家政を取り仕切ることだから
>信長の御台か三法師の母
こいつらには無理。あと改行よろ。

245 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/09/12(火) 12:40:47 ID:zffBPNKZ
一連の流れからすると勝家は忠臣か纂奪者かという意見に別れていると思うが君はどっち?

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 12:52:22 ID:nXFEN2q+
>>245
>忠臣か纂奪者か
何か両極端じゃね?
とりあえず、成人済みの信孝を推してる時点で簒奪する気はないだろ。

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 14:50:34 ID:/AS8KkwJ
どっちかというと鎌倉幕府の執権的立場かな>勝家の目標。

とすると北条政子=織田市か?

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 17:09:51 ID:rrwVDDKh
信長厨の俺としては勝家は神だったと思う。

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 20:34:11 ID:x70UZxE/
>>240
>勝家が明智討伐をしようとして利家の反対にあい
それって通説じゃないの?

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 00:32:59 ID:hbE0mFZp
>>249
ぉう!
どっからかおせーて

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 00:35:54 ID:fP9Eb479
お前見たいのが居ると足手纏いだな

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 22:27:44 ID:QZRzNwrf
当時の勝家の織田家中や他大名や民衆からの評価ってどんなかんじだったの。

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 14:41:22 ID:QuF6xbW1
家中の評価は、賤ヶ岳で分かれた勢力図のまんまじゃない?
あまり人望はなかったようだな。

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 23:43:49 ID:0DNj/DiM
それは各将の護身のためでしょ。
京の民衆は勝家贔屓が多かったらしい。

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 01:04:04 ID:d5n/g2R7
前田、金森レベルなら保身と言えるけど、丹羽、池田は明らかに対立姿勢とっていた。
勝家についた大身の奴って滝川くらいでしょ。

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 11:15:26 ID:1ZtYGeCH
>>255
それも秀吉が勝家陣営に追いやった感じ。
ただ秀吉は滝川にかなり手間をかけさせられたが。

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 12:22:03 ID:OE0QGG9y
賤ヶ岳合戦記だか江州余呉庄合戦覚書だかで、北ノ庄包囲中に秀吉陣営の武将達から
勝家助命の進言があったが、秀吉が却下したっていう記述があるし、
人望はあったと思う。

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 17:37:31 ID:dEf+RLW3
秀吉の小早川隆景宛ての書状でも、
心あるもののふは、なみだをこぼし〜〜〜ってのがあったけ。

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 17:39:16 ID:dEf+RLW3
>>255
>丹羽、池田は明らかに対立姿勢とっていた。
無知ですまん、くわしく教えてもらえないだろうか。

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 19:15:30 ID:jUfpVDg4
>>258
♪ ∧,_∧
   (´;ω;`) ))
 (( ( つ ヽ、   ♪
   〉 とノ )))
  (__ノ^(_)

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 18:22:04 ID:u50I2SV7
>>257
俺も賤ヶ岳の本でその話読んだことあるな
諸将が「柴田殿は大功ある武将なので命だけでも助けてはどうですか?」って聞いたら
秀吉が「柴田を助命するということは庭に虎を放つようなものだ」っつって断ったとか

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 10:07:15 ID:PEmNsUt6
信長が根切りにしたとはいえ、一向一揆の巣だった越前他の北陸地方を大過なく
治めたんだから行政家としてはもっと評価されるべきだと思うんだ。

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 12:34:57 ID:64kMC7Em
勝家は宗徒を高田派、三門派に改宗させて非武装化に成功してるしな。
前田利家なんかは千人余り釜茹でにしてるが。

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 14:29:43 ID:TntO16PJ
>>261
高柳さんの本かな。
俺もそれ読むまでは勝家のイメージ悪かったな。

265 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/09/21(木) 16:36:41 ID:72ROTk2E
高柳の本は時代を越えても色褪せないよな。光秀の本にしてもそう。
学説なんて時代とともに次々と後から新説が出てきて塗り替えられるものだが
高柳のはそれがない。基本的な部分に忠実なのと、よく史料を読み込んでいる証拠だな
静大の教授も見習えw

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 19:31:29 ID:TntO16PJ
231 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/09/11(月) 22:33:22 ID:zDrdQc1C
勝家は纂奪者というよりもちろん忠犬と呼べる物でもなく己の保身のみ追い掛けた只の爺さんだったんだよ

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 21:00:12 ID:j5C7JnIJ
>>1
夏の夜の夢路はかなきあとの名を 雲井にあげよ、山ほととぎす

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 21:22:56 ID:TntO16PJ
勝家も悲しんでいるわな。

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 07:16:45 ID:mycQ6mdE
あげ

270 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/09/22(金) 22:52:14 ID:6IAAFNEm
後裔の話題はでてたっけな?

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 00:38:47 ID:jfsF3gq2
でてましたぜ。

わからないけどね。

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 01:24:04 ID:ReN5cupr
>>161
>勝家は即座に撤退し明智を討とうとしたが前田の反対で〜
高柳氏の著書で見たことある。

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 19:29:53 ID:RtwdYPQy


669 日本@名無史さん sage 2006/10/01(日) 11:13:44
賎ヶ岳に至るまでに、秀吉は毛利と和睦し、上杉景勝と同盟し、
丹羽・池田・筒井・細川などの織田系大名を完全に配下に入れ、
織田信孝・柴田勝豊を屈服させ、滝川一益を撃破し、柴田勢を孤立させる
ことに完全に成功している。秀吉が柴田包囲網を着々と築いている中で、
外交戦でやられっぱなしの柴田勢の与騎大名が不安に感じるのはむしろ当然。

そんな中で賎ヶ岳の戦いが始まり、柴田軍の指揮系統にまで乱れが
生じてしまえば、利家もやる気もなくなるだろ。

それと勝家が陣を構えた内中尾山が戦線から5kmも後方にあり
与騎大名達が、勝家のやる気や指揮能力を疑っていたのは、
多くの史家が指摘している。
外交戦で秀吉に負けっぱなしで、養子の勝豊にまで寝返ってしまい、
勝家も弱気になっていたのかもしれない。
総大将が弱気になっていたらそれがすぐに全軍に伝わるからなあ。
佐久間盛政の突出は常識では考えられない話で、色々な説があるが、
勝家が弱気になっているために、勝家を奮い立たせ、勝家を最前線に
出させるために、あえて突出したと考えるべきじゃないかな。
それぐらい盛政も追い詰められていたんだろ。

柴田は糞

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 19:33:23 ID:wHhbTZDs
いつも思うんだが辞世の句って前から考えてんのか?
それとも間際で思いつくんだろうか

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 19:52:39 ID:wXT3iJ4d
>>274
基本的に用意してるんじゃね?
戦場で働く武将はいつ死ぬかわからんのだし

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 22:15:55 ID:fNo88kXF
273はあえてスルーですか?

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 00:42:23 ID:xp041oCR
だれか>>273の相手してあげてください。
私は怖いのでパス。

278 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/10/04(水) 00:46:40 ID:fLxc0Rqi
オレもパス

↓君やって。

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 02:22:49 ID:v2wApyVi
えんがちょ、バーリア

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 08:03:05 ID:dBE0BAqo
あれ、日本史のナンバー4前田利家スレに書き込んであったやつかと

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 08:10:28 ID:dBE0BAqo
しかしクソ評価悪いなあ

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 08:51:31 ID:rS3FvtrI
>>273

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 19:04:37 ID:Z7WeMu3a
>>273を読んでやっと納得
いや、秀吉に攻められたとき、前田や佐久間があぼんしても
勝家軍だけでも数万いたんでしょ?、それならもう少し抵抗できただろと思ってたんだよ
(関ヶ原の三成とか最後の最後まで抵抗してるじゃん、柴田軍はあっけないなあと思ってたんだよ)
なるほど最初からやる気がなくびびってて、崩壊寸前だったわけね
これで柴田軍の淡白な敗北の理由がわかったよ。

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 19:11:28 ID:rS3FvtrI







どこを縦読み?

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 19:19:09 ID:dBE0BAqo
>>283
>勝家軍だけでも数万いたんでしょ?
まじで?
>それならもう少し抵抗できただろと思ってたんだよ
(関ヶ原の三成とか最後の最後まで抵抗してるじゃん、柴田軍はあっけないなあと思ってたんだよ)
まじで?

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 19:21:47 ID:dBE0BAqo
内中尾山?
まじでずっといたの?

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 19:57:20 ID:xp041oCR
毛受勝助と共に、賤ヶ岳に残って最期まで闘った人達ってもっと評価されてもいいよね。


288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 20:09:09 ID:dBE0BAqo
兄ちゃんか勝助が母親のことを気づかうエピソードがあったな。

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 23:31:15 ID:US5c1W0f
    ___
   ,;f     ヽ
  i:         i
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  (.  >ノ(、_, )ヽ、} l   .i .! |  >>270が氏にますように
  ,,∧ヽ !-=ニ=- | │   | .|
/\..\\`ニニ´ !, {   .ノ.ノ
/  \ \ ̄ ̄ ̄../   / .|


290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 23:35:09 ID:eu0BhQAS
>>283
全軍で数万はいただろうけど
勝家の本隊は1万程度なんじゃ
それに撤退したのは前田隊だけでなく金森などもだし
その撤退を見て勝家本隊からも脱走者が続出したんじゃ
勝家は旗本数騎に守られて退却、毛受勝助の旗本数千が残って時間を稼いだと言うから
大半が逃げ散っていたんじゃ。

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 08:44:38 ID:jJJvZd7m
>>290
勝家と盛政で1万5000くらい
主力は盛政に預けてるから、勝家本陣は数千くらいだろ

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 10:15:56 ID:+Lh64dOx
柴田兵は逃げるの早すぎ
よっぽど秀吉が怖かったんだろうね
時間を稼いだ毛受勝助とやらは評価されてもいい漢だね
後世で柴田の評価が低いのはこの最後の戦いで
ろくに抵抗もせず逃げ帰ったからじゃないかね
ここで秀吉軍と獅子奮迅の戦いをすれば評価は違ってたと思う世。


293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 12:02:21 ID:m5Ek1t2a
>>292
それはあるかもね。
賤ヶ岳は秀吉の圧勝、大勝利とされた反動で勝家があっさり負けたようなイメージがある。

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 12:39:03 ID:jJJvZd7m
>後世で柴田の評価が低いのは
具体的に誰のどの評価か分からん。
自分の評価?

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 12:59:38 ID:jJJvZd7m
それから柴田に関係なく、小者、夫丸みたいな駆り出された兵士は旗色悪くなったら逃げ出す
毛受等みたいな旗本は違うが


296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 16:16:39 ID:4EmEopoX
主力が崩壊して逃げ出すのは、めずらしくない。
羽柴もギリギリの勝利。

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 16:31:59 ID:TDMPfLWJ
柴田って城に戻ってから命乞いしてるよね
それで断られて自害と
惨めな最後ですね

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 17:00:26 ID:1OfWXwXN
最近はそこまで酷い漫画があるのか。

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 17:02:39 ID:jJJvZd7m
多分脳内資料だろw
朝鮮人かよ

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 18:38:53 ID:OXQ/vT4Z
>>297

アフォ



301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 19:01:22 ID:6EnGIGgH
びびり勝家w

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 01:13:37 ID:iK2IuXwe
他スレ見て思ったことだが
勝家は75年に越前に入ってからは
手取川の時に丹羽や滝川羽柴美濃3人衆等の協力を仰いだくらいで
それ以外はほとんど自分の与力とだけで行動している。

それに対し秀吉は紀伊攻めで北陸軍団以外の武将と共に行動したり
播磨攻めで滝川丹羽明智の協力を受けたり
荒木攻め別所攻めでは主だった武将のほか佐々前田も参加している
四国遠征軍も淡路瀬戸内を秀吉が押さえてる関係から秀吉とある程度縁を
持っている
山崎の戦いでも畿内の織田勢力をほぼ協力させている
清洲会議前の段階で勝家は他の信長の軍団と関係が希薄になっていて
秀吉は他の軍団といろいろ関係を持っていたことも大きいのでは。

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 08:05:06 ID:99se+aIT
なるほど。

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 08:23:18 ID:cQBwCNcs
誰か>>301の相手をしてあげて下さい

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 10:35:30 ID:I3qdcI7X
事実だから仕方ない。

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 10:59:07 ID:zoYhcXti
勝家が本来優秀な大将だと言うことに異を唱えるつもりは無いけど、
佐久間盛政がいかにも敗因を作った猪武者みたいに言われて、責を負わされてるのは非常に疑問。

そもそも兵力数で言っても賤ヶ岳合戦は秀吉の本隊が戻ってきてしまったら
いくら勇猛で誇る勝家軍と言えど、まるっきり勝ち目の無い合戦だった。
だからこそ先制攻撃が必要だったのであり、素早く成果を出して速やかに撤収する必要があったわけだ。

では佐久間盛政はそれが出来なかったのかと言えばそんな事は無い、
中入り自体は奇跡的に成功している、見事に羽柴軍の隙を衝けていて、成果も出せている。
その後後詰をしっかりしてあげれば、もっとハッキリと成果を出せていたかもしれない。

そして秀吉本軍が到着する前に、全軍で整然と引いて守ってしまえば、
秀吉もさすがに容易に手は出せず、その後の秀吉との交渉も相当優位に進められたろう。
というよりそれしか手は無いぐらいギリギリな状況なわけで。

なのにそこまで成功させているにもかかわらず勝負に出れなかった勝家には
やはり老いというか、そういったものを感じる。あそこで引くぐらいなら初めから戦うべきでなかった。
盛政がそこまで先が見えていたとは到底思えないし、そこで勝負したって負ける可能性の方が
結局高かった事はやはり否定できない。
だけど少なくともその若さと勢いで、突破口を切り開く一つのきっかけは作れていた、
勝家が動かないとわかれば、ちゃんと引いていたし、羽柴本軍が到着してしまえば守るため最後まで抗戦した。
それを褒められこそすれど非難されるべき点が盛政にあったとは思えない。

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 12:29:47 ID:i2spNGPB
佐久間政盛は秀吉からの甘い誘いも断って勝家に殉じてるし、賤ヶ岳での行動も非難されるばかりじゃおかしいよね。退却にも成功してるし。
やっぱり決定的なのは前田の戦場離脱じゃないの?

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 13:34:15 ID:k40E4Qvz
佐久間盛政が酷評されるのは前田が大大名として生き残ったからじゃまいか。
しかし前田の世渡り上手ぶりはすさまじいな。
本来なら小早川秀秋と同類なのにな。

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 15:28:39 ID:cQBwCNcs
>>306
勝家の状況判断が正しかったか、盛政の状況判断が正しかったかは、高柳も微妙な所で分からないと書いてる。
仮に勝家、盛政どちらかの主張が通っていれば、秀吉もこれを打ち破るのは困難だっただろうとの事。
その上で勝家の直接的な敗因は利家の撤退であり、関が原の小早川秀秋の裏切りに匹敵するものだと言ってる。
(一方で当時の常識からいえば、非難されるものではないと擁護してるけど)
盛政の策が間違ってなかったことは明らかだけど、イコール勝家の策が間違ってたっていうのも誤り。


310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 16:18:08 ID:DXTLVnVT
ようするに、まともに状況判断も出来ず、秀吉軍にビビりまくって引きこもっていた
年老いた勝家が賤ヶ岳最大の敗因なわけだ
秀吉の外交戦略で外堀を埋められ弱気になってたという説がビンゴなわけだね

佐久間は逃げるとき泣いただろうな、自分の大将のあまりの屁たれぶりによ
トップがびびりで動かないんだから、与力大名の前田たちが見限るのも当然だよな

晩年の柴田勝家の弱気ビビり屁垂れっぷりはガチ!ってことで終了w


311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 16:20:47 ID:mQjO65yJ
当時の見方は柴田勝家の指示に従わず、独断で動いた佐久間盛政が悪いのであって
機を見て撤退した前田等はぜんぜん悪くないという感じ。

結果をすべて知ってる後世からみれば戦犯は前田等になるわけだが、TOPの軍令を守らずに動ける軍隊なんてあるのかな?

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 16:20:53 ID:cQBwCNcs
過去レス見る限り、毎日涌いてるな
よっぽど勝家がお気に入りなんだねw

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 16:24:25 ID:cQBwCNcs
>>311
慣習からして珍しくないだけで、当時も倫理的には褒められた行動じゃないよ>利家
だからこそ秀吉は前田家を必死に擁護した訳だし、利家の家臣も「うちも2、3人死んだから裏切りじゃないよ」とか苦しい言い訳をしてる。


314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 16:34:58 ID:DXTLVnVT
戦の責任はすべて大将にあり!
戦の責任は、勝っても負けてもすべて大将にあるのは誰もが認めることである
佐久間の暴走や前田の離反も、人心を掌握、
もしくは管理できなかった大将柴田の責任である
それを棚に上げ、敗戦の責任を全部部下になすりつけようとする柴田ヲタは
基地外のレベルである、こんな非常識は許されないはずだ


315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 17:03:23 ID:99se+aIT
アンチ勝家は高柳嫁。

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 17:10:35 ID:cQBwCNcs
安置じゃなくてただの荒らし

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 17:17:26 ID:99se+aIT
ID:DXTLVnVTが特にひどい。

はずかしくないのだろうか。

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 17:18:21 ID:99se+aIT
柴田ヲタといっても俺しかいないわけだ。

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 17:36:23 ID:DXTLVnVT
柴田の失敗をあげたらきりがない

墨俣築けなかったり、石山合戦で負傷したり、手取&しずがたけの敗戦
実は桶狭間に出陣してない柴田勝家、織田信勝を裏切ってもいる

吉川新書太閤記では命令無視をした佐久間を人選した柴田に敗戦の全責任があると書いてある


320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 17:42:06 ID:cQBwCNcs
>>318
柴田神社って行った事ある?
一度行ってみたいと思ってんだが、結構新しいし、しょぼそうで

321 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/10/06(金) 17:49:01 ID:mnW3jPmk
権六を不当に蔑める必要はないと思うけどな。逆に忠臣だと褒め讃える必要も皆無

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 17:51:33 ID:DXTLVnVT

俺は信長の命令として前田と佐々(+秀吉もあるかも)に「柴田暗殺指令」が出ていたのではと思ってる
信長は心配性で神経質で昔のことを根に持つ男だ
信長が一度織田家を裏切ったことのある勝家が大きくなることに不安を感じていたとしたら・・・
信長は信用の置ける、自分の子飼いの前田と佐々を勝家の与力につけて勝家を警戒している事実もある
前田と佐々(+秀吉もあるかも)に「俺になにかあったら勝家を殺せ」と命令が出ていたとしても不思議ではない
だから前田は途中で離脱し、佐々は理由をつけて賤ヶ岳に参戦しなかったのだ
ヤバイこれビンゴだろ、賤ヶ岳の真実が今明らかに!

323 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/10/06(金) 18:02:16 ID:mnW3jPmk
>>322
その妄想は半分は当たりで半分ははずれだろう
理由は、信長が生きてた場合、林・佐久間の前例を見れば次の粛正対象リスト
の中に柴田が入るのは確実。はずれと言ったのは暗殺よりも追放の可能性が高いこと
柴田に限らないが晩年の信長を見る限り、信長が生きてら家臣粛正のペースは加速度的に進むだろう

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 18:11:51 ID:i2spNGPB
>>322
まず、勝家が織田家を裏切ったってとこから間違ってるけど?
当時、信行の家老だった勝家の状況考えると信行につくのは当然じゃない?

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 18:26:19 ID:II+Cxb4v
>>319
釣れますか?

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 00:16:03 ID:dRp7qgRg
吉川新書太閤記って辺りに二重の釣り針が・・・。

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 01:21:15 ID:vsC3X7un
>>324
322は置いといて、柴田はあくまで付け家老であり、
また信行は信長の家臣で、柴田も織田家家臣の身分であるから、
信長を裏切る信行に着いて行くことは連帯的に織田家を裏切ってることになるでしょ。

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 01:44:04 ID:0CPdWRAw
普通に考えたら謀反人の部下だから謀反人だろうな
ただ、本家から派遣された立場で尚且つ末森衆の中核だったから、かなり難しい立場だったんじゃないの?
実際に信勝(の家臣達)に疎まれて陰に追い遣られてから信長側に走ってるし

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 01:54:31 ID:qM7653xd
謀反と裏切り。
わかるか?
勝家は謀反人について行った
つまり勝家も謀反人。
しかし信長からの裏切りではない。

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 01:59:21 ID:qM7653xd
>>323
おまいさんのも妄想だよね?
>の中に柴田が入るのは確実。
これとか。

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 04:13:24 ID:4t7sgAs3
勝家はあくまで主君に従ったともいえるからな。その点で、明らかに信長付であり
ながら裏切った林とは立場が異なる。
それから>322 裏切った、というのなら佐々成政も裏切っているのだが。尾張時代に。
信長公記によれば成政は信長暗殺を企んでいる。ただ信長がそのことを認識して
いたかどうか不明だが。

332 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/10/07(土) 22:12:50 ID:5amebrwt
粛清リストを仮想するなら、期間を区切らないといかんと思うんだが。

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 00:16:37 ID:DAhk4Lzh
期間か。期間てなんだ。

334 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 05:30:54 ID:5jJYbyg7
柴田ってなんで勝政、勝豊みたいなカスを養子にしたの?

335 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 09:21:56 ID:pWqbuTx3
勝家の持久戦も微妙だよな
長浜と岐阜は落とされ、滝川も動かず、チョウソ壁も動かず、家康も動かず
もうあの時点で万事休すくさいし、あのまま北陸を空けてたら上杉が攻めてきたんじゃねーの?
佐々では上杉軍を抑えられんだろう。佐久間が行った時に全軍で勝負かけたほうが絶対に良かったよな。
秀吉が戻る前なら全面対決で秀吉軍を蹴散らせられる可能性があっただけに惜しいよな。


336 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 14:09:48 ID:pkAPqFs9
>>335
佐々成政は守るどころかむしろ攻めて、魚津城落としたんじゃなかったっけ?

337 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 14:16:11 ID:M2zGIbLH
北陸がカラなのにわざわざ上杉を攻めたのかよ
逆襲されたらどうするつもりだったんだろ
柴田の持久戦も水泡に帰すぞ

338 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 15:00:47 ID:4mxqjOZy
昨日のショボ太閤記のせいで腹壊した

339 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/13(水) 15:03:17 ID:uDnYPoho
スレ違いだろ

340 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 13:11:48 ID:shdbGwJ7
>>337
当時の上杉は徳川北条と敵対して国内では新発田の反乱
越中の大半を制している佐々からすればそれほど怖い相手じゃないだろ

341 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 06:34:31 ID:RWYJ/4ln
勝家って史実でもロリコンなの?

342 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 18:41:09 ID:1kZBbmsV
なかなか早い釣り乙。


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