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戦国大名の経済力

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 19:17:52 ID:Erco/VI7
田舎大名の大内なんかが1番経済力を持っていたなんてうそ臭い
戦国大名の経済力について資料を持っている人は詳しく教えてくれ


2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 19:18:54 ID:Erco/VI7
三戦にたてたら板違いと言われました
どうぞよろしくおねがいします

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 19:34:06 ID:T/f/8iUs
田舎が裕福になったから戦国時代なんじゃない
大内なんて貿易やりまくりの西国なんだから当然

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 19:37:03 ID:bUKSqObQ
領国に金山や銀山があるか
米が多く取れる土地か
交通の要所を押さえているか

後はこのあたりの条件?

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 20:14:37 ID:xfOdjlVu
尾張・美濃・伊勢をおさえた信長の経済力は半端じゃないでしょ
これだけで他の有力大名と十分に渡り合える国力があるんじゃないの

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 20:34:50 ID:W4NIp2kl
>>5
それだとそこそこにしかならないような。何のかんので信長は畿内を押さえたことが
一番大きいよ。やっぱり先進地帯はあのへんなわけで。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 20:44:01 ID:nf5VjE7o
>>5
その辺りは一国当りの石高がでかいからね。
毛利元就なんてあれだけ国を手に入れてやっと100万石ぐらいか。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 20:54:33 ID:5UHI0Yi/
武田の収入の半分以上は人身売買(笑)

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 21:00:19 ID:czP6dbyj
そんなに人身売買が儲かるならそれこそ年貢なんぞ後回しで生んで
増やさせりゃいいから楽チンだよなぁ……真面目な話、そこらへんは
あくまで(経済的にみてだが)副収入としてしか機能しないんじゃないか?

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 21:36:03 ID:suDAZjtH
武田の金山収入を忘れては困るな

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 22:25:09 ID:bUKSqObQ
武田は紙や漆などの産業を興して特産品作りもしてたかな。
しかしそれでも人が集まる地方で税金をとった方が
手っ取り早く収入になるのは現在の法人税と同じだな。
なんだかんだで堺や京都を押さえた大名は経済力も桁違いだろう。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 23:01:01 ID:duvPxe83
人身売買は上杉じゃなかった?
しかも拉致付き。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 23:36:09 ID:h8lOTGe/
人身売買は武田、上杉、大友がダントツ

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 23:58:18 ID:5UHI0Yi/
島津もだろ

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 00:11:23 ID:J0DVdHdy
というか話題を降るならせめてその経済効果の話も降ってくれ。
まず人身売買がどの位一国の経済に貢献してたのが分からん。
単に戦費の穴埋めレベルならここで話す意味ないし。

単に人身売買の話がしたいなら該当スレがあるからそちらへ。
ttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1151510417/

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 01:22:06 ID:ZjoKvg/o
じゃあこの際スレに合わせて便乗して聞くけど
江戸期の島津は昆布だったりするけど当時の大内って何捌いて稼いでたの?

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 01:27:44 ID:XCszf9EW
ほう

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 01:42:00 ID:iQaPl/13
>>16
銅や鉄などの鉱物と、農海産物じゃない?
ちなみに室町時代の記録で、中国の寺が精進料理作るのにつかってた
干し椎茸が日本産だったそうだが、当時貿易権を握ってたのが細川か大内だったわけで
この辺も考証にはなるかと。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 01:50:26 ID:3i3D8rxq
>>16
右で買ったものを左に高く売り
左で買ったものを右に高く売ったんじゃない

20 :ネットの問題点:2006/08/05(土) 02:15:05 ID:JaZh7UQ9
【前頭前野の異常】インターネットをやり過ぎると以下のことが起こります。
・キレやすい性格になる。
・協調性の低下。
・人をいじめたり、日常会話で暴力的な発言をする。
・羞恥心の欠如
・時間感覚の欠場
(深夜までずっと2ch)
・すぐに理屈をこねる
・集中力の低下,ぼーとしてる時が多い。
・常に2chのことを考えたり、ネットがやめられない。
・学校や会社をサボり易くなる。
・世の中に対して悲観的になる。

↑どれに当てはまりますか?ネットはやめましょう。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 02:16:44 ID:3i3D8rxq
時間感覚の欠場ってのを見て心がなごんだ

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 02:26:17 ID:0CNP/5sw
武田の金山支配や上杉の港湾都市支配(商品は越後上布)は確実な史料もあり、
鋳造金貨(武田金貨は伊勢でも流通が考古学的に実証)もあるが、
織田の経済基盤は一次史料では不明らしい。矢銭(用心棒代)は
確実なのだが・・・。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 03:14:16 ID:FC5Ojv7f
ほうほう金貨が一般に流通していたのか。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 03:24:46 ID:FC5Ojv7f
なんかで織田は銭をだいだい的に輸入してた。
と見た覚えがある。
大内もだけどな。
尼子の銀鉄、毛利(村上)、里見、安東の海運は確実だろ。
今川の金も。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 03:26:15 ID:iQaPl/13
>>23
このころの「金貨」は、削って重さは買って使ってたはず。
統一的な金貨は流通してなくても、金は流通しているんだよ?

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 07:01:45 ID:VMCSM4vN
当時の貨幣の単位って「貫」でしたっけ?

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 07:07:06 ID:VMCSM4vN
ぐぐってみたらこんなところが。
当時って貨幣と金銀を併用していたから紛らわしいな
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~sirakawa/A014.htm#J1

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 07:45:56 ID:1pjm4/Kp
>>7
尾張・美濃・伊勢だけで160万石越えるからね。

ちなみに武田家は信玄のころに110万石くらい、
勝頼の代の最盛期で120万石くらい。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 07:49:38 ID:Ehh5ppcy
大内といえばこれだな
金の力は偉大なり
http://www.asahi-net.or.jp/~JT7T-IMFK/taiandir/x004.htm

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 11:34:51 ID:Y+IxZwti
>>16
昆布といえば蝦夷地だろ?
なぜ南の島津が昆布なんだ?


31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 14:58:56 ID:AyLKuq6z
>>30
当時は錦江湾内でも取れたんだよ。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 17:44:22 ID:iQaPl/13
>>30
江戸期の北前船による国内貿易をなめるな。
北海道で取ったニシンを瀬戸内で木綿や菜種の肥料にして京大阪の工業地帯で
製品化しさらにそれを北前船で全国に流通させるシステムも完成されてたんだぞ。
北海道の昆布を薩摩が買い付け輸出するなんで造作もないこと。

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 18:50:59 ID:Y+IxZwti
>>32
島津家の昆布って国内向けじゃなくて海外へ輸出品ってことか?
だったら納得できる
以前のNHKの歴史番組で観たのは大阪の商人が蝦夷の昆布を買い付けて
国内向けに販売していたという内容だったのでもしも蝦夷産昆布だったら
薩摩が出られる幕は無いと思っていたんだよ

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 19:01:23 ID:iQaPl/13
>>33
沖縄を使った密貿易だね>島津

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 19:01:49 ID:HZ11RaKr
大名の収入って両?石?
わからんけど現在で言うとどのくらいだったんだろ?

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 00:47:19 ID:GD3DUskR
>>25
それは金が流通していたと言う事で、武田鋳造金貨が流通していたと言わない。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 00:49:17 ID:vUw9C6kj
>>36
そりゃ武田産の金は「碁目金」って呼ばれるように
金貨の形じゃなかったし、重量で価値の判断がされてたわけだから
「武田の金が流通してた」のは間違いじゃないと思うが…

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 02:26:53 ID:ijr2LQXz
>>37
多分>>36は、武田鋳造金がコインとして流通してないと納得しないんでしょ。
ヨーロッパですら金貨ってものは18Cくらいまでは基本的に削って使うものだったのに。

ただ、武田金は純度の高い「ブランド」として信用があったから、全国どこでも使えたけどな。
これは過去西方における基軸通貨であるペルシァ金貨、ローマ金貨、ビザンチン金貨、
アラブ金貨への「信用」と意味は同じだ。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 19:54:19 ID:HAxga73m
甲斐のヒルモ金(碁石金を延べた形状)が畿内にも流通してたらしい。
勝沼氏(武田一門)の居館跡で発掘されたものと、三重県で発見されたものが一致。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 20:50:17 ID:VR5NH+LM
>>33
越中商人に裏で昆布を運ばせてた
対価は島津藩内での商売許可と禁制の中国産薬種

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 20:53:39 ID:HAxga73m
>>40 ちょ、それって江戸時代の話じゃね?




甲州金サイト、見つけますた。

http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/history_06.htm

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 22:39:54 ID:fLNuy+9R
税の歴史
http://homepage1.nifty.com/keimurata/mm/s/21/tax.htm

大名の財源は蔵入地と関銭・津料
それに段銭ってところか?

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 22:48:20 ID:fLNuy+9R
石見銀山年3,600貫
http://www.kankou.pref.shimane.jp/cgi-bin/odb-get.exe?wit_template=navidict-SearchDetail&WIT_oid=F92z3ftbTiBVPrmt3fWHXwWNt90HhghZi0Cjy

堺の商人が村上水軍に支払った礼銭の額は、1年間で2000貫文以上
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sakura/5469/real16.html

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 22:56:41 ID:fLNuy+9R
遣明船の利益は恐るべきものがあった。遣明船は新造されることはなく、瀬戸内海水運に使
用されていた民間の船舶を借り上げられた。ある例では、安芸高崎の船が1800貫文ほどで調
達され、積荷が1500貫文ほど用意された。そして、明に進貢船として入港するため、幕府から
の勘合符をうる必要があった。その際に納める礼銭は最低300貫文くらいであった。こうして少
なくとも3600余貫文の資金が必要となった。
 これら資金の捻出は、すでにみた有力な寺社といえども簡単なことではなく、他家から借用し
たり、便乗する商人に割り当てたり、所領の農民に段銭を賦課して調達したりした。しかし、日
本で1駄10貫文の銅が明では40-50貫文で売れ、また明で1斤250文の唐糸は日本では20倍の
5貫文になった。いろいろな史料から、遣明船の利益は少なくとも10000貫文くらいの純利益に
はなったとみられている。
http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/koekisi2/page011.html

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 00:21:50 ID:6SvlRwfa
>>42-44
サンクス、勉強になるよ。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 10:21:47 ID:vG6JlWnq
織田信長は本願寺5000貫文(8億5000万)、堺に2万貫文(34億)の矢銭を要求したそうな

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 10:26:24 ID:vG6JlWnq
「人間・上杉謙信」(渡辺慶一)によれば、直江津・柏崎の「船道前」だけで
年間4万貫文(4000万文目=現代の金額で10億円)を超えたとされている。
金山の直接支配はなかったが、商人や国人領主への貸付金(金融)も莫大な規模だった
らしい(死後、土蔵から発見された証文など)越中能登を分国化した時も、放丈津や七尾を
直轄領にしているので、港湾都市支配の経済政策は一貫していたとされている。

1万貫=現在の17億?2.5億?
どっちのレートが正しい?

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 11:59:18 ID:yLGBMV4j
最近は江戸期の一両=十万円っていうので(もっと高い説もあるけど)、
一貫文=千文〜四千文=一両でいえば二万五千円

いいや、戦国の一貫文はもっと高い、江戸期の一両に相当する、これで十万円
いやそれ以上だ、と諸説ある

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 12:57:17 ID:jwWEk1Xp
基本的に当時の金銭価値の現代価換算は米価基準だったりするが
主食における五穀の比重が高かった当時の米は今よりは高級だっただろうからな。
単純に換算した金銭価値よりかなり高めに見積もった方が感覚的には近くなるんでない?

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 14:57:14 ID:EcgF3uw/
三好はどうだったんだろ?
一時期は京や堺といった重要な都市を抑えてた時期があったけど。
経済力はすごかったのだろうか?

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 15:19:08 ID:UHRk6rSp
>>50
三好は知らないけど
細川だったら大内に次ぐ経済力を持っていたよ

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 15:49:27 ID:yLGBMV4j
大陸との貿易の拠点は、博多か堺
この主導権争いが、大内と細川とのあいだに繰り広げられたのが室町期

三好長慶は堺押さえてたから、経済力はあったはず

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 18:27:12 ID:49DZM+EF
北海道で現在並に米が取れたら蠣崎家の石高は400万石超えるのにな
早稲があれば蠣崎の天下も夢じゃないかもw

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 18:30:16 ID:btYgBfhe
人がいない。

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 20:10:32 ID:T+/o2OPo
むしろ北方貿易を活性化して後金辺りと宜しくやってほしかった。
北方領土どころか沿海州まで日本の勢力範囲になったかもしれん

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 20:28:59 ID:bjKSe5Ri
彼らはその前にアイヌをどうにかしないといけなかったからねえ。
しかし、当時の満州と北海道って互いに交易する時の交易品って何かいい物あったのかね?
不勉強だがあまり思い浮かばない。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 20:44:03 ID:EZRoyV6N
「蝦夷錦」と呼ばれる絹織物は大陸から輸入していたね
アイヌからは毛皮を輸出していたと以前NHKの番組でやっていた憶えがある。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 20:57:29 ID:bjKSe5Ri
>>57
しかし、後金とということになると、
後金の領土って毛皮の産地だと思うのだけどどんなものだろう?

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 20:59:55 ID:EZRoyV6N
そういえばそうだな?
毛皮くらいいっぱいあるよね?
当時北海道にしかいなかったような動物がいたのかな?

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 21:11:06 ID:THbYQM55
>>59
安かったからとか?
今で言う中国産みたいなものだったのも。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 21:21:26 ID:bjKSe5Ri
>>59
北海道産に希少価値があったとしても、それほど大規模な交易にはならないような気がする。
まあ、そんな大規模になっていればもっとよく知られていてもおかしくないし、
つまりそれほど大規模ではなかったということでよいのだろうか。
少なくとも戦国時代においては。

>>60
現地でとれる毛皮より、海を越えて運んでくる毛皮の方が安いってあまりないと思う。
近代的な工業品なら人件費でって話も分かるが、毛皮では?
仮にそうでも、それほど利益が上がるほどの差額は出来ないだろうし。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 21:45:54 ID:pkortCxW
鰊でも鮭でも昆布でも
干物になる海産物はどれだけでもある

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 21:50:01 ID:bjKSe5Ri
そういうのはむしろ内地向けでは?
需要もあるだろうし、大陸より近いし。
大陸は大陸の沿岸部で生産があるだろうしね。

一応大陸との交易はどうだろう?って話だから。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 22:31:03 ID:49DZM+EF
内地に大陸からの貿易品流して
大陸に内陸からの貿易品流せばいいじゃないか
別に蝦夷だけのもので交易する必要はない

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 23:41:47 ID:KcFc2+GT
まず、金や銀などの鉱物がどれ程の価値があったのか知りたいな。
結局これらの鉱物は貨幣としての需要しかなく、各国で貨幣を鋳造したり、大陸の銅銭代用していたような時代に、国力を計る尺度になるとは思えない。
当時の貨幣は現代のような「価値の保存」機能があったとはおもえない。真の意味での単なる余剰品だったんじゃね。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 23:47:24 ID:v5qIJgb+
貨幣としての金や銀は兵器や食料の購入にあてることができるのに
余剰品であって国力にはならないと考えるのが全然分からないので
良ければ説明してくれ。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 23:48:49 ID:KcFc2+GT
徳川政権になって、鎖国にして米建ての財政をひいたのはこのためだと思われる。
当時は現代のような為替とか外貨という概念がないのだから、貿易なんか国の資本の流失でしかないからな。
内需中心の米経済をこのスレで語るべきじゃね?

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 00:01:02 ID:KcFc2+GT
>66
海外との貿易だと単なる資本の流失。国内でも共通した価値貨幣がないのだから、金や銀にそれ程需要があったとはおもえない。
あなたがいう食糧や兵器の生産力が国力につながるじゃないかと言いたかったのです。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 00:05:42 ID:TUKlVX2t
貨幣って言っても秤量貨幣と計数貨幣があって
戦国時代の日本では、計数貨幣としての金貨・銀貨は統一されてなかったけど
秤量貨幣としての金・銀は流通してたでしょ? 金屋や銀屋があるんだから。
まぁ参考サイト ttp://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_gra1-4.htm
>領国貨幣
 戦国時代後期から江戸時代初期にかけて、各地の戦国大名が自国領内で流通させた貨幣。
金銀鉱山の開発とともに金銀の保有が戦国大名の経済力を左右する重要な要素となったため、
鉱山の争奪戦が各地で繰り広げられた。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 00:46:56 ID:CYYZ4ot3
とりあえず東アジア圏じゃ明末期には国際間決済通貨として銀は流通している。
明産貿易財を信用担保として永楽銭が流通してたなら当然同様の理由で
銀も流通可能と考えられる。
もっとも高級貨幣故に大名大商人クラスの大口取引以外じゃ
そうそう使われなかっただろうけど。
弥生時代の鉄挺みたいなもんだな。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 13:36:00 ID:k6UflQCw
>>58
後金は漢民族の王朝のように朝貢貿易という形式だったのかな?
だとしたらアイヌ側の交易品の商品価値はあまり関係ないかも知れないよ

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 20:35:53 ID:i+oyXVAC
朝貢貿易が気取れるほど余裕ないでしょう。
少なくとも経済的には。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 21:35:08 ID:ukjteF6D
>国内でも共通した価値貨幣がないのだから、
>金や銀にそれ程需要があったとはおもえない。

黄金商売には「京目」や「田舎目」という基準があったわけだし、
信玄や信長も金銀「両」の貨幣価値を永楽通宝との比率で定めてる。
鳥目(貫文)は重過ぎて使えないという意味合いよりも、自然性的な金本位制
が発生していたとみるのが妥当な考えだ。事実、戦国大名間の和議交渉(例として甲越同盟)
には金が使用されているし、帰参(穴山信君の織田への降伏)も黄金が代償になることが多かった。
とくに室町末期は文化的に金銀の付加価値(使用価値)もあったので、戦国大名は永楽銭を
金に換える(上杉謙信の「かい金」)ことが多かったとされている。
上のほうにもあったが、甲州金は領内通貨としてだけでなく、畿内でも発見されている。



74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 11:39:04 ID:6B+2H7T5
秤量貨幣なんだから、域外で取引に使用されていてもまったく問題ないし
特別なことでもないと思うが?

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 16:28:28 ID:NpIkDzPc
銭や米は重いからね

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 06:22:10 ID:a7NMvEE5
>>65
大内尼子の合戦の殆どは石見銀山の奪い合い。
大内は金銀を国外との交易にも使ってるしな。
当時兵農分離してない毛利が尼子攻めで数年にわたり数万の兵を駐屯させ
兵糧攻めができたのも石見銀山からあがる莫大な経済力のおかげ。
戦国大名にとって金山銀山は最重要拠点。
まぁ、石見銀山が特別ってのもあるけどな。
最盛時には当時の世界の産出量の三分の一を占めてたらしいから。
現在、世界遺産に申請してるらしいな。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 00:36:57 ID:SkG0HrWl
>>76
三行半かも

すごいな

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 00:38:08 ID:SkG0HrWl
>>76
三分の一を占めてた

すごいな

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 20:53:00 ID:1+M8dLCp
>76
三分の一ってのは世界中の産出量に対して?
だったらスゴいな…

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 23:22:59 ID:Enf1AC3C
上杉は経済的には恵まれてたそうだけどそれは鉱山の収益が大きかったのか

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 01:46:12 ID:CA8zNSRt
>>80

鉱山は直轄領じゃない。越後麻布の冥加金と津料が収入の大半だったらしい。
佐渡金山も部分的にしか開発してないし。津料(港湾関税)だけで、年間4万貫はすごいが。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 01:07:45 ID:qRvB2DQC
>>76-79
厳密には日本の産出量が世界の三分の一を占め、国内の銀の殆どを産出してたのが石見銀山だったらしい。
当時、石見銀山は世界の二大銀山としてボリビアのポトシと共に欧州にも知れ渡ってた。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 01:53:40 ID:d1UwBrn9
>>82
そんなに大量に掘り出された日本の銀は
今現在、地球上のどこに・どれだけ・どんな形で存在しているのだろうか??

貿易で大半が欧州に渡っちゃったのかな・・・

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 20:47:38 ID:WPgKrB0r
>>83

銀→銅銭→阿片→賠償金→戦艦・近代化の基礎

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 10:41:53 ID:gC+YxcWA
>>83
銀は、日本における銀貨の価値がヨーロッパ圏における銀の価値より低い為に
錬金術としてがんがん使われました。
銀貨を貨幣として取得する⇒貴金属の銀としてヨーロッパに売る
⇒差額で儲かる⇒ウマー

よって、さんざん海外流出してしまいました。

確か、だいぶ後になって幕府がその事に気づいて何かの方策は立てたと思ったけど。

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 12:10:44 ID:0nLNfgL8
江戸時代は金と銀の交換比率が安すぎて
金が流出したんだよな

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 12:19:49 ID:pTR5zfKX
>>86
金だったか。すまん。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 12:38:50 ID:qJSoFmO0
>>84 >>85
>>83は別にそんなことを聞きたいんじゃないんジャマイカ?
むこうで銀食器とかになったみたいなことを知りたいんじゃね?
まぁ、どこで採掘された銀か?なんて解らないから探すの難しいだろうけど。
そういや関連自治体で探してたな、石見銀山に関連する欧州製の銀製品や諸々の情報を。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 15:42:54 ID:n7caQM+F
はい
日本の銀山石見銀山

ttp://www.silveracce365.com/japan-silver.html

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 21:24:59 ID:kjuyS6JO
信長は尾張にいた頃サラリー制に近いことをやっていた、
っていうのは司馬の妄想でせうかね。
司馬の妄想が正鵠を得ているとしても
後に信長が明らかな領主制を布いていることをみれば、
サラリー制にすることのむずかしさがよくわかる。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 21:30:54 ID:gBkPCcPP
>>90

貫高取りは馬廻り衆(旗本)・弓衆・小姓のことだろ。
城下に住まわせて知行地もないんだから当然といえば当然の処置。
つか、他の大名でも同じことやってる。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 03:04:26 ID:4V5CNAUV
安土山時代の日本の経済力は西洋のすべての国を含めて同等は言い過ぎかなw

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 14:42:14 ID:PmqO7y/o
金銀の産出量はすごいだろうね

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 02:15:21 ID:dy4u1H0t


95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 02:21:44 ID:nGiPcoih
西洋の国家は、動員兵力などからみても、当時は大国とは言いがたい。
当時の大国は、トルコ、インド、明、でしょう。
オスマントルコは、西洋全部とどんぱちして、優勢だったんだし。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 02:32:38 ID:5E9h8INv
戦国末期には金が取れなくなっていたところもあったんでしょ?
なら最盛期は同等かもね

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 09:20:12 ID:iX722n1U
この時期のインドはムガール帝国か

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 10:40:54 ID:UBDijh52
ていうかその頃のオスマントルコはヨーロッパの領土も獲得してたからな

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 13:54:53 ID:M8uX8Bul
戦国末期のヨーロッパ
・ポルトガル
順調に新大陸経営を行うものの、1578年にモロッコとの戦いで王が戦死し、
後を継いだ高齢の王の叔父も子供が無く、1580年にスペインに併合。
ちなみに王が戦死した戦いで多数の貴族が捕虜となったために、身代金で財政は破綻寸前。
・スペイン
レパントでオスマンを破り、新大陸でウハウハ……の筈だったが、
銀の輸入でヨーロッパ全体がインフレ。フェリペ2世の在位中に四度破産している。
末期には軍事費負担で財政が傾くわ、オランダ独立戦争は勃発するわ、アルマダはボロ負けするわ。
・オランダ
スペイン(ハプスブルグ家)独立戦争中
・イングランド
エリザベス1世万歳! でも、まだ大国ではない。
・フランス
ユグノー戦争で激しく内乱中
・オスマントルコ
スレイマン1世崩御後、産業革命まで緩やかに下降線を描く。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 15:41:22 ID:gKxwlAYS
そういう状況で東アジアまで進出し、
さすがに現地のまともな国家と戦うのは無理でも、
台湾やフィリピン等を占領して拠点を作ったのはたいしたものだけどね。
鉄砲や大砲といった軍事技術の発展は非常に大きい。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 22:37:04 ID:iX722n1U
大航海時代は英国以外はみんな赤字になるんだよな
その英国もアヘンで儲ける始末

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 09:57:39 ID:mgb0rhez
へ〜 俺のヨーロッパのイメージはランペルールだから勉強になる

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 11:02:14 ID:PqIukoPF
いや、17世紀の時点で当時のオランダの経済力っていうのは、そりゃ凄いわけなんだが…
あんな小さい国が、世界規模で貿易ネットワークを整備し、アムステルダムには巨大な金融市場が成立し、
植民地としてはインドネシアとモルッカを押さえてる。
モルッカの香料貿易でヨーロッパ市場を独占、砂糖もインドネシアで栽培して、アジア市場で売りさばいて
大もうけ。ヨーロッパでは、自国製の織物を輸出し、アジアではプランテーションを展開し、
自分の販売ルートで売りさばく。
これで、莫大な資本を本国に蓄積させているわけで、経済的な実力から言えば、当時の日本は
残念ながら足許にも及ばないです。
というか、当時の日本が大量に流出させた銀の流れている先こそヨーロッパで、
そこでは、銀を国際決済通貨とした金融市場と株式市場が成立してる仕組み。
そこを抑えてるのは17世紀はオランダ、17世紀後半以降、フランスとイギリスが
競争相手として参入する感じ。

経済史では、17世紀のオランダ、19世紀のイギリス、20世紀のアメリカは、それぞれの時代の世界の中で、
ぶっちぎりのトップ(覇権国家)だと言われている。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 12:43:23 ID:Zxex518E
とはいえ、オランダがスペインと長いこと争っていて、
必ずしも一方的に優勢ではなかったのも事実。他の西欧諸国も互いに争っている。
逆に言うとそういう状況でも西欧諸国は東アジアまで進出してきていた、
造船技術・航海術と軍事技術においては明らかに東アジアよりも発展していたといえる。
ただし、さすがに送り込む兵力に限りがあるので、
本格的に侵略とまでいえるほどの影響力を持つようになるのは、18・19世紀以降。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 14:25:01 ID:HQu5/pCX
>>103
>アムステルダムには巨大な金融市場が成立し、

国内に金融市場が成立して、大規模に資本が蓄積・運用できるシステムが
あるかどうかは、近代的な経済体制の成立に不可欠だな
 
スペイン・ポルトガルが、新大陸から莫大な銀を手に入れながら
結局17世紀に衰退してしまったのは、それを王室の奢侈品や教会建設に
使ってしまったから
そりゃ経済は成熟しないし、工業化もできんわ

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 03:24:28 ID:g/bb+YxW
おかげで現在は浪費して得た美術品や建築物を観光で見ることできるんだろうけどね

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 04:53:47 ID:7gQR/H8f
江戸時代はオランダと交易し
ある研究者は最初の海洋国家同盟「日蘭同盟」と言ってる

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 05:57:16 ID:RjMl7GGb
まぁ所謂『東アジアの優越』の時代だからなぁ
それから徐々に各分野で欧州と東アジアの差が縮まり、越えていくわけで。
東アジアをトータルで欧州が越えるのは、19世紀末から20世紀に入ってからなんだよ。


109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 07:47:39 ID:UQ87/1Td
>>108
それはちょっと東アジアに夢見すぎ。

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 08:17:13 ID:DEPtu8TG
>>109
おお、おれも正直そう思ったところだw

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 08:31:57 ID:pdWyaLQ/
そうか?
18世紀の段階じゃ経済力国力軍事力ではまだ中国の方が上だろ
軍事力の質ではヨーロッパが上としても。
やっぱ人口の差は大きいだろ。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 08:49:53 ID:DEPtu8TG
>>108のいうのも、まあ、一理ないこともない。19世紀末ってのは????と思うけど。

実は「近世の東アジアは経済的にどうよ?論争」っていうのがあって、

「アジア間貿易派」:近世から近代初頭の東アジアの貿易額とその内訳を見よ!
          なんとその規模は、ヨーロッパなんか全然目じゃない。
          中華帝国+その影響圏で、ヨーロッパの輸出商品は売れてないし、
          中国製品が支配的ではないか。
          おまけに貿易体制は華僑のネットワーク中心だしな。すごいよ東亜!
          
「西ヨーロッパ派」:んなこといっても、それって、所詮東アジア限定の話じゃね?
          世界規模でみれば、18世紀以降の金融市場の中心はロンドンでそ。
          商取引や金融システムのグローバル・スタンダードは西ヨーロッパが
          つくっちゃったし、何より近代的な資本主義を生み出して、
          工業化に結びつけたのは、中国ではなく西ヨーロッパだったじゃん。

大雑把に言うとこんな感じで、1980年代からずっと論争してる。
バブルの頃に東アジア貿易派が登場。あの頃は日本も東南アジア経済も好景気で、
21世紀はアジアの時代だって言われてた。
おれは西欧派(ウェスタン・インパクト派)だけど。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 10:07:36 ID:BXu8DcUR
東インド会社とは交易したがオランダとは交易してないだろ

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 21:25:41 ID:HB072HsB
実際に戦争したら、18世紀でも中国は負けると思うけどね。
人口多いって言っても、全員が兵隊になって突撃はしないしよ。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 21:32:22 ID:VYO3YY1p
まぁそもそも戦争と言ったって、例えば欧州のどこかが中国にやって来て戦争するのと
中国がヨーロッパに攻め入るのじゃ話が別になるし、状況がある程度絞れない限り
勝ち負けを論ずるだけ無駄だろう。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 21:38:38 ID:UQ87/1Td
>>111
確かに中国の力が西欧に及ばないことが実証的に確認されたのは、
1840年アヘン戦争だけど、もちろんその瞬間まで中国の方が優位だったわけじゃあない。
実際には既にイギリスら西欧の方が強大になっていて、はっきりしたのがその時だったというだけ。

そして、より重要なのはそれはあくまでも、
イギリスが極東まで送り込める兵力だけと比べても中国は勝てないという実証にすぎないということ。
地球半周以上回ってやってくるというハンデを除いて考えたなら、
実際の軍事力はかなり前から西欧が有利だったと見るべきでしょう。
それがいつかをはっきりさせるのは難しいが、少なくとも18世紀以前にはなると思う。
17世紀前半の段階で中国は最新式の大砲等は西欧から輸入しているように、
軍事技術的には後進国だったわけだから。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 22:24:54 ID:7gQR/H8f
清の18世紀は最強レベルじゃないか?

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 22:54:18 ID:UQ87/1Td
>>117
そうでもない、軍事技術は引き離されっぱなしなのは事実。
確かに数の論理は脅威だから一概にどっちが強いと言い切ることは難しいけど、
繰り返しになるが、19世紀前半には「イギリスが東アジアまで送り込める兵力」
相手にすら勝てないほど差がついていたのだから、
その大分前に総合的な軍事力は凌駕されていたと見るべきでしょう。

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 23:44:11 ID:7gQR/H8f
>>118
なるほど
確かに英国が東洋まで送り込める兵力は強さに比例してる

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 23:49:08 ID:Ae422PZb
確かに18世紀前半の清の国力は最強レベルです。
しかし年代と共に軍事的に中核をなす火器のレベルと、戦術論(ナポレオン以降)では大きく水を開けられますが。
西洋は量(人口)を質(機械・火器)で補い、東洋は質を量で補うという感じでしょうか?
16・17世紀の宗教戦争による混乱が終わった後から、あきらかに西洋と東洋の差が付き始めたと考えます。
(ちなみにイギリスが強大化できたのは、フランスでのナント勅令廃止によるユグノー流入に拠るところが大きいです)

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 23:59:28 ID:7gQR/H8f
小国の西洋自身がEUを作って巨大化しようとしてるからね

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 23:59:30 ID:UQ87/1Td
>>119
まあ、具体的にいつ頃だってことまで考察するのは非常に難しい、
というか不可能だと思うけどね。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 00:02:12 ID:KxMTqbUb
とりあえず「日本が戦国時代と呼ばれていた頃には無理でした」でいいんじゃない?
ここ戦国板なわけだし。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 00:04:09 ID:KxMTqbUb
書き方分かりにくかったな。
「日本が戦国時代と呼ばれていた頃には中国や日本に軍事的勝利を得ることは無理でした」だ。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 00:08:09 ID:nxHavyb0
>>124
その頃に東アジアで、つまり西欧各国が東アジアに送り込める兵力では無理、
ってことなら全く問題ないでしょうね。鄭成功あたりがそれを実証している。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 00:17:45 ID:XyKz61oZ
取りあえず世界史板に帰ってもらいたい

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 03:38:59 ID:a8ioatA3
軍事的にどうこうする必要があるのか?
布教して現地の人間を徐々に取り込むのが普通じゃない?
で、内戦起こして自分たちに友好的な政権を作る。
そのうち、政治に深く取り入って乗っ取る。

海の向こうを自分の兵だけで軍事制圧なんてありえないでしょ。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 04:48:25 ID:YiVdZMQY
あきらめろ。言っても無駄だ。
欧州の帝国主義の時代の感覚でしか、言えない無知達だから。
そんな事より、話を日本に戻そう。
隠れた金持ち大名とか居ないのかね?
じつはかなり良い土地で特産品でウハウハって奴とか、
副収入でがっぽりとか。
江戸時代だったら九州の中山氏だったかな?
幕府に内緒の隠し鉱山で稼ぎまくってたとかあるけど。
たしかその周辺、今は廃村で心霊スポットになってたよな?

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 06:30:00 ID:aPYhys4R
>>120
ナポレオンは19世紀じゃ・・・

>>128
飛騨にもあったな地震で滅んだところが

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 06:36:50 ID:de1YnEwu
>>95
16世紀の英国なんて人口が500万しかいなかったわけだし。
数百人規模の戦いがメインだった中世ヨーロッパは話しにならないよw

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 08:22:06 ID:jwKSZ52p
世界史板の住人がいてもいいんじゃない?
戦国時代は、日本だけで経済が完結しないような時代だったんだし
別に排他的になる必要はなんにもない
当時の日本の銀の産出量とか、オランダの経済のはなしとか、
おれは面白かったけどな

ただ最近のレスは、経済の話と軍事技術の話をごっちゃにするから、
わけわからんだけで

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 09:49:39 ID:phTPaP1q
このスレは本当に勉強になります
世界観が分かりやすく論じられているので
授業よりもわかりやすい
皆様ありがとうございます

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 09:56:12 ID:phTPaP1q
ついでに世界史を学んでいない俺に教授ねがいたいのですが
スペイン・ポルトガルの目的というのは
・布教を利用して日本を乗っ取ること
・貿易相手
・東洋交易の補給拠点
どれなのでしょうか?

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 11:07:46 ID:QiOsnKnT
>>133
・貿易相手
ポルトガルは、中国のマカオに居住許可をもっているので、
ここを拠点に日明貿易を肩代わり(明の海禁策で日本はしたいのにできない)
をして、中継貿易で大儲けするのが目的。これで莫大な銀を手に入れた。
明の生糸・絹織物→ポルトガル商人→日本が銀で支払う→ポルトガル商人ウハウハ。
スペインが後からこれに参入。オランダもイギリスもこの中継貿易が目的。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 11:17:36 ID:UuzuH7TJ
赤穂藩は裕福じゃなかったけ?

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 14:10:42 ID:82kjMSCz
産業革命前の余剰生産物が少ないしかも戦乱の時代に
通貨を基本にして経済力を語ることに意味があるのかねえ
金があっても物がなければ買えないし供給量が少なければ跳ね上がる
やはり戦国時代の経済力は石高で量るのが妥当
信長の躍進も尾張、美濃の石高によるところが大きい

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 15:28:28 ID:YawIHFl6
信長の躍進は、石高もそうだが、父信秀の時代に
津島湊、熱田湊をおさえたことによる
その税収によるところが大きい。


138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 16:01:54 ID:50fKi2+4
素朴な質問ですが

戦国から江戸初期の日本って、生糸と絹織物を南蛮貿易や朱印船貿易で
大量に明・清から輸入してるけど、それは
1)国内で生産する技術自体がまだなかったってことなのか。それとも、
2)この時期に爆発的に生糸や絹織物の需要が国内で増えて、
  輸入に頼らざるを得なかったってことでしょうか。

どなたか知っている人がいれば、ご教示ください。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 19:18:11 ID:nxHavyb0
>>127
キリスト教にそれほどの影響力ないから無理だよ、
実際東アジアを植民地化できるようになったのは、
軍事力で制圧できるようになった19世紀以降で、
それ以前は取り込むだの乗っ取るだのというところまで行っていない。

要するに戦国時代を語る上では西欧諸国はあくまでも貿易相手であって、
具体的脅威の対象とはいえない。

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 20:18:02 ID:7Q0TONq3
>>138
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B9

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 00:44:12 ID:ZYJK1vIa
>>130
良い鉄は釘にならないって言われてるくらいだから、
チュン王朝の兵卒ってのは伝統的に質は低いぞ。
数だけじゃなんともならんのは、ベトナムが実証してる。



142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 04:26:17 ID:2UuBL78q
>>116>>118
18世紀序盤までなら
インドや中国が英国にやられたのは、インドや中国の軍事技術の問題というより
政治システムの問題だろ

中国やインドが挙国一致でイギリスに挑んだことは一度も無い

インドの場合国内の混乱や内乱が凄まじく、太守間の反目も著しく権力闘争などの短絡的な発想で
イギリス勢力に自分から組する者も多かった。
群雄割拠の状況であり、多元外交のデメリットそのものを持っていた
実質的な統一国家といえるものが無く「インド全体」を大局的に考えうる
統治機関を持ち得なかった

インド勢力相手に戦争で敗れたときもこのような複雑な情勢の合間をぬって生き抜き
しぶとく、着々と百数十年かけて少しずつ侵食していたというのが正しい模様

一方中国も例えば阿片戦争林則徐を解任したりせずに、
徹底抗戦を貫けば勝てたであろうというのが一般的。
結局、緒戦の敗戦により抗戦派の林が次第に影響力を失って失脚、講和に至ったんだけど

つまるところ中国にしろインドにしろ、本当に戦争をやる気が無かった、
統一国家としての意識が薄かったことが帝国主義時代の序盤において
西洋の侵略を許してしまった第一の理由だと思われ

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 04:55:11 ID:uGMiCYxE
>135
赤穂城築城の影響で、内証はあんまりよくない。

144 :142:2006/09/10(日) 04:56:21 ID:2UuBL78q
ちなみに林が権力の座から追われたのは、
伝統的な賄賂の習慣を彼が排したことによる高官、商人たちの反発
阿片密輸に際しての賄賂収入が無くなったことに憤っていた行政官
によるところが多く、やはり国内政治に拘るあまり外的への備えという
意識が薄い清朝の体質がもたらしたという面が強いとおもわれる

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 07:29:02 ID:rQ+PwJw2
>>142
当時は統一国家としての意識なんてほとんどない方が一般的なんだよ。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 07:36:40 ID:rQ+PwJw2
そして軍事技術が決定的に劣っていたのも事実。
もしそうでないなら統一国家の意識なんてものはなくとも、
西欧に侵略されることはなかった。17・18世紀にそうだったように。
ちなみにそもそも18世紀序盤頃は、別にやられてなんかいないと思うが。

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 08:04:28 ID:dlraZcjY
18世紀序盤じゃまともに戦争になったら清が勝ちそうな気もする
ロシアと清が戦争したのは17世紀末だが

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 08:19:51 ID:rQ+PwJw2
>>147
東アジアで戦ったなら多分ね。
17世紀にロシアと清が戦ったのはアムール川流域にモンゴル高原と、
清の根拠地の直ぐ近く、ロシアにとっては当時鉄道もなしでシベリア横断しなければ、
軍を派遣できないところだった。
そういう条件なら清も当時は勝つことが出来た、
多分海を渡ってくる連中に対しても同じようなものでしょう。
ところが、19世紀にはそういう条件でも勝てないほどに差がついてしまっていたと。

というか、スレ違いだわな。

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 01:25:24 ID:EqH9zBYM
>>144
あと、近年の説では歴代直隷総督の治水対策を批判した上奏をした事が他の大臣(直隷総督はエリートコースでここから大臣に転じる例が多かった)の恨みを買ったと言う説もある。


150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 03:01:17 ID:N9TJ3Ctw
なんだか全然スレ違いの話題がどんどん進行していっているようですが、実際の
所、戦国期において 鉱山資源の有る所、 商業がさかんな所、 農産物、特に
米の生産が多い所、 どれが一番有利だったんっでしょう?勿論一言では済ませられない
とは思いますが、有名例で言うと。自分の無知で、もっとはっきり言うと、要するに自国で
得られない資源は貿易で得るしか無いが、どの程度商業が発達していたのか、そして
信玄の塩止めじゃないが、相手国に対する禁輸措置が実効的にあったのか、あたり教えて
頂ければ、と。

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 03:46:29 ID:T/UZzEGe
宣教師の書物に
日本のほうが暮らしやすい
日本人は清潔とか
当時、最高の栄華を誇ったスペイン帝国ポルトガル帝国に住んでた人が言うのは面白い

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 04:46:09 ID:tOCZ1wnn
日々の生活の清潔さでは、少なくとも、当時のヨーロッパ主要国に負けたくはないなw

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 19:22:27 ID:KJ7SV/+b
>>150

農業が盛んになれば、穀物の集積場が必要になり自然と港町が栄えます。
あくまでも主要な産業は農業で、その他の収入はオマケ程度に過ぎません。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 21:21:00 ID:qKy1lzZn
まぁ甲斐みたいに米の収穫量は少ないが
金山開発でもってる国とかもあるにはあるけどね。

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 22:07:49 ID:qwaz1PEr
武田より飛騨の江馬氏なんて典型的だけどな。
地震と鉄砲水で滅んだけど。

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 00:57:21 ID:L2+tHf1p
>>150
実は日本では鎌倉というか平安末期の時点で、自給自足ができる荘園なんてのは
わずかなものでほとんどの土地では生産物を市などに運び込んで換金、交易して
他の必要物資を求めるということが日常的に行われている。
甲斐などの米が取れない土地ではなおさら交易によって必需品を求めていたんだとか。

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 02:50:06 ID:UP0i9d5I
上杉謙信が、土地も取れずに遠征を繰り返せたのは、
佐渡の金山と港湾・商業・物流収入で戦費をまかなえたから。
これで、謙信は莫大な遺産を残してる。


158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 02:53:24 ID:Plp6e4h9
どこかのスレで奴隷商売が馬鹿に出来ない収益をあげていたからだ、
と書いてあったがそれは嘘?
そこには具体的にどれぐらいの収益をあげていたのか書いてなかったから分からないが。

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 03:56:03 ID:WDP65PCF
奴隷商売の基本は遠隔地との売買だと思うんだけどな
簡単に逃げられないようにするためにも

蝦夷や琉球とやっていたならともかく、関東や畿内辺りとの近郊奴隷貿易が、
大規模に成立したとは思い難い
それ以上遠く国外になると、根本的に巨大な奴隷貿易船の往来が要りそう

そのスレでどういう検証があったかは興味深いけど、やっていたとしても、
大名の経済力を支えるようなのが出来るのかね?

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 06:48:40 ID:boAJFZJR
>>159
奴隷戦貿易は九州だな
それ以外の奴隷売買は身代金目的や派遣社員みたいなもんじゃないか?

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 07:18:13 ID:WDP65PCF
宣教師絡みの奴隷貿易ね
それは結構有名な話か、確かに

上杉や武田の辺りでも、そういうことがやれていたとは、ちょっと思いにくいだろうね
捕虜や占領地の人間を、奴隷的な労働力として扱っていた可能性はあるけど、奴隷貿易とは違うし…

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 10:16:48 ID:5BkdxkQY
>>154

甲斐の国が米が取れないなんて大嘘だよ。
盆地で富士山系からの豊かな水利が在り、1平方キロメートル辺りの生産性は相当に高かった。

実際に石高を面積で割ると

甲斐の国 54石/平方メートル
信濃の国 30国/平方メートル

と生産効率の開きが倍近くある事が分かる。
更に小笠原・木曾・諏訪・村上と群雄割拠状態であった信濃が武田に侵食されるのは、
農業経済の見地から見ても普通の事だったのさ。



163 :教えて下され!:2006/09/12(火) 16:49:15 ID:y5FhoqKq
大名の禄高、石高についてなんだけど、石って体積の単位ですよね。コップ一杯が
180mlでこれが一合、その十倍が一升、その十倍が一斗、その十倍が一石。つま
り、180リットルが一石になる。大名は一般的には一万石以上の石高の「米」を
産出する領地を持った武士のことを指す。ここまではわかるんだけど、でも体積で
しょ?一万石は180万リットル=1800キロリットル、十万石なら18000
キロリットル。 こんな膨大な「米」の体積を量れるわけが無い・・・。だとすれ
ば、大名の石高(=禄高?)は実際には誰が、具体的にはどの様にして定めたの?
実際に産出する「米」の体積には関係なく、ただ領地の広さだけなのでしょうか?
詳しい方どうか教えて下され。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 17:18:28 ID:GO62kaTX
>>158
忘れたけど、ゴミ同然の安値で叩き売ってたみたいだから、
とてもこれ目的で遠征するのは割りに合わないんじゃないか?

せいぜい、ちょっとしたお小遣い程度じゃない?


でも、がんがん狩られてる北条にも問題アリだ。
いくら税金が安くても、領民を守らない領主はどうかと思う。

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 18:22:35 ID:QQ/3Ov8Y
>>163
えーっと、君は学校で検地って教わらなかった?


166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 18:49:39 ID:HjnE8B8m
>>159
違う、基本は親類縁者が買い手になる。
言うなれば、身代金を払って誘拐された身内を取り戻すのが主、最も高値で売れるから。
この場合、領主などが全額、或いは一部の金銭を負担する場合もあった。
そういった買い手が付かない場合、二束三文で奴隷として売り払われる。

大量の奴隷が発生する場合は、その地域が天災などで不作+大規模な戦役が重なる場合。
特に不作が酷いと、自主的に奴隷に落ちる場合もある。

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 20:52:55 ID:WDP65PCF
それは貴族・騎士・武士、或いは裕福な宗教者や大濃のような階層の話でしょう
第一義的に身代金が商売の手法なら、奴隷商売と一緒くたに扱うのは混同が激しすぎる
両者の商売上のシステムも、被害社会に与える影響も、「商品(人)集め」の手法も、全く異なるんだから

奴隷制度が定着していた国のケースと、奴隷待遇として扱われる人々がいた、というケースとの違いから
論じるはめになりそうだし、話切るべきだろうか…

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 09:10:44 ID:CSzml2wB
奴隷商売って外国並に考えるから変に成るんであって、戦火においての
一時的保護業者と思えば良いんじゃない?
例えば震災なんか経験した人は解ると思うが、避難場所で良くある光景
は「○○の親族の者です。御存知の方が居られましたら御連絡ください」
と言うのがある。まあこの避難場所が奴隷市場と考えればいい。
もし誰も保護者が現れない場合、第三者が保護者となる。それが奴隷商人。
日本の奴隷は海外から見れば非常にリーズナブルで一人一貫(6万円)ほどだったらしい。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 09:44:17 ID:j86rv/H+
まぁどっちにしろ戦のついでであって経済性を論ぜられるほどの収益はなかったんじゃないかね?
そもそも日本国内に「商売になる」ほどの奴隷市場が存在したとは思えないし、国外となるとまず
そのルートを持ってる大名をある程度絞ってから話を進めないとならない。

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 09:51:34 ID:CSzml2wB
詰り外国のように母、子が別々に競に掛けられ手足は拘束されてる風景じゃない。
戦国時代と言っても日本の風土が根底から違う訳じゃない。飽く迄も奴隷商人は
職業斡旋や身元引受人の仲買業者であり、バイキングなどではない。
故に奴隷に対して特別な印(肉体に刺青をしたり、一部を欠いたり)を付けない
し、当人も今で言う奴隷の意識は無いだろう。ただ運悪く海外に売られた人は
地獄を見たのは確かであろう。(海外では奴隷は飽く迄も商品)

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 14:23:26 ID:Kwjb5D89
>詰り外国のように母、子が別々に競に掛けられ
「安寿と厨子王」の話は日本のお話やないの?

産業革命以前、人は生産力そのものだったから、
奴隷売買に世界の違いはないと思うなぁ。


172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 15:10:12 ID:Qz3zEtnA
>>170
日本国内であればそっちがだいたい正しいと思う。
武田の佐久攻めでそのような身代金要求があったような
小作人も日本で言うならある意味奴隷なんだろうな。

>>171
それは時代が違いすぎないか?

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 15:10:59 ID:j86rv/H+
そこらへんは単なる民の貧困による話であって
介入して儲けを出してたわけじゃないし、
大名の経済力からは話がずれると思うのだが。

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 15:32:22 ID:Qz3zEtnA
それじゃあ人返し令などに代表されるように戦国時代の農村の労働力不足と
奴隷売買による労働力の確保とかの話は
あんま詳しくないけど

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 15:37:18 ID:MmOTlvlu
鉱山労働に捕虜や奴隷が使われるのは危険な仕事だし、
良くあったらしいが、農作業に奴隷を使用するのは聞かないなあ。
兵農分離がなされてない時代なら戦争が起こるたびに農村の労働人口が
減って困るのは確かだろうし、小作人(水呑百姓)も使ってただろうけど
他国から連れてこられた捕虜を自分の田で使用したがる人は
どんだけいたのか良く分からない。

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 15:44:45 ID:KfXwO8q7
奴隷奴隷というがアメリカにおける黒人奴隷などとはだいぶ形態は違うぞ。
今の感性だとわからないかもしれないが、当時は食料にありつくのに必死だ。
うられる方も半ば自発的だった部分もある。うる方も口減らしになるわけだし。

バブルの時ジャパユキさんという言葉がはやったが、もともとはカラユキさんというのが
本家だ。詳しく知りたいやつは山田長政あたりと一緒に調べてみれ。ミクロ経済の視点で
見れば、今とは比べ物にならないほど食料は必死に確保するものであり、貨幣経済なんぞ
二の次だったんだよ。

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 15:52:08 ID:4gzEwx09
>>174
人返しは、農民の都市への流入の禁止じゃなかったっけ?
永住は勿論、日雇いも含めて。
大体、秀吉は奴隷の海外流失は禁止したが、奴隷自体は禁止していない。

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 18:36:28 ID:QnpfKrie
>>157
遠征先で略奪をするからではないのか?

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 21:22:14 ID:69/IoIhZ
つーか、佐渡の金山と上杉って無関係でしょ

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 21:51:41 ID:iN/d9Yu/
佐渡は地獄だ

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 10:54:53 ID:YCNVt5q9
>>179
1589-1600年は上杉領

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 01:24:16 ID:ABiB+J+f
>>181
> 1589-1600年は上杉領
たしかにそうだが、佐渡はそれほど鉱山開発されていない。
しかも掘っていたのは銀山であって、金山ではない。
上杉の金山は揚北衆のもの。

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 01:41:02 ID:qcKsqPZH
少なくとも謙信の軍資金には無関係だな
信長の野望で、謙信のいる越後でがんがん金山開発できた記憶はあるが

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 02:20:15 ID:Pe4CVQ7X
>>183

上杉の金山は当時黒川金山が主です。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 11:40:46 ID:AUyrr9+v
それ武田じゃぁ…

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 21:31:34 ID:15xH6HWl
>>184
謙信の時代だと、こんな感じ。
・揚北衆・鮎川氏の高根金山
・上田長尾氏の上田銀山(後に直轄)
・越中椎名氏の松倉金山(後に直轄)
・佐渡本間氏の鶴子銀山と西三川金山


187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 21:37:29 ID:Pu8rGBRU
>>186
それだけ鉱山があればウッハウハかな?
新田次郎の「武田信玄」の中で甲州軍が
越後兵がみんな砂金と白米を持ってるのを見て驚くシーンがあったけど

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 23:06:56 ID:ABiB+J+f
他スレで何度も出てきているが、
上杉の資金源はアオソと直江津。

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 23:27:57 ID:Pu8rGBRU
そか、まあ金山銀山の収入はそこを知行としてる豪族のモンだろうしね

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 23:54:54 ID:eCJBv/AO
いや、本当に鉱山の規模が大きいなら、土豪が集める人手じゃ足りないよ
金銀を売買するためのルートも簡単に保持できるものではないし

その辺りを公権力によって徹底的に拡大したのが、秀吉や家康(大久保)ということになるのかな

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 18:15:54 ID:h4f5hQiE
金山銀山の収入って、大名の取り分はどれぐらいなんだろうね。

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 18:25:00 ID:ei19DmfQ
戦国期の鉱山技師は、武家権力にも従属しない独立した性質があったというからね
大久保長安の頃、徳川家と長安側(鉱山技師や彼らの責任で集める人手含む)で5:5という話を聞いたけど、
アテにはならないな

ぶっちゃけ、掘るのも精錬するのも技師がいないとどうしようもないから、
大久保長安のような散財・蓄財が可能だったわけで、正確な取り分は大名側にも分かってなかったと思う

専門知識が絡む分野なら、適当に表沙汰の辻褄が合えばどこに金が消えてもよく分からない構図は、
古今東西変わらないと…

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 22:14:09 ID:G67Mrlf3
保守

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 16:05:06 ID:+QVYtvgO
秀吉は確か産金の一割を上納させてたんじゃ

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 00:50:13 ID:iUfTfO3w
北条に滅ぼされた里見氏も滅亡の原因は篭城の末最後は兵糧を買う
お金もなくなったとか
返るお金があれば海からいくらでも取り寄せられたのでまだまだ
粘れたのだろうが

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 01:06:57 ID:zhVuLskl
制海権を無くしたから、経済的にジリ貧になったんじゃ?
確定的にそうだと分かるような勉強したわけじゃないけど…

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 01:19:11 ID:iyvvazlN
確かに、経済で負けたら戦争にならんよなぁ。
ジリ貧になったら恩賞も払えなくなるし。

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 01:26:33 ID:3u2wcUaa
>>195

里見は北条には滅ぼされてませんよ。
古河公方辺りとお間違えでは?

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 01:59:14 ID:OgH5GO7J
三浦氏じゃないの?
古河公方の滅亡も戦争によるものじゃないし。

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 03:04:00 ID:/AlRvgbI
ばかばっか

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 10:16:04 ID:5PypPNj4
>>1
明が面子のためにやっている朝貢貿易は、明側に儲けるという意思がないのだからぼろ儲け。
倭寇の活動も、オイラトやモンゴルの侵入も、もっと朝貢貿易をやらせろという、
デモンストレーションのような意味合いが強かった。


202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 14:33:25 ID:0BGogQ4Y


203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 19:36:53 ID:h/t4Z0SI
あげ

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 02:37:49 ID:Uq4W4py5
1貫=12.5石(1,000貫=12,500石)
つまり
知行40貫=知行500石(公35:民65として実収175石)=切米(現米)175石取り=500俵取り=100人扶持取り
そして
現米1石=1両=10万円

ちなみに100人扶持の100人とは自家の使用人や家臣の家族も含むので、軍役上の動員家臣はせいぜい10〜15人

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 04:12:53 ID:dxjz6n0X
貫高・石高換算は時代・地域差が出るからなあ。

つか、どこの江戸時代の資料だ?

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 08:14:47 ID:yCHCX2It
豊臣期は小田原では北陸で100石6人役、徳川は7人役。
近畿や西国でも4〜5人役。
朝鮮での九州大名は5人役。
江戸時代の倍の軍役を割り当てられてる。
朝鮮は長引いたし九州大名の負担は大きかったろうね。

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 12:40:00 ID:ARtEHPee
小田原とか朝鮮での動員数だけでは反当収量は割り出せないらしいよ。
単純に石高から兵隊数決めてたわけじゃないので。一律の基準はないっぽい。
石高、領地の遠近、秀吉に対するそれまでの態度とかから決めてたみたいだから。


208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 14:53:37 ID:mmiSuihk
一部外様大名の石高は低く見積もられていたから
実質的な軍役はもう少し低かった気がする。

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 05:27:49 ID:sb5LXI9/
小田原や朝鮮は無茶しても大丈夫なんじゃね?
領地攻め込む敵いねーし、飽く迄、豊臣家の戦だから、豊臣家からの経済援助も特に朝鮮の役では期待出来たし。

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 10:17:31 ID:Nddd9dc1
>豊臣家からの経済援助も特に朝鮮の役では期待出来たし
実際はどうでしたっけ?
確か自力補給だったんでわ

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 02:22:48 ID:ybDVXNGS
>>209
朝鮮の役は各自自腹じゃないかな。
たしか三河では一村丸ごと餓死とかあったらしいし。その時の領主は誰だ?
どこまで本当か分からんけど石田さんが高利貸しで儲けたとか聞くけど。
秀吉が本当に援助してたら大坂城に金銀が残ってないんじゃないの?
あくまでも豊臣に対するご奉公働きかと。

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 03:00:43 ID:8JdEuLPs
>>211
田中と池田って朝鮮に渡ってないような・・・

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 04:35:41 ID:BMh1R9vN
>>211
そうだったっけ?
補給の不手際も清正が三成恨んだ原因の一つじゃなかったっけ?

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 13:25:25 ID:WRTqV+yg
不手際というか、根本的に補給線を維持できなくなった、というのが客観的なんだろうけどね
誇張があるとしても、「伝令兵を通すにも騎馬の二十はつけてやらないといけない」
というぐらいの状況だったそうだから

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 22:13:47 ID:xKHHefs0
慶長の役はともかく、文禄の役は進軍速度速すぎだろw

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 20:56:42 ID:FhAND6an
あげ

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 13:23:49 ID:IRP8eHaB
ほしゅ

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 13:31:57 ID:a0IfjEsp
謙信じゃないの?銀でたし

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 18:18:12 ID:5Qcc0hrk
なんだかんだ大友だろ。


220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 00:01:26 ID:Kjw1meYl
ttp://www.ops.dti.ne.jp/~makinoh2/edo/edo2.html

221 :まいど ◆wfGsWQJm.U :2006/11/04(土) 00:09:15 ID:ZgqlsGPJ


222 :◆wfGsWQJm.U :2006/11/11(土) 00:27:21 ID:vmrJwYRF
hyuいいい

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 17:09:07 ID:1e2oqm9W
あげ

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 21:45:45 ID:/HQYVZ4y
保守

225 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 14:00:08 ID:8H3w5c9i
あげ

226 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 21:09:07 ID:CT7U9TyX
>>211
それは確か小牧長久手の戦いの時だったような気がする。
その時の領主がどうしようも無かったんだろ?

227 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 15:42:22 ID:tv88zGe9
>>226
小牧長久手の時の三河の領主って誰だっけ?

228 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 17:06:54 ID:dUWWdlFr
あげ

229 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 22:27:31 ID:oOw1z4R4
あげ

230 :武蔵国:2007/01/08(月) 23:40:25 ID:mSNivuym
>227それは家康君だろう、その当時の領国は三河、駿河、遠江、甲斐、信濃かな。

231 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/09(火) 00:48:12 ID:gOaJNR97
今さらだけど山口ってのは当時すごく栄えた貿易都市だったんだよ>>1
それに鉱山も豊富だったし中国地方は鉄鉱業も有名だからね
まぁ後に厳封されて周防・長門にはいった毛利の石高は30万石も無かったんだけどさ

232 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 00:50:18 ID:RZyME3AY
貿易できないからな。

233 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 13:24:46 ID:bgQvbkJz
大友氏は、博多支配と硫黄の輸出で儲けていた。

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