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武田家滅亡の原因は100%信玄が作ってる件

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 17:46:18 ID:XWlZqkSD
なのに信玄は名将扱いで勝頼は凡将扱い

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 17:48:12 ID:qXBv8ewg
義信を殺したのは大失策ですね。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 17:49:17 ID:b4uVQ28r
義信だろうか勝頼だろうが信長に滅ぼされる件

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 17:58:55 ID:DGOGX+9C
義信が死ななければ織田と婚姻関係が出来ていたかも知れないだろう。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 18:00:32 ID:b4uVQ28r
>>4

そんなことは信長にとっては関係ない件

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 18:05:25 ID:xIfJXNJ9
信玄は親父にひどいことしたよね(´・ω・`)

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 18:10:03 ID:XWlZqkSD
信玄がきちんと健康管理をしていれば
あの重要な局面で病没する事はありませんでした。
だから元亀2年に八方塞の織田家は滅亡していたかも知れません。

今川家を平和裏に吸収していれば義信の反発はなかったし
義信の嫁を北条家から取っていれば今川家が滅亡していようと問題は起きませんでした。

義信を殺したために他家にやった諏訪四郎勝頼を世継ぎにしなければならなくなりましたが
側室の子でありなおかつ他家にやった子を跡継ぎ扱いに出来ず、
四郎勝頼を息子が元服して武田家を継ぐまでの間の後見人という立場にしか出来ませんでした。

四郎勝頼が武田家の当主ではない後見人だったために、
信玄時代からの家臣は四郎勝頼の言う事を聞かず亀裂が生じました。
勝頼は仕方なく若い家臣を自分の側近にして譜代の家臣とは距離を置くしかありませんでした。

本来なら信玄の時代に本拠地を諏訪に移すべきでしたが信玄はそれをしませんでした。
そればかりでなく甲府から諏訪の間の、何度も行き来した道すら整備しませんでした。
織田家の勢力が強くなり、本来なら諏訪か高遠辺りに本拠地を移すべきでしたが
本人が諏訪の人間だったために甲斐国内の韮崎に新府城という、
戦略的に全くもってムダな地に城を建てざるを得ませんでした。

四郎勝頼は武田家の人間ではなく諏訪家の人間だったので、
武田家の親類であるはずの小山田や穴山などが次々と離反しました。

どう考えても全部信玄のせいです、本当にありがとうございました。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 18:12:35 ID:b4uVQ28r
>>7

子の順列からして勝頼は妥当じゃないの?

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 18:15:33 ID:XWlZqkSD
>>8
毛利家は隆元が死んだあとに
他家に養子に出した吉川元春や小早川隆景を毛利家に戻して跡を継がせたりせずに
隆元の息子である輝元を跡継ぎにしました。

織田家は信長・信忠の死後(以下略)

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 18:24:51 ID:b4uVQ28r
>>9

嫡子・義信…謀反
二男・竜芳…盲目で脱落
三男.信之…夭折している
四男・勝頼…健康
五男・盛信…仁科家を継ぐ
六男(7男?)・信清…元服しておらず

誰を継がせるの??



11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 18:31:03 ID:XWlZqkSD
>>10
だからぁ、義信以外に武田家を継げる人間がいなかったんですよ。
信玄は義信だけを跡継ぎとして育てて勝頼以下はその家臣として教育したんですよ。
それが裏目に出ちゃったという事で。

武田家は信玄の独裁政治ではなく、
家臣が合議で決めた事を信玄が承認するというシステムでした。
信玄は自分の死後の後継者を勝頼の息子である信勝にして、
勝頼は信勝が元服して武田家を継ぐまでの後見人にしか出来ませんでした。
結果として勝頼は思うように身動きが取れず、凡将として扱われました。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 18:32:52 ID:4xHbM8Lx
正式には、信清が信玄を継いで、勝頼は後見なんじゃないか


13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 18:32:59 ID:z5nnqf47
>>10
だから義信を殺すべきでなかったと言うことなんだろうが、長男が病気で早死になんてざらだし、気にしてもしょうがない

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 18:36:09 ID:b4uVQ28r
>>11
>>13

謀反を起こそうとしたんだからしゃーねーだろ


15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 18:38:59 ID:XWlZqkSD
>>14
義信が謀反を起こす原因を作ったのも信玄でしょう

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 19:04:06 ID:ALFysiWB
じゃあ信玄がいなきゃよかったんじゃないか?

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 19:04:45 ID:XWlZqkSD
そんなものは詭弁です

18 :鳥屋 ◆Mzllk81HNE :2006/07/23(日) 19:05:19 ID:9PpBcWet
1、機が熟して謀反を起こす。
2、命の危険を感じて、止むを得ず謀反を起こす。

義信は2だね。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 19:11:05 ID:N1X6+qji
>>18
クソコテ死ね

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 20:40:17 ID:ybTKrxA7
>>18
それは大河ドラマか何かの話?

21 :鳥屋 ◆Mzllk81HNE :2006/07/23(日) 21:07:21 ID:9PpBcWet
>>20
え?大河?大河の内容は知らない。

これから言うことは、自分が思っていること。


まず『今川攻めに不満をもって謀反を起こす』というのは、どう考えておかしいだろーが。冷静に考えたらよ。
妻の実家だかなんだか知らないが、たったそれだけの理由かよ。
今までの日本史で、そんな軟弱な理由で『謀反』という大それた事を犯した馬鹿息子が他にいたかよw

ぜってぇ真実は別にある。


22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 21:08:45 ID:9hO6NVKT
妻の実家というより同盟破りが問題

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 21:17:40 ID:ybTKrxA7
>妻の実家だかなんだか知らないが、たったそれだけの理由かよ。
ああ、やっぱり大河ドラマの鵜呑みかwww

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 21:20:01 ID:yFNWcdYt
別に嫁が可愛くて今川攻め反対したんじゃなくて
今川と同盟破棄する事は三国同盟の崩壊を意味するから
上杉、北条、今川と周囲を敵にして孤立する事を危ぶんだ政治的対立だろ

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 21:42:30 ID:ybTKrxA7
>>24
それよりも、今川と縁戚関係にある義信と
今川側の家臣と縁戚関係にある武田家家臣が結託して
あーなってこーなったんだよ!間違いないよ!

26 :鳥屋 ◆Mzllk81HNE :2006/07/23(日) 21:42:49 ID:9PpBcWet
>>23
>>24
あっ!まって!まって!いや、あの、その…無念ガク…

てか待てよっていってんだ惚け!
わかった!悪かった!謝る!
>>24
なるほどそうか!でもそれでも謀反は飛躍しすぎだろ!なんの根回しもしてねーのに、成功するわけねーだろ史ね!
むしろ彼は追い詰められてた!父親によ!

ソース?ねーよ!へそ噛んで泗ね!
ああ、みなさん本当すいませんでした!そこらへん詳しくないんですよww w wwwwwwwwww
もうでしゃばりませんっての!いいか?わかったな皮カムリども!
あばよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwまじ史ねおまえらすいませんwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 21:54:48 ID:vOK4WWRb
んでも勝頼も可哀相だな
信玄が周囲引っ掻き回して織田、徳川、上杉、北条と四面楚歌の状態にして
もうだめぽ後はよろしこだもんね
ちょwwwこの糞ジジイどうすんだこれwww
という気分だったろう

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 22:01:13 ID:ybTKrxA7
勝頼自身の唯一の失策は北条と手を切って上杉と同盟した事くらいかな?

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 23:34:00 ID:+U4OQuX7
譜代家臣と折り合いが悪かったなら
なおさら真田を頼ればよかったのに・・・

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 23:34:28 ID:Sr9fEDKH
>>28
実はそれは信玄の遺言らしいよ。
信玄が上杉と同盟しろと息子の勝頼に言ったそうだ。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 00:13:43 ID:DWnkYMxE
てか謙信も自分が氏んでから家を衰退させてるから似てる面があるんだね

もし何らかの拍子に信長軍団が勝頼を追い詰めてきたところで信長が氏んで秀吉が実権握ったら勝頼は景勝みたく柔軟に対応しただろうかね。


32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 00:21:48 ID:73xr+Q2g
まあ信長軍が本気で攻めに転じる直前という
あるいみ最高のタイミングで信玄も謙信も死んでるんだけどな
死んだから信長が攻めに転じたのか、たまたまなのかは分からんが

33 :鳥屋 ◆Mzllk81HNE :2006/07/24(月) 01:53:24 ID:IMYH6BD7
>>31
無勢で長篠に挑んだぐらいだから、屈伏するとは思えないね。
一敗地にまみれてないからなおさら。
外征しまくりだし、高天神場に異常な執念を燃やしたりととにかく好戦的。
長宗我部にしても島津にしても北条にしても、はじめ抵抗したわけだから、勝頼がはじめから弱腰になると思えない。


34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 10:36:07 ID:l1jSanr1
武田氏の滅亡の伏線は信玄の代から始まっている。
義信の廃嫡は間違いなく失態。
信長という時代に逆らったのも、そもそもの間違い。上杉は征伐される順位
が後だったから助かった。
信玄を英雄と信望するあまり非を全て勝頼に押し付けるのは筋違い。
新羅義光以来の名族の滅亡は岩村城奪取の時から、すでに始まっていたんだよ。


35 :魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs :2006/07/24(月) 11:01:02 ID:9Ld+Unoh
勝頼は頑張った方だよな。
かなり抵抗してた。少なくとも勝頼の業績をもう少し評価してよいと思う。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 15:42:43 ID:6jOBeEUa
>>34-35
同意
信玄が無能とは思わないが、滅亡の責任を勝頼に押しつけるのは大間違いだろう

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 02:53:39 ID:I78YUid9
まあでも勝頼も勝頼で長篠でポカしたのが痛かったな、名将たちが犬死にしまくりだし…武田家臣団崩壊のきっかけになるわけだし。
義信がいりゃあな〜

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 07:50:13 ID:R8h8CwtI
>>37

ぶっちゃけ50を過ぎた爺たちだからボケてたんじゃねーの?

39 :魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs :2006/07/25(火) 08:19:06 ID:sSK0VjXg
山県や馬場、内藤がいながらにして勝頼を思い止まらせる事ができなかった
なぜだろう?

40 :鳥屋 ◆Mzllk81HNE :2006/07/25(火) 09:48:42 ID:QmLTvyWU
長篠の合戦は勝頼がうるさい爺どもを皆殺しにするために仕掛けた壮大な計略(^-^)

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 10:15:16 ID:CK3alXi5
>>40
うまくやったな!

42 :公孫参:2006/07/25(火) 10:21:50 ID:NZLyEYWC
勝頼は要所要所で選択間違えてるよなあ…

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 10:25:06 ID:WMpHmvqS
確かに義信斬ったのは失策かもしれんが、あのままだと武田が伸びる余地が殆んど
ないんだよな。
謙信に勝てない信玄が悪いっちゃあ悪いんだが。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 10:51:04 ID:6S/a9lQo
甲斐・信濃よりも遥かに豊かな土地、更に港と金山まで手に入れたのだから成功でしょう。


45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 11:13:00 ID:PDM6PtuI
義信の死から信玄の死まで5年あったのに勝頼に跡を継がせるための
下準備が全く出来てなかったのが一番大きいな。
生前に家督を譲って形式でも当主として活動させていれば
信玄死後もスムーズに勝頼を当主とする体制に移行できたと思う。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 12:53:25 ID:BNPoLnsa
勝頼に継がせると諏訪が実権掌握する、もしくは先方衆→旧今川と結託されるっつう甲斐の人間の危惧を払拭する努力は充分だったと考える?

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 23:44:01 ID:s95qK4f1
信長の勢力拡大に追いつけず、国力で圧倒されて滅ぼされただけ。
信玄のせいではない。

北条を敵に回した時点で、信長の軍門に下る手はあったかも知れない。
関が原の時点で5大老の地位にいれば、武田幕府が実現した可能性もある。

但し、これは後世から見た最善策であって、
勝頼は、その時代を生きた武将として、頑張ったと思うよ。

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 00:52:11 ID:FLzIfXkk
>>47
とりあえず>>7を読め
それでも分からないなら書きこまなくてもいいよ

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 00:56:00 ID:VK3JDHqC
すわっこランドっていい?

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 01:38:03 ID:+g0qMLKB
ちなみに、信玄が生きてた頃の織田と武田の関係は
織田が必死に懐柔工作をして武田家といい関係を築き
武田に西上させないようにしていました。

娘を武田家に嫁がせて、事あるごとに高価な貢物を送っていました。
ただ単純に高価なのではなく、桐の箱に武田の家紋を入れさせたりして
贈り物だけでなくそれを入れる箱さえもかなり凝った物を送っていたようです。
信長の信玄に対する念の入れようは相当なもんです。

それもこれも、信玄の時代の織田家は領土が急激に拡大して兵力が分散している上に
領土内では本願寺、一向宗、長嶋、雑賀などの一揆が盛んに起こり、
領土の周囲は敵に囲まれていたからです。
織田と武田が全面戦争をすれば兵力では織田が圧勝するはずだけど、
織田は兵力を一方面に集中出来ない状況にありました。
その証拠に織田は三方ヶ原では佐久間の手勢を援軍に送っただけで徳川を見捨てざるを得ませんでした。
とりあえず京都から岐阜までは戻ったけど何も手が出せないで動けませんでした。

というか、わざと手を出さなかったのかも。
美濃あたりまで攻め込ませて武田軍を消耗させておいて叩く作戦だったかも。
いずれにしても武田は織田領内に深入りすれば確実に負けます。

西上作戦開始前の時点で武田には3つの選択肢がありました。
西上して織田を潰すか、西上せずに今までどおり織田とは表面上仲良くしつつ深慮遠謀で苦しめるか、
完全に織田と仲良くするか。

信玄の西上作戦はかなり無理がありました。
実は武田家の国力はそれほど高くはないから、
順調に行ってもせいぜい美濃ぐらいまでしか到達できない、
あとの兵糧は敵地で奪うみたいな無茶な作戦でした。
(実は上洛しようとまでは思ってなかったのかも、という珍説もあるくらい)

そんな無茶な作戦を敢行してでも上洛しようとしたのは、信玄の健康上の問題があったからです。
しかし無茶な作戦を敢行するからには、絶対に成功しなければなりませんでした。
多大な出費をして、出費しただけでそのまま国に帰れば、国の経営は破綻します。
それほど無理して行なわれた作戦だったのです。。
まさに信玄が財政面で国家滅亡のトドメをさしたのが「無茶な西上作戦」でしたね。

結果として信玄が死んだおかげで反織田の勢力は衰え、逆に織田は息を吹き返し、
織田は悠々とひとつづつ潰して行きました。
3年後の長篠の合戦では、武田には最早なすすべがありませんでした。
兵農分離も出来ない貧しい山国の農民兵や、
唯一の自慢である時代遅れの騎馬軍団は最新鋭の鉄砲隊の前に壊滅しました。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 02:01:02 ID:2FMgl9Ur
最後の2行が蛇足だったな

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 08:22:14 ID:MeHdK15F
身内を追放する信長が弱ってる(勝てる見込みのある)他家をそのままにすると思うか?

信玄だろうと誰であろうと滅ぼされるよ。

時代が悪かった。

それだけ。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 08:36:54 ID:sJx3yKuZ
>>50
なんで貧しい山国と書いてあるのに騎馬軍団とやらが作れるんだ?

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 10:00:20 ID:7Wt7msJh
金山じゃない?


55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 10:38:55 ID:5Drc+W8s
信玄も勝頼も良将だけど、なにか抜けてたのか。

信玄は大きい山賊ってとこか。勝頼はがんばったが、やはり不幸か。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 10:45:45 ID:b5NdvQzr
>>53
・当時の馬は買うのではなく武将自ら持参が基本。
よって、騎馬軍団作ったところは大概名馬の産地

・あと、当時の馬はいわゆる道産子や南部馬のようなポニーのような
馬なので、今のサラブレッドやアラブと混同してはいけない。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 12:37:51 ID:YtRj3opD
武将も身長150cm前後しかないから、バランスとしてはイインでないの?

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 12:40:47 ID:oTg/cO5F
俺はばんえい競馬の馬のほうがサラブレットよりも怖い

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 14:49:26 ID:+g0qMLKB
>>52
他人の発言が読めないのなら、
こういう所に書き込まないようにしましょうね

>>55
信玄の末期の頃には金山などすでに掘りつくしています

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 17:22:19 ID:Eof/xDIA
信長主役の大河ドラマでは

足利義昭の信長包囲網→信玄軍備(2万)、進軍開始→信長「もはやこれまで・・・」→信玄死亡、軍が引き返す

だった希ガス
信玄が1年長生きしてたら信長オワタはず

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 17:32:25 ID:UDa4Q0Ra
>>60
でもそれは緒形直人が主演したキチガイドラマだろ?
そのドラマだけは何のソースにもならんから記憶から抹消してください。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 17:36:24 ID:Eof/xDIA
そうなの?

光秀「波多野秀治殿は?」
信長「斬った」(無表情)
光秀・秀吉「・・・」

のシーンがすごい記憶に残ってる
あと今川義元のナヨっぷりに吹いた

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 18:30:13 ID:fjjslKB4
話題のLOOPやんか
散々、語り尽くした話題ばっか

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 18:34:05 ID:oOymDnDN
アジア圏では大概兵科毎に軍団を分けるなんて真似はしていない罠。
あれは焼き討ちがやり難い西欧で普及した方法だよ。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 20:25:58 ID:so1yxzFf
>>48
異論に対して明確な反論をせず、「書き込むな」はないと思うよ。

少なくとも、
>北条を敵に回した時点で、信長の軍門に下る手はあったかも知れない。
>関が原の時点で5大老の地位にいれば、武田幕府が実現した可能性もある。
のIFがあるので、「100%」は間違い。

勝頼だって大変だったが、信長だって家督を継いだ時点では大変だった。
織田家は分裂状態だったし、今川という巨大な隣国が存在していた。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 21:15:12 ID:2FMgl9Ur
信玄の死云々より朝倉がへたれだったのが誤算だったと思う

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 00:23:53 ID:uqcfMEuh
まあ武田家がもちあげられすぎなだけだな。
後の天下人に一回勝ったから大層に言われるだけ。
信玄がうまく勝頼に継がせても滅びたと思う。
当時すでに織田家との国力差がありすぎたし。


68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 01:24:06 ID:9tlYpDDn
>>67
他人の発言が読めないのなら、
こういう所に書き込まないようにしましょうね

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 02:47:27 ID:+ECGR0zG
朝倉も上杉との共同作戦で加賀制圧を図ったことがありました。
関東の都合で上杉が撤退して、果たせなかったけど。
でもへたれと言われても当然か。織田には一度領地に攻め込まれているから。

武田信玄の西進作戦については、織田軍と決戦するよりも、圧力を掛けて武将・豪族たちの離反を促す目的が主だったのでは?

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 03:00:12 ID:8KbBhxBk
(実は上洛しようとまでは思ってなかったのかも、という珍説もあるくらい)

私は上洛しようとまでは考えていなかったと思いますけど、
その理由は兵農分離ができていない時代なんで(信長は別)
秋には兵(農民)を自国へ帰らせなければいけないわけで
もし秋になっても兵を帰さなければ脱走兵が出てきて
負けるのはわかりきったことだからです。





71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 03:14:50 ID:uqcfMEuh
秋も出兵してるが。
信長だって兵農分離できてたわけじゃない。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 03:28:04 ID:9tlYpDDn
>>70
その説で行くと今川義元も上洛する気がなかったという事になる。
1シーズンで上洛が完了しなくても最前線に拠点を作っておいて
次のシーズンはそこからリスタートすればいいだけの事だし。

>>71
将校以外は農民の武田軍と、
兵農分離が出来ていて補助的に農民兵を起用する織田軍を比較して
「完全な兵農分離じゃないから同列だ」と言い張るのは無理がありすぎw


73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 03:36:39 ID:c9nRJoAN
義元は将来上洛する為の布石として尾張攻めたわけで
あのまま上洛する気なんかなかっただろ
つうか無理

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 03:53:46 ID:9tlYpDDn
上洛する気がないなら、
尾張相手にわざわざ義元本人が出陣する事はないし
長期の出陣を考えていないのであれば、
米の相場が高騰するほどの米の買い占めなどはありえないと思うがどうか

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 11:56:11 ID:a5WDeLLI
とりあえず今川は置いといて
武田は将軍義昭などからの再三に渡る上洛の要請に
ようやく応じるような形で出陣してるし
ただの掃闘作戦だとすると費用がかかりすぎだし
重病の信玄が出陣しなくても良かったはず

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 12:06:06 ID:QQw+Xp/T
ていうか、信玄のすごいところは息子ぶっ殺した挙句池沼極まりない
四面楚歌状態を作っておきながら今川を潰し、北条とは同盟し、上杉
を抑えながら織田徳川領に侵攻できたところだろ。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 12:11:03 ID:AuCY3qeY
>>74
一国の平定はそれほどの大事。
名将とされる武将でも生涯に切り取った国を数えてみればわかる。

>>75
織田・徳川から大量の離反者を出すには本気の姿勢を示す必要があったのでは?


78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 02:16:06 ID:/9FSZHd5
たしかに、武田家滅亡の遠因を作ったのは、信玄だろうね。

 しかし、義信が生きてたとしても、彼に武田家を継げるだけの器量があったのかどうかだろう。てか、川中島の戦いで信繁を死なしたのは義信のようなものでは?
義信が血気にはやって 上杉陣営につっこんだことにより、作戦が変わってしまった。

そのことを、信玄は恨んでいたからでは?もしそうでなかったら、優秀な家臣が残ってて滅亡はなかったかも。

あと金を使いすぎてて、金山が枯渇したから、駿河を攻めたんだろう? 勝頼は、信濃を押さえるための重要な切り札だったはず。なんせ
諏訪氏の血を引くものだからね。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 02:59:11 ID:Mv7Xtz2h
信繁死ななきゃよかったんじゃね?

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 11:11:04 ID:rhhV6SKm
 信繁が死ななきゃおそらく生き残ってたかと。あるいみ、義信のせいで死んだようなもんだし。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 15:16:10 ID:rQlXc/mE
信繁が生きてたらどうなっていたと言うのか

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 16:15:46 ID:749NOY7B
答え:どうにもならないでしょう

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 17:14:06 ID:AvsChG/F
信繁が生きていたところで勝頼が暴走して謀反でも起こしていた可能性の方が
大きかった気がしなくともない。

あ、でも信濃だけ独立したとすれば信繁が織田・徳川と組めば生き残りだけは
できたかもしんない。まあ、その場合問題になってくるのは信豊だけど

どう考えてもダッチロールなんだよなあ・・・

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 17:20:00 ID:eBlUT50z
武田家は織田家の様な独裁的な物では無く、豪族の集まりの中の盟主としての武田家
だったんだろう。基本的に合議制で進められ、それじゃ時間が掛かるので勝頼が独裁的
行動するようになり家臣豪族に反発食らったのではないか。長篠でも戦わずに撤退した
家臣がいたし。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 23:06:50 ID:vbMBzT5I
そんな橙色の雑誌みたいな。

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 23:14:35 ID:GQDfWdkB
>橙色の雑誌
ワロタ

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 02:35:39 ID:TdcmYxpy
ちょっとまて。
義信の暴走で信繁が死んだって、それフィクションだから。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 10:55:29 ID:mu1lnELE
>>84
穴山梅雪「いわれなくてもスタコラサッサだぜ」

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 22:45:31 ID:l304PyJD
勝頼も長篠の前までは着々と領土拡大していた件

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 22:55:51 ID:D3v1eYnI
>>84

そうだね


91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 23:41:59 ID:Komlsr7D
>>84 同意。だから兵農分離もすすまなかったんだよね

そんな武田家に激震が走る。【1564年 甲尾同盟】だ。
さっそく今川家から「織田とは仲良くすんな(怒)」という
使者がやってくる。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 00:14:55 ID:xzPlal09
勝頼は、急ぎすぎたんだよ、織田家のように独裁的にしようとしてさ、信玄が死んでからすぐにやっただろ?
 それに、勝頼は、諏訪氏の方の流れだったから、家臣団からは、余所者的な扱いだったんだろうね。 名前でも分かるように。



93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 00:17:29 ID:xzPlal09
 義信が死んでから、勝頼を跡継ぎにした、この期間が原因の一端かと、義信は、常に、信玄の元にいて帝王学を学んでいたが
勝頼は、信濃にいたからな。 まぁ信玄が勝頼を手元において義信と同じようにしてたら、滅亡しなかったかも。・・・




94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 21:40:11 ID:hVemj1Lb
>>87
知らない馬鹿が多いよな

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 17:16:29 ID:dq8Y1bQb
信玄が偉大過ぎたせいで、息子達は常に家臣から比べられたのは可哀想だな。

勝頼は父親に政治力も器量も及ばないのに諏訪家と武田家という2つの名門の血を引いてるだけでプライドが威容に高かったから家臣からも北条氏政や上杉景勝からも嫌われてたわけだからな。

でも例えば信玄が早死にして義信が家督をついでたとしても、今川義元を討った信長に敵意を持ってたと思う。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 18:35:39 ID:V0wjqKXl
>>95
真ん中2行には同意しかねる。

97 :さなだ:2006/08/01(火) 19:56:15 ID:Z24IrDUi
〇月×日、今日海津城のすぐそこに越後勢およそ13000がきた。
こんなちんけな城じゃあ軽く落とされるな〜、信玄のバカ!はやく援軍にこい


〇月××日、謙信は海津城を素通りして才女山に陣どった。
なんで攻めてこないんだろう。不安で夜もねむれない…


〇月☆日、信玄が大軍つれてやってきた。何日たったと思ってんだカス!私は物見櫓から叫んでやった。


98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 20:05:15 ID:8v3PCV4J
>>95
「信玄は偉大」とかいうアフォな話になったのは
甲陽軍鑑が武士の初等教育の教科書になった江戸時代の話

99 :雑兵:2006/08/01(火) 20:13:46 ID:Z24IrDUi
〇月!日、信玄が茶臼山から城にきて数日たち今日軍議があったみたいだ。近々妙な作戦を実施するみたいだ。ワクワクする。


〇月±日、明日は作戦が実施される、俺は城の守備兵だから戦場にはいかねえよ。
まあ信玄の作戦とやらみせてもらうよ
おっと、明日のための炊きだし手伝わないと

〇月◆日、戦があった。俺は仲間たちと櫓の中でドブロク呑みながらゆっくり観戦した。
信玄の栽可した作戦はもうバレバレでね、別働隊がくるまでボッコボコ。信繁さんたちが死んだみたいだった。みんな信玄の悪口いいながら呑んでた。
まったく、寡兵相手にあんなみっともない戦しやがって。


☆月#日、両軍痛みわけたあの戦から数日たったが越後勢はまだすぐそこに陣どっている。ったく、早く帰れよと思った




100 :武田てつや:2006/08/01(火) 20:26:16 ID:Z24IrDUi
100とり

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 22:39:59 ID:iK8UEzyZ
プライド?勝頼が降伏したくとも、できんやろwwww
信玄時代の重臣ころされるwwwwww金正日と同じwwwwwwwwww

上杉景勝?彼は臣従してなかった?武田家に

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 22:48:24 ID:8v3PCV4J
夏休みになるとこんなバカでもこの板に来るんだな

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 00:34:29 ID:iS4WUduJ
信玄はなんとかして小田原城を落とせなかったものか。
せっかく敵の本拠を囲んだのに一日で引き上げるなんてもったいない。
北条領国を併呑すれば織田とも互角に戦えたはず。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 00:41:16 ID:p0gGufd4
国力では北条のほうが圧倒的に上

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 03:00:21 ID:i+BqaSzV
>>103
関東はもともと肥沃な土地で平野が多いため各土豪がそこそこの
兵力を保有しており、一北条を倒した(小田原を落とした)からと
いって完全制圧なんて夢のまた夢。

さらにいえば武田の国力では小田原を落とせてもその後の統治は
上手くいかない、損害は回復しない、謙信が出張ってくる…って
感じで滅亡を早めるだけに終わる気がする。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 19:16:48 ID:oRQe3DIM
>>105
落としたとしたら、関東の覇者北条の本拠を落としたという政治的意味は大きいだろう。
力攻めも長期包囲も無理だから、落ちないとは思うが。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 10:24:01 ID:wspgodX/
むしろ自称関東管領のバカ謙信の侵攻理由作るだけ<武田の小田原侵攻

コーエーゲーでも、北条で初めて武田今川併合する方がラクだしな

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 23:50:19 ID:TB8bypXn
勝頼も後年になると集権化や軍制の改革、商業の強化なども行っているけど
遅きに失した感…

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 01:49:28 ID:tiid28k9
逆に信玄があと10年早く死んでくれていれば


110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 20:39:55 ID:0oLFnff7
なるほど

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 23:04:31 ID:1BVeVKiE
>>109
それだ!

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 02:42:21 ID:Gcf/5DBw
これは新しい
1563年信玄死す!

義信が跡を継ぎ親今川路線で美濃へ向かう
東濃の遠山を降して斉藤織田でgdgdの西濃に進軍
うはーゆめがひろがりんくw

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 19:54:57 ID:8KreJZqf
どっちにしろ「東の浅井・朝倉」になっちゃうかw

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 15:22:23 ID:VcCuown0
だな

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 17:35:26 ID:zLLDWSGX
>>109
斬新な意見だ!
正直、感動した!

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 15:43:21 ID:VvRGGMCM
武田埋蔵金の隠し場所発見?
ttp://www.chouju-oukoku.com/maizoukin/tospo_040622.jpg

さらに詳しく知りたかったらそれに書いてあるキャンプ場の
サイトをググッテくれ。サイトによると梅雪の日記とか梅雪が
子供(誰かは知らん)に残した書簡とかからわかったらしい…。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 18:38:00 ID:f1VPjbOm
もしもでいいなら、信玄と家臣のクーデターが成功しなければ。信虎の独裁で
一環した戦略のより素早く領土拡大させ、信長より早く一大勢力が築けたかも。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 22:09:49 ID:6Zef7Iyn
どうも最近の「信玄の責任にして勝頼を評価する人=歴史を知っている人」みたいな
風潮は行き過ぎな気がするなあ

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 22:14:24 ID:74ZkUZn3
信玄の幽閉が成功していたら
天下とれた?

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 22:22:08 ID:aFAzdIIc
>>118
武田滅亡の責任は勝頼が無能だったからであって信玄とその家臣団は優れていたと考えてる人よりかはマシかと
山県にしろ馬場にしろ昔は無能な勝頼のせいで死んだとか思ってたけど今となっては2人ともただのバカだとしか

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 22:43:27 ID:Qexdq232
>今となっては2人ともただのバカだとしか

これもいき過ぎというかなんというか……

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 22:54:53 ID:XyJO+XLN
>>119
義信にそこまでの器量があったかどうか…
未知数ですな

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 22:57:18 ID:Ol0ZDqpQ
>>120
香ばしい意見ですね。
信長厨はどうしようもないなw

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 23:02:35 ID:TpUOCd0u
関東の大名の評価は
すべて天下を取った徳川目線なんですわ
家康に圧勝した信玄は最強で→ガチでやりあった北条上杉も最強→
その武田軍を破った織田も最強な感じで

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 23:16:36 ID:I+gE7aKW
書き込みのはやきこと風の如く
他人と会話せざること林の如く
ネットで煽ること火の如く
部屋から動かざる事山の如し
       ,ィ                      __
      ,. / |´ ̄`ヽー- 、 ト、        , -‐、/./.- 、
    / | |    ヽ   l l        ( 火◇風 ノ
  /o ̄`ハ._.ゝ===┴=く.ノ- 、      ノ ◇ ◇ (
  /o O / l´ ⌒    ⌒  lo ',ヽ      ( 山◇ 林 }
  \___/. ト、( ●)  (●) ハ  ∧      `⌒/7へ‐´  
 / ,イ   レ::::⌒(__人__)⌒l~T--‐彡    /./      
/ ̄ ̄l.  彡、  |r┬-| ノ'l  l::::::::::彡ー7⌒つ、     
彡:::::::::::l  ト、__ `ー' /|  l::::::::::::ミ  {,_.イニノ   
彡ソ/ノハ   ト、 \  / ,イ  川ハ ヾー‐'^┴



126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 23:18:17 ID:e8X91/Zp
そもそも信玄がどうとか言う前に、織田が大きくなりすぎただけじゃね?
さほど先進地域じゃない甲斐と信濃と駿河の一部しか支配していない武田と
畿内全域を手中にした織田じゃ経済力や軍事力の点で劣勢なのは明らか。
大名自身の器量ってのは大名家が大きくなる一つの要素ではあるけど、決定的ではない希ガス。
だから、織田が畿内全域を手中にしていなかった頃しか戦っていない信玄と
勝頼を比べるのは酷じゃないかと。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 23:41:43 ID:aBZPlcfm
>>125
おもしろいw

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 01:56:24 ID:xo0PgBVC
武田滅亡は地政学的に仕方ないと思うがね。
要するに織田家に近かったから本能寺の変より早く滅んじゃったというだけの話。
信長に喧嘩売ったのは秀吉の代になっても関東独立でいけると思ってた
北条よかよっぽど正しい判断と思われる。

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 02:12:53 ID:UD9/L/f5
滅びた大名同士で比べて正しいも糞もあるかよw

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 02:23:24 ID:m6RjZXVs
勝頼という人は
信玄と信長が対戦している将棋の試合を
詰む7手くらい前で信玄から引き継いだようなもんだよ

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 02:23:38 ID:dTX0nj87
あるわな

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 02:33:53 ID:lzHZsyyh
やっぱり勝頼の最後に従った家臣の数から考えると
人の上に立つ者として欠けたものがあったんだろうね

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 02:43:03 ID:xo0PgBVC
>>129 すごいゲーム脳ですねw 
ところで本能寺で信忠まで殺られて、三法子の生殺与奪を秀吉に
握られてた織田家って滅んでないうちに入るのか?

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 03:08:08 ID:R5yFBSeI
>>132
そんなもんだろ
滅亡の時なんてのは

ドアホ

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 04:25:06 ID:l3eKM7B6
信玄が自分が死んだ時点で武田の天下統一は無理と判断し
勝頼に自家の存続のために天下をあきらめろと遺言できなかったのが悪い。

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 08:15:49 ID:E5HDwV5d
>>132
戦国時代を江戸以降の儒教目線で見るとそうなるよ。


137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 08:28:47 ID:kKLQGHGR
武田信玄の刀持ちの人の名前とか知りませんか?

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 09:09:18 ID:4uM0VNuy
死ぬ前から天下統一なんて無理だし、そもそもそんな考え方が武田家にあったのかと。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 11:21:56 ID:BOzo2Keo
勝頼は親父を恨んでいただろうか。
それでも意地のある武田家を盛り上げるために必死だった。
立派な息子だよ。

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 11:54:55 ID:7p1sybpf
仮に信玄の上洛が成功したとしても足利幕府の副将軍になるのが精一杯だろう
幕府と足利将軍家が健在なのだから、将軍と顕如に催促されて上洛した信玄には
武田氏名義での天下統一は不可能だよ
もし信玄が義昭を追放したら第二の信長扱いになって
上洛した意味がなくなるだけでなく武田家の維持も不可能になる

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 12:09:49 ID:RfsaZdTu
しかし二万五千が40人になったのは戦国のギネスものだよな
やっぱり勝頼は人望がなかったんだろう

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 12:22:53 ID:aZPPA1WT
豪族や土豪がついていかなかった、という点でなら、それは仕方ないこと。
彼らには彼らの利益があり、その利益を守ってもらうために武田についていた。
武田に、彼らの利益を守る力がなくなった以上ついていくことはできない。
戦国期には、まだ儒教的な忠誠なんてもとめられていないのだから。
これは個人のカリスマの問題ではない。
もっとはっきり言うと「力、軍事力=カリスマ、人望」に近い。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 19:24:47 ID:E5HDwV5d
ID変えてまで勝頼貶めたいのかな?

悲惨さが際立つ、という意味では諏訪出身の出自と
長篠で信玄世代の重臣が多く討ち死にしたことで
元々信玄に取り立てられて日が浅く、組織化が不十分な譜代緒家の
組織がガタガタになった影響じゃないのかね?
独立色の強い有力国人層(穴山、小山田、木曾)の支持を失うだけでなく、
重臣層での寄親寄子関係も簡単に崩壊したんじゃなかろうか。
勝頼どうこうではなくそういう時代にそういう家臣団構成を
武田家がとってたというだけのこと。

まぁ、見捨てられ具合から言えば織田秀信、豊臣秀頼にしたって
相当悲惨だと思うが。


144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 21:15:59 ID:eEA2SmgG
勝頼が有能であろうと無能であろうと
武田家が滅びる原因の全ては信玄の時代に構築されています

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 21:44:28 ID:zBi/VpGT
×:全ては
○:多くは

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 23:27:17 ID:BQlxoEeF
信玄は、信虎の独裁を否定する事で成立した政権。国人家臣の合議での行動だから
信玄一人の責任にも出来ないだろう。信玄の稚拙な戦略もそのせい。

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 00:29:41 ID:TDo4oTrY
結論:信玄も勝頼もアホ。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 00:53:30 ID:crbWC6ki
>>147
勝頼はアホじゃない
信長みたいな超人と比べるからヘボに見えてくるだけで普通の奴が相手なら・・

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 01:32:57 ID:jHbgm08p
武田は甲斐国衆の協力の上に成り立っている
→それだけに当主の統率力が要求される
→信玄にはできたが勝頼にはできなかった
→勝頼は統率力が無かった

とも言えるわけで

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 01:44:12 ID:crbWC6ki
>>149
その統率力を高めるためにあちこちに戦争を仕掛け、国は疲弊していった
そういうシステムを取っていた信玄が悪い
というか、明らかにそのシステムのせいで武田は滅びた

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 01:44:30 ID:mOlRpuhV
違うな。信玄の政治力が足らなかったのよ。
並だったんです信玄の政治は。

しかし勝頼もどのような状況であれ勝たなくてはならないのです。
さあ、お行きなさい王様のもとへ。
勇敢で立派だった信玄のように・・・。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 01:46:31 ID:mOlRpuhV
>>150
同意だが信玄が悪いとは言えない。
信玄がああしてれば・・・という程度さ。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 01:49:00 ID:mOlRpuhV
アンチ信玄厨もアンチ勝頼厨も今が合わさる時ぞ。
力を一本にした武田軍は強い!

集えや、風林火山の旗の下に。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 01:51:51 ID:VT4AsVQ9
逆らったからって息子を殺すか?オヤジも追放してるし
信玄ってマジで最悪だな、信長でさえ親と息子は殺してないのに。

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 04:34:49 ID:UMY3/c3p
>信長でさえ親と息子は殺してないのに。
信玄も親は殺してないと思うが

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 10:38:08 ID:VT4AsVQ9
そだね、ごめん信玄、言い過ぎた

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 12:36:44 ID:crbWC6ki
信長は一応これ以上どうしようもねー ってことで信行殺したんだがな
信玄の父親追放は仕方ないにしても息子についてはもうどうにもならんな、こいつアホだわ

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 17:55:31 ID:GJTtO8u8
殺してなくて幽閉じゃなかった?

病死or自殺、だったと思うが

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 17:59:43 ID:qcxSm6Zh
南進政策というのは家中で少数派だったの?

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 19:39:08 ID:AxK4Dg6r
信玄政権成立当時の信玄は、国人の御輿だったのではないかな。徐々に発言力を
強めていったという感じで。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 22:47:33 ID:svHe6wEk
謙信なんて信玄よりも酷い
跡取りを決めずに死んでしまったのだから

162 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/08/16(水) 23:41:47 ID:VB/to3Hl
景勝に決めてたんじゃないの?

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 00:43:24 ID:8847g0+O
勝頼は3年待てという信玄の遺言を守らず武田騎馬隊の力を過信して
織田・徳川連合軍の鉄砲隊に無理な突入を行なった責任は大きい

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 00:45:09 ID:U3uI4hwY
決めるのが嫌だったのかな

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 00:46:53 ID:U3uI4hwY
三年隠せじゃね。その逸話自体知らんがたぶん。
ばれてたなら、攻めてくるだろから先手をとったんだろ。

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 01:14:10 ID:raEt8+7f
信玄の遺言の逸話「三年隠せ」は、器のちっちゃい話だよな。
自分はすごい男だけど家臣は無能だから、て、暗に言ってるだけじゃん…。

老害家康の大坂の陣への出陣も、次の世代に対する婉曲的な侮辱を感じるが、
それを恥と感じない東国武将や武田の家臣団も、なんだかなあ。鈍感なの?

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 01:18:10 ID:c35ujQ/l
三年隠して何になるんだか
動かないとジリ貧だし、隠しつつ動くってどんだけ高度やねんと
死ぬ間際で耄碌してたとしか・・・

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 01:18:14 ID:+LJu6eXu
実際、秀忠名義では大軍の指揮が出来んという事で
家康存命中に大坂を片付けるように
家康ではなく秀忠が必死で画策したらしいよ。
家康のほうは豊臣家を一大名として残そうと考えてた。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 01:30:37 ID:nNMFlw1N
武田信玄という名前が他国への抑止力になっていた、という面は無いのかい?
で、死を隠している3年の間に次世代への体制作りをしろ、ということなのでは?

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 01:38:49 ID:U3uI4hwY
ああ、そっか。
そりゃそうだな。

でも、すぐばれちゃったんだっけ?姉小路だかに。
勝頼悲惨だなあ。

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 01:40:45 ID:raEt8+7f
なら、3年と期間を限定せず、ずっと隠せばよいのに。

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 01:45:38 ID:8847g0+O
しかし信玄って家康に評価されて江戸時代に過大評価とか言われてるけど
死んだのを3年隠すって当時でもかなりの影響力とネームバリューが
あったんだろうな
元就や氏康でこんな話は聞いたことないし

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 02:15:42 ID:mXoTSalu
>>169
織田への抑止力にならなきゃ、意味無いと思うけど?
戦端開いちゃってるんだぜ?

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 02:29:33 ID:5p/wnwLp
信玄が作った組織団はカリスマがいなくなると
機能しなくなるのは当たり前
3年かけて組織を作り直して構築して
信勝を盛り立てろってことでしょ

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 02:47:39 ID:623Sz0mg
勝頼はとっとと信長に降伏してりゃよかったんだよ。

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 03:51:36 ID:BHE4EBDX
>>175
そんなことしたらバカしかいない家臣団に殺されるぞ

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 03:54:08 ID:nNMFlw1N
>>171
隠せて三年、と睨んでたんじゃないの?それ以降はどうしても漏れると踏んだとか。
当然体制作りが早ければ早い方がいいだろうけど。
もしくは三年程再編成にはかかるだろう、と予測したから隠せと言ったのか。
どちらにしても表に出ない限りはいつかはバレると当然だけど考えていたんでそ。


>>173
信玄が死んですぐに織田は武田に仕掛けていたっけ?自分から仕掛けてなかった?
後者ならば勝頼が自意識過剰だったのか、家中統制が上手くいかなくて、なにかしらの功績を
持つ事で求心力を高めようとしたのでは?憶測で言ってるから的外れかもしれんが…。

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 09:18:46 ID:Hrv30dbG
負け戦をしたわけではないから再編すべき組織がそもそも存在しないとも言う。

普通に長篠直前までの戦略は間違ってないでしょう。
びびってる家康を尻目に東遠江を侵略、続いて奥三河に手を出した。
高天神の時のように家康が見捨てていたら三河、遠江の国人に動揺が走るのは必至。

実際問題この時点で単独で織田、徳川の同盟に勝てる勢力は存在しない。
でも、朝倉、浅井滅亡後は本願寺以下ほとんどの勢力が守勢に回ってるわけで。

可能性としては長篠に連合軍が出てくるとわかった時点で
引き返せなかったのか?ということだけ。
三方が原の時みたいに織田の主力は出てこないと踏んでいたのか、
けりをつけるつもりだったのか。

まぁ全てが終った現代から振り返ったり、ゲームの世界と違って、
相手の動きや正確な情勢が把握できるわけではないからね。
代替わりで情勢判断が甘くなったのかもしれないけれど
それは3年間引きこもって改善される問題でもないし。


179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 11:57:24 ID:U3uI4hwY
信長軍が来たから逃げるってのも周り諸国の武田軍評価が落ちるからだな。
不利になるわな、逃げたら。


180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 12:56:40 ID:BHE4EBDX
仕方ねーだろ信玄死んだことは速攻バレてるし
勝頼は自分から先に手を出すしかなかった

長篠で逃げてても結局ジリ貧でやられた気が
組織があんなだしな 自分の領土を保証してくれる親分が逃げたとなればどれだけ裏切るか

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 15:02:41 ID:D5vgj25f
信玄は、遺言残すのなら「織田と同盟して友好関係を築きなおせ」とでもするべきだったな。
自分の死期を悟って後継者に外交政策の転換を指示した北条氏康は偉大だね。

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 15:23:20 ID:HMLGAdjj
信玄も生前に勝頼の猪突猛進さを心配していたらしいけどね。
義元が氏真の文弱さを心配していたようにね。

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 15:30:40 ID:R68SaYqn
氏真が勝頼より優れていた点を挙げるなら、
最後に頼る家臣を間違えなかったということか。

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 15:53:54 ID:cGrYs0dv
毛利は織田と互角にやりあい生き延びたのになぜ武田は滅んだのか?

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 15:55:08 ID:BHE4EBDX
>>184
織田と場所が近かったから

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 18:46:03 ID:ydB1WDEy
>>183
というか、最後まで「今川氏真」だった氏真と
最後は「四郎様」になってしまった勝頼との違いでしょう
諏訪関係の人は田野まで同行している

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 19:03:14 ID:McboDtPn
諏訪の人間さえ残っていればまずまず上々だな

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 19:37:07 ID:+dCN693h
たぶん信玄が信長と戦ってたら勝頼以上の無様な敗退でウンコを漏らしながら
逃げただろうよ。地方豪族の村上義清を10年以上攻略できず長野に至っては手も足もでず
にボコボコにされる男だ。
結局生涯にしたことと言えば北信濃で小競り合いをしてただけ。あ、あと治水ね。
信虎が領土広げてくれていたことと金山の発見で随分と助かってる

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 20:00:17 ID:R68SaYqn
>>186
というよりも、朝比奈泰朝に頼った氏真と、
小山田信茂を頼ろうとした勝頼の違い。

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 20:09:59 ID:l7ueHa/f
>>184
そんな事はないだろう。
秀吉にどんどん押されてた。

まあ、毛利は秀吉に与力つけて丸投げだったが、
武田は織田家がかなり総力あげてたし。

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 20:34:18 ID:U3uI4hwY
毛利って秀吉に押されてたのか?

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 20:37:58 ID:l7ueHa/f
>>191
そりゃ押されてないと、
五カ国割譲の講和とか持ち掛けないだろう。

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 20:42:19 ID:U3uI4hwY
>>192
五カ国割譲の講和についてkwsk

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 20:46:47 ID:Hrv30dbG
因幡も備中もそもそも毛利にとっては外様的な領土だから
本気で抵抗してないというか不利な決戦を回避し続けている。
もちろん対織田戦線以外の事情もあったろうが、
播磨の三木救援軍を碌に出さないまま宇喜多が織田方に寝返り
備中では(人物を見越してのことであっても)高松の清水宗治に篭城丸投げw

そのまま押され続けたらどうするつもりだったんだろうというのはあるけれど。
結果的には鳥取に入った吉川経家とか与力につけた武将の被害くらいで
本能寺の変が起こってしまった。


195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 20:52:48 ID:l7ueHa/f
中国五カ国(伯耆、備中、美作、出雲、備後)の割譲が講和の条件
もっとも、これら国は毛利にとっては外様の土地で
毛利領というよりは単なる勢力圏であった。

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 20:57:12 ID:l7ueHa/f
備中高松城水攻めが織田・毛利戦のいわばクライマックスであった。
毛利勢は大軍を送りながらも秀吉の水攻めという奇策により
援軍を送れず手をこまねいていた。
講和の交渉は一方的に織田のペースであっという。
しかしそこで本能寺の変が起きた。

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 20:58:08 ID:U3uI4hwY
MOTTAINAIな

で、講和したのに備中の高松城を攻めてたんだっけ?

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 21:00:26 ID:1+FJq7Rp
>>189
勝頼にとって朝比奈に相当する武将がいなかったんじゃないの?

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 21:12:34 ID:B1CH6Vq3
>>197
講和して、清水宗治の腹斬らせて即時撤収。
高松城を攻めたら、その場にいる毛利勢との戦いになるのは必至だし、
大返しなんてならない。

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 21:17:21 ID:cGrYs0dv
吉川元春にびびって逃げた秀吉
武田にもこういう猛将がいればな

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 21:30:24 ID:U3uI4hwY
じゃあ秀吉は危なかったんだな

五カ国割譲って言っても秀吉の功績じゃないだろ

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 21:48:35 ID:cGrYs0dv
五カ国割譲したら残りの毛利の領土は安堵するつもりだったの?

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 22:04:02 ID:D5vgj25f
残る毛利領は石見、安芸、長門、周防の四カ国。石見の銀山くらいは奪われた
かもな。
あと、時間をかけて毛利から吉川小早川を切り離して分離させたと思う。
まあこれらは、講和後の毛利が絶対服従して忠誠をつくせばだろうが。
あれだけ織田に尽くした徳川も、三河遠江駿河三カ国で頭打ちだったからな。

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 22:10:33 ID:2ki/9YnV
流れとしては
備中侵入→高松攻め→講和持ちかけ→本能寺→講和成立、清水切腹→中国大返し

ていうかこの一連の流れは小説とかでもかなり取り上げられるし、戦国史に
興味あるなら知ってて当然の知識だぞ。知らないとかギャグだろう?

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 22:13:32 ID:R68SaYqn
えっ、いつの間に毛利スレになってんの?
何これ?

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 22:15:02 ID:nNMFlw1N
>>204
講和というのは織田家としての行動だったの?それとも羽柴単独の行動なの?
武田もひと段落して、北陸も均衡状態だよね?
西に兵を向ける余裕は織田家には無かったのかな?
それとも何かの意図があって講和に持ち込んだの?

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 22:22:37 ID:U3uI4hwY
小説とか呼んだことないっす

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 22:26:05 ID:+dCN693h
俺の知識は全部小説とウィキだな、時代劇とか前知識が無いと面白くもなんともない

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 22:30:27 ID:tIqt1rcD
死後三年間隠すは本当に守られたの?
三好長慶からのパクリか?
元ネタの三次長慶の場合は本当に三年後に葬式をあげていたが。
塩漬けだったんで相当腐敗していたらしいぞ。
(まあこの場合家臣団が隠したのだが)

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 22:37:51 ID:B1CH6Vq3
>>207
小説とか以前に、ここに出入りするなら知っていて当然の事じゃないか?
秀吉やその配下が主人公のものならば、必ず通るエピソードだからな。

つか、wikiにも、秀吉の項と高松城水攻めの項で触れられているぞ。

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 22:57:35 ID:TaAGZbD+
三好長兄が死んだかどうかなんて、関心事じゃなかったんじゃない?
特に3年後の1567なんて

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 23:12:15 ID:tIqt1rcD
小笠原氏を保護したり三好はかなり同じ一門意識を持っている。
若狭武田から安芸武田、関東宇都宮から豊前宇都宮に養子
みたいに名門一門内は同族意識が強いと思うが。
それでも一門である小笠原を滅ぼした信玄は関係ないか。

213 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/08/17(木) 23:13:52 ID:75CyYR3i
武田と小笠原では同じ流派とは考えないのではないか。

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 23:16:29 ID:U3uI4hwY
近いからじゃね

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 23:17:01 ID:U3uI4hwY
滅ぼしたのは

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 23:30:05 ID:TTylqPX0
スレ違いだけど、
織田と毛利の高松城を挟んだ和睦交渉はただの時間稼ぎっすよ
信長は和睦しようとしておらず、自分と信忠は山陽に向かおうとしてたし
明智を山陰方面に向かわせてたし、同時に信孝と丹羽は四国に渡ろうとしてた
一気に中四国を片付けてしまおうと思ってたんじゃないかな?

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 23:48:21 ID:U3uI4hwY
博多のボンボンどもに毛利の後ろつかせるとかはできんのか。

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 23:51:10 ID:cGrYs0dv
毛利はまだまだ対決を継続する力があったからな
下手したら備中高松で信長・信忠を討ち取ったかも試練

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 02:32:02 ID:r2mPOG2I
>>218
ないないw
どんだけ奮戦しても、それこそかつての桶狭間伝説のように
偶然信長が小休止してるとこに毛利機動部隊が奇襲かけたり
しない限り無理。まあそれでも金ヶ崎撤退とか見る限り信長
は生き延びるだろうがな。

和睦については毛利が何とか毛利本領に織田が侵入しない内
に講和しようとした。で、交渉中に本能寺。織田家の方針と
しては講和の気はないと思う。宇喜田の寝返りとかで織田家
の中国支配における必要領地が増したからね。

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 02:56:07 ID:CDoMEvbj
前線の兵も長期対陣に悲鳴を上げてたって聞くしね。
宇喜多直家が織田に寝返った後の毛利vs宇喜多でも
毛利は宇喜多領を突破できてないし、
余力がまったくないとは言わないけど、
もう終わりにしたい、ってのが毛利家の本音だろう。

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 04:10:15 ID:IJh57cXG
>>198状況が違いすぎる。
敵になった大名の質が違うし。
勝頼に朝比奈みたいな家臣がいても、なんの意味もなかったんでない?


222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 13:59:21 ID:SmqFsF0H
毛利は財政的にはどうだったんだ?

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 14:34:44 ID:KBYXuPf/
秀吉を苦しめた毛利とうんこ武田と一緒にしないで欲しい

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 14:44:32 ID:OifucH8c
そう、それだ。これをきっかけに、
武田ネタを再開しよう。

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 15:19:47 ID:k+3Ij7xq
【体罰か】宮崎市の剣道強豪高で30年以上女子部員にフンドシを強要【指導か】

★「武士のたしなみであり伝統」宮崎市の剣道強豪高校で30年以上女子部員に褌を強要
 ・宮崎県の県立高校剣道部で創部以来30年にわたり、全部員に褌(ふんどし)の着用を
  義務づけ、女子部員も男子部員同様に褌の装着を指示していたことがわかった。
  元・女子部員の両親が事実を知り、県教育委員会が調査に乗り出し、事実とわかった。

  この高校の剣道部創部は昭和46年。スポーツが盛んな県内の高校運動部において
  当時警察OBで地元の剣道場の館長だった男性が初代の顧問に就任。昭和53年以降は
   全国大会でも上位に入賞するほどの発展を遂げた。

  58年からは、この男性顧問の指導を受けた卒業生が顧問に就任。中には女性の指導員も
  いたため、この「伝統」を「普通に受け止めていた」(同校女子部員)。

  しかし主に男性の伝統下着であるため、新入部員の抵抗は多く、これに部員に対して
   顧問は「武士に生まれ変わるための証(あかし)」「武道は精神的なもので、男女の
性差は関係ない。強くなるためには欠かせないもの」と説いていたという。

  しかし昨年末で同部を退部した女子部員が、この事実を両親に語ったため、事実が発覚。
  元部員の母親は「私も剣道経験者だが、こんなでたらめな指導は聞いたことがない。
伝統を隠れみのにしたセクハラだ」と憤る。これに対し学校側は「歴代顧問が指示し、
   部員も納得していたことだと思っていた」とコメントしている。

  ◆「褌を使う人はごくわずか」市内の武道具店
  宮崎市波島1丁目の「押川剣道具店」によると「激しく運動し、発汗も多い剣道は、
  衛生面から剣道袴の下には下着を着けない人が多いとは聞く。当店でも褌は扱っているが
  高齢の剣道家など、買っていく人はごくわずかだ」

http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news7/1151547380/l50
ソース:http://www.miyazaki-news.co.jp/area/soc/20060816/topic02.html

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 15:21:48 ID:npWcwe/0
義信が生きていればぬわぁ

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 15:28:09 ID:OifucH8c
高坂昌信があと10年長生きしてくれれば・・・って、
結局変わらなかったか。

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 16:19:00 ID:bkbdkWdq
尻で出世した男が10年長く生きていても結果は変わらん

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 16:23:18 ID:npWcwe/0
>>227
春日君こそいらない家臣やんか

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 17:03:54 ID:OifucH8c
>>229
ん?いらないの?
まあ、長命であっても、武田家の衰亡を防ぐことはできなかっただろうが、
いらないレベルなのか?

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 17:05:04 ID:OifucH8c
跡部、長坂コンビが織田政権にいて大活躍してくれれば・・・・・・

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 17:27:53 ID:npWcwe/0
>>231
佞人はもっと必要ないじゃん

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 17:36:50 ID:OifucH8c
>>232
よく読め。逆説的な考えだ。

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 17:40:06 ID:KBYXuPf/
信玄は元就以下だったんだな

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 18:00:07 ID:mcR1f7JM
つーか山県とか馬場とか内藤とか春日とかこんな奴等が
本当に優秀だと思ってるの?そりゃ信玄の配下として、全盛期の武田軍の
要としては極めて優秀だったことは認めるが、信玄が死んだ時点で
当主は勝頼。勝頼は割りと柔軟で鉄砲配備の見直しや少なくとも信玄並に
四面楚歌を好んで作る武将じゃないことも事実。
よく信玄死後、四名臣なんかに色々任せればいいのに勝頼が新規登用した
武将たちや勝頼自身と対立しちゃったとか言うけどこれ、勝頼の政策に
反対ばっかりの老害だったんじゃないの?
口を開けば「信玄様の頃はこうであった」って言って信玄より柔軟で革新的な勝頼の
政策や軍制なんかに反対しまくってたんじゃないの?
そして信玄の体制ってのはかなり不安定で、旧時代の遺物が多かったのも事実

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 18:10:28 ID:J5DXEl2O
>>232
長坂、跡部が佞人というのは
甲陽軍艦のデッチ上げなのだが。

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 18:12:18 ID:npWcwe/0
>>233
逆説的に読ませるのならば、日本語は正しくお願いしますねw

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 18:15:14 ID:npWcwe/0
>>236
なら、佞人じゃないって根拠は?

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 18:19:37 ID:OifucH8c
>>237
普通読めば分かるだろう?
大丈夫か?

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 18:43:56 ID:J5DXEl2O
>>238
おいおい物事には「ある」と主張する方が立証義務があるんだよ。
無罪になった人間に「貴方が無罪である絶対的証拠があるのか?」と
問うようなもんだ。
佞人てない証拠というより、佞人であることを立証できるか否かだと思うんだけどな。
「幽霊がいるという証拠はない、しかし、いないという証拠もない」
というのは実は対等じゃないんだよ。

まあ、一応、根拠としては甲陽軍艦の長坂、跡部の悪役ぶりが
あまりにもバカげた漫画的な描写が多いという点。
例えば長篠の戦いで老臣たちの反対を押し切り
勝頼が長坂、跡部の主張する強攻策に従い強攻したことになってるが
長坂は留守番で出陣してないし、跡部は文官で軍事面で
こんな大胆な提案をしたとも思いにくい。
その他の長坂・跡部の愚行の類も大概はこんな調子で
老臣が正しい真っ当な提案をしているのに
長坂・跡部がメチャクチャな論理で反対して
勝頼がそっちを採用するというパターンがほとんとで、
いかにも作為的で老臣=善・聡明 勝頼・長坂・跡部=悪・愚物というような、
いかにも甲陽軍艦の最初の著者の高坂が考えてそうな事ばかりだ。

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 18:47:33 ID:QNYsRibN
>>231
外交上手の武井夕庵とまとめ親父猪子兵助コンビが
武田政権にいて大活躍してくれればとも言えるのでは?

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 19:07:33 ID:bWltSlKN
武田の滅亡は上杉が100%作っている。

ストーカー謙信がひたすら国力全開で信玄の邪魔をし!!!!
無能景勝が名将勝頼の足を引っ張りまくった!!!!!!!
上杉は謝罪しろ!!!!

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 19:18:58 ID:KBYXuPf/
滅亡した武田
戦国の世を勝ち抜いた上杉、毛利

輝元、謙信>>>>>>>>武田信玄

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 19:43:58 ID:VJUdg9V1
そこは輝元じゃなくて元就じゃないか?

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 19:54:57 ID:npWcwe/0
>>239
日本語力のなさを棚に上げないように!

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 19:57:14 ID:VJUdg9V1
いや、自分の読解力の無さを棚に上げるのもどうかと・・・

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 20:00:46 ID:OifucH8c
>>246
まさしく、そうだな。
現に>>241は読解できているからこそ、あのようにレスしている。

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 20:17:10 ID:VVgilk8E
>>244
プレイヤーは輝元さ
託されたのさ

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 21:17:01 ID:qOwPtalI
信玄も早めに家督を譲ったほうが良かったことくらい分かってただろうけど、
諏訪の勝頼を早期に当主にするのは家を纏める上で不安があったんだろな。
それと、信長の領土が拡大しすぎて、勝頼に家督を譲ってもジリ貧になるのが
目に見えていたとも思う。自分の余命があるうちに信長を片付けて、最高の
勢力になったうえで家督を継承しようとの判断だったと思う。
まあ信長の実力を見誤った点が信玄の唯一のミスなんじゃなかろうか。
信長がいなければ、なんら問題なかっただろし。



250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 21:36:33 ID:byx5WDEz
>>249
見誤ったのは信長の実力じゃなくて自分の死期じゃないか?
病に倒れた時点で勝頼体制のために手を打つべきだったろうが、それを「自分の余命があるうちに信長を片付けて」と言う方向で考えてしまった
10年長く生きていれば勝てたとも思わないが、信長との実力差を云々する以前の判断ミスかと

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 23:02:31 ID:bkbdkWdq
30年も山奥で遊んでおいて寿命のせいにすんなよw

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 23:41:11 ID:QGLK+z9p
信繁が生きていたら、少なくとも家臣団はバラバラにならなかったと思う。

でも、結局は滅亡するのかな

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 23:54:35 ID:U9b7NQJn
信繁が生きていたら、信勝の後見人は
勝頼より信繁のほうがいいね。

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 23:59:38 ID:rr+ks7W5
しかし織田の血が入った信勝を当主にするかねえ
勝頼も織田の娘で童貞捨てたという後ろめたさが
あったんだと思うよ

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 00:01:42 ID:pxjjlexq
> 勝頼も織田の娘で童貞捨てた
んなわけないだろw
大名の子息の童貞喪失は、第二次性徴が始まった頃女中がr

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 00:43:51 ID:KzIfaFik
謙信を頼れじゃなくて信長を頼れだよな。さんざん敵対しといて
何ぶっこいてやがる!信長包囲網で棚から牡丹餅を狙ったんだろう。
城の1つも増えるかも・・てな感じ。そしたら自分の命縮めちまった。

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 00:46:05 ID:NWUmCnzs
>>235
当時勝頼は騎馬鉄砲隊を作ろうとしていたらしいよね?
その辺を考えるとなかなか武将だったんじゃないのかな

ただ長篠の戦いは避けるべきだったかもしれない
まぁいずれやられていたとは思うけど

信繁は優秀だし生き方も好きだ
では信玄の影武者だった信廉はどうだろう?
一般的にはボンクラ説が濃厚だが長篠の合戦では鉄砲隊を突破したというし・・・


258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 00:48:58 ID:GhNfbqvc
>>257
何故、その騎馬鉄砲隊とやらを作ろうとしていたら、なかなか武将なんだ?

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 00:52:12 ID:QxGId+w1
いや、国力差が歴然な以上、決戦でミリタリーバランスを崩すしか無かろう>長篠
選択肢としては悪くない。良くもないが

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 01:00:10 ID:NWUmCnzs
>>258
実用性はおいといて
だいぶ後になって伊達が騎馬鉄砲隊を発明したわけだ

それを誰よりも先にやろうとしてたから
先を見る目があったんじゃないかって話だったんだけどね

騎馬鉄砲隊が完成してたら長篠の戦いも多少は違う結末だったんじゃないのかな〜って思った事があったんだ


261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 01:26:50 ID:5kN9j/OL
まあ、長篠は失策だよな
無理に合戦せず長篠城だけ落としてさっさと引き上げれば遠三での優勢は変わらないし
信長は機内に本願寺、丹波は未制圧で同年に毛利と敵対、北陸では上杉との関係悪化、獅子身中の虫に松永や
荒木、状況は違うが光秀もいるしやり方次第ではなんとかなったかもな

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 01:34:51 ID:ZneNvLMi
だが織田は、名立たる武将に3万の兵を長篠に裂けれる程には
安定してきていた。

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 04:02:31 ID:ZqgTosxl
騎馬鉄砲隊なんて使い物にならないが。

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 07:21:17 ID:0SRMx3Qb
騎馬鉄砲隊なんて使い物にならないから誰もやらなかっただけだと思ってた

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 07:37:38 ID:YGM1gsY6
騎馬鉄砲隊の運用方法

敵地まで騎馬で駆ける→敵が見えた→馬から降りる→撃つ

いや、乗ったまま撃つと思っているアホがたまにいるから一応言っておいた

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 07:45:52 ID:Yr+tQvJu
政宗君がやっとるじゃん

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 07:51:08 ID:ZqgTosxl
>>261
長篠城を落とせなかった。
鳶の巣砦を落とされて方位に近い形になり退却が難しかった。

このままでは地獄の殿軍戦が始まるので、
前方の織田に一撃加えてから退却しようとしたが失敗した。

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 10:33:02 ID:LO4XpXAc
>>265
無意味とは言わないが無駄だろ
政宗の戦は3流だったしな

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 11:54:05 ID:5kN9j/OL
>>267
長篠城は落城寸前だった。
わざわざ設楽原に出ずに長篠を流れる寒狭川と大野川を前面に長篠南西の連山に陣を張れば
少なくとも無惨な敗戦はなかろうし織田軍が強攻すれば勝ち目もあった。

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 12:05:49 ID:GhNfbqvc
長篠時に武田が騎馬鉄砲隊を編成していたとしても、違う結果にはならんと思うが…。
そんな戦局を左右するような力を持たないと思うけどねぇ。


271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 12:21:54 ID:Ndn2MTxg
>>249
普通に家督譲って実権を信玄が持てばいいだけ
氏康も60年ぐらいに家督譲ってるし信長も75年に家督譲ってる
信玄は(ついでに謙信も)遅すぎる

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 12:26:36 ID:Ndn2MTxg
>>261
丹波は未制圧だけど敵対して侵攻してくるというような勢力じゃないんじゃ
それに毛利と敵対は翌年では
北陸での上杉との関係悪化は織田が越前を制圧し加賀に侵攻したからじゃ
もっともこの時期越前は一向一揆の支配だからより状況は悪いかw

273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 13:33:17 ID:YKbG55pA
そもそも武田は堺から鉄砲を高値で買うしかないから
鉄砲隊の編成自体が非現実的でただの夢物語なんだよ

のちの世になってその時代の武田の今後の事を考えると
鉄砲騎馬隊じゃなくて篭城戦には必要不可欠だったかも知れないけど

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 13:55:57 ID:E4nSB4YQ
信長は安値で買えたの?

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 14:06:07 ID:ZqgTosxl
>>269
落城寸前も何も落とせなかったのだし、
あとも都合の良い後知恵でしかない。

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 14:10:15 ID:YKbG55pA
>>274
信長は大量に発注するから他の大名よりも安く買える

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 14:16:34 ID:GhNfbqvc
よく分からんが、どういうルートで甲斐まで鉄砲を運ぶんだろ?

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 14:28:35 ID:YKbG55pA
>>277
鉄砲商人が普通に織田や徳川の領内を通行して
甲斐まで注文を聞きに来たり持ってきたりするんだよ
堺が誰と商売するのも自由だし信長は妨害しないよ

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 14:32:53 ID:GhNfbqvc
へぇ…荷留めとかしないのか。敵国への販売分は買い上げるとかしているのかと思ってた。

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 14:42:57 ID:5T3w7D6G
>>269
落城寸前と落城は違うぞ。
そもそも信長は通説に従えば出陣を遅らせている。つまり、攻撃側にはそれだけ
時間の猶予が与えられたわけだ。それでも援軍の到着前に落せなかった。
この時点で武田は倍の敵に後詰決戦を挑むか退却するしかなくなった。

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 14:43:04 ID:5kN9j/OL
>>275
ちゃんと261からの流れを理解してる?w

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 14:44:31 ID:Ndn2MTxg
本願寺との戦いの最中に北陸からの荷留めとかしていたと思う
軍需品じゃないけど塩留めの逸話もあるし

283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 14:46:36 ID:YKbG55pA
「北陸からの荷物」「塩止め」
これは堺や鉄砲は全然関係ないだろwww

特に「塩止め」なんて信長も家康も関係ないしw

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 14:47:35 ID:Ndn2MTxg
徳川勢を決戦に持ち込ませるためにわざと城を落とさなかった
援軍が戦場に到着して、そこで城を落として
戦略目標が無くなって撤退するであろう徳川勢に攻撃をかけようと思っていたところ
酒井隊に砦落とされて逆に包囲されて殲滅されたという話もあるな

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 15:38:48 ID:DA63DPfk
勝頼は武将としては優秀でも大名の器ではなかったんだろうな・・

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 16:56:19 ID:YGM1gsY6
信玄が大した器じゃなかったもんな、子を責められん

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 17:14:28 ID:QkfpwoKJ
高坂を代表取締役にすればよかったのにな

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 17:16:27 ID:Yr+tQvJu
春日は堅実派だからねぇ

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 17:21:30 ID:QkfpwoKJ
先方衆の小幡信貞は?

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 18:14:43 ID:AViHXRKA
まあ天下に覇者が現れた以上、大名として求められる資質が
変化したというのもある。独立心が強くて英雄的な人よりも
従属に抵抗感のない官僚的な人のほうが向いている。

勝頼は英雄的過ぎて英雄の先駆者に当然のごとく敗れただけ。

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 18:46:47 ID:QKeswK29
>>279
下手に商売の邪魔したら、多少の鉄砲が敵に渡るよりやっかいだろう

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 18:55:53 ID:GhNfbqvc
>>291
だから買い上げるつってんじゃん。
遠い場所まで警護雇って運ぶ事を考えれば邪魔どころか御の字だと思うけど?

293 :sage:2006/08/19(土) 19:54:55 ID:URNcYQGd
>>290
確かに勝頼は英雄的な思考の持ち主だった。

でも当時の情報力の低さを考えると
信長の力がどれほどのモンか分からない大名の方が多かったんじゃないかと。

英雄的な思考以上にただの田舎者だったんじゃないのかな・・

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 19:57:32 ID:URNcYQGd
うーん。
sageというコテになってしまった

素でやると非常に恥ずかしい・・。

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 21:34:47 ID:jUz/54L6
ちょっと待て。
武田も鉄砲の配備はできていたはずだが?
確か、兵数の8%の保有を軍役で義務化してたはず。
そして、それは織田軍とほぼ同等と聞いているぞ。

ただ、火薬の元になる硝石のルートを織田軍に抑えられていた、とは聞いたが。

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 22:02:04 ID:yd2keJVx
騎馬鉄砲隊の元は葛西の鉄砲隊にあるんじゃなかった?
あと硝石は木曾でも取れてなかった?

297 :こばこば◇:2006/08/19(土) 22:08:25 ID:rOly9smm
そうでしたっけ?

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 22:17:40 ID:YGM1gsY6
日本に硝石は存在しないが

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 23:02:39 ID:jUz/54L6
>>298
存在しないって事は無い。
硝石が無いと火薬が作れないから。
ただし、当時は100%輸入。
その輸入ルートを押さえられてしまっていた、という話があった。ソースは忘れた。

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 23:30:35 ID:AViHXRKA
天然の硝鉱石はほとんど存在しないはず。たしか国内生産の
硝石(江戸時代とかは国内で入手してた)は土壌培養法とかで
チマチマ生産してたような。

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 23:49:58 ID:YGM1gsY6
忍たま乱太郎にも書いてるから間違いないよな

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 23:51:26 ID:iE3ZBDnZ
たとえば鉄砲を百挺そろえて一回の戦闘で百発撃ったら、
弾一万発とそれを撃つための火薬が必要になる。
これは相当の負担になるわけだけど。


303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 00:07:07 ID:Pxp6bCfJ
まとめると、
信長は堺にも自由に商売をさせていたから敵国にも鉄砲を売らせていた。
しかし武田には硝石などの独自の輸入ルートがなかった、構築出来なかった。
という事で。

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 03:52:59 ID:0dYvBjPH
>>303

硝石(硝酸カリウム)は便所で簡単に出来るよ。鉱物ではなく、バイオの世界。
そもそも紀元前2世紀に秦で開発され、元寇で本朝に伝わってる火薬が
なぜ堺でしか商えないと??? 信玄が弘治元年(長篠の20年前)に
300挺の鉄砲を備えてた(妙法寺記)史実も知らんの?
堺を押さえてなかった本願寺が信長をボコボコにした(信長公記)のも
越中五箇荘の硝石が原料だし。

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 03:59:23 ID:0dYvBjPH
硝酸カリウムの参考サイト。

http://homepage2.nifty.com/singingsand/miwa/kayakumino.html

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 04:25:07 ID:Pxp6bCfJ
>>304
でも何かの資料で読んだけど
戦国時代の火薬のほとんどは中国からの輸入。
で、海外貿易のほとんどは信長から西の国の大名が牛耳ってるんで
東国の武田には入らん事もないけど入荷可能な量は全然違うわな。

それと、どこに
「堺で火薬を商って武田に売っていた」
「本願寺は堺を抑えていなかったので鉄砲が入手できなかった」
というウソが書いてある?
見つからないので発言番号を指してくれ。

信玄の全盛期にはまだ堺での鉄砲の量産体制が整っていないから
信玄の時代に揃えられたという鉄砲は本願寺からの贈り物だったり
ポルトガルからの輸入だったりするわけで。

「日本で生産できるから100%国産だ」とかいう
夏厨ならではの極端な発想はやめて欲しい。
あと、他人の発言は読み間違えないように何度も読み返せ。

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 08:19:15 ID:xQcksKDT
最近になって日本でも硝石が生産されてたという説は出てきたけど
それ=100%国産
という事にはならない。

やはり大方は輸入だろうね。

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 10:19:27 ID:QnlzMxO6
実際に輸入してたしね
国内生産+輸入で火薬を調達できた織田と
国内生産分+少数の輸入の武田

訓練でも火薬を消費することを考えると
鉄砲足軽の練度、実戦で撃てる弾の数
戦力としては鉄砲の数以上に乖離があったのかもしれない。

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 11:03:38 ID:UXEICiMN
井沢元彦の本に書いてあったけど
元寇の時の絵を見たある事に気がついたそうだ。
モンゴル軍が鉄砲だの炸裂弾だのを使って日本軍を攻撃すると
日本軍はまず火薬の轟音で馬が怯えて動かなくなるらしい。

そんな感じで、長篠の合戦の武田の敗戦理由の一つには
鉄砲の音に慣れてない武田軍の馬が使い物にならなかったんじゃないか、
という仮説を唱えているよ。

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 11:21:39 ID:SgGuOleq
>>309
いやあ、それはあっても「敗戦理由」の一つに考えられるほどの理由
じゃないよ。火力に優れた半要塞に寡兵が肉弾突撃って時点で敗北必至。
野戦だと機動力で火力差を詰めれても要塞戦ではそうは行かない。

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 11:57:06 ID:yhYgXua2
武田軍が馬に乗ったまま戦っていたと思っている時点でアホな仮説だな

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 12:03:46 ID:C417WSw4
一般的な「長篠の合戦」は
織田・徳川軍の馬防柵の後ろに並んだ三千の鉄砲隊に
勝頼の采配で武田の騎馬隊が突っ込んで大量に戦死
だからな

313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 13:11:13 ID:RYpX/tpy
硝石の生成は人糞からなる。つまり、人口が多ければそれだけ硝石の生成も多くなる。
とかどっか読んだ覚えが。
国内生産量でも武田は織田に差をつけられていたんだろうな。

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 13:19:07 ID:C417WSw4
火薬は100%輸入だったと記憶してるけど

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 17:45:17 ID:yhYgXua2
100%輸入だよ

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 18:55:21 ID:G1Mo/LPe
実際の長篠の戦ってのは
武田勝頼長篠城攻略のため一万五千を率い出陣
長篠城包囲、奥平貞昌奮闘
陥落できずもたもたしてたら織田徳川連合軍三万八千が後詰として到着
夜間から早朝にかけて酒井隊による鳶ヶ巣攻撃、陥落
退路を断たれた武田隊は五段に分けた波状攻撃で織田徳川に殺到
予め柵を張ってた信長の鉄砲隊による一斉射撃で強襲が成功せず
織田軍も前田隊など被害を出しつつ武田軍を圧倒
追撃戦等で、信玄の代からの優秀な家臣が多く命を落とす

こんな感じでおk?

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 19:04:10 ID:Q9YOov70
決戦志向の勝頼がわざと長篠城を落とさず
だらだら攻めてたって説もあるけど、このへんどう?

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 21:12:05 ID:di8VclHj
城が落ちたら信長家康は後詰の必要が無くなる
そしたら信長は帰国し家康は城の中に篭って
武田が帰国したら家康は反撃のいたちごっこの繰り返し
着実に家康を追い込んではいるけど信長との差はますます開く
ってなるからねー

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 23:46:09 ID:eRL+udP+
【謙信最強は創作】
謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。

※謙信自身が敗北を認めている書状↓
 晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
 かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日                  虎(花王)
[三洲寺社古文書]


【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。

1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。

上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。

謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである

本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 01:45:04 ID:Ye3+8w8x
硝石は、材料があっても製法がわからなかったんじゃないか?
鉄砲が伝来するまで(中国製なども含む)、火薬なんて必要なかっただろうし、
そんな専門知識が確立するまでには、結構な時間を必要とするんじゃなかろうか。
秦が作っていたとしても、その製法を輸出していたかどうかはわからないし
(こういう技術は軍事力を大きく左右するから)、
仮に輸出していたとしても上記のとおり必要がなければその知識を持つ専門家の数は極めて少なかったろう。

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 01:51:44 ID:WRRrx5gl
>>320
戦国時代には、中国や朝鮮半島から技師が渡ってきて
土木工事の指導をしたり金山や銀山を掘ったりしてたんだよ
そういう技師は技術があっても中国や朝鮮では食って行けなかったから
日本に逃げるようにして渡って来たんだよ
大久保長安とかがそうだよ


322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 02:29:27 ID:X3dt2Row
>>320
培養して作る硝石ってのはむちゃくちゃ時間かかるし面倒な割にちょびっとしか取れないんだよ。
だから輸入の方が100倍効率がいい、それだけ。

武田に鉄砲が何丁あろうと滅んでるような気がするけど


323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 14:09:53 ID:+u3seTEC
そもそも硝酸菌の確立は18世紀に入ってからだボケ!

武田家のみ時空を超えられるから問題ありませんが。

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 21:23:51 ID:xtyocIY6
嘘をつくな
大久保長安は能役者だろ。
あと朝鮮にはそんな技術はない。

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 23:09:36 ID:R+5HnJJf
信玄時代から感じることは武田家って城攻めが下手だよな。
外交も下手だし基本的に駆け引きが苦手なんだろうか。

単に国力が無いから持久戦が無理なだけなのか??

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 23:13:33 ID:R+5HnJJf
あ!
兵に農民が多いから農作業とかで長期戦が無理なのか!

すまんすまん。自分で気付いた。

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 00:25:45 ID:80G2mgA0
>>326
そんなことは無い結構長期戦してるぞ
配下の国人に力攻めを強制させる権限が無いとかじゃない?
それにそんな下手というほど下手な気はしないと思う

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 00:55:50 ID:h7VKD1t6
山県三郎や馬場美濃がいて城攻め苦手ってあるのかな…

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 02:14:57 ID:VilFrMc8
木曾で硝石産出していたような?

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 02:17:04 ID:8/xJd3bB
じゃぁ中国はどうやって硝石作ってるのか言ってみろや

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 02:29:34 ID:VilFrMc8
窒素

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 02:55:53 ID:R2eymqSU
山県三郎?馬場美濃?

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 03:01:00 ID:R2eymqSU
>>330
この段階でまだ「硝石は作るものだ」「天然鉱物として産出しない」と主張している時点で
君はこのスレを全然読んでないダメ人間だと思うが

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 03:06:05 ID:R2eymqSU
>>324
>大久保長安は能役者だろ。
>あと朝鮮にはそんな技術はない。

この書き方はひどいなぁw
まるでオレが「大久保長安は朝鮮人で、朝鮮から渡って来て技術指導した」
とでも書いているような反応の仕方じゃないか。

何でこのスレの住人の知的水準はネタスレ並に低いんだろうか?

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 03:19:49 ID:8/xJd3bB
はぁ?上から見てレスしてんじゃねーよタコ
知的水準?てめー>>321の文面見て>>324みたいな感想起きるのは当然だろうが
朝鮮から渡ってきた技術者の話してる中、脈絡無く大久保兆案がどうのとか言ってるんだぜ。東大卒のエリートでもそういう感想寄せるぞ
猿以下の文章書く馬鹿が知的水準なんて高尚な言葉使うんじゃねー

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 03:31:40 ID:vukx3upL
夏ですね

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 03:33:43 ID:R2eymqSU
┐(´д`)┌ヤレヤレ
この厨には「中国」という小学校低学年で習う漢字が読めないらしい
なのに「オレは東大卒のエリートと同水準の知性」と来たかw

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 04:09:32 ID:8/xJd3bB
>>337
ううん?
三行目のあたまに「中国」って付け忘れたって事がそんなにうれしいか?

韓国人でも意味分かるぞwww←みたいな事言ったらこいつは韓国人と同じ知性って事になるそうです
>>337とかいうこの厨は。ぼくわらっちゃいました。ようちえんじのろんりですか?ばかですか?
ごめんね。つい、さいしょのほうかんじでかいちゃったけど、おうちのひとによんでもらってね


そもそもせんごくじだいに、ちゅうごくやかんこくにぎじゅつおしえてもらったって・・・
しつれいですが、どこのくにのひと?

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 04:27:35 ID:8/xJd3bB
ああ。長安が中国人っていう説あるんだな
つまりお前そういう事言いたいわけか。
でも大久保だぜ?出自もはっきりしてるんだろ?

まぁ>>321が相当頭おかしいのは変わらんが

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 04:30:32 ID:R2eymqSU
>でも大久保だぜ?
だから?

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 04:32:02 ID:R2eymqSU
「大久保姓だから出自がはっきりしている」
「オレは東大卒のエリートと同水準の知性」

342 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 04:34:44 ID:vukx3upL
大久保忠隣の与力になったとき大久保性を名乗ったんだよ。
だからR2eymqSUの言うとおり中国系かもしれんし、
猿楽師の父を持つ日本人かもしれない。

それでいいじゃないか。

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 04:40:52 ID:8/xJd3bB
>>340
大久保って日本にある苗字じゃないか?
それに、本多みたいに徳川家臣に大久保姓の奴多いと思うんだが、そいつらと血縁関係無いのか?
名前が長安とかいう中国っぽいアレだから執拗にそう思われてるだけでは?

344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 04:43:10 ID:R2eymqSU
ひとつ上の発言も読めないのか┐(´д`)┌ヤレヤレ

345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 04:48:43 ID:8/xJd3bB
>>342
そうなんだ。
説明あり

>>344
とりあえずお前が中国系って事は分かった

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 09:22:29 ID:dmxr/MSl
ID:R2eymqSU
ID:8/xJd3bB

無駄に煽り立てる言葉ばかり好むからこうなる。

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 09:46:22 ID:F52VbNXd
大久保長安

http://www.google.com/gwt/n?u=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%25A4%25A7%25E4%25B9%2585%25E4%25BF%259D%25E9%2595%25B7%25E5%25AE%2589&hl=ja&mrestrict=xhtmlchtml&lr=&inlang=ja&client=ms-kddi-jp&q=%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E9%95%B7%E5%AE%89

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 09:47:14 ID:UlLUF1yX
>>346
そうだな。なんか可哀相だなw


349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 09:53:18 ID:F52VbNXd
>>347
一説には中国人もしくは秦氏と書いてある。
でもこれって天海が光秀説とか秀吉が薩摩、もしくは中国出生説みたいなトンデモだろ。

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 11:33:42 ID:fb+fnrUb
トンデモだと言うのなら
水銀を使った金の精錬技術はどこから来たのか

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 12:42:59 ID:F52VbNXd
>>450
大久保長安がポルトガルから導入したと書いてある。(専門的なことは分からん)
http://www.google.com/gwt/n?u=http%3A%2F%2Fwww.kuzuha-tc.jp%2F%7Earchmetal%2Fbangai4.html%3F_gwt_pg%3D0&hl=ja&mrestrict=xhtmlchtml&lr=&inlang=ja&client=ms-kddi-jp&q=%E6%B0%B4%E9%8A%80%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A0%E6%B3%95

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 12:44:41 ID:F52VbNXd
>>450→×

>>350→○

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 12:46:31 ID:F52VbNXd
>>350
ポルトガルじゃなかった南米だ。

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 12:56:15 ID:F52VbNXd
>>350
まあとりあえず西洋からきた。

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 14:56:21 ID:fb+fnrUb
黒川金山が稼動した頃はまだ
南蛮人はやっと九州上陸した頃

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 15:06:09 ID:b+nG8dF+
水銀は輸入品

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 15:31:34 ID:lUP/CN64
なるほど信玄が存命時は金山の採出量が多く、勝頼の時は枯渇していた。その差は大きい。しかし、

ぶっちゃけた話をして、申し訳ないが、

それは信玄が運が良く、勝頼に運がなかっただけ。
だいたい名将たるもの、運を味方に付けられないようでは名将とは言えまい。
信長にしても、秀吉にしても結局のところ、強運の持ち主だった。
勝頼の能力の高さは認めつつも、やはり運を味方につけられなかったので、父より評価が低くなるのは仕方ない。
スターの星に生まれた奴と、そうでない奴がいるだけ。

スレタイは異論ない。ただ滅亡責任は八割信玄、二割勝頼ぐらいかな。

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 15:46:56 ID:BNHxJgG5
それを言ったら信玄もあまり運が良いほうじゃないだろ

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 15:47:43 ID:Lltb30uu
でも水銀を使った方法って奥州藤原氏もやってなかったか?

360 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 16:36:47 ID:T8bEYFtt
丹のつく地名は水銀に関係するというが

361 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 16:39:09 ID:Lltb30uu
ごめん、欧州藤原氏は砂金を取ってたんだよな

362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 18:04:52 ID:F52VbNXd
>>355
黒川金山稼働時と大久保長安は時代的に少しずれてると思うが。

363 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 18:59:23 ID:Lltb30uu
長安が来る前から黒川金山は稼動してたけど
長安が来てからは今まで捨ててた石からも金が取れるという事になったんで
産出量が劇的に増えたんだよな

364 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 12:22:32 ID:JYTAFCMn
戦国武将の姓がずっと変わらんと思ってるやつが戦国板にいることに驚いた
姓は後生大事に守るものだと思ってるやつの方がよほどシナ人や半島人に見えるぞw

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 17:51:42 ID:zBVBWkcJ
もともとは土屋だっけ長安
その前は知らんが

366 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/08/25(金) 21:58:39 ID:m0At5VcE
大蔵じゃないの?

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 23:06:05 ID:s/bL4/4F
>>364
毛利講和の話題といいここは戦国好きの常識が覆されるインターネットですね。

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 13:35:15 ID:7h62aX40
>>364
>>367
光秀と一緒に義昭に仕えてた長岡藤孝ってどこに行っちゃったの?とか
越後の国主として第一次・第二次の川中島の合戦に出たのは「上杉謙信」だとか思ってそうだなw

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 14:07:24 ID:abgFKm1u
335 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/22(火) 03:19:49 ID:8/xJd3bB
はぁ?上から見てレスしてんじゃねーよタコ
知的水準?てめー>>321の文面見て>>324みたいな感想起きるのは当然だろうが
朝鮮から渡ってきた技術者の話してる中、脈絡無く大久保兆案がどうのとか言ってるんだぜ。東大卒のエリートでもそういう感想寄せるぞ
猿以下の文章書く馬鹿が知的水準なんて高尚な言葉使うんじゃねー

339 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/22(火) 04:27:35 ID:8/xJd3bB
ああ。長安が中国人っていう説あるんだな
つまりお前そういう事言いたいわけか。
でも大久保だぜ?出自もはっきりしてるんだろ?

343 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/22(火) 04:40:52 ID:8/xJd3bB
>>340
大久保って日本にある苗字じゃないか?
それに、本多みたいに徳川家臣に大久保姓の奴多いと思うんだが、そいつらと血縁関係無いのか?
名前が長安とかいう中国っぽいアレだから執拗にそう思われてるだけでは?

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 14:38:52 ID:MVTnCScm
そんな事はどうでもいいから、長安が大陸から渡ってきたというのは真実なのか?

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 16:40:16 ID:5Qweh519
この人オランダ人て説もあるみたいだね。
まあ真相はやぶの中だね。

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 16:43:20 ID:0hqu6HdD
>>371
オランダ人だったらもう少し後の時代に来るようになると思う

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 16:51:52 ID:RnEkG8tB
みんな何いってんの?長安はうちの親父なんさ
俺が小さい頃に戦国時代にタイムスリップしたの
かあちゃんが言うから間違いないよ!

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 17:29:27 ID:5Qweh519
>>372
説があると言っただけ。
そもそも出身不明だからいくらでも創作できる。

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 22:27:37 ID:NUSAe+pS
本当に大陸からの人間なら
江戸になってからの大陸との交渉に多少関係していてもおかしくない
普通に日本人だろ。

また大陸から技術を学んだとする程度でも徳川の大陸外交に関与してもおかしくないがその形跡も無い。
南蛮系とは繋がりがあるような噂があったというから知識技術は西洋人から学んだかもしれない。
技術などの点も基本的に大陸とは無関係と考える方が自然じゃないか。

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 23:15:58 ID:Gp7vyU8p
実はムー大陸の生き残り

377 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/08/27(日) 23:17:39 ID:zI5Of/a8
トンデモ歴史編纂室な流れっすか。

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 23:25:39 ID:5Qweh519
大久保長安自身秦氏の末を名乗ったから多分それが一人歩きして大陸系という話しになったと思う。

379 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/08/27(日) 23:28:35 ID:zI5Of/a8
大蔵氏なら秦姓でも無理はないよ。

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 00:41:40 ID:SYlN0D+i
>>375
秀吉の時代にスペインの無敵艦隊が敗れて
アジアの制海権はスペイン・ポルトガルからイギリス・オランダに移ったんだよ
その点を考慮に入れてそのキチガイ発言なのか?
家康のそば近くにはイギリス人やオランダ人が仕えていたわけだが

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 00:42:13 ID:lNR+KddL
>>369
私怨乙

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 02:12:58 ID:BSdbzqA+
>>375じゃないけど>>375のどこがキチガイ発言なのか教えてくれ>>380

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 09:58:15 ID:S2EI1mvM
中国やら朝鮮の話が出てくるだけでファビョるやつ増えてるからな。

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 11:34:45 ID:BSdbzqA+
>>380
なんだつまりイギリス人やオランダ人が家康のそば近くにいるから大久保長安は中国人に違いないニダ。
明の外交に欧州が左右する程の力なんて当時はない19世紀の欧州と勘違いしてないか?
キチガイ発言はお前だよ鮮人スレ汚すな。

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 14:14:35 ID:eg6p2lqq
お前ら一応文系なら他人にわかりやすい文章と礼儀作法を勉強しろ。

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 14:36:56 ID:TyaJXtsT
>382
あまりにも基礎知識がなさすぎ
キチガイのために、なんでいちいち
無敵艦隊の話から書き始めなきゃならんのか
さらに両国の宗教やイデオロギーの違いまで書かないと
自分の発言がキチガイ発言である事に気がつかないのか


387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 14:52:32 ID:lNR+KddL
>>321
>>334
>>337
>>340
>>341
>>344
>>380

ホロン部さらし

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 16:24:52 ID:TyaJXtsT
キチガイは
追い詰められると
すぐ荒らす

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 17:27:21 ID:ARikdSgY
下の句>>388
そして論敵
チョン扱いに

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 17:54:23 ID:lNR+KddL
もしかして在日のシナ人はホロン部って言わない?

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 18:37:40 ID:+RQUYCQF
そんなことはどうでもいい

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 18:47:14 ID:xQtnz3+e
ホロン部だのなんだのツマンネ


393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 19:15:49 ID:8SBECYNW
家康についてたイギリス人のブレーン
名前なんだったっけ?
ブライアンなんとか・・・なんだっけ?

オランダ人のブレーンのほうはヤン・ヨーステン
こいつが住んでた町は「ヤン・ヨーステン」からナマって
「八重洲」という名前が付けられてる

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 22:23:12 ID:JfhzHrOQ
ウィリアム・アダムス(三浦按針)

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 22:24:19 ID:8SBECYNW
そうだそうだ、すまんかった
ブライアン・アダムスと間違えてた

396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 22:28:54 ID:EM2lVgFd
クラッシュ・デモリッションなんかと間違うなよw

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 23:03:31 ID:xQtnz3+e
遠い国からきたんやろ?大変だよなあ。
布教かな?なんでずっと住み着いたんだろ。

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 23:29:15 ID:E5FcZRHj
確か商船か何かのはず。
イエズス会とは不仲。

外国との折衝役として、また航海術のエキスパートとして、
当時の日本では得難い非常に貴重な人材だったので幕府が手放したがらなかった。
八重洲はどうかしらないけど、三浦按針は帰国を許される。
しかし人間関係のいざこざから日本に残る。

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 01:35:25 ID:+JQVs3EV
>>396
395が言ってるのはロックシンガーの方ではw

関係ないが俺はどっちのサインも持ってる

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 23:30:43 ID:zGm43gpv
>>398
イエズス会はカソリック
イングランドとオランダは反カソリック

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 00:02:49 ID:zltqoIkK
微妙。
義重だけ目立ってる感じ。

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 04:13:20 ID:oXFYqovq
信長 「応仁の乱より100年
    荘園已死 すなわち室町幕府はすでに崩壊したと
    天下万民たれもがそう受け止めている
    だが

    世が変わるということは単に為政者が変わるということか!
    将軍の座が入れ替わるということだけか!
    そんなものは真の変革とはなんの関係もないぞ!!

    この一年の戦いで武田軍なるものが充分にわかった
    鉄砲衆よ 陣笠の子らよ

    天下が本質的に変わることを求めぬ者どもに
    お前たちの心火をたたきつけろ!!」

信長 (変革の申し子たちよ!お前たちの激情はこの信長の激情とともにあるぞ!)

403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 09:29:26 ID:9u5BPMIq
武田スレで何をやっとるかボケ

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 15:19:50 ID:kArciufF
もうスレタイのとおりの結論が出ちゃってるから

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 02:34:38 ID:HTddoHN5
>>399
うらやましいw

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 00:32:09 ID:/gMTCxpe
 勝頼は、あくまでも、陣代なだけであって、本当の後継者は、信勝なんだろ?

 勝頼が武田を継には、勉強不足だったというか、信玄の手元に置いてなかったのが痛かったのでは?
 諏訪の押さえとして、諏訪四朗となのってたしな、初めは・・


 信玄が信虎を追放しなければ、もっと早く武田家は滅亡してたんじゃない?
そもそも、川中島や三国同盟破棄が痛かった。


 義信の代わりを育成していれば滅亡はなかったかと。

407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 00:32:49 ID:/gMTCxpe
 正確には、武田家は滅亡してないからな。高家として残ったし。

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 14:46:55 ID:NEseVCKw
>>406
句読点は正しく使いましょう

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 19:38:58 ID:NEseVCKw
>>407
滅亡の意味を勉強し直せ

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 22:43:55 ID:jWT3tGrh
滅亡の滅とは「精一杯、生き残ろうと戦った上で性も根も尽き果てた状態」のこと

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 00:58:42 ID:SG9XzEl3
平氏は生き残ってるけど平家は滅亡してるのと同じ事だよ

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 05:39:08 ID:QQicupVS
このスレ面白いレスも多いが>>48みたいな馬鹿も多いよな

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 06:26:32 ID:ubIpKyX6
レスやスレ内容を読まずにカキコムからそうなんだろうが

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 22:44:24 ID:z2CslYDG
高家武田家は甲斐武田氏の名跡を継いでいた信玄の系統の正統として幕府から認められてるから
名跡を継ぐものがいなくなった伊勢平家の滅亡とは違うと思うのだが・・・

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 00:20:31 ID:yffr2aSC
そんなものは屁理屈にすぎん

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 20:34:34 ID:qUQIkY0k
武田勝頼が死なせた武将達


秋山信友、秋山光継、朝比奈信直、安倍勝宝、安部宗貞、跡部勝資、安中景繁、甘利信康、
雨宮家次、飯尾助友、依田信守、依田春賢、一条信竜、一条信就、今福昌和、今福丹後守、海野信親、
大熊友秀、大嶋長利、小原忠継、小原 広勝、小原下総守、小幡昌盛、小幡憲重、小山田昌行、小山田信茂、
小山田大学、鎌原之綱、金丸定光、川窪信実、葛山信貞、笠井満秀、小宮山友晴、高坂昌澄、高坂昌元、
五味高重、座光寺貞房、三枝守友、真田信綱、真田昌輝、諏方頼豊、常田春清、武田信堯、
武田信友、武田信綱、武田信勝、武田信実、武田信貞、武田竜宝、武田信豊、長坂光堅、土屋昌恒、土屋昌続、
内藤昌豊、内藤昌秀、名和宗安、馬場信春、馬場少輔、原昌胤、日向是吉、室賀信俊、望月義勝、
望月重氏、望月信永、望月信雅、横田綱松、横田康景、米倉重継、湯本善太夫、湯本九右衛門、祢津是広、
名和宗安、仁科盛信、山県昌景、山県昌満、和田業繁、


信玄のせいにするのは強引だと思われ

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 20:54:33 ID:KxYoW8cz
すげーデタラメw

418 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/09/07(木) 22:01:59 ID:J0EFO7KZ
和田業繁って上野の?

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 07:46:31 ID:mV9wpuv2
というより信玄が作った状況は信玄にしか収束出来なかった。
収束したところで武田の成長は限界だったから
どう転ぶかわからんけどね。
仮に勝頼が信玄より全ての能力で上回ってても
あの状況は勝頼には無理。


420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 19:29:16 ID:XQtFBZzR
むしろ信玄が10年長く生きてたら勝頼以上に無様な滅び方をしていた気がする

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 00:23:14 ID:vdHcadkC
信玄が生きてたら本願寺がもう少し粘ってるはず

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 01:20:59 ID:DYzq+VMS
いや、信玄上洛時(上洛目的だとして)の状況なら
織田もかなり苦しかったぞ。
信玄死んでから一気に問題を解決して武田を突き放したんだし。
勝頼も領土は拡大してたんだが。

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 05:18:36 ID:QWcRnsFc
信玄死んで軍事行動中止して引揚てるわけだから
信玄が死ななければ、予定通りの軍事行動続けられたんじゃないの?
上洛はありえないとは思うけど松平領をもうちょっと引っ掻き回せたんじゃないかな

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 06:55:08 ID:Pel65i+Y
信玄は上洛目的だったよ
信長は岐阜で待ち構えて決戦に挑もうとしてたんだよ
だから信玄の出陣の知らせを聞いて京都から岐阜城に帰った
しかも武田にはキツい長期戦を岐阜でやろうとしたはずだ
だから徳川領を素通りさせるために徳川には「武田に構うな」と厳命したはず
信長の構想では岐阜で決戦、武田の背後を無傷の徳川に襲わせるか
岐阜で負けた武田軍を徳川に追撃させるか。そういう作戦だったとおもうよ
信玄があのタイミングで死ななかったら武田は長篠を待たずにここで壊滅的な打撃を受けてるはず


425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 07:29:18 ID:DYzq+VMS

ゲームのやり過ぎ

426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 08:10:44 ID:d4TWL+eM
>>417
池沼乙

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 08:32:04 ID:Et+1cer2
信長の野望の世界で物を語らないで下さいw

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 12:27:59 ID:cPzIhgdS
>>424
慎重な信玄が勝算の無いことやるはずねえだろバ-カ

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 16:37:18 ID:fnak5Ffk
>>424
“〜はず”って最後につけてもな、それはお前が信長の野望でつけた知識からの憶測なんだよw

お前のレスに根拠提示されていないし・・・あ、根拠は信長の野望ですか?w

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 16:41:13 ID:3LkiIEnk
>>424 の人気にシット

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 17:35:36 ID:Tza96F2D
史実を「信長の野望」と切り捨てるこのスレの住人のレベルってw

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 17:58:59 ID:cPzIhgdS
>ここで壊滅的な打撃を受けてるはず

これ激しくワロタw
テメ-のいうとおり本当に壊滅するんだったら、
自分からわざわざ軍事行動起こして危地に飛び込むバカがいるはずねだろw
ましてや戦国屈指の智将の信玄がw

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 18:06:54 ID:SaYegB24
バロス。
戦国屈指の池沼

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 18:23:47 ID:0mOwKdGE
史実を「信長の野望」と切り捨てるこのスレの住人のレベルってw

435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 18:24:47 ID:fPIf1Q1L
真田昌幸がすきだ

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 19:36:42 ID:QVHttQLE
ID:Pel65i+Yの読みの深さは信玄以上なのか、凄いな、是非タイムスリップして
武田家を救っていただきたい

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 20:02:28 ID:qElpL0VV
「信長の野望」に幻想抱きすぎ。
424みたいな広域的な戦略なんか、全然無いよ。
ただひたすら開墾開墾やって、国力が増えたら隣の城を攻めるだけのゲーム。
長期戦なんて考え自体無いし。

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 21:15:14 ID:0mOwKdGE
>自分からわざわざ軍事行動起こして危地に飛び込むバカがいるはずねだろw
>ましてや戦国屈指の智将の信玄がw
これこそ信長の野望の制作会社のような史観だな

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 21:23:07 ID:mmH2i/mq
>>437に全面的に同意。信長の野望に広域的な戦略なんてない。
ただし>>424を擁護するつもりはそれ以上にない。
ていうか信長が岐阜に大軍で篭ったら信玄は尾張から伊勢路で上洛すると思う。

440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 21:39:23 ID:0mOwKdGE
陸路で尾張から伊勢は厳しいのではないかと

441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 22:25:48 ID:jB+oj+st
信玄の上洛ってのは、義昭の織田包囲網の一環なんだよ。
織田包囲網がなければ、信玄が上洛したって三方ヶ原で織田・徳川連合軍に
惨敗してるよ。
つまり、信玄は将棋でいえば飛車であって、王将ではないんだよ。
だから、飛車は飛車として、信玄が死んでも勝頼指揮のもとに上洛続ければ
よかったんだよ。もしくは、「もう飛車はできません、香車でおねがしまつ」
とでもいって、さっさと甲斐の引きこもるとかな。
それすらしないで、八3竜でアロンアルファに将棋板にくっつけられたように
動かなくなっちゃったもんだから、織田包囲網が完全に崩壊してしまった。
もう、戦略感覚が全然ないとしか思えないんだよね>信玄

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 22:45:46 ID:mmH2i/mq
そうなのか?
あの辺りの地理は詳しくないんだ。
ただ、伊勢には家格を気にする北畠旧臣が多いことや、信長に頑強に抵抗し武田と親しい一向宗勢力の長島願証寺が存在し補給を受け拠点にもできるだろうこと。
織田家臣では伊勢で最大の滝川一益も三方ヶ原から戻ってすぐに戦の準備を整えられると思えない。
それから、アンチ信長勢力の多い伊賀が近いこと、やはり本願寺友好勢力の雑賀衆のいる紀伊が近いこと、織田・徳川に挟撃されないこと、以上の六点から伊勢路を使うと予想したんだが・・・。

ゴメン。地形的なことも考えてなかったし、九鬼水軍の存在も考えてなくて詰めがなってなかったよ。素直に謝らせてくれ。

そして今更だがこれってスレ違いだよな。
消えるよ。スマソ。

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 22:47:11 ID:mmH2i/mq
安価忘れた。
>>440な。

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 22:50:59 ID:Z87bduV7
勝頼のころには織田家と比べると国力の差はかなり差ができて
なおかつ金山の産出量も減ってきていたのが痛かった
あと「信」の字をもらえなかったとかいろいろあるけど・・・

勝頼が何か策を提案しても「亡き御館様の頃には・・・」とかって反論されたんだろうな

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 23:51:10 ID:0mOwKdGE
東海道五十三次でも尾張と伊勢は船で移動するようになってる
大きな川が集中してるから船で伊勢湾に出たほうが早いんだとか

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 00:38:55 ID:vz0ZHFPK
バカがいるな、二人ほどいる

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 00:46:56 ID:T7QKas7A
勝頼は運も悪かったと思うが、信玄のせいばかりにするのはどうか。
織田家も結局信長の代に傾いたし、豊臣家なんてまさに秀吉の溺愛ぶりが秀頼の代
での滅亡の遠因になった。上杉謙信だって後継ぎの景勝に気骨があって家老の直江
兼続がやり手だったからよかったものの、後継者も決めずに死んで内戦招いたんだから
実は一番立が悪い。タヌキ親父家康くらいだろ、後継者育成で胸を張れるのは。

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 00:50:30 ID:AmNZoxLv
>>444
武田家って、義信が歿してから勝頼が甲府に来るまでの約4年間は形式上に
しても後嗣が不在なんよね
いちおう信勝は永禄十年に生まれてるけど

形式上は陣代だし、武田の旗も使わせないで大一文字の旗に限定させたし、
信玄死後の発給文書にしても信玄の花押が入ったモノが既に数百枚だったか
用意されてるし

所詮最後まで諏訪勝頼でしかなってい認識が家中でも濃厚だったろうし

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 01:19:01 ID:M93QnU/z
>>447
他家を引き合いに出しても
武田家が滅んだ原因のほとんどを信玄が作った事には変わりない

450 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 03:14:31 ID:9s0cu97f
>>441
途中までは面白かったが「戦略眼が全然無い」あたりから
単なるアホになってる。
ゲームの駒じゃないんだからそんな簡単にいくわけないだろと。
個々の状況を無視した戦略ってのは馬鹿にありがちな空論だよ。

451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 05:29:43 ID:M93QnU/z
>>424の人格を必死に否定する発言ばかりで
>>424の意見に対する具体的な反論が全く出ないわけですが

452 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 06:18:31 ID:JWXH2gea
>>438
何故そう思うんだ?理由を述べよ

453 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 07:02:34 ID:9s0cu97f
だって>>424はアホ過ぎるもん。軍をゲームのコマの矢印かなんかだと思ってる。
だから信玄軍(CPU操作)のユニットは家康(プレイヤー)を無視して通過
完全に無傷の徳川軍は、信長軍と決戦中の武田軍の背後から襲いかかり
信玄(CPU)はそんな事態は夢にも想像してないから
背後からあっさり壊滅、なんて馬鹿な断言が出来ちゃうんだよ。
配下の離脱やら三河地方の豪族の情勢やら
他にもゲームには登場しない要素は全く考えて無い。
部下なんて金あげれば簡単に忠誠度100になると思ってる。
人格否定ではなく脳みそを否定されてると知るべき。

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 08:07:02 ID://40uG+P
反論するまでもないじゃん

反論して欲しいならちゃんと調べてから書いたら?

信長の野望脳で書き込むな、カス

455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 11:03:12 ID:vz0ZHFPK
戦国無双脳で書き込まないだけマシと思え

456 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 12:25:43 ID://40uG+P
>>455
そんな奴いんの?

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 13:25:03 ID:e5AQ1c6j
>>424の人格を必死に否定する発言ばかりで
>>424の意見に対する具体的な反論が全く出ないわけですが


458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 14:28:16 ID:RObKqWiL
>>450
だって、信玄って自国の周辺のことしか見えてないじゃない。
せめて日本半分を見渡した戦略なんて全然立てられて無いぞ。
上洛するのに上杉とも和睦せず、徳川の懐柔もせず、北条を動かしもしない。
上洛途中で病気になったら、進むでもなく退くでもなく、そのまま動かなく
なる。
義昭が織田包囲網をつくってくれなかったら、上洛なんて全然できなかった
わけだし。
所詮は、大戦略を立てられない田舎大名の域をでないだろ。


459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 14:53:59 ID:fTVXx4Cq
信玄西上作戦の公式な目的は「上洛」と「信長征伐」なのよね
将軍や本願寺に求められて悪の信長を討つという
大義名分をちゃんと作って出陣してる
だから領土欲しさの私闘ではないのよね、少なくとも表面上はね

460 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 15:04:21 ID:6TqsilRI
>>458
戦略に疑問は同様に感じるけど、日本半分を見渡す、と言う部分に>>450はゲーム云々を
言っているんだと思うんだけどな。

461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 16:17:12 ID:RObKqWiL
>>460
そうはいうけど、上洛作戦規模の作戦だったら、そのくらいの視野がないと
だめだろ。実際、信長や義昭はそのくらいの規模で戦略練っているわけだし。


462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 17:10:51 ID:LePD/kWR
424はどうかしらんが
俺は「信長の野望」なんてやった事もないのにゲーム脳呼ばわりされたことは
あるな

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 17:20:30 ID:6TqsilRI
>>461
だから、それはお前の言うように田舎大名の域を出ないからだろ?
大体、日本半分を視野に入れた大規模作戦を立てて実行なんて当時の情報伝達レベルで
出来るもんなのか?しかも武田家の領土のような田舎に居て。

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 17:31:23 ID:RObKqWiL
>>463
なんだかわからんが。
信玄に戦略能力がないって言ったら、アホだとか言い出すから反論しただけ
だが。田舎者でハンデがあろうが、地方的な視野でしか戦略しか立てられな
いって事実は変わらんだろうが。
それに、田舎って言えば尾張だってけっこう田舎だが、信長は最初から大きな
視野で戦略を練っているが。

ようするに、義昭の戦略のコマとして上洛しようとしたが、所詮は地方大名の
能力しかなく、天下をどうこうってレベルじゃないってこと。


465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 18:03:24 ID:YYeaEbFg
また話がずれてる…。

ID:RObKqWiLの叩かれてるポイントは現実的に考えてありえないこと
(上空俯瞰したような戦術や各勢力に対する戦略外交視点の欠如など)
を根拠に戦略論を展開してるからで、別に結論自体は普通。

結論に至る過程がおかしいと言われている。

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 18:50:46 ID:RObKqWiL
>>465
ありえない理由を示さないで、叩かれてもねえ。
進攻路に当たる大名の懐柔や、留守にする本国の周辺と和睦するなんて、
ごく普通のことだろうに。実際、信長は上洛に当たって、徳川・浅井を
同盟に持ち込んで、武田に対しては徹底した媚態外交で邪魔させなかっ
た。同時代でやっているやつもいるんだから、なんで現実的にできない
という結論になるだか。


467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 02:05:29 ID:HGET73Ky
信繁って村上義清に討ち取られたんだっけ?

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 02:13:21 ID:b24kN/Vu
>>467
検索しろ

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 09:04:13 ID:f0bIhSM9
よくわからんけどID:RObKqWiLの言う「大戦略」って
日本地図見て「織田の周辺国全部を織田にぶつければ織田に対抗可能じゃん」って話?
そんなの後世の人間が地図見れば誰でもわかると思う…。
そんなのを大戦略とか言われても。
あと武田は上洛時に北条と同盟結んで援軍出させてるよ。

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 17:27:58 ID:GO62kaTX
隣国しか見えてないのが普通と言うが、
遠交近攻策って、古代からなかったっけ?孫子だっけ?

織田の1つ向こうはもう毛利だし、そういう視野を持てって話じゃない?
今川を攻めて、北条と上杉の両方を敵に回したりするぐらい大局的戦略が無いから
かなりの近視眼である事は決して否定できないが。

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 17:51:17 ID:f0bIhSM9
まー戦国の世であれだけ弱体化した今川との盟約に北条が固持するなんて
思わないような気がしなくもないな。
しかも結果的に駿河併合して北条と同盟してるし。

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 22:20:38 ID:M9OvzKBH
>>470
遠交近攻を提唱したのは秦の范雎

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 22:45:03 ID:GJXW5zuA
信長包囲網にしても義昭を中心に周辺の駒が動いてただけなので
「信長包囲網」という観点で見ると信玄は義昭の駒の一つなのよね。
決して信玄目線の作戦ではないのよね。

その包囲網にしてもきちんと団結して行動してたわけじゃなくて
自分達の利益のために動いてただけだから上手く機能してなかったのよね。

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 22:58:24 ID:cYuez/qA
>>469
なんか、戦略を理解してないんじゃない?
織田の周辺大名をぶつけるのは、すでに義昭がやっているでしょう。
本願寺、浅井、朝倉、武田と包囲網が構成されている。
完全包囲はできてないが、将軍の権威と織田への警戒心を刺激する
ことでちゃんと形はできているよ。
戦略っていうのは、こういうのをいうわけだけど。
で、その義昭の戦略の一環として、信玄は上洛作戦やったんだけどね。
周辺への配慮がほとんど有効になってないでしょ。
特に、後方を脅かす上杉とも停戦してないし、最初に当たる徳川に
は懐柔した形跡すらない。ここら辺、地方レベルでの外交なんだけど
ね。それすら満足にできてないわけで。

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:00:02 ID:ysDHs4+m
徳川はそんなことしなくても踏み潰せると思ったんじゃない?
上杉はよくわからんが

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:02:08 ID:cYuez/qA
>>475
踏み潰すより、味方にした方がはるかにいいでしょう。
鎧袖一触で粉砕しても、主力が上洛したら、後方で蠢動するんだから。
上杉だって、冬の間は出てこないだろうけど、春になったら出てくるん
だし。半年でケリがつくと思ってたんかね。

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:35:15 ID:Yuuu6Kff
でもな、長篠と同じ1574年、勝頼は3万ほどの兵で美濃を攻めて
苗木城ほか、東美濃の諸城を落としている。
最後に、明智城攻めだが、このときは信長から3万ほどの援軍が来たが
そのまま明智城も落としている。(土岐市史

しかし、次の年、1575では一万五千。
上杉が動いたんだろうけど、こんなことなら
1574で明智城攻略した後、互角の兵で決戦しておけばよかったのにな。

この辺りの戦は有名じゃないけど、勝頼も十分勝機があったといえる。
結局、信長の成長の方が早すぎて、信玄だろうが滅ぼされたとおもうよ。



478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:37:09 ID:Yuuu6Kff
上の間違いだ。
1行目、ながしのの前年、だな。

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:44:42 ID:Yuuu6Kff
と、書いてて思ったが

ひょっとしてこの長篠の前年の東美濃攻略戦で
信長軍の援軍が無抵抗だったから、弱いという印象になり
次の年、少ない軍で行軍したのかもしれんね。
信長からみると、少ない相手に対しての固い陣地建設も納得いく。


480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 02:46:12 ID:QLZSGOTf
>>474
少なくとも上杉の後方は常に攪乱してる。北条とは同盟してる。
徳川は実際に一戦して粉砕してる。
それから三河調略をどうする予定だったかは不明だが
家康を完全に放置して岐阜までノコノコ進軍して
背後つかれるなんて考える方が無理があるな。
信玄はお前や俺らが考える程度の事は理解してただろうよ。
ただ武田には武田の事情があり、完全な義昭の駒になるのは不可能。
それは朝倉にも言える。

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 03:06:46 ID:RWrKbedC
つうか、そんなに食料を持参していたのか?
補給線が延びれば延びる程危険なのは分かっていただろうし、
時期は冬だから現地調達も出来ないわけだろ?

482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 03:17:47 ID:LjJC7X9/
「そんなに」とは?

483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 10:37:27 ID:WXnj1ul+
>>480
それじゃあ、本当に短期間の作戦しかできないだろうに。
せいぜいもって半年、一年以上の作戦継続なんて不可能だぞ。
北条だって、武田主力が遠くに行ってしまっている状態で、上杉を
抑え続けるほど武田に義理があるわけでもない。
それに、徳川だって一戦して粉砕できた(っつもしっかり家康は生
き残っているが)のは、出てきたくれたからで、浜松無視して上洛
しようとしてたろうに。
なんつうか、信玄の上洛作戦って、行って帰ってくるだけか?
それとも、織田と主力決戦やって、「勝った勝った」で甲斐に戻る気か?
だいたい、義昭のコマにゃならんというが、あの状況で義昭のコマとし
て織田を潰す以外にいったいどういう戦略目的があるんだよ。徳川領を
併呑しようとするんならまだわかるが、その意図もなさそうだし。

484 ::2006/09/13(水) 11:24:29 ID:yw+0gX+/
1574年の美濃侵攻では、東濃18城を攻略したそうだ。
ただその間に信長は、上京したり本願寺攻めの準備をしたりして、いまいち正面から戦おうとしていない。信長の頭には既にこの時、対武田戦=設楽原の構図があったのかもしれないな。

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 12:22:40 ID:QLZSGOTf
>>483
他スレで似たような議論されてて、そこでは
信玄の目的が上洛だったのか、三河遠江併合なのか
それすらわからんから結局は答えが出てなかったな。
三河併合なら家康を放置したのも正しいわけだし。
俺は信玄が10年長く生きているよりも3年早く西上した方が
色々な可能性は変化したように思ってるが、実際はわからんよな。

486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 14:28:58 ID:RWrKbedC
最終目標は分からないが、とりあえず三州なり遠州に楔を打ち込んで、
家康と信長の動きを止める事が当座の目的だったんじゃないの?
一気に上洛は無理でしょ、どちらにしても。

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 14:52:50 ID:WXnj1ul+
>>486
どうなんだろうなぁ。
どっちにしても、戦略目的がはっきりわからない作戦ってのは、たいてい
ろくなもんじゃないが…

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 15:03:59 ID:QLZSGOTf
問題なのは三方が原以降、健康上の理由で
作戦を実行出来なかった可能性がある事だよね。
仮に健康な状態で三方が原以降、モタモタしてたなら
そりゃろくでもない作戦なんだけど。


489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 15:29:46 ID:Qz3zEtnA
>>474
徳川の懐柔は難しいでしょ
第1駿河攻めで裏切っておいて信用されるのか?
また信用できるのか、見方にして美濃を攻めたとして徳川に裏切られたら戦線が非常に長くなる

>>477
明智城攻めはまだ一月二月で信越国境越えは難しいかも
ついでに上杉はようやく越中を落ちつかせたばかりだからかも

>>484
信長にとってはさして重要でない地域を固守して兵力と時間を浪費する気は無いってとこでは


490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 15:40:43 ID:/zMRyusZ
信玄の行軍の動きだけしか見てないから
「上洛か領土拡大戦か分からん」とか平気で言えるんだよ。

信玄が出陣した大義名分は「幕府再興」「信長征伐」であって
将軍や本願寺の再三の要請を受けての出陣だ。
その事は対外的にも広めているので信長も家康も「信玄が上洛を始めた」と思い込んでいる。
その証拠に信長は信玄出陣の知らせを受けて京から岐阜へ戻り信玄を待ち受ける準備をしているが
これが単なる領土拡大戦であれば放置しても構わなかったはずだ。
家康も上洛の途中で自分の領国を素通りされると思ったから城を出て野戦をした。

だが現実には武田の兵力や兵糧の量からすると独力での上洛は難しい。
行軍の途中で本願寺などから補給を受けるような手はずが整っていれば別だが
本願寺は本願寺で織田と戦っているわけだから普通に考えると無理。
上洛しても各地に分散している織田軍が集結するような事になればおしまいだ。

それらを総合すると、
信玄は将軍や本願寺への対面を保つために上洛に見せかけて出陣し、
徳川領を攻略しつつ、最終的には信長軍と対峙して適当な所で和睦、
というストーリーを描いていたのではないか。

491 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 15:44:17 ID:WXnj1ul+
>>490
いや、そうだとすると…ダメダメじゃん

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 15:48:55 ID:QLZSGOTf
死期が見えて焦ってたようにも見えるがね。
本当に上洛なら信玄らしからぬ無謀さだし。

493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 15:51:39 ID:WXnj1ul+
>>492
どうみても兵站線が持たないんだよねぇ。
唯一は、尾張の港のどっかを占領して北条水軍に輸送してもらうくらい
なんだけど。

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 15:52:22 ID:Qz3zEtnA
>>490
>その証拠に信長は信玄出陣の知らせを受けて京から岐阜へ戻り信玄を待ち受ける準備をしているが
こんな事実ある?
9月には横山に戻ったみたいだけど

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 18:18:30 ID:RWrKbedC
>>490
え?駿府からと信濃から侵攻して、更には美濃にも侵攻しているような
大規模作戦なのに見せ掛けの義理出陣だったのか?

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 22:25:40 ID:wX18s43i
>>493
武田の鬼のような略奪を舐めるなボケ!

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 22:33:07 ID:56r4lMvQ
>>495
そうじゃなくて、上洛に託けて織田領土を侵食するのが目的って事じゃないの?

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 21:43:07 ID:1q89PuDt
進軍地での略奪は武田の得意技だもんな!

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 23:11:20 ID:PdS6aXAX
信濃で繰り広げたように村を潰せば大量の食料が手に入る!ましてや信濃攻略時とは比べ物にならない程の大軍だ!
略奪で得られる量も半端ではない!!!!
まず、村人を全て狩れば村人が暮らしていくための大量の食料が手に入る!これで1月は十分持つだろう!
女はいつものように女郎屋に売れば大金が手に入る!これで半年分の食料は手に入るだろう!
子供は愛玩具として信玄公に献上するもよし!奴隷として売ればこれまた大量の金や食料にできるだろう!
老人はいつものように黒川金山に連行すれば労働力として国力を高める事ができる!いざという時は非常食だ!これも貴重な食料になるだろう!

孫子の兵法の基本は敵地で略奪!補給?ハァ?何言ってるんですかお前等wwwwwwwwwwwww
織田厨は馬鹿ばっかりですなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww



500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 00:06:44 ID:YlGzsFbf
お前が馬鹿にしか見えんが。

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 01:31:33 ID:n31scOGX
100%釣りだろ。

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 04:41:41 ID:YlGzsFbf
釣りにしてもレベルの低い気がするが・・・

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 04:49:09 ID:UkS8RKS2
>>502
バカの釣りだから、それは仕方ない

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 11:09:28 ID:FA2CxOw6
別に釣りじゃないとオモ

505 :$‥(゚∀゚)$:2006/09/17(日) 14:39:27 ID:C6W1BT49
武田徳川の今川領分割の密約は、武田が裏切った事になっている。

しかし、だ。家康は掛川城開城交渉の際「武田から駿河を奪収したら氏真を駿府に帰還させる」との条件を提示している。
既にこの時点で密約を破る気満々。


506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 17:03:42 ID:Dff0/5Ge
>>505
だってそれ以前に秋山山県が徳川を攻撃してるし

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 22:36:54 ID:X3CJAYbW
家康だって武田との同盟が今川領を平らげるまでの一時的な物である
事くらい百も承知だったろ
そうでなければバカだよw

508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 07:17:08 ID:FQeNUlvq
北条はまだしも徳川は潜在的には絶対に敵だからな

509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 07:47:12 ID:JGPszQO7
むしろ織田・徳川・武田の新三国同盟を締結すればよかったんじゃないかと

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 11:13:44 ID:onUsGB4u
武田織田との同盟が生きていれば家康から積極的に武田を裏切ることも無かっただろうに
上杉と結んだ今川を滅ぼして後方を安定させ北条と共に上杉と戦えば良かったのに

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 14:20:41 ID:FQeNUlvq
上杉と戦ってたらいつまでも上洛不可能

512 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 15:46:20 ID:PSkRjR+N
今川の旧領を全部取ったらその分の国力だけで上洛、
武田の旧領分で上杉にあたる。
その際の戦線は川中島ではなく
国境から春日山城の間とする。

513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 16:27:21 ID:bXVWeYcm
どっちとも戦線が破綻するんじゃね?

514 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 21:06:09 ID:hJ38yn9l
信玄じゃ今川の旧領を取るなんて無理、できたのなら史実でやってる

515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 21:29:38 ID:b/72rjT4
俺もどっちかというと、勝頼に全責任があるわけじゃない派なんだけど
長篠直前の、信長と勝頼がそれぞれ後方の配下武将に宛てた手紙みると
ヤパーリ勝頼じゃ信長の相手はムリぽな気分です


勝頼の手紙
もうね、大チャンスですよ。家康(笑)ボコボコにしてたら信長(笑)が
援軍に来たんだけど、もう明らかにビビッてるわけですよw
援軍に来たヤツが後ろの方で縮こまっててどうすんのよw
アレじゃ戦争なんてできないよ。「兵力の差が、戦力の決定的要因でない事を…教えてやる!」な感じw?
ここは一発キツいのをカマして、もう二度と俺らの邪魔しに来れない様にしとくべき。ボコボコにしますよw
じゃ、酒でも用意して待っててね〜


同日付の信長の手紙(ちなみに細川藤孝宛)
補給乙。全て計画通りですよw
勝頼(笑)は俺らがビビりまくってると完全に思い込んでます。
今にも突撃してきそうですwこっちはエネルギー充填200%の波動砲並べて
待ってますんで、もう完膚なきまでにたたきのめすでしゅ〜な感じw
ま、朗報を待ってろってこった。そっちでも何かあったらすぐ連絡しる

516 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 21:31:45 ID:3OXow7RP
なんでみんなそんなに信玄叩きたいの?
マイノリティが好きなの?

517 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 21:41:02 ID:GYZstAve
>>515
もうちょっと他に意訳の仕方はないのかw

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 22:35:07 ID:lrQwov0l
信長にぼこられた武田
秀吉と互角以上に戦い信長を引きずり出すところまで行った毛利

やはり、毛利輝元>>>>>武田信玄だな

519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 22:37:18 ID:kGvtQymq
>>518
互角以上じゃないから備中まで攻め込まれているんじゃないのか?

520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 22:38:49 ID:TntO16PJ
>>519
秀吉は毛利本体と戦ったか?

521 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 22:43:42 ID:lrQwov0l
>>520
吉川元春にビビッて逃走しました。

522 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 22:53:56 ID:rvsSepeW
>>520
結果的に毛利の支配権を乱され外様に裏切られどう考えても
あのまま戦が続いてたら毛利家の存続すら危うかったのに
互 角 以 上 !?

確かに途中織田家臣団を諜略したり外様の別所氏が勇戦したり
したが、それで「互角以上」なんて評価は先の大戦において日本
は米国と互角以上に渡り合った、というようなもんだ。

523 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 23:11:27 ID:hJ38yn9l
毛利が戦ってた織田軍なんて枝葉に過ぎない、信長本人が出張れば武田と同じ目にあってただろう。
つまり当時の織田にとって毛利なんて秀吉の一軍団だけで充分な相手だったわけだ

524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 23:16:37 ID:lrQwov0l
備中高松に行って毛利本体と合戦してたら信長の首は討ち取られていただろうな
支柱を失った織田家は一気に崩壊か

525 ::2006/09/21(木) 23:44:55 ID:22vqIDhu
備中高松城落城の折の講和条件は、毛利所領を大幅に織田に割譲するという内容だったはずだが……
どう見ても、互角な戦いじゃないだろ。
秀吉陣営には「毛利勢が5、6万出陣してくる」て情報になってたらしいので、信長に決戦を促したんだろ?
実際の戦局不利の援軍要請じゃないだろ。

526 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 23:50:56 ID:TntO16PJ
賢いから適当に講和したのさ。
ガチでやれば羽柴などでは勝てない。
>>521>>525
ソースはどこ

527 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 23:55:48 ID:lrQwov0l
>>526
ttp://www.melma.com/backnumber_118551_459398/

528 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 00:32:28 ID:R5dO9M7Z
賢いから講和したってのは正しいな。
ただ信長存命の場合、果たしてどうなったのやら。

529 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 00:51:52 ID:+w9JbL5a
対織田戦に全力を向けることができればよかったのだろうけど、
毛利家も包囲網敷かれていたから無理なんじゃない?
決戦の機会はそれまでも何度かあるが、全て回避している。
織田との戦いで領地を拡大したわけでもなく、戦費の負担に苦しんでいる。

石見銀山を押されている毛利家の基本戦略は、大友を打倒して北九州に勢力を伸ばし、
流通システムを掌握すること。
当時、石見産の銀は明国に大量輸出され、東アジア貿易圏の発達を促した。
尼子、毛利が巨大化したのは、流通ルートの小豪族を従えて、
交易路の整備や安全確保、過剰な中間搾取の抑制を行ったから。

530 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 04:35:18 ID:nVu2Mgja
>>518
ちょっと違うねぇそれは
秀吉はこのままで行くと毛利軍と全面対決して勝ちそうだった
それだとヤバイと判断したんだよね秀吉は
信長様を抜きにして毛利を破っちゃいかんと

ここは水攻めとかで戦いを引き延ばして準備も整えて
「ヤバイっす、信長様助けてください」と信長様をご招待して
明智や丹羽や信長様のご子息も使って中四国の掃討を一挙に片付けていただこうと
そういうアレだったんだよね

531 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 07:54:40 ID:16f4rpaN
>>530
小説オツ

532 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 11:26:04 ID:+j25B8an
ここは武田を語るスレです

よそでやれ

533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 13:52:03 ID:mkLqpECU
うちのクラスの武田、メガネかけてる。
頭はけっこうイイけど、不真面目なとこがある。
身長は167くらい。こんなもんでいいか?

534 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 14:16:25 ID:YudVFlzn
うちのクラスの武田は陽気でいい奴だよ

535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 14:21:24 ID:c59C1ydP
陸上部の武田はヤリマソで有名だったな

536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 14:53:39 ID:vy4z2CoK
みなさん、大河ドラマ「武田信玄」観ましょう!
新田次郎の「武田信玄」も読んじゃおう!

今宵はここまでにいたしとうございまする。

537 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 14:58:32 ID:+j25B8an
>>533
サッカー日本代表の羽生くらいの身長か

538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 17:54:55 ID:yV/mb4dk
オレの知り合いの武田ちゃんは
小5の胸が膨らみはじめた頃から
自分の乳を触ったり揉んだりするクセがついてしまって
何かあるとボーっとした顔で一日中自分の乳を触ってて
そのせいか中3の頃には巨乳ちゃんになってたよ
たまに触らせてくれたし一度だけ気が済むまで揉ませてくれた事があるよ

539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 21:41:48 ID:EC1rcgtG
俺の幼なじみの武田は小五から大人の階段を一段とばしで駆け上がってたな。
兄貴が妹の乱れっぷりを嘆いていたのが印象的でした。

540 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 01:32:45 ID:/rYzUKA3
同僚の武田クンは頭はいいけどちょっと時代遅れ
そいつは信玄は結構好きなのかしらんけどワザワザあやかって苗字を武田に変えたらしいよ。
ぶっちゃけ今時甲州甲州うるさいんだよね。
そんな彼も事情があって今度退職するらしい。
どっちかっつーとウザイやつだったけど、いざ居なくなるとちょっと寂しいね


……さて、送別会での準備でもしようかな。

541 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 05:37:17 ID:TM8y9DPH
知り合いの武田は後輩だけど超優秀で将来は外務省に行きたいらしい。
でも性格がウジウジしててかなり馬鹿にされてる。
他人の目を見て話せない。

542 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 07:32:11 ID:M2NL1ezQ
後輩の山田は空気が読めなくて、いつも皆にうざがられる

543 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 00:31:26 ID:cTllbN9U
>>540
どうみても観柳斎です、本当に(ry

544 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 09:55:56 ID:qPXbMlQv
知り合いの武田がすし屋で働いてた。

545 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 12:07:15 ID:rG7a2+Ix
武田の70%以上が排尿時の不快感に悩んでるらしい。

546 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 22:47:31 ID:9uYQJpkD
日本の武田の四割は仮性包茎

547 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 01:18:22 ID:4UfFBaIF
 漏れが、思うに、信玄は、勝頼に政治や戦のことを教えてなかったのだろうと思う。といっても深くって意味だよ。

あと、駿河はたしかに、平和的に解決できたかもしれんな。まぁ北条や徳川が狙ってたし。

信玄は海がほしかったのと金山が目当てだったんだろ?海があれば、交易でもうけられるし、そもそも信濃攻略も金山とかじゃないの?

548 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 09:45:53 ID:xwr0hBPH
>漏れが、思うに、信玄は、

小学生より酷い日本語だな

549 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 15:34:21 ID:Vwaexne9
我思ふ。信玄は子勝頼に政や兵を教えることなきであった。

550 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 19:07:14 ID:ZOH8AoYb
       ,ィ                      __
      ,. / |´ ̄`ヽー- 、 ト、        , -‐、/./.- 、
    / | |    ヽ   l l        ( 火◇風 ノ
  /o ̄`ハ._.ゝ===┴=く.ノ- 、      ノ ◇ ◇ (
  /o O / l´ ノ ∴∵∴ ヽ lo ',ヽ      ( 山◇ 林 }
  \___/. ト、∴●∴∴● ハ  ∧      `⌒/7へ‐´  
 / ,イ   レ_∴∴/●ヽ∴ミl~T--‐彡    /./      
/ ̄ ̄l.  彡∵三|∪|三 ノ'l  l::::::::::彡ー7⌒つ、  <尻に教えた者はみな名将になったのに・・・
彡:::::::::::l  ト、___ヽノ /|  l::::::::::::ミ  {,_.イニノ   
彡ソ/ノハ   ト、 \  / ,イ  川ハ ヾー‐'^┴       豚息子どもは頭に教えたのが悪かったのかのう!

551 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 21:08:22 ID:HpBbfLRU
>548
小学生でも
もっとマシな日本語を使うぜ

552 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 00:06:09 ID:jfKz1bCM
信長にとって苦しめられたもの比較

信玄の中途半端な西上<朝倉の引きこもりぶり<斉藤家の切り崩し<義昭の戦略<本願寺の底なしパワー<大大名今川との戦い<兵力差で劣りながらも戦い抜いた尾張統一戦<光秀謀反

553 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 21:33:31 ID:n/Ev6Z5J
過疎ってますなぁ。こんなものか。

このスレを通して見ると,結構信玄時代後半〜の時間における信玄の失策が
挙げられているようだけど,俺が思うにもっと以前に原因があったように
思うんだよな。

勝頼の末路を見て思うに,このスレでも多くの人が原因の一つとして見ている
国人領主の家臣団化に失敗したことが,武田家の成長の足かせになって
しまったように思う。
合議制で行う限り,迅速な意志決定は困難で,時間的なロスが少なからず
発生してしまうからね。
仮に信玄が名将で「あと10年生きていたら・・」というのであれば,
なおさらこうした時間的なロスは見過ごせない要因だと思う。
親父の信虎の追放原因としてwikiでも触れられているが,中央集権化に反対
する国人領主に祭り上げられてしまった時点で国人領主の家臣団化は困難
なわけで,武田家あぼんフラグが立ってしまった希ガス。
晴信と信繁の間は良好だったことから,信虎の中央集権化に父子一丸となって
取り組んでおけば,少なくとも支配体制においては強固なものになったのでは
ないだろうか。
ま,信玄個人の失策を挙げるとすれば
・信虎と協力できず,支配制度として国人領主の家臣団化が確立できなかった
・嫡男義信をスペアを定めず処断
・信長の懐柔策に嵌り謙信と無駄に遊んだ(つきまとわれた)
・天下を狙っていなかったため領域拡大速度が極端に遅い
ぐらいですかね。
天下狙っていないって言い切っちゃったけど,そういう風にしか思えないん
だよね。あの成長速度の遅さを見ると。
せいぜい足利幕府下の最大有力大名ぐらいでいいやって位にしか考えていなかった
んじゃないかなぁ。
そしたら信長の極端なまでの膨張っぷりに焦り,更には将軍家や親戚(本願寺)から
もHelpされて押っ取り刀で出かけようとしたけど,「ウッ,ゲホゲホ」で
タイムオーバーになったってのが真相だったりしてねw
もっとも,「俺は天下を取るぜ!」なんて最初から考えているヤツの方が
当時としては変人だったかもね。
信長以外で当初から天下統一を考えてた戦国大名なんていたんかねぇ。
みんなせいぜい「地方のトップをとってやるぜ!」位が関の山だったような。
こうしてみると信玄の失策以外にも
・変人
・ハンパないストーカー
・リフティングの達人
・地方王国建設に邁進
な人に囲まれてしまった不運もあるわな。(3番目の人はあまり有害じゃない
けど)
畿内からも遠いし,経済はダメだし。
信長でも武田家に生まれていたら天下取れなかったかもね。(信玄死語は特に)


勝頼は精一杯頑張ったと思うよ。
あり得ないぐらい不利な状況下で家を継いだ中でさ。
ゲームのハナシで恐縮だが,あの政治と知謀の低さはありえないと思う。
悪くても50は切らないだろうよ。
結果は全く残せなかったし太守の器じゃなかったかもしれないけど,
感情的には器量一杯に生き抜いた漢として好感持てるな。見習いたいものだ。

長文,スレ汚しスマソ。


554 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 23:32:18 ID:Ej/s/XJQ
>>553
>勝頼は精一杯頑張ったと思うよ。
>あり得ないぐらい不利な状況下で家を継いだ中でさ。

勝頼は恵まれてるほうだろ

555 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 20:36:56 ID:n28mU1QP
一国すら持たずにスタートした元就や信長に比べれば、はるかに勝頼のが恵まれてる。

556 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 23:09:15 ID:f0ere92D
ただちょっと目を武田家の外に向けると、とんでもないことになってるけどな

557 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 17:28:13 ID:7LIg9cPb
>>556
織田も毛利も、隣国に馬鹿でかいのがいたわけだが、それも険悪な状況で。

558 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 21:00:38 ID:zWsmmM2b
>>557
そりゃ確かにそうだけど,毛利にしろ織田にしろ厳島や桶狭間での
勝利(これに勝つのもスゴイと思うが)というワンチャンスをモノにした
ことでパワーバランスを変えることができたけれど,
勝頼の場合,ワンチャンスで求められるハードルが異常に高い,ないしは
ワンチャンス程度ではどうにもならない程に懸絶してしまっていると思う。

554や555が述べているように,確かに勝頼は三州プラスアルファの封土と
軍団を引き継いだという意味では恵まれているけれども,同時に周囲の強敵にとって
打倒順位が高い状態で引き継いでしまったとも言えるし,更に言えば,
中途半端に強大であるが故に安易に信長の傘下に下るわけにもいかず,
進むも引くも抜き差しならない状態での継承なわけで,一概に恵まれていたと言い切るのは言い過ぎな気がするのだが・・・。


559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 23:37:11 ID:D7R7+454
>>558
でも勝頼が継いだ段階じゃ織田は武田の2倍程度、
多目に見ても3倍程度でしかない
上杉と徳川も敵対していたけど武田に比べれば国力は劣る
元就や信長と比べるならかなり楽。
あとは元就や信長みたいに勝ちつづければいいだけ。
まあ不可能だが。

>ワンチャンスをモノにしたことでパワーバランスを変えることができたけれど,
あとこれは完全に間違い
元就と信長はかなり危険な戦いを何度もモノにしている。

560 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 00:28:44 ID:rvFhx1WM
>>559
織田には斉藤との縁戚同盟があり、毛利は大内尼子の緩衝地帯、安芸の
豪族。信長や元就が非常に優秀なのは確かだが、そういうバックを背景
に勢力を磐石に出来たのが大きい。

勝頼の場合、信長の初期状態をさらにビッグスケールにしたような環境
で武田の実験を握ったのでより崩壊しやすかったってのがあると思う。

561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 00:58:05 ID:oV+UBiAG
>>557
>>559
信長や元就と比較されても勝頼も困るだろw
巷説のような無能ではなく、かなりの出来物でもその二人の真似をしろと
言われて出来るものではない

562 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 01:42:10 ID:+5j+rnsF
桶狭間と比べるのは有田合戦にしないか?

563 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 02:03:31 ID:TjhiiUb3
毛利も陶の謀反で大内が滅びるというラッキーイベントがなければどうなったか

564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 16:42:17 ID:sEWPYzFH
まあ確かに、でかい大名になった奴は運が必ず良い、とはよく言われること。
ありがちなのが、脅威だった大名が死んでくれた、とか、内部で争ってて攻め込める、とか。
でもそういうチャンスを生かすのも名将の条件だと思う。

あと個人的には、いかに勝利を積み重ねても慢心しないこと、か。

565 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 18:33:49 ID:9JswlLw9
年内持ちこたえてりゃ本能寺という最高のチャンスが巡って来ていたのにw
畿内以外の有力大名で完全制圧の最初のターゲットに選ばれてる時点でダメダメだろ。

566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 19:36:40 ID:ElBQy4oE
>>565
>年内持ちこたえてりゃ本能寺という最高のチャンスが巡って来ていたのにw
釣りか?

567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 23:58:27 ID:UbrhHrzD
本能寺は武田討滅がなったから起こったとばかりw

568 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 05:56:06 ID:du4JEmnl
因果関係は別にして、
最大のチャンスである本能寺が滅亡直後に起こるような運の無さじゃどうしようもないな。

569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 10:14:01 ID:gDxRAojh
>>565>>568
因果関係別に語れるアホはすごいな
脳みそとけてるんちゃう?

570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 11:24:54 ID:ww4X13KS
本能寺の変のようなチャンスが
本能寺以前にもいくらでもあったんじゃないの?
このアホがその事を言っているのかどうかは分からないけど

571 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 13:44:32 ID:jwYmO3vn
>>560
マテ。緩衝地帯の盟主として大内尼子と渡り合える立場は
元就が自らの手で作り上げたものだろ。有田合戦、鏡山攻略、郡山篭城。
また吉川、小早川との婚姻。数々の武功と政略によって発言権を拡大し
安芸の豪族を味方につけ、大内尼子の抗争のキーとなる安芸勢力を作り上げた。

それがなきゃ緩衝地帯どころか単に二大勢力に翻弄されて滅亡したろうよ。
毛利だって最初は何のバックも地理的優位もない安芸の弱小国人に過ぎなかった。

572 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 19:06:07 ID:zOx9gWoZ
>>560
勝頼にも同盟相手はいたんだが・・境遇の良さで上を見たらきりないよ。

573 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 21:41:48 ID:SYpD8hHf
>>571
戦国初期の国人級領主が独立もしくは日和見できる頃なら、
小さな合戦の勝利の積み重ねでも雪達磨式に勢力が伸びる。
戦国後期のどの地方でも統一が進んで、各国人勢力が強大な勢力の
傘下にある状況では小さい合戦の結果だけではどれだけ効果があるか。
それが>>558のいう大きいハードでないの?

574 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 21:54:42 ID:m9YioEGF
>>572
別に同盟相手の有無とかではなく、>>559の「勝頼の初期状況は信長・元就に
比べりゃ相当ラクだぜ!」ってのに返しての「彼らには強力な庇護者がいた」
って意見が>>560

議論の流れを読まずに「勝頼にも同盟相手いるよ」と言われても…。

575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 23:51:51 ID:ZtFxwnAF
結論として、強い奴はどんな状況でも這い上がってくる。
信長や元就ならどこで生まれようが同じような結果残してるんじゃないの

576 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 01:09:08 ID:hVqlf29Y
>>573
合戦の規模は小さくても戦力比は変わらないからなあ。
それと、戦国後期でも当主クラスが参戦しての決戦に負ければ一気に旗色が変わるのも同じだろうし。
国人なんて戦国大名のもとで家臣化されたようでも結局は保身が一番。
国人じゃなくて譜代の家臣でも血縁者でも裏切りうる。武田の最後見ればそうだと思う。

例えば長篠で桶狭間や厳島のように信長の首が飛んでいたら
形勢はそりゃあ大きく変わったと思うよ。
そしてそういう効果を狙って乾坤一擲の勝負に出たのが長篠だったと思う。

>>575
全くそう思う。しかしあの二人は別格。野戦での嗅覚が・・・
あれだけの活躍ができなくても信玄や義元は十分すごいと思うよ。
勝頼もそれなりに有能だったと思う。

577 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 22:31:29 ID:iBaRSyB6
>>574
庇護者って・・何をいってるんだか。大して兵も出してくれないのに。
そういう気休め程度のことなら、充分普通の同盟相手と同じだろ。

578 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 16:25:54 ID:1ROV4T/8
確かに勝頼は負の遺産を継いでるけど、でもそんなのはどこの大名にだってあるわけで。
突然死んだせいで家中ばらばらとか、周りが険悪な敵だらけ、とかね。

だから100%は言い過ぎ。
50%ぐらいだよ。

579 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 19:46:59 ID:V3H4i9/s
勝頼の場合は将棋で言うと「あと5手で詰む」という状態で引き継いでるから
挽回は不可能

580 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 23:25:54 ID:VU2QMAAW
それをひっくり返すのが稀代の名将って奴だ。

・・ま、つまり勝頼はせいぜい猛将ってぐらいで。

581 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 00:19:56 ID:z6UyE7E6
じゃあ誰だったらあの状態から挽回出来るんだ?w

582 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 14:51:46 ID:H4GrKXl2
義信

583 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 18:03:29 ID:U2gQRKOa
そら立場が違うだろハゲ

584 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 16:10:13 ID:al0LHRSz
武田勝頼の本当の名前は源勝頼なの?

585 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 16:35:35 ID:Nt70z8D3
勝頼の領地が信長なら十分可能性はある
但し信長の領地が信玄以下の将の場合

586 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 22:18:25 ID:s2jY/+4W
信長の領地にいたのが俺なら勝頼でも勝てる

587 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 22:26:42 ID:XxNttIs3
環境が人を作るから
信長が武田家の四男として生まれてきても
結局は勝頼と変わらんと思うがどうか

588 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 07:23:25 ID:TRNtLzq/
環境が人を作るといっても……
信長と氏真が入れ替わっていても変わらんとは思えないがなあ

589 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 21:18:35 ID:ZMZYStGB
>>587
環境は確かに人を作る部分もあるが、生まれ持った性質というものもあるよ

590 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 03:44:03 ID:3VKrNbgG
信長は親父が急死したあと重臣が弟について謀反
庶子系だから他の織田氏を倒して尾張を統一しなきゃならん
勝頼より厳しい条件だったんだが。

591 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 06:31:25 ID:LXkCBKaL
信長の場合は親父の存命中にも親父からの手厚い保護を受けていなかったので
初陣なんかも派手な合戦じゃなく小さな小競り合いの上に負け戦だし、
戦に負けて命からがら逃げて生き延びた事もある
ちゃんと保護されてた勝頼とは少し違うね

592 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 16:15:15 ID:Hssxcpfi
強いて言えば信長はあまり失うものはなかったけど。
勝頼は沢山持っていて、しかもしがらみのせいでそれを守るため打つ手が
限られていた。

593 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 19:17:20 ID:PBIT06uj
失うものって・・家や命はどっちも失うわけにはいかんだろ。
むしろ勝頼はあんだけ大きな軍事力と、一応従ってくれる有力家臣達がいるんだから。

594 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 01:54:25 ID:Hp32BwVZ
勝頼ってあくまでも、陣代だったような気がするのだが・・

信勝が世継ぎに指名されてたような・・

595 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 22:30:38 ID:/jHaj9HS
死ぬまで諏訪勝頼だったようなもん

596 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 01:58:05 ID:j2bO43gf
武田信者は一つの方向からしか物事が考えられない人種である

597 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 19:04:02 ID:DFeoJ4oI
このスレいつ落ちるん?

598 ::2006/12/29(金) 11:10:32 ID:I8/+2Vdy
ネタ切れにつき終了

599 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 17:24:14 ID:4MMFBU/4
>>7でいきなり結論が出てるし

600 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 02:43:41 ID:TABy7Gih
武田信玄って極度のオナニー野郎だよね。

601 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 10:51:57 ID:3nQPJ0pp
ってことは俺は武田信玄並の器量があるって事だな。

602 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 12:38:28 ID:26JDlANC
>601
百万石を目指してガンがれ。

603 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 13:06:53 ID:x/W6kTOv
勝頼を裏切って、滅亡とともに織田(もしくは家臣)に裏切られて殺された人

  小山田信茂 武田信豊 山県昌満 一条信竜 武田信廉 甲斐衆のほとんど


家康に下って安堵された人

  穴山梅雪 依田信蕃 その他駿河のほとんどの武将。
あとは生き残ったのは真田昌幸 内藤昌月 ら上野衆ぐらいか。

604 :バナナマン:2007/01/04(木) 13:13:45 ID:APWlaba+
家臣が強かっただけでしょ?

605 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 20:31:10 ID:7urTERrl
>>1
勝頼は凡将だろう
まあ、そのおかげで上杉景勝は助かったけどな
御舘の乱の時に、勝頼が景虎を支援したら景勝が滅びていた
ところが勝頼は景勝を支援したから、北条を完全に敵に回してお仕舞い



606 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 22:23:28 ID:xjVmHhfn
北条氏政と同盟するほどアホらしい事はない
同盟して景勝を倒した後でも「西上野をくれ」だの何だのと言い出しそうだ
で、織田が攻めてきたらあっさり同盟を破棄して織田方につく
それが北条氏政という男の本質

御舘の乱で北条方についたら上杉まで北条になってしまい
北条の勢力が激しく拡大する
もし武田が北条方についていれば
それはそれで武田にとって致命的な失策になっただろう

607 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 08:23:09 ID:6f5+KV5Q
それ逆。
織田が攻めてきたから同盟した、ではなく、
甲越同盟に対抗するために織田・徳川と結んだ、が正解。

あとお前の妄想はともかく、
史実として北条との同盟を破棄して、三方敵に回した事は武田にとって致命的な失策になった訳だが?

608 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 13:09:55 ID:McwMl23r
その時点でどっちに付こうと詰んでた気もするが

609 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 13:12:37 ID:WbChx0ul
越後から小田原まで北条が占めたら織田との衝突は間違いないでしょ。
そうなったら武田は重要な防波堤になる。

610 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 14:18:47 ID:6f5+KV5Q
結局、信玄が死んだ時点でもう詰み将棋。
むしろあの状況で勝頼は良くやった方だよ。

611 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 16:33:57 ID:yf/veSs4
>信玄がきちんと健康管理をしていれば
あの重要な局面で病没する事はありませんでした。
だから元亀2年に八方塞の織田家は滅亡していたかも知れません。

後半は同意するとしても前半は無理ないか?信玄はかなり前から病を患っていた
といわれてる。それをなんとか押して上洛に出たんだろ。
信玄が死んだ後、強大になった織田が武田家を放っておいてくれるとは思えんし
健康が悪い事を承知で勝負に出たんだろ。健康管理だけの問題ではないと思うぞ。

>今川家を平和裏に吸収していれば義信の反発はなかったし
義信の嫁を北条家から取っていれば今川家が滅亡していようと問題は起きませんでした。

今川家を平和裏に吸収するって具体的にどうするんだ?
家康にとらてしまっている三河を分割する案さえ跳ね除けられてるのに。
それと三国同盟が結ばれたのは信玄がまだ信濃もとってない頃だと思うが。
予言者じゃないんだから10数年先の義元敗死から今川との関係悪化までの
流れを全部読みきって事前に手を打っておくのは無理と思うが。
特に義元敗死はどの大名にとっても意外な事態だったろうし。
後、当時の武田にとって今川との同盟関係をさらに強固にしておく事は重要で
その意味で義信の妻が今川から来たのは無理が無い事だと思うが。

>義信を殺したために他家にやった諏訪四郎勝頼を世継ぎにしなければならなくなりましたが
側室の子でありなおかつ他家にやった子を跡継ぎ扱いに出来ず、
四郎勝頼を息子が元服して武田家を継ぐまでの間の後見人という立場にしか出来ませんでした。

勝頼陣代説だが、これは一次資料の裏づけがないそうだぞ。

>四郎勝頼が武田家の当主ではない後見人だったために、
信玄時代からの家臣は四郎勝頼の言う事を聞かず亀裂が生じました。
勝頼は仕方なく若い家臣を自分の側近にして譜代の家臣とは距離を置くしかありませんでした。

代が変われば若い家臣が側近となるのは結構よくある事だぞ。

>本来なら信玄の時代に本拠地を諏訪に移すべきでしたが信玄はそれをしませんでした。
そればかりでなく甲府から諏訪の間の、何度も行き来した道すら整備しませんでした。
織田家の勢力が強くなり、本来なら諏訪か高遠辺りに本拠地を移すべきでしたが
本人が諏訪の人間だったために甲斐国内の韮崎に新府城という、
戦略的に全くもってムダな地に城を建てざるを得ませんでした。

信玄の時代に本拠を諏訪に移すべきだったというがいつごろ移すべきだったと思うんだ?
武田家は甲府に根付いた名門だし、甲府は要地だ。そんな簡単には移れまい。
それに北条や今川との戦いではむしろ甲斐が本拠でよかった面もあるだろう。
それから道についてだが、戦国時代道を整備するのはリスクを伴う事だし、
信玄は信濃を通るに当たって棒道を良く使ったとも言われる。
道のことを考えなかったわけじゃあるまい。それから新府城は壬午軍乱のとき
徳川家康が本陣としているし、戦略上無駄な地ではなかったようだぞ。

>四郎勝頼は武田家の人間ではなく諏訪家の人間だったので、
武田家の親類であるはずの小山田や穴山などが次々と離反しました

小山田や穴山はもともと一つの勢力としてやってきた歴史がある。
信玄以前の武田家の拡張においてその傘下に入った。(建前は同盟関係。実際は違うが)
彼らにとって武田家の傘下に入ったのが生き残りの選択だったように
織田に寝返ったのもそうだったんだろう。それは戦国の数多の豪族の行動原理でもある。

全体的に後付の論理が多くないかな?滅亡原因うんぬんでいったら信長や秀吉も
そうなってしまう。ただ勝頼はよくやったほうだと思う。それでも長篠等の
いくつかの失点はある。全てを信玄のせいにするのもどうかな、と思うよ。

612 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 18:01:50 ID:l85zQZUd
バカが長文で反論してるw

613 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 19:01:26 ID:yf/veSs4
馬鹿かどうかはわからんが、>7のにはかなり無理があると思うぞ
まあ、確かに分けて書くべきだったかな

614 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 22:05:01 ID:l85zQZUd
>>611も相当無理があるし
相手の発言を部分的にあえて読まないようにして
持論を展開しているように見える

さあ、書き直せ
これじゃ点数やれないぞ

615 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/05(金) 22:14:09 ID:yf/veSs4
611だが、相手の発言を部分的にあえて読まないようにして
ってなんの事だ?
一通り挙げてあるだろう?

616 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 03:28:31 ID:eaQAF8aX
まず、三国同盟が成立した直後に拠点を諏訪に移すべきだった。
毛利元就や織田信長や豊臣秀吉や徳川家康のように
後に成功して急成長した大名はそうして来ているんだから
「信玄は特別な事情があって出来なかった」というのは間違い。
勝頼の代では遅すぎるし勝頼自身が諏訪の人間として扱われていたので
勝頼が諏訪に移すのは逆に困難だ。
信濃の国人や土豪からすれば「甲斐の武田が諏訪に移った」となれば脅威になるし
信濃の攻略はもっと早く完成していたはずだ。

拠点を移さないのなら、織田信長のように道路網を整備しなければならない。
三国同盟以降の前線は信濃であり、戦争のたびに「棒道」と呼ばれる
細い通路を毎回通らなければならなかった。
路面の整備もされておらず、雨が降ったらぬかるんでまともに歩けない。
これでは機動力で負けても仕方がない。
上杉謙信が挙兵するたびに甲府市から長野市まで、ぼろぼろの細道を歩いているんだから
アホとしか言いようがない。

勝頼は諏訪か高遠あたりに移すべきだったが、家臣の手前、甲斐国内の韮崎という、
武田本国の防衛拠点としてまったく意味のない場所に移さざるをえなかった。
これは「信濃はあきらめました」と言ってるようなもんだ。

617 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 13:03:58 ID:UFD2OLxW
>>618まずひとつずついくが、
>>まず、三国同盟が成立した直後に拠点を諏訪に移すべきだった。
毛利元就や織田信長や豊臣秀吉や徳川家康のように
後に成功して急成長した大名はそうして来ているんだから
「信玄は特別な事情があって出来なかった」というのは間違い。

甲府に根付いた甲斐源氏の嫡流という立場を少し軽く見すぎてないか?
毛利元就は吉田郡山城を終始本拠地にしてたはずだとおもったが?元就がしたのは
城の拡張だったはずだ。ちなみにこれは元就の後の輝元の時代までつづき天守閣まで
造られている。毛利氏が広島城の造営を開始するのは1589年の事だ。
いうなれば毛利氏は戦国時代を通して本拠を動かさなかったわけだ。
織田信長の家系はもともと清洲織田家の庶流だったはずだ。父の信秀どころか祖父の信定の居城勝幡城でさえ信定が海西郡を手中に収めてから築城した城だ。
信秀は那古屋城を取った後で本拠をそこに移している。信長はいわずもがな。いわば3代に渡って居城を移しているような一族で
居城を移す事にそもそも抵抗もない一族だったと思われる。
これはそもそも弾正忠織田家が信定の父から始まる、信長にいたるまでを数えても
わずか4代でしかない新興の家であったことから特に地縁にしばられなかった故と考えられる。
数百年に渡って甲斐に根付いた甲斐源氏の嫡流とは条件が全く異なる。


618 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 13:07:26 ID:UFD2OLxW
わるい、>>616の間違いだった。

619 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 14:04:57 ID:UFD2OLxW
>>617の続き。
確かに武田家が躑躅ヶ崎館に移ったのも信虎の代だ。
信虎の代において造られた躑躅ヶ崎館は信虎・信玄の代において整備され、
城下町も整えられている。別に無駄な所だったわけでもない。
そして勝頼の新府城もやはり甲斐の内につくられている。
武田家の本拠は常に甲斐を根底にしている。これは先ほども述べたように
甲斐守護として存在してきた武田家という存在が甲斐に根付いていた故と思われる。


620 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 14:16:13 ID:fvV18JgN
ID:UFD2OLxW
もうちょっと勉強してから絡んでおいで。

毛利は周防の防府に本拠地を移している。

武田が特別な理由で拠点を移せないのなら同じように織田が岐阜に拠点を移す事も不可能なはずだ。
それを信長は周囲の抵抗も受けながら強引にやったんだよ。抵抗がなかったわけではない。
つまり、織田信長には拠点を他国に移す技量があって武田信玄にはなかった、という事。
義信を甲府に残して自分が諏訪に移るなど、やり方はいくらでもあったはずだが、
信玄にはそもそも「拠点を国外に移す」という新しい発想がなかったんだよ。
古い者は淘汰される時代、つまり武田は淘汰されるべくして淘汰されたという事だ。

621 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 14:26:46 ID:UFD2OLxW
>>619の続き
>>勝頼の代では遅すぎるし勝頼自身が諏訪の人間として扱われていたので
勝頼が諏訪に移すのは逆に困難だ。
信濃の国人や土豪からすれば「甲斐の武田が諏訪に移った」となれば脅威になるし
信濃の攻略はもっと早く完成していたはずだ。

さらに信玄が信濃侵攻時に甲斐から離れられなかったのは政治的・経済的要因もある。
武田家の政治的・経済的バックボーンがまさに甲斐だったことに起因する。
甲斐はもともと信玄が当主になる前から水害や飢饉に悩まされている。
信玄は信玄堤(直接造ったかどうかは明らかでないとされるが、新村開発などによる
堤防管理は進めている。)新田開発によって国土の安定と発展を目指している。
他にも甲州法度などによる国内整備、度量衡の統一、金山開発など甲斐でやらねばならない
事は山積みだった。それをほっぽりだして諏訪に簡単に移れるものではない。
そして甲斐が安定しなければそもそも外征など行えない。勝頼の代で諏訪に移れない理由は
最後の段とかぶるので後述する。

622 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 14:49:50 ID:UFD2OLxW
>>620さん
毛利氏が本拠を移したのは1589年の広島城からではなかったっけ?
萩城が出来たのが1604年じゃなかったっけ?
少なくとも毛利元就の一代では吉田郡山城だった気がするのだが
記憶間違いだったかな?あおりでも皮肉でもなく教えてほしい。
俺は信玄が最終的に信長に及ばなかった事は認めている。
しかし、本拠地を移さなかった事で滅亡して当然というならこれまた生涯
春日山城から動かなかった謙信の上杉氏が生き残ったのは何故?となる。
(本能寺の時は滅亡寸前だったが。)
武田家の滅亡には外部的要因や後継者であった勝頼自身の失策もある。
全てを信玄のせいにするのはどうかと思う。信玄はあくまでも戦国時代に存在した
大名の一人として自分なりの事情からやるべき事をやったにすぎない。
愚将扱いや無理な言いがかりはどうかと思う。

623 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 15:03:21 ID:UFD2OLxW

>>拠点を移さないのなら、織田信長のように道路網を整備しなければならない。
三国同盟以降の前線は信濃であり、戦争のたびに「棒道」と呼ばれる
細い通路を毎回通らなければならなかった。
路面の整備もされておらず、雨が降ったらぬかるんでまともに歩けない。
これでは機動力で負けても仕方がない。
上杉謙信が挙兵するたびに甲府市から長野市まで、ぼろぼろの細道を歩いているんだから
アホとしか言いようがない。

戦国時代に道を整備するのはリスクを伴う。信濃侵攻のときに村上などに敗れて
反武田勢力が勢いづいたような事態になり、佐久郡まで攻め込まれた事もある。
万一の事を考え、本国が攻め込まれる事も想定するなら道を整備しないと
いうのも一つの考えだ。上杉謙信に関してだが、結局海津城などで謙信の攻勢を
防いでいるうちに本軍を到着させ、最終的に信濃は制圧している。
悪くいいすぎるのもどうかと思う。

624 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 15:06:44 ID:UFD2OLxW
>>勝頼は諏訪か高遠あたりに移すべきだったが、家臣の手前、甲斐国内の韮崎という、
武田本国の防衛拠点としてまったく意味のない場所に移さざるをえなかった。
これは「信濃はあきらめました」と言ってるようなもんだ。

それから新府城が韮崎に選ばれたのは、躑躅ヶ崎館は防御には適していても
城下町としての発展に限界があった事、韮崎が交通の要衝であったことが挙げられる。
新府城が役立たずといわれてしまう由縁は、武田家の最後にろくすっぽ使えなかった
事が原因だが、この城はもともと数千の城から一万の兵を使うことを想定した
巨大な城だ。内部崩壊してろくに兵力があつまらなかった武田家では使いきれなかったのも
無理はない。そしてこのような状況になればどの城であろうと落城は必至だ。
高遠城はもともと信玄の信濃攻略の拠点として重視され、後に甲斐防衛の為の最終拠点と
みなされた。後詰を想定し、甲斐に踏み込ませない為の拠点であって
それ自体が主となるものではない。武田が最後に侵攻されたときのように
敵は駿河などからも押し寄せてくるのだから高遠に本拠を移して信濃だけに
かたよるのはむしろ危険でもある。


625 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 15:37:22 ID:UFD2OLxW
>数千の城から一万の兵、間違えた
数千の兵から一万の兵、だ。スマソ

626 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 01:05:32 ID:YndpTvnQ
>ID:UFD2OLxW
信長厨をまともに相手するな。人の話を聞かなくて泥沼に引き込まれるから。
話の通じる相手だと思うな。

627 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 03:20:17 ID:X1oBlM0g
これがうわさに聞く「武田厨」か
本当にひどいなw
しかも信玄の失政を列挙すると「お前は信長厨」と来たかw
そりゃどこのスレでも相手にされんわなwww

628 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 10:53:16 ID:5Hjhkl2u
「○×厨」と一くくりに纏めてレッテル貼りするやつはry。
キチガイや反論の為の反論をする人間はどの大名好きにもいる。

ざっと見た感じではまずまず会話のキャッチボールが出来てるんじゃねーの。

629 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 16:24:13 ID:Cp6pFt3m
今川を平和裏に取り込む手段なんていくらでもあるのになぁ
武田厨は武田の事で頭がいっぱいだからそこまで思いつかんだろ?

630 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/08(月) 19:14:34 ID:35X0BarV
>>629
それが最上だとしてもそれだと取り分が減ってごねる人間もいて
やむなく拙攻に甘んじたのかもね

631 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 10:46:04 ID:784TGxdP
>>620
本拠地を移した大名がどんな立場の人物だったかを考えてみる必要がある。
信長、信虎、長慶、早雲…
要するに、自分の代で急成長した人間だ。
自分の代で急成長する事で権力を集中できている事が、本拠地移転の条件になる。

一方の信玄は、甲斐一国を持っていた。
地盤を継ぐという事は、同時にしがらみも継ぐ。
一門・譜代の重臣達が幅を利かせた状態では、移転などできない。

信玄が、本拠地移転をできる可能性があったのは、もう晩年だろう。
しかし、この頃に信濃に移転したらどうなるだろう。
上野は?駿河は?
躑躅ヶ崎や韮崎あたりが中央なのだから、もはや移転する理由が無い。

戦国時代における大名家の動きを、武将一個人の性格のせいにするのは
非常に問題が大きいと思う。

632 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 12:47:13 ID:Cc11jDr3
それは逆に言うと甲斐からいけるとこまでしか攻めれないということ
それ以上の進攻は無理ということになるね

633 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 19:54:51 ID:tP9B/7iD
>>631
信玄も領土が急成長した時期があったのに
無能なので移転しようという発想すらなかったね

同じ頃に信長は苦労して本拠地を岐阜に移してるのにね
家康でさえ浜松に移してるのにね

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