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【みんなで】 中国名相百選 【決めよう】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 20:15:24 ID:CXfziSWK0
中国の長い歴史の中で登場した数多くの宰相・政治家たちの中から、
特筆に値するであろう名相百名を選ぼうというスレです。

・推挙する政治家については、その理由を述べること。
・対象となる政治家は、近世以前の武将とし、近代以降の政治家は含めない。
・対象となる政治家は、特定の時代に偏らないように配慮する。

 以上の三点に留意して、中国名相百選を決めましょう。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 10:07:32 ID:Xk2IkBWV0
>>60
という事は、全国統一政権以外の地方政権の宰相は
選考外になるのですかい?

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 10:44:21 ID:Q+HGjlJ8O
>>60
>ただ最低条件として、国の中央政治に関わって業績を上げたことかな。   
そうだね。自分もそれが良いと思います。
取り敢えずあれこれ人物を挙げていって議論するってのは如何でしょう。   
>>61の意見は分かるが時代と地方の政権の規模にも因るのでは?
例えば東晋や前秦、北魏クラスならOKとか。その件も含め議論すれば良いかと。
五代十国とかも微妙な政権があるし。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 11:27:39 ID:Xf+eNnbn0
名宰相の定義をどうするかも問題では?
「独創的な制度の創出」だけだと百名行かないだろうし。


64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 11:36:14 ID:WX1BP0F1O
おいおい地方政権なしだと春秋戦国の名臣ほとんどいなくなってしまうぞ
孔明も選考から漏れてしまう

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 11:49:54 ID:8AY4iIHL0
名相ってのが厄介だな

中国名臣百選(政治家)にすればよかったな

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 12:15:01 ID:2QNHPg6N0
自分の頭の中では
春秋戦国・三国志・五代十国などの地方政権の宰相は
ずば抜けた影響力を持ったとか特殊事情がない限り
漢・唐・宋・明などの統一政権の宰相に比べるとランクが落ちる
地方政権の宰相もOKだけど統一政権の宰相優先って感じ

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 12:25:13 ID:NC+j6Ai60
自分の中ではむしろ逆に近い
統一政権だと相当無茶をするか、政体が腐ってない限りなんとかなる
分国期のほうが他国との比較で政策の効果が判断しやすいし

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 14:57:02 ID:D3pnbRz30
例えば張廷玉は入るのかな?

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 15:47:20 ID:bgS3rW+w0
>>66 おれは地方勢力を国家あるいは幕府として存立させ、統治機構を整備した地方政権の宰相や廷臣をこそ評価するがね。短命すぎたら話にならんが。
統一王朝の宰相って言ってもやってることは、たとえば唐律や両税法の施行とか、権門だけじゃなく、広く人材を求めたとか、そういうのだろ。
地方政権とどう違うんだろうと問いたい。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 16:14:23 ID:X6hnm7wKO
>>67
まあ王朝の創業や中興は実力がないと話にならないだろうが、
全盛ってヘマさえしなければ何とかなったりするものだしな

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 16:20:51 ID:2QNHPg6N0
地方政権の宰相の方が有能だという意見が多数意見ならそれで進めて良いよ

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 16:23:45 ID:rd3NDjjq0
>>67
面倒みなきゃならん範囲と人口が大きいほど仕事も難しくなるんでないかい?

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 16:45:24 ID:KONkJmpP0
地方政権でも、規模の大きさで評価は変わるような気もする。

例として、十六国北燕の馮素弗とか五代後梁の敬翔とか、
「○○にこの人あり」と謳われるような人物でも、その領域を
考えると、名相と呼ぶには小粒だし…。
「当たり前だ!」と叱られるのは覚悟してますが、ご一考いただければ
有難いです。
(戦乱期の小国って、名相と名将を兼ねる人が多くありませんか?)

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 17:08:04 ID:JmIECUFtO
まず挙げられるだけ挙げてから削ろうよ
話が進まない

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 17:19:30 ID:bgS3rW+w0
>>73 敬翔は軍政官だから、オールマイティもいいところ。
朱晃の代には、よく用いられたけど末帝は彼を遠ざけたから、小粒というかあんまりパッとしないイメージがあるかも。
それでいくと、晋の張承業などは、地方藩鎮の幕職官でありながら、よく本拠を治めた名臣。
この人と、この人が抜擢した馮道がいなければ、晋が後梁を打倒するところまで、戦いぬけたかかなり疑問。
こういう人は入れるべきだと思う。
わかりやすく言うと、楚漢争覇期の蕭何に匹敵する。

>>戦乱期の小国って、名相と名将を兼ねる人が多くありませんか?
安定せず、越権しないとどうしようもないほど人が足りないからね。だから権限も増し、他の臣に妬まれて殺されたりする。
本来、軍人と政治家なんて明確に線引きはされず、文字が読めるとか計算ができるとかで人を幕下に加えるから、腕っ節が自慢でも、読み書きできると文官の役を与えられるのが戦乱時。
武人の力を押さえ込もうとするのが治政時といってもいいくらい。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 19:44:53 ID:sl6cnp3K0
春秋戦国
【候補】
管夷吾(仲)→富国強兵策を採用し、桓公の覇業を補佐、【確定】に異存はないでしょう
伍員(子胥)
公孫僑(子産)→中国最初の成文法を制定、間違いなく【確定】
范蠡→たぶん【確定】、伝説的な後半生を除いても、越の宰相時代の功績がデカい
申不害
李?(李克?)
西門豹
藺相如
公孫鞅(商鞅)
黄歇(春申君)

個人的に、名臣だと思ってる人物を何人か
戦国四君に限って言えば、人臣として最も活躍したのは春申君ではなかろうか?
しかし、バランス悪いな

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 20:47:56 ID:lb8/y9rr0
>>76
呉起は?

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 21:40:51 ID:Q+HGjlJ8O
>>76
管仲、子産が入っていて安嬰が何故を候補に入れてないんだ。
安管と言えば斉の名宰相だろ。
霊・荘・景公の三代に仕え、政策は節倹力行を旨とし君主を諫めて国をよく治めたのが安嬰。

>>77
呉起はどちらかと言えば、軍事家・法治主義の先駆者としてのほうが強いな。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 21:51:24 ID:sl6cnp3K0
>>77
呉起の戦績は抜群、政治家としても有能なんだが
死後にその功績が水泡に帰してしまったこと、魏には他にも有能な政治家がいたことを考慮して
あえて外した、いや普通に入っていても全然おかしくないんだけどね
別に十傑に絞る必要はないんだが、春秋戦国っていくらでも出せそうだから

>>78
晏嬰は文句無く名臣、なんだけどさ
国力を大きく伸ばしたわけでもなく、斉景公に覇を唱えさせたわけでもない
無事是名馬を地で行く名宰相なのは分かっているんだが、どうしても富国強兵した連中の方を
評価したくなってしまう
すまない、本当に自分の趣味だけで選んだ十名だから

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 22:01:42 ID:MjGsMEJj0
西門豹はそれこそ地方の名知事レベルじゃないか?

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 23:02:45 ID:Q+HGjlJ8O
>>79
いいよ、確固たる信念をもって意見を述べているみたいだし。
確かに呉起は有能なのだが魏・楚じゃなく、もし秦に仕えていたら
商鞅以上の功績を残せていただろうに・・・orz

>晏嬰は国力を大きく伸ばしたわけでもなく、斉景公に覇を唱えさせたわけでもないが・・・
分かるよでも宰相って
『上は天子を補佐し四時の推移を順調ならしめ、下は地の恵みを豊かにし、
外は四方の蛮族を鎮撫し、内は万民を治め、諸官にその職務を全うさせる』のが
本来の任務だと、陳平が漢の文帝にそう述べているし、自分もそうだと思う。
この事は是非、諸兄にも知っていてほしいな。

(別に>>79に文句言ってる訳ではないよ)

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 01:20:52 ID:p2Zj9vB00
>>76
管仲が入っていて、晋の狐偃と趙衰、
秦の百里奚、楚の孫叔敖が入ってないのは何故?

いずれも、主君を覇者に押し立てただろ。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 06:49:50 ID:wZbPE9qNO
>>82
勝手に弁護させてもらうけど
>春秋戦国っていくらでも出せそうだから
>すまない、本当に自分の趣味だけで選んだ十名だから
って>>76は言ってるよ。

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 10:59:46 ID:B5/enrzB0
「糠糟の妻」で有名な宋弘(後漢)

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 13:12:59 ID:wZbPE9qNO
後漢
李膺 『登竜門』の故事で有名。
朝廷の綱紀がゆるんだなかにあって、高潔を保ち、
心ある人はその知遇を得ようと願った。
司隷校尉に就任後官界の綱紀粛正つとめ、宦官を震えあがらせた。
(反撃にたおれたが・・・orz)

楊震 王蜜に対し言った『天知、地知、子知、我知、何謂無知』言葉が有名。
地方長官から閣僚級(司徒)にまでなった人物。
先祖も昭帝の時に丞相を出した名門だがそれを鼻にかけず、
一門には贅沢を禁じ、清廉潔白な生き方を通した。

李膺は三公では無いけど有能さと名臣ということで推薦したい。

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 16:54:13 ID:VpW5rLiB0
>>85
最近宮城谷三国志読んだ?
そのふたりは結局腐敗した政治を立て直せなかったわけで、、
名臣であり声望は高いけど百選には入らないと思う

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 20:45:49 ID:SgDHgY+GO
両漢は皇帝自身か外戚の専権者が印象的で名相という感じの人が少なくないかな?

前漢の人
・蕭何
言うまでもない

・桑弘羊
異論もあろうが、破綻同然の財政を立て直したのは彼の手腕によるところが大であろう
武帝末期から昭帝前期において、行政面は彼が牛耳っていたとみてよいだろうし、彼が財政を立て直したお陰で前漢はあと百年隆盛を誇ったと言ってよいのではなかろうか

・テキ方進
儒学と天文に明るい大学者で辣腕の政治家
外戚王氏がはびこる成帝後期に丞相となり、王氏勢力を分断・弱体化させた
また弛緩しつつある支配体制の立て直しのため幾つかの新制度や方策を打ち出す
特に三公制は実質的に彼が推進し、後漢末に至るまで採用された



専権者を含むなら、霍光も入って然るべきだと思う

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 23:16:23 ID:wZbPE9qNO
>>86
宮城谷氏はすきですが三国志は読んでません。

前漢は比較的、宰相として有名な人物はいるのだが。
後漢は豪族の連合体の体質から脱却しきれてないのと、
尚書が実質的に政治を動かすようになり三公が実行機関に過ぎない、
しかも幼帝が続き、外戚と宦官の専横でそれを押さえることを出来ていない。
その為、名相が余り見当たらないような気がする。

一応後漢の三公の名前を挙げとくよ
袁安 厳命かつ公正な政治を行ない評価は高い。
袁紹・袁術の先祖。

呉漢・とう禹・胡広・何休・陳パン・王梁・栄弘・伏シ甚・侯覇・李通・馬成・韓?・
とう融・欧陽エイ・劉隆・蔡茂・朱浮・馮勤

詳しい人がいれば説明頼みます。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 11:23:33 ID:/mQ1WrzGO
春秋時代から推薦
宋の襄公を補佐した目夷(子魚)はどうかな?
小国なのに殷の末裔ってプライドだけで覇者になりたい
我儘な襄公をしっかり支えた彼は凄くないか?
本来なら君主の座に就いていてもおかしくない人物。
(止む得ない事情で臣下となってる訳だし)

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 11:27:33 ID:9o5q1GWC0
>>89
アホのアホな行動を止めきれなかったのは名宰相ではない。
忠臣ではあるがね。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 12:12:40 ID:/mQ1WrzGO
>90
そのアホを懸命に支えたから一応覇者になれたんだろ。
(最終結果だけで判断するのもどうかと思うが)
そんなこと言ったら李斯や諸葛亮、極論を言えば管仲、蕭何も名宰相じゃなくなるけど・・・
李斯は二世皇帝胡と趙高を諸葛亮は劉禅のアホな行動を止められなかったし、
管仲は自分の死後の事までをしっかり配慮できてない。
蕭何は臣下の謀反の原因である高祖の猜疑心を押さえてない。

第一、君主がアホか凡でも宰相次第でなんとかなるのが普通じゃないの?
それと反対意見も結構だか一人ぐらい推薦しろよ。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 13:01:37 ID:PgK/z/YM0
>>91
存命中は抑えていられた事例と存命中に抑えられなくなった事例を並べるのはちょっと違うんじゃないかな?
まあ抑えきれなかった一点を持って名相でないというのは言いすぎかと思うが、多少のマイナス評価にはなるだろうね。

それと余談だが、劉禅は諸葛亮存命のころは特に変な行動はしてないよ。
むしろ諸葛亮の死を皇室にとって幸いだったと慶賀の念を表した家臣を処刑したりと人の上に立つ者としてふさわしい振る舞いもしてる。
劉禅の悪い面が出てきたのは董允が死んで抑える人がいなくなってから。
その結果、政治の腐敗は進んできたものの血なまぐさい政争にまでは発展させてない。
例えばお気に入りの黄皓らが画策した姜維降しに賛同しなかったりね。
もっとも単に決断力がなかったか、時間がなかったからかもしれないがw

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 17:07:46 ID:SheA70j10
>>92
諸葛亮はむしろ劉備の呉への出兵を止められなかったのがマイナスだな。
あれは蜀漢としてやっちゃならん行動だ。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 17:21:45 ID:vXfaXOHi0
いや?
蜀漢が荊州豪族の政権である以上、荊州本土を奪われたままなのは不味いよ

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 17:57:00 ID:SheA70j10
>>94
そりゃマズいかマズくないかと言ったらマズいに決まってるが魏呉両方を敵に回すよりはマシだろう。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 18:29:12 ID:vXfaXOHi0
だから戦争してある程度領土を分捕って
適当な所で呉と和議ってのが蜀漢の(劉備の)考えだったんだろう


97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 18:37:54 ID:+XwAkd+W0
>>96
その荊州人脈の中心人物であり、三分の計という戦略立てて呉との外交受け持った諸葛亮本人が
「法正が生きていれば止められたし実施しても危険は避けられた」のにっていうくらいだから失策でしょ。

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 18:52:04 ID:vXfaXOHi0
>荊州人脈の中心人物
それは非常に胡散臭いんだが。諸葛亮に関しては荊州派閥では孤立してるという説も充分成り立つ
それに「法正が生きてれば〜」は事後の発言だし、夷陵における諸葛亮は沈黙を保って中立だよ

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 18:55:09 ID:+XwAkd+W0
>>98
いや、荊州人脈に劉備が価値を見いださなければそもそも27,8の若僧を厚遇せんでしょ。
それに、事後でも悔やむほどの大失態だったわけでねえ。
それを擁護するのはちょっと無理があると思うよ。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 18:55:58 ID:SahF1K230
つか、君らもう少し後まで待てw
その時代になったら好きなだけやり合って良いから。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 21:41:30 ID:/mQ1WrzGO
スマン>>91だけど俺はその人物がアホを支えれなかったからダメだろに反論しただけで・・・
(俺は>>92のレスに納得してるし)
四名の名前はあくまで例えで挙げただけで、
諸葛亮の功績を議論したいのなら他へ移ったほうがいいのでは?
他なら同士もいることだし、待てと言われることもないはずw

http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1164344779/

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 01:43:31 ID:Z/fB3TW80
名将のスレでは皇帝もエントリーされてるぜ

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 06:00:44 ID:xTG4DJizO
ここでは皇帝と春秋戦国時代の王侯を推薦してもいいかな?

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 12:40:01 ID:AlKWrPWdO
前漢・皇帝

文帝
傍流から即位しながら、斉王派への扱いや済北王興居の乱平定、陳平・周勃ら大臣の統御など辣腕を見せ朝廷の支配を確立
匈奴に対しても本人は攻めたかったようだが、将来の反撃のため辞を低くしてでも和を結び、国力回復を待つ長期的展望を持つ
賈宜・晁錯といった優れた人物を抜擢したように人物眼も確か

宣帝
実質霍光の傀儡として即位しながら彼が死ぬと権力を奪い返す
王道と覇道を交えたと言われる政治方針が示すように、酷吏と呼ばれる小農民保護・豪族弾圧を旨とする太守と、循吏と呼ばれる豪族に寛容な太守を使い分ける手腕は見事
また優秀な宦官を側近に独裁体制を敷き、大臣たちを統制した
桑弘羊・霍光によって回復しつつあった漢の財政をバックに対匈奴・対西域にも積極策を取り、匈奴単于を長安に入朝させるまでに至った

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 16:26:05 ID:Z/fB3TW80
>>76
このスレは名将スレと時代区分の仕方違うからな

時代区分テンプレ
春秋(周の東遷〜晋の分裂) BC770年〜BC403年 367年間
戦国・秦・楚(晋の分裂〜前漢の統一) BC403年〜BC202年 201年間
前漢・新(前漢の統一〜後漢の全国統一) BC202年〜36年 238年間
後漢・三国・西晋(後漢の全国統一〜西晋の滅亡) 36年〜316年 280年間
東晋・五胡十六国〜隋(東晋の建国〜隋の滅亡) 317年〜618年 301年間
唐(唐の建国〜唐の滅亡) 618年〜907年 289年間
五代・北宋・遼(唐の滅亡〜南宋の建国) 907年〜1127年 220年間
南宋・金〜元(南宋の建国〜元の北走) 1127年〜1368年 241年間
明(元の北走〜清の入関) 1368年〜1644年 276年間
清(清の入関〜清の滅亡) 1644年〜1912年 268年間

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 23:06:43 ID:xTG4DJizO
陳平マニアとして言わせていただくと
周勃はともかく強かな陳平が統御されていたかは疑問。
陳平の場合は寧ろ、統御された振りをして文帝を影から支えてた感がするけど・・・

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 05:29:45 ID:Y1FHhV+CO
とりあえず春秋戦国を先に片付けようぜ

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 18:24:26 ID:96Cetdr6O
>>105
春秋は名将探すのは大変だけど、名相探すのは楽な

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 21:04:12 ID:bm2FTMCY0
ぼちぼち決めていこう

春秋
・管夷吾(仲)
 理由・・・五家の兵を制定、物価調節の法漁労製塩の利を設定、九府の設定
      士農工商の分離(住居を別にする)、三選の法の制定
      軍制の確立、結果、桓公を覇者に押し上げる

・藺相如
 理由・・・和氏の璧の時の対応(秦への対応)
       斉の討伐

この二人は確定

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 02:23:24 ID:VIzZdKWB0
>>109
藺相如は戦国だから、別口だろ。

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