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【軍師】戦国最強の策士は?【謀臣】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 23:36:39 ID:gQBpHvT8
豊臣秀吉を筆頭に
竹中半兵衛、黒田如水、蜂須賀正勝、石田三成、島左近、山本勘助
真田親子、直江兼続、本多正信、片倉景綱、太原道斎、立花道雪
などなど多くの策士達について語ろう

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 23:37:37 ID:cbgluR0p
宇喜多直家なんかどうでしょう。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 23:44:51 ID:gQBpHvT8
>>2
たしか秀家の父で、没落しかけた宇喜多家を再興した人ですよね。
でなんやかんやで、主を追放して二国を手に入れちゃったんでしたっけ?

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 00:07:40 ID:uzNWGp9x
や、柳生烈堂...

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 00:09:22 ID:lhwTTMVb
信玄が落とせなかった城を謀略で陥落させた真田幸隆

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 01:06:01 ID:jujQS/xT
>>1よ。

軍師と謀臣は分けた方が良いのでは?

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 04:48:04 ID:E20H6erp
緒形拳が格好良かったんで

尼子経久

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 09:45:20 ID:v8BAFiQ9
じゃあ、毛利元就

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 10:05:35 ID:ZJwCKZux
>7
禿同。
尾形拳の尼子経久はぴったりハマってましたね。
シブカッコイイです!

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 12:57:27 ID:cIVQipC8
戦国時代の軍師は三国志の軍師とは全くちがうって聞いたけど実際どうなの?

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 13:10:28 ID:IbhV1m6J
あえて甲斐親直を挙げてみる

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 13:52:54 ID:0IE8/VqG
真田昌幸だろ絶対

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 14:33:20 ID:cAfPpaXp
秀吉が最強だな
その後に元就や宇喜多直家や昌幸・・etc

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 15:04:34 ID:zQDJehXD
朝鮮出兵なんて無謀な事する秀吉が最強とは思えない。
死ぬまで最後まで聡明でないと最強とは言えないと思うが。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 15:49:15 ID:nZTrVfRR
島津家久で

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 17:27:49 ID:Ceapi9gl
実は北条幻庵
昼は縁側で日向ぼっこ、夜は配下の風魔党を使い策謀三昧

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 21:00:33 ID:fgC04SDl
>>10
三国志の軍師ってなんだよ

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 21:14:48 ID:JdxYPQj0
>>17
しばいとこうめいだよ

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 21:17:00 ID:9hO6NVKT
織田信長

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 21:22:10 ID:P0g2MkNo
司馬懿が軍師ですか

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 23:17:19 ID:Sr9fEDKH
最上義光はどうだろうか?

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 00:24:16 ID:73xr+Q2g
義光は策士で集めて相撲大会でもしたら最強かもしれない

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 15:45:26 ID:DG//l3hu
最強は女の身でありながら全国の大名達を手玉にとって、仇敵羽柴を滅ぼした淀殿。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 22:32:12 ID:UQG9zxUz
軍師っていう概念自体が妄想の産物

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 22:41:51 ID:t+RBQOt8
つ 軍師将軍諸葛亮

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 07:18:41 ID:zN9PldRh
松永久秀かな、将軍様を謀殺
あと最期は茶器と共に爆死
ってのがポイント高いよ

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 11:48:06 ID:Qud50plh
武田信玄

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 11:52:43 ID:jDJGhbA/
戦国時代の軍師ていうと占い師みたいなものらしい。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 17:45:29 ID:XmsMv43/
うん
天候を予測したり
易で占ったり
一番首を血祭りにあげたり
首実検で死者を弔ったりと
宗教色が濃かった

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 18:31:21 ID:CYXk+0pQ
小早川隆景

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 20:01:10 ID:1pzir6Kk
じゃあ黒田とか竹中とか一般に軍師っていわれる人達は占いとかもやってたの?

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 20:59:55 ID:CYXk+0pQ
朝倉宗滴
鍋島直茂

33 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/07/28(金) 22:29:15 ID:vdr79GrL
とりあえず川田義朗とか角隈石宗とか。

34 :ぶぎゅ:2006/07/28(金) 23:54:27 ID:y5Le5h3t
最強を語るなら 竹中半兵衛でそw
すぐちななければ間違いなく最強だった^^;

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 05:57:40 ID:MkdwNw/f
関東のほうで今孔明と呼ばれた白井胤治

36 : :2006/07/29(土) 06:11:20 ID:ZVI2cR9b
黒田官兵衛>=竹中半兵衛>=山本勘助といったところでは

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 06:15:56 ID:vA1IbwqD
筆一本で13万人を集めた石田三成。
策に溺れたあたりも策士らしくていい。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 09:09:45 ID:7EaO6yS6
三成の一番スゴイのは
朝鮮出兵の兵站を支えた事って
聞いたような気がします。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 20:45:02 ID:H64mmQVU
まて
それは孔明の罠だ

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 22:32:43 ID:7EaO6yS6
実は信長包囲網を仕組んだ足利義昭

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 23:39:01 ID:R3a+3v63
幽斎

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 09:56:27 ID:zZmtcnGd
げっ、関羽!

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 11:59:52 ID:tlvFyTWL
では俺は朝倉一玄を推してみるか。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 12:18:07 ID:mkKEzRID
半兵衛の逸話の多くは豊鑑だということを知らないやつばっか
半兵衛厨は豊鑑がどんな著書かも知らないんだろうな。やれやれ

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 14:52:33 ID:fQAqekPc

ん?豊鑑には竹中重治の業績は横山城留守居と堀秀村誘降ぐらいしか書いてないのだが?
読んだことないの?

逸話の多くは「絵本大功記」からなんだが・・・、

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 17:30:07 ID:mkKEzRID
>>45
豊鑑をよく読んでみてくれ。果たしてそれだけだろうか?
絵本太閤記は読んだことないからしらね。ちなみに川角と甫庵は読んだことあるから
時間をかければ半兵衛の逸話がどこにどういう風に記述されてるかはわかる

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 20:20:14 ID:fQAqekPc
>>46
それだけだろうか??????これだけだが?
だったら豊鑑にある「竹中重治の逸話」を挙げるとか、引用してみてくれよ

つか川角とか甫庵読んだとか聞いてない、豊鑑の話なんだけど

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 21:04:15 ID:aNPVR2SP
山崎の戦い以来 南海坊天海となった明智光秀でしょ! 家康の影武者を将軍にしたんだし

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 07:58:23 ID:wODo8TzC
ドリームイラネ
でも天海個人は策士と言ってもいいか

光秀は戦だけでなく交渉事や築城やら多彩にこなせたようだけど
器用なだけで策士ってイメージはないや

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 09:56:08 ID:dCFzKmnh
マウリィ元就

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 18:50:35 ID:dO9PfQk6
筆一本で十三万人を三成が集められたのは
西国の覇者毛利家が西軍についたからじゃないの?

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 20:30:17 ID:djGRg9l+
マニアックだが津軽為信と彼の参謀だった沼田祐光を挙げてみる。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 22:02:56 ID:MmqkHClp
>>52
よければエピソードを詳しくいやらしく。

54 :52:2006/08/03(木) 23:04:12 ID:djGRg9l+
>>53
為信は最初は東北地方の南部氏の一被官に過ぎませんでした。
しかし、南部宗家が家督を巡って争っている隙を突いて津軽地方一帯を手に入れ独立してしまいました。
しかも、その時期は豊臣秀吉が私闘を禁止する直前だったため、彼から安堵状を獲得し、領国安堵を盤石のものとする念の入れようでした。
ちなみに為信が秀吉に謁見するのが三日遅れてたら、津軽家は独立出来ていなかったと言われてます。(理由は同時期に南部家の当主信直も秀吉に泣き付いたため)
そして為信の独立に欠かせなかったのが沼田祐光の存在でした。
彼は関東の上野の生まれでしたが全国を行脚し有名な大名達に高禄をもって誘われる事もしばしばでしたがそれらを蹴ってまで、みちのくの地に居た為信の器の大きさに惚れ、仕官しました。
津軽家の独立は祐光の周到な準備とチャンスを逃さなかった為信の決断力の結晶でした。 二人でワンセットという感は否めませんが地味に最強と思ってます。 最後に超長文スマソ

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 00:55:51 ID:nXrEjEgD
大河ドラマ巧妙が辻の脚本家は、
相当な策士という噂。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 09:37:53 ID:OexdvXie
おいらも沼田祐光を推したい。
最強とは思わないけど、板部岡江雪斎もなかなか。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 05:21:30 ID:b4PCBhHW
金正日

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 16:32:29 ID:XM/PhNmV
太原雪斎

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 18:23:39 ID:RUcxQszT
真田幸隆

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 22:52:18 ID:IwJBxRhX
世良田二郎三郎なり

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/16(水) 23:34:09 ID:/ykj5IP9
毛利モトナリ

他の誰が毛利家に生まれても同じ事は出来ない。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/18(金) 13:41:21 ID:SVPPl6R7
>61
なら漢字で書いてやれ

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 00:03:56 ID:Za6Guu+y
7205

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 09:18:24 ID:Xbadvd3m
おや、意外にも親父の名前はあっても
1以外に真田昌幸の名前は出てないんだな。
結果的には失敗(武田家滅亡、関ヶ原敗退)に終わることはあっても
戦術的には優秀な男と言えると思う。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 09:20:45 ID:gDj7i0H0
じゃあ俺は大友家の吉岡長増を挙げとこうか。
策士って点なら道雪や石宗よりこっちじゃないかと。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 00:32:46 ID:SjsCPxQS
宇佐美定満
死に方が面白い



67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 01:12:17 ID:zGHYDWBu
津軽為信
字あってる?


68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 01:56:14 ID:FrSUi+uu
>>64
もっかい全部読み直せ。

斉藤道三が最強の策士だろう

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 00:26:49 ID:OlLdNTvT
策士ってののニュアンスが難しい
例えば、徳川家康は策士に入るのだろうか?

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 01:02:57 ID:iUfTfO3w
>>23
淀は日本の歴史上最大の資産をどぶに捨てた馬鹿女だろう
最上部に立った時の女の頭の悪さが全部裏目に出て滅亡となった
秀頼なんか将来は馬鹿殿確実の環境にいたんだから戦国大名を
束ねるのは到底無理
権力を家康に渡さないと最初から無理があった。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 04:30:50 ID:7jfGRnZQ
北条早雲、斉藤道三
の他に誰がいるってんだ?

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 05:37:06 ID:6kBbi+6F
元就と早雲と道三と久秀を同じ部屋に閉じ込めて
平蜘蛛と三人分の食料を与えて一年経過したらどうなる?

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 07:33:06 ID:bEYRdkg8
皆爆死

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 07:38:45 ID:c87kLocs
>>72-73
案外仲良くやっているかもよ?

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 10:21:12 ID:DZ0kNT5r
数刻もしないうちに、閉じ込めた奴が割り出されて暗殺。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 10:49:20 ID:OlLdNTvT
>>75
確かに
それが答えかもしれん

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 11:18:29 ID:szkg2pfo
宇喜多直家は?

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 14:27:51 ID:+VzWZAfC
かんべえ。お前らうるさい。かんべえ以外誰がいる?

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 14:46:50 ID:DZ0kNT5r
>>76
そんでそれは秘密裏になされるわけだが
全員、文化人でもあるから、表向きは普通に茶会を楽しんでるだけ。

この4人を閉じ込めたぐらいだから、そいつも相当な人物だと思うがねw

>>78
閉じ込めたのがか?

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 16:07:03 ID:MUElnH/n
今孔明・白井胤治

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 16:29:43 ID:Mg7dfXZQ
元亀の戦国大名は総じて策士な気がするな

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 16:43:03 ID:x5uctKrN
毛利元就と北条早雲が筆頭だろう。
時代は遡るが源義経と楠木正成も。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 19:33:29 ID:0HpiTMFB
戦国時代の策士は大半が猛将でもあるな

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 00:43:28 ID:5hmTKXwy
佐渡金山でせこせこ私財を蓄えてた大久保長安が一番の策士でFA

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 01:41:57 ID:rG7a2+Ix
ボーカーが強い策士と将棋が強い策士で違う

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 15:04:37 ID:33E8FLFe
真田親子

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 18:16:11 ID:0mtDxuvT
幸隆+昌幸?

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 20:35:07 ID:Nfq2vxhI
足利の義昭君

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 01:17:19 ID:abUF68VV
やっぱり足利義昭じゃまいか


90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 16:44:19 ID:NypY95M7
同感。
やはり策士たる者、策に溺れなくちゃネ!

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 16:46:52 ID:ahhMGlG9
義昭は策しか無かったよね

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 00:00:04 ID:/MsdCWp6
総合的に見て、北条早雲だろうか。太田道灌も捨てがたい。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 15:07:51 ID:8meN8HSc
早雲も道灌も、一地方の話でスケールが小さいのが痛いよな
最強の策士たる者、やっぱ全国を股間にかけた働きをしてもらわんと

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 15:24:52 ID:8s8PbNPZ
上野守護代長尾景信の息子の長尾景春と越後守護代長尾為景の連携プレイが最強です。
なんせ関東がいち早く戦国期に叩き込まれた決定的な戦乱。
この乱で漁夫の利の得た北条早雲はただ単に時勢がよかっただけ。
太田道灌も暗殺されてるから周りは良く見えても自分の鼻の下は見えなかったってこった。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 15:39:40 ID:tdPIA8Tn
関東管領上杉家打倒!
それどころか最後は禅譲され長尾家が上杉家を乗っ取って名目上は関東支配者補佐になっちゃったしな。
謙信が越山したら上野国は沼田→白井→前橋と言うコースにいる長尾家や長野家の支配圏は速攻で騎下に参じて厩橋城に集結して小田原包囲や鶴岡八幡宮に進出したくらいの勢威はあったからね。下野国も足利長尾家を筆頭に長尾上杉に集ったからな。
長尾一門は意外とすごいな。
考えてみれば長尾家は会津や米沢にもついて行ったから生き残り組だしね。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 15:57:09 ID:8s8PbNPZ
山内上杉の執事長尾家と扇谷上杉執事太田家の争いは下克上が激しくなってきて面白い時代だけど
おもしろい小説や本あったら教えてください。どうしても北条早雲視点の小説ばかりでつまんないので。
川越や前橋あたりに行けば資料館充実してるかな?

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 16:13:27 ID:tdPIA8Tn
信孝や信雄も織田の名を秀吉に譲れば生き残れたのにね。
義昭も秀吉を足利養子にするの拒否したくらいだから
やっぱり面子もあって難しいんだな。
うまく成功したのは…白井長尾が越後長尾に上杉憲政が越後へ逃亡する交渉をしたくらいだから、
最初から上杉家門を奪い取るべく上野国平井城にいた憲政に危機を煽り陥れるべく言葉巧みに誘導してたんだろう。


98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 16:46:12 ID:Eg4tfD9F
逆に上杉憲政が足を運んで関東管領と上杉の名跡を譲ると言っても
いらないと拒否した佐竹義昭みたいなのもいるしな
なかなか難しいものだ

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 17:01:40 ID:4F4pIB7l
長尾為景が越後本国を盗む計画を発動する一方で道灌が駿河出兵で今川家の後継者争いを早雲が解決したのを確認してる留守のタイミングで景春が上野国を出て関東中部でゲリラ戦を開始。

道灌が死んだ後も再び反乱を活発化して北条早雲と結ぶ一方で上杉顕定を越後に誘い込み敗死させるなど関東の謀略レベルは足利公方などの暗躍も合わせてハイレベルだったろうね!


100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 17:19:12 ID:tdPIA8Tn
太田道灌暗殺の背後もかなりの策謀があったのかもね。
従来の簡単な説ではないかも試練。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 23:38:33 ID:tdPIA8Tn
執事の長尾家に上杉家門を譲るのに抵抗しての佐竹義昭への上杉家門譲渡策だったのかな?
のちに上杉謙信が関東管領として越山して号令をかけた時に
源氏の佐竹義重は、元々はわが父に上杉家門譲渡の話があったのを断ったのに…長尾などは平家ではないか!と不満だったらしいが宇都宮家や太田家、里見家と共同歩調を取ったらしいね。


102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 00:06:34 ID:dRp7qgRg
>>100
従来の説だと、道灌がどうも甘すぎる気がするしね、
それまでの凄まじい経歴を見るに、そんな甘い人物だとは到底思えない。
なんか根回しが色々ありそうではある、早雲辺りも怪しい。

とは言え道灌って策士でもあるけど、戦国時代に坂東武者を
初めて統制して従えた猛将としてのイメージの方が強いかも。
合戦でははっきり言って同時代の中で無敵だし。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 00:17:00 ID:XxGeGj3x
関東の歴史や人間関係の経緯から土地領有の変遷や諍い。
地侍や地頭、荘園、国司に従って下向してきた豪族、守護や守護代に従う者達から婚姻関係や外戚や昔からの協調関係や父祖の時代からの増悪。
鎌倉・室町の権力者の変遷など詳しくないと関東の支配は難しそう。
太田道灌はこの点を詳細に知っていて、うまく操れたんだと思う。
ただ操れたのもだんだん時が経つにつれて破綻してきたんだと思う。
愚鈍な主を討つ下克上しかもう他に手がなかったんだろうが忠義の人ゆえに破滅したんだろう。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 01:06:17 ID:SUBkHZ8U
>>103
俺もそう思う。
私見を述べさせていただければ、下克上の先駆者となること自体に
不快感と恐怖を持っていたとも考えられる。貴種尊重の風潮は道灌の
時代においてもまるで衰えていない。というより、統治者として君臨
する為の大義名分として「貴種である」こと以外に重要視されるべき
と考え得る代替案が無かったことも、道灌の一連の行動の一要因には
なっているのではないのかな。
応仁の乱においても、細川・山名が争った目的は将軍職を目指してい
たからではなかったんだから。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 01:32:28 ID:dRp7qgRg
それはあるね・・・
太田道灌はもう少し後まで生きていることが出来たならば・・・、
それこそ早雲らが下克上を行った後なら、その智略から考えても、当然の如く下克上をしてのし上がり、
周辺諸国を従えて、関東の王者としていち早く名乗りをあげる事ができた気がする。

そうなったら敵う者等いただろうか?
築城技術や足軽を統制した野戦技術、この時代の合戦において頭一つ抜けた存在と言う気がする。
まぁ定正は愚かな主だとは思うが、一方で恐れたのも無理も無いという気はする。
城は山城中心で、武士同士の合戦が多かった時代に、
足軽なんていう得体の知れないものを編成し、集団戦術で野戦を行ったり、
堀を作ることで平地に堅固な城を築き上げて、どんどん戦局を有利にしていく姿は
優秀で忠義者の猛将と言うだけでくくるにはあまりに異質すぎる。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 02:56:00 ID:SUBkHZ8U
定正は愚かというより時代の典型だったのではないかと思う。
今我々が時代の先駆者足るべく行動を起こせと言われても不可能なように、
当時定正が取り得るべき方策も同族上杉を統一し関東を統べるという当たり
前の図式に乗っかっただけだしなぁ。
で、道灌が化け物。>>105さんが指摘してるような点にも顕著だが
上杉という名族の代理という立場を考慮しても、当時の道灌の戦略はありえ
ない。足軽という枠組みを古来因循とした関東に持ち込む、組織化する、統
率する、戦へと駆り立てるということはその一事をもってしても大事件。当
時の関東農民からしてみれば百害あって一利なしの戦争で職として纏め上げ
、当時のどの地域よりも「武士が全てを決しなければならない」場所であった
関東で、それまでの「武士」という概念をぶち壊した事も当時の彼の立場から
してみれば気狂いとしか見れないよねぇ・・・。合理的といえばそれまでなん
だが、彼は異常だよ。
戦・将という観点で見るよりも、指導者として包括的に見るべき人物だと
思う。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 09:17:10 ID:XxGeGj3x
上杉禅秀の乱の熱気さめやらぬ時期に養子としてやってきた10歳くらいで関東管領になった上杉憲実は名宰相だと思われ…。バカ足利公方に対して諫めたりと忍耐忍耐の生き方がなんかカコイイ!
出家したけど幕府のたびたびの要請で仕方が無く結城合戦時に復帰するも終わるとまた引退しちゃうし。
この時代あたりから長尾家も力が徐々に蓄えられていったんだろうね。

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 15:28:52 ID:x7IhloZM
足利公方が親子兄弟で分立して各々が暗躍したりと関東はかなりの策謀が蠢動してただろうな。
北条・上杉・武田の三大勢力時代はすでに大消耗戦の末期だったのだろう。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 22:17:57 ID:XxGeGj3x
戦国の予兆…この時代の関東を舞台にNHK大河化しないかな?

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 09:58:28 ID:/Ii9H2jj
山内の執事と扇谷の執事が実権を握り肥大化していき上杉主家を圧倒していく。
補佐たる関東管領の上杉家自体が鎌倉公方の足利家を凌駕してる。
下克上の可能な状況は関東でいち早く作られているね。
足利公方が信濃国での小笠原家と村上家の争いに介入しようとすれば「信濃は関東管領の管轄外」と関東管領の上杉が軍隊まで出して道を閉鎖し公方の軍を止めてる。
幕府との交戦になるのを恐れての事とは言え、バカ公方を諫めたりと叛意はなかったね。太田道灌なども叛意なし。

関東はそれなりに秩序が守られようと努力してたとも言える。
基本的にはバカ公方が秩序崩壊への災いの種をばらまいてる。
上杉家は山内の長尾家の執事職任命失敗や扇谷の道灌暗殺で権威失墜。
これらが下克上への決定的な引き金になったのかもね。
結城合戦に見られる関東の西と東に別れる勢力図も争い激化に拍車をかけてるね。上杉の影響が強い鎌倉よりも公方が古河に逃げた時の方が頑強なのもうなづける。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 18:13:19 ID:kZCoHOH3
足利義昭は秀吉に1万石で仕えたが、その子孫は会津や薩摩を頼り出奔し名を変えた。
それに比べ鎌倉公方〜古河公方と変遷しながらしぶとく生き残ってきたね。
旧勢力が生き残るにはそれ相当の才覚がなければ難しかっただろう。
女城主足利氏姫になってから秀吉の斡旋で小弓公方系と政略結婚し喜連川家を立て足利義親を生んでるし。
もっとも実際には氏姫も義親も古河に住み続け下野国には出向いてないようだが・・・。
関が原後に戦勝を祝う使者を派遣して1000石の御加増し4500石。
1万石にも満たず藩になる資格はないのだが家康はかっての将軍家でもあった伝統を重んじ、
10万石の大名並家格と御所と称するのを許したそうな。
ただ家臣も100人に満たず、10万石の格式を保つ出費が重いために藩財政は窮乏。
財政を救うため東北大名、特に伊達藩が参勤交代で通ると宿場前にはいつも御所さまが待っていて通り過ぎたくても宿泊させられたそうな。
費用節約のために一度喜連川を迂回して参勤交代しにいったら御所さまが追ってきて江戸で伊達の殿に嫌味をタラタラと言いにきたとか。
なかなかの営業力で生き残りを果たしたといえよう。まぁ軍師ではないが処世術のうまさでは足利一門随一。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 18:20:02 ID:+uVTd8rn
やはり一番の軍師といえば・・・竹中半兵衛重治だろうな。


113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 19:10:28 ID:p7lxj0Kq
kt

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 20:29:41 ID:crpRvp9P
室町幕府の将軍家に対抗したいDQN足利鎌倉公方と結城合戦の戦友にして上杉独裁を嫌う下野や常陸・下総の豪族達。
上杉主導権争いの関東管領山内上杉と執事長尾(上野守護代・武蔵守護代)と扇谷上杉と執事太田の果てなき争い。
結果的に得したのは
関東の僻地にあたる場所にいた謙信の実父で越後守護代長尾と今川軍を使い沼津より伊豆の足利堀越公方を滅ぼした北条早雲の2人。
関東内乱で権威の失墜に比例して下が上を凌ぐ力を蓄え次第に混迷化。ついには消耗疲弊し周囲の侵略を招き北に南に敵を作る。
鎌倉公方→関東管領→管領執事→伊豆や上越を拠点に関東侵攻をはかる長尾や伊勢に加えて甲州の武田まで真田の先兵で西上野侵攻。
北条→織田(関東管領滝川一益)→北条→豊臣(小田原の役)→徳川
こうしてみると長尾景春は危機的状況になると扇谷の太田道灌が暗殺されたり越後長尾が活発化して山内上杉顕定が越後で戦死したり北条早雲が扇谷上杉の相模国を奪いさらに北に進出する為の重臣離間策などが発覚したりする。
上野・武蔵・相模での長尾景春の謀略による暗躍や遠交近攻策は凄まじいものがある。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 21:33:16 ID:X1guzcll
半兵衛厨が必死すぎて滑稽

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 02:44:11 ID:LgTts6GD
両上杉の家臣の反乱や切り崩しで長尾景春はかなりの辣腕をふるったのではないでしょうか。

長尾景春の反乱に呼応した武蔵の名族豊島一族
練馬城(東京都練馬区)江古田古戦場で敗北(平塚城が道灌に攻められ救援の為に赴き、引き上げ中の道灌と接触して大敗)
→石神井城(東京都練馬区)→平塚城(東京都北区)→小机城(横浜市港北区)と次々に太田道灌により落城。

道灌暗殺の謀略の成功!

上杉禅秀の乱の功績で大森氏が小田原(元々は毛利両川の小早川氏が築城したとか)に封じられていた地を早雲が奪い鎌倉へ進出
してきたあたりで扇谷上杉配下の立場から早雲も反旗を翻しますね(それまでは伊豆守護の山内上杉との対抗上扇谷に属していた)

権現山城 (横浜市神奈川区) 扇谷上杉氏の家臣上田蔵人政盛(相模守護代?上杉禅秀の乱で松山城主として討ち死の一族?小川・東秩父が本領地)が
越後での山内上杉顕定の敗死後に北条早雲に唆され反旗を翻し10日の包囲で落城。太田氏に次ぐナンバー2の上田氏も道灌暗殺に不信感があっての反旗でしょう。




117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 03:28:10 ID:zFdYGJPE
上杉禅秀側にたった諸氏の討伐と言う口実のもとに持氏は将軍から直接御教書を受けている京都扶持衆(宇都宮・佐竹・結城・那須・白河)に対する弾圧を強め幕府に対して反抗的になる持氏を諫めて将軍との仲を取り持つ関東管領上杉憲実。
結局幕府の追討を受け持氏は死ぬが結城氏朝が遺児を擁立し結城合戦を行い滅亡。結城家を再興した後も古河公方とともに上杉と抗争し衰退。
何で元々鎌倉公方と対立してる京都扶持衆の結城氏が永享の乱などから一環してずっと鎌倉公方支持なんだろう。上杉に対する対抗心からだろうか?

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 09:11:39 ID:ZIJqTUDg
上杉禅秀の乱は岩松・宇都宮・小田・千葉・武田などが一緒に反乱してる。
公方監視と将軍への報告を目的とした京都扶持衆でも結城氏は一貫して公方支持だったのかもね。
かつては白河結城(北畠家に従い南朝側)や結城(北朝側)は名門で関東や東北の争乱鎮無に重要な役割を果たしてる。
足利尊氏の母の家系の上杉に対抗心もあったかも。関東管領上杉は将軍と公方の間を調停する役割で公方を諫めてばかりで公方は反発するばかり。
永享の乱後は公方不在で関東管領上杉氏の支配が面白くないだろうし、将軍の兄弟の関東下向にでもなったら上杉の支配がより強化されるので公方の忘れ形見を担ぎ結城合戦になり、各地の本家筋や長男以外の不満分子の糾合となったと思う。
その後は成り上がり北条の北進に対して利根川以北の京都扶持衆は常に古河公方支持で上杉謙信の南下に共同歩調を取ってる(佐竹・宇都宮・里見は小弓公方に共同歩調をとった事もある)。
小田家は佐竹・太田連合との敵対で北条側だな。

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 23:20:23 ID:6f1HunLY
やっぱり家康じゃね?
信長の時代から耐えて耐えて耐え続けて、ついに天下をとった。
なにより関ヶ原での勝利にもってゆく調略の数々が凄すぎる。
そのせいで関ヶ原の戦いはまさに芸術だったな

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 23:25:45 ID:J4HB902V
スレタイ(ry

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 15:48:08 ID:h1MJtyMW
太原雪斎だな
もう少し若くて長生きしていれば桶狭間で休息なぞ馬鹿なことをせずに済んだものの

122 :上田:2006/11/01(水) 19:39:01 ID:0FqDioSs
真田幸隆
真田昌幸
真田信繁

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 15:33:55 ID:P4oDjOio
真田幸隆は戸石城の攻略で、昌幸は2度の上田城攻防や出処進退の素早さで
十分に策士と呼べるが、信繁はちょっと疑問だ。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 07:15:05 ID:z2LoZ2ec
松永久秀

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 20:12:16 ID:Ley3yLVZ
馬場頼周の生き様はマンガにでてくる悪役参謀の生き様そのもので好感が持てる。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 09:00:36 ID:5HQXZSHT
>>125
不勉強な俺の為に詳しく

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 12:16:19 ID:2ZFeueqc
松波庄九郎

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 13:55:31 ID:q7k6lJ4A
伊集院忠朗の鶴の吸物の話が好きかな

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 14:08:58 ID:mIyY8b8c
島村貫阿弥

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 21:51:07 ID:MzK8DNew
謀多きは勝ち少なきは負けると言う割には家庭ではいい歳した
息子達の仲を取り持つグダグダ親父の毛利元就。


131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 22:34:17 ID:tfMZer6k
3本の矢

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 21:57:13 ID:j2JbglIx
>>126
小弐家臣。竜造寺家兼の存在に危険を感じて、神代勝利達と談合して一計を案じる。
それによって家兼の一族の大半を註する事に成功したんだが、詰めが甘く肝心の家兼を取り逃がしてしまい、後に居城を攻められて斬首。

主人公をギリギリのところまで追い詰めながらも逆転されて負けちゃった、ていう。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 01:57:40 ID:2HbDGddA
武田高信

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 01:56:20 ID:4CbNrLpa
尼子経久

135 :片倉小十郎:2006/11/22(水) 12:56:47 ID:Hxco9OBU
このスレにうってつけの本が18日に出た。
ttp://shop.gakken.co.jp/shop/order/k_ok/bookdisp.asp?isbn=4056043981

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 15:03:16 ID:ktLbbaaa
それだめぽ

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 15:13:37 ID:0+pWSeqM
>>136
IDがすげえ

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 21:16:05 ID:JBSh7kP8
淡河定範

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 22:36:47 ID:U5Ey95vh
>>1
マジレスすると織田信長が最強の策士

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 17:25:17 ID:BXG1pZFv
太田道灌→主君を支え、主君に斬られた悲運の名将。

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 20:35:23 ID:BXG1pZFv
朝倉宗滴→朝倉・浅井同盟を陰で演出した不屈の闘将

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 21:58:40 ID:BXG1pZFv
立花道雪→不敗を誇った大友宗麟の懐刀。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 22:10:09 ID:0i76Nfta
南部晴政

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 07:42:43 ID:7Xc7fx74
小早川隆景→毛利宗家を大大名に押し上げた智将

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 13:25:53 ID:7Xc7fx74
山中幸盛(鹿介)→七難八苦を祈願した尼子勝久の忠臣。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 13:33:46 ID:FTr1kAqY
源兵衛→畑耕してた俺の先祖

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 16:18:58 ID:7Xc7fx74
片倉小十郎→独眼竜・政宗を育てた伊達家の老将。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 17:13:28 ID:EyerwxPU
上野国の長尾景春


149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 19:48:11 ID:7Xc7fx74
直江兼続→家康がもっとも恐れた智勇兼備の名将。 直江状

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 21:46:02 ID:DauuBzly
てか本多正信じゃね?

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 21:00:59 ID:Gs2LUkYJ
太原崇孚(雪斎)→今川義元を繰り自ら戦場に赴いた黒衣の参謀。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 21:01:32 ID:u//AMiF2
平手政秀→突如として謎の自刃を遂げた織田信長のもりやく。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 21:53:29 ID:biiqeR4H
小早川秀秋→東軍を圧勝させた希代の謀略家。彼なくして江戸幕府はなかったであろう

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 22:03:05 ID:aYke/xP3
竹中半兵衛だな。
裏の裏を掻いたつもりが、
裏の裏の裏を掻いきそうw

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 01:02:27 ID:Gq+2xjwo
>>154
このスレによく出てくる大物の俺のなんとなくのイメージ

元就→札の裏の裏に飽き足らず横や斜めや中身もしっかり吟味した上でズバリな点をついてきそう。
道三→裏など必要ない表だけで十分な何かを編み出しそう。
如水→表には表裏には裏という筋道を機械のように正確についてきそう。
経久→札ごとあげてしまうがいつの間にか逆らえなくされてそう。
早雲→基本的なルールから変えてきそう。
雪斎→いつのまにか札の出し方まで教わる立場にされてそう。
宗滴→負けただけでなく説教もされそう。
久秀→興味なさそう。
道灌→札とは呼べないような何かを取り出してきそう。
家康→はぐらかされて勝負する前に帰されそう。
為景→負けた場合のリスクがとてつもない賭けをさせられそう。
昌幸→最初勝ってたつもりがいつのまにか負けになってそう。
直家→やる前に刺客に、うわなにsr(ry


156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 20:23:20 ID:D3bsaJHf
オレが策士としてどこかの大名に雇われていたら、
テムジンのように非情に徹するけどな

弓矢はすべて毒矢
城攻めでは毒や水銀を混入させる
一族郎党女子供はすべて皆殺し
とか

157 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/01(金) 21:05:47 ID:sSXd9nnk
>>156
誰も付いてこないだろうなw

158 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/01(金) 21:33:28 ID:xGeZLH6u
角隈石宗→妖術を得意とした大友宗麟の軍師。

159 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/01(金) 21:38:25 ID:QDPhnYJ5
>>156
信玄が信濃攻略に手間取った理由も知らんのか。

160 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/12/01(金) 22:56:56 ID:WMQ2rU1S
>>158
対抗するのは川田でいいのかな。

161 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 02:58:42 ID:eVPNnCuz
>>155
札??

162 :名無しさん:2006/12/02(土) 04:35:31 ID:+wdLI3Mp
内藤如庵→巧みな外交交渉で日本人町のトップとなった異色の軍師。

163 :名無しパート2:2006/12/02(土) 05:10:29 ID:+wdLI3Mp
川田義朗→島津義久の軍事行動を支えた修験者的軍師。

164 :名無しパート3:2006/12/02(土) 20:07:55 ID:+wdLI3Mp
板垣信形→信玄の父・信虎を放逐した武田軍団の勇将。

165 :名無しさん:2006/12/03(日) 03:34:48 ID:6Z/W9Ost
山本勘助→軍学の知識を駆使したわが国初の参謀的軍師。

166 :名無しパート2:2006/12/03(日) 16:07:12 ID:6Z/W9Ost
真田幸隆→信玄の手足となって働いた信繁の内祖父。

167 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/03(日) 17:38:00 ID:wusTPb7s
妄想だけど、
本能寺の変は光秀と家康の策略で
光秀が死を装って天海になり徳川と豊臣を討って天下統一
なんてことだったら凄い。

168 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 00:00:22 ID:8IQP9Kqp
>167
煽りじゃなく、そういう小説書けば?
トンデモだけど中々面白い説だと思う。

169 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 00:28:42 ID:PMKXjcMX
真面目に考えると、黒田官兵衛が最強軍師だな
彼がいなかったら秀吉は天下統一できなかった
秀吉の業績のほとんどすべては黒田官兵衛のもの

170 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 00:37:25 ID:EXmZ1XSh
カンベエが決定的な活躍をした場面なんてあんまり無い様に思うけど。
むしろ秀吉にとっては半兵衛の方が功績は大きい。



171 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 01:14:00 ID:jF38ajoB
半兵衛、官兵衛どちらも過大評価
二人を古代支那の軍師になぞらえた講談逸話のせいで
秀吉自身の指揮能力が過小評価されとる。
両者は美濃、中国経略における水先案内人として招かれ功績を挙げただけ
無論、その後に他の地方攻略でも活躍した有能な武将だったのは確かだが
秀吉の業績はほとんどすべて彼らのおかげだなんてのは言い過ぎ

むしろ講談逸話ではスルーされがちな秀長や
粗野な野盗紛いの描写をされる蜂須賀の方がよほど秀吉にとって重要

172 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 01:15:49 ID:Ua+7eCbR
如水は確かに史実での活躍はというと、むしろ息子の長政の方が上なくらい。

173 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 01:29:50 ID:PMKXjcMX
まあ秀長はもっともっと評価されて良い武将だな
兄の陰に隠れて目立たないだけで
足利直義に似てる

逆に、弟が目立って兄が地味なのは、源頼朝・義経の兄弟

174 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 01:36:10 ID:YFy0kwQC
頼朝というよりも範頼のほうがさらに地味。
一応平家追討軍の総大将でしょ?

175 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/04(月) 01:41:31 ID:9LtWxSyP
>>151
>太原崇孚(雪斎)

同意。
三国同盟の立役者だし。
彼の三国同盟があったから、義元は上洛を決意して信長に討たれた。
彼がいなかったら、信長は世に出なかったかも?

176 :名無しさん:2006/12/06(水) 05:08:53 ID:9y7btcYx
宇佐美駿河守→謎の水死を遂げた謙信流軍学の祖。

177 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 05:18:16 ID:3uq6nS9v
九州阿蘇家の甲斐宗運なんか凄いんじゃないか。


178 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 05:18:58 ID:4KH8RKWZ
史実は、謙信の天才的な軍事頭脳によるものだったと判明してるが、
それはそうと渡辺恒彦の宇佐美定満は好きだった
ニヒルで格好良かったぜ

179 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 05:20:50 ID:4KH8RKWZ
○渡瀬恒彦(映画「天と地と」)
×渡辺恒彦

180 :名無しさん:2006/12/06(水) 09:49:59 ID:9y7btcYx
武田典廐(信繁)→兄・信玄の補佐役に徹した名将。

181 :名無しさん:2006/12/06(水) 17:16:35 ID:9y7btcYx
豊臣秀長→天下人・秀吉の覇業を助けた名補佐役。

182 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/07(木) 09:22:48 ID:EhzUAng1
幕府の軍師として養育され再度関東に下向した鬼謀の将足利成氏
表面では上杉支持の幕府であるが実は幼少期から細川の息がかかった成氏。
今川が鎌倉を襲った時にも事前情報を得手脱出し、今川も追撃しない自作自演。
上杉氏の衰退を大いに助長せしめる。
上杉を討ち父や兄弟の仇を討ち、鎌倉府を強固にし幕府を伐つ大略を胸に秘めていたという。関東争乱貢献度ランク2位に選ばれました。
1位長尾景春・3位北条早雲・4位長尾為景

183 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/12/07(木) 21:44:22 ID:z4a7i/M0
景春が見捨てられてないレスを久々に見た。

184 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 01:50:21 ID:niLFB6zg
   /道灌
  / ´_ゝ`)すいません、ちょっと蓑借りますよ・・・
  |    /
  | /| |
  // | |      長尾
 U  .U    Σ (゚Д゚;)


185 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 02:09:43 ID:OytUt0MD
道灌って謀殺されるし、景春の方が野戦テロ部隊指揮官としては怖そうだな。

186 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/08(金) 09:18:13 ID:88XWuwQr
景春はベトナム戦争のベトナム軍並にゲリラ戦凄そう。
しかも謀略と遠交近攻策で敵主力を引きつけて疲弊させたり、足利成氏や北条早雲、長尾為景などと協調してる。
乱が収束したと思ったら道灌謀殺や山内が越後で攻勢に転ずるとまた関東が不穏になるように仕向けて帰ろうとする山内を為景が捕捉し戦死させたら上野で退路を絶って城を奪回しちゃうし。
しかも人望もあるから相模や武蔵の有力者達が賛同して関東を戦国の坩堝に落とせたしな。
道灌がまとまってない反乱軍を各個撃破したから道灌の声望が高まったが
景春の目的は山内打倒であり、見事に疲弊させ、道灌謀殺に成功し上杉の統治能力皆無を露呈させた。
川越夜戦だって権威失墜した両上杉だったから北条は勝てた。
長尾景春の軍略や足利成氏のしたたかさはもっと評価されるべきだな。

187 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 15:39:00 ID:UBqTZmQ4
↑はいわゆる局地戦にすぎない。
やはり、天下を舞台にした策士と考えると本多正信が一番の策士だろう。
松永久秀に激賞されたその兵站、家康を悩ませた一向一揆の指揮、そして関ヶ原での調略劇。
なんといっても天下をとった後も領地がすくないのがいい。


188 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 18:38:49 ID:LZI2eHV4
松永久秀に褒められたのは兵站じゃなくて、人格(この場合性格の良さという意味ではない)・思慮深さだろ。

189 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 20:01:12 ID:PvDYv+Hc
一揆勢に加わったり、松永に従い本願寺に協力して織田軍と戦ったりと無益なことをやってばっかり。おまけに息子は秋田横手に飛ばされる。しょーじき先が読めないが悪どい事はよく浮かぶ悪党というイメージしかない。
天下国家を共に論ずる相手ではないな。

190 :無名武将@お腹せっぷく:2006/12/09(土) 20:50:03 ID:eGsOAkuf
伊達正宗が約束通り豊臣秀吉から?万石もらってたら ああ 怖い

191 :名軍師:2006/12/09(土) 21:38:31 ID:QVLRh7tM
竹中重治(半兵衛)→卓越した軍略と高潔な人柄を併せ持った名軍師。

192 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 23:15:27 ID:UBqTZmQ4

確か、兵站戦をこ殊のほか重用していたからじゃない?。
それに、正信自体が家中で憎まれていたことから高評価ができるできるだろう。


193 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/10(日) 02:20:03 ID:9senzoM+
政宗がMAXに賢かったら、秀吉の小田原征伐への参加の求めに先じて、豊臣家に即恭順
これで120万石安泰
その後秀吉の元で力を発揮して石高を増やしていれば家康と五分五分の力を手に入れられた

194 :OPS:2006/12/14(木) 14:02:17 ID:6mRmUHXC
>>191
に同意。
謀略最強は黒田如水だと思う。

195 :名軍師:2006/12/14(木) 20:00:37 ID:ONHW4Zrf
黒田如水(官兵衛)→主君・秀吉さえも恐れた戦国屈指の策士。

196 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 20:32:09 ID:1iUgWJeK
主君に恐れられたらじゃだめだろ。

197 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 21:33:24 ID:5UgIR2Io
山本勘助は実際は足軽

後に息子が良く書いただけ

198 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 02:58:59 ID:XtwVfyw1
まあ実際に天下統一したのは秀吉だもんな
信長は所詮畿内中心の勢力で日本全国にはほど遠かった
その秀吉をサポートした黒田竹中はやはり優秀だろう
秀吉の業績のうちかなりの部分は黒田竹中の息のかかったものだろうし

199 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 07:53:02 ID:lefAHH5o
蜂須賀正勝(小六)   交渉力を駆使して秀吉を支えた戦略家。

200 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 09:03:24 ID:lefAHH5o
200名軍師

201 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 23:03:55 ID:HkIqITE9
>>198
釣りか?根拠はなんだ…?

202 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 12:23:08 ID:GAh8XT9t
黒田は秀吉に天下を取らした後がまずかったな。野望丸見えだし。
意地っ張りなところもあるし・・・。

全国的に見れば結局天下を取ったのは家康・正信だし。


ところで竹中半兵衛の功績って何だ?

203 :OPS:2006/12/16(土) 13:39:49 ID:R139LJu9
まあ黒田如水にある程度領地があれば天下に戦を挑んでもよかった。


204 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 21:55:44 ID:JDObE8Di
>>202
とりあえず黒田長政を助けたことは半兵衛の功績

205 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 01:03:41 ID:rSLxajp4
秀吉<家康
秀吉家臣郡>家康家臣郡
って感じするのは俺だけ?

206 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 04:07:15 ID:88rfKD8d


207 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 06:40:55 ID:HI4RU5E+
俺の中ではむしろ
家康≧秀吉
正信≧如水>三成
忠勝=直政>清正>>>>>>正則
ってぐらいのイメージだが


208 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 11:29:15 ID:L7d0utUd
竹中半兵衛≦小早川隆景<黒田官兵衛≦高坂昌信≦片倉景綱≦直江兼続<北条氏照=藤堂高虎≦鍋島直茂<他の軍師系名将

209 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 13:00:18 ID:88rfKD8d
不等号の使い方しらないなら使うな

210 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 13:08:28 ID:L7d0utUd
↑イヤだ( *´∀`)σ)Д`*)

211 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 22:59:42 ID:S/DHp4UU
なんで氏照が軍師なんだ?誰かと間違えてないか?

212 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 00:56:27 ID:kibQUDNE
>>211
いやいや軍師ぢゃん

213 :名無し議論スレて投票方法審議中:2006/12/19(火) 19:26:45 ID:3dMPSNay
北条、藤堂,高坂が軍師?
208は不等号の使い方がおかしい
他の軍師系名将が一位とか、やばいだろ


214 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 20:35:59 ID:unQz8dE+
ほとんど同列ですか。
逆っていうか、順番自体おかしい。


215 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 20:39:56 ID:hezfzAuB
>>212
本気で大石陸奥守源三氏照の事言ってるの?
なんの勘違いだか知らんけど、違うよとだけ言っとく。

216 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 20:56:15 ID:5MAY8u6j
>>208
ひどすぎるww

217 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 03:51:06 ID:TNcw+4SJ
>>208
せめて中学校ぐらい卒業しとけよ

218 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 19:54:04 ID:BZQhC4Ur
亀田の親父こそ!名軍師

219 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/20(水) 23:48:20 ID:tjOx4bQ9
>>218
やくみつるも忘れないでください

220 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 08:56:00 ID:A0+cg024
長尾景春や足利成氏は軍師特性も持ってる極めて優秀な指導者。
あの独裁者上杉を相手に関東中央部で暴れまわる力量は豪族達の支持を受けていたから。
しかも遠交近攻策を駆使して辺境の長尾為景や伊勢早雲を使い、上杉をものの見事に弱体化させる事に成功。
惜しむらくは謙信や氏綱のような後継者に恵まれてなかった。

221 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 15:10:04 ID:SFACBWZX
この人そんなに凄い?
道灌に勝ててないじゃん。

222 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/22(金) 19:57:36 ID:mP7M2Nu+


223 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 06:04:00 ID:Yun/e9Ho
相手が太田道灌ではどうしようもないという気はする。

224 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/24(日) 20:01:33 ID:YLhIcVki
千 利休→諜報機関に匹敵する情報網を持っていた恐るべき茶人。

225 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 00:30:14 ID:L81UJMnH
扇谷と山内が仲違いする前だから、大勢力の両上杉を背景にすれば誰でも勢力拡大できるだろ!
それを相手にして暴れまわるのは相当大変だろ。
しかも道灌なんて謀殺されたジャン
生き延びて天寿を全うした景春や成氏のバランス感覚はすごい。
持氏の反乱や結城合戦での上杉圧勝ぶりから考えれば、かなりの謀略を駆使して善戦していると言える。

226 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 00:36:16 ID:11duRH82
いや道灌は忠臣だったからこそであってあれを責めても能力とは関係ないと思うが・・・。

227 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 00:56:37 ID:lquAvj6I
時勢が読めなかったんだよ道灌は。
謀殺だって流言が疑心暗鬼につながったんだろうが、長尾・伊勢・山内上杉・古河らの流した情報操作にひっかかったんだろ。
だいたい主を震え上がれす者は天寿をまっとうできんって言うのは定説なにのまったく先が読めてない。

228 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 01:08:41 ID:11duRH82
道灌の戦略は完全に時代を超越していたが、この時点で主に限らず総てから恐れられてしまった、
確かに仕方なかったかもしれないし、このスレには合わないかもしれない。

また下克上と言う言葉も無かった時代の人物ゆえに、彼には能力の無い主に逆らうと言う
戦国武将なら至極真っ当な選択肢は選べなかった。

敵に対しては見事な策略を見せてるが謀臣というのとはちょっと違うかも。

229 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 08:53:58 ID:L81UJMnH
むしろなぜ道灌を高く評価するのか理解に苦しむ。本の受け売りじゃないのか?
もっと言えば道灌の父の方がはるかに有能な気がするが…
道灌エピソードとかも後世の人が考えたんじゃないのか?京に登った際に暴れ猿さえ道灌に怯えたって話や簑笠の話とか捏造だろ。

230 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/25(月) 10:05:42 ID:gwhN7ufl
江戸や岩槻の築城なども道灌の父が指揮してたって話もあるくらいだしな。
扇谷上杉執事ともなればかなりの勢威を背景にして戦えるしな。
むしろ山内執事職を叔父に奪われた長尾景春の巻き返しはすごいと言える。


231 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 01:10:33 ID:i4OPCId9
道灌なんてどうでもいいよ。
戦国時代と関係ないし。

232 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 01:20:20 ID:EM4xbTao
ここは笑うとこ?

233 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 01:22:51 ID:bC2KmBqZ
道灌戦国時代と関係ない????ワラタwww

234 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 01:25:16 ID:i4OPCId9
戦国時代ってのは信長とかがいた時代のことだろ。
道灌てそれよりずっと前じゃん。

235 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 01:48:08 ID:W3Iq9kCV
( ゚Д゚)

236 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 01:53:29 ID:XvploTUk
レスが増えたと思ったら・・。


237 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 01:54:46 ID:bC2KmBqZ
北条早雲や長尾景春、太田道灌、足利成氏が活躍した頃はもう戦国時代前期
つか関東は実質的にはひと足早く鎌倉公方足利政氏が上杉に追討され、結城合戦へ続く動乱期に入ってるんだがな。

238 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 01:58:41 ID:bC2KmBqZ
あと長尾為景(謙信の父)も忘れちゃいけないね。
「長尾為景は二代の主君を殺害した天下に例の無い奸雄である」

鎌倉公方だろうが関東管領だろうが糞くらえ!まさに下克上!

239 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 02:25:10 ID:bC2KmBqZ
×足利政氏が上杉に追討され
〇足利持氏が天才政治家の誉れ高い関東管領上杉憲実に追討され
に訂正です。

240 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 09:29:37 ID:7xoCkOkU
優秀な上杉憲実は平和主義者的なイメージあるなぁ。関東に兵乱を起こさぬように幕府と鎌倉公方の間を苦労しながら必死に調停してたと思う。
足利持氏がDQN過ぎて憲実討伐の軍を指揮するにあたり幕府の介入が入り、やむを得ず持氏軍を撃破するも持氏助命嘆願しるんだよね。
DQNなのか天才なんだかわからんくじ引き将軍足利義教が許さずに泣く泣く切腹させるも世を儚んで引退しちゃうは息子達を出家させちゃうはで。
その後結城合戦でも幕府は憲実をムリヤリ復帰させて勝利に導いてるが足利義教は結城合戦戦勝会で暗殺され…
いよいよ無常心に至り関東からも去り、中国の大内氏の方まで旅立って客死するんだよね。
考えてみれば上杉憲実や長尾景春・長野業正・上泉信綱と言った人材を排出した山内上杉家って戦国前期ではかなり強い家だったのかも。
ただ人材を生かせない馬鹿関東管領が続くからな〜。
貴種にあぐらを欠いて部下や民心から見放された典型になっちまったね。

241 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 10:01:21 ID:6ManQeDq
>>240上泉信綱も兵法の天才だろ!上野国は戦国前期で民力を使い果たした感があるからね。
上杉秀禅の乱以降は乱戦ばかりだからね関東は。
俺のお勧め天才は謀略家ではないけどずばり山科言継!
この人は朝廷の財政逼迫を救い、のちに朝廷存続への寄与を評価され従一位を追贈されてる。
下々の人たちとも気軽に接する温厚な人物と言われてる。

242 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 10:11:07 ID:6ManQeDq
すまん俺も名前間違えてた!上杉禅秀だった。
この時期の人物名は複雑な人間関係で覚えるの難しい。

243 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 10:15:41 ID:XvploTUk
為景は凄い人。
佐渡においやられてから
盛り返す人間なんてそうはいない。



244 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 11:57:45 ID:Y1im/tzq
道灌は天寿を全うできず離間策に引っかかって当主に謀殺されたから減点だな。
障子と屏風のエピソードや驕者不久に対して不驕又不久と答えたエピソードなどは、のちに道灌が横死する事を知ってる後世の捏造だとは思うが、
父が道灌の不遜さを諌めているエピソードで、これが事実なら道灌は己の傲慢な欠点から命を失ったと言える。
やはり先を読む力で時勢をうまく泳げないとな。天寿を全うしなきゃ評価は下がるよな。

245 :名軍師:2006/12/26(火) 12:41:21 ID:IQLMdBx/
島 左近→鬼気迫る戦いで西軍を支えた石田三成の股肱の重臣。

246 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 20:43:27 ID:V1WARTPh
>>244
その逸話はそういう意味ではないのでは・・・まぁいいけど。

だがいずれにしても道灌は戦術や戦略の天才ではあるが、このスレとは関係ないのは同意。

247 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 21:37:56 ID:7xoCkOkU
古河公方成氏と戦う一方で、新たに背後の掘越公方と敵対を開始するのは戦略的にマズいのでは?

扇谷上杉を打倒すべく関東管領山内上杉と古河公方成氏が同盟を成立させるに至るのは道灌の大きな失策なのでは?
しかも扇谷上杉が同盟軍と戦おうとしたら反対して逆に内通を疑われ謀殺されるのは情けないのでは?


248 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 22:31:18 ID:Y1im/tzq
弱体衰退してた秩父氏の一族の豊嶋氏や江戸氏を討つくらいなら扇谷上杉氏を率いてれば楽勝だろ。だが長尾景春を捕捉できず、逆に謀殺されて再び長尾景春の活動が活発化してくるんだから労多くして利少なしで終わってる。
道灌もしくは父のどちらかが築城したとされてきた岩槻城も実は忍城城主成田氏が築城したことがわかってきている。

249 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 23:42:16 ID:V1WARTPh
っていうか道灌はあくまで扇谷上杉家の家臣なのに、両上杉の争いの責任まで負わされるのか。
景春は何を言おうが道灌に蹴散らされてる以上、軍事上の面で景春が上はありえない。
合戦で負けたって捕まるのは稀だし逃げ足が速いからどうしたと言うのか。

だがいずれにしろこのスレとは関係ない。

250 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 02:12:47 ID:elWKEWYU
家宰や執事、守護代が現場でのほぼ全責任を負ってる時代だぞ。基本的には古代的名族を推戴して現場の実力者が武力組織の強化を図ってるにすぎない。
上杉家といえども後の戦国大名のような絶対権力者と言うわけではない。むしろ太田道灌や長尾景仲・景信親子は主家を凌ぐ勢力だった。
長尾景春は山内上杉の家宰職を叔父に奪われた為に実権は持っていなかったにも関わらず、遠隔操作を駆使して相模でも蜂起させ道灌を東走西奔させている。
そもそも互角に戦うべく仇敵の足利成氏と結ぶこと自体がすごいことだが、さらに道灌が駿河へ出兵した隙をついて挙兵したり、急いで戻ってきた際も
多摩川の増水を計算していて武蔵国に入国できないようにする用意周到さ。だが江戸城と川越城封鎖ラインを指揮してた武蔵の名族豊島一族が連戦連敗だった。
だが山内上杉を弱体化させるべく景春は動いており、豊島一族が道灌を引き付けておいて時間稼ぎができれば充分だった。
領土的野心はなく、道灌を討つことも別に目的ではないので五十子で上杉勢を急襲し利根川を越えて上野の那波荘へ敗走させたり
して充分に弱体化に成功してその戦略目的を達してる。また和議成立後に成氏のもとへ景春は向かい補佐していたが、上杉同士の争乱を謀り、山内と扇谷を争わせるべく
山内との偽りの連携を模索。その謀略戦の中で扇谷の勢力拡大の不安を煽り、山内上杉顕定から扇谷家臣経由で太田道灌を警戒させ邪魔者を謀殺させてしまっている。
その後は上杉同士を相争わせ両上杉をさらに弱体化させてる。その際も得意の遠交近攻策で早雲や長尾為景を利用して、上杉を北に南に疲れさせ
ついには家宰職を取り上げた関東管領山内上杉顕定を越後で敗死させてしまうことに成功し、ついでに養子の憲房から白井長尾の旧領白井城まで奪還して景春の復讐劇も終わり天寿をまっとうしてる。
山内上杉の弱体は激しく、憲房の子憲政が上杉謙信を頼り越後へ逃げていくハメになる。早雲は景春のことを「武略・知略に優れた勇士」として賞賛したほど。



251 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 02:26:40 ID:9EaZWZCF
で、景春が戦国最強の策士だと言いたいのか?

252 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 02:52:33 ID:9F5xGWZm
戦国初期の関東の混乱ぶりは筆舌に尽くしがたいね。生き抜くのはかなり厳しいから知略策略なければ横死の末路。
信長くらいの時代は分かりやすくていいね。


253 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 02:54:49 ID:9EaZWZCF
>>250
定正が道灌を殺した具体的な経緯ははっきりはわかっていないのに勝手に景春の功績にすんなよ、どこの小説だよ。
さらには早雲も為景も利用してって頭につければなんでも景春の功績になっちゃうのか。

連戦連敗だったのは景春もであって、名城鉢形城もろとも落城の憂き目にあってる事も
書かなきゃいかんだろうし、その苦労して結んだ仇敵古河公方も扇谷上杉とあっさり和睦されてしまった点もそうだし、
結局道灌存命時には大した事はできてないじゃんよ。

254 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 03:08:12 ID:I3kxezQ1
しかし視点が変わればそういう見方もできるような…だいたい山内上杉の家宰職を奪われた人間が本領白井城を出奔し秩父一族の鉢本城により扇谷の本領相模の豪族や武蔵の秩父一族の豊嶋氏に反逆をさせる手腕は見事。
扇谷上杉家宰の道灌に正面きって決戦できる戦力はとてもないだろうから小勢をゲリラ的手法で活用し他勢力を利用していくほかあるまい。和睦はむしろ景春に有利に働き道灌を除くこともでき、さらなる目的達成への準備期間として幸いだったろうね。
しかも最後は復讐を遂げ返り咲いてるから才覚はあったと思うな。


255 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 03:11:10 ID:9F5xGWZm
あの関東管領山内上杉と扇谷上杉同盟軍を敵に回して、目的達成して天寿もちゃっかりまっとうしてる長尾景春はけっこうすごいと思うな。

256 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 03:19:47 ID:9EaZWZCF
いんじゃね、それはそれで。
だがこのスレには関係ないな。

257 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 03:20:22 ID:I3kxezQ1
項羽と劉邦で言えば道灌が項羽いや亜父かな。で景春が劉邦って感じか。


258 :名軍師:2006/12/27(水) 06:39:13 ID:GDPwM8Be
安国寺恵瓊→類稀なる才能を発揮し毛利家を救った外交僧。

259 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 08:44:23 ID:9F5xGWZm
別に名城じゃないだろ鉢本城は。名城呼ばわりされた記憶ないぞ!
武蔵松山城や上野平井城あたりなら或いは名城とか呼ばれてた時期もあったかもしらんが。
忍城や上野金山城、下野佐和山城あたりは間違いなく名城だろうが。

260 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 09:18:41 ID:9F5xGWZm
×下野佐和山城
○下野唐沢山城
訂正します。
扇谷本領の相模から少なくとも3拠点以上が武蔵最北端の小勢力景春に同調し反旗を翻したのは明らかに家宰道灌の失策で多摩川も渡れず救援に北上できなかった。
景春の小勢が平井城から武蔵に出てきた関東管領の大軍を急襲大破し利根川以北に敗走させてるのは特筆に値する。
地元豪族秩父一族は相次ぐ関東の戦乱に参加した為に当時弱体化していたので扇谷上杉の大軍を指揮する道灌にとっては楽勝な相手だった。
秩父一族の江戸氏や豊島氏は道灌の大軍との不利な正面衝突を避け籠城を基本戦略にしていたのが証拠。

261 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 09:57:15 ID:PZ+Lesw5
道灌の話なんかも江戸中期以降の講談的な色彩強いしなー。エピソードとかものの見事に
創作っぽいし。マムシの斉藤道三も一代での成り上がりではなく親子二代での下克上だって言うし
北条早雲も一介の伊勢の素浪人で老いてから成功した大器晩成的な人物という話が、実は伊勢家の人間で細川政元や足利義澄の命で
堀越公方を討ってたというのがわかってきたし、年齢も実は違うのではないかとの見方が主流だ。
江戸期の補正がかかってる人物は庶民人気からそうとう優遇されてると思われ道灌なんかも過剰評価されてる気がする。


262 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 10:17:59 ID:9F5xGWZm
すまん>>254につられて鉢形城を鉢本城と書いてしまった。
鉢形城は即席で景春が築城してるからさしたる備えはなかった為、景春は最初から鉢形城の背後の秩父山系でのゲリラ戦的手法を思考していたようだ。
上杉勢は秩父一族の勢力圏である秩父奥深くに引き込まれるのを嫌っただろう。
そのために景春を補足できなかった。


263 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 11:20:22 ID:I3kxezQ1
関東管領山内上杉顕定に嫌がらせするのが目的なので道灌が勝とうが山内から自立して白井城を出て鉢形城築城時の景春にはあまり関係ない話なんだろうと思われ。
道灌が自らの勢力拡大の野望の為に大軍を率いて土着豪族豊嶋一党を討ち武蔵進出したって側面もあるだろう。豊嶋氏などは秩父一族から平野に進出してきた氏だから昔からの勢力圏は秩父山系だが上杉も危険すぎて深追いをしなかったもんな。
結果、主に疑われ道灌は謀殺され、景春は恨み骨髄の山内上杉顕定を敗死に追い込み白井城まで奪回し天寿をまっとうしてるんだから景春に軍配があがるだろうな。
西に景春、北に為景、南に早雲、東に古河公方と両上杉は完全に包囲網に入ってる。
こういう状況を作ったのは武蔵中央部を荒らしまわり、常に山内上杉の主力を引きつけては、各地で反乱を誘発させた景春の大略だろう。

264 :名軍師:2006/12/27(水) 13:28:36 ID:GDPwM8Be
後藤基次(又兵衛)幾多の名将と激闘を演じた不屈の武将。

265 :名無し議論スレて投票方法審議中:2006/12/27(水) 21:27:08 ID:by9JL863

策士といえるのは、斉藤道三、北条早雲、太田道灌、長尾景春、松永久秀、武田信玄、真田幸隆、昌幸、

織田信長、羽柴秀吉(豊臣×)、徳川家康、本多正信、山中鹿之助、尼子経久、毛利元就、小早川隆景、

安国寺恵慧、直江実綱、兼続、伊達政宗、最上義光、沼田祐光、太源雪斎、鍋島直茂、黒田如水、長政、

細川幽斎、竹中半兵衛、山内千代、石田三成、蜂須賀小六、久武親直、藤堂高虎、津軽為信、


ぐらいかな。
補足:真田幸村、後藤又兵衛、片倉景綱、島左近、島津義弘らは策士というより猛将とはっきりいったほうがいい。
黒田長政、藤堂高虎は猛将な面もあるが、関ヶ原での功績をみてのこと。
松永久秀、久武親直は腹黒いところがあることが策士っぽい。(謀将のがいいかもしれん・・・)
羽柴秀吉は姓が豊臣になる前まで良かった。
津軽為信、沼田祐光、最上義光は小田原〜関ヶ原の間で生き残ったことが大きい。(沼田祐光の功績はあると思う)
斉藤道三、北条早雲は一から這い上がったこと。(秀吉も)
安国寺恵慧、蜂須賀小六は外交で。
明智光秀は知将だな。(そうでもないらしいが)
太田道灌、長尾景春が名策士ということはわかるが地方戦にすぎない気がする・・・。


訂正を頼む。

266 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 21:31:22 ID:/IE1x/0T
山中って策士ってか戦国のゲバラって感じが。

267 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 21:38:13 ID:h2pILkKc
策士と言えるのは明智光継と光秀。
この2人の作った血縁網は幅広い。
本能寺の変で血縁関係が曖昧になってるのが痛いな。

268 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 21:41:53 ID:h2pILkKc
斎藤道三は親が作った地位を受け継いだだけ。
道三自体は全然大した事無い。
直ぐに殺されたしな。

269 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 21:56:26 ID:T2s8CBgE
宇喜多直家。
泣く子も黙る脅威の暗殺術。
暗殺するまでの過程も計算されつくしている。

270 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 22:23:34 ID:9EaZWZCF
>>261
想像でもの語る前にもう少しそれぞれの説の内容見た方がいい、
題名だけ見て勝手に判断する典型的な悪い例。

>>265
って言うか上でも言ってるが、道灌は結果だけで判断すりゃ築城技術と軍才は図抜けてるが、別に策士じゃない。
策も使ってるが、別に最強とも思わない。この時期の関東を一地方というには、
ちょっと影響力が大きすぎる気はするけどね。

>>268
もう少しちゃんと調べた方がいいぞ。道三二代説って言う言葉しか知らんだろ。

271 :名軍師:2006/12/28(木) 03:11:32 ID:R4h9gFO3
真田信繁(幸村)→家康を討死寸前にまで追い込んだ稀代の勇将。

272 :名無し議論スレて投票方法審議中:2006/12/28(木) 14:42:32 ID:ctaxgBtk
道三二代説って岩井三四二の「斉藤道三」みたいなのか?

273 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 15:17:22 ID:rj1w7P1q
六角条書写しを読んで言ってる訳だが、お前の方がバカだろ。

274 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 18:15:46 ID:RrrTVB/B
一代だろうが二代だろうが凄いと思うけど…

275 :名軍師:2006/12/28(木) 19:18:49 ID:R4h9gFO3
小幡景憲→諜報活動に長けた甲州流軍学の大成者

276 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 19:19:40 ID:wMI/mjti
ち ょ っ と ま て

277 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 22:02:13 ID:puJDTBvh
策士、という点では真田昌幸ではないかと。
秀吉の北条征伐の大儀名分を引き出し、家康の顔に2度も泥を塗り、関ヶ原では東西
どっちが勝ってもお家存続できるよう策を練った。真田の娘というだけで大名家から
は引く手あまただった。

278 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 22:48:29 ID:EJlph0vX
昌幸の策などチマチマした小細工に過ぎない
小才子と言うに相応しい
政宗公のような壮大な策を施してこそ策士と言えるのです

279 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 23:21:12 ID:/kDUz6Ep
>>273
二代説に疑いをかけてるわけじゃない、だから題名しか見てないと言ってる。
その二代説のタイミングを調べればこのスレには関係ない事がわかるだけのこと。
説明しておく。

道三の父親はもともと1533年には既に病死が確認される文書があって、
長井規秀=道三のこの先の実績は二代だろうがなんだろうが確実に道三の実績と言える。
・・と言う事がまず前提。

1504年 妙覚寺に入ったと言われる。
     京を中心に油売りなどをしていたと言われる時期。
     日護上人(長井氏の関係人物)の後添えで、長井氏に仕えた時期。
1527年 土岐頼芸が美濃の守護となる。
1533年 長井規秀の暗躍が見られ始めると同時に父親の病死がそれ以前であることが確認できる時期。

これを父親のはっきりしている業績をまとめてみると、

妙覚寺で優秀だった→その流れで上人に伝手が出来て長井氏に仕えた
→やはり優秀だったらしく長井氏の主である土岐頼芸ともつながりが出来た。→死亡。

早い話が油売りから云々と言う小説で読んでも胡散臭い部分が綺麗さっぱり父親の方の業績になるだけで、
そこから始まるドス黒いマムシのごとき策謀の数々は変わらず道三の業績として残る。
無くなるのは油売りから〜という道三のむしろ英雄的な部分であって、
どうせこのスレであげても胡散臭いと一蹴されてしまう程度の事。

逆に上のまとめを見ればわかるように、道三の父親は妙覚寺から一貫した後光のさすがごとき善人であって、
道三とは似ても似つかない親だった可能性アリ。
その辺考えながら小説読むと、その辺りの時期では資料が無いため(父なんだから当たり前だが)
無理矢理盗賊と戦わせてみたり、京の女主人と遊んでたり、物語としては楽しい部分は多い。

280 :詩人:2006/12/29(金) 00:21:49 ID:Yl0KEEZk
そうだったのか・・・。
僕は小説を元にしたドラマを見ただけだったけど、
豪快で面白いおじさんだなぁって思ってた。

だとすると道三入道め、本っっ当に腹黒いね・・・。
この国泥棒め!!^^;

281 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 01:27:44 ID:4pEHu8i3
う〜んセクシー

282 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 01:57:33 ID:1vUIkubK
いっとくけどね大友の朝倉一玄やばいよ。コーエー厨にはわからんかもしらんが

283 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 04:17:55 ID:DJRYKhOz
>>278
伊達の何処が策士なんだ?

壮大な策〜?

策が成功してからほざけ!



284 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 04:24:05 ID:TAmDNlC1
昌幸の策が優れているのは同意だけど、
一番実力を発揮してるのは、天正壬午の乱の時だと思う。

285 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 05:32:52 ID:vYPoML2a
城を燃やして背後をつくってただのゲリラじゃねーかよ>朝倉一玄

286 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 09:31:15 ID:9rb9YnOV
>>265
本多親子や坊主コンビが入ってないってどうゆうことよ?
あと関東の佐竹義義、九州の甲斐 あたりも加えてほしい

287 :286 :2006/12/29(金) 09:50:02 ID:9rb9YnOV
あ…本多親父のほうは入ってたね…
あと佐竹『義重』な
それと三好長慶も数に入れてあげていいんじゃない?

288 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 11:11:18 ID:nPf/7JKz
>>282
大友家だと吉岡の連中が策士って感じだな
長増といい妙林尼といい。
一玄のは志賀親次あってこその活躍って面もあるし。

289 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 19:48:13 ID:V7ltfhbI
鍋島直茂

290 :名軍師:2006/12/31(日) 18:19:06 ID:4S+Vq4Se
酒井忠次→信長も一目置いた徳川四天王の一人。

291 :名軍師:2006/12/31(日) 18:23:57 ID:4S+Vq4Se
本多正信→軍事・政務に手腕を発揮し家康の信任を得た名参謀

292 :名軍師:2006/12/31(日) 18:29:55 ID:4S+Vq4Se
大久保長安→幕府の財政基盤構築に心血を注いだ経営参謀。

293 :名軍師:2006/12/31(日) 18:36:02 ID:4S+Vq4Se
金地院崇伝→汚れ役、憎まれ役に徹した。

294 :名軍師:2006/12/31(日) 18:39:20 ID:4S+Vq4Se
藤堂高虎→己の政治力をかけて家康を支えた稀代の謀将。

295 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 02:54:40 ID:AiS7eeHG
一般的に有名人ばかりでつまらんスレだな
わざわざここに書かなくても百も承知な人物ばかり。
補正がかかっている通説に惑わされず、歴史に埋もれた知将や
新たに脚光を当てて新たな知将を探しもとめるレスが欲しいな。

296 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 03:14:31 ID:2o+AAFdZ
立てれば良い、遊びに行くぞ。
だけど、ここは一応最強のと銘打ってる以上、有名なの以外が出てくるわけ無いわけで。

297 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 08:18:38 ID:ZwkYWH9D
DJ OZMA

298 :るい:2007/01/01(月) 13:21:55 ID:wwUZ8GDV
もっとマニアックな人物を挙げようよ。

道川 紀衛門

丹後若狭の豪商。主に水路物運搬を商いとし、大きな富を得る傍らで裏ではいろいろと黒い部分と繋がりがあったようで近隣の大名と黒い部分との斡旋役をしていたらしい。
時には単独の判断で依頼もしていたから、敵にまわすと厄介なことになることが確実なため法度に触れても取り締まらないケースが多々あったらしい。
朝倉義景が室町幕府に名指しで訴える書状も残っているし、なかなかの人だったとおもう。

299 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 13:37:07 ID:T2WlUlvs
>>298
こういうの好きw

300 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 17:43:28 ID:vdjKkRyI
>>278
> 政宗公のような壮大な策を施してこそ策士と言えるのです

ファウルは、どんなに大きな当たりでもファウルなんだよねw

301 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 18:19:04 ID:xYmPUbir
>>298
色んな意味で坂本龍馬みたいだなw

302 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 12:51:33 ID:nnG0vz0f
>>278
政宗のどこが策士なんだよ。
感情だけで動いて、街道七家敵に回すわ、関ヶ原の時も余計な動きをして
100万石→72万石。取り潰しだって考えられてたわけだし。
大阪の陣じゃ「変な動きしたら、後ろから鉄砲撃ちかけてやれ」って立場に置かれて
策も使えない策士。
老年になって、二条城行幸に知恵を貸したぐらい。

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