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毛利家が天下を取るには

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 02:19:07 ID:y1ZtxQc4
毛利家に野心があったら?
武田家なんかよりよっぽど可能性があると思うが、どうか。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 02:22:49 ID:eDRsVSYo
毛利領ってかなり大きく見えるのに
石高は少ない。
銀山などで収入には恵まれていたようだが。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 02:26:05 ID:8kO/aKtt
元就が早雲みたいな長寿なら面白い

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 03:29:49 ID:U/ZiC8Ds
元就も十分長生きだと思うが。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 07:37:23 ID:Agsr1R2P
隆元が生きてればなにがしらのアクションはおこせたと思う。
いかんせん輝元がガキすぎて、家のまとまりに不安があった。


6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 16:32:21 ID:D3UAfcda
秀秋が裏切る前に、南宮山の広家・秀元が家康の背後をつく。
後は秀頼公の守役となりキャスティングボードを握る、天下の2として生き残る。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 18:44:08 ID:GYL6Cwo7
毛利家に天下?
ムリムリ
まぁ頑張れって感じだね

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 19:07:14 ID:tZwWs1ib
天下を望むな。
中国でじっとしてれば、自然と転がり込んでくる

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 19:09:12 ID:QfthvKK5
 >>6
それが一番ベターな毛利の天下だろうね。
一応豊臣摂関家を頂く執権として事実上の武家の棟梁となり
しかも元就の遺言に一応そむいていないw。
毛利が天下を望んだんじゃなく豊臣の天下を護持して
あと縁戚関係でそれを乗っ取った。
まさに元就好みの天下取り

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 19:11:26 ID:EA2gFxtv
ぶっちゃけ幕末まで待てば
平成の今まで長州藩の連中は甘い汁を吸えるぞ。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 19:23:39 ID:HQSqmV1C
>>10
まあ、実質的に天下を取ったよなw

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 19:29:33 ID:eDRsVSYo
秀吉を追撃するべきだった。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 00:28:55 ID:md2beA4l
吉川元長が長生きすれば・・・広家なんぞより

14 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/08/22(火) 22:28:00 ID:tTrxbVBZ
イケイケで関が原もかわってたかもね。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 17:49:13 ID:+tKOnZAb
毛利にとって天下取への一番のチャンスは元就が死んだときだと思う。
その時九州から撤兵しているが、その時点で戦略を東に向けていればと・・・

もともと毛利は地政学的に有利な点が多い。
一、北、西、南と海に囲まれていて攻められにくい。
一、大内、尼子と倒し、残る強敵大友は九州で手一杯。
一、瀬戸内の制海権を握っていて京への距離が実際よりも近い。
その他にも
一、下っ端国人からの成り上がりで、伝統、しがらみが少ない。
一、家中の大物、吉川、小早川が叔父さんで仲良し。

後を継いですぐって訳には行かないだろうけど、両川に支えられながら
信長討伐令って言う大義名分をもって東上すれば道中の大名も味方になり
3万の大軍で入京。武田の始動もちょっとだけ早まり織田は美濃まで撤退。
長門、周防、石見、安芸、備後、出雲、隠岐、伯耆、因幡、美作、備中
和泉、河内、山城14国を支配する毛利 (*゚д゚*)モエー
元就が余計な遺言残さなければと・・・


16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 04:19:38 ID:a8ag/IN6
遺言残してなくても無理だよ。
両川が「輝元は阿呆だからだめだ」
って言ってるから。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 16:29:31 ID:Tx0cj5gO
秀吉と張ってたくらいの領土面積が
毛利の支配できる能力限界。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 17:01:11 ID:ngyQRH/7
隆元が生きてたら自然と天下を掌握しようという段階に踏み込んだんじゃないかな?
まあ九州の方向に固執したら畿内は遠のくと思うけど。
両川が兄に従うという形で、一枚岩の状態なら相当展望は明るかったと思うんだが。

隆元急死で、すべてご破算というかなんというか。
輝元が幼少で、両川が主導権握り始めると本家の力がおちて、内紛という状態に
なるかもわからんので、元就としては外を向かず外敵にそなえよとの方針だった
んではなかろうか。元就死後外に向かうとなれば、元春か隆景のどっちかが
主導的な立場にならざるをおえんだろし、あの二人の性格からして行く先は決裂・分裂
って方向は十二分にありえるからな。返す返すも隆元が生きてたらどうなっていたかは
気になるなー。1523年生まれで信玄より二つ上か。 信長あたりとも
老獪に戦えそうな感じはあるよな。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 17:06:42 ID:fNBpDd2V
隆元・元春・隆景は決して仲が良くないからな。
毛利両川が上手く機能したのは、
元就という重石あるいは保護欲をそそられる甥の輝元という存在故だと思う。
むしろ実に良い時期に死んだ。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 20:55:05 ID:BrD9fWgz
NHK教育でやっていたが毛利家では
当主と同等の発言力を家臣も持っていたらしいな
隆元に家臣が「俺たちがお前を持ち上げてるからお前は当主でいられるんだぞ」
と言ってる記述が残ってるとか
連判状も横ではなく輪にして書くのが毛利流だそうだ
横だと後先があるが、輪だとそれがない
毛利家では上下関係をなくすため輪の連判状なんだとよ

21 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/08/30(水) 20:57:46 ID:zEtBftvc
その隆元の上に元就がいるわけだな。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 21:01:45 ID:J/x9dh+G
>>20
元就時代は土豪小大名の連合体以外の何者でもないからな>毛利家
それが急速な拡大も可能にしたし、逆に成長の限界も作ってしまった。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 10:44:08 ID:sBSHaRmm
>>20>>22
その弱点を補うには関が原戦後の処分おまたないといけなかったんだな。
毛利に“東海筋の徳川の関東移封”に匹敵するものがあればよかったわけだ。
 となると秀吉からの輝元への九州移封の打診をうけていれば
よかったんだな。
まんざら悪い話でもなかったわけだし。
石見と長門周防をそのままで九州の筑前筑後豊前豊後と四国の伊予を中国筋に代わりに宛がう
ってんだから瀬戸内の制海権と石見をそのまま交易の要衝筑前とかを手に出来て
しかも近世的大名への脱皮も、大規模移封にともなう再編で可能になったわけだし。

そもそも小早川隆景が秀秋を養子に受け入れざるを得なかった理由が
毛利一族の九州移封を阻止したためのやむをえない政治的譲歩だったともいうし・・
 この話を受けていれば小早川家の当主も秀包となってたろうし・・

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 16:46:10 ID:QFAdphVh
石高だけなら武田や上杉よりよほど上だけどな

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 12:46:09 ID:RfVS7tT0
>>12
まったく同感。
追撃すれば羽柴部隊を壊滅できていた。
その後、毛利連合軍が明智軍を殲滅すれば
畿内を掌握できたのではないか。
柴田だの徳川だのは敵ではない。

元春・隆景・輝元が元就なみに勇猛果敢であれば
羽柴ごとき下賎な輩に臣従せずにすんだのに・・・

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 02:43:46 ID:kv9OBpxh
>>22
まずその連合体を解消して、織田家のように
毛利家を頂点にした形にしなければ、話は進まないんじゃ?

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 13:38:12 ID:Z1QuI6/m
俺の妄想全開で話すと、
元就が九州に見切りをつけ、大友は放っておく(もしくは停戦)。
元就死ぬも隆元奇跡の長生き。
宇喜多を先鋒にドンドン東へ進み、播磨ゲト。と、同時に黒田ウマー。
その後荒木も裏切り摂津ゲト。
秀吉が攻めてくるのに苦戦して停滞。
ここで、本能寺起きる。
秀吉が明智に勝つが、疲弊した秀吉を柴田と挟み撃ち。
山城ゲト。
この間四国を毛利水軍で閉じ込めておく。

ここで飽きた。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 01:37:36 ID:fYFxRVqd
>>25
戦線が伸びすぎないか?ソレ
畿内まで進出したとして、ソコに常駐軍を当面は置かねばなるまい
すると本国の守りは?生産は?補給線は?と言うことになる
仮に畿内まで進出しても、撤退するしか道が無い気がする

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 05:52:38 ID:wSiUniog
幾内までの補給線は大丈夫なんじゃない?
本願寺にも別所氏にも鳥取城にも物資運んでるから。
運ぶ物資が用意できるのならばだけどね。
でも播磨の赤松氏は早い段階で織田に付いてるからなぁ。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 08:08:50 ID:86fQa+vW
>>15
元就がこう遺言していれば・・・

「我が魂を毛利庄へ導くべし」

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 12:19:10 ID:tlVWS1lk
元就は中国統一時に発揮した狡猾さを
畿内制圧・室町幕府殲滅に向ければよかったのだ。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 13:29:22 ID:zYhOVBKj
あの広大な領地をもって、「これ以上拡大するな」
なんて考え甘すぎじゃないか。

まあ成功したが。

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 13:56:47 ID:2nCmKKNh
>>10 >>11
幕末あたりの長州藩は毛利家自体はほとんど政務を取ってないからな。
まあ多くの藩がそうなんだけど。
長州藩が天下取ったと言えても毛利家が天下取ったとは言いがたい。
つーかマジレスするの野暮だったかな。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 14:41:20 ID:1wTP1yux
>>32
逆にあれだけの領地がありながら天下を狙わせず
天下人の重鎮となるって元就の戦略と実行した息子達こそが凄いんだよ。


35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 15:39:13 ID:zYhOVBKj
>>34
そう、輝元はすごい。
支えた叔父もすごいわ。
領地は削られたが、生き残った。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 17:55:13 ID:8q9IRUvm
300年かけて天下を取ったんだから別にいいじゃん
天下を取る方法?
そんなの天下は狙わず適当にその時の王者に屈しつつその王者が倒れそうな隙を狙う
歴史がそれを証明している

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 18:11:24 ID:2nCmKKNh
>>36
だから、それは違う。
幕末に天下を取ったのは長州藩であり毛利家ではない。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 18:33:04 ID:499suCTi
毛利第二世代(輝元・広家・秀秋)が第一世代と同等の能力があれば天下取りは不可能じゃない

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 19:13:48 ID:zYhOVBKj
劣ってたのかな。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 19:35:38 ID:qivmjpOL
元就には間違いなく天下人となる資質があった。

毛利連合軍は室町将軍家に総攻撃を仕掛けるべきだった。
室町将軍直属軍なんて高が知れてるんだから
室町将軍家もろともたやすく全滅できただろう。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 19:55:43 ID:se8qTOxh
元就が北九州に介入せずひたすら中国を東進していれば勝てた。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 20:27:44 ID:2nCmKKNh
>>38
秀秋は関係ないだろう。
毛利は秀秋のいる小早川家を掌握してない。
むしろ取られただけ。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 22:41:31 ID:oQZoWFZz
江戸幕府を倒して天下取ったがな。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 01:36:32 ID:MNxQVmNu
隆景は九州まで毛利が支配し続けるのは、もはや輝元の力では無理であり
後々災いの種にもなりかねないと常々考えていたらしく、秀秋にこれ幸いと家督を譲った。
一連の養子問題も諸説あって、一族勢力を欲していた秀吉と
上手いこと自領を処理したがっていた隆景の思惑が一致したからというのも結構有力みたい。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 03:58:06 ID:Qdm5vo4J
毛利家の天下取りのチャンスは、いっぱいあったのにな
まず

・元就死後もイケイケで勢力拡大路線で突っ走って京に上洛する
 当時、畿内に敵らしい敵はいないので(三好くらい)容易に上洛出来たはず
・本能寺の変後、光秀と手を結び、秀吉軍を追撃する。
 そのまま、柴田、丹羽と織田残党勢力を倒して行けば、織田領も支配でき
 しかも、他の大名から見れば織田を滅ぼしてくれた救世主として支持される
・関ヶ原で徳川本陣に突入する

全部、確率高く成功できると思うけど、全ては隆元の早死にと輝元の無能が原因だね

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 04:23:30 ID:Qdm5vo4J
まず、最初のチャンスで言えば三好を討ち京に上洛すれば将軍に感謝されるし大義名分もたつ
この場合、史実と違い、信長は京に上洛出来ないのだから飛躍的な成長ができない
なので最大の敵と言えば武田になるが、毛利家は将軍を擁し、中国、畿内と制圧してる為
双方の戦力差は圧倒的。毛利は普通に天下取れるだろう

次のチャンスは諸大名の共通の敵である信長勢力を討伐するのだから各大名の支持を受けれるのは必定
織田各軍団長を討伐する際は、まず家康は北条と挟み撃ち。柴田は、明智・上杉と挟み撃ち
この場合、最大の敵が九州を制圧しイケイケの島津。そして東北の伊達
島津は長宗我部と協力し、制圧。残る伊達は史実通り降伏するだろう
これで、九州、中国、畿内、東海を支配下に置いた毛利
関東の北条、北陸の上杉、四国の長宗我部、東北の伊達と毛利連合政権ができる

最後のチャンスは、まさに西軍の総大将として家康を討ち取るのだから
戦後は豊臣政権で敵なしの一大勢力になれ、三成も逆らえない存在になるだろう

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 05:00:13 ID:YX+p2Wnu
何で伊達が出てくるんだよw

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 06:34:18 ID:QaLb/aXV
>>46
まず地理から勉強しような。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 06:42:47 ID:kIXPl7E2
>>43
あんたは数個前のレスも読んでないんだな。
あんたは斬新な意見と思って描いたのかもしれないが、
それは腐る程聞いた、散々、既出のネタ。
そして、それは毛利家ではなく長州藩が取ったというのも散々、既出の反論。
実際、幕末の毛利家は政務にはほとんどかかわってなかったし。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 06:51:45 ID:edxIkUpL
>>49
同意。
てか、長州だけじゃなくて、
薩長土肥、その他諸々の諸藩が活躍したのであって、
毛利が天下をとったわけじゃない。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 07:10:58 ID:kIXPl7E2
>>10
>ぶっちゃけ幕末まで待てば
>平成の今まで長州藩の連中は甘い汁を吸えるぞ。

今更だが、ちと指摘。
明治維新の時に起きた萩の乱、神風連の乱、西南戦争といった不平士族の乱が何で起きたか知ってる?
それは早い話しが長州藩や薩摩藩の士族の大部分が実は甘い汁をすえなかったからだ。
そもそも、薩摩長州などの倒幕運動に参加した大部分の志士たちの動機が
実は歴史小説などで書かれているような崇高なもの(例えば四民平等とか新しい日本とか)ではない。
ごく一部の思想や抗争を持っていた人間以外は戦国武士と同じような概念しかもってなかった。
つまり、大部分の幕末志士たちの意識はようするに「藩対抗天下取り合戦」でしかなかった。(続く)

52 :51:2006/10/03(火) 07:18:21 ID:kIXPl7E2
それで薩摩長州の志士は自分たちが倒幕し天下を取ったら、
関が原後の勝ち組武士のようにたくさん所領を貰って豊かな暮らしが出来ると考えてたが
実際に来た明治維新の世の中は想像とは遥かにに違うものだった。
ごく一部の上級武士やの功労者は爵位を貰ったり政職についたりもしたし、
他に警官や軍隊などでうまくやった者もいたが、
大部分の武士は路頭に迷い、しかも廃刀令やら四民平等など武士の誇りを取り上げる政策がふりかかってきた。

それでも、いわゆる負け組の武士はそれでよかった。
なぜなら「自分たちはどうせ負けたんだから酷い目に合わされても仕方ない」と考えたからだ。
しかし、勝ち組の筈の薩摩・長州の武士はそうもいかない、
「自分たちは勝った筈なのになんで、こんな世の中になったんだ。何でこんな目に合うんだ」と屈辱を感じ反乱を起こしたというわけ。
皮肉なもんだね。負け組よりも勝ち組の方が結局は不幸になってしまうとは。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 14:17:32 ID:ty3XsOAy
>>45
元就が死んだのっていつだか知ってる?
どうして、隆景が追撃を留めたか知ってる?そもそも何故毛利は領国の半分を
差し出すなんていう講和条約を結ぼうとしていたか知ってる?

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 16:09:35 ID:5F++t/V1
>>53
>領国の半分を差し出す

講和などではなく、事実上の全面降伏だな・・・

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 16:38:33 ID:I4QFfwzK
「もし、わしの味方になれば世界の半分をお前にやろう」

(世界と呼ぶには狭すぎるが

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 18:50:10 ID:kIXPl7E2
>>54
ちょっと違うな。毛利が割譲する毛利領東部の五カ国とは
毛利の武威に屈して配下になった諸豪族の割拠する土地で
実を言うと毛利にはあまり取られても痛くない土地だった。
ましてや毛利は天下を狙ってないし。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 19:05:41 ID:/MtUBWWx
>>53
毛利が秀吉を追撃できなかったのは羽柴軍が高松城に貯まってた水を
工夫して毛利軍の東側に放水したかららしいな。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 19:16:14 ID:wHhbTZDs
新史太閤記にそういう描写があったがあったが事実なのか

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 20:22:29 ID:jox8OYa2
>>56
のちの話だが
割譲された5ヶ国に代わり九州四国征伐の恩賞として
伊予、豊前、筑前、筑後、肥後を与える予定だったそうだ。
そのうち
伊予35万石を小早川隆景
筑前35万石は吉川元長
 に与え独立大名の格式として扱う
いわば上杉家での直江のように石高と与える国を
毛利両川には秀吉自らが指定する方式が予定されてたそうだ。

この話は小早川隆景が阻止したといわれ、そのせいで
徳川を関東に、毛利を九州に遠ざける豊臣の戦略は半分しか実現しなかった
そうな。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 20:49:18 ID:YX+p2Wnu
秀吉の天下取りの最大の功労者は毛利だしな
天下取らせたんだから満足しろ

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 20:51:00 ID:KbCwUjHx
やはり輝元の器量に問題があると。もう少ししっかりしてればまた違う戦い方・結果になったはず。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 21:25:40 ID:jox8OYa2
>>61
輝元の責任よりも当時の毛利家のお家事情のがでかいとおもう。
輝元と秀元との微妙な関係
毛利両川の関係や
傘連判に代表される一揆寄合体制を脱却しきれない
といった弱点を克服しきれないままに突き進んでいたのだから。
個人の器量に問うのは酷だろう。

 逆にいえば運であれ関が原に勝利すれば事態は変わったかもな
全国規模の再編や転封の命令権と豊臣の威光を背景に天下の政務に口出しだから
 秀元と吉川はじめ小うるさい古株を体よく恩賞代わりに独立大名として
出してしまい、毛利家中は関が原に勝利した大将輝元の名のもと集権化とか
一気に体質改善できたかもしれない。
 古い体質のまま室町幕府の管領細川家のような有様になるかも知れんけど


63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 00:59:00 ID:zNbS1zHh
単純に信玄、朝倉、本願寺、謙信が健在なときに輝元が大友と和睦して上洛
してたら事態は変わってた可能性はあると思う。各織田包囲網と連携し、秀吉撃退>近畿蹂躙>
>織田本隊及び明智撃破(できればの話)>織田遠征軍を上杉等と挟撃、各個撃破
あるいは、秀吉中国大返しの際の和平を破り追撃>明智撃破。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 20:29:57 ID:acaxB8ru
>>63
信玄が健在なときは謙信は信長の同盟者。謙信が織田と敵対したときには
本願寺とも組んで織田と戦ったが勝てなかった。

Ifを語るにしても、まず史実は押えておこうよ。

65 :63:2006/10/04(水) 21:03:44 ID:zNbS1zHh
>>64
スマソ・・・・。俺、消防逝ってきマス!

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 20:48:21 ID:WrVsFLLx
>>37
戦国時代から大名家はただの家ではなく、一個の法人みたいなもの
織田家等の特殊な家以外、当主の個人所有とはいいがたかった
長州藩を毛利家と称すのは、間違いじゃないと思う

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 22:56:02 ID:+wDSu6x4
ちなみに毛利の天下というとどうなるのかな?
やはり毛利幕府
征夷大将軍 毛利輝元
管領    小早川隆景
あたりか?
幕府所在地は安芸じゃ不便だよな
やはり大阪か?


68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 23:50:03 ID:CXLL4Mr7
>>67
隆景を管領にするはずはないのでは?
管領とはあくまで「家臣」の役職。
隆景は養子に出されたとはいえ元就の息子。
隆景だってそれは願い下げでしょう。
管領は桂・熊谷・宍戸などから出すのが妥当かと。

69 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/10/06(金) 00:29:47 ID:qMV6S+z4
両川は御三家みたいにはならないと思うよ。

70 :農民:2006/10/06(金) 01:16:03 ID:l91F8sjG
太政大臣・兼任で関白で陸戦担当    →吉川元春
京都所司代・兼任で軍艦奉行で海戦担当 →小早川隆景


71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 01:21:37 ID:GyREBwoX
毛利の天下だとして政策が鎖国なのか外征なのかが気になるな。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 01:25:48 ID:H00sBzh7
それは当然、裏切りと策略・・

ヒッヒッヒッ・・

チンギスもーんと世界から賞賛される

大国家を樹立してくれたはずです

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 01:27:05 ID:8EAPlsLB
毛利は根本的に対外交易の旨みを知り尽くしてるだけに
鎖国というよりも明に朝貢して中国貿易を幕府独占
東南アジアの日本人町も黙認して交易網に組み入れていくくらいか?
 江戸幕府のような貿易独占はやる可能性があるが
徳川よりもよほど積極的な貿易振興はやったと思う。
秀吉ほど無計画でも無かろうから大明征伐はなさそうだが
対中国貿易と南蛮貿易の旨みを独占する為
そのうちイスパニアやポルトガルと衝突して東南アジアに外征くらいか?

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 02:12:47 ID:sry5A/j+
>>73
ありえない。なぜ徳川幕府が鎖国(貿易規制の意)をしたのかぜんぜんわかってないな。
当時の日本の輸出品は銀と奴隷だけだ。つまり単なる資本の流出。マクロ経済の観点でみれば
貿易収支は大赤字だ。つまり、買い手一方の貿易になってしまう。

つまり当時の日本は国際的な競争力がなかったわけだ。陶磁器や織物や茶や生糸などの商品は
中国や朝鮮が高品質のものを生産していたからな。それらを仲介した海賊(松浦等)や一部の大
名がうまい汁はすうことはできても、マクロ的観点で長期的にみれば、当時の日本の貿易はま
ったくうまみがない。

75 :74:2006/10/06(金) 02:29:30 ID:sry5A/j+
勝手に補足。
後に明も鎖国を試みる。これは地方の郷神たちが勝手に銀や明発行の銅銭や
銀銭を退蔵させ、私鋳銭をつくりだし、海外貿易や地方での商売につかいだ
したからだ。この結果、明の国家としての貨幣経済は崩壊し、租税徴収に困
難をきたすようになった。当然中央政府としての権力は弱まり、鎖国も名ば
かりのものとなってしまう。この体質は清にかわってもかわらず、結果中央
政府の権力を弱く、列強諸外国の食い物にされたのは歴史のとおりだ。

貿易、貿易といっても今のようなドル建ての為替レートがないような時代だ
からマクロ経済てきにはとても難しいものだったのだよ。徳川幕府の米建政
権にはこういった背景がある。

76 :74:2006/10/06(金) 02:47:38 ID:sry5A/j+
勝手に蛇足。
毛利が九州にとらわれなければ天下が狙えたという意見がいくつかあるが、ありえない。
大友を無視または和睦できるはずがない。毛利と大友は結局商人だったのだよ。
74でいってる貿易でうまい汁をすっていた大名の大内家の遺産を狙って、骨肉の争い
をしていたのだから。結局毛利は政治家ではなく「せいじや」だったのだよ。日本の
形などまったく目をむけず利権争いを大友てやっていたただの商人だ。





77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 12:24:41 ID:2nh867+D
>>74ありえなくはないんじゃない。
毛利が関ケ原でうまく立ち回れば。

ただ、その毛利が執権や将軍の場合は徳川幕府のような天下泰平や元禄文化
といった繁栄、平和な統治ができず、日本が植民地になってた可能性が高く
家康、秀忠、家光などに比して毛利じゃ劣るというだけで。

日本の形まで考慮できたのは三英傑ぐらいで、後は所詮地方大名なんだから。
ま、だからこそ毛利などでは天下は無理とは言えるが、それは結果論で。


78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 13:56:02 ID:39xDiGgz
うまく立ち回るって具体的にどうすんだ?

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 15:02:12 ID:m2kgss2j
歴史IFスレなんて熱く議論すればするほど虚しくなるだけだな

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 15:58:31 ID:39xDiGgz
可能性だけならこじつければどうんな事でも言えるが
実際無理だもんなぁ

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 18:17:06 ID:kr9v/ZZd
>>77
IFで申し訳ないが
もしも本能寺ないし桶狭間なかりせば、もしくは関が原次第では
>>ただ、徳川が執権や将軍の場合は平和な統治ができず、
>>日本が植民地になってた可能性が高く
とか
>>○○などに比して徳川じゃ劣る
>>所詮地方の田舎大名なんだから徳川などでは天下は無理だったんだよ。
>>つーか徳川が天下?100%ありえねー妄想書くなよプゲラ
というカキコになって徳川では天下は平定できなかった説が跋扈してたことは
想像にかたくない。
毛利幕府でも徳川幕府なみの天下の安定が実現できないという保証も無い。


82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 19:24:21 ID:wvjs/LRY
天下取ったじゃん

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 19:26:23 ID:49vgDesy
毛利の天下など認めぬ

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 19:28:26 ID:wvjs/LRY
認めぬも何も現代政府の基礎は薩長だぞw

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 20:37:56 ID:Yn07ykqd
スレタイが微妙にズレてて


                                  毛
利家が天下を取るには


に見えた

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 21:52:42 ID:6seYCrkp
薩長どころか長州が主だな…

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 23:49:04 ID:MwGsUI66
実際、輝元がもっとしっかりしてれば普通に天下取れたでしょ?
関が原に毛利が参戦してれば
輝元が広家、秀秋をきちんと管理してれば
普通に西軍が買った。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 00:37:14 ID:iAzw1M1H
小早川は既に毛利一族から離れているから管理も何も。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 02:36:43 ID:IcbkGbd1
悲しいことに秀秋が隆景の息子だと思ってる人間も結構いる。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 15:47:42 ID:FeeGo1cE
迷惑な話だ

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 23:37:34 ID:Ym0EPJyX
おい、おい、
輝元は名ばかりと言っても西軍の総大将なんだぞ?
しかも両川は西軍の中でも毛利家に近い同盟国だろうが
裏切られてもいいって訳ないだろ

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 00:28:30 ID:9q49+ayj
だから吉川は毛利一族だが、
小早川は一族じゃないどころか、縁もゆかりももはや無いんだよ。
毛利ゆかりの家臣はほとんど引き上げてるしな。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 18:03:10 ID:ZldNNkjP
もともと小早川には毛利(大江)の血が入ってないから
毛利一門から離れたことにもさほど抵抗感が無かった?

隆景には小早川の血はまったく入ってないし、
興元の娘と小早川興景の間には子がいなかったし。

94 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/10/12(木) 21:52:06 ID:eEamEPos
吉川広家は経家の猶子。元春は興経の従弟。
小早川の流れは秀包であって、秀秋は豊臣一門だわな。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 22:28:38 ID:lXtmbhje
どうせifの話なんだし簡単に考えて、南宮山から全力で突撃してたら
天下取れたんじゃないですか?程度で結論。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 22:43:00 ID:ALhHjLIA
小早川家が秀秋を養子に取った時点で
それまでの毛利ー小早川の関係が隆景を養子に出す前の関係、
白紙に戻ったって事?

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 22:49:27 ID:ALhHjLIA
西軍の総大将になったのは棚からボタ餅じゃない?
三成と家康とを争わせといて漁夫の利を狙えば
三成、家康よりもたやすく天下を取れた
輝元にそこまでの政治力がなかったから不可能だが
隆景が生きてたらどうしたかね?


98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 00:30:03 ID:iJrewvL2
>>95
タイミング次第かと。
開戦当初は、東軍も14000近く南宮山方面に配置していたから、
言うほど簡単には抜けない気がする。

主戦場での立場がほぼ逆になって展開するから、数に勝っていても抜くには苦労するだろうし。

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 01:00:50 ID:Nib0iNJX
>>98
抜くのはもちろん簡単じゃないだろうね。
ただ南宮山の軍が動けば、松尾山の銃撃や脇坂らの寝返りも難しくなるわけだし、
西軍有利に動くのは間違いないかなぁくらいの予想。
まぁifだし簡単に考えるのが良いと思うがもっと真剣に考えた方が良いのかな?

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 01:58:21 ID:iJrewvL2
うん、簡単で良いと思う。
・南宮山が動いても、東軍を簡単に抜けない。
・一挙に大勢は決まらないが、西軍がやや優位を保つ。
・小早川は引き続き傍観。
位で良いと多う。

まあ、最終的な鍵はやっぱり小早川か。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 04:38:15 ID:72KC/IWp
小早川の石高は35万石だから兵数は1万ほどのはずなのに
どこから1万5千となったのだろう

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 19:37:34 ID:Bs6zoaSr
関が原は、三成は頑張った方だ
西軍が負けた原因は輝元がアホだから以外のなにものでもない
輝元が毛利家を継いだ時点で毛利が天下を取るのは不可能

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 20:33:16 ID:Nib0iNJX
輝元じゃ天下は取れないからこそのifのスレじゃなかった?ここって。
三成は頑張りすぎなくらい頑張ったというかよくやったし、宇喜多や大谷も凄い。
特に大谷は天下の名将。

というわけで輝元がやる気マンマンでアホじゃなかったら西軍大将で天下取り確定(if)。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 00:31:14 ID:vl5Q0eD7
輝元が大阪城に3万(5万?)の軍勢をもって引きこもらずに、関が原に
出張ってれば普通に勝てたんじゃない?

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 00:56:45 ID:rveQZHbt
関ヶ原以前に
伏見落とした後
毛利秀元伊勢攻めに時間かけすぎ
岐阜が陥落するまで2週間近く無為に過ごして
ここをさっさと終わらせて美濃に入っていれば
岐阜城が落ちることも無かったかもしれないのに。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 21:55:52 ID:N3rXK5Ua
秀吉の大返しの時は元就没後
関が原の時は隆景没後

信長、秀吉、家康のように運がなかった

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 13:41:07 ID:8fp+b6hH
毛利には北条、武田、織田のような革新的政治が行われていない。
毛利が優れていたのは謀略、外交だけ。そこそこの戦上手でもあったが。
例え織田軍との全面衝突の際に元就が生きていたとしても
これだけの能力で天下を取るのは不可能。

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 20:32:41 ID:rdiJrytE
じゃあ天下を望むなと残した元就はまさしく天才だな。
人間自分の子供が不出来だとはなかなか認められないものだ。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 21:33:53 ID:J5neJzgv
元就には本貫地を目指して東進する願望が本当に無かったのか?

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 23:45:12 ID:8fp+b6hH
輝元は元就の遺言を聞いていたからこそ
関が原で傍観を決めたのか?
第三者をきどるなら他にやり方があったろうに

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 13:08:19 ID:5TYQL8qY
>>107
そうか?毛利は大名になるまでは確かに元就の謀略は
凄まじかったと思うし、大国二国間を泳いだ外交も見事と言える。

しかし、大名になってからは大友の謀略に敗れ北九州を奪われたし
外交も北九州の土豪に離反され、元就死後、織田の圧力増大もあるが
宇喜多に離反されたり、微妙感が漂う感じがする。

毛利(元就も含めて)はどちらかと言うと、大名になってからは
国力を生かした正攻法が多い感じがする。

正攻法だけに失敗が少ないから間違いじゃないけれど、
それだけでは天下は取れない。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 15:50:46 ID:AjV5X0EA
大大名になってからは手堅すぎて面白みにかける

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 00:46:50 ID:AVlaOwV9
外交能力で言えば元就でも信長、秀吉、家康より数段劣っていた
元就の戦術はデマを流しての主従離反策。
このお家芸の評価じゃないか?
外交は秀吉の代になっての隆景の手腕が見事だったね

元就の平野戦の能力はほんとそこそこってとこ
北条といい勝負

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 22:20:47 ID:19ZKTOYr
戦国時代の成功した大名の一つの基準として領土拡大率が挙げられると思うのだが
この観点だけでみれば毛利は織田に次いで成功した大名
ってどこかで読んだな

でも、遼太郎の言うように毛利は地味すぎる
初期の合戦を除けば、政治においても合戦でも手堅すぎる策しか実行しない
俺は毛利は嫌いだね

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 22:23:06 ID:VzG/xV7x
配下に高杉晋作と大村益次郎がいれば余裕

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 23:04:45 ID:jTPJLQCX
派手でも綱渡りをするような事をするよりは面白味が無くても堅実にする方がいいわな。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 12:51:03 ID:BfXiGup4


  大  毛  利


118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 23:02:58 ID:PdBj413/
毛利は二度天下取りのチャンスを逃している
一つ目は、本能寺の変の直後
二つ目は、関が原の戦いの時だ

武田は信長包囲網に参加してればチャンスあったかもしれんが
確かに天下取りには遠い

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 00:10:29 ID:jeVf7qbz
中央集権化出来てないのが致命的。
せめて武田北条位の制度はないと。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 00:47:46 ID:c5BpuGfX
毛利が本能寺後で秀吉との講和を拒むと
→信長の後継者争いに時間がかかる。
その間に九州は島津が制覇
    中国地方は孤立した宇喜田を毛利が破り、毛利が平定
    四国は長宗我部が統一。
    東海は家康が制圧。
    関東は北条が統一。
    東北は伊達・南部・最上の三つ巴。

信長の後継者が近畿・北陸を制圧するも、他勢力を圧倒する余力はなし。
最終的には連邦国家みたくなるんでね?

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 02:19:14 ID:qr8WkkHU
いくらなんでもそこまで急速に地方統一は進まないだろう。
特に関東は里見無視で統一?

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 02:50:26 ID:QjuYGmw7
よく、考えてみたら
本能寺の変=信長の死後
関が原の戦い=秀吉の死後
だから毛利でなくても複数に天下取りになれる可能性があった訳だけど・・
何故か、その複数の中でも毛利が一番可能性大だと思われる
あくまで能力をどがえしした話だけど

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 02:51:00 ID:/hCbFI0/
>>121
里見と北条は講和済、もはや対等ではなく上下関係込みの同盟と見て差し支えないだろう。
彼我の勢力差が圧倒的な上、江戸湾での海上主導権も喪失した状況で本格的な戦争はもはや自殺行為。
北関東の反北条諸侯が頑張っているときも、里見は参戦どころか後方での蠢動すらしていない。

本能寺前後の状況で言えば、北条にとって里見は脅威でも何でもない。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 03:45:40 ID:JQOCvtbX
約300年後を待てばいい

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 03:57:07 ID:8qaNaDzO
里見はともかく下野・常陸を潰すにはまだまだ時間かかりそうだが
実際本能寺の後8年近くかけても潰せなかったし

島津は間違いなく攻め上がるだろうな
毛利は余程早く上方に乗り出さないと後方から突かれて身動き取れなくなりそう

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 11:02:29 ID:DaSPNzjD
>>123
なるほど。
では佐竹とか宇都宮、結城、他にも強豪が沢山いるけど、彼らも瞬殺?

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 12:45:51 ID:jeVf7qbz
佐竹は伊達と北条の挟撃に押されてたけど瞬殺出来るほど弱体化してない。
宇都宮、結城は基本日和見だから条件次第で北条方に。


128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 12:51:45 ID:3W7QOcRR
>>45-46
これは酷い
中二病の勘違い誇大妄想ってとこだな

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 19:05:34 ID:hfyM0eP3
宇都宮は佐竹と心中。

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 23:38:45 ID:q53SvT3T
実力と将来を見据えるビジョンが天下取りには必要だった。


131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 00:10:24 ID:eBAknQbQ
結局、毛利が天下を取るのには無理がある
地理的条件や運に恵まれていたが
北条、武田、織田に比べ能力が足りない
おそらく直接対決になったら島津より劣るだろう

しかし、厳島の戦いは見事だったよなあ
まぐれだったのかね?

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 00:25:00 ID:T1z5xzie
二度逃してて、そして高杉の「よぅっ、征夷大将軍」がある。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 00:25:25 ID:+M8KQegl
上洛の意志や元就と輝元の力量差も考慮してね。
あと周りも。広家や安国寺と元就時の両川とも。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 02:24:10 ID:5S9LbcQE
能力勝負で言ったら
毛利は島津より劣る。長宗我部よりは上。
伊達といい勝負。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 02:45:23 ID:zeQifNMd
大内義興と尼子経久という超大物がもっと早く死んでいたら
元就は間違いなく畿内、そして関東を目指しただろう。
宝治合戦で失った中央政界での地位を取り戻したいという野心、
そして本貫地を取り戻したい願望はきっとあったはずだ。
毛利に限らず、多くの家臣諸家にとっても東国は本貫地だ。
「未だ見ぬ本貫地を目指せ」を合言葉に東進していれば
毛利の全国政権は完成していただろう・・・

136 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/10/29(日) 02:53:15 ID:/yjJ+xxC
>>135
元就がもっと早く死んでいたらどうなるかね?

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 10:11:53 ID:Cltvzdx0
毛利は国人の連合体だから上洛しても統治は出来ないだろ。
長州に閉じ込められるまで中央集権化を図っていないし。

138 :伯耆国人:2006/10/29(日) 17:10:33 ID:enF1h4Hv
これはあくまで私見なので、あしからず

結局、元就公は息子&孫の器量と、自分に残された時間を考えられて、家臣制度改革や正攻法の対外調略など、自分亡き後、なるべく禍根を残さぬよう安定路線・正攻法を選ばれたのではないでしょうか?
やはり、御世継が輝元公では‥
元就公の無念、いかばかりか…

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 23:50:19 ID:T7W33Qvv
>>135
逆だろ、その大物同士が食い合ってくれたおかげで、元就の戦略が成り立ったわけで。
どっちかが勢力の均衡を失ったら、一気に押しつぶされて終わり。

そのあと元就がどういう行動に出るかはわからんけど、史実ほど上手く行く状況が来るとは思えない。

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 11:06:14 ID:/cMLuGHi
毛利は天下と言うより中国地方だけで満足してた観が強いね。
元就以外は勝負に出る気ない。
関ヶ原勝っても江戸に攻め込むのかね?東で徳川支配のままで満足しそうな気が

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 10:57:14 ID:KHu9Ad6S
>>1
毛利家が絶対天下が取れないとは言えんが
以外に、あの立地条件は悪いような気がする。

つまり、中国地方の西部の大名は、あれ以上、勢力を拡大する場合
東西に兵站が間延びしてしまい、それでいて
石高は150万石未満だから、そうとう厳しいような気がする。
近畿を目指そうとしたら、
岡山平野や播磨平野の両方に50万石くらいの纏まりがある勢力が誕生しやすくて
それを撃破するのは至難の業だ。

それに比べて、濃尾平野や近畿周辺の大名は
領土が正方形に石高500万石クラスでまとまりやすいから
圧倒的に有利だな。

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 15:42:33 ID:YWZMKTA3
>>141
確かにそうですな!
何せ「前門の虎、後門の狼」状態ですからねぇ

吉川元春クラスがあと三人でもいれば・・w

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 16:15:43 ID:OH5l2/Po
>>142
それ以前に毛利が国人領主の連合体から集権性の強い
近世戦国大名への脱皮を早いうちに出来ていれば
秀吉の大返し
関が原とチャンスは
あった。

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 16:57:51 ID:RtfczRpT
>>141
石見銀山と山口があれば石高が120万石でも十分だと思うが。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 20:13:21 ID:VINKiHQk
東西に長い領土だと兵の移動だけでも大変だから
石高が高くても不利なのは確かだよ

呉から尾道まで電車乗った時に
広さの割には山ばっかで、不便な土地だなと思った

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 20:57:36 ID:gQmWK1cC
>東西に長い領土だと兵の移動だけでも大変だから
だとしたら街道の整備を行ったり、軍隊の機動力を高める努力をすれば良かったのに

海運あるからその必要性は感じなかったのかな?

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 22:15:12 ID:1z/XpbLn
>>144
山口には何が?
石見銀山と
博多湊もしくは神戸湊も手中範囲だった
利益を独占できるかは別にして

東西に長いのは攻める場合不便かもしれないが
逆に防御にはいいんじゃないか?
だから地理的には信長と同じくらいの有利さはあったんじゃないか?
毛利に能力があれば信長、秀吉とも対抗できたかもね

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 23:05:36 ID:gJ0Bm5Fx
兵を集めるまでに時間がかかるからなぁ

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 23:38:20 ID:4DKh9tpu
瀬戸内海の海運利権もあるな。
結構裕福だったんじゃねーの


150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 01:48:53 ID:oxO2J9So
あれ?
村上から取り上げていたっけ?

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 02:41:42 ID:AfIUFYqb
たしかに、毛利には石見銀山や海運利権はあったけど
基本的に前近代の国力は、石高=人口=動員兵力でしょう?


152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 04:50:08 ID:ncjPdRdM
>>151
なら大内、武田、上杉をどう説明する。
上杉は40万石ちょっとしか無いぞ。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 15:21:27 ID:YBFwnwTq
地政的に

防衛兵力>>>攻勢兵力

とならざるおえず、また、動員可能兵力も多からず、同時多方面作戦は無理である

やはりネックは国人衆統治にあるのか?

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 20:31:29 ID:WyvDQXpT
>>152
だからこそ、戦国後期は
上杉は武田のように追い込まれていた。


155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 21:02:26 ID:7UkoVcmY
上洛なんか考えず、徹底的に大友叩きをするべきだったと思う。大友さえ滅ぼせば
島津がいかほど強兵を率いようとももはや敵するに値しない。九州平定がなれば
後は背後をおびやかされる心配もなく、悠々と上洛、そして四国も簡単に平定。
問題は輝元の資質か…

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 21:21:36 ID:DIgzmJUT
むしろ九州に手を出さなければ上洛出来たかもしれないんだがなあ。

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 21:34:34 ID:+9DsSshV
大友領得たぐらいで島津に勝てる保証なんてないだろ

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 22:05:12 ID:YBFwnwTq
しかし歯止めには有効

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 23:08:57 ID:ddBNkuoI
輝元をクーデターで倒すのが最も重要な課題
武田信虎みたいに追放するのがベスト

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 09:29:27 ID:IzCXiVen
>>147
人口。
京、堺に次ぐ町だと思ったが。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 09:39:24 ID:sYl575x9
秀秋と毛利宗家に迎えて輝元を隠居させて、小早川は秀元に継がせる。
秀秋が大阪城、秀元が松尾山。関ヶ原に勝利。負けた場合は秀秋が迷ってる間に
篭城戦のようになって豊臣恩顧が大坂方に内応、家康秀忠軍と決戦して勝つ。
三成の密約で毛利秀秋が秀頼成人まで関白職に。秀秋はすぐ死ぬので秀元が毛利を
継いで関白秀元。幼い秀頼を抱いた秀元が豊臣恩顧を従えさせて、各地を平定。
秀頼が成人する前に色々あって将軍になって幕府開いて大坂の陣。

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 11:54:43 ID:l/S2aN4s
博多を完全支配してれば織田と真っ向勝負
出来たんじゃない?

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 13:12:13 ID:G2iWxlpp
>>159
追放していい人材いんの?

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 13:57:07 ID:ZFF+0pOH
ここのスレ、というかここの板全体的に
ゲームの「信長の野望」や小説の影響を受けすぎ。

誰々が死んだらとか、誰々のほうが優秀とか
それだけで歴史は変わらん。
「信長の野望」の人物による能力値で勝負が決まるなんてアホすぎ。
たとえば、誰々がアメリカの大統領とか、誰々が日本の首相とかで
そんなに、国同士の力関係が変わらんように。


165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 14:03:03 ID:ZFF+0pOH
政治家の政策なんて、もし、こうなってたら?で
どういう政策をしていたか考えるのは面白いが
そういうのは、周囲の環境に依存しやすい。

上のほうで、尼子経久が早く死んでいたら、毛利元就が早く近畿を目指していた
なんてアホな回答があるが、
そんなことぐらいで、元就が近畿を目指せるかw
その時点では、元就は安芸の一国人領主にすぎない。
尼子経久が早く死んでいても、中国地方の勢力地図が全く変わらない。

元就にチャンスが巡って来たのは、隣国の大内で内紛が生じたのを
少ないチャンスでギリギリでモノにできたからで。

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 14:08:58 ID:C/mfTc7S
>>164
それいうと秀吉が死んだら、あっという間に勢力地図が変わったが

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 14:24:50 ID:ZFF+0pOH
元就が、中国最大の大名になれたのは
本人の力量もあるだろうが、かなり運が良かったのも大きい。


元就の力量の部分は、

安芸を平定の過程で他家に養子を送り込むなりして、徐々に安芸を統一。
その一家のものを殺すなり酷いことをしているw

吉田郡山に立てこもって、尼子の2万の大軍をしのいだのも評価できる。

大内義隆が謀反で死んだ後の立ち回りの巧みさ。当初は陶に協力する姿勢をみせ、
その間に芸備攻略に奔走。この時の計略は鮮やか。尼子分断にも
謀略を使ったと言われている。そして、最後には厳島へ誘い込んだ。
村上水軍も味方につけれた。


元就の運の部分は、

若いときの武田との戦での勝利。これは西の桶狭間といわれている。

隣国の大国・大内で主君が暗殺されるという政情不安が
ある程度、安芸を平定して最後の仕上げのときに起こったこと。
もし、大内が磐石なら、大内は安芸が毛利により完全統一することを許さなかったはず。
大内の安芸政策は、隣国が統一するのを防ぐ分断統治だからだ。
また、その時、尼子内での内紛の兆しがあったのも大きい。
これには元就が計略で煽って、火をつけたとも言われているが...
これで、その間隙をついて備後の攻略が達成、陶との戦いに集中できた。


168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 14:33:28 ID:ZFF+0pOH
>>166
秀吉が死ぬ直前に、既に
徳川家康の存在は無視できなくなっていた。
それでも、豊臣と徳川が勝負したら、豊臣のほうが優勢。

しかし、秀吉が死ぬことによって、彼の後継者が幼くて
家中が統一できてなかったのが痛い。
つまり、豊臣内部の対立(尾張閥と近江閥)が表面化して
豊臣内部が分裂したのを、徳川が漁夫の利を得た感じだったね。
それこそ、大内の内紛や尼子の内紛で、毛利に有利に展開したのに似ているw
豊臣にちゃんとした成人した後継者が育成されていたらね。
封建社会での独裁者にとって一番難しいのは、今も昔も後継者問題。
これにより国が二つに割れ、隣国に介入されやすくなる。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 19:07:28 ID:CdhPIOLP
何か触れてはいけないような気がする・・・


170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 15:06:46 ID:5dV0GZrq
自分で能力値を決めるのも楽しいよ
運の部分や地理的条件を除く事ができたら・・・
と想像するのも

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 21:03:31 ID:oifAJYM9
毛利が東国や奥羽を狙うほどの経済的メリットが無いというのも致命的であろう。
普通に九州を制してしまえば、四国は余裕で落せるし
そこまでしたら近畿の堺とかを拠点的に抑えて海軍力さえ掌握しておけば
対明、対南蛮交易を独占して経済的パワーで日本に敵はいないわけで。

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 06:33:20 ID:krdMe6a9
>>171
毛利は畿内を制圧できれば、あとは
豊臣政権と同じような統一過程を歩んだと考えるべきだな。

また、毛利としては、九州全土を制圧するよりも
畿内へ侵攻したほうが合理的なように思える。

中国の覇者になった毛利にとって、制圧が可能、または制圧が合理的なのは
北九州の博多湾周辺の地域までで、南九州は放置、または
南九州を分断するように持って行けばよい、大内時代みたいに。
南九州を目指すよりは、畿内を目指したほうが可能性がある。
毛利にとって重要なのは、博多〜瀬戸内海〜堺の湾岸利権だ。
ここの大半が制圧できれば、南九州は自然と屈服する。

しかし、その南九州を分断できないのない、つまり、
島津、大友、竜造寺のうちのいずれかに統一されてしまうのなら
それ以前に、九州全部を諦めて、畿内を目指したほうが良い。
毛利の史実での動きのように。
やはり、北九州〜畿内まででも兵站が間延びしてしまうから。

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 01:16:08 ID:VqpjtKil
海運を使えば大量輸送出来るんじゃない?
当時、大きな船があったかどうか知らないけど。

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 11:54:15 ID:SYjS1/sy
そこで、あのとき大阪で見た鉄鋼船ですよ殿

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 22:09:34 ID:9wEjHKe/
毛利ってどんな政治を行ったの?
ただ領土拡大しただけで革新的な政治を行うレベルまで到達してないだろ?
そんな大名に天下取れんだろ?
まだ、北条、武田の方が天下に近かった。

早雲>元就

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 17:19:58 ID:qLt3Btut
>>175
早雲と元就を不等号で語る奴に興味はない。



177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 21:49:03 ID:bE0VKEdm
そもそも伊勢盛時には天下を狙う気など欠片もなかったはず

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 01:52:41 ID:G+aIDTCo
というか、伊勢盛時が戦国大名だとは言い切れない部分がある。
確かに晩年は関東経由に専念しているが、今川の属国といった感じ。
北条家が独自の道を歩みだしたのは、今川との決別以降ではないか。

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 04:51:46 ID:s2341zdN
属国というには独立しすぎだな。

それはせいぜい伊豆までかと。

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 11:24:09 ID:NfgkvaXE
いや、伊豆攻略後も早雲は今川軍の司令官として遠江、三河遠征を指揮している。
関東遠征にしても今川と共同して行ったとされていたが、実際にはあくまで今川軍
であって、そこに早雲が司令官格として参加していたのでは。

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 12:41:37 ID:Ygbw2SHl
独立は北条を名乗ったあたりからじゃないか

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 23:54:40 ID:aKk0eT/C
確かに毛利は他の大名に比べ民政に長けてない
信長の野望でなんで元就の政治が高いのか理解できないんだが?
外交謀略を含んでの評価なのか?

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 02:46:02 ID:BdCCR+s9
長州藩おめでとう

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 03:10:04 ID:9Bxf0Cap
>>180
それは知ってるけど、今川と北条がぶつかったのは別の理由だし。
仲が良い間は一応形式上はいつまでだってそうなるだろう。
そういう大義はあって双方にとって困るものでは無いし。
ただ相模をとってからの早雲は属国と呼ぶにはもう大きすぎると思うし、
独立して動きすぎていると思う。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 04:19:38 ID:F6k3OoCD
もし毛利が関東を目指して東進していたら
必ず伊勢(北条)と衝突してたはずだけど、
はたしてどちらが勝利を収めただろうか?

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 07:41:35 ID:xmZ9c0Od
史実では数に劣る秀吉にいいようにされた毛利が東進を目指しても北条に当たれるとは思えん。
というか、豪族の連合体にウエケン並の遠征が出来るとでも?

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 07:46:20 ID:Xq/lRpic
関ケ原当時、徳川とか豊臣奉行とか細川、黒田とか書状が残ってるけど
毛利が出した書状ってうのは何か無いの?

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 16:24:47 ID:1dMUDXfa
>>186
ウエケンって誰すか?

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 18:49:05 ID:pK7X119Y
上杉謙信と思われ

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 20:25:30 ID:NofVSp8C
歴史に忠実なのは、「信長の野望シリーズ」よりも、
「天下統一U・相克」


191 :188:2006/11/14(火) 21:36:19 ID:9UnUDkzY
>>189
サンクス

192 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 02:23:44 ID:EPdbGL9E
元就はガチンコ戦より夜討ちや暗殺や毒殺を戦に用いたらしい。戦国暗黙ルールやモラル無視のなんでもありなら 天下も取れなくは無い

193 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 02:29:38 ID:EPdbGL9E
毛利に敵対する武将はいつ滅んだか記録に残ってない。普通なら戦に破れ滅亡みたいな記録があるが 毛利は少ない いつのまにか消される反毛利武将。毛利はこれが怖い

194 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 02:42:55 ID:yxG+7O+F
まあ、暗殺使うような人物が天下取った例しがないがな
正面きって押していけないようでは万民を従えさせられん

195 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 13:30:30 ID:TReQU0H/
室町将軍家と細川京兆家は元就の台頭をどう捉えていたのか?

196 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 13:33:35 ID:OrIyVDyx
関ヶ原で吉川、小早川が裏切らなければ天下人候補だろ

197 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 14:36:14 ID:wzniqwBR
小早川は既に毛利一族ではないだろ。
血縁的にはもちろん、旧小早川家中は毛利家に引き取られているからな。

198 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 15:01:56 ID:OrIyVDyx
いや一族とか関係なく、西軍が勝てば毛利がNo1勢力になるのは当然だろって話。
西軍総大将だから。

199 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 22:18:17 ID:JvTywsqe
毛利家が天下を取るには・・・

秀吉を追撃する

以上

200 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 23:14:20 ID:oELA2hM3
元就が50代で中国統一してたら天下狙ったかもね

201 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 04:23:18 ID:gBVNx+bP
なんで九州が欲しかったの?東攻めたほうが楽な気がするんだが…詳しい人教えて!

202 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 10:14:41 ID:WT2n3GML
京・堺より目先にある博多を選んだんでしょ

203 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 17:10:15 ID:BwScTMx5
>>197
一族だろ。嫁さんは輝元の娘で、婿入りの形だしな。
小早川断絶後家臣の一部は毛利に引き取られてるし。
減封で財政難の毛利が縁者でもない家臣を引き取ったりせんだろ。

204 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 08:10:27 ID:TWfkp0Vo
北条家が鎌倉を枕に華々しく散ったように、
輝元たちも広島城を枕に華々しく散ったほうが
後世に語り継がれたかもしれないな・・・

205 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/30(土) 11:54:41 ID:ingFaE5E
広島城か?

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