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織田信長は運が良かっただけでは?

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 14:56:38 ID:0bJUm4JE

まず地理的要因
尾張は石高的にかなり条件の良い国(全国二位)。
京から遠くも無く近くもない程よい位置でもある。
京の動乱に巻き込まれず濃尾両国を有すれば
思い立ったら上洛できる位置。
西は木曽・揖斐川の大河に守られ
東と結べば背後に敵無し。

周りの大名も
今川義元は運良く戦死 跡継ぎの氏真は暗愚
松平家は独立 同盟で後方の安全を確保
斉藤家の義龍は早死して、跡継ぎの龍興は暗愚
朝倉家の朝倉義景は惰弱で暗愚の代名詞のような大名
六角家は観音寺騒動や対浅井の敗戦で弱体化しきっていた
三好家は分裂状態で統制が取れずバラバラ
織田と本格的に戦う前に信玄は病死 跡継ぎの勝頼は暗愚
織田と本格的に戦う前に謙信は病死 その後上杉家は内乱で自滅

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 14:57:40 ID:PzED1Se5
足利義昭が信長の所に来たのも

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 15:03:57 ID:VJTfYynY
運も実力のうち

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 15:05:00 ID:jhTg52gW
運がなきゃ成功しない
運がなきゃ英雄にはなれない

誰にだって言えること
「○○って運がいいだけだよね」とか
言いたがる奴は中二病

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 15:05:15 ID:LC2Ng7rc
うん、そうだね

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 15:10:40 ID:7p0abD3M
信玄・謙信に媚び続け、その内に畿内制圧したわけなんで、信玄・謙信が
凡愚だったということで。 謙信・信玄の方が先生まれの有利もあるし、
運というより、弱小時の低身外交にしてやられたってのがホントのとこ。
美濃も道三時代は同盟路線だったし、美濃が落ちないなら先に伊勢という
路線変更してたんじゃね?その辺はそつないよ信長。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 15:12:32 ID:tfHQ2A1+
これほど恵まれちゃ誰だって勢力拡大できるよ。
たまたまそのポジションに信長がなっただけ。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 15:56:13 ID:YuGbrodp
だけって…>スレタイ

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 16:57:50 ID:4+fo1Abr
弟に謀反起こされてそれから反抗勢力を鎮めたと思ったら今度は今川が侵攻してきた。これで恵まれてるというならかなりのMですね。


10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 17:55:43 ID:dTdgJlga
運だけ・・・夏だな・・・

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 05:27:06 ID:Paj67X5A
信長は立地条件が恵まれたからあそこまで昇り詰めたんだよ。
島津や伊達みたいに京都からほど遠い地域でもダメだし逆に京都に近すぎても天下は取れなかった。そうなると…信長は京都から近すぎず遠すぎない地域にいたから…昇りつめられたわけ。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 05:39:09 ID:XxwHQ11H
他のやつは運すらなかったということかの。
そりゃ言いすぎじゃろうて。
信長だけ運があったとは如何に如何に

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 05:44:11 ID:8eh0Jg6Q
内外に敵を抱えて織田信秀が急死
若年の世継ぎはうつけ
弟擁立派と真っ二つに別れて内戦
今川義元が大軍でもって攻め掛かる

むしろ普通なら確実に滅びるお膳立てが揃ってるが…

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 07:05:25 ID:+Zo7eUI7
何度か死んでもおかしくない場面に出くわしても運よく生き残ってる
運がいいのは確か。運だけとは言わないが。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 07:41:00 ID:SkJ2UsSH
運はもちろんあるが、実力が無ければ運はつかめない。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 08:05:31 ID:4ZrQjjP/
実力があるのはガチだけど運がいいのも事実
桶狭間も吉本討ち取れたからいいようなもんだし
信玄と謙信が健康おたくで120歳まで生きたならまた歴史もかわったろう

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 10:48:03 ID:j3ol6JYS
運も実力のうち…

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 11:25:34 ID:mzd2xZYa
運の良さも要因の一つであることは確実だろう
運の良さ「だけ」と言うのには同意できんがな

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 11:35:56 ID:6UevXqYi
俺らでは天下はとれません。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 12:00:40 ID:By4kBvqF
というか信長のスタートラインの状況、分かって主張してるかどうかだけ問いたい。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 12:49:40 ID:tFh/gh1g
運だけ議員の藤野真紀子が総理大臣になれると思うか。
衛星放送の料理番組に出っ放しなんだぞ。
委員会さぼって、料理の研究してんだぞ。すげーだろ。

尾張人に対する、かるーい嫌味か。……嫌味も味か。


22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 13:28:55 ID:atVCDWF5
すっかり夏ですね。
確かに、尾張という絶好の地理的条件を持ってたけど、
あそこまで行ったのは信長の実力がほとんどでしょ。
特に野田・福島で三好三人衆らが蜂起して、それを攻めたら、
横合いから本願寺に攻められ、背後には朝倉・浅井がやってきた辺りなんて、
運だけじゃ、どうにもならなかったと思う。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 13:37:27 ID:YX/acenn
[我を崇めよ!!!]

【都内限定】☆NOBUNAGA☆オフ【将軍万歳】

http://off3.2ch.net/test/read.cgi/offreg/1153645469/
書き込みしたから、ひまなとき、見てね!!!

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 13:39:02 ID:YX/acenn
将軍☆NOBUMAGA☆スレ初OFF会・開催決定!!!

参加資格・☆NOBUMAGA☆がすごく嫌いじゃない者。

8/7(月)

新宿西口地下広場交番前
(駅員に聞いて下さい。)
20時集合

新宿の居酒屋 (未定)
会費 なるべく安く割り勘 3500円目標
空気合わなかったら5分で離脱OK、ドタキャンOK

スレに参加表明、ハンネ、その他希望・意見の書き込み、お願いします。

気楽にな…(人生考え過ぎても、良い結果はでんぞ。)

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 14:42:42 ID:mhKPca5v
>>1
そうだね、運だね。
頼朝も運だしね。

信長以外に天下人出たとしても、運だっただろうね。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 03:57:36 ID:ewkg4VCo
桶狭間は完全に奇跡じゃないか?

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 09:25:40 ID:nuptGZD+
そりゃ僥倖なんて人生に一度や二度はある。
でも人生最大のピンチって言えるシチュでそれが発生したのは
勝利の女神に愛されてるとしか思えんわな。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 13:37:31 ID:S/DCY5WZ
>>26
そんなことないとおもうよ。
いろんな説があるけど、ちゃんと勝てる要素があって勝ったんだと思う。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 15:09:40 ID:fzcxKknx
>>28
勝てる要素と言っても天候ぐらいだろ?晴れだったら、間違いなく大敗してたし、奇襲も大失敗していた。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 15:35:18 ID:S/DCY5WZ
>>29
>天候ぐらいだろ
違うよー

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 15:57:02 ID:e4HuRTUH
>>30
天候以外に勝てる要素があるなら教えてくれ。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 23:17:07 ID:xMQAl+eU
そりゃ田楽狭間奇襲説の奴には天候しかないだろうな

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 23:59:39 ID:yUeayfZl
運が無い奴に天下など望めない。
運が良いは絶対条件。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 08:59:01 ID:Aj9yMtRB
仕事やってりゃ分かると思うが、後は運のみって所まで段取りをする事が難しいよね。
本当に重要な時なんて例え99%まで完全に抑え込んでも、残り1%の要素が怖くて仕方ない。
その1%ってのは本当に運不運(所謂神頼み)だし。
そこ迄持ち込む事が出来るだけでも凄いとは思う。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 20:58:24 ID:7UrJLhGB
むしろ家康こそ運が良かった

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 21:57:17 ID:IwJBxRhX
運が良いのは信玄、謙信もだ。仮に長生きしたとしても織田か豊臣の
臣下になるだけだ。とても天下統一出来る連中では無い。信長と戦う
前に亡くなった為、戦国最強とか天下に号令出来たとか夢みたいな
事言ってられる。秀吉に2人は早く亡くなって良かったのだなんて
同情されたりしている。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 22:04:12 ID:Jx55PhhK
18歳で家督を継いでから桶狭間の27歳まで、
常に2倍以上を相手に勝ち続けている信長にまぐれ?なんてあるのか?
社会出ればわかるが、20代の社長に30代以上のベテラン重役が言うこと聞くか?

唯一の味方は、信長に惚れ込んでた斉藤道三だけなのに、
その道三の力も借りずに尾張をわずか8年で統一したんだぞ?
梅雨将軍、信長は運よく雨が降って毎回勝っているということも
言われているが、確率的にまぐれがそんなにつづくのだろうか?

朝倉宗滴は亡くなる前「あと三年は生きていたい。命を惜しんでいるのではなく、
ただ織田信長の行く末が気になるからだ。」と残している。
信長当事23才、うつけものと呼ばれ、家中から織田両守護代家、今川家すべてを
敵に回して悪戦苦闘している時期である。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 22:20:05 ID:pbt35IOH
>>36
歴史研究者の大半は、信玄と謙信の死が信長に幸運な天下をもたらした説だけどな。
てか、そもそも天下(京都)は取っても、全国平定してないわけだが。

>秀吉に2人は早く亡くなって良かったのだなんて
>同情されたりしている。

どの史料に書いてあるんだ??


39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 22:23:57 ID:Dj2bBrdM
例え信玄や謙信が尾張に生まれてても信長のような業績が残せたとはとても思えない
100歩譲っても桶狭間であぼん

逆に信長が越後や甲斐に生まれてたらもっと楽に天下統一できただろうね

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 22:38:11 ID:7UrJLhGB
甲斐や越後は中央から遠く、田舎で石高も少ない
周りには大大名

尾張より数倍不利ですよ
とても楽に天下を取れていたとは思えない

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 22:58:44 ID:dLzkF06T
「戦国時代」板には、どうでも信長認めない厨がいるらしいな。
他のスレでも信長は無能だと放言しまくってる。
アレはサヨか?権力者が嫌いなのか?認めたくないのか?
普通に歴史を読めば、「信長の重要性」がわからないわけはないのに。

運だけっていうヤツに聞きたいが、信長以前に天下統一しようとした武将がいるのか?
証拠を提示して、答えてちょ。(信長の場合は天下布武の印)

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 22:59:40 ID:pbt35IOH
ま、想像はともかく。史実に基づいて語ろうや。

三方原合戦(元亀3年・徳川勢惨敗)の時に、佐久間信盛・水野信元ら織田勢が戦わずに壊走。
平手汎秀戦死(これも戦死の場所から考えて、戦わずに逃げてるところをアボン)・・・。

手取川合戦(天正5年・織田勢惨敗)の時に、秀吉は戦わずに戦線離脱。4万の軍を率いていた
柴田勝家は、急ごしらえの謙信軍に急襲され、ほうほうの体で撤退・・・。
爾後、天正8年まで加賀に進出できず。

いずれも信長は後方待機、もしくはビビッて出てこず。
谷口克広氏「織田信長合戦全録」によれば、いずれも「信長の動静については、不思議なほどわからない」


43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 23:01:00 ID:Dj2bBrdM
>>42
まさかそれで信玄・謙信の方が優れてるとか言わないよな?

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 23:11:44 ID:cr5OfneT
どこかのスレでまったく同じのをみたような・・・

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 23:15:52 ID:dLzkF06T
>>42
で、なにが言いたいんですか?
信長はすべての戦に最前線にいなければいけないとでも?
あえて「逆に」いえば、信長の危機回避能力の証明か。
天正10年まで、多くの謀反にあいながらことごとく生き残ったんだぞ。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 23:23:56 ID:pbt35IOH
>運だけっていうヤツに聞きたいが、信長以前に天下統一しようとした武将がいるのか?
>証拠を提示して、答えてちょ。(信長の場合は天下布武の印)

名目だけの判子はともかく、永楽通宝(輸入明銭)で天下を治められる
と考えた信長の浅薄さがもの足りんのだな。家来に殺されたバカさ加減もさることながら。


甲州金は畿内でも発掘され、広範囲に流通していたことが明らかになっている。
近世(江戸時代)の貨幣システムの基礎でもある。謙信の天正越座小判は北陸一円に流通。
貨幣鋳造が流通統制および市場支配の根幹を成すことは、近代経済学の基礎知識。


 武田氏は領内の豊富な金を用いて、品質の純良な円形または長方形の金貨を発行した。
この金貨は、甲州金と称されているが、甲州金の場合、その通用価値が重量を基準として
定められるとともに、額面金額として表面に打刻されているところに特色がある。
写真の金貨の額面は「壱両」である。
 このほか甲州金で採用されている額面単位は、
       「両」=約15g、
       「分」=1/4両、
       「朱」=1/4分、
       「朱中」=1/2朱、
       「糸目」=1/2朱中、
       「小糸目」=1/2糸目、
       「小糸目中」=1/2小糸目
という4進法・2進法によっている。
この単位のうち、両・分・朱の4進法の単位は、
江戸時代の幣制において金貨の単位として踏襲された。

信玄と謙信のほうが先を見ていたと思わんか??

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 23:25:24 ID:Dj2bBrdM
むしろ見てたのは目先

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 23:31:34 ID:pbt35IOH
まぁ、どうでもいいんだが、自前の貨幣鋳造もできなかったんじゃ、天下人とは言えんな。
実際に畿内の外延部しか統括できなかったからかもしれんが。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 23:34:37 ID:Dj2bBrdM
確かに天下人にはなってないからな

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 23:59:25 ID:3qJeWaHR
信玄も謙信も川中島で戦わずタッグを組んで織田と徳川と本願寺を
滅ぼしていたら、天下を取っていただろう。
なんで信濃なんか取り合うんだよ。真っ先に取るのは尾張だろ。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 00:13:11 ID:25jyDPKT
本能寺の変がなくても信長は備中高松で討ち取られていただろう

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 00:31:13 ID:1tkPJE+a
ここのスレタイって、信長は運よく本能寺で討ち取られた、だったのか・・・・。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 03:09:29 ID:R+ezvhfz
>>39
信長が甲斐に生まれていたとしても、結局信玄と同じように勢力を拡大していきそうな気がするが。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 04:37:10 ID:QqkZMWCX
その手の仮定は無意味

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 05:08:06 ID:3TMQkib6
なぜ義元を倒した信長が運だけで棚ぼたで駿河を手
に入れた信玄が実力というのかよくわからない。
というか運だけとか言ってる時点で思考停止状態、

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 08:15:52 ID:l7ueHa/f
>>16
現代人ですらいくら健康に気を使っても
120歳まで生きることは不可能に近い。
泉重千代くらいだろう。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 09:58:52 ID:NfRv08oM
>>42
手取川の戦いは織田軍が敗走したのは確かであろう。でもこの戦いに関する
史料は「歴代古案」の謙信の書状しかない。よってこの戦いは、それ程
目立ったものでもない。上杉軍の勝因は、加賀の一向一揆を味方につけた事
で織田軍が上杉軍の動きをつかむ事が出来なかったことにつきる。
信長がびびって出陣しなかったんではなく、畿内が不安定な状態で北陸まで
出て行く事が出来なかっただけ。信長と敵対していた義昭から頻繁に信長追討
を頼まれても動かなかった謙信こそビビッテいたと思う。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 10:12:41 ID:1tkPJE+a
>史料は「歴代古案」の謙信の書状しかない

「信玄公宝物館文書」「上杉年譜」「仁科文書」「伊達文書」「芦名書状」
「浜崎文書」と、史料は豊富にあるわけだが??

>義昭から頻繁に信長追討を頼まれても動かなかった

義昭が謙信に追討を依頼した確実な史料はない。
京都は信長、関東は謙信に任せるという御内書はあるが。
むしろ、甲越和議を義昭に上申したのは信長。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 10:41:59 ID:SwSNKuHS
信長と同じ条件かそれ以上に恵まれてる
斯波義統とか織田信友はどうなるのだ

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 11:10:36 ID:NfRv08oM
>>58
42さんの愛読書 織田信長合戦全録・谷口克広著 よりおおまかに
抜粋したんだが気に入らなかったようだね。信長公記には無し
上杉年譜は1級史料?いずれにしても疑問の残る戦だ。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 11:11:21 ID:jcrkUSIo
秀吉も国内に流通する貨幣を鋳造してないし、
永楽通宝が駆逐されたのは1630年代に寛永通宝が製造され始めてから、
さらに20年後くらいで、
>永楽通宝(輸入明銭)で天下を治められると考えた信長の浅薄さがもの足りんのだな。
というのは天下統一に関してはあんまり関係ない。

>甲州金は畿内でも発掘され、広範囲に流通していたことが明らかになっている。
甲州金が畿内で発見されっても微々たる物で広範囲に流通していたとまでは言えず、
地方貨幣の域を出ない、上杉も同じ。

>貨幣鋳造が流通統制および市場支配の根幹を成すことは、近代経済学の基礎知識。
時と場合によりけり、金や銀をそのまま貨幣にしてしまうと対外貿易を考えた場合、
金銀が大量に海外に流出してしまい国内の総量が足りなくなってしまう事がある、
江戸中期に金山が枯渇し始めた日本がそうであったようにね。
まあ信長は天下統一も未完遂だったんで統一後の貨幣政策がどうだったであろうかは
分からんけどね、金山が豊富な甲州地方を治めて直に死んでしまったし。

>この単位のうち、両・分・朱の4進法の単位は、江戸時代の幣制において金貨の単位として踏襲された。
細かい事だが1両を4分とする4進法は武田以前から存在する。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 11:39:27 ID:5p/wnwLp
桶狭間は太原雪斎が生きていたら勝ててなかっただろし
てか起きてなかったな

結局1が言う
>尾張は石高的にかなり条件の良い国(全国二位)。
>京から遠くも無く近くもない程よい位置でもある。
>京の動乱に巻き込まれず濃尾両国を有すれば
>思い立ったら上洛できる位置。
これが一番でかいな

信玄は不利杉だろ
濃尾両国=信玄最大領国
ぐらいでしょ


63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 11:52:38 ID:0HydWrNQ
運良く天下を取れたってのは
江戸時代中期の将軍達のことさ

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 13:03:18 ID:z6HXwAbj
>>62
何で太原雪斎が生きていたら負けるんだ?
天候を読めたり奇襲を予知できたのか?


65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 13:09:54 ID:1tkPJE+a
>いずれにしても疑問の残る戦だ

脳内史料かwww

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 15:00:21 ID:BRZOUIgF
>>64
負けるなら出陣しないし、
出陣したってことは勝てる見込みが十分あったってことだろ

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 16:03:26 ID:2fdg1z+O
今川義元は、太原雪斎の教育がなければ、氏真レベルの愚鈍だったって話は聞いたことがある。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 17:01:19 ID:z6HXwAbj
>>66
うん。そうだよ
いや、私が言いたいのは桶狭間に太原雪斎の生死
は関係ないだろと・・・

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 00:04:52 ID:FvxAmSuy
【ふつうの人間が抱く疑問】
信長厨はなんでこうも「天才、天才」と得意げに語るんだろう?
別にあんたらが天才なわけでもなく、何をした訳でもないんだろうに。

【臨床医学的な解答】
心理学的に云う「ヴァーチャル・アイデンティティ」(仮想世界に自分を仮託する)
つまり、自分がゲームの中の主人公に置き換えられてしまい、その主人公が危機に晒される
(批判される)と、自分の存立そのものが侵されたという危機感に陥る。
したがって、仮託した主人公(信長)のライバルや仮想敵を攻撃することで、
危機を回避する心理構造。歴史解説書やPCゲームで信長厨になった人間は、大抵の場合
これに該当する。現実世界では惨めな自分が、信長となって天下を統一するという
仮想世界に生きるのが、彼らの唯一の癒し。病人だから大目にみるように。

【理論的補足】
なぜ信長厨に特有の症状かというと、単純な最強英雄願望がその底辺にある。
秀吉(信長の部下)や家康(同盟者)では、その英雄願望は充たされず、
ましてや他の戦国大名は、信長に仮託した自分の攻撃対象にすぎないから。
ついでに付記すれば、信長が天下統一の途上で斃れたことも影響している。
信長が生きていれば、この閉塞感のある世界も変わっていただろう・・・・、と。


70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 00:08:53 ID:htBURoDy
必死になってコピペしすぎw

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 03:10:23 ID:mKRGlCD8
しかし粘着質な奴だなw
夏休みの宿題でもやってろw

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 09:36:36 ID:y+EAlORE
69が可哀想になってきた

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 23:34:31 ID:4xJ4tl37
>>69
それって毛沢東、金日成のことだろ?
まあどっちも対非戦闘員戦を得意とするがなw

あいつらいろんな手段で日本人のやる気を削ごうとしてるしw

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 02:09:50 ID:AViHXRKA
「信長はああいう条件にあったから運良く天下取れた」じゃなくて、
「ああいう条件があったから運と実力で天下取れる奴が生まれた」が
正解かな。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 15:40:57 ID:DA63DPfk
桶狭間で討ち取られる雪斎なんて見たくないよ・・

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 18:44:48 ID:bWJM8SCe
雪斎が命を捨てて逃がした義元が数年後敵討ちの為にもう一度尾張に侵攻すると考えてみるんだ。

77 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/08/19(土) 20:44:05 ID:2qIwN4SJ
残念ながら、桶狭間(正式には田楽狭間)の戦いは晴れていた、
という説が今強いらしく、雨が降っていたという固定概念は、江戸時代に信長の伝記っぽいものを書こうとしたときに、
嵐が起こったほうがドラマチックという理由で付け加えられただけだった
しかも、奇襲という説も違っていて、今川軍から織田軍は見えていたらしい。
なぜ今川軍を倒せたかというと、ちょっとした隙に、信長が今川軍に正面衝突してそれにあわてた今川軍が陣形を崩して、今川軍に兵の数では足元にも及ばない織田軍が勝った、
という説が今は有力らしいです。
まあ、僕らみたいな歴史を一断片でしか判断できないような人が、信長が運が良いとか良くない、いや信長について語る資格があるのでしょうか?????

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 20:54:27 ID:rOly9smm
>>77

まあいいではないか

79 ::2006/08/19(土) 21:02:04 ID:rOly9smm
語ってもいいけど武将とか馬鹿にするのはよくないよね★

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 21:04:35 ID:/C54NE5+
天候が晴れてる状態で
圧倒的大軍を少数で真っ向から撃破したなら

運がいいとか天才とかじゃなくまさに軍神様だよ

81 ::2006/08/19(土) 21:05:01 ID:rOly9smm
運なんて語るもんじゃないよ◆

82 :4回目じゃ〜 ◇:2006/08/19(土) 21:06:10 ID:rOly9smm
<<80

どーかん

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 21:30:11 ID:jUz/54L6
運が良かっただけでは、天下目前まではいかんな。
運と実力が揃って、初めてああいう事ができると思う。

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 23:37:46 ID:KDB3ipjj
逆に運が悪いから天下目前で死んだんじゃ・・・・・・

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 00:04:54 ID:0dYvBjPH
>残念ながら、桶狭間(正式には田楽狭間)の戦いは晴れていた、
>という説が今強いらしく、雨が降っていたという固定概念は、江戸時代に信長の伝記っぽいものを書こうとしたときに、
>嵐が起こったほうがドラマチックという理由で付け加えられただけだった

「信長公記」も読んだことなさそうだな。www
楠をなぎ倒す荒天(風雨)で、信長が望んだ「天運」に恵まれたと
太田牛一が記述してんだがなwww つまり、一級資料では「運がヨカタ」とな。

「聞け、敵は宵に兵糧を使ってこのかた、大高に走り、鷲津・丸根にて槍働きをいたし、
手足とも疲れ果てたるものどもである。くらべてこなたは新手である。
小軍ナリトモ大敵ヲ怖ルルコト莫カレ、運ハ天ニ在リ、と古の言葉にあるを知らずや。
敵懸からば引き、しりぞかば懸かるべし。而してもみ倒し、追い崩すべし。
分捕りはせず、首は置き捨てにせよ。この一戦に勝たば、此所に集まりし者は家の面目、
末代に到る功名である。一心に励むべし」
 ここで、前田又左衛門利家・毛利十郎・木下雅楽助らがそれぞれに斬穫した首をもって参陣した。
信長公はこれらも手勢に組み入れ、桶狭間の山際まで密行した。するとにわかに天が曇り、
強風が吹き付け、大地を揺るがす豪雨となった。この突然の嵐によって、
沓掛の峠に立つふた抱えほどもある楠が東へ向け音をたてて倒れた。
人々はこれぞ熱田明神の御力であろうとささやき合った。
 やがて空が晴れてきた。信長公は槍を天に突き出し、大音声で「すわ、かかれえっ」
と最後の下知を下した。全軍は義元本陣めがけ黒い玉となって駆け出した。
 この様を目にした今川勢は、ひとたまりもなく崩れたった。
弓も槍も鉄砲も打ち捨てられ、指物が散乱した。義元の塗輿までも置き去られた。
未刻(午後2時頃)のことであった。


86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 02:17:44 ID:9KlRtJi+
>>85
>桶狭間の山際まで密行した。するとにわかに天が曇り、
>強風が吹き付け、大地を揺るがす豪雨となった。
>この突然の嵐によって、沓掛の峠に立つふた抱えほどもある楠が東へ向け音をたてて倒れた。
>人々はこれぞ熱田明神の御力であろうとささやき合った。

この部分は原文では↓
『人数寄せられ侯ところ、俄に急雨、石氷を投げ打つ様に、敵の輔に打ち付くる。
 身方は後の方に降りかゝる。沓掛の到下の松の本に・二かい三がゐの楠の木、雨に東へ降り倒るゝ。
 余の事に、熱田大明神の神軍がと申し侯なり。』
という風になっており、密行云々は例のサイトの翻訳者の意訳で、
だから悪天候が信長の望んだ天候なんて事は書かれておらず、
神様が自分達を後押ししているって風にしか書いてない。
そもそも今川勢に接近するまでの間は今川勢に丸見えで、攻撃時も晴れだから、
天候に左右されてる部分はそんなに多くはない。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 03:35:51 ID:0dYvBjPH
>>86 バカですか?? 俗説の「密行」とかが問題なんじゃないぞ、「天運」こそが問題。

>信長の望んだ天候なんて事は書かれておらず

「運ハ天ニ在リ」は間違いないよな???
天に運を頼んだ以上、この勝ち戦は「天運」だろ??

『人数寄せられ侯ところ、俄に急雨、石氷を投げ打つ様に、敵の輔に打ち付くる。
 身方は後の方に降りかゝる。沓掛の到下の松の本に・二かい三がゐの楠の木、雨に東へ降り倒るゝ。
 余の事に、熱田大明神の神軍がと申し侯なり。』

つまり、熱田大明神の神軍(神に祈った結果)だからこそ、このような記述になったわけで。
反論、よろしこ!!

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 05:28:55 ID:Igp1dDPy
あんまり詳しくないけど、当時はそれぞれの大名で自給自足できていたのでそういう野心はなかったんじゃないかな。信長だけあった

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 07:05:41 ID:Xu1YE/Zv
五十城はここにきてたのか

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 10:30:28 ID:uIsGHzpe
祈ったから勝ったわけじゃないだろ

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 11:22:48 ID:0dYvBjPH
本人たちが「天運で勝った」と言ってんだから、いい加減みとめてやれよww

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 14:32:21 ID:g2csi57v
運にかけて、後は運だけという状況に持ち込むのを器量っていうんだよ。
普通の武将だったら、桶狭間では今川に降伏するか、よくっても篭城して
自滅するかだ。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 14:36:00 ID:xQcksKDT
>>91
家康も自分が天下取れたのは運だと言ってるね。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 14:48:44 ID:obzFFP9T
運がなければ英雄にはなれん
巡り合わせが悪ければ能力あっても意味を成さない
世界的に見ても覇者となるような人物は
何かにとりつかれたような異常な幸運悪運を持っている
生まれながらに覇権を掴んでいるんだよ

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 14:53:06 ID:+gR0Q8Hx
戦国時代は、戦の前に神仏に祈願するのは大抵の武将がやっていたこと。
で、戦後感謝を捧げるのも当然。
それを「天運」だの「神仏のおかげ」だの言ってたら、信玄も謙信も
運だけの愚将になっちゃうよ。


96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 14:57:13 ID:MKeqWlpr
家康さんこそ運ですな。豊臣政権内での近江派と尾張派の対立が
なかったら、豊臣政権内での最高実力者で終わっていたと思う・・・

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 14:59:39 ID:u3aWKW1A
天、地、人が揃ってたからあそこまで登りつめたのだろう
地の利、人(信長以外名将が沢山)、それぞれ揃って(揃えた)いたし。
あとは天運 、武田信玄も運に見放され目前にして撤退。
信長には全てが揃っていた。明智光秀を除いては…
いつの時代も運は大事だろうね 運が悪けりゃ何やってもダメ
ここにいる俺達はみなロリコンだから運が良くても人がダメだなw

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 15:13:03 ID:g2csi57v
状況が訪れるのは運だが、その状況を最大限有効に使ってみせるから
名将なんだがな。

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 15:18:55 ID:2y6oFjGQ
逆に運がなかっただけで実際は名将って奴いるか?
まさか伊達政宗とか言い出さないだろうな

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 15:26:35 ID:uIsGHzpe
今川とか途中で死んでった群雄は大体そうだとおもうけど

でも運の要素が皆無な名将はないだろうね
極論すれば生まれてきたのも運だろうから
いくらでも運のせいにできるもの

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 16:25:30 ID:TO0mvVdV
>>99
島津とか長曾加部じゃないかな?
伊達もその分類じゃないの?

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 16:29:48 ID:g2csi57v
>>101
んなことは全然ないだろな。
中央にいたら瞬殺されているような連中ばっかだし。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 16:38:50 ID:TO0mvVdV
>>102
中央で生き残れる奴はそうそう居ないんじゃないか?
武田、上杉でも無理

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 17:02:06 ID:Qt7I+jvc
太田道灌とかじゃね?

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 19:26:43 ID:uIsGHzpe
むしろ伊達は運が良かった部類だとおもうが

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 23:12:03 ID:eRL+udP+
【謙信最強は創作】
謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。

※謙信自身が敗北を認めている書状↓
 晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
 かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日                  虎(花王)
[三洲寺社古文書]


【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。

1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。

上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。

謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである

本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 23:29:11 ID:WjM9NXkZ
こういう嫉妬と妬みに狂った無意味な歴史観は無条件でムカつく。>1は死ねカス

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 02:40:25 ID:zP8IUjL5
>>3で結論が出ているのだが

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:19:50 ID:aeu9YD4l
 

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 05:28:02 ID:hzTcV1WX
地理的な条件だったら斎藤もそんなに変わらないじゃないしょうか。   やっぱ織田家の優秀な家臣団とそれを使う信長様の器量があってこそ!だと思います。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 14:36:43 ID:TBP9Lb33
信長が天下トリの才能があったのは間違いなし。
運も良かったな。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 21:56:50 ID:EvQ0OcQw
信長には確かに運があった。
地の利があった。
しかし何よりも特筆すべきはその政治センスだと思う。
石高に固執して貨幣経済の導入が不十分な旧態依然とした諸侯に比べても、
楽座楽市をはじめとした重商主義的な政策の実現はその際立った政治力の発露だろう。
局地戦でどれだけ負けても次の年には体勢を立て直すことの出来る強大な国力を実現している。
戦術面での少々の敗北は揺るぎない戦略面での成功で十二分にカバー出来ている。
晩年の信長は力押しの戦いばかりで芸が無いと笑う者がいるが、そうじゃない。
勝つべくして勝つ。
その環境を整える政治力がずば抜けていたと思うんだ。
逆に尾張の地に謙信や信玄、元就や元親、義久や政宗が生まれていたらどうなっていたろうか?
興味深い命題だと思う。
古くから街道の集まるいわゆる「くち」(←漢字がわからん)ならば、
信長が身につけたような商業主義的な発想やそれにつながる政治的なセンスを学ぶ機会が与えられたかもしれない・・・。
運は確かにあった。
だが、政治的なセンスや戦略的な組み立てができる能力がなければ、
やはり天下統一にむけての流れは生まれなかったんじゃないだろうか?

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 21:59:55 ID:EvQ0OcQw
と、長文を書いてみたが、1と内容がほぼ同じだった・・・orz。
風呂に入ってきます。

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 01:08:08 ID:UNHSI/p5
>>110
義龍と同じ寿命では、信長も(ry

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 10:45:22 ID:ZEZGDvp5
尾張美濃伊勢で150万石ってのは凄まじく良い位置に
信長がいたって事ではあるな。
この時点で長宗我部どころか毛利上杉武田より上

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 00:38:38 ID:eXoaSYDF
で、その尾張美濃伊勢を統一支配できた大名が信長以外にいたのかね?

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 00:43:20 ID:ItYsqMyU
天、地、人
っていうじゃん。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 07:09:29 ID:AnH+58fO
>>115
そうか、信長は最初からそれだけの所領持ってたのか。
おりゃてっきり最初は守護の陪臣程度だと思ってたよ。

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 01:41:31 ID:vRWlTQ80
半国守護代の四奉行の一家だね。
信長の時は下四郡の1、5郡位かな?領地は。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 13:12:02 ID:g2GBhAzO
家来に裏切られた糞

それが信長

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 17:58:45 ID:GhLrK+q2
>>116-118
こういうのを織田厨っていうんだろうな。
「良い位置にいた」とは書いてあっても「良い位置だから運だけ」
なんて書いてないのに些細な事でも信長が侮辱されたと感じてしまう

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:12:09 ID:tgSz11Ea
>>121
>>115の書き方がすさまじく頭が悪いだけだと思うが・・・

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:15:15 ID:GhLrK+q2
>>122
どの辺が?

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:16:58 ID:rR8GCuvS
尾張美濃伊勢の石高が高い=運がいい、ともいえないと思うけど。
尾張美濃伊勢に居た敵勢力の石高も高い訳だし、
豊かな土地は周りの勢力から狙われ易い、
結局は一長一短であって運が良いとも悪いとも言えない。
事実、尾張美濃伊勢に位置した信長以外の勢力は駆逐された訳だしね。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:19:49 ID:tgSz11Ea
>>123
尾張、美濃、伊勢を最初から持っていたわけでなく苦心して領土を切り広げたんだろ

毛利上杉武田も支配地域を広げれば150万石の大名になれたわけで
いい位置だから上でなく切り広げることができた領土が上なわけな

つうか>>115のバカさ加減がわからないようじゃ君までバカ扱いされるぞw

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:26:30 ID:FA2CxOw6
>>125
友達だからでしょ

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:29:02 ID:GhLrK+q2
>>125
「良い位置にいた」ってのは決っして「実力が無い」
という意味ではないと思うよ。
事実として信長のいた尾張は豊かな土地なんだから。


128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:32:42 ID:GhLrK+q2
もうひとつ言うなら伊勢北畠や内紛後の美濃を制する事は
毛利や武田が150万石に到達するまで領土拡大するよりは
容易なんじゃないかな。
そしてそれは信長が迅速に領土を拡大した手並みを損なう事ではない。


129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:34:22 ID:tgSz11Ea
>>127
>>115の書き方が頭悪いと言っているのだが。弁護する箇所がおもいっきりズレてる。

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:37:50 ID:GhLrK+q2
>>129
「苦心して領土を広げた」ってのは
「信長は実力があり運だけではなかった」って事じゃないの?
だから>>115は少しもそういう信長を貶める
内容ではないんじゃないかって書いてるんだけど。

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:47:50 ID:tgSz11Ea
>>130
勘違いされてもしょうがないぐらい頭の悪い書き方をしていると言っているのだが?

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:54:39 ID:GhLrK+q2
>>131
「凄まじく頭が悪い」とまで断言してるんだから
どんな面白い意見があるかと思ったらそんな事か。つまらん。
信長が地理的な情勢に恵まれていた事は事実。
「運だけ」と誤解されるうな積極的な表現も見当たらないな。
それをわざわざ一生懸命反論する奴は馬鹿。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 19:00:50 ID:tgSz11Ea
>>132
おまえ>>115本人?
>>112まででそういう視点で語ってるのな。
その後で>>115みたいな書き方したら普通煽りととられるぞ

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 19:07:24 ID:rR8GCuvS
>>132
別に地理的な情勢に恵まれた訳じゃ無いだろ、大国であった今川の侵攻をくらってるし、
下手すりゃあそこで滅亡しててもおかしくなかった。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 19:08:56 ID:GhLrK+q2
>>133
いやw本人なら本人と言った方がいいでしょ。
「俺はそんなつもりで書いてない」で終わりなんだから。
ちなみに>>115

>尾張美濃伊勢で150万石ってのは凄まじく良い位置に
>信長がいたって事ではあるな。

「良い位置にいたって事ではあるな」
なんだから「信長は運も良かった」と解釈するのが普通でしょ。
「良い位置にいたんだから当然」とか書いてたならともかく。
君が「凄まじく頭の悪い」とまで断言してるから興味あったのに。
3国の石高は実は少なかったとか、そういう話でも聞けるかと期待したのに。

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 22:21:53 ID:fMB1wWgV
で、なんで信長の運がいいんさ??
運がよければ本能寺なんて起こらないんでないの。
そこまでは運より実力やろ。地の利とか色々書いてるが、逆境の中でそれを
物にしてるんやし。
信長以外であれば100%いいとこ桶狭間であぼん。

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 22:26:52 ID:C2xwsbmQ
本能寺は運が悪いから起きた話じゃないだろ・・・

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 22:36:30 ID:fMB1wWgV
そうだよ。けど運がよければおきなかった

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 22:40:15 ID:FA2CxOw6
運がない+謀反される失敗

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 23:09:18 ID:iY/5QDoq
本能寺直前に光秀が愛宕神社でおみくじひいたら、3回凶これは天下の事か
本能寺の事かわからん。信長の遺骸見つからないみたいだし、

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 03:10:37 ID:l4+45Baf
領地の穀高の事を言ったら。
近江は一国で七十数万石。
越前も一国で六十万石弱あるけどな。

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 05:13:57 ID:A8Y1yf/G
運が良いけど生かしきれなかったのは朝倉義景だな

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 06:42:09 ID:1QSiwW0B
運だけで今川には勝てなかったよな…。

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 12:55:56 ID:S8SO2aKP
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150140141/292-294

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 13:11:19 ID:l4+45Baf
>>144
すげー信長公記全否定だね

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 22:29:02 ID:+M20n3Zw
>>135
きみおもしろいなあ。

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 00:09:28 ID:+zBzX9TR
>>136=>>138も面白い

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 00:20:40 ID:dBUZM3FX
信長には運も実力もあった。
上杉や武田には運だけがあった
今川には運が無かった

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 13:41:47 ID:QI6f6mdj
つまり実力オンリーの毛利元就最強伝説。


150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 16:23:24 ID:B7IMPC9q
元就は
・兄貴が死んだ。
・宗主がアホだった。
・下克上かました奴がアホだった。
・尼子も良い感じで世代変わった。
・子供がナイスガイだった。
・中央が固まる前に昇天できた。
ちょっと浮かんだだけでこれだけ運が良い。




・・・自分で書いてて、虚しくなった。運不運論って不毛だねえ。

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 16:56:39 ID:QI6f6mdj
というより大大名なんだから運はあって当然。
その上でいかにそれを掴んで飛躍するかって話だろうな。
信長の場合、今川さえ倒せば一気に運勢は開けた。
そしてそれを実行し、周囲をねじ伏せていった。
毛利は運勢を掴むのが遅すぎた。
武田上杉北条はお互いの存在が不幸だった。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 10:30:50 ID:skAXo2Fp
桶狭間までの道程もかなりの苦境の連続な訳だが。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 11:04:05 ID:SQ69KIt6
思ったんだが本当に織田家、というか
信長ってこんなに天運を連想させる様にのしあがったんだろうか
実はもっと順当に伸し上がってある程度創作した部分もあるんじゃ?
専門じゃないんで常識ならゴメン

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 01:24:26 ID:4UfFBaIF
信玄や謙信が長生きしてたら、秀吉の天下はなかっただろうね。

本能寺の変があったあとだと、美濃や尾張を信玄が攻めただろうしね。

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 12:08:14 ID:y2EKLiPS
信玄や謙信が健在なら光秀も謀反は起こさなかったろうし、
仮に起こすとしても信玄と内通してから事起こすだろ

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 15:25:35 ID:XwnFxh7t
織田信長の桶狭間だけは絶対評価するべき

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 17:10:08 ID:ZmZStB06
>155
それに、信長は複数の攻勢点がある時に、不用意に小勢で動かなかったから、本能寺の変自体が起り得ないね。

158 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 17:16:23 ID:o5iYakXG
庵谷さんは、信長・秀吉・家康の中では、自分は信長タイプの人間だと思うそうです。

(携帯アドレスには織田信長の言葉を使っているとか)

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 21:53:01 ID:gt8Hk9Jl
ninngenn50@〜

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 23:14:25 ID:FnizcNp9
信長
実力6割運4割
秀吉
実力7割運3割
家康
実力8割運2割

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 06:43:24 ID:JQyHSAYK
>>161
割合の詳細求む

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 11:34:52 ID:1wTP1yux
100万石クラスの大大名がいなかったのは大きいな。


164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 21:17:31 ID:WO0Mjk8t
信玄、謙信2人とも実は信長に暗殺されたんじゃねーの?信長としては、2人とも嫌な相手には
間違いないし、2人とも信長と戦う直前に死んでるってタイミング良すぎないか?
信長は古い仕来りを次々壊したし、今川にも奇襲で勝ってるし、暗殺する側もされる側、不名誉
っぽいからお互い歴史から消してんじゃないの?


165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 21:22:48 ID:gmRFjsZf



541 :以下、名無しにかわりましてVIPが実況します :2006/09/26(火) 02:15:23.67 ID:GKmeUuVx0
部長の声久しぶりwwwwwwwwww


542 :以下、名無しにかわりましてVIPが実況します :2006/09/26(火) 02:15:23.89 ID:709G/7VB0
部長、大好きだ!


543 :以下、名無しにかわりましてVIPが実況します [sage] :2006/09/26(火) 02:15:25.87 ID:NqB9ETPM0
部長wwwwwww


544 :以下、名無しにかわりましてVIPが実況します :2006/09/26(火) 02:15:35.56 ID:FJtJ6qkh0
部長wwwww





166 :織田信長:2006/10/03(火) 01:19:29 ID:fsW7hHWk
上杉、武田は名門じゃが織田は成り上がりじゃ・・・

167 :狸伍長:2006/10/03(火) 06:42:39 ID:/gL2mmEB
上杉(越後上杉家=越後長尾家ね)は名門じゃない。
謙信の父親が、かなり悪辣な方法でのし上がったんだ。
つまり、ある意味、典型的な下剋上の二代目な訳。
そういう意味じゃ、親爺がヒドすぎたから、謙信がトンチンカンな事をしても「まだまし」と受け取られていたんだよ。

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 14:18:45 ID:ty3XsOAy
武田も、家は名門だけど祖父の代は落ちぶれていたよな。
父の代でのし上がったという点ではどこも変わらない。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 08:28:46 ID:DMFfU2Ts
>>1
まずその尾張からして、そっくり受け継いだならともかく、オヤジからしてやっと半国を支配下にしたかどうかって
とこだったし、それすらも跡目争いで分裂して、そこから信長が自らの手で統一していったのだが・・・
つまり「尾張四分の一以下からスタートして天下とった」が正しい。

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 09:56:44 ID:t5s7TPcg
アテナの英雄ペリクレスがどっかの小国の誰かに「あなたが名を上げられたのは、アテナに生まれたからだ」と言われたときの言葉「確かに私があなたの国に生まれたなら、成功できなかったでしょう。しかし、あなたがアテネに生まれても同じことです。」

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 02:36:56 ID:iK2IuXwe
信秀が死ぬ直前で清洲家は離反、信清も離反、服部に長島周辺を横領されるだから
半国も無いんじゃないかと思う。

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 16:12:02 ID:Bp3n+tIc
のぶやぼベースで考える馬鹿は信長は最初から国持大名だったなんて
素っ頓狂基本で物を言う。

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 21:40:39 ID:uMxCj7rg



174 :名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/04(土) 21:54:45 ID:91b2FKd0
信長はあの性格だからこそ出来た成功とも言えるし、
だからこそ謀反も起こされた。

全部自然に感じられるポ。

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