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【妻は】 豊臣秀吉総合スレ 【戦国の春華】
- 1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 00:32:44 ID:eAWDbmA7
- 天下統一を成し遂げた立身出世の神・秀吉。
その生き方は後世の人間に大きな影響と希望を与えました。
英雄といわれた彼ですが晩年は人間の弱いところが出てしまいます(*・ヮ・*)
秀吉ネタなんでもござれ!
関連スレ・
【文禄慶長】 秀吉の朝鮮征伐スレ4 【壬辰倭乱】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150531200/l50
信長、秀吉、家康で誰が一番偉いか
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1149960958/l50
妻(ねね)スレ
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150553367/l50
- 2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 00:46:20 ID:PHK4fw2a
- 当時の欧州でも日本の秀吉は英雄として伝えられてるとか
- 3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 01:17:54 ID:mKHmfjmt
- そうなのか。まぁ秀吉は外国にも手を伸ばしていたからな。
エピソードを聞けば英雄というのも頷けるのであろう。
- 4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 01:41:01 ID:OwnJ5KF9
- 日本史にも偶にはこういうタイプの英雄が居てもいいよね
- 5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 03:12:26 ID:vP1Gselm
- 激しく家康総合スレも立ててみるべきだぜ!
スレ主は激しく春華にお熱のようたぜ!
- 6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 02:23:57 ID:ZnYdKFgf
- 秀吉は立派じゃ。
- 7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 22:16:18 ID:sYZT9wW/
- >>1
秀吉総合スレか。乙
- 8 :アメリカ人:2006/07/07(金) 15:27:57 ID:DDq7PpVR
- ゴメンナサイ
間違えました
さようなら
バイバイバイバイバイバイバイバイバイバイ!!
- 9 :アメリカ人:2006/07/07(金) 15:30:06 ID:DDq7PpVR
- あう、間違えましたゴメンナサイ
アメリカ最強
- 10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 11:59:34 ID:no6tjyF8
- 意味わかんねwwww
- 11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 14:12:59 ID:cAAYR09V
- 晩年や没後の事績を語るスレは別にあるから
ここでは主に木下、羽柴時代の秀吉とその周囲を語るスレにしたいね
- 12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 15:15:06 ID:hiDPsROF
- 農民から次々と出世していくときの秀吉が好きだ
特に前田犬千代との仲は武士らしからぬところがいい
- 13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 01:34:25 ID:Q0gjAyeV
- そう、将軍ではなく、人臣最高位の関白就任というのも良い
下層から最上階まで登りつめたというのが
- 14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 13:49:44 ID:F7qVvkgm
- 将軍になりたかったけどなれなかっただけじゃ…
- 15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 14:05:17 ID:JiyPsvxM
- 俺だって6本指だったら天下が獲れたさ
- 16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 14:27:20 ID:zDxF3591
- 一時期、秀吉は比較的裕福な豪農・地侍の出という説が席巻していた気がするが
最近は農民どころか田畑も持たぬ流民・奴婢の類だった説が主流なんだっけ?
天皇御落胤説やサンカ説などのトンデモも含めて秀吉の素性には数多くの説があるけど
新資料が出る可能性は極めて低くもう永遠に解明される事は無いだろうね
- 17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 14:37:39 ID:b7GW1ncB
- >>16
主流というまでにはいってない最近の説。いずれにしても検証に値する史料が窮めて少ないから
中間足軽だろうと戦奴婢だろうと想像に毛が生えたほどのものでしかない
- 18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 15:08:23 ID:NQ4nCP6d
- ま た 春 華 ス レ か
- 19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 14:49:02 ID:uESITaqi
- 秀吉スレやん
- 20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 12:12:19 ID:TJcd8Lp9
- 価値の低い天下
- 21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 02:46:38 ID:GyEXWUGn
- そうか?農民から出世した時点で凄まじいと思うが
- 22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 03:12:08 ID:XABtNT6d
- 取り入った秀吉もスゴイが
チビでブサイクで指が6本もある妖怪を重用した信長の神経もスゴイな
- 23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 03:20:51 ID:N72J+foi
- サンカってさ、近代の警察用語だよな。
- 24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 14:03:16 ID:XtpFTatj
- 天下取りじゃあ〜っ!
- 25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 15:27:10 ID:0dsL7xHm
- 戦国の秀吉と昭和の角栄。その並外れた出世は俺のような庶民に夢を与えてくれるね。
- 26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 09:38:59 ID:HYSDV4Fv
- おお秀吉スレか
何故かあんまりたたないんだよな秀吉単独のスレって
- 27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 22:16:52 ID:5Drc+W8s
- 小説の話を語るスレですか?
- 28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 22:24:34 ID:78Z92wBw
- 小説でも漫画でも史書でもいいんじゃね?
俺は小説とか漫画とかしかしらないけどな
歴史に詳しいと自称する人間には秀吉アンチが多い気がするんで
他の人物と比べてどのくらい酷い人間なのかとかもあれば教えてくれると嬉しいかもしれない
司馬とか隆慶とか読んでると欠点も含めて愛すべき人物に思えてしまうからなあ
- 29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 14:16:26 ID:axtM6hNZ
- 大河の秀吉は誰が一番良かった?
俺は利家とまつのときの香川照之なんだけど
- 30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 14:39:25 ID:yfh+p8PP
- 竹中直人の秀吉は神だと思う。
あと所ジョージなんか秀吉役合いそうな気がする。
- 31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 15:51:44 ID:bGSiHdEs
- 竹中直人のときは、俳優が濃くて、
足利将軍役も良かった。
- 32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 20:12:26 ID:vbm4aTJ3
- 俺も竹中直人が一番だと思う。
竹中が秀吉で、松平健に家康をやってもらいたいな。
- 33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 23:57:20 ID:kha6j81W
- 香川秀吉は神だった。柄本秀吉もまあまあ良かった。
柄本さん自身が最高なので。
マツケンはやっぱ勝家だな神だった。大河ドラマで最高に評価されたような気がする。
- 34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 18:24:07 ID:BDUF0CJb
- 前髪あった時期がちょっとつらい>竹秀
- 35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 11:52:07 ID:g+GiNwqq
- 勝新
- 36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 04:14:51 ID:vGduXB2C
- 秀吉政権下の日本は、その歴史上でも最も過酷な税の搾取と徴用を行われたとか。潤ったのは大阪や堺、京の一部特権商人のみ。
太閤検地は土地の把握のため行われたのではない、年貢を余すことなく搾り取るために行われたものである。
しかも余りに搾取が酷かったため農村は疲弊し、生産高は戦国期以下となった。(江戸期になって急回復した)
そして刀狩も兵農分離のため行われたものではない。上の状況の中で乱発した農民の反乱を食い止めるためにやったものである。
個人としての秀吉はともかく、その政権は史上まれに見る「悪政権」と言っていいだろう。
- 37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 08:33:38 ID:gCzNiR7F
- >>36
ソース……
- 38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 20:48:37 ID:o8nKP0NP
- ソースもなにも、それぞれの捉え方
- 39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 03:03:50 ID:j+wx91Gr
- 秀吉は晩年がひど過ぎる
- 40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 06:59:05 ID:gEPX59XK
- 耄碌して暴走する独裁者なんて歴史上には掃いて捨てるほどいるよ
- 41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 10:01:22 ID:Whq8qiJs
- ほとんどいる並みの独裁者だったってことだね
家康はすごいよな
- 42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 12:06:57 ID:9wgLVjBc
- 近現代以前の日本史においては極めて稀なタイプ
支那王朝の初代皇帝に居そうな感じ
- 43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 11:06:21 ID:lNR+KddL
- 秀吉が日本を平定し尽しても織田の家臣として服従し続けていたら・・・
家康が歯向かってきても皆西軍に付き、織田の筆頭家臣として幕末まで続いた
- 44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 13:00:56 ID:+3/YraIp
- そんないびつな構造続かないような気がするが。
- 45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 14:24:20 ID:lNR+KddL
- 曹操みたいにすればいいってことみたいな
- 46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 15:25:55 ID:L4RVrcU1
- 秀吉が健在なら家康は本気じゃ歯向かってこないんでわ。
- 47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 18:00:23 ID:Ipvjhh8d
- >>45
曹操だって生きてるうちに内戦が終結してれば、さっさと皇帝になってるって。
- 48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 23:57:00 ID:r3VRtUbq
- 秀吉は黄泉の国で信長公にボコボコされました
- 49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 06:32:48 ID:IGtEA4DB
- 太閤検地刀狩りによって土豪の半農足軽とかの曖昧な身分の連中が、整理され士農工商への足がかりができたといえる。
商業は商人がボロ儲けしすぎとは言え、国内の戦が無くなれば国内安定していくだろうし、関ヶ原も大坂の陣も無く平和が訪れていたはず。無茶な外征が無ければ。
やっぱり秀吉は戦争政略の達人ではあってその面は信長以上とも言える。83年以降の統一までの過程は並以上程度の武将にもできたかどうか、大兵力の運用にしても、敵勢力への切り崩しにしても、史実調べれば調べるほど鮮やかで惚れ惚れする。
死ぬときも、せめてあっさり死んでくれれば、三成がぼけた秀吉に好きなように言わせて却って、秀吉恩顧の大名の反感ような事も無かったかも。
俺的には三成が無茶やりすぎで豊臣傾いたってイメージです。
秀次にしても利休にしても、三成から見れば政敵として謀殺させた・・・
秀吉贔屓過ぎかな。
- 50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 11:37:37 ID:e+Auvb5H
- こいつって工作が得意だったんだっけ?
政治と戦がぜんぜんだめだったイメージ
- 51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 15:02:42 ID:Xu8plBsa
- >>49
正に死に時を誤ったって感じが強いな
九州平定後に流れ弾に当たるかテンプラに当たるかでもしてりゃ
日本史上稀に見る奇跡の天才武将として評価が定着できたものを
- 52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 17:52:31 ID:CGWsqOC2
- 九州平定後に死んだらまた逆戻りじゃねえか。
- 53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 18:12:46 ID:lDmiFBc/
- 信長もそうだけど、秀吉も「自分がルール」って傾向が強いからな。そのルールの根本が消えれば
権力が崩壊するのは当然だわ。その意味でも独裁者として生々しすぎる。
家康ももちろん独裁者なんだけど、彼はあえて自分自身も「法の枠内」におき続けていた感じはするな。
- 54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 23:43:18 ID:OcOpkj8j
- 信長みたいに40代で死んでればよかった
- 55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 15:48:01 ID:pIC5o91i
- 実際7年早く死んでたらな、と思う。
朝鮮や明国を四国だの九州だの日本の延長線上に考えてたような気がする、兵力さえ有れば取れると。
まあ当時の知識レベルから見て、無理はない面も有るが・・・
大名になって10年で統一しちゃったからなあ。日本狭く感じたんだろうなあ・・・
当時明は腐敗しててそれほど強大でもなかったから、朝鮮抜いて20万30万の軍勢で万里超えたら明はあっという間に滅亡してたかも。
今ちょっと調べたら、国政破綻し反乱飢饉が相次いでて、清が北京包囲して皇帝死んだら、そのまま滅亡しちゃてるな。
ここにも別のIF歴史が垣間見えるなあ、妄想乙!
- 56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 17:23:15 ID:EXJiY5Qn
- 秀次殺す前に死んだなら平和になってた
秀次天下人
- 57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 16:04:03 ID:L+zFu6QD
- 秀吉の死は毒によるものってのは本当なのか?
- 58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 16:18:44 ID:FMibldvU
- 遠藤周作の「宿敵」が秀吉毒殺説を採ってたな
小西行長が朝鮮出兵を止めるために大陸伝来の毒薬を使って秀吉を殺すという筋書き
- 59 :57:2006/09/05(火) 17:08:50 ID:L+zFu6QD
- 日本の戦史 朝鮮の役 って本に
沈惟敬が秀吉に若返りの良薬だといって騙したような話が載っていた。
薬を豊臣秀吉、毛利輝元、前田利家、宮部継潤などが受け取ったが、
利家、輝元は怪しいと思って服用しなかった。
すぐに呑んだ宮部継潤は秀吉と同じ年に死んだ。
…というような事が書かれていたんだけども…どうなんだろうねぇ。
- 60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 17:10:38 ID:F3KicZ0L
- まあ、秀次が後継いでたら、あんなにあっけない滅亡はなかったろ。
史実で言われるような悪人では確実にないだろうし。
明攻めは雇用対策のための政策だから仕方ない。
やり方さえ上手けりゃもうちっといい線いけた可能性もあるし。
- 61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 17:48:18 ID:0uyzaTz+
- 大陸に人を殺しに行ってどうするのさ。
いろいろ人を殺してまで天下を握ったというのに。
- 62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 18:13:59 ID:k+0H5hm0
- それにしても、なぜ孫七郎をあんな簡単に殺したんだか。
小一郎には男子が無かったし、筑前のところは男子一人。
男子が複数いた孫七郎の家系を潰してしまったら
羽柴家の断絶につながりかねないことを考えなかったのか。
孫七郎が実際に挙兵した(あるいはしようとした)ならまだしも・・・
- 63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 18:29:58 ID:L0FylFFN
- >>55
そう考えると大明征伐が結構いい線までいけた。
という前提からなら
巷間よく言われるなんで徳川を出兵させて消耗させなかったのか
という意見も見当違いということだろうな。
成功を前提としている以上豊臣プロパーを主体的に遠征させて
得られる恩賞を優先的に配分しようとしたんだろう。
実際思惑通りことが運んでしかも占領統治も順当だったと仮定すれば
(まあ無理だろうがW)
加藤や福島や黒田とかも普通に100万石200万石クラスになり
毛利や島津も400万石越えくらい可能で
相対的に遠征に出ていない徳川の石高と経済力は低下してしまうわけだからな。
- 64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 20:42:35 ID:F3KicZ0L
- なるほど。
- 65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 02:29:07 ID:re50fmxJ
- >>63
豊臣本体は3000万石とかなりそうだな。
- 66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 15:04:05 ID:ChS8lZbz
- 大陸出兵は家光の時代にも鄭成功が援軍を求めている。当時日本には30万程度の
浪人がまだまだいたのだから、そいつら引き連れて大陸に渡ったらと。。。
鄭成功ってのは明の武将と日本人の母に生まれて、日本で7才まで育ってて、援軍
は得られなかったが、かなり長いこと清に刃向かってる。
ヌルハチの明征服調べて見ると、三國志からそんなに進歩していないのよね、大砲も装備運用はしていたが、鉄砲集中運用とかの気配は全く聞かないしな。
当時の日本の鉄砲隊は世界でも最先端の戦術で戦ってるから。
まあ海外は簡単に決着つけれる物でもないよね。
日本の土地に満足して平和を作った家康がはやりえらかったのか。
- 67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 21:55:20 ID:3/1hlErG
- >>66
つーか、ついこの間まで国内で内戦やってた国がやるもんじゃないよ>外征
中央権力が確立して、体制が落ち着いて初めて出来るもんだ。
- 68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 22:21:35 ID:3W3t03ba
- 国内での諸問題を解決するために外征、ってのは歴史上結構有るし、結果成功した例も少なくない
ナポレオン戦争とか
- 69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 22:25:12 ID:3/1hlErG
- >>68
無理に無理を重ねて最終的にナポレオン一代の間に崩壊したじゃん。
成功した外征、って言うのは、イギリスのインド支配みたいに、100年くらいは安定した
支配やってないと。
- 70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 22:51:19 ID:3W3t03ba
- じゃあビスマルクのドイツ統一&普仏戦争とかどうよ?
当時プロイセンが抱えてた諸問題を強引に鉄と血で解決しちゃった人じゃん
まあビスマルクほどの国際的視野を持った人間が当時の日本(というか日本史全体でも厳しいだろうが)
にはいなかった、と言われるとそれまでだが
- 71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:00:14 ID:3/1hlErG
- >>70
ビスマルクはオーストリア以外のドイツ圏の統一と言う目的があり、その戦略的目的達成の
ためにフランスと戦った。別にフランスを侵略を目指したわけではないし、実際にそうしなかった。
秀吉の朝鮮征伐やナポレオン戦争と意味合いが全く違うよ。普仏戦争の性格としては
日清、日露戦争と一緒。外交の為の戦争。
- 72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:15:39 ID:3W3t03ba
- 唐入りは歴史的に見た場合もちろん秀吉の対外侵略戦争なんだが、当の秀吉はそういう認識は薄かったんじゃないかな
秀吉は中国はともかく、朝鮮は外国じゃなくて日本の一部みたいに思ってたんじゃないか、という説は司馬遼も逝ってた
今まで島津や北条にやってたように「天皇の命令で中国を討つから従え」と言われても朝鮮人は困っただろう
- 73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 23:42:49 ID:EJdqbZg0
- そういう発想って、秀吉個人の領土感覚だったのか(朝鮮は日本の一部)
それとも当時の日本人は、漠然と朝鮮半島あたりまで西国の延長だと
感じていたのか、どっちなんだろうな。
- 74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 01:17:38 ID:GzwSA7Xi
- 秀吉ですら三韓征伐したという神宮皇后伝説を知ってたらしい。
宮中もしくは、ある程度民間まで日本人は、朝鮮半島を日本の古代の歴史と縁が深いと
考えてたのではないだろうか?唐より西は所詮は他国という扱いだが
当時の日本人は漠然と日本と朝鮮の祖は同じ(日鮮同祖論)と考える土台を持ってたなら
秀吉が朝鮮に明国への水先案内を居丈高に命ずるのも理解し得るような気がする。
- 75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 01:47:25 ID:cYslgHYC
- 出仕しなきゃ攻めるよっていうやり方は北条攻めと感覚は一緒かな
ttp://mytown.asahi.com/saga/news.php?k_id=42000170605170002
- 76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 02:10:39 ID:0yHyHq5I
- http://members.goo.ne.jp/home/soten_2005
- 77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 07:59:51 ID:qg37diky
- まあこの唐入りだけは、大義名分無いからなw
ほんと領地増やしたいから攻めるみたいな、まさに戦国大名的な思想の延長にある。
明だの朝鮮に恨みなど有りようもなく、むしろよく知らないからこそ欲しがったのかなw
日本の歴史上数少ない、本当の意味で全権をもった独裁者かもね、秀吉は。
- 78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 09:30:17 ID:As1udonR
- ホームページ制作王は、世界の権威として名高いCOMDEXが
21世紀のワールドスタンダードに認定したWebパブリッシングアプリケーションである。
ホームページ制作王に不可能はない。
不可能があるとすれば、そこが人類の英知の限界点である。
21世紀、世界のWebはホームページ制作王を中心に回っていくのである。
にもかかわらず、ここ日本では、心ない風評のため、まだまだ普及に
遅れがみられる。
ホームページ制作王を普及させないかぎり、我が国のWebは、
世界の趨勢の後塵を拝するばかりである。
世界が認めた高性能!ホームページ制作王
http://pc8.2ch.net/test/read.cgi/hp/1106508682/
- 79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 10:25:11 ID:Sh5eV55J
- アメリカで「世界の独裁者」という歴史初心者〜中級者向けの
カラー図鑑でも日本人として唯一紹介されてたな>秀吉
秀吉がヒトラーやスターリンと並んでるのを見るのは
奇妙であるのと同時に何か誇らしくなったよw
- 80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 16:02:28 ID:qg37diky
- 秀吉の魅力だねえ
関白だの太政大臣だの言っても、元は百姓の子だからな。
権威からもっとも遠い存在だし、伝統に縛られていないし、
単純な出世よりも、陰謀や権力を使って人を服従させる事を楽しむみたいなイメージがある。
戦争の達人ではあるが、政治や伝統には疎いし。
今でも残ってる直筆の手紙もひらがなと適当な漢字ので、人間味あふれるの残ってるからな。
独裁者としても一面は日本人の戦争好きな面を途出させた感じかな?
信長は理解しずらいが秀吉は子供でも理解できる。
家康は年食って理解できてきた^^;
- 81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 16:24:41 ID:oShqO6Rr
- >秀吉がヒトラーやスターリンと並んでる
ものすごい人選だよなw
せめてローマ皇帝とか絶対主義王政の王様とかと並んでるんなら
それほど違和感もないのに
「世界の独裁者」っていう書名も直球すぎて何気にすごいが・・
- 82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 16:45:23 ID:GCWDYpHh
- 「世界のボケ老人」に日本代表として載ってる
- 83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 17:58:14 ID:expifcOj
- 先入観無しに海外の第3者視点から日本戦国史を研究したら
信長よりも秀吉の方が「英雄」「覇王」「暴君」として強く映るんじゃないかな
日本人はどうしても壮年期までの信長配下で忠節に励む猿イメージが
ドラマ・小説等で強く刷り込まれてしまうからね
- 84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 23:01:13 ID:Sh5eV55J
- もちろんネロとか洪武帝とかそういう人たちも載ってたよ>「世界の独裁者」
秀吉はアメリカ人的には"Japanese Napoleon"らしい
西欧圏でのナポレオンの名声を考えればある意味最大限の評価をされてるとも言える
たしかにナポレオンと秀吉にはかなり共通点が多い
・小男
・低い身分から国家の独裁者へ
・兵站支援システムの達人(ロシアや朝鮮では失敗したが)
・巧みな人心掌握
・無理な外征で政権基盤を揺るがす
ってこれってヒトラーとも共通してるけど・・・
- 85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 14:22:36 ID:TBP9Lb33
- 前世とかだったりしてな。
- 86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 14:22:44 ID:vYj9IMcA
- >>82
それなら載ってても違和感ないな。
- 87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 14:49:38 ID:Ccm7lBIC
- 小田原の北条征伐まではまさにナポレオンに匹敵する。
が、その後の朝鮮の役、秀次の粛正からは、牟田口廉也
なみの愚将に成り下がった。
小田原でぽっくり死んでいれば、大英雄だったのだが。
- 88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 14:53:09 ID:tFMzcD3k
- ナポレオンもロシア遠征で没落するから
案外秀吉とパターンが似ているかも
- 89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 15:15:00 ID:SqPhLVwy
- さすがに牟田口レベルは無いだろ>朝鮮出兵での秀吉
- 90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 18:56:25 ID:nlCUPIRA
- 確かに、北条攻めまでいいんだけども、
その後は牟田口並みの愚将とはちょっと酷すぎw
- 91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 23:20:51 ID:QZRzNwrf
- なんで牟田口をそんなに
- 92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 15:00:09 ID:c57bEk8O
- 牟田口秀吉
- 93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 10:34:56 ID:xzXglR7f
- 秀吉が独裁者に加えられてるってのは、
半島の団体の強い働きかけによるものだろう
- 94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 13:55:58 ID:vqvB3+cm
- >>93
普通に誰が見たって独裁者だろ。しかもかなり残虐で好色な。
- 95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 14:48:29 ID:i4eMar5E
- 中世封建主義社会の指導者なんて大なり小なり独裁者でしょ
信長も家康も現在の定義でいうと明らかに独裁者に分類される
秀吉が取り上げられたのは彼が朝鮮出兵で世界史上の人物だから
- 96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 15:53:18 ID:xOhw/oKL
- ところで、なんで秀吉以下の羽柴家の人物たちは
苗字でなく本姓で呼ばれることが多いんだろ?
苗字の羽柴は豊臣姓をもらって以降もそのままだったのに
しかもふつーに間違った読み方までされる有様
- 97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 15:16:14 ID:YPabfHQU
- >>95
別に家康や信長が独裁者扱いされてない、なんて誰も言ってない。
ただ、秀吉は独裁者にありがちな失敗を盛大にしてしまった独裁者
だから評価が低い。
あと、家康はなんだかんだ言って自由裁量権を持ったのは家中だけ。
日本全体や他家に関しては改易権を有するぐらい。秀吉のそれとは
またタイプが違う。信長は統一政権を作ってないから言及しない。
>>96
単純に教科書で「豊臣秀吉」ってなってるからじゃない? たぶん
教科書に「源家康」「平信長」ってなってたら両人も本姓が一般的
になってたと思うけど。
- 98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 07:35:12 ID:iW/28dQg
- 秀吉の評価が低いって何を逝ってるの?
秀次事件や朝鮮出兵みたいな失政もあったが、
それを補って余りある日本史上屈指の英雄という評価が一般的だと思うが
- 99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 13:34:05 ID:QPA4VLb4
- ブサメンの星
- 100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 15:06:54 ID:VTYO1CVf
- >>96
それが現代式の呼び方だからだろ。
なんでって疑問に思う方がおかしいと思うが?
- 101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 20:56:43 ID:CMyh784N
- >>100
それなら、毛利輝元はなぜ「大江輝元」と呼ばれないんだろう?
輝元の場合は織田や徳川と違って血筋がはっきりしてるんだし。
- 102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 00:13:33 ID:LCBUnLmA
- それ秀吉は野人の子、もともと馬前の走卒にすぎず、しかるに一旦、信長公の寵遇を受けて、
将帥に上げられ、大録をはみ出すと、天より高く海より深きその大恩を忘れ、
ついに君位の略奪を企つのみか、亡君の子信孝公を、その生母や娘と共に虐殺し、
今また信雄公に兵を向ける。
その言語に絶した大逆無道を黙視するにあたわず、我が主君源家康は信長公との旧交を思い、
信義を重んじて信雄公の微弱を助けんとして決起せり。
もし、かの秀吉が天人ともに許さぬ悪逆を憤り、信義の重きを思う者あらば、
父祖の名誉にかけてこの義軍に投じ、以って逆賊を討伐し、海内の人心に快さん。
- 103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 04:48:05 ID:iKOABfLb
- 秀吉の生涯における失敗はこの三つに尽きる。
信孝とその母子を切った事
千利休を切った事
秀次と家族の女子供を切った事
これだけは秀吉好きからしても、本当にまずい事だと思う。
これに比べれば外征の不調など小さい問題。
最近は豊臣家の滅亡は、この3人を切ったあたりで決まっていたのかとも考えるよ。
- 104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 05:10:42 ID:7R4d7OLd
- 秀吉好きだけど本当に痛かったのは三つ目の秀次事件だけだと思う
信孝とその一族の処刑は信雄の意向があってのことだし、そもそも最初に歯向かった時は彼を許してる
千利休の処刑は未だに理由がわからないが、彼が生きてたところで秀吉死後の家康の専横を抑えることなんてできない
さっさと家康に乗り換えるのが落ち>利休
- 105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 12:35:03 ID:FEt7q6fe
- >>104
痛いというか、残虐極まりない暴挙ですな。
秀吉の残虐性は若い頃から介間見られるが、
この事件だけは秀吉の血も凍る冷血漢ぶりが
感じられて、アンチ秀吉になってしまった。
- 106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 15:21:46 ID:iKOABfLb
- 秀次の殺害は諸説あるが、関白である秀次を処刑するために、反逆罪を適応して
妻妾子供全員殺した訳だ。
秀頼が生まれた為の言うのが一般的だが、実際問題、実権の全くない、しかもまだ
生きてる姉の子の身内を処刑するというのは、とんでもない事だ。
1595年に秀次処刑して、精神的に参ったのか、その後秀吉は病に倒れて多少平癒
するも98に死んでいる。
仮にも甥とその子を処刑したのだ、それまでの秀吉の人生を考えればここまでの、
冷血ぶりは異常である。
私なりに考えられる説をしては、秀吉死後を見つめての政敵である秀次を三成がこ
れを機会に諫言し殺害させたいう物。
秀次はとりあえずは切腹したのだし、秀吉自身の血縁である秀次の子供や関係の
無い妻や妾を処刑は当時から考えてもあり得ない。
本人が潔く切腹した以上、減刑されても良いはずだ。側室には菊亭晴季の娘や、
最上の娘いる、実際処刑によって秀吉の名は地に墜ちた。
前に何かで読んだ話によると、秀吉は三成が積み上げた罪状を前に処刑を命じる
と、さっさと城に閉じこもってしまった。
三成は秀次の処刑に福島を命じ、秀次に腹を切らせ、自分は妻子を処刑した。
なんでも最上の娘は秀次に所望されて東北から来たばかり、秀次の顔も見たこと
も無い、来たとたん処刑される羽目になり、さすがに淀君や秀吉が助命の使者を
出したが、三成は「遅かった、その者の処刑はもう終わってる」と言い、そのまま
処刑してしまったそうだ。
あげくに秀次付きの重臣も腹切らせてる、秀次に重臣をつけたのは秀吉自身なの
だから、自分の手足を切ってる様な物だ。
秀吉はそのあとすぐに病気になって寝込んでしまうが、死期を悟ったのか、利家に
大納言、家康に内大臣にしている。生まれたばかりの秀忠の子の千姫を秀頼の嫁
にと約束させたり。
自分が死んだ後の道筋を秀吉なりに考えていた形跡がここに伺える。
- 107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 15:34:48 ID:iKOABfLb
- そう考えると、家康の天下取りである三成の暴走による関ヶ原は避けれない
物だったのだろう。
よく他の板でなんで家康に関東の250万石も与えたのだとか、家康さっさと謀殺
しとけば豊臣家安泰だったなどと言ってる奴いるけど、家康が天下を纏めなけれ
ば朝鮮撤兵もままならず、三成や秀頼に天下を収める器量はまったく無く。
中央の権威は無くなり、又戦国に逆戻りしていただろう。
国内を統一した秀吉の実績は文句のつけようが無い。
それを受け継いで国内に長期の安定した平和をもたらした家康もはやり偉いと
思う。
秀吉は家康を常に立てていたし、信頼もしていた。
家康も秀吉の実力を認め、協力し130年も続いた戦国を終わらした。
英雄は英雄を知る、こういった信長から続く目標意識は天下人ならではの連帯観
が有ったのだろう。
- 108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 17:00:34 ID:kzwuj6X3
- 秀次処刑の言い出しっぺが三成説は徳川の悪意?
- 109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 17:08:56 ID:Rm1x1n33
- >>108
その辺はむしろ戦後。秀次の再評価(ってほどでもないだろうけど)によって
出てきた説のような。
- 110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 19:49:25 ID:eFTFebpB
- 三成黒幕説なんて徳川の悪意うんぬんどころか江戸期の講談レベルの話では。
長文で得々と語るもんじゃないな。
- 111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 22:47:04 ID:dBE0BAqo
- 平和のために人を殺してきた。
だが外国と戦争。
矛盾とは。
- 112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 06:15:59 ID:rEnDgWA6
- >>105
>秀吉の残虐性は若い頃から介間見られるが、
これは中国方面侵攻時のこと?
- 113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 12:31:37 ID:5A1NCNSy
- 三成がやったならなんで若江八人衆が配下になるのかと。旧主を陥れた奴のために死ぬのかと。そこらへん>>106に問いたい。
- 114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 14:02:06 ID:A67n3+Du
- 秀次は主っても他所から入ってきた人だからね
ところで秀次の後の近江八幡に六角某がいたの?
- 115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 17:38:40 ID:XZL2GAeH
- 旧主もなにも若江八人衆秀次の譜代の家来でもないし
三成も同じ近江に領地持ってたし
さらに秀次処刑の黒幕が三成の仕業だからこそ
むしろその三成に仕えれば自分が秀次に連座して累が及ぶのが避けられるだろうし
- 116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 18:11:42 ID:Zxs3G5IN
- 八人衆の一人舞兵庫はまたの名前を前野忠康、
秀次事件で連座して処刑された前野長康の女婿だった
もし三成が秀次事件の黒幕なら彼にとって三成は秀次だけじゃなく義父の仇でもあるわけで、
常識的に考えてそんな男の為に命を捨てるわけないと思うが
- 117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 19:25:40 ID:k5XSIkrU
- >>116
そんな関係で主君臣下になるのは、戦国時代では珍しくないし、
最初に恨みがあってもそれを信服させるのも上に立つものの甲斐性では?
まあ、個人的な感想だが、よほどの偏屈者でない限り、ある程度以上の知行と
待遇を与えられ、しかも家老として重用されていれば、恨みよりも恩の方が深くなるでしょ。
- 118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 02:36:54 ID:prewG2cT
- 秀吉が亡くなるとすぐに菊亭晴季が戻ってきて右大臣になってるから
太閤の意向が大きかったんだろうな
いずれにしても関白と二重になってると収入とその配分が問題になるかな
- 119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 15:22:11 ID:ZxNVt28J
- 天下人age
- 120 :学生。:2006/10/21(土) 15:54:26 ID:cvMeczsv
- 質問。
豊臣秀吉の刀狩で、戦国大名に与えた影響とはなんなのか。
なかったら、いい。
- 121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 16:26:41 ID:OAaDR4Xi
- >>119
三戦と違ってIDみえてんだぞ?
一斉ageうざい
向こうとは空気違うんだから読めないなら巣に籠もってろ
- 122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 16:33:01 ID:3KC14gkz
- >>120
平和になれば軍人貴族以外は武器が禁止される物
刀程度だから何とも言えんが、アメリカと日本くらいの差は有ると思う。
戦国大名に与えた影響って、よくわからんが、大名から見た視点なら
平和になったから農民は暴れるなよ、しかも、年貢上げるけど暴れるなよ!
って所です。
太閤検地と会わせて半農半兵がすっきり整理されて士農工商への足がかりになった。
これで良いのかな?
- 123 :学生。:2006/10/21(土) 16:41:16 ID:cvMeczsv
- >122
ありがとうございます!!!納得です。
キャラかわってるし。
- 124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 13:01:43 ID:16aGEryb
- 日本史上最強の独裁者だな
家康だって秀吉のような無茶は出来なかったし
- 125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 21:12:38 ID:kaZsyqSV
- 天下を統一してしまった秀吉は、武将達にあげる恩賞(土地)が
日本にはなくなってしまった。
故に、朝鮮・明へと攻めざるを得なかった。
秀吉と部下達を繋ぐものは、血縁でもなければ忠誠心でもない。
「利」のみだ。
以上、花の慶次より。
これを読んでから、秀吉の朝鮮出兵に関するイメージが変わった。
- 126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 22:02:27 ID:mY/JhiyE
- 花の慶次の秀吉は迫力があって良かったな
- 127 :戦国史研究オタクあほやん:2006/10/31(火) 12:51:50 ID:sZtLNi0b
- 「江濃越一和」と関白二条晴良を来月新宿で発表してしまう優秀な仏教大学院生ブログ
http://red.ap.teacup.com/katayann/
片山「豊臣政権の対北条政策と『長丸』の上洛」(『織豊期研究』7)
片山「九月十七日付家康書状の紹介と在京賄料」(『ヒストリア』197)
http://saint-just.seesaa.net/archives/200411.html
- 128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 17:38:48 ID:dX1k1Pmt
- 漫画と史実の区別もつかないのが秀吉厨クオリティ
- 129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 20:45:27 ID:EtFuqQUy
- 煽ることしかできないのがアンチクオリティ
- 130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 00:47:13 ID:R00B1lDE
- 「ミャンマー最高実力者、末娘の豪華挙式ビデオ流出」
ミャンマー軍事政権の最高実力者、タン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長の末娘、
タンダル・シュエさんの結婚式を撮影したビデオ映像が国内外に出回っている。
贅(ぜい)を尽くした豪華な挙式の様子に対し、ヤンゴン在住のミャンマー人男性は
「人々の生活は貧しくなっているのに、ぜいたく過ぎる」と怒りをあらわにしていた。
ビデオは3種類あり、今年7月3日にヤンゴンで開かれた挙式と披露宴の様子を音楽と
ともに収録。約10分のビデオがインターネットの「YouTube(ユーチューブ)」に
流出した。参加者が撮影したものとみられるが、流出の経緯は不明。
タンダルさんの相手は商業省幹部とみられ、新郎新婦は白の正装に身を包み、腕を組んで登場。
タンダルさんの髪飾りにはダイヤモンドがあしらわれ、両手の指には高価な指輪が
はめられていた。
消息筋などによると、挙式費用は約7000ドル(約82万円)で軍政関係者が負担
したとみられる。車や家など約58億円相当の贈り物も用意されたという。
引用元:読売新聞 http://www.yomiuri.co.jp/ (2006年11月3日22時32分)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20061103id25.htm
秀吉の安土城への、頂上から麓まで続いたって言うお中元を思い出した。
時代は変わっても人は変わりませんな。
- 131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 00:50:41 ID:vMHkaZFA
- ちょっと無理やり過ぎないかw
- 132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 13:48:36 ID:6Zm7N9xV
- しかし、朝鮮出兵は失敗したから叩かれるけど・・・もし成功もしくは
朝鮮半島の一部でも自国領としていたらどうなったのだろう?
- 133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 18:55:41 ID:dvdmPO7r
- >>132
あの半島の一部が自国民になったら大変な事になってる気するんだがな
現状でも十分大変なのに。
- 134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 01:08:52 ID:hP1O+gGY
- あ
- 135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 07:45:55 ID:pmoDg/nd
- >>132
豊臣家が存続したとしても
一部領有じゃ維持するのが大変なんじゃね
逆奪する程、裕福な国じゃなかったし
技能者を連行して働かせるくらいしかメリットは無かったよ
明治とかになると大国との緩衝帯として必要だったんだろうけど
- 136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 00:02:05 ID:Y/a3SyUt
- 戦国の春華
- 137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 22:23:52 ID:DPKMXht+
- 信長を祭るため船岡山に「建勲神社」があるけど、あれって明治に建立されたんだよね。本当は、秀吉が「天正寺」として建てる筈だったのに、何で建立途中で止めたわけ?
- 138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 03:54:45 ID:/c53fdIS
- 秀吉は家康を屈服させて天下を手中にしてからはっきりと旧主信長とその一族に対して冷淡になってる
信長の菩提寺の建立を途中で中止したのも必要ないと思ったからじゃないか
それまでは信長の一周忌なんかも盛大にやって「織田家の忠臣秀吉」をアピールしてたんだが
- 139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 07:49:04 ID:EujVPJoE
- カネコマとか忙しかったとかじゃなかったんだ。
秀吉の信長に対する忠義ってそんなもんだったのね…
太田牛一に「信長公記」を書かせたのも、家康に見たことない本を作って対抗するためだと、ドラマで描かれていたけど、あながち嘘じゃなかったんだ。
- 140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 08:09:52 ID:IyqbrpXG
- ある程度自分の権力がかたまれば、
秀吉>信長
をアピールしたくなるだろ。
晩年、信長に叱責される夢を見て錯乱したという
逸話が残ってる様に、罪悪感は有ったんだろうけど。
- 141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 11:40:44 ID:/c53fdIS
- 秀吉を擁護するわけじゃないが信長存命中の信長への忠義は本物だったと思うぞ
本能寺の変の報を聞いたとき人目も憚らず号泣したという逸話が伝わってる
晩年の秀吉は天下人になって増長してたとしか思えない
- 142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 17:58:06 ID:+kD3LZJM
- >>141
逸話を誰が残したかだね
- 143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 04:59:54 ID:t7YTsr5k
- はるかって誰?
- 144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 14:26:45 ID:Otj8ZQ8U
- 主君存命中は忠節をまっとうしてた重臣が
代替わりした後にたちまち実権を握って乗っ取ってしまうなんてのは
戦国時代では日常茶飯事であったわけで。
全面的に支持はできんがそれもまた戦国のルールだろう
律儀に忠節を守る武将ばかりなら足利幕府は滅亡して無いし
斯波家被官のそのまた下の類型に過ぎない信長の家系も天下人なんてありえんわけだ
- 145 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 11:20:04 ID:4hmSYFwu
- 一夜城ってどうやって作るの?
昔読んだ学習漫画では「絵」ってことだったけど、今思うとなんか嘘くせー
- 146 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 12:40:19 ID:WbJP5dkg
- 「原作」の絵本太閤記では上流の川から資材を流して、
下流の墨俣で夜のうちに組み立てたということになってたはず
現在ではまず間違いなく創作だと言われてるエピソードだが、
中国や日本の古典で似たような話は知らないから作者のオリジナルなのかな
それはそれで凄いな
- 147 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/09(土) 15:35:34 ID:1AwCd02k
- 色狂いの猿は気色悪すぎ
- 148 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 10:05:34 ID:i4CwkxWO
- 秀吉なんて司馬遼とか大衆向け売文屋が美化したせいもあり、
いい印象を持つ人も多いが、知れば知るほどとんでもない奴。
先日終わったテレ朝「太閤記」も少し見て驚いた。こういう
幼稚な秀吉賛美が結構伝わるんだよな。
- 149 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/17(日) 11:10:39 ID:EGRxUekl
- 通り一辺倒の「陽気な太閤さん」イメージには俺もいい加減辟易してる
知れば知るほど只の人たらしでは済まない
狂気の魔王・秀吉の凄味に惹かれてくる
- 150 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 02:30:18 ID:S+yaobPY
- 秀吉はホントは残酷だしな
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