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【智・勇魚の如き】黒田孝高総合スレ【縦横無尽】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 17:21:50 ID:ItJwvL2z
秀吉の天下取りを補佐した超名軍師、黒田官兵衛を語りましょう!(*・ヮ・*)
その知略、勇武は大海を泳ぐ魚の如き自由自在、変幻自在であり、
彼がいなければ秀吉も天下は統一できなかったとも言われます。
秀吉死後、関が原のどさくさに紛れて九州を支配し、天下を狙おうとしたのも
実は野心家である彼のみが成せる所業です。
官兵衛自身はもちろん、その功績、周りの人物、事象などでもおkです!


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2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 17:23:15 ID:ItJwvL2z
74 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2006/07/19(水) 19:46:07 ID:kmd/Tkpd
如水との関係

如水と半兵衛が初めて顔を合わせたのは、秀吉の中国征伐軍が播州に差し掛かった頃だから、だいたい一五七五年頃だと思われる。
よく、如水と半兵衛を秀吉の二大軍師などと呼ぶが、半兵衛の生没年を見ればわかるように、如水との出会いからわずか四年でこの世を去ってしまっているため、実際に二人同時に秀吉に仕えていたのは本当にわずかな時間であった。
しかしこのわずかな時間の中で、如水は半兵衛から多くの事を学び取ったと考えられる。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 22:57:27 ID:sHYbBSI4
播磨灘物語

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 23:13:39 ID:sHYbBSI4
黒田のかかわった播州諸豪攻略の一つ一つが知りたい。こんな渋いところにこ

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 23:15:27 ID:97rq7+Bw
関が原があんな早く終わんなきゃね

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 23:24:34 ID:RE88ppEN
小寺政職の子供を食わしてやってたのには感心した。自分を窮地に追いやった奴の子供なのに。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 23:50:23 ID:sHYbBSI4
>6
でも如水をほんとに評価してたのも籐兵衛さんだよ、筑前じゃないよ。
身内同然の思い入れあがったんだよ。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 23:52:08 ID:sHYbBSI4
籐兵衛=小寺政職

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 23:54:35 ID:suy0O7J5
>>5
息子すら思い通りに動かせないんじゃ、天下は厳しいだろ。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 23:56:41 ID:sHYbBSI4
息子もなまじ才能があるだけにねえ・・・。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 23:57:34 ID:suy0O7J5
>>10
でも、家康は長政使いまくったからねえ。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 23:59:21 ID:sHYbBSI4
家康は使いどころわきまえてるからねえ。
今酔ってるから理性的なレスできねえす。ちなみに家は小寺の縁者。恥ずかしながら・・。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 00:00:12 ID:sHYbBSI4
酒飲んでレスすると後悔するからこの辺で御免。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 00:21:50 ID:rvTmIcyn
>>13
なかなか面白い黒田評を展開していたと思いきや…
ID同様シャイな奴だ

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 00:24:14 ID:k/u4tvKA
まぁ、参謀長としては最高レベルだろな。
ただ、最高の参謀長≠最高の司令官じゃないわけなんで。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 00:26:26 ID:X2mVPPQl
酒は呑めども、のまれるな…

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 00:48:20 ID:rvTmIcyn
>>15
つまり軍師で留まっておけと?

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 01:15:58 ID:eFnBGpkH
どうみても

息子>>>>>>>>>>こいつ

だろ息子のほうが優秀だよ

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 19:44:18 ID:6Y6K3sPb
タイプがぜんぜん違うじゃねえかよ


20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 05:58:36 ID:Lm7Mxf6g
似てるところもあるか。
結局、父子ともに天下分け目の戦いに、キーパーソンとして参加してるしな。
というか長政も凄く優秀だと思うけど…

21 :黒田節 :2006/07/30(日) 06:27:55 ID:xzPlal09
関が原において有名な石垣原?豊後で僅かな寡兵(農兵)で大友義統らの軍2000人相手に、
勝利し、その後も肥後国境付近の城を開城(降服)させた。 さあ薩摩盗り目前にしてその野望ついえる、、、、、、

22 :しまづ よしひろ:2006/07/30(日) 09:28:30 ID:FqGs144V
(´・ω・`)薩摩、大隅は、渡さんど!

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 11:33:29 ID:T6fzJVFl
じょすい「さつまちょうらい」
(´・し・`)

ながまさ「ちちうえごめんよ〜」
(´:ε;`)


24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 13:29:26 ID:yuxdlXQQ
>>21
石垣原は双方寄せ集めではあったけど黒田軍の方が何倍か多かったはずだよ。
大友方千を最初3千で攻めて負けて、次に本隊8千で潰したって内容だったような。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 15:40:27 ID:BiH0wCbC
大友を降したあとの北九州の西軍諸城が降伏したのは、時間的には、
関ヶ原の勝敗が決まったあとではないの?
黒田家が東軍だから交戦を避けただけで、別に如水の外交力でも神算鬼謀のせいでもないと
思うんだけど。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 16:18:11 ID:srmz+7gP
>25
大友義統の降伏が関ヶ原と同日だから、時間的にはその通り。
西軍敗北の知らせを受け取った如水が、その情報を使って開城させていっただけだろうね。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 17:03:15 ID:HFb7/lcl
【清正三成】新世代武将を語るスレ【長政家政】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153116825/

実は息子の方が器量人?

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 17:24:33 ID:1W9XEiQg
>>27
親父は参謀タイプ、長政はどっちかっていうと政治家だな。
戦闘指揮は息子の方がうまいが、作戦能力は親父が上。
親子逆転していると、かなり大勢力になったかと思う。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 17:29:31 ID:HFb7/lcl
>>28
関ヶ原のコーディネートも殆ど長政がやっているわけですが?
立場の違いと能力の違いは区別しないと。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 18:19:22 ID:1W9XEiQg
>>29
よーわからんが、それと27で書いた内容は全然矛盾しないと思うがな。
長政がやった関が原のの功績は、政治的なもので、主たる豊臣系大名を
家康方につけた。これは、政治的な業績だわな。


31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 19:50:58 ID:gQR4wsxZ
自分に向かってずけずけと物を言う小姓に、
「主君に対する物言いが不遜である」として斬ろうとした。
すると小姓は「主のことを思うからこそ直さいな物言いを
心がけているのです」と言った。
それを聞いて「己の身にまで思いが及ばない者は要らぬ」と斬った。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 20:18:42 ID:JP9319Ji
自己の保身や利益のために動く人間のほうが配下としては使いやすいからな

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 20:50:17 ID:I39YlLix
>>2
>しかしこのわずかな時間の中で、如水は半兵衛から多くの事を学び取ったと考えられる。
何この脳内妄想。
大した実績も無いくせにゲームではやたら過大評価されてるだけの
半兵衛なんか官兵衛の足元にもおよばねーよ。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 19:08:14 ID:TB3A1XRC
黒田スレは、どの板でもよく立つ。
でも、毎回わりとあっさり落ちるんだよね…。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 23:12:57 ID:zqwZ8iOG
官兵衛って別に秀吉傘下に入る前にも活躍してるのに
何の実績も無い半兵衛より下の扱いにしてるレベル低い奴がいるからな。
相手にするのも疲れるんだよ。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 02:48:17 ID:TnfgsWFi
官兵衛は幽閉後はビジュアルに問題があるから、損してる
髪の毛ないし、足悪いし、頭巾かぶるだろ。杖ついてるし、馬にも乗れん
アクションゲーにはメインで登場できない属性だからな

あと、小説でも大体中国大返しくらいまでしかちゃんと書かれない
んで、そのあといきなり関ヶ原までワープ
だから、有岡城幽閉と半兵衛の美談(長政を助けるやつ)が、
どうしてもメイン扱いで、半兵衛が目立つ結果になってるんではないか

半兵衛がなぜか美形扱いされてるのは、よくわからんが

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 05:22:08 ID:2NTV3aD3
>>36
ミーハー人気では損してるよな。半兵衛の美形は早死にのせいでしょ。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 07:43:18 ID:qlsFE+aU
半兵衛ほどではないけど官のほうも相当過大にみられてるよなあ。
上のほうにある関が原のことなんかもその1例だわな。

39 :魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs :2006/08/01(火) 12:09:06 ID:adYEPKNQ
竹中の美形補正は龍興が女みたいな奴とからかったからじゃない?


…まぁどうでもいう事だが

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 16:53:58 ID:y14AkgXq
>>38
>官のほうも相当過大にみられてるよなあ。
お前が無知なだけ。
知りもしないで馬鹿にするなよ。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 19:48:27 ID:uymmSuIJ
>>26
「同日に」降伏して「時間的にはその通り」とすると一体
どうやってその情報を得たのかが気になる……

当時24時間以内で関ヶ原から北九州まで勝敗だけでも
伝える手段て何だろう? 狼煙とか?

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 23:17:44 ID:nUQT8uRc
>41
大友を降したあとの北九州の西軍諸城が降伏したのは関ヶ原の勝敗が決まったあと、
というのが「時間的にはその通り」ということ。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 21:40:20 ID:u+bGw9H7
>>42
それは大友だけがまともに武力で降伏させられて、それ以外の北九州の西軍諸城は西軍敗退が理由で降伏したってこと?

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 22:35:53 ID:kLNeoYb2
>43
安岐城は亀甲車とか使って攻撃して、9/19に開城させてるけどね。
それ以降は西軍敗北の情報をうまく使って開城させているものと思われ。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 01:51:36 ID:4Byl+LWq
まあ、大友を降したっていっても、主体が即席の傭兵だからやっぱり弱兵で、
黒田家の古参の家来が、その分過剰に奮闘せざるを得なかった。
だから、如水は結果的に古参の重臣をかなり戦死させちゃったんだけどな。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 02:20:05 ID:6NGQ2WE6
なら世代交代の意味ではよかったんじゃねえの?

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 02:55:20 ID:AJCiuQDm
領国経営としては、そういう考えもありだろうけど、
戦術的には明らかな失敗でしょうね。
この人は一応戦上手という評価が高いわけだから。

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 14:22:09 ID:AaPi2qR1
>>47
>この人は一応戦上手という評価が高いわけだから。
評価もなにも実績あるから。
寡兵で大軍を4度破ってる。
その内2つは規模が300対1000とかで小さいから有名じゃないのかもしれないが
後の2回は毛利戦で10倍の相手に勝ってる。
もちろん黒田隊のみで。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 22:28:06 ID:RDJ5t4Dm
だいぶ前に読んだ「カルテ拝見 武将の死因」(杉浦守邦)という本では
如水の死因を若い頃(おそらく小寺時代京で遊んだ時)罹った梅毒とし、
如水に関するいくつかの謎を梅毒の症状や進行過程によって推測している。
今手元にないのでうろ覚えなのだが

有岡城監禁について
→梅毒が進行すると、いきなり四肢に瘤ができて痛むことがある。
有岡城に使者としてやってきた官兵衛がいきなり昏倒して歩行が困難な状態になったとしたら?
荒木村重は使者である官兵衛をぞんざいに扱うわけに行かず
かといって既に篭城臨戦体勢の中、自力で歩けない官兵衛を丁重に敵方に引き渡す手間を掛けられず
結果的に干殺しのさなか敵方の官兵衛を生かし続けるという変な事になった。
監禁は嘘。脚の障害や脱毛は梅毒の症状。

次男についての記録が極端に少ないことについて
→如水には子がたった二人しかいないのに、その片方である次男についての史料がほとんどなく、
生まれ年と慶長の役での夭折したことしかほとんど触れられていない。
梅毒に罹ると生殖能力が衰え、また薄弱児が生まれやすくなる。
次男は薄弱児でとうてい黒田家を支えるには足りないと早くから思われていたのではないか。
長政は梅毒に罹る前にできた子である。

関ヶ原時の行動、晩年の奇行について
→梅毒が生き延び末期になると、脳神経がやられて妄言奇行が多くなる。
関ヶ原役の九州における如水の軍事行動は、普通ならあまりにも非常識であり
これが失敗しなかったのはひとえにそれまでに如水が築いてきた名声と
家臣団の錬度によるところがおおきい。
如水の妄言はその後も酷くなっていき、それはちゃんと記録にも残っている。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 23:58:27 ID:MASsMJtz
>>39
マジで?ちょっとショックだな
どんな妄言してたの?

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 00:39:53 ID:XgJ8xUHX
<瘡あたま>っていうあだなは、明らかに梅毒もちっぽいね。
ただ、如水は長政と死んだ次男の他にも、もうひとり庶子の男の子いるけどな。
確かかなり年取ってからの子で、正室の侍女に手をつけて(あらら)
男の子が生まれたんだけど、生まれてすぐ家臣に養子に出したから黒田姓じゃない。

3代目藩主忠之の黒田騒動の時、家老の栗山大膳が、家康が長政に与えた感状を
万が一の時に備えて預けたのが、この如水の庶子。

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 23:34:31 ID:TB8bypXn
如水は小早川隆景の評が実に言い得て妙

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 04:57:22 ID:jjmIjDi1
>>52
これ?

> ある時、黒田如水が隆景に質問した。
> 「私は勘によって物事を判断するため、間違いを起こすことがある。私に比べ、小早川殿の
>判断には狂いはない。何か秘訣があるのでしょうか。」
> 隆景はこれに答えて
> 「おっしゃるほどのことではありません。私は黒田殿ほど鋭くありません。物事を考えに
>考え抜いたあげく結論を出すしかありません。黒田殿は頭が良いため、素早く決断なさる。
>そのために情報に誤りがあった場合に判断が狂われることがあるのでしょう。」

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 05:03:30 ID:jjmIjDi1
これもいい言葉だな。隆景というのは偉い人だ。

 如水の子である長政も「分別」について隆景に教えを乞うた。
 「分別に肝要であるのは仁愛です。仁愛により分別すれば万が一、理に当たらないことが
 あっても、そう大きな誤りにはならない。逆に才智が巧みでも仁愛のない分別は正しいとは
 言えないでしょう。」と答えたという。

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 22:53:13 ID:eNpKMU6j
如水は、諸大名との交友関係は異常に広いね。
小早川とも毛利とも鍋島とも細川とも、黒田家は如水の代は仲がいい。
細川とは長政の代で天敵になり、鍋島とは忠之の代で険悪になったけどな。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 15:45:16 ID:yTXspYwI
妄言の件ですが、確か、家臣団が、如水から、長政へ心が移るように、敢えて自分から悪者になったのと違うかった?

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 16:05:38 ID:2TTdNl/o
厨房のにおいがします

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 18:23:24 ID:Hs28zfof
でも小早川隆景は如水の事を信用してないんじゃなかったっけ?

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 18:25:50 ID:2TTdNl/o
そんなの当時の人らでも知らんのに
怖いな君は

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 18:35:38 ID:Hs28zfof
ちょっと調べてみた。このことです。
ttp://mouri.gozaru.jp/yogen.html

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 03:48:28 ID:WQ36qg1o
>輝元領内の船着場に、筑紫大名より屋敷を建て、茶屋作り、
>上方往還の休み等に、、宅地を所望されることありとして、貸し給うべからず。

根本的な疑問として、隆景存命中は黒田家は豊前中津12万石で筑紫大名じゃないんだが。

そりゃ、筑前はどの大名家であっても、地理的に毛利にとっては潜在敵国だから
警戒して断るだろう。
実際に長政の時代に、参勤交代のために毛利領内に休憩所をお願いして
この遺言によって断られてる話と如水の話がごっちゃになってると思われ。
仲が悪かったらそんなお願い自体できないけどな。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 09:22:22 ID:fNhTFi5r
>61
筑紫とは九州全般(あるいは北部九州全般)のことでは?

筑紫大名を筑前筑後に限定すると、
小早川家か立花家になってしまうぞ。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 10:15:40 ID:O2Ubz6bY
>>58
お前知らんの?
隆景と官兵衛はまぶダチだよ。
いやネタじゃなくてほんとだから。
広島に築城した時も官兵衛に土地の鑑定してもらってるし、
九州征伐でも一緒に鍋島調略してるし
朝鮮でも隆景と小西が意見食い違ったときも官兵衛は隆景と同じ発言してる。
秀吉の次に認めてたと思うよ。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 19:47:32 ID:h5lzV7nq
広島城築城の件は、策士同士の腹の読みあいってかんじだけどな

如水と長政は、豊臣政権で対毛利家の外交窓口である
取次って職についてたから、毛利家と縁が深いのはそのせいだろう
吉川広家が家督継ぐとき後押ししたのも、婚姻の世話もしたのも如水
結局、黒田親子が政権内で失脚して、あとは三成が取次ぎになったけど、
長政の関ヶ原の時の工作が成功したのは、毛利家との2代にわたる
信頼関係があったからでしょうね

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 01:16:27 ID:Ab6eLxD8
親父黒田より息子黒田の方が実は大物なんじゃない?
如水も長政本人も周囲の人間も、なぜか父の方が偉大だと思いこんでるのが
何か不思議な気さえする。
戦場で槍働きさせてよし、策士としてもここ一番での大寝技も決められ、
武断から文治の転換期に近世大名として領国経営もこなし…
というのをひとりの人間がこなしたのは、凄いことだと思う。

どうでもいいが、過去スレを検索したら
「黒田長政だけど何か質問ある?」という大昔のスレが14レスで落ちてた。
おそらく短命な黒田スレの中でも最短記録。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 03:42:13 ID:p9skGuvF
>>65
>親父黒田より息子黒田の方が実は大物なんじゃない?
それは君が無知だからだよ。
黒田家譜15冊読んでから書き込もうねボクちゃん。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 06:13:07 ID:BuwBUBr2
又兵衛との確執や再仕官にしつこく横槍いれたりと、長政は小人物の印象

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 07:43:25 ID:a5F+H9mx
親父の秀吉の天下取りへの貢献と息子の関が原での活躍のどちらにより信憑性があるかといえば
あきらかに後者だろうに。そのへんから息子の方がすごいという意見があってもおかしくないと思う。


69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 15:03:27 ID:Ab6eLxD8
>>68
長政の関ヶ原での活躍は確かにすごいね
というか、東軍は長政の切り崩しと懐柔工作で勝ったようなものだし、
上手い形で家康に恩を売ったものだと思う
秀吉の中国大返しは、如水がいなくても起っただろうけど

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 17:39:37 ID:p9skGuvF
>>69
もうお前のレベルわかったからこれ以上書くな雑魚。
しったか野郎が偉そうに書いてるの見てるとむかついてくる。
頼むから知りもしないで偉そうに書かないでくれ。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 17:48:23 ID:p9skGuvF
軍事板は知識もってる奴が多いのに何でここはろくに
資料も読んだこと無い、しったか君がえらそうに語ってるんだろ。
どうせお前ら雑魚の頭の中では官兵衛なんて
大返しでちょこっと献策したぐらいにしか思ってないんだろ?
んで指揮官として部隊を率いる能力は無いと。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 18:13:24 ID:W75o/9oV
また香ばしい奴がでてきたな。
久兵衛の書は16冊ではなかったかい。
いずれにしてもとるに足らない史料だけどね。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 19:06:18 ID:mSMUSHpx
どっちのほうが史料を読み込めてないのやら。
家譜なんてもんは事績を誇張して書いてる部分があるものとして読み取るのがあたりまえなんじゃ。
だからこそ様々な史料からその事績の信頼性がより高い長政のほうを評価するという考えのほうが
よっぽどオトナというもんだ。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 19:08:08 ID:cyljvvOn
>>68

長政の懐柔は如水の布石と信頼があったから行えたんだってばよ。

・小早川秀秋→秀頼誕生の時に立場が危うくなった秀秋を小早川家の養子に斡旋、付け家老を黒田家から2人出す事に成功。

・吉川広家→広家は嫡子では無いが、元長死後に如水に吉川家の相続を根回ししてもらう、如水を師父と敬慕。

・武断派七将→戦場の生き字引として深く尊敬される、清正に至っては関ヶ原の九州戦線で如水に従うと言う手紙さえ送っている。

これだけの下地を作ってたからこそ、長政の工作が実を結んだのだよ。
そして長政しか離反工作を行う事が出来なかったのは、如水の信用がバックにあったから。
高虎でも藤孝でも忠興でもなく、長政でなければ対毛利の工作はできなかったんだね。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 19:15:39 ID:p9skGuvF
>>72
>いずれにしてもとるに足らない史料だけどね。
お前が思ってるだけな。雑魚すけ。
こういう逃げ文句いう奴多いよな。
てかお前も読んだことないんだろ?そうなんだろ?

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 19:22:28 ID:W75o/9oV
>>75
>てかお前も読んだことないんだろ?そうなんだろ?
お前「も」・・・・・

爆笑!!!

続きの部分をウプしてあげるから
一部でいいから書き込んでみな!


77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 19:25:30 ID:p9skGuvF
凄いな。
宇喜多引き込み、毛利との合戦、四国征伐、九州征伐、北条降伏
などの官兵衛の活躍が捏造扱いされちゃったよ。
褒美もらったりしてるのはどういう事になるんだろ。
なんにもしてないのに賞賛の言葉や褒美が残ってるのだろうか。

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 19:28:43 ID:guHsD29U
否定してるんじゃくて誇張されてるところがあるのでは、といいたいだけなんですが・・・。
それぐらいも読み取れないのかな?

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 19:30:48 ID:p9skGuvF
>>76
なんか勘違いしてるなこの馬鹿。
こんな匿名掲示板で誰が誰かなんかわからんからね。
日付かわればID変わるし。
だから複数の人間をさして「も」にしたんだよばぁ〜か。

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 19:32:18 ID:p9skGuvF
>>78
誇張で城が落ちるのか?降伏するか?味方につくか?
この雑魚すけが。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 19:37:41 ID:Hn30KhpC
ID:p9skGuvF

ムキになりすぎ

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 19:38:40 ID:p9skGuvF
>>81
スマン。
ちょっとカッとなってしまった。反省してる。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 19:43:46 ID:Hn30KhpC
自分も如水にはロマンを持ってるけど、こういう声が出るのもある意味自然だと思うよ。
如水は実績がいまいち不透明(半兵衛ほどではないが)なのに対して
長政は関が原での工作を始め、立派な業績があるからなあ。

84 :72:2006/08/17(木) 20:10:49 ID:W75o/9oV
少し解説しとくと72でとるに足らないといった真意は
黒田家譜には偽書説があるってこと。
それを踏まえて議論して欲しいわけ。
如水自体を否定しているわけではないし、
個人的には長政より如水が好きだけどな。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 20:32:33 ID:W75o/9oV
>>83
如水に関しては信頼できる1次資料が少ないからね。
長政以降はそこそこ資料があるんだけど。
幕府成立以前で信頼できる資料があるといいんだけど。
黒田にかかわらず、他の資料も同様。


86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 20:52:42 ID:5HnfBEAd
ID:p9skGuvF

馬鹿さらしあげ
夏休みだからか。おまえこそ知ったか君のくせにw

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 21:11:44 ID:p9skGuvF
>>86
何だ?
以前馬鹿にされてくやしくて
チャンスとばかりにシャシャリ出てきたのか?
よっぽど馬鹿にされたのが悔しかったのか?
馬鹿だなぁ。
ageたきゃ勝手に上げろ。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 21:25:05 ID:5HnfBEAd
スレを見てると、お前が浅はかに罵倒してる喧嘩売ってるようにしか見えん。
でも自分が馬鹿にされるとむきになるのな。アホかと。
おれは如水厨だと自分では思うけど、長政はやや過小評価されてると思う。
というか、お前以外はそう冷静に言ってるだけだ。
お前みたいに贔屓の引き倒しで、他人を馬鹿馬鹿と言い募るのだけではなー

お言葉に甘えて馬鹿さらしageとくぜ。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 21:30:21 ID:p9skGuvF
>>88
お前みたいな厨房愛用のWikiには官兵衛の合戦やら織田と関わる前の話なんか
載ってないもんなw
そんな奴が過大評価とか言ってればむかつくよ。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 21:35:55 ID:5HnfBEAd
よくわからんが、勝手に判断されてもな。
で、お前が正統に評価できると言う妄想の根拠は
ただ黒田家譜を鵜呑みしてそのままよんだってことがあるってことなわけ??
字が読めてえらいね、とでも言えばいいのか?


馬 鹿 だ ろ、お 前。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 22:04:08 ID:T3EaXsVc
>51
梶原景尚は長政の庶子じゃなかったっけ?

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 22:04:28 ID:cR/qS+HG
珍しく黒田スレにレスが進んでると思ったら、あらら…
何か黒田家譜を読んだことを自慢する変な信者がいるみたいだけど、

>家譜なんてもんは事績を誇張して書いてる部分があるものとして読み取るのがあたりまえなんじゃ。
>だからこそ様々な史料からその事績の信頼性がより高い長政のほうを評価するという考えのほうが
>よっぽどオトナというもんだ。

これに尽きると思うけどな
如水の名声の根拠となる事績や逸話は黒田家譜にしか書かれていないのも
多く、如水が参加した戦いで、如水がどこまで家譜に書かれたほど
活躍したか貢献したかについてはいまいち信憑性がないってことでしょう
どこの大名家でも家譜は多かれ少なかれ自家の誇大宣伝になるけれどね
ちなみに黒田家譜は身びいきはわりと激しい方で、史料的価値はちょっと?と言われています

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 22:19:10 ID:p9skGuvF
青山合戦 ○黒田300 VS 赤松政秀1000
土器山合戦 ○黒田300 VS 赤松政秀3000
英賀村の戦い ○黒田500 VS 浦宗勝5000
阿閉城篭城戦 ○黒田500 VS 宇喜多軍8000
三木城攻め ○黒田隊500 VS 別所勢700
○黒田隊500 VS 別所勢1000

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 22:24:50 ID:p9skGuvF
>>92
いや別に自慢してるわけじゃないよ。
そこんとこ誤解しないでくれ。
ただあんまりかんべえの事過小評価してる人いるから
これ読めと書いただけ。

>ちなみに黒田家譜は身びいきはわりと激しい方で、史料的価値はちょっと?と言われています
これはちょっとひどいんじゃないの?
武田の例の奴とか信長公記も三国志正史もみんなそうなるじゃん。
やっぱり自分の使えた家の事良く書くでしょ。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 22:34:34 ID:W75o/9oV
>>94
いいからお前は黒田家譜の中身をウプしろ
お前が言い出したことだぞ。
ちゃんと続きをウプできるように説明文も書けよ。

口語のテキスト文は不可。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 22:34:41 ID:p9skGuvF
しかし2ちゃんて資料の名前出せば馬鹿されるのな。
島津家文書は馬鹿にされるは信長公記は馬鹿にされるはで。
疲れる…

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 22:36:29 ID:R68SaYqn
えっ、信長公記ですら、そうなのか。
そしたら、武功夜話なんてのは・・・・・・

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 22:38:40 ID:W75o/9oV
>>96
島津家文書は別にいいんでないの。
信長公記は・・・・1.5次資料っていう解釈かもしれんけど。

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 22:43:51 ID:cR/qS+HG
>しかし2ちゃんて資料の名前出せば馬鹿されるのな。

いや、誰も史料を馬鹿にしてるのではなく、
頑なに黒田家譜だけを持ち上げるあなたが馬鹿にされてるだけですよ?
そこのところ、自分に都合よく誤解しないでください。
>だからこそ様々な史料からその事績の信頼性がより高い長政のほうを
>評価するという考えのほうがよっぽどオトナというもんだ
オトナかどうかはともかく史料的には一理あるし、
こういう史料の相対化こそ、史料を読むという態度だと思うけどね

馬鹿の相手は疲れる…

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 22:45:54 ID:R68SaYqn
>>98
>信長公記は・・・・1.5次資料っていう解釈かもしれんけど。

これって、信長について書きにくいことを
一部書いていないからってこと?

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 23:02:30 ID:W75o/9oV
>>100
いや、そこまではいかないと思う。
文句いう人間はいるけど、太田 牛一は確かにその時代にいた人間だし、
嘘を書いている証拠はない。
ただ、当時の情報伝達事情から、必ずしも正しい情報かどうかに議論の余地が残る。
そういったら文句言えばきりがないので、一応、正しいことを前提としていいんじゃないかと
思います。
武功夜話は・・・・・まあ正しくないとは言い切れないという程度でしょうか。

102 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/08/17(木) 23:27:33 ID:75CyYR3i
1.5なのは、後から書いたものだからだよな。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 23:49:23 ID:zElJePwR
>>91
梶原景尚は孝高の庶子。
忠之の家臣として仕えているけど、血脈的には忠之の伯父にあたるので
栗山大膳が黒田家お取りつぶしの危機の際には、
家康の書きつけ(黒田家は御子孫永く疎略の儀これあるまじく候)
をもって老中に訴え出るように渡した。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 00:39:48 ID:NxrB39Mo
長政は、むしろ江戸時代になってからの業績をもっと評価されても
いいような気がする。
領国経営も及第点だし、外交的にもこまめに幕閣の有力者の情報収集をし、
見舞いに行ったり姻戚関係を結んだりと、外様大名としての生き残りを
かけて、こちらの方面でも最後までよく働いてると思う。

しかし、細川家はこういう情報戦や外交の領域は抜群に上手いな…。
あそこは幕府の対朝廷の儀礼指南という特技もあったけど、
対幕府の気遣いと戦略が見事に実って、外様の中では藤堂とともに別格の厚遇されて
気がつけば薩摩の抑えの要地・肥後54万石与えられてるし。
細川家は、三代目も名君だったっていうのも大きいが。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 18:26:47 ID:Y6wp1EAf
長政「家康殿は、それがしの手を三度も押し頂かれました」
如水「…で、手を握られたのはどちらの手か」
長政「右手でございました」
如水「すると、そちの左手はいったい何をしていた」
長政「……(父さん、脳梅毒にかかって…)」


106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 18:43:13 ID:5gkrRmgu
如水「すると、そちの左手はいったい何をしていた」
長政「……(つか、おれが死んだら黒田家継ぐやついないじゃん!)」

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 19:06:36 ID:YLO+y8Pc
如水「すると、そちの左手はいったい何をしていた」
長政「……(いま、左手で父上を殴りたくなりました…)」

これ、かっこいい台詞だけど、確かに如水が無茶苦茶言ってるな。
黒田家が天下取るのは現実的には無理だとは思うんだけど、
座視できずに動いちゃうところが見果てぬ夢という感じで、好きだったりする。
火事場泥棒ともいうけどw

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 23:53:29 ID:QGLK+z9p
>>107
その話って後の世の創作でないの?

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 01:08:21 ID:r239pqpn
関ヶ原のときの如水の行動は、目の前に手頃な草刈場があったので、
思わずどさくさにまぎれて刈っちゃったよーって感じだろうな
伊達政宗とかと同じでさ 

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 01:12:55 ID:r239pqpn
>>108
確かに、この逸話の元々の出典はどこなんだろうね?


111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 19:49:02 ID:3SN7QaeQ
何このスレw
黒田家譜出したとたんボコボコに叩かれてるw
黒田スレなのにそりゃないだろw
黒田家譜を知らずに一体何をかたるんだw

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 20:08:10 ID:p3WxxxvE
>>111
108の逸話が載ってる黒田家譜の部分を原文でうpしてみな?
話はそれから、な。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 20:40:44 ID:3SN7QaeQ
おいおいw
右手左手の話は黒田家譜じゃねーだろw

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 21:57:06 ID:CllW2DEV
そうですよ?うpできるわけないじゃん。
で、どれが出典か知ってるかい?

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 00:25:50 ID:WDFivYr1
キチガイの集まりかここはw
>108の逸話が載ってる黒田家譜の部分を原文でうpしてみな?
と墓穴ほっといて黒田家譜じゃないよと教えてあげたら
>そうですよ?うpできるわけないじゃん。どれが出典か知ってるかい?
だってw
病院いけよおまえwww

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 02:24:14 ID:n2rhRm/j
>>115
つか、荒らし目的で書き込んでいるお前が痛いよ
ま、ストレス溜まってんのかも知れんがw

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 06:18:45 ID:4mV6j2Xt
ID:p9skGuvF=WDFivYr1はここ数日殴られすぎて、
心が折れてしまったようなのでそっと無視してやってください。

近世の家譜は、大学の文学部の国史か国文学専攻で訓練しない限り
原文でそうそう簡単に読みこなせるものではないです。
口語訳の一部抜粋を読んで、読んだと言い張ってるだけでしょう。
つか、お前の引用は司馬遼の播磨灘かせいぜい名将言行録からしかないじゃんよ?

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 06:58:54 ID:v+n7EJ8g
毛利家というかこの一族ってさ、如水と関わってよかったことより
迷惑を掛けられたことのほうが多いんじゃなかろうか…
吉川元春に膾を勧めて、結果的に寿命を縮めさせたのは、この人。
嫌がる毛利領でのキリスト教布教を、輝元に取り付けて支援したのも、この人。
(んでその直後に禁教令がでて、如水はあっさり棄教。毛利領内の切支丹は弾圧)
秀秋の養子先に、最初に毛利家を打診して小早川家が絶えたのも、この人のせい。
関ヶ原で、吉川広家に結果的に空証文つかませたのは、息子。

ここぞ、というところで悪意のない働きかけをされた結果、
す ご く迷惑してる気がする。毛利の人々はそれでよかったのか…。

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 07:13:55 ID:+H2MHq9K
ま、苦笑いだな

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 08:28:19 ID:MM6+EZLp
こうしてみると、黒田も毛利にいろいろ余計なことやってるもんだなw
関ヶ原後、毛利家が防長2国になって家臣の家禄も払えず、新領主からは
年貢の返米も迫られ窮地に陥ったとき、輝元は領地を返上して
いっそ大名を辞めようかどうか如水に相談してる
如水が、辞めないでとりあえず頑張りましょう、そのうちいいこともあるかもよ
とか慰めて止めたはず
だから、信頼関係は(なぜか)ずっとあるみたいなんだけどな

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 11:32:07 ID:g2csi57v
なんつうか、スレタイみるたびに「知勇が魚並み」なんだと思って
しまう癖がついてしまったよ。

122 ::2006/08/20(日) 11:36:10 ID:AQTHHCHA


123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 23:10:16 ID:C/9wh//x
【謙信最強は創作】
謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。

※謙信自身が敗北を認めている書状↓
 晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
 かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日                  虎(花王)
[三洲寺社古文書]


【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。

1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。

上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。

謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである

本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 05:18:30 ID:JsJ69WsP
長政以降の黒田家は、ぱっとしないまま惰性で幕末まで続いた感じだな・・・
石高的にも地理的にも、うまく藩政改革できてれば
薩長土肥のような西国雄藩になれそうなポジションなのにさ
4代目あたりから、黒田は財政がずっとガタガタなのはなんでなんだ?
直系も絶えちゃうし、他家からの養子で何とかつないだようなようなもん

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 00:49:32 ID:jWvwbAsU
如水について、坂口安吾の言った「二流の人」というのはすごい評価だと思う。
信長、秀吉、家康を一流として、そこまでたどり着けなかった武将。
三流ではないが、運かなにかが欠けていたんだろうな。
でも、長政が主人公の小説より、如水が主人公の方が多い。
やっぱり俺は息子よりは親が好きだな。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 01:07:36 ID:a467UOEj
自分の受ける感じ、
長政は「かなり仕える部下」、如水は「仕える部下」からはみだしている。
どっちが上かは考えてもわからないけど、あの時代(天下二分)に主体的に動けるのはすごいと思う。
小説になりやすいのも、秀吉が警戒したかもしれないのも、そこだと思う。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 08:44:10 ID:ZuXyrt7n
如水は主君から信頼が全然ないのが致命的だな
小寺、豊臣、徳川と立て続けに不信がられてるのはな
才気煥発すぎる秀吉にしても信長には部下として信頼されたし、
家康にしたって一応は律儀者だと評判もあったのに、なんでなのか
なんか事を起こす前に、余計な言動であっさり警戒されてるのは
人がいいというか、うっかりしてるというか・・・

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 23:16:00 ID:NWtay/5K
頭のいいバカって感じだな。後年は特に。

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 23:38:36 ID:7O8KiE0h
如水って、クルル曹長って感じだしな。

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 00:30:52 ID:tG9h8j4V
慶長の役で如水が碁を打って三成待たせたのは、まあただの意地っ張りだけど
そこでいきなり無断で日本に帰ってくるのは、何考えてるのかわからんな
まだ軍監を解任されてもないのに。秀吉もこの時点では許してやれって言ってるのに
ふつう職投げ出して遠征先から帰るか?
関ヶ原の時より、このとき何を考えてたのか謎


131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 09:18:09 ID:a9yJVVmi
なんとなくむしゃくしゃしていた
日本に帰れるなら理由はどうでも良かった
今は反省している

この人、結構ノリというか思いつきで行動してるとこ多いと思うけどな。
でも、頭はいいからあとからそれなりに理屈をつけるというか、
周りが深読みして深謀があるように見えるっていうか…。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 20:00:36 ID:m3Zq/EOG
なんとなくむしゃくしゃしてやった。
本気で天下とろうとは思ってなかった。
今は反省している。(息子にも迷惑かけたし…)

っつーか、死ぬまで変わらんな。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 23:08:07 ID:VQFvcrhe
まあ、関ヶ原の如水の行動には、豊後の細川家の飛び領地(6万石)を、
大友の軍勢が攻めたから救援を頼まれたっていう理由があるけどな。
細川忠興は、城代の松井康之に開戦したら周りの西軍に攻められるから、
そのときは黒田如水と連携して戦えって伝えてる。
数少ない九州東軍勢として、両家の間にあらかじめ協力体制をとる約束があった。
実際、細川の城は如水の救援が到着した時に、本丸まで攻められ落城寸前だったし。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 08:20:16 ID:80nX2dvO
戦国で家臣をひとりも切腹させも手討にもせず、「仕えやすきこと類なし」
と書いてもらえたんだから、珍しい殿様ではある

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 16:24:40 ID:SM+HnVrs
「仕え易いこと類ない」殿様は世代交代したときガクブルだったりして
それはそれで問題あるようなないような。

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 12:21:11 ID:Y8LlqIsy
その結果、晩年の家臣をてこずらせる気難しい爺さんのふりをして、
「長政よ!これはお前のためにやっておるんじゃ!」に繋がるわけで。
そこまで気配りされると、息子としてはありがたいけど立つ瀬がない気もするが、
主君として仕えるなら、おれはやっぱり親父の方がいいな。

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 19:01:48 ID:IeWRC6QP
関ヶ原の時の九州でちょっと暴れてみましたという一件がなければ、
如水はいまのような人気はなかった気はする。
実際のところ天下取るつもりはなかっただろうし、現実的にも無理だし、
黒田家にとっても如水にとっても何にもならなかったわけなんだけどさ。
ずっと韜晦しつづけた「二流の人」が最後に狂い咲きした感じで、
また、あっけなく息子の活躍で終ってしまった幕切れも含めて、
ロマンだなと思わせるんじゃないか。
関ヶ原を、一番楽しんで戦った人だと思う。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 08:28:22 ID:vf73w2c/
>関ヶ原を、一番楽しんで戦った人だと思う。

まあ、如水は太閤の死後、関ヶ原のずっと前に、これから起る天下大乱を予感して
わくわくして待ってるという意味の短歌を詠んでたりするからなw
最後の最後に夢のある戦さができて、いい晩年だな・・・

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 22:20:02 ID:FoZgZeZl
なんて迷惑な徘徊老人だw

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 22:27:50 ID:cuY39ZGB
330:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2006/08/19(土) 18:44:11.19 ID:jTJGNPaHO
おまえら正しい呪文を唱えないと
ttp://s.pic.to/5cy6n
が毎晩夢に出てくるぞ


俺は忠告したからな。


おまいら真面目に唱えろwwwwwwww


141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 12:36:35 ID:5j8/O32N
【お国自慢】47都道府県のお札【有名人】
福岡 :2006/09/01(金) 13:20:24 ID:dYjOUIcN
一万円:菅原道真
五千円:広田弘毅
一千円:母里(黒田親子はビジュアルに難がある)


お膝元の住民に、顔が悪いっていわれるよ!www
しかし黒田親子の肖像画は、なんであんなにリアルに書かせたんだろうな
他の大名の絵とか、変に紙芝居タッチで嘘くさいのも多いのに

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 18:55:21 ID:Of3oprq1
ゲームではわりと悪くない顔だけどね。
長政の肖像画とか逆にインパクトあっていいじゃんw
息子の忠之(3代目)も、似たような顔だからああいう顔の血筋なんだよ。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 21:58:14 ID:ZQc+DuhL
別にそんなにひどい顔じゃないと思うけどなぁ。

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 22:34:23 ID:t+f8JIjz
あれだけ眉を寄せて八の字に下げて、しかも口を極端にへの字にするのって
物理的にすごく難しくない??
長政の肖像画の真似をやってみたけど、全然できないぞ・・・
への字にして眉を寄せると、ふつう眉が上に上がらないか?

是非、やってみてくれ。謎だ・・・

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 07:52:40 ID:jwKSZ52p
>一千円:母里(黒田親子はビジュアルに難がある)

福岡の日本号と杯を抱えた母里太兵衛の像は、確かに男前
官兵衛は顔悪いか?とぼけたおっさん風で味があるし、
長政はごつめの武断派って感じで、男くさくて悪くない
まあ女から見れば、織田信長みたいなのがいいのかもしれんけどな

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 21:49:59 ID:p+erPneA
あの頭巾の魅力が分からない奴はすっこんでろい!!

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 10:24:19 ID:KdwXKu+u
ごめん。
小学生の頃、兄と歴ゲーするとき、官兵衛は頭巾かぶってて、
なんとなく憎たらしそうな顔グラだったから、毎回見つけては斬ってたわw
「頭巾狩りー!」とか言ってた。
能力が高すぎるのも子ども心に怖くてさ。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 11:06:51 ID:pT5K/5aE
>>145
女から見れば
舅にするなら如水、息子にするなら長政
結婚するなら栗山善助
恋に落ちるのは後藤又兵衛、ってところじゃないか。
カトリスのCMのじじいが晩年の如水に見えて仕方がない。

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 23:12:22 ID:tvpi0t02
信長や秀吉が名古屋弁で会話したり、島津が薩摩弁で喋る小説や
ドラマは結構あるけど、如水にもドラマで播州弁を喋らせれば、
かなりイメージが変わると思う。

ドスの利いた方に。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 23:27:01 ID:7jmyy11o
大滝秀治さんだねw

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 14:06:33 ID:baTkC3Xl
自分が好きになった理由の一つが、あれだけ腹黒のイメージ有るのに、晩年、城下で町人の子供達とかと仲良くしてたとか、遠山の金さんや黄門様みたいに、町人の話を政治に生かしたって読んだ事で好きになりました。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 14:20:25 ID:C2qGYRfV
ID:p9skGuvFみたいな燃料きぼんぬ
えらく白熱してるなと思えば一ヶ月近く前だしorz

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 14:35:28 ID:6Nx75JHH
じゃあ「黒田所水は関ヶ原の混乱の時、九州に密かにキリシタン王国を作ろうとしていた」とでも主張してみるか。

あながち無くもない。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 14:24:38 ID:yQwCWU/v
如水が正式にキリシタンだったのは、でも時間的には短いんだよな。
洗礼を受けてから、1587年の棄教令で棄教するまでの3年間だけ。
この間は、遠征の陣中にも修道士を連れてったり、イエズス会の布教を支援したり
かなり熱心に活動してる。
棄教してからも、イエズス会とはずっと付合いがあったみたい。

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 17:45:14 ID:vtlEc7Ke
>>154
「棄教は表向きの偽装だった」「イエズス会を通して密かに南蛮勢力との交渉を持っていた」
関ヶ原にルソンからの艦隊が間に合っていれば…!

という架空戦記がたちどころに作れますなあw

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 23:22:46 ID:+15n11ta
大河ドラマの孝高は滑舌が酷すぎて、台詞が聞き取れん。
演技か素で下手なのかもわからん。
ドラマでは、幽閉中に舌まで麻痺したっていう設定なのか??

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 01:21:56 ID:6TqsilRI
>>156
齋藤さんは滑舌が悪い人だよ

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 05:43:24 ID:+kgVp5de
今年は、出番はかなり多いのにな
関ヶ原までの経緯を、かなり回数かけて詳しくやるみたいだから
長政の活躍に期待するか

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 14:13:37 ID:lP/Nv+9z
如水の九州戦は、やっぱりカットされるだろうしね

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 10:38:49 ID:7GG9H8w4
大河ドラマの番組宣伝HPで、武田鉄也が如水の九州戦について
やけに熱く語ってるからやるかもな。
ただ武田の語ってる内容は、如水が好きすぎて贔屓の引き倒しというか
ほとんど電波みたいなんだが・・・

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 21:58:50 ID:3/1hlErG
>>160
武田鉄也は司馬遼太郎の影響を受けすぎているからね。司馬の好みを自分の好みに
転化しちゃってる。「司馬信者」というと真っ先に武田鉄也の顔が思い浮かぶよ、オレは。

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 04:23:35 ID:2uPMekr7
武田鉄也は、黒田のお膝元の福岡出身だしな
地元の大殿だから思い入れが深いんだろう

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 05:08:53 ID:tA/4K2Bm
愛川欽也
武田鉄矢

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 20:25:21 ID:WkPhpoov
>>163
とりあえずこのスレには、武田鉄矢のファンがいないことが判明したな


165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 20:57:37 ID:x45m8IUc
>>164
合戦で捕虜にしたら、とりあえず斬りたくなると思う。

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 22:28:26 ID:puB20sU9
>その知略、勇武は大海を泳ぐ魚の如き自由自在
あ、スレタイはそう読むのか!

「智、勇魚いさな(=鯨)の如き」だと思い込んでたわ・・

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 21:18:18 ID:LCa+rqRH
>150
如水「つまらん! お前の軍略はつまらん!」
長政「………」

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 06:31:20 ID:cKuAT223
文禄・慶長の役と出兵させられ、戦争のないときにも上方にいる期間の
長かった西国大名は、どこも領国経営が大変だった
長政はその点恵まれてた
凄腕の隠居が国許にいてくれたんだから

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 08:50:30 ID:lkHjDQgh
>>168
戦争に凄腕の人間が領国経営でも凄腕と思うなかれ。

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 09:02:05 ID:tsMKjeCL
>>169
検地では石高を実高よりかなり低く申告し、名より実を取ったし
関ヶ原では、長政が5000人ほど動員した上で、まだ傭兵を9000人ほど
即座に雇える黄金を中津城に溜め込んでたんだから、
財政的には十分有能に切り盛りしていると思うが?

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 09:13:09 ID:FifCsxSX
>>170
そりゃ、長政が溜め込んでたんだろ。
実際、関が原前の黒田家の方針はほとんど長政が立案しているんだから、
内政指示も長政から出ていたと考える方が普通だわな。
如水は、息子が溜めた貯金を勝手に引き出して、道楽に使ったのさ。

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 09:17:04 ID:2XArH//c
>>171
お前馬鹿だろwww

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 09:26:54 ID:n71Tdf/g
領国での大名の親族のサポートは結構重要なんだがな。
近距離に領国がある石田三成でさえ、領国経営は実質的に
父と親族に任せていたわけで。
黒田は当主の長政が唐入りで長期に渡って不在だし、別に親父に
任せてても不思議ではない。

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 09:34:09 ID:n71Tdf/g
それから長政は筑前入封後の検地で、如水が豊前貰った時とは逆に、
実高よりかなり多めに表高を申告して実より名を取ったんだよ。
江戸時代の黒田家の、実高と表高の差が他の大名家より
あまり離れていないのはそのせい。

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 09:58:57 ID:/NBakZYA
如水が倹約家というか、ぶっちゃけケチで蓄財上手だった逸話は多い
むしろ、こんなに経済感覚のある藩祖から、なんで後年の財政音痴な
福岡藩が誕生するのか謎なくらい

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 11:07:28 ID:QwqcZbgc
福岡藩の経済感覚は、だめだめ。如水の興した家だとは到底思えん。
お隣の毛利を見習え。

・長政が実際の石高より多めに表高を申告したので、もともと財政が困窮しやすい
 体質。軍役でも、参勤交代でも、お手伝い普請でも過重な負担に苦しむ。
・長崎警備や島原の乱もあって、3代目の忠之の末期からいきなり財政難に。
・藩札を発行する時2回連続して騙したので、最後には領民に信用がなくなり、
 3回目に発行した時には藩札が流通しなかった。
・当然財政は借金まみれだが、その借金を踏み倒すのさえ下手くそ…
 何の考えもなく大坂商人の借金を踏み倒し、報復として大坂の米市場で
 筑前米を取引から締め出される。現金収入の道を絶たれてさらに困窮。
 あわてて殿さま自ら手をついて、謝ってなんとか許してもらう破目に。
・バブルな開発計画ばかりたて、他藩から財政再建のエキスパートを
 雇っても、まったく倹約できない放漫財政を続ける。
・維新のときは財政難で大変困る。そこで藩ぐるみで偽の太政官札を刷ってみた。
 藩士がそれを使って、必要物資を購入する末期状態。

 それが新政府にばれて、倒幕藩なのに廃藩置県の前に取り潰された唯一の藩になった…

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 14:12:53 ID:Szh3rPFl
本当に駄目駄目だなwww
根本的に経済における<信用>の意味が分かってないものと思われ
如水の名誉のためにせめて、黒田家直系は7代目で絶えてしまい、
福岡藩は以降関係のない他家の養子がずっと藩主だから、と言っておく

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 19:59:45 ID:PnhC3czB
黒田は如水と長政以降、急速にダメになってゆく感じ
4代目がややましで、そのあとはすぐ血筋が絶えてしまった
池田や細川は、初代藩主以降むしろ人間ができて名君が多くなってゆくのに・・・

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 01:49:02 ID:FNqKgXCN
やはり黒田の直系が絶えたのは
伝承のとおり、城井鎮房とその一族の呪いだろうか


ありゃ黒田親子のやり口が酷すぎるだろ

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 05:31:25 ID:/6R5L1kO
まあ殺る気満々で、端から騙して政略結婚して、舅とその家臣を騙し討ちでヌッ殺し
14歳の嫁を磔にした長政はかなりな鬼畜ではある。

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 06:45:56 ID:ZYd1iF1+
素朴な疑問。
初代藩主以降ダメになった藩と、名君を増やす藩とだったらどっちが多いものなの?

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 07:27:08 ID:aDA5S9kE
>>181
何を持って名君とするかも難しい問題だが…

あくまで一般論として、政治的、経済的、軍事的に難しい所に領地を持った大名は
必然的に頭を使わざるを得ないから、藩主、藩士に有能なのが出て来やすい。
逆にそれらの条件に恵まれた領地の大名は、特に頭を使う必要も無いので、名君を
排出する理由が無い。

どっちが多いかなんて、何を名君の基準にするかによって全然違ってくるので
統計の取り様が無い。って感じかな。

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 07:53:53 ID:DMbMEzFA
島津家はなぜかコンスタントに名君だして「島津に暗君なし」と言われた。
福岡藩11代目藩主で藩政の近代化を進め開国論を唱えた
わりと名君だった長溥は島津重豪の9男だったし。
細川家の歴代の殿さまも、財政はガタガタで貧乏細川呼ばわりされたが
領国経営が上手かったし幕府との付き合いも上手かった。
あそこは年貢が軽く善政で、肥後ではほとんど一揆がなかった。

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 08:36:29 ID:aO85NWkJ
明治新政府が人材登用を目的に各藩を調査した際に、松方正義に
「筑前福岡藩、人物一人もなし。」
と断言されてるんで、まぁね
幕末は、殿も藩士もみんな微妙にダメな藩だったのは確かです
明治も後期になって、元福岡藩士・金子堅太郎がちょっと活躍したのが
まだ救いっていうか・・・
ちなみに金子は黒田如水の熱烈なファンで、分厚い如水伝を書いてますよ

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 08:57:53 ID:s//kLE7m
>>184

福岡藩は尊攘派を大弾圧してしまってますからね。

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 10:48:22 ID:hBiPMaDU
>まあ殺る気満々で、端から騙して政略結婚して、舅とその家臣を騙し討ちでヌッ殺し
>14歳の嫁を磔にした長政はかなりな鬼畜ではある。

これマジ?それとも伝承か講談ネタか何か?

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 14:02:27 ID:04udyDvf
>>186
これは残念ながらマジ。
亀姫の年齢は諸説あるし、自害させたとも磔にしたともあるが、
長政が舅の城井鎮房ともども中津城の宴に呼んで殺しています。
肥後遠征中に如水も連携して、鎮房の幼い嫡男を家臣ともども
館ごと火をつけて焼殺してる。
九州遠征や豊前切取りの時は、この他にも降した城の女子どもや
兵を磔にしたりと黒田親子も一通りの残虐行為はしている。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 22:29:45 ID:2JcTl5wf
つか孝高に城井の娘と長政を結婚させて、一時停戦して謀略で一族を殺して
しまえと命じたのは秀吉だけどな
肥後が一揆で混乱している時に、豊前まで豪族の反乱が長引いて不安定になると
厄介なので、早いとこかたをつけたかったから


189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 13:06:38 ID:vzdsA/hE
豊前の城井攻めでは長政は負けっぱなしだな
黒田・吉川・毛利の連合軍1万2000を率いて、城井1500に滅茶苦茶に負けて
ほとんど壊滅状態。影武者が代わりに死んでたりする

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 13:56:55 ID:/C5GZuFZ
いきなり良スレになってる

江戸時代や幕末の黒田家に詳しい人に感心した

191 :ダミアン長政:2006/09/18(月) 14:13:11 ID:G+5L1cE5
>>190
ありがとう。
頑張ってかなり自演した甲斐があったよ!

192 :シメオン如水:2006/09/18(月) 14:27:39 ID:xPYZo5AY
「ところで自演したのは右手であったか、それとも左手であったか?」

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 14:41:24 ID:nfwg4PfZ
両手です

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 20:03:23 ID:mEMlhRer
そのとき真ん中の足は何をしておった!

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 01:02:54 ID:vPPFrk1T
家康を刺しておりました!

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 01:24:42 ID:pgTkDijH
父:よくやった!…って、なんでお前は生きておるのだ??

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 01:35:02 ID:MawCjN1c
内府を刺したのはわたしの影武者>>189でした!

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 01:50:38 ID:EBTD5NL7
「こんなこともあろうかと…」
影武者黒田長政に影武者徳川家康で対抗。難を逃れた家康であった

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 02:38:59 ID:yuvTByxF
こりゃ長政も親父も切腹させられるな

黒 田 家 は 改 易、断 絶 し ま し た
『架空戦記:黒田家の野望 その時、お前の左手は?』(完)

200 :ダミアン長政:2006/09/19(火) 15:27:35 ID:ZCzznYig
おかしい・・・
父上のご希望どおり、わたしが内府を刺したら
あっという間に黒田家が滅んでしまいましたよ?


201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 06:38:33 ID:yC7Z5fMu
>>200
いろいろ企むわりに、どこかうっかりしている
ここぞというところで、思わず余計な決め台詞を喋ってしまう

そこが黒田孝高の魅力です


202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 09:18:43 ID:F+66Qs61
坂口安吾の「二流の人」で、
「俺が昇進できないのも領土が増えないのも、アンタ達に責任がある」
と宣教師に文句言うドン・シメオンが、キャラが立ってて面白かった。

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 10:34:12 ID:GUNlzQdz
>>201
確かに蛇足の天才という感じではある。

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 12:34:55 ID:wqQX/Xf2
>>201
ついでに長政の魅力も考えてやれ。
変わり兜以外で。

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 22:29:59 ID:FmxJ+mrN
蛇足はないが、兜以外に派手さがないのが親父と対照的

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 23:10:08 ID:d3reW4R1
関ヶ原直後に、家康から直筆の感状をゲットしておく手堅さは
地味ながら大金星。あの感状一本で、黒田騒動も乗り切って、
幕末まで家名を保ったようなもの。

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 01:15:24 ID:6KDjZNcb
うん、地味にものすごく堅実で有能なんだよ(戦場以外では)
しかしそういうところが俺らや如水の癇に障るんだよ
ギャンブル狂いで借金も辞さない人のまえで
車を一括で買ったら小学生以来の貯金が半分になっちゃったーとか言ってごらんよ

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 02:31:44 ID:hVU3hKt7
むしろ関ヶ原こそ長政の大賭博だと思うおれは、もしかして少数派か?
しかも、天下分け目の戦でものすごく綺麗に大勝してみせた。
如水が秀吉見込んで天下取らせたように、長政は家康に元金全部賭けて
関ヶ原でいわば中国大返しをやった見せたわけで。
調略といい槍働きといい、関ヶ原の時の長政は別人のようにかっこいいと
思うんだけどなあw

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 03:05:05 ID:PTsSmqRq
まるで普段の長政が駄目男のようでは(ry

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 04:08:18 ID:jaxwILz8
>>208
息子の方が実は贔屓なおれも同意
調略も見事だけど、合渡川から合戦当日の槍働きが張り切りすぎ

関ヶ原の乱戦の最中、小早川秀秋がなかなか裏切らずに焦れた家康が、
長政の許に使者を送って「お前の調略は一体どうなってるんだ?!」
と詰問した時、
「馬鹿を言うな! 調略は戦の前にすべきこと。戦いが一旦始まれば、
 槍働き以外はおれの知ったことか。
 金吾が裏切れば討ち果たしてやるから、うろたえるな!」
と、怒りにまかせて怒鳴り返した逸話が好きだ
武断派の本領とか戦場で血が滾ってる感じが思わず出てて、すごくイイ!

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 05:52:27 ID:G6/IqThj
まぁ黒田家はやっぱり合戦がないと見せ場がないからなw
しかし長政も家康に思い切った啖呵切ったもんだ・・

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 12:34:16 ID:S0ta3Uvy
その割りにはお膝元の福岡県民の間でもいまいちマイナーで
地元の兵庫県民からは完全にスルーされてる如水&長政親子orz

>>196-197
おいおいそこは「アッー!」だろw

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 13:09:59 ID:cTpTmjWm
>>212
福岡がどうなのかは知らないけど、兵庫県の場合、
何か象徴となる足跡(兵庫県内での実績とか、今に残る城とか)がいまいち残ってないからなぁ。

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 18:54:55 ID:GAI8fii8
御着城や姫路城は?

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 19:31:02 ID:7ysCvlSh
いまの姫路城は池田輝政が築城したので、黒田父子は忘却の彼方へ。
姫路宰相時代に城下町が整い、いちばん華やかだったので地元は輝政びいき。
御着城はお城残ってなくて城址公園になってる。如水の祖父祖母のお墓があるだけ。

でも今年の夏は、姫路お城まつりで初めて黒田家イベントやってたよ。
如水と長政+黒田24騎の武者行列を、福岡から甲冑とか借りて再現してた。
今年が初めてだからわかんないけど、来年もやるといいと思う。

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 21:38:37 ID:rKYv3a0z
名城を築城した殿さまは、お城効果でどこでも株が上がるからなぁ
福岡城に天守閣建ててあの規模で今も現存してれば、もっと黒田もメジャーだったかもな
でも福岡では、今でも如水と長政はそれなりに好かれてると思うんだが・・

>>204
関ヶ原前哨戦で増水した合渡川を渡るとき、乗馬が足を滑らせ長政が川に転落し流されてる
んでとっぱいの兜の尖った先が柳の枝に引っかかって、何とか家臣に救出され命拾いした
ここで長政死んでたら大変なことになってたから、変わり兜がすきでよかったなw

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 21:42:43 ID:0mraRwdX
名将言行録で誰だったかが、自分の具足姿を見て怖がる奥さんに
「黒田殿を見たらショック死するぞ」みたいな事言ってなかったっけ。

当時(少なくとも言行録が編集された頃)から見てもやっぱりあれは
ショッキングだったんだと笑った記憶があるんだが。

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 22:52:40 ID:xwWN/slS
むしろ如水の赤合子が、ショックというか笑い死に系な気がする
大阪城では、あのおわん兜の模型が小学生に爆笑されてる
自分も初めて見たとき、やっぱり噴いた

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 06:00:33 ID:MXB4eB5b
>>216
長政、結構間抜けだな・・・
朝鮮出兵でも敵将と組打ちして川に落ちてなかったか?
ここで死んでればただの端武者扱いだっただろう


220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 18:06:00 ID:xhdlGIlR
長政は鉄砲を自慢して、もはや弓など不要とか言ってたら立花宗茂に、
使い方次第では弓のほうが役に立つこともあるって言われて口論になり
鉄砲と弓で競うことになって見事に負けて、自慢の名銃墨縄を宗茂に譲り
渡す羽目になったっていう逸話もあったな。


221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 18:18:11 ID:ig7uQFa4
いるよなー。最新技術にテンションあがっちゃってそんなこと放言するやつw

もう携帯買ったから家の電話は要らない、みたいな。

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 18:46:21 ID:/nwXJNUC
親子揃っていらんこと言う家系だよなw

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 19:06:03 ID:1gFMb7FU
文禄の役で、長政は初めて外国の軍隊との戦闘を経験して、
日本の鉄砲の集中的な使用が、戦術的な優位をつくりだすのを見てる。
その経験から鉄砲の有効性を再確認して、そう言っただけでは?
ごく普通のことを言ってるだけで、放言でも何でもないと思うけどな。

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 19:12:21 ID:1gFMb7FU
上の逸話は、文禄の役の碧蹄館の戦いの直後の話だし。

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 19:52:30 ID:r9aopDd6
長政は、鉄砲に関しては自分自身が稲富流砲術の免許皆伝の腕前だったから、
ぶっちゃけ勝負しても宗茂に負ける気しなかったんだろう
立花宗茂はひとつだけ年上なだけだし、戦勝後の宴の席だったから
つい勝負したんだろう

ここでうっかり負けるのがなぁ・・・いいから勝っとけよ!wとは思うが

こいつに恨まれたら面倒だと思ったのか、あとで宇喜多秀家が立花宗茂に
巻き上げた鉄砲の代わりに長政に弓を贈るように勧めたんで、交換した形
になったけどね 

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 20:12:04 ID:R5dO9M7Z
なかなか良い逸話じゃないか。
両者の人間性も垣間見えるし

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 20:12:22 ID:/nwXJNUC
軍議の席なら正しい意見でも、酒の席で角の立つ事言うなよ、という点では放言だわな。

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 20:14:29 ID:/nwXJNUC
というかそこで秀家がフォローに入ってるのが結構意外だ。
単なるボンボンかと思ってたがそれなりに空気読めるタイプだったのか。

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 20:26:57 ID:r9aopDd6
まぁ関ヶ原では、序盤で島左近を迂回させた伏兵の鉄砲隊で仕留めてるから
結果オーライw GJ!
やっぱり鉄砲隊の使い方は、長政はかなり上手かったんだろう


230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 20:58:29 ID:r9aopDd6
あと戦国板でゲームの話して悪いけど言わせて
「決戦T」の黒田長政の鉄砲三段撃ちは、そりゃ凶悪に強かった…
おれはもう長政に惚れ惚れしました ファンには絶対オススメしとく

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 21:30:24 ID:DnpDhNua
今北。過去ログ読んだ。
ここは如水びいきと長政びいきが微妙な対立関係にある
まるで黒田家そのもののようなスレだ…と思った。
あとわりと息子のファンて多いんだなという印象。けっこう意外。

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 23:01:13 ID:dLPvgZTq
>>228
家臣の統率と内政は苦手だが、大名同士の交際と戦争と長生きは得意だったんだな。
つーか、秀家って三成→家康、清正・正則→三成、兼続・義宣→政宗、南部→津軽みたいに特に嫌われてる相手
っていたのかな? 何となく大名級ではいなさそうじゃん。

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 00:36:54 ID:DTjs/5dj
>>228
この宴会の主催者が宇喜多秀家だったからフォローした
秀家ということにあまり深い意味はない

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 00:43:40 ID:fhzdwc0e
黒田って
俺的には城井鎮房一族虐殺の件で
拒絶反応を起こすのでダメだわ

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 01:09:37 ID:tz/qxT0p
宇喜多秀家って家臣の統制取れてなかったの?

関ヶ原で明石全澄とか力闘したんじゃね? なんで?

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 01:10:51 ID:DTjs/5dj
まあ、あれはどう考えても褒められたもんじゃないけどな。
規模としては50人ほどだけど、やり口が酷かった。
でもあれ、虐殺の段取りまで秀吉の命令なんだぜ?
長政を城井の娘と結婚させて騙し討ちで一族殺してしまえって
具体的に命令されたんだから、黒田としても他に選択肢がない。
下手すれば、肥後一揆の二の舞だしね。

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 01:15:01 ID:zZNsrGZm
殺された城井のお姫様の名前は資料に残ってる?

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 01:19:12 ID:DTjs/5dj
城井の姫さまは確か鶴姫だったと思う。
年齢は諸説あって6歳とか14歳とか19歳とかバラバラだけど。

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 01:46:27 ID:DTjs/5dj
皆殺しにしたんじゃなく傍系は見逃したし、宗家の城井朝房の奥方も逃げきれた。
その息子奥房は後に越前藩に仕えたので、城井宇都宮家は絶えてない。
事件後、中津城内の城井神社を立てて城井一族と殺した家臣を祀ってる。
というか、長政が怨霊に祟られて情緒的に不安定になってしまったんで、
如水が立てざるをえなかった。殺った黒田家にもかなりのトラウマになった事件。

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 04:55:04 ID:edOrWYF3
これさあ、でも普通に城井一族が秀吉をなめすぎじゃね?
城井の豊前を孝高に与えるかわりに、城井は伊予12万石へ移封するっていう
朱印状与えたのに、豊前にこだわって突っぱねたんだから。そこの時点で終ってるよ。
秀吉に朱印状突っ返して無事にすむわけないだろうが。
肥後出陣で孝高が不在なのを見計らって兵を挙げたのも、あっちが先なんだし。
鎌倉以来の田舎豪族が、単に時代情勢読み間違って滅んだだけ。
なんでこの話だけ、ごっつい悪行のように言われなきゃならんのか
正直よく理解できない。切取りの時は、どこでも似たようなことやってんのに。

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 12:26:44 ID:fpgDqvA9
この時代の城主・豪族は地元の利権の代弁者だからなぁ……。
色々と事情があったのだろう。

どう考えても城井の判断は失敗だが。

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 15:02:26 ID:W4JB5UQ6
そういや筑後の蒲池鎮漣も肥前のクマーにだまし討ちされて一族皆殺しにされてたな
宇都宮一族は本家も秀吉政権下で改易されたし
名流だけど時勢の変化を乗り切る力はもうなかった宇都宮軍団w

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 16:25:39 ID:XKqwrOmW
中央から遠いから、九州や奥州は中世以来の名流が残ってたりする。
宇都宮一族は名流だから、秀吉や黒田は成り上がりにしか見えなくて
つい余計な意地を張りすぎたんだろう。黒田家はもともと目薬屋あがりだし。
そういえば「目薬大名」って島津にも馬鹿にされたことがあったしさ。
中世以来の名族の名流意識って、戦国でもかなり濃厚に残ってたんだろう。

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 17:24:10 ID:0xXdtNvc
現代のセンスでも過去のセンスでも
素直にあってはならない事件だってことですねえ
しかし秀吉の命令はありえますね
なで斬りに致すべく候とかなんとか資料あったりするしなあ
>>236
秀吉の命令の資料って見てみたいです
どなたか資料の名前は判りますか?

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 17:45:01 ID:/sFJYOxp
>>244
いろんな史料に複数載ってるので、自分で調べてください。
その気があれば簡単に見つかります。
黒田家譜はこのあたりの経緯は差し引いて読む必要あり。


246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 19:08:59 ID:0k/wVnQF
城井攻めは序盤から中盤まで、長政で負けっぱなし。
孝高は持久戦を予定してたのに、長政が焦って攻めて大負けした。
親父に鼻血が出るほど(比喩)怒られて、おれは武士に向いてないと落ち込んで
頭丸めて寺に謹慎したのもこのとき。まあまだ10代だから仕方ない。
後半戦は孝高が落とした城井の小城を要塞化して、そこを足場に篭城する
城井勢の支城をひとつひとつ攻略して追い詰め、停戦に追い込んだ。
こういう城攻めさせたら、孝高はやっぱり戦上手だよ。
逆に文禄・慶長の役で、長政は国内と勝手の違う戦い方の経験を集めて、
武将として成長したんだと思う。

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 20:04:30 ID:wCE/mnPO
文禄・慶長では長政も如水もいろいろな活動してるし、作戦面の対立で三奉行と黒田親子が
加速度的に仲が悪くなってくのがよくわかって面白いよ
というか初っ端から、一旦決まった軍議の決定を、戦下手の三成の横槍で無理に覆されて、
如水がキレてる 黒田親子と石田・増田は、日本にいたときから仲悪いしな
そのあと如水が浅野長政と碁を打って、三成を怒らせた話ばっかりが有名になってるが

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 03:05:37 ID:0sUZy55u
文禄・慶長の役はドラマでも小説でも飛ばされるからなあ
どうしても黒歴史扱いつーか・・

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 03:28:51 ID:Ef5rhoEo
黒歴史つか黒田親子は腹まで真っ黒だろうが 
とくに息子の長政


朝鮮で氏んどけばよかったのに

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 03:52:55 ID:hTLfYp5j
>>249は文治派


あるいは意外な線で、隣国の細川越中守忠興の仕業
豊前の年貢問題でもめたので仕返し

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 04:07:10 ID:vqvB3+cm
>>250
小西行長説を押したく思います。

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 04:19:47 ID:iNilnl1G
>>249
長政の友人福島正則(泥酔中)説

黒田家に日本号を取られたことを急に思い出して、つい・・
朝になればすべて忘れているので気にしなくていい。

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 04:28:09 ID:iNilnl1G
>>251
小西と黒田ってそんなに揉めたっけ?
朝鮮役では、長政がたびたび救援して小西を助けてやったのに。
如水は、小西との対立が原因で三成に失脚させられたようなもんだが。

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 18:39:40 ID:0IVnt/4T
そこそこ悪いとは思うが、清正と行長ほどの因縁や対立はないと思う
関ヶ原後、何人か小西の旧臣も黒田家に仕えてるし、行長の末子は長政に仕えてたらしい  

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 18:55:38 ID:6hDHWBjS
もめてたかどうかは知らんが、長政は棄教して迫害者に転じてるからじゃね?
小西は高山右近庇ったり私財から寄付したりとまっとうなキリシタンだったから。

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 19:19:07 ID:0IVnt/4T
如水と長政は棄教令で棄教してるけど、黒田家は領内のキリシタンは
保護してるから、どうだろうね。
如水は表向き棄教してるけど、葬儀もイエズス会が行ったように
信仰は捨ててない。
長政はキリシタンだった時期が、ものすごく短いので本人の信仰は
よくわからないけど、筑前に移ってからも政策としてはキリシタンに寛容だった。
叔父・黒田ミゲル直之(このひとは棄教しなかった)が城主の筑前秋月領は、
教会があり2000人以上のキリシタンがいた。というか叔父が布教した。
長政自身、禁教令(1614年)がでるまで、領内のキリシタンを弾圧していないし。

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 19:53:48 ID:VCif4UcQ
高山君に唆されてキリシタンになった如水は、まず黒田家内で布教を始めるんだけど、
家族にも領民にも信仰を強制したりはしなかった。
「お前も修道士の話を聴いてくれたら嬉しいが、信仰を強制するつもりはない」
と、如水が息子に言った場にイエズス会士が居合わせて、記録してる。
長政もなんとなく付き合いでキリシタンになった感じ。
如水の妻は浄土宗の信者のままだった。如水も仏教徒とキリシタンを両立させてる。
思いつめたところがないっていうか、なあなあというか、常識的。

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 20:16:27 ID:BKJmawNd
三成がバカだったのだから仕方がない。こいつの人間性に問題があった。
せめて人間関係で毒にも薬にもならない男なら良かった。

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 20:31:37 ID:VCif4UcQ
誤爆?
でもお互い人間性も合わないと思うが、黒田親子と三成が仲良くなるのは不可能。
朝鮮出兵以前から、黒田親子+蜂須賀親子と三成+増田は内政面で対立してるし。
中国取次ぎのポストをめぐって、互いに失脚させたり、失脚させられたり。
徳川の本多と大久保みたいなもん。

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 21:13:27 ID:y5IXFwLi
関ヶ原の当日、長政は家中から500人選抜して精鋭部隊を組織して、
「お前らは治部少の首だけを狙え。他の首は功名にはならん。
 あいつ殺してこい」と命じてる。取れなかったけど。

三成の首級だけ狙わせたのは、もちろん軍功を上げるためだけど、
個人的にも長政が三成を嫌いだったのは確か。

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 21:16:37 ID:GD6T46cE
そういや長政の「長」と「政」どっちが通字でどっちが偏諱?
秋月藩は長興以降ずっと「長」を使ってるみたいだけど、
それ以外の流れは規則性あんまないし

262 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/09/24(日) 21:45:23 ID:k02uUb9g
長は信長の長じゃないのかな。
京極系黒田氏の通し字は「宗」のようだけど。

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 22:06:06 ID:cKCqmuNB
政は黒田氏が備前福岡に移ったときの中興の祖・高政からでは?


264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 22:10:26 ID:cKCqmuNB
あと長政の長が織田信長の偏諱だってよく聞くんだけど、
長政の烏帽子親って織田信長だったっけ?

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 22:53:51 ID:rE3wMVuj
烏帽子親に殺されかけるとは気の毒なw

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 23:09:46 ID:+QNxlY72
>>264
浅井長政と勘違いしてない?

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 23:15:18 ID:IgZGJ23/
松寿丸時代に殺しかけたから、罪滅ぼしに元服の時になってやったのかもな
ただ長政の烏帽子親が織田信長かどうかは、はっきりしてなかったと思う


268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 02:42:12 ID:4aoHgB33
織田家における黒田家の地位から考えると、信長が長政の烏帽子親って
わりと無理があるような気はするんだよな・・陪臣扱いだし
秀吉繋がりで、浅野長政あたりが適当に烏帽子親になってて、
名前もまんま長政だったら面白いんだが

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 02:58:01 ID:fLD+xXzv
>>268
実態はともかく信長生存中は竹中だって蜂須賀だって信長から秀吉に派遣された与力の扱いの筈だが。

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 03:11:48 ID:4aoHgB33
>>269
そう。だから陪臣「扱い」って書いたんだけど・・
信長が黒田や蜂須賀や竹中あたりの息子の烏帽子親になるかどうか、
おれは疑問なわけで
>>267みたいに何か特別な理由がない限り、普通ならんような気がする

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 03:42:48 ID:iMu70AWA
信長が烏帽子親を引き受けてるのは、蒲生氏郷とかだしね。
その頃の黒田家は、家格からいっても織田家中の序列から考えても
やっぱり信長が長政の烏帽子親っていうのは、考えにくいかも。

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 06:50:41 ID:c7KQUqKk
信長の偏諱じゃなく、羽柴秀長の「長」の可能性の方が高いかもな

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 09:01:04 ID:jIXUNJae
羽柴秀吉

もう何年も仕えている竹中半兵衛がうっかり、三木城?で死んでしまったらしい。
『たっ大変だ!!神算鬼謀の、あの半兵衛でなければ戦が危ないッ!
 夜も眠れないッ!片時も離れずいろいろ献策してくれた、あの半兵衛!
 どっどうしよう!?』と悲嘆にくれたが、かわりに官兵衛を任命し、
 今では『この頭巾は優秀だな…』とすっかり安心してしまった。
ぼくは、いいかげんなヤツでしょうか?

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 10:41:43 ID:vK+E96x5
確かに竹中んとこと黒田じゃ息子の代でえらく差がついてるな

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 18:58:05 ID:kWRysamO
蜂須賀の息子(家政)は長政と似たような経歴になるのにな。
つか蜂須賀家政は長政の妻の兄貴だし、同じ仕事の担当も多い。
中国取次ぎで一緒に仕事してる。慶長の役でも一緒、七将襲撃も一緒にやった説あるし。


276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 19:51:10 ID:aTMvDNGz
途中で離縁しなかったけ?

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 20:32:27 ID:TPXU3GMU
関ヶ原直前に蜂須賀の妹とは離縁してる。
家康の姪を娶るときに、側室扱いはできなかったんだろう。


278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 20:43:26 ID:TPXU3GMU
蜂須賀家政は息子の至鎮に家康の養女を娶らせてるけど、
長政には娘が一人しかいなかったので、自分が再婚した。
この離縁で蜂須賀家と黒田家の関係がどうなったかしらないけど、
まあ普通は悪化するだろうという気はする。それ以前は仲がいい。

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 22:23:06 ID:P+As0ZaU
じゃあ長政は一回目は騙して嫁を殺して、二回目は要らなくなったら捨てたのか
なかなか割り切ったドライなやつだな


まあ戦国の結婚なんて政略以外の何物でもないんだろうけど、
如水がキリシタンで一夫一妻守ってる分、どうしても酷薄に見える

280 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/09/25(月) 22:29:08 ID:HT5grWS4
>>278
至鎮は弟だから、逃げるには適材だったんだろうね。

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 22:42:46 ID:P+As0ZaU
>>280
至鎮はどう考えても家政の嫡男で、弟じゃないと思うだけど・・
しかし蜂須賀家政も関ヶ原の対応見てると、なかなかの切れ者ぶり
家を保って豊臣家への義理も立て、後世に悪く言われもしない。見事なもんだ


282 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/09/25(月) 22:51:33 ID:HT5grWS4
あれ。正勝の四男が跡を継いだんじゃなかったっけ。
群書類従の記憶が間違ってたならごめん。

切れ者なのは間違いないけど。

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 23:32:16 ID:AQyPdFhY
竹中重治んとこの息子は、何で黒田や蜂須賀の2世代目みたいに
それなりの大名になれなかったんだろう。
やっぱり息子本人の能力が微妙だったのか?
それとも親父の代から、竹中家って実はあまり重要なポジションに
いなかったのか?

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 23:44:11 ID:YYrtHmpW
父親が早いうちに死んじゃったから相続できるものがなかったのもあるんじゃないかな。

黒田にしろ蜂須賀にしろ、基本的には父親の功績に対して秀吉が出世した後に与えた
領地をその後大きくしたわけだし。

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 23:59:42 ID:GiB95Iyr
>>283
竹中重治自身が、本格的に活躍する前に早々に死んでるっていうか、
後世のイメージ除けたら、竹中の具体的な実績ってはっきりしないし。
親父が四国征伐か九州征伐まで生きてれば、また変わったんだろうけど。
それを考えると、秀吉の重門への待遇や石高はごく妥当な気もする。

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 00:14:02 ID:80M0uCpq
せめて重矩が兄の分も生きていたら竹中家も大名格に・・・
村正好きの長崎奉行とか一揆にやられた猛将とか竹中姓ってなんか抜けてるな

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 10:31:33 ID:XY81l+zE
しかし、長政は叩けば叩くほど黒いホコリがでる感じだな
又兵衛の奉公構えの件といい、このスレの逸話といい
やっぱり人間的にかなり小人物じゃんよ

このスレでは何故かけっこう人気あるみたいだけど

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 12:00:41 ID:QkQcOLOp
又兵衛の奉公構えは、しつこ過ぎるというか執念深すぎるっていうか
いい加減粘着質な性格してる気はするけど・・そんなに長政嫌い?w
地味だから嫌われるほど目立たたないと思ってたんで、意外かも

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 14:36:54 ID:Y6XJm2X/
しかし長政は本当になんであんなに又兵衛が嫌いだったんだろう。
別に裏切られたとか誰か殺されたとかそういう具体的な事実もないし。

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 15:50:20 ID:XtKkHUsG
男のジェラシーとは醜いものよ

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 19:08:01 ID:p6DTyAnE
長政は仮想敵国の豊前・細川領との国境に城をつくって、その城のひとつを
又兵衛にまかせたのに、逆に又兵衛は細川家との親交を深めた。
それが主君の長政には内通に見えて怒ったのが、理由のひとつらしい 
黒田家の重要な情報が、細川や他の諸侯に漏れるのを恐れたというか。

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 19:58:09 ID:TPQbFyIp
逸話だからどこまで本当かわからないけど、長政が敵兵と組打ちして危ない
ときに、又兵衛が扇ひらひらさせて平然と高みの見物してる話とか読むと、
主君が死にかけてるときは助けてやれよ!wwwという気はする
他に男子のスペアのない当主の長政が、主従で功を競って暴れすぎて
死かけてたりするし、黒田家はこのあたり価値観がちょっと変かも

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 21:00:20 ID:tlVfmqTE
>>292
朝鮮の武将と組み合って川に落ちたときだったか>又兵衛傍観

合渡川の合戦といい川に入るのが好きだな長政w

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 22:26:44 ID:5Q71dGqk
長政が、薩摩攻めで耳川でも水中で組打ちしてしている件w
この時は感状もらったぐらいの暴れっぷりだけど、
刀を叩き落され2箇所も斬られて、何とか脇差で刺し返して助かった

岸で見ていた孝高がはらはらして、後でお前は端武者か!とごっつい怒った

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 22:39:32 ID:tCSI44Vy
いい川?合渡川がか?

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 22:43:34 ID:9dpkRSzT
釣りかどうか迷うが・・ 
いい と 川 の間に句点を打って読むんだ!

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 22:46:10 ID:fu4xpvpF
>>296
きっと295はこう読んだんだよ。
「合渡川の合戦と、いい川に入るのが好きだな長政w」

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 22:50:46 ID:9dpkRSzT
しかし何回、川で死にかけてるんだw
水難の相があったのかもな

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 23:11:26 ID:dSLukOE4
親父の号は、水の如くなのに>水難の相
だから如水には頭が上がらなかったのかもしれん

300 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/09/26(火) 23:14:16 ID:o0yBm5nL
如水の難、というオチで300。

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 00:29:41 ID:vF6sQ5Lv
前半はとても300まで届くとは思えなかったのに、よく持ち直したもんだ…。
珍しく黒田スレが盛況なので、祝い上げしとく。「上善は水の如し」

水五則
  一,自ら活動して 他を動かしむるは水なり
  一,常に己の進路を求めて止まざるは水なり
  一,障害にあい 激しくその勢力を百倍し得るは水なり
  一,自ら潔うして他の汚れを洗い 清濁併せ容るるの量あるは水なり
  一,洋々として大洋を充たし 発しては蒸気となり雲となり雨となり
    雪と変じ霰と化し 凝っては玲瓏たる鏡となり 而もその性を
    失わざるは水なり

302 :黒田忠之:2006/09/28(木) 04:03:03 ID:TPyuh5bR
祖父さんや父上の話ばかりでなく、
黒田家の黒歴史・忠之と黒田騒動についても語れ。

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 12:04:08 ID:W792LzwC
>>302
忠之ってよくバカ殿だって言われるけど、具体的にこの人は何がそう馬鹿だったの?
大船建造とか?



304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 18:21:08 ID:1BlHlJJ/
>>303
太平の時代になぜか軍拡して幕府に睨まれたのも、何考えてるのか不明だけど、
忠之が藩政で重用したのが、小姓上がりで内政でも武功でも功績のない
身分の低い美少年だったので、長政時代からの旧臣が思いきり反発してお家騒動

馬鹿というか、空気が全然読めないタイプっていうか

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 21:43:39 ID:+d57SntK
忠之が馬鹿殿なのは、長政が廃嫡しようとしたとき、庇ってくれてた
守役の栗山利章を、疎んじて殺そうとした恩知らずだから。
極めつけは、逆に利章が自分の身を捨てて、黒田家と忠之を救っちゃった点。
なんかもう利章があまりに立派すぎるから、忠之がDQNにしか見えない。

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 22:11:59 ID:kMSpIm2L
黒田騒動の後、関ヶ原の後で傘下に入った薦野立花家の
立花実山とかが重用されるようになったのは何でだろう?


307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 22:41:15 ID:+d57SntK
>>306
光之が新参の立花実山を重用したのも、忠之が旧臣遠ざけたのも一緒の理由。
孝高・長政時代以来の旧臣の大きすぎる発言権をそいで、中央集権化を図った。
ただ忠之はやり方がヘタクソすぎたので、大失敗に終った。

次代の光之は名君だったのと、登用した実山らが有能だったから上手くいった。
新参の立花らと組んだ光之が、旧臣の重臣クラスを粛清しまくって、
この時期に力ずくで武断から文治へ転換させている。

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 02:19:24 ID:fza4M9Z2
長政がわりと早めに死んじゃったので、若い忠之を隠居として
フォローしてやれなかったのも大きいかもね >バカ殿・忠之
逆に光之は隠居してから長生きしすぎて、息子と対立したけど

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 21:24:02 ID:leTHt8s0
如水と長政をご神体として祀った、福岡の光雲(てるも)神社。
如水と長政の法名をくっつけて光雲。でも神社。つかいつの間に神?
キリシタンに仏教に神道、ほんと無節操に何でもありだな黒田父子は。
福岡まで旅行できたので、折角だから行ってきた。

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 21:24:44 ID:leTHt8s0
境内では、なぜか後ろを向いたでかい狛犬がお出迎え。
賽銭を入れると、天井の鶴がなぜか「クェーッ!」と鳴く仕様。
ここん家は変わり兜だけじゃなく、変わり神社か…
光雲(こううん)とひっかけて「幸運の鈴」とやらを無理やり売っている。
合渡川で流されて変な兜で命拾いしたラッキー長政にあやかったそうだ。
これまた初代藩主の間抜け逸話を、なぜ選りによって…
開運の「幸運の目薬」を売っていなかったのが残念だ。

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 21:26:07 ID:leTHt8s0
とりあえず誰かに幽閉されそうな人、川に泳ぎに行く人は参っとくと
ご利益あるかもよ。

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 22:25:38 ID:ooBTT5+2
>>309-311
レポ乙。すばらしい黒田テイストぶりにわろた。
正統派趣味人の細川忠興とかにはそのセンス思い切り馬鹿にされそうだw

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 23:06:00 ID:j2YFCsrq
>>311
なんだそのオチwww

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 23:16:36 ID:Y9gobDwa
>>309-311
レポ乙です
狙って外したんでなく、良かれと思って気を利かせたら
素でちょっと外れてしまった感じが、如水らしくていい神社だなー
本当に長政が地元民に好かれているのか、ちょっと微妙なところも素敵

>賽銭を入れると、天井の鶴がなぜか「クェーッ!」と鳴く仕様。
これなんか、何がしたいんだ?w

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 04:41:21 ID:qXsaeDLZ
>光雲(こううん)とひっかけて「幸運の鈴」

幽閉とか無断帰国で切腹寸前(親父)とか、人質首チョンパや戦(息子)で
度々死にかけてるのに、その度に何となく助かって生き延びた黒田二代は
確かに運が良かったのかもしれん

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 00:42:16 ID:1tG07OJg
【おれたちの嫌いな三成】お国言葉で七将襲撃

ピンポーン!(家康伏見屋敷)
清正(尾張)「武断派代表の加藤だけどよう、三成さん、みえなさる?」
正則(尾張)「三成ーっ!こんたぁーけ!
       おみゃぁ、首でも洗って待っときゃあ!」
長政(播磨)「三成ーっ!どこどいや!はよ出てこんかい、このダボケツ!」
忠興(山城)「三成はーん!どこにおらはりますのん?居留守はあきまへんって! 
       はよう出てきなはれー、このあほう!」
家政(尾張)「三成ーっ!おみゃぁ、人の言うこたぁええ加減に聞いとるでにゃぁ
       よ!」
輝政(尾張)「三成ーっ!おみゃぁ、そんなことしとったらだちゃかんがねー」
嘉明(三河)「三成ーっ!おしはこすい奴だなー」
清正(尾張)「三成ーっ!いい加減だがやしあらすか〜と、殺すぞー!」
正則(尾張)「三成ーっ!わしはおみゃあにどえりゃ〜頭だがやきたぞ!」
長政(播磨)「三成ーっ!このくそダボが!まだそこに居るのんは、
       わかっとーのんじゃー!」
忠興(山城)「三成はーん!いつまでうちら待たせるおつもりですのん?
       ええかげんにしておくれやす!あんたはんがそこにおらはるんは、
       うちらにはようわかってますのやー」

輝政(尾張)「あのよぉ。微妙なのが一人ほど混じっとるでにゃあか?」
嘉明(三河)「細川越中、おしはいせてやっとるだら?」
忠興(山城)「いややわぁ。うちは皆さんと違うて氏も育ちもええから、
       ついついこんな時でも優雅になってしまいましてなぁ」
家政(尾張)「長政の言葉、柄が悪すぎじゃあらすか〜か?」
忠興(山城)「黒田甲州はヤクザみたいで、ほんま、品があらへんなぁ…」
長政(播磨)「じゃかましいんじゃー!越中もいてまうどー!」

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 00:44:46 ID:1tG07OJg
七将襲撃を出身地のお国言葉でやってみたら、細川越中、浮きまくり。
教養人で武家貴族な細川が、他の6人とどうやって話を合わせてたのか
前々からごっつい疑問。あんのか話題?妻の自慢か。
長政は方言で喋らせると、三成襲撃してても全然違和感なかった。
むしろ、武断派の中で一番ヤクザっぽくなった…。
どの方言もネイティブじゃないので、いろいろ間違ってるけど勘弁して。
播州は父方の故郷なので、悪意はないよw

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 11:37:11 ID:kuU6i02k
>>316
ワロタ

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 21:12:41 ID:Nog8Bj6K
>>316
長政の播州弁、こええwww 並べると尾張弁が可愛く見えるつーか

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 21:26:18 ID:B3AWBCh9
>>316
黒田長政、まるっきりヤクザだなw
まあ七将襲撃自体、武功派ヤクザの出入りみたいなもんだけどな

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 22:51:29 ID:T1cs2Yxj
後藤又兵衛の長男の名前が、太郎助(たろすけ)な件

又兵衛、もうちょっと名前考えてやれ・・
たろすけは長政の小姓になっても、戦いで不覚を取ってクビになってるし、
のちに人妻と密通した罪で領外に追放されたりと不肖の息子っぽい

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 23:45:05 ID:uRluNmnm
>>321
信長みたく息子に「奇妙」とぁ「三七」とか、前衛的としか言いようのない名前を
つけられるよりまし、と言って見る。

まあ真面目な話、当時の感覚からすれば太郎助って割合普通の名前じゃないか?

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 23:59:59 ID:f/7J0uAI
池田恒興の長男の名前も元助だったかな
弟が輝政でまっとうな名前なので、なんか違和感あって覚えてる


324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 00:08:31 ID:bdVdycFf
長男が由之なので本当は之助の可能性がある。
之の崩し字を元と誤読したらしい。
それでも恒興(信輝)、輝政、長政、長吉と並べると浮くな。

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 01:12:45 ID:AbjB6oCO
>>321
又兵衛の次男も長政の小姓になって、能の小鼓を打つ打たないで揉めてたっけ
後藤家は親子みんな長政とは気が合わなかったわけか

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 23:05:40 ID:GaQAk5yK
>>324
最初この名前見たとき元服もしないで戦場にでてきて死んじゃったのかとおもった
享年25だからそんなことあり得ないんだけどw

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 00:57:54 ID:nTzGRGfn
>>326
俺もだw
「元」が中国史の字だと伯や孟と同じく、長男を意味する字だから
てっきり元助は通称で池田元助○○って名前だと思ってた。

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 14:49:22 ID:CrxbAoVs
「助」はないよなぁ…

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 21:48:42 ID:vQ90SyOW
せめて甫とか祐とか亮とか

でも介だともっとかっこ悪くなる罠>元介

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 13:20:56 ID:ZUwsGwA9
>>329
> でも介だともっとかっこ悪くなる罠>元介

「元」木大「介」w

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 19:02:12 ID:HDSNIUsw
次元大介ならいいけどな

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 23:17:05 ID:9oEZZ85D
「幸運の鈴」
横田夫妻に送ったら喜ぶかな?

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 23:24:06 ID:Bmb/QTsI
石田が黒田長政を味方にできておれば、

総たやすく、家康にまけなかったんだ゜がな。

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 23:25:06 ID:Bz+6N7AS
http://g007.garon.jp/gdb/GJ/2J/2R/4x/0G/tz/aI/1L/2X/vZ/0Q/uZv.jpg

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 03:39:30 ID:OWVbH79H
クリックするなよ、グロ

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 15:08:08 ID:LZc/Iziz
>>316
楽しく読ませて頂いたが、武断派七将って家政じゃなくて浅野親子のどっちかじゃなかったか?

337 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/10/18(水) 21:52:35 ID:y/qFCxqO
>>336
浅野幸長なら尾張弁で問題ないよ。

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 17:46:46 ID:I3aYjZW3
>>336
三成襲撃の七将は諸説あって、蜂須賀家政が入ってる数え方もある
池田輝政の代わりに浅野幸長を入れたり、藤堂高虎カウントしたり、
中心メンバーの5人以外は誰だったのか確定してないらしい

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 13:29:38 ID:6TfTvef4
さいとうたかをの漫画で、黒田孝高が主人公の短編を読んだことがある。

荒木村重に幽閉された後、助けられて、秀吉の勧めで有馬温泉で養生していた。
その時、秀吉が松寿丸を連れて来たが、それは全くの別人だった。

孝高が荒木方を説得に行った後、行方不明になったという織田方の認識時に、
既に松寿丸は、信長の命によって秀吉から殺されていた。
孝高は激怒するが、態度には出せない。秀吉にいつか復讐しようとして、
あれこれ失敗させようとして献策するが、全て裏目に出てしまい、
逆に秀吉の武功になってしまう。

備中高松城攻めの時も、秀吉を失脚させようとするが、また裏目に出てしまい、
大返し→山崎合戦勝利へとつながってしまう。

そうこうするうちに、秀吉が天下を取ってしまい、赤の他人である長政に
家督を譲れと命令される。ここでも憤懣やるかたない孝高だが、がまんする。

秀吉が死んだ後、さあチャンスと思って九州で勢力を拡げていくが、
赤の他人の長政が張り切って謀略しまくったおかげで、あっというまに東西軍の決着はついてしまう。
結局、孝高は大不満で情けない顔で、どうしようもないという喜劇と悲劇が合わさった作品だった。

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 13:36:12 ID:C8SmNbRJ
秀吉が凄かったんじゃなくてこいつと秀長と重治とねねのおかげだよな

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 13:37:33 ID:8E6pDyUU
本人にも赤の他人だと分かるような人間を息子にする必要があるのか…?

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 13:59:56 ID:B0yYu5TI
>>340
こいつと秀長と重治とねねは凄いが、それを一つに纏めれるのが秀吉

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 22:59:25 ID:EQxYEOlw
>>341
本人だから別人だとわかるんじゃないか
他の奴にはわからない位似てる

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 18:27:32 ID:QHlbsoei
学研M文庫の黒田長政の小説は、めずらしく長政が主人公のはずなのに、
おかしなくらい魅力が伝わってこない不思議な作品だった
つか長政(腕力馬鹿)も如水(腹黒野心家)も、両方嫌なやつ設定にしか思えん
唐突に長政が48歳という中途半端なところで終わるのも謎 
そこまで引っ張ったんだから、せめて死ぬとこまで書いてやれ
正直、失敗作だと思う それとも自分が誤読してるんだろうかとちょい不安になる

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 00:03:36 ID:Y/a3SyUt
戦国の勇魚

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 17:39:49 ID:8LMOyLsM
大河ドラマでも数少ない好印象な逸話「三成への陣羽織がけ」を
山内一豊にあっさり取られ、関ヶ原で石田隊に苦戦して
「くっそうー!」というだけで消えた長政。

ちゃんと一ノ谷の兜をかぶってたのだけが救いっていうか。

347 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 01:11:22 ID:NMeiCrcH
大河でやたら如水がプッシュされてるのは何故だ

348 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 07:39:25 ID:Mkfk/dmM
>>347
虐殺を正当化するためじゃない?

349 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 20:21:48 ID:j4rMfiyM
>>347
原作の司馬遼自身が、如水がお気に入りキャラだからじゃないかな
そのせいで、司馬原作の戦国大河でも、如水は結構いいイメージになってるんでは?


350 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 21:54:20 ID:OAKMHsYW
大河の如水はほとんどラスボス待遇だね
買いかぶりすぎ…とは思うが、おいしいなあ

351 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 05:12:16 ID:4KH8RKWZ
如水の業績=秀吉の業績に捏造されてるからな
もっと評価が高くてもいいくらいだ

352 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 15:12:56 ID:iwQIzs1c
うーん…如水は、むしろ秀吉が買いかぶってくれたおかげで、
後世の評価が高くなった部分があると思うけどな
秀吉がどこまで本気で如水を警戒してたかは謎だけど


353 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 18:32:34 ID:mO3maCc2
関ヶ原での功績すら知らない人間の方が多いんだけどな

354 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 20:10:55 ID:QfJqom87
関が原時の九州での動きなんて如水さんの事績の
誇張されてるものの一つなんだけど。

355 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 05:26:24 ID:JsGY556F
>>352
「人たらし」秀吉を強調したい従来の講談逸話では
半兵衛・官兵衛の軍師ぶりを過大評価してんだよな
講談準拠のゲーム等でも秀吉個人の能力がこの二人に吸い取られてる感がある

356 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 13:33:30 ID:K70g1eFs
>>354

>>353で言ったのは、黒田親子の関ヶ原の功績について、
世間は殆ど知らないという意味では言ったんだけどね。

ただし、九州での動きも、誇張されてると、し過ぎてると思う。
尾張の福島や、丹後の細川に匹敵する兵力を九州から関ヶ原に送りながら、
引きこもって守りを固めるだけではなく、
非正規兵で豊後と筑紫を切り取ってまわった事だけでももっと評価されるべきだと思う。
しかも敵を着実に降伏させて吸収し、それを運用して九州を抑えていったしね。
立花、小西、島津も為す術なかったという感じだ。

関ヶ原が長引いたときにどこまでやれたかを見てみたかった。

357 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 02:48:07 ID:vGgfKJnU
>>356
いやあ、その意見も相当誇張っつうか過大評価が過ぎると思うけど。
実際は切り取っても到底統治できる状態に持っていけてないわけだし。

如水、半兵衛の最大の功績は播磨、美濃における外交戦でしょう。

358 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 12:06:00 ID:HLGYwvSo
>>357
人質とって、目付を置くくらいはしてたでしょ。
その上に、敵兵まで運用したというのが凄い。

それと、中国、四国、九州での、
外交戦や一将としての功績もちゃんと評価すべきだと思う。
先手として敵地に入り、すぐさま城を落として、調略を成功させていったのだから。

359 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 18:22:25 ID:rjm4zAUr
立花に関しては宗茂の指示があっての開城、小西や島津は如水の侵攻とは
まったく関連はしていないから、為すすべなしという表現は適当じゃないね

360 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 02:06:16 ID:ucScHho/
>>359
>宗茂の指示があっての開城

単なる降伏でしょうね。
如水の調略の成功と言ってもいい。

小西と島津も、西軍優勢だった九州の殆どを、
あっさり抑えられて、ジリ貧であった事は確実。

為す術なしという評価でいいのでは。

361 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 08:12:28 ID:xrgS7vBV
梅毒だったらしいけど、いつごろに感染したのか。

362 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 00:39:16 ID:UO7fQgsU
「身は褒貶毀誉の間にありといえども、心清きこと水の如し」
如水命名の由来になった言葉らしいけども、
これってそれ以前の古語に典拠があったの?それとも官兵衛の創作?

363 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/11(月) 02:49:00 ID:7H4L+Yx1
立花は実直で人のいい奴。加藤は立花に朝鮮で救われて慕っている。
その立花を加藤が救いたいと思い降伏をすすめるんだろ?
降伏も加藤陣に行って敗軍の将なれど堂々として対応する立花は素晴らしいってエピソードが残る
なんでも黒田節にするのはどうかと
黒田の九州での動きは確に凄すぎるけどね


364 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 03:15:22 ID:7oGqKc40
来週の「日本の100人」は黒田官兵衛らしい

365 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 15:08:27 ID:FkOOCJOp
うちの大学の教授が黒田孝高をコウコウって読んでたんですが、そういう読み方もあるんですか?

366 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 15:12:05 ID:gEbJeYVH
黒田孝高公ならコウコウコウか。

367 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 15:28:30 ID:FkOOCJOp
>>366
つまりそんな読み方しねーよBAKA!ということでしょうか?

368 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 15:33:56 ID:iZoc9epx
黒田孝高公が航行中に親孝行

369 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 15:36:55 ID:a/7qLe9c
漢字を音読みするのはまったく問題無いので教授の読み方でもOK
それと昔は言霊という宗教的概念があったので人の名前をみだりに口にしないのが当然で
普段は役職名とか通称で呼ぶのが普通だった
孝高(すえたか)を本来の音とは違う漢字の音読み(こうこう)ならOKだろうという発想で
偉い人の名前を口にする必要があるときは音読みで呼ぶという変な習慣があったんだよ

370 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 15:40:04 ID:gOkYj+8V
のぶながこうき

371 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 17:42:02 ID:w1jZAYjF
信長の野望でこの人は火牛計をつかえるのですが、
実際にやったことありますか?
北条早雲が小田原城を取るときにやったのはしってます。
真田昌幸は牛ではないけど、
徳川軍を火攻めにしたのをしっています。

372 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 21:58:18 ID:prNOu0lM
>>369
「孝高(すえたか)」だったの?これまでずっと「孝高(よしたか)」って読んでた。

373 :369:2006/12/21(木) 22:00:22 ID:a/7qLe9c
「すえたか」でなくて「よしたか」ですね
間違えてました
訂正させてください

374 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 22:17:09 ID:gEbJeYVH
>>371

>>93の英賀村の戦いで、
敵の船に小さい船で夜襲をかけて火を放ったというのはあったよ。

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