5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【疑問】スレ立てるまでもない質問【戦国時代板】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 19:49:27 ID:QFl36gu2
質問する時はageで、
―【誰も答えてくれない放置される質問】―
★「〜の〜を下さい、若しくは掲載されてるサイトを教えて! 」等。
クレクレ君は放置です。
★検索すれば分かる、単 発の単語の質問は禁止です。
★マルチポスト(多重投稿)は逝ってよし。
★亀レス歓迎!知ってる人間がすぐ出てくるとは限りません。
―【質問する前にすること】―
★検索サイトでとりあえず検索。これ最強。→Google検索
http://www.google.co.jp/
★自分と同様の質問がスレッド内(Ctrl+F)、過去ログ先に無いか必ずチェック。


2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 19:49:42 ID:gkuOWLtQ
                                   : __,,,,,,,,,,yww,,,,、    .l゚“''''z     l゚゚゚゚゚゚》
      :     .,r''',ラx,    ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,、   .l“゚” ̄:       `゚'i、  .,xネ  .タ--r,#━″ .゙''''=,,
    .,r''”゙”ヘ、 ,l`l ̄'ョ゙ト   |              l    .l:       _、   .]  .l      ll゜  ,,,,,,,,,,,  'l:
   ,r″   .゙'l,,《.゙v,,r゙,ナ   .』     : _,,,,,,,,,,,,,レ    l,yxrr━'''“゚,√   ,ト  .レi、  ,l丶 .l'l|  l━=l″ :l
  .,l°  .,,   .゚!Z=r〃    “''"““゚“゙ ̄″             ,,f°  ,f°   .レ  .ll:  .l`l  ,,,,,,,,,,,,   l
 .,i″  ,l~゚li、   .゙'L                         ,r″  .,l″    .l′ .ll" .,l 】  .'サ''''″  ]
.,,l°  .,√  ゙!i,、  .゚┐                         ,r″   ,こ     レ  .ll" .,l ,l    ,,,,,,,,、.,,l
ぐ  .,√    ゙!i,、  ゙'l=@         : : : : : :      .,r″    .゚'r,,    ┃  ,ll  ..l: 】    `'=″ ゙y
: `'、..,l°     ゚h,   ,ト .l'''''"'““゙゚゚゚“゙゙゙”””””””””l    ,r″  .,,i,,   `'┐  《  `  .゙=l   li、   ,,r″ .,,v-x,
  .″          ゚!i、 ,r° .l             : ┃  ,,/゜   .,r°゚''=@  .゙'┐ `'=x,    ]  ヤ°  .゚'i、 ,,i´,m, ゙K
            ゙″  .l,,yvrr━・''''''““゙゚゚゚“゙゙゙”””`  .゚'v、 ,r"    ゙'┐ .,/   .l′ .セ'!l    .,,ri、  ,ト.l, .《,,,ド┃
                                  `゚V″      `='′    il,,,,_ l′'h,_._,,r''″ ゚!i,,,/゜ ゙=,,,,,,,r″
                                                   ゙”゜  `″    .″  



3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 22:35:45 ID:7GPbHwYf
御館の乱で
何故上杉憲政は氏康の息子である景虎についたのでしょうか?
北条家に対する恨みは消えていたのでしょうか?

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 23:21:19 ID:99SSQVCH
>>3
>政虎が没すると政虎の養子・景虎と景勝との間で御館の乱が勃発し、
憲政は旧山内上杉家臣に北条氏との関係を重視するものが多かったこともあり
景虎派を支持した。

つttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E6%86%B2%E6%94%BF
Wikipediaより転載。

恨みが消えたかどうかはわからぬ。消えてないが仕方なしにってところ
ジャマイカ。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/13(火) 11:13:08 ID:C3tAjRdo
兵数誇張や石高誇張が目立つんだけど、
一万石につき三百人ってのは明確なんですか?
例えば武田の甲斐勢が二万の軍で諏訪進攻したのも、単純に考えて甲斐国に60万石強もあったとは到底考えにくいんですが。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/13(火) 16:52:37 ID:Tu0aG4W2
>御館の乱で
>何故上杉憲政は氏康の息子である景虎についたのでしょうか?

そもそも父親を殺した為景の子(謙信)を頼った時点で恨みも何も・・・。
で、上杉三郎景虎は山内上杉の継承者だった(にできる)可能性(自分の後継者)
景勝は弾正少弼という官途から、越後上杉家の継承者。

そういう背景を抜きにしても、両者を和解させなければ自分の立場も危うい。
べつに景虎派だったわけじゃないし、和議のために春日山城に行く途中でアボン。

>一万石につき三百人ってのは明確なんですか?

百石あたり2.5〜3人という目安が、軍役を課せられる領主にとって
ムリもなく過剰でもなく。という程度の問題だな。通常の軍役衆の数。
ところが当時の史料に「地下人も引き連れ」とある場合は、可能な限り動員しろ。
という意味で、織田に攻められた時期の武田、武田と北条に攻められた時期の上杉、
小牧の時の徳川など。

そもそも一石(米が一升瓶100本分)あたり1人食べられる概算だから、
一万石で10000人、女子供老人を差し引いても1000人は動員可能だ。
七人役というのがあって、これは防衛戦のための軍役で一万石で700人。


7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/13(火) 17:19:49 ID:VzMd2Z28
>そもそも父親を殺した為景の子(謙信)を頼った時点で恨みも何も・・・。
為景に殺された上杉顕定は憲政の父憲房の養父な。
憲政誕生前の出来事だし。
景勝も一応為景の孫になるが、あまり重要ではないだろう。


8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/13(火) 19:41:26 ID:yakF9WqC
>>3
1567年近辺だったかに正式に謙信より景虎に関東管領が譲られていたから。
ちなみに越後守護は景勝。それも関係してると思われ

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/13(火) 22:43:45 ID:Tu0aG4W2
>>8
史実にないない、ガセだ。
井上鋭夫氏が「景虎(関東管領)景勝(越後守護)に」説だが、それも推論。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/13(火) 23:20:17 ID:VzMd2Z28
・67年ごろだと景虎はまだ養子になっていない
・景虎の関東管領就任は間接的に北条の関東支配を認めてしまうことにもなる。
いくら相越同盟中とはいえ違和感を覚える。
・越後上杉は山内上杉の分家、断絶状態とはいえ、謙信の独断で守護就任させる
ことができるのか

このあたりどうなの。


11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 01:05:13 ID:ZBUiHMhJ
>>10
謙信は山内上杉の当主(憲政の養子)
同時に、謙信は越後上杉(守護家)の実質的な当主(上杉定実の死とともに室町将軍から守護待遇に)


12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 01:55:59 ID:EbBNDajS
>>11
越後上杉は"山内の分家だし、断絶してるからその点は楽なのだが"って意味ね。

で、なるほど、義輝から国主待遇にされていたことはわかった。
ただこれは「三条長尾が越後の守護相当である」ということで越後上杉の当主
扱いになるのとは別の話じゃないだろうか?
上杉家相続をこの時点で認められていたなら国内安定の為に利用しない手はない
と思うんだが。


13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 10:27:20 ID:ZBUiHMhJ
>>12

永禄4年暮れに輝虎を名乗る(将軍義輝からの関東管領職就任の追認と偏緯)
の段階で、越後上杉の継承も承認されたという解釈が成り立つ。
というのも、長尾一族筆頭の古志長尾十郎景信が上杉姓を名乗り、
上田長尾(政景)との格差が認められる。そのいっぽうで、

天正3年正月11日、吉日を選び養子の顕景を景勝と改名させ、
上杉の名跡と官途(弾正少弼)を譲る。[上杉文書・新潟県史890]

だから、この官途を越後守護職に固有のものとすれば、越後上杉の家督は
景勝に譲った説も成り立つ。ただし、三郎景虎側に旧上杉家臣や古志長尾
がついたことから、疑問視する研究者も少なくない。てのが史学界の現状では?

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 19:22:23 ID:jYizs5Fe
>>9
なんだガセなのか。信用していた

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/15(木) 15:04:15 ID:ngZ8nnsl
古語辞典にもある臭水(くそうず・日本書紀天智記)とは原油のことらしいが、
戦国時代に使われた記録や伝承はあるのか? 使わない手はなかったと思うが、
鉄砲や硝石と同様に、相伝(人の口から口に伝承される技)だったのだろうか。

http://210.131.8.6/iide/nature/tainai.html

16 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/06/15(木) 19:15:43 ID:76PJnzbn
石井進の本だったかに、貴人を焼くために真言宗の僧が原油を使った記録があると
紹介してた気がする

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/16(金) 01:42:43 ID:O++vMfYg
>>15
室町時代には瓶に詰め火縄を付けて、紐をくくりつけてぶん回して投げつけて火炎瓶のように
使ったんじゃなかったっけ?

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 17:04:05 ID:FaNqNLC1
森蘭丸みたいな小姓ってどんな事をする人だったんでしょう?
他には有名な人はいないんでしょうか?

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 17:10:42 ID:vQ5m7mO3
春日源吾とか樋口兼続とか

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 17:15:17 ID:rDA92TWw
>>18
主君に穴を出す、掘られる。
簡単に言えば、美少年のメイドさんみたいなもの。

樋口兼続、加藤清正みたいに、小姓から出世して大名になったのとか結構いる。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 17:49:36 ID:owlGDi18
>>20のメイドさん観が激しく間違っている件

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 20:48:20 ID:ZXqURSNK
農民や百姓出身で、実力者になった人は、豊臣秀吉だけですか?

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/17(土) 22:43:41 ID:vQ5m7mO3
田中角栄
戦国なら田中吉政だな

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 10:26:50 ID:f4mQZr6j
>>22
当時は言ったもん勝ちだから百姓とか区別ないよ。
秀吉は下級武士だった説もある。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 13:21:22 ID:P5Z393s6
つまり秀吉の出世というのも天下人になったからであるのね

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 01:24:07 ID:YukMO7q7
関ヶ原の戦いに不参加だった蒲生秀行が多大な恩賞を受けたのは何故?

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 12:55:29 ID:/8Gv59R9


28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 15:52:58 ID:N5ClZGxM
振姫(家康の三女)の夫ですからね、秀行
前の減転封は重臣間の紛争により、秀吉から命じられたもの
関ヶ原時は宇都宮で上杉の牽制をする役目
信用されたのでは、家康に


29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 12:46:54 ID:q902YF/c
質問です


30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 12:51:28 ID:q902YF/c
30年以上前の映画だと思うけど、大阪の陣で真田幸村が討ち死にするシーン
で体中に矢を受けて壮絶な最後を遂げるシーンがあった記憶があります
が何て映画か教えてください。モノクロで大迫力でしたが、五社英雄監督
の3匹の侍にちかい演出かもしれない。
とにかく真田幸村の討ち死にシーンは凄かった。


31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 17:39:17 ID:eORHitTx
質問。当時の武将さん達の給料のシステムがしりたいです。よく〔何千石〕とか載っているけどそれは給料なんですか?お米?

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 17:56:47 ID:tksrS3sG
名目の石高と実質の石高が何倍も違うという話をよく聞くけど
なんで、そんなにかけ離れちゃうの?
土佐なんか20万石以上という話で行ったのに
実際は9万石程度しかなかったそうだし。

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 19:26:41 ID:JU3KvlLH
まじめな質問は史板のほうがよさそうだな

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 19:46:14 ID:pihte2jk
>31 米の単位。給料というか、報償は米で支払われました。江戸になっても同じ。
領地を貰ってる人は別です。

一石は一○斗
一斗は一○升

>32
検地の後で、そんな例があるのかな。逆は聞きますが。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 21:54:03 ID:eORHitTx
なるほど、お答えありがとうございます。報酬って事は定期的にもらえるものではなかったのですね、米は換金なども出来るという訳か〜

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 23:31:26 ID:pihte2jk
>35
書き方が悪かったです。報酬=年棒と考えて頂ければいいとおもいます。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/28(水) 00:18:29 ID:3b/9BA79
>>35
ついでに言うと、江戸時代になると現物支給じゃなくて札とかもらってそれを藩所有の蔵に持って行って
それで交換するシステムになったよ。そこから先物取引も生まれたりもしてた。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/28(水) 05:03:08 ID:kQ27+nyg
なるほど!藩の紙か〜。でも米が無いと渡せないね!弱小藩はキツイかも

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/28(水) 06:28:40 ID:JxyKkQRh
>>32
石高は20万でもそれを支払う農民が反抗したり疫病、貧困当で支払い拒否したから
実際江戸時代を通して農民の力はかなり強かった
武士が農民を虐待してたなんてのは捏造

考えても見ろ、幕末じゃ農民が腰に刀さして堂々あるいてたんだぞ?

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/28(水) 07:14:13 ID:DTSdoVrv
かの新撰組も、武裝農民やな。武士も居るには居るが……。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/28(水) 14:45:22 ID:umvS2PFE
特に土佐は一領具足とかで兵農未分離の地侍が多かったしな。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/29(木) 07:47:57 ID:60bUcv5M
>>39
幕末生まれの方?

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/29(木) 12:28:54 ID:c8YDLsMo
私的な旗本・大名の歴史ページ というHPが
表高と実高の関係詳しいです

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 20:51:48 ID:M4dBxHLD
戦死者の遺体はどうやって処理していたのですか?
まさか放置?

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 12:52:28 ID:rt8r+ppe
放置せずに手厚く葬ってるよ。戦前なんかは至る所に首塚があったりもした。
今は一箇所にまとめて大きく首塚を作り、そこに移設したりしてるけどね。
放置は疫病が流行する恐れがあるので絶対にしない。呪いや言霊、霊魂を信じる日本の風土らしい特徴。


46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 21:06:58 ID:t7Ob/kHT
織田信長とか豊臣秀吉とかが実在してたっていう証拠ってどこにあるんですか?

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 22:52:33 ID:ShIbxOKA
俺達が存在してるって言う確証もないのにそんなの無理、答えられない

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 07:45:52 ID:MZn5stiv
昔、大河ドラマで見たと思うのですが
合戦の時に、最前列で数人の子供が太鼓を叩いたり笛を吹いたりしたあと、
攻撃を仕掛けてくる武将は誰でしょうか?
15年ぐらい前だと思いますがインパクトがあって印象に残っています。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 08:55:09 ID:yR7qR729
それタイムボカンだろ

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 10:01:00 ID:7EguPHUK
>>48
「天と地と」じゃね?ありゃ監督の創作と本人が断言している。実際にはない部隊だよ

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 13:08:35 ID:wEtaq4Ps
>>30
亀レス=おおい!まだ見てるか??
「真田風雲録」1969と思うぞ。
変な茶化したアクションじゃなくて、大人のための映画だ。

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 17:35:40 ID:RjLQc5d+
>>32
>土佐なんか20万石以上という話で行ったのに
>実際は9万石程度しかなかったそうだし。

逆だろ。土佐は太閤検地で表高9万8千石、長宗我部氏改易後に山内氏が
再計算したところ20万2千石になった。

参考 ttp://www.nhk.or.jp/kochi/johoichi/taiga/ky_14.html


53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 04:56:51 ID:4qStaKLe
>>50
ありがとうございます
やっぱり創作ですか。ちょっと残念。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 11:47:37 ID:IHIfv+ZC
>>32
石高は米の生産だから、イコール実際の国の豊かさ、とはならない。
蜂須賀の阿波(徳島)も特産の藍の全国独占販売による収入を加えると
豊かさは100万石の加賀に匹敵したというし。

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 17:17:21 ID:KojK1AQ9
戦国期は金山銀山があるし、大内みたいに貿易で、もあるし

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 19:11:24 ID:DbSZruD1
加賀は100万石ですか

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 20:22:14 ID:jCQSWvHl
加賀40万石
越中35万石
能登30万石

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 20:54:10 ID:X+YGqvFz
地元民はよく勘違いしてるけど
加賀藩が百万石なだけで加賀国単体では30万あるかどうか

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 21:06:10 ID:i6k72dFq
加賀の実高
太閤検地 35万5千余石
寛永期   44万2千余石

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 00:18:20 ID:2r3WvDZH
能登が30万石もあるってなんか意外だ…。
あと、筑前筑後豊前も面積の割には高いよね。今の福岡県でゆうに100万超えてそう。


質問ですが、三津七湊を教えて下さい!安濃津、坊津までは覚えてるんだけど

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 01:02:03 ID:sVRPnzeQ
待て、能登の石高は>59と同じと思われるソースだと、
二〇万石・一一万石だった筈。
俗に加賀百万石などといわれるが
まあ半分は越中ではないか? 
実勢の伸びを勘定すると尚更に。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 01:02:33 ID:zfBFGl5I
安濃津、博多津、坊津or堺津
北から十三湊、十崎湊、今町湊(直江津)、岩瀬湊、輪島湊、本吉湊、三国湊

石高は単純に面積ではなく、稲作に適した農業用地の面積や気候の方が大事ですから。
それこそ面積だけで言えば信濃は広いですけど、石高は尾張に劣りますし

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 01:19:16 ID:2r3WvDZH
>>62
ありがとうございます!
なんか七湊は北(日本海側)にかたよっとるんですね。
てっきり今治や赤間関、浦戸も入ってると思ってた…

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 23:38:32 ID:XDAa+/xH
加賀藩は越前もあった?

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 04:56:09 ID:FasUztPd
みなさんからしたら糞な質問になるのですが、旗本といわれる方々はいったい何なんですか?いわいる大名に使える武家ですよね??数千石でやとわれているサラリーマン武士ですか?

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 05:24:57 ID:xikL3Mvc
さむらい

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 05:31:55 ID:NgZv/g7Y
大雑把に説明しますと、
戦国時代の旗本
・主君の直属部隊、つまり直属の(譜代)家臣
・独立性のある国人領主よりも大名の信頼度は上
・大名の軍旗(つまり本陣)の本で守る武士団
江戸時代の旗本
・将軍家直々の(大名ではない)であり、将軍に御目見得できる身分の家臣(御目見得できないのは御家人)
・特に石高が高い(大名待遇)、もしくは由緒ある家格(大名分家、改易大名家、名家)の旗本は交代寄合と呼ばれます(ex山名家、最上家)
・更に名族は高家として朝廷との連絡役や儀礼を司る(その為に官位は高い、でも石高少な目)
・幕府の役職(除く大老・老中・寺社奉行)を命じられる
・ちなみに石高は9500〜100と雲泥の差


68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 06:26:54 ID:FasUztPd
お答えありがとうございます。なんとなく理解できました。よく暴れん坊将軍でしんサンが出会った人に「貧乏旗本の次男坊」と言っていたので気になっていたのです!

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 08:00:06 ID:Xoxl84Hm
でも100石と言っても、
現代年収800万位あるんだけどね。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 09:24:50 ID:eOlUNRLX
ただし軍費その他必要経費は全て自己負担だけどな

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 13:45:40 ID:9mBalwc0
軍馬を世話するのはどの役目の人でしょうか?
百姓ですか?その馬を持ってる武将ですか?馬を世話する今で言う厩務員みたいな人ですか?

あと、関ヶ原の戦いにおいて、全体16万人?のうち、騎馬の割合はどれくらいでしょうか?

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 13:52:01 ID:WClm7kOt
>>64
無い
能登、越中、加賀のみ
越前は松平家

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 13:58:04 ID:1LIYU+YW
大河ドラマでやってた槍に旗まきつけてビューンって本当にやってたの?

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 14:53:57 ID:FasUztPd
八百万円?数千石の人はヒルズ族!?

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 15:13:56 ID:NgZv/g7Y
その800万円相当でも石高によって家臣を何人雇え(当然自腹)等の義務を考えると、懐には厳しかったり。
一番多い200石の旗本(1600万)で家臣を5人雇い、召使を雇いとなると、実際手元にはあんまり残らない。
更に役職手当どころか出費する小普請組(修理費分の金銭か人役を出す、3000石未満の役)に編入されると商人に頭下げて……



76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 19:29:46 ID:FasUztPd
ぐぉー痛い。商人に頭を下げるなんて・・貧乏暇なしか・・

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 22:40:31 ID:eOlUNRLX
>>71
よく分からんが騎馬ってのは騎馬武者の事か?
騎馬軍団とか騎馬隊とかなら無いぞ

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 23:01:08 ID:9mBalwc0
>>77
大河ドラマとかの関ヶ原の戦いで馬に乗って槍をぶん回してる人です。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 23:56:53 ID:eOlUNRLX
>>78
それは騎馬武者、侍大将とかの中級以上の身分の人達でつまり仕官
基本的には白兵戦では馬から降りて戦う、正確な割合は分かんないな
ちなみに平時でも戦場でも馬の世話は家臣がしてくれるよ

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 12:44:13 ID:8whNAq1h
「伊達世臣家譜」と「同略記」の違いは何でしょう。
単に石高の低い藩士を削っただけなのか、記述された内容にも
何か違いがあるのでしょうか?

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 13:38:32 ID:/ixwbqPM
信康に使えた家臣って石川数、平岩親吉以外に誰が居ますかね?

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 16:12:49 ID:z438m1Hw
>>81
本多重富

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 20:46:31 ID:mCR8VhIX
黒沢明監督の[乱]ってどこかの国や大名をモチーフにしてるの?さっき借りてみたけど三本の矢やとかがでてくるし、ってかあの映画はなんか切ないなー

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 02:48:09 ID:YIHSngnJ
架空の人物であって、モチーフなどは無いんじゃない。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 05:32:16 ID:ThKkq1bF
かな〜?

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 06:52:02 ID:a6pKY4bV
>>83-85
乱のモチーフはシェイクスピアのリア王

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 07:01:16 ID:ThKkq1bF
そうなんや・・゛やっぱりあったんや!今最後まで見たところやけど切ない。。盲目の弟がずっと姉を焼け跡の城でまっているところがラストなんて。。しかも姉は首取られてるし

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 17:09:28 ID:M0xZX1O3
87に萌え

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 19:10:16 ID:4VkT4HCL
戦国時代の与力制度って具体的にどんな感じですか?付け家老とか
いたらしいですが、実際は寄り親の直臣と同じように扱われていたので
しょうか?

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 20:20:22 ID:zQtOXTPL
>>89

読んで字の如く「与えられてる力」でござる。

つまり、秀吉には黒田と竹中とか柴田には佐々やら前田やら
とかねただ、長く寄り親に仕えてると家臣同然の仲になるとか。
形式的には黒田も竹中も信長の直臣ってわけさ。


解釈間違ってたらすまん。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 22:03:21 ID:pOmI16Ar
信長=親会社
秀吉、柴田=子会社

親会社から派遣されてきた人間=与力

みたいな感じかと。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 22:03:52 ID:pOmI16Ar
具体的にって言ってるな、スマソ無意味なレスだったorz

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 01:50:42 ID:Q7+28pej
徳川家康はなぜ信康には徳川姓を名乗らせなかったのでしょうか?
後に名乗らせようと思っていたけれど、その前に殺してしまっただけですかね?

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 01:51:49 ID:Q7+28pej
あ、名乗ってるのかな。。すみませんですた

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 02:33:25 ID:nQnRHmHI
いや、名乗らせてないはず
一応武田と内通した裏切り者ってなってるから、死後も松平のままで、
明治になってやっと一部で徳川信康って呼ばれるようになったとかだったような。

にわか知識で申し訳ない

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 04:14:12 ID:/hFViD47
与力質問したものです。お答え有難うございます。小説などで半兵衛とか普通に
秀吉を殿と呼んで家臣みたいな感じなのばかりで、意味として解っていても正直
違いが良くわからなかったのですが、例えば秀吉の与力はあくまで自分の殿=信長
で秀吉は上司のような感じなんですね

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 05:27:48 ID:jt05gq9g
その場合は秀吉に対して「殿」
信長に対して「大殿」って呼ぶ

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 09:46:59 ID:lGEqOKJD
>>68どうでもいい上に亀だが「三男坊」な

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 11:06:55 ID:GLx2g2US
与力には監視・報告役と言う側面もあったりします

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 11:19:25 ID:p3WmxNhS
目付け

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 17:37:34 ID:esSMb2sz
<●>"←――ブスッ

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 15:44:50 ID:B6nXPAy5
>>96 与力はあくまで助っ人、家臣では無い。
有能な家臣に自分(主人)の家臣をそいつの家臣にすると
派閥が出来たり謀反を起こされ易くなる。
小国時代の家康は与力を多様してた。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 14:43:53 ID:3+PG3kiA
質問します
お江与の方の娘の千姫って、戦で大阪城が焼けた時にある武将に助けられたんですよね?
何か千姫を助けだした時その武将は顔が焼きただれてしまって
千姫に嫌がられて結婚出来なかったって聞いたんですが
その武将って誰ですか?
教えて下さい

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 14:46:14 ID:4rcEX9bp
>>103
坂崎出羽守

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 15:00:02 ID:UY6pX1t/
>103
大阪方の堀内氏久が千姫を伴って、坂崎出羽守のとこに行ったのが真実。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 15:02:20 ID:tRsaNCUD
可哀相な武将じゃ・・・坂崎。
改易はやっぱり宇喜多潰しなのかな・・・まさに命懸けの斡旋だな。

107 :103:2006/07/14(金) 15:17:24 ID:3+PG3kiA
詳しく教えて頂きありがとうございます!
ついでと言ってはなんですが…
その後、千姫が惚れて結婚した男は本多タダトキ(漢字わからない)ですよね?

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 15:42:44 ID:+yMHLKmM
千が惚れたかどうかは解らんが縁組は御公儀の意向と思われる。
直盛は大坂の陣の後、公家と千姫の結婚の仲介(斡旋)をしていたが
公儀が行き成り千姫と本多忠刻の縁組を発表する!
きれた直盛は千姫奪還計画を企てる!公儀にその事が露見し、改易。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 09:15:48 ID:yQn2kZV7
信玄って、上杉や後北条攻め続けて結局落とせないってある意味弱かったって事ですか?
信長は包囲網を組まれて絶体絶命に陥っても、連戦連勝できてるのに、
信玄って、家康を倒すだけの兵力持ちながらなぜ?って思うわけですが・・

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 11:56:48 ID:W29RvI0V
責め滅ぼす意図が無かったからです。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 13:05:38 ID:6OpxsLBR
>>109
>信玄って、上杉や後北条攻め続けて結局落とせないってある意味弱かったって事ですか?

そんなことはない。
事実:三方原で散々に負けた直後、信長は信玄に
  「自分の身内が迷惑をかけて申し訳ない云々ー」
  という詫び状と共に、西洋の名馬を送っているが、
  信玄はこれを無視したたため、大いに困った。


112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 13:06:53 ID:3yPtutTu
土豪連合の限界だわな

113 :某研究者:2006/07/17(月) 12:28:27 ID:0EWFBvnA
長篠で3段撃ちは無いと言う
意見が主流と言うが
長篠では土塁の銃眼から
銃兵が狙撃していたと言う
事だっただろうが
銃眼の数が銃兵の数より少なければ
兵が前後に入れ代わって
発砲していたと言う可能性は
無いのかだが
一部の兵は銃眼を使わず土塁の上等から
発砲していた可能性も
有る訳だろうか

114 :某研究者:2006/07/17(月) 12:37:58 ID:0EWFBvnA
http://miraikoro.3.pro.tok2.com/study/mekarauroko/jyuhou_to_rekishi02-05.htm
銃眼と言うのは
上の様な物だった様だが
密度はどの程度なのかだろうし
同時に全ての銃兵が此れを
使えたのかどうかだが

115 :某研究者:2006/07/17(月) 12:43:39 ID:0EWFBvnA
http://homepage1.nifty.com/k-kitagawa/sana/uedajo.html
上の鉄砲狭間等も
密度は余り無い訳だろうし
長篠でも銃兵全員が同時に銃眼を
使用出来たのかどうかだが
弓兵も銃眼を使用して
居たのかだが

116 :某研究者:2006/07/17(月) 12:47:03 ID:0EWFBvnA
野戦でも密集隊形を組んで居る場合は
オランダ式大隊等の様に
兵が前後に入れ替わって発砲して居たと言う事は
無いのかだが
日本は密集隊形は
使用して居なかったと言う
事だっただろうか

117 :某研究者:2006/07/17(月) 12:49:13 ID:0EWFBvnA
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%90
>大砲の斉射は失敗したが、ドイツ傭兵が力を発揮し、塹壕で停止した騎兵を火力で射すくめた。この射撃によって騎兵の指揮官が戦死した。

この際のドイツ傭兵は
銃眼は使用して居たのか
どうかだが

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 14:11:13 ID:6WPjzlMh
某研がこの板に!!!wwww

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 14:13:51 ID:YJ+EbrFT
なんか、肝心な点を忘れているんじゃないか?
鉄砲は火薬が無ければただの棒。
火薬の元・硝石は信長とあと一部の九州勢が入手ルートを持っていたにすぎない。
事実、織田の(特に秀吉の)独占状態。
だから、長篠以降の戦術の中心に鉄砲が来ないというなら納得できるが。
三段撃ちは無いにしろ、長篠で大量の鉄砲が騎馬を倒したことの否定にはならない。


120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 14:14:33 ID:6WPjzlMh
兵が前後に入れ代わって発砲というのは、当然行われていただろうけども
いわゆる3段撃ちのような整然と統制の取れた交互射撃という感じではないということですハイ。

121 :某研究者:2006/07/17(月) 14:27:02 ID:dhF24vOZ
>いわゆる3段撃ちのような整然と統制の取れた交互射撃という感じではないということですハイ。

日本の場合は一斉射撃は無く
兵が一人毎狙撃していたと言うが
どの程度の距離から射撃を
して居たのだろうか

122 :某研究者:2006/07/17(月) 14:30:20 ID:dhF24vOZ
全銃兵(1000−3000名)が
同時に使用出来るだけの
銃眼が矢張り土塁に有ったのかだろうし
銃兵は発射後入れ替わっていた可能性が
高いのかも知れぬが




123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 14:42:25 ID:6WPjzlMh
>>121
250mくらいから撃ち始め、120mくらいで命中率が上がり、50mで体のどこかに当たる、30mでほぼ必中。
威力は50mで24mmの檜の板を撃ち抜きます。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 15:51:32 ID:LkCjLaOa
感覚としては銃眼があったよりも、片膝撃ち(土塁は遮蔽物)であったの方が現実的と思います。
恐らく、
敵が柵に近づく→統制射撃→敵の攻撃隊交代を続けるうちに、
交代時に何らかの原因(誤報もしくは錯覚、疲労)により前線が崩壊、それに対して連合軍の突撃、
武田方の敗走なのかなと思ったりしちゃったりと

125 :某研究者:2006/07/17(月) 16:15:06 ID:QFMI1qtD
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%90

>フランス軍は前日の軽騎兵による妨害で十分
>な偵察ができず、塹壕の存在を察知していな
>かった。

チェリニョーラの戦いでは
こんな騎兵の用法も有った様だが


長篠では雨に紛れて
野戦築城をしたと言うが
雨が降らなかったら騎兵で
野戦築城を悟られぬ様に
偵察を妨害したと言う可能性も有るのかだが
陣を覆う布等で覆って隠した可能性も
有るのかも知れぬが

126 :某研究者:2006/07/17(月) 16:18:54 ID:QFMI1qtD
>威力は50mで24mmの檜の板を撃ち抜きます。

ナポレオン時代の様な分厚い胸甲で無いと
銃の防御は厳しいと言う
事なのだろうか


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%90
>大砲の斉射は失敗したが、ドイツ傭兵が力を発揮し、塹壕で停止した騎兵を火力で射すくめた。この射撃によって騎兵の指揮官が戦死した。

と有るが
この段階(イタリア戦争)では騎兵は完全鎧を着て居るだろうし
鎧は火縄銃で貫かれていたのか
或いは当たり所が悪かったと言う
可能性も有る訳だろうか
(16世紀中盤以降の3/4鎧やハーフアーマーなら
 銃は止まったのかどうかだが)

127 :某研究者:2006/07/17(月) 16:20:27 ID:QFMI1qtD
所謂輸入品の南蛮胴なら16世紀後期の物だろうし
此れは防弾能力が有るのかも知れぬが
此れに匹敵する胸甲は
独自に作成出来て居たのかだが

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 16:25:17 ID:Q88GQRQ1
厨臭い質問なんですが

歴史上の人物で火縄銃の名手っていますか?

129 :某研究者:2006/07/17(月) 17:59:22 ID:QFMI1qtD
銃でやられたのは
12000の内のどの程度なのかだが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E7%AF%A0%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
死者は2000と言う情報も
有るだろうか


130 :某研究者:2006/07/17(月) 18:07:18 ID:QFMI1qtD
>もともと数で劣る武田軍の犠牲者の多くは、鉄砲によってではなく、敗走時に討ち取られたものである。竹束柵を防御に幾度となく突撃を繰り返していく内に疲労困ぱいし、指揮命令系統が崩壊、まさにこの時織田・徳川連合軍の反撃を受けて、たまらず敗走したと思われる。

雨が降った後の泥の上を移動して疲労したのが
軍が崩壊した最大の原因と言う
事だっただろうが
雨が降って居なかったら
勝敗はどう成って居ただろうか

131 :某研究者:2006/07/17(月) 18:10:23 ID:QFMI1qtD
無論雨が降らなければ
織田軍も勝算は無いと見て
戦わなかった可能性も
有るだろうか

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 18:12:32 ID:C+plg2A7
長篠・設楽原合戦の真実
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153127427/

これ以上長引くのもアレですし、本来の趣旨とも逸れてきているので専用スレ立てました。
続きはこちらでお願いします。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 18:28:28 ID:XrDqkzEf
某研究者って軍板のコテ?

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 12:48:21 ID:inKex602
>>128
明智光秀。
織田に仕官するにあたり、信長の前で50mほど離れた的を36発撃ち、
30発を的の○印の中に命中、残り6発も○は外すが、的板に当てた。

このことで、鉄砲オタクの信長を喜ばせた。
仕官の決め手は義昭とのコネだけど、文官として以外に武人としても使えるヤツと
売り込みに成功した。

135 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

136 :某研究者:2006/07/19(水) 04:18:53 ID:9aLH8Wf9
ワーテルローの時は
スルト元帥がグルーシーに
伝令を1名しか出さなかった為に
負けたと言うが
戦国時代の日本の場合は1ダース等の
伝令を出して居たのか
どうかだが

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 20:11:48 ID:iL1zR9ej
戦国・安土桃山・江戸初期時代には、大虐殺とかあったのですか?
あったのならば、特に酷いものを三つ教えてください。
どの武将が、何人、どのような人たち(女子供なのか)を殺したのか詳しく教えて頂ければ幸いです。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 20:12:54 ID:iL1zR9ej
戦国時代とか、それこそ虐殺とかあったんですよね?
戦の後には女子に対する強姦や略奪とかあったのですか?

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 20:14:38 ID:kmd/Tkpd
>>137-138
■■■虐殺・略奪・強姦・人身売買■■■■
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1151510417/

このスレが詳しい
色々と描いてある。

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 20:15:22 ID:iL1zR9ej
>>139さん、ありがとう御座います。

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 21:30:55 ID:iL1zR9ej
当時の人たちはそれこそ何の為に戦っていたのですか?
郷土愛からくる、いわゆる現在の"愛国心"に似たような感情が動機となって
合戦に参加していたのですか?
やっぱり、恩賞や俸給と言った実利の面のものですよね?

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 22:36:04 ID:GUcpv/kw
略奪のためです

143 :義弘:2006/07/19(水) 23:00:27 ID:e3kgbUms
大きく言うと野心だね

それは名誉か
領土か
財か

群雄割拠の時代は初めから領土たくさんもっとる奴なんか少なかったし、隣国が肥沃な土地持ってれば欲しくなったろうし。
最初はほとんど私利私欲さ。

繰り返すうちに戦なんて無くしたいって思う奴も現れて当然。


野心と義心両方持った奴が天下人に近かったろうな

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 00:13:08 ID:lhwTTMVb
>>136
鳥居強右衛門や村越茂助の例から
一人だったと思いますよ。
隠密にしなければなりませんし。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 09:41:26 ID:CTFEhLlR
滝川一益主人公の小説とかある?

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 14:32:06 ID:9smHoKQz
朝鮮出兵(文禄慶長の役)に参加した日本兵って、
愛国心があったから参加したんですか?
それともやっぱり俸給や報酬が目当て?

愛国心を理由に戦い始めるのは、
明治政府が作り出したつい最近の事なんですか?

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 14:35:01 ID:9smHoKQz
戦国・安土桃山時代の武将の甲冑を調べてみると、
ずいぶんハデだったり、ファッションのような甲冑も多いですよね?
アレって、純粋に防具として役に立つんでしょうか?

ファッション性を追求したものだから、
やっぱり防具としては無意味なものですね?

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 14:39:02 ID:9smHoKQz
戦国・安土桃山・江戸初期の合戦って、
日本刀はメインウェポンではありませんよね?
と言うより日本刀は戦場に置いて武器の主流なのですか?
日本刀って実際の合戦では役に立つのですか?

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 15:34:02 ID:jYMM8RBV
足軽が使うか使わないかということなら、使わない。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 20:06:17 ID:djycgZPs
朝鮮出兵…大名からすると命令で仕方なく+加増狙いなんじゃ

甲冑…源平時よりは軽いんだろうけど
よくわからん

刀…>>149

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 23:48:08 ID:oFkKqVyW
>>147
あれらの大半は直接戦闘しない指揮官用、あるいは後年作の装飾品

>>148
どの時代や場所でも剣や刀は基本的に装飾品や限定されたルールや空間でのみ
使用されるサブウェポンですよ
戦場のメインはあくまで槍、鉄砲、弓

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 02:35:37 ID:49J0EyKM
>>134さん、ありがとうございました。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 13:37:17 ID:itJ0u9dT
槍、騎馬の他に、抜刀隊というのがあったよねぇ。
大抵は、趨勢が決してから「撫で切りにせよ!」
とか大将に言われて殺戮の限りを尽くすんだが・・・・

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 21:30:00 ID:hX1srl5k
日本号って槍、誰がもってたんだっけ

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 21:44:03 ID:0RY+VzSQ
>>154
1. 福島正則が小田原攻めの功績でGet
2. 飲み比べで勝って黒田家の母里太兵衛がGet
3. 朝鮮出兵時、太兵衛の窮地を救った礼で後藤又兵衛がGet
4. 又兵衛が黒田家を出奔する際母里家に返却

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 21:45:06 ID:0RY+VzSQ
書き忘れた

5. 現在は福岡市博物館がGet

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 22:13:42 ID:y/pVU1iX
関が原の戦いで一族が西軍東軍に分かれて戦ったのは
前田家、真田家、津軽家ぐらいですか?

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 22:32:29 ID:Cr844aKS
九鬼

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 22:54:00 ID:+Up0F6nj
無双厨のようなドラマチックかぶれで歴史を何も知らない愚物か、とてつもなく歴史に詳しい方がほとんどでしょうか?
あんま中間層はいないのかな?

160 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/07/21(金) 23:46:32 ID:32rpt+qO
中間層に手ェ挙げとく。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 23:59:42 ID:axhTHFwn
俺も中間層だと思う。
中間ゆえにたいていの話は知ってるが、事細かく答えられるほど知らないから、
発言ができなくいから、あんまりいないイメージになるのでは?

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 00:00:40 ID:Gw5kDH+3
ぷらっとが中間層なら俺も中間層だな
ここは史板ほど気合入れてやってるわけでもないし

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 01:45:56 ID:yduno/+Q
マジで戦国武将って実在してたんですかね?
いまいち信用できんのですが

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 01:46:56 ID:BR49cuEU
うんうん信用しなくていいよ

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 02:14:45 ID:OrwBZdrY
まず君がこの世に存在するという証を立ててもらおう。
話はそれからだ。

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 04:26:42 ID:0RasqKjk
>>155
ありがたき

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 06:18:51 ID:7zKdeA/e
質問です。一番(人気)使われていた陣形ってなんだったんですか?それとゲームとかの陣形って実際には役にたつのですか?飛鳥とか

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 12:51:04 ID:tFwL0FWE
>>167
「飛鳥」は光栄の創作でしょ?
人気はどうかわからないが
<イラストで見る合戦の基礎知識>
   :静岡大学教授・小和田哲男 に書かれているのには
中国大陸から伝えられた八陣形が基本として使われた。

魚鱗、蜂矢(ほうし)、鶴翼、方円、雁行、長蛇、偃月(えんげつ)、衡軛(こうやく)
の8つ。
長蛇は前衛も後衛も攻撃できる陣形で、光栄の解釈とは違う。
偃月は後ろに山や川があって敵を迎え撃つ時の陣形。
衡軛は山での戦い用

あとの5つは有名だから略。
よく使われたのは、鶴翼、魚鱗、蜂矢




169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 15:12:33 ID:WCmvZqti
↓の信憑性は?
127:日本@名無史さん :2006/07/22(土) 14:22:25
信長は、普段住んでいた安土城天主閣1階、京都宿舎である本能寺の自分の寝室の地下に
巨大な火薬壷を埋め、そこから導火線を寝室の床の間に出しておいて、
謀反が起こった際に、自分の首が晒し首にならないように、
床の間にある導火線に蜀台の火を放って自爆できるようにしていたんだって。


170 :魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs :2006/07/22(土) 17:50:04 ID:W88/5ttH
信憑性は低い気がする。
第一に合戦になった時に火を放たれて引火した場合、危険極まりない。
それこそ晒し首以上の恥辱だしね。
第二に、この返の記述とか資料は見たことないから詳しくないんだけど
信雄が安土を焼いた時の記述に特に「城が爆発した」とかなかったと思う。

171 :魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs :2006/07/22(土) 17:57:09 ID:W88/5ttH
追記ですが…
本能寺については、いまの寺のイメージと違い
「ちょっとした城郭のようだった。」なんて話もありますから、ひょっとしたら鉄砲や火薬やらの備蓄はあったかもしれません。
また、京や堺の商人の鉄砲やら火薬やらの売買の談合を行っていた場である。
という説なんかもあり、それでまた火薬やらが寺にあったかもしれません。
いずれにしても「本能寺で信長は爆死した」という、説はあります。


172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 18:47:12 ID:WCmvZqti
>>170>>171( ´_ゝ`)<回答ありがとうございますた。



173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 23:37:32 ID:7zKdeA/e
168 ありがと。飛鳥は創作のようですね、太閤立志伝の陣形で解釈文が攻撃型最強陣形とかかれていたので「ほんとかいなー?」とずっと思ってたんですよね

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 12:35:19 ID:QuR6PgD9
>>171
「骨すら跡形も無い」と言うほどの火力は建物が燃えるだけでは無理。
それで、火薬による爆死説が今は有力。

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 00:28:27 ID:C8O7Kz6l
阿弥陀寺の上人が火葬した骨(多分頭部だけ)を持ち帰った説が一番有力

176 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/07/24(月) 00:31:10 ID:PVhVdVBV
本能寺で死んでない、という説はなぜだか無力。

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 12:01:35 ID:LofWGrUW
家康は、本当は豊臣家をどうしたかったのでしょうか?
天下を渡す気はまったくなかったと思うのですが、
それにしては豊臣家滅亡まで時間がかかっている気がします。

それと、山岡荘八の小説なんかは読んだことがあるのですが、
あれはあくまでフィクションだと思うので、
歴史研究家や学者が書いた良書があれば教えてください。


178 :魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs :2006/07/25(火) 14:38:54 ID:sSK0VjXg
支援あげ

良書についてはスレがあるので参考にしてみては?

戦国時代関連の良書
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153399153/


179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 23:44:13 ID:m14yURdX
初歩的な質問ですいません。
紀伊、伊勢、伊賀などの畿内の近くで
有力な戦国大名が出現しなかったのは何故なのでしょうか?
天下を狙ううえで立地的には最高だと思えるのですが・・・


180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 23:50:43 ID:KmrwJqCx
紀伊も伊賀もただの山奥だからだろ
伊勢方面には北畠だったか畠山だったかの由緒ある大名いるでしょう

それと戦国時代は全ての大名が必死に天下取り目指してたわけじゃないよ
そんなの信長くらいで他は領土拡張か守備が本意

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 00:02:07 ID:qxif18K4
伊勢は北畠氏がいましたね!
北畠氏は何故、伊勢一国を掌握できなかったのですか?
伊勢は物なりのいい豊かな国だったと思うし、
天下を狙うのには尾張とならんでいい立地だと思うのですが・・・
やはり一向一揆の勢力が強かったからなのでしょうか?

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 00:35:29 ID:sJx3yKuZ
>>181
大体だけど北畠氏が制圧したじゃん。長野氏も養子出して継がせたし。

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 00:43:16 ID:qxif18K4
北畠氏の勢力圏は南伊勢(南勢)中心で北伊勢(北勢、中勢以北)は
掌握できていなかったのでは?後、伊勢といえば関氏とかもどうなったの
でしょうか?


184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 01:38:25 ID:es+k/TDl
南勢は北畠、中勢は工藤長野、北勢は関、
最北部は北勢四八家といわれる豪族衆が割拠。
南部は1558年に長野藤定が北畠具教の次男具藤を養子に迎えることで
実質上長野氏は北畠氏の麾下に入った。
関盛信は蒲生定秀の娘を娶ってたこともあって六角氏に属していた。
北勢四八家の神戸具盛も同じく六角氏所属。
長野氏と関氏も抗争関係。
以上、信長が来るまでの伊勢の状況。
この後もいる?


185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 02:05:53 ID:qxif18K4
はいその後もください。お願いします。

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 03:03:56 ID:es+k/TDl
1568年の信長の侵攻により関・神戸は織田に降り、
神戸氏は信長三男・織田信孝を当主として迎える。
神部具盛は蒲生賢秀降伏にも一役買うが、信長の不興を買い、
関盛信共々蒲生氏の日野城に幽閉される。
神戸信孝が四国方面軍の大将となると、赦されて
関盛信軍勢に加わり、神部具盛は隠居。
しかし、渡海直前に本能寺の変発生で軍は分解。
その後、具盛は織田信包を頼り、安濃津で死去。
子がいたのかはわからんので、信孝自刃で神戸氏断絶?
関盛信は信孝を離れ、蒲生氏に所属し、奥州へ。
その子関一政は関ヶ原で西軍に付くものち東軍へ。
この戦功が認められて旧領伊勢亀山に復帰するも、1618年家中内紛のため改易。
養子(弟勝蔵の子)の関氏盛が近江国蒲生で5000石を与えられ、
家名存続だけは許された。
以上、関氏と神部氏のその後。
北畠氏と長野氏もいっとこうか?




187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 03:46:41 ID:qxif18K4
よろしくです。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 04:10:16 ID:04HDc5c7
昔のアニメで「サムライトルーパー」というアニメが有りまして
登場キャラのが戦国武将の末裔とゆう設定だったのだけど
その中に「シュウ=レイファン」と名乗るキャラがいまして

「レイファン」(おそらく中国系だと思うのですが漢字が解りません)
って誰なのかググッてもわかりません 教えてくださいな

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 04:34:02 ID:es+k/TDl
上述の通り、1568年の信長の侵攻により北伊勢は織田に降る。
長野氏も信長の弟信包を当主に迎えたため、
北畠具教の次男具藤は地位を失い、北畠家へ戻る。
長野藤定は72年に死去したので、長野氏はここで完全に織田に吸収された。
北畠具教は長男具房に国司の座を譲りながらも実権を握り、
あくまで反織田を貫き大河内城に籠るも、兵力差と弟木造具政の寝返りで和睦。
信長次男信雄(この頃は具豊と名乗ってる)を具房の養子として当主に迎える。
具教はその後隠居したが、1576年信長と信雄の命で暗殺される。
同時に、次男具藤をはじめ一門の主だったものも信雄の居城田丸城において殺害された。
生き残った具房は伊勢を領する滝川一益に幽閉され、1580年死去。
その間に、いつの間にかできてた具房の子昌教が脱出し、
奥州で北畠氏の血脈を残している。
以上、伊勢諸豪族の戦国における戦いっと。
余談だが、塚原卜伝に剣を学んだ具教は、織田の襲撃時にも太刀を手に
19人の敵兵を斬り殺すという伝説を残してる。

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 04:42:34 ID:es+k/TDl
>>188
wikiで調べたら、漢字は秀麗黄とあった。
誰の末裔かとか軽くググっても調べられなかったが、
単なる雰囲気設定じゃない?

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 04:50:23 ID:04HDc5c7
での他のメンバーが 真田、毛利、伊達、羽柴だから
きっと武将がらみだと思うんだよなね

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 04:58:47 ID:es+k/TDl
悪いが、俺にはこれ以上のことはわからん。
秀が通字の大名とかでもなさそうだし。
懐かしアニメ板とかでサムライトルーパーに詳しい人に聞けば、
当時の設定を覚えてる人がいるんじゃない?

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 11:54:18 ID:YtRj3opD
>>177
亀レスで・・・
二条城で対面するまでは、一国に封じ込めれば問題ないだろうと考えたが、
目の前に秀頼が現れると、こいつはヤバイと思った。
秀吉の遺伝子というよりも、信長、長政の血を引いたと思わせる
カッコイイ若武者だったから。
その時、どうしても滅ぼさなくては、と強く決心した。

〜ということらしい。

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 23:44:32 ID:+wzBcV6b
>>188
華僑の出の秀麗黄、
たしかチンギス=ハンの子孫とか言うのを匂わせてたと思う。
ってことで番組としての先祖は源義経じゃないか?

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 08:51:36 ID:bGSiHdEs
>193
177です。ありがとうございます。
秀頼と家康は、何度も会ったことがあったと思っていたのですが、
成長した姿を見るまでは、ブランクがあり、印象が違ったということなのでしょうか。
秀頼は、秀吉の種ではないという説も聞きますが、どこかで、
「秀吉が猿顔であったというのは誤り」という話を見ました。
仮に、そのどちらかであったとしても、それ以上に織田家の血が強く出ており、
それを恐れたということでいいのでしょうか。


良書スレの方もありがとうございます。
まだスレが伸びていないようですが、のんびりと見させていただきます。

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 10:25:53 ID:LQ5lmr+d
>>189
遅レスだが
>その間に、いつの間にかできてた具房の子昌教が脱出し、
>奥州で北畠氏の血脈を残している。
有馬なんとか卿の話かな。
この話はwikiと某サイトでしか出てこない。ちょっと眉唾説なのじゃないかな。


197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 10:45:17 ID:SHRNeaFU
花の慶次に出てくる本間一族ってのは実在?

198 :魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs :2006/07/27(木) 11:35:46 ID:9ThJ7Oep
実在ですよ

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 13:55:34 ID:JKIBdTxE
佐渡本間氏かな

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 15:00:03 ID:SHRNeaFU
>>198
>>199

ありがとうございます
こんなに早くレスが帰ってくるって事は結構有名なんですね。


201 :189:2006/07/27(木) 15:31:27 ID:UWPxsr/Y
>>196
俺も覚えてること適当に書いててその整理にWiki見てたから。
時間見れば分かるけど、早朝のテンションで
「ふ〜ん、そうなんだ〜」くらいで書いてしまった。
一応複数のサイトで確認はしたが、別の説のことは考えてなかった。
別の説の解説頼める?

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 15:56:52 ID:JKIBdTxE
>>201
従来の、北畠氏滅亡説では
具教、天正四年(1576)殺害
子の具房、天正八年(1580)没
具房の養子(中院通勝の子)寛永七年(1630)没〜完全に滅亡

ある事典とある本ではそうなっている

ただし有馬氏説は新説なのかもしれないので、間違ってるとは言わない

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 16:46:37 ID:EWYIfQdd
昌教のサイトも有馬のサイトも有名だけど、正直昌教の方は眉唾だね
伝承の域を出ないと思う

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/27(木) 23:28:15 ID:LQ5lmr+d
>>189
漏れも北畠末裔の別の説というのは知らないw

ただ、wikiに載ってる有馬なんとか卿というのが伊勢北畠氏が津軽氏を頼って落ち延びた末裔…
というのは眉唾臭いと考えてます。
津軽氏はご存じのように北畠氏分家といわれる浪岡氏をぶっ滅ぼしていますし
そこを頼って落ち延びるというのはかなり不審です。
某サイトが書いている「有馬氏は明治維新後にすべての史料から削除され(以下ry」
という説は大室天皇説とか半島史観論者がよく言う
「証拠は日帝が消却してないニダ」
…といういいわけと同じかおりがします。
実際、某サイトが主張しているように有馬なんとか卿が維新時にそれほど活躍したなら
すべての史料を抹殺することはそう簡単ではないことは容易に想像が付きます。
維新時関係の史料(手紙類)は今でも田舎の蔵から不意に発見されることが多いですしね。

ところで
ネットで伊勢北畠氏子孫=有馬なんとか卿と書いてあるサイトの
ネタ出元を探ると有名な某サイトに集約されるんだよね。。。

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 16:45:18 ID:EB2FMAaw
こういうこともあるんだなあ、と関心した

206 :189:2006/07/28(金) 21:57:28 ID:hcjvB9G9
>>202->>204
解説ありがとう。
やっぱwikiを頼りに適当に説明すべきじゃないね。
ちょっと控えときます。

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 00:40:26 ID:f380OUlO
よく武将の名前で○○守。って、ありますよね?

羽柴筑前守、直江山城守。。。などなど

これって、どういう基準で国をつけるんですか?

官位みたく、朝廷や将軍からもらえるんだと思いますが

好きに選べるんなら、どう考えたって山城や摂津とかの方が偉そうですよね

逆に、蝦夷守とか壱岐守、佐渡守、隠岐守とかの武将とかもいるんですかね?

蝦夷守・・誰かいますか?  そんな武将。。。

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 01:59:15 ID:lXmCXQzG
官位みたくじゃなくて、朝廷から貰える官位そのものだ

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 07:27:07 ID:ZRqPIa7i
もともとは朝廷から任命される官位そのもの
県知事みたいなもんだ
戦国時代などはほとんど全部自称だけどな
支配の正統性の大義名分で実際に申請して実際にもらった連中もいるけど
どの国がいいとかは趣味とかこだわりとか先祖とかじゃね

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 08:28:40 ID:Vpw93Grn
赤見山城守

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 09:09:02 ID:3Va5opmc
織田上総介信長

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 09:16:12 ID:Vpw93Grn
カルサ様

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 10:25:33 ID:o2+NIuZ9
当時の文書ではよく個人が官職名で呼ばれていますが、
官職が途切れている時期、例えば結城秀康なら参議を辞職した
慶長8年1月11日から中納言になる慶長10年7月26日までの間は
どう呼ばれていたのでしょうか?
兼任していた三河守では位が下がるし、辞職前の官職に前を
付けるとか?

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 10:30:28 ID:p0q+4TVT
自称が多いのが事実、信長の上総介も

ちょっとズレルけど、なかには実際の支配地域や、支配したい国の国守を朝廷からもらっている例も

織田信秀、今川義元、徳川家康の三河守
大内義隆の周防介や筑前守、土岐頼芸の美濃守などなど

変わったところでは
島津貴久や毛利元就の陸奥守、吉川元春の駿河守などなど
好みもあるんでしょ

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 11:23:28 ID:uKeNI5+5
高野山を追放されてから死ぬまでの三法師を教えて。

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 12:32:57 ID:Piigj+So
>>215
高野山麓の向副(むかそい)で没。

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 12:57:00 ID:uKeNI5+5
えっと、その間に何がどうなったかが気になるんです。
だれをたよったとか、どうなって、向副ってとこに行ったのか。
そこで何してたのか?とか

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 13:46:17 ID:Piigj+So
>>217
正直わからないな。
誰か地元の歴史に詳しい人でもここにいればなと思う。
個人的には、そこに隠れキリシタンの里でもあれば秀信に救いは残った、と。

219 :有馬豊氏 ◆vUV/BCDyjk :2006/07/29(土) 14:31:40 ID:5VjlDjeM
北畠流有馬で盛り上がってたのは、ここでしたか。
はじめまして♪
有馬家綜合スレでも様々な有馬氏について話しているので、
一度覗いて見て下さい。

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 21:37:30 ID:kkIszvqC
>>218
そうなんだ。日本史板の質問スレで自分で調べろと罵倒されたんで、よく知られたことなのかとおもた。
レス、さんくす。

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 22:51:39 ID:f380OUlO
>>208>>214
サンクスです ヾ(=^▽^=)ノ

しかし、問題の蝦夷守となると・・さすがに、いませんか?

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 22:59:44 ID:f380OUlO
もう一つ、教えてください

先ほどTVを見ていましたら双子のコメディアン「タッチ」が出ておりました

そこで、思ったのが・・双子の武将や大名って誰かいますか?

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 23:08:32 ID:tdjOgtmz
いない 双子は畜生腹と言われ タブー
うまれても居ないことになる

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 23:17:08 ID:KwgswuJ9
>>222
徳川家康の子供の(結城秀康)が双子だった?
という話はあります。



225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 23:56:58 ID:b7zY7glh
>221
蝦夷守と言う官職は記憶が定かであればありません。
松前家は志摩守ですが、志摩=(蝦夷)島という感じで。
この○○守は律令制度が出来た時の物ですから、当時の東北は蝦夷(えみし)の勢力がまだ強く、
蝦夷地まで勢力が届かなかったと思われます。

更に付け加えるなら、自称ですけれど織田信長が上総介であって上総守でないのは、
上総守は親王クラスに与えられる官職だからです。(ex常陸、上野)
ゲームで疑問に思うかもしれませんが、従五位上から従六位下まで○○守を貰ったと言うことがありませんか?
国によってランクがあり、それによって位階が決められるのです。
親王国(四位)>大国(従五位上)>上国(従五位下)>大国介=中国(正六位上)>上国介(従六位上)>小国(従六位下)

つ【変り種の亀井琉球守】

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 10:47:33 ID:5ft+2jOF
>>147
弓を主武器にしていたのだから役に立っていた

そもそもが 派手に飾った甲冑で格闘することが前提に考えていないから構わない。
供まわりの護衛がいるから。

ただし格闘することが前提にある雑兵にはそれなりの技が要る。
その体術が 柔術で 危険な技を減らして現在の柔道になった。


227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 19:40:32 ID:oqNl4WOz
まあ国の守はここでも見てくれ
http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/r_kuni.html

官職全般詳しいサイトだがな

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 20:52:48 ID:5D3eBH75
松永久秀の最期は爆死とあるのですが、
具体的にはどのように死んだのですか?
戦国時代に爆死ってどうもイメージがつきません。

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 09:25:49 ID:oJpK6F3O
>>222
中川清秀。
双子の兄がいたが、大筒の訓練中に大筒の爆発に巻き込まれてあぼ〜ん。と2chで見た。
ソースはシラネ。

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 09:28:19 ID:+HAuewi6
>>228
【茶器バカ】松永久秀【爆死】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150695069/
より転載

115 名前:バロン曽志崎[sage] 投稿日:2006/07/14(金) 20:05:38 ID:Nm0LKVf3
久秀の爆死については初出かわかりませんが、「織田信長家臣団人名辞典」
に「老人雑話」が出典とあったので調べてみました。
しっかり見てはいないのですが、「鉄炮の薬に火をかけ、自ら焚死す」とあ
るのが、それにあたるのでしょうか?
若干、爆死とはニュアンスが違う気がするのですが?
「老人雑話」違いでしょうか。
あと、これは知らなかったのですが、同書に久秀は「修理大夫(長慶)の
乳父也」とありました。久秀の出世の糸口が見えた気がした。

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 10:26:42 ID:EPr7+mWz
>>228
同じく松永久秀スレからですが

多聞院日記 腹切自焼
兼見卿記 切腹し、全てが焼き尽くされた

と史料では自刃+焼けるになっていますので
本当に爆死なのかは?です

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 12:19:34 ID:HS8c9BsF
>>230-231
ご丁寧にレスありがとうございます。

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 21:57:01 ID:PDI0cYC6
>>93-95
参考になった。

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 13:12:31 ID:F9JgCafP
秀吉はどうして家康を野放しにしておいたのですか?
明らかに死後、危険な存在になることは目に見えてましたし、
生前に秀吉も家康を警戒していたとも聞きます。
ならいっそ、色々と難癖をつけて戦を仕掛け、小田原攻めのように各地の大名を集結させて
毛利・長宗我部・上杉等オールスター軍団で家康を潰せば良かったのではないですか?

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 13:21:35 ID:mX0GdHFM
難癖つけられないようにしかも逆に信任を厚くするように家康が行動した結果だろ
家康が豊臣を滅ぼしたって結果論だけで当時のことも調べもせずに
>明らかに死後、危険な存在になることは目に見えてましたし
みたいな結論導き出してする質問じゃねぇ

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 14:55:39 ID:F9JgCafP
家康を警戒して、利家に秀頼を任せたのではないのですか?

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 15:52:38 ID:uX46tUY7
秀吉ほどの男だ
家康が天下を取るのは
すでにわかり切って居たろう。

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 18:57:29 ID:BWgKut+y
>>202-204
あと、明治期に村上源氏の誰かが恩典として北畠の家名を貰って独立した筈。
勿論、伊勢北畠とは無関係。

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 19:30:39 ID:F5LEHNyw

戦国時代の下着について質問させて下さい。
江戸時代と同様、男性は褌、女性は襦袢+湯文字が一般的だったのですか?

資料or良サイトあれば教えて下さい。

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 19:42:40 ID:OtwRZeF0
>>238
それ久我の倅

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 21:16:44 ID:YuGbrodp
>>237
じゃなんでだろいな

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 22:41:10 ID:isDd72KG
>>93-95続き

秀吉の下に養子に行くまでの
於義丸は何姓になるんだろう?
(元服前に姓が付くものかどうか知らんけど)

243 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/08/05(土) 22:52:40 ID:gdu+CyAn
永見とか。

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 22:58:16 ID:2SOxvsKJ
>>234
難癖つけようにも二人は既に血縁関係にあるんだぞ
いくら太閤でも北条や九州の国人にやったみたいな事は出来ないだろ
親家康派の勢力も馬鹿にならないしな

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 10:44:00 ID:feCiOWgm
>>234
小牧長久手の直接決戦で羽柴軍が負けてると見られてるから
現状で友好的なのに無理やり戦闘を起こしてまた負けようものなら
流れは完全に豊臣から徳川に流れてしまうよ

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/07(月) 00:01:54 ID:esy15SYW
今川義元にしても武田信玄にしても
戦国時代ってなんで大将が死んだら
急にダメになるんだろうな
残った勢力は大きいのになんでなのかな

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 00:53:31 ID:BoDoLSIu
あつい…あつくてねむれん
この時代の人たちってどうやって熱さしのいでたんだろう

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 02:20:55 ID:V198v+1d
風通しを良くしたり、水を撒いたり。
着る物もスースーするやつだわな。
つかクーラーなんて50年くらい前は普及してなかろう?

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 05:41:16 ID:KIyxRjYv
田舎の夜は以外と涼しかったりする事もあるよ
戦国時代なら昼間は暑くても夜は何とかなったんじゃない?

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/08(火) 16:32:13 ID:uFIsn5e+
>>246
明快な答えは出来ないけど、
企業に例えれば、戦国大名はワンマン経営者(合議制みたいな大名もあるけど)
急に倒れると社内は右往左往

それでもしっかり支えられる、後継者次第と思います
決して勝頼がどう、氏真がどうとはいいませんが

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 02:33:26 ID:JS5b2QAd
>>247
やっぱ地球は温暖化してるんだよ。

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 05:27:37 ID:nKk4UVAe
戦国時代あたりの宗教で、救済と語ってカラクリを使って公開殺人を行い
邪教扱いされていた一派があると昔ネット上で読んだ覚えがあるんですが
度忘れしてしまいました。詳細を教えてください

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/09(水) 22:58:02 ID:79vdGJml
>戦国時代あたりの宗教で、救済と語ってカラクリを使って公開殺人を行い
邪教扱いされていた一派

うーん、思いつくのは江戸時代に「蓮華往生」をやっていた(とされる)
日蓮宗不受不施派。不受不施派は江戸幕府に楯突いて邪教とされるわけだが、
この「蓮華往生」事件は幕府が弾圧を正当化する大きい要因だったみたいね。
でも大久保や一心太助なんて伝説上の人物に近いからなあ…どこまで
本当なんだか…
晩年の大久保忠教(彦左衛門)が絡んでいるんだが、
戦国時代というより江戸初期だねえ。詳細は以下。
ttp://www.city.meguro.tokyo.jp/info/rekishi_chimei/category/rekishi/nanbu/02.htm

起こった年代を文政年間とする説もあるみたいね。

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 01:11:31 ID:CPdauPTq
>>253
おぉ!たぶんそれです
江戸時代だったのか

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 08:07:18 ID:hMupZbLz
また宗教絡みの質問ですが、何故キリスト教は弾圧されたのでしょうか?

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 09:02:04 ID:LJtb+2qq
兵糧の扱いってどうしてるんでしょう?
普段から、城に抱えて保管してるんでしょうか?
それとも、必要なときに商人から買うんでしょうか?
商人から買った売ったという例がある事は確かなようですが、
それが通常なのか非常事態だったのかわかりません。

年貢が銭納だったとすると、戦の前になって急いで買ったんでしょうか?


257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 17:54:46 ID:znhd6mOv
秀吉が中国大返しした際切腹した毛利の人って誰でしたっけ?

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/10(木) 18:20:28 ID:QqlggqzW
清水宗治

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 00:56:34 ID:JafxWkuk
>>255
植民地化を危惧したって聞いた。

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 15:33:44 ID:nnFNLocG
>>259
あと右近の高槻、明石での神社仏閣破壊と
(野見神社や宝蔵寺のことかな)

右近が多くの人々(小西行長・蒲生氏郷・黒田孝高とか)を
入信させたことへの危機感、なんかも理由としてあげられる

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 17:25:10 ID:BDa457Mz
>>255
普通に答えるなら、
スペインがイエズス会を通じて、スペインが大陸を侵攻するとき
先陣としての出兵を要請して来たから。
武器や商品は欲しいが、そこまでして兵を消耗することは御免だよ、
ということ。
当時、キリスト教がヨーロッパの侵略の先鋒であることは、
権力者なら知っていた。


262 :261の続き:2006/08/12(土) 17:31:24 ID:BDa457Mz
日本を植民地にすることは考えてはいない。
日本にある鉄砲の数と軍隊の数は、ヨーロッパ人にとっても脅威。
日本全体が軍事国家だという捉え方をしていた。
植民地にするための軍隊派遣の費用や、船、兵士の数を考えたら、
武器取引で軍事同盟を結ぶほうが得策。

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 08:31:28 ID:qlo+m/gm
上田宗固ってどんな人だったっけ

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 13:12:37 ID:RPt7fROh
>>263
上田宗固
ttp://72.14.235.104/search?q=cache:mmIol23vfMQJ:web.kyoto-inet.or.jp/people/hiboko/tea.html+%E4%B8%8A%E7%94%B0%E5%AE%97%E5%9B%BA&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=1

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 14:09:39 ID:qlo+m/gm
>>264
みれんけどdクス

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 14:31:11 ID:3c4sHApQ
今更だが、家康が
名門武田より新興織田を伴侶に選んだ理由って?
俗説では信玄の寿命への不安からとは聞くけど

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 14:32:02 ID:3c4sHApQ
ああこの時点では信康か、失礼

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 00:23:27 ID:2wAA+9oA
フェリペ2世が秀吉に贈った品の目録がある寺はどこだっけ?
てか観れるのかな?

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 00:39:34 ID:QdPC214d
家康の家臣で織田の秀吉や光秀みたいに軽輩や浪人
から大名になったのっているのかな

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 00:49:06 ID:nKC0bRNX
>>268
フェリペ2世から秀吉に当てた書状が残っているのは
京都市東山区の妙法院
非公開寺院なので通常は見られないが
秋の特別公開で拝観できるときがある。
http://www.kobunka.com/hikoukai2006.html
私も3年ほど前にこれで書状を拝見。
お寺自体も見所が多い。

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 02:34:24 ID:8kO/aKtt
>>269
本多正信は一度裏切って帰参、鷹匠から謀臣にまで登りつめたけどどうだろう

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 15:25:27 ID:LZB6rRw4
>>269
大久保長安はどう?

273 :269:2006/08/20(日) 21:42:38 ID:QdPC214d
>>271-272
ありがとうございます。やっぱり所領を大きく広げた
家中では居るもんですね。素性にとらわれない人材
登用では織田が有名だったんで他がどうかと思って
質問した次第でした。

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 23:03:41 ID:C/9wh//x
【謙信最強は創作】
謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。

※謙信自身が敗北を認めている書状↓
 晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
 かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日                  虎(花王)
[三洲寺社古文書]


【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。

1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。

上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。

謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである

本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/20(日) 23:16:13 ID:02XtZ6S4
旧三戦板のイェニツェリスレを見てしまってから
戦国時代にどっぷり浸かってしまいました者です。
素人だった時は漠然と信長ファンだったのですが
調べれば調べる程、徳川家に傾倒してしまいます
無論、織田家・豊臣家・武田家・上杉家・松永家等
好みの別れる所ですが実際この戦国板的には
戦国時代のどの勢力のファンが多勢を占めてるもんなんですか?
三戦に来始めた頃からの疑問なんで解る方がいたら宜しくお願いします

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 03:43:56 ID:Koz/Bdk2
この板ではやっぱり信長ファンが一番多いと思う。
アンチもそれに比例して多いけどね。

後は武田家と伊達家のファンが多い。
武田・伊達関連のスレはかなりある。

277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 07:04:25 ID:2KR6oXrD
戦国時代の甲冑は見るからに美しいものが多々ありますよね。
例えば↓のようなのとか。
http://edu.city.hikone.shiga.jp/bunkazai/map/shosai/02/iike_kattyuu.jpg

これらの甲冑って、合戦の際には実際に着用していた訳でしょう?
↑のような甲冑をつけて槍とか弓矢を持って戦っていたのですか?
やっぱり↑のような甲冑は指揮官用であって、
↑のような甲冑を装着している人は実際に戦ったりはしませんよね?
後方で指揮をとる程度で。

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 07:06:52 ID:2KR6oXrD
>>277のような甲冑って、ファッションを意識したものであって
防具としては余り役に立ちませんよね?

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 07:56:26 ID:YJR4t0Ma
大将は采配を振るうものであって・・・・
な?

280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 08:31:53 ID:LtRBE1Wt
天頂脇立以外は特に華美でファッショナブルだとも思わんけど。
頭形兜に伊予札威具足なんて珍しくもないし、実戦向けでないとしたら
これらが兵卒にまで普及してる説明がつかん。

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 09:18:19 ID:c/Rd38Es
色のこといってるなら、戦国期の人は今では考えられないぐらい派手派手なものを好んだよ。
赤い甲冑は珍しいものではないし・・・・
特にこれは徳川家臣井伊家のもの。井伊家の軍勢は家康の命令で全て赤く染められた。
元は武田家臣山県昌景の軍勢を意識したもので、家康はそれを丸ごと井伊家に移した。
指揮してる人間どころか、井伊家の武士は全員この色。

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 14:23:44 ID:+u3seTEC
>>276
伊達ファンは多いが、武田は圧倒的にアンチが多いけどなw
どのスレもぐうの音も出ない程に論破されてるもんな。哀れだよ。
そのせいか狂信武田信者の一人がウサ晴らしに上杉スレ荒らしたりして

色んな意味でみんなに武田は愛されてる。


283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 18:36:12 ID:cf3LgOxg
>>276>>282
ありがとうございます。
やはり織田強しですか
天下をとって肩を並べても徳川は日陰ですかそうですか
武田に関してはここでコケにされてる程弱くはないかなとw
何にしても疑問は解消しました、ありがとうございました。

284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 21:32:59 ID:Atq8iTcN
三成が処刑されたのは六条河原のどの辺なのでしょうか?

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 22:12:03 ID:lS07FHEy
>>282
武田は織田徳川タッグに恥をかかせた武門なだけに
変質的織田厨が暴れてるんだろ。アンチ武田の実態。


286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 01:03:40 ID:wHaMPfps
>>277の九代とか十三代とかって江戸時代に入って
だいぶ経ってからのヤツとちゃうの

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 01:33:56 ID:g/VD2U+r
[age]
板の広範囲でアンチ謙信がコピペばらまいてます。ウザィんですが、なでそんなにシツコイの?

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 01:38:39 ID:OUxzHuzu
日本史の教科書の朝鮮の役の項で、島津義弘ら武将名が載ることはないが、
李舜臣の活躍が彼の名前入りで記載されるのはなぜでしょう?おかしくないですかね?

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 04:44:55 ID:sY96lpNq
毛利家って、兵農未分離なのに年中出兵したり、数年間城を包囲したりしているようなんですが、
農繁期の田の手入れはどうしていたんでしょうか。
織田家も最近では兵農分離が否定されていますが、そちらも田の手入れはどうしたんでしょうか。

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 11:48:06 ID:+ST332O6
>>288
あの国には李舜臣しかいない。
日本は大勢いすぎて武将名だけで何ページも費すわけには行かない。

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 12:15:00 ID:PBT54QTY
ほう

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 15:34:53 ID:T8bEYFtt
>>284
六条大路末の鴨川河原一帯、五条大橋以南から正面通辺りだそうだ
平忠正、藤原信頼、平宗盛なんかも六条河原で処刑されたそうだ

ttp://homepage1.nifty.com/heiankyo/heike/heike17.html

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 08:01:27 ID:NJTuuKy+
茶人としても有名な武将にキリシタンが多いのはなぜでしょうか?

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 15:14:47 ID:F2YBw/H/
>>293
高山右近の影響でキリシタンになった人が多い、
その右近は結構な茶人だったから、
じゃないかな?

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 19:04:49 ID:83bgWxoF
呼び名について質問です

当時は苗字と官位(ない者は形だけでもor権六などの通称)で呼ばれてたみたいなんで
軍記ものなんかだとその通りみたいなんですが
じゃあ本当の苗字と元服した名前で書に書く時、
呼ぶ時、呼ばれる時とはどんなときでしょうか?

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/24(木) 19:27:59 ID:3OSv88VG
意味のよくわからない文章だな
同僚同士だと官位で呼びあうし、幼名や通称で呼びあう場合もある
主君が目下を呼び付けるときも幼名や通称だろう表だった場合は官位を使う
信長は禿鼠や金柑頭などあだ名を使ってたみたいだけど
目上を呼ぶときはもっぱら官位+敬称だな

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 07:19:43 ID:Jxa4b414
武田軍団が鉄砲導入が遅れた理由に武田軍の投石部隊があまりにも華麗過ぎたから鉄砲導入を渋ったてのは本当ですか??

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 09:20:56 ID:kyRw9Bgv
>>297
別に遅れてないです。それなりに数は揃えてます。
しかし地理的な関係上、織田や畿内勢力に比べると入手は難しかったのでしょう。

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 17:02:14 ID:UnuVn4kT
変な質問で申し訳ないが、今で言うフェラチオとはいつ頃から日本にあったんですか?西洋から流れてきた文化なのか、自然の摂理で日本に昔からあったのか疑問です。分かる人お願いします。

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 17:13:05 ID:MVTnCScm
>>298
鉄砲の数はいいとして、火薬はどうだったんだろう?
内陸部の武田が輸入に依存している火薬をそこまで集められるものなのかな?

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 17:33:09 ID:1jV77c6K
接吻伝来は1869年(イヤシックスナインと暗記してください)
口淫伝来は1896年(イヤナインシックスと暗記してください)

試験に出ます

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/27(日) 17:37:21 ID:uhW4J2cL
世界史ならクレオパトラの頃からあったけどね>フェラチオ

クンニリングスをしている様子を描いた艶本は、安土桃山時代にはあります。
フェラチオをしている様子を描いた艶本は、江戸時代に入ってもありません。

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 02:08:41 ID:8j8lshOJ
なんかの本で、
ちんこくわえる時にガブッとやらないように
大奥に歯が抜かれたフェラ用女性がいたって見た気がする。

非常におぼろげな記憶だが。

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/28(月) 05:42:04 ID:bloqaJzI
1896に口淫伝来って、歴史がまだまだ浅いですね〜。
大奥に前歯無しの女がいたなんて・・しかも口抜き専用とは・・孕ませたくないとはいえ・・

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 22:28:16 ID:kjuyS6JO
>>301はネタかとw

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 22:32:22 ID:kjuyS6JO
>>300
火薬の原料の硝石の輸入ルートを織田に押さえられてしまっていたみたい

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 00:10:53 ID:d0qCVKdx
「源平籐橘」ってよくいうけど橘姓の武将って誰か居ましたっけか

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 00:15:52 ID:jF/xXouG
立花道雪

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 00:18:39 ID:d0qCVKdx
即レスd


‥て、マジかよwwww

310 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/09/01(金) 00:25:05 ID:ZWJOi38/
籐 は わざと?

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 00:27:23 ID:d0qCVKdx
いや誤変換。しかも指摘されるまで気づかず。

312 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/09/01(金) 00:30:35 ID:ZWJOi38/
楠正虎とか。

313 :朝倉渦中feat.パストマスターズ ◆0Uj4ASAQRA :2006/09/01(金) 00:32:46 ID:62EEDOcZ
そーいや公家の橘って室町中頃には堂上公家としては断絶してますね。
しかも橘氏長者はナゼか藤原氏に乗っ取られてるし(笑

あくまでも是定ですケド。

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 01:14:29 ID:UXkhmvgH

「橘氏」は字面が「商家」なんだよね。
だから越前の豪商「橘屋」の如く、ビジネスの分野に進出したのではないのかな。
と、私は勝手に思っています。

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/01(金) 01:26:46 ID:9FpUZmoz
NHK教育で戦国時代

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 15:57:41 ID:iqfS8D/P
信長の生まれた1534年頃は大内や細川を除いて
織田に合わせたかのように武田・長尾・毛利・島津も
小大名や1国支配もままならない時代。
それが信長上洛頃になると歩調を合わせたかのように
武田・長尾上杉・毛利・島津らも台頭。

これって何か社会的理由でもあるんですか?
織田が大きくなるなら勝手に1家だけが大きくなればいいだけのこと。
この中で挙げた武田辺りは対今川や美濃等で間接的に影響して
両家が大きくなる理由は説明できても
毛利や島津の台頭に結びつかない。

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 17:34:11 ID:CjTFDmZP
ねえ、最近知ったんだけど、
なんで三国志・戦国板と戦国時代板と2つあるの?
どうちがうん?

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 17:42:52 ID:/Uezaswn
ここは三国志・戦国板の糞っぷりに耐え切れなくなった住民が作った新設板。
大きな違いはIDのあるなしと三国志が語れるか否か。
向こうは三国志のスレが大部分を占めるのでスレが落ちやすい。

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 18:07:26 ID:CjTFDmZP
サンクス、なるほどね戦国ファンのためか。
大抵は三国志も戦国も二つとも好きっていう人ばかりだろうけど。

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 19:25:13 ID:Ugrr2300
291 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/09/05(火) 19:08:48 ID:+7Isozqn
>>319
光栄のSLGシリーズの人気があったころはそれで良かったんだがね、
三国志無双が出てからは三国志、それも無双基準のわけのわからないスレばかりになったってことよ。
今では三国志と戦国が一緒の板という意味が全くわからない(正論だが)世代も増えたことだし。


ここの誤爆だと思うので貼っとく。

321 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 19:50:35 ID:66P56fsr
やさしい奴だなw

322 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 22:52:46 ID:KxMTqbUb
下らないんですがどうにも気になって仕方ない事なので質問させて下さい。
三好長慶や立花宗茂の幼名「千熊丸」はどう読むのでしょう?
「せんゆうまる」なのか、「せんくままる」なのか、他に何かあるのか。
諱の読みを振る書籍やサイトは多いですが、幼名の読みを表記したものは
少ないので正誤の判断が付かなくて。

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 17:01:04 ID:865XD9wO
羽柴○○守秀吉にあるように○○守って誰が決めるのですか?
またどんな意味があるのでしょうか?

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 19:33:02 ID:GQ5dZPh7
>>322
長慶に関しては「仙熊」と書いてある文献があるから(人物叢書三好長慶を参照)
「せんくままる」でよろしいのでは。

>>323
ほとんどの人は勝手に好きな官名を名乗っていました。
また、○○守とはその国の国主という事です。
ちなみに、常陸や上総等の親王任国は次官の○○介が
国主の代わりをしていました。

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 23:34:05 ID:2HzbdXAv
官位ネタは結構よくある質問だよね。
>>207であったばっかだし。
よくある質問はテンプレでも作ると楽かも。

>>323
大半は自称でいいけど、中央と交渉のあった勢力の中にはちゃんと任官してる者もいる。
織田家臣の羽柴筑前や明智日向とかはそう。
ただ、「筑前」とか「日向」であることの意味はまた別問題。

大名クラスだと、大義名分にもなるから、せっせと献金してちゃんと官位を貰ってたりする。
今川義元の三河守とか、武田信玄の信濃守とか。

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 02:27:18 ID:dBcPNlyN
>>325
ちゃんと朝廷から叙任された人と自称○○守が出会っちゃったら
自称の方は気まずくなんないのかなぁ・・・こんな時でも2人は官位で呼び合うのかな??

秀吉の天下統一以降、豊臣家が公家の頂点に立って
朝廷の権威がそれなりに復活した後も自称○○守はアリなんだろか

327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 11:43:23 ID:Ldh1GUnL
江戸時代に入ってからの話だけど、陪臣クラスならまだ普通に自称したりしてた。
ただ、前田家の加賀みたいに、どこかの大名が一国丸ごと支配してる場合は
名乗るの禁止されてたみたいだけど。

328 :323:2006/09/07(木) 13:00:17 ID:U1k4Y+i1
勉強になりました。ありがとうございます。

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 13:28:17 ID:maWlpAkU
戦国時代の官位自称、土佐長宗我部氏の家中には
吉田備後守・江村備後守という親子が同時に仕えていますね。
この場合は親子なのでそれぞれ大備後・小備後と呼び慣わされていたそうです。

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 01:08:37 ID:ylI+F1jT
日本の戦国時代の各家の領土が分かるサイトを知りませんか?
勢力地図を見たいです
主な大名家が載っていれば大雑把でもかまいません
時代ごとの変遷が分かればかなり嬉しいです

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 01:11:34 ID:+yohcuht
http://www5.airnet.ne.jp/samrai/war_jp16c/idx/idx1562.htm

こんなところかな

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 01:14:09 ID:915356R9
ビンゴ!

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 01:16:51 ID:+yohcuht
>>332

ID凄いね

IDに出た数字の分だけ知行を貯めて百万石!2
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1157506702/

ここに来てみて

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 01:16:58 ID:ylI+F1jT
>>331
即答の上にすごいサイトの紹介、ありがとうございました!
これはまた・・・

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 13:21:05 ID:YaSsgGjV
秀吉の時代の金山や銀山の埋蔵量
わかるサイトはないでしょうか?

336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 15:52:49 ID:5ub3f8Gk
>>335

一部秀吉の時代の産金量もありますね、下記
ttp://mist.freespace.jp/sinohai/sengoku/gorld/list.htm

337 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 02:42:25 ID:K2C5XHNm
>>336
とても見やすいサイトを教えてくださって
ありがとうございます。

338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 07:49:49 ID:G1H/eNnm
慶長の役のおり、小西行長らの撤退のために
島津義弘らが損害を出してまで救援に向かったのは何故ですか?
すでに秀吉も亡くなり、次の世がどう転ぶかもわからぬ時に、
少しでも戦力を保ったまま引き上げたかったと思うのですが。

339 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 07:55:55 ID:sbQqKy+O
朝鮮の現地に遠征していた諸将には秀吉の死はが隠されており、
無事日本に戻ってから情報がもたらされた可能性があるのでは?

340 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 08:03:00 ID:LrTknajB
小西行長は撤退しようにも順天倭城を完全に包囲されており、脱出できない状態だったからでは
小西行長は一万以上の大軍を率いていたし、それが全滅してしまったら豊臣政権は大きく揺れてしまう。

341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 08:17:49 ID:G1H/eNnm
>>339-340
島津義弘は秀吉の死を知らず、
豊臣政権の存続のために自らの部下を犠牲にしたということでしょうか?
島津に限らず、豊臣に屈している大名もそのほとんどは
心から服従しているのではなく、現状で敵わぬから屈しているだけかと考えていました。

342 :316:2006/09/12(火) 13:12:38 ID:c493Rk4T
で、信長誕生頃は1国支配もままならないような勢力ばかりだったのに
信長上洛頃にはあちこちに大大名が現われ始めた理由、
社会的背景など何か条件でもあるの?

343 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 14:02:50 ID:ChS8lZbz
室町時代は荘園制度こんがらがって有って、江戸時代のような、地方国家のような独立性は薄かった。

公家への収入になる制度だったが、地方で実際に税取ってる連中がピンハネしたりそのまま、居座ったりして戦国大名化していった。

太閤検地までは一つの土地に所有者が複数いたりして、勢力が複雑で複雑で、そのうち戦国になって実力社会になって、戦国大名化かな。

尾張美濃あたりは見かけは織田斉藤だけど、蜂須賀なんかも中立な国人領主であっても結構な勢力だったしな。


344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 14:17:08 ID:ChS8lZbz
何代も続いているでっかい名家でも、家臣が権限持ちすぎたり、土地土地の権力者がうじゃうじゃいるいし
独裁権の有る戦国大名と言える存在は見かけ石高低くても、国人領主や寺院や海賊商人を味方につけて、やたらと強かったりする。
でも助けて貰った連中にもでかい顔されるし、領地は思ったように広がらない。

当主が有能なら10年20年かけて大国になっていく。

大内とか細川-三好とか昔からでかいとこも有るけどね。

信長頑張る時代まで、半農の足軽が主体だから軍事力だけで領地拡大は時間が掛かるしな。



345 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 20:33:37 ID:3BxlsBiv
信長軍は別として他の大名の雑兵は志願兵なの徴兵なの?

346 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 20:44:45 ID:xnGccN0m
>>345
「雑兵」についての質問ですね?では「雑兵」について説明します。
信長軍も別の大名も雑兵は徴兵です。臨時に雇う場合もあり口入れ屋に仲介してもらう場合もありました。
中には雑兵内のさまざまな職種を兼任したり、世襲したりする者もいました。
近世になると明確な軍役規定と身分制度が出来、帰農させられました。
一部に二本差しが許される者も出てきましたが基本的には農民です。

347 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 08:06:18 ID:qg37diky
信長の鉄砲部隊はかなり練度の高い専門兵であった。

信長の時代はまだまだ半農も混じっていたが、秀吉以降の時代になれば、一年中長期にわたって数十万単位の軍隊を動かしてる。

それは太閤検地と刀狩りの成果が大きい。


>356
安土桃山時代にが近世か?

348 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 12:49:02 ID:iBy9rj5M
>>341
秀吉の死を知った上での退却戦で戦功を上げたんだよ

349 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 00:45:59 ID:qIIZlbab
ちと某番組観てて疑問が起こったんですけど、実際の城攻めで落城時に負けた側が
自城に火を放つなんて事はあったんでしょうか?
つか、あんなに燃えるもんでしょうか?燃えちゃダメだろ…。

350 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 01:57:38 ID:Bs7Oei6L
木造住宅は良く燃えるからな

351 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 12:30:50 ID:gxTxXHnJ
>>349
よく燃えた

352 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 21:26:30 ID:qIIZlbab
>>350-351
一般家庭じゃなくて、防衛拠点でそんなに燃えていいんでしょうか?

353 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 23:57:50 ID:Lx1VD3Rj
城の事知ってる人間が火を放つんだから、その城よく把握してるということでいいんじゃね?
あと、内からなら燃え易いってことだろうと思うけど。

354 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 00:31:54 ID:MBeRG21k
火薬保管してるとこに火を放てば一発だね。

355 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 00:47:48 ID:ICeB69Zu
防火対策として壁に泥を塗る、というのは聞いた事あるけど。
白塗りの城壁も燃え難くする為じゃなかったけか?

356 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 02:44:48 ID:e+iOp8sM
吉川広家は大江姓を名乗っていたようですが吉川家の姓(藤原)を名乗らなかったのか、それとも養子(とその子孫)は実家の姓しか名乗れないのでしょうか?

357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 03:53:08 ID:iDOqKf4l
>>341
豊臣政権上層部は隠しているつもりだったがすぐに敵の上層部にもバレバレ

358 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 09:59:21 ID:pQR+kDBG
>>355
火矢なんかには有効だったと思うけど、中から出火したら手がつけられないかと。

359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 17:28:28 ID:FfEfjftP
江戸城とか結構何度も消失してるしな。

あと、戦国中期くらいまで、石垣の城はそれほど多くないしねえ。

360 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/09/16(土) 22:11:24 ID:TBxd3gTG
>>356
相続を目的とする養子は、養子先の家の本姓を名乗るのがセオリー
実家の本姓を名乗る例としては頼朝の弟・阿野家を継いだ日野氏が
本姓を藤原にしたものがわずかにあった位で、ほとんど類例を見ない
吉川広家が大江を用いたのを聞いたことがないのでよくわからんが
この場合は以下の理由が考えらる
 1.相続を目的としない(経安系が存続してるから?)
 2.毛利家の一門意識があった。
どちらかなんだろうか?
ちなみに明治に編纂された「武鑑」には広家の末裔、岩國藩知事吉川從五位經健の出自として
「吉川  藤原  本國駿河」としてるから、広家の子孫は他聞に漏れず上記の法則に当てはまる
「藩翰譜」や「寛政譜」など、明治に至るまでの代表的な家譜を見ても
吉川は本姓を藤原にしてるな

361 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/09/16(土) 22:17:03 ID:TRJ/qrRV
吉見氏はどうだったっけ。

362 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/09/16(土) 22:24:31 ID:TBxd3gTG
そういえば希義流を自称する吉田はどうなんだろうな。あと八田=小田とか
自分で調べろw

363 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/09/16(土) 22:28:02 ID:TRJ/qrRV
いまニュー速で忙しいんだ。
明日まででいいから調べといてよ。

364 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/09/16(土) 22:33:27 ID:TBxd3gTG
ベネディクト十六世か?手元に武鑑あるからこれなら調べてやる

365 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 18:14:10 ID:Y9UMPyRr
>>360
流れぶち切って、むちゃくちゃレベル低い質問でスマソが
戦国時代陣に矢避け?のためか紋所の入った板あったよね
こんなやつ
┌──┐
│====│
│ @ │
│   │
└──┘
あれの正式名称教えてもらえませんか?
どういう用途の物かも不明で検索のしようもなく…
よろしくお願いいたします。

366 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/09/17(日) 20:55:24 ID:s6MBG/wk
>>365
楯もしくは掻楯(かいたて)。地形によって呼称も様々で、籠城の際に櫓を作り楯を並べて
その間から射掛ける場合は櫓掻楯という
楯を並べて矢を防御しながら前進するのを持楯軍(もちだていくさ)といった
ちなみに楯を用いる戦を楯突軍(たてつきいくさ)矢を射掛け合う戦を矢軍(やいくさ)というのだ
おけ?

367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 22:03:34 ID:s1fOPjLV
>>366様、ありがとうございました。
近々篭城予定ですので非常に参考になります。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 23:48:43 ID:T/1m1qiK
前々から気になってたんですが、当時は今と違い、西洋語を話せれる人なんて
いなかったと思うんです。それなのにどうやって外国人と会話してたんでしょうか?
通訳を交えてということも考えれますが、全く未知の国の言語なんて
話せれる人はいないと思うんです。

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 00:03:35 ID:24E9ONiA
ザビエルは漂流民を使っていた。

370 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 00:41:04 ID:v8dAc2Iy
>>368
宣教者達も商人達も既に中国にネットワークを持っている。
つまり、中国人を連れてくることができる。
中国人は日本語が話せなくても、漢文でやり取りができる。
漢文でのやり取りは昔からやってたことなので、教養のある人間がいれば十分。
で、時が経つにつれ双方に言葉を学ぶ者が出てきたわけだ。

371 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 11:21:32 ID:E7H5lo0F
確か、アンジローという漂流者を一緒に連れてきていたと思う。

372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 16:05:22 ID:4Cm30HJt
戦国板がJaneで見られません。
戦国板を見られる専ブラは無いでしょうか?

373 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 16:21:26 ID:aGT2gEfn
当方環境下では、
OpenJane Doe α 0.1.12.3
という奴で見れておりもうす。

374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 18:43:26 ID:4Cm30HJt
>>373
失礼しました。
板一覧を更新してませんでした。
お恥ずかしい・・・。

375 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 01:00:54 ID:bm7JMCzf
1貫=12.5石(1,000貫=12,500石)
つまり
知行40貫=知行500石(公35:民65として実収175石)=切米(現米)175石取り=500俵取り=100人扶持取り
そして
現米1石=1両=10万円

ちなみに100人扶持の100人とは自家の使用人や家臣の家族も含むので、軍役上の動員家臣はせいぜい10〜15人

376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 01:28:52 ID:yqw8KRSX
疑問なんですけど
騎馬兵って歩兵に比べて強いイメージあるじゃないですか?

でも、イメージすると騎馬兵と槍持った歩兵なら明らかに
動き回れる歩兵の方が有利のような気がするんですけど・・
騎馬兵は上から、動き回る相手を刺さなきゃならない
歩兵は下から槍を突き上げる分には不利だけど
相手は馬に乗ってんだから狙いやすいし
何なら馬の目を刺して、相手が落馬した隙に殺すってのもできるし・・
どうなんですか? えろい人

377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 16:36:36 ID:KuSqteNk
馬が自分に向かって走ってきたら怖いよ

378 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 11:17:11 ID:fgLLYNsa
問注所→引付→雑訴決断所
の流れっことで理解していいでつか?

379 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 14:51:22 ID:ZRTrCopY
ぼくはえろいけど教えなぁーい

380 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 15:27:00 ID:Q4SwAuRl
戦国時代に猫おったん?

381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 15:35:19 ID:OFB22frz
奈良時代くらいに経典をねずみから守るために輸入したのが始まりとされている。
枕草子や源氏物語に出てくる位なので、戦国時代にはむろんいるだろう。

382 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 19:03:39 ID:GYfQNnOx
有名な猫間の中納言も平家にでてくるしね

383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 22:27:13 ID:YX+p2Wnu
どこかを征服するにはそこの総人口の何割の兵を投入すれば勝てる?

384 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 22:32:56 ID:Qdm5vo4J
2割かな

385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 12:55:29 ID:neZJTf31
日本の戦国期の人口は2000万くらいだと思うけど400万の兵が必要?

386 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 17:08:58 ID:iKOABfLb
兵数だけで征服は無理だろw

中世の兵運用は100万でも多すぎる、やった連中もそれなりにいるけども
リスク一杯でまともな政治家ならやるべきではない。

ピサロは150人でインカを征服したしな。インカは人口一千万、兵力10万
アステカは人口2500万、兵力20万がコルテスは500人で滅ぼしてる。
まあ史上まれに見る極端な例だけどね。

日本で言えば楠木正成とかは数百人程度の少数で、足利の20万からの相手を
翻弄したりしてる。
太平記は史実か怪しいけども

まあ日本は山多いから兵力多くても無理です。
兵の質も世界を比べれば段違いに勇敢ですし。

輸送封鎖して爆撃と原爆でも落としまくってもなかなか降伏しない人種ですよ。

387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 17:26:57 ID:+jIDkNlP
インカもじゅうぶん山多いと思うけどな。
兵の質は違うかしらんが。
ピサロは帝国中枢まで乗り込んで皇帝を人質にしたんで
日本が相手でも通じる戦略かもしれんぞ。
というか実際GHQのやったことも同じようなもんでは。

388 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 18:03:12 ID:oIhmW4az
あの時代ならまだしも戦国じゃ天皇の代わりなんていくらでもいるとか考えなさそうだ。
むしろ天皇の御命を狙う極悪人、朝敵というレッテルが張れて相手方が喜びそう。

389 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 18:19:14 ID:+jIDkNlP
しかしそんなレッテルを貼ろうっつったって、
「たえがたきをたえしのびがたきをしのび
外国人に従え」という勅命が出るんだけどな。

390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 18:22:17 ID:+jIDkNlP
あれ、俺388の言ってること誤解してる?
つまり、外国人が天皇を手中に収めれば
排外主義の日本人をすべて朝敵にできる
ということを388も言ってるのかな。

391 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 18:48:46 ID:XvFsb5cc
千早城攻略の鎌倉軍の軍勢って実際のところはどんなもんだろ。
20万はありえないとして2万くらいいたのかな?

392 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 05:18:51 ID:+Wmetmfs
流れ断ち切って質問です。
戦国時代では挙げた首の数を記載し、論功の要素としていたと聞きました。
やはり有名どころの武将だと、それなりに多い数になるのでしょうか。
また、1回の戦いでの首級数で
最も多い首を挙げた武将というのは誰なんでしょうか。

393 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 09:28:31 ID:ypzMde7Q
武将の血液型って判明しているのですかね?
信長はB型かな〜なんて思っているのですが、
どなたかご存知ないですか。

394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 09:34:03 ID:m5n56qn7
戦国時代に猫がおったんなら、サザエさんもおったん?

395 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 11:44:31 ID:VW8uEjsF
>>393
信長は遺髪からA型と判明している。
遺髪が信長のものではないという向きもあるが……。

396 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/05(木) 12:06:39 ID:U8NDO6og
大坂冬の陣に西軍で織田頼長っているけど誰?

397 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 12:12:27 ID:IL4rFpPn
>>396
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E9%A0%BC%E9%95%B7

398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 12:16:54 ID:ypzMde7Q
>>395
あぁ、そうなんですか!!。信長のちょっとコレはヒドイ…って
のを見てると(比叡山の焼き討ちや老臣のリストラ等)しつこさ?
でB型かなこの人はと思っていました。奥さんに律儀な前田利家や
武田勝頼はA型かな…?。

399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 12:53:13 ID:uelDqiTy
血液型信じてるバカハケーン

400 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 15:05:50 ID:gL+PWQpi
>>399
>>394には負けるだろ

401 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 23:30:54 ID:P0c3FhS8
伊達政宗がB型なのはずいぶん前に遺体をほっくりかえして
調査したから判明してる。
あと上杉謙信もB型じゃなかったっけ?(これはうるおぼえ)

402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 23:54:40 ID:m1bXHC6+
謙信はABのはず。
占いはともかく血液型は親子判定に使えるからなあ
秀頼の父親とかこれでわかればいいのに。

403 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/05(木) 23:58:30 ID:U8NDO6og
石田三成は骨あるのに血液型わからないの?

404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 00:49:10 ID:H00sBzh7
俺の勝手な決めつけだと

家康、信玄、政宗、信長はO型
謙信、義弘、元就、如水はB型
三成、光秀、氏康、清正はA型
秀吉はAB型

405 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 00:51:11 ID:k4SDNtUT
流れをぶった切ってすみません…
戦国系のオフ会ってどこでやってますか?
知ってる方いましたら教えてくださいっ

406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 01:08:58 ID:H00sBzh7
今度、関ヶ原決戦地で行います

西軍、東軍どちらに属するかの

意思表示カードを首からぶら下げて当地で待機して下さい

尚、私は西軍です。 裏切ったら殺します

407 :こばやかわくん:2006/10/06(金) 05:40:12 ID:k4SDNtUT
わー!嬉しいですー!!いつですか?

某も西軍です!!
う、裏切るなんてとんでもない…!アハハ☆

408 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 14:01:36 ID:vfqJA/v8
>>404
三成と光秀は400年たってもクソ真面目さが伝わってくるので
多分ビンゴかと。そういえば三成の頭蓋骨に復顔(正確な名称が
わかりませんが)作業した写真ってありましたよね。

409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 19:44:25 ID:g+lHuLPn
今時血液型で性格うんぬんするなよ。アホらし。

410 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 10:27:31 ID:PomH7WeG
2chにもまだ血液型信じてるアホがいるとはねえ

411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 10:46:33 ID:6jA3JsVR
ルイス式で考えろよな

412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 14:03:01 ID:FII5FDIr
血液型による性格診断は否定できないぞ。
昔は否定されてたが。時代は違うぞ。
血液型によって血が違うために免疫に違いが出て性格形成も違ってくるらしい。
全員が全員そうなるわけではないが、統計的には根拠がある。
さらに、同じ血液型を持つと言う事は、他の遺伝子も同様に遺伝している可能性が高い。
簡単にいうと先祖が近い、って可能性ね。
このことも、性格が似寄りやすい根拠。

フランスを発祥として歴史も古いし、国柄と血液型人口の関係もかなり証明されている。

まぁスレ違いだけど。あまりバカにするものでもないよ。

413 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 14:29:45 ID:vOucAE+o
統計的には根拠をだしてみろ

414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 15:54:44 ID:TGXgBCZB
ルイス式で考えろよな

415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 17:49:57 ID:/7mhFFtT
O型はチョンの血が混じってるしな。
猿の血液型もみんなO型だというし、血液型は進化の度合いも表してる。
O型は原始人
A型は現生人類
B型はちょい進化
AB型は新人類

416 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 20:54:35 ID:DzUbIQ7+
飛騨の大名で、地震で城が一夜にして崩れ

滅亡した人がいるって聞いたことあるけど

詳しく教えてください えろいひと

その後、領地はどうなったんでしょうか?

417 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 21:31:47 ID:8nb7gFpj
帰雲城だっけ?

418 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/10/07(土) 22:04:36 ID:5amebrwt
小さな集落として残ったけど。
今の白川郷あたりで。

419 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 23:20:30 ID:Ru7qAABg
戦国武将には同じ「〜守」(駿河守とか)がいっぱいいますが、これはなぜ?
守って幕府から選任されるものでないの?

420 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/10/07(土) 23:40:53 ID:5amebrwt
ほとんどは勝手に名乗ってるだけ。

421 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 23:51:52 ID:uNmHSoDS
>>419
>>324>>325

それと、幕府が選任するのは「〜守護」で、「〜守」は朝廷な。

422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 23:55:53 ID:m191Dsks
1貫=12.5石(1,000貫=12,500石)
つまり
知行40貫=知行500石(公35:民65として実収175石)=切米(現米)175石取り=500俵取り=100人扶持取り
そして
現米1石=1両=10万円

ちなみに100人扶持の100人とは自家の使用人や家臣の家族も含むので、軍役上の動員家臣はせいぜい10〜15人
ただし、防衛戦総力戦の場合はこの3〜5倍は動員可

423 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 05:39:17 ID:euRQvcvT
>>416
あの時点で金森の与力になっていたから金森領に編入では?

424 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 10:25:40 ID:4O6eUJsb
>>416
内ケ島氏理の帰雲(かえりぐも)城だな。
内ヶ島氏についてはここが面白い。
ttp://www.d3.dion.ne.jp/~a_tag/uchigasima_page_4.htm

425 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 14:37:44 ID:elJRor01
織田頼長は信長の弟有楽斎の次男。津田左門とも。
冬の陣の後大坂城を出てます。京都東山に墓があります。


426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 16:59:04 ID:6xIECSwG
質問です。

元就の妻妙玖の本名を「おそらく玉、あるいは久」とする説を見たのですがこれは
当時一般的に女性の法名には本名を織り込むものだった、と考えて良いのか、
それともある宗派なり地域なりのローカルな習慣だったのでしょうか?

427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 22:45:34 ID:euRQvcvT
今でも戒名に一字丸々使ったり一部を用いたりは普通に行っているが。

428 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 22:58:08 ID:ZvhuBxDL
>当時一般的に女性の法名には本名を織り込むものだった、と考えて良いのか
それは一概に言えない。

完全に当てには出来ないが(w)wikipediaで戦国有名女性を調べると法名・戒名ものっているものがあるが
必ずしも存命中の呼び名とは関連がない物が多い。

429 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 23:28:49 ID:Bz+6N7AS
http://g007.garon.jp/gdb/GJ/2J/2R/4x/0G/tz/aI/1L/2X/vZ/0Q/uZv.jpg

430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 09:22:24 ID:rYncc4bL
↑↑↑
精神ブラクラ。クリックするとウイルス感染の可能性あり

431 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 12:54:05 ID:3YCdpc4h
>406
いつやるんですか?
是非参加したいです。

432 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 01:34:03 ID:WZCT2qBp
あげ

433 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 14:54:55 ID:5Q0oPrEE
虚実剛柔と言えば誰だっけ

434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 14:52:33 ID:ke2Z418q
剛柔虚実なら尼子経久だね


435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 20:02:28 ID:fUbyATpD
戦国時代って、正室=正妻、側室=愛人みたいな感じ?
正室を娶ってから、側室もって感じなのかな。
正室いなくて側室ハーレムみたいなことした人いない?

436 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 20:13:28 ID:QSa0NlW8
>>435
いるよ、足利義昭
ハーレムって程じゃないけど、正室いなかった。

437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 20:17:42 ID:oEPc5zTt
>>435
そもそもの前提で側室=愛人が間違えてる

438 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 23:45:27 ID:fUbyATpD
>>436
ありがとう
やっぱいるんだ。なんかわからんがすげぇ

>>437
うん、まあ俺の勝手なイメージと言うか。
そんな感じなのかな、程度の認識だったから…。

439 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 00:19:55 ID:SeK/UotV
信長の好きな「敦盛」の歌詞の意味を詳しく教えてください


440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 13:39:38 ID:XPaLo6hZ
>>439
おすすすめ

人間五十年
ttp://www.asahi-net.or.jp/~zb5y-wd/nobunaga.htm

人間五十年
ttp://www.kyo.co.jp/~shimada/riyc/essay/nobunaga.htm

仏教小ネタ帳 人間五十年
ttp://www.higan.net/blog/koneta/2005/11/post_12.html


441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 04:19:34 ID:Lyi4xSff
>>440
ありがとうございます
詳しいサイトだなぁ

442 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 19:39:24 ID:C7pSUeNz
自分は川越に住んでいて、最近戦国時代に興味持ち出したんですが、
いろんなサイト見てもよく解らないんで質問します。

太田道灌って人が河越城を建てたのは小さい頃から聞かされて知ってます。
んで、上杉一族が住んだんですよね。
そんでいつの間にか北条一族が住んで、
上杉が取り返しに関東連合軍で攻めたけど、少ない兵力で守りきったんですよね。
んで徳川幕府になって徳川家のものになった。

↑これで合ってます?

あと、川越って城下町で蔵づくりである程度有名だと思うんですが、
岐阜とか岡崎とかは大名が住んだことあるけど、川越はないですよね。
そう考えると、川越ってわりとしょぼいんでしょうか?

443 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 05:09:53 ID:6FWjF3u+
質問なんですが、たとえば越前守とか〜守って、かぶる事なかったんかなー、織田家にも、徳川家にも同じ〜守は、いなかったん?

444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 16:28:16 ID:vo8Jn3Yk
>>442
地元じゃないで詳しくはないんですが、ものの本によれば
長禄元年(1457)扇谷上杉持朝が、太田道真・道灌親子に命じて築城した
太田親子がこのあと在城していたわけじゃなく、扇谷上杉が在城したりしなかったり

天文六年(1537)七月北条氏綱方に敗れ、扇谷上杉朝定は河越城を捨て、城は北条方に
北条為昌や北条綱成が在城している

天文十四年(1545)九月、山内上杉憲房、扇谷上杉朝定が河越城を攻略
同十五年(1546)四月、河越合戦で北条方勝利し、城を奪還
このあとも北条綱成が在城したのかな

445 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 16:32:18 ID:vo8Jn3Yk
>>443
自称が多いからね
朝廷からもらったものは、かぶらないはずだけど

446 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 16:54:11 ID:AJVgGZFS
>>444
ありがとうございます。
もっと勉強してみます。

447 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/17(金) 18:47:38 ID:uqJegmmm
>>443
同じ家の中なら普通は遠慮するもんだと思う。
他家も含めるなら、三山城(竹腰正信・直江兼続・横山長知)とか
呼ばれた武将もいるし、被ることはある。

官位ごとじゃなくて武将のあいうえお順だけど、
↓の戦国武将官位総覧は面白い。
ttp://homepage1.nifty.com/kitabatake/

448 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 22:16:15 ID:/lYXJi+e
質問です。
岐阜城へ行ったのですが、
とても険しい山金華山山頂に天守閣があり、
まさに難攻不落のお城って感じがしたのですが、
なぜ度々落城しているのでしょうか?

449 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 22:21:08 ID:2wvWEpEI
水源の確保が難しかったと言われてる

はい次↓

450 :前田 ◆LIBERALCQY :2006/11/27(月) 22:25:08 ID:2YsX0Is3
成政が最期中国に行ったってのは本当なんですか。
船長が言っていた話なんですが。

451 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/11/27(月) 22:26:17 ID:xAUskmjT
佐々なら結城秀康の家臣になったとかいう説もあったね。

452 :前田 ◆LIBERALCQY :2006/11/27(月) 22:28:37 ID:2YsX0Is3
がんばって逃げたわけだ。

453 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/11/27(月) 22:30:12 ID:2wvWEpEI
義経や為朝伝説のたぐいかwww
・・・ではそれを真剣に調べてみるorz

454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 22:56:47 ID:nTJBplu1
無知よのう( ^∀^)ゲラゲラ

455 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/11/28(火) 00:35:57 ID:lI3ihR2/
さて困った、

456 :前田 ◆LIBERALCQY :2006/11/29(水) 20:57:22 ID:8sGR0KHV
船長の言うことはおかしなことばかりだから、もういいよ。

457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 21:11:39 ID:njL/D9xB
約束は果たす。期待に添えないかも知れんが待ってて

458 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/02(土) 21:22:40 ID:h1nZ5ek6
>>382
猫間はどっかの場所の名前。
息子の代かなんかで途絶えた。

459 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 20:39:39 ID:0akirOMw
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%8Dこの、wikiの槍の項目に>>戦国時代後期には10mにも及ぶ長槍を足軽部隊に配備していた戦国大名もあり、と有りますが10mの槍を運用してた大名とは誰でしょうか?どなたか教えて下さい、お願いします。

460 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/05(火) 23:57:00 ID:V2HaGmRo
10mは流石に初耳。
6.3mまでは聞いたことがあるけど。

461 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/12/06(水) 00:01:40 ID:lxbOWoHu
三間半。

462 :前田 ◆LIBERALCQY :2006/12/06(水) 00:05:05 ID:ZorInuxL
三間半ってのが、
6m30pか。

463 :前田 ◆LIBERALCQY :2006/12/06(水) 00:09:31 ID:WwqZIlvW
そんな6mの槍なんてまともに振れんのかね。

昔の人は強かったんだろうね。

464 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 14:08:45 ID:tZiOHFy9
槍って叩くのか?
振り上げて、まっすぐ正面に振り落とすのが槍だと思ってたが

465 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 20:20:46 ID:r1AHjQXk
>振り上げて、まっすぐ正面に振り落とすのが槍だと思ってたが
それが叩くって行為では?

466 :前田 ◆LIBERALCQY :2006/12/06(水) 20:25:02 ID:WwqZIlvW
叩っ斬る。か。

467 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/06(水) 21:02:24 ID:r1AHjQXk
長柄槍の穂先は短いし、極端に長い代物だから狙って切るのはまず不可能だと思うぞ。
刺突なら可能だろうけどな。

468 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/12/07(木) 22:30:25 ID:4g6SS2BJ
色々調べた結果、成政は天正十六年閏五月十五日に尼崎で切腹
中国に逃げた逸話はついに見つけられなかっただ

469 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 05:01:50 ID:ARHOrLtQ
日本の武士は盾を持たない、
西洋の騎士は盾を持つ

日本の武士が盾を使わなかった理由は何ですか?
教えてくださいませ。

470 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/14(木) 05:04:42 ID:+Llh/CI3
槍が主要武器だったからじゃね?

471 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/12/14(木) 21:28:50 ID:k005AsA0
>>469
白兵戦にこだわらなければ>>366

472 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 15:30:08 ID:vJhIOnsB
>>469
一応手盾というのを使ってはいました。
メジャーな防具ではなかったのは動きを阻害しないこと、両手で強い打撃を加えることのほうが重視されたからではないでしょうか。
盾が無くても槍や太刀で防御できるわけですから。
あと、片手で使うわけではありませんが全身が隠れるようなものは良く見かけますね。

473 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/15(金) 15:31:47 ID:vJhIOnsB

P.S.手盾同様主に矢を防ぐ為のものです。

474 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/16(土) 05:35:15 ID:Nl+kElki
よくある質問
宮川一朗太の「太」はいらないんじゃないか?

答え
◆一朗太の名前の由来◆
両親が祖父の「朗」を入れた名前を考え最終的に候補に残ったのが「一朗」と「太朗」
どちらも甲乙つけ難く、悩んだ末に左から読むと「一朗」右から読むと「太朗」となる「一朗太」と名付けられた
「一太朗」という名前も最終候補まで残ったが、さすがに一太朗という名前はおかしいだろうという話になり一朗太に決定した。


475 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 09:38:53 ID:wm6v7iPt
戦国時代に北海道のことがほとんど触れられていないのは何故ですか?
当時は外国扱いだったの?

476 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 13:03:52 ID:+T27ollj
蠣崎とアイヌ民族は無かった事ですか?

477 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 14:08:08 ID:wm6v7iPt
蠣崎家があったのは知ってる(存在だけですが)んですが、
アイヌ民族って、日本人という認識だったのですか?
なぜこんなことを聞くかというと、ゲーム(太閤立志伝)をやっていて、
北海道が少ししか出てこないからです。

478 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 14:49:21 ID:+T27ollj
和人ではなくて、蝦夷と呼ばれていたわけだし、当然日本人という認識では無かったと思うよ。
何故触れられていないかというと、蝦夷地に日本人の目が本格的に向くのはもっと後世の事だから。
松前藩はアイヌと貿易をしていたけど、ゲームで語る程ではないんでそ。

479 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 14:56:10 ID:wm6v7iPt
>>478
わかりました。
どうもありがとう。

480 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/18(月) 23:00:02 ID:ZntGKxZ1
日本と同じような社会システムで動いて無かったから
琉球だって出てこないだろ?

481 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/19(火) 05:05:22 ID:2qaKansn
何百人、何千人も篭城する場合はトイレはどうしてたんだろ?
穴掘って埋めるにしても膨大な量になるだろうし
数日ならともかく長期間じゃ埋める場所も無くなりそうだしなぁ
臭いとか衛生面で考えても良く無さそうな気はする

今みたいに雑食に近い感じじゃ無かったからそこまで量とか臭いとか無かったのかな
1日で食べる量も篭城してたら少なかったかも知れないし

もしくは近付いて来た敵に向かって何らかの方法でかけるとかか?
しかしそうなると有事の際にすぐに行動出来る様に保管に近い事をしないといけないし
城外に捨てると言う意味ではそれが実用性もあるし一番な気もするんだが
便所番みたいになのがいて管理してないと難しそうだしなぁ

何かの漫画、花の慶次だったか?で城壁登って来る敵にシッコかけてたシーンがあって
老兵みたいなのが「これは見事ないちもつじゃ」と言うんだ
それが言うには、普通はこういう場面では縮こまってしまってとても見せれる物じゃないみたいな感じで書いてあったが
普通と言い放つからには自分以外の大多数の人間がそうなると解釈出来る訳で
となるとその老兵を含め、当時の兵卒はそこらで並んでシッコしてたのか?と疑問に思う訳です
他人のいちもつを見る機会があると言う意味でそういう想像になった訳ですが

そこら辺(トイレ関系)はどうなんでしょうか?

482 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 13:07:52 ID:+HpmCpfv
葵徳川三代で、津川雅彦演じる徳川家康が ござそうらず と発していたのですが
どういった意味でしょうか。

「ござそうらず」に似た言葉で、御座候(ござそうろう)というのを聞きますが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%BA%A7%E5%80%99(御座候)
その、回転焼の商品名の説明のページの中に
<社名・品名はお買い上げ賜り、ありがたく御座候という感謝の意に由来する。>
と、あるのですが、「ござそうらず」が御座候の反対語とすると、ありがたくない、感謝しない ってことでしょうか?

ちなみにこの作中では、小山評定で、福島正則が「豊臣家ご奉公のお志に異変有りや無きや」と問うた場面で
家康が「露ほど異変も、ござそうら御座候ずっ!!!」と発するのですが。
あと、ござそうろうが御座候と書くのなら、ござそうらずは漢字でどう書くのでしょうか?
色々候補を検索してみたら、御座無候が比較的ヒットしたのですが、御座無候が実際どう読むのかはわかりませんでした。
お願いします。

483 :482:2006/12/26(火) 13:09:18 ID:+HpmCpfv
最後から3行目がおかしくなっていました。
家康が「露ほど異変も、ござそうらずっ!!!」と発するのですが。
の間違いです。

484 :482:2006/12/26(火) 13:09:49 ID:+HpmCpfv
4行目でしたorz

485 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 13:20:32 ID:zNAsSeqH
>>482

御座はそのまま「ござ」
候は「います」
ずは「走る」「走らず」のように否定
よって「ございません」だね

486 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/26(火) 19:07:45 ID:30YF3dLj
雰囲気で分かれ
空気を読むんだ

487 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 00:16:30 ID:Jo0882pS
>穴掘って埋めるにしても膨大な量になるだろうし
今みたいにコンクリで固めて無いから、染み込むんじゃない?

488 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/27(水) 00:21:34 ID:Jo0882pS
戦国史に興味を持ち出した、赤穂浪士と新撰組や
明智光秀と石田三成の違いが分かってないバカ者に
織豊時代の流れを理解させる教科書的な本ってどういうのが良いでしょう?

今のところ学研のマンガ日本史の年代系シリーズなら
600円で安いし良いかなと思ってるんですが、より良い方法ありますか?

489 :489:2006/12/27(水) 21:36:18 ID:yAcdvNlv
今、年賀状を作っています。
書状の様に昔詞で作りたいので翻訳できる方、どなたか教えてください。

「新年明けましておめでとう御座います。
旧年中は大変お世話になり、ありがとうございました。
本年も何卒宜しくお願い申し上げます。」

だいたいこういう文章で細かいところはおまかせします。
割と堅苦しい感じでお願いします。

>>485の感じだと、
「新年明けまして祝着至極に存じ奉り御座候。」とかでしょうか?

490 :489:2006/12/27(水) 23:25:43 ID:yAcdvNlv
どうも、かなり人が少ないようですので日本史板で聞いてみます。

ありがとうございました。

491 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 05:11:00 ID:RBkfLMza
2時間足らずで退却するとは、余程急いでいたのかなあ。
兵糧が尽きたとか、
自分とこの大将がクーデターでやられて、引き返さなきゃならなくなったとか?

492 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 06:41:42 ID:NcQWlFJP
もう幾つ寝れば歳も明けようかというこの時期になって文面を考えている事に驚きだ。

493 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 08:48:55 ID:dsMHr3Jc
安土桃山時代をカバーする板が複数あるから
質問スレですら盛り上がらないんだよな、、、(′・_・`)

494 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 09:11:31 ID:RBkfLMza
「誰かがもの凄い勢いで」ってタイトルにつけたとしても、
この板の人達は、どうせ誰かが答えるだろって思って、
全然勢いがなさそう。

495 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 10:16:29 ID:eSKte5Mc
質問スレが乱立して無い以上、スレタイなんて関係ない。

しかも板自体が閑散としている。

496 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 10:36:36 ID:vm/6RDky
>>488
真の初心者には学研の漫画は確かにお勧めだと思う。
後は『イラストで分かる図解日本史』がお勧めです。
題名の通り、カラーイラストや写真で分かりやすく紹介しているので、入り込みやすいです。

それで戦国に興味を持った場合は「戦国武将ものしり辞典」がお勧めです。
故奈良本氏が書いた本でライト層に分かりやすく戦国の情報全般を羅網しています。
マニアックな事もよく乗ってるし、
書店でもよく見かけるので手に入りやすいと思います。

497 :九條殿@前関白 ◆1Ixlm5F0XU :2006/12/28(木) 11:46:33 ID:XkF3tTcU
正直、当時の年改めにおける祝賀の挨拶は年明け最初の便りが年始挨拶にあたるのであり
相手が遠方であればあるほど年始挨拶が遅くなったのだ
今のように正月に着くように書くなどきっちししたことはやらないのだ
手紙の文面にこだわるのであれば>>489は当時の様式にもこだわって
年賀状は年明けに出したらどうか。急いで書かなくてもいいぞよw

ついでに当時の一般的な書状の形式だが紙の真ん中を上下外側に二つ折りにし
上半分に書面、下半分は何も書かずにおく
次に書状の右端に幅1センチほどの切り込みを書状の上から下に向かって入れておく
書状の上下の長さに対して半分程度でよい
書いたあと書状の左側を内巻きに丸め筒状にし、最後に先程切り込みを入れた紐状のもので
筒の真ん中を縛り完成

498 :初心者お勧め本:2006/12/28(木) 20:26:56 ID:uczoegw9
アドバイスありがとう。

>後は『イラストで分かる図解日本史』がお勧めです。
学研が600円なので、800円くらいまでで何とかなりませぬか?

499 :489:2006/12/28(木) 20:50:14 ID:0mA6G5bp
>>491-492
御指摘のとおりです。急いでいました。
急いで描いていたのであと文面があれば完成!だったのですが、
結局、古典板でもひとりのレスもつかずにひっそりと下がっていってます。

地方も地方なので明日出しても元旦に届く田舎です。
引き続き、お答え頂ける方をお待ちしたいと思います。

>>497
貴重なお答え、反応をありがとうございます。
しかしながら今回は年賀状での挨拶を考えていますので、
本格的な書状は別の機会に是非とも参考にさせて頂きます。

放置が少し寂しかったので、このスレに帰ってきてよかった。

500 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/28(木) 23:10:47 ID:YtPcOLqS

   _
ヽ '´ ヾ 'ヽノ
 i |ノリノLL|
 | l| ゚ ヮ゚ノ|  <唯一神ヴァルキリークララ様が500GETよ! 悪く思わないでね!
..ノル/)充iつ
 .f〈/j_|ト>、
 《/〈_j/ヽ》

>>1ンフィニティー
ワープしてみなさい? ほこら待ちで返り討ちにしてあげるからw
>>3ーペント
戦闘時発動能力もない子は引っ込んでなさいw
エレ>>4
私を踏むだけ時間の無駄よね(プ
>>5ナイト
先制持ちで残念w青属性じゃなくてさらに残念w
>>6ータン
+6に即死無効……まあ、それなりってとこかしら?
>>7イトキャット
な、なんでその耐久値で即死しないのよ! イライラするっ!
>>8壊の業火様
白だけは! 白だけはやめてください!!
>>9
え!? 9!? 9……え、えっと……
>>10の刃紋様
ごめんなさい
調子こいてました。

501 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 05:36:45 ID:vYPoML2a
>>488
信長の野望

502 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 09:00:02 ID:awmLBoax
僕は長崎市出身何ですが、一般的なご当地の武将は誰になるのでしょうか

龍造寺・鍋島・松浦・大村家は違いますよね?

503 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 09:34:17 ID:ACBXQdIP
天草四郎 (^_^)

筑前ならノブヤボで取り上げられてる関係で、
竜造寺・大友あたりがシックリ来るのではないか?

出島とジャパネットたかたの国で良いではないか。

504 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/29(金) 23:04:15 ID:A96D7gDU
もういい!

505 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 00:16:32 ID:WgC++Lpz
なにが?

506 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 19:56:04 ID:M92sCY35
TV見てて思ったんだけど、
徳川秀忠の奥さん(お江与)って明智光秀を恨んでたのか?

父、浅井長政を討った信長を倒したのは明智光秀じゃん。
その光秀を倒したのが秀吉なわけで、秀吉の方を恨んでたんでは?

507 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 02:01:55 ID:iIM2zvqA
>>506
あの悶絶の大河ドラマ『春日局』全50話一挙放送!を御覧になってられるんでしょうかw

複雑な関係だけど信長はお江与の伯父にもなり、
幼少時のお江与の保護者は信長でもあったわけだし

あと春日局とお江与の方が不仲だったのは史実なので
(日光東照宮の文書にある春日局の文とされる物はお江与の方を
極端におとしめる内容なのが証拠になるかと)

そこから橋田御大が「お江与は明智光秀が嫌い」という発想を膨らませたのではないかと。

508 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/01(月) 22:25:51 ID:52D7lGC2
>春日局の文とされる物はお江与の方を 極端におとしめる内容

あけおめ、ふーん。

509 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 21:45:59 ID:zO0rKplC
しょーむない質問ですが、浅井はあさい?あざい?

510 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 22:47:24 ID:4/30wpZy
浅井って言うと通っぽく見えるけど
浅井って言うと素人っぽく見えるよね(^_^)

511 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 22:53:20 ID:DtxiTDRX
あざいが正しい。
民放のしょーもないドラマだとあさいと呼ばれることもあるけど。

512 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/03(水) 23:00:45 ID:zO0rKplC
>>511
ありがとうございました

513 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 00:29:14 ID:HbfVsQ2I
爪を噛む癖があるのは、性的に未熟だからだ。という話を聞きました。
天下の徳川家康様は爪を噛む癖があったと聞きます。
ですが、晩年まで子作りしてた家康が性的に未熟だったとは思えません。
実際の所はどうなんでしょうか。

514 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 01:19:35 ID:HnTtsMRY
精神面で不安なことがあると爪を良く噛むようになる、ともいうぞ
この癖があるからこうだ、というふうに直結で決めつけることは簡単に出来ないと思うが

515 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 04:49:48 ID:vHnVxkmc
秀吉にお前より出世したぞって言われ、落馬で死んだのは誰ですか?調べても十河しかでなくて…

516 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 08:56:01 ID:xt1GYztY
確か頼朝だろ?
お前は武士という身分で天下を取ったが、俺は農民から天下を取った、
そんな感じの事を鎌倉に寄った際に言ったんじゃなかったけ?まぁ、本当かどうかは知らんが。

517 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 11:22:19 ID:jUWnc/Ab
>天下の徳川家康様は爪を噛む癖があったと聞きます。
御家のためにわざわざ経産婦ばかり相手してたりしてたくらい
我慢の人なんだから、爪噛む位は許せ

518 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 12:48:50 ID:+Tq0Bskt
幼児性の残存と、実際に子作りしてるかは別物でしょ
むしろ幼児性が強いほど、女性への依存が大きくなるから

519 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 14:37:57 ID:cfj6ooQy
軍役について質問です。
武田家だと家臣の軍役を〜騎と表していますが、これは士分の数なのでしょうか?
それとも足軽まで含めた総兵数なのでしょうか。
教えていただければ幸いです。

520 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/04(木) 23:31:02 ID:O1NxzKXu
足軽なんて馬持って無いんじゃない?


>幼児性の残存と、実際に子作りしてるかは別物でしょ
実母の於大の方を早く引き取ってなかったっけ?

521 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 00:26:09 ID:OH1XZxei
戦場で沢山死人が出た場合、その後始末はどうしたんしょうか?
野ざらしあるいは地元の住民なんかが埋葬してくれたりしたんですかね。


522 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 00:52:29 ID:ZixpEYfv
金に成りそうな物は、追い剥ぎにされて
残りは両軍が小遣いで雇った住民と共に片付けたんじゃなかったけ?

523 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 02:25:21 ID:MLVeNQec
Q:あまりに過疎すぎてて戦国について語れないんですが
A:【戦国】★戦国最強武将決定戦★【最強】 part7
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167918361/
いわゆる最強スレでは勢い150という異常な書き込み数があってこの板の原動力となっています
ただスレの流れを理解しないとまったくついていけないので気をつけましょう 一日に何度か爆弾が落とされスレが異常なまでに加速します
ちなみに織田信長、上杉謙信、武田信玄のうちの誰かが好きならすぐにこのスレに溶けこめることになるでしょう

524 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 10:54:09 ID:a7cG+8Rx
あと坊さんがふらふら来て供養してふらふら去っていくらしい

525 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/07(日) 01:11:22 ID:NFHykJ7J
ttp://wwwz.fujitv.co.jp/akechi/intro.html
画像が切れてて申し訳ないが
右の光秀の着物の上の、肩〜手を覆ってる布は何て言うの?

139 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.02 2018/11/22 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)