5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

河北の覇者・袁紹

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 13:31:48 ID:r2t43b9l0
河北の雄、袁紹、字は本初。

堂々とした威厳のある風貌で、
名門なのにも関わらず身分にこだわらず下手に出たので大勢の人間が彼の下に集まってきた。
官渡で敗れたものの、四州を支配したその実力は本物。
また彼の治世は後世にいたるまで領民に称えられた。
漢と長年敵対していた匈奴や烏丸の異民族を見事に手なずけた外交手腕も持つ。

三国志前半の最大の実力者であり、中華統一への可能性が最も高いであろう英雄。
最近、評価されつつあるとはいえ、その評判は以前、芳しくない。
ここで彼のことを大いに論議し、その価値を高めていこうではないか!

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 13:44:42 ID:kUQs2Tdn0
 後漢時代に四代に渡って三公を輩出した名門袁家の出身であり、その存在自体が周囲に影響力を持って
いた。
 袁術は袁逢の子で、袁紹はその兄(袁成)の子とされるが、『魏書』(王沈撰)や『後漢書』(袁山松撰)によ
れば袁紹は袁術の異母兄弟であるという。
 王沈らの説に基づけば袁紹は袁逢の庶子で、伯父の袁成の養子となって後を継いだ。袁逢・袁隗の次の
世代の袁氏宗族の長は袁紹と袁術の何れか(あるいは袁基)であると思われており、都に居た地方の豪族
子弟はこぞって両家に赴いたが、袁紹が袁術よりも名望高く、例えば何伯求や許子遠の如きは袁術の門に
赴かず、袁術はこれが面白くなかったようで、袁紹を嫌っていた。
 叔父に袁隗がおり、異母兄には袁基(袁術と同母兄弟)がいる。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 14:52:27 ID:r2t43b9l0
関連スレ
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1165238829/

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 15:10:41 ID:qdnyFtU70
袁紹のここがスゴイ!

・何進が十常侍に殺害されたときに宮廷に乗り込んで宦官の粛正を行った決断力。
・董卓が献帝廃立をほのめかした時に毅然と立ち向かった度胸、
・ほぼ無血で冀州を得た謀略。
・戦略に優れ、圧倒的機動力と武力を誇る白馬義従による戦術を得意とした
公孫サンを滅ぼす。
・不落の城、易京城を落とす。
・領地を荒廃させることなく戦力を増大させた。
その結果、大戦に際し大軍と膨大な物資を用意することが出来た。
曹操は血で血を洗う戦を重ね、領地が荒廃し、領民に恨みを買い、準備できた軍事力と物資もすくなかった。
・天子奉戴をした曹操は宮廷内の陰謀に悩まされたが、袁紹にはそのようなことはなかった。
・外交に優れ、曹操陣営を次々切り崩し、包囲網形成。おかげで
曹操は軍の大半を官渡に振り向けられなかった。
・官渡後、領土に起こった反乱を粘り強く鎮圧(その直後病死)。
・後世にいたるまでその政治を領民に称えられる(袁譚の治めていた青州は別)。
・イケメン

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 23:58:30 ID:XaHGx6iU0
嫁泥棒は本当の話か?

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 14:07:54 ID:17GBGVst0
四代に渡って三公を輩出した名門袁家ということだけど、
この袁氏の隆盛は、後漢代に入ってからだよね。
それ以前も、地方の豪族として存在していたのかな?

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 23:46:32 ID:oC9Op4Pf0
袁氏の祖先はどのへんまでたどれるのかな

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 16:09:09 ID:4+a9Ykwc0
 中国の全ての袁氏の遠祖は五帝のひとり、舜に遡るとされる。歴史書に伝えられる伝説によれば、舜
の子孫である胡公満という人物が周の武王によって河南に封建されて成立した陳国の公族、轅濤塗が陽
夏(現在の太康)に領土を与えられ、その子孫が祖にちなんで袁を姓としたのに始まるという。轅濤塗
以来の由来を誇る袁氏は、発祥地の陽夏が陳郡に属したことから普通には陳郡袁氏と呼ばれる。

 袁姓の人々が歴史上で数多く活躍し始めるのは前漢の頃からである。前漢の袁盎は名丞相として諸国を
周り、後に起きた呉楚七国の乱の鎮圧に一役買った。漢代には、陳郡の隣の汝南郡を本拠地とし、陳郡袁
氏の同族を称する汝南袁氏が台頭する。汝南袁氏は中央政界の名門として4世代で5人の三公を輩出したが、
後漢末の動乱で一族の高官が次々に非業の死を遂げ、さらに地方で群雄として台頭していた袁紹、袁術が
相次いで没落するに及んで歴史の表舞台から姿を消した(但し、袁術の子孫は孫権に仕えた)。一方の陳
郡袁氏は陽夏、扶楽など複数の家々に分かれて有力な貴族家門として着実に成長し、六朝時代から唐代末
の9世紀頃まで名門貴族として繁栄した。

 その後も宋代の記録で約26万人、明代の記録で約53万人と着実に拡大し、現在では台湾まで含めて中国
の各地に広がっている。


9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 00:54:52 ID:4ARK+MNj0
>>7
イブまで。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 16:07:44 ID:tu5YB08B0
>>8
>六朝時代から唐代末の9世紀頃まで名門貴族として繁栄した。

最期は、黄河の濁流に消えたのかな。


11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 18:23:02 ID:r9ilOngKO
最後のひと光り、袁世凱?

5 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)