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藤堂高虎

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 14:51:03 ID:sR9L8cH0
なぜこの人のスレがないの?偉い人だったと思うけど

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 14:56:45 ID:IUJ0uM1z
偉くはないが名将ではある

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 14:56:48 ID:Htvf0Rm5
三国志の賈詡と被らないか?

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 16:06:10 ID:g+RQ65Rf
裏切り者の名を受けて〜 総てを捨てて戦う大名〜
戦場寝返りなんのその 腹芸一つで領地拡張〜

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 16:33:13 ID:+mST/sen
7回主を変えた転職ぶりや、豊臣見限りの絶妙のタイミングより、
むしろ江戸期の徳川家康・秀忠を手玉に取ってみせた手腕の方が
スゲーと思う。
この人は、主君としても部下としても優れた人だと思うけど、
おれが横並びで外様大名だったら、そのあまりのスリ寄りっぷりに
やっぱりうんざりするだろうな、という気はする。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 17:29:23 ID:LHCVatDw
実は日本の築城史上、最も重要な人物の一人だったりもするな。
司馬遼太郎の小説のせいで悪役にされてるが、個人的には人格的にも、同時代の武将の中でも
傑出したものが有ると思ってる。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 18:13:50 ID:Jv7fykQM
>>3
なんとなくわかる。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 19:32:50 ID:IUJ0uM1z
身長188aぐらいだっけ?
若い頃は槍働きで百姓とたいして変わらん身分から出世して
九州征伐でも命令無視して孤軍奮闘する宮部隊に独断で合流
夜明けまで激戦を演じて骨のある所を見せたり
根っからの武人って感じだったのに
晩年はかなりイメージが…

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 20:00:41 ID:p5NnN6S4
家康とあの世で会うために、改宗するのはちょっとやりすぎというか、な…
もっとも、豊臣恩顧の外様大名で生き延びるのは大変だったとは思うんだが
妻子を人質として江戸に住まわせるのも、藤堂が最初に率先してはじめたし
尻尾の振り方が、ちょっと潔すぎる感じはある

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 20:05:30 ID:kjuyS6JO
要領がいい。
おまけに幕末には子孫も要領がよかった。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 20:23:16 ID:GrIhp5mj
なんで、江戸時代に藤堂は、福島正則や黒田長政と仲悪くなったんだ?
別に領地も隣国でもないし理由がよくわからん。


12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 20:42:41 ID:Htvf0Rm5
田村亮藤堂はかなり目立ってたな

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 23:07:43 ID:tq/4X+4R
父親の名前が虎高で、母親の名前がおとら
で、本人は高虎ってなにげに凄いネーミングではあるな
そんなに一家で虎がすきだったのか…

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 00:03:21 ID:lmXrtZCP
藤堂平助

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 00:07:06 ID:lmXrtZCP
高虎って肥満体だったらしいよ

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 00:44:59 ID:Ln448tu8
馬鹿な

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 09:01:36 ID:nyaaMOy8
&35425;

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 09:02:21 ID:nyaaMOy8


19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 09:03:21 ID:nyaaMOy8
なんじゃこりゃーーー

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 15:35:24 ID:JWb/J9+C
俺は劉備とかぶると思う
寄生虫のプロフェッショナルという感じ

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 17:16:34 ID:YaJki0N3
劉備とは全然別だろ。高虎は徹頭徹尾役に立つ人間だからな。多少政治力のあるテクノクラートって感じだ。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 17:29:08 ID:lmXrtZCP
藤堂高虎を評して、
「立場が違えば家康にもなった男」と言ったのは司馬遼太郎だけど、
彼の場合高虎を誉めるというより家康を貶してるように見える

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 18:02:42 ID:ei+pp6KA
「覇王の家」の一説だっけ?
まあ貶してるんだろうね

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 18:18:57 ID:YaJki0N3
あの頃の司馬のアンチ家康観は、憎悪すらこもってるからな。
後々資料捏造したりムリムリに解釈変更したりしてるの知ったときには引いた。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 18:24:52 ID:ei+pp6KA
まあ覇王の家自体は割と面白い小説だったと思うけど
巻末の司馬の家康観が物議を醸す出来w
雑賀孫一を暗殺したと伝わってるらしいけど、だれかこのことについて詳しく知ってる人いる?

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 18:36:41 ID:y1xncjIK
司馬遼は、藤堂高虎は嫌いだったみたいだね。
主君を7回代えたといっても主家が潰れてるんだから仕方ないし、
徳川の顔色見て過したのは、豊臣恩顧の外様大名はみんなそうだから、
それを悪く言っても仕方ないと思うんだがな。
ただ、高虎の忠義立てって犬が腹を見せて媚びるみたいなやり方だから、
家のために、国もち大名の気概とかプライド捨てて擦り寄ったというより、
そういう余計なものが、悪い意味で元々なかったんだろうなという気はする。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 18:56:06 ID:ei+pp6KA
高虎は同じように豊臣を見捨てて徳川に付いた武将(長政とか嘉明とか)にも滅茶苦茶嫌われてたらしいね
やってることは後世の立場から見て同じなんだが、当事者たちにはそれなりの拘りがあった模様

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 19:22:17 ID:fA9dZhzm
加藤(嘉)と藤堂の不仲は、朝鮮出兵のときの手柄争いで揉めたのが原因らしく、
藤堂家の公式文書にも公然と「不仲」と記されるくらい、昔から仲が悪かった。
黒田は、よくわからん。
ただ長政は、自分の娘を藤堂家にやる約束を急に反故にして揉めているから、
何か気にいらないことがあったのは確か。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 02:00:13 ID:nn6ATnH6
大和豊臣家が存続していたら、秀吉亡き後でも豊臣の為に動いたんだろうな。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 02:47:04 ID:sauR9TqC
>>29
大和豊臣家の滅び方は恣意的なものを感じるね。
本当に秀吉、あるいは三成が裏工作したのなら、そんな豊臣本家に
忠誠しろ、と言う方が無理だよな。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 02:53:16 ID:VRYh+76R
秀吉や三成に大和豊臣家が滅びて得るメリットなんて無いだろ

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 03:20:20 ID:sauR9TqC
>>31
大和豊臣家が残っていれば、秀吉の死後その当主が秀頼の後見役となって執権を取っただろうね。
そういう意味では秀吉はともかく、三成には邪魔だったかも。

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 03:32:40 ID:YsgqhdU0
この男、個人への帰属意識が強いんじゃないか?
現在裏切りとされる行為も、
ほとんどは主君死後のことだし。
ただ新たな主君への追随のし方があまりにも露骨で
不快感を与えやすいだけなのかもしれん。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 08:42:17 ID:vf73w2c/
ちょっと不思議なくらい徳川家に気に入られてるところを見ると、
家康や秀忠とは個人的に馬があったんだろうな

まあ、他の外様連中からしたら、おれたちは心ならずも追随してるのに、
お前は本気かよ!って感じだったんだろう
同じ外様という立場で、ひとりだけえらく忠実なやつがいると、バランス的に
あわせて忠義立て競争をする破目になるから、迷惑というか面倒というかな

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 15:30:59 ID:sauR9TqC
>>34
でも外様の中でも毛利とか伊達とか前田とか、そういうところとは仲がいいような>高虎
仲がいい悪いはそれぞれだろ。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 16:24:57 ID:oQgZC6ra
福島正則とも仲悪いな。
ものすごく大人げない嫌がらせを正則がして、笑ったりしてるw
このひと三成襲撃の七将にカウントされることもあるのに
武断派の連中と、もしかして仲悪いのかも??
正則が改易された後、ある旧臣を召抱えようとしたら、
旧主の正則は高虎とは不仲だったので仕えたくないと言って断った話がある。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 19:02:20 ID:bcvau+8h
ゲームの話になるが、「義理1」はどうかと思う。
松永と同じって・・・。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 20:11:54 ID:iEXotg/L
裏切る後と前は忠義一徹と言ってもいいしな。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 21:34:34 ID:sauR9TqC
多分主家筋でも、無能な奴には使える気のないタイプだったんだろうな。それをかつて仕えてた
家から言わせると「裏切り」になる、と。

会社で言えば、創業の社長が死んでその息子が新社長になり、前社長と苦楽をともにして会社を守り立てた取締役が退社して
別の会社に移り、同じ業種でめざましい業績を上げ、逆に元いた会社は業績を下げ、新社長はその責任を元の取締役の「裏切り」だと
転化して恨みつらみを投げかける。

こういう図式だと考えると解りやすい。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 21:50:15 ID:VRYh+76R
高虎は同じようにヘッドハンティングされた同僚達からも嫌われてたわけで、その例えは適切じゃない

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 22:44:48 ID:R1sOJv3Q
ちょっとしたトリビア

藤堂高虎の「虎」の字は、武田信玄の父・信虎に由来する。


補足
高虎の父・虎高は、武田信虎に仕え軍功をあげてその偏諱を賜り、のちに近江の浅井氏に仕官したと「寛政重修諸家譜」にある。

かなり怪しい話ですが・・・

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 01:43:21 ID:V5LXfQAR
藤堂修羅

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 02:40:08 ID:81v8c4m2
武将の能力という観点からは過大評価されてるように思う
高虎が優れていたのは時勢を見ることと、取り入るための弁舌
まあこれが戦国を生き抜くためにもっとも必要な能力だったりするんだけどね

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 04:12:04 ID:ZFWLvv0/
高虎が評価されたのは、行政技術とインフラ整備の能力の高さだろ。
江戸初期の築城や街作りにかんしては、高虎の独壇場と言っていい。

個人的には逆に人に取り入ったり時勢を見るこ事は上手くない人間だったと考えているよ。
取り入る事が上手けりゃ、もっとキレイな経歴を歩くだろ。山内一豊みたいに。

基本的には家康が異常なほどその能力を評価しただけ、っていうのがホントのトコだと思うよ。
それで高虎も感動して家康に絶対の忠誠を誓った。

「士は士を知るもののために死す」ですよ。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 11:28:13 ID:7+uHQTmA
それはいくらなんでも贔屓の引き倒しという気がするが・・・
築城と城下町づくりに非常に優秀な能力があったのは事実だが、
ふつうに人心懐柔術も世渡りの才覚も人並み以上にあった人でしょう。

個人的には、この人の評価は、幕末の津藩の絶妙すぎる裏切りのタイミングが
先祖にも波及効果を与えて、わりを食ってる部分はあるとは思う。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 12:52:41 ID:PeftYZtw
高虎の直系って5代くらいで途絶えたらしいね

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 14:31:54 ID:gh7cyQ1S
むしろ直系だけで幕末まで続いた大名家のほうが稀なんでは?

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 23:59:35 ID:2GaDIdao
家康と同じ宗教に改宗する話はいかにも高虎っぽい。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 13:32:04 ID:2fVHV535
あれ、家康って関ヶ原では「厭離穢土、欣求浄土」の馬印だけど
これって浄土宗に由来するんじゃなかったっけ?
でも、高虎は天台宗に改宗したって読んだ記憶があるんだけど、
思い違いだろうか??

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 15:01:44 ID:iylAOvkN
>>49
家康も天海の薦め(?)でアレしたからw

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 21:43:52 ID:rBc9aX5r
ぐだぐだと言い訳を垂れながら豊臣家を見殺しにして
結局、改易されたどっかの馬鹿松よりよっぽど好感もてるな
家康に重用されたのも信長が松永を厚遇したのと同じように
飼い馴らしてる事が飼い主の器の大きさを示す武将だったからじゃないかな

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 06:02:24 ID:Ugrr2300
藤堂高虎逸話集
http://www5e.biglobe.ne.jp/~nikke/toudoutakatora.html

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 08:52:20 ID:GXAf8SFP
司馬遼はほんと高虎嫌いっぽいよな
「城塞」でも長宗我部と戦った時にまともなのは渡辺勘兵衛くらいだ
家康と秀忠のご機嫌取りに奔走する愚将のように書かれてるのは酷いと思ふ

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 08:58:36 ID:SGvZsaVY
フィクションの作品を一々持ち出すのは話の方向が迷走するから止めた方が良い。
司馬は贔屓〜だの、一般人は〜だの、ここには聞き飽きた人間ばかりだぞ。

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 09:37:58 ID:GXAf8SFP
>>54
スマソ
上で覇王の家関連のレスあったから、ついつい・・・


56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 10:31:10 ID:1WmWsTcs
別にいいんじゃないかな?ここに書き込んでる人はそれなりに小説との区別はついてると思うよ。
ましてここは史学考証だけの板じゃないんだし。
〜のサイトではとかwikiではこうとかで史実を語るよりよほどましかと。

57 :名無しさん:2006/09/09(土) 16:31:25 ID:blSu6Vp7
藤堂家をたてなおすために、主家をたびたびかえたが、臨機応変に方針を変える事により、家をどんどん繁栄させてきた。戦国時代の生き残りの武将としては、真田家と同じで巧みな外交戦略を駆使した生き残りだった。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 04:40:37 ID:vtlEc7Ke
>>57
大きな政治変動のたびに領地を縮小させた真田家のどこが巧みな外交戦略を…

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 11:42:20 ID:Bd1sD6c4
>>58
けど、あの勢力であれだけの敵に囲まれて生き残っただけでも評価には値すると思うよ
結局は信之が中堅大名として生き残ったわけだしさ

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 17:38:45 ID:vtlEc7Ke
>>59
真田の外交って、目先の事ばかりなんだよね、目的が。
損して得取れと言うか、一時的に引いておいて、後で政治的に有利な状況を作る、といった
発想が全く無い。もしくはいつも自分本位で、全体の中の真田家といった視点が無い。

藤堂高虎はいつも全体状況の中で自分はどうあるべきか、を考えてた人だろう。そのへんが
行動の解り難さにつながり、解り易い真田に比べて人気は出ないがな。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 18:13:17 ID:NJgtqd9K
普通に、引いたら潰されるレベルだったからじゃね?
少なくとも豊臣に臣従してきちんとした後ろ盾を得るまでふらふらしてる間は。

関ヶ原に関しては一発大博打、ただし信之は保険な、みたいな感じだが。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 18:20:01 ID:NJgtqd9K
レベルって言い方はおかしいか、状況、だな。

63 :59:2006/09/10(日) 19:56:18 ID:Bd1sD6c4
>>60
言わんとしていることはわかるよ
昌幸はその点、小物というか田舎大名らしい泥臭さがあるよね
個人の力量はおいといて高虎に比べて政治遊泳術は比べるべくもない
まぁ、俺は昌幸のそういうとこが好きなんだ
最近は昌幸を政戦両略に長けた名将とか思ってる奴が多くて困る

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 23:12:44 ID:Z87bduV7
鳥羽伏見の戦いでは藩祖を習って幕府を裏切り政府軍についたりと
その考え方は徹底しているな

まあ高虎が家康に接近したのはやっぱり秀吉の後継者に不安があった
からではないかと思う

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 23:49:28 ID:Y68Zrd54
中央で勝ち馬に乗ってれば良かった高虎と、
地方で大勢力に囲まれた中生き残らなければならなかった
昌幸とは全然状況が違うわけだけど

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 00:30:18 ID:PQpOT2Dc
#大きな政治変動のたびに領地を縮小させた真田家
そうか?

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 00:41:09 ID:KCNLa839
とりあえずその「領地」の基準はいつなんだろうか。
一応「縮小した」最終的な領地は松代十万石、
信之で区切るなら十三万五千石でいいんだよな?

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 02:10:59 ID:7L82QsQQ
>>65
中央で生き残る事の方がずっと大変だよ。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 02:21:40 ID:24wh7W8I
畿内で織豊政権の庇護の下で暮らしてた高虎と、
上杉・徳川・北条の大大名に囲まれた小大名真田、
どちらが生き残るのが大変だったかって話でしょ
この人は結局家康に取り入るのが上手かっただけ
本当に「外交」能力を駆使したことなど一度も無い
もちろん彼の戦歴・治績を否定するわけじゃないが

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 03:26:40 ID:7L82QsQQ
>>69
庇護なんていつされたんだ?>高虎
基本的に自身の能力のみで大名にまでのし上がって行った人間なのに。
高虎がサラリーマンだったとでも思いたいのだろうか?

つーか、本当の「外交」能力って何の事を言おうとしているんだ?

武田家滅亡以降の真田の歩み方は、旗幟を鮮明にせず、だからといって独立を志向した
わけでもないという、非常に中途半端な態度を示し、そのため徳川からも北条からも上杉からも
不審の目で見られた。(少し酷い言い方をすれば、三者を手玉に取ろうとして、逆に三者
全てから信用されなくなった)これで苦労したのは自業自得だよ。

真田が評価されるべきは、そういう政治的なことではなく、その戦術と武士道的な精神によって
だと思うよ。何でもかんでも真田が凄かったと思うのは逆に贔屓の引き倒しになると思う。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 03:36:14 ID:SD8g9ioF
>>70
概ね同意だが、武士道的な精神がよくわからん
良くも悪くも田舎大名的な意地汚さだろう
真田もあの当時の一般的な領土欲旺盛な一大名にすぎん

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 03:59:25 ID:7L82QsQQ
>>71
「小なりといえども大に飲み込まれず」って”意地”の部分かな?
そういう精神は感じるよ、真田家には。まあ田舎大名的な意地汚さってのにも
同意はするがw
良い言い方をすれば「誇り高く」、悪い言い方をすれば「意固地」
江戸期において洗練される以前の、武士道的ではあるんじゃないかな?

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 04:22:40 ID:24wh7W8I
実際問題当たらずとも遠からずといった感じなんじゃないの?>サラリーマン大名高虎
勿論仕事せずに年功序列で出世していく駄目リーマンじゃなくて有能な現場からの叩き上げだけど
織豊政権という大企業に就職した高虎には、本能寺の変後の昌幸のように自分の利権を守るために、
周囲の大勢力との間で明日をも知らぬ綱渡りをしたような経験はないだろう、ってこと
真田の外交方針が定まってないと批判するが、当時の真田に他にどのような選択肢があったというのか
結局中央政権に先祖代々の信濃領と自分で切り取った上野領(沼田城を除く)を安堵されてるわけだから、
その手腕は十分評価されて然るべきだと思うが>昌幸
少なくとも自分には高虎より見劣りするとは思えない

ちなみに真田の武士道精神なんてのは自分もそんなに評価してない
戦術もどちらかというと過大評価されてる方だろう
昌幸が評価されるべきなのは、秀吉に「表裏比興」と評されたフットワークの軽さだと思ってる

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 04:29:28 ID:aYBAQ37R
>>70
武田家滅亡後の関東・甲信越の政治状況は流動的で錯綜していたんだから、
むしろ真田は上手く生き延びた方だと思うけどね・・
健闘したと素直に褒めていいレベルだと、個人的には思う。

あと、外交っていうのは、例えば真田が徳川・上杉・北条相手に行った
ような大名間レベルで、主体的に大きな交渉をするってことでは?
主家を選ぶとか、東軍・西軍を選ぶとかいう一対一の選択とは、また別の。
豊臣政権下で秀長つきだった藤堂にはそもそも、そんな大きな決定を下す
立場にないのだから、これは初めから比較できないと思う。
石田三成や黒田親子のように、取次ぎの職に任命されて諸大名との外交を
担当するポストに就かない限り、恩顧の大名にそんな機会はないから
これは仕方ない。機会自体がなかったんだから。

で、この意味での「外交」に近いのは、藤堂の場合、関ヶ原での脇坂らの
寝返り工作なんじゃないかと思う。
黒田長政の吉川・小早川両家調略の大技で、いまいちパッとしない印象に
なってるけどね。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 15:59:17 ID:SD8g9ioF
>>74
概ね同意
高虎の外交・政治センスが評価されるべきは関ヶ原以降

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 00:50:37 ID:ox7I9C1/
真田の話をすると田舎臭くなるな

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 01:12:51 ID:4323gDBf
真田が田舎臭いも何も、藤堂自体が豊臣政権下では傍流の小物なんだが。
むしろ豊臣恩顧の傍流から、関ヶ原以降にコツコツ努力して
徳川の外様筆頭扱いにまで、成り上がったことが凄いわけで。

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 06:28:53 ID:boAJFZJR
ただの土豪から秀長の家老にまでなったほうが凄いと思えるが

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 06:51:50 ID:P7fhXUvj
>藤堂の場合、関ヶ原での脇坂らの寝返り工作なんじゃないかと思う。

これが何だかみみっちい寝返りのわりには、
大谷形部に駄目押しダメージを与えたせいで妙にむかつくんだよなw
幕末でもそう
家康の遺言どおり、津藩に大切な天王山を任せたら戦の最中に寝返った
裏切りのやり方が、微妙に不愉快にさせるポイントを心得てるっていうか

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 06:54:47 ID:P7fhXUvj
形部×→刑部○


81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 07:03:07 ID:LrTknajB
関ヶ原の後、捕らえられた三成は家康の居る大津城へ連行された。
しかし家康の前には上れず、城門の前に畳を敷いてその上に座らされて晒されていた。

次々に登場してくる東軍の大名は、縛された三成を見て罵倒したり唾を吐きかけたりしたが、
しかし、黒田長政と藤堂高虎だけは違った。

長政は三成の姿を認めるとすぐに馬を下り、
「勝敗は天運とはいえ、さぞ御無念でござったろう。」
と丁寧な慰めの言葉をかけた上、自らの羽織をぬいで三成に着せ掛けた。

高虎も馬を下りて、敗戦前の三成に接すると変わらず
「このたびの戦において貴公の部隊の戦い振りは、敵ながら誠に見事でござった。
もし貴公の目から見て我が部隊の至らぬ点があれば、ぜひ御教授願いたい。」
と、慇懃に語り掛けた。すると三成は少し黙した後に
「されば貴公の部隊には鉄砲隊に高い身分の指揮者がいなかったように思えた。改善すれば鉄砲隊の威力も大きく変わってこよう。」
と答えた。
高虎は大いにこれを謝し、実際にすぐに鉄砲隊の再編成をおこなった。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 07:28:19 ID:Vh3bPxWA
「細川家記」では、長政も「そんな姿になっても、まだ生きてるとはな」
と言って、嘲笑した話になってて面白い。
それで忠興だけが何も言わず、三成の前を通り過ぎたといういい役に。
どっちでもありえそうな気がするけど、慰める方が頭はいいなとは思う。


83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 07:32:26 ID:3/1hlErG
>>82
細川と黒田はめちゃめちゃ仲が悪いからなあw

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 07:32:49 ID:3W3t03ba
一般には余り知られてないエピソードだよな>高虎の三成への接対
司馬の関ヶ原でも完全にスルーされてたし
もっとも後世の我々は大坂の陣での高虎の苦戦を知ってるだけに、
「実は大して意味無かったんじゃないの?」って思ってしまいがちだがw

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 07:44:32 ID:nM8X54hq
何に書いてあった話か知らんから当て推量だが
それ、指摘されたけど苦戦したわけじゃなく
苦戦したから遡って三成に指摘させたんじゃね?

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 07:46:45 ID:sbQqKy+O
藤堂高虎は近江出身だから、尾張出身の福島正則より、
石田三成に親近感があったというのはありえると思う。
まぁ地元の津では近江出身というより伊予の大名だった
イメージが強いですけどね。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 07:53:32 ID:Vh3bPxWA
>>85
その発想はなかったわ!頭いいね。
それはそれで面白い解釈だと思う。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 09:13:20 ID:JhOwMlKn
>>78
土豪から家老くらいならざらにいるんじゃないか?
豊臣家に限っても、石田三成も中村一氏も蜂須賀正勝も
土豪出身から大名だし。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 09:34:27 ID:f0bIhSM9
>>84
三成の言う事聞くから…。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 09:44:56 ID:VPdJpIFq
むしろそんな状況でも、いちいちそんな質問の答えを考えて、
真面目に答える三成が、くそ真面目というかマイペースというかw


91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 09:57:45 ID:Vt7dMbK/
関ヶ原の時、領国の伊予はどうだったんだ?
地理的に西軍の毛利が対岸だから、北九州の西軍を毛利が支援したように
伊予でもやっぱり小競り合いくらいはあったんだろうか。
誰か知ってるひといます?

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 10:04:08 ID:3W3t03ba
伊予に村上水軍を送り込んだけどお隣の加藤家に撃退されたんじゃなかったか>関ヶ原時の毛利
武吉の嫡男の元吉もこの時に戦死してる
松山は災難だったが今治はわからないな

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 10:05:22 ID:3/1hlErG
>>91
西軍は伊予くんだりまで兵を出す余裕なし。長曽我部だって四国内では
ピクリとも動かなかった。まあ、そんなに戦線広げた所で統率できる将がいないんだから
しょうがないが。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 13:51:53 ID:NSuP9kAV
>>79
>家康の遺言どおり、津藩に大切な天王山を任せたら戦の最中に寝返った
>裏切りのやり方が、微妙に不愉快にさせるポイントを心得てるっていうか

鳥羽・伏見の戦いは裏切る時に、
「裏切り?うちはもともと豊臣恩顧ですから!当然倒幕です!」
ぐらい開き直って言ってたなら、津藩はむしろネ申扱いなんだがなw
微妙に不愉快というのは、かえってイメージ的に損してるかもな。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 16:12:06 ID:cAiwqKHQ
家康の遺言っていうのは、先鋒は井伊と藤堂の二家にせよとかいうやつ?
違うか。あれは大坂の陣の時だよな

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:30:35 ID:EJdqbZg0
遺言、それで合ってるんじゃないか。
・天下に大事ある時は一の先手を高虎、二の先手を直孝
・西国大名が兵を挙げたら、津藩を先に立てて戦え
・藤堂家は末代まで津藩から転封してはならない
とかが藤堂関係だったと思う。


97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:38:18 ID:aeu9YD4l
藤堂高虎の墓は

















上野動物園の象のオリの脇にある

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:48:19 ID:nMdSiCPu
家康と仲良く並んでいるよね、お墓が。
上野の地名は伊賀上野からきている(地形が似ているとかで藤堂が命名)
伊勢国は要衝、外様の最高峰でもあると言われる藤堂藩は、
徳川から『地味に振舞え』を家訓とされた。

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:52:38 ID:PjXZ59L8
城の普請では「縄張り」が上手かったって言うことをよく聞く。


100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:54:39 ID:PjXZ59L8
藤堂高虎のなにがすごいかと言うと、鳥羽伏見の戦いで幕府軍の先鋒だったその子孫が
あっさり官軍に寝返った事。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 00:00:42 ID:Sh5eV55J
あれで遡って高虎の評判まで悪くなった気がする
高虎に理解を示す奴はいても幕末の津藩を擁護する人はほとんどいない

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 00:17:17 ID:6eIescMT
官軍寝返りは他にもあるし(譜代も寝返ったところある)、
それ自体は現実的な判断だから別に責められるところはないんだけど、
ただ、津藩は寝返りのタイミングが上手すぎる。
要所任せたら戦いの最中でいきなりてw
これが鳥羽伏見の直前だったら、ここまで悪く言われなかっただろうし、
家康の遺言がなければ、さほど裏切り者呼ばわりもされなかっただろうにな。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 00:25:57 ID:j86rv/H+
あれはもう何か狙ったとしか思えないよなw
いくら実を取るったって、名を捨て過ぎると信用もなくすだろうに
何でもうちょっと空気読まないのかと小一時間問い詰めたい。

まぁ幕末はあんまり詳しくないので何か止むを得ない事情が
あったのかも知れないが。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 00:27:58 ID:0BT6p666
>>102
しかし裏切ったからと言って別に官軍に重く用いられたわけでもないのにな>津藩
あのへんはもう、「時代の流れ」としか言いようのない何かがあった気はするよ。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 00:28:26 ID:TSr66/Is
ただ寝返ってなければ、三重の県庁所在地は津という名前じゃなかっただろうよ。
県庁所在地名や県名に旧藩名やその城下町名がついてるところは、倒幕藩だよ。
それは倒幕藩の特権で、旧藩と関係のない名前のところが旧佐幕藩です。

おれの地元は西国なのに、領国が徳川譜代で殿さまが老中だったから、
官軍に寝返りたくても、どう考えても寝返れない状態www
周囲はみんな倒幕に転換して、どう考えても先がないのに八方塞。
あやうく城を燃やされそうになったし、廃藩置県でも冷遇されて、
旧藩関係の名前は、県名にも県庁所在地にもわざと採用されなかった。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 00:29:44 ID:0BT6p666
>>105
山口県…

萩…

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 00:33:48 ID:Sh5eV55J
それ俗説だろ

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 00:35:22 ID:TSr66/Is
>>106
1866年(慶応2年)5月に毛利敬親が山口に移った事で
山口藩が成立する。
これ以降、萩藩は(周防)山口藩と改名してるんで、
そのまま県名になったんだが。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 00:51:16 ID:o4ZYGJ+a
幕末雄藩や官軍に協力的な藩が、廃藩置県で旧藩の政庁があった地名を
慣例的に県名にできたのは事実です。
県庁所在地名までどうだったかは知らないけど。


110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 02:21:48 ID:f6p948Ah
近世城郭築城名人

普請の加藤清正
作事の小堀遠州・中井正清
経始(縄張り)の黒田如水・藤堂高虎
黒田・加藤・藤堂で三大築城名人とも

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 02:24:05 ID:Sh5eV55J
スレ違いだけど如水が建てた城って具体的に何があるの?

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 02:36:29 ID:f6p948Ah
大坂城の縄張りは如水です。
今でも残ってるのは中津城・長政と一緒に福岡城。
毛利の広島城・築城もお手伝い。
広島・秋月・名護屋城など廃城になって
残っていない城が多いのが残念。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 02:54:49 ID:1UBmRxCV
つ高松城
堀の水を海から引いて、水量は水門で調節した水城
「讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」と唱われた名城。

というか、生駒親正が藤堂に協力を依頼したら、
藤堂が黒田に協力を頼んで、黒田が高松城の城地を決めた。

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 03:44:15 ID:bgRzBt45
それでゲームでも黒田孝高は築城能力が抜群なのか

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 05:07:47 ID:vJ46jfUw
広島城は原爆で一度丸ごと消失してしまったからなぁ
戦前は国宝で、姫路城や熊本城並みの名城だったんだが・・・

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 22:42:12 ID:1/2wKL1Y
幕末に鳥羽・伏見の戦いが起こった際、当主藤堂高猷は真っ先に幕府方から官軍に寝返って
幕府方に砲撃を加えており、「津藩は藩祖の教えがよく受け継がれている」と
周りを呆れさせたと言われている。



117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 23:07:28 ID:L/nrVamQ
>津藩は藩祖の教えがよく受け継がれている

それは、江戸時代をつうじて藩祖の高虎がすでに
イメージよくない人物だったということなのか?
つまり、戊辰戦争での津藩の裏切り以前から、
裏切り者のイメージがあったということなのか? わからん

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 00:58:23 ID:yClFHo5I
遺訓を投下してみる
ttp://blog.livedoor.jp/ota416/


119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 01:04:39 ID:grryLxrX
>>117
幕府も前線に出させるくらいだから、当時から評判が悪かったわけではない。
イメージが悪くなったのは鳥羽伏見の戦いの寝返りから。そっから逆算されて
高虎のイメージまで悪くなった。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 01:32:48 ID:HA89aGXO
徳川の覚えはめでたかったんだろうが、別格譜代という地位で他の大名からは妬みを買っていただろうし
「あそこは取り入るだけが能の裏切り者」ぐらい普通に言われてたんじゃない?

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 02:57:44 ID:WLwtx/TP
>>27
後年、蒲生家断絶後の会津42万石に高虎が加藤嘉明を推挙したそーな。
なんでやねん、おまいら仲悪かったんちゃうんかと問うた秀忠に対して曰く
「私事と公事は別、重要拠点である会津には剛勇律儀な嘉明こそ適任」と高虎。 嘉明も感謝したとのこと。
一時は「拝志騒動」と呼ばれる戦争勃発寸前事態まで逝きかけてた両者の関係は、これで改善された……とか。

>>91
というか、関ヶ原の戦功に対する恩賞が伊予半国20万石、だったわけで。

伊予を治めていた大名は関ヶ原前は6人。
それが東軍西軍にばらばらに別れ、戦後の褒賞で藤堂高虎と加藤嘉明の二人が没落組の領土を接収して
伊予をモザイク状に半国分割して統治、となった。
その結果、これまで東予の重要拠点だった国分城が藤堂高虎の得た領土の中では偏った場所になってしまったため
国分城を廃城にしてより北方の芸予海峡に近いところに築いたのが、今治城と今治の町。

今治城は西国大名の監視および有事の際の海上交通路の遮断という役割を帯びていたため、
本丸から直に軍船の出撃が可能な構造であったのは有名だけど
他にも脆弱な砂質地盤に急いで城をつくるためさまざまな工夫を凝らしてある。
短期的な目的、長期的な視野、いずれもを満足させるために注ぎ込まれた最新の築城技術。
今治城の建築は高虎の築城・内政・軍略の才能が具現化した、彼のつくった城の最高傑作のひとつといっていいでしょう。




122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 09:26:02 ID:WC+WdR/+
築城当時、高虎本人は膳所(ぜぜ)城の縄張りや伏見城改修で、
他の城の世話に忙しく、今治にいる暇がなかった。
今治城の縄張りは、その頃まだ仕えてた家老の渡辺勘兵衛が担当し、
普請奉行も兼ねて指揮に当たっている。
勘兵衛は大坂夏の陣の話が有名な武将ですが、実は彼自身が築城名人
だった。
のちに天下普請でも、勘兵衛が丹波篠山城の総縄張りを担当したように、
(この時も高虎が多忙だった)勘兵衛の担当して建てた城も多い。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 12:21:44 ID:sq2368/z
>>121
>会津転封
あれにも諸説あるが、実はもうすぐ完成する松山城を
置いていかせようとした築城オタ的嫌がらせ説を押す。

嫌がらせのはずが感謝されちゃって、アレ?みたいなw

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 13:02:30 ID:Tmn1J4aS
>会津転封

昔、子供向け松山の歴史本で、藤堂陰謀説や徳川陰謀説を読んだ記憶がある。
・加藤嘉明が25年もかけて、でかすぎる城(伊予松山城)を築城
→仲の悪かった隣の藤堂が幕府に密告、幕府も嘉明を警戒
→藤堂が治めるのが難しい会津へ飛ばすことを勧める
→加藤の殿は、内心嫌々ながら伊予松山をあとに
→やっぱり息子の代で失敗して加藤家は改易に とかだった

伊予松山城を25年もかけてこつこつ築城し(ちょっと偏執的ですが)
治水工事を行い、大規模な城下町も整備した加藤嘉明はいい殿様だったので、
今でも旧地元ではけっこう愛されています。
だから、子どもの本でも加藤贔屓に補正がかかっていたんだと思う。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 13:31:50 ID:mReXhvts
>>124
大阪ではどうしても太閤贔屓で、アンチ家康になるようなものかw
そういう説は、真偽は別としてお国柄がでていて面白い
まあ確かに会津は難治の土地ではあるけど、どうだろうね

でも築城に25年て、長すぎないか?

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 14:01:09 ID:yFq4z9TM
25年は長い
確か息子の明成も、会津で城の大改修が原因で改易されていたはず
大々的に城をつくられると、やっぱり目障りではあるんだろうが・・・


127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 16:03:01 ID:/JXFV9UH
会津みたいな要衝に、加藤嘉明のような豊臣恩顧の外様を置く意図がわからない。
豊臣政権では会津に蒲生・上杉置いて徳川家の抑えにしたように、
あそこは江戸の後背地なんだから、んなとこにわざわざ外様を置きたがるわけないのに。
実際、上杉の後に入封した蒲生・加藤を速攻で改易して以降は、保科正之→松平容保まで
ずっと親藩で固めてるし。
なんで藤堂高虎が推薦したのかも、将軍家が了承したのかも、ちょっと理由がわからない。
大阪冬の陣の時も、加藤嘉明は黒田や福島と一緒に江戸に軟禁されてるから
外様の中でも特に信用がない方だったわけで。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 22:39:56 ID:5QRM+22M
関が原合戦時の上杉みりゃ解るように会津勢力は、
伊達+最上との三つ巴で、神経が磨り減ることになる。
仮に会津勢力が江戸を目指したとして、伊達+最上に
背後を突かれることになる。伊達と最上が叛逆した
場合も然りで、普通に会津が押さえになる。
要は外様同士食い合ってくれる間に体制を整えて
おこうという狙いだな。

最上が家光くらいんときになると改易されてしまっているので
要注意勢力は伊達くらいになり、抑えとして大した勢力は
必要なく、むしろ会津に外様を置いておくほうが同盟した場合
押さえの勢力がほとんどいなくなるので危険ということになる



129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 03:42:10 ID:kdHw/mey
>>128
伊達を牽制する理由が徳川にはないから、それは考えられない
伊達は、豊臣政権期から東国では一番早い時期から徳川と親しかったし、
忠輝が娘婿であったこともあって、関ヶ原以前から徳川にとっては同盟相手だった
江戸期では、政宗は家光の後見役で外様の中では別格扱いの信頼だったし
むしろ伊達が徳川にとっては東北の抑えっていうかな

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 04:11:03 ID:o+TJVl9v
>>129
基本的に江戸期を通じて東北管領と言ってもいいくらいの扱いだよね>伊達
だから戊辰の時も徳川に味方して立ち上がったわけで。夜中で腰砕けたけどw

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 04:20:50 ID:bqu+Q5V9
>>125
>でも築城に25年て、長すぎないか?

江戸初期の伊予松山は、石高こそ20万石だけど経済的には豊かな藩だから可能だったんだろう
あそこはもともと二毛作地帯だし、表高よりかなり恵まれた場所柄だから

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 12:40:52 ID:ZbqbUUpb
というか会津転封はもともと藤堂高虎に話があったのに、
高虎が固辞して加藤嘉明を代わりに推薦したんじゃなかったか?
加藤嘉明も固辞したけれど受け入れられず、やむなく会津に移ったはず。


133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 15:47:00 ID:jKxpCPzi
藤堂は家康の遺言を理由に、秀忠に会津転封を断ったはず。
外様の転封は、江戸を中心に東→西へが基本原則だったから、
加藤嘉明の会津転封が奇妙な措置だったのは確かだと思う。
というか西→東へ転封された外様は、あとは藤堂くらいなもん。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 16:26:48 ID:Ccm7lBIC
>>133
>加藤嘉明の会津転封が奇妙な措置

 幕府の相当な悪意と嫌がらせを感じるな。
 西国大名にとって、徳川と伊達家に挟まれた会津は、実に息苦しい場所だ。
 

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 22:09:59 ID:B6QMEuw7
松山城は一回だけ行ったことあるけど、あの城は本当に大きいよ
優に50・60万石クラスの大大名の居城規模だった
タイプは姫路城と同じ平山城で、実戦向きで防衛力がめちゃ高いつくり
なかなかの名城です
のちに親藩・松平時代になって、幕府に遠慮して城の縮小工事をしたくらいだから、
嘉明の築城が警戒されて会津に転封されたとしてもおかしくない

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 03:43:36 ID:bJqTv+FM
>加藤嘉明が25年もかけて、でかすぎる城を築城

加藤もちょっと空気読んどけばいいのに…
豊臣恩顧で隣国は敵の藤堂なんだしさぁ
空気読んだ黒田長政は、でかい城(福岡城)建てても、わざと天守閣を
つくらなかったのに
でも加藤嘉明こそ、真の築城マニアだったんだと思うw

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 08:50:40 ID:qqIrJZYU
そんな風に空気が読めないから、体よく秀忠と藤堂に嵌められるんだよ・・
のほほんとしてるというか、危機意識が足りないっていうか

もっとも津への転封で、不要になった今治城の天守閣を徳川家に献上して
さらに覚えめでたくなった藤堂高虎に、処世術で敵う大名などそういない

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 17:21:10 ID:1EhcQyVQ
お前等センゴクに藤堂出てたぞ!
史実どうりでかかったが小物臭がプンプン・・・

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 21:01:02 ID:ZLtIXAHU
当時の高虎はそれこそ腕力以外に取り柄ない小僧だったんだから仕方ない。
秀長と出会うのはまだまだ先の話で、そっから先は一気に逆転するんだから気にするな。

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 00:17:43 ID:DV3NmOwU
でも高虎より仙石秀久の方が上とかやられると、
(゜Д゜) ハア??って感じになるんだが・・・

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 00:55:41 ID:RfxTHCDH
仙石が主人公なんだから仕方ない

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 01:00:29 ID:vRWlTQ80
しかたないがここから、智将に変わって行くのが凄いな。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 01:10:39 ID:7obR1Xas
>今治城の天守閣を徳川家に献上

天守閣を献上??
あんな重いもの移動させるの難しくないか・・

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 01:15:36 ID:MAjCcqRX
当然解体して部品ごとに運んだんだろう
そんな感じで廃棄する城や寺の部品を流用するのは珍しくない

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 01:18:50 ID:7obR1Xas
ん?ということは現存の今治城の天守閣はパチモンなのか?
というか、献上した天守閣はどこに行ったんだ?

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 09:52:09 ID:u8uySg7G
今治の天守は亀山に移されたよ
今治は江戸期に天守はなかった
亀山の改修も高虎が縄張りを担当して転封で不要になっていた今治の天守を移築した
残念ながら明治になって新政府によって解体されてしまったが
ちなみに今の今治天守閣は昭和55年に復元されたもの
亀山天守の写真を元に再現した

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 19:11:39 ID:z7GgPy7r
……んだが、鉄筋コンクリ造りのうえに「一般的な天守閣のイメージ」を優先させた結果
本来の今治城の天守の特徴がまるでない変なシロモノができちゃって、その手のマニアには評判が悪い。

ちなみに中は資料館になってるのは定番だが、なぜか今治の地場産業資料やら自然科学系資料やらがあったりする。
天守復元当時の担当職員の手になると思われる色あせた手書きの説明札がなんか切ない。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 06:54:21 ID:7ElzlOFW
>>146、147
おお、情報サンキューです
やっと経緯がわかった

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 20:58:50 ID:uBr7/4Za
>>124
そもそも加藤嘉明が「松山」の生みの親なのよね。

元来道後平野の拠点だった湯築城を潰し、
もともと二つの丘しかなかったのを盛り土して一つの大きな山に作り変えそこに城を築き、
重信川の治水に成功して城下町を整備した。 加藤嘉明がここでこの新しい町につけた名が「松山」だったわけだ。

で、ほとんど同じような経緯で「今治」の生みの親になったのが藤堂高虎。
以後伊予第一・第二の都市の地位を争い続けて今に至る……と。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 13:04:51 ID:SO/Z1sKT
藤堂家の家訓
[勝馬に乗れ]

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 17:20:27 ID:bfboK+2B
スレを読んでるとわりといい奴そうで、逆にちょっとがっかりだ。

家康がうっかり信じてしまうくらいの忠誠心演技をしながら
心の中で「んなわけないだろうが。すべて処世術だよ」と
呟くぐらいの方が、かえって凄みがあるというか、
誇り高くてかっこいいじゃないか。所詮あんたとは利害関係だけだよというかな。
幕末の見事な寝返りっぷりも、むしろ凄いではないか。
譜代扱いの外様だと煽てられたぐらいで、それを真に受けて
崩壊寸前の徳川のために城も命も捨てたらアホだろ。
外様は外様。信用した徳川家が間抜けですよというクールっぷり。

そういう藤堂像はこのスレの住人はいやか?

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 21:15:28 ID:Rz7z9BE3
>>151
古臭い俗説のまんまでつまんない、が正直なところ。
なんていうか、一回りしちゃってるんですよ、世間の感覚ってのが。 いろんな意味で。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 21:36:15 ID:nHuSHGUr
幕末の藤堂藩の裏切りは、昔から持ち上げられた例がないから、
逆に持ち上げてみるのは面白いかもよw
200年前の遺言どおりに配置した、幕府の時代錯誤ぶりが終ってるんだし

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 22:04:45 ID:7tyvcT/Y
藤堂はいいところがあっても、なんか中途半端な感じなのがネック
この人は忠誠心そこそこあったと思うけど、別に飛びぬけた美談もないし
そこを強調しても、あんまり面白くない気はする
徳川家との逸話にも、爽やかさだとか派手な話とかあれば、
随分印象が変わるんだろうけど、やっぱり普通に馴れ合いにしか見えないしさ
スレでもいいところ探しすればするほど、藤堂が気遣い上手なマメな
そこそこいいやつ、でも小物に逆に見えてくるっていうか・・・
むしろ、処世術とすっきりさっぱり割り切ったテクノクラートが
能力ひとつで成り上がったという解釈の方が、逆に今の感覚に受ける気もする

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 22:33:41 ID:SgTKkG6u
一番派手、というか印象良くなる高虎の話は何だろう?
もち代の出世払いあたりかな

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 22:47:32 ID:V26WBOVN
俺の周りだと、何故か秀長の所に居た時代の話をすると印象が良くなる傾向にあるようだ。

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 23:25:21 ID:RO17SqQc
秀長時代って何か目立つようなことしてたっけ?
賤ヶ岳の戦いとか、雑賀攻めとかか。
文禄・慶長の役の藤堂水軍の活躍は、もう秀保時代だし。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 23:36:31 ID:V26WBOVN
ああ、そういうレベルの話じゃなくて、この言い方は好きじゃないがいわゆる
「一般人」相手にする時の話。
秀吉にはちょっと地味だけど出来の良い弟が居て、元々猪武者だった高虎は
そこでいろいろ裏方の仕事覚えて、みたいな感じの話をすると結構イメージ
変わるらしくなぜかちょっと好かれるようだ。

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 23:44:28 ID:YIoJaGPh
豊臣家滅亡後秀長の墓を自分の寺に移した話とかちょっとグッと来る逸話だよね

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 23:48:39 ID:n98OlMq+
実はいい人で部下や民衆に好かれてて・・・とか何とかかんとかって言われて
その武将を好きになるのって何かしっくり来ないんだよねぇ



161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 02:34:36 ID:wpx10rBk
まぁ福島正則タイプの武将が、実はものすごく頭がよかった的な逸話なら、
ギャップがあまりに大きいから好きになるかも知れんw
高虎は、元が頭よさそうだし常識人ぽいイメージだからなぁ。
逆に高虎が、正則系のDQNなことした話とか明るい馬鹿話系があれば
好感度が上がるかも。それか合戦での派手な武功系とか。

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 03:13:46 ID:7AwAXBFA
文禄・慶長の役での逸話とかはどうなの?
けっこう華やかな話とか軍功とかありそうだけど

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 20:07:32 ID:aQBGkHqs
実際の戦は秀長配下でのが多いだろ。
結構一番槍を立ててたらしい
まあ、良い苦労時代だろう

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 22:51:45 ID:iI1MLetC
文禄・慶長の役では溺死寸前っていうのは、本当ですか?

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 23:12:08 ID:dpD7/dQj
福島正則は頭いいぞ。優れた軍略家であることは言うまでもないが、
自分の末路も予見していた。
……その結末を回避できなかったけど

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 03:19:56 ID:4aoHgB33
そんな脳内ソースで語られても
正則の逸話はあほな話が大半なのに

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 04:12:21 ID:ad5F6n2v
多分>>165よりは頭はいいと思う
それなら納得する

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 12:25:57 ID:+z0UDqK/
織田信雄だって>>167よりは頭いいと思うぞ

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 18:41:50 ID:HdZazauT
>>168
は福島正則本人

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 19:55:01 ID:aTMvDNGz
>>169は織田信広

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 04:08:08 ID:Mc/KruBK
「ところで、高虎の話だが」と、藤堂は再び自分に話をふった。

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 04:10:07 ID:Mc/KruBK
「ぶっちゃけお前らおれのこと嫌いだろ?」

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 04:13:10 ID:OgFNRceB
「黙ってないで何とか言えよっ!」

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 04:23:15 ID:a7wvU4uP
「おれははっきり言ってお前が大嫌いだけどな!」
隣国の無神経な加藤嘉明がきっぱり断言した。

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 05:35:08 ID:o5pZugA/
それを鼻で笑うブラックな藤堂
(秀忠さまに入れ知恵して、嘉明を会津に飛ばしてやる)と固く決意

誰か続き頼む


176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 06:17:22 ID:jmOmC5GF
`¨ − 、     __      _,. -‐' ¨´
      | `Tーて_,_` `ー<^ヽ
 家康   |  !      `ヽ   ヽ ヽ高虎
      r /      ヽ  ヽ  _Lj
 、    /´ \     \ \_j/ヽ
  ` ー   ヽイ⌒r-、ヽ ヽ__j´   `¨´
           ̄ー┴'^´
「嫌われ者同士、仲良くしようぜ」と、家康にイマイチ嫌な理由で好かれる高虎。

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 06:31:55 ID:8jmraX5j
藤堂平助と関係あるのかと思ってました><
藤堂家は幕末でも裏切るんですよね

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 06:39:59 ID:FItvw3ZY
子孫のことで身に覚えのないイチャモンをつけられ、
だんだんとこのスレが嫌いになっていく藤堂・・・


179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 07:06:46 ID:E9aucNfu
「わたしと藤堂はわりと仲が良かった記憶がある」
そこで、狂妻家・細川忠興が気を利かせて藤堂をフォロー

高虎はちょっと立ち直ったようだ

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 11:21:29 ID:TvRkUYEm
>>177
なぜ藤堂平助知ってて鳥羽伏見の戦を知らないんだ・・・
平助主役の小説でもあるのか?

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 11:46:21 ID:IuaFn8SY
単に、正則あたりから流れがネタになってるだけではないだろうか?

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 15:09:52 ID:YPabfHQU
「新撰組」=「京都で活躍した武装集団」って見方の人なんじゃね?
俺も興味持つまではそんな感じだったし。戊辰戦争にまで参加してた
なんて思わなかった。

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 15:19:38 ID:hY2Sz2VV
活躍って池田屋オンリーな感じだけどな
京都の端っこで細々と市中見回りをしてた浪人上がり集団が
日本史における一大事件の主役になるのが歴史の面白いところだな

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 12:58:44 ID:PlEpoJcw
高虎と家康は無銭飲食友の会で意気投合した事実は意外と知られていない

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 18:29:01 ID:DAZjs5um
殉死箱の話とかが本当なら、こいつ、
部下にも人気なかったんじゃないかとも思う。

生前に踏絵踏ませるなら追従でとりあえず入れとくか
って奴が増えるから札の数は増えるし、
それをネタに家康への媚びに使うなんて
付いてく側からすると俺たちはゴマすりの道具かと思われても仕方ない。

逆に殉死してくれる奴が一人もいなそうなんで先手打って言い訳つくっといた、
とかならある意味ネ申

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 01:16:31 ID:k5XSIkrU
>>185
そういう理解の仕方を「曲解」と言う。

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 22:04:05 ID:vv0y1vXj
61166

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 20:57:18 ID:FhAND6an
あげ

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 17:51:02 ID:8AwlG1No
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお


190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 17:44:01 ID:6rRTTOeE
伝えられてる話から推測すると、
秀長と家康(その子孫も含む)には誠心誠意をもって仕えてたんじゃないかな。
それにしても、近江の暴れん坊が親藩格にまでなったのは、やはり凄いことだよね。
好きかどうかと言われれば返事に詰まるけど、ソツのない多才な人物だと思う。

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 00:17:49 ID:7szhBffk
藤堂高虎は津藩だからな伊勢は伊勢神宮が有って日本の神道のお膝元だ。
そこを任されたと言うことは、日本の根本の守護を家康に任されたほどの人物。

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 08:55:14 ID:kS+prdfR
昨日は伊賀市にて鬼行列があったけど
鬼行列に使われた能面は高虎公の病気平癒の為、家宝である能面を町民に与え代わりに祈祷を申し込みに行くように頼んだという
言い伝えがある。民衆を大事にしていた高虎公の人柄が伺い知れる

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 10:02:20 ID:mY/JhiyE
秀次事件で高虎が危険な目に遭ったというのは有名だけど、
具体的に当時の高虎がどういう立場で、どんな状況に追い込まれたのか知ってる人いる?
検索しても良くわからなかった

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 23:25:57 ID:J4w2hi2N
>>192
民衆から申し出たの?

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 09:56:19 ID:QEEEfTbs
エロ勘兵衛に馬鹿呼ばわりされた高虎殿であった

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 10:19:41 ID:qqwm32zV
今更な話題だからちょっとアレだけど
司馬の高虎が好きってのは少数派なのか。
福島とか加藤とかその他もろもろの大名連中より
よっぽど目立ってるし活躍してるように感じるんだけど。
ただのおべっかの佞臣的な表現じゃなくてさ。

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 11:50:47 ID:LhyBKXe3
>>196
意図的に美談系のエピソードを削ってる司馬高虎はもう一つ好きになれんな
世間では評判の悪い司馬家康は大好きなんだがw
特に正信との「主従というより共犯者」みたいな関係が
山岡家康に代表される人畜無害の棚ボタ天下人みたいな人物造詣よりよっぽど魅力的だw

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 00:57:24 ID:R00B1lDE
>>197
山岡の家康像は「聖人君主」と呼ぶべき。あの小説、歳をとるとともに、家康に
宗教的なカリスマが強くなっていくよね。高虎もそうだけど、周囲がどんどん家康に
「帰依」しちゃっていく。

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 16:38:56 ID:POJyKPA2
あれは生の徳川家康というより「東照神君」なのかも。<山岡版家康

司馬の家康は書き手の嫌悪感バリバリなのがなぁ。
城塞の「犯罪的」連呼とか、他の人物描写には距離置けてるだけにちょっとひく。

同じ悪役家康でも荒山徹のは面白かった。
かつて人質にされた屈辱を全日本人に味あわせるのが目的で天下を取ったという屈折ぶりで、
ここまで悪だとすがすがしくさえあるw
ちなみに藤堂高虎も「謀略大名」扱いでアクが強い。

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 22:45:32 ID:vMHkaZFA
大坂の陣の家康の謀略に関しては日本人の殆どが嫌悪感を抱いてるから酷評も止むを得まい
他の小説ではそうでもないし>司馬の家康描写
高虎もあんまり司馬には好かれてなかったようだが

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 00:24:35 ID:8sxcdTMg
>日本人の殆どが嫌悪感を抱いてるから
根拠の無い決め付け乙。

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 00:54:30 ID:N5p3mA2+
俺は家康より淀に腹立つけどな

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 01:45:52 ID:pur6Iw5i
大坂の陣を舞台にしたドラマ・小説を見てみると良い
殆どが家康老獪、淀暗愚、大坂浪人カッコヨスで作られてるから
高虎は大坂浪人の良い引き立て役だな

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 03:12:23 ID:3k2waDFY
>>203
それはそうしないと小説にならないからだよ。圧倒的武力を持ったほうがまともな人たちで、
取り囲まれているのが史実どおりに暗愚な世間知らずの上層部と食い詰めて行き場のない
失業者の群れとしてお話作ったら、面白くもなんともないだろ。

あと、団塊世代前後の作家は、あの大阪の陣の豊臣方に、東大安田講堂にたてこもった
学生たちを重ねて思い入れたっぷりに書いてることが多いので注意すべし。
若い作家だと豊臣方にかなり距離をとっている事が多いね。

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 18:33:56 ID:y6S0uu36
age

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 21:39:40 ID:okgdou9W
個人的には、好きな武将。

大して仕事もできないくせに、ちょっと要領いいだけで出世した山内より
何度も主人を変えつつも、前線の武者働きから始まって
一軍の将、果ては準譜代格の大名までなった藤堂を大河にしろ。

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 22:05:17 ID:BGSh9oUN
司馬に嫌われた武将はイメージの面でだいぶ損してるよなぁ

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 22:12:52 ID:Oj0eGDIg
司馬に嫌われる前から嫌われ者だっただろ
豊臣恩顧なのに譜代並の扱いを受ければ妬まれるのは当然だし

209 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/11/13(月) 22:46:41 ID:gVrlBz6/
妬んだのは誰々なのさ?

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 23:37:51 ID:BGSh9oUN
いや、司馬小説のイメージが現代人に与える影響を言ったんであって、
当時の大名間の評価なんて一般人は知らんだろうに。
んで、誰々なのさ?

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 00:37:37 ID:df9bM7SB
黒田長政・加藤嘉明・福島正則らとは仲が悪かったという逸話が伝わってる
司馬もそういう逸話や評価を元に小説を書いてるわけで、
別に嫌いだから貶してるわけじゃないと思われ


212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 01:34:40 ID:5cjqdL/C
細川や織部、金森ら文化人仲間とは仲良くやってたそうだが、その辺は考慮されないのな

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 01:47:36 ID:df9bM7SB
そりゃ○○と仲が良かった、というのは非常に結構なことだが小説のネタにはなりづらいでしょ
細川や織部と絡んだ面白い逸話なんてあったっけ>高虎
家康との間には来世の御奉公の話や「有事の際には藤堂家を先鋒にせよ」という遺言なんかが知られてるけど

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 22:13:59 ID:5cjqdL/C
逸話は特にないな、史料で確認できるだけ。
妬まれた嫌われてたってのも面白い逸話とは思えないけど、
ゴシップ的にウケたってところかね。

なんにせよ、やっぱり司馬は家康(とそれに与する高虎)が嫌いに見えるよ。
(好き嫌い有って当然だからそれが悪いとか言うつもりはない。まして小説だし)

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 22:47:56 ID:QLUEx/+U
取り合えず間違いの無いことを書こう。
高虎よりもぷらっとの方が嫌われている。

216 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/11/14(火) 22:49:14 ID:cAC4KU0p
相手するのめんどいからここで最後な。

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 00:04:20 ID:GZ4V4SGH
良かった。
ぷらっとが首吊るってw

218 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 16:39:36 ID:HKYCi8rD
高虎の身長だけは本当だな 多分

219 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 17:36:24 ID:rhy9umWD
あげ

220 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 20:45:58 ID:aDULUjRl
こいつの武力は90くらいあってもいいように思う。
数々の武勇伝を持ちながら政治屋扱いされてるのはどうかな。


221 :前田 ◆LIBERALCQY :2006/12/08(金) 20:52:25 ID:Zvgqxyux
こいつってのは悲しいねえ。

222 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 01:01:36 ID:8Sea6tOV
司馬の小説をすべて読んだわけではないが、高虎も家康も貶められてるとは思わないなあ。
むしろ二人とも魅力を感じるくらいだ。悪役じみてるのは否定できないがw

223 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 01:07:02 ID:cRL08af2
>>220
晩年は軍勢率いての失態繰り返してるからなぁ。
それでも純然たる「政治屋」扱いしてるゲームはほとんど無いぞ。大概は知勇兼備型の扱いだろ?


224 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 15:33:47 ID:W3hlhrVb
悪役でも行動が突き抜けてたり信念があったりするなら魅力感じるけど、
司馬の書く家康・高虎は狭量な俗物っぽいので余り好きじゃない。

>>223
下積みの槍働き時代は強かったらしいけど、晩年の用兵は確かに辛いものがあるね、

225 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 20:51:08 ID:W6iA8tqL
関ヶ原の時板島城の留守役に元大友家の佐伯惟定を残してたんだけど、
惟定が旧主の大友吉統の挙兵に応じてたら結構危なかったんじゃないかな?

226 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 21:40:59 ID:WbJP5dkg
高虎なんて司馬小説ではスルーされてるだろw
覇王の家でちょっと登場したくらいしか覚えてない(有名な「家康にもなった男」と評されたやつ)

227 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 23:49:19 ID:WcE+sGT7
>>226
関ヶ原にも出てきたよ

228 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 23:52:58 ID:WbJP5dkg
それなら城塞にも出てきたな>高虎
一応出てきたが心理描写もなく司馬お得意の人物評もされてないから印象にはほとんど残ってないな

229 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 01:12:24 ID:1d5Mafrz
藤堂高虎と長宗我部盛親
ttp://www.hpmix.com/home/bunnmado/C9_2.htm

230 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 01:25:57 ID:kL1Yk9I0
>>229
「今なお私達を魅了してやまない司馬文学ではあるが、当然のことながら、
そこで紡がれる人間群像はあくまでも「物語」であって、
実像とは一定の懸隔があるとみなければならないのである。」

こんなの言われつくされてもう当然のように思ってたんだけど、
評論の世界では未だにわざわざ「現実は違うよ」っていう文章を入れなければならないんだな。
司馬遼太郎すげぇw

231 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 02:09:02 ID:k/eg9tgU
既出かもしれんが高虎の三成に対した時の態度が何とも言えない…
ある意味、当たり障り無くだけど、一方では敗軍の将に対する賛辞であり
気遣いであり、敗軍の将に教えを乞うという彼の姿勢に男を感じる。

232 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 02:27:47 ID:twA+gZUH
司馬小説で一番魅力的なのがむしろ家康や高虎みたいな人物の描かれ方。
城塞一つとっても例えば一回目読んだだけだと後藤又兵衛とか真田幸村とかカッコいいと言う感じだが、
二度目見ると、家康の緻密な行動の方に目が行く。

家康の事を人物評では散々に言いながら、物語の中では一つ一つの行動の描き方に
愛があって賛美がある。司馬の小説ってどれもそんな感じ。わかり易い人物評で隠しつつ、
贔屓の人物は物語の中で贔屓してるイメージ。

233 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 03:10:24 ID:1d5Mafrz
>>230
それだけ司馬小説の啓蒙的側面(読者に『歴史を教える』という形式)が、
多くの読者に虚構部分をも史実と思わせる力があるということだろう。確かにこれは凄い。

>>231
関ヶ原では見事にスルーされてましたな。残念。

>>232
「城塞」で、家康が五山の僧に聞いた論語為政篇の解釈が、家康に阿った答えだったので失望したという逸話を、
その阿りに満足するような小物に書き換えられてたのは個人的に頂けなかった。
よく見るとこういう矮小化が多いので特に愛は感じないなあ。悪役として大いに使いまわしてる感はあるけど。

234 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 04:43:51 ID:twA+gZUH
>>233
俺はその阿りに失望するという逸話の方が後付臭くて嫌いなんだが。
いかにも小英雄っぽい江戸の創作の臭いがする。

っていうかこういうので小物に感じてるようだと、他にももっと気になるところあったでしょ。

235 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 04:58:44 ID:2kpDPzhP
統率77
戦闘75
智謀86
政治94
野望90

236 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 12:39:09 ID:1d5Mafrz
>>234
うん、いちいち書ききれんよ。
ただ、三成サイドの美談は比較的そのまま紹介してるのに、
家康関係となると筆を曲げたり無視したり、というのは意図的なものを感じたが。
まあ、結局は書き手読み手の好き嫌いに関することだから、俺には合わないってことだろうが。

>後付臭くて嫌い
家康(司馬作品のでなはなく)のキャラ的には大いにありそうなことなんで、
俺は司馬の小俗物っぽい書き換えの方が嫌いなんだ。

237 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 13:38:18 ID:twA+gZUH
>>236
だと思うよ、感じ方の違いだからこればっかりは。

本来作家にとって、逸話を逸話のまま書くのなんて楽だし愛があるとは思わない。
わざわざ自分の設定を入れてるキャラがあるとしたら、そこに愛があると感じる。
何も修飾する言葉が綺麗なだけが作家の武将に対する愛とは思わない、
特に司馬のようなひねくれた人物を愛する作家はね。司馬が他で主人公にしてる人物見れば一目瞭然。
これは作家本人も気づいてるかどうか知らんけどね。

その中で家康は醜悪に見えるように見えるように意図的に書きながら、
人間的な凄さと魅力が表現されてる、だからこそ司馬の小説は家康の方が面白い。
大阪方の人物の描写とかは他の小説とさほど変わらんもの。

238 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 14:25:37 ID:1d5Mafrz
>>237
そういう見方もあるかね。
作家が自分設定を入れてる史上人物にある種の熱意はあることは認めるが、
それはマイナスの感情の場合もあるからなぁ。
鎖国を家康のせいにしたり、家康の貿易好きを逆に書いたりとかを
ひねくれた愛情の発露と見るのは俺には難しい。

239 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 16:08:13 ID:twA+gZUH
>>238
まぁこれは俺も他の作家ならこんな見方はしないし、
もちろん初めっからそう見えたわけじゃないんだけどね。
何度か読んでるうちにそう感じたというもの。

逆に大阪方に対する愛情が感じられない文章だなと思うようになった。
カッコいいカッコいいと言い続けられても本当にそう思って書いてるのかな?っていうか
人物評とその後の行動が必ずしも一致してないしさせようともしてない文章。
そのギャップが不思議な客観性を持って、史実と混同してしまうような感覚を持たせるのだと思う。

240 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 16:26:45 ID:1d5Mafrz
>>239
言いたいことはわかるような気がする。
エッセイ読むと家康評に関して初期と後期では大分肯定的に変わってるようだし。
初めに悪役として調べたり書いたりしてるうちに、
司馬の中でも一種の裏返しな愛着が沸いたというのなら、ない話でもないかも。

241 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 17:34:38 ID:twA+gZUH
そうそう、そういう事、本人は秀吉が好きだと思っていたと思うんだけどね。
でも、物語って書いてる本人でも思わぬ命を持つものだから、
そういう視点から読んでみるのも面白い。

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