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【義】【義】直江兼続を語るスレ 2【愛】【義】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 13:17:04 ID:EL/8vuxv
何故か三戦板のスレが削除された件

【愛の戦士】 直江兼続を語るスレ 【無双に見参!】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137033419/

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 17:49:41 ID:/u6VFqZ1
削除されたんじゃなくて、コピペ豚に潰された。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 22:28:58 ID:9wqCiR3T
>>1


4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 23:42:07 ID:5t/qrieV
1の兄でございます。

この度は愚弟がかように愚かしき板を立ててしまい、一族郎党お詫びの言葉もござりません。
愚弟は生まれつき親族の気ままと出奔癖ばかり受け継いでしまい、
若年に若君の乳兄弟を切り殺して出奔して以来、
主家に仇なす家ばかりを渉り奉公する毎日でございます。
先だっての関ヶ原の戦では自壊寸前の宇喜多家にわざわざ与力してわが殿の首を狙ったあげく
ぼろ負けし死に損なって近江に落ち逃げたこと誠に情けない次第にござりまする。
その上厚顔にも豪姫の縁を辿ってか最後の豊臣恩顧ともいえる前田家に再仕官し、
このままでは本多家存亡の一大事に なりかねませぬ。
しかし、ご安心下さいませ。愚弟には徳川の間諜として働いてもらう手はずにございます。
宇喜多中納言の助命と引き換えに反徳川の不穏分子である上杉家に送り込む密約
父佐渡守と上杉家家老山城守との間にて既に整っておりまする。
その後は実子に恵まれぬ上杉公の後嗣を差配し、
徳川の世に抗する気風を一掃する算段でございます。

皆々様方には迷惑をおかけして、まことに申し訳ござりませぬが、今しばらくの辛抱でございます。
なにとぞ、なにとぞ愚弟の此度の所業をお許し下さいませ。

http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150189191/l50

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 22:03:49 ID:djGRg9l+
>>1
とりあえず乙

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 07:24:27 ID:QSkZtSD/
    / ̄ ̄ ̄ ̄\
   (  人____)
    |ミ/  ー◎-◎-)   
   (6     (_ _) )  
  _| ∴ ノ  3 ノ    
 (__/\_____ノ_____∩___
 / (__))     ))_|__|_E) ̄´
[]_ |  |  ロリゲー命ヽ
|[] |  |______)
 \_(___)三三三[□]三) 
  /(_)\:::::::::::::::::::::::/ 
 |文教堂|::::::::/:::::::/←⊂)
 (_____);;;;;/;;;;;;;/   
     (___|)_|)   

フッ、このスレは夜になると伸び悩むんだな。
住人の厨房っぷりを物語っているかのようだ。お子様共が(w
  そこにいくと俺は違う。
夜になってからが俺の真の姿の見せ所とでも言うべきか。
外にはハイエナ共が蠢き、恐喝、暴力、強姦、何でもありだ。
この愚物どもを蔑みながら、俺は今日も夜の街に繰り出す。
何、お前も絡まれるって? だったら自慢の鉄拳で頭蓋骨を砕いてやるよ。
「明日は早いからもう寝よー」などど甘ったれてる貴様らとは格が違うぜ(w
くぐった修羅場の数が違うんだよ、はっきりいってな。
  さて俺もそろそろ寝るか。まだ暴れ足りないが致し方ない。
少しは俺を見習ってその貧弱な精神を叩き直したらどうだ?
これからは俺のことを「闇の帝王」と称して崇めることだな。フッ

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 16:25:32 ID:oW4cFEkw
清木場俊介

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 16:44:19 ID:97PJ/FU2
聞いたふう(ry

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 18:25:32 ID:q+AUJc8M
つか普通に上杉スレで話せばいいんでねーの。
そんなに話題あるわけでもないし。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 19:37:22 ID:Q37p9U1m
愛はわかるが、なんで義?

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 03:14:28 ID:bmpc9E0X
上杉家だから

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 15:30:02 ID:YH6l3pst
不義は栄えないのだ!

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 22:35:40 ID:54Y8XOvN


14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 18:02:56 ID:3TtMrt1r
上杉は上杉、直江は直江で別に論じよう

だから、上杉ネタをコピペするのはやめてね

直江を冷静に分析していくと、ほとんど戦国一くだらない奴だってことが分かってくる

だから、アンチ上杉こそ、コピペしないでスレを大事に育てろと言いたい

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 14:33:23 ID:G5IRk6/E


16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 00:42:11 ID:YzR92UGZ
この男の「義」も「愛」も胡散臭い

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 04:03:19 ID:ExAesCDp
つ愛をいつわり、釣った三成

の件について、

18 :直江兼続:2006/08/13(日) 08:49:44 ID:Jm5t+eUI
義のため!!愛のためにっ!!

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 11:12:39 ID:67uRvigj
直江って口ばっかのイメージなんだけど、何した人なのか教えてよ

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 12:50:23 ID:AefIJj7u
死んだ息子に合わせろって家族をぶった切って
自分で会いに行けって素晴らしい屁理屈をこねた男

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 16:21:12 ID:67uRvigj
わろす

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 23:10:05 ID:IseL1MaB
^^;

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 02:50:03 ID:nruv47bC
>>19
豊臣家に懐柔されて、上杉家を滅亡させた男。天下三大バカ家老の一人です

【愛の前立て】直江山城守兼続【樋口与六】
ttp://live14.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1153573603/l50

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 08:16:27 ID:NxfTSpCr
上杉滅亡してないから。
むしろ自分が滅亡。いいんじゃない?

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 00:28:33 ID:vvji1+qt
  愛
( ゚Д゚) ちわっす、直江っす。

私にとって上杉はどうでもよかったんです。上杉より豊臣が大事だったんです。
だって、30万石ももらっちゃいましたから。30万石。
え、それは懐柔されただろうって? 他の家来が面白くないだろって?

合戦はいつも負けてただろう、って?
いいんです。合戦なんか出来なくてもいいんです。
大事なことは、「義ー義ー」って言い続けること。そうすれば皆だまされます。
みんなも一緒に、言いましょう。
ハイ、「義ー義ー」

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 12:39:54 ID:k8GyOPDL
不義=自分より強いモノと曲解している直江モエス

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 14:41:44 ID:B2Ld0xyk
>>24
江戸期の上杉は、貧乏に困って、さらに士風が退廃して、結局、吉良上野介の植民地になっちゃってるよ
それ以降は、一般的に武勇の名門として知られる杉上杉家ではないでしょ
家の貧乏と士風の退廃をもたらした人、ってことで、「直江が上杉をつぶした」といっても、
まあジャスト当たらずとも、まあまあ遠からず、といったところじゃまいかい?

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 16:00:24 ID:NpIkDzPc
会津120万石→米沢30万石は仕方ないとして
上杉の場合綱勝の急死→吉良の子綱憲を末期養子で15万石が痛かった

これだって保科正之が相当骨を折っての結果だけど

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 21:07:43 ID:zTDMq4Xd
確か、家の貧乏が原因で吉良上野と付き合っていたら、上杉の嫡流の人が夭折したんだよね。
これが吉良が暗殺したとか、しないとか。
長尾氏系の男子も居たのに、吉良がゴリ押しで自分の子供を世継ぎに。
この頃は、上杉家が活気無くなって、他家からも孤立していた。
大した反対も無くこれが通った、こんな感じではなかったかな?
直江の専横が長く続いた影響が大きいのではないかな。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 23:43:56 ID:eRL+udP+
【謙信最強は創作】
謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。

※謙信自身が敗北を認めている書状↓
 晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
 かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日                  虎(花王)
[三洲寺社古文書]


【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。

1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。

上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。

謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである

本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 17:32:09 ID:4dkMS/B9
ここは謙信じゃない、直江だっつーの
狂信的なアンチ上杉ってのが居るんだな
ゲームで上杉が最強になってたりして、その反動でこういうアホが現れるのかな

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 16:31:23 ID:8a7DfjTq
上杉は、越後の一国の国持大名のままで居るべきだったね。
大老にもならず、中立のままで。
直江が懐柔されたから、そうもいかなくなったね

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 19:47:08 ID:u8W1UmF7
>>32
それは無理という物です

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 23:01:10 ID:jcaF2fs6
いけたんじゃね。秀吉の横車もてきとーにいなしておけば。
移封も直江の増封も断り、多少の領土の割譲に応じたり、佐渡の金山くらい手放しても

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 07:05:05 ID:JLjH59NR
>>34
無理だと思うよ。
秀吉相手じゃ。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 20:29:23 ID:3vshDa2Z
家康・秀忠ならともかく秀吉は結構甘いと思うけどな
北条と信雄ぐらいでは
痛い目みたのは

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 22:14:42 ID:uPr19sGu
現実に、毛利は領土の割譲で何とかいなしているしな。
直江の増封のエサに釣られたって感じかな。

上杉にも、徳川と敵対するべきではない、って家臣も居たみたいね。
その人達がまともな人達だったね。
直江は、天下三大ナントカなんておだてられて、自身を過信しちゃったんだろうね。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 14:22:38 ID:hXh4ifcw
白石城が簡単に伊達に取られているのが、関が原前後の上杉の事情を象徴しているような気がするんだよね
白石は土地も豊饒で、要衝だし、どうみても捨てるような場所ではない
攻めている伊達家の連中も、上杉のあまりの弱さに呆気に取られたんではないかな

おそらく、甘糟を初めとする守備の連中はヤル気が無かったんではないかな?
豊臣政権下で直江ばっかリいい思いして、勝手に戦争を始めた。
どうせ、勝ったって直江ばっかりいい思いするんだろう。直江のために命張ったってしょうがない。
サッサと開城してしまえ。ってな感じで。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 10:48:42 ID:dWjDTNER
俺は無敵だ!貴様なんぞに負けるわけがない

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 16:30:28 ID:Gzff//Yu
戦国ランスのスパッツ直江兼続 エロイ

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 19:48:25 ID:0YeHk7ar
やる気があったのは、直江の周囲の連中だけだったんだろ

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 01:03:38 ID:b6by+w4e
秀吉の横槍をいなすのはおそらく無理。
家康旧領への転封を拒んだ織田信雄は有無をいわさず改易だし、
とくに晩年のボケ爺と化した秀吉相手というのを考慮すれば・・・なあ



43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 10:39:38 ID:KEtKCe76
最初は、上杉家としての矜持があって、家康なにするものぞという気概があったの
だと思う。ところが、じっくり慎重派の家康が、あっという間に牙を向いて、武力討伐
にでてきた。上杉としてはメンツを重視するのが大事で、徳川との一戦は想定外のこと
だったんじゃないか。反転した家康を追いかけられなかったのは、もとより自信がなかっ
たからだし。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 13:24:27 ID:fCFUZ5OU
一戦は覚悟してたんじゃね。だからこそ、前田慶次だの浪人衆を飼っていたわけで。
直江状でケンカ売っているわけだし。
でも、上杉家中の他の連中は冷めていたんだろ。何で徳川と戦わなくちゃなんないの?ってな感じで。
豊臣の恩恵を受けたのは直江だけじゃん、みたいな

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 13:55:29 ID:tXqRB9HU
>>44
直江状は後世に作られた偽文書。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 15:49:21 ID:Ir2khmcO
一戦を決意した書状が残っているわけだが。
まず新潟県立歴史博物館にある上杉景勝から安田、甘粕、岩井、大石、本庄宛に出された書状。
慶長5年6月10日付の書状で内容は景勝の言い分全てが却下され、何度も無条件で上洛する様、家康が催促している事に理不尽過ぎると景勝が怒っている。
これ以上ふざけた要求をしてくるなら一戦を交える覚悟。で家臣に対しておまえ等、俺についてくるのかハッキリしろといった様な感じの書状。
もうひとつは米沢市上杉博物館所蔵の直江兼続書状。
慶長5年8月6日付で福島県須賀川市に出陣していた兼続から会津の清野助次郎に宛てたもの。
三成の使者が会津に来ている事を知り、三成の書状を兼続が見て返事を出すと指示。
また三成と兼続が中心となって立てられた越後の一揆衆の指揮は上杉軍に任せるといった内容。
また市立米沢図書館には上杉軍の白河口での戦闘配備の図がある。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 15:35:26 ID:g+RQ65Rf
新潟が日本の首都に為ってたかも知れないんだな・・・

狸おやじのせいで忠臣蔵でも敵役にされるわ幕末まで苦しまされるわ


48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 16:43:27 ID:fnrvemNo
>忠臣蔵

吉良上野介が討たれた事件では米沢藩の人間も喜んでいるんだよ。
悲しんでいたのは藩主綱憲と妻で先代藩主の妹の参姫くらいではなかろうか。
当時、吉良家は上杉家にたかっていて上杉家の蓄財を使い果たした上に借金までさせていた。
当然そのツケは米沢藩の家臣や領民の負担となり苦しめられた。
また先代藩主綱勝が吉良家を訪れた後に腹痛を起して急死してる事から毒殺したとの説すらある。
吉良上野介が討たれた時、米沢の人々は「ざまあねえや。」と同情すらしなかった。
それどころか重税から開放されるってんで大喜びしたとの言い伝えが残ってるのな。
今でも米沢市民は吉良家と藩主綱憲に良い感情を抱いていない。
もっとも、この綱憲の悪政があったおかげで後の上杉鷹山の功績が輝くわけだが。


49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 17:00:55 ID:g+RQ65Rf
吉良氏はともかく、上杉家まで下手したら改易されてたかもしれないのは
否定しないよね? スレの話題とは離れるけど、大学さんはマジでかわいそう・・・

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 18:04:04 ID:XxaCjzsk
>>48
はあ?
なに恩知らずな事言ってんだ?
吉良が本来は自分の嫡男であるはずの綱憲出して、
しかも、幕府に上杉家尊属を嘆願してくれたからこそ、
本来は世継ぎが耐えて取り潰されるはずの上杉家が存続したんだよ。

まあ、吉良も人間だから、この事でちょっとは上杉に
たかったのも事実だろうけど、それを補ってあまりある恩義が上杉にはある。

それと米沢藩の財政が傾いたのを全面的に綺羅のせいにしてるが、それも違う。
そうなったのは120万石から30万石に減封されたのに
武士の数をほとんど減らさなかった上杉家の構造的問題が
一番大きいんだよ。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 18:06:54 ID:tPQw5K+0
ってか、直江かねつぐって実績的には単なる愚将だよね。


52 :50:2006/08/31(木) 18:07:52 ID:XxaCjzsk
変換ミスだらけ・・・スマン

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 19:00:49 ID:jwN6Cuxp
吉良が嫡子を暗殺したんじゃなかったっけ?他にも謙信の血のつながりがあるヤシも居たのに吉良が…違ったっけ?
長尾氏系断絶の原因をである、減封をやらかした直江の責任は大きいね
直江の専横が続いたせいで、家中がシラケて、吉良に抵抗できなくなったんだよね。
それ以外に、直江が江戸で嫌われていたから、上杉が他家から孤立していたんじゃないだろうか?

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 19:26:44 ID:XxaCjzsk
>>53
>吉良が嫡子を暗殺したんじゃなかったっけ?他にも謙信の血のつながりがあるヤシも居たのに吉良が…違ったっけ?

はあ?
どこの四流歴史小説にそんなアホな事が書いてあった?

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 20:01:23 ID:g1ZHg0x4
「すぐえ」(三条辺りの地名)と「なおえ」の違いを教えてくらはい!

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 06:49:56 ID:HMVUTs8z
なんだか、このスレのみならず板に
偏執的なアンチ直江がいるな。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 08:05:46 ID:8KjBIJVK
1人の馬鹿が粘着してるだけだろ >はあ?

この口調の思考停止した奴が。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 08:16:25 ID:Zep5gooB
最上攻めは、義光に籠城戦にもちこまれたのが全て。
長谷堂城を一気に下し、義光と政宗の母親を人質にして半年くらい粘って、
外交交渉にもちこんでいれば、70万石位は残せたんじゃないだろうか。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 08:33:54 ID:HMVUTs8z
>>58
そりゃ無理だろう。
最上は当然、城に篭ろうとするだろうし。
あとの観測も甘すぎ。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 10:13:55 ID:oweLabW7
この人は、能力がない、だけじゃなく、人間が間違ってね?
上杉家臣なのに、秀吉から大領土もらう時点でおかしくね?
自分に大封与えてくれた豊臣家に、結局大阪の陣で弓を引いてんじゃん
そんなヤシ他にいね〜よ?
自分の主家にも100万石級の大損を与えているんだよね。
それで責任取らない。そんなヤシも他にいないんだよね
武士じゃねーよ。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 17:29:37 ID:Ukfuhi2i
なにこのアンチスレ

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 18:33:10 ID:HMVUTs8z
上杉にしろ毛利にしろ
120万石が30万石に削られたからこそ、
潰されもせずに存続したとも言える。
俺が徳川ならそんな危険な存在はさっさと潰す。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 19:37:04 ID:JbRbUwCT
上杉、毛利、島津の三家では、一番島津の立ち回りが上手かった。
島津は井伊直政を死に到らせ、家康の上洛命令を無視しているのに、
寸土も領土を失っていない。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 00:14:45 ID:3vkChvc8
島津は地の利を生かしたね。上杉も、会津ではなく越後だったら居直れたかな〜どうかな

直江兼続って、頑張った人であることは間違いないね。
でも、天下人に懐柔されてしまうところと、権力にしがみ付くところは、元々は下級の身分だった卑しさかな〜

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 03:59:55 ID:2ed5KjJt
>>63
「うまかった」というか「下手だった」から生き残れた気がする。
島津義久が非現実的な中立主義や中央政権を理解しない行動をし続けて
変に粘って上洛命令を無視したり徳川の船を焼いたりしたが、
島津忠恒が最終的には義久の命令を無視して勝手に上洛して家康と
会見したから助かった。
ちなみに義久はそれを「親不孝の極み」と罵ったという。
どう見ても義久の「老獪で巧みな事後交渉」とかではなく、
単なる勘違いに満ちた出たとこ勝負が功を制しただけ。
それをたまたま状況などが左右してうまくいったと思われる

66 :蒲倉:2006/09/02(土) 04:43:41 ID:7DJrqRIc
上杉十騎隊蒲倉の子孫ですが、直江兼継公が天下取り病に成らなければ、上杉百万石は守られたはず。実際景勝公を守っていたのは、小田桐、蒲倉などのの御三家であります!

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 06:57:16 ID:2ed5KjJt
上杉は無理ですよ。
そもそも事の発端は上杉景勝が上洛を拒否して
少なくとも表向きは豊臣秀頼の命令による上杉討伐令を
受けてしいまったのですから。
全ての責任を直江に押し付けるのは無理ありすぎてす。

それと毛利についても無理です。
なんせ毛利輝元が西軍総大将を引き受けてしまったのですからね。
いくら吉川広家が裏で手を回しても減封は逃れられないです。

上杉、毛利ら比べれば島津は末端だし、見逃されたのでしょう。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 08:03:54 ID:FaAevv4Z
直江家って江戸時代はどうだったの?
無嗣断絶?

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 12:02:42 ID:Ok3a6Ez+
ココで兼続叩いてる人って片倉影綱と並べられて語られる事はどう思ってるのかな

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 12:25:24 ID:KBI7UUBO
片岡は主家に不利益をかけてないのに、なんで直江と並べられてるんだろう?
だれか理由を教えてくれ…


71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 12:54:39 ID:LOIrDxZ5
結局は関が原の勝敗が全てを分けたような。
直江も上杉も小早川秀秋に敗北したんだよ。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 13:06:20 ID:yTv2hmTY
直江は関ヶ原後、同じような立場に追い込まれた吉川広家に比べたら、
評価はマシだと思うがな
しかも、吉川は主家が大事で、むしろ吉川家だけで処理しようとした策が
裏目に出た結果なのにな

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 15:16:36 ID:2ed5KjJt
そうそう本来は
「毛利家は当主が西軍総大将に就任した件で全所領没収。
吉川広家は毛利家の進撃を防いだ功績で中国地方に1、2カ国を与え栄転」
だったのを吉川が「我が所領はいいから、主家を助けてください」と必死で懇願した結果、
「格別の計らいで本来は吉川広家に与える予定であった周防・長門両国を毛利家に与える」
に変更されたわけだからね。
毛利家は本来は全所領没収の処置だったのだが。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 00:47:08 ID:+QmH0gpz
>>69 >>70
片倉とは前と悪の正反対の好対照としてよく比べられる
片倉景綱は、秀吉が領土をくれる、といってももらわなかった。主君がくれるものしかもらわない、と。
子の重綱は、家康に江戸屋敷をやる、といってももらわなかった。自分は伊達家の一家老でいい、と。
〜守などの官位も一切もらわなかった。小十郎のままでいい、と。
徹底して懐柔されないヤシだった。

直江は、領土も官位も江戸屋敷も何でもかんでももらっていたね。
その結果、伊達家は大藩のまんま残り、上杉は吉良上野の殖民地に…

直江は、家中で嫌われて養子縁組も解消されて、結局直江家は断絶してるよ。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 01:22:30 ID:I9xthLQj
自信がなかっただけだろ
切り盛りできる器量があるなら1石でも多く取り込んだ方が自家にとっても有利に決まってる

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 01:23:32 ID:ycUybHwC
自分への愛だったのね

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 01:38:11 ID:7R9GSlRn
兼続って改めてウザイ奴だな、マジで町中引きずりまわしたあと爪を剥いで釜茹で苦痛を与えて股から首まで
ゆっくりと鋸で切り刻んで殺してやりて〜本当むかつく!!(#・∀・)

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 07:52:02 ID:L15f1A31
おいおい、
なんか直江が嫌いで嫌いで
しかたない奴がいるね。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 08:28:49 ID:MzvCfoUv
       /\___/ヽ
      /:::::::       \ 
     .|:::.   ''''''   ''''''  |
      |::::.,(一),   、(一)|
     .|::::::: ノ ,,ノ(、_, )ヽ、,, |
      \:::::.ヽ`-=ニ=- ' /
     /   `一`ニニ´-,ー´
     /  | |   / |
    /   | |  / | |
    /   l | /  | |
__/    | ⊥_ーー | ⊥_ _______
   |  `ーヽl_l_l.} ヽl_l_l.}             
  (、`ーー、ィ   } ̄`   ノ            
    `ー、、___/`"''−‐"        自己愛
                     義理チョコ


80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 17:57:11 ID:sU42Z7+Y

(゚Д゚)


(゚Д゚)

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 22:02:07 ID:L15f1A31
無双がなかったらお前ら「義」なんて言葉使わないくせにwww
厨が多すぎるインターネットですねプw
さっさとゲームの世界にお帰りw


82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 02:10:41 ID:ZXEgz/tH
>>74
吉良上野の植民地って、直江家断絶後だぜ、それ

それから、直江氏断絶も直江兼続の意向だったらしいが?

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 06:58:44 ID:XPJd0XAK
ここはよくよく直江と吉良が嫌いな奴がいるみたいだな。
直江は功労者、吉良は恩人だろうが。
吉良が自分の嫡男出さなければ上杉は取り潰されてただろうに。
それとそもそも上杉が120万から30万に減封されたからこそ、
米沢の発展があったのだが。

あと関が原で上杉から奪った領地の多くは
天領になって領民は厚遇を受けたわけだし、
所詮は外様の上杉家の領地であるよりよっぽどラッキーだっただろ。
江戸時代、外様一の大身であった加賀藩の租税の多さはトップクラスだったし、
上杉も、もし120万石のままなら、広大な領内の領民は塗炭の苦しみだったと思われ。

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 07:14:43 ID:XPJd0XAK
いっその事、上杉なんて取り潰された方が
領民にとってはよっぽど幸せだったと思われ。
上杉鷹山の改革も酷すぎる状況という前提があったから
うまくいっただけだろうよ。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 11:07:24 ID:ejJU/E62
>>83
>直江は功労者、吉良は恩人だろうが。
功労や恩もあったけど、それ以上に実害が大きかった、ってかんじじゃね?

>いっその事、上杉なんて取り潰された方が領民にとってはよっぽど幸せだったと思われ。
そうなると日本全国、大名なんか無くなった方がよかった、ってことになるね。この版もいらないってことに。
ここはやっぱり、領民がどうの、という視点ではなく、上杉家の視点で語るのがよろしいかと

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 13:37:21 ID:Q8w8P6gc
>>85
>そうなると日本全国、大名なんか無くなった方がよかった、ってことになるね。
>ここはやっぱり、領民がどうの、という視点ではなく、上杉家の視点で語るのがよろしいかと

これ同意。正論だと思う。実際、領民サイドはなかなか確かめようもないし、
真面目に調べるには戦国板では手に余る。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 14:35:29 ID:XPJd0XAK
調べようはあるよ。
天領の租税なんて外様大名の半分程度だよ。
しかも飢饉の時は餓死者を出さないように蔵を開いて領民救済の措置がとられた。

戦国オタは徳川を嫌い親豊臣・西軍派、外様大名などを好意的に論じるが、
実際は豊臣とか福島とか真田とか毛利とか上杉とかの領民は高い税負担にどこも苦しんでた。
これは江戸幕府の工事などを外様に押し付けて
経済的余裕を与えず謀反を起こさないようにする政策でもあるんだけどね。

まあスレ違いならやめるけど
あんまりにも、スレに感情的な直江・吉良叩きがはこびってるのが気になってね。
こういう反論してみた。
他スレでは「直江は関が原で切腹すべき」とか頑固に主張してる人がいたね。
同じ人なのかな?
あんま、そんな暗い主張はやめて欲しいんだが。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 14:58:18 ID:Ed6tyshC
>>87
上杉家が外様大名である以上、その制約内でどういう施政が可能だったとか
具体的な政策を論じないと仕方ないんじゃないか???
取り潰されて天領になりゃいいって、そんなこと言っても無意味でしょう。
あんま、そんな馬鹿な主張はやめて欲しいんだが。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 15:38:58 ID:0HQKSdzu
直江と吉良ってなんかイメージ重なるな。上杉の二大貧乏神って感じ

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 16:17:39 ID:NB/zibNY
>>89
全然違うがな。
直江兼続を貶したい奴は”120万石を30万石にしてしまった=愚かな家臣”としか見ないが、それはあくまで結果論。
景勝流罪で上杉家取り潰しが決りかけていたのを減封までもっていった手腕はさすが。
また、城下町を10年以上かけて整備し、これといった産業がなかった藩にたくさんの産業を興し、米沢藩を最大時で実石51万石までにした。
ちゃんと減封の責任を取ってるわけね。
本人は質素な生活を貫き、継ぎはぎだらけの着物に食は一汁一菜。
”負けた責任=切腹”と短絡的な考えをする奴もいるだろうけど直江兼続も切腹の方が楽と考えたろう。
生きて責任を取る方が苦しく辛い人生だと思うぞ。
例えていうなら交通事故の加害者が死ぬまで被害者に詫び続ける様なもんだ。


91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 17:06:19 ID:n/4p7qub
さだまさしの「つぐない」か

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 17:29:06 ID:XPJd0XAK
いや、その・・・・
吉良もそんなに悪い奴じゃないぞ。
少しくらいはたかっただろうけどさ。

そもそも植えすぎの財政が傾いたのを
吉良のせいにするのは間違ってるぞ。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 17:42:05 ID:pmh6df1F
印象としては、直江=松岡洋右だな。
景勝は120万石を守り抜きたかっただけなのを、直江が率先して
家康との大戦争に発展させちまった。
その意味でバカになった前田の方が遙かに利口だった。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 18:21:31 ID:EPwo0hyS
天領の民が苦しんでいた事は事実である
スレ違いだがこれだけは訂正してもらおう

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 18:28:03 ID:XPJd0XAK
>>94
は? ソースは?
確かに飛騨で起きた一揆の時のように悪質な代官の判断で過剰取立てが行われたり、
徳川吉宗の時にある家臣が勝手に「百姓と菜種油は絞れば絞るほど出る」
とか言って高い租税をかけた事件はあったが、
それらはかなり例外的なケースだが。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 18:43:09 ID:XPJd0XAK
調べてみると確かに徳川吉宗の改革でそれまで三公七民だった年貢が五公五民に引き上げられてるね。
しかし、それでも外様よりは軽いよ。ただ今までの年貢が非常に軽かったので苦しんだだけ。

ましてや農民が過酷な取立てで村ごと離散するような
上杉とは比べものにならない。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 19:05:23 ID:JTYpiF/e
ん?それであってるんではないの
天領が年貢が軽かったというのは通説だと思ってた

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 19:33:10 ID:EPwo0hyS
じゃあ何で大塩先生が反乱起こさなきゃならんのさ
役人共は飢饉の救済も拒否して飢える民衆を無視し米買い漁って将軍家に送るのみで
やむなく大塩先生は家財を投げ売り救済活動するも個人の資産でたかが知れてる
商人と役人は結託し暴利を貪るばかりで
ついには成功する事のない反乱へと踏み切らなければならなかった

また世直し一揆も天領より始まった
今までの百姓一揆ではなく政治や幕府そのものを批判するものである
そこまで民衆は追い詰められていた
武州騒動を皮切りに全国へと飛び火し明治まで治まる事はなかった

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 19:54:25 ID:EPwo0hyS
まあ、詳しくはこれを読んでみてくれ
切実な思いが伝わってくる

ttp://www.cwo.zaq.ne.jp/oshio-revolt-m/gekibun.htm

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 20:11:46 ID:GUbjCYCz
天保の大飢饉で米価急騰の時(大塩)や幕末の幕府の権威が低下している例外的な
事件の原因が、なぜ天領は年貢が重いっていう誤解になるのか理解できん。
調べてみろ。
一般に天領は年貢が比較的軽かったって、大抵の入門書でも書いてあるから。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 20:41:04 ID:XPJd0XAK
>>99
あ、ちょっと反省しすぎたな。
天領の年貢は外様より原則として軽いよ。
ただ、例外的事項として天領でも過酷な年貢が課されることがあって、
その時は騒動になった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A3%E5%AE%98

それと世直し一揆はやはり幕府が相手だからだろうね。
あと一揆についてだが、
普通の外様藩では年に何十回も起こってるものものだしさ。

そんで何はともあれ平均的に天領の年貢が
外様より重かったとかいう具体的なソースがあったら
提出してくれ。

102 :101:2006/09/04(月) 20:45:26 ID:XPJd0XAK
>>101のURLに
正徳の治の時代の天領の年貢の平均が2割7分6厘と書いてあるぞ。
ただし、開く代官のいるとこでは例外的に凄い年貢が取られてたようだ。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 23:00:19 ID:EPwo0hyS
事実民衆は貧窮していただろ
洒落で暴動起こすわけじゃない
この時代は命懸けなんだから
自分自身、今の政治に不満あるからといって命懸けてまで糾弾する気あるか?
普通ないだろ
そこに至るまでにはどれだけ生活が逼迫していたかなんて簡単に分かる事じゃないか

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 01:43:53 ID:pF4s24iQ
>>90
>”120万石を30万石にしてしまった=愚かな家臣”としか見ないが、それはあくまで結果論
結果論と言い捨てるが、武士の世界は結果が大事なんよ。お家を興隆させれは善。衰退させれば悪。
悪い家臣と言われないように命を懸けているのが武士というもの。直江はどうもそれが甘い。
軽々しくケンカを売ったり、懐柔されたり、武士としてのモラルの感覚が甘いといわざるを得ない。

開墾したって100万石に達しない。それに開墾なんぞどこの藩でもやっている。開墾したからって直江の罪が消えるわけではない。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 04:11:07 ID:j5idIIgY
>>103
で、そういう理屈が何で「天領の農民が外様以上に年貢率が高い」
「天領の農民が外様の農民以上に困窮してた」になるわけ?
その具体的史料をさっさと明示してください。
明示してくれたらすぐにでも認めますからね。
「一揆が起きた」とかは残念ながら証拠にはなりません。
少なくとも定説とは別の事を言っているわけですから、
ちゃんと史料示してくれないと困ります。

そもそも現代ですら15年ほど前に起きた米不足の年に東北では日射量不足で収穫ゼロ
なんて年があったくらいなので
農作物、特に米の農業技術や品種改良が少ない昔ならなおさらでしょう?
幕府がたとえベストを尽くしたとしても
不作だと困窮する農民、餓死する農民は確実に出てきます。

前にも言ったとおり一揆なんてのは外様の藩では毎年たくさん起きてました。
例えば江戸初期の長州藩では年間に三百件もおきたという記録があります。
江戸中期の天領での一揆は単に普段は低年貢率なので一揆が起こりにくく、
その対策が不備だったと考えられます。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 05:00:16 ID:EWVimYCS
お隣同士なのに、江戸時代の上杉家の貧しさと伊達家の豊かさは対照的だよな
上杉米沢30万石、かたや治水開墾が進み伊達仙台250万石(全国1位)

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 05:23:32 ID:RYbn2Lpt
>>98
大坂城代領(天領)は、江戸と並んですごく恵まれてるんだよ。
この二都市の町人は御用金は課されるけど、租税は優遇されてるし、
いわば例外的な扱い。
そんで大坂は米相場の中心地で集積地だから、とんでもない飢饉の時以外は、
他の地方が餓死者がでてても、ここでは基本的に米が手に入る。
つか、大坂城代領の住民も大塩の時にはそりゃ困っただろうけど、
東北諸藩では、藩の人口自体が餓死者で激減してる状態なわけで。
江戸時代を通じて、大坂と江戸の人口が増え続けたのをみればわかるだろ?

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 07:03:24 ID:j5idIIgY
全国一揆件数統計
1 盛岡(南部) 97件
2 広島(安芸) 69件
3 秋田 65件
4 荻(長州) 61件
5 金沢(加賀) 57件
6 宇和島 56件
7 徳島(阿波) 42件
8 鳥取 38件
9 松山(伊予) 36件
10 会津 35件
  11 庄内 32件
12 仙台 31件
13 高知(土佐) 29件
14 福山 29件
15 名古屋(尾張) 28件
16 岡山 27件
17 新庄 24件
18 延岡 22件
19 上田 22件
20 熊本 21件

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 07:10:33 ID:j5idIIgY
ここに面白い事が書いてある。
天領で起きた一揆の原因は
「天領を外される事に抗議して」のものだったらしい。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1889004

今まで天領として無税だったのに
庄内藩に割譲されることに抗議して
一揆が発生したそうなる
もしも天領になるのがそんなに嫌なのなら、
喜んで庄内藩に組み込まれるのを望む筈だが?

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 07:23:27 ID:j5idIIgY
>>106
面積が全然違う。

ちなみに仙台藩では領内での農作物の売買を禁止し
農民が自分たちで使うわずかな分以外は全て藩に強制的に売らされた。
藩はその農作物を江戸に売って儲けたわけだ。
とはいえ、それは当初はむしろ農民なとっても有利なものであったが、
物価はどんどん値上がりするものなのに対して
藩の作物買い上げ価格はいつまでも据え置かれたために
江戸中期以降くらいから買い上げ価格と相場の差が相当にかけ離れたものになってしまい、
実質、第二の年貢となってしまい農民を苦しめたという。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 07:46:21 ID:0MrX+PLB
>>107
>地方の天領は年貢の徴収が出来ず放置されていました。
 有名なのは庄内南部の天領で、実質年貢ゼロだったの
 ですが、庄内藩の転封問題が起きた後(転封は中止となった)、
 そのお詫びとして幕府が庄内南部の天領を庄内藩に組み入れ
 ることになりました。いままで年貢ゼロだったのに明らかに
 徴税可能な藩の領地になるという事で一揆が起きています。

当然の話だし、庄内の貧窮ぶりを示すエピソードだろうな。 

>会津や和歌山は酷かったと言われており、会津降伏後に新政府が
 進駐したら領民の体型が異様に小さかったと報告され、米の配給
 を行う政策が行われています。また、会津の転封予定先であった
 猪苗代では、会津の地獄統治を知っていましたので、転封反対運動
 が起きています。

会津は地獄だなw

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 08:07:39 ID:j5idIIgY
譜代・親藩は天領とは厳密には違う気もするが、
中には酷いとこもあったみたいだね。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 08:16:23 ID:j5idIIgY
しかし酷い統治と言えば
ナンバー1が南部藩であり、ナンバー2が秋田藩なのは有名だがな。
その次が長州か。
あとは会津とか津軽とか加賀なんかが有名だが。
加賀藩は農作物の質にまで拘って農民どもを困らせたという。
酷くスレ違いになってきた。

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 08:37:58 ID:jwKSZ52p
正直、直江の話より年貢の話の方が面白かった
このところ話題がループしてたからかも知れんけど

しかし、遠くまで話題が流れ流れてきたもんだ・・・

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 09:41:53 ID:AXgUSJ17
>>104
結果で語るなら家康に加勢した後に用済みで潰された最上家や福島家はどうなるんだ?
それこそ藩主はもとより家臣一同おまぬけっちゅうことになるな
幕府からの言いがかりはどこの藩でも大なり小なりあったわけで




116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 11:04:30 ID:u8IUHEAz
>>105
一体何に対して反論してるんだよw
天領も他と変わらず領民の生活は逼迫していたと言ってる

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 11:26:49 ID:WuVS1bSL
>>116
江戸時代の領民は、そりゃ支配されてる方なんだから、ぶっちゃけ誰でも逼迫
しているといえば逼迫しているわけでしょうよ
その困窮にも度合いがあって、年貢の割合が天領では他と<比較すると>
軽かったという、ごくごく簡単な事実が、何でこの馬鹿にはわからんのかw

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 12:09:05 ID:u8IUHEAz
>>117
呆れたものだ
くだらん煽りで息巻いてないでちゃんとログを読む事だな
検討違いな事を俺に反論されても困る

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 12:45:34 ID:EuDDkmJI
>>108
これ何年頃の話?

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 12:51:19 ID:odcK6tZM
年貢の話のログを読んだり書いたり(>>107)しているが、
第三者から見ても、どうみても>>118の方が的外れとしか思えない。
つか、あなたのは感情論でデータもないし、反論にもなってない。
簡単な話で、天領と他の地域の人口増加率とか、年貢の比率とか、
施策の客観的なデータを出せばいいだけの話です。
あなたの相手は、そういうデータを出してるわけです。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 13:23:32 ID:J5y3Ydap
でも、あの閻魔大王のエピソードはおもろいよな。
あのブラックユーモアのセンスは現代でも通用するよ
直江って、「義ー」だ何だかんだって名分を振りかざして実はエゴイストだけど、
個人で接する分には結構オモロイおっさんだったんじゃね。


122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 13:25:25 ID:1ZI4RVNf
>>113
盛岡と秋田はひどかったノカー。
具体的にどうひどかったのか教えてくれといったらやっぱりスレ違いかのう?

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 13:28:14 ID:nz2H5nsG
>121
伊達のエピソード2つを見る限り凄まじく嫌味な奴だと思う。

傍から見聞きする分にはいいけど直接は接したくないタイプ。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 13:38:13 ID:1ZI4RVNf
>>123
どんなエピソード2?
教えてくれといったらやっぱりスレ違いかのう?

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 13:53:45 ID:u8IUHEAz
>>120
だからさ…
実際に貧しさを訴えでて暴動も幾度も起きてるだろ
天領でも領民が貧しかったのは事実だよ
現実を否定する意味がわからん

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 14:01:00 ID:+7Isozqn
30万石、30万石と騒ぐが、直江が30万石もらったってのは誤解。
このことをもって叩くのは筋違い。
後に上杉家が会津から米沢へ移ったことがこの説に拍車を駆けた。
実際には6万石程度。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 14:02:39 ID:j5idIIgY
>>125
そんなこたあわかってるよ。
あくまで比較の問題だ。
天領でも飢饉の時や悪代官のせいで
領民が酷い目に合うことはあるだろうよ。
そういうピンポイントの例を上げられてもね・・・

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 14:10:19 ID:j5idIIgY
で、天領の年貢率は具体的に言うと初期は三公七民、
徳川吉宗の改革のせいで五公五民にされた。
それでも外様に比べれば税負担は軽かった。

あと、天領の暴動とか一揆に関してだが、
それは必ずしも「貧しさを訴えて」のものではなく、
>>111の事例のように天領から藩領への鞍替えに抗議してのものとか、
今まで全然年貢を取られてなかったのに
改革で取るようになったのを抗議してのものとかいう事例も多い。

>>122
ググればわほかるよ。
http://homepage3.nifty.com/bagusnya/bengyu/kikin.htm
http://www.tabiken.com/history/doc/N/N309L200.HTM

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 14:10:33 ID:6LgNpXIL
牟田口廉也の指揮がまずくて、インパールで惨敗、あげくに
日本は敗北したが、戦後、日本は発展したんだから、
牟田口は悪くなかったというようなすり替えにみえる。=直江擁護

直江が戦略を見誤り、戦術的にも最上に負けているのは事実だが。

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 14:20:36 ID:1ZI4RVNf
でも長谷堂を囲んでいたのはたった二週間程度だしなあ。
撤退戦はうまくやったんじゃないの?
兼続自身は弱音吐いて、前田慶次郎に叱責されているっぽいけど。
関が原の戦いで石田三成がたった一日で敗北するなんて考えなかっただろうし。

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 14:27:36 ID:j5idIIgY
何はともあれ>>118 >>125が単なるイタイ奴だとわかった。
天領でも「暴動があったから貧しかった」という理屈なら
現代でもメーデーでの講義やストライキや騒動や生活保護者があるから貧しい」という事になってしまう。
そもそも一揆=暴力行為というのは間違いでほとんどは抗議や直訴程度のものなのだが。

あと、農業には必ず凶作がある。
1993年米不足では日射量不足が原因で日本中大飢饉だった。
特に東北や北海道では収穫ゼロの農家が相次いだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%88%90%E3%81%AE%E7%B1%B3%E9%A8%92%E5%8B%95

こんな時にはどこの地方の農民でも植えるだろう。
それで天保の飢饉の時は天領でも「食い物くれ」騒動が起こり、幕府は
蔵を開いて備蓄米を出して民を救ったりした。
しかし、大名たちはそんなわけにも行かず特に農民たちはほとんど飢餓で全滅した。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 14:30:23 ID:j5idIIgY
さらに平成大凶作の記事。
http://lin.lin.go.jp/alic/month/dome/1993/nov/ryutu.htm

こういう状況なら天領だろうと、どこだろうと
騒動は起こるだろうが。
ましてや、農業技術が低い昔なら、
なおさら飢饉の年は多かった。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 14:40:28 ID:u8IUHEAz
>>131
お前は天保の飢饉で幕府に対して起きた大塩平八郎の乱を知らんのか

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 14:42:51 ID:j5idIIgY
>>133
あのさ・・・・
君、俺の文章読んでないだろ?
飢饉の時はどこでも
そういう騒動は起こるんだよ。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 14:48:39 ID:j5idIIgY
大塩平八郎の乱の時は確かに幕府の不手際で大阪で米不足が起きたが
そもそも、それが本当に天領の民が餓死する程のものではない。
平成米不足同様に満足に米を食えない不満とか
大商人による買占めに不服を感じて起きた事件だ。
それのどこが「天領の農民が・・・」と繋がるかわからん。

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 15:02:02 ID:nz2H5nsG
伊達とのエピソード
1.
黄金をばら撒いた時に、他大名が触って物色する中、
直江だけが扇子の上で転がしたりしているだけだった。

そこで伊達政宗が陪臣の立場である直江が気後れして
触っていないのだと思い、「手にとって見れば?」といって
気を使ったところ、直江曰く「先代謙信公より采配を預か
る身にて黄金(のような下品なものを)を触るつもりはない。」

2.
江戸か大阪か忘れたけれど、陪臣の直江が大名である政宗
とが城の廊下で対面した。陪臣である直江は当然礼をすべき
だが無視して通り過ぎようとしたので、政宗がとがめたところ、
直江曰く「戦では後姿ばかりしか拝見しなかったので、顔が
わからなかったので、他意はない。」(お前の後ろでくっついて
たんでわからんかった。おまえはつよいあーすごい。)
と言われたので政宗はそれ以上何もいえなかった。
(同陣でも戦で後ろ姿だけって事は無いだろう普通。)


137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 15:41:50 ID:u8IUHEAz
>>134
いい加減ログ読めよ…
その事を何度も言ってるんだろ
どこも貧窮してた
天領に限って暮らしがよかったなんて事はないんだよ

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 15:57:28 ID:TT2/aH4i
関ヶ原の本戦がたった一日で片がつく何て誰も考えていないし、
西軍についた事を理由に直江=アホは短絡的すぎやしないか?

長谷堂の件にしても力攻めで城が落ちなかった場合に、城を囲んでじっくりというのは
寧ろ正道じゃないか?そして、撤退戦で名を挙げているんだし・・・。

そして、直江兼続の本領というのは領地経営にあると思うんだが。
武将としてはともかく(それでも凡庸ではないはず)、政治家、経営者と
しては一流の部類になるんじゃないか?

ファビョったように喚くお前らがわからん

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 15:57:42 ID:nz2H5nsG
>137
がいう、「その時代」に暮らしがよかった国家なんてあるのか?

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 16:02:52 ID:nz2H5nsG
>138
名臣といわれ、天下の三家老なんていわれてるが
過大評価って事だろ。

藩の再建治世家程度の評価なら多分叩かれてないと思われ。

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 16:17:22 ID:xKIST5qm
直江兼続vs鍋島直茂vs小早川隆景でよく比較されたよな

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 16:24:54 ID:u8IUHEAz
>>139
少なくても日本にはないな
だから天領だけが良かったような口ぶりで語るのはやめろと言っている

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 16:29:33 ID:OyzRG2gq
国内の貧しさの原因は幕藩体制に問題があるな
つまり幕府が諸悪の根源

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 16:34:00 ID:nz2H5nsG
>142
世界でもどうだ?
今の時代でもどうだ?

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 16:35:23 ID:nz2H5nsG
>142
まちがえた。
天領と上杉領ではどちらがマシだったか?

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 16:41:14 ID:QQicupVS
天領の方が租税が安かったという事実があるのなら
全体として天領の方が農民は豊かだったとは言えるんじゃないの?
天領の方が全体として大名領よりはマシだったと。
それに対して稀な例外を持ち出しても反論にならないでしょ。
勝ち負けじゃないんだから、間違いを認めればいいのに。

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 16:45:08 ID:nz2H5nsG
じゃ、その時代には名治世家はいなかったってことだよね。
どこも、極悪非道な搾取藩ばかりだったと。
そりゃ現代と比べりゃ、悲惨な時代だよ。

それは、各種公害、労災が起こったり、AIDSが治せない今の時代は未来より悲惨で、
その犠牲になって、国に訴えでて、プライバシーを
晒さねばならない今の日本も未来から比べりゃ
戦後の世界で、日本の政治は他の国よりよかったって言っちゃいけないんだな。
未来から比べりゃ悲惨だもんな。



148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 17:05:15 ID:u8IUHEAz
正気に戻って下さい…
他がもっと悪いからって悪い事が良い事にはならないよ

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 17:22:22 ID:QQicupVS
>>148
もう少し他人の文章を読む力を養って下さい…。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 18:04:08 ID:j5idIIgY
>>148
わけのわからん奴だなあ。
「やや悪い」と「凄く悪い」なら「やや悪い」の方がマシに決まってるだろう。

少なくとも俺は江戸時代で天領の農民と南部藩の農民とどちらとして生きるほうがいい?
と聞かれたら間違いなく天量の農民がいいと答えるな。
ついでに言うと米沢藩の農民と天領の農民でも天領の農民がいいと選択するな。

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 18:06:56 ID:nz2H5nsG
>>148
148が思う、いい国家は何処ですか?
時代、地域関係なく。
他がもっと悪いからって悪い事が良い事にはならないのを踏まえて。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 18:49:31 ID:u8IUHEAz
>>150
両方よくないに決まってるだろ
そう言うのを五十歩百歩と言うんだよ
本質は同じだろうが 

>>151
論点がずれすぎ
理想国家について語りたいならそういう団体に聞けよw

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 18:56:00 ID:j5idIIgY
>>152
良くない良くない。
五十歩百歩ともいえない。
南部藩で餓死するよりは
比較的マシな地方で生きたいよ。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 19:06:58 ID:nz2H5nsG
>152
違うな。
勝手な理想政治を作り上げてるのはお前さん。

(歴史上の事実の比較として)天領は上杉領よりましだったって話を
(理想政治に比べれば)天領も上杉領も悲惨だった。
に摩り替えてるのはおまいさん。

だから、>>148
>他がもっと悪いからって悪い事が良い事にはならないよ
って言ってるおまいさんの
論法では
「全ての時代、国家、歴史は全て悲惨だった。悲惨じゃないところなどない。
それを良かったような口ぶりで語るのはやめろと言っている」
となる。

だから、聞いてるんだけどね、悲惨じゃない国家や時代はどこかあるのかね?と。
答えられなければ、勝手な理想政治と歴史上の政治を比べてるだけに過ぎん。

天領の統治を貶めても、上杉領や南部領より領民はマシだったってのは
変化しないよ。どっちもダメで、上杉を擁護したいのかどうか知らんけど。

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 19:20:02 ID:1ZI4RVNf
>>148のひとは比較が出来ないお馬鹿さんか、勘違いのレスをしてしまったがあとには退けなくなった小心者のどちらかなんじゃろうのう。

直江兼続の話が聞きたいもんじゃ。ナムナム

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 19:27:35 ID:u8IUHEAz
やけにしつこいと思ったら俺を上杉厨と思ってアンチが絡んでたのかよw
そういや上杉スレだしな
俺の言いたい事は>>94で言った通り
事実だろ?
それだけの事にやたらつっかって来るのは変だとは思ったが

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 19:30:26 ID:j5idIIgY
>>155
あのさ。
その理屈だと現在の日本の民も苦しんでるぞ。
俺り生活も余裕がなくて苦しいしかも今度、消費税を上げるらしいしさ。
だからといって現代の日本がダメという事にはならない。

158 :157:2006/09/05(火) 19:32:53 ID:j5idIIgY
>>156へのアンカーミスだった。

一応、文章追加しとくが
だから何度も同じ事言わせるな。
あくまで比較の問題だ。
収奪の非常に激しい南部藩や米沢藩や長州藩よりは
天領の民ははるかに楽だ。

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 19:38:13 ID:ztzS6Hrl
>>148
馬鹿なお前に教えてやろう。

大塩平八郎自身が陽明学流の体制改革を目指した行動主義者だった上に、
いわゆる戦後史学はマルクス主義の影響が強かった。
戦後の日本史の研究者はな、大塩平八郎の乱に封建制打倒のチャンスを
<過大に>読み込んで解釈する傾向が強かったんだよ。
つまり、暗黒の幕藩体制=封建制を虐げられた民衆が立ち上がって打破するという
<市民革命論>を、投影しているわけ。

いいか悪いか別にして、当時の日本史研究者には理想国家像があって、
それは何かって言うと社会主義革命後の共産主義社会なの。
みんな平等で、階級と国家がない社会な。
で、マルクス自身は歴史的にそんな社会は存在したことがないって
言ってるの。未来にしかないの。お前はそれに無意識に影響を受けてるの。
(おれはマルクス主義者じゃないから、未来にもないと思うけどな)

マルクス主義では、封建制は民衆による革命によって倒されるべき悪だから
(だから、幕末の世直し一揆は革命である言う解釈で、よく研究されたわけ)
1960年代あたりは幕藩体制は評価がすごく低かった。
そんで、お前はそういう学説的な背景を知らずに、
大塩平八郎の話に感化されて、ひたすら幕藩体制は絶対悪のクソだった
と、戦後史学から40年たった現在も思いこんでるわけ。

まあ、わからないと思うが。そういうことだ。

でも幕藩体制を憎むあまり、天領そのものを憎んでいるのは
あまりにアホすぎて、おれにはお前の頭の構造が理解できんwww

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 19:43:15 ID:RkyN/GVi
>>156
反論になってないよ。
やけにつっかかるのは君みたいだよ。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 19:44:31 ID:u8IUHEAz
>>158
あのさ
何だよ比較って
俺は天領の民も苦しんでいたと言っただけだよ
他の話なんか関係ない
天領の生活は豊かだったと反論するなら分かるが
他は他はって俺の話と全く関係ないだろ

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 19:45:36 ID:j5idIIgY
天領がもしクソだったら、
何で奥羽の領民が天領の民になりたいがために
意図的に一揆を起こしたりしたんだ?
何で天領の民はあんなに誇り高いんだ?
俺は白峰村という昔、天領だったとこにいた事が
そこの人は「昔はここらは天領やった」と自慢し誇り高いよ。

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 19:48:04 ID:j5idIIgY
>>161
じゃあ、天領の民は豊かだったと反論してやるよ。
白峰村の天領の民は天領ゆえに暮らしにやや余裕があり、
金沢の商人のお得意様だったという。
そう、その村の老人に聞いた

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 19:48:36 ID:u8IUHEAz
>>159
苦労して長々書いたのに悪いが俺は幕藩体制批判してないけどw

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 19:50:16 ID:u8IUHEAz
>>163
天領は白峰村だけじゃないぞ

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 19:54:51 ID:j5idIIgY
>>165
天領は大塩平八郎の乱だけじゃないぞ?

ググれば嫌という程、天領の租税は安かったという
とこにヒットするが。
ここは司馬の発言だが。
http://www.kurikomanosato.jp/to-siba14-edo.htm

あと、お前にはなんの権威もないんだから、
あんまえらそうにすんなよ。

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 19:57:40 ID:ztzS6Hrl
>>164
あのな、おまえは頭が悪いから自分の影響を受けているイデオロギーに
気づいてないだけで、歴史観=読んだ本の内容がそうだと言ってるの。

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 19:58:11 ID:M4Hdy8as
>>164
もう辞めておけ
話に横槍入れられても口は悪いが
皆が話してる議題とおまいさんが論点が違うと
説明してくれてんのにあがいてるのは
やっぱりお前さんだ
そら現代に比べたら専制支配化の被支配者は悲惨だわな
解ったからスレ汚すの辞めよう。
ただでさえ上杉厨はと肩身狭いんだから
つまらんことで揉めるのは辞めよう。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 20:00:38 ID:j5idIIgY
あと、大塩平八郎の乱は
ようするに大飢饉なのに商人の買い占めや
江戸に米を送るという事柄に対する反論で
そんなピンポイントな話しを全てみたいに岩手も名。

そりゃ飢饉になれば天領だろうと
どこの藩だろうと窮乏するのは当たり前で(現代の平成米不足でも)
そんな話しを全てみたいに言われてもな。
飢饉以外の平時に天領の民はそんなに窮乏してたのか?

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 20:02:18 ID:j5idIIgY
あと、大塩平八郎の乱は
ようするに大飢饉なのに商人の買い占めや
江戸に米を送るという事柄に対する反乱で
そんなピンポイントな話しを全てみたいに言われてもな。

そりゃ飢饉になれば天領だろうと
どこの藩だろうと窮乏するのは当たり前で(現代の平成米不足でも)
そんな話しを全てみたいに言われてもな。
飢饉以外の平時に天領の民はそんなに窮乏してたのか?

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 20:18:28 ID:u8IUHEAz
>>167
お前が自分の考え押し付けようとしてるだけだろw
つうか長文書いて煙に巻こうとしただけだろうけど
2chでは古くからある手だから正直つまらんぞ

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 20:20:40 ID:u8IUHEAz
>>170
天領での一揆は大塩の乱だけじゃないぞ
調べてみな

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 20:25:40 ID:j5idIIgY
>>172
無論、知ってるよ。
でも他の領地に比べれば我侭みたいな一揆も多いし、
天領から諸藩に移されるのを反対しての一揆というケースも多い。

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 20:30:51 ID:ztzS6Hrl
>>171
こうかけば、わかるかな?
ものすごくわかりやすくかいてあげたのに、わかりませんでしたか?
かんじがよめないときや、じぶんのしらないことばは、じしょでひいて、
りかいしようとしましょう。
おれがしんせつなひとじゃなきゃ、あんなにまじめなちょうぶんかくものか。

あれは、実に親切に真面目に書いたんだけどな。
ちゃんと読む気になれば、理解できると思うんで、もう一度読んでみ。
学説のダイジェストを、あれ以上わかりやすく書けるものかよ。
おれは、ちょっとさすがにお前に疲れたんで去るわw

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 20:33:24 ID:u8IUHEAz
>>173
他と比べる事から抜けられないのね…
別に他より酷いと言ってるわけじゃないんだから
比較する必要はないんだって

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 20:40:00 ID:RkyN/GVi
だから、比較じゃなくて
豊かな時代、国を挙げてみな。
挙げれるならな。

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 20:52:46 ID:u8IUHEAz
それと何の関係があるんだよw

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 20:54:49 ID:QQicupVS
あの時代に租税が安いってのはそれだけでも善政だと思うが。
比較とかではなく。
必死に反論してる奴は何を言いたいのか理解出来ない。
幕府の政治はあくまでも糞だったと言いたいのか?

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 20:55:13 ID:j5idIIgY
別に天領が他の土地に比べてマシだったのは
幕府が善政をしいたからというよりは
単に諸藩に経済的余裕を与えないように
様々な工事を押し付けたからなんだけどね。
それが結果的に諸藩の領民に経済的圧迫を加えたと。

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 21:09:32 ID:i+Cq35L7
なあ…この天領厨って上杉厨の評判を下げるために送り込まれた
新手のウィルスか何かじゃないのか?

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 21:17:37 ID:u8IUHEAz
>>178
実際に各地で反発が起きてるだろ
なんで都合の悪い所だけ認めない

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 21:51:51 ID:j5idIIgY
>>181
でも現代でもデモとか抗議とか起きてるぞ。
現代の一揆といえるな。
よく「一揆」というと武力的なものばかり重い浮かべがちだが、
実際はデモや直訴程度でも一揆扱いになる。
天領の一揆も多くはその程度だが。

あと天領の飛騨の一揆については
あそこの代官の暴走で
農民の採算の抗議が認められたりしてる。
代官の暴走とか飢饉の時の年貢軽減とか
天領の一揆とはようするにそういうものる
諸藩の一揆はそうもいかない。

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 21:53:53 ID:HiMAaVte
まだキチガイ警報発令中か・・・


直江も、そろそろあの世の大塩平八郎のところに、
こいつを迎えに行かせてもいい頃なのにな

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 21:57:42 ID:j5idIIgY
戦前なら、そこらじゅう貧乏人だらけ。
りんご箱で勉強してる子供も珍しくなかった。
貧富の差なんて当たり前と思っていたんだ。
まあ、今がそれだけ豊かになったってわけだし、
この60年間、それを目標にしてきたわけだが、
世の中、いつまでもそううまくは行かないんだろうな。
ある人が言っていた。「自分の曽祖父が何を生業(なりわい)に
してたか知らない人のほうが多いんじゃないの」って。
知りたくないだろうけどね。ちなみに、その人は50歳くらいだから、
3代前っていうと、明治・大正になるけど。
紀田順一郎「東京の下層社会」を読みましょう。人生観が変わるかも
しれないよ。
ところで、本当に生活保護の必要な人は、どれくらいいるんだ?

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 22:00:22 ID:EuDDkmJI
…スレ立てたら?

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 22:17:01 ID:HiMAaVte
お、終ったか。

「江戸時代の天領の年貢は、外様諸藩に比べて軽かった。」

これに一名を除いて、参加者全員が同意したようなのでここで打ち切り。
年貢論争も前半は面白かったけど、さすがにもうみんな疲れたでしょう。
勝手に仕切ってごめんな。

  以下、生まれ変わった心で 直 江 ス レ 再 開
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 22:29:19 ID:QQicupVS
結局、戦術家戦略家というよりも政略家で内政家だったのに
秀吉が評価したせいで前者のイメージが強くなってるんだよね。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 23:54:18 ID:sSCH4AkL
御館の乱ではどの程度関与して活躍したの?

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 00:29:35 ID:RqKebeL2
その辺の古いことは記録が少ないんでないかな。
謙信から采配を任された、と言うけど、軍功がないよな

>>136
伊達との小判のエピソードだけど、オレって天下三大家老ってうぬぼれている直江がよ〜くあらわれているね。
秀吉は、懐柔するためにおだてているんであろうに。真に受けてたんだろう。
実は、話に続きがあって、そのとき居合わせた他の大名が、直江ってキザなやつだな、経済を軽んじてどうやって家を治めるの?
と言ったらしい。
禿同だよね。
実際、お家の利害を無視した戦争をおっぱじめて、家が衰退したんではどうしようもないと思うんだけど。
オレは謙信公から采配を預かった、っていうのが直江の得意の台詞で、それを言うと、家中の誰も直江に文句言えなかったのかも。

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 00:34:50 ID:1GNI/S75
伊達だけにからむわけじゃないだろうが、このからみ方はうぬぼれているというか
何というか…結構閉口しちまうわなw

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 01:06:06 ID:lRUwF3JR
>>189
記録に残ってないも何もねえだろw。謙信公から采配を預かった云々も、
謙信が死んだ時に直江兼続は数え年で19歳だし、直江家すら継いでいない。せいぜい
上杉景勝の近習か、直属の馬廻といったところだろう。そんな奴が采配を預かっている
わけが無い。それに、上杉氏の執政として、米沢を整備し、殖産興業に務めた直江が経済を
軽視しているとは考えにくいのではないか?

そもそも天下三家老の話も、鍋島と小早川と直江だったり、それが堀直政と入れ替わってたり
するし、ハッキリ言って眉唾な話。
直江兼続の場合、閻魔様の話にせよ、政宗との絡みにせよ奇妙なエピソードが多く、かつ大大名の
政治を取り仕切っていた人物というせいで、逸話だけが一人歩きしている感がある。


それに御家の利害を無視して云々も、当時の状況からしてどうよ?って感じだ。当時の情勢で、
家康が勝つか西軍が勝つかなんてわからん話。お前さんが言ってるのは結果論というやつだ。

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 06:29:06 ID:dVIVq40z
景勝の近習というかようするにホモ相手なのだが、
いや別にホモ相手=無能という事はない。
信玄と高坂の関係もあるし。

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 15:17:43 ID:V9Xhjw8V
>>191
>御家の利害を無視して云々も

上杉家自体が謙信の神話で纏まってる組織だったので「先代ならこうしたはず」という
基準から外れたら家中の結束が取れない状況だった訳で。故にああ動くしか
無かったと思う。直江の凄さは徳川に徹底抗戦した後上杉家を存続できた
交渉能力にあると思います。


194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 17:06:51 ID:YFx5SdAk
>>193
結局、上杉は謙信様々なんだよ。結城秀康がたまたま謙信を崇拝していたため、
伊達に、頼むから上杉をこれ以上叩かないでくれって、戦後頼んでたりな。
あと、90万石は減らされすぎだよ。翌年の3〜4月に最上に簡単に庄内かっさらわれ
たため、失わなくてもいいはずの領土を義光に既製事実化された。約30万石は余計。
60万石程度は、交渉で何とか残ったような気もするね。直江は家康に長谷堂の撤退
を上手く煽てられたという始末。 

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 20:00:16 ID:lRUwF3JR
>>194
まともに戦わなかった毛利や佐竹ですら所領を半分以下に減封されてるし、
ましてや謀反云々を吹っ掛けられた挙げ句、派手な軍事行動を起こしているんだから
30万石でも残るようにしただけ大したものだと思うけどな。
謙信を結城秀康が崇拝していたということよりも、本多正信らに働きかけた
ことが大きいんじゃないのか。「景勝は流罪で上杉は改易」という意見も
あったみたいだし。

なんかどうしても直江を貶めたいやつがいるみたいだが・・・・2ch的に直江兼続は
人気ないのか?

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 20:29:41 ID:1D+vmI0e
密約して円満退去の毛利と違って正面激突しようとしてたもんな>上杉

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 00:24:07 ID:SwlkvAqM
>>196
毛利の場合、なんとか戦わせまいと吉川広家がいろいろ工作していたな。
ただ、吉川の場合、ツメが甘いというかなんというか・・・・・

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 09:00:43 ID:mYdEUvwy
毛利、島津、前田、鍋島のどれもが上杉以上の領土を残しているから、直江の交渉が上手かったなんてこた〜ない。
領土を攻め取られているのは上杉だけ。しかも、国力半分以下の伊達や最上に。
むしろ、直江のようなスタンドプレイやる奴がいない毛利のほうが、その後発展し、しまいにゃ徳川にリベンジしている。

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 09:04:34 ID:XKLFbRfY
>>197
中国大返しで静観して豊臣家に恩を売ったように、関ヶ原で徳川家に恩を売るという
吉川の作戦自体は、そう悪くないもないんだがな・・・
まあ、吉川は不憫なところも大いにあるよ。

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 12:37:03 ID:SwlkvAqM
>>198
鍋島は東軍に寝返って柳川を攻めているし、前田は母親を人質に出して、
当初から東軍に属している。また、島津は家を挙げて東西どちらかに属した
わけじゃないからな(この時当主は義久で、義弘の個人行動に近い状態)。
これらと同列に語る事はできないだろ。

また、毛利は総大将とはいえ、伊勢や大津(末次元康)で戦った程度で、
関ヶ原では全く動かず、大坂城を退去したのに所領を今までの3割程度まで
減らされたんだから、それを考えてみろ。
合戦を起こし、かつ積極的な軍事行動を展開しているんだから、それで
改易されなかっただけマシというもの。宇喜多など、西軍に付いたら基本改易だし、
佐竹に至ってはろくに動いてないのに秋田へ飛ばされてるわけで。

白石城はあっけなく落ちたとは言え、最上の所領をかなり切り取っているんだし、
一概には言えないんではないか?また、戦後庄内を攻められたのは、孤立した
別働隊の下吉忠が降伏したというのもあるだろうし。

最後の一文に至っては関係ない。

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 20:05:03 ID:67uTS19G
毛利は周防・長門の34万石だから五十歩百歩だと思うが。
「毛利の方が四万石多く残せたんだぞ」とか威張るようなことでもない。
そして、島津や鍋島はともかく前田なんてまるっきりの東軍だが。
何で前田を持ち出すのかさっぱりわからない。

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 20:07:48 ID:0biAsPJ2
表高の34万石より、その後の開墾で実高いくらになったかが重要
徳川家が800万石、伊達家が250万石、前田家が102万石、島津家は実石は40万石程度

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 20:09:27 ID:RZW5nU1D
むしろ首謀者の一人なのに改易されなかったのは奇跡的だと思うが

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 20:13:18 ID:67uTS19G
直江が戦下手なんて事はない。
わずか二週間程度で最上領を席巻し
長谷堂城と山形城を残すだけになった。
現実はゲームと違って一国取るのに数十年の自体だし、
三十万石もある最上領をたった二週間で城二つ残して切り取っただけでも立派立派。むしろかなり早い。
実際、当時の上杉と最上の力関係は武田と徳川程度だが、徳川なんて信玄相手に10年も粘ったんだしさ。

あと山形城と長谷堂城を落とせなかった件だが、
城なんてのはいかなる攻撃を受けても数ヶ月持って当たり前。
奥平はたった五百の兵で武田一万五千を開いてに長篠城を二ヶ月も持たせたし。
高橋招運は八百の兵で島津の四万の大軍に二週間ほど粘った。

ましてや山形城と長谷堂城には東軍勝利を信じた、
最上の主力が必至で防戦している以上、二週間程度では落とせないだろう。
しかも、もう少し関が原が長引いてたらこの二城もまな板の上の鯉で
遅かれ早かれ落ちてたわけだしさ。

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 21:12:16 ID:F9ViLa5z
>>195
2ちゃん的というか、どの武将のスレにも一人二人はまぁいる感じ…。
たまに寂しくなるわな。

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 21:43:48 ID:gfnOwL0G
>>205
直江と信玄はアンチが目立つね。
信玄なんて名将評価なのは当たり前なのに、ちょっと誉めると
必死に叩く奴がいる。


207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 23:01:34 ID:WI1mYWNE
戦後処理云々の前に、主家を勝ち組に付かせなかったことが痛かったな。
大谷みたいに一大名として西軍に与したなら立派なんだが
家臣だからな、結局そこだろ。

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 00:22:04 ID:KNiSbWi1
>>136
伊達とのエピソードその2、は江戸城での話だね。
戦場出会ったってのはおそらく事実ではないね。伊達の影武者か、伊達家の他の将でしょ。
直江のほうも、対伊達の合戦を指揮してんの?

白石を速攻で攻め取られていて、自身にも多少責任があろうに、どんな顔してこんな軽口をたたいたんだろう?
伊達の無反応は、あきれてたんじゃまいか?

(伊達)「???バカじゃね、こいつ???…」

そもそも、伊達って結構、幕閣や将軍とツーカーだったみたいだから、そんな椰子にケンカ売って、上杉に何の利益があるんだろう?
大藩の家老を務めるような人物ではないことが、この一事を見ても明らか

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 00:35:30 ID:Fw7QTX9J
>>208

さすがにこれは史実ではないだろ。直江が直接政宗と戦ったことはないはずだし、これは江戸城での話だから、30万石にされてから。この状況でわざわざ喧嘩売るようなまねしないだろ

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 00:36:23 ID:jPy7JdkF
>>205
えーと、最上領で快進撃に見えるのは、最上が各個撃破を避けるため、
山形城への撤収命令をだしていたから。
畑谷城にしても、義光は撤収命令を出していたが、江口五兵衛が玉砕を選んだ。
最上の防衛ラインは始めから山形−長谷堂−上山だったわけで、それを一つも崩せなかったわけだ。
特に長谷堂では、直卒なのにいいようにやられてるし。
あのまま戦っても勝てたとは言えないだろうな。

>>200
庄内を孤立させたのも、元はと言えば最上領進行に失敗したからだろう。

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 01:20:53 ID:jPy7JdkF
>>210
それから、撤退戦にしてもしかり。
退却側が不利とはいえ、兵数的には圧倒的直江有利。
にも関わらず、兼続自身は寡兵の最上勢に攻め立てられ、一時切腹を覚悟。
水原など部下の奮戦で窮地を脱する。退却戦は見事だったが、直江の手柄ではなく部下の手柄だろう。

もっとも、最上攻めの失敗を以て直江に軍事的才能が無いとまでは言わない。
この件は寧ろ、義光以下の最上勢が過小評価されているのだろう。
要所に兵を集め、他は形だけの防戦にする思い切った防衛戦略。上山と長谷堂の用兵。
直江がダメダメだったのではなく、最上がよかったということだろう。

最上への過小評価が、兵をほとんど居なくした最上領内の席巻、部下に助けられた撤退戦を
直江の功績にすることにつながっていると思うが。

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 08:25:31 ID:myi3FzZY
>>210-211
何度も言うが攻城戦とはそういうものだ。
城というのは元々、兵数的に大幅に上回る軍勢相手に戦えるように作られてる。
そんな事言ってたら五百の兵の篭る長篠城を二ヶ月も落とせなかった勝頼はどうなるんだか?

あと、あの状況の退却戦に兵力の多寡など関係ない。、
本当なら確かに退却戦は深追いは禁物で
相手が大軍なら逆に方位される可能性もあるが、
上杉軍はもはや徳川方の最上に逆襲なんて事もできないし、
最上もそれはわかりきっていたので好き勝手に攻撃しまくれたと。
それだけ。

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 08:31:20 ID:myi3FzZY
それと>>210-211は攻城戦と防戦をごっちゃにしてる。

別に対等な条件で最上が上杉を打ち破ったわけではないのだが、
城に篭って防戦したのと、
もはや関が原が終わって撤収するしかなかった、
上杉を追い立てるくらいしか出来なかったわけで、
そういうのを比較するのは意味がない。

そもそも最上は本庄繁長単独に
してやられた程度なのだが。

214 :212 213:2006/09/08(金) 08:41:06 ID:myi3FzZY
ちと、良い過ぎたが
確かに最上は相当な奮闘はしたと思うよ。
ただ>>210-211の言い方を見ると
まるで
「最上が単独で上杉を打ち破った」
「関が原の東軍勝利が無くても上杉に勝ってた」
というふうに読めてしまうのがどうかと思った。

関が原の東軍勝利が無ければ
遅かれ早かれ最上は上杉に潰されてたろう。
勿論、これは兵力の多寡の問題でもあるが。

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 08:53:36 ID:L8qlOjFN
最上攻めも関が原も直江(と石田三成)が家康に踊らされた結果だろ。
前提からして直江の評価が高まるような要素はない。

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 09:46:39 ID:KhAokWpB
>大谷みたいに一大名として西軍に与したなら立派なんだが
>家臣だからな、結局そこだろ。

結局、これに尽きると思うがな。家老としての結果責任を問われるのは仕方ない。
ただ、戦後の徳川家との交渉で米沢30万石保ったのは、誰かが言っていたけれど、
上出来の部類だと思うし、そこは直江の業績として素直に褒めてもいいと思うけどな。

217 :直江スレより転載:2006/09/08(金) 10:13:01 ID:7Vqbm7Ua
>>212
確かにな。例えば、韮山城で北条氏規は、4000くらいの兵で3万くらい
いた豊臣軍を3ヶ月近く凌いでいるわけだしな。そして、夜襲して上杉を脅かした
などの話が出てくるが、正直戦局を変えるようなものでは到底無いんだな。

>>215
家康の方が一枚上手だったとは思うが、上杉としては、ほかに選択肢があったかどうか。
会津から庄内、佐渡を押さえている上杉は前田よりも排除せにゃならん相手であるはず。
また、家康が勝つべくして勝ったみたいにいう人が居るが、決してそんな事は無い。

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 10:43:20 ID:5tXCVslv
>>209
同意。
何故いきなり伊達に?という感じ。何かよく言われる直江像みたいな
もんから物凄く遠ざかる一件。これ史実だったらホントショックだわ。

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 11:10:33 ID:WInRutzc
>>218
人格者の直江にして、反発したくなる何か不快なものを持ってるんだよ。伊達政宗という目障りな子鼠は。

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 11:11:39 ID:KhAokWpB
>>217
畿内に隣接する北陸(前田)は、上方に至る北からの路だから
軍事的にすごく重要なんだけど
大坂に距離的に近いから、ここが徳川方に落ちると豊臣家には
直接的な脅威なわけで…

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 01:18:47 ID:1vamj7rF
>>220
前田の場合、利家が死んだ直後で、利長になったから父より与し易かろうが、
上杉、直江の場合はそうもいかへんだろって話。

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 01:38:17 ID:LBRMglE2
あのエピソードだと、無反応だった伊達が人格者で、直江が不良ヤンキー家老って感じ。

徳川政権下では上杉はほとんど用無しで、かろうじて利用価値があるとすれば、伊達の押さえに使えるかも、と言ったところではないかな。
だから、考えようによっては、その残ったわずかな存在価値を必死にアピールしたのかもね。
こう考えると、お家の利害に一致する。

でも、武勇の名門上杉の家老がそんなことに汲々とするなんて、上杉ファンとしてはなんか悲しいな〜

直江っていったい何なの…

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 01:44:25 ID:P/L6U3/r
>>222
疑問だったんだが、そもそもそれってどこにある話?

エピソード載せてる本やサイトは多いんだけど、史料に
言及してる所がなくて知らないんで教えてくれると嬉しい。

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 12:32:50 ID:S+3Cr5U9
>>215
つうか石田と直江が連携してたというのはあくまで通説で計画を起こすための書簡とか
発見されてない訳で。関が原からの流れはあくまで上杉家の単独行動から始まっていると思われる。


225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 16:44:16 ID:UWi7YjoD
>>224
上杉家と石田三成の連携の計画を示す書状は米沢市上杉博物館蔵に直江兼続書状として残っているが。
正式な鑑定を受けていて間違いなく当時のモノとされている。
慶長5年8月6日付で兼続から会津にいる清野助二郎に宛てた書状なのだが当時の上杉家と三成との関係がわかる。
書状には会津に三成の使者が来ている事を知った兼続が使者が持ってきた三成の書状の返事は自分がすると指示している。
また越後の一揆の指揮は上杉家に任せる様にとの指示もしている。
書状の中には佐竹の使者が兼続のもとへ来ていた事も書かれている。
ただ、よく言われている東西から家康を挟み撃ちにするといったものだったかは不明。
今の段階では家康が会津に向けて軍を進めた後に三成が挙兵する段取りだったところまでは証明できる。



226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 17:41:44 ID:Q2J+DrY5
直江状ってどんな手紙?

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 17:44:54 ID:Ew7KoR0d
直江兼続を寵愛したのは上杉父子のいづれでありましたかの?


228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 20:01:17 ID:j30/lY3e
>>223
俺は名将言行録で読んだけど、アレは他のとこからの転載だろうからなぁ。

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 21:21:13 ID:mmIoSgNU
>それと>>210-211は攻城戦と防戦をごっちゃにしてる。

防戦とは城を活用した防御も、当然含むものだ。
進行戦とはとは巧城戦も含めて戦略を立てるもの。
その言い方すれば、真田昌幸の上田城防戦も、大したことないことになってしまう。

>別に対等な条件で最上が上杉を打ち破ったわけではないのだが、

状況的には直江有利だったが、凌いだわけだ。

>城に篭って防戦したのと、もはや関が原が終わって撤収するしかなかった、
上杉を追い立てるくらいしか出来なかったわけで、

それをやるのは守備側として当然の戦法。

>そもそも最上は本庄繁長単独にしてやられた程度なのだが。

それを言うなら十五里原は最上主力は参加してなかったわけだし、
一つの戦いで大名の全てを評価するのも意味が無いな。
白石城戦をもって伊達>上杉と言うようなもの。

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 21:44:27 ID:cnrL8ypv
>>227
謙信は俗説で実際は景勝の寵童。
米沢市のホームページには「ご学友」とか書いてあったので笑った。

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 21:47:26 ID:mmIoSgNU
失礼、>>229>>212-214ね。
それと順序が逆になったスマソ。
>何度も言うが攻城戦とはそういうものだ。
城というのは元々、兵数的に大幅に上回る軍勢相手に戦えるように作られてる。
そんな事言ってたら五百の兵の篭る長篠城を二ヶ月も落とせなかった勝頼はどうなるんだか?

えーと、ただ長谷堂を落とせなかったことを問題にしてるのではなく、
長谷堂を落とそうとしてあの手この手をやったが、ことごとく裏をかかれて痛手を
受けてたこと、城の防戦能力を削れていないことを問題にしてるんだが。
夜襲や青田がりや、武将討ち死にとか。
これを籠城戦だったから当然というのなら、昌幸の上田城防戦も当然だし、
秀忠にも戦術上の非はなかったことになるな。

>あと、あの状況の退却戦に兵力の多寡など関係ない。、
上杉軍はもはや徳川方の最上に逆襲なんて事もできないし、
最上もそれはわかりきっていたので好き勝手に攻撃しまくれたと。

最上は所々で逆襲受けてるよ?
でも、主将の直江が切腹を覚悟するほど追い込んだけどね。
でも、見事最上の追撃を食い止めた直江の部下は見事だね。

>まるで「最上が単独で上杉を打ち破った」
「関が原の東軍勝利が無くても上杉に勝ってた」
というふうに読めてしまうのがどうかと思った。

いや、実際はそうなんだよ。
山形−長谷堂−上山の防衛ラインに対して、上山進行は遁座、長谷堂では被害を受けるばかりで
城の防戦能力を削れていない。
この状況で考えれば、長谷堂を抜く前に冬になる。
あとは直江が上手いことやって長谷堂を落とせたかだが、それはたらればの世界。
見えてる状況で考えれば、直江は最上を落とせないことになる。

また、直江が最上攻めにてこずれば、伊達がどう動くかも分からなくなるし、
宇都宮からの突き上げもある。
上杉は、結構厳しい状況にあったのは分かるでしょ。
だから、速戦即決の最上攻めを目指したけど、それが遁座した時点で、上杉は結構厳しかったと思うよ。

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 22:17:03 ID:cnrL8ypv
たかだか二週間で最上ほどの勢力は滅ぼせないでしょう。
当時の上杉と最上の力関係は
武田と徳川程度だったが徳川は二週間どころではないほど粘りまくったよ。

でも時間敵余裕があれば、
最上はやはりいつまでも持たなかったと思うよ。
たらればになるが「関が原で西軍が勝ってれば」という家庭もあるし。

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 22:36:50 ID:swUSyezh
上杉も最上も互いを滅ぼすまで深入りはしないんじゃないの?
お互いに包囲網が展開されていたし。

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 22:41:51 ID:7K0CxjbE
>山形−長谷堂−上山の防衛ラインに対して、上山進行は遁座、長谷堂では被害を受けるばかりで
>城の防戦能力を削れていない。
>この状況で考えれば、長谷堂を抜く前に冬になる。
>あとは直江が上手いことやって長谷堂を落とせたかだが、それはたらればの世界。
>見えてる状況で考えれば、直江は最上を落とせないことになる。

煽りではなくて正直な質問なんだが、こういう「防戦能力を削れていない」とか、
そういうことはどの史料を見れば考えられるの?

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 00:20:07 ID:hoMd9Xsy
>>231
まず、長谷堂側にも相応の被害はでているんだよな。楯岡光直が須川方面から
奇襲をかけようとして、水原親憲に見破られて失敗していたりする。
それから、何度も繰り返すが、城攻めに際して、力攻めしてダメだったら、
持久戦に持ち込むというのは基本中の基本。そして、痛手と言うが、本村討死は
痛いとは思うが、その他は実際戦局が動くほどのものではないだろうに。

そして、徳川秀忠の上田攻撃とは状況も大分違うだろ。同列には語れないはず。
秀忠の場合は、上田攻略は目的ではないし、是が非でも上田を陥落させなきゃならない
何て事はない。押さえにある程度の兵を割いての進軍も可能だった。それにたいして
直江は長谷堂攻略は最上攻撃のための必須事項。

そして、秀忠の場合藪蛇な真似をした結果の損害という感じで、いたずらに兵を疲弊させて
しまっている。さらに、各将が功を焦っていた節もあり、大久保配下の奉行が処刑されている。
秀忠は明らかにトロい指揮をしていた。

まあ、真田昌幸も志村伊豆も優れた将であるのは確かだが。ちなみに、苅田は
城攻めの際の寄せ手の基本戦術だから、これを云々いうのはどうかな?

そして、直江の部下が凄かったんだろ?みたいな事をあんたは言っている。たしかに
水原や前田の働きは特筆すべきものがあるが、それでもその総指揮を執っているのは
直江なわけで、彼の指揮あってのものだろう。現に、直江があそこで討たれたとしたら、
前田や水原が頑張った所でダメだったはずだし。

「最上単独で勝ったようなもの」と言っているが、東軍が本戦で勝ったから、
自動的に最上が勝ち馬に乗れたようなもの。実際城側にも損害は出ているし、
西軍が勝利していたら最上の側こそ一気に窮地に陥ったわけだし。




236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 00:25:32 ID:hoMd9Xsy
>>229
だから凌いだのは結果論。一日で本戦のカタがついてしまったもんで、
結果的に凌げたということになっただけ。まあ、ラスト3行には同意だが。



237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 01:05:00 ID:8wz6Cx1f
戦闘指揮、戦略、外交のどれをとっても直江が優れている、と言うことは見つけられないな。

城攻めだからどうとかはいえないと思う。
現実に同時期の白石城は余裕で1日で落ちているわけだし。過去に伊達種宗は最上の長谷堂を余裕で落としているよ。

さらに関ヶ原の決着がなかったら、伊達が大軍で援軍を差し向けていた可能性もある。
ここで、白石城が落ちていたので、伊達は南方を心配しないで大軍を向けられることになる。
白石城を甘く見た直江の間抜けさがここで影響してくることになる。

山形の盆地のどっかで伊達の大軍と最上軍に挟撃されて、直江は命もなかった可能性が高いと思う。

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 03:01:19 ID:hoMd9Xsy
>>237
白石は城将甘糟景継が不在で、城将は登坂式部という奴で、こいつは別段優れた
将というわけでもない。さらに兵も少なく、孤立された事で士気も低い。
士気も高く、態勢も万全だった長谷堂とは比べ物に並んだろ。さらにこの城を
奪われたのは直江というよりこんな時に城を空にした甘糟と、簡単に降伏した
登坂式部の不覚だろう。

それから、過去の伊達稙宗の場合だって、関ヶ原から90年近く前だし(つまり
城郭が関ヶ原の時代よりも劣るわけだし)、迎撃した際に最上側の足並みが揃って
いなかったという(豪族の寄せ集めでしかなかった上、最上義定の到着も遅れたらしい)。
だから、この時落とせた長谷堂を落とせなかったことを理由に直江=凡将とするのは早計。
この論法で行くと、高天神を落とせなかった信玄<落とせた勝頼ってことになるが?

南方を心配しないでって、佐竹(及び相馬、岩城)の動向は不鮮明だし、そちらにも
押さえの兵を割かなければならない。また、会津には上杉景勝が、福島には本庄繁長など
がおり、それにも相応の兵を割かねばならない。
それに戦が長引けば最上も危うくなるし、佐竹やその他の動きも怪しくなる。そうなれば、
総力を挙げて進撃・・・なんてことは出来なくなるのでは?

>>237はやけに必死だなあ、べつにこちとら直江山城が神のごとき軍略家なんて
言って無いのに

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 04:08:54 ID:SauPPCJd
最上側に守る側の有利があったことは否定できないだろ。
つーか、最上程の勢力がたかだか二週間も持たずに上杉に滅ぼされる方が
よっぽどおかしい気もするが?

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 04:20:26 ID:SauPPCJd
大体、直江が二週間で最上を滅ぼせなかったから愚将という理屈なら、
村上や長野ごときにてこずった信玄とか
浅井や波多野ごときに手こずった信長はどうなるんだか。
毛利元就や秀吉も一年以上もの長期の攻城戦経験があるしなあ。
そして徳川が真田にてこずった。

何にせよ城を利用して補給や時間的な制約のある敵軍を
撃退した例は数多い。

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 05:33:00 ID:DYzq+VMS
詳しい人多そうだから質問するけど、平地に建てられた城と
山間部に建てられた城なら一般的にどちらが攻略は難しい?
他スレで議論になってた話題なのだけど。
もちろん大阪や安土レベルの大規模な城や
特殊な例を除外した一般論として。

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 06:54:36 ID:VsA6shdZ
>>241
2chにありがちな議論で、みんな自分勝手の情況を想定して話を進めるので、
お互いに話が噛み合わなくなってるのが目に見える。

俺からいわせれば平地の城のほうがどう考えてもアクセスのしやすさという一点でもって
攻略しやすいと思うが、そう言うと忍城や下妻城のような沼沢地に囲まれた城の例を出してきて、
必ずしもアクセスしやすいわけじゃないよ、なんて言われたりするからな。

まず平地にある城と山間部の城の定義をしなきゃならん。
平地のどこにあるのか、山の頂上にあるのか中腹にあるのか等々。
もちろん寄せ手の規模や装備等、守り手の規模や装備等も同じ条件で決める必要がある。
それ以外にも、守り手が水を確保できる可能性はどれくらいか?
寄せ手がそれを遮断できる可能性はどれくらいか?とか。
おっと、その前に寄せ手が自軍の城を出陣するところから議論をはじめるか、
すでに守り手の城を囲んでいるところから話をはじめるのか、ってのもあるな。
でもそういう定義をしても、例えば武蔵松山城をダレソレが攻めるといった
個別の場合に適用できないのは言うまでもないわな。
それにそういう定義化された議論じゃ現実に即しないから満足しないという奴もおるし。
まるっきり意味のない議論だと思う。

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 07:05:02 ID:SauPPCJd
なんていうか誰がやっても
二万程度の兵力で最上を二週間で攻め落とすのは無理だと思うよ。

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 07:17:02 ID:2HmdhOHp
>>238
9月15日辺りになると、奥州戦の局面は様変わりしてるよ。
もはや上杉と最上の二家の戦争ではなく、当初様子をみていた伊達家が
積極的に戦いに介入してきている。もはや上杉VS最上・伊達の全面戦争。
9月23日には伊達政景は、景勝本人が出馬してくる情報をつかみ、山形城
でその対策を最上と評議していた。ここで景勝の加勢を封じるため、煮え切らな
い態度を示していた伊達政宗が直々に出馬して政景に合流、上杉を叩く。
むろん、結城秀康と連携しての軍事行動となる。

「二十九日此月御出陣、晦日(三十日)白石御着、来月朔日(10月1日)
より伊達信夫筋へ働きたまうの事御書を賜う」(伊達治家記録)

あと二週間関ヶ原の報告が遅れていれば、上杉vs伊達、最上、結城の連合軍
との一大決戦が行われていた。長谷堂城陥落ではなく、>>237のような上杉滅亡
の可能性の方が高い情勢だった。

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 07:17:51 ID:zco9H/DP
大阪や安土みたいな近世城郭を別として、
戦国一般の中世城郭なら、一般的に山城の方が攻めづらいべ。
だからこそ、山城ばっかつくってたわけだ。


246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 07:31:05 ID:SauPPCJd
そう簡単には滅亡しないだろ。

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 08:44:13 ID:FmBFd7B2
上杉家が戦国一強かったのは当たり前
なぜなら最強の御館様と共に強敵達と常に戦闘を繰り広げてきたからだ
景勝時代に領地が30万石に大減封された後も、鉄野結束を誇った上杉家家臣は、
貧しくとも上杉家に使えることを望んだ

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 08:47:18 ID:zco9H/DP
話題が錯綜してんな




249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 08:58:36 ID:omZnsiaE
しかし、直江スレは、みんな熱心に長文書くもんだな・・
いや煽りとかじゃなく、
普段一行レスばっかりの過疎武将スレにいる住人からすると、
信じられんほどマメ

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 09:06:59 ID:SauPPCJd
なんつーか、直江スレなのにやたらアンチが多いんだよね。



251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 09:12:02 ID:SauPPCJd
しかし、出羽に56万石も貰った最上のその後の命運を見ていると
「人間塞翁が馬」が馬という言葉を思い浮かべずにはいられない。
もしも上杉が大勢力のままだったら、
上杉の監視役として最上は優遇され続けたかもしれないが、実際は10年で改易。

それに対して上杉は直系が何度か絶えたにもかかわらず、
改易はあったものの養子を貰い維新まで生き延びた。
逆に言えば上杉が巨大勢力のままなら、あっという間に
潰されてたかもしれない。

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 09:45:00 ID:RevW2U+2
>>238
> >>237はやけに必死だなあ、べつにこちとら直江山城が神のごとき軍略家なんて
> 言って無いのに

直江山城守は神以上の軍略家ですが何か?

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 10:00:46 ID:SauPPCJd
でもさあ。
上杉軍は長谷堂、植山は落とせず畑谷城も苦戦したが、
白岩・谷地・寒河江・八沼・左沢・山辺・延沢・長崎・五百川などの諸城
は落としてるんだよね。
最上の勝勢だったなんてとても言えない。

小田原征伐でも圧倒的に優勢な軍勢に抵抗したいくつかの諸城もあったように
最上の城にも二週間以上くらいは粘る城の一つや二つもあってもおかしくはない。

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 12:42:33 ID:w9mRomCm
最上との戦闘に関しては当時の人たちは徳川と豊臣の衝突が長期戦になると
思ってたからそれ向けの軍略を作っていたそうで。それがたった一日の
戦いで終わったから予定が全部狂ったのでは?


255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 23:04:55 ID:oT1yX434
>>234
>防戦能力を削れていない」とか、そういうことはどの史料を見れば考えられるの?

長谷堂の防衛能力が削られたという史料は見たことが無いから。
長谷堂の戦いを記してあるもので、長谷堂の○の丸を落としたとか、曲輪を落としたとか言うものを見たことがない。
あのまま攻めてれば落とせたと言うならば、少なくともそういうものがなきゃダメだろう。

>>235
>楯岡光直が須川方面から 奇襲をかけようとして、水原親憲に見破られて失敗していたりする。

これは記憶が曖昧でスマンが、長谷堂隊ではなく山形隊ではなかったか?
違ってたらスマソ。
それと、これ自体は守勢であった最上が逆襲しようとして失敗したということで、
これによって前に書いたように長谷堂の防衛能力が落ちたわけではない。

>何度も繰り返すが、城攻めに際して、力攻めしてダメだったら、持久戦に持ち込むというのは基本中の基本。

持久戦してたっけ?
9月29日でさえ、総攻撃に失敗して上泉他を討ち取られてたと思ったが。
それと、直江にしても速戦即決を目指したはず。伊達と宇都宮が心配だし、冬もあるし。
だから、最後まで力攻めじゃなかったっけ?
第一、直江自体が長谷堂を力攻めで落とせないので、迂回も検討してたはず。

>痛手と言うが、本村討死は痛いとは思うが、その他は実際戦局が動くほどのものではないだろうに。

木村討死は上山戦ね。
長谷堂では上泉他。
で、確かに戦局全体は動かないね。
そして、その動かない戦局というのは、直江が長谷堂を攻めあぐねてたというもので、
直江が有利に戦いを進めていたと言うものではない。
直江の用兵能力を測るうえでは、特に上泉の討ち死には大きい。

上田城防戦との比較の話はね、直江が長谷堂を攻めあぐねたことを、城攻めだったから仕方ないというのなら、
秀忠が上田城を攻めあぐねたのも、城攻めだったから仕方ないということになるね、ということ。
別に戦略目標がどこにあったかではなくて、あくまで城攻めのやり方の問題。

>ちなみに、苅田は城攻めの際の寄せ手の基本戦術だから、これを云々いうのはどうかな?

そういう意味でなくて、刈田で長谷堂城兵をおびき出して殱滅を計ったが、
志村に見破られて逆に痛手を負ったという話。

>水原や前田の働きは特筆すべきものがあるが、それでもその総指揮を執っているのは
直江なわけで、彼の指揮あってのものだろう。

これは、意味無いぞ。
水原や前田は立派だが、直江の指揮がなきゃダメだったのか?
むしろ、直江の窮地を救ったんだろ。

>東軍が本戦で勝ったから、自動的に最上が勝ち馬に乗れたようなもの。実際城側にも損害は出ているし、
えーとだから、直江は長谷堂を追い詰めていたか、それとも、
この先追い詰めることが確実に予想できる状況だったのか。
長谷堂迂回を考えてるようだと、とてもそうとは言えないだろう。

>西軍が勝利していたら最上の側こそ一気に窮地に陥ったわけだし。

西軍が勝利したら、東軍大名はみんな窮地だよ。


256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 23:13:54 ID:oT1yX434
それから、どうも2週間で最上に勝てるわけないだろ!
という意見が多いが、別に2週間で勝てなかったからダメと言ってるわけでなくて、
2週間の戦い方が、内容がイマイチだったと言っている。
2週間攻めあぐねてたのに、もっと時間たったら有利に戦いを進められるというのは変だと言っている。

2週間、有利に戦いを進めていたと言うのなら、確かにもっと時間があれば
長谷堂を落とせたという主張にも納得がいくが、そうではなかったんだし。
仮に関ケ原が続くとしても、時間は上杉には味方しないんだよ。

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 00:25:34 ID:ynoK0V+l
二週間で城の防戦能力が落ちないとしても、
そのうち落ちないとも限らないが?
極端な話し、それまで無傷でも次の攻撃で崩れないとは100%いえないわけだし。

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 00:35:10 ID:ynoK0V+l
城なんてのは落ちる時は速攻で落ちるもんだし、
逆に言えばいつまで経っても落ちないこともあるわけだが、
まるで長谷堂城が絶対鉄壁のように言うのはヘン。

>仮に関ケ原が続くとしても、時間は上杉には味方しないんだよ。

仮に関が原が10年続けば、
最低でも兵糧が尽きて長谷堂城も山形城も落ちるだろう。

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 02:39:37 ID:1tjKbsiA
直江が、軍事の面で優れているか、でしょ。
長谷堂は見込みが甘いよ。白石速攻落城も直江にも責任の一端はあるよね。

優れている面は見つからないよね。
愚将とまでいうのは?だけど、少なくとも普通、平凡だよね。
少なくとも、天下三大ナントカなどというほどのものは、軍事では見つけられないよね。

それよりも、人間性のほうにより問題があるような気がするな。
自身の失策の反省がまったく感じられないんだよね。
自分の失策のせいで減封になり、お家をクビなる人もいるのに、自身はぬけぬけと高禄を貰い続けた。
「金は汚し」などというわりに、結構欲張りだね。
自分の妻にまで3000石もの破格の給料を払わせ続けた。
失策の責任を問われるのを恐れて、権力を離れなかったのかも知れないね。
結局、死後もお家で嫌われ続けたんだよね

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 05:38:07 ID:+kgVp5de
>>259は直江への愛がないよね。

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 06:36:15 ID:ylfp4IHO
結局この人のすごさは、イケメンのために衆道相手の景勝や
自分の奥さんを完全なシンパにしてしまった一点だけにある。

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 07:10:02 ID:KCNLa839
そんな脳内設定語られても困る。

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 07:32:37 ID:VQ9jNP47
政治は得意だが軍事は得意でなく性格悪い。。
親友と栗卒じゃねーかww

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 08:18:06 ID:EGrI0UHc
>>263
典型的な東照宮史観

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 08:22:05 ID:9s0cu97f
無能だったとは全く思わないけど愛や義を全面に出すこの人には
逆に何だか嫌らしさを感じてしまう。

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 08:26:27 ID:KCNLa839
そもそも愛や義を全面に出してたっけ?

いや、愛を前面に出してはいるけどもw

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 08:39:03 ID:VQ9jNP47
>>264
俺は三成は好きだけどね。
直江はやっぱ過大評価の気がしてならん。島左近もだが。

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 08:40:32 ID:7L82QsQQ
>>264
東照宮史観と言うより実証的な近代的史観だと思うぞ。
だいたい徳川時代は直江は実力以上に評価されていたように思うが。
それに上杉家ほどの大名の家老なら、むしろ武将としてより政治家や行政官として
評価されるべきなんじゃないかね?
兼続の時代はもう、多少喧嘩に強いくらいじゃ何の自慢にもならない時代に入っていたわけだし。

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 09:30:50 ID:oLTG1QDD
最近家康厨が多くて困る

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 09:46:00 ID:9Pn1GhN7
おれもそう思う。何でなんだろうな。

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 10:04:37 ID:ynoK0V+l
このスレでは家康が全て見越していたとか全て家康に踊られてたみたいな異見が多すぎ。
家康はそこまで神様じゃないだろう。
関が原開戦も最初は渋ってたらしいが、
福島らに岐阜城落とされて催促され無理矢理、開戦せざるおえなかったようだし。
家康はもう少し準備したかったらしい。秀忠が到着しなかったのも、
真田の妨害というよりも準備不測によるものだったらしいしな。

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 11:53:12 ID:hRcGVNqC
御館の乱では、直江はどの程度関与していたの?
小説やゲームだと直江が景勝を動かした、みたいなシナリオで書かれることが多いけど……。

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 11:57:02 ID:xb5Hdrnl
>>271
同意。関ヶ原の勝利も「勝つべくして勝った」ものではなかっただろう。
家康が八つ当たりに家来の旗指物を切り落とした話など、家康はそれなりに
焦っていただろ。もし小早川が寝返らなかったり、東軍が不利になったら、
吉川もどう動くか分からないだろうし・・・・・。

>>259
米沢へ移された後も、臨時雇いの浪人は別としても基本的に上杉は暇を
出してないが。それで、石高の割りに家臣がかなり多かったらしい。で、
のちに15万石にされたときもそのままで、財政は破綻しかかっていたらしい。

で、「金は汚し」のエピも事実ではないのでは?米沢の殖産興業、領内整備を
メインで進めた直江が、金を(=経済を)軽視してたとは到底思えない。

そまた、お船の方に3千石という破格の待遇を受けていたのは単純に景勝、
定勝の信頼を受けていたことの現れだと思う。現に、定勝の養育を行ったのはお船の方というし、
お船の方が病に倒れた際に定勝は自ら見舞いに訪れ、伊勢神宮に大神楽を奉納させ病気平癒の祈願、
亡くなったら亡くなったで高野山に常灯料を出して墓石を立てている。いくら直江の後室とはいえ、
ふつうそこまでしないだろ。
「山城守相果て候とも大小の事ども後室へ相計られ候よし」という『米沢雑事記』の言葉が
全てを物語っているだろう。

それに、直江は上杉再建のために奔走しているし、本多正信とのパイプをつくって10万
石ぶんの免除を引き出している。そして、嫡子の死後も養子をもらおうと思えばできたのに、
あえて家を絶やしたのは、やはり意図的にしたことで、敗戦の責任をとってのことだろうと思う。



274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 12:05:22 ID:xb5Hdrnl
>>268
同意。直江の本領は軍事よりも政治、殖産興業、「文選」などにあると思う。

また、過大評価されているのもあると思う。これは直江に限らず、信玄や謙信など
世間一般で神の如く語られる事の多い「名将」にも言える事だと思う。ただ、その反動
として、アンチが必要以上に有能でなかった、無能だったと躍起になっている傾向も
つよい。2chでは特にその傾向がつよい。

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 13:06:54 ID:eGwfPTzF
国宝になってる史記・漢書・後漢書やら、
日本で初の銅活字である直江版あたりの、
文芸面では、謙信をも抜いて飛び抜けて戦国一に
なっちゃうと思う。



276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 13:42:09 ID:BUy/S2Ui
戦国の人間国宝・細川幽斎みたいなもんか

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 16:30:02 ID:LRWx4dEB
景勝といい、直江といい、戦い方が一辺倒で素直すぎる。
所詮、政宗と義光の敵ではない。
政宗の城攻めは、ほとんどが謀略、内応工作で篭絡させている。
白石城などはその典型で、城代が説得される形で投降してきた。
梁川城攻めも謀略をこらし、それが上手くいかなければすぐに引き上げる。

上杉は、長谷堂城も真正面から正攻法でぶつかっているから、老獪な義光の
思うつぼになっている。
「上杉」の看板だけでは勝てないということだね。 

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 20:07:42 ID:ynoK0V+l
ああ、そう言えば花の慶次で「この男戦人として優しすぎる」の意味がよくわからなかったけど、
ひょっとすると直江のバカ正直で謀略がないとこを評したのかもしれんね。
思えば閻魔大王の逸話も案外、直江のバカ正直なとこを表したものかも。

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 20:39:39 ID:ynoK0V+l
しかしなあ、伊達はともかくとして最上は結局、
嫡子殺害が遠因となってあっという間に滅亡したんだろ?
まさに義光の「策士、策に溺れる」じゃないか?

それに引き替え、真っ直ぐに真っ当に生きた上杉は
二度の減封はあったものの直江や鷹山の善政もあり、
堂々と維新まで続き、その名をアメリカ大統領にまで
聞こえさしたんじゃないの?

このスレで最上を讃え、上杉を貶めている奴は
これにどう答えるんだか?

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 22:01:47 ID:c0xBw+Tt
>>263
> 政治は得意だが軍事は得意でなく性格悪い。。

何だ、政宗と仲悪いのは単なる同属嫌悪であったかw

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 00:37:05 ID:sCC+nMok
>>279
伊達は策を廻らせて生き延び、上杉は(減封されたが)剛直だった故に生き延びれた
感がある。それに対し、最上の場合は謀略を駆使しすぎた故に結果没落している感がある。

まあ、三者とも領国を経営する手腕は非常に優れていたと思うが。

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 02:04:09 ID:HGET73Ky
直江の意見を取るか藤田信吉の意見を取るか悩ましいところだ

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 02:32:32 ID:pAYLBO90
関ヶ原の報告が遅れていたら、伊達と最上の連合と対決していただろうね。
そうなったら見ものだったね。
あるいはさらに結城が加わっていたかも。
直江の力量では、コテンパンにやられていただろう。

上杉が細々とでも残ったからいいとはいえないと思う。
弱体化して貧窮して、ごぞんじ吉良上野介に植民地化された上杉は、もう一般的に皆が知る上杉ではないよ。
武勇の上杉は、直江によって終わらせられた…

藤田が正しかったね

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 04:18:36 ID:f0bIhSM9
はいはいスゴいスゴい

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 04:19:56 ID:hPFLqodB
なんか定期的に吉良ネタ持ってくる奴いるね。
そんな問題か?植民地って言っても上野介そのものは見殺しにされてるし。。

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 04:57:12 ID:aWIvDglo
上杉の枝をおろして酒はやし 
武士はなるまい町人になれ
 
景虎も今や猫にや成りにけん 
長尾を引いて出もやらねば

綱憲も幕府の手前助けるわけにもいかず、吉良を見殺しにしても
腰抜けだと馬鹿にされ、つらいところだ・・・。
しかし、江戸の庶民って残酷というか容赦ないなw

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 10:02:39 ID:Vt7dMbK/
ねらー並みの口の悪さだw 
景虎って謙信のことで合ってるよね?

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 10:08:16 ID:CtSxrR6e
>武士はなるまい町人になれ
旗本も借金で首がまわらなくて、
町人に旗本株を売るのが続出してた。
江戸時代の武士なんてそんなもの。



289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 10:26:44 ID:Vt7dMbK/
その節は、うちの殿さまやその家臣が斬りつけたり、
討ち入ったり、吉良にも上杉家にも迷惑かけてごめんな。
気の利かない殿をフォローできなかった浅野の江戸家老が悪いんです。
許してください。

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 12:56:24 ID:sCC+nMok
>>283
なんかお前を見てると必死すぎて・・・・

ウィキペディアの西方藩の項目書いたのはお前かいw

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 18:26:58 ID:o8LGRvHd
このスレとか他のスレで直江兼続と吉良上野介に対する怒りを
ぶちまけてる奴って同一人物なんだろうね。
先祖の上杉家臣が兼続のせいで酷い目にあったとか言ってるらしいが、
そんなもん、今のお前に関係ないだろうがと言いたい。

実際は兼続も吉良もむしろ上杉を救った人物だと思うが。

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 18:38:02 ID:pAYLBO90
>>290
真の上杉ファンなんよ。
直江と吉良が嫌いってのが真の上杉ファンと思う。
ウイキペディアは知らんかった。
藤田のその後ってのを始めて知った。旗本でなく大名になったんだ。
ウイキペディアの直江っての読んでみた。
かなり贔屓目に書かれてるね。

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 19:06:20 ID:nM8X54hq
贔屓っつうか、たまに勘違いしてる奴いるけどウィキペディアは「百科事典」だから。
読み物でもまして専門書でもないし。

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 19:41:08 ID:o8LGRvHd
>>292
>真の上杉ファンなんよ。
>直江と吉良が嫌いってのが真の上杉ファンと思う。

それは君が勝手にそう思ってるだけだろう。
吉良が養子出さなければ上杉は滅びてたし、
直江は功労者であるる
あと120万石のままだったら上杉は潰されてたかもしれにない。
だから意味のないIFだ。
つーか、歴史にIFはない。

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 19:52:34 ID:Ie8nQIxR
擁護したい奴らも必死だな。
冷静に分析していこうじゃないの
確かにこの人物はよく働いた。
しかし、傲慢さ、独善性、偽善、うぬぼれ、がある。
それが、実は上杉をとんでもない方向に持っていっているのだ

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 20:26:49 ID:o8LGRvHd
>>294
アフォ?
人にはそれぞれ考え方とか好き嫌いがあるんだよ。
別に「冷静な分析」だの必要ない。
個人の好き嫌いの問題だ。

ただ「こう考えるのが真の上杉ファン」だのいう
決め付けた発想があまりに傲慢な考え方だと思うだけだ。

>>290は自分と同じ考え方以外は認められないようで、
他の人間にも自分の考え方を正しいと考えて押し付けて
考えの統一をしようとしているのが不快だ。
そんなの「上杉ファンにも尚江隙な奴もいれば嫌いな奴もいる」
でいいんじゃないの?

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 20:31:28 ID:o8LGRvHd
>>294
アフォ?
人にはそれぞれ考え方とか好き嫌いがあるんだよ。
別に「冷静な分析」だの必要ない。
個人の好き嫌いの問題だ。

ただ「こう考えるのが真の上杉ファン」だのいう
決め付けた発想があまりに傲慢な考え方だと思うだけだ。

>>290は自分と同じ考え方以外は認められないようで、
他の人間にも自分の考え方を正しいと考えて押し付けて
考えの統一をしようとしているのが不快だ。
そんなの「上杉ファンにも直江好きな奴もいれば嫌いな奴もいる」
でいいんじゃないの?
全員が自分と同じ考え方・感じ方じゃないと我慢ならないの?

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 22:07:44 ID:sCC+nMok
>>296
お前、自分に自分でレスして何が楽しい?

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 22:23:51 ID:sCC+nMok
俺もそれで良いと思う。別に好き嫌いはあるから良いと思うが、
しつこく粘着するから嫌なんだよ

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 10:14:32 ID:amflpogI
関ヶ原の際の上杉の行動は、結局最上との庄内の領土争いの延長戦だった。
「義」のために戦ったわけではない。あくまでも自家の利益、保全のためだ。
ただ、表向きは義という精神論を掲げているので、そこにしらじらしさを
感じてしまう人間もいるということ。

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 10:26:51 ID:j86rv/H+
てかそもそも「義を掲げた」て何を元に言ってるんだ?
良くある戦争のお題目以上に重んじていたようには感じないんだが。

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 10:36:27 ID:QLZSGOTf
愛は掲げてるがなw

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 10:53:51 ID:GCWDYpHh
>>294
自分は直江の事をよく知らんから評価出来んが、
>直江は功労者である
>あと120万石のままだったら上杉は潰されてたかもしれない。
>だから意味のないIFだ。
>つーか、歴史にIFはない。
この文章の意味がよく分からん。

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 11:55:11 ID:01bJKHD5
毛利、上杉等の大大名は東軍についてもいずれ潰された説だろ


305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 12:54:08 ID:HVUkv/KD
前田は100万石で残ったけどな。
あと江戸初期は、外様の池田輝政とその弟で播磨・備前・因州を与えられ
実質的に100万石越えだったから「姫路宰相100万石」と呼ばれた。
まあ池田は豊臣恩顧でも、家康の娘婿だったんで例外だけど。
それでも輝政の死後は、速攻で国替えされて要地の播磨52万石を失ってるから、
やっぱり、毛利・上杉はよほどうまく立ち回らない限り
100万石超えた石高で残るのは難しかったと思う。
ただ、両家とも、立ち回りによっては、50・60万石くらいの大大名で残る
可能性は十分あったとは思うけどな。
そう考えると前田はすごい。普通なら潰れてるだろ、あれ。

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 15:07:54 ID:KqRUk1Qa
>>305
つうか前田以外のヤシは最果ての地の島津以外潰されたり領土減らされてるから
50・60万石クラスは無理だったと思う。
前田は関が原以前から人質出して徳川に隙を見せなかったから領土を
安堵されたんだろう。

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 15:38:47 ID:mQPZCzlT
一番勝ち組だったのは、伊達家だよ
政宗の指示で治水開墾を進めたおかげで、
江戸時代には実石250万石まで増えたからな
外様筆頭、徳川家についで第二の勢力だった

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 15:47:50 ID:j86rv/H+
しかしおかげで幕末にああいうことになったのを考えると、
世の中ずっと勝ち組なんてのはありえないんだとしみじみ思うな。

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 15:48:31 ID:mQPZCzlT
栄枯盛衰だな

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 15:49:48 ID:mQPZCzlT
まあそれを考えると皇紀2600年以上の歴史を誇る天皇家は凄いよな
万世一系でよく続いたもんだ

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 16:05:54 ID:01bJKHD5
天皇ネタは厄介なので持ち込まないで欲しいな。


312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 16:34:47 ID:XPL9sfnl
確かに
面倒というか、人によってはかなり微妙な問題だしな

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 17:02:26 ID:v9yGzXMf
前田があの石高を許されたのは、地理的なのもあるんじゃないかな。
あの辺は、特に交通の要衝と言うわけではないし。
毛利は西国筋だし、上杉は東北への道筋だから、大石高は許されなかったと思う。
ただ、今の東北道を放棄して、会津5〜60万石なら可能性はあったんじゃない?


314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 17:11:07 ID:01bJKHD5
>>313
俺の現住所をバカにすんな!裏日本とは言え日本の中心近くにあんぞ!

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 17:26:51 ID:ncMhuotW
>>313
加賀を要衝とみるか僻地とみるかは、微妙かな。
江戸へはだいぶ遠いと見ると僻地。
京都に近いと見ると要衝。
個人的は、前者かな。京都への水運的にも、越前のほうが重要。




316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 17:40:12 ID:oMy0r3E9
政宗は、和賀一揆攪乱の件で刈田郡のみの加増となったが、
これがなければ、約50万石の加増は無理としても、伊達
(約7万石)、信夫(約5.5万石)、二本松(約3.5万石)
辺りの約16万石程度は、最低でも恩賞として与えねばならんわな。
また最上には最大の被害を与えているから、長井約17万石を献上。
これでもまだ90万石近くは残ってるが、家康が残り30万石をペナル
ティとして没収して、半分の60万石程度の家として残す。

問題は、上杉もすぐに頭を丸めるなりして全面恭順を示せばいいのに、
意地を張りまくって、慶長6年の4〜5月辺りまで伊達最上を敵視して、
小競り合いをしていたことが、家康の心証をさらに悪化させたんじゃないかな。



317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 17:59:31 ID:DPxwkQt3
>>294は少し卑怯な上杉ファンという印象があるな。
都合の悪い事を上杉家の外の人物の仕業にしているような気がする。
まず上杉の経済が破綻したのは吉良がたかったからというより、
家臣を減らさなかったのと30万石→15万石に収入半減したのだろう。
吉良が少々、たかったのはあったが、それは一因に過ぎず、
まるでそれが経済危機の原因の全てみたいに言われてもね。

それと直江兼続に至っては正真正銘、上杉家内部の人物じゃないか。
当時の「○○家」というのは勢力そのものをあらわす名称だしね。
江戸期のOO藩とは俗称に過ぎず正確にはOO家というんだしね。
で、直江は別にどこかから押し付けられたわけでもないんだし、
上杉家生え抜きの人物で上杉景勝が信任した人物なんだしさ。
上杉家そのものの人物を叩いてもあまり意味がない気がする。

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 18:08:29 ID:DPxwkQt3
>>307
うーん「その後の開墾・開発」という要素は
その時点での勝ち組・負け組とはあまり関係ないと思うが?
関が原でちゃんと一貫して東軍として働いてれば
表高で100万石もらえてたのをフイしたわけだしね。
それと>>110の話しもあるとおり、
領民にとっては強制買取制度は過酷な支配だったみたいだしね。

あと、その後、伊達政宗は接待のし過ぎと心労で
健康を壊したという話もある。
実際は「天下をうかがってた」どころではなく
徳川への恭順に身を砕いてたわけだ。
いや、この話しはNHKの「そして歴史は動いた」で
やってたのを見ただけだが。

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 18:22:46 ID:v9yGzXMf
>>315
そりゃもちろん、江戸にとってだよ。江戸幕府なんだから。
江戸から京に行くにしても、第一に中仙道、第二に東海道があるから、北陸街道は重要度が薄い。
もし仮に京への道が北陸街道しかないような状況なら、
北陸街道を守るよりも江戸のほうが危機に直面してるわけで。
そんなわけで、前田の位置は、大大名の存在が許せる位置だったと思う。

>>316
そう思う。
西軍につくにしても日和見とか、すぐに恭順なら会津とかで5〜60万石残せた可能性はあったかも。

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 19:16:26 ID:ZnFn2pPc
う〜ん、そもそものキッカケを作ったのが上杉だからなあ・・・・。
割と簡単に大坂を退去した毛利ですら3分の1以下に減らされるわけだし

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 19:45:51 ID:KqRUk1Qa
>>310
天皇家は政治の実権を手放したから存続したんだろう。
>>319
無理。
上杉家は謙信原理主義だから謙信がやらない事を景勝がやったら家臣がついてこない。
家中が分裂したところを家康に潰されてたと思う。


322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 20:39:49 ID:BOIZ8x1k
>西軍につくにしても日和見とか、すぐに恭順なら会津とかで5〜60万石残せた可能性はあったかも。

こんなんじゃ、上杉もその他大勢のワン・オブ・ゼン。
これしてたら、俺は今上杉ファンじゃないね。



323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 20:41:49 ID:DPxwkQt3
大体、直江兼続と上杉120万石を分離して考える事自体がナンセンスだと思う。
秀吉が大のお気に入りで高く買っている直江兼続という男が居たからこそ上杉に120万石与えたんじゃないのか?
秀吉は高く買ってる人物には割とポンと大封与えるからね。
蒲生氏郷とか丹羽長秀とか小早川隆景とか鍋島直茂とか前田利家とか徳川家康とかがそうだ。
その代わりその男が死ぬと簡単に領地取り上げるけどね。
パッとしない上杉景勝とまとまりのない家臣たちの集団体制では
上杉にそんな大封は与えないだろう。

「直江兼続が居なければ上杉は大封失わずに済んだ」なんて理屈自体が空論としか思えない。
まあ元は越後40万石だったんだし、
豊臣政権に貰った領地を豊臣政権のために戦って返上したと思えばあまり惜しくないと思うが?

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 22:48:57 ID:ARykyBrd
>>323
違うだろ、秀吉が上杉家を豊臣の柱石にするために、都合のいい直江を見つけて、大封をくれて懐柔したんだろ

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 23:28:49 ID:SuyM2dyM
大封もらって大厚遇されたのに、いざとなったら全く役に立たなかった
前田利長に比べたら景勝も直江も百倍律儀だし、正直それでよかったんでは
上杉の意地を見せて、名は残したんだから

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 23:32:27 ID:j86rv/H+
とりあえず名と実をバランス良く後世に残せたとは思うな。

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 23:35:04 ID:DPxwkQt3
>>324
そうかねえ?
どっちにしろ直江がいなければ、あれだけの厚遇はうけなかったと思う。

なんにせよアンチの理屈は
都合の良い部分だけ切り貼りして繋ぎ合わせ上杉に良い話として、
直江や吉良に都合の悪い部分だけ押し付けてるようにしか思えない。

直江がいなければ120万石にはなってないだろうし、
吉良が自分の嫡子を養子出さなければ上杉は取り潰されてたし。

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 23:39:00 ID:DPxwkQt3
そうなんだよね。
前田家なんてヘタレのイメージは
今の世まで伝わってるし。
前田利長以降の卑屈な徳川屈従政策は
実はかなり取れたけど、名の方は最低だな。

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 23:54:02 ID:v9yGzXMf
いや、前田に名が無いというのはかなり言いすぎだな。
戦国オタならいざしらず、一般的にはどっちもどっち。
人を引き付ける魅力としては、残念ながら金沢>米沢だし、戦国オタに人気高いと言っても、
その人気のもとは直江がどうこうより、謙信とその家臣団にあるわけだし。
残念ながら、景勝と直江だけではそんなに人気はあがらないだろう。

どうも、ここの直江好きは何でもかんでも直江擁護になればそれでいいという感じがする。
直江擁護の価値基準がブレすぎ。

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 00:17:07 ID:lgLIur7B
上杉は、庄内や佐渡も領地化していたから実質100万石近かった。
会津移動で、増封になって美味しい思いをしたのは直江だけ。
家老おだてて懐柔するのは秀吉の得意技なんだよ。
直江に加えて、徳川の石川数正、毛利の吉川なんかが懐柔されて主家を売ったバカたちだ。
俗に、天下三大バカ家老と言う

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 00:41:41 ID:xFNxemK+
その三人を天下三大バカ家老とするソースきぼんぬ

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 00:51:58 ID:cVARx9B9
吉川広家がなんで入っているかがわからん。そもそも吉川は
家康に通じて毛利の生き残りを画策したものの、ツメが甘く
転けた。秀吉に懐柔されたとか分け分からん事を抜かすな。

石川数正の場合は、対秀吉の対応に苦慮した末に家中で孤立し、
内通疑惑などが持ち上がり白眼視されるようになり、徳川にいられなく
なってしまったという側面が大きい。懐柔されたというよりも、離間策に
かかってしまったという感じ。

会津へ国替えになったのに直江はあまり関係ない気がする。米沢30万石の話だって
実際は6万石程度らしいし。それに、基本的に家中の連中の禄高は上がっているからなあ。
なんか論になっていない気がする。

>>330を筆頭にアンチも擁護派もなんかギスギスしているし、必死さを感じる。



333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 01:22:03 ID:xFNxemK+
自称真の上杉ファン(直江は秀吉に懐柔されて主家を関ヶ原で負け組にさせたバカ家老と主張。
やたら吉良ネタを持ち出す。レス例>>27、74、104、283、292、330など)が自説を繰り返すから
みないい加減にウザくなってんじゃね?

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 01:25:17 ID:+7fkRVR6
関ヶ原の戦いって吉川広家のオナニ-ショ-でしょ(笑)阿呆だよ広家は

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 02:47:49 ID:PGOv53G4
>>330
吉川は親父の元春の代から、毛利家の中では豊臣嫌いの家なんだが。
秀吉が優遇したのは小早川隆景と秀包で、吉川はやや冷遇された。
しかし、別に関ヶ原の裏切りの土壇場まで親徳川だったわけでもない。
当時、毛利家の中で東軍へ内応を一番疑われていたのは毛利秀元だった。
吉川広家は、内応の仲介をすべて黒田長政を通して行っているように
徳川家とのコネクション自体が薄かったくらい。
黒田家は豊臣政権下で毛利家担当の外交係で、昔から吉川家と最も仲の
よかった家だから、長政を頼ったのも正しい判断。
関ヶ原では、小早川隆景が秀吉の中国大返しで恩を高く売って所領安堵
されたやり方を目指して、結果的にこけた感じ。
狙い自体はそう悪くない。時間があまりにもなくて(徳川の使者と作戦
について直接話したのは関ヶ原前日)家康の言質が取れなかったのが
甘かっただけ。

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 04:00:49 ID:hKoTMlhN
>上杉は、庄内や佐渡も領地化していたから実質100万石近かった。

無理ありすぎるぞ

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 04:25:56 ID:xFNxemK+
行政能力:かなり高いと言っていい。(一部アンチは誰でも出来ると主張するが)
軍事能力:微妙。議論アリ。
政治・外交感覚:微妙。議論アリ。西軍についたことで叩かれるが、結果論でいくなら
徳川とそれについていった大名以外は先見性ナシってことになっちゃうからなぁ。
信長だって家臣に背かれる程度の男ってことになりかねん。

ところで人格はどうなんだろう?伊達との絡みを見ていると割と厨っぽいのだが。
三成タイプの良く言えば剛直悪く言えば傲慢・偏狭って感じなのかね。

      

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 06:44:16 ID:hKoTMlhN
>>332
どうかねえ。
秀吉が最も信頼した家臣の蒲生氏郷の後釜という事で、
かなりのお気に入りの直江がいる上杉をあてたと思うぞ。
あと、直江自身の石高というより尚江が取り仕切る上杉家というのが
大事なんだと思うが。

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 07:22:30 ID:hKoTMlhN
どっちにしろ転封を受けなければ
織田信雄と同じ運命・・・・

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 07:53:41 ID:NsNSi0bS
名を捨て実を得た>前田
名も実も失った>毛利
名をとり、実を失った>上杉
名も実も得た>島津

島津は遠方だから云々という意見があるが、武力征伐の危険に
最大限さらされていた。黒田、加藤をはじめとする九州勢は
島津侵攻計画を練っていたが、家康に最終決断を躊躇させる
何かがあったということだろう。気の狂ったような撤退戦、
井伊直正の致命傷を、その目で一部始終をみていたし。
外交的な勝利者は、島津だった。



341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 08:49:23 ID:hKoTMlhN
>>340
ただ、それが島津義久の老獪な外交手腕というよりは
単に状況や運が重なってものだと思われ。
島津義久は関が原以前から実現不可能な中立主義を強硬に主張し
関が原後も徳川の船を焼いたり、かたくなに上洛命令を拒否したりで、
結局は島津忠恒が独断で上洛して島津家を救った。
義久はそんな忠恒を「親不孝の極み」と罵った。
どうやら中立主義を貫けると思いこんでて徳川の臣下とかは思考の外だったらしい。

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 08:55:28 ID:hKoTMlhN
それに福島正則の伊奈事件で
正則の無茶な要求に屈さざるやおえなかったように
関が原戦後は家康と言えど万能ではなかったと思われ。
やはり状況とか時間的制約とか一杯あったろう。
島津攻めも遠すぎ精強な島津の本拠に攻め込みがたく
討伐軍が負けたりしたら厄介なので、
ここは徳川の天下のために穏便に収めておこうと思ったんだろうね。

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 09:24:11 ID:sq2368/z
実は地味に名実(の総和)とってるのは真田のような気がする。

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 09:29:31 ID:9QtN9CXH
越後は石高以上に豊かな地だったよ

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 09:32:39 ID:JnI5SWij
蜂須賀家政も、ものすごく頭のいい方法で豊臣家に義理を立て、
名も家も守ったんで褒めてあげて。

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 10:10:30 ID:IwpCcjJd
豊臣5大老

徳川家康   → 天下人
前田利家   → 加賀百万国
宇喜多秀家  → 滅亡
毛利輝元   → 30万国
小早川隆景  → 断絶
上杉景勝   → 30万国

 こうみると、上杉はそう悪いほうじゃないと思う。良くもないけど。


347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 10:20:22 ID:07vbO7sX
石だ。そんなに国の数はない。

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 19:27:32 ID:4TIhtZWQ
島津は辺境すぎて毛利や上杉に比べて戦略的価値が紙くず同然だったからお目こぼし
されただけ

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 23:07:41 ID:bXVlMINi
外様の勝ち組は、伊達と前田だよ
島津は実石高は40万石程度しかないのに参勤交代は鬼のように大変だぞ

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 07:01:49 ID:voWTviyN
そうそう普通は実高は表高よりはるかに高いのが普通なのに
島津だけは特別で実高は表高の2/3程度、
しかもいろんな建築や土木工事を命じられたり、
遠くて大人数の参勤交代をしたりで大変。

まあ、島津家や上級武士はそれでもよかったが、
農民や中下級武士は大変。
西郷や大久保が農作してたように中下級武士にも農役があった。

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 12:06:27 ID:AA6C8EGS
にもかかわらず島津が幕末雄藩になれたのは
やっぱり、琉球(中国貿易)・奄美(砂糖)を持ってたからか?
一種の藩内経済植民地があったっていうか

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 12:39:47 ID:2eMiqltJ
「義ーぎー」などと鳴くのなら、いっそ豊臣政権などという不義なものに加担してはいけません!

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 13:01:03 ID:TF5MNCg3
一説には島津氏は、秦の始皇帝の一族が朝鮮半島に落ち延び、
その後平安時代になって日本に渡来してきたときの子孫だそうだ
鎌倉時代以来の名門だったので官位や領地を認められたというのが公式見解

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 13:52:39 ID:fhi4+FEc
>>353
初耳だなあ。島津は惟宗氏の系統で、初代忠久が頼朝の落胤であると自称した
ってのは聞いた事あるが

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 15:18:17 ID:7fgo7SW3
上杉家の会津移封は、単に家康対策では
他にやり合える人物がいなかったというか
しかし、転封二年目の合戦は早すぎた…

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 16:49:10 ID:/bmBmYHP
伊達対策でしょ

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 17:04:16 ID:w8wOe+b1
まあ、いくら義を掲げても人身売買がホントだとするとな・・・

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 18:32:20 ID:NKCZ5fdj
>>356
ワロタwなぜ伊達ごときに?

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 18:55:52 ID:epbnn6VG
>>358
 秀吉の腹は伊達対策に決まってるだろ。会津は伊達の旧領で、
 火薬庫みたいな場所だ。景勝にとっては迷惑な話だったが。
 会津が伊達の脅威にさらされているのは上杉自身、認めている。

 「蓋し福島、梁川は伊達政宗を押える枢要の地たるに依而本庄、須田両豪家、
 其撰に当るものか」(「上杉文書」)

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 19:11:26 ID:voWTviyN
前任者の蒲生氏郷はありとあらゆる点で政宗を凌駕し彼は手も足も出なかったのだが?

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 19:21:20 ID:2bx5qZmT
義っていうのは単に大義名分じゃないの?
御館の乱以降のガタガタな内部を纏めて、景勝の正統性を主張するために
謙信公のカリスマを利用したに過ぎないと思うのだが。
俺も兼続は性格悪そうな人だと思うんだが、
かといって義だ何だとその辺で嫌悪感を抱くのには違和感がある。

>>351
調所広郷の改革の成果。
その過程で奄美琉球の搾取や密貿易の拡大もしているが、借金対策も大きい。
調所の前にも蘭癖大名重豪が幕府への影響力を拡大していたが、
そのために財政を逼迫してとんでもないことになっていた。

>>354
惟宗氏は秦(はた)氏の一族。
似たようなのに後漢霊帝の子孫を名乗った坂上氏なんてのもいる。

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 19:34:06 ID:wkWCUzUY
>>359
秀吉の時代すらも伊達中心の妄想かよ、幸せなやつだ

363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 19:44:35 ID:NAOSCXZP
>>361
義ーだの「謙信公に采配を任された」だの言って、家中で権力を拡大していったんだろう。
あと、景勝の寵愛と秀吉の都合だろう

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 19:45:29 ID:nP1NoPxC
伊達対策じゃなくて、
上杉を本拠地からずらして弱体化させるのが本音だろ。
家康の関東移封とか。


365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 19:47:24 ID:F4l1yF2O
兼続がかかげたのは「愛」だったとおもたが

366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 19:47:33 ID:m6MWQ6Jb
>>363
だろう、だろう、て想像かよ。

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 19:59:23 ID:7UJ/QArb
そもそも会津を伊達が治めていた期間って少ないだろう。

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 20:19:20 ID:voWTviyN
ていうか、長州と薩摩が幕末に活躍したのは
経済的に改革があったからではなく、
単に商人からの膨大な借金を踏み倒したからだろ。
それに尽きる。

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 20:33:13 ID:6Z096M6V
>>363
義ー義ーなんて言ってるのは無双の中の兼続だけですから。
ゲームと現実を混同して想像の中の兼続像を勝手に作らんように。
漢籍、儒教に造詣が深かったとはいえ、ね。

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 21:00:43 ID:VbRbt9fP
会津領主の任務って、徳川の上洛阻止と伊達・最上の監視では
蒲生・佐竹・上杉の三者体制で抑え込むのが理想的だったような
氏郷が欠けたのが痛すぎる…

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 21:02:16 ID:voWTviyN
伊達の実質200万石って例の余剰品買い上げの悪政も
含めての話じゃないのか?
領民から二束三文で物資を買いあさるあれね。

独り言なんだが、このスレ読んでると
正義とか悪とか立場によってガラリと変わるもんなんだとわかる。
幕末の薩摩・長州の借金踏み倒しも
薩摩・長州のファンには痛快な話なんだろうが。
債権者の商人にとっては地獄のように理不尽な話しだからね。

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 01:28:59 ID:yiEUhavE
>>365
「義」が家中で飽きられて、次は「愛」にしたんじゃね。でも、景勝に見捨てられた。
そのまんま逝ってたら、次は「何」を掲げるつもりだったんだか?

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 02:12:00 ID:o/RQ+dxG
なんだかまた荒れて来たなwだから>>372は落ち着け。義ー義ー言ってるのは
ゲームの中だけ。「愛」も愛染明王の「愛」らしいが・・・

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 02:21:58 ID:eI+FjK5N
>>371
伊達藩は固定相場で買い取ってたからな

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 04:10:47 ID:h/bC5FRW
上杉は、病的なほどに伊達政宗の影に気を遣いを警戒していたことが、
上杉史年表からも伺えるな。景勝が会津に移封したのは、慶長3年の
3月のことだが、何とその月に、伊達政宗が攻めてきて、それを撃退し、
3月29日に兼続が諸将にに感状を与えたとある。
この頃、伊達政宗は京の伏見屋敷に在住して、秀吉らと有名な醍醐の花見
などに列席している。幻覚を見たのだろうが、伊達勢が何かちょっとした
動きを見せると、政宗本人が攻めてきたと、たびたび記されているのをみると
気の毒としかいいようがない。
すべては氏郷の死が引き起こしたことではあるが。

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 04:39:11 ID:4YgabpCk
関東の要衝への転封直後で、隣国に全く信用ならない山犬のような
伊達がいるんだから過剰になってもしかたあるまい。

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 09:57:43 ID:pQR+kDBG
関東?


378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 10:11:51 ID:XUQl4NpN
>>364
まぁ、それが本音だろうて。
もちろん隣接する大名への牽制とか新しい領地を治めるだけの器量とかも当然理由としてあるだろうが。
将来豊臣家を脅かす勢力になりそうな大名を出来るだけ大坂から遠ざける。
新しい領地へ移るとなれば莫大な大金を使う事になる。
領内を治めきれなかったら佐々成政と同様に切腹させて責任を取らせる。
どういう形に転んでも豊臣家がおいしい思いをする様に出来てんのな。

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 10:21:39 ID:qJZFvIVp
>どういう形に転んでも豊臣家がおいしい思いをする様に出来てんのな
太閤が天下人なんだから、そりゃそうだ

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 12:36:41 ID:GhLrK+q2
結局、義で部下を律しなかった秀吉が悪いと思う。
利に釣られた松田の裏切りを許したのもおかしいし

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 12:53:08 ID:0nWEc25E
秀吉は諸侯も部下も利で釣ったから、あれだけ早くスムーズに
天下統一できた面も大きいから、難しいところではあるな。


382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 12:54:20 ID:/1nXa+np

この矛盾に満ちた不思議な人への不思議な人気。強弁擁護する人達…

要するに、オマイら伊達コンプレックスか。なるほど…

確かに伊達と比べると何一つ勝っているところが…

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 13:03:03 ID:LeusHrzd
>>382
伊達厨よ、日本語でおk

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 13:27:23 ID:GhLrK+q2
義無き山犬に兼続が負ける要素は無い
長谷堂でも伊達は兼続に撃退されたし

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 13:42:46 ID:LeusHrzd
>この矛盾に満ちた不思議な人への不思議な人気
昔、上杉家も直江も嫌いだったんだけど(何というかこの人態度でかいし)
この頃その矛盾に満ちたあたりがかえって面白いと思うようになった。

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 14:15:56 ID:xbwYYD2P
以前、NHKで、毛利家減封後の復活みたいな番組やっていた。
毛利は、小早川隆景と吉川元春の両川なきあと、凡人ばかりになっていた。
しかし、凡人ばかりだからこそ、凡人輝元を中心に団結し、開墾や殖産興業に励み、
士風も保たれ、豊かな藩になっていく。というもので、いい番組だった。

直江という、政治も軍事も外交も任された、特大家老の長期政権ってのが、果たして上杉にホントによかったのかどうか。
まあ、こればかりは直江本人に非があるわけではないけど。景勝と秀吉の責任かな

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 17:01:37 ID:03Om5swp
またぎーぎー始まった。

>>384
長谷堂で撃退されたのは伊達じゃなくて直江だろーがw

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 17:22:00 ID:WAjY4koB
>>384
>長谷堂でも伊達は兼続に撃退されたし

 そりゃ、掃討・追撃戦のことだろ。撃退されたのは上杉。最上に援軍として派遣されていた
 伊達政景の軍は、関ヶ原の敗報を聞き、米沢へ遁走する兼続を、最上と一緒に叩いている。
 兼続は営舎を焼き、転がるように逃げ帰っている。
 ちなみに、政宗は、この勝利の様子を家康の側近井伊直政へ報告している。


389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 17:40:17 ID:hJd0pZqO
いい加減空気読んで
伊達厨は、腐るほどある伊達スレへ帰ればいいのに
粘着も自演もいい加減にすればいいのに

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:06:15 ID:FnPfldfd
>>388
>  ちなみに、政宗は、この勝利の様子を家康の側近井伊直政へ報告している。

当時の武将が書いた書状が真実を語ってるわけじゃないことは知ってるよね?
そう。これもいわゆる「大本営発表」ってやつさ。実際には勝っちゃいないのさ。

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:20:13 ID:GhLrK+q2
無双の話をしてるんだと思ってた。違ったの?w

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:28:40 ID:WAjY4koB
>>390
 劣勢著しい上杉が伊達を「撃退」したとはとお世辞にも言えない、とレスしたまでのこと。
 反論があれば「撃退」? した、のそのソースを示すのが先だろ。
 長谷堂城では兼続が十日以上包囲しても、義光は動じていないし、上山で上杉が大敗したことも事実。
 兼続の指揮に疑問を呈した上泉泰綱は、その進言を聞き入れられず、里見に攻められ、戦死してもいる。
 直江が、戦術家としても失敗を犯した事実は変わりはないよ。
 

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 19:53:37 ID:A3k/xO3y
何度も話がループしているなあ。
十日で落ちる城ってどんな城?
きちんと守りが固められた城が十日程度で落ちるわけ無いと思うけど。

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 20:10:53 ID:03Om5swp
また、城が簡単に落ちるわけ無い、か。
何度も攻撃失敗して攻めあぐんだのは、時間が無かったとは別だろ。

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 20:24:01 ID:k+f2hnOZ
>>393
上杉方の白石城。
千人近い兵力に守られていて、たった2日で落ちたよ。

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 00:44:39 ID:P3PliyDg
南原の小説では関ヶ原後も挙兵の機を窺っている様に書かれてて
どうせ断念するんだろと思ってたら家康死後マジで挙兵して
幕軍と戦い出したからびびった

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 01:31:49 ID:W+dOI3Sr
>>392
上泉泰綱かわいそう。(つД`;)
白石の甘糟は、直江のヘタレ指揮に対する仕事ボイコットでしょ

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 02:31:17 ID:D9s9r47A
>>395
本文くらい読もうね。「きちんと守りが固められた城」でしょ?志村伊豆の籠る長谷堂と、
城主不在で、いるのはヘタレ(としか思えない)登坂だけの白石とは比較できまいて。

>>397
本当にお前いろんなとこに出てくるな。甘糟は白石城を守っていたが、会津にいた
奥方が亡くなったそうで、白石を空にしていたらしい。そこを攻められて落ちたらしい。
やはりこの不手際に上杉景勝は激怒したらしく、直江がかろうじて取りなしたらしい。
ちなみに、甘糟自体は徹底抗戦を主張したらしいな。


399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 03:18:11 ID:rdPXLJc6
>>395
うーん、でもその「白石城はきちんと守りを固められなかった城」という解釈はおかしくないか?
城主(代行)がへたれだからきちんと守られたうちに入らない、といっているわけでしょ?
城代も含めて城の防御能力=大名、武将の実力なんだから。

城主不在でそれこそ名も伝わらない城代が大軍相手に城を守りきった例など幾らでもある。
「登坂がへたれだから、白石城は落城のうちにカウントしないっ!」ていうのは、
上杉びいきの俺から見てもみっともない意見だ。
奇襲を受けたといっても白石城は十分な兵力を残していたはずだし、
そもそも奇襲を受ける受けない、城代を選ぶ時点で
すでのそこに大名、武将の器量、城の防御力、すべての能力が試される。
極論すれば、「登坂を城代に選んだ甘糟、甘糟を城主に選んだ景勝の責任」だ。
そこに目をつぶっては、この手の議論なんか何の意味もない。

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 08:27:40 ID:dJ+kVHhH
>>48の文章読んでて改めて思ったんだが、本当に「真の上杉ファン」ってイタイ奴だと思う。

なんつーか「綱憲の悪政があったおかげで後の上杉鷹山の功績が輝くわけだが」とか言ってるが、
都合の悪い事は外部の人間(つまり綱憲や吉良)に押し付けるくせに
綱憲と同じく他家から養子に来た鷹山は「上杉家の誇り」みたいな言い方している。
せめて、どっちかに統一して欲しいもんだ。

別に上杉鷹山は上杉家の血もたいして引いてないし、10歳で養子入りしたので
上杉の者に先見の明があったとは思えない。
そのうえ「上杉鷹山が上杉家家風の元、改革を行った」なんておせじにもいえないだろ?
なんせ七家騒動を見ればわかるとおり、上杉鷹山が生涯を通じて戦った相手は
まさに「上杉家そのもの」だ。別に外部の連中と戦ったわけではない。
鷹山は借金まみれの藩政を立て直すために上杉家の本流たる保守派の連中と激しく争い続けて改革をなしとげた。
上杉家があれだけ借金まみれになったのも、武士を減らさなかった事や
直江以来さして改革をしなかったことが主因で吉良や綱憲のせいで少々膨らんだ借金など副次的なものでしかないだろう。

それなのに「上杉家の英君、鷹山公の改革により直江や吉良のせいでガタガタになって藩政が立て直された」
みたいな意識になってるのはイタすぎる。

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 09:51:18 ID:T9yf9HEe
寄せ手に白石宗直がいたら、城兵もやりづらそうだな
あっちは、八幡太郎義家以来の御当主様だから
転封直後に即実戦ってのが、そもそも無茶だわ

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 10:58:13 ID:nMYh4TUm
>>400
おまい、なんか勘違いしてないか?
>>48の書き込みは当時の米沢領民の気持ちを代弁してるだけじゃないか
個人の感情的な表現じゃなくて
そういった史料は今でも米沢に残ってるぞ
史料が信用できないなら直に米沢市民に聞いてみれば?
米沢市民の大半が上杉家の家臣や上杉家に仕えていた商人とかの末裔だから


403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 11:11:04 ID:rdPXLJc6
>>402

たとえ>>48が当時の米沢領民の声というか感情を代弁しているものだったとしても、
史実を考えていけば、上杉の困窮は上杉自身が生み出したもので、
鷹山は外から来た改革者であることには変わりがない。

なんというか、他県から集めて入学させた選手で甲子園に行った地元高校を
さすがオラの地元!!と大騒ぎする市民のような気持ち悪さがある。

404 :400:2006/09/18(月) 11:11:07 ID:dJ+kVHhH
>>402
ふーん、そうなの?
それがもしも史実だとしたら、あんまり失礼な事は言いたくないが、
米沢の人たち自身がイタイと言わざるやおえない。
自分たちでしっかりこさえた借金を全て吉良や綱憲に責任転嫁する癖に
自分たちが執拗に抵抗した鷹山の改革を「我らが鷹山公と共に成し遂げた」みたいな思考になってるという事か。

まあ確かに人間なんてものはそんなものだけどね。
都合の悪い事は外部の特定の人間に押し付け。都合の良い事は自分たちが成し遂げた。
みたいになるのは確かに普通って言えば普通だ。

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 11:25:19 ID:6oeyWng8
萩の乱やら西南戦争で明治政府に反乱起こした
薩摩・長州も完全にスルーしてるから、どこでも一緒だべ。
ザルツブルグもモーツァルト解雇して追放したのに、
モーツァルト生誕の地ということで、観光客呼びまくり。



406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 12:02:55 ID:nMYh4TUm
>>403-404
いくら鷹山公が名君とはいえ一人では改革はできんよ
多くの領民が賛同し協力してくれたからこそ改革が成功したんじゃないのか
鷹山公が普通の藩主と違ったのは自らも倹約したからでしょ
鷹山公以前の藩主も倹約令を出したりはしていたけど自らは倹約していなかったから領民はついていかなかっただけで
鷹山公の二代前の藩主宗房公は結構頑張っていたけど運悪く早世しちまったが
養蚕業を広めたのは表向きは鷹山公の功績だけど実質は側室のお豊の方の力だし
鷹山公の功績というのは米沢領民のやる気を引き出した点だとおもう


407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 13:38:34 ID:rdPXLJc6
>>406
そのやる気を引き出すだけの人材すら自前で生み出せなかったのは、どこの土地かね?
やる気を引き出すトップと言うのがいかに難しいか、
そういうトップがいれば、後の人間はどんなものでもなんとかなるというのが日本人の習性。
鷹山以前に上杉が自前で改革をしていて、その路線に乗っただけなら
そういう主張をしてもいいが鷹山の改革を見る限り、よそから鷹山が来なければ
何も変わらなかった、というのが米沢藩のクオリティだったことは間違いない。


408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 13:45:22 ID:D9s9r47A
ちなみに、七家騒動を起こした連中って、
須田・芋川・色部・千坂・長尾・清野・平林って、いずれも家老クラスの
重臣ばかりだな。

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 16:33:28 ID:ulaUoMbR
>>407
この時期は米沢藩だけが財政苦だったわけじゃない。
米沢藩がトップクラスの貧乏藩だったのは間違いないが何処の藩も苦労してんだよ。
鷹山来なかったら米沢藩は変わらなかったって?
そうかもしれんが現実には変わってるわけだ。
領民の考えや意識が変わっただけでも凄い事だぞ。人間年齢を重ねれば重ねる程己の意識や考えを変え様としない。

>>408
七人の重臣の反乱だから七家騒動。
ちなみに切腹させられた芋川家と須田家は二年後に許されている。
七家騒動の首謀者藁科立沢は斬首になったが息子の立遠は鷹山に養蚕業を薦めた人物でその功績により御記録所勤めに取り立てられる。
NHKその時が歴史が動いたでも放送されたが鷹山35歳までの改革は失敗している。
漆・桑・楮の三百万本の植樹は未達に終わり漆を原料にして作られた蝋燭も全く売れず。
重臣にイエスマンばかり起用したせいで竹俣当綱の不正の発見が遅れ、とどめは天明の大飢饉。改革失敗の責任を取る形で藩主の座を降りた。
10代藩主冶広時代の改革は鷹山の改革とは違った方向の改革をしたが領民はついて来なかった。
領民からは鷹山時代の改革に戻せとの声が多く上がって再び鷹山が表舞台に登場した。





410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 17:50:00 ID:rdPXLJc6
>>409
いいかげん、あきらめろ。
君の言っていることをどんなに積み上げても、米沢の人間=上杉がすごいという理由にはならない。
借金背負ったダメ人間が、いい弁護士とであって、借金をゼロ近くにまで返済した。
このダメ人間は、普通に貯蓄した人間よりも有能だろうか?
ちなみにそのダメ人間の人生(藩の一生)のうち、上手くいったのは、その弁護士と二人三脚であゆんだ
ほんの一時期だけだったとする。
すごかったのはダメ人間? 弁護士?

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 18:43:13 ID:dJ+kVHhH
うーん郷土に誇りを持つのは多いに結構だと思うが、
ただそれが
都合の悪い事は一部の特定人物に押し付け
都合の良い事は自分たちの努力とかいう
偏った発想になってるのが感心できないだけ。

なんつーか「お前のせいじゃなくて♪ お前のおかげ♪」とか
いう歌詞の歌があるけど、もっと人間、功罪両面で見ないとね。
養子を出してくれた吉良や米沢藩の礎を作った直江にもっと感謝しても良いと思うんだが。

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 20:11:58 ID:3Esnrqtu
仙台藩主伊達政宗公も米沢出身であらせられるぜよ。


413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 06:49:41 ID:B/NXct9G
今じゃ日本自体が800兆円も負債抱えてるのに
改革しようとしても官僚やら族議員やら地方自治体やらに抵抗されて全然うまく行かないね。
良い意味での独裁がないと改革はうまく行かないんだろう。
長州や薩摩みたいに借金踏み倒すわけにもいかんしね。

かなりスレ違いな雑感でした。

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 06:47:35 ID:Tk5p70sF
米沢の人間はおらが自慢でウザい、病的な上杉信奉&よそ者叩きでキモいという話は、
ただの田舎たたきだと思っていたけど、ここを見るとあながち間違っていないかもしれない。

よいことは俺らの為したこと
わるいことはよそ者が持ち込んだこと

事実はまるで逆なのに。

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 08:41:02 ID:Ce80QaOC
『直江山城は無邪気で、そして痛快だった。
 彼は楽天的なエゴイストで、時代や流行から超然とした耽溺派であった。
 この男は時代や流行に投じる媚がなかったが、時代の流れから投影される理想もなかった。
 彼は通俗の型を徹底的に軽蔑し、通俗を怖れる理由を持たない代りに、
 ひとりよがりで、三成すらも自分の趣味の道具のひとつに考えているばかりであった。
 家康も直江山城を怖れなかった。怖れる理由を知らなかった。
 直江山城も家康を嫌っていたが、それはちょっと嫌いなだけで、実は好きなのかも知れなかった。』
 (坂口安吾「二流の人」)

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 09:01:55 ID:Ce80QaOC
1947年発表の古い歴史小説で、直江は脇役だけど(主人公は黒田孝高)
今読んでも人物造型が新鮮で面白かった。家康も秀吉も黒田も直江も
みんなキャラが立ってて魅力的でした(伊達政宗がイマイチなのもイイ!)
坂口安吾は新潟出身だけど、ひとひねりある上杉ファンという感じで
なかなか魅力的でしかもうがった直江や上杉家の描き方をしています。
安吾には「直江山城守」という短編もある。

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 09:18:54 ID:TW7aTLFu
>>414
世間知らずだな
どこでも郷土ゆかりの武将は祭り上げられてるわ
それが当時地元民が見限った武将でもな

418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 09:27:52 ID:r/UmDa21
坂口安吾好きな人は大抵エキセントリックな直江が好きだよね。

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 09:42:00 ID:E++2pBxz
たぶん坂口安吾は「治家記録」読んでないだろう。朝鮮の役で、政宗が諸大名の
中で最も外征に積極的で、秀吉をけしかけた、なんて平気で嘘を書いている。
伊達政宗にコンプレックスもっていたとしか思えない。
あまりにも適当極まりない政宗像なので、宮城県民から総すかんを食らっている。
本人も気にしたらしく、牡鹿半島へ旅行したときは、子供から石までぶつけられ、
ガキ相手に睨み返した等、被害妄想的に書いているのが微笑ましかったな。

420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 09:49:46 ID:jUFfl9fK
文学作品にマジで怒るとは、伊達のお膝元はいくらなんでも心が狭すぎるw
歴史家じゃなくて小説なのに。

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 09:58:29 ID:r/UmDa21
ていうかそういえば、415は何でいきなり「俺の好きな小説」を語り始めてるんだ?

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 10:02:18 ID:8rXmuc2t
>伊達政宗にコンプレックスもっていたとしか思えない
アホか
単に小説家として、伊達政宗に人間類型としての魅力を感じなかっただけで、
コンプレックスも何も関係あるか
安吾は、大して伊達政宗に関心も興味もなく、単に当時の一般的な政宗像に
まんま則って書いただけだろうに 
主人公ですらないチョイ役まで、いちいち史料に当たって書けるか
伊達厨は、どうしてこう都合よく誇大妄想的になれるのか理解できん

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 10:06:15 ID:r/UmDa21
小説系の板、スレならその通りだが、戦国板の通常スレに書き込めば
史料当たってない、史実と違う、とツッコミ入るのは当たり前だと思うぞ。

そもそもここに書き込むって事はそういう反応を期待してるんだろ?
小説としての面白さの話なら該当のスレや板に行けばいいんだし。

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 10:11:59 ID:66e9dMzZ
>>421
その小説に直江がでてくるんなら別に内容について語っても
何もおかしくないと思うが。直江や上杉もの書いてる作家みたいだし
伊達厨の脈略のない自慢や、天領の年貢の話を延々続けたときより、
よっぽどスレタイどおりでは?

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 10:23:38 ID:66e9dMzZ
つかお前ら、伊達スレで普通に独眼流政宗とかドラマの話もしてんのに、
勝手によそのスレまできて、何を文句つけて逆上してるんだ??
他スレの話題まで、排他的に押し付けるな

426 :421:2006/09/20(水) 10:30:02 ID:r/UmDa21
いや、このスレでは今までフィクションの話出てなかったから唐突に丸々
引用から始まってて面食らっただけなんだが。
他スレでは普通、だからここであっても普通、という認識で良いって事ね。

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 10:42:38 ID:0LoSP+zC
>>425
正論だと思う。折角上杉や直江の話を誰かがふっても、言葉尻を捉えて
すぐ伊達と関係ある話ばっかりにつなげようとするし(伊達スレでやれ)
結局同じ話題がループして、叩きあいの繰り返しでちょっとうんざり。
正直、伊達厨は巣に帰ってほしい。

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 10:48:34 ID:7BQt4vE+
つーか、直江本人が伊達政宗コンプレックスだったんじゃね?
殿様と家老という身分の違いがあるので、政治や軍事では同じ土俵で比べられないけど、文才ってのは同じ土俵で比べられる
漢籍などの知識では、断然直江が上だよね。
でも、詩歌、という点が、直江が(知識人にしては)弱い部分で、負けてる
「義」という直江が信奉する道徳を、屁とも思っていないようなやつに負けている
これは、悔しかっただろ
だから、ああして殿中でイチャモンつけたんじゃね

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 11:02:29 ID:r/UmDa21
漢籍家だったから和歌は重要視してなかったんじゃないか?
古い話だが三船の才の故事とか。

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 12:07:06 ID:D6XomfJE
いや、直江のエピソード自体が伊達や最上と関わりあるものがあるから、
そういう話をすればこういう流れになっても仕方なかろう。殿中とか長谷堂とか。
それが嫌なら、完全に領内で完結する話をすれば。

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 12:16:41 ID:l2m+U1U6
しつこすぎるのが、いい加減嫌だといってるのが、わからないのか?
過去ログ読み返してみろ

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 12:26:06 ID:l2m+U1U6
他国の話を避けてるんじゃなく、なぜ伊達の話題だけうんざりされるのか
考えてみろ 厨がひどすぎるからだろうが

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 12:39:48 ID:D6XomfJE
ごめん、眺めてる立場からすると、勝てないからうざいんじゃないのかな。
どっちにしても、完全に領内で完結する話をしたらいいよ。

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 12:53:55 ID:vTGWTQPM
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 12:54:20 ID:/1nXa+np
この矛盾に満ちた不思議な人への不思議な人気。強弁擁護する人達…
要するに、オマイら伊達コンプレックスか。なるほど…
確かに伊達と比べると何一つ勝っているところが…

こういうのを書き込む厨はうざくないとでも?しかも何の脈略も根拠もなく。
だからどこでも嫌われるんだよ。

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 12:54:11 ID:w6qNEjwI
本能寺の変以前の直江の行跡が分かり易くまとめてあるサイトとかある?

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 13:08:15 ID:OBIzE5Xg
>>434
あぁ確かにそういう厨と似た様な臭いのするアンチはうざいわな。


437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 13:24:22 ID:TwJe6SQi
伊達厨の厨ぶりが伊達本人とかぶって俺はいつもほのぼのとした気持ちになる

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 16:33:17 ID:odn9sVeA
>>429
大納言・藤原公任か(藤原道長の従弟)
三舟の才(漢詩・管弦・和歌)

上杉謙信も、管弦(琵琶の名手)と、
和歌(細川幽斎から古今伝授を受けた)は当代屈指の名手だった
漢詩も優れていたが、源氏物語や太平記をこよなく愛したことは有名

信長の野望にはまったく反映されてないけどねw

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 16:36:25 ID:odn9sVeA
伊達政宗は、戦後大名随一の文筆家・達筆だったけど、
今日最も高く評価されてる点は、
北大路魯山人や海原雄山や味皇も真っ青のグルメ家であったという点
作法から調理法まですべてにおいて、
伊達政宗ほどグルメを極めた武将は戦国江戸通期でも一人もいない

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 16:47:31 ID:sZB/byUq
誤爆?

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 00:16:41 ID:9wdGs0qA
誤爆だなw
言ってることはだいたい間違っては無いとは思うがwww

>戦国江戸通期でも一人もいない
てとこは微妙だがな。



442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 02:47:27 ID:FPyHHPzy
伊達をほめると、蜂の巣をつついたようにギーギー鳴き出すな。

ここは、直江を語るスレ、でしょ。直江をマンセーするスレ、ではなく。
だったら、直江との比較、として隣国の奴を大いに語られるべきでしょ。
直江と無関係に語ったらスレ違いだけど。
直江をマンセーしたいなら、スレ名をマンセーするスレ、を立てればいいじゃん。

伊達と比較されたくないなら、殿中で伊達に無礼を働いている直江本人が悪いわけで、直江本人に文句を言えばいい。
それこそ、先ず閻魔大王に掛け合ってから

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 03:04:28 ID:K2hOXFyv
>>442
まあまあ。お前も落ち着けよ。マンセーもそうだが、過度なアンチも
五月蝿いんだよ。まったり語ろうよ。

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 03:29:49 ID:O30zgF/s
伊達250万石>>>>>>>>>>>>>>>>>他全部

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 04:01:25 ID:KmqTgFa5
>>439
いや伊達自身が名調理師というわけではない。
もっぱら食う方としての側の話だ。
それとグルメすぎて胃を壊したとか情けない話も多い。

>>444
その「250万石」とかいうのが
開墾とかの賜物だけではなく、
固定相場制で領民から無理矢理買い叩く文含めての話しと思われ。

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 04:07:02 ID:KmqTgFa5
領内での売買を一切禁止し、
領民が自分たちで消費するわずかなに分以外全て藩にわずかの金と引き替えに
強制的に納めさせる制度であった仙台藩の実質の石高は
せいぜい120万石程度だったと思われ。

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 04:16:25 ID:jaxwILz8
>>445
自分で見事に包丁式やれた大名では、細川幽斎・忠興のとこがそう
忠興が、利休の前で魚を捌いて包丁式やって見せてるよ

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 04:24:18 ID:dn+Q1YWp
>>447
一切、手を触れずに魚を捌くやつね

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 05:12:47 ID:O30zgF/s
その技を現代に伝えてる名家が、京都にある旧摂家の一つ鷹司家の現当主だったかな

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 06:02:52 ID:Eq2z/wEc
直江の天正小判の話が掲載されているのは『会津陣物語』だ。
この書物自体が、上杉にとって、政宗と戦えたということがいかに
名誉なことだったかが全編に渡って記されている。

この本の中で、直江の人物像が描かれている。人に決して頭を下げる
をよしとしない人物だったとある。それが登城中で、幕府の要人とす
れ違おうともスタイルは同じ。
政宗が座興の席で出した小判を直江は扇で受け取り、このような卑賤
なものは直接手では触れないと語っている。
対抗意識なのかどうかは不明だが、変わった人物だったことは確かだろう。

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 06:20:38 ID:BCQEWhKw
『会津陣物語』の作者は兼続からほされて反発していた水原(杉原)家の作成。
兼続への評価はさっぴいて考えなくてはならない。

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 08:57:28 ID:dpJ2D2/q
直江兼続の男色相手は誰でしたかの?


453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 09:32:41 ID:M/PUPP56
景勝。

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 10:37:41 ID:JSFivn9d
>>450
> 対抗意識なのかどうかは不明だが、変わった人物だったことは確かだろう。

直江が変わり者なら、政宗は奇人変人か狂人としか思えない。

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 10:53:02 ID:VDuv3ajs
まあ変わってるというのも、ある意味褒め言葉でもあるからな。


456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 11:06:56 ID:0mraRwdX
そもそも変わったエピソードでもなけりゃ書き留めないしな。
いつも通り、ごく普通に過ごしてる姿を一々メモってたらやだよ、
個人の日記じゃないんだからw

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 16:10:58 ID:gjZGID3B
詩歌と軍才は、天賦の才能を要し、秀才でもどうにもならない部分だ。
直江が大秀才であるにもかかわらず、ちょっと弱かった部分だね
この部分を持ち合わせて居たのが、隣国の伊達政宗という奴
好対照だね。

458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 17:12:58 ID:M/PUPP56
なぜ政宗?

459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 17:29:01 ID:IiWrpxsH
直江兼続は、たとえると旧日本軍のエリート軍人、辻政信に似ている。
ビールを飲んでいた連隊長を、義憤にかられて怒鳴りつける姿など
酷似している。戦いはヘタ。長谷堂の義光はさしずめ、ジューコフのように
直江を翻弄し尽くした。

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 18:06:56 ID:8Nr9+mib
上杉の撤退戦は非常に評価高かったと思ったが。

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 18:30:15 ID:9wdGs0qA
あれ?最上軍弱すぎて文句言われてなかったっけ。

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 19:44:29 ID:KmqTgFa5
また、アンチの出現かよ。
でも、その最上はあっと言う間に取り潰されたんだよな。

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 21:14:06 ID:6QseYasx
>>462
藩が取り潰されなければ軍は強いのか?

前の方にも長谷堂で長期化しても最上が落ちない可能性が
高く戦略、戦術共に最上が上杉、直江を上回っていた。
と書かれたら、最上は取り潰された云々書いてる奴がいたが
後継者の内紛があれば直江の軍略が
最上を上回ったことになるのか?
軍の強さと後の内紛はどう関係するんだ?

もう少し考えて書き込むべきだと思うぞ。
少なくともアンチを本気で駆逐したいなら。

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 22:23:32 ID:VFpl9zOH
天才肌と秀才肌は似てるようでまったく違うもんな
石田三成とかも秀才肌の人間

突き詰めていくと、
秀才肌の人間は評価の基準が外にあるのに対して、
天才肌の人間は評価の基準を内に持っている

天才肌=内向的で直感的
秀才肌=外向的で思考的

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 22:29:18 ID:0mraRwdX
このスレで単なる言葉の定義を決めることに一体何の意味があるのやら。

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 23:38:23 ID:gt5xLAAj
撤退戦は見事だったが、手柄は水原と前田のものだろ。
直江は本陣を切り立てられ、切腹覚悟するような有様だったし。
よく巷に出回ってる読み物だと、なぜか直江の手柄になってるけど。

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 01:10:02 ID:Lb+7ndJP
撤退戦、撤退戦って、他になんか武勇無いのかよ
そもそも何で撤退戦するんだよ。
城が取れなかったから、戦略がマヌケだったから、方針が間違っていたからじゃね?

撤退戦は見事だった
撤退戦はすばらしかった
撤退戦の名人!直江
特技:撤退戦

ず〜っとやってろって

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 12:28:37 ID:mbYxyj41
>>466
撤退戦が上手かったで評価されると言う事は実際には侍大将レベルの話で
120万石の藩の宰相、将帥としては侮蔑以外何者でもないんだけどな。

金ヶ崎でも撤退戦で名をあげたのは部将である羽柴や佐々であって
信長が撤退戦で評価される訳が無い。
信長が仮に評価されるとしたら、機動力であって、撤退戦の見事さではない。

退き佐久間、遁弾正でも一部将だから誉め言葉なのであって、120万石の宰相が
撤退戦上手じゃあ話にならん。少なくとも、将帥の器ではない。

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 12:42:25 ID:E6Tkj3EL
>>467
それくらい自分で調べろよ
主だったところで新発田重家の乱鎮圧、佐渡鎮圧、北条攻め

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 15:22:49 ID:XrWuBAKB
秀吉が30万石与えたんだから伊達じゃないだろうw

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 15:52:14 ID:m4zCCWYp
それって懐柔策じゃん。
中国から女あてがわれる外交官と一緒。

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 18:09:26 ID:bRcecpUy
中国もタンザニアあたりの外交官ならわざわざ女あてがったりしないだろう。

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 22:31:32 ID:Yr6leUur
>>472
その通りで、外交官の背後にある日本、直江の背後にある上杉家が真の目的。
秀吉は、「人たらしの名人」といわれ、懐柔できる家老を狙っては懐柔していた。
直江は、懐柔される奴として眼を付けられたに過ぎない

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 22:40:03 ID:fW3Q3VT2
直江も秀吉に目をつけられていたのか

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 22:55:11 ID:m4zCCWYp
懐柔策に乗せられ、見かけの石高は120石高だが本拠地越後を追われたうえに庄内は飛び地領
120石高に捕われず冷静に考えると、秀吉にしてやられたのかもな

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 23:05:36 ID:tSoY93GS
しかし、そのおかげで徳川を牽制する役目を果たせなかったのでは?

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 03:34:14 ID:IbUN3BBN
伊達家の片倉景綱も懐柔されそうになったんだよな
ま、断ってるんだけど
ちなみにこの人は家康にも懐柔されそうになった
やっぱり片倉と比べると・・・なんかなぁ

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 06:44:12 ID:I309iCUR
>>477
されそうになった、と言うと片倉にもその気が合ったような言い方だな。
実際には迷うことなく初手から跳ね除けてるし。

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 06:58:31 ID:AEUmR8Kn
直江って好色じゃね? 農家の女房に化粧がどうのうと指示してたり。
一見堅物そうだが、漢詩などもエロさが漂っている。

  織女惜別

  二星何ぞ恨みん隔月に逢うを
  今夜床を連ねて鬱胸を散ず
  私語未だ終わらざるに先ず涙をそそぐ
  合歓枕下五更の鐘

480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 11:32:18 ID:IbUN3BBN
>>478
うむ、確かに

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 11:54:25 ID:YfqTdZ+M
まぁ色一つ興味無いっていうのはつまらんし、
いいんじゃない。>直江エロ説

482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 12:08:22 ID:/r7KNI+/
神主の息子ととこぞの大名の男色の相手の差かな

483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 17:19:01 ID:OgyopnIy
>>477
徳川にも懐柔された、といっていいんじゃない。独自の江戸屋敷なんかもらって、いい気になってたみたい。
独立した江戸屋敷をもらう=藩の命令系統が2つに割れる=団結した決然とした行動が取れなくなる
上杉は、直江さえ懐柔しておけばいい、ってことで、豊臣も徳川もやりやすかっただろう

484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 02:02:49 ID:Rex1XuR6
直江の最大の問題点は、懐柔策として優遇されておだてられているのを、
自身が優秀だから優遇されて誉められている、とカン違いしてテングになってしまったことである

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 02:26:37 ID:PHWngRXd
正直自身の感情だけで、他国の大名に無礼な態度を取るのはどうかと思う
しかも自分が上杉家という名家を背負う立場にあるなら尚更だろ
むしろ主と仲の悪い大名との間を取り持ったりしなきゃならん立場だろうに

486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 02:27:22 ID:tz1wLI2b
>>483
懐柔されたのは徳川の方かもしれんがな
戸田氏鉄や土井利勝を籠絡するなんて普通じゃないぞ
特に戸田なんて、アンチ上杉の急先鋒だったのに

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 02:47:01 ID:PHWngRXd
懐柔ってゆか、媚でしょ、それは
毒饅頭食らわしたんだろ

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 02:50:14 ID:7qxLiKVW
>>411
ちょっと話が戻るけど、確かにお家が吉良に乗っ取られたのは、吉良が悪い、というよりも、
「吉良しか養子を出してくれる友達が居ない上杉家の孤立」こそが問題
直江時代に人脈が出来なかったから、友好藩が少なかったんじゃまいか?
直江みたいな高慢ちきな奴じゃなく、人事を刷新してフレンドリーな奴を家老にしておけば、違っていたんじゃなかろうか?

489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 07:02:11 ID:EuBJyMVK
>>488
別に乗っ取られてなんかいないだろう。
当時は養子相続なんて当たり前だし。

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 07:11:35 ID:6hDHWBjS
>>485
再三言われてるけど、そもそもいわゆる逸話以外で「史実として」
無礼な態度をとった記録がないからそれは難癖にしかならなくないか?

491 :直江の兜:2006/09/24(日) 10:43:54 ID:YnhEU3kK
なあ、愛って一体何だろうね?

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 11:35:37 ID:F18QG3HB
>>491
「受」からはじまった稚児小姓:与六が成長して、
点だのヒゲだの少し増やして「愛」になった。


493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 11:51:26 ID:EuBJyMVK
つーか真の上杉ファンとやらの自演かな?

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 16:31:35 ID:gYRhAToe
>>490
俺もそう思いたい。というか、義理人情に厚くて信頼できる人物
で…て最初の印象みたいなのがあるから、そういう不思議な逸話を信じたくない。
二つ三つそういう逸話があるのはちょっと…とは思うが。

>>493
何が?

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 16:50:23 ID:DPR+ztcU
微妙に前田家ともトラブル起こしてたね
前田方の史料だから信憑性は?だけど

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 17:20:01 ID:J9enR60R
>>488
綱勝急死後の跡継ぎ候補は二人いた。
綱勝の妹と吉良上野介の子と、もう一人は謙信時代に養子として上条家を継いだ上条政繁と景勝の妹(姉の説もある)の子孫。
家臣の多くは綱勝が吉良家を訪れた直後に腹痛と嘔吐を繰り返した挙句に急死した事から吉良家に疑いの目を向けていたため上条家の子孫を押す声が多かった。
そこへ綱勝の正室の父であり幕閣でNO1の実権を握っていた保科正之が米沢に来て独断で吉良家の子を跡継ぎに決めた。
家臣の多くは不満を抱きながらも渋々これに従う。
本来なら御家断絶であった上杉家が半知になったとはいえ生き残れただけでもよしとする考えに変わった。
保科正之の対応に恩義を感じた米沢藩は後の戊辰戦争の時に会津藩生き残りのために奔走する。今でも米沢市と会津若松市は親交が深い。
それと友好藩が少なかったと買いてるが上杉家は他藩より御家断絶の危機に晒されている。
けど、全て他藩が上杉家存続のために奔走している。
譜代大名でも御家断絶になりやすかったのに外様大名でこれだけしぶとく生き残った藩も珍しい。




497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 02:26:34 ID:yILp3oCL
擁護したい奴は、直江のエピソードを「史実でない」と片付けたがるが、
エピソードを史実で無いと片付けられるなら、世の中に伝承されているエピソードが全部価値無いってことになっちゃうよ
やはり、直江が傲慢な奴だったというエピソードが複数伝承されている、ということは、
大体そうゆう奴だった、と考えるのが自然ではないだろうか

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 02:50:31 ID:GZcqKf6R
>>486>>487
本多正信とのパイプをつくり、10万石分の役儀の免除を得たりもしているし、
外交面ではかなり上手くやっている感がある。直江兼続という人の本領は、
領内の統治や外交にあるんだと思う。

>>497
誰もそんな極端なことは言ってないだろ。直江の場合派手な逸話が多く、それが一人
歩きしている感があるという話。

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 02:54:07 ID:wNuMXyQ3
いや、地味で陰険なエピソードが多いが

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 06:51:04 ID:wdrkJuQ9
逸話を取り除いていたら、自信過剰の稚児武将ってところだけが残るよ。
米沢住民うんぬんと同じく、都合のいいところは逸話OK、
都合の悪いところは逸話は史実じゃない、じゃ、肩手落ちが過ぎる。

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 12:32:55 ID:YYrtHmpW
よく出る話だけど、稚児とか色小姓とかって話が実は一番眉唾っぽいと思うんだよなぁ。

当時男色の相手だったのは(特に後に栄達した場合)恥ずべき事でも何でもなかったわけで。
相手が謙信であれ景勝であれ、本当に関係があったとしたらどこかにそういう話がちゃんと
残ってる方が自然だと思うんだが、不思議とどこにもないんだよな。

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 13:15:11 ID:ik9pqEaA
当時あった文書で今に残ってるものの方が少ないわけで・・・
信玄の手紙だって絶対あれ一枚だけじゃないと思う

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 13:44:06 ID:gS3KysVv
>>501
叩きたい奴はどんな理由を引っ張り出してでも叩きたいだけだよ。
まともに相手にするな。
直江兼続が本当に陰険で卑怯で薄情な人物なら勝ち目の薄かった御館の乱で景勝を見捨ててるはずだ。
その後の織田軍侵攻でも滅亡直前まで追い込まれていながらも最後まで裏切らなかっただろ。
武田家を見てみろよ、命欲しさに家臣のほとんどが武田家を見捨ててんだぞ。
大坂の役で不仲だった安田の手柄を申告しなかった等の嫌な部分は確かにある。
けど、人間は神じゃないから全員平等には見れない罠。どうしても贔屓目が入ってしまうよ。


504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 15:22:27 ID:EF/0tWeB
合戦に負ければ、寵童なんてのは殿様と一緒に殺される。だから、景勝と一体になって頑張るのは当たり前だ。むしろ寵童だった証拠だ。
それから、外様はどんどんつぶされた、というが、それは豊織政権下で大名になった家だ。それ以前から元々大名だった外様はそんなに潰されて無くないか?
直江の内政が良かった、というなら、他家よりも発展した、ということを示さなくてはならない。
とくに同条件だった毛利よりも発展しているか?

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 15:54:19 ID:gS3KysVv
江戸時代の改易大名の数は248家。
特に家康、秀忠、家光の三代で131家の改易と圧倒的。
更に関ヶ原の合戦後に88家が改易されているので三代での改易数は219家で江戸時代全体では336家でお世辞にも少ないとはいえないな。
有名どころでは福島家に加藤家に播州浅野家といったとこか。

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 18:49:37 ID:GZcqKf6R
>>504
幕府にとって目障りだったり、落ち度があったら容赦なく潰されているぞ。
最上氏が良い例だろう。あと、里見氏や筒井氏とかも潰されている。

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 20:18:17 ID:3hXtegE2
最上の場合は容赦なくではないぞ。
取り潰しまでに何度も幕府使者が建て直そうとしたが、内紛が納まらずに止むなく改易。
幕府がそこまで肩入れした背景には、義光とか家親とかあると思われるが。

508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 21:47:08 ID:48CoNqwr
裏切らなかったのが寵童だった証拠ってのは
ネタにしても無理がある。

509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 23:21:25 ID:iBiQVKO5
>>505
個人的には其処にこそ直江の才が発揮されてると思う。
直江は30万石程度の中堅大名の家老として、御家存続の保身の才に長けた人だよな。

120万石の宰相としては軍略、戦略面で明らかに力不足。

天下人に恩を売り、120万石の主家を守った小早川には
数段に及ばないにも関わらず秀吉の為に比較されたり
変に謙信公以来の家風とか言いだすから変にアンチが増える。

最初から中堅大名の保身、殖産に功のある家老扱いならよかったんだよな。

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 23:32:26 ID:YYrtHmpW
何にせよ「こうだったら良かったのに」を論ずるのは戦国板でやることじゃないな。

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 23:43:10 ID:iBiQVKO5
>>510
じゃあ、>>509の最終行は
>家老程度の人物だよ。
なら良いのか?
それで何かレスの意味が変わるか?

512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 01:25:15 ID:2+nBZVaL
徳川幕府は、名門の武家には甘いんだよ。どんどん潰したのは、織田と豊臣の家臣で大名に成り上がったた家。加藤とか福島なんかがそうだ。
佐竹だって毛利だって同じように残っているだろ
直江の外交が良かったなんてことは無い

家老ってのは、外交官だから、直江のような懐柔される奴、勝手な発言をする奴、人当たりの悪い傲慢な奴は向かない。
どんな家の家老にもふさわしくない。
藩内で完結する事務仕事がいいとこだろ

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 13:11:37 ID:YHn5WXLq
>>512
おまいの書き込みを見てるとろくに調べもしないで書き込んで他人に間違いを指摘されるといろんな言い訳をして最後に直江兼続は凡将だったという書き込みばかりだな
おまいの直江兼続嫌いはわかったよ
好き嫌いは個人の自由だしな
ただな、その考えを他人に押し付けんなって

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 14:33:49 ID:7PqgunUJ
兼続が秀吉に高く評価された、ってのはつまり華々しい軍歴があるってことだよね。
直江が軍事的に最も活躍した時期は、
御館の乱
〜本能寺
本能寺後〜
どの辺り?

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 14:49:53 ID:Y6XJm2X/
せめて過去レスくらい読もうよ。

516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 14:50:47 ID:d/Tnatzq
>>512佐竹は秋田に飛ばされてるじゃん。秋田はきついで。
秋田杉伐採しすぎて大変だったらしいからな

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 16:18:22 ID:2bmEttu4
>>512
佐竹だってほとんど動かなかったのに、半分以下に減封だし、岩城や相馬に
いたっては改易されてる(相馬は伊達のとりなしでセーフ、岩城も後復帰)。
お前の場合、>>513の言うように恣意的に捻じ曲げている。まあ、どうしても
直江を並以下の評価にしたいと頑張っているのは見て取れるがな



518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 17:37:06 ID:OkiUzJLb
じゃあ、並以上の理由もしりたい。

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 18:03:24 ID:Bti+VP1q
兼続の失策を挙げるなら、関ヶ原合戦における別働隊の壊滅かなぁ。
情報伝達の遅れから、酒田衆と尾浦衆の大半を失ったのは痛すぎる。
なんつーか、状況が状況だけに、仕方のない側面もあるけどね。
元々、後方を顧みることなく突撃するよう命令された部隊だし。

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 20:06:28 ID:qFWVHEaU
>>518
禿同。
開墾とか労役の軽減嘆願とか、何処の藩でもやっているようなことで直江をマンセーするのはキモい。
他藩と比べて、直江のおかげで、外交に成功していた、あるいは内政で藩が発展した、というのを示してくれ。
特に、関が原西軍組という同じ境遇の毛利と比べて発展、成功しているか?

>>517
>>佐竹だってほとんど動かなかったのに、半分以下に減封だし、岩城や相馬にいたっては改易されてる(相馬は伊達のとりなしでセーフ、岩城も後復帰)。

オマイ、何が言いたいんだ。岩城も相馬も全然徳川に潰されてないだろ。岩城は秀吉に潰されたんでなかったか?オマイこそ恣意的に捻じ曲げてないか?


521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 20:32:51 ID:Y6XJm2X/
関ヶ原時は一番派手だから取りざたされるけど、さすがに一日で
決着ついちゃうと思ってた人間はそういなかっただろうしね。

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 20:33:59 ID:Y6XJm2X/
悪い、誤爆。

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 22:30:26 ID:d/Tnatzq
>開墾とか労役の軽減嘆願とか、何処の藩でもやっているようなことで〜

んー、でもさぁ、どこの藩でもやっているからという理由で、
結果を出していることを評価しないってのもどうよ?
独創的じゃなくちゃ絶対駄目なの?

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 22:49:50 ID:OkiUzJLb
まあ、開墾とかは最上領内でも伊達領内でもやってるし、同じように評価していいんじゃないかな。
功績として。
他にはない?


525 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 00:13:44 ID:G22zcPcX
>>524
・関ヶ原合戦後の短期間に、本多正信との協力関係を築いたこと。
・家康や土井利勝に蔵書を貸し、個人的なパイプを築いたこと。
・禅林文庫を公開し、江戸初期の儒学・医学の発展に貢献したこと。
・国友、堺の鉄砲職人を招聘し、白布で極秘に開発させたこと。
・谷地河原堤防の難工事を成功させ、新田開発に貢献したこと。
・これらの作業を、徳川幕府の普請命令と平行して実行したこと。

ざっとこんな感じ。こりゃ、家中から憎まれるのも分かる気がする…。

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 01:36:31 ID:Vz0wvxgn
>>520
岩城は常隆のあと、佐竹義宣の弟(貞隆)が家督を継いで、12万石を知行したものの
関ヶ原で動かなかった為改易されている(まあ、後に再び大名になるが)。相馬も同じ
理由で一旦は改易と決定したものの、三胤(相馬義胤の子)が江戸へ向かい交渉するとともに
ともに、水谷だかの助言を得て上杉方の城に夜襲をかけたりして、結局安堵されているんだが?

>>523
同意。「どこの藩もやってる=評価対象にならない」はおかしい。

米沢の城下町の整備、直江堤の造築、本多正信や戸田氏鉄とかの結びつきを深めたりとか。
直江兼続の功績として大きいのは「直江版」の出版とか、禅林寺の創立など
の文化事業や藩の人材教育などがあるだろうな。
あと、やはり関ヶ原のきっかけをつくり、さらに積極的に交戦したにも関わらず、御家存続に
こぎ着けた事もやはり評価できると思う。

軍事に関しては長谷堂の撤退戦くらいか?有名なのは。あと、新発田討伐や佐渡平定とかでも
働きはあったみたいだな。

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 07:59:48 ID:6wkcJDjf
しかし何で上杉が120万石失ったのがそんなに悔しがることが出来る奴がいるのかがわからない。
所詮は同じ日本人の領土なんだから日本人にはなんら損失はないのだが、
それに引き替え太平洋戦争では。樺太とか千島とか日本が永遠に所持すべき貴重な領土をわずか数年の戦争で永遠に失ったのだしな。
あーもったいない。

528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 09:55:50 ID:VeyFU4xM
突然何を言い出すんだお前は

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 11:35:33 ID:PAvxfh8H
おれも驚いたw

530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 13:35:29 ID:svOekBA1
樺太って寒そうに見えるけど、
たしかに冬場はマイナス60度くらいでロシアと樺太北西部の海が凍って、
2時間くらいで歩いて渡れるんだけど、
夏場は暑くて30度近くあるんだよ樺太
密林が多い

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 22:43:21 ID:5jSvFLDS
幕府の宿老級の人物が、上杉の取次ぎになるのは当たり前だ。上杉が大物なんだから
まあ、内政をシコシコやっとくのが良かったんじゃなかろうか
誰がこの男をおだててしまったんだろう

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 01:13:08 ID:m7ZrCSZF
>>531
お前なんだか痛いよw

533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 13:38:38 ID:oPR2wUTn
高校の頃からかわれたガンオタの奴がキレて
からかった奴にアムロ行きマース!と言って殴りかかった後
殴るたびに口でガシャーンとか効果音つけてたのには笑った


534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 14:20:54 ID:MN86f3ww
>>533
よかったな そいつ俺のクラスにいなくて。
俺にちょっかい出してきたやつがいて、授業中に俺が椅子で頭を弾き飛ばしたから。
なんか、いい音した。

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 15:50:23 ID:7MxNoylC
結局、家中で嫌われちゃったのね。
ホモの絆で出世してもバチがあたるのね

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 17:37:17 ID:Lx6gk7v1
>535
ホモだけで出世したっていう根拠を忘れとる


537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 23:52:42 ID:45Z3N2J0
そこそこの行政能力+ホモの力+懐柔による優遇ってとこか

538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 04:55:01 ID:Rdwxp1XF
兼続の後釜に座り、与板衆の切り崩し、左遷人事を完成させた清野も景勝の寵童あがり。
兼続と同じく見目麗しく、弁舌が爽やかで、上司をいらつかせない人だったらしい。
イラチで好き嫌いが激しい景勝は、こういう人間を好んだ。
側に寄せるのも重要なことをまかせるのも、こうした頭の回る美男子。
もちろん兼続も清野も、頭は用紙、教養もある(これも景勝の好み)、
低い身分から取り立てられて努力もしたし、高い能力も合った。
だけど、その価値観「だけ」を重視、というより偏向した景勝は、
清濁併せ呑めないというか、醜いもの、爽やかさに欠けるものは他の点が有能でも遠ざけた。
この器量の小ささが上杉を迷走させる一番大きな原因だったんじゃないだろうか。

539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 09:32:56 ID:eqhysZkh
景勝に嫌われたら終わりって雰囲気があったんじゃないか。
無口で何を考えているのかわからないので、家臣達は物凄い
緊張感を強いられていた。
白石城を留守にしていた甘糟は景勝に疎まれた。家康が甘糟の不遇
に同情し、召し抱えの話を持ち出した際などは、横やりを入れ反古
にしている程だ。

540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 14:08:42 ID://SIK0Dk
その程度の殿様に寵愛された、その程度の人だったんだ…

541 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 01:44:31 ID:siXPyF5U
>>538
禿同。直江-景勝のホモカップルの専横で家中は段々シラけていったのではないかと。
家康を牽制し伊達を抑えるという会津120万国の責務は、このホモカップル主従には重すぎたか。

542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 01:45:22 ID:7vTC00+h
>>540
そこでなぜそういう結論になるwただ、景勝が相当仕えにくいタイプの主君である
件については同意。まあ、謙信にも似てるっちゃあ似てるがw

543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 18:35:02 ID:2nCmKKNh
上杉家は主君も主君なら部下もそうとう扱いづらいと思うぞw
何回謀反起してんだよ、内部争いしてんだよってくらいに
それでよく家保てたよな

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 18:55:27 ID:H61T9X0K
あの信長にも謀反おこしてるのがいる。
一国一城令がでるまではどの大名もにたりよったりだ。

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 19:00:42 ID:oqlx4rDp
下克上は戦国の習いだしな。
大抵の大名家も元々はそうやって成立して来たわけだし。

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 20:45:41 ID:Juunhrh1
よく「直江は最上如きに苦戦〜」とか言われるけど







直江批判で何故最上義光まで貶される(´゠ω゠`)

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 21:41:17 ID:2Lpdxj8o
いやこのスレでは最上は十分評価されているよ。合戦で、最上>>直江は明らか。
最上如き〜というのは、国力が小さいからだと思う
でも、一般的に最上ってどうしてこうマイナスイメージなんだろ?

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 22:52:21 ID:i07NiDFs
義光は自分の兵力が傷つく事を非常に嫌う大名だったので、
謀略によって城を落とす事で、傷つかないようにはしていたのだが、
客観的に見れば暗殺になるわけでその辺のイメージもあると思う。

あと政宗側の視点での悪役のイメージが強すぎる。
にもかかわらず、最上家は断絶してしまっているので、
現存する資料が伊達家側からのものばかりになってしまっているらしい。
マイナスイメージばかり残るのはそこが原因かと。

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 23:05:36 ID:PigdwLE4
NHKの独眼竜政宗で原田の演技がすごすぎた。
あれで一気に悪のイメージが定着。
あの凄みを凄みと取れる人間は少ない。
今ほどではないにしても、大河ドラマの圧倒的多数視聴者は
無学単純な「TVが一番の娯楽」階層だからな。

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 23:41:40 ID:oIhmW4az
自分たちとは違う単に「出来の悪い誰か」がいるからだ、と仮定してしまうとそこで
(それが解決であるか否かは別として)話が終わってしまうから止めた方がいい。
結局は「物を知ってる自分達」による「バカは仕方ない」or啓蒙論にしかならないから。

真面目な議論として話すなら、だけどな。

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 00:52:33 ID:CRBrCpRK
まあ、政宗とか兼続の引き立て役に利用されてる面もあるだろからな。
陰険な義光に毒殺されそうになりながら、間一髪脱した政宗とか、
最上をあと一息まで追い詰めながら、東軍勝利により無念の涙を飲む兼続、
って書くとそれらしい物語になるからな。
まあ、実際は物語とは違うようだが。

それから、>>548にもあるように、実際の義光はダーティなイメージとはちと違う可能性あり。
開墾、水運開発、町割り、寺社振興に力を入れ、義光治世では一揆がおきず。
謀略により倒した相手に対し、会津に逃げたその一族を呼び戻し家を再興させる。
上方では当代一流の連歌師に交じり歌会に出ている。など。


552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 10:24:46 ID:mNsPDU6n
>>551
> 陰険な義光に毒殺されそうになりながら、間一髪脱した政宗とか、
> 最上をあと一息まで追い詰めながら、東軍勝利により無念の涙を飲む兼続、
> って書くとそれらしい物語になるからな。
> まあ、実際は物語とは違うようだが。

本当は
陰険な政宗に暗殺されそうになりながら、間一髪脱した義光とか、
直江をあと一息まで追い詰めながら、伊達の協力が得られず無念の涙を飲む義光
なんだけどね。

553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 11:28:38 ID:p2ufK7YS
政宗に暗殺されそうになったっていつの話だ
小説の話か

554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 23:50:42 ID:iGVpHEvI
>>549
でも妹の身案じたり駒姫の助命の為に愛や北政所に土下座までしたりしてる辺り単なる悪役ともとれなかったぞ


555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 23:55:35 ID:Lcl0/k2h
山形県民は、直江よりももっと最上を持ち上げるべきだ

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 00:38:42 ID:6VGuyQu+
>>554
駒姫の件は確かに可哀想だからなぁ。
例え大名の身分でも、娘の命のために土下座でも何でもする気持ちもわかる。

実際の義光も、助命の為かなり奔走したみたいだしね。
そしてこの件が、最上が反豊臣、徳川の強固な味方になることを決定づけた。

あと、義光は駒姫のために専称寺を建ててるね。

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 01:20:42 ID:BA5HjqL7
>>551
それほとんど政宗の方が上をいってるじゃん・・・
いや、確かに功績があるのは解るんだが・・・

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 21:26:17 ID:GsISoc0i
>>557
でも何か直江よりか功績あんじゃね。政宗>>義光>直江ってかんじ

559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 21:41:47 ID:P8NyNVvV
>>558
政宗>>義光>>>>>直江

でしょ、秀吉の覚えめでたかったと言う以外、
上の二人より秀でた部分など見当たらない。

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 22:54:30 ID:ZLVfZnRs
>>559
お、伊達厨言い切ってくれるじゃんw

561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 01:18:58 ID:/HP0NQ8n
>>560
このスレも500まで議論しても、いやほんとに秀でた部分が見つからないよな〜軍事でも政治でも
知識人だったかもしれないけど、家老が学者でなくちゃいけない理由ないもんな
学者なんてのは、飼っとけばいいわけだし
ホモとして寵愛されて、懐柔されやすさで優遇された、ただそれだけの人

562 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 04:33:45 ID:0Va/7jP0
政宗抜かせば
佐竹義重>最上義光>>>津軽為信>>>>>>>>>>>>>>直江=景勝=ヘタレ南部親子(信直利直)だろ


なのに直江は名将扱いで反面義光や為信は極悪人呼ばわりで義重に至っては空気
それに新発田重家の反乱鎮圧するのに8年近く掛かってる時点で景勝も無能だろ
こんなホモ上杉が生き残って勝頼や氏政が滅びたのは本当に皮肉としか言えない

563 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 22:27:51 ID:Zikz5EUS
無能だったからこそ生き残れたんだろ

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 00:50:28 ID:rL6yG+cY
直江ほど、高く持ち上げられて、そのあと地に落ちた人物も珍しい

@天下の家老と言われ
A30(6?)万石を領し、大名級の待遇
B伊達のような大大名にも対等にケンカを売り
Cはたまた天下人家康にまで堂々ケンカを売った

と、ここまではいい
その後

@主家を大衰退させ
A恩があるはずの豊臣を攻撃し、滅亡させ
B家中で嫌われて
C主人の景勝にも見捨てられ
D大事なはずの直江家を断絶させ
E死後も家中で否定され、その一派は左遷され粛清された

何か、極端すぎて、爽快感すら感じる
ヤバイ俺、このスレ読んで直江が好きになってきた。バカっぷりが見事すぎる

565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 01:05:23 ID:6xIECSwG
うこぎアイス食っとけ、うこぎアイス。美味いから。

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 01:07:09 ID:6xIECSwG
ごめん、誤爆。

ちなみに直江巡り行く話の流れで上杉神社が出た事へのレスだ。
美味いんだぞ、あれ。

567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 01:08:24 ID:6CgUlD8u
なんかアレだな。
小早川隆景とか鍋島直茂とかと並び称されてるから智将のイメージが出回ってるけど
>>564を見てるとなんだか福島正則の方が近い気がするな。

あぁでも考えてみれば並び称された時も三要素のうち智恵が無い言われたのは彼だっけ?
天下を狙うなという毛利の遺訓を守る隆景が勇気が無くて、
主君をあくまで立てようとする鍋島が大気が無いってのはわかるけど、
智恵が無いって言われたって事は秀吉の評価もあながち間違って無いか。

智恵が無いのに勇気と野望だけは一人前で自滅したのって
まさに直江と福島にピッタリの評価だ。

568 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 02:18:29 ID:vQ0PN0Lg
全ては直江のような無能を登用した景勝の責任だろ
しかも景勝は御館の乱で味方してくれた上条政繁の聡明ぶりに嫉妬して追放した程の狭量者
変に意地張って武門の誇りとか言ってる分痛いし見苦しすぎる
大名やめたいと黒田如水に泣きついた毛利輝元の方がまだ人間味があって良い
このホモ主従には戦国最低の評価くれてやってもいいだろうよ

569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 12:19:08 ID:qkOU6jEF
では俺は直江に何の思い入れもないが擁護に回ろう。

だいたい直江が義だ何とか言うのはやっぱ宿命じゃないかね。
家康に喧嘩売られたとき、利家以来世渡り上手で存続している前田家と違い、
武勇と大義を売り物にしてきた上杉家が「家康様。我々は悪くないですけれど謝ります」
なんて言えるもんかいな。
景勝をそれで説得すれば家中が景勝を侮るだろうし、ここはやっぱ直江がずいと前に出て
「武門の意地」とやらを示さにゃいかんかったでしょうよ。

結局は家康に従うことになったけれど、総合的な大戦で敗北した上でのことだから、
戦う前から屈服した家の連中とはわけが違う。

御家を残すかどうかも大事だが、それだけが大事じゃないと思った頭の固い連中に、
少しばかり温かみを持ってみてやるのが、それこそ人間味って奴じゃないかい?
まあ愛って奴だ。

570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 12:50:31 ID:6xIECSwG
てかそもそも実より名を取るってのも選択肢の一つであって、時代、文化に
よる変動はあれど結局どっちが「良い」かなんて別にないんじゃないかね。
確かに命は残ったけど、それで子孫が幸せになるかというとまた別だし、
命あっての物種とはいうが、それを押し付けるのはまた本末転倒だし。

何かの小説で赤穂浪士の中で途中で外れた人間の子孫だかの話があったけど、
生まれた時から臆病者、卑怯者の血と言われて生きるのも大変だよなって話。

571 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 14:17:01 ID:WmAn2AAW
きいたふうな口を利くな〜!

572 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 17:43:30 ID:y/3tP3Wo
>>569
そこまでやった以上、もしもそれで徳川とぶつかって、玉砕した上に
お家取り潰しにでもなっていたなら、戦略としてはどうかと思うが、
まぁ義と越後兵の意地を貫いたというのもわかる、現在の風評も納得がいく。

だけどさ、違うじゃん。
上杉がやったのは、留守居とは言えそこそこの兵力を持っていた
結城秀康をおっぽり出して、石高4分の1以下の最上のそのまた支城に攻め込んでるわけよ。
駒姫の一件から考えても、最上が徳川につくのは当たり前とはいえ、
どう見ても火事場ドロボーにしか映らんわけよ。

573 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 18:52:30 ID:vQ0PN0Lg
>>572
しかもそれで負けてるしな
関ヶ原語の本領安堵で活躍したのは千坂景親
直江とは対照的に本庄繁長は大量の伊達軍を相手に奮戦
このホモ主従は何一つやってない
どころか景勝は甘粕景継の僅かな失態を責めて以降死ぬまで冷遇した
しかし景継はそれでも上杉に忠誠を誓った


本当に評価されるべきは千坂、本庄、甘粕、色部とかだろ

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 19:14:57 ID:6xIECSwG
>573
言いだしっぺの法則。

上杉謙信の親衛隊長●千坂対馬守景親
ttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1155402933/

人が来なくて寂しいから思う様評価してくれ、いっそアンチが来る位に。

575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 01:39:41 ID:HXK7VIkB
>>569 >>570
結局、上杉は大阪の陣で豊臣を攻撃しているんだぜ。名を取っているように見えんが。
名をとるなら、真田幸村みたいに最後まで豊臣に付けといいたい。
特に直江は一人でも大阪城にこもれと。
実を取るっていうなら、最初っから徳川に付けと。

威勢よく啖呵を切っておいてケンカを売っておいて、その後、「やっぱりごめんなサ〜イ」
ヘタレっぷりをむちゃくちゃさらしていると思うが。

576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 03:13:44 ID:ICWsoHno
>>575
>特に直江は一人でも大阪城にこもれと。
景勝にそれを言うのは流石に酷だが直江はそうするべきだよな



ところで直江と似たような境遇の佐竹義宣はあまり叩かれんね

577 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 16:18:55 ID:5bzIzW/N
>>569
家康にケンカ売られる時点でそれ以前に間違いを犯している
直江らは、反徳川親三成の流れに持っていってしまっているのが失態。
そもそも上杉は名誉も国力もあり、天下を狙わないなら現状維持が目標なのは明白だったはず。
天下が豊臣だろうが徳川だろうが上杉には関係ない。
三成らと必要以上に親しくして、不必要なリスクを犯した時点で大局観が無かったというほか無い。
実力以上に領土をもらったり、役職に着いたりすることもできれば避けるべきだったかも。

578 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 17:31:39 ID:jokQnuAT
己個人の想像で書き込みしてる輩ばっかだな。残ってる史料で見てみろよ。
関ヶ原合戦前の上杉家は徳川秀忠と親密な関係だぞ。
1598年以降に出された徳川秀忠からの書状が米沢上杉博物館に複数残っている。
慶長3年9月20日付の手紙では景勝が会津に下向したお祝いとして秀忠から書状が送られている。
慶長5年3月21日付の手紙では上杉家が城下の整備と武力増強をするのはもっともな事といった内容の書状が秀忠から送られている。
少なくとも慶長5年3月21日までは上杉家と徳川家との親交はあった。
上杉家にしてみれば秀忠と親睦を深めていたわけだから、よもや戦争をふっかけてくるとは思わなかった部分もあるのではなかろうか。
秀忠の上杉家への信頼は戦後も変わる事無く続いているところから秀忠に上杉家を戦闘に巻き込もうとした考えがあったとは思えない。
となると上杉家を戦闘に引きずり出した人物は家康しかいない。
上杉家がどんなに徳川家に媚びを売っても無理矢理戦争に持っていっただろう。
つまり上杉家には戦う道しか残されていなかったと見る。


579 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 20:07:17 ID:ICWsoHno
幕末でも色部家が朝敵についた責任負わされて断絶させられたんだっけ
でもあれは死人に口無しって感じだし明治になってから家名再興許されてるからな
如何に畠山や宇佐美の影響があったからと言って直江家が再興されないってのは
やっぱ兼続と与板衆はある意味上杉家の癌化してたんじゃないのか?
尼子の新宮党みたいに

580 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 11:33:31 ID:KZ7vEqo+
家康に「謀反の兆しあり」と問われた時、
本当は前田家みたいに「ありません。景勝に上洛させます」と答えていたのに、
家康が「嘘つけ」と激怒していたとかだったら面白いな。

581 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 11:58:00 ID:OU2Exzj9
直江状も実際の手紙も原本、確実性の高い写し共に存在しないから史料的な
評価外だし、手紙に怒った事自体パフォーマンスである可能性はあると思う。

582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 13:48:23 ID:XaoTpbUE
上杉討伐が直江状一つで決まったワケでなく、それ以前からすでに三成派になってしまったことに問題がある。
家老が勝手に徒党を組んでお家の運命を決めてしまったことが間違い。
直江はまさに上杉家の「癌」だ。

結局、大阪の陣で豊臣を攻撃して、さすがに「義」などとは言えなくなっただろ
だから「愛」だなんて言い出したんじゃね

583 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 13:56:11 ID:OU2Exzj9
>>582
それに関してはすぐ上の >>578 にあるように徳川側との交渉も確認できると思うのだが。
三成側とやりとりした書状はどんなものが現存してるの?

584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 14:29:28 ID:+XcZjf+m
>>582
だから、関ヶ原の合戦前の上杉家は徳川とも石田とも外交交渉してるんだって。
すなわち中立の立場だった可能性が高いんだよ。
おまいがどこの歴史書を読んで決め付けた考えを持ってるか知らんが残ってる史料がなによりの証拠だろ。
しかも上杉家の史料は国が鑑定し、国宝に指定した史料だ。そんじょそこいらの二流歴史書とはわけが違う。
上杉家が徳川に反抗する態度を示したのは慶長5年6月10日付で景勝から家臣に出した書状からはじまっている。
兼続が主君を無視して先走ったというのは勝手な想像にしかならない。現時点でその様な史料は残っていないから。
おまいさんの考えを正当化したいなら信憑性の高い史料を探してくるこった。
それと兼続の愛は愛染明王からとったもので人間愛とかそういった類のモノじゃない。
上越市の春日山林泉寺の宝物館には当時に描かれたとされる愛染明王の絵と御旗がある事から今は愛染明王説が高い。





585 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 17:18:29 ID:JrbDgUw6
やめとけ
なまじゲームの知識から妄想広げている厨房に何言ったたて
曲解して必要以上に貶めるんだから
「義」から「愛」にしたって言葉からしてアホだろ
何にもそんな記述無いだろ。てか、「愛」の前立ての兜はいつ出来たと
思ってるんだ?まさか関ヶ原後なんて言わないよなw

586 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 19:06:25 ID:5DZNAGqq
だな
>>582

こいつはこのスレにズーと張り付いて直江兼続を叩いて喜んでいる厨房だ
煽るにしてもちゃんと調べてから煽れ
着色された時代劇や小説の見過ぎ

587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 19:10:38 ID:jEP5KylN
無双厨の臭いがプンプンするしな

588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 20:10:49 ID:pB7Dj8Vc
おいおい、上杉は大老だったんだから、同じ職の徳川と手紙のやり取りするのは当たり前じゃん
交渉してるから中立だったなんていえないぜ。
直江が三成と仲良しで、上杉が親文治派になってしまっていたのはある程度周知じゃないか?

589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 20:27:45 ID:bo7Jb+DN
>>584
>上杉家が徳川に反抗する態度を示したのは慶長5年6月10日付で景勝から家臣に出した書状からはじまっている。

慶長5年の正月からだろ。家康は藤田信吉に景勝の上洛を命じたが、景勝は拒否。
2月には堀直政が景勝の不穏な動きを家康に注進している。
家康相手に一戦覚悟したが、直前で臆病風に吹かれ、最上攻めと相成った。


590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 21:35:40 ID:KZ7vEqo+
もし景勝が要請通り上洛してたら数ヵ月後突然病死していたに一票

591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 21:38:42 ID:1IjWrLbG
>>590
何故?

592 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 22:06:14 ID:+XcZjf+m
>>589
では逆に訊ねるが秀忠から慶長5年3月21日に出された会津領内の工事や軍備補強の了承の書状はどうなるんだ?
藤田や堀のチクリ後の書状だぞ。
この書状も国が鑑定し本物と認められ国宝に指定されていて信憑性は高い。
上杉家に対して危機感を抱いていたなら領内の工事や軍備補強は認めないだろうに。
いっとくが俺は徳川にも上杉にも肩入れしてるつもりはない。
あくまでも現在残っている信憑性の高い史料を元に話をしている。
小説や時代劇で作られた話をするつもりはない。


593 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 22:41:41 ID:Ew74GAEb
兼続が稀代のブ男で、顔や立ち居振る舞いのボーナス得点なしに美形好きの景勝に重用されてたり
他の大名武将から好かれたりしていたら、この板での評価はどんなものだったんだろう。

個人的には、中世の最後から近世の最初という、人間の好き嫌いの感情がすごく大きな要素だった時代で
美形だったことはものすごい得点だったと思う。
それを生かすほかの能力がなかったらもちろんダメだけど、この時代のイケメンの価値は今の比じゃないと思われるし。

594 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 22:48:58 ID:OU2Exzj9
そもそも兼続ってそんなに特筆されるほどの美形だったのか?

外見は本人が整える気さえあればそれなりになるもんだし、何人かの
同時代人が客観的に外見を褒める記述を残してるとか、それなりに
有名な逸話があるとかないと「美形」だったかどうかなんてわからんだろ。

森乱なんかと一緒で、重用された小姓、近習=美形という後世の
イメージである可能性も高いと思うが。

595 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 23:16:06 ID:5QdSvPCK
重用された小姓というだけで反射的に美形なんだ、
つまり美形なら小姓近習になれるんだ、みたいな言い方されても困るよな。
そんな馬鹿なという…。
だいたい穴小姓なんて、当時でも蔑み対象だろうが。
森乱は外見が美形なんてことは証明できんが、まぁああいう最後だと
後世の人間はどうしてもね…。

596 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 23:22:14 ID:YfnUcqRt
書状のやり取りしてたとしても、それだけじゃ親密にも険悪にも判断できないよ。
特に大国同士は。

現代でも国交断絶になり大使館引き上げとかになっても、第三国で情報のパイプは繋いでおくもんだ。
子供の喧嘩じゃないんだから、仲違いして一切口をきかないなんてありえんよ。
交戦状態でなければ、儀礼的な意味でも書状のやり取りくらいするさ。

むしろこの場合は、書状の相手方が家康でなく秀忠であることに意味があるだろ。
仲良くなくても、少なくとも中立であれば、同じ大老同士なんだから、互いにやり取りしていいはず。
それがそうではなく、正式なトップである家康でなく、サブの秀忠であることの意味。
今で言えば、他国の大統領が総理大臣とやり取りせず、事務レベルと折衝してるようなもの。
これがどういう意味かわかるだろ。


597 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 23:27:22 ID:OU2Exzj9
>>596
それはいくら何でも秀忠の事を軽んじ過ぎだ。

598 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 23:31:00 ID:JrbDgUw6
彼を美形と評した記述があるのは一つだけだね
立ち振る舞いがスマートで洗練されているという意味にも取れるけど
でも、そこそこ良かった程度のものだと思う

景勝は美形好きというより機転が利いて比較的立ち回りが上手い人間を
求めていたんじゃないだろうか。美形なら別に直江に似たタイプの奴を
後釜にしなくてもいいだろうし

599 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 23:42:43 ID:+XcZjf+m
>>596
秀忠の上杉家に対する行いは儀礼的なものじゃない事くらいわかるはずだが。
関ヶ原後も最後まで抵抗し戦闘態勢を強いていた上杉家に対し江戸城桜田門前に屋敷を与えた上に直江兼続にも屋敷を与えている。
それに兼続が亡くなった時には香典として銀50枚を送っている。
譜代の大名ですらこういう扱いはほとんど受けていない。
また景勝にも些細な事でも書状を送って連絡を取っている書状がいくつも残っている。


600 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 00:03:03 ID:aBPJ52wh
まあ、事務レベルというのが低すぎというのなら、官房長官でいいだろ。同じことだが。
他国の大統領が、総理大臣と連絡を取らずに官房長官とのみ連絡をとっている。
この意味だけで、両国の仲が険悪なのはわかる。例え官房長官と他国の大統領が個人的に仲が良くても、だ。

601 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 00:12:05 ID:rX+ffjhw
現代の法治国家を例にして戦国の延長である当時の「国」の概念や
政治形態を例えるのは無理だから止めとけ。

602 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 00:23:26 ID:aBPJ52wh
じゃあその

>戦国の延長である当時の「国」の概念や政治形態

に照らし合わせて、同じ大老同士の大名が、同じ大老同士で書状をやり取りせず、
大老の息子とやり取りをしてる。
この状況が、険悪ではないという説明をしてくれ。

603 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 00:31:35 ID:aBPJ52wh
それとは別に、

上でも書いてる人いたが、家老の立場で江戸屋敷もらうのはどうかと思うよ。
いくら仲が良かろうともね。
中国国家主席と仲がいい大臣が、北京に個人用大使館を貰うようなもんだ。
自国としての大使館が、すでに別にあるにもかかわらず。
それとも、これも
>戦国の延長である当時の「国」の概念や政治形態
ならば問題ない話なの?

604 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 00:46:35 ID:rX+ffjhw
というか何でそんなに「同じ大老だから」という事に拘るのかがまずわからん。

あと鱗屋敷を貰ったのはすでに江戸幕府が成立してからだ。
これだけ言えばその例えはおかしい事が自分で分かるよな?

605 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 00:55:06 ID:b0oMWdKX
>>576
佐竹義宣は叩かれない代わりに、褒められてもいないねw

606 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 00:58:32 ID:aBPJ52wh
説明になってないよ。
同じ大老同士に拘るのがおかしいというのなら、おかしいという理由を説明してくれよ。
そして、大老同士でやり取りせずに、大老の息子とやり取りするのが普通だと説明してくれ。
それが説明できれば、秀忠との書状をもって、徳川と上杉が険悪でなかったという主張に同意しよう。

また、幕府開府後も藩は国だよ。直江は陪臣にすぎん。おかしいことに変わりはない。

607 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 01:02:43 ID:ONSvQh0K
いや、隣国には江戸屋敷の話を断ってる家老がいるからな
主家を立てる、二心無きを示す、というような意味で辞するのが常だろう

608 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 01:03:14 ID:ONSvQh0K
>>607>>603宛て

609 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 01:07:14 ID:ed5yGJ+M
直江は、豊臣政権で懐柔されて失敗して、性懲りもなく徳川にも懐柔されている感があるな。
秀吉の、直江をおだてて懐柔しておく政策を、徳川も踏襲している
武士としてのモラルに甘さがある。
上杉家よりも、名士としての自分が大事なんだろ。だから独自の江戸屋敷なんか貰ってたんだろ

610 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 01:14:50 ID:MpVHLchu
>>603
お気に入りの陪臣が屋敷を賜るのは、秀吉時代からの慣例だね。
直江の場合、徳川家の好意を無視する方が危ないかもしれんよ。
上杉家中の不和にしても、いまさらって感じだし…。

611 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 05:44:42 ID:RBCAfabt
このスレ読むと、上杉にとって悲劇だったのは書状のやりとりが「秀忠」経由
でなされていて、それを脳天気に、額面通りに受け取っていることだな。甘い。
伊達政宗と比較すれば、一目瞭然。政宗と家康は関ヶ原の直前、頻繁に文書を
やりとりをし連携を強めていく経過がみてとれる。また家康とは別に秀忠や結城
秀康とも書状を交わしているが、それは戦術的な軍事作戦などの打ち合わせといった
類。家康は4月には島津惟新に、はっきり上杉征伐の意を伝えている。
当初から景勝と直江は、情報戦からも孤立していたことがわかる。

612 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 10:25:53 ID:CoaaIhSn
>>603
おまい秀忠の性格をわかっていないな。
代々徳川家を支えてきた本多家は本多正純の代に一度改易になったわけだ。
しかし先代正信やそれまでの正純の功績を考慮され5万5千石が再び与えられたわけだよ。
だが正純は固辞しちまった。
この対応に秀忠は怒り心頭となって本多家は再び改易となり出羽横手に流罪となった。
秀忠というと一般に温厚な性格だったと勘違いされてる部分があるが実際は全然違うわけだ。
もし兼続が屋敷の拝領を拒んだなら、もしかしたら上杉家が取り潰しにあっていたかもしれんのだぞ。

613 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 12:03:18 ID:CoaaIhSn
>>611
その伊達も充分に甘いんだがな。
100万石のお墨付きを家康から貰いながら南部領で一揆を誘導した事がばれて反故されとる。
加増はたったの2万石で家康側につきながら戦前の所領からの増加率はワースト1。
家康と直接連絡を取っていても何の意味もなかった結果だ。

614 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 15:15:15 ID:UT4fgVdD
>>613
そりゃあしょうがないだろ。政宗はどこまで行っても所詮政宗なんだからw

615 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 16:55:54 ID:pAN3M70Z
>>613
>100万石のお墨付きを家康から貰いながら

馬鹿だなあ。この文書は証文ではなく単なる「覚え」。
リアリストの政宗が信じる訳もない。ナイーブな上杉ならありえるがw
慶長6年早々に家康と政宗で上杉を討伐した際にでも実現されただろうが、
残念ながら上杉は、慶長5年暮れには徳川に土下座してしまっている。
なお、家康はこの件を負い目に思っていたため、大阪の陣で宇和島10万石
を与え、政治的な手打ちを行っている。

616 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 18:06:10 ID:ukOpH00r
宇和島・・・って体よく力を分散されているんじゃねぇかよ

617 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 22:39:24 ID:eh1wXMcv
いずれにせよ、この独自の江戸屋敷をもらったことは、他の家臣との亀裂を決定的にしただろう
直江の、ダメなところは、独善的で、他の家臣と仲良くやれないことだ。

伊達の片倉は、オレは殿様じゃねーただの家老だ、専用の屋敷なんかいらね。といって断っている。
とがめられていないところをみると、幕閣とツーカーの仲だったんだろう

618 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 23:10:22 ID:9TTiLC9B
まあ、結局、2ch上で、世間一般の評価が高い武将や政治家を叩く事が
カッコいいと思ってる奴が多いからなあ・・・。ここもその例に漏れず・・・。

619 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 23:21:06 ID:b0oMWdKX
直江の場合は実際大した実績が無いんだから仕方ない。

最上義光が好きな俺みたいな奴からしたら、景勝も兼続も、
結局、家康の掌中で操られて追い詰められただけなのに、
武士の意地などと言ってる割に、徳川にぶつからず、勝てそうな相手の小城を掠め取ろうとした
卑怯者にしか見えない。

しかもそこまでして何倍もの兵力で包みながら負けて逃げただけのクセに。
義光の方が遥かに名将だ。

620 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 23:51:55 ID:aBPJ52wh
>>613
家康と直接やり取りしていた伊達は、少なくとも徳川と険悪だったとは言えんよな。
恩賞の話は関係ない。
この話の発端は、景勝は秀忠とやり取りしていたから徳川と険悪ではなかった、という主張だろ。
で、大老であるはずの景勝が同じ大老である家康と直接やり取りせず、その息子とやり取りしていた事実に対して、
家同士が険悪でなかったという説明はできるようになったか?

621 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 00:11:15 ID:qGv4R/l2
>>617
幕府からの屋敷の話とか秀吉からの領土の話とか聞く度思ってたんだけどさ、
兼続が申し出を「受けた」事は実際に現物受け取ってるから明白として
景綱が「受けなかった」史実はどうして後世に残ってるんだ?と。

>伊達の片倉は、〜といって断っている。
明確に断っているという事はやっぱり曖昧な話でなく、そのものずばり領土、
屋敷の授与打診あるいは逆にその申し出を蹴った書状なりが残ってるって事か。
良ければ教えて欲しいんだけど。

元ネタが片倉代々記あたりだったら探すの楽だけどどうしようとか思ってたw

622 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 00:13:21 ID:+cfm/xO3
>>619
後年、米沢藩財政を建て直した産物にしても、義光が開削・整備した
最上川水運で上方に運ばれたわけだが、そういう所はスルーなんだよな。
あくまで最上家は、上杉によって滅亡寸前まで追い詰められながら、
関ケ原の結果で助かったラッキーな奴、としておかないといけないらしい。
まあ、そうでもしないと長谷堂合戦の言い訳がたたないんだろうけど。

623 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 01:04:22 ID:1BcCUvO0
直江スレから、直江を貶めるために最上伊達を語るスレになってきてるぞ。

624 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 01:13:03 ID:vLipYRQN
>>623
前からこんな感じだよ。
たまにマトモなレスがあって、それを見るのが楽しみ。

625 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 01:25:48 ID:VXfa/LDC
>>623
というか、アンチ直江兼続の何が何でも認めないといった書き込みが多いよな。
上杉の証拠物件にはあれこれといちゃもんをつけ、他家の証拠物件は信用できるみたいな。
その時点で既に冷静さを欠いている事に気付かんか?
判断を下す前から既に片方に肩入れして物を見ていて何学者気取りでいるんだか。
そんなに直江兼続を認めたくないならアンチスレでも立ててそこで議論すればいいじゃん。

626 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 01:28:54 ID:qGv4R/l2
伊達スレも何故か同じような感じなのは何故なのだろう。
そして伊達スレでも直江スレでも最上は評価してもらえるのに何で
本スレには人がいなくて寂しいんだろう。
正直、そんなに語るネタがあるなら最上スレに来て欲しいんだけどね。

誰か最上から見た長谷堂とか熱く 語 ら な い か
ttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156478887/

627 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 11:05:10 ID:Fs+aafYN
>>625
どこもアンチってそんな感じだよね。ちなみに伊達スレも黒田スレ
もこういう感じ(ただの罵倒レスとかばっかになる時すらある)。
どこいってもそうだといい加減いやんなるよね。

628 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 11:33:12 ID:5ZHTiaoc
つーか、直江って嫌われる要素が全部揃っているっしょ。
無能で傲慢で無責任なのに高禄とりで。
一般世評と実際の解離がマジで大きいからじゃね

629 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 11:46:58 ID:5bE2UwuA
>一般世評と実際の解離がマジで大きいからじゃね

武将の評価なんて大概そうなんだよ。直江だけじゃないの
お前の評価基準はあからさまに偏ってる
そんなに貶めたいならアンチスレ立てて来い

630 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 11:56:05 ID:5bE2UwuA
>>622
直江好きだけど最上に関してはもう少し評価してもいいと思っている
長谷堂は失敗なのは明らかだし、評価されているのは撤退戦だからね
あの戦いは義光が凄い

だからって直江は軍略皆無とは思わないよ
そうだったら死んでいたじゃんw

631 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 12:10:50 ID:K8StY98P
>>628
少なくとも秀吉は評価してたんじゃないの?

632 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 12:22:39 ID:+GjaTene
無能の兼続を重用した景勝。
その二人に、合わせて約150万石も与えた秀吉ってことにならんだろうか?

というか、重臣とはいえ懐柔に30万石も必要だったのか?
秀吉の目的が、直江の懐柔だったとしたらだが。

633 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 14:31:43 ID:ADl8QEV4
いや、120万石のうちの30万石でしょ?

634 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 15:28:26 ID:HHUIo5nh
そもそも30万石ももらっていないらしいが。

635 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 15:30:35 ID:/HgveGbj
30万石を管轄するだけで、兼続の直領は5万石でしょ。
秀吉の親任による佐渡代官も兼任したままだし。

636 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 15:34:44 ID:lZqm0taz
秀吉は直江に30万石与えて独立させたかったんじゃないの?

637 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 17:16:53 ID:ALg3d2y9
ここのアンチって>>632みたいな初歩的な知識もない奴ばかりで呆れるよ。
義をつけれないから愛を前立てにつけたとかさあ。
徳川家との親交を暖めていた証拠となる手紙があるってのに無いと決め付けてたり、
あったらあったで信憑性が低いと勝手に決め付けてたり・・・なんだかなあ。
相手にすんのもアホらしくなってきた。


638 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 18:10:01 ID:hPbai+Yb
そもそも一陪臣のスレがのびるということが不思議。

639 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 19:02:04 ID:qGv4R/l2
>>630
上でも書いたけどさ、そういうのって最上スレでやりたいんだよね。

「ここでやるな」っていうんじゃなくて、ちゃんと個別にスレが立ってるんだからそっちで
史料出し合ったり適当にダベったりしながら最上の評価を見直したいんだけど……
結局、ここで不必要に最上を持ち上げてる人間は単に直江を悪く言いたいだけ何だろうね。

最上の事なんかそもそもまともに知る気すらないんだろうなぁ……
評価してるって言いながらたまに明らかにおかしい事言ってたりするし。

640 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 19:03:44 ID:qGv4R/l2
ごめん、最上スレじゃなく東北の大名スレだな。他家好きの人には失礼だった。

641 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 19:09:37 ID:5bE2UwuA
>>619
でも伊達も上杉も戦後生き残ったのに
最上はいとも簡単に滅亡させられたしな。

642 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 23:21:45 ID:gTRA4sfH
>>639
前スレでやった「長谷堂合戦」ネタは楽しかったなぁ…。
直江に興味ある人なら、最上に関しても普通に調べてますよ。
個人的には、庄内別働隊の殲滅はヤラれたと思ってます。
米沢追撃戦後の最上勢の動きは、敵ながら天晴れかと。

643 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 23:32:07 ID:GxThLTPr
上杉も、結局は幕閣に乗っ取られているから、最上と大差ない

なんか、直江をマンセーしたいヤシらもせこいな。少しぐらいけなされたぐらいでギーギー鳴くなっつーの
直江がそんなに偉いんなら、多少けなされたぐらいで揺るがないだろ
最上だとか伊達なんてのは、直江を語っていたら当然出てくるキャラで、比較されるのも当然だ
比較を避けて他のスレに誘導したり、せせこましいぞ
堂々と比較されて、直江の欠点も含めて愛してやれ。それでこそ真の直江厨だ

644 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 00:09:53 ID:NwRN4qd0
自分がしたことは他人にされても文句は言えない。
「けなす」なら「けなされる」のは当たり前。
批判の返ってこない批判なんて最初から批判になってない。
良かったじゃないか、ちゃんとけなしてるととってもらえて。

645 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 00:10:34 ID:p2Kt5S74
>>643
冷静な分析の比較なら大いに結構。
だがアンチは他家の情報は疑いもなく信用し、上杉の情報は眉唾モノというだろ。
で都合が悪くなったらスルーか、もしくは言い訳のオンパレード。
それとな、ここは直江スレだからマンセー信者が集うのは当たり前。
叩きに来る連中の方がどうかしてるだろ。
異議があるなら、ちゃんとした情報を元に訴えろ。

646 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 00:49:33 ID:KP/oLjO1
>>645
>>他家の情報は疑いもなく信用し、上杉の情報は眉唾
具体的に何?

647 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 01:03:23 ID:edHqJ/n3
伊達スレのアンチの方がよっぽど酷いと思うが
直江好きな人間にはナイーブなのが多いのかしらん

648 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 01:21:02 ID:lDCWhErT
まあまあ、そうカッカせず、まったり行こうよ

話は少し戻すけど、天下人の陪臣への贈与、優遇ってのは、
直江みたいにもらうのが一般的だったの?
それとも片倉みたいに、断るのが一般的だったの?

649 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 01:26:00 ID:cwj7AD1L
>>647
伊達スレのアンチは、たまに鋭いツッコミがあるから楽しいぞ
こっちは喚くだけで、史料を使った反論もねーし

650 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 02:14:15 ID:xid7S/LL
>>648
伊達家では、鬼庭綱元が秀吉の愛妾を下賜されてる。
徳川家では、大久保忠隣が小田原への入封を斡旋されてる。
で、断った片倉は秀吉の子飼い連中と諍いを起こしてる。
例の「ちんちくりん〜」で、福島らを小バカにした逸話ね。
出所が怪しいから、いまいち信用できない話だけど。




651 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 04:58:47 ID:CsHuQP3M
直江は、ファンともども打たれ弱いというってことだろ。
政宗が比較されるのは、例の小判だの、戦場で後ろ姿しか見かけなかっただの
という、人物が狭量なイメージを与える直江の逸話によるもので自業自得だ。
清濁合わせ飲む器量のない官僚タイプで、現代なら山形出身の加藤紘一のような
人物だっだように思う。
戦争は下手だろ。格下と舐めていた最上に翻弄され、上山では完膚なきまでに
叩かれ、惨敗している。

652 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 06:52:07 ID:bgMXn79v
>>651
いや、それは酷い暴言だよ。
直江スレでいちいちそんないやみ言わなくても、

だいたい、数週間くらいで最上領、攻略はできんだろうし、
それに山形、長谷堂、植山以外は席巻してるんだが。

653 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 07:26:28 ID:p2Kt5S74
>>651
>小判だの、後ろ姿

そもそもそういう逸話をまともに信用しちまってるところからして痛々しい。
本当にそういった行動や発言をしたという信憑性の高い記録が残ってるのか?
あるのなら教えてくれよ。
そういった話が全て本当なら源義経はモンゴルに渡ってチンギス・ハーンになって、上杉謙信は女で、織田信長は本能寺を脱出し生き延びたという事になるわけだが。

>>646
ここ一週間、このスレで議論されていた関ヶ原の合戦の話や徳川との関係の話を見れば?





654 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 08:53:32 ID:NwRN4qd0
>>648
>>650
それはそもそも「断った」場合の史料がないと比較できないだろ。

「もらった」場合は物なら現物に関する記録、権限なら付随した行使の
記録を探せるから証明の方法もいろいろあるんだけど、「断った」事実を
証明するのは結構難しいぞ。

そのまんまな書状でも存在すれば一発だけど…上の方で出てた
小十郎が「自分は家臣だから」って断ったって出典とかどうなんだ?

>>651
それは直江を叩いてるのが問題なんじゃなくて、単純に逸話を元に批判
しようとしてるのが駄目なんだと思うぞ?

655 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 11:49:41 ID:zITNAMx/
他スレから一言。「片倉代々記」なんてどーだ。

656 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 13:15:29 ID:U90YyjMK
脱糞

657 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 13:53:59 ID:qGn4smi+
脱肛

658 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 16:02:17 ID:zmiaubEg
>>647
しまいにゃ身体障害者が有能なわけ無いとか言い出す品。まぁシカトだろうけど。

しかし、「>小判だの、後ろ姿」だのの逸話で人格否定を元に
何故か直江の政治手腕まで叩くのはおかしいわな。それはそれっていう感じだ。

659 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 18:21:53 ID:ihUkUGj4
>>628
政宗の紹介、乙(wってところだな。政宗にも良く当てはまる指摘だ。

>>653
小判が卑しいんじゃないんだよ。卑しいヤツが触った小判が汚らわしかっただけなんだよ。

660 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 19:16:07 ID:NwRN4qd0
>小判
もしかすると直江は岡左内のアレを見てしまったのかもしれんな。
想像するだにトラウマもんだろw

661 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 19:51:07 ID:tTJoyy79
ああ、そして兼続は、関ヶ原直前に
左内の汗にまみれた小判を献上金として受け取った。


関ヶ原時の兼続の調略はあきらかに精彩を欠いている。
越後への動きのお粗末さは、まるで兼続が金の使い方を忘れたかのようだ。
その原因が……献上された小判を通じて上杉の金蔵に満ちた
左内の汗のにおいに対する嫌悪感であったのではないか……?
……その軍資金で積極的に働きたくなくなったという気持ちが
兼続に芽生えても、俺は責めない。

662 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 23:13:19 ID:zcp2dEnf
秀吉の懐柔を受けて、領土や官位、城をもらってしまうという、間違った陪臣といえば

直江兼続、安国寺恵瓊、大久保忠隣

共通点があるね。才走って独善で。お家よりも我が身が大事っていう

自身の身代は破滅し、主家に大迷惑をかける点でも同じ

663 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 08:43:38 ID:RmSsuQsK
またネタ投下か、暇だから付き合ってやるよ。
俺自身、案国寺と大久保の知識は乏しいんで、この二人を語るのはやめとくよ。史実と逸話と混同してるかもしれないから。
で、直江だが主家に迷惑とはどんな迷惑だ?まさか関ヶ原の合戦の事をいってんのか?まさか家康に宣戦布告をしたのは直江の独断と思ってんのか?
おいおい勘弁してくれよ。
家康に宣戦布告宣言をした信憑性の高い最初の文献は景勝が家臣に宛てた書状だぞ。
それとて内容は家臣に対して「家康が自分の言い分を認めないので頭にきたから一戦も交えずと思うのだが、おまいらどう思う?」という様な内容。
早い話が家臣に対してアンケート調査をしている様なもんだ。で多い意見を採用した結果が戦を行う方だったっちゅうわけね。
この書状から二ヵ月後には会津に石田三成の使者が来訪し、直江の下には佐竹の使者が来ていて完全に戦闘モードに突入しとる。
残されている直江状は写しでしかも後世の人間が手を加えている可能性があるから信憑性となると???
小説や時代劇をおもしろくするためのネタとしてなら評価するけど。


664 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 11:24:58 ID:eSK7nPSe
講談に描かれている直江は誉められたもんじゃない面もあるし、
よくビジネス書に紹介されている名将エピソード集の
「あの世に迎えに行け」と訴訟人を殺した逸話なんざ、
別にいい逸話でも何でもないし松永が同じ事してたらニュアンス違っただろと思うが、
実際の兼続は別にそんなにドキュンじゃないよなあ。

665 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 13:08:40 ID:KtZgbyVP
直江は豊臣から格別な恩を受け、その交友を見ても、三成、前田、真田、など、親三成反徳川は明らか
家康から観て、討伐されるべき対象になってしまっていたことに失敗がある
まさか、家康が戦争を仕掛けると思っていなかったとしたら、甘さがある
失策自体は直江自身が直江家を断絶させて認めている
何より、上杉家が彼を否定して審判を下している

666 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 16:48:06 ID:OjlHVsTS
もっと単純に考えるんだ。
会社が倒産しかかって、規模が四分の一になったとき、オーナー社長の責任はもちろんあるが、
普段から決裁からなんからすべてやっていたCEOの立場にいた人間はその手腕を疑問視されても仕方ないだろう。
ましてや同業の集まりには社長ではなくこのCEOが顔として出ていたとしたらなおさら。
それがよいがどうかは別として、まわりから人格否定されることもありうる。


667 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 17:46:32 ID:0T2UP0aw
そういう例えをしてしまうと、とむしろ解任されずに留まってる時点でCEO一人の
責任では無かったと周囲が考えている、と取るのが自然になってしまうわけだが。

668 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 18:08:43 ID:nsAZceM1
もー、そこまで直江否定しなくてもいいじゃん。たまにまぎれてる最上伊達景勝
否定も。ほんとつまらん。

669 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 18:27:16 ID:Ub0DOJh7
関ヶ原付近の話になれば、当たり前だが最上の話になっちまうし、
どう繕った所で、あの合戦は始めたきっかけから結果まで良い所が無いので、
アンチよりになっちまう。

かと言ってそれ以外の話は政治的な駆け引きの話ばかりなので、
ドロドロした話ばかりになる。

誰か気分一新するために、他の合戦の話は無いもんかね。
御館の乱とかでは彼は何してたん?

670 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 19:55:14 ID:dbpXyDmF
>>665
おまえ過去スレ嫁よ。
関ヶ原前から徳川秀忠とは仲がいいんだぞ。他の奴が何度も書き込んでるだろうに。
おまえの勝手な想像による書き込みと国宝に指定されている書状とどちらが信用性が高いよ?
あとな、直江家の断絶を決めたのは妻のお船の方の可能性がひじょうに高い。
兼続は婿養子で元々直江家の人間ではない。直江家の家臣の多くが兼続に従ってきたというよりもお船の方に従ってきたといって過言じゃない。
もし兼続あっての直江家ならば兼続が亡くなった1619年に直江家はもちろんの事、菩提寺の徳昌寺に与板衆も除外されるだろ。が、現実にはされていない。
除外されたのはお船の方が亡くなった1637年直後。それまで直江家に対していい感情を抱いていなかった家臣もお船の方が生存中は手出しが出来なかった事がわかるだろ。
いかに上杉家内でお船の方の力が強かったかが理解できると思う。
いつまでも小説や時代劇や逸話で抱いてしまった自分勝手なイメージで物事を語るなよ。
見ていて呆れるを通り越して情けなく感じるよ。あまりの知識の無さに。



671 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 20:21:47 ID:ojRVZm/5
直江状は後世に作られた偽文書

672 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 22:14:16 ID:sPVpGdOA
>>670
だからさ、秀忠と個人的に仲が良くても徳川家と仲が良かったとはとても言えんよな。
上で散々指摘されてるよな。
大老同士でやり取りせずに、その息子とやり取りしている状態で、
仲が悪くなかったと説明してみたら。


673 :山城守:2006/10/15(日) 22:21:48 ID:r+73t1Mw
たしか上杉討伐のきっかけになったチクリの藤田が最初逃げ込んだのは
秀忠のところでなかったか?

674 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 22:26:41 ID:r+73t1Mw
>>671

でも家康に返信したのは間違いないんでしょ?書物マニアで京都の寺に出入り
して知り合いの坊主は多かったはずだからその方面からでも家康に回答が送られて
るんでないの?

675 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 22:28:15 ID:0T2UP0aw
この場合、誰とのやり取りかという事より書状の内容が問題だと思うのだが。
秀忠は元服してる徳川の継嗣なんだから、当時上方にいる父に代わって関東に
おける軍事、政治の采配をある程度任されてもおかしくない立場なわけだし。

つまり書状が公的な形で、かつ政治的な内容を記述してるならそれは秀忠個人との
私的なやりとり(仲良いとかそういうレベル)ではなく「徳川」との折衝であると判断
できると思うのだが。

ま、要は内容分からんと議論するだけ無駄じゃね?という話。

676 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 22:44:53 ID:RmSsuQsK
>>672
残念ながら今の段階では家康との親密さを表す手紙はないな。
あるのは形式的な手紙ばかりでね。
ただし家康の参謀である本多正信とのやり取りの手紙は何通かあるな。
世間一般では関ヶ原後の上杉家の処分が減封で済んだのは結城秀康のおかげといわれてるが今年米沢で行われた上杉景勝展では研究の結果本多正信の力が大きかったと公式に発表しているのよ。
無論、結城秀康や徳川秀忠の力もあったのは事実だろうて。
事実、本多正信の次男政重は直江家に婿養子になっとるわけ。
人によってはスパイとして送り込んだという連中もいるのだが、後に前田家に仕官した政重の現存する甲冑は直江兼続の甲冑と色違いの代物だ。
常識的に嫌いな人間や表面上の付き合いをしている人物と同じデザインの甲冑を生涯大事に残すかね?
破棄するか他人に譲るだろ。



677 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 23:03:32 ID:RmSsuQsK
>>675
書状が写っているサイトを探したけどないのよね。
そのサイトがあればいちいち説明しなくて済むから楽なんだけども。
本当に知りたければ米沢市や新潟県に問い合わせてくれとしかいえん罠。
今年、米沢で上杉景勝展があったんで見れた人はラッキーだと思うよ。
展示品は国宝に指定された品や重要文化財クラスを中心に展示してたから。

678 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 01:30:56 ID:H1Uwmtr1
次期将軍の秀忠と懇意にするのは外交上非常に重要だと思うが


679 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 01:47:51 ID:20dw4k3h
なんだかんだ言っても関ヶ原以後の外交手腕は目を見張るべき物があると思う。
関ヶ原のそもそもの原因を作った大名なのに、御家を存続できたのはやはり評価
できるだろ。本多や結城、秀忠とのパイプをつくったにしても。

あと、米沢の城下の発展についても、当初は割合小さな城下町だったみたいだし。

どうも、こういう十分に評価できる事績に関してもどさくさに紛れて否定されてるし、
吉良の倅が養子に入った事に至っては直江山城が死んで40年くらい経ってからの話だぜ。

680 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 02:34:45 ID:9b/oE0Ih
外交も平凡だ。
同じ負け組みの毛利と比べてみ。毛利の方が発展してる。
島津、前田、鍋島とはどうなんだ?
同じく負け組の佐竹とも衰退率で大差ないだろ。
外交、内政が優れていたんなら、同じ負け組み諸藩の中で比べてより発展している、というものを示さなくては。
徳川幕府の名家好みに加え、遠国であるという条件も有利に働いていることも考慮すると、特に優れているものは見つからない。
むしろ、名門中の名門の武家の割にはイジメられている方と思うが。
どんな、小さな大名にも家格相応の取次ぎ=パイプは居るからな

681 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 06:30:04 ID:9AHv2FoU
うちのご家老はすごいんです。幕閣も大物扱いしてるんです。
だからオラたちも頑張って荒地を耕すぞ!

という心の支えが必要だったんじゃないかな。
昔20勝くらいしたことがあるピッチャーが楽天に入団したら
今年は25敗でもやっぱりファンの間ではエース。
人を奮い立たせるウソがある。
話題にもならない人間が頭になるより、賛否両論の人間が頭のほうが
物ごとが動きやすく、今すぐ動かないと飢え死に状態の米沢では
まさにそれが必要だった。
兼続がおめおめと生き残ったのもそんなウソのためじゃないかね。

682 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 11:18:07 ID:nfE0TxwX
しかしまあ一陪臣のためにあーだこーだ意見がでますな。
やっぱり大物だね。

683 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 15:34:45 ID:NVxn/HrZ
ついに大河で出てきたのにその事について触れる奴はいないのねw

684 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 15:54:09 ID:RRN63zk4
>>683
史実厨といわれるだろうが1600年の正月になんで直江兼続が佐和山城にいるんんだよw
会津城下の整備で忙しい上に積雪で簡単に移動出来ないっちゅうに
けど、ドラマとしては楽しく拝見させてもらったよ
こういうドラマを見て史実と勘違いする奴がまたたくさん誕生してくるんだろうな


685 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 23:50:45 ID:+km7rIIu
この人の頑張りは認める。でも、やっぱりサムライとして何かが間違っているような気がするな〜
失策の責任を取らない、というのはやはり如何だったんだろう?

思うに、長谷堂の撤退のときに、殿軍で玉砕していたらカッコよかったんじゃないだろうか?
そうすれば、失策は明らかであっても、「大した能は無かったけど、奴なりに頑張った」ってことで、
家中で嫌われるようなことも無かったんじゃないだろうか?
そして、直江家もつぶさずにすんだのでは

686 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 23:56:57 ID:20dw4k3h
>>685
玉砕ってのも無責任だと思うがね。

直江としては、御家再建に力をつくし、かつ家を絶やすという方法で
責任を取ろうとしたんだと思うが。

687 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 00:55:09 ID:Ik4O3gna
以前直江関連のwikiがアンチによって好き放題書かれてたが
直江を叩く為に藤田信吉とかをこれでもかと言うほど褒めてたな





それはともかく叩かれっぷりでは鍋島直茂の方が悲惨だと思う
直茂自身は最後まで龍造寺を守り立てようとしたのに化け猫だの言われて当時から叩かれてたんだからな

688 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 05:55:15 ID:uTrZc+wh
>>687
叩かれて悲惨なのは勝茂の代以降だな。
直茂生前はそれほど叩かれてない。

689 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 09:53:43 ID:qQW8R5ck
戦国武将関連のwikiはもう有名人物なら尚更酷い事になってる。
大変だね…人気武将は。こういうの観ると信者もうざいっていうけど、
酷いアンチは最低って思うわ。

690 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 11:44:08 ID:1ae4ayD6
>>687

だからその血筋に幕末、妖怪が出てきたんです。

691 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 11:50:58 ID:1ae4ayD6
そういや上杉家って執政の直江以外にも謙信以来の重臣とか年寄り
連中はたくさんいると思うけどそういう連中は関が原後、減俸されて
ここぞとばかり兼続を叩いたり責任の追及はなかったの?若いクセに
俺たちを差し置いてと不満が鬱積してそうだけど。

692 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 13:51:09 ID:AvDE3uRD
景勝の後ろ盾があったから地位を保持できたけど
家中からはかなりの反感があったようだよ
米沢へ移ってからは微禄しか受けなかったり
直江家が断絶したり、配下の与坂衆が没落していったのも
その顕れであると言える

693 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 14:44:44 ID:BssOouLD
関が原以後も高給取りでいられたのは、景勝とのホモの絆ゆえでしょ
お家の台所事情を考慮せず、開き直っているって感じ

694 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 21:15:36 ID:hh4ioRVO
ホモネタいい加減ウザイ
あれだけ兼続がいい待遇受けたのは景勝以外に直江家というバックグラウンドもあるだろうね
むしろそれが強いといえるかも
直江家は謙信の時代から側近中の側近という家だから高禄貰えるのも当たり前
そんでもって禄が少なくなっても権力があったのもその名残
上杉の中でも特別な存在だから他の家臣が面白くなかったのかもな
兼続というより直江家自体煙たがれていたと考えられるかも
もし、彼自身が面白くないなら断絶しなくても死んだ後に直江家の地位を
下げればいいだけなんだから

695 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 21:24:03 ID:Ik4O3gna
>>694
>直江家自体煙たがれていたと考えられるかも
柿崎景家、晴家変死の黒幕が直江景綱って話もあったような

696 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 21:34:03 ID:PDG6te1w
直江は、関が原後は仏門にでも入ればよかっただろ
「直江は坊主になって反省しています」って言えれば、徳川の機嫌も良かろうに
学問も出来るし、ご意見番になってもいいだろうし

697 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 21:44:27 ID:HATxHQFh
そもそも直江って主戦派だったんだろうか?
直江状のイメージでそんな事になってるだけで。

698 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 01:03:13 ID:KKY74F2U
>>695
景家は病死らしい。たしか、景家が誅殺されたとされる年より遅くの
上杉氏の軍役帳に晴家の名前があるからな。直江黒幕説に興味有ります、
よかったらソース教えてくだされ

699 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 01:58:46 ID:sm+2qk15
兼続自身が本来責任をとるべきなのに、責任をあいまいにしたために、
直江家のお家のほうがつぶれるハメになってしまったわけね。
兼続にとって、本来借り物だから、直江家を潰したところでなんら惜しくないわけだ
サムライじゃねーよ、兼続は

700 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 10:14:11 ID:jcUaechS
>>699
何度同じ事書き込んでんだよ。
直江家の断絶は妻お船の方の意向が強かったとされるんだよ。
お船の方は兼続亡き後も上杉家から一目置かれ、3000石の所領に江戸鱗屋敷が与えられてんの。
特に3000石の所領は女性としては破格の待遇で当時1000石以上貰っていた女性は秀吉の妻寧々と春日局だけ。
つまり養子を迎えて直江家を継がせ様と思えば簡単に出来た立場だ。

701 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 10:28:38 ID:jo3bT8Xs
>>699
君のサムライの定義は何よ一体。

702 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 23:14:11 ID:VMbu4DFg
女でなぜそんな高給が必要なんだか?
いずれにせよ、人望、人徳があるなら直江家を終わらせる必要はなかっただろう。
彼女かあるいは兼続に対する批判に耐えかねて、あるいは反対派に攻撃されることを予想して、断絶したんだろう

703 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 23:28:08 ID:/Jqlksv+
>>696

学問好きなので崇伝の師匠に坊主でもならないか?お前なら出世する
ぞと勧誘されたとは聞いたけど。

>>697

堀家と越後のことで争ってたのが絡んでるのかと。長引いて訴訟として中央に持ち込まれて
裁決を受けた場合、親家康派の堀に有利な判決が下る可能性は高かった。その場合上杉家は何ら
かの処分を受けるだから執拗に上洛を拒否していたと考えられなくもないんでないか?


704 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 23:40:29 ID:/Jqlksv+
>>702

>女でなぜそんな高給が必要なんだか?

謙信以来の重鎮の家というのと、景勝が上杉家を継ぐ時に功績があったから
だろう。お船の方の母ちゃんが謙信の臨終を看取っていて跡取りは景勝と聞いたと
証言した。この直江家の景勝支持ってのは国内の豪族の帰趨に影響を与えただろ
うとおもうし

705 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 02:11:09 ID:lyAheW6+
>>701
結果に責任を取る。出処進退いさぎよい。懐柔されない。主家が第一。
んなところでないかい?直江にはどれも…

直江家ってのはそんなに影響力のある家だったんだ。
それを断絶させる、ってのは、よっぽど兼続かその妻に非難轟々だった?

706 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 10:15:28 ID:3ze3MH2f
>>702
>女でなぜそんな高給が必要なんだか?

景勝の正妻、側妾(嫡男母)ともに景勝の嫡男生誕の前後に死んでしまったため
嫡男定勝が生活する江戸屋敷の奥向きの仕事を直江室が取り仕切ることになった。
いわば定勝の母代わり。この職務は兼続死後も続行する。

707 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 10:21:32 ID:DSsTm1y5
>結果に責任を取る。出処進退いさぎよい

米沢での働きは彼なりに責任は取っていると思うよ
それを自分なりにやりつくして家を断絶させて身を引くのもある意味潔くないかい?
直江家ばかり強くなってしまうと後々トラブルになるのは目に見えてるし
非難というか関ヶ原の責任は誰か取らないと拙いわけだから仕方ない
彼自身の行動もあるけど強すぎた権力も仇になっているかもね


708 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 10:58:28 ID:pEdFuXuc
>>705
てかここ戦国板だから。

709 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 14:11:48 ID:1myA7UjN
清野が現れて、直江は身を引かざるを得なかった、というのが実情じゃね。
それまでは、地位をキープしているし、給料ももらい過ぎ
家中の人々は、責任が取り切れたと認めなかったんだろう

710 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 14:31:06 ID:pEdFuXuc
そもそも直江の取るべき「責任」て何に対しての責任なんだろう。

711 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 21:34:33 ID:b+cVVizE
豊臣家に過剰に恩を受けたり、反徳川の連中と交友をしたり、浪人を雇って戦争準備をしたりして
徳川に敵と思われて、合戦を仕掛けられてしまったことでしょ

712 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 22:06:46 ID:gi/YjytH
>>711
また馬鹿のひとつ覚えの煽りかよ。少しは過去スレぐらい嫁。
・豊臣からの過剰な恩→どこが過剰だ?屋敷を貰う程度は過剰の内には入らないだろ。それに豊臣政権下での兼続の石高は5〜6万石しか貰っていない。
江戸時代の加賀藩に仕えた本多政重は5万石を貰っている事から数字的には常識的な石高だ。豊臣姓は誰でも貰っている。秀吉の形見は豊臣家が勝手にくれたもので兼続に過失はない。
・浪人を雇って→旧領の越後に何割か家臣を残してきたので会津に来た時は不足しているのは明らか。また家康から領内の整備や仕置きの許可を得ており整備中も秀忠から許可を得ている。
直江状ではないが戦争の準備をするなら道路の閉鎖等を行うのが常套手段だ。上杉は道路の拡張等の整備をしていたわけでから辻褄が合わない。
・徳川に敵と思われて→徳川秀忠や本多正信と外交交渉をしていて1600年の3月までは親密な内容の書状のやり取りが見て取れる。上杉としてはやれるだけの事はやっている。
逆に石田方とのやり取りをした書状が少なく信憑性の高い史料は1600年7月の書状一通のみ。証拠隠滅で破棄したとするなら石田方の書状は全部破棄するはず。一通とはいえ残っているのは不自然だ。
個人的な予想になってしまうが家康が秀忠や正信の進言を無視して独断で上杉に喧嘩を売ったとしか思えない。
なんとしても目の黒い内に己が天下を掌握したいがために。




713 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 22:08:52 ID:sMHH+dBM
ギーギーとか言ってた馬鹿と同一人物だろ。

714 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 22:36:58 ID:lyAheW6+
>>712
>個人的な予想になってしまうが家康が秀忠や正信の進言を無視して独断で上杉に喧嘩を売ったとしか思えない。なんとしても目の黒い内に己が天下を掌握したいがために。

当たり前じゃね。家康がどうやって天下を取るかは家康が決めるんだよ。何で秀忠や正信の進言を守らにゃならんの?決まったルールなんてあるの?
天下を狙う家康の目に映った直江上杉が潰すべき存在だったんだよ。そうなった直江の行為が失策だろ

715 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 22:47:52 ID:pEdFuXuc
>家康が秀忠や正信の進言を無視して独断で上杉に喧嘩を売ったとしか思えない。

関ヶ原後の直江−正信を通じての働きかけも、家康が意見を退けた正信の面子を
立てる意味を含んでたと考えるとしっくりくるな。

716 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 23:14:32 ID:o3s4mRqJ
>>710
失敗し、縮小した組織のナンバー2、
あるいは実務担当のトップとしての責任。
日本はトップを傷つけないようにする文化があるから、
失敗の責任はすべてナンバー2が負うことになる。


717 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 23:16:58 ID:o3s4mRqJ
>>714
お前さんは家康が独裁的な主君だったと思っているのか?
家康ほど家臣に気を使わなけらばならなかった君主もめずらしいぞ。
三河家臣団のことをもう少し調べてから物を言いたまえ。

718 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 00:17:48 ID:XFB+8mVI
>>717
むしろ三河家臣団がそういう性質だから、>>712

>個人的な予想になってしまうが家康が秀忠や正信の進言を無視して独断で上杉に喧嘩を売ったとしか思えない。

はありえないと思う。

719 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 00:27:38 ID:Pf/lIXYF
要は秀忠、正信と家康の間に意見の相違があったのか、
あるいはグルで上杉を引っ掛けたのか、てのが肝って事でいいのかな。

この時期だと正信の地位権力ってどんなもんだったんだろ。
大久保長安との政争はもっと後だよな?

720 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 00:42:44 ID:XFB+8mVI
>>719
それプラス上杉側の思惑も。
まさか、上杉は一途に徳川派だったのに、徳川に捨てられた。
なんてナイーブな訳ないだろ。
当然上杉側にも思惑はあったはず。

721 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 00:57:45 ID:Pf/lIXYF
>上杉側の思惑
それに関しては前スレ含めてここまでのレスである程度話が出て来てたし。
別に繰り返すのが悪いって意味じゃなく、今の流れの肝はそこからちょっと
離れた所にあるよな、と。

722 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 14:23:19 ID:qmnUfddN
>>720
佐竹と同じくどちら側にも組しない立場だった様な気ガス。
幸か不幸か120万石の大国でしかも大老のひとりだったから嫌でも他人より早く立場をハッキリしろといったプレッシャーがあったんでは?
豊臣家に恩があると書いてる奴がいるけど、住み慣れた越後から会津に移封されて恨みに思っていた人間も多かったと思う。
戊辰戦争の時、ドサクサにまぎれて越後に戻れるかもと喜んでいた家臣が結構いたと聞く。
越後の住民は住民で米沢藩士の姿を見てやんやの大喝采を送ったとも聞いた事がある。
豊臣家にしても徳川家にしても上杉家が義理立てするほど恩は受けていないよ。

723 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 22:06:11 ID:cOTPv4fv
上杉家はさほどでないかもしれないが、直江自身は6万石でもやはり十分優遇されていただろう。
本田の息子は、江戸時代の話。天下人に懐柔されたわけでも何打もなく、5万石で前田家にスカウトされた。直江とは事情が違う。
あと、仲良しだから大丈夫だとか、手紙のやり取りがあったから仲良しだとか、なんか甘いような気がするな。

724 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 22:40:00 ID:KePicsg0
仲良しでも殺すのが武装官僚たる武士ですよ。
中国の士大夫も階層としての横のつながりは緊密でも、
上からの公的な命令がからめば、話は別。
つか、近世になってそういう世界が確立されたから
(直江の世代がその最初、それまではそういうジレンマのない中世)
友情がクローズアップされてきた。

725 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 23:04:46 ID:Pf/lIXYF
仲良しとか友情とかそんな話は誰も論じてないと思うのだが……。

きちんと現在に残る書状のやりとりがあったからこうやっていろいろ意見が出てるわけで、
組織の上位構成員同士が行った折衝、交渉の話をしてるんだよ。

どんな組織だってトップが全部自分で決めてるわけじゃないんだから、その判断に対して
影響を及ぼしたであろう「過程」が必ずあるし、そこに携わる人間がいるはずなんだから。

726 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 01:20:12 ID:RoOrRLRp
直江が「功名が辻」で出てんじゃん。「三成殿、義のため、わが上杉は協力いたしまするー」
これ史実と違うの?ホントは徳川と仲良くしたかったってか?

727 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 02:00:33 ID:4Q6US5NQ
>>726
石田と直江が示し合わせて徳川を挟み撃ちにした。
というのは確証が取れないし、疑わしい話であるとされている。現在ではね。

728 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 02:02:37 ID:4Q6US5NQ
「した」じゃなくて「する予定だった」だな。
補足。


729 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 04:39:03 ID:65ykv6TX
城を増築したり、車丹波らの浪人を多数雇ったりという上杉の動向は、
家康からすれば、格好の軍事挑発として映ったのは確かだろう。
家の存続が目的なら、前田のように土下座したり、山内のように
城そのものを明け渡した方が、結果的に賢明だったわけだ。


730 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 09:37:29 ID:5728FpTp
>>726-727
まず1600年の上半期に兼続が三成の元を訪れていたかだが、1600年は正月に藤田信吉の出奔騒動からはじまり2〜3月には秀忠に領内整備と軍事補強を認める許可のやり取り、4〜5月にかけては書状は残っていないが家康本人との交渉があったとされる。
どう見ても景勝の右腕であり城下整備等の総責任者である兼続が自国を離れている暇などない。
挟み撃ち説は今のところ想像のレベルの話。
ただし1600年7月の兼続が会津の清野に送った書状の中に会津に石田の、須賀川にいた兼続の元へは佐竹の使者が来訪していた事が書かれているので上杉家はこの時は完全に石田側に組している。

>>729
前田は家康にだけ頭を下げていたわけじゃないぞ。
利長は東軍、弟の利政は西軍につき、どちらが勝っても前田家が生き残れる策を取っている。
真田家と同じ手法だよ。
この時期、上杉家には当主の兄弟や子がいなかったため東西に分かれる事が出来なかった。
この時に定勝が生まれていて、しかも元服を終えていたなら上杉家も東西に分かれて前田家や真田家と同じ様にどちらが勝っても禄高を減らす事無く生き残れたんだけどね。




731 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 14:50:43 ID:B8q5WNzc
景虎が生きていれば何とかなったかもな。絶対不可能な話だけど
思うのだが上杉家はつくづく子宝、後継者関連に恵まれない

732 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 16:14:14 ID:5728FpTp
三郎景虎の処置は仕方が無かったよ。
ただ、結果論で見たならば、その嫡男の道満丸は生かしておくべきだった。
養子の子とはいえ景勝の妹(姉とも)の血が半分流れていたわけだし。
もし生きていたならば関ヶ原の時には20代前半。
景勝の家臣の中に密かに道満丸を匿う人物がいたなら・・・
仮定の話をしても仕方が無いのはわかっちゃいるんだけど。

733 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 16:33:26 ID:RSqIwyP/
そこらへんは景勝に後で子供が生まれてたらまた面倒事だったかも
知れないし、やっぱり後世から見た結果論だろうなぁ。
生まれたら始末する、てのもさすがに使い捨て感ばりばりで拙そうだし。

子供の存在ばかりは天の差配だな……その最たるものが秀吉だけど。

734 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 17:16:47 ID:wZ442tkC
菊姫との子供は見たかったなぁ。
片方は養子だけど、謙信と信玄のお孫さん…。

735 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 17:28:02 ID:B8q5WNzc
>生まれたら始末する、てのもさすがに使い捨て感ばりばりで拙そうだし

恨み買うかもしれないがそれは珍しい事でもないけどね
生まれたら生まれたで養子に出されるか真田幸村のように捕虜の身として
転々としていくという形になるんじゃないかな

>菊姫の子供
ファンとしては見てみたいな
両方の血は間接ながらも継いでいるんだし
もしかしたら徳川から特別扱いされたかも

736 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 22:09:11 ID:y1gm+moI
とりあえず道満丸は生かしておいて林泉寺に坊主として預けておいて、
いざという時に呼び寄せる手があったと思うんだが

737 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 22:28:32 ID:sL0uSnzw
そんな余裕なし

738 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 00:25:34 ID:sX+fr6SE
まぁ同意、景勝はあそこでは家督を継げただけでも充分凄い。
それ以上先の事まで見通すのは相当な器で無いと無理だろう。

まして景勝は実務面や、行動力の面では実力あると思うんだけど、
器と言うか、将才というか、先見性のような部分は微妙だし。

739 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 22:15:12 ID:H6/D1fvM
>>732>>736
上手く景虎だけ殺して、室(姉妹)と道満丸は手元に確保したとして
実子がない景勝が道満丸を養子にするとして
さて養子にされた道満丸がどれほど複雑な立場に立たされるか

他ならぬ景勝が嫌というほど分かってるはずなんだが。
なに考えてたかは知らんが、道満丸殺した景勝が謙信より好きだ。

740 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 02:48:09 ID:yzt2K/IK
定勝生まれる前に景勝が頓死したりしたら家そのものがキケンだよな。
ほかに家を継げる一門もいないし。養子を迎えるわけでもなく、かなり歳食うまで
側室持つわけでもなし、もし景勝が頓死でもしたらどうするつもりだったんだろう。

741 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 12:45:36 ID:xO2bSsoI
普通なら即時空中分解だな。
兼続に鍋島@沖田畷をやらせるなら、直江家では足りない。
仙桃院が樋口家に再嫁するくらいの離れ技が必要だろ。

742 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 12:57:05 ID:6ycUiLSp
本多政重を養子にしたのはそのためって説もあったな。
いきなり持って来ると反発大きいから取り合えず娘婿にして藩内に確保したって説。

743 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 13:00:08 ID:6ycUiLSp
あ、もちろん定勝が生まれた後だから「もしものため」て意味で。

744 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 20:32:40 ID:K8OYHt9t
景勝が死んでも代わりに長尾家の誰かが継いだだろう。たしか長尾家に
は謙信の実家の長尾家と景勝の実家の長尾家と2つあったはずだからその
甥か謙信の親父世代の兄弟一族の誰かが名跡を継いだかと。それか>>742
みたいに他の家の名家を養子に入れて一族の娘を嫁にさせてたか

745 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 11:32:21 ID:aUwztpBY
上杉一門だった上条政繁の子孫も候補になるっしょ。
三郎景虎と同じく景勝の姉か妹を娶ってるから血筋は受け継がれてるよ。
確か綱勝急死後の御家断絶の危機の時に上条家の子孫が候補のひとりになってたはず。

746 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 21:39:28 ID:+6nJw2pG
ここまでを総合して、貴方の直江度チェック!

@合戦は苦手だ
A天下人にはつい懐柔されてしまう
B勉強は得意だが、詩歌などの創作はそれに比してやや弱い
C最上みたいな地味な奴を見るとついなめてかかってしまう(で痛い目にあう)
D伊達みたいな自分に無いものがある奴を見ると、ついムカついてカラんでしまう
E失策の責任は、自身が取らなくても、借り物の家を断絶させれば済むと思っている

2つ以上で貴方も直江兼続と認定!

747 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 00:32:16 ID:J90OzQ07
あらら・・・・
コピペ荒らしに走り始めたよ

748 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 07:58:11 ID:z1CRjS2n

 「女房は顔をけわひ、口紅をつけ、衣装をあらため、笠をかぶり、
  しりをかかげ、黒き身にも、白ききやふをして、田におり立ち、
  早苗をうゆべし」(「四季農戒書」直江兼続)

749 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 08:43:27 ID:BYh14c27
>>748
なんか、ここまで「女房の理想像」をコト細かく書くツーことは、
実生活は、さぞかし理想とかけ離れたものなんだろうな。
嫁が家事放棄(噂では+不倫)している先輩がいるんだけど、
理想の女房を語らせたらすげー話が長くなる・・・。

750 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 18:49:12 ID:BJ7zB3rg
彼の立場を考えればわからなくもないw
てか夫が死んでからも権威を失われない時点で相当な人物かと

751 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 02:01:33 ID:/Eydqj1d
>>749
お前の先輩のケースとは違うだろwまあ、しりをかかげ云々など言っているがw

>>750
定勝からもかなり信頼されていたみたいだからな。

752 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 23:23:21 ID:exi5CviP
質問。
長谷堂戦の時、なんで兼続は本隊を小滝街道から進ませたのでしょうか?
大軍の運用なら上山ルートの方が動かしやすいのでは?

753 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 23:35:24 ID:exi5CviP
失礼。小滝ではなく狐越。

754 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 00:01:48 ID:4sm9zCel
質問2。綱吉の時代に江戸家老も国家老も直江家じゃないのは何故でしか?

755 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 01:23:20 ID:5xdura5+
>>748
しりをかかげどうのこうのなどと、植○教授みたいなセクハラ野郎だったんじゃね?

756 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 10:19:15 ID:yWDKrK10
まぁ尻に魅力を感じるのはとっても同意するけどね。
外人もおっぱいよりケツ好きが多いよな。
まぁ人間らしくていいんじゃね

757 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 11:50:51 ID:5UGbihwT
>>752
本人に聞け

758 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 16:57:41 ID:AYSzOZGI
>>754
直江家自体が断絶したから

759 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 17:48:42 ID:4sm9zCel
↑そなんだw(゚o゚)w 何でどうして?

760 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 18:44:36 ID:XAPNmzeM
釣り乙〜♪w(゚o゚)w

761 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 00:43:11 ID:Ak/H0ZO2
もともと低い身分だったのが、直江家を継がせてもらったんだから、直江家を残すのが義務であるはず。
それが出来ないほど、よっぽど嫌われていたんだね。
兼続自身かお船の方の一方だか、その両方だか知らんが。

762 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 10:55:32 ID:47t86JKa
だから、嫌われてたとかそういう証明できないようなことを理由にすんなと

763 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 14:52:43 ID:Jq6ePaSJ
嫌われてなけりゃ普通家を残すだろ
人望あったとか成人君子だったとかって記載あんの?

764 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 17:12:43 ID:Rx957kQZ
>>761
また、おまいかw
直江夫妻が嫌われていた?
だったら夫妻亡き後に藩主自らが高野山に夫妻の墓を建立するなんてできないだろ。
高野山に墓を建立するとなると莫大な金がかかる。藩主といえど家臣の賛同を得なければならないわけだ。
墓が建立されたわけだから家臣内の多数決では間違いなく建立賛成派が多かった事がわかるよな。
少なくとも高野山に直江夫妻の墓が建立されたまでは上杉家家臣内でのいざこざはなかったようだ。




765 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 00:42:56 ID:EJuTIlAC
おいおい無理がありすぎるよ
まるで見て来た様な話しぶりだ
直江夫妻を如何に埋葬するか衆議にかけて多数決を取ったなんて記録があるの?

そもそも藩主が直江夫妻に掌握されて、自家薬籠中で育てられている。
当然、直江夫妻を厚く葬ろうとする
それに、藩士達は面と向かっては反対できないと想像できる
だから、直江夫妻の葬り方に藩士の意向が反映されるとはいえない

766 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 06:06:17 ID:3ajGs9b9
家中が直江支持だったら、兼続死後すぐに与板衆の追い落としなどはおこらないだろうな。
嫌わえた権力者の取り巻きを一掃するなんてこと、しかもそれが家中の反対がなくスムーズに行くことで、
故人の人気度は計れると思うのだが。

767 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 07:47:44 ID:Ytk77sQ5
事実としては、政争に負けた、という事実があるのみであって、
要因に人望の無さを挙げるならむしろ人望が無かった証拠がないと
話の流れがおかしいと思うのだが。

人望があった、だから政争に負けるはずがない、てどんな理屈だよ。

768 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 09:29:15 ID:3TQdYTqR
与板衆があっけなく政争に負けたってのは、与板衆が良くも悪くも直江夫妻あっての
ものだからだったんだろうな。それに元来上杉家臣団は越後の豪族の寄合所帯だったから
というのもあると思う。

769 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 09:49:31 ID:LgS6uxE4
>>767
横レスだが、家中の人望があったと主張するなら人望があった証拠を出すのが筋じゃないかい?
揚げ足を取り合っても不毛だと思うんだが。

770 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 10:25:46 ID:Ytk77sQ5
>>769
人望が有ったなんて主張を俺は全くしてないわけだが?
事実として存在するのは「政争に負けた」という点のみだと言ってるだけで。

その理由として「嫌われていた」「人望がなかったから」という原因をあてはめたいなら
まずそのを証拠を示さなきゃならないよ、という話。

そもそも >>763 が 「人望あったとか成人君子だったとかって記載あんの?」という
聞き方をしている時点で「人望なかったとか成人君子でなかったとかって記載あんの?」と
聞き返されるのは当たり前だろう。
自分が質問するのは良くて他人に同じことされるのは駄目って訳分からんし。

ちなみに「知らないから聞きたかった」というのはこの場合通じない。
意見である「嫌われていた」を最初に主張してるから、「その意見」の論拠を求めてるので。

771 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 11:06:29 ID:zIHcp7IH
>>770
なかったという証明は悪魔の証明なので不毛。
その場合は「嫌われていた」という証明だな。

772 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 11:07:31 ID:zIHcp7IH
つか、これも揚げ足だな。
馬鹿馬鹿しいので撤回しとく。
まあ好きにやってくれ。

773 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 11:52:56 ID:5BfzF39Y
同じ論議の不毛なループ…おまえらよく飽きねーなw

774 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 11:59:26 ID:sMFItHyq
死んだ後の祭祀を延々と行っていたと言うから与板衆には人望があったと思う。
ただ、同僚が直江の家を残すべきだとか祭祀をしたとか言う話は知らないので、
同僚には関ヶ原前後のこともあって親しまれていたとは言えないんじゃないかと推測する。

上司や部下には評価されても同僚には……という気がするがどうだろう?

775 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 13:55:22 ID:hGmpEYVU
>>774
どこの大名家に限らず、戦国時代に限らず、政権を握っている者や急昇進した者への妬みや嫉妬はあるわけで。
俺等の身の回りでもあるだろ?
同僚なんかが出世していくと取り残された者は仲間同士で悪口の言い合いをしたりすんのは。
例え、そいつが人一倍仕事が出来ていたとしても取り残された者は素直に認めたくないんだよ。
秀吉や三成もその点で苦労してる。
俺も営業の仕事でトップ1に立った途端に陰口を叩かれた経験があるよ。
日本人てのは横並び主義でそこから良くも悪くも頭ひとつ飛び抜けたら平均的な連中の餌食になっちまう。
直江兼続も同じだったと思うよ。


776 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 14:38:35 ID:sMFItHyq
>>775
それでも愛される奴は愛されると思うが。
秀吉なんかは嫉妬されたし敵も多かったが仲の良い同僚もいたわけだから。
三成も大谷吉継とか政権内で友人がいたわけだし、政敵も「三成が死んでから殿中の風儀が悪くなった」などと
懐かしむような言葉を残してる。

直江のそういう話を自分は知らないんだが、何か具体的な事例をご存じなら教えて欲しい。

777 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 15:03:07 ID:m4WXXzCb
つかね、若くして主君の信任を集めた上に、
主家(自分たち)の所領が削られたことの
責任を取らされるようなポジションの人物は好かれないと思うね。

個人的には、関ヶ原では専守防衛に徹するか、
徳川とガチで戦うかどっちかをしておけば、
もう少し筋が通っていたし評判も高くなったと思うんだが。

上杉が巻き込まれたというなら専守防衛、
三成と連動していたなら外線の一翼として
徳川に仕掛けて拘束するのが戦略。
西軍としては史実のように各個撃破されるのが一番危険なんだから。
最上領に攻め込んで叩き出されたのはどちらの立場からしてもマズい。

778 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 16:48:08 ID:9vIleui2
>>771
どうでもいいが、めちゃくちゃなことを言ってるので釘を刺しておく。
悪魔の証明の意味わかってないじゃないか。
「嫌われていた」が「なかったこと」ってどういうことよ?
「人望があった」にせよ「嫌われていた」にせよ、そういったエピソードでもなんでも話一つ見つけてくりゃいいわけで。
誰も「人望があった」なんて言ってないのに、いきなり>>761で「嫌われていた」と決め付けるんなら、
言った人間が何か話の一つでも出すのが筋だろう?
何でも言いだしっぺが挙証責任あるんだよ。
悪魔の証明という言葉使ってみたかっただけなんじゃないの?と勘ぐってしまうよ。

779 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 16:55:27 ID:m4WXXzCb
>>778
エピソードを出せずに煽るだけなら黙ってた方が良いぞ。
煽ってるだけじゃないか。

780 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 17:02:18 ID:9vIleui2
>>779
煽りの気持ちも全く無かったとは言えないが、勘違いを正して何が悪い?

781 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 17:04:41 ID:6nOnXZkT
>>779
自分じゃ何も建設的な話を出さずに他人にだけ根拠を要求するような奴は放っておいた方がいい。
どうせまともな議論なんかできないんだからな。

直江山城に関しては上杉の外の人間の評価が多いんだよな。
つか、上杉の中で家臣同士の評価というのがあまり多くないような気がする。

とはいえ上杉減封の後も家老を務めてるし、それに関する表だった不満が出てなかったようなので
人格は評価されてたんじゃないかと思う。

782 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 17:09:19 ID:6nOnXZkT
あー、まあこれに関しては景勝の信任が云々という話も聞くが、
徳川での本多正信は家康の信任にもかかわらず家中からかなり悪く思われてたという評価が残ってるので、
それに比べるとという話だな。

783 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 20:00:55 ID:UqBlsB2u
正信しかり、三成しかり、言えることは参謀ポジションは嫌われやすいというのがよくわかるなw
むしろあのポジションで好かれたのが珍しいくらいじゃないか?
知っている中では(講談になってしまうが)片倉、秀長くらいかな

784 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 20:08:19 ID:6nOnXZkT
後は鍋島直茂と小早川隆景くらいかねえ。
両方とも参謀だけじゃなく、前線司令官としても有能というのもあるが、
魅力は高そうだ。

785 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 23:01:16 ID:CI3ulHwl
>>777
>個人的には、関ヶ原では専守防衛に徹するか、
>徳川とガチで戦うかどっちかをしておけば、
>もう少し筋が通っていたし評判も高くなったと思うんだが。

自分もこの意見に禿同
これが出来るのが真の名参謀だと思う
徳川と戦うなら、もっと徹底して、三成、毛利、宇喜田らと連携して勝つべくやるべき
勝てないなら、最初からひたすら現状維持。なるべく豊臣政権から距離を置くべきだっただろう。
自分らが、中途半端で徳川につぶされるべきヤバイ存在になっていることを客観視できなかった
とても名参謀とはいえない。ただのホモで欲張りのバカ家老でしょ


786 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 23:08:00 ID:mv/XYSu0
>>784
参謀が好かれると当主の影が薄くなる(下手すりゃ乗っ取られる)という好例ですねw
三成はともかく、兼続正信あたりなら御家のため自ら悪名引っ被るかも。
このふたり、関ヶ原後に親交があったようだが何か通じ合うものがあったんだろう。

787 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 23:19:00 ID:mv/XYSu0
>>785
関ヶ原の上杉が狙ってたのは、小牧長久手の徳川みたいなのじゃないかな。
つまり、大勢力にひとあてした後逃げ切り粘って、最良の条件で相手の傘下に入る。
自ら天下を狙わないものが誇りを守ったまま屈服するための古くからのある種の手続き。
まあ、いろいろ予定も狂ったが、大筋では間違っちゃいなかったと思う。
べたべたの豊臣恩顧とちがって家も残せたし。

788 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 00:42:00 ID:MKHJ/W7s
>>784
>小早川、鍋島、片倉、秀長
これら諸将には、戦闘指揮能力と謙虚さがあるね
直江には、この大事な二つがない

789 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 00:49:34 ID:SKlvs/A8
秀長は参謀じゃねぇぇぇ。
隆景は大名じゃないか。
直茂に至っては隆信の代から既に義兄弟で参謀なんて軽々しい立場じゃない。
小十郎ぐらいだろ、その面子で参謀と言えるのは。

兼続と立場的にも重なりそうなのも小十郎くらい、他三人は別の意味で格が違う。

790 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 03:45:06 ID:tWToRFMO
>>787
小牧長久手の徳川と違って上杉は大勢力に一当てしてないでしょ。
そのためには最上でなく徳川とやり合って一泡吹かせないと。
手強いと思わせるか、筋が通ってると思わせる、上杉はどっちもできてないよ。

30万石に減封されたのは「最良の条件で相手の傘下に入る」とはほど遠いしね。
その意味では失敗してるよ。

それができたのは立花とかでしょ。
ちゃんと大名に返り咲いてる。

791 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 03:47:52 ID:tWToRFMO
>>789
兼続も石高見れば立派な大名だし、兄弟や義兄弟、叔父でも
参謀というか補佐役的ポジションにいたという点では同種だと思うが。
要は補佐役での人望ということを比較しているわけで。

肉親で補佐役的立場でも人望がないなんてのはいくらでも例があるわけだから。

792 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 05:44:51 ID:gbJeYaTf
>>787
つか、誇りを持ったまま相手に下るのであれば上杉は理不尽な戦を挑まれた立場だとして専守防衛路線を取るべきだし、
高く売りつけるつもりなら他の人も書いてるが徳川と戦う&その後の外交で踏ん張らないと駄目。

最上と戦って追い返されるなんて、誇りのためにもならないし高く売りつけるネタにもならない。
結果から見ても戦略としても下策。

蜂須賀、前田、鍋島などと比べても処世としては拙劣。

>>790
ああ、立花は筋が通ってると思われて敬意を表されてるな。

793 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 06:39:59 ID:0jTsoWRq
最上攻めは最低の愚策だよ。案の定、義光に粘られて苦戦して時間切れ。
甘粕が不在中に陥落させられた白石城を奪い返すくらいの気概すらない。

戦後、撤退戦を褒められたというが、老獪な家康や敵方の義光の褒め言葉
「さすが直江殿」には相当な皮肉が込められている。

794 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 12:52:57 ID:PN+U90H+
>>787
ひと当てってあんた、オモロイこと言うね。
力量のある人間なら、軽くひと当てかましても良いかもしれないけど、直江程度の力量でひと当てかましてしまったのが問題かもね。
ひと当てして示威するどころか、大衰退しちゃった(^^)
残念ながら、昔日の名も実も失った哀れな貧乏藩、ってのが大方の米沢藩の見方でないかい?

正確には、ひと当ても出来ずスカされて、背後の小勢力に領土(庄内、白石)かじり取られた

>戦後、撤退戦を褒められたというが、老獪な家康や敵方の義光の褒め言葉
>「さすが直江殿」には相当な皮肉が込められている。

禿同。さらには、直江を懐柔しとけば上杉はおとなしいだろう、という読みもあると思われる

795 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 13:39:21 ID:dQneD50g
敵対した場合には肝心なところで戦わない者は相手の敬意を得られない。
それを何よりも理解して実行してきたのが相手の家康だからなあ。

織田、豊臣相手にはそれぞれ今川から独立後や小牧長久手のガチ勝負で自分を高値で売りつけ、
武田相手にも三方原で覚悟を見せつけた。

その家康を相手にして見当外れの最上を攻めたんじゃ駄目だろう。
つか、最上に勝ったとしてどんなビジョンがあったのさ。

いくら領土を切り取っても西軍が負ければどうしようもないことくらいわかっていただろうに。
上杉が徳川を拘束するか討ち破った上で西軍が勝てば大幅加増を望めることも。
最上領を切り取ったのが役に立つのは、東西どちらも勝たずに膠着状態に陥るか、
どちらが勝利したにせよ中央政権が弱体化して大名領の処分を行えなくなった時くらいだろうが。

796 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 13:52:01 ID:SKlvs/A8
>>791
その補佐役的ポジションと言うのにそもそも当てはまらんと言ってるの。
その人らは。信長の野望じゃないんだから。

797 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 13:55:21 ID:dQneD50g
ついでに言っておくと小牧長久手の徳川は外交も含めて打てる限りの手を打ってるぞ。

・後北条と同盟して背後を固める
・織田信雄と同盟して大義名分を得る
・根来・長宗我部・佐々などと同盟を結んで秀吉を牽制する

最近の研究では信雄の三家老は親秀吉派だったので家康側が切らせたという説も出るくらい、
用意周到に準備して家康側から戦機を見切って仕掛けてる。

しかも、三河の中入り阻止では緻密な諜報網、本陣を空けるという決断、
迅速な行軍で後々まで秀吉に対するアドバンテージになる大勝利を得ている。

大勢力とやり合うというのは生半可なことじゃないのさ。
増して一当てして自分を高く売りつけるためにはその後も難しい外交を行わなけりゃならん。
簡単に考えすぎてると思うぞ。

798 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 13:57:13 ID:dQneD50g
>>796
果たした役割から言ったら補佐役じゃないか?
他になんて呼ぶんだ?
一門だって補佐役とそれ以外がいると思うぞ。

799 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 14:25:41 ID:dKtLt6JG
それぞれのスレで
「この人は上杉で言う直江兼続と同じような役割をしてた人ですよね?」
と聞いたらどんな反応返ってくるか想像してみればいい。

800 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 14:41:09 ID:dQneD50g
>>799
答えになってないぞ。
きちんと質問に答えろよ。

補佐役でなければ何と呼ぶんだ?

801 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 14:43:41 ID:dQneD50g
つか、想像って……想像したって仕方がないだろう。
何言ってるんだ。

802 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 14:44:30 ID:Rgpz5AyJ
>>788
片倉は好きだが参謀として完璧かというとそうじゃない。
上杉と最上の戦いで決着がついて弱った勝者を叩くという考えは上杉、最上、伊達三者の戦いなら良い考えだ。
が、この戦いはあくまで豊臣と徳川の手伝い戦。
戦闘の親分つまり伊達の場合は徳川が勝てば、その時の戦闘の様子が後に家康に告げられるわけだ。
事実、南部での一揆の誘発も含めて関ヶ原の合戦中の伊達の不穏な動きを指摘され伊達はほとんど加増されていない。
そういう、どっちつかずの動きを仮に政宗の独断で行われたとしたら、それを止めるのが参謀の役目。
摺上原の戦いの時も秀吉の息のかかった佐竹・芦名を攻めてるが戦を止め様とした形跡がない。
合戦後は領地没収の上、左遷。
戦闘の見極めは良かったとしても家の存亡がかかった時の舵取りはうまかったとはいえんね。

803 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 14:47:38 ID:dKtLt6JG
いや別に質問されてるつもりもなけりゃされて答える気ないし……

そんなに気になるならそもそも直江スレで勝手に比較相手の役割を決め付ける
議論に時間費やすより、比較相手のスレでどう評価されてるか見て来る方が
早いんじゃじゃないかと思うだけで。

804 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 14:50:11 ID:dQneD50g
>>803
>それぞれのスレで
>「この人は上杉で言う直江兼続と同じような役割をしてた人ですよね?」
>と聞いたらどんな反応返ってくるか想像してみればいい。

お前は聞いてこいと言ってるんじゃなくて「想像してみればいい」としか言ってないんだが。
何言ってるんだ。

まともに議論する気のないバカとは思わなかった。
お前が書き込む方がよっぽど時間の無駄だ。

805 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 15:00:31 ID:dKtLt6JG
>>804
そんな事わざわざ聞いたら他スレの人に失礼じゃないか。

804だって単に自分の疑問に答えを見つけたり、個人の考えをまとめたいだけだろ?

勝ち負けの決まるものでなし、元々2chで議論して得られるのはそれだけなんだから。
ならそのためにヒントになりそうなのはむしろここじゃなく他スレなんじゃないかと思う、
と言ってるだけ。別に随う必要はないし、わざわざ抗われても困る。

806 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 15:04:32 ID:dQneD50g
>>805
だからそんなことをお前は>>799で言ってないだろ。
他スレを想像して何か得られると言ってるお前がおかしいと言ってるんだが。
持論の根拠も挙げない、信長の野望を引き合いに出す、
質問に答えるつもりはなく、他スレの反応を想像しろと主張する。

本物のバカだよ、お前。
参考文献や研究を挙げるなり、検索しろとアドバイスすることもできないほど無能だから仕方がないけどな。

お前のレスなんぞ無駄だからとっとと消えろ。


807 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 15:14:11 ID:dKtLt6JG
ちょっと待て、俺は799,803,805しか書き込んでないぞ?
もしかしてそこらへん勘違いして自分が攻撃されてるとか思ってるのか。

808 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 15:17:57 ID:dQneD50g
>>807
なんだ、>>796じゃないのか。
なら>>799のような狂ったレス付けて話に割り込むな。

言っておくが>>799だけで本物のバカだぞ。
他人のやり取りに割って入ってバカなレス付けてる時点でな。

こっちは>>796の意見を聞いてるのに他のスレの反応を想像しても全く意味がないからな。

まあバカだから自分がどれだけバカか理解できないんだろうが。

809 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 15:30:48 ID:dKtLt6JG
割り込んだ事に怒りを覚えているなら謝って終わりにするけど、
無関係の第三者が常に存在する2chのスレで特定個人との個人的な
議論を行おうとするのはちょっと無理があるから止めた方がいいと思うよ。

810 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 15:31:30 ID:4EOFoq+U
>>808
このスレには建設的な議論ができない癖に他人のレスにはケチ付ける奴がいるから放っておいた方がいい。
相手にしても話にならないから。

811 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 15:32:22 ID:4EOFoq+U
>>810
いいから消えろクズ。
全員がお前のようなクズじゃないんだ。

812 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 15:34:45 ID:dQneD50g
>>810
了解。
バカを相手にしても仕方がないしな。
自分がどんなにバカなことを書き込んだのかも理解してないようだし。
相手にするだけ無駄だな。

813 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 15:43:23 ID:4EOFoq+U
>>811
苛立ちのあまり自分にアンカー付けてたよw
>>810>>809だな。
しかし他のスレの反応を想像してみればいいとは大笑いだ。

>812
お疲れさん。

814 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 15:47:30 ID:4EOFoq+U
>>802
小十郎は前線指揮官とか城代とかで活躍してるから戦略家としてのイメージはあまりないなあ。
軍師とか頭脳じゃなくて片腕とかのイメージというか。

815 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 16:57:19 ID:ifHqu7q9
>>802
結局、景勝・直江主従、政宗・片倉主従共に関ヶ原が長期化すると踏んだんだろう。
最上の戦略は伊達・宇都宮の秀康との連携で自分は盾役。関ヶ原が長期化しても、
三者連合で何とかできるという前提で立てている。

少なくとも、東北諸大名、九州の黒田にしても短期決戦は想定してない。
史実の上杉の行動は
1.上杉の戦略はまずは庄内の飛び地を解消し、後顧の憂いを立つ。(出羽侵攻)
2.旧領北越後の奪取。(越後の一揆煽動)
と取り合えず、周囲への領土拡張でしかない。スレの前のほうにもあったように
石田と直江の書状でも越後取得後の権利確約のやり取りだ。

戦国大名的な戦略眼でしかないが、日本全国的戦略を立てれる人間そのものが
少数だからやむを得ないんじゃないかな。ましてや東北と言う地方に位置する大名
ではね。
だから、中央に近かった家康のように豊家との一戦で存在感を示し、組下に入るという
戦略は余りもてなかったのではないかと思う。

816 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 17:14:07 ID:SKlvs/A8
>>798
そうじゃなくて彼ら三人の業績を並べるとだね。

秀長・・・既に稲葉山城攻めから別働隊を指揮していて、信長にも個別に仕えている状況。
     補佐役的な部分は黒田官兵衛らが有名だが彼らとは違う。
隆景・・・元就の視点から見れば息子であり、方面軍司令官。秀吉の視点から見れば
     もはや毛利の代表、輝元の補佐なんて位置じゃない。
直茂・・・初期は隆信と同盟関係に近いなか、慶ギン尼の策で無理矢理兄弟になる事で一門化
     それでもなお戦功を上げる直茂は逆に疎まれる、隆信死後は逆に秀吉から見れば
     もはや龍造寺などというものは眼中に無く、政家も完全に直茂に全てを任せていた。

とりあえず他人にケンカ売ってないで落ち着け、別に俺は兼続の業績に文句をつけているわけじゃない、
彼らとは全然違うというだけ。

いわゆる補佐役というのは、片倉や本多らの事だろう。
上記の連中は信長にとっての光秀や勝家みたいなもんだよ。
彼らを信長の補佐役とは呼ばないだろう。

817 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 17:18:00 ID:4EOFoq+U
>>816
横レスだけど、兼続も景勝の幼少時から仕えてる上に関ヶ原じゃ別働隊を指揮してる。
秀長や隆景、直茂を補佐役として扱ってる書籍もあるよ。

それに、信長に補佐役はいないでしょ。
それはパーソナリティの問題。
毛利元就なんかにも補佐役らしき補佐役はいないんだから。

果たした役割から言ったら三人や兼続も補佐役で良いでしょうが。

818 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 17:22:13 ID:4EOFoq+U
書き込んだ後思ったが、根本的に論点が違うんだな。
果たした役割で見るか家中の立場?で見るか。

つか、秀吉の視点から見ればってお話にならないよ。
それを言ったら徳川の視点から見れば兼続は上杉の代表でしょうが。

819 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 17:27:05 ID:Cx9+AiQO
>>816
ググるとこの3人は全員補佐役として評価してる記述も多いぞ
光秀や勝家は信長の補佐役とは呼ばれないがこの3人は補佐役として一般にも評価されてると言える

820 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 17:36:46 ID:DhsC9/xL
つーか普通に補佐役でしょ。
妙に補佐役でないとか言い張ってる人がいるだけで。
そんなに直江が名将と比較されるのが嫌なのかと勘ぐりたくなるねw

>819
童門冬二とか堺屋太一は書名にまでしてるから。

821 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 17:50:00 ID:SKlvs/A8
>>783
で参謀ポジションと言ってるので、そういう意味での補佐役だと思ったんだがな。
違うのか?

822 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 17:51:15 ID:fKaBaJ+L
>>821
全員参謀としても活躍してますが何か?
参謀としても軍司令官としても活躍するのが当時の補佐役。
まさか近代の参謀のようなイメージで見てたの?

823 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 17:57:08 ID:fKaBaJ+L
「公儀の事は宰相存じ候」:秀長
「『誓約を守ったからこそ、毛利家が豊臣政権下で安泰でいられる』と隆景の自慢の一つとして聞かされた」:隆景
「隆信の首を送っていただいたお気持ちは非常に有り難く存じますが、このような不運の首を此方が貰い受けてもしょうがないこと、
どこへでも捨て置いて下さい」:直茂

三人とも参謀として十分な実績があり、主家の戦略に影響を与えてますが。

824 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 18:18:51 ID:SKlvs/A8
goo辞書 参謀
@高級指揮官の幕僚として、軍の作戦・用兵などの一切を計画して指揮官を補佐する将校。
A表立った指導者・指揮者の下にいて補佐し、意志決定に際して進言・献策など重要な役割を果たす人。

@は作戦時における参謀、なので別働していた事が多い彼らは違う。
Aは三成や本多らの事。「進言・献策」などであって

>>823の三つはいずれも自分で決定してるし判断してる事項。
参謀などというクラスでは無いと思われる。
だから、それでは決めきれない「内々の事は利休に」ひいては秀吉になる。
直茂の件なんか特に主君の首を受け取らないなんていう事を決定してる時点で
参謀なんて地位じゃない。軍司令官とかは全く関係ない。

だが、兼続はあくまで自主決定するまでに至ってるとは思えないので、
参謀という地位で置くのは極めて妥当かと。

825 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 18:31:53 ID:fKaBaJ+L
>>824
それだけ影響力のある参謀(補佐役)だってことですが。
それとも三人は主君とでも言うつもりですか?

それだけ主君に信任されたり影響力があるからこその補佐役なんですが。
公儀(外向きのこと)に関しても最終決定はもちろん秀吉でした。
羽柴との講和に関しては吉川が強硬派、小早川が融和派でどちらも進言してます。
最後に関しては、補佐役が執政として権限を委任されることは十分あり得る話です。

貴方は単にこじつけて否定してるだけでしょう。
少なくとも彼らが参謀であり補佐役であることに関しては書籍も出てますし、
そういう評価は私だけのものではありませんがね。

826 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 19:09:39 ID:XanxXVUk
直江兼続みたいな武将は好かれる
ライバルは伊達家の片倉小十郎かな

827 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 19:46:55 ID:f/OkIUAz
>>824
今更辞書引いて適当な俺解釈をでっち上げられてもなあ。
信長の野望とか他人に言う前に、ちゃんと文献に当たった方が良いぞ。

それに結局>>798には回答してないし。
補佐役でなければなんて呼ぶんだ?

828 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 20:40:07 ID:GfwtFa7z
>>822
参謀っつーと近代の陸海軍を想像してしまうからな。
しかし、あんま言葉遊びせんほうがいいと思うよ御両人。

829 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 22:16:06 ID:arnhDATB
>>826
片倉は正反対だろ
直江と一緒にされたら、片倉が迷惑だろ

ちなみに、片倉は結構イケメンだったらしい
小早川秀秋に好かれて追っかけ回されたんだと
秀秋が小早川に養子に出される前だとしたら、天下人候補だった
ホモとして抱かれていたら大名になれていたかもしれん
しかし彼は、衆道の趣味は無く、イヤで逃げ回っていたんだと

この点が、主君とのホモ関係が権力基盤だった直江と大違い

830 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 22:34:56 ID:kUwLypR1
>>829
またホモ男が来てるのか
同じ片倉小十郎でも、景綱と重綱を混同してないか?

831 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 01:52:00 ID:s9IK3Feu
>>829
それネタ元片倉代々記。

本人の日記に書いてあったから本当です、てのはさすがに無茶だよ。
それとも他に補足資料があるのか?

832 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 02:06:02 ID:f676CQw5
まぁ確かに信憑性という意味では疑問なのは同意。
ただこういうのはさすがに日記でもないと残らないだろうと言うのも事実。
秀秋が衆目の前で追っかけまわしてた変態だと言うならともかく。

また
〜〜と言う手強い武将の首を取ったぜ
とか言う記述が日記に書いてあっても信憑性の点で微妙だが、

秀秋にケツ追っかけられたぜ(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
って言う記述をわざわざ日記に嘘ついてまで書く奴なんているのかなw

俺の美貌は城中の女性を虜にしたぜ、とかならともかく。

833 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 02:24:11 ID:s9IK3Feu
当時に日記、特に後に家記になってるようなものは基本的に人に読ませる事を
念頭に置いて書かれてるからある程度の「作り」はあるものと考えた方が良い。

政宗に紹介されそうになって寺に逃げたとかさすがにどうかと思うし、今と違って
当時男色が特別視されてなかった事もあるから、好みじゃないお偉いさん(秀秋)に
色目使われて参った、くらいの状況の方が近いんじゃないだろうか。

834 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 07:19:53 ID:a0TXlCwt
片倉重綱は、父の景綱と一緒に十七歳で上杉征伐に従軍。当時の軍事要衝の白石城を
陥落させている。甘粕不在の情報は伊達には筒抜けで、そこを一気に突いた。
甘粕への後の対応をみると、この城を奪われた景勝がいかに悔しがったかが見て取れる。

835 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 09:01:44 ID:aOYECXdY
>>829
イケメンだったのは息子だよ。
それくらい知識がなくてもちょっと検索すりゃわかるだろうに。
直江兼続も「長高く、姿容美しく、言語清朗なり」と名将言行録に書かれてるくらいだ。
少なくとも当時のイケメン基準をクリアしていたのは間違いない。
現存する甲冑の大きさは謙信や景勝の甲冑より一回り大きいので名将言行録の記載はそれなりに信用できるかと。
もっとも>>829はなにがなんでも直江兼続を認めようとしない偏ったモノの見方をしているから信用しないだろうがな。
ま、おまいに信用してもらおうなんて誰も思っちゃいないけど。

836 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 13:16:40 ID:rvdJFihV
単に直江を貶したいからって二代目小十郎をもちあげてんじゃねーよ

837 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 13:17:48 ID:rvdJFihV
まぁ片倉は優秀だけど…。変なくらべかたすんなって感じ

838 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 23:50:32 ID:gXNZAolb
直江のキャリアはホモとして寵愛されて始まり、清野に取って代われて、つまりホモとして振られて終わっている。
つまり、ホモに始まりホモに終わっている。ホモありきの奴。

これに対し、片倉重綱は、目の前に出世がちらつこうがホモなどになりたくないという男

こう言えば分かりやすくてOKかな?

839 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 00:01:49 ID:s9IK3Feu
本人の日記だけを盾にさしたる根拠もなく出世すらちらつかせて
片倉のケツ追っかけた事にされてる小早川秀秋(´・ω・) カワイソス

840 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 00:12:27 ID:q81nfyuJ
そっか、根拠が薄いかな?ごめんね小早川秀秋...(´・ω・)ヾ(^ー^;)

841 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 10:19:42 ID:qy0kGyQ7
>>838
たしかに清野は「長門殿」の名前が米沢の町中に残っており、米沢の城下
形成に影響あった。だけど、奉行職になるのは死ぬ前年だし、定勝の養育に
直江兼続室が大きく関わっているあたり、生前に取って代わられたという
ものでもないだろうよ。与板衆が本格的に弾かれたのはお船の方が死んだ後
くらいじゃないか?菩提寺破却の件も含めて・・・・

842 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 16:13:05 ID:yNTRiWS3
>>839-840
ここで兼続を叩いてる奴の根拠の多くは逸話を基にしたものばかりでね。
逸話を基に己個人の勝手な想像を膨らませて書き込んでるのばかりだよ。
そりゃあ逸話の中にも信憑性の高いものもあるだろうが裏付ける史料が他に見つかっていない状態では参考話か、おもしろ話にしかならない。
昔の人の常識と現代人の常識は違うかんね。
現代人の感覚で物事を語る事自体が大きな間違いの基。
だから議論をするなら信憑性の高いネタを基に議論するべき。

843 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 00:02:20 ID:2DkfB7Gc
>>841
直江が、次代の藩主の定勝を掌握して盾に取っていたから、反対派が手を出せなかった、ということでしょ
ここが直江の抜け目無いところだね
直江が死んでから、一気に反対派の怒りが行動になったのかな

844 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 00:19:39 ID:B6v0vZrO
>>843
兼続が亡くなったのは1619年で景勝はまだ生きている。
それに藩主の座すら定勝に譲ってはいない。
自分勝手な想像ばかりしてないで、ちゃんと調べてから書き込めよ。

845 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 01:02:38 ID:cD7ZDJ85
>>844
定勝は直江兼続が死んだ時点で16歳だもんな。それにまだ景勝は健在だし

846 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 00:05:17 ID:mVZ9UAbb
景勝が先に死んでいたらどうなっていたんだろうな。
お船が定勝にいかに信頼されていようとも、
過去の責任を取って引責辞任はさけられないかもしれない。
美しく生きるという表看板からして、殉死として死ぬのが精いっぱいで、
そこを詰め腹扱いにするのか、どうするかで暗闘がありそう。

847 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 13:51:18 ID:WVO8XHP/
>>846
景勝死去から定勝・お船の方政権が14年間も続いてるわけだが。
景勝死去と同時に定勝が藩主となり、その定勝から3000石の禄高と手明組40人の家臣が与えられている。
「山城守相果て候とも大小の事ども後室へ相計られ候よし。」
それまで米沢藩は相談事の大小にかかわらず兼続に相談して決めていた。
藩では兼続亡き後、冷静かつ客観的に物事を裁ける人物がいなくなり困っていた。
そこでお船の方に相談したところ相談事が解決しだして藩内から全幅の信頼を置かれるようになり藩政に参画。
米沢藩の記録には、その姿はまるで尼将軍であった北条政子の様だと記載されている。
定勝・お船の方政権時の大きな事件としては藩内の切支丹弾圧がある。
内部告発により幕府の知れる事となったわけだが迅速に対応し事を沈めている。
一方で兼続が行っていた事業を更に推進させ、お船の方が亡くなった翌年には実石51万石を記録する。
この51万石は米沢藩264年の歴史の中でトップの禄高となっている。
また定勝時代の記録には米沢城の金蔵の床が金子の重みでこわれたとの記載も残っている。
そういった功績に報いるため、定勝はお船の方に京都や奈良や高野山への寺社参詣の旅をプレゼントしている。
今でも毎年長尾上杉家一族の末裔の方々が直江夫妻の墓参りに訪れている。








848 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 18:37:50 ID:LoGpB35x
まるでまつやねねのような待遇だな
それだけの女性なのにマイナーなのは勿体無い

849 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 22:30:18 ID:PGSQ/otv
>>846
お船の方政権ってw
それは、兼続が死んで、お船が寡婦(=政治的に中立と思われる存在)だからできたことであって、
(これは子供がいなかったねねや、中立ではないが前田家の本流そのものだったまつにも通じる重大な資質)
それを拒むことが出来るのは、景勝と言う「大人の男の君主」だけ。

君主でも「こども」ではそういうことができないのは、定勝よりもはるかに位が高い秀頼が
大事な時にどんな意思も家臣団に押し通せなかったことでも証明できる。
ある意味、兼続によって最大の被害をこうむった景勝が「処罰しない、重用する」と言えば
逆らうものはいないが、それ以外の人間がなにを言おうとも、兼続は責められるし、
景勝の容認なしでそれに抗弁したり、自分を守ろうとしたりしたら、たちまちその名声は傷が付く。
景勝が先に死んでいたら、兼続に残された道は殉死しかないし、当時のシンパもそれを望むだろう。



850 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 22:32:00 ID:PGSQ/otv
すまん、一行消してしまっていた。

(これは子供がいなかったねねや、中立ではないが前田家の本流そのものだったまつにも通じる重大な資質)

※「兼続に責任を取らせろ」という家中からの意見が出たときに

それを拒むことが出来るのは、景勝と言う「大人の男の君主」だけ。

851 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 22:41:04 ID:3hLTuwWJ
何で景勝が被害こうむった事になるんだ?

兼続が景勝を操って上杉の全権握ってるほどの存在だったならいざ知らず、
景勝は幼年でもなきゃ傀儡でもない歴とした当主として存在し、上杉家の
選択の最終決定権をちゃんと持ってたはずだろう。

852 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 23:08:20 ID:HOb4u2eR
>>847
権力者は、正史に好き勝手に良いことだけかけるんだよ。
むしろ、些末な逸話にホントのことが残っていたりするかもしれない。
2ちゃんねるで正史の講釈をしたってしょうがなくないかい?

たとえば、北朝鮮の正史には将軍様は偉大です、とでも書いてあるんだよ
それを真に受けてるバカと同じレベルになっちゃうよ
そんなに個人崇拝が好きなら、北朝鮮にでも移住するのがいいんじゃなかい

お船の方にしても、単に権力者と近かったから、給料を好きに設定していた可能性が考えられる
一般藩士が貧窮だったのに、そんな法外な給料を取っていたら当然嫌われるよ
だから、直江家を断絶せざるを得なかったんだろうし、
そうじゃないと言うなら、それ以外の理由が考えられるかい?

853 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 23:39:39 ID:3hLTuwWJ
>>852
史料批判は基本中の基本だから当然の事だけど、それにはまずその
「史料」を批判しなきゃいけないんであって、史料の内容、成立過程を
検証もせずにいきなり「正史は権力者が好き勝手にできるから」とか
言い出してしまうと説得力など何にもなくなるぞ?

854 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 11:25:22 ID:nq805ss1
>>849>>852
おまいら上杉家の事あまり知らないだろ?
知っているのは一般に出回っている歴史書の知識くらいでさ。
兼続亡き後の景勝の書状にはお船の方の指示を仰げといった書状が何通か残ってるぞ。
今年、米沢で上杉景勝展が行われたんだが、その資料の一部を抜粋すると、
『直江兼続の妻直江後室が他の女性とは異なり米沢藩内で特別な地位にあったことを、編纂物ではない史料「越後供養帳」において確認でき、さらに上杉定勝にとって特別な女性であることが確認できた。』とある。
ここ数年、米沢では鷹山、謙信、景勝と連続して特別展を開いて研究結果を公表しているんで、早ければ来年あたりにも直江兼続特別展を開いて研究結果を公表するだろう。
こういう調査は国や県レベルによっての研究結果であるんで信頼性はピカ一。
世の中の人は、おまいらの勝手な想像と国や県レベルの調査とどちらを信用するよ?
いわなくても結果はわかるよな?



855 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 12:09:15 ID:AFoQgqWv
>>854
>国や県レベルの調査

 県や市町村単位でも、地元所縁の有名武将などは、それなりにバイアスが
 かかることがあるよ。むしろ市井の民間の研究者なんかが、地味ながらいい
 ものを発表することがあるし。
 

856 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 12:20:07 ID:VtsWCXTQ
>>855
それは同意だが、その場合はまずその「いいもの」を具体的に上げないと意味無くないか?
市井の研究で信頼のおけるものが、国の研究でも信頼できるないものがあるかないかなら
そりゃ両方とも一定数はあるだろうね、としか答えられないわけで。

一定の信用がおける、広く手に入る基礎研究であること、を基本にして話すんでないなら
更に遡って元史料を自分で調べた結果をここでちゃんと説明しないといけなくなるわけだし。

……無論、本当にそこまでしてくれるんなら興味深く拝聴するけれども。

857 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 14:23:49 ID:s+CxYDz2
くだらねー争いしてる奴らがいるなw

資料を疑うのは結構だが、個々が独自に信頼する資料に基づいて争って
たら、議論にならんだろ。
普通は通説に基づいてなされるもんだ。

別の説に基づくなら、確たる根拠を呈示しなければならん。
「〜だと思う」というような個人的見解は根拠にならん。

858 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 15:40:46 ID:VtsWCXTQ
普通は通説にも史料が付随するもんだから結局変わらなくないか、それ。

859 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 15:47:58 ID:s+CxYDz2
各専門家が研究した結果、多くの専門家の意見が一致したのが通説。

一ちゃねらが独自の判断で、或る資料に基づいて考えついた説とは違う。

860 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 15:57:53 ID:VtsWCXTQ
だからその研究家が研究したのにも史料があったはずだよな、て事。
その元史料に疑いがあるとか言い出すのが絶対居るから。

そもそも「多くの専門家の意見が一致してる」という判断自体がすでに
恐らく個人で違っちゃってるし。

861 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 16:20:41 ID:p9bLwhqh
>>854
直江ってのは、とにかく権力者には覚えめでたい奴
だから、藩主には信頼されるけど、有能かどうかは別問題じゃないかい?

862 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 16:24:08 ID:ggizQ0+N
家康に逆らって120万石を30万石に減らした時の家老だからな
評価が辛くなるのが普通だけど、小説とかだとかっこよく書かれてるんだよなぁ

863 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 22:14:02 ID:kyJJO2PV
>>854
米沢の歴史研究関係は相当キモいぞ?
商工会議所などからのオラが村バイアスかかりまくりで、
兼続&上杉マンセー以外のこといったら即刻会追放w

基調講演とかが、尻尾振りちょうちん持ち作家の童門冬二だから、
ここまでくると、もう「米沢市民が調べた」だけですでに疑わしさ100%オーバー。
発表会何ざ、キモい田舎者のオナニー討論会以外の何者でもない。
会津の会津藩研究の次ぐらいに身内びいきで狂っている。
さすがに会津のあれほどではないが。



864 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 22:36:05 ID:VtsWCXTQ
>>863
正誤はこの際置いておくとして、どんな史料を主にして論考してます?

別に是非を問いたいわけではなく、ある史料を信じる人の批判、反対をする側が
元にしてる史料も知りたいと思うだけなので、端的に史料、論文名さえあげて
頂ければいいです。じゃないとその賛否で無駄に荒れそうですし。

865 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 11:05:13 ID:Z2KOUBlW
>>863
あほですか?
米沢市の史料はきちんと国の管理下で行われているが
だいたい米沢市だけで調べてどうやって国宝や重文に指定できるんだよ
市町村がOKすれば国宝になるのか?
それで済むなら全国中国宝や重文だらけだ
史料で太刀打ちできなくなったら逸話で対抗して、それが通用しなくなったからって今度は上杉の史料叩きかよw
めでてーな

866 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 11:56:57 ID:Kg4Zpdtb
『正伝 直江兼続』渡邊三省(恒文社)は、確か越後のお膝元の直江の研究者だろ。
巻頭で、地元の商工会議所の会長だかが、著者の直江像をよいしょしている。
伊達家との抗争などは、ほとんど伝承と憶測で描かれている。

867 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 14:35:29 ID:vRibD+2j
なんで伊達家は上杉に目の仇にされてるの?
政宗が大判を見せたのを兼続がおちょくった逸話なんてその台詞からして創作であることがばりばり
「謙信公以来軍配を授かった手で伊達の金なんかもてねーよ( ´,_ゝ`)」
歳や履歴からして謙信存命中に軍配預かったなんてありえねーのに…

868 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 14:57:31 ID:2OTVaJlx
>>867
創作なんだから誰が作ったのか分からんと思うだが。

辿った出典が上杉の史料だったりするなら寡聞ですまん。

869 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 21:01:41 ID:PZPRN2VU
史料の真意はまぁ、いろいろあるけどさ
なんていうか評価が極端すぎるんだよ。有名になる人物だから明もあれば暗もある
史料を疑っていたら他の武将だって扱き下ろせてしまうだろ
あと、〜よりもなんていう話はナンセンス
立場が違えば行動も違ってくる。それだけで愚将扱いはアンチ以外の何者でもない

870 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 21:39:41 ID:2OTVaJlx
別に極端でもいいと思うけどな、どうせ2chだから(さすがに荒らしは勘弁だけど)。
信じる信じないは読み手の勝手、てのは板、スレ問わず暗黙の了解なんだし。

ただそれなりにまとまった意見を言うのに論拠となる元史料すら書いてないんじゃ
読んでる人間がその判断をできないから読み飛ばすしかなくて書き込む意味が
あんまりないとは思うけど。

871 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 01:00:32 ID:dCdKcNVn

つまり、

内政能力があり、功績があった。しかしそれ以外は無能だった。
人格は悪く、嫌われていたが、権力者にはしっかり信頼されていた。

だから、良い部分は正史に書かれ、悪い部分は逸話として残った。
それだけのことでしょ。
なにも矛盾無いんじゃないかい?
史料がどうとか、話をこじれさせる奴がいるな

872 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 01:09:30 ID:9Bxf0Cap
兼続の評価はまた別として、
まぁ100%創作だろうけど、兼続が政宗の見せてくれた金を扇子で受け取った話は俺は普通に引いた。
なんか嫌な奴だなって思った。もっと洒落の効いた事で返すならともかく、面白くもカッコよくもない、陰湿。

これは一体どういう筋から出てきた逸話なんだろうな。


873 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 02:23:52 ID:Xb8vgE8/
>>865
資料資料と言うけれど、たとえば、
>>866みたいな出版物で現代の米沢の人間が
キモい兼続よいしょをしている、というのは「たしかな資料を元にした批判」ジャマイカ?
実際、米沢の上杉&兼続よいしょは、いかにも偏狭な田舎者のファビョり混じりの盛り上げで、
会津の次くらいに気持ち悪い。
ついでに、おまえさんのようなファンがキモイのもたしかな資料に基づく批評だw


874 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 02:30:42 ID:sDh6EVE3
>>873
865がしてるのは、そもそも資料じゃなくて史料の話じゃないのか?

875 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 07:18:42 ID:UJzrfXZr
>>869
それだけで名将扱いは信者以外の何者でもないけどな。

876 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 10:10:23 ID:Z1i6b+6k
地元だから多少のバイアスがかかっているというのは一理あるとしても、
それでも資料に基づいて学説や論文をだしているわけだから、それを一読
したうえで判断ずればよい訳だし、何よりも>>873の書き込みからは議論云々
というより、「僕は直江山城守が嫌いです」ということしか伝わってこない。

877 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 11:52:20 ID:i/pc5ykU
僕は与六が嫌いです

878 :藤田信吉:2006/11/11(土) 12:35:06 ID:FP8iAXO1
僕は直江山城が嫌いです

879 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 13:00:41 ID:Plu2zAo+
ゴネ厨を地獄送りにした逸話は大好きです

880 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 13:52:27 ID:xrL28nFr
>>871>>873
無能だったという史料を提示せよ。この一言だ。
お前達の個人的な感想など俺達は聞いちゃいない。
直江兼続が無能だったという確かな史料があるなら俺達は素直に見てみたいし、大いに興味がある。
当時を生きていた人間が現代にいない以上、確かな史料によって判断するしかないのが現状だ。
国宝や重文に指定されたものは上杉家だけでなく関係を持った朝廷や大名や人物の史料とも照らし合わせた上で信頼性が高いと判断されてお墨付きを頂いた代物だ。
現状でこれ等の史料を信じないで何を信用しろというのか?
ひとついっておくが勘違いしないで貰いたい。
誰のファンであれ真のファンなら史実の人物像を知りたいわけだ。悪い部分も含めてな。
大坂の役で安田能元の功績をわざと家康に伝えなかった時の兼続は俺は嫌いだし、人の上に立つ者としては失格だと思う。
だがそういった部分も含めて総合で見て好きな奴は好きなんだよ。
好きな人物の良い部分しか見ようとしなかったり、悪い部分を良い方に見ようと勝手に解釈する様な奴は真のファンとはいえない。






881 :藤田信吉:2006/11/11(土) 14:02:54 ID:FP8iAXO1
>>880
客観的な史料出せと言ってる一方で、主観バリバリの発言もしてるし。
矛盾だらけだなチミは

882 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 14:08:41 ID:xrL28nFr
>>881
最後の一行か?
確かに我ながら突っ走り過ぎた書き込みだ。

883 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 14:12:46 ID:c9mg8A0p
>>578
>己個人の想像で書き込みしてる輩ばっかだな。残ってる史料で見てみろよ。
 関ヶ原合戦前の上杉家は徳川秀忠と親密な関係だぞ。
 慶長5年3月21日付の手紙では上杉家が城下の整備と武力増強をするのはもっとも
 な事といった内容の書状が秀忠から送られている。
 少なくとも慶長5年3月21日までは上杉家と徳川家との親交はあった。
 上杉家にしてみれば秀忠と親睦を深めていたわけだから、よもや戦争をふっかけてくる
 とは思わなかった部分もあるのではなかろうか

家康親子にまんまと騙されたんだろ。徳川の詰問使の伊奈昭綱と河村長門が
「景勝非違八ヶ条」の弾劾状をを景勝に突きつけたのが、慶長5年4月1日。
この時点で、上洛勧告はもはや上洛「命令」に変化している。
景勝、兼続がいかに甘い現状認識だったかがわかるな。

884 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 14:30:03 ID:y4mnUolf
前立の愛はラブじゃなくて愛染様からでよろし?

885 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 14:45:38 ID:sDh6EVE3
愛宕からって説もある。

886 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 15:31:49 ID:rNRgrYWa
>>872
それは自分も思った。別段とんちや機知を働かせたわけでもないのに、なんだって
あんなに持ち上げられてるんだろう。

もう一つ、「閻魔への手紙」のエピソードもひいた。
これも兼続の人格マンセーに使われているけど、事象をみればようするに理論で説得
することも出来ず、金銭なり利得なりで和解も出来なかった裁判を暴力で黙らせた
だけだろう。しかも被害者側の遺族斬り殺して。
たんに無能なだけじゃん。

887 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 15:37:55 ID:/EPkIcep
戦国にはよくあること

888 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 15:49:33 ID:/EPkIcep
ゴネ厨を地獄送りにすりゃ現代でも拍手喝采するよ 俺はw

889 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 15:54:44 ID:9Bxf0Cap
>>867
別に上杉に目の仇にされる言われは無いはずだが、長尾となると色々あるのかもね。
成実が政宗と喧嘩別れした時に、景勝が成実の武勇を買って破格で召抱えようと言ったら、
「何故家来筋に仕えねばならんのだ」って断ったっつー逸話もあるし。

確かに本来で言う上杉家の流れで言うなら
管領上杉から名前一字と竹に雀を拝領してる成実の流れと、
その管領をぶっ殺して越後を乗っ取ったが、憲政がその辺完全無視してくれたおかげで
上杉家を名乗ることになった長尾家が本来は家来筋と言うのは間違った認識じゃない。
これは上杉を名乗る長尾家にとっては我慢できないかも。

890 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 16:07:32 ID:xrL28nFr
>>884
現在では愛染明王から取ったとの説が高い。
根拠として上越市の長尾上杉家の菩提寺であった林泉寺に歴代長尾上杉家当主が拝んでいたとされる愛染明王の絵画がある事と愛染明王の字が書かれた旗が残っている事の2点。
その次に高いのが>>885氏のいう愛宕神から取った説。
春日山と林泉寺の間は現在も谷愛宕と呼ばれており長尾上杉家時代は越中や加賀方面に向かう時はこの谷愛宕の道を通っていた。
現在も上杉謙信の母虎御前の墓所がある。

>>886
逸話で引くのは勝手だが、それで史実の兼続が無能と決め付ける考えはおかしいだろ。
逸話の中の兼続が無能だというのなら、まだ話はわかるが。
お前は史実とフィクションと混同してしまってる。


891 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 16:36:33 ID:47Xq/3rM
>>872 >>889
小判の話は本当なのではないかな。
会津移封以来、伊達の番犬は上杉の役割だと思われ。
伊達に噛み付いて、職務に忠実である、と秀吉にアピールしていたのではないかと。

直江の権力者からの好かれ方は尋常で気がする。
権力者の痒い所によく手が届く奴だったのではないかな

892 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 16:45:46 ID:LrqJo9CT
>>891
伊達の番犬兼徳川の背後で牽制が会津大名の仕事。

つか、前任の蒲生と伊達の関係を見ていれば伊達に好意的にはなれんのではないかと。
伊達の側も一時期だけとはいえ旧領になった土地に入った自分の押さえに好意的になれるはずもなし。

893 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 16:49:25 ID:RpX9Oo0E
政宗は時の権力者から嫌われまくってるね どさくさに一揆は扇動するわ

894 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 16:59:05 ID:sDh6EVE3
>>891
ていうかこれだけ話題に出てるのに結局誰も、そしてどの出典も明らかにならない
時点ですでに単なる作り話なんじゃないかって気もするけどな。

895 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 17:10:25 ID:94NTnaIS
だんだん政宗がゴネ厨に思えてきた・・・

896 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 18:25:20 ID:EgyHpgVB
>>895
モチツケw

ていうか、何でこんなに直江の人格批判が……。
そんなによいしょされてんのかぃ

897 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 20:26:52 ID:xrI7RRT/
>>863
> 会津の会津藩研究の次ぐらいに身内びいきで狂っている。
> さすがに会津のあれほどではないが。

いや、それだったら会津だけじゃなく政宗厨の集団である仙台の団体よりも随分ましな部類に入るぞ。あいつらも基地外だ。
こいつらときたら、城の石垣にこだわって観光開発のチャンスを自ら潰してしまうような愚劣な連中だからな。

898 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 20:30:36 ID:5uZicWC6
関ヶ原の時、西に戻る家康を追撃せず最上相手に領地稼ぎに走ってしかし食い止められる、という時点で戦略家としてはあまり評価できるとは思えないなぁ
目先の欲に釣られて、しかもそれを果たせない
もっとも景勝が追撃を禁じたという話が有力かもしれんけど

899 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 20:33:18 ID:YMQKvEMs
関ヶ原が早く終わりすぎた 東西両陣営予想外だったろうよ

900 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 20:47:10 ID:EgyHpgVB
>城の石垣にこだわって観光開発のチャンス
なんていうかね、だいたいどこもそうだよ。

901 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 22:35:45 ID:vasX5TPS
>>899
予想外も何も西軍が勝つために何をしなければならないかわかってなかったとしか思えん。
最上とやりあって勝っても西軍主力が負けたらそれっきり。
それに対して少なくとも家康と小山まで来た東軍諸大名は戦略目標を理解してた。
だから反転したんだが……。

902 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 22:55:45 ID:9Bxf0Cap
>>897
それについては詳しく知らないし、政宗厨とかはどうでもいいんだが、
歴史ヲタの俺らからすれば他所の観光開発なんてどーでもいい事より
石垣の方がはるかに重要だと思うんだが。

903 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 23:16:52 ID:sDh6EVE3
>>901
>西軍が勝つために何をしなければならないか

長引けば西軍と結んだだろうことは想像に難くないが、この時点で上杉は別に
西軍と連動して動いてたわけじゃないし、家康を追い落とそう、といったすごく
大雑把な最終目的の共有はあっても戦略目標といえるようなレベルの話は
理解以前に知らされてなかったんじゃないか?

904 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 03:33:21 ID:k1cAQpjj
>>867
てか、その台詞からありえないって考えるのはどうかと。

その台詞自体は景勝が嫁に言った”ワシは謙信公を父に持つ。ワシと、ソナタの間の子は、謙信公と信玄公の血を引く”
というのと同じで実際は景勝は謙信の血は引いてない。でもそういう風にいう事もある。稚気というか、なんというか。


直江が謙信のいた頃にはただの下っ端だった。
        ↓
だからその台詞は真実を示していない
        ↓
だからこのエピソード自体嘘



あなたの論法はおかしい。



905 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 03:34:37 ID:k1cAQpjj
>>872
田舎大名が自慢していい気になってたのを、陪臣に馬鹿にされた。
政宗は田舎ものというエピソード。

906 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 04:22:46 ID:7v2rHn3G
>>903
家康を追い落とそうと思ったら西軍と連携するのは当たり前だと思うんだが。
防衛に徹するなら最上に手を出す必要はないわけで。
それを知らされなければ判断できないようではどうしようもないぞ。

領土を広げるにしてもまだ旧領の堀を狙った方が筋がある。
上杉のやったことは西軍の一員として火事場泥棒をやっただけだろう。

907 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 05:28:34 ID:prVrAEiR
>>905
そういう逸話ならそれはそれで良いんだけど
言ってる台詞が単なる嫌味で面白くもカッコ良くも無いのが問題。
ただの嫌な奴だよあれじゃ。

あと蒲生氏郷かなんかがもうちょって典雅も交えて言ったのならカッコ良いんだけど、
兼続じゃ「お前も田舎者だろ」って感じになってしまって、なんか必死。
いずれにせよカッコ悪いエピソードだ、
創作な上に創作した人物の出来が悪いんだと思われる。

908 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 05:38:46 ID:x2hq917A
>>906
堀は一揆を煽動して動きを止めてたから後回しでもよかろ。

ただ、>>777で書いたが戦略的に評価できないという点は同意。
西軍が転けたら自分たちも危ないから協力しようもしくは西軍が転けたらマズいから西軍とは距離を置こう、
この程度のことが考えられないようではお話にならない。
二つに割れたとはいえ中央政権は存在しており、
もう切り取り勝手の戦国にはもどらないというのが理解できなかったのか不思議だ。

伊達も上杉もあの時点では所詮は中央政局を理解できない田舎大名で、
直江もその家老止まりの器じゃないかというのが自分の評価。

民政家としても教養人としては大いに、前線指揮官としてはそれなりに評価できるが、
戦略家や謀臣としては評価できない。

909 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 07:05:39 ID:X+Xe2EJt
>>908
>伊達も上杉もあの時点では所詮は中央政局を理解できない田舎大名で

 上杉が「中央政局を理解できない田舎大名」なのは事実だが、伊達家は伝統的に
 時の中央政局と終始一貫して政治的、外交的に結びついているよ。最も顕著な
 のが政宗で諸大名中、親家康派の筆頭。慶長4年の忠輝と五六八姫の縁組み、
 秀忠の養女振姫の忠宗への輿入れ等、徳川家康にとっても天下統一のために
 伊達家の力は必須だったわけだ。おまえが「田舎大名」というのは、大方和賀
 一揆攪乱あたりを指しているのだろうが、それについての知識も脆弱だろう。

>前線指揮官としてはそれなりに評価できる

 戦術家としてのこの部分がまるで駄目だな。最上義光との戦いを調べれば自明の
 こと。上山筋では上杉は大敗を喫し総崩れ、長谷堂では義光の術中にはまる。
 小説では「名参謀、名軍師」扱いされているが、実態は才能はその程度にすぎない。

910 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 07:13:42 ID:x2hq917A
>>909
伊達の場合は主に豊臣政権下での進退が無様すぎる。
中央政局に結びついてる?
そりゃまた贔屓の引き倒しだよ。

徳川の養女もらった大名なんて山のようにいるし、
その伝で行けば父や兄を殺されたのにもかかわらず、
家康の娘を娶って関ヶ原の前哨戦で先鋒を務めた池田輝政や、
秀吉政権下から一貫して動いた藤堂高虎の方がよほど親家康派だ。

つか、伊達なんぞは分権指向の家康にフォローされなければ豊臣政権下で潰されてた野良犬大名だよ。

911 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 07:35:30 ID:X+Xe2EJt
>>910
おまえは「田舎大名」だの「野良大名」だのと、感情的に主観を述べているだけ。底が浅い。
「贔屓の引き倒し」も何も、伊達氏の中央政局との強い結びつきは、奥州国守護の伊達氏植宗は無論、
それ以前の十一世伊達持宗、茂宗以来の伝統なのだから仕方あるまい。
家康が諸大名に養女を諸大名に与えたのは実際そうだが、その中で家康に信任された「筆頭」が政宗と
いう意味も理解できないと思われる。

これでは、直江兼続が「指揮官としてはそれなりに評価できる」とした根拠も具体的には述べられまい。

912 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 07:50:27 ID:4xFt2wr3
>>910-911
伊達論議はスレ違いなんで余所でやってくれ。

ちなみに、外様の筆頭は藤堂高虎だと自分も思う。
譜代大名格、江戸城の設計に参与、臨終の席で枕頭に侍るなどから考えて。

敗北して将兵に見捨てられず、殿を努めて軍を返す。
水準以上の指揮官だと思うよ、兼続は。

913 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 11:14:18 ID:e3tUMtU4
>>897
おいおい捏造櫓建設より
400年前の実物を採った方が基地外なのかよw

914 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 21:49:39 ID:VLr+cjSq
藤堂高虎が筆頭というのは納得できる。伊達もそれに次ぐという感じ。

>>913大分前に九州かどこかわからないけど、昔の石垣に勝手に市長が勝手に桜の樹を植えて
大問題になってたよ。歴史研究家に考古学者に大学教授まで出てきちゃって
ニュースになってたよ。歴史板にあるレスとは確かに思いたくないわな……。
結構保全保護頑張ってるんだな。大変そうだが。

915 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 22:57:42 ID:Gxn+jiUX
>>897の理想は墨俣。
一夜城が長良川堤防、放水路を利用した水堀と
石垣をもった白亜の天守閣をもった城になって
桜を植えて花見もできる。
…勘弁してほしい。

916 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 22:58:28 ID:p/h0ESWo
うちの職場には直江みたいな奴がいる
そいつは、東大出ているくせに、仕事はイマイチで
何より社会性、協調性に欠くんだよな
嫌われているんだけど、ゴマスリで上司には好かれるんだよ

皆の職場にも、直江って居るんじゃないか?

917 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 01:00:31 ID:ZID7zoir
>>916
直江はおらんが、大した能があるわけでもないが、何かと言うと
すぐに人を嫉み、陰口に精出すやつならいる。まあ、お前みたいな奴だw

918 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 01:29:17 ID:o5TTdvr+
>>907
小判の話は、面白くもカッコよくも無いのは、史実だからじゃないかな?
創作なら、もっと面白く機知に富んだ話になるのでは
確か、その場に居合わせた大名のコメントも残っていたんじゃなかったけ?

919 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 01:59:03 ID:ZID7zoir
>>918
そういう読み方は恣意的に過ぎるんじゃないのか?

920 :TAB:2006/11/13(月) 02:00:20 ID:KVIrBY2O
sw

921 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 02:06:06 ID:EHqFK+1d
もういいから肯定にしろ否定にしろその話したい奴は
がんばって出典探して来い、て事でいいんじゃね?

名将言行録とか言い出す奴がいたら笑うけどな。

922 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 02:10:15 ID:49cznrm5
その逸話の兼続って「そんな不浄なものを持っては穢れる」と言いながら
扇子で器用にひっくり返してまで小判を良く眺めてから返してるのがなんか滑稽。
だったら、最初からそう言って突っ返せばいいじゃんって思った。

見得張ってる割にいかにも田舎者っぽく興味津々だったような印象まで受ける。
創作だと思うけどなぁ。

923 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 02:17:16 ID:49cznrm5
あぁあとこの逸話って別に兼続だけに見せたわけでも無くて、
居並ぶ諸侯に見せててその中で受け取ったらしいけど、
それなら初めから受け取るなよと思った。

政宗も珍しく、「陪臣だからと言って気にしないくていいよ」とか珍しく好意的、
これを単に突っぱねるのって、仮にも上杉家の外交代表として来てるのにどうなの?って思う。
こんなくだらない事で外交関係悪化したらそれこそアホとしか言いようが無いし、
この件だと政宗は「珍しく」何にも悪くないわけでw

どうにも不自然さが拭えない逸話。

924 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 08:12:32 ID:beOU7Rg1
黄金を「不浄」なものと軽蔑しているのかと思えば、奇人の岡野左内が
黄金1万両を景勝に献じたのは黙っている。

925 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 08:16:09 ID:lwbgtrgo
相手が政宗だったから嫌味やったんでしょ(実話ならね)
上杉に反伊達の感情があったから、代表者の逸話に付託されたんじゃないの?反感の原因がいまだによくわからんが……

926 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 10:57:01 ID:IXHCxQ31
たしか「銭は下賤のものが」という、政宗とのエピソードの出展は
会津陣物語だったはず。

927 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 12:19:14 ID:8ka48ebi
直江が勝手にライバル視してたんだろ
伊達のほうは屁とも思っていなかったかも知れんが

928 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 17:31:45 ID:RrzbFUG5
>>925
そんなところだと思うが、「上杉に反伊達の感情」ってのがいまいちわからん。
これは豊臣政権時代の話だったが、理由が思いつかないんだよなぁ。
伊達が米沢などを引き払う前に、何か迷惑な事情を残していったとかその辺だろうか・・・

929 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 18:25:03 ID:InIy6Rc6
実際何かやってたとしたら、どっかに話が残ってても良さそうなんだがなあ
他のやつにやった一揆煽動とかは、ばっちり伝わってるんだし
単純に警戒心からくる反感にもみえないし、小判エピソードの時点だと
伊達→上杉はむしろ愛想良さ気だから余計に分からん。

930 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 18:27:10 ID:YQ84OYeT
案外伊達からの逸話だったりしてw
それがどこかで直江の逸話に変わってしまったとか
それにしても逸話の多くはわざわざ景勝の代理役で出てくる事多いよな
史実でも表向きに出ることは少なかったのだろうか

931 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 19:24:03 ID:3tcSUMnM
>>928
上杉家と伊達家なのであれば、基本的に歴史もあり大きい家だったわけだし、
奥州で中央から大名家として認められてるのもこの2家だし、
天分の大乱で色々あったとはいえ、婚姻関連のいざこざであって逆にそのぐらい密接だったとも言えるから、
あえてこの2家がいがみあう理由は特に無い。

だけどちょっと上で言われてるけど、上杉としての反感じゃ無くて
長尾家としての反感と言われれば非常に合点がいく。
兼続も景勝も本来、長尾家の人間であって、正統な上杉家にとっては
仇敵、にもかかわらず、思わぬところから上杉を名乗れる事になったわけで、
しかも謙信と違って上杉を名乗る正統な理由とも言える憲政を殺してなお
上杉姓を名乗っているのが景勝の代の上杉家な訳だ。

かたや政宗の伊達家は上杉と並び称された当時となんら変わらぬ家格で保ってきているわけで。
劣等感はあったかもしれない。
逸話自体は創作だと思うんだけども。

932 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 20:57:48 ID:lhh51Byz
何だかあまりな展開なので
「本当は二人は仲良しだったんだよ。」
と頓珍漢な思考回路ですすみたくなってきた

933 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 22:49:58 ID:++37chnM
>>931
そうだったのね
今まで、家格的には

上杉(関東管領)≧伊達(陸奥の国守護、奥州探題)

かと思っていたら、実は

長尾系上杉(守護代、謙信以外は)<伊達

つうことね

竹に雀の紋所も、伊達が他にも違った紋も併用しているのは上杉に対する遠慮かと思っていた。
ホントは堂々と使っていいってことなのかな?

934 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 22:57:09 ID:EHqFK+1d
>>933
というか当時は複数の家紋を所持、使用するのが当たり前。

ちなみに仙台の史跡には九曜紋が多い。
竹に雀なんて複雑で細かいのは石に刻むのとか難し過ぎるから。

935 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 23:07:48 ID:ZID7zoir
竹に雀はたしか、伊達実元が上杉氏の養子になると言う話が上がった際に
使うようになったと言う話をどっかで読んだ気がする

936 :793石 ◆wfGsWQJm.U :2006/11/13(月) 23:14:24 ID:hfsqF/+O
baba

937 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 00:06:33 ID:PVdyzPBr
>>935
っていうかそれが天分の大乱の発端。
それはあくまで伊達稙宗が進めた婚姻外交の一環だったが、
息子の晴宗が猛反発、同格の上杉家に遠慮をする必要は無いとして父を幽閉してしまった。

ちなみにこの養子縁組を求めていた当時の越後上杉当主は上杉定実といって
越後の悪鬼・長尾為景に殺された上杉房能の養子。
その後も定実は兄を頼り捲土重来をはかるけど、その兄も為景の前に敗死。
結局定実も幽閉されるが、家格の利用価値はあるので、以後定実は傀儡としておかれていた。

その後、為景が死んで、長尾家内での内乱が起こった際に、
存在感を戻し始めて、その隙に後継のいない定実は越後上杉家の断絶を恐れて、
伊達家を頼ったと思われる、稙宗にとっても渡りに船という気分だったろう

だが先に言ったように天分の大乱により中止、後継のいない定実は失意のまま死去、
越後上杉家はここで断絶する。だけど竹に雀だけは何故か伝わったのかね。

938 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 00:22:18 ID:h0Li8JLK
すると伊達側の「上杉の申し入れが元で無駄に荒れた」という昔の恨みパターンも考えられるのか。

939 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 00:34:48 ID:PVdyzPBr
そんな単純じゃない、あくまで発端になっただけで、大乱自体は伊達家の内紛が
表に出たもの、この父子のいさかいはその前からあった。
しかも晴宗は輝宗とこれまたいさかいがあり、政宗はこの父輝宗を尊敬している。

同じ伊達でも晴宗側の視点から言えばあるいはそういう見方もあるかもしれないけど、
政宗からすれば祖父と言えど晴宗の肩を持つ理由は特に無い。
上杉と繋がりを作るのはむしろ良かった事だし、横槍を入れた祖父の方が邪魔だと感じたかもしれない。

それを匂わす逸話の中で、成実が出奔した際の逸話がある。

940 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 00:41:38 ID:h0Li8JLK
いや別にそんな上の方の政治的判断が絡む話じゃなくて。

結局単なる「お話」なんだし、他の書き込みも作ったの誰か分からんのをみな好き勝手に
想像してるだけみたいだから「作った奴が昔身内死んだりしてたのかもねー」的なノリ。

941 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 01:10:03 ID:PVdyzPBr
そんな難しい事言ってない、そういうノリなら晴宗か稙宗恨むだろうねってだけの話。

余程のことでもない限り天分の大乱で上杉が悪いなんて穿った見方する奴は居ない。
万が一そう見る人がいたとしてもその対象は上杉定実であって、彼の上杉家は
蜻蛉のごとく儚く散ってしまって、政宗の代には影も形も無い。
もちろん陪臣の長尾家など余計に関係ない。

上杉にとって長尾家は1000年恨んでも恨みきれなかったろうけどね。

942 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 01:30:07 ID:eQPNJsWd
室町幕府:

将軍
(鎌倉公方)
管領(執権)
関東管領・・・・・・・・・室町幕府における実質的ナンバー3
侍所所持
政所執事
門注所執事
引付頭人
評定衆
九州探題
西国探題
奥州探題
羽州探題
・・・

943 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 09:06:32 ID:2BVMzhVZ
どっちかと言うと伊達のほうが竹に雀正当継承者でないかい
長尾上杉はなんと言っても景勝が憲政をブッ殺しているのが痛い
謙信以外は、上杉を勝手に名乗っているっつー感じなのね

944 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 12:23:36 ID:oK2NTkOl
景勝らが上洛して秀吉に会ったのは天正13年〜14年。ちょうど秀吉が、
悪趣味で、グロな「黄金の茶室」を造り、悦に入っていた時期だ。

兼続がどう感じていたか興味があるな。


945 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 12:36:20 ID:9S1dPIcA
黄金の茶室は黒楽茶碗のための最高の舞台であり
黒楽嫌いの秀吉に対する利久一流の皮肉。

946 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 16:54:06 ID:uzBC6y0o
後年の秀吉はさっさと死んだ方が良かった
害虫

947 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 17:22:28 ID:ZpYpDPkL
>>913
我が国のスーパーエリート官僚のお一人であらせられた八幡和郎先生が、ご著書の中でその様に仰っておられますが何か?
世界を知り、日本を知る知見の広い先生と、仙台のど田舎しか知らない野人ではどちらの考えが大局的に正しいかは小学
生でもわかりそうなものだが。

948 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 23:46:10 ID:gJiTMzeG
そりゃ政治家にとって自分の利権を発揮する地元振興を阻害する奴は邪魔者以外の何物でもないからなw

949 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 20:16:17 ID:DzASZiza
>>948
仙台人必死ですね。

950 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 22:16:48 ID:sh4zpMl5
っていうか仙台人じゃないからこその意見だろう、
一般的な仙台人からすれば石垣なんかより観光施設が拡大してくれた方が嬉しいだろうし、
外から言ってるから他人事なのかもしれんけど。

俺は歴史的な石垣やらが壊されていくのは忍びない。
こういうのはどの武将のファンとか関係なく、歴史系の板住人の総意だと思うんだが・・・。

951 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 02:37:51 ID:Mr6i6l3I
直江兼続のかぶとの愛て、愛するの愛ではないよ。
愛、義って書いてあるけど、あれは愛宕権現の愛をとっている。


952 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 04:02:28 ID:jdsRbrck
福原愛ちゃんのファンだったんだろ

953 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 16:18:44 ID:NduWTfUm
愛染明王の愛じゃん

954 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 08:27:47 ID:W9SG1Gcx
本人が意味したところは、愛染あるいは愛宕だけではないんでないか?
もしそれらだけの意味だったとしたら本人がそう言い残すんでないかと
上でも誰か書いてたけど、エロス至上主義者だったとか

955 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 23:43:08 ID:zvaZjXmr
>>954
上越市の林泉寺には毘の前立ての兜が残ってる。
言い伝えはないが毘沙門天から取ったのは明らか。
毘沙門天の絵や木像が残っているのが何よりの証拠。
さて愛がなぜ愛染明王から取ったという説が高いのかというと過去スレにも出てるが同じ宝物館に愛染明王の絵や旗があるため。
それに対して愛宕権現の絵や木像は現存していないため愛染明王説に比べ確率は低い。
そのため米沢市で売られている直江兼続グッズには愛染明王の説明文が書かれている。
ただし上越市の林泉寺の近くは谷愛宕と呼ばれ、米沢市の林泉寺の近くの山は愛宕山と呼ばれているので100%愛染明王説が正しいとも言い切れない。

956 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 23:55:00 ID:AnwiR2p0
こんなのもあるんだな。

ttp://www.kougetsu.co.jp/htmls/1180-58.html

そういえば前立てって金でできてたのかな。

957 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 18:37:22 ID:C6eJamIV
前立てに関しては二つの意味をあえて含んでいると考えられなくも無い
愛染明王と愛宕権現という二つの神様に共通する「愛」の字をとって
ゲンかつぎしたのではないだろうか
ちょうど景勝の前立てみたく三つの神の名をあしらうのを
直江はあえて一文字にしてシンプルにしたと思えばしっくりくる

958 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 22:04:36 ID:xKQxS6Kt
直江兼続は最高なのよ!

959 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 22:12:08 ID:wDQuejY2
なんでこの人人気あるの?
花の慶次まで全然しられてなかったでしょうに・・・
石田のみっちゃんと評価違いすぎ・・・
似た物同士なのに・・・

960 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 22:18:07 ID:/7al+RTL
>>959
上杉家が現在まで存続する名家で全国的なネームバリューがあり
その江戸期の中興の祖鷹山公が敬愛した人物であることが大きい。

これがなければ世間的にはただのネタキャラであったと思われる。
実際は地味に有能で不遇な人物。

961 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 22:49:48 ID:/Enw7obK
>>960
逆じゃね。派手で無能でなのにラッキーに出世した人物。
このスレで散々議論したじゃん

962 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:53:24 ID:BM2vQXIv
まぁ直江より宇佐美定満の方が俺の中じゃ有名

963 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 08:03:04 ID:PwENJ8zm
>>961
議論したというよりお前が粘着してるだけだが?

964 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 08:07:14 ID:lbLWhipm
>>959
おれはそもそも花の慶次って読んだこと無いがw
コミックだと掲載時中高生くらいだった世代以外あまり読ま無いとおもうが

965 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 08:11:55 ID:uhw1mZHG
そうか、ここの直江オタはコミックの読みすぎか

正確に言うと、文官として能力あったかもしれないが、家老として無能、と言ったところだろう

966 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 09:29:02 ID:HhCEVq5a
0か1かでしか考えられないお方がまた来ましたね。

967 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 10:59:07 ID:uUf8A/9b
この文字も0か1かで書いてあるんだけどね

968 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 13:36:09 ID:0u5CU7/V
当然だ。お家の舵取りをするのが彼の仕事。
お家が栄えれば良家老、衰退すればバカ家老。
お家は衰退したけど、名宰相なんてことありえない。

969 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 14:17:09 ID:ypg7SrPg
>>961
議論?
いつ議論になったっけ?
議論しようと史料を基に議論しようとするとアンチは逃亡ばかりしてるが
勝手な推測で二言目には『無能』
もうワンパターンで厭きちゃったよ

970 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 19:12:35 ID:LgIwqL1g
970取ったけど自刷れ立てていい?

971 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 21:11:14 ID:T975fEhw
内容がループしてるからもうやらなくていいじゃん
ネタ切れになってるし

972 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 22:58:04 ID:aASNdgLw
>>969
史料史料って言うけど、公的な史料になるほどきれいごとしか書かれない
「直江公は無能でした」などと藩の恥になるようなホントの事は書かれないでしょ
行動、顛末から判断して、二流人物であることは明らか

973 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 06:42:23 ID:3NbezaHE
戦後「見事な撤退戦であった。天晴れ」と直江をベタ褒めして「花」をもたせ、
90万石もの「実」を没収した家康は実に巧妙だな。

974 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 11:57:27 ID:yayZOzav
>>972
ほう、行動か。
新潟県史に記載されている新潟市最初の干拓は直江兼続によるものだ。
また信濃川と阿賀野川流域の固定工事を最初に行ったのも直江兼続だ。
これによって田畑が安定し稲作の収穫も計算できるようになった。
文字通り新潟は開拓されてから日が浅い。
湿地帯が多かったため面積の割には石高が少なく、稲作以外で生計を立てるしか術がなかった。
謙信時代までは越後の財政は海上交通による税とあおその輸出でまかなっていた。
越後=金というイメージがあろうが謙信時代までは越後でそれほど金は発掘されていない。
その証拠に謙信時代の記録には他国の金を買っていた記載が残っている。
それが景勝時代になると全国の6割の金が越後と佐渡によるものになる。
会津に国替えになった後も秀吉は兼続に佐渡金山の仕置きを任せている。
無能な者が日本国一番の金山を所有する国の仕置きが出来るわけがなかろう。
記録上で見る限り少なくとも農業・鉱業・土木の才能があった事が伺える。

975 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 21:41:05 ID:EKD0K5Du
>>974
うーん、治水工事は、いずれもはじめて手を着けたってだけで、大きな成果挙げた分けじゃないからね。
米沢藩の治水については、兼続の時代ではないけど、失敗を藩士に及ぼさないようするために、
さんざん冥加金出させていた御用商人に罪おっかぶさせて責任取らせた逸話のほうが心に残るなあ。

佐渡金山の話は、秀吉が特に命じたのは抱き込みたい筆頭家老だからということで、
特に兼続が鉱山官僚として手腕が合ったわけではないと思うよ。
秀吉の命じた伏見城などの土木工事も、総監督としての奉行はもちろん兼続だけど、
実務レベルの奉行の名を調べると、「誰がほんとうにうまい奉行だったか」がわかるので面白いよ。
「あ、こいつはあそこの工事にも名前でているから、ほんとの専門家だな」って感じで。

976 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 23:55:50 ID:23F+lSh0
>>974
治水事業はどこの藩でもやっている。

たとえば最上は、
「北楯利長を登用し、庄内平野の水不足を解消した。
利長は立谷沢川の水を使って狩川から庄内平野に疎水することに成功、庄内平野の石高は十倍にふくれ上がった」

伊達も、
「後に貞山堀と呼ばれる運河を整備した。北上川水系の流域を整理し開拓、現代まで続く穀倉地帯とした。
この結果、仙台藩は表高62万石に対し、実高100万石を越える米の生産量を確保した。一説には江戸中期には300万石を超えていたと言われる」(ともにWikipediaより)

治水事業をやらない藩ってあるの?
筆頭家老の直江が、大事業の責任者になるのは当然で、
>>974にもあるように、そもそも成果があったのかがまず問題。
そして成果がどれだけ直江の力量によるのかも何ともいえないところだ。

筆頭家老の仕事は内政だけじゃない。この時代の転換期に、軍事や外交が大事だったであろう。その点で無能だった。
家老として、というより将として無能だった、というほうがより正確かな。

それより、秀吉のものになった旧領の金山の管理を直江が続けているって何か変なものを感じるな?
二君に仕えるのが平気なのが直江の変なところ

977 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 00:37:30 ID:5jkkobdi
佐々成政なんかは越中に与力で行ってたほんの短い間に治水で業績挙げてたよな。

978 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 06:57:03 ID:04rwrkmS
義光の治水業績は素晴らしすぎる。
さすがにそれと比べるのは酷かと。

979 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 10:35:20 ID:HdeCrsob
治水事業にしろ鉱山発掘にしろ即効性云々はともかく領国経営に力を注いでいた記録が残ってるのは確かだよな。
それに比べて>>972はケチをつけることしか能がないのかね。
藩の記録で兼続を叩く様な記載をするわけがないというが悪政を行えば何かしらの史料が見つかるはずだ。
例えば反兼続派の人間達の史料とかな。
藩内にそういった史料がなければ隣国の大名家や藩の史料に書き記されてるはずだ。
いろんな大名家や藩の史料を調べてみろ、悪政を行った人間の史料のひとつやふたつは見つかるぞ。
米沢藩でいえば上杉重定の時代の家老森平右衛門が私利私欲に走って悪政を行っていた史料が存在しているぞ。
もっと有名なところでは鷹山時代の七家騒動もある。
藩の恥だから史料を残さないなんて発想は知識云々以前の問題。
馬鹿馬鹿しいを通り越して呆れるばかりだ。

980 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 11:04:53 ID:HdeCrsob
>>976
軍事や外交が無能だって?
確かに関ヶ原で西軍につかせたのは失敗だっただろう。
といっても、それは結果論であって結果を知っている後世の人間はどうとでもいえる罠。
ギャンブルの結果を見て第三者が賭けて外した奴に「何故当りに賭けなかったの?」といってるのと同じだよ。
以前では柴田勝家と秀吉どっちに組するかで秀吉に組して成功してるが。
ここで勝家に組していたならば北条氏と同じ運命を辿っていたかもしれないぞ。
関ヶ原の敗戦で景勝流罪、兼続斬首で決りかけていたところから減封まで持っていった。
これ等を見て総合して見る限り外交手腕がなかったと言い切る方がおかしいんじゃないか?



981 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 11:48:49 ID:SKOwiYGQ
>>979-980
反論できやすいところしか反論しないレスに萎えた。
史料史料という割には、何もいえていないに等しい。
おまいさんがみごとにスルーした部分(治水とか奉行評価とか)に価値があるのに……。


982 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 12:24:56 ID:FhOq6G0e
治水事業は成果が出てるやん
越後全体では禄高は微増だが1582年にはじまった治水工事によって阿賀野川流域は人口も石高も大幅増で1598年には現在でいうところの阿賀野市が新潟県中越と下越地区で一番栄えていて人口は5000人を超えて石高は5000石越え
越後国内では春日山城下の上越に湊町として栄えた柏崎に次いで3番目の規模だよ
それまでは越後北部で栄えていたのは本庄氏の城下町だった村上市と新発田氏の城下町があった新発田市



983 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 12:30:59 ID:FhOq6G0e
信濃川流域のデータ−も紹介しようとおもったけど
信濃川流域は直江家や上田長尾氏や栖吉長尾氏の領地が点在するんで栄えていて当然という意見が出るとおもうのでやめとく

984 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 22:17:44 ID:ExlUqGJs
>>980
減封で済まされたのは、外交が良かったからじゃない。
徳川の基準は、利用価値があるかどうか、だ。
上杉には利用価値がある。それは、伊達の押さえに役に立つ、ということ。
だから、30〜15万石で生かさず殺さず貧窮させて残しておこう、ということだったのだろう。
まあ、直江は家中で自分の外交が良かったようなポーズを見せたのだか、それは知らんが

985 ::2006/11/23(木) 23:51:05 ID:NxtfJ2cO
割り込んでスマン。直江にはイマイチ詳しくないんだが、江戸時代、直江家はどうなったんだい?
筆頭家老なのにいつの間にやら名前見なくなってしまったよ。

986 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 07:34:15 ID:BNo8KCrb
>985
とりあえず目の前の箱がなんだったか思い出せ

987 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 11:29:15 ID:zcpJLMSA
>>984
それをいったら幕府にとっては徳川本家以外はどうでもいい扱いでしょ。
西軍についた武将は当然の事、東軍についた武将でも後にケチをつけて改易してるし。
東軍について改易された武将が一番馬鹿をみてるわけでさ。
高台院も家康の掌の中で転がされて豊臣家が滅亡直前になって気付いたが時既に遅し。
家康を支えた本多家ですら秀忠の代にはケチをつけられ改易。
とどのつまり利用できるものは利用していらなくなったらポイ捨てっちゅうことやね。
古今東西権力者のよくやる手段ですわ。

988 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 13:33:11 ID:3mKwPNgb
>>985

直江家は、 断 絶 !

直江も可哀相な椰子だね。こまネズミの様に働いたのに否定されちゃったのね。
正確には、直江自身だか妻だかが潰した。反対派の攻撃を予想しのことだろう

989 :なにい?:2006/11/24(金) 15:06:54 ID:vi5ViKm/
>>988
え?兼続の代であぼ〜んしたの?嫡子無しとか?あるいは不手際?

990 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 16:08:09 ID:hQAkwL7K
3人の子は全員兼続夫妻より先に病死。
兼続の実弟の子を養子にしたりと最初は直江家存続のために動いてたみたいだ。
婿養子の本多政重が直江家を去ってからは御家存続の動きがパッタリとなくなってるな。
直江家が断絶した理由は兼続夫妻の意向だったのか上杉家の意向だったのかは不明。
知っているとすれば上杉家の末裔と兼続の実弟の大国家と樋口家の末裔だけだろうな、今のところは。




991 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 19:23:07 ID:aOkC2Kax
まじ…?
友達に直江って名字の奴がいるんだけど、直江家の末裔だと言ってた。
嘘だったのか…?
新潟県上越市在住。

992 ::2006/11/24(金) 19:38:38 ID:8pHjlx18
>>991サンクス!参考になったよ。

993 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 20:11:35 ID:hYfwIKz+
>>991
上越なら近くに直江津ってあるだろ?
あそこから苗字が取られているんだよ

994 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 22:03:00 ID:BfyxElnb
しかし、なんとアンチの多いスレなんだろう。
多分、同一人物が繰り返し暴れているというのもあるんだろうけど。

995 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 09:16:00 ID:o74+jMog
>>991
一概に嘘とも決め付けられまいて
直江家の分家筋にあたるのかもしれない
景綱には男子はいないとされてるけどお船の方には姉がいたとされていて、その姉に謙信が恋心を抱いていたとの逸話が残ってる
もしかするとその姉の血筋かもしれない
この姉とされる人物は史実で存在したのか怪しい部分があるのだが逆に絶対存在していなかったという証拠もない
それから景綱より前の先祖で分かれた血筋という線もあるしな
少し前までは鬼小島弥太郎とて逸話上の人物とされていたけど今では存在した可能性があるとの見解が増えているくらいだ
確か長野県に住む人が鬼小島の子孫を証明するために宝物の鑑定依頼をしてたな
まだ真意は発表されていないが


996 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 12:54:08 ID:5Fj9pmLd
埋め

997 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 13:35:23 ID:iIWx8c6f
愛する上杉兵士諸君もうスグ1000だ!

998 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 14:53:28 ID:5Fj9pmLd
【義のために】直江兼続を語るスレ3【愛のために】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164148096/

次スレ

999 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 15:34:01 ID:EyerwxPU
内府はナイフに通ずる。

1000 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 15:35:02 ID:4FzsCu5h
1000は頂く

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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