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【中々】 中国名将百選 其ノ弐 【決まらんね】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 19:29:06 ID:tiw+OcvT0
1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [] 投稿日:2006/11/14(火) 13:26:14 ID:cwVjzMAO0
 中国の長い歴史の中で登場した数多くの武将たちの中から、特筆に値するであろう名将百名を選ぼうというスレです。
 要は作家の田中某氏の著作「中国武将列伝」と同じ企画ですが、田中某氏の評価に従う必要はなく、各人それぞれの
評価によって、百選に入れるべき武将を推挙して下さい。

・推挙する武将については、その理由を述べること。
・対象となる武将は、近世以前の武将とし、近代以降の軍人は含めない。
・対象となる武将は、特定の時代に偏らないように配慮する。

 以上の三点に留意して、中国名将百選を決めましょう。

前スレ
【みんなで】 中国名将百選 【決めよう】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1163478374/

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 19:31:24 ID:tiw+OcvT0
時代区分

春秋戦国(紀元前771年〜紀元前221年 550年間)
統一秦〜前漢(紀元前221年〜紀元前8年 213年間)
新・後漢(紀元前8年〜紀元220年 228年間)
三国〜両晋(220年〜439年 219年間)
南北朝(439年〜589年 150年間)
隋・唐(589年〜907年 318年間)
五代〜北宋・遼(907年〜1127年 220年間)
南宋・金〜元(1127年〜1368年 241年間)
明(1368年〜1644年 276年間)
清(1636年〜1912年 276年間)

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 19:32:08 ID:tiw+OcvT0
これまでのまとめ

春秋戦国
【確定組】
 楽毅、魏無忌(信陵君)、白起、李牧、王翦
【候補】
 墨子、管仲、呂尚、孫武、伍員(子胥) 、廉頗、孫ビン、夫概、趙奢、士会、
 趙奢、趙無恤、王子成父、先軫、楚の荘王(熊侶)、蒙ゴウ、司馬錯、樗里疾

統一秦〜前漢
【確定組】
 韓信、霍去病、衛青、灌嬰
【候補】
 項籍(羽)、周文、蒙恬、章邯、項梁、彭越、英布、田横、
 周亜夫 、李広、李陵、趙充国、范明友、陳湯、劉邦

新・後漢
 劉秀、耿エン、馮異、岑彭、呉漢、廉范、班超、張奐、虞[言羽]、賈復または馬援

三国〜両晋
【確定組】
 曹操、ケ艾、石勒、祖逖、王猛
【内定組】
 周瑜、劉曜、慕容垂
【論争中】
 陶侃、石虎、謝艾、慕容恪、桓温、謝玄、姚萇、李雄、皇甫真
 劉淵、劉聡、冉閔

南北朝
【確定組】
 劉裕、檀道済、韋叡、陳慶之、
 拓跋珪、高歓、宇文泰
【候補】
 柳元景、蘭欽、奚斤、楊大眼、元英、周盤龍、
 斛律光、慕容紹宗、宇文護、韋叔裕、李弼
 段韶、高長恭、爾朱栄、王勇、沈慶之、陳顕達
 赫連勃勃、拓跋Z、侯景(宇宙代将軍)
 蕭道成、斛律光、陳覇先

隋・唐
【確定組】
 楊素、李世民、李孝恭 、李靖 、李勣、裴行倹、郭子儀、李克用
【候補】
 韓擒虎、賀若弼、張須陀、竇建徳、楊義臣、李密、劉黒闥、徐勣
 李孝恭、薛仁貴、高仙芝、顔真卿、張巡、王式、黄巣、高駢
 李存孝、安録山、薛礼、劉方、蘇烈、劉仁軌、李光弼、史思明、李愬00

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 19:34:15 ID:tiw+OcvT0
まとめつづき

五代〜北宋・遼
【確定組】
 朱温、李存勗、郭威、柴栄、趙匡胤、曹彬、楊業、狄青
【候補】
 周徳威、郭崇韜、王彦章、郭言、楊師厚、劉?、康延孝、符存審、
 任圜、李神福、台濛、周本、孟堅、張彦卿、陸孟俊、劉仁贍、張武、
 王環、趙季良、蘇章、潘崇徹、銭弘佐、顧全武、張元徽、李瓊
【論争中】
 耶律休哥

南宋・金〜元
【確定組】
 宗沢、岳飛、完顔宗望(オリブ) 、孟[王共]、ココ・テムル
【候補】
 李庭芝、忽必烈(フビライ) 、完顔宗弼(ウジュ) 、伯顔(バヤン) 、
 阿朮(アジュ) 、韓世忠、杜杲、張弘範、范仲淹、チュウ師道
 張俊、呉?、呉リン、劉リ、虞允文、李顕忠、楊存中、僕散忠義
 徒単合喜、宗翰(ネメガ)、耶律斜軫、史天沢、兀良合台(ウリャンハタイ)
 劉整、張弘範、脱脱(トクト)、拡廓帖木児(ココテムル)、呂文煥


【確定組】
 徐達、常遇春、朱棣、戚継光、袁崇煥
【候補】
 朱元璋、陳友諒、方国珍、湯和、李文忠、藍玉、于謙、兪大猷、王守仁
 呉三桂、李自成、鄭成功、馮勝、張輔、張士徳、馬芳


 奴児哈赤(ヌルハチ) 、阿巴泰(アハタイ) 、多爾袞(ドルゴン) 、費英東(フィヤントン)
 康熙帝・玄Y、岳鐘h、策稜(ツェリン) 、僧格林沁(サンゴリンチン) 、宋景詩 、関天培、
 明亮、楊遇春、李長庚、関天培、李秀成、石達開、劉永福


5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 19:38:03 ID:tiw+OcvT0
前スレより、考慮する武将について

7 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 18:47:07 ID:1kk6Cs2h0
>>5 いい加減その電波をはねかえせよ。 いつまで引っかかってんだ。
それはともかくとして…

中国というものの範囲だけど、土地的なもので言えば「中華本土」と呼ばれる範囲とするが、中華王朝という枠組みで、漢化政権あるいは中国風の国号を用い、なおかつ中華本土内に領土のある政権、とすればよくはないか?
南詔とか西夏はどうなるんだろ… 詳しい人がいれば入ってもよさそうだけどね。

その規範でいけば、チンギス・ハーンの蒙古は除外するけど、中国風の国号となったフビライ・ハーンの「元」は含む。
また、女真は含まないが、「金」は含む。 あるいはキタイはだめでも「遼」はいい、と。
でないと、北魏はおろか隋や唐まで含まないなんてことになりそうだから。
漢民族だけが中国人ではない!

で、国籍は出身国というより所属国で判断すればよろしいかと。
高仙之や李光弼は「中国の名将」としてランキングされるが、郭侃などは紹介はされてもランキング除外、とか。
そんなところでどうかな?
田中ヨッシが先鞭をつけているだけに、そうそう違う武将が出てくるとも思えないけど、どういう判断で紹介するのか興味深い。


8 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 18:57:59 ID:yxgR08jb0
とりあえずみんなで何人かづつランクイン入りすると思われる人物の名前を上げていくか?
いきなり100人づつ上げていくわけんもいかんしw

9 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 19:00:31 ID:jchs3O4hO
中原指向を持つかどうかで分けた方がよい
渤海や遼、西夏などは広義における中国文化圏と言えるけど
支那の地に入って中華帝国になろうとしなかったから中国じゃない
金や清は歴とした中華王朝
要は支那兵を率いれば中国の武将扱いでいいだろ
契丹人やモンゴル人を率いた武将が中国武将とはいえん
逆に異民族出身でも漢人を率いてれば中国の武将だ

10 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 19:12:30 ID:1kk6Cs2h0
>>9 でもなぁ、遼は間違いなく中国兵を率いているぞ?
趙延寿や楊袞(名将とは言えにくいが)などは燕雲十六州に鎮した将だし、遼はキタイと漢人とを住み分けしてもいたし。
二十六史にある以上、中国としても問題ないと思うけどなぁ。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 19:38:34 ID:tiw+OcvT0
11 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 19:28:22 ID:2mD79BmXO
>>9
でもさ、中華戦線のモンゴル軍の中には漢人も多いんじゃなかったか?
(モンゴルは現地の兵をよく使うし)

12 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 19:35:28 ID:yxgR08jb0
>>10
> 二十六史にある以上、中国としても問題ないと思うけどなぁ。

それも一理あるが、やはり遼や金を中国にいれるのは抵抗あるなあ

13 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 19:37:28 ID:1kk6Cs2h0
>>12 名前に抵抗あるわなw
耶律とか述律とか完顔とか…
それはわかるが、それだと漢人マンセーな田中ヨッシ風味満載になって、おれは構わないが、アンチが沸きまくると思うけどな…

14 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 19:43:36 ID:yxgR08jb0
>>13
ただ抗金というジャンルがあるからね。
他の時代なら異民族の王朝だってほとんど違和感ないんだけど。
先入観かな?
とりあえず境界は曖昧にして名前を上げつつ論じていった方がいいんじゃないか?

15 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 20:31:35 ID:jchs3O4hO
中国戦線における元の将はもちろん中国武将ですよ
でも漢人でも西域で西域の兵で戦ったら、その戦績を中国武将としてカウントするのはアウト
郭侃は中国戦線の功績だけ評価

16 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2006/11/14(火) 21:39:04 ID:yQpFrdGM0
所属国家というか王朝で判定するという手もある。
まず基本二十六史の大部分はそのまま認める。
で、遼とか金とか元とかは部分的に認める。中原進出を果たして以降を認める、
とか(これだと遼は除外だな)。
さすがに南詔とか西夏は外国でしょ。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 17:35:37 ID:3WnQHvm2O
なかなか決まらんねとはいうが
まがりなりにも清代まで1スレでいけば上々じゃないか

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 18:44:41 ID:F5OTQss+O
あっさり決まってたらスレたてる意味ねーだろ

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 20:31:18 ID:XMB1xeLJ0
特定の時代を突出させることなく候補をそろえたのは大したものだ。


10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 20:33:50 ID:9S+FoeEn0
仕切り屋さんのおかげだな。
かの人は全時代に通じているわけでしょ。
おれなんか、限られた時代だけだもんな。
普通にすごいと思うぞ。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 23:31:01 ID:H6cVVAJW0
時代区分は若干の変更があったんじゃなかったっけ?

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 15:00:37 ID:jqm9xRH00
元の脱脱って、ちょい微妙じゃないか?
元史の脱脱伝を一通り見てみたんだけど、
彼が兵を率いたのって

1若い頃に答里、刺刺の反乱軍に勝利。
 (とは言っても、率いたのは元朝正規軍の精鋭部隊)
2芝麻里(李二)等の徐州紅巾軍打倒。
3大軍を以って張士誠を敗北寸前まで追い詰める。

の三回だけだろ、
しかも軍団の規模や兵の質は元朝の精鋭軍を率いている
脱脱側の方が賊軍よりもはるかに上だろうし・・・
確かに百万を号する大軍を見事に率いた手腕は買っていいとは思うけど、
百傑に入るほどでもないと思う。

13 :12:2007/01/02(火) 15:02:38 ID:jqm9xRH00
芝麻里は芝麻李の間違いね

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 20:17:08 ID:G1mKyYgN0
清は費英東の代わりに揚古礼のほうがいいんではないか。
あと、乾隆期の兆恵がいないのは疑問だ。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 21:28:26 ID:fV/vyN6i0
ちょっとまってくれ。今はどの時期の話をするんだ?

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 22:42:11 ID:Xoojh3Au0
清代の候補が確定させるのが先決
>>4でOKなら、100人に絞る作業に移るってことだね。
その前に、時代区分の確定と候補者が重複や抜けが
無いかのチェックが必要

春秋戦国の候補で、呉起が抜けてるし。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 23:10:04 ID:lSXc3gJ90
清の時代にはあまり詳しくないので、
阿巴泰、費英東、策稜、明亮、楊遇春、李長庚に
どんな武功があったのか教えて欲しい。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 02:38:01 ID:isoS44jK0
阿巴泰〜李長庚、遅くなったが紹介します。
阿巴泰(アハタイ)
ヌルハチの第七子。崇徳元年、アジケらとともに明伐戦に参戦、五十六戦して全勝、10城を落とし俘虜10数万を獲る。
5年十月、再び明伐。88城を抜き6城を降し36万人の俘虜を得た。順治元年、饒餘郡王に進められる。康熙十年、敏と謚された。
費英東(フィヤントン)
清初の5大臣の一。天命三年、撫順の堅城を攻めたとき、敗戦ムードの諸将を叱咤して遂にこれを破り、太祖から「万人の敵なり」と賞賛された。
太祖の下で転戦し、「戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず取る」といわれた。「佐命第一の功臣」としてその功績は諸将の上に冠した。
策稜(ツェリン)
モンゴル貴族。12歳のとき康熙帝に目通りし、その娘を娶る。
1715年、オイラートのツェワン・アラプタン侵入を撃退、ついで二十年、オイラートの大軍を破る。
同年扎薩克(官名。意味はよく知らん)となり、23年には多羅郡王に進む。
三十一年、オイラートが大挙して南侵、コブドに駐留する清軍を破り、清朝を脅かしたがこれを撃退した。超勇の号を賜る。
翌年、オイラートが性懲りもなく攻め入り、策稜の二人の息子を攫ったが、策稜は兵2万を率いて追撃、エルデニ・ジョーの会戦でオイラートを撃滅した。
1750年、没。祖廟に陪葬された。モンゴル人で祖廟に合祀されたのはのちの僧格林沁のみ。
明亮(ミンリャン)
1765年、伊犂領隊大臣として将軍・明瑞らに従い、回部・烏什の乱を平定。
69年、ビルマへ遠征して功があった。
71年、僧格桑が乱を起こすと将軍阿桂(アグイ)に従って奮戦、5年をかけて乱を平定、功により一等襄勇伯に任ぜられた。
79年、改めて四川提督を授けられ、伊犂将軍、鑲紅旗蒙古都統、刑部尚書、黒竜江将軍を経て正紅旗漢軍都統となる。
96年、ミャオ族の反乱平定に参加、同年末ミャオ族の首領石柳ケを捕らえた。その後も各地の叛乱鎮定に奔走する。
1821年、老齢により致仕し翌年没した。奔放不羈な性格で軍を動かすのにも独断専行が多く、
しばしば罷免されたがそのつど許されてはただちに軍に復帰したことは、彼の軍略が当時の清朝になくてはならないものだったことを現している。
楊遇春
1784年、総督福康安(フカンガ)に従って甘粛のイスラム教徒の叛乱、88年、台湾の林爽文の乱、96年、ミャオ族の乱などに奮戦した。
フカンガ死後も白蓮教の乱平定に従って功があり、累功により一等男爵となる。
1828年、陝甘総督、伊犂将軍となってイリ、カシュガルを治めたが、三十五年、老齢と病気をもって致仕した。
結髪以来大小数百戦を経験し、かすり傷一つ負わず、人々から「福将」と賞賛された。
また毎戦かならず黒旗を持ち、楊家軍として恐れられた。
李長庚
海の名将。進士ながら内乱平定に功績があった。その残党が倭寇と一緒になって内海を脅かしたので海軍を率いてその討滅に力を尽くした。
1797年、福建海壇総兵となり、最終的には福建水師提督に昇進、海賊・蔡牽をしばしば破って勇名を馳せた。
官軍の水軍が頼りにならない中、孤軍よく戦って蔡牽を阻み、嘉慶帝の絶大な信任を得た。
しかし1807年、浙江提督としてまた蔡牽を追い、広東潮海の海上において交戦、敵勢力を追い詰めたが、流れ矢(鉄砲)に当たって戦死した。
・・・アハタイとフィヤントン以外は正史読むのメンドイから自前の記憶と「アジア歴史事典」に拠った。もしかしたら抜けてる部分があるかも知れんが勘弁。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 02:59:38 ID:isoS44jK0
岳鐘hと策稜は個人的に大好きなんだが、
康熙帝の武将って事で外してもいいかもわからんね。
曹操入れて張遼をはじくみたいな感覚で。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 04:14:49 ID:LJBWto2n0
明亮が入るなら阿桂と兆恵も候補には入ると思う。
明亮はナルサスのモデルということでガイエが肩入れしてるだけで、
こいつ以上の武功を立てた同時代人はいっぱいいる。

>>19
策稜は清朝随一の名将だと思うので外すのはちょっとためらいがあるなあ。




21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 14:34:53 ID:icNFhde00
選考段階で「それ誰?」とかないように、アゲイとジョーホイの略歴も置いとく。
阿桂(アゲイ)
1717-1797。字は広庭。姓は章佳。最初満州正藍旗、1763年以降は武功により満州正白旗に属す。38年(乾隆三年)の進士。48年、兵部尚書班弟に従って金川を討った。
55年ジュンガル征伐に参与、ウリヤスタイに赴き兵站の事務を司った。翌年父の死により北京に帰ったが再び軍務に戻った。参賛大臣としてコブドに駐屯し、
さらに回部の平定に従い、イリ地方の屯田の事務を管理して功績を挙げた。63年、北京に帰り軍機大臣を授かり太子太保を加えられた。65年回部ウシの平定に赴き、
67年伊犂将軍となった。翌年経略使傳恒のもと副将軍としてビルマに出征、しかし戦果は上がらず、71年転職させられた。この年から
副将軍温福とともに金川征伐に乗り出し、定辺将軍を拝して73年にまず小金川を、76年には大金川を平定した。
この大功をもって誠謀英雄公に封ぜられ、再び軍機大臣に返り咲いた。
その後黄河の治水などに尽くすとともに、81年の蘭州、84年の石峰堡でイスラム教徒の反乱を平定して軽車都尉の世襲を許された。
さらに台湾の林爽文の乱やグルカ族の平定にも参加した乾隆期の名将。1797年没。文成公と謚された。
兆恵(ジョーホイ)
1708-1764。満州正黄旗の人。姓は呉雅。1737年、兵部中郎となる。その後内閣侍読学士、内閣学士、盛京刑部侍郎兼摂兵部事、正黄旗満州副都統、
鑲紅旗護軍統領などを歴任するも、48年事件に連座して免職留任に処された。同年六月復権、戸部侍郎となり、8月から翌年にかけて金川の軍糧を督辦した。
50年、正黄旗護軍統領嚮道統領を授かる。53年、チベットに赴きジュンガル部防衛の任に当たった。54年、ジュンガル部のアムルサナが降伏して
ジュンガル攻略の策を献じたので、乾隆帝は大軍を派遣した。ジョーホイはこの征伐戦に従い、北路の軍務を協理し、糧秣、兵站を統括した。
55年3月、ジュンガル部を降して功があり、十月には北路の兵站を総括した。ここでアムルサナが叛いたので乾隆帝はジョーホイを総大将とした大軍を編成、
56年3月、アムルサナを討ち、ふたたびイリを征服し、ブルハン・ウッディーンとホージャ・ジハーン兄弟を追ってパダフシャンで殺し、ジュンガル地方を完全に
平定した。この結果アフガニスタン、コーカンド、タシケントなどが相次いで朝貢国となった。功により領侍衛内大臣戸部尚書兼鑲白旗漢軍都統を授けられ、
60年には御前大臣となった。その後江南、直隷などの水利事業を監督し、64年北京で没した。謚は文襄。

22 :20:2007/01/03(水) 15:28:18 ID:LJBWto2n0
>>21
すげー、アジア歴史事典持ってるのか。裏山。
フォロー感謝です。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 15:53:23 ID:YPFWvRn10
自分が気にいった時計がアゲイ

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 21:30:44 ID:hzmG0o490
>>18
>>21
サンクス。

この中で決定は阿巴泰、策稜。
候補は楊遇春、李長庚、明亮、兆恵、阿桂。
選外は業績不詳の費英東かな。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 21:58:37 ID:KkDIyuIb0
>>24
ヌルハチとドルゴンがいるでしょ。
まぁドルゴンは戦術的才能より政略・戦略の才能に長けるタイプだから外れても仕方ない気はするが。

あと、康熙帝と岳鐘hもね。
康熙帝もドルゴンと同じで政戦略に長けるタイプだから、岳鐘hを残したほうがいいんかな。
岳鐘h=清朝唯一の漢人大将軍。漢人ながらその統率力と人望は満州人からも崇拝された。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 22:00:00 ID:KkDIyuIb0
あ、18と21で名前挙げた中での選抜か。ならそれでいいや。ごめん。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 22:36:06 ID:2CuDKY29O
>>25
ヌルハチ入れちゃったら既に資格無しと弾かれた征服王朝の征服前武将のヲタが怒り狂うだろ

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 22:50:44 ID:KkDIyuIb0
清朝は後金含むじゃなかったか?
と思って読み返してみると、後金含むとはどこにも書いてないなぁ。
ヌルハチ、哀れにも失格か。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 00:22:56 ID:Y2s3c1T8O
>>28
参加資格は
・中華本土に領地を持つ
・中華風の元号・国号を使う
この二つを満たしている時期の政権に所属していた武将という事だったはず
ヌルハチが前者の条件を満たしていると言うのは厳しいのでは?
同じ女真の完顔阿骨打も駄目って言われているし

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 00:30:33 ID:fy6tV2150
だったら費英東も失格だな。



31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 00:40:16 ID:hp8B4y9B0
西夏も中国本土に食い込んでたりするが。。。。


32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 00:57:23 ID:X/dCpkK30
残念だけど、西夏は単体の歴史書が二十六史に入っていないから、今回このスレ的にはアウト。
遼も燕雲十六州得て以降に限定するだろうし。

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 02:19:55 ID:Y2s3c1T8O
>>32
専門外だからよく知らないんだけど、五胡十六国って二十四史から漏れてたりしない?

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 09:29:31 ID:oXDBTh0w0
五胡十六国は入ってないね

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 09:33:46 ID:oXDBTh0w0
>>33
二十四史に限定したら清も入らないんだけどね

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 11:20:43 ID:eulKXP3p0
>>29
その条件は、個人的には「中華本土に本拠を置いた政権」にするべきだと思う。
でないと、遼を入れて西夏を外す理由にならない。

この条件だと、清は入関以降、元はフビライ以降(もともと国号・元号の点からして
そうなるが)となるが、ただ問題は金で、海陵王以降になってしまう。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 12:00:03 ID:p+rBjct70
仮に西夏を入れるとしたら名将って誰がいるの?
李元昊くらいしか知らないんだが

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 12:00:54 ID:X/dCpkK30
>>33 晋書に伝があるからいいんでないの?
それ言ったら、五代十国の十国さえも入らなくなってしまうし。
五胡流入のとき活動した地域は、京兆畿内を中心としてるわけだし、西夏などおよびもつかないでしょ。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 12:10:06 ID:p+rBjct70
五胡十六国でまとめられちゃうけど、よく考えれば
前秦やら前燕やらは入るけど北涼や西涼はアウトということになるのでは

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 12:48:55 ID:Y2s3c1T8O
>>36
遼の本拠地は中華の外じゃなかったか?
いまだと内モンゴルになる

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 14:46:21 ID:X/dCpkK30
>>40 だけど、清朝期に公認された「正史二十四史」の中に「遼史」は入っている。
中国王朝が遼を中国王朝と認めているわけだから、とやかく言うことはないとは思うが、それでも違和感あるので、陰山以南で活躍した人物だけあげようとしている。
ちなみに、清朝を入れるために「二十六史」をもって中国王朝の枠組みの基本とすればいいと思う。
でも、上記のようにできるだけ中華本土での活躍に絞りたい。

西夏も入れてもいいんだろうけど、遼と違って京師を陥落させ、一国を滅亡させるほど攻め込んでないし…
吐蕃も長安陥としているけど、すぐ取り戻されてるしな。入れるには抵抗ありすぎだから。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 16:31:46 ID:d6ZjjZTC0
劉邦は候補に入るほどの人かな
もちろん凄い人だけど軍事に入れるのとは違うような

司馬イが入らないのは意外
候補に入れていいと思います

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 17:21:47 ID:uRnUt6Zl0
>>42
とりあえず前スレを読んでくれ、としか言えんな。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 18:00:52 ID:ApxA3iCi0
西夏は正史(のような物)が無いので名前の挙げ様が無い。
精々、>>37の言うように李元昊くらいしか出てこない。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 19:29:34 ID:NMt0QMNpO
中華内で戦ったに限定すると衛青や高仙芝はアウトにならない?

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 19:37:37 ID:5FfnHFZm0
高仙之は国内で安録山と戦ってるよ。


47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 19:39:22 ID:oXDBTh0w0
これの宰相(政治家)バージョンも作ろうぜ

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 19:39:30 ID:ApxA3iCi0
対遊牧国家で活躍した武将を外すのは厳しい。
高仙芝は元の郭侃と同レベルに考えるとアウトかな?
でも最後の戦歴は中華内での安史の乱だからな〜

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 19:43:48 ID:ApxA3iCi0
>>47
明の李善長みたいな文官タイプか?

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 19:46:03 ID:CXfziSWK0
西域で戦った武将も外したくないな。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 19:58:26 ID:iCF4IRjb0
宰相バージョンほしい
ただ、宰相の場合100人も選ぶと微妙なのも入るかもよ
白眉は一時代に2,3人じゃない?

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 20:08:07 ID:ApxA3iCi0
確かに名宰相となると一王朝で十人は無いな。

春秋戦国だと管仲・子産・商鞅・李斯と多いが
明や清になると>>51の言うように2、3人くらいしか出て来ない。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 20:09:14 ID:oXDBTh0w0
>>49
朱元璋乙

>>51
もちろん皇帝からも選ぶ

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 20:17:31 ID:CXfziSWK0
>>47
>>51-53

立てたぞ。

【みんなで】 中国名相百選 【決めよう】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1167909324/l50

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 20:57:01 ID:NMt0QMNpO
高仙芝の国内の戦績じゃやっぱりアウトだな

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 22:02:50 ID:E57e1IaHO
>>42
劉邦は統一後、自ら親征して反乱を鎮圧している。
(候補に入れても問題は無いだろう)

司馬懿はどちらかと言えば陰謀家で文官か軍師が司令官として戦場で采配を振るったのに近くないか?
用兵能力の凄さは認めるが名将の部類に入るとは思えない。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 23:38:08 ID:Y2s3c1T8O
>>48
そもそも郭侃が入ってないのは時代的な問題が大きいのでは?
モンゴル帝国の国号が元になった後も活躍していないとは言わないが、やはり世代が一つ前だろう

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 00:47:47 ID:NsywhEyk0
>>56
ムリムリ。
たかが、一地方の反乱に帝国の全力で当ったのに、その親征で矢傷を負ってるし、
当たり所が悪けりゃ死んでるww

後は、対項羽・対冒頓単于とか負戦が多い。
候補入りは厳しくないか?



59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 01:13:26 ID:qGtnEJwf0
質問ですが
白村江の戦、文禄慶長の役で戦った中国の将は誰一人として入らない?
語れるべき人がいないのかな

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 09:42:34 ID:dElCpDPa0
>>59
仕事前にいっちょ書き込み。白村江の戦いで日本軍を覆滅したのは劉仁軌。
戦勝したあと前任の劉仁願いに代わって百済鎮撫の任につき、
668年、李勣の副将となって高句麗平定。674年、新羅を攻めて大勝した。
功績により文昌左相同固閣鸞台三品となり、685年没した。
・・・この人を入れたいという有志は結構いたが、人数制限で泣く泣く削るはめに。
次、文禄・慶長の役。
秀吉の朝鮮出兵に対し4万の兵を率いて朝鮮入りしたのは李如松。
1593年、平壌で小西行長の軍を撃破、しかし連勝に驕り、
碧蹄館で小早川隆景の軍に大敗して命からがら逃げ墜ちた。
その後和議を主張して事態を収拾、同年末帰国した。
1597年遼東総兵官に任ぜられ、翌年土蛮の侵攻を迎撃、長躯その本拠を突いたが、伏兵に遇って戦死した。
・・・この人は候補にも挙がってないけど、明朝廷の一流将帥って訳でもないから仕方ないか。


61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 10:50:29 ID:cx2UuNYZ0
>>60
李如松の父親の李成梁は候補に挙げられてたけどね(なぜか選考漏れに)
やっぱり、実績が伴わないとこのスレでは不利

逆に一発屋も不利なんだよね
名将百選でなくていいから、各時代に一名「一発屋」枠が欲しいな
瞬間最大風速を記録するようなバカがどの時代にも何人かいるじゃん
こうすれば宇宙大将軍もこのスレに名前を残せ(ry

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 12:24:59 ID:ne0XULCqO
>>59
李如松以外の参戦主要武将
文禄の役
祖丞訓・栄応昌・李如伯・李如梅・李寧・大受・楊元・張世爵・沈?敬

慶長の役
麻貴・楊鍠・劉テイ・董一元・陳リン・高策・李芳春
詳しくは>>60に任せます。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 18:46:09 ID:PWrAjd9/0
帰ってきたらいきなり任された。
それはともかく、伝なしの人はムズいんだよ。
アジア歴史事典にも東洋歴史大辞典にも載ってない人はいっぱいいるわけでね。
改めて《明史》を読み返さにゃならんし。
読み返しても一行だけで済まされてる人もいるし。
まぁとりあえず史書と格闘するんで、1、2時間ください。

あと、謝罪。
自分、前スレ905で「元末群雄はアクの強い魅力がないから擁護する気にならん」などとのたまった大バカですが、
全然そんなことないね。江南三大勢力の虚虚実実の駆け引きとか、勇将謀将の活躍とか、隋末唐初の群雄たちに
まったく劣らないということをつい先日理解しました。知らなかったとはいえご無礼の程、平にご容赦していただきたい。
ところで帰り道に本屋で「巨商 沈万三」を勝ってきて、まだちょこっと(一話だけ)しか読んでないんだけど、
虚構と真実、どれくらいの比率で読んだらいいんかな?

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 19:07:23 ID:7jfsM0F70
>>63
沈万三読んだけど、これは殆ど虚構。
身も蓋もないこというけど、そもそも沈万三はこの時代既に亡くなっています。(生きていたとしてもかなり高齢)
元末当時活躍していたのは、沈万三の息子世代だそうです。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 19:22:08 ID:PWrAjd9/0
>>64
情報感謝。
ほとんど虚構か。
まぁ、エンタテインメントとして楽しむ方向ならOKだわな。
少なくとも塚本作品よりは面白いだろうと。
何故か職場近くの紀伊国屋は中国史コーナーに塚本氏の本ばっか置くから困る。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 20:13:39 ID:0PrrZ7jxO
前スレでは各時代煮詰めきれないまま先に進んじゃったから
前スレの評価を叩き台にして、もう一回最初の春秋戦国から議論していかない?

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 20:30:47 ID:leqmxDSA0
それより先に時代の区分と中国の武将を明確に定義しないと
後から揉める。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 20:35:30 ID:bkAe1TwC0
劉綎(テイ)って、「抗清名将」の一人ですよね?「劉大刀」の綽名を持ち、
清軍と戦って戦死した…。でも、この人は猛将に分類した方がいいのでは。
父親の劉顕も一緒に。
というか、劉顕は江南で活躍したけれど、戚継光・愈大猷と同時期なのが
ネックですかね。賊軍の数十人を素手で格殺したりとか、印象的な
エピソードには事欠かないんですが。

あと、王崇古は文官で扱った方がいいですか?
アルタンと丁々発止を繰り広げた人ですけど…。

横レスごめんね>>66

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 20:38:16 ID:PWrAjd9/0
翻訳完了・・・精度低いけど。
文禄の役の将帥
祖丞訓
 字、号、生没年全て不詳。萬暦年間中遊東副総兵となり、対北虜戦に活躍。
同20年(1591)、朝鮮の役が起こると騎兵三千を率いて平壌に入った。しかし
城内は隘路が多く、騎兵隊の機動力が殺され、城壁に上った日本軍の鉄砲掃射を浴びて
殺傷されるもの多数。生き残りの兵とともに退却し、遼東に帰還した。
日本軍と最初に交戦した将軍。
栄応昌
萬歴20年、祖丞訓の失敗を踏まえて対日本戦の戦略を建議した。現地でも活躍するが
糧秣問題に苦しめられる。李如松とともに召し還された。
李如伯
 李如松の弟。この人も父に従って北虜討伐で活躍していた。薊州副総兵、寧夏総兵官、
右都督などを歴官。朝鮮の役において日本軍を思う存分ぶちのめした。
のち病を得て帰国、20年ほどひきこもったのち、遼東総管の任を授かってしばしば清軍を蹴散らした。
李如梅
 李成梁の第三子、李如松の弟。遼東副総兵、代総兵官、左府倹書などを歴任、兄に従って日本軍と戦い、
功があった。兄が戦死するとその職を継ぎ、兄を上回る用兵手腕で日本軍を恐怖させたが、宮中で弾劾されて
罷免された。成梁の子の中では如松が最も勇敢で父の風があり、如海はそれに次ぐといわれた。
李寧
 克力蓋が河套の日本軍を攻めたとき、逃げ去る日本軍を追撃、殺戮戦を繰り広げた。さらに日本軍と連携して
邪魔をする倭寇を撃破。査大受とともに精兵三千を率いて東江の小道に潜伏、小道を通る日本兵を襲撃して360人を殺した。
祖丞訓とともに開城に屯した。
査大受
 命を受け、決死隊を率いて日本軍の兵糧を焼き毀した。活躍シーンはそんだけ。
楊元
李如松の副将。命を受けて小西門の城壁を登り、大西門を登った李如松と連合で火器を一斉掃射、日本軍を殲滅した。のち、日本軍に身を投じようとした沈惟敬を捕らえてぶっ殺した。
張世爵
 不明。まったく分からん。
沈惟敬
 奸臣。兵部尚書石星を篭絡して朝鮮入り、敗戦ムードが色濃くなると
日本軍の先鋒小西行長と会見を開いて和議を結び、翌年、自ら名護屋に
赴いて盟約を結ぼうとするも上手くいかず、しまいには朝廷から国賊扱いされて
楊元に捕らわれ、斬首のうえ棄市された。

・・・結構苦労して調べたんだが、張世爵はなにしたのやらさっぱりわからん。

慶長の役
 英雄善戦、の四文字が頼もしい勇将、麻貴は万歴十九年、寧夏で叛乱を起こしたホバイを討伐。
25年、対日本防備の総兵官となり、朝鮮に赴く。兵を三路に分かち、左路を李如松が、右路を李芳春と解生が、
中路を高策がそれぞれ指揮して進軍したが、加藤清正、小西行長の前に敗れる。万歴二十七年(?)将兵を九路に
分かち、進軍したが小西行長の軍に大敗し、楊鍠などは日本軍の旗を見るだけで恐懼した。怒った朝廷は楊鍠の官職(経理)
を奪い、贖罪として麻貴に戦功を求めた。麻貴は劉綖、陳璘、董一元とともに出陣、軍を4路に分かち、東軍は麻貴、
中路は董一元、西路は劉綖、水軍を陳璘に任せて総勢14万2千人の大軍で日本軍に対した。
しかし戦況は芳しくなく、劉綖は小西行長に敗れ、麻貴も蔚山を抜こうとして果たせず、董一元は島津義弘のために破られた。
秀吉の死により日本軍は撤退し、明王朝はかろうじて面目を守ったが、官軍の弱体化は覆うべくもなかった。
・・・長文で一個にまとめてみた。一応麻貴、楊鍠、劉綖、董一元、陳璘、高策、李芳春の7名カバー。
翻訳下手だからなー。間違ってる部分もあるかもしれん。そんときはご勘弁。


70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 21:36:21 ID:PWrAjd9/0
時期的には蒙古と元、後金と清はできれば一緒がいいな。
これなら現行の時代区分にそれほど手を加えることなく変更できる。
あと、中国地付きの人で西域遠征した人は認める(衛青とか)。
最初から中国国外に生まれ育った人は除外(郭侃とか)。
で、26史に入ってる国家の将は基本オッケー(耶律休哥とか)。
個人的な意見はこんなとこ。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 22:49:06 ID:ToYMpIv00
>>70
郭侃は華州ケ県の人。思いっきり中国地付きなわけだが。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 22:54:11 ID:PWrAjd9/0
>>71
あれ、西域でばっか活躍してるから向こうの生まれだと思ってた。
でもあそこまで西域で戦って中国に戻ってちまちま戦っても、なんか違うなぁ。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 22:58:57 ID:ne0XULCqO
>>69
お手数掛けまして申し訳ないです。

張世爵について
1593年の碧蹄館の戦いで李如松を大将とする明軍で
副総兵として右軍を率いたぐらいの情報しか見当たらない。

自分も今日、図書で世界人名辞典を見てきたが余りの分厚さにビックリした…
貴殿はアジア歴史辞典を所蔵とは凄いですな!!
でも古本で値段が10万前後とは…orz

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 22:59:32 ID:PWrAjd9/0
それでもフラグ汗の遠征前にはスブタイに従って汴京陥としたりしてるのか。
中国でもそこそこ頑張ってたんだな、郭侃。

75 :59:2007/01/05(金) 23:06:28 ID:qGtnEJwf0
お答えしてくれてありがとうございます
白村江も文禄慶長もネットで調べても余りありませんね

劉仁軌はなかなかの良将みたいですね、他の将は分かりますか?
李如松は猪突猛進型みたいですね

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 23:38:13 ID:PWrAjd9/0
>>75
さすがにネタ切れ。ご期待に沿えず申し訳ないです。

77 :59:2007/01/05(金) 23:51:23 ID:qGtnEJwf0
>>76
いえいえ、沢山の情報をありがとうございます


78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 23:54:54 ID:PWrAjd9/0
>>70
自分で書き込んどいてなんだが、中華国外で生まれ育った人はアウト、はいかんな。
遼、金、モンゴル、元、後金、清の武将を否定することになるもんな。
まぁアレだ。俺はこーいう調整役には向いてないってことがわかった。得意な人に託すよ。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 01:07:43 ID:rd3NDjjq0
「中国に領土をもち中華王朝の体裁を整えた国の武将」という条件で選んでいたので
衛青や五胡はセーフだが郭侃はアウトになったんじゃなかったっけ?
あと、遼・金は曖昧だから中国内部で戦った武将のみに限定していたはず

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 01:16:10 ID:aSdIOMOo0
>>79
うん、>>70にいらんこと書いただけ。お気になさらず。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 12:13:58 ID:ZzP7/Zjf0
時代区分と中国名将の定義。
難しいな、今まで散々議論してきたのに不安定なままだというどけはある。
とりあえず南宋・金・元時代にトゥルイとスブタイ入れたいなぁ。
一応中原国家の金に侵攻して最終的には金を滅ぼしたんだから、可能性はゼロじゃないと思うが。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 12:25:47 ID:NC+j6Ai60
とりあえずカタカナの連中はちょっとな

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 12:34:29 ID:LaAcgcRh0
連投。
「中華王朝の体裁を整えた王朝」の武将ってことだと完璧にはじかれるんだよな、モンゴル武将は。
でも中国の支配権は漢人だけに与えられたものじゃないし、なんとかならんかな。大元王朝の母体としてってことで。


84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 13:16:02 ID:LaAcgcRh0
また連投。モンゴル武将オッケーでの南宋〜清まで30人(ほとんど前に出した叩き台とかわらんが)
【南宋・金・元】
宗沢
完顔宗望(オリブ)
岳飛
完顔宗弼(ウジュ)
拖雷(トゥルイ)
速不台(スブタイ)
孟珙
忽必烈(フビライ)
伯顔(バヤン)
阿朮(アジュ)
【明】
拡廓帖木児
張士徳
徐達
常遇春
馮勝
朱棣
馬芳
戚継光
兪大猷
袁崇煥
【清】
阿巴泰(アハタイ)
多爾袞(ドルゴン)
康熙帝・玄Y
岳鐘h
策稜(ツェリン)
楊遇春
僧格林沁(サンゴリンチン)
宋景詩
李長庚
関天培
うん、ほぼ前回どおり。南宋・金・元でやたらモンゴル人優遇措置をとってるが、これでこそ抗元大将孟珙の真価が発揮されるというもの。
ま、勝手な30選だからスルーは覚悟。でも一考ぐらいはしてほしいな。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 16:55:38 ID:toCE7Jzc0
多爾袞は政治家であって馬上の将軍ではないと思うが・・・
実際に軍隊を率いているのは確かだが、名目上の総司令官。

同様に康熙帝もモンゴル親征してはいるが、結構接戦だったし、
実際の前線は配下の将軍が指揮していた。

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 19:22:39 ID:Xk2IkBWV0
>>84
王保保は元の武将なんだからどう考えても元だろ。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 19:44:15 ID:nClBpJ/Y0
>>86
拡廓帖木児を元に入れるとしたら、外すのはやっぱ忽必烈かな。武将というより大政治家。
ともあれ、蒙古の二人は外したくないんよ。
金軍精兵100万を覆滅したトゥルイに、汴京を陥として完顔陳和尚を殺したスブタイ。
でもこの二人のどっちか外せっつったらスブタイかな。戦功が中国史より世界史により多い。
ま、あくまでモンゴル武将OKという仮定の話だけどね。
明、清はまだ煮詰める必要ありそうだな。多爾袞、康熙帝を外したら他に誰を入れるかとか。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 20:12:54 ID:sl6cnp3K0
>>84
朱元璋は前スレから議論が激しかったが、やはり入れるべきだと思う
 1356年 集慶路攻略
 1360年 応天府での陳友諒撃退
 1363年 ハ陽湖の戦い→陳友諒勢力撃滅
一連の戦績を追っていけば、配下の将たちの活躍も当然あるが、
やはり勝利を収めることができたのは、総司令官としての朱元璋の
戦術、指揮能力が優れていたからに他ならない
戦略的失敗を指摘する声が、前スレではあったが
それを戦術的勝利で挽回できたことこそ、朱元璋が将軍として優秀であった
ことの証左と言えないだろうか?

馬芳って馬林の父親だよね?
詳しい功績あんまり知らないんだが、やっぱ李文忠外すくらい名将?

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 20:41:54 ID:nClBpJ/Y0
>>88
馬芳と李文忠比べたら正直李文忠のほうが上かも知れんが、6王からのエントリーが多すぎるとなんなので避けた。
あと、戚継光、兪大猷ら海の名将(戚は北虜とも戦ってるが)に対して陸の名将代表ってことで。
膳房堡、朔州、登鷹巣、鴿子堂、龍門、万全右衛、東嶺、孤山、土木、乾荘、岔道、張家堡、大沙灘ほか各地を転戦して生涯負けなし、
兵卒から大帥にまで成り上がり、「未だかつて大勝せざるはなし」とか「斬首無数、威名辺境に轟く」とか賛嘆されてるのは十分名将の名に値するかと。
ただ、知名度と歴史に与えた意義は少ないよな。前スレでも言ったけど、歴史を決めたのはやっぱり呉三桂。
だから呉三桂と変えてもいいんだけど、まぁ好みで。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 21:05:49 ID:nClBpJ/Y0
89つづき
土蛮が叛乱を起こしたとき、兜を外して見せたら「げぇ、馬芳!?」で土蛮が一斉に逃げたとか、それを追撃して殲滅したとか、
宣府太守のとき山西に北虜がちょっかいを出すと軍を率いて一日に500里を踏破、一気に戦闘に持ち込んで7戦7勝したとか、
辛愛率いる10万の衆を一戦にして壊滅させたとか、特に顕著な武功はそんくらい。
北虜も馬芳の軍を前にすると恐懼して逃げ去ったほど。
知略にすぐれ、かつ勇敢。間諜を使って敵の内情をよく探り、戦陣にあっては士卒に先駆けて突撃した。
・・・うん、李文忠に負けてないかも。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 21:09:21 ID:L8Z3YMRa0
ぶっちゃけ現時点で他時代も【確定】【内定】【候補】に別れてるんだから
そんなに頑張って10人に限定しなくてもいいと思うが

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 21:09:34 ID:DPNbxxO50
荒れそうな話題ですまないが・・・

中国と韓国が争ってる互いに自国の歴史と主張している高句麗の扱いはどうしようか・・・?
一応今の中国の領内ではなるが・・・・。

五胡の時代にはかなりの漢人が亡命してるし
前燕にボコボコにされたり、
隋唐と死闘を繰り広げたり、関わりが深い。

荒れそうだったらスルーでいいが


93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 21:15:34 ID:nClBpJ/Y0
>>91
特に10人確定、にこだわってはないよ。
とりあえず10人出して、確定数名を選出、残った分は入れ替え候補として待機、というのが基本スタンス。
みんなそれぞれ思い入れのある武将がいるだろうし、そういう声は逐一取り上げてスレに反映させるべきだと思う。
なにせ【みんなで作る】【名将100選】なんだから。



94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 21:17:35 ID:sl6cnp3K0
>>89-90
サンクス、前スレで連戦連勝みたいに言われてたので戦績が分かって納得
タイプ的に、唐代の裴行倹、蘇定方みたいなポジションか
一兵卒からってのがポイント高いなあ

ここまでの【確定】の連中はこれでいいのか?
それとも春秋戦国から吟味しなおすか?

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 21:20:09 ID:VpdbGzYD0
とりあえず、清代は暫定候補を決める。
その他の時代は、このスレになって出てきた候補を
まとめる。
その後、名将と時代区分を明確にするってやらな
いと、元代あたりは、特に決まらないぞ。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 21:25:52 ID:nClBpJ/Y0
とりあえず清朝の候補として、施琅を挙げとく。
清朝初期の制海権はこの人が一手に引き受けてたようなもんだし。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 21:27:42 ID:/kqhpNxH0
>>92
二十五史に入ってないので除外で問題なし。

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 21:36:40 ID:X6hnm7wKO
>>92
マンチュリアを中華地帯なんていうのは中共くらいだし、高句麗は駄目でしょうね

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 21:42:41 ID:eJs9ob1k0
・五胡十六国のうち僻地の国
・遼
・西夏
・金
・モンゴル
・後金
あたりのどっからどこまで含めるかが問題だな

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 21:46:47 ID:nClBpJ/Y0
モンゴル頼む!!
オゴタイ時代以降の金伐戦以降でいいから。


101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 21:48:20 ID:VpdbGzYD0
>>100
まず、自分から案を出すべきっす。

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 22:01:58 ID:pq9LO3/Q0
明代の候補に秦良玉は入らないかのう?

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 22:05:54 ID:nClBpJ/Y0
>>101
了解。やってみる。
春秋戦国(紀元前771年〜紀元前221年 550年間)
統一秦〜前漢(紀元前221年〜紀元前8年 213年間)
新・後漢(紀元前8年〜紀元220年 228年間)
三国〜両晋(220年〜439年 219年間)
南北朝(439年〜589年 150年間)
隋・唐(589年〜907年 318年間)
五代〜北宋・遼(907年〜1127年 220年間)
南宋・金〜元(1127年〜1368年 241年間)
明(1368年〜1644年 276年間)
清(1636年〜1912年 276年間)
 まずこれが現在の時代区分だろ。
 こっからオゴタイ以降のモンゴルと後金を入れるなら・・・。
 清(後金含む)で天命元年(1616〜1912)とするだろ。
 で・・・モンゴルは難しいな。時代的には問題ないわけで、拖雷たちをどう中国武将と位置づけるかだからな。
 とりあえず、先にも言ったように中原国家の金に進出=中華志向、といえれば楽なんだけど、
 モンゴルの場合ひたすら貪欲な征服欲に突き動かされて戦いまくるだけだからな。
 最初の頃は漢民族を皆殺しにして中原で遊牧しようとか言ってたし。
 それでもモンゴルの台頭自体が中華王朝・金にとっての脅威であって、
 中原を脅かして最終的に征服王朝・元を打ち立てた最初の一歩、布石が拖雷、速不台の金伐にあるとすれば、モンゴルを入れてもいいのでは?
 さすがに苦しいかもしれんが、拖雷も速不台もちゃんと26史に載ってるわけだし、戦功も赫々たるものがあるし、あっさり切り捨てるのはどうかと。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 22:19:46 ID:VpdbGzYD0
>>103
変な言い方だが、元の中国にあたる地域=明の支配地域で
良いんじゃないかと。
大雑把に言って、クビライ家の世襲領のうち、モンゴル高原と朝
鮮を除いた地域って感じかな。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 22:23:37 ID:MjGsMEJj0
>>103
隋と南北朝はあわせることにしたんじゃなかったっけ?あれは提案だけだったか?

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 22:30:23 ID:nClBpJ/Y0
>>105
多分提案だけだったはず。
南北朝は150年と短いながら多士済々だから、隋まで一緒にするととんでもなく絞る必要が出てくる。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 22:34:22 ID:nClBpJ/Y0
>>102
入らないか? じゃなくて候補に挙げるよ、って宣言していいと思うよ。
秦良玉は確かに名将だし、候補が多けりゃ時代ごとに10選するときあぁこの人どうするかなぁ、って悩む楽しみも出てくるし。

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 22:58:38 ID:nClBpJ/Y0
>>104
ごめん、何度か読み返したがよくわからん。多分俺がバカタレなんだろうけど、明代の話か?
僭越ながらバカにも分かる説明お願いします。


109 :104:2007/01/06(土) 23:04:22 ID:VpdbGzYD0
>>108
ごめん、俺の日本語が不自由なだけなんだ。
元の支配地域というか、元代の武将が活躍した範囲の
つもり。意味不明ならスルーして

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 23:13:40 ID:nClBpJ/Y0
>>109
OK了解、把握した。

ところで現時点でモンゴル人武将を入れてもいいと考えてる諸兄、どのくらいいるのだろうか?
今板にいる人たちのご意見を聞きたい。


111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 23:18:34 ID:MjGsMEJj0
個人的には中国の武将じゃあないだろうと思う。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 00:05:13 ID:PFqy+Fj90
アレで、耶律休哥とかと同じ感覚で許可してくれないかなぁ。
しかし向こうは漢化された文明をもってたけど、
モンゴルは野蛮人集団でろくに文明をもたなかったのが痛いか。
それでも拖雷、速不台は惜しすぎると思うんだが。特に拖雷が金の精鋭100万人を
潰滅させなかったら金王朝はもうしばらく命脈を保ったと思うんだが、それでも駄目?

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 00:11:56 ID:bX4fkhOy0
モンゴル系は元朝期に活躍したやつだけで充分。
清も入関以後。

遼も要らんな、正史があるじゃないかとか言っている奴がいるが、
編纂したのが中国史上でも異質な元朝だということを考えて言っているのか?
漢民族王朝が編纂すれば、金はどうなったか知らんが、
遼はほぼ確実に周辺諸国扱いになったろう。

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 00:15:45 ID:0+8myHFo0
清が入関以後なら、確実に多爾袞は外れるなあ・・
すでに政治家で、実戦なんてやらなくなってるし。



115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 00:21:42 ID:sk35tW3T0
>>112
「中国で活躍した名将」を挙げるスレだったら問題ないよ。でもここでは中国王朝に
籍をおいた人物って定義がなされているのだから、元以降はともかくそれ以前の
人たちは無理があるでしょ。おなじ理由で、入関以前の清(後金)も無理でしょ。

たとえば日本史の名将を挙げるときに、江戸以前の琉球の武将を「日本の武将」だって
入れられますか?仮の話ですが、琉球の武将が侵略してきて九州を占領したとしても、
それは「琉球の名将」であって「日本の名将」とはいえないと思うのです。
琉球が日本に編入されて以降なら、問題なく沖縄出身の日本軍人でいいと思いますが。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 00:31:38 ID:4nWwK0O60
余計なことだったらスルーして欲しいんだけど。
中国での軍功って3つに分類できると思う。
1 騎馬民族または大国などの強大な勢力に対抗した。
 例 李牧 廉頗など

2 中国(中華思想の影響圏内ってことで)で、国内の
 統一・平定に尽力した。
 例 白起 王翦 など

3 非中華圏や騎馬民族で中華圏を征服することに活躍
 した。
 例 楊遇春(>>18) とか元の武将

これらの分類を格付けするか、単に戦果の大きさだけで
名将とするかで、定義が出来ないと元の将の取捨などが
出来ないと思う。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 01:25:14 ID:E1bI6h3TO
>>116
モンゴルにとって中華世界は征服対象の一つに過ぎないだろうしな
実際金を滅ぼした後南宋が粘ったこともあって、南宋滅亡までにもかなり領土を拡大してるし
(まあ元代になるとモンゴル帝国西方の独立傾向が強くなるんで、中華を基盤にするようになったが)
ただ漢民族系でも膨張傾向が強い王朝だと諸外国に積極的に侵略戦争しかけてるし、それはどうなるのかって疑問はある

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 01:33:34 ID:j01KSXPs0
トゥルイ・スブタイは外れても仕方ないとは思うが
張柔・史天沢のような漢人で中国でしか戦っていない武将はどうなるかな
>>115の真似をさせてもらうと、「琉球」に仕えて九州で戦った
日本人の武将、ということになるんだが

う〜ん、微妙だ・・・。

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 01:40:26 ID:ZR/OuL5J0
日本の名将を列挙していく時にアイヌのコシャマインやシャクシャインを入れるかどうか?と
似た問題やね
ましてやモンゴルや女真は最終的に中原を征服して王朝を樹立してるしな。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 01:59:19 ID:sk35tW3T0
>>118
その例だと、日本出身の琉球武将ってことになるかなあ。
とにかく、どこに籍をおいているかだと思う。中国でも高仙芝や安禄山、李克用
など明らかに非漢人でも唐朝に仕えたということで中国武将扱いされているし。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 02:31:04 ID:0+8myHFo0
中国≠支那(いわゆるチャイナ)ということで、
広い意味での「中国武将」として選べばいいのでは。

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 02:32:52 ID:KFYtGt2+0
皆々様のご意見の数々、骨にしみました。
モンゴル武将を入れる企ては断念します、つーか諦めざるを得ないレスの数々だから、
これ以上固執するのは漢ではあるまいと。
となると
宗沢、岳飛、宗望、宗弼、孟珙、忽必烈、伯顔、阿朮、拡廓帖木児、
・・・一人枠が空くな。元末群雄の張士徳を明からこっちにもってくるか。
まぁなんにせよ、孟珙が外れることはまずないだろうからそれだけは安心。
諸兄にはご意見ありがとうございました。感謝の気持ちとして粗品はないですが。
そんではもう一眠りします。それではまた。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 04:30:53 ID:E1bI6h3TO
>>122
もうモンゴルは
【異民族】 中国好敵手百選 【周辺国家】
て感じのスレたててそっちに移住するかね
キタイ・女真・モンゴル好き辺りは変なストレス溜まってそうだし

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 06:07:50 ID:U3mstPVL0
周瑜はあまり記録がなくてよく分からないんじゃないか
ここに入れるには物足りないような気が

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 08:29:58 ID:G6cc/SYd0
>>123
拖雷、速不台を強烈に推した俺ですが、
さすがに異民族だけで百選は難があるだろ。
中華武将たちを彩るスパイスとして数名から十数名選出するのがほどよいと思うのだが。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 12:56:46 ID:Gq1Va5NW0
西夏もNGかな?
となると十六国のうち、西夏と同じ地域の前涼後涼、
北涼西涼南涼なんかもだめになるわけか。

候補に挙がってる謝艾は前涼だから自動的に落選と。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 13:17:15 ID:wZbPE9qNO
西夏と前涼などの五胡十六国の場合は地域が同じでも条件が異なると思うが・・・

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 13:40:32 ID:wOXlQQqO0
五胡十六国(の一部)・遼・金・モンゴル・後金を外すと田中●樹の名将百選とかぶって面白みにかけるんじゃないか?
別に田中氏に恨みはないというかむしろファンだが、ここは独自路線を提唱したい。
>>121の言うように
「中国≠支那(いわゆるチャイナ)ということで、 広い意味での「中国武将」として選ぶ」のがいいと思うのだが。


129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 14:05:38 ID:ZR/OuL5J0
周辺異民族の流入・侵入、それに伴う文化風俗の変化、、それによる王朝の交代、
乱立や南北対峙の中にこそ中国史が持つダイナミズムが存在するんだろう

異民族除外なんて、どんだけ中国史知らないんだよと笑われるだけだと思うが。

異民族武将や周辺の異民族王朝に関しては、これまで決まってた条件に従って
判断するんじゃダメなのか。

西夏にせよモンゴルにせよ、条件にかなってる奴がいれば候補に入れればいいし
駄目なら外せばいいだろう。

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 14:22:49 ID:bt3urDdg0
>>129
大賛成。前スレから続く「耶律休哥は中国の武将か否か?」に対する明確な答えだよな。
国家・領土に関係なく才能による推薦、候補入り。これが一番正当な意見だと思う。
おれはここまで理路整然と語れんから、>>129の語る理論は一種の憧れ。正直に凄いなと言わせていただく。

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 15:03:39 ID:E1bI6h3TO
>>125
モンゴル(モンゴル帝国、カイドゥ・ウルス、北元)だけで10人はいけるから十分かなと思った

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 15:08:22 ID:wZbPE9qNO
>>129の仰る通りです。
異民族の中華に置ける立場や歴史的推移を排除するなら
秦や楚そして呉越なんか元々中原国家から蛮夷って呼ばれていた訳で、
そうなるとその国々も対象から外さなければならなくなる。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 15:31:38 ID:bt3urDdg0
支援書き込み
最初に決められたルールは
・推挙する武将については、その理由を述べること。
・対象となる武将は、近世以前の武将とし、近代以降の軍人は含めない。
・対象となる武将は、特定の時代に偏らないように配慮する。
の三点。前スレ7で
「中華王朝という枠組みで、漢化政権あるいは中国風の国号を用い、なおかつ中華本土内に領土のある政権」
 という項が加えられたが、これは絶対的な条件ではないと思う。
 とりあえず最初の三項目と延々議論されてきた時代区分にさえ抵触しなければ問題ないのでは?
 異民族王朝や征服王朝を完全に無視したら、極論すると隋唐帝国でさえはじかれかねんし。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 15:40:18 ID:bt3urDdg0
133続き
異民族王朝について熱く語りたいのは山々だが
現在は一応清朝ね。とりあえず候補の中から5人ぐらいは確定を出そう。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 15:42:56 ID:4nWwK0O60
異民族とかは関係無しで、中国から他国への遠征または、
中国への侵攻をしてきた将も功績があれば名将で良いのか?
個人的には、他国への侵略行為っていうのは、平治に乱を
起こすってことで、賞賛に値する行為では無いと思うんだけど。

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 15:47:54 ID:bt3urDdg0
確かにそういう場合は「涜武の人」といわれて人間的に悪く見られがちだが、
それはさておき十分な軍事的成果をあげた人物は名将でいいと思う。
人格と才覚が正比例するわけではないのだから。

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 15:48:54 ID:0+8myHFo0
途中参加で過去ログ読めないんだけど、
このスレの「名将」の定義教えて。

「実際に軍隊を率いて、軍略に富み、多くの戦で勝利した」人物かな?

>>135 みたいに専守防衛の軍人しか駄目だとなると、清の大半の将軍は
    失格ということになるんだけど。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 15:57:34 ID:0+8myHFo0
 奴児哈赤(ヌルハチ) 、阿巴泰(アハタイ) 、多爾袞(ドルゴン) 、費英東(フィヤントン)
 康熙帝・玄Y、岳鐘h、策稜(ツェリン) 、僧格林沁(サンゴリンチン) 、宋景詩 、関天培、
 明亮、楊遇春、李長庚、関天培、李秀成、石達開、劉永福

 揚古礼(ヤングリ)、兆恵(ジョーフイ)、阿桂(アゲイ)

一応清代では上の人たちの名前が挙がっているけど・・・・

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 16:01:24 ID:j01KSXPs0
>>135
侵略行為といっても全部を十把一絡げにはできない
全く無用なものもあれば必要だったものもある

それに他国を攻撃した人物を外すと大半の人間が落選になってしまう

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 16:03:44 ID:bt3urDdg0
>>137
おおかた貴兄の提言した定義で合ってると思う。
まあ、たまに生涯一度の大戦で勝って名将の名を博した人物もいるけど、
そういう人は一発屋呼ばわりでこのスレ的にはあまり歓迎されない。
貴兄の提言に「部下に慕われた」という一項目を追加すればほぼ完璧かと。

>>138
前回の選考で阿巴泰と策稜は確定組になったんだよね。多爾袞と康熙帝は政治家、戦略家としての側面が大きいから除外するとして、
後金オッケーなら文句なしでヌルハチ、あと「戦う豆腐屋」宋景詩も推したい。
あと施琅を推薦しといたんだけど挙がってないね。改めて推薦。

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 16:09:19 ID:E1bI6h3TO
>>135
それだとまず班超あたりを外さなきゃならなくなると思うが……

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 16:11:15 ID:0+8myHFo0
奴児哈赤:ほとんど徒手空拳から連戦に次ぐ連戦で後金を建国
     ただ、後にハンとなったので外すべきか?
多爾袞 :しばしば総司令官として軍隊を指揮するが、あくまで
     名目上の大将であり、彼の本領はむしろ政治家。
     呉三桂とともに入関の立役者であはあるが・・・
康熙帝 :モンゴル親征をしたが、最前線には立たず。あくまで
     武威発揚のための出馬であり、実戦指揮は執っていない


143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 16:11:18 ID:bt3urDdg0
>>136続き
人格と才覚が正比例するわけではないと書いたがもう一つ。
人格者であっても職業軍人である以上、上の命令に背くことはできないってことがある。
それに、戦略的にどうしても戦わなければならない場合もあるだろうし。


144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 16:13:11 ID:D2f7n0Wp0
平地に乱を起こそうがなんだろうが戦術の能力があれば名将でいいだろう
長期的な戦略や道徳的なものさしは、考慮したとしても優先順位は低くした
ほうが軸がぶれなくていいと思う

145 :135:2007/01/07(日) 16:20:25 ID:4nWwK0O60
そうすると、異民族王朝や征服王朝であっても、>>133のルール
(もう少し明確化した方が良いとは思うけど)で、選定してくのね。

それで名将の定義は
「実際に軍隊を率いて、軍略に富み、多くの戦で勝利し、部下
に慕われた」人物ってことでいいかな。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 16:20:30 ID:0+8myHFo0
>>140 名将定義補足、多謝。

後に君主となった人物もオッケーであれば、努爾哈斉に異論なし。
少年時代から戦場に出て、努爾哈斉の娘婿となって「武勲王」「超等公」の
称号を得た楊古礼も個人的には捨てがたいが、あまり入関前に偏るのもなあ。

清前期のモンゴル代表として策稜(ツェリン)、漢族代表として岳鐘h・施琅
というところか。ただ岳鐘hは、例の事件に絡んで雍正帝が過剰に持ち上げて
それが列伝の高評価につながってるような気がする。
「岳飛の末裔」(未確定)と言う点もあるし・・・

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 16:37:43 ID:bt3urDdg0
>>146
あの事件っつーと
曾静「漢民族の誇りを忘れたのですか、自立しなさい!!」
岳鐘h「だが断る」
ってアレ?
確かにあれで雍正帝の心を掴んだよな。
でもちょっと地味。一応戦功はそれなりだし、清朝唯一の漢人大将軍として確定にしたいところなんだけど・・・
西域防備に回されたのに西域から来たツェワン・アラプタンの侵入を許してるし。
「衛(青)、霍(去病)、郭(子儀)、李(光弼)に伍す、って書かれてるけど、「超勇公」策稜に比べるとやや落ちるか。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 16:47:46 ID:bt3urDdg0
>>145
一応名将の定義はあれでいいと思うけど、
ときどきとんでもないDQNで慕われるどころじゃないけど、用兵家としては間違いなく天才、ってのもいるからなぁ。
特に五代十国。
でもまぁ基本はあれでいいと思うよ。拓跋珪、拓跋Z、石虎あたりはその限りでない感じだが。

149 :148:2007/01/07(日) 16:49:00 ID:bt3urDdg0
間違えた。五代十国じゃなくて五胡十六国だわ、すまん。

150 :146:2007/01/07(日) 17:18:55 ID:0+8myHFo0
>>147
そう、それw

個人的には、
努爾哈斉・阿巴泰(努爾哈斉の子)・施琅(漢人)・策稜(蒙古)あたりは
確定でもいいかなと思う。
でも満洲旗人で一人くらいほしいかな(費英東/楊古礼?)。

康熙雍正年間の将軍では、西北方面の遠征軍を率いた富寧阿(フニンガ)もいる。

乾隆年間の将軍では、新疆征服の功績で兆恵(ジョーフイ)有利かな。





151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 17:31:26 ID:4nWwK0O60
それで、現在は次のどの段階?

1 清朝の候補者決定
2 時代と中国の範囲の定義を確定
3 前スレの候補者の見直し
4 それ以外

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 18:06:34 ID:bt3urDdg0
今は1番、清朝候補者決定だろうね。
次が2番、中国の定義確定
最後に3の候補者見直し→全時代の10選確定。

100選が決まったらその中から10傑を選ぶとかやりたいな。個人的には孟珙に一票。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 18:20:16 ID:bt3urDdg0
おせっかいだが清朝の候補なんてもう忘れた、って人に。
>>18、阿巴泰、費英東、策稜、明亮、楊遇春、李長庚の略歴
>>21、阿桂、兆恵の略歴
どーぞ。

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 18:28:34 ID:ydEXK/n+0
全時代の十選はいるか?
取り敢えず各時代から10人くらいだして
A時代確定のαとB時代の候補のβを比べてβ>αの場合、チェンジする
という為の10人なんだから、細かく決めるより確定武将の割り出しと
残り枠を候補・内定武将から選出していって100選が確定って流れだろう

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 18:34:21 ID:bt3urDdg0
それもそうか。あんまり厳密にすると自由度下がるよな。
でも総合ベスト10はやりたい。ベスト5とかベスト3とかでもいいけど。

156 :清朝候補その一:2007/01/07(日) 19:58:25 ID:bt3urDdg0
費揚古(フィヤング)
1645-1701。棟鄂(ドンゴ)氏。盛清の名将で内大臣三等伯オショの子。1658(順治15年)、14歳で父の爵を襲い、74年には安親王岳楽に従って呉三桂ら三藩の乱平定に当たった。
その功労により79年には領侍衛内大臣兼火器営総官に起用され、議政大臣に加えられた。その後ハルハ左翼トシエト・ハン(土謝図汗)とジャサクトゥ・ハン(扎薩克図汗)との
間に紛争が起こると、89年命を受けてトシエト・ハンのもとに使いし、紛争の調停に当たった。ところがジュンガル部長ガルダンがこの紛争に乗じて被いにハルハを侵害すること
になったので、翌年彼はホルチン(科爾沁)に行って兵を整え、清の本軍とともにガルダンをウラン・プトゥン(烏蘭布通)に破った。ついで93年、安北将軍に任ぜられて帰化城に
駐し、バヤン・ウラン(巴顔烏蘭)に拠っていたガルダンの防衛と折衝の任に当たり、95年には撫遠大将軍を授けられた。翌年康熙帝が自ら大軍を率いてガルダンを討つと彼は
その先鋒となり、ガルダンをジョー・モド(昭莫多)に追い詰めて大いにこれを破り、ガルダンを敗死させた。97年病により京師に帰り、領侍衛内大臣一等公に封ぜられたが、
まもなく同地において病卒した。

海蘭察(ハイランチャ)
?-1793。乾隆20年(1755)、兆恵のアムルサナ征伐に従い、タルバガイでバヤルを生け捕りにした功によりエルケ・バトゥル(称号。バトゥルは多分勇者の意だとして、
エルケはわからん)の号を授けられ、一等侍衛に進められた。32年(1767)傳恒らのビルマ遠征に従い大金沙江沿岸の老官屯で戦功を立て、34年(1769)鑲藍旗蒙古副都統を
授けられた。36年、金川のミャオ族が叛乱を起こしたので、翌年雲南から鎮圧に赴き、将軍温福や阿桂の下で戦功を立て、参賛大臣を授けられた。38年、部下の守っていた
美諾が敵の手に落ちたので降格された。翌年戦功により再び参賛大臣に復し、40(1776)年、金川の乱を完全平定した功績により一等超勇候に封ぜられた。45(1781)年、
甘粛のイスラム教徒蘇四十三が叛乱を起こして蘭州を侵したのでこれを平定、49(1785)年、再度イスラム教徒が叛いたので参賛大臣として尚書・福安康とともにこれを鎮圧、
張文慶を捕らえた。翌年台湾の林爽文らが叛き彰化、嘉義を陥としたので、翌年7月、参賛大臣として将軍・福安康を率い、台湾に渡ってこの乱を平定した。55(1791)年
西チベットに侵入したグルカを討ち、福安康らを率いてこれを討ち、グルカ兵を撃破、追撃してグルカ族の国都カトマンドゥまで逼った。グルカが和議を求めると
藩兵1000、蒙古兵3000をチベットにとどめて凱旋した。戦功により侯爵から公爵に進められる。乾隆57年没。


157 :清朝候補その二:2007/01/07(日) 20:01:37 ID:bt3urDdg0
徳楞泰(デレンタイ)
1745-1809。盛清の将軍。蒙古正藍旗の人。字は惇堂。チャハル(察喀爾)部の伍弥特(ウミト)氏に属する。1773(乾隆38)年、定西将軍アグイを助けて
金川の乱平定に活躍したのを始め、84年には甘粛のイスラム教徒の反乱鎮定に従い、87〜88年にかけての台湾の叛乱鎮定にも活躍して功績により参領となり、
継勇巴図魯の称号を受けた。91年には名将ハイランチャに従ってチベットに出征し、グルカ族平定に功を立てて副都統護軍統領となった。ついで95年にはフカンガを
助けて湖南方面に出征し、湖南・貴州方面で威を振るっていたミャオ族の叛乱鎮定に活躍した。のち97年にはミンリャンらとともに四川方面における白蓮教徒の乱の平定を命じられて出征し、
数年にわたる反乱鎮圧に大いに活躍し、非常な功を立てた。この遠征の間、99年には参賛大臣となり、翌年には成都将軍に任ぜられ、1804年には欽差大臣を授けられた。
乱平定後の05年に侍衛内大臣となり、翌年には西安大将軍となるなど、多くの功績をあげたが、まもなく病没した。謚は壮果。

羅思挙(らしきょ)
 清中期における郷勇の代表格。貧困の家に生まれ、家業につとめず、盗賊稼業で生計を立てた。不法行為はなはだしく、人々はたいそう彼を恐れた。嘉慶初年、
白蓮教の乱が各地に激しさを加え、羅思挙の郷土でも教主・王三槐らが乱を起こし威勢を振るうに及んで、それまでの生活を恥じ、郷里に帰って郷勇に加わり、乱徒平定に尽力した。
ことに教匪征伐のためデレンタイ、ミンリャンらが入川するにいたってこれに協力し、いわゆる随征郷勇として各地を転戦した。その戦闘における巧妙な作戦と勇猛ぶりは
当時弱体化の一途をたどっていた清朝官軍と対照的なものがあり、彼の存在は郷勇の存在意義を高めた。道光元年(1821)、累進して貴州提督となり、
さらに四川・雲南提督を経て湖北提督となった。その後も趙金竜らの乱平定などに功績を挙げたが、1840年病死した。謚は壮勇。著書に「羅壮勇公年譜」がある。


158 :清朝候補その三:2007/01/07(日) 20:04:24 ID:bt3urDdg0
陳・化成(ちんかせい)
 1776-1842。字は蓮峯。嘉慶7年金門右営把総に任ぜられ、累進して同18年銅山営参将となり、20年烽火門参将に抜擢された。道光元年彭湖水師副将、同3年台湾水師副将
を経て同年碣石鎮総兵となる。同10年には福建水師提督となり、12年イギリス船が福建・浙江・江蘇・山東などの海面に来航するや、不慮に備えるため督師巡邏を命ぜられた。
19年イギリスの軍艦が福建省を侵すと海林洋に戦い、同年江南提督に任ぜられた。江南水師はもとより怯懦であったが陳は鋭意教練し、士気ようやく奮うに至った。彼はまた
呉淞の防備を堅固にし、砲台を修築し、沿海に26堡を築造した。道光22年、アヘン戦争が起こると彼は呉淞西砲台にあって防御に努め、奮戦してイギリス艦3艘を破壊したが、
敵弾に当たって戦死した。宣宗は特詔を下して銀一千両を賜い騎都尉兼一雲騎尉與職を追贈し、忠愍と謚し、殉難地に祠を建てて英霊を祀った。

僧格林沁(サンゴリンチン)
 ?-1865。モンゴル、ボルチギット族の貴族。1834年御前大臣となり、正白旗領侍衛内大臣、正藍旗蒙古都統などをへて、36年鑲白旗満州都統を授けられ、帝の深い恩顧を受けた。
1853年、太平天国の北伐軍が直隷に進出したとき、参賛大臣に任じられ、同年10月以来蒙古騎兵を率いて転戦、太平天国軍をさきざきで敗退させ、1855年3月、主将・林鳳祥を連鎮で、
また同年5月・李開芳を高唐州で捕らえて北京に送り、太平軍の北伐を水泡に帰せしめた。この功により威名は天下に轟き、その後鑲藍旗満州都統、正黄旗領侍衛内大臣、
署鑲紅旗漢軍都統などを歴任した。1858年、アロー号戦争で英仏連合軍が天津の海口に侵攻したとき、欽佐大臣に任ぜられて軍務を任され、英仏軍退去後大沽および双港において
砲台修築や海防施設の強化に当たり、翌年6月には蒙古旗兵を率いて大沽砲台を守り、連合軍の進撃を撃退して諸々の恩賞にあずかった。しかし60年には連合軍の猛攻の前に大敗し、
通州に退いた。そのため職を奪われ、いろいろあって降格され欽佐大臣とされた。北京条約成立後、山東の捻軍をはじめとする華北各地の農民反乱を平定するため、
郡王の位に復され反乱平定に従事するようになった。各地で民軍を破り御前大臣、正紅旗漢軍都統を復され、1863年には世襲親王に進んだ。
64年、貝勒となるも多年にわたる軍事活動の中で部下の蒙古将兵の多くを失い、1865年、曹州で宋景詩率いる民軍に破れ、包囲されて戦死した。


159 :清朝候補その四:2007/01/07(日) 20:07:02 ID:bt3urDdg0
唐・炯(とうけい)
 1829-1909。清末の官吏。字は鄂生。1849年の進士。62年太平天国の石達開が四川に侵入してきたとき、これを破って捕らえ、棄市に処した。67年には四川総督崇実の命を受けて貴州地方の民乱を平定、偏刀、水上、太平、黄瓢、白堡をたちまちに破り、
寇賊王超凡、劉儀順を斬り、潘人傑、唐天佑らを降した。また平越、甕安、黄平、清平、麻哈を抜いて大いに成績を上げ、法克精阿巴図魯の称号を賜って蜀に還った。78年からさらに四川総督丁宝驍フ命を受けて塩茶の専売制の整備に当たり、
手腕を発揮した。82年張之洞の推荐によって雲南布政使となり、フランス人のベトナム侵略を防衛したが、誤聞を議して勝手に任地に帰り、光緒帝の怒りに触れて免職となった。その後雲南の鉱務を監辦していたが、1905年退職した。
著書に<成山老人自撰年譜>6巻がある。

塔斉布(タチプ)
 1817-1855。晩清の将軍。姓は陶佳。字は智亭。はじめ三等侍衛から、咸豊元年(1851)都司として湖南に赴任、撫標に所属、参将に進んだ。1853、当時長沙で湘軍の練兵に当たっていた曽国藩に起用され、副将として湘軍を率い、
以来、太平天国との戦いにその勇猛さをもって頭角を現した。特に1854年、配下千人をもって成功した湘譚県城占領は湘軍最初の勝利といわれ、おりから靖港での敗戦で総帥曽国藩が自殺を図ったほど意気阻喪していた湘軍を
奮起させる重要な意義を持った。これによって湘南提督に任命されるという異例の抜擢を受け、さらに岳州、田家鎮などでの戦功で騎都尉の世職を与えられたが、1855年、九江攻防戦中に軍営で病死した。謚は忠武。


160 :清朝候補その五:2007/01/07(日) 20:14:06 ID:bt3urDdg0
宋・景詩(そうけいし)
生没年不明。清末の農民暴動の指導者。山東の人。従来ほとんど知れなかったが、1951年映画「武訓伝」批判運動の中で行われた武訓歴史調査団によって知られるようになって以来、武訓と同時代、同じ地方で武訓の保護者であった地主勢力と生涯闘い続けた
真の英雄として武訓と対照的に顕彰されるようになった。彼は貧しい豆腐売りであったが、当時山東各県に広がっていた白蓮教系の秘密結社に加わり、1961年はじめ、農民所有地への増税反対を契機に18人の村の仲間たちと蜂起した。山東の白蓮教、
五旗約一万の一翼として黒旗軍と呼ばれた。同年秋形勢不利と見て勝保の軍営に投じ、安徽・河南の捻党の回乱鎮圧に差し向けられた。勝保の推挙により参将に任ぜられたが、機会を見て再度脱走したため免職された。62年末、部下千余を率いて故郷に脱走して
以後、表面は帰順を誓って清軍内に留まりつつ、山東白蓮教軍の鎮圧に差し向けられるや、逆にこれと呼応して敗軍を収容し、あるいは太平天国軍の残存部隊を収容して隊伍を拡大、各地で地主の武装勢力を撃破した。なお武訓のたてた崇賢義塾の後援者である
揚樹坊一族は、最大の民団として宋景詩軍と最も激しく対立した柳林鎮民団の中心であった。清朝側は山東・河南の暴動に牽制されて武力鎮圧に出ることが出来なかったが、63年4月、その鎮圧と同時にサンゴリンチンの洋槍隊など大部隊を動員、
9月直隷省で宋景詩軍を撃破した。こののち、宋は安徽の捻党苗沛霖軍、のち湖北の太平天国張宗禹軍に加わり、65年曹州でサンゴリンチン軍を掃滅したと伝わる。その後の消息は明らかではないが、清朝の記録では71年毫州で改名して符水治病をしていた
宋景詩を捕らえ、安徽省城で処刑して晒し首にしたとある。しかし現地調査の農民の話ではそれは別人で、1900年彼は故郷に姿を現したという。

劉・永福(りゅうえいふく)
1837-1917。清末・民国初期の軍人。淵亭と号す。欽州の貧農の家に生まれ、幼少の頃父母とともに流民となって広西の上思州、ついで遷隆州に移った。
農耕や船頭生活のかたわら父から武技を授けられたが、17歳で両親と死別し、21歳のとき天地会の一派に身を投じた。太平天国の乱後馮子材の追撃を受け、
1865年首領の呉亜終に従ってトンキンに逃れ、阮朝のトゥドゥックに帰順した。その後一度トゥドゥックに叛いたが、呉亜終から離れて67年六安州で黒旗軍を編成し、
ソンコイ川流域とくに勝保を中心に強固な地盤を樹立した。68年以来、ときには阮朝官軍や清朝派遣の馮子材と協力して匪賊討伐に当たり、その功によって
トゥドゥックから物資的援助を受けたほか、領兵官、三宣軍務副提督(ともに1874)、太原布政使(1879)などの官を授けられた。しかし彼の阮朝に対する態度は一貫せず、
黒旗軍は土匪的性格を持ち続けたので、ベトナム人から嫌悪されることが多かった。しかし、フランス人がソンコイ川北上を狙ってトンキンに進出してきたのに対し、
黒旗軍はしだいに組織化されて抵抗し、73年ハノイ占領中のフランス軍司令官ガルニエを戦死させた。また81年、ソンコイ川をさかのぼってきたフランス商人を撃退し、
翌年フランス軍が再びハノイを占領すると、83年、フランス軍排斥の檄文を発し、これを攻撃して司令官リヴィエールを敗死させた。こうして彼は清朝はもとより阮朝や
一般ベトナム人から利用されたが、信頼を受けるにいたり、83年トゥドゥックから三宣提督を授けられた。またこの間、1876年にフランスを憚る阮朝の要請をいれて
墓参を理由に一時帰国したが、清朝からは英雄視して迎えられ、阮朝からはただちに呼び戻されている。しかしフランス人に対する彼の抵抗はあまりに激しかったため、
83年トゥドゥックの死後、阮朝がフランスに屈服するとふたたびベトナム人から疎遠された。清仏戦争には清朝派遣の唐景ッ軍や阮朝の一部役人とともに各地で戦ったが、
清朝とも折り合わなくなり、85年両広総督張之洞の要請に従って帰国した。86年広東南澳鎮総兵となった。94年日清戦争が起こると台湾防衛に派遣され、
翌年下関条約締結後、台湾民国総統に推されたが辞退し、また日本の樺山資紀の投降勧告をはねつけ、日本軍に抵抗を続けた。義和団事変には湖広へ進んで排外運動につくした。
1911年辛亥革命にあたり広東都督胡漢民の要請により広東民団総長となったがまもなく解散した。15年、日本が突きつけた21ヶ条要求に激怒し、義和軍を組織して
抗日戦を計画したが、実行に移る寸前で排外運動に終始した生涯を閉じた。


候補は多い方がいいと思って、とりあえず清朝のメジャーどころを並べてみた。清朝の場合、他にも名将はごろごろいるが。


161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 21:03:01 ID:bt3urDdg0
なんか6時半頃から過疎ってるが、空気を読まず新ルールを開陳させていただく。

まずは>>121の「中国≠支那で、広い範囲の『中国武将』を選ぶ」を前提に置き、「中国王朝に籍をおいた人物」ではなく
おもに中国国内で活躍した武将、の中から選出する。五胡十六国、金、蒙古、後金、清の異民族武将たちも、中国国内、
あるいは国境付近で中国の武将と戦った人物はすべて候補入りの可能性ありとする。

 選考基準はまず才能ありき。遼の耶律休哥のような境界が不鮮明な武将でも、国境付近で宋軍と戦った実績があり、
実際大勝している実績がある人物は10選入りを認める。

 当時の宗主国と国境が直接つながっていない国に関しても、その国の人物が中国本土において十分な戦功を挙げた(トゥルイの金軍100万人覆滅など)
のであれば10選入りを認める(この場合当時の宗主国は南宋より金であろうから、普通に認める)。

 こんなもんでどうか? 一人で勝手に決めた事だから、どんどん口出し、手直ししていただきたい。

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 21:08:38 ID:4nWwK0O60
>>161
その話は、取りあえず、清代の候補者を確定させてからで良いだろ。
俺は清代詳しくないから候補者を決めるのは、他の方に任せた。

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 21:17:57 ID:bt3urDdg0
とりあえず現状で確定してんのは
奴児哈赤、阿巴泰、施琅、策稜の四人か。
あと一人二人ほしいところだな。とはいえ俺は晩清をほとんど知らん。
とりあえず豆腐屋の英雄宋景詩と言ってみるか。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 21:45:28 ID:0+8myHFo0
>>156-160
候補選定乙。

>・対象となる武将は、近世以前の武将とし、近代以降の軍人は含めない。

普通「近代」といった場合1840年のアヘン戦争以降を指すのだが、
このスレの場合はとくにそれにこだわらず、「馬上の指揮官」であれば
1840年以降でもいいんだよね?



165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 21:51:48 ID:bt3urDdg0
個人的には一応清の滅亡までを考えてるけどどーなんだろ。
劉永福とか僧格林沁とか豆腐屋のお兄さんとか、
アヘン戦争以降にも名将と呼べる人物はいるからいいと思うが。
というかあの時代(アヘン戦争後)こそ中華政権の意地の見せ所だったともいえるしね。
・・・惨敗だったけど。


166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 22:02:40 ID:0+8myHFo0
>>156 の費揚古は名将というにはちょっと不足の気が。
オヤジのコネで軍隊司令官になったわけで、個々の戦場でも
目だった戦績(寡兵で大軍を破るとか)があるわけでもなし。

岡田英弘『康熙帝の手紙』読む限り、ジュンガル戦の功績も
「勝つべくして勝った戦」のような気がする。
それを言ったら乾隆年間の征服戦も圧倒的兵力で突き進んだわけで、
個々の武将の力量というのもあまり影響していない。


167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 22:03:42 ID:0+8myHFo0
>>156 の費揚古は名将というにはちょっと不足の気が。
オヤジのコネで軍隊司令官になったわけで、個々の戦場でも
目だった戦績(寡兵で大軍を破るとか)があるわけでもなし。

岡田英弘『康熙帝の手紙』読む限り、ジュンガル戦の功績も
「勝つべくして勝った戦」のような気がする。
それを言ったら乾隆年間の征服戦も圧倒的兵力で突き進んだわけで、
個々の武将の力量というのもあまり影響していない。


168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 22:08:07 ID:0+8myHFo0
うわ、間抜けなことに・・・ゴメン orz

清滅亡を下限とするなら、サンゴリンチンは当確と思う。


169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 22:17:06 ID:4nWwK0O60
現行ルールの時代区分だと1912年までですな。
ただ、英国や仏蘭西の近代軍人と戦った人物を
将とするか軍人とするかは明確にしないといかんの
ではないでしょうか。



170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 22:20:58 ID:asB6HySG0
>>169
>英国や仏蘭西の近代軍人と戦った人物
将でいいんでない?
近代軍人と戦った人物が皆近代軍を率いていたわけでもあるまい。

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 22:25:58 ID:bt3urDdg0
奴児哈赤、阿巴泰、施琅、策稜に僧格林沁入れて5名。
時間枠の改編を忘れてたから奴児哈赤が(つーか後金)入るかどうか微妙だが、
王朝発足時から選んで良し、とすれば奴児哈赤OK。
確定組五人が揃ったところであとは春秋戦国に戻っての確定決めだが、
その前に新ルール(というか改変ルール)について議論する、ということで諸兄、了解?

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 22:31:16 ID:asB6HySG0
洪承疇が候補に入ってないのは納得いかないなあ。

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 22:36:02 ID:bt3urDdg0
>>172
略歴紹介して候補入りを宣言すればいいんでない?
とりあえず基本ルールに、
「推挙する武将については、その理由を述べること」ってあるし。

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 22:38:53 ID:0+8myHFo0
>>172
そうだそうだ、なんで洪承疇忘れてたんだろ?
てか、結局満洲旗人はゼロになりそうですな。

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 22:54:58 ID:bt3urDdg0
う〜ん、俺が書いていいんかな?
洪承疇
明末清初の将軍。呉三桂の前任。早くから清に降り清朝のためにつくしたが
報われたとはいいがたく、その人生は概して不遇であった。
・・・こんなもん?

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 23:04:51 ID:0+8myHFo0
洪承疇(1593〜1665)
 福建安南の生まれで万暦年間の進士。各地の巡撫・総督を歴任し、
 陝西の流賊反乱軍を鎮圧し、李自成らを退けた。
 崇禎年間に大軍を率いて清軍と対峙するも敗れて清に降伏。
 順治年間に大学士となり、華南の征服戦に多大なる貢献を果たす。
 南明政権を追い詰めるが、順治18年に致仕。

よく考えたら清に大敗してるんだな。これは大きなマイナスだな。

177 :175:2007/01/07(日) 23:08:17 ID:bt3urDdg0
やっぱ俺が出しゃばる必要なかったな。余計な真似してゴメン。

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 23:12:50 ID:0+8myHFo0
>>177
いえいえ、こっちもリロードせず書き込んでしまった。
洪承疇は面白い人物だけど、名将っていうか、政治家っぽい
側面(進士だし)ももちあわせてるんだよね。
それはいいとしても、清に一度負けていることが気になるなあ。


179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 23:15:29 ID:0+8myHFo0
>>175
ところで参考までに聞きたいんだけど、
>>156-160 は列伝みてまとめているの?



180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 23:22:37 ID:bt3urDdg0
もしそうだったら漢文自由自在で大助かりなんだけどね。
一応正史列伝も読むけど斜め読み程度。
あとはアジア歴史事典と東洋歴史大辞典から引っ張ってきてる。
列伝2割
自前の記憶2割
辞典からの引用6割ってとこ。
洪承疇の2行は自前の記憶から引っ張ってきた。概要ぐらいはまぁ憶えてるし。

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 23:29:29 ID:ydEXK/n+0
負けてるっていったら岳鐘hとかも負けてなかったっけ?
三国〜晋の確定組の曹操なんて赤壁とかやらかしてる訳だし
隋唐の李世民も負けてるぞ(部下のせいにしたけど)

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 23:31:31 ID:m3HHxjG40
大功あげて不敗のやつなんかめったにいないだろうしな

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 23:36:48 ID:bt3urDdg0
雍正帝のときにジュンガル軍と戦って負けてるね、岳鐘h。
乾隆帝期に復権、大金川の叛乱を平定して以前の負けを取り戻してるけど。
なにより不思議なのは厳格苛烈な雍正帝がミスした岳鐘hを殺さなかったこと。
年羹堯とかはあっさり自殺させられてるんだが。

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 23:36:53 ID:0+8myHFo0
>>180
レスどうも。アジア歴史事典持ってるうらやましい・・・
自分は北京旅行したときに買ってきた人物事典くらいしかない。

ところで各時代の「確定」って何人までオッケーなの?
余裕があればだけど、
明清で大学士になって北と南で活躍した洪承疇は入れてもいいかも。

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 23:41:11 ID:bt3urDdg0
10人以内なら何人でも、と言いたいが基本的にあとで入れ替えがあるから、
まぁ最初の段階では一時代に5、6人じゃない? 一気に10人決めるとあとが苦しくなるし。


186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 23:57:48 ID:0+8myHFo0
>>171 奴児哈赤、阿巴泰、施琅、策稜、僧格林沁

では清代の候補はこれ+1ぐらいかな。
誰か候補いませんか?(洪承疇?)

ところで阿巴泰が確定になった理由を教えて。


187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 23:59:28 ID:asB6HySG0
>>176
僧格林沁も反乱軍に敗死してるんだから、
一度くらいの敗戦は大目に見ようや。

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 00:00:17 ID:k9cHV6vm0
>豆腐屋の英雄宋景詩

これも+1候補ですね。

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 00:14:35 ID:LKoNrYsf0
>>186
阿巴泰を確定にした理由。 崇徳元年、アジケらとともに明伐戦に参戦、五十六戦して全勝、10城を落とし俘虜10数万を獲る。
ついで5年十月、再び明伐。88城を抜き6城を降し36万人の俘虜を得た。順治元年、饒餘郡王に進められる。康熙十年、敏と謚された。
・・・いくら弱体した南明相手とはいえ、生涯に五十六戦全勝、しかも96城を陥として50万人近い俘虜を得たんだから、
これはもう破格の名将といって差し支えないと思う。
特に欠点らしい欠点もないし、多爾袞が大本営指揮官、阿巴泰が実戦担当と考えるとちょうどいいのでは?

190 :186:2007/01/08(月) 00:16:51 ID:k9cHV6vm0
>>189
こりゃすごい戦績ですね。
納得しました。

191 :186:2007/01/08(月) 00:24:08 ID:k9cHV6vm0
奴児哈赤、阿巴泰、施琅、策稜、僧格林沁

が確定として、あとは洪承疇と宋景詩を推してる人がいるんで、
とりあえずこの7人を清の名将として暫定的ですが決定しますか?
あくまで暫定ということで、この先より説得力・熱意のある推薦者が
現れれば話し合うということで。いかがでしょう?

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 00:29:23 ID:LKoNrYsf0
いいのでは?
って俺一人が納得してもなぁ。
息を潜めて趨勢を見守ってる方々、ここは決断のしどころですぞ?

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 00:30:28 ID:Gyi43SFP0
左宗棠はどうだろう?
誰も名前を挙げていないのが不思議なんだが。

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 00:35:21 ID:k9cHV6vm0
最初は「近代(1840)以降に活躍したからかな」と思っていたが・・・

どうやら清末に特に思い入れがある人がいないからっぽいw



195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 00:35:43 ID:LKoNrYsf0
左宗棠入れるなら林則徐のほうがよくないか?
ただ硬骨なだけの政治家という勿れ、
保守的な清朝にあってポルトガル砲や洋式銃を輸入して
西欧列国に対抗しようとした戦略眼は並々ならぬものがある。
第一次アヘン戦争では見事イギリス軍を撃退したし。
二度目はなかったけどな、さすがに。

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 00:38:20 ID:k9cHV6vm0
清末は詳しくないんで、みなさんのご意見に従います。
議論をどうぞ。

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 00:49:00 ID:LKoNrYsf0
>>196
つーことは、
それはつまり現状の7人確定で清朝の暫定候補決定、
新規(というか追加)ルールの議論に入って良し、ということかな?
前スレ1のルール三条に、新規(追加)ルールを上書きということで。
ちなみに追加ルールは>>161ね。
もうひとつ付け加えるなら、
異民族国家や征服王朝の武将はその時代の最初から選抜して良し、という時間枠を設定したい。

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 00:53:06 ID:k9cHV6vm0
よろしいのではないでしょうか。
そのうち清末により詳しい方も参加されると思いますし。

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 00:58:01 ID:ccC5uxEZ0
異民族国家といっても、ある意味春秋戦国時代からして
該当する気がしないでもない。

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 01:04:16 ID:LKoNrYsf0
では皆さん>>161を読んで吟味していただきたい。
一人で勝手に作り上げたルールだから無意識的に好きな時代を贔屓してるってこともあるだろうし、
そこんとこを指摘してもらってルールを改定、
五胡十六国、遼、蒙古、後金などの異民族国家、征服王朝の武将がすんなり受け入れられる完成版にしていきましょう。
>>199
確かに。だから本来中原国家に「異民族」なんて括りはいらんはず。
まぁ匈奴とか柔然とかは別問題として。
そこんとこを煮詰めていきましょう。ぜひとも。


201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 01:14:30 ID:ccC5uxEZ0
中華思想の国を以て中国と為すの?
中国での異民族ってのは、人種ではなく
未開人・蛮族って意味であって、そのため
騎馬民族が異民族とされるんだよね。

それでなければ単純に支配地域で中国
としますか?

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 01:15:11 ID:k9cHV6vm0
>後金、清の異民族武将たちも、中国国内、
>あるいは国境付近で中国の武将と戦った人物は
>すべて候補入りの可能性ありとする。

この場合の「中国の武将」というのは、漢族ではなく異民族も含むんだよね。
たとえば後金の費英東なんかは、同族の女真族(満洲族)との
戦闘で主に武勲を挙げた人物なんだけど。

203 :200:2007/01/08(月) 01:16:55 ID:LKoNrYsf0
異民族なんて括る必要はない、というのは例えば呉王闔慮。
中原からは遥かに遠く、蛮族どもの国と蔑まれながらも、
春秋五覇の一人にまでなった男。
才能と実力でのしあがった人物の代表みたいなもんです。
後世の異民族がそれを模倣して何が悪い? いや、悪くない(反語)というのが俺の持論。
さぁ、議論しましょう。・・・ちょっと眠いけど明日も休みだ、大丈夫。

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 01:26:11 ID:LKoNrYsf0
>>202
もちろん異民族同士の抗争で名を上げた将帥も含まれるはず。
誰と戦ったか、ではなくどれほどの将才があったか、が問題なわけだから。

>>201
ちょいと乱暴ながら中原に乗り込んだ異民族はその時点ですでに中国武将と称していいかと。
そうでないと五胡十六国の一部の国なんかは中国国内に版図を持ちつつも中華国家ではないとされてしまうので。
とにかく中原国家と対決姿勢をとった時点でその国も中国の一部、と断ずるぐらいの切り口でいいのではないかと主張します。


205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 01:30:58 ID:k9cHV6vm0
現代の中華人民共和国の版図内に過去に都を置き
支那風の国号をもつ王朝、
およびその王朝に直接に結びつく先行政権において、

優れた軍略の才をもち、実際に軍隊を率いて、多くの功績を挙げた人物。
(配下の兵士に慕われればなお良し)

という定義はどうだろう。

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 01:35:45 ID:k9cHV6vm0
205の定義だと、遼も金も西夏も入るし、
元の先行政権ということでそれ以前のモンゴル帝国も含むことができる。
清の先行政権の後金も入るし、

一方で高句麗とかベトナム、新疆のイスラム政権は対象外。

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 01:38:48 ID:LKoNrYsf0
>>205
いいですね、その定義。
それなら蒙古→元、
後金→清と繋げることにほぼ問題はなくなる。
(創業期の国家には将才と人望を兼ね備えた人物が多く排出するし)
ただ、燕雲十六州の契丹はどうするべきか。
俺が定義した「国境地帯で中華国家と戦い勝利した人物」でいけるかな?

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 01:44:49 ID:k9cHV6vm0
契丹=遼では駄目なんだっけ?

燕雲十六州って、現代だと中華人民共和国ではない?


209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 01:45:54 ID:LKoNrYsf0
あ、現在の中国の版図だと遼も入るのか。
グレイト。申し分ないですな。これを新規ルールとすることで問題ない?
結構短期決戦で議論終息しましたな。

あとは春秋戦国に戻って、時代ごと10人に増やす、削るの作業だけか。

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 01:49:21 ID:k9cHV6vm0
えっ、205の定義でいいのかな?

まあ、明日以降に他の人にもチェックしてもらいましょうか。

今日は落ちますね。おやすみなさい・・・

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 01:57:39 ID:LKoNrYsf0
>>205の定義が完全であるかどうか他の有志たちにも諮ってもらうとして、
俺も寝ますかね。連休だからといって延々起きてるのも体に悪いし。

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 02:00:59 ID:ccC5uxEZ0
205の定義だと、古い時代の方に無理が出るような。

好きなこと書いて、俺も落ちるけど。

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 02:01:48 ID:I2J5S0VT0
そこまでいくと、もう中国の武将じゃあねえよなあと思ってしまう。
遼もモンゴルも後金も、当時の中原王朝からは明確に外国扱いされているんだがなあ。

ここまでの流れは「この人物を入れたいから定義をここまで拡大しよう」みたいに見受けられる。
そのあたりを語りたいのなら「中国で活躍した外国人武将」スレでも立てたらと思う。

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 02:23:19 ID:AAsiG5VE0
>>129を書いたものなんだが。

>>129で書いたとおり異民族武将とか異民族政権だからどうこうと言うのは無いし、
除外はやりすぎだとは思ったが、戻ってきてみると意外な方向に話が進んでて驚いた。
先行政権までとは、ちと無秩序に拡大しすぎなんじゃないか?

>>129で俺が言いたかったのは、基準が存在するのだから、まずそちらに照らし合わせ、
それに従って粛々と選考を進めようと言う事なのだが・・・。

また、新規ルールを作るにしても数時間で決定では議論の時間が短すぎると思う。
用事や仕事がある人も多いンのだから、最低でも一日位は置いた方がいいんじゃないか。

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 02:45:58 ID:vXfaXOHi0
現在の確定武将

楽毅    (燕)
魏無忌   (魏)  ※信陵君
白起    (秦)
李牧    (趙)
王翦    (秦)
韓信    (前漢)
霍去病  (前漢)
衛青    (前漢)
灌嬰    (前漢)
曹操    (後漢)
ケ艾    (曹魏)
石勒    (後趙)
祖逖    (東晋)
王猛    (前秦)
劉裕    (劉宋)
檀道済   (劉宋)
韋叡    (梁)
陳慶之   (梁)
拓跋珪   (北魏)
高歓     (北魏)
宇文泰   (北魏)
楊素     (隋)
李世民    (唐)
李孝恭    (唐)
李靖      (唐)
李勣     (唐)  ※徐世勣
裴行倹    (唐)
郭子儀    (唐)
李克用    (唐)
朱温     (後梁)
李存勗    (後唐)
郭威     (後周)
柴栄     (後周)
趙匡胤    (北宋)
曹彬     (北宋)
楊業     (北宋)
狄青     (北宋)
宗沢     (南宋)
岳飛     (南宋)
完顔宗望  (金)   ※斡魯補(オリブ)
孟[王共]  (南宋)
拡廓帖木児 (元)   ※ココ・テムル
徐達      (明)
常遇春    (明)
朱棣      (明)  ※永楽帝
戚継光    (明)
袁崇煥    (明)
奴児哈赤   (後金) ※ヌルハチ
阿巴泰    (清)   ※アバタイ
施琅      (清)
策稜      (清)  ※ツェリン
僧格林沁   (清)  ※センゲリンチン

計52名
後漢建国連中が確定してない?
ヌルハチは定義によっては外れる?


216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 06:51:47 ID:lvEcNuyCO
>>205
つまり吐蕃もアリ?

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 06:52:18 ID:NAKHXe030
どうも文禄慶長の役の明側はそれほど優れた将はいないみたいですね
日本はほぼオールスターな感じなのに

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 08:37:48 ID:4IbGAhxk0
>>203
そもそも当時漢民族というくくりが存在してないし
呉楚越の姓名も中原と変わらないから
それを持ち出して蒙古や女真と同じように扱うのはおかしすぎると思うな
日本語と中国語並に根っこから異なる言語を話す人種なんだし

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 09:03:35 ID:/mQ1WrzGO
>>217
日本側は秀吉がマジで明を攻め滅ぼし大名にその領土を与えようとしてたから。
明側は朝貢の見返りに金・絹などを与えたり、
領土を侵されたらそれを救護しる義務があるから。
日本は戦時態勢にあったが、明は平和ボケしてたので有能な武将が少なかったのでは?
自国も乱れていたことだし。

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 10:10:58 ID:iaqH3bh50
遼は微妙かもしれんがモンゴルは明らかに中国じゃないな
後金は・・・遼東はやはり中国の外と認識されていたのか?

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 10:24:14 ID:wRHn2Luk0
先行政権・・・別段無理はないと思うが。
中国国内で活躍した武将=中国の武将、基本的にこれで問題ないのでは?
確かに清末あたりの西洋から中国にやってきて活躍した武将はスレ的におかしいだろうけど。
あとは春秋戦国時代などの分裂期における新ルールの定義を決めたいと思うが、どうか?

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 10:48:18 ID:wRHn2Luk0
連投。
モンゴルはないってことはないだろ。
元のフビライからして元来モンゴルの皇族なわけだし、途中で王朝の流れが止まったわけでもない。
中国で活躍した外国人武将スレ、を作らずに外国人武将をこのスレ内に組み込むのが新ルールの眼目であって、
独立した別スレを立てるのは本末転倒。実際異民族武将だけでは数に限りがある。
モンゴルに話を戻すとチンギス時代まで遡ると確かに齟齬が出るかも知れんが、
オゴタイ期以降、金との対決姿勢を明らかにした後なら問題ないのでは?
金に取って代わって中原に王朝を立てようとしたのだから。

>>214
確かに、煮詰めることなく数時間で新ルール確定、なんて言ったのはまずかったな。
やはりある程度長い時間をかけて、侃侃諤諤の議論にかけることは必須条件だった。批判も含めて。

さて、分裂紀におけるルール・・・どう手をつけるべきか。

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 11:16:55 ID:wRHn2Luk0
さらに連投。
蒙古と南宋が組んだ蔡州の役が太宗オゴタイの6(1234)年、この時期には
ある程度モンゴル帝国の体裁も整ってた。
で、トゥルイの活躍はオゴタイの4(1232)年。伐金戦のたった2年前。
スブタイにいたっては定宗3(1248)年まで生きてる。
正式な元の成立は1260年からだが、その空白期間はわずか2、30年でしかない。
それをモンゴル=斬り捨てとするのはあんまりじゃないか?
言語が違うというならのちの元の名将、阿朮もモンゴル語以外は話せなかったわけだし。

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 12:26:16 ID:wRHn2Luk0
四連投。いい加減にしろとか苦情が来そうだが・・・
俺が出てきた時点でみんな退避したのか? 誰もレスしないってことは。
とりあえず、分裂期における名将の定義
将兵を慈しんで慕われ、敵からも尊敬を受けた
成否に関わらず、分裂国家の統一に奔走した
純軍事的に領土を拡大した。あるいは敵から国土を守りぬいた
・・・なんか普通に名将の条件だな、これじゃ。
   他に分裂期だけに適用される名将の条件があったらよろしく。

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 13:21:58 ID:lvEcNuyCO
>>222-223
元を特別扱いしすぎでしょ
フビライは歴としたモンゴル帝国の五代目のハーンだし、元はモンゴル帝国の国号なんだし
それに1260年は元の成立じゃなくてフビライの即位だよ
元の成立は1271年(まあ1260年とする場合もあるけど)

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 13:29:51 ID:WP+RBqbD0
>>216
吐蕃はシナ風の国号を持っていなかったのでアウトだろ

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 13:56:21 ID:I2J5S0VT0
>>221
その新ルール自体に反対しているのだが。
だからそういうことを語りたいのなら新スレを立てればいい。

>221で中国国内で活躍した武将といっておきながら理由もなく西洋人は除外と
かってに決めたり。はっきりいって、君個人がモンゴルを加えたいためだけに
新ルールを持ち出したとしか思えない。

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 14:04:19 ID:HPYsMVEr0
>>227
西洋人除外、はあくまでアジア圏内にとどめたかったから。
西洋人入れると世界史スレになりそうだし。

実際モンゴル入れたくて新ルールを利用してるのは確かだから返す言葉もないのは確かだけどね。
でも新ルールのほうが柔軟性に富むと思うのもまた事実。
前スレでさんざん議論された耶律休哥もこのルールを適用すれば確実に入るし。

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 14:21:33 ID:HPYsMVEr0
>>225
元はモンゴル帝国の国号=モンゴルと元をあえて区別する必要はないってこと?
だったら嬉しいが、俺の勘違いだったらすまん。


230 :121=205:2007/01/08(月) 14:48:35 ID:k9cHV6vm0
勝手に定義を提案したものです。

自分としては「中国史」といった場合、モンゴルもキタイもマンジュも
全部含めてイメージしてしまうので、そこの武将を「中国武将」と認識
するのに違和感はないのですが、「中国史」を「支那史」に限定して
イメージする人が多いのにも納得できます。

ただ「支那史」に限定すると、じゃあ鮮卑系の北朝隋唐はどうなんだ、とか
そもそも「中原」の概念すら時代によって伸縮しますので、ここはおおらかに
>>205 を提案した次第です。

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 15:13:20 ID:I2J5S0VT0
>>230
中国国内に立てられた政権だから問題ないよ>北朝隋唐
民族を問題にしているのではないよ。所属した国籍(これも近代的な概念だがあえて他の言葉が
みつからないので)が問題だと言っています。

中国王朝に仕えたモンゴル人もキタイ人もマンジュ人も中国武将でいいと思いますよ。
でも中国政権ではない明らかな外国扱いの国に仕えた武将を中国の武将扱いには出来ない
でしょう、と言っているんです。
山田長政は、シャムに仕えた「シャムの日本人武将」ですが、日本の武将だと言えますか?
逆に日本に帰化して幕府に使えたイギリス人三浦安針を、日本の政治家ではなくイギリス
の政治家だなんて言えますか?

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 15:13:55 ID:lvEcNuyCO
>>229
区別するもなにも基本的には同じものじゃん
モンゴルが弾かれるのは、中華王朝の定義の範囲の都合でしょ
そりゃ征服王朝かつ世界帝国なんだから定義の仕方によっては中華王朝じゃなくなる

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 15:15:22 ID:7I247Mkx0
新ルール完全版を作ってくれた大恩人の登場だ。ひれ伏さねば。
俺一人だったら本当にただモンゴルから数名入れたいだけの案にしかできなかっただろうし、
230氏には感謝してもしきれないものがある。
こっから本格的に議論しましょう。大哥。

234 :121=205:2007/01/08(月) 15:19:58 ID:k9cHV6vm0
>>231
後半部分はまったく異論ありませんが、
すいません、「中国国内」「中国王朝」っていうのは、
どこら辺を想定していますか?

たとえばチンギス期のモンゴル人武将や、ヌルハチ・ホンタイジ期の
マンジュ・モンゴル武将はアウトとお考えですか?

235 :121=205:2007/01/08(月) 15:23:13 ID:k9cHV6vm0
>>233
えーっと、賛同してくれるのはありがたいのですが、
自分でも粗い定義(清末の西洋人武将のことはすっぽり抜けてたし)
だと思いますんで、あまりとらわれずに議論してください・・・


236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 15:40:30 ID:7I247Mkx0
161で新規ルールの荒い版を出したのは俺なわけだが、
まずそれをここに挙げさせていただく。

まずは>>121の「中国≠支那で、広い範囲の『中国武将』を選ぶ」を前提に置き、
「中国王朝に籍をおいた人物」ではなく おもに中国国内で活躍した武将、
の中から選出する。五胡十六国、金、蒙古、後金、清の異民族武将たちも、中国国内、
あるいは国境付近で中国の武将と戦った人物はすべて候補入りの可能性ありとする。

 選考基準はまず才能ありき。遼の耶律休哥のような境界が不鮮明な武将でも、
国境付近で宋軍と戦った実績があり、実際大勝している実績がある人物は10選入りを認める。

 当時の宗主国と国境が直接つながっていない国に関しても、その国の人物が中国本土において
十分な戦功を挙げた(トゥルイの金軍100万人覆滅など)のであれば10選入りを認める
(この場合当時の宗主国は南宋より金であろうから、普通に認める)。

 …というのが当時の俺が考えた定義。これに追加して
 武将はあくまでアジアに限定、基本的に現在の中国領に準拠した土地の武将のみから選出し、
清末の西洋人武将は含めないこととする。

 すべての時代からまんべんなく武将を選出する、という基本ルールに則り、遼、モンゴル、後金
など現在の中国領土で活躍した武将たちからも平等に選考する。

 これに205氏の定義を重ねればおおかた平等な選考が可能だと思うが、どうか?

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 15:44:25 ID:7I247Mkx0
ちょいと訂正。
現在の中国領の武将からのみ

中国領及び、中華国家に軍事的・文明的影響を及ぼした周辺国家の武将から
に変更。

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 15:49:15 ID:AAsiG5VE0
う〜ん・・・
チンギス期のモンゴル人武将に思い入れのある人の気持ちも理解できんでは無いんだが。

じゃあ、マッカーサーや、沖縄戦司令官のバックナー中将は日本軍人かね?
もしも警察予備隊や自衛隊に所属したアメリカ人がいたとすれば、彼らは日本軍人かどうかの
検討に値すると思うが。

俺は>>231に賛成。
民族によって除外は大反対だが、例えば「中華政権成立以降」といような区切りを設けた方が良い。
「無制限に先行政権まで認める」のは反対。

中華政権成立以降といっても、その時実績のある武将まで含めるか、在籍・存命まで含めるかといった
細かい区切りをどこにするかの話合いには賛成。

その結果、スブタイやトゥルイも入れてよし、となれば候補に入れるべきだと思う。

239 :231:2007/01/08(月) 15:53:19 ID:I2J5S0VT0
>>234
あくまで個人的な考えですが。
中国国内>いわゆる秦および漢(西域やベトナムの辺りを除く)の領域かな。もちろん
時代によって変化、拡大しているものですが。チベットやモンゴルは現在は中共の
領土内ですが、だからって過去にさかのぼって中国扱いはできないと思います。
(政治的にはまた別の話)
日本にとっての沖縄や北海道みたいなものですか。

中国王朝>基本はこの範囲に拠点を置いて(首都)支配した王朝、ですか。
ただ侵略王朝は難しい。おおざっぱな考えですが、国号・元号など中華王朝の体裁を
整え、かつ中原を支配できれば中国王朝扱いでもいいかなあと思う。江南の亡命
政権(六朝、南宋)は別ね。
五胡は中国内(長城以南)で国を建てているからOK。遼はアウト。金は少なくとも精康
の変以後(首都を問題にすると海陵王以降になってしまうな)。清は入関以降、後金は
アウト。モンゴルはフビライの即位ないし元朝成立以降、フビライの支配下に入った人達。
それ以前のモンゴルはやはり外国扱いかと。

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 15:59:30 ID:iaqH3bh50
>>236
宗主国云々の意味がよく分からんのだが 

チンギス期のモンゴルや後金を入れるということは冒頓やエセンなんかも
入れてもいいってことか?

241 :231:2007/01/08(月) 16:02:05 ID:I2J5S0VT0
追加。
征服王朝の樹立に貢献した武将は、入れてもいいんじゃないかと思ってます。
例えば精康の変で活躍して中原を征服した金の武将たち。入関以降、李自成を
撃破して中国を征服していった清朝初期の武将たち。あくまで中国征服に貢献
した武将だから、モンゴルだったら金を征服したトゥルイやスブタイは入るが
ロシアや中東で活躍したバトゥたちは入らない。

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 16:05:29 ID:7I247Mkx0
>>240
その当時中原を支配していて他国から歳貢を受けていた国。
だから当時は南宋から歳貢を受けていた金が宗主国と考えているが。

243 :242:2007/01/08(月) 16:10:27 ID:7I247Mkx0
>>240つづき
チンギス期のモンゴルを入れるとは言ってないよ。
というかモンゴルが国家としての体裁を整えたのはオゴタイ以降で、
それ以前はひたすら征服欲に突き動かされて膨張を続けていた
国家というには少し語弊がある存在だったので。

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 16:11:24 ID:q3aW16fg0
現在の中華人民共和国の範囲内で活躍した武将。
吐藩・西夏・遼・金も範疇に入れる。
元は、現在の中国国内で活躍した武将。
(ここら辺は知識不足のため、なんともいえませんが・・・)
という簡単な定義でいいと思うのですが、駄目なんでしょうか?

元は中国の外から来た王朝ですが、現在の中国が
しっかりと組み込まれています。
それで考えれば中国出身か、現在の中国の範囲内で活躍した人
とすればいいのではと愚考するしだいですが?


245 :231:2007/01/08(月) 16:22:19 ID:I2J5S0VT0
>>244
その理屈だと、チベット方面で活動したロシアやイギリスの軍人たち、同じく
日清・日露で活動した日本とロシアの軍人たちも中国武将として扱うと?
ティムールは拠点こそ離れているが間違いなく現中国領で活躍しているので彼
も中国武将扱いすると?そういやアレクサンドロスもチベット方面まで進出して
きていたな。あれは手前で引き返したのだったか?とにかく現中国領で活動して
いたら彼も中国武将扱いか?

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 16:34:58 ID:7I247Mkx0
せっかく議論が白熱してきたところに水を差して悪いが・・・。
エセンは10傑候補に入れてもいいと思う。相手が放蕩バカ皇帝だったとはいえ、
統率力、戦闘力ともに十分だろ。
ただまぁ、エセン入れるとどうしても于謙を入れる必要が出て、
明の10人枠にそんな余りはないからせいぜい候補どまりだろうが。

247 :244:2007/01/08(月) 16:39:50 ID:q3aW16fg0
>>245
>>1さんが清末など近代以降の軍人は入れないと言ってるから
それは暗黙の了解だと思っていたが、すでに白紙の状態?

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 16:46:04 ID:7I247Mkx0
>>1
の基本ルール3条は健在のはず。
俺たちはその上で新ルールを模索しているわけで。

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 16:50:41 ID:ccC5uxEZ0
>>247
春秋戦国〜漢代あたりの騎馬民族も中国武将扱いするって
いうことでもあるんですけど。

250 :121=205:2007/01/08(月) 16:50:53 ID:k9cHV6vm0
>>239
レスありがとうございます。
100人というくくりがあるので、やっぱりチンギス期やヌルハチ・ホンタイジ期の
武将は100傑からは外して、「参考武将」にとどめておいたほうがいいかも
しれませんね。

>>246
「支那風の国号をもつ王朝に仕えて」という条件を入れたらどうでしょう?

>>247
このスレで言う「近代以降」は「1840年以降」ではなく、
清滅亡(1912)までを指すらしいですが・・・?

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 16:59:49 ID:7I247Mkx0
>>250
確かにエセンは支那風の国号を持つ王朝に仕えてはないな。
ハーンだし、蛮勇ならトップクラスだと思うが。

さて、まだ語り足りない人いる?
おれは征服王朝の功労者、拖雷と速不台がオッケーってことで
すでに大満足なんだが、みんな満足した? 満足なら、各時代の10選に移ろうか。
まず春秋戦国から。

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 17:04:28 ID:7I247Mkx0
春秋戦国
【確定組】
 楽毅
 魏無忌(信陵君)
 白起
 李牧
 王翦
【候補】
 墨子、管仲、呂尚、孫武、伍員(子胥) 、廉頗、孫ビン、夫概、趙奢、士会、
 趙奢、趙無恤、王子成父、先軫、楚の荘王(熊侶)、蒙ゴウ、司馬錯、樗里疾
 ・・・伍子胥と呉起は確定確実だと思うが、人格的に忌避されてるのか? 呉起の名前がない。

253 :121=205:2007/01/08(月) 17:05:48 ID:k9cHV6vm0
まとめるとこんな感じでいいですか?

@清滅亡(1912)以前の武将であること
  (いわゆる制式軍隊の軍人は不可)
A現中華人民共和国の領域内に都を置き、
 支那風の国号を持つ王朝に所属して、活躍した経歴であること
  (王朝の樹立に貢献した場合は可、先行政権治下のみの活躍は不可)
B実際に軍隊を率い、軍略に優れ、多くの戦功があること
  (配下の兵卒に慕われていればなお望ましい)



254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 17:11:13 ID:7I247Mkx0
また先走ってしまった。いかんなぁ、よくない癖だ。
現在議論終盤、と。

255 :244:2007/01/08(月) 17:14:00 ID:q3aW16fg0
>>253さんに感謝
それで賛成です。自分の言葉足らずに嘆くばかりです。


256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 17:15:08 ID:AAsiG5VE0
>>251
 >みんな満足した? 満足なら、
 ちょっと非常識すぎないか?
 みんなで話し合うスレなんやから、返事くらいちゃんと聞こうや。
 ただでさえ異民族武将には抵抗感のある人も多いんやからさ。

>>253
 おおむね賛成。
 清滅亡まではちょっと長いかな?という気もするけど、軍用機の実用前でもあるしね。

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 17:15:48 ID:AAsiG5VE0
>>254で反省しておられたか。失礼した。

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 17:17:29 ID:vXfaXOHi0
いや、それより>>215の52名は確定なんだから(だよね?)
残りの48人を候補枠から選んだ方が早いかと
(つーか後漢の確定武将も決めるほうが先か?)

現在の候補武将

 墨子、管仲、呂尚、孫武、伍員(子胥) 、廉頗、孫ビン、夫概、趙奢、士会、
 趙奢、趙無恤、王子成父、先軫、楚の荘王(熊侶)、蒙ゴウ、司馬錯、樗里疾

 項籍(羽)、周文、蒙恬、章邯、項梁、彭越、英布、田横、
 周亜夫 、李広、李陵、趙充国、范明友、陳湯、劉邦

 周瑜、劉曜、慕容垂
 陶侃、石虎、謝艾、慕容恪、桓温、謝玄、姚萇、李雄、皇甫真
 劉淵、劉聡、冉閔

 柳元景、蘭欽、奚斤、楊大眼、元英、周盤龍、
 斛律光、慕容紹宗、宇文護、韋叔裕、李弼
 段韶、高長恭、爾朱栄、王勇、沈慶之、陳顕達
 赫連勃勃、拓跋Z、侯景(宇宙代将軍)
 蕭道成、斛律光、陳覇先

 韓擒虎、賀若弼、張須陀、竇建徳、楊義臣、李密、劉黒闥、
 薛仁貴、高仙芝、顔真卿、張巡、王式、黄巣、高駢
 李存孝、安録山、薛礼、劉方、蘇烈、劉仁軌、李光弼、史思明、李愬

 周徳威、郭崇韜、王彦章、郭言、楊師厚、劉?、康延孝、符存審、
 任圜、李神福、台濛、周本、孟堅、張彦卿、陸孟俊、劉仁贍、張武、
 王環、趙季良、蘇章、潘崇徹、銭弘佐、顧全武、張元徽、李瓊

 李庭芝、忽必烈(フビライ) 、完顔宗弼(ウジュ) 、伯顔(バヤン) 、
 阿朮(アジュ) 、韓世忠、杜杲、張弘範、范仲淹、チュウ師道
 張俊、呉?、呉リン、劉リ、虞允文、李顕忠、楊存中、僕散忠義
 徒単合喜、宗翰(ネメガ)、耶律斜軫、史天沢、兀良合台(ウリャンハタイ)
 劉整、張弘範、脱脱(トクト)、呂文煥

 朱元璋、陳友諒、方国珍、湯和、李文忠、藍玉、于謙、兪大猷、王守仁
 呉三桂、李自成、鄭成功、馮勝、張輔、張士徳、馬芳

 多爾袞(ドルゴン) 、費英東(フィヤントン)
 康熙帝・玄Y、岳鐘h、宋景詩 、関天培、
 明亮、楊遇春、李長庚、関天培、李秀成、石達開、劉永福

現在候補で178名いる
多分、1/3ぐらいはすぐに減らせると思う。結構「コイツは要らなく無い?」って意見があった武将は多いから

あとは後漢の
劉秀、耿エン、馮異、岑彭、呉漢、廉范、班超、張奐、虞[言羽]、賈復または馬援
は取り敢えず何処まで確定にする

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 17:20:22 ID:vXfaXOHi0
>>258>>252宛ね

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 17:24:01 ID:ccC5uxEZ0
>>253
Aの部分で五胡十六国時代の五胡の国は該当しないし、
金・元・遼あたりが支那風の国号かどうかが微妙だ。

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 17:33:32 ID:iaqH3bh50
>>253
先行王朝での活躍と王朝樹立への貢献は分離できるのか?
モンゴルでいえば(というかモンゴルしか該当しないが)
トゥルイは貢献したがチンギスはしてない、となったりしたら
それはなんかおかしいと思うが

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 17:37:41 ID:/mQ1WrzGO
蒙古から元の国号に決めた時の経緯を引継ぎ、明・清は国号を定めたんだけど・・・

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 17:53:30 ID:ccC5uxEZ0
戦乱期の終結後に、統一された勢力圏を以て中国と
する手もあるな。
対象とする武将は、その国に所属していた人間とす
る。

三国〜両晋・南北朝は、隋初の勢力圏
五代〜北宋・遼 南宋・金〜元は、明初の勢力圏

更にその勢力圏の国から、中華思想の国以外は除外
するとしてもよいかも。

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 17:56:49 ID:7I247Mkx0
>>263
すでに完成してる時間枠を今更になって
いじると余計わかりづらくなると思うよ。
確定してる時間枠で十分。

265 :263:2007/01/08(月) 17:59:52 ID:ccC5uxEZ0
>>264
時間枠は変更しない、武将の所属している勢力の話ね。

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 18:01:12 ID:7I247Mkx0
統一秦〜後漢落としますね。
統一秦〜前漢
【確定組】
1.韓信
2.霍去病
3.衛青
4.灌嬰
5.未定
6.未定
7.未定
8.未定
9.未定
10.未定
【候補】
 項籍(羽)、周文、蒙恬、章邯、項梁、彭越、英布、田横、
 周亜夫 、李広、李陵、趙充国、范明友、陳湯、劉邦

新・後漢
1.劉秀
2.耿弇
3.馮異
4.岑彭
5.呉漢
6.廉范
7.班超
8.張奐
9.虞詡
10.賈復または馬援
【候補】
 祭遵

267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 18:06:42 ID:lXHHBP+20
>>260
五胡政権で中華風の国号を持っていない国?
赫連勃勃の夏(統万城)ぐらいじゃあないのか?(夏は古代夏王朝に由来しているが)
涼州の政権を問題にしているかもしれないが、前涼はれっきとした漢人政権だし
(というか、晋を宗主国として絶えず五胡政権から攻撃を受けていたわけだし)
その後の後・西・北・南の四国に関しては、ほぼ前涼の領域内におさまるような
呂光の後涼くらいか怪しいのは

五胡が中国史に含まれないって、おかしくないか?

268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 18:06:48 ID:7I247Mkx0
三国〜南北朝、投下。
三国〜両晋
【確定組】
1.曹操
2.ケ艾
3.石勒
4.祖逖
5.王猛
【内定組】
暫定6.周瑜
暫定7.劉曜
暫定8.慕容垂
【論争中】
 陶侃、石虎、謝艾、慕容恪、桓温、謝玄、姚萇、李雄、皇甫真
 劉淵、劉聡、冉閔

南北朝
【確定組】
1.劉裕
2.檀道済
3.韋叡
4.陳慶之
5. 拓跋珪
暫定6.高歓
暫定7.宇文泰
【候補】
 柳元景、蘭欽、奚斤、楊大眼、元英、周盤龍、
 斛律光、慕容紹宗、宇文護、韋叔裕、李弼
 段韶、高長恭、爾朱栄、王勇、沈慶之、陳顕達
 赫連勃勃、拓跋Z、侯景(宇宙大将軍)、于謹
 蕭道成、斛律光、陳覇先
 高歓、宇文泰は下げようという意見が多いので暫定。

269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 18:09:24 ID:DXfOL84EO
後漢の候補には臧宮やWコウジュンも入れて欲しいな。

270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 18:11:44 ID:7I247Mkx0
隋・唐
【確定組】
1.楊素
2.李世民
3.李孝恭
4.李靖
5.李勣
6.裴行倹
7.郭子儀
8.李克用
9.未定
10.未定
【候補】
 韓擒虎、賀若弼、張須陀、竇建徳、楊義臣、李密、劉黒闥、徐勣
 李孝恭、薛仁貴、高仙芝、顔真卿、張巡、王式、黄巣、高駢
 李存孝、安録山、薛礼、劉方、蘇烈、劉仁軌、李光弼、史思明、李愬

五代〜北宋・遼
【確定組】
1.朱温
2.李存勗
3.郭威
4.柴栄
5.趙匡胤
6曹彬
7.楊業
8.狄青
【候補】
 周徳威、郭崇韜、王彦章、郭言、楊師厚、劉?、康延孝、符存審、
 任圜、李神福、台濛、周本、孟堅、張彦卿、陸孟俊、劉仁贍、張武、
 王環、趙季良、蘇章、潘崇徹、銭弘佐、顧全武、張元徽、李瓊、
 范仲淹、チュウ師道
【論争中】
 耶律休哥



271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 18:13:41 ID:SheA70j10
>>270
候補の徐勣は5.李勣で確定してるから削るべきだ。

272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 18:16:10 ID:7I247Mkx0
はい次。
南宋・金〜元
【確定組】
 宗沢、岳飛、完顔宗望(オリブ) 、孟珙、拡廓帖木児(ココテムル)
【候補】
 李庭芝、忽必烈(フビライ) 、完顔宗弼(ウジュ) 、伯顔(バヤン) 、
 阿朮(アジュ) 、韓世忠、杜杲、張弘範、張俊、呉玠、呉璘、劉リ、
 虞允文、李顕忠、楊存中、僕散忠義、徒単合喜、宗翰(ネメガ)、
 耶律斜軫、史天沢、兀良合台(ウリャンハタイ)、劉整、張弘範、
 脱脱(トクト)、呂文煥、拖雷(トゥルイ)、速不台(スブタイ)


【確定組】
1.徐達
2.常遇春
3.朱棣
4.戚継光
5.袁崇煥
6.未定
7.未定
8.未定
9.未定
10.未定
【候補】
 朱元璋、陳友諒、方国珍、湯和、李文忠、藍玉、于謙、兪大猷、王守仁
 呉三桂、李自成、鄭成功、馮勝、張輔、張士徳、馬芳


273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 18:29:53 ID:7I247Mkx0

【確定】
1.阿巴泰(アハタイ)
2.策稜(ツェリン)
3.施琅
4.僧格林沁(サンゴリンチン)
5.未定
6.未定
7.未定
8.未定
9.未定
10.未定
【候補】
 岳鐘h、策稜(ツェリン) 、宋景詩 、明亮(ミンリャン)、楊遇春、
 李長庚、関天培、李秀成、石達開、劉永福、阿桂、兆恵(ジョーホイ)、
 海蘭察(ハイランチャ)、徳楞泰(デレンタイ)、羅思挙、陳化成、塔斉布(タチプ)、
 唐炯
 ・・・以上、リスト作りました。あとは未定部分に有力候補を埋めていけばいいかと。

274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 18:31:54 ID:7I247Mkx0
>>271
あ、ホントだ。でもまぁこのくらいのミスはね、勘弁してください。
俺も結構疲れたし。

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 18:38:26 ID:7I247Mkx0
南宋・金・元のトコだけリストになってない。しまったなぁ。
ま、誰か有志が手直ししてくれることを願って俺はノータッチ。
辛いからね、案外。

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 19:03:13 ID:Z+WkG+P1O
>>215
そうそうたる面子だな
なんだかんだで半分決まってるんだなぁ

277 :121=205:2007/01/08(月) 19:13:25 ID:k9cHV6vm0
>>275
リスト作成乙です。
まあ、誰かが意識的にリードしていったほうが
肯定・否定の意見も出やすいので、275さんには感謝です。

いろいろな意見を出しながらまたーり決めていきませう。

278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 21:59:57 ID:q3aW16fg0
明代に秦良玉を候補に推挙します!

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 23:00:26 ID:yQX5TIhV0
>>270
こうしてみると、五代十国はちと候補出しすぎたかな。
同様の乱世、五胡に対抗しようとしたせいか…

ところで、遼を中国とみなすことに賛成していたけど、中華政権をその文化の濃度で象徴するならば、遼はやはり除外される。
というのも、漢文化を参考にし、国号も漢風にしたけど、独自の文字の制定や民族文化を大事にして中華政権とは一線を置こうとしているから(これは日本やその周辺国にも言えること)。
燕雲は間違いなく中華政権が保有し続けていた重要な地で、日本で言えば九州か東北などが日本に似た文明をもった国に制圧されている状況といえる。
それがやがて日本国すべてを飲み込むというなら、その国はその前にあった日本国に取って代わった新しい日本国と言えるかもしれない。
遼は中原を衛星国家をもって支配した(後晋や北宋)ので、北朝と呼ぶべき存在ではあるけど(実際、北宋も遼のことを北朝と言っている)、上記の独自の文化をもって南を制御しようとした点で、中国とは違う国と判断する。

ということで、遼は入れない方向にしようか?

280 :231:2007/01/08(月) 23:15:19 ID:I2J5S0VT0
>>279
国号も遼から何度も変えたりしたそうですしね。中原を支配したわけでもなし、
首都を長城以南に置いたわけでもないし。

>>251
えーと、あくまで私は入れてもいいんじゃないかと思っているだけですんで。
他のひとたちの意見は知りませんよ。
まあ、考慮に入ったら十傑入りは確定な人物ですがね。特にスブタイなんて、
金征服とロシア征服に大功績を挙げた世界史上でも希有な人物。外したくない
という思い入れのある人の気持ちは判る。

281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 23:23:46 ID:u2a7xaS40
>>278
多分百選は難しいだろうね、馬芳が未だ確定組に入れないこのスレのレベル考えると
唯一と言っていい女性武将候補なんだろうが……
候補で辛うじて入れておくレベルか?

>>279
三国〜両晋ははじめから候補自体厳選していたから
小競り合いレベルは端から除外されている(一国・一勢力を興亡させて候補入りといったところか)
おかげで三国からほとんど入っていない、凄まじい状況なんだが
他の時代は候補削りした方が良いと思う

前漢はともかく、新〜後漢って議論あんまり無いまま終わった印象があるんだが
十傑が下手すれば挙がらない唯一の時代にならないよな?
とりあえず皇甫嵩を候補に推薦しておく(三国志考察スレでは名将の常連)

282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 23:49:28 ID:yQX5TIhV0
>>280 遼は副都を幽州においているし、中原も間接統治という形。
だからこそ、清朝がその先たる契丹国家の歴史を正史としたのだろうけど、そうじゃなく中国文化に同化しまいとした姿勢をもって中華政権とは違うと言いたかったわけ。
中国文化の恐ろしいのは… まぁここの人には言わなくても知っていることか。

>>281 最近両晋には詳しい人が他スレでも多いみたいだし、意外に掘り下げられているんだろうね。
翻って、五代十国の興亡の流れはともかく、勢力間同士の主な戦いと、指揮した将帥の名前を知っている人がどれだけいる? ってレベルだと思う。
だからまとまりもなければ贔屓も入っている。少なくとも自分が挙げたものは。

私見で悪いが、削る候補として

郭崇韜→この人は軍政官。名将とするよりは名臣あるいは名宰相とするべきか。
楊師厚→人となりが悪い(おい)。
劉鄩→能力は申し分ないけど、皇帝がバカすぎ。 大事なときに実力を削がれた。
符存審→悪いけど李存勗の功績に還元させてもらおう。
任圜→総合的にかなり有能だけど、本来将帥ではない。あくまで宰相。有名なのも宰相のときだし。
張彦卿→やけくその人。
陸孟俊→やっぱ良将止まり。
王環→粘り善戦もしたものの、良将といったところ。
張元徽→猛将だろうな…
耶律休哥→これ入れるなら、堯骨もいれるべき。しかし、遼は除外すると言った。




283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 00:04:28 ID:u78TT2Yq0
過疎ってるよね、このスレ
同じIDばっかりだもん
もう中国定義論は後回しでいいよ
論争になるのって耶律休哥や元将2,3にヌルハチら後金入れても10人いくかぐらいだろ?
その10人そこらの為に残り50人を決めれず、人が居なくなるのは避けたいところだね

284 :260:2007/01/09(火) 00:33:22 ID:sFH2DvQA0
>>267
遅レスだが、
「Aの部分で五胡十六国時代の五胡以外の国は該当しないし」
の書き間違いだ。スマン
段部や宇文部なんてのはどうするのかと思ってね。
五胡十六国が対象外という意図は無いので。

285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 00:34:45 ID:eW3CA/I60
一日にこれだけレスが付いてるんだから別段過疎ってはいないだろう。
定義を決める議論も楽しいもんじゃないか。
候補の選定になったら名前の羅列だけじゃなくて選考理由も要るし、ある程度スローペースになるのは当たり前だ。
それを考えるとむしろ詳しい人が多いんで驚くぐらいだが。

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 00:35:41 ID:bcRh9Yc/0
>>282
確かに耶律徳光(堯骨)は華北の政権を二つ(後唐と後晋)滅ぼしているので
能力は問題ない。なんで名前が出なかったのか・・・。
個人的には遼は入れてもいいと思うが、定義の議論は後回しにしたほうがいいかな

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 00:40:31 ID:u78TT2Yq0
ID同じって部分読んでないな
自己主張の激しい奴ばっかで妥協する気もゼロの奴ばっかだからだろうけど

288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 00:47:15 ID:eW3CA/I60
遼、金、元、後金 辺りで政権ごとにそれぞれ5人くらいずつ選定してみるのもいいかもな。
百選に入れるか入れないかは処置は定義が決まってから、という形で。
最終的に中国史レベルで見れば百選に入るのはそう多くないだろうし、定義的にダメなら
その時初めて別スレを検討するのもいいだろうし。

>>287
 いや、ちゃんと読んどる。そう決め付けるな。
 でもまぁ俺の書き方も悪かった。

 >>285にきちんと書いてなかったが。
 それなりの専門知識も必要になるから、ある程度書き込む奴が偏るのはやむをえんって事だ。

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 01:00:18 ID:u78TT2Yq0
定義はこのままウダウダやってる限り絶対に決まらないだろうな
ここが中国定義スレと化してるし
盛り上がってるの宋〜清初の“専門知識”持ってる人だけだし

さっきも言ったが、先に90〜110名ぐらい決める作業をしたほうが
現実に合わせて定義を決めることが出来る
その時に武将が足りない(明らかに格が落ちる武将が数人いる)なら議論武将入れればいいし
充分だったら、もうすっぱり諦めるとしたほうがいい



290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 01:33:03 ID:eW3CA/I60
>>289がなんでそうネガってるのか判らんが・・・
ていうか、このスレ一通り読んでる?

>>215>>258見るだけでも、既に200名以上出てるんだが。

>現実に合わせて定義を決めることが出来る
「中国名将」がどこまでの範囲かという人それぞれの現実に対する認識にズレがあるから、
統一された定義が必要だし、話し合いをしてるんじゃないのかい?

現実に合わせて、という言葉の意味が良く判らんが、候補が揃った後で
「候補にチンギス期のモンゴル武将が3人います!この現実に合わせてモンゴル武将も
中国名将に入れるべきです!」
なんて無茶苦茶言いだす人が出てきたら困るだろ?

定義についてはある程度議論も進んでるんだから、もう少し辛抱しなよ。
叩き台出して、ある程度時間おいてスレ参加者の反応見て・・・って、な。

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 01:37:23 ID:eW3CA/I60
ああ、200名からの絞込みも早くやれってこと?
それは定義議論と並行してやっていいんとちゃうの?

周辺異民族や先行政権について、定義が決まったらそこの部分だけ先行やり直して、
その分微妙なやつを削ればいいじゃん。

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 02:24:52 ID:u78TT2Yq0
下の二行の武将が足りない場合と足りる場合が「現実」だ
スレの為に住人が居るんじゃなくて住人の為にスレがあるとも言う

いいか、判りやすく例を出してもう一度言ってやる

>>258から48人選べばこのスレは終わるわけだ
そこでまず選んでみる

まず第一のケース
48人選んで100選が決まったが、その内の3人がどうも残りの97人に比べると微妙だ
そういう「現実」が起きた場合、その3人をそのまま入れとくよりは耶律休哥とかの方が釣り合いがとれる
それなら全体のバランスを見て、遼・モンゴル・後金から残り97人に見劣りしない3人を選んだ方が良い

次に第二のケース
48人選ぼうと思ったが、どうしても58人になる。つまり全体で110人になった
この110人はどれも遜色ない。それなら遼・モンゴル・後金の候補武将に出番はないという「現実」だ
それなら残り10人を外す作業をするのが妥当な作業だろう

そういうことだ

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 07:59:43 ID:qOuMnNaK0
定義論争には興味ないから参加してないけど、
いちおうROMってるよ
俺みたいな奴が多いんじゃね?

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 10:31:53 ID:EbAK+yoHO
>>283
まあモンゴルは定義によって顔ぶれがガラっと変わるしねぇ

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 11:23:26 ID:nxn0swi7O
正直宋以降の話題にはついていけないけど、このスレはすごく参考になります。
今まで全然知らなかった名将達を知ることが出来てすごく面白い。
ただ自分としてはなるべく早く定義を確定して本題に入って欲しいなというワガママな思いもあります。

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 11:32:27 ID:RVRXm+Dx0

>>253の定義でとりあえずやってみたら?
リストも出てるんだし。

297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 13:17:24 ID:xTG4DJizO
傍から見てるとモンゴル武将を入れたい人と
モンゴル武将を入れなくない人だけが争ってるだけに見えますが・・・
まるで濮議問題の時の欧陽修と司馬光みたいですよ。
モンゴル武将を入れたい人は的外れな武将を推薦してる訳ではないんですから、
そこまでムキになる必要があるの?
第三者が有意義な提案を出してもなんだかんだ文句言ってるとしか思えないけど。
自分も>>253の定義で良いと思うけどな。
Aで言ってる領域にチベットは当然入らないのはわかってるのに挙げ足とるのは愚かとしか思えないけど。
大体、清末まで中華と言われてた領域って
此処に書き込みしてる人なら分かってるはずと思いますが・・・
(時代により範囲の多少の誤差はあるけどね)

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 13:49:25 ID:BmdJOllQ0
すまん、今日初めて来たんだが、中華民国、中華人民共和国は対象外?

299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 14:45:06 ID:EbAK+yoHO
>>297
今の中華人民共和国領内にチベットは無いことになってるのか?

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 14:47:55 ID:ek947b8/0
>>299
シナ風の国号を持つ王朝という縛りがあるから吐蕃なんかは入らないだろ

そうなると西夏はOKでいいのかな

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 15:06:46 ID:xTG4DJizO
>>299
>今の中華人民共和国領内にチベットは無いことになってるのか? おいおいネタか?
チベットは一応中華人民共和国領内ということになってるが、
中国共産党が武力で侵略して無理矢理領土にしてるの知らないのか?

>>300
西夏は史家が便宜上呼んでるだけで本来の国号は夏。
詳しいことは後程述べます。

中華民国って国民党の時代の中国?
それとも台湾の言ってるの?どっち?

302 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 16:25:36 ID:EbAK+yoHO
>>301
征服したならその国の範囲内にはいるのは当たり前だろ
中華人民共和国は文化圏の呼び名じゃなくて国家の呼び名だぞ
あれだと誤解を招き易い上に曖昧だから、現在の中華人民共和国の領域内(自治区除く)とかの方が良いのでは?

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 19:13:07 ID:A/SyTNQO0
モンゴル(つーか拖雷と速不台)、後金を入れたくて>>161を提言、
>>253に賛成してその尻馬に乗っかった俺だが、こんなにもめるとは思わんかった。
いいと思うんだけどな、別に。速不台とか奴児哈赤が入っても。

ところで昨日リスト作ったのも俺だが、不備が目立つな。清朝の確定に
策稜入れときながら候補の策稜削り忘れてるし。
あと、一番の失敗は後漢の10人を確定にしてしまったのがまずい。
あくまで暫定候補、ってことで一つ勘弁していただきたい。
現在候補は祭遵と皇甫崇の二人だけ。候補ふやして議論しなおさにゃならんよな。

>>297氏はもしかして十国春秋で俺と共同戦線をはった人?
なんとなく文体が似てるような。
勘違いだったらすまん。とりあえず蒙古・後金OK派ということで感謝。

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 19:58:06 ID:xTG4DJizO
>>303
>>297を書いた愚人ですが、貴殿の仰ってる方では無いですよw
別に擁護した訳ではないのですが、第三者として意見を述べさせてもらっただけですよw
まあ貴殿には以前お世話になったご恩もありますけどね!!
自分も宋、南宋が大好きなんですよ。特に趙匡胤と岳飛がね。
反モンゴル武将派があれこれ難癖つけてくるのは仕方ないですよ。
みんなで焦らず慌てずマターリ煮詰めて行きましょうよ。

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 19:59:28 ID:ESpK1efj0
>>304
反対するのは「難癖」ですかそうですか

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 20:01:31 ID:EbAK+yoHO
>>304
俺は定義はしっかりしてくれとは言っても、アンチモンゴルであったことなど無いが
ていうかモンゴル好き

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 20:13:17 ID:A/SyTNQO0
>>305
そこで反論の論拠を語るならともかく、
過剰反応はよくないと思う。
みんなスレの仲間だってことを忘れめぇや。

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 21:08:17 ID:A/SyTNQO0
今なら人も少ないんでここに書いておこう。
おれの理想的南宋・金・元10選
宗沢
岳飛
完顔宗望(オリブ)
完顔宗弼(ウジュ)
拖雷(トゥルイ)
速不台(スブタイ)
孟珙
伯顔(バヤン)
阿朮(アジュ)
拡廓帖木児(ココテムル)
・・・李庭芝や張弘範じゃこの連中に匹敵しえないから、
拖雷、速不台らモンゴル人武将(しかも中国の歴史に影響を与えた)
二人を入れるのは妥当だと思うが。
抗金名将にも宗沢・岳飛以上の存在はいないし。
それでも反論はあるんだろうな。

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 22:08:32 ID:EbAK+yoHO
>>308
アジュよりウリャンハタイの方がよくないか?
父や子と違ってあまり中華の政権に大きなダメージ与えていないから外れてるのかな

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 22:52:50 ID:xTG4DJizO
>>306氏の様な定義に対する意見なら難癖とはいいませんが
中には明らかに的外れな反対意見も見受けられと思いますが。
拙い文章なので不愉快な印象を与えたことについては申し訳ごさいません。

>>308で挙げている元の武将は>>253の定義をクリアしているので問題ないのでは?


311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 22:53:42 ID:xTG4DJizO
続いて投下
チベットの件
>征服したならその国の範囲内にはいるのは当たり前だろ
現代の国際社会と第二次世界大戦終結までの世界とは
侵略して領土にしたのとは背景が異なるのだけど・・・
中国共産党が一方的な武力行使でチベットを
無理矢理に中国の領土にしてることが国際社会から非難されているの知ってる?
チベット自体も中国共産党の支配を認めていないんだよ。
>中華人民共和国は文化圏の呼び名じゃなくて国家の呼び名だぞ
そんなことは百も承知で意見を述べさせているのですが・・・
現在一応中国の領土になっているからといって、
此処で討論している定義の反対材料に利用する輩がいるから釘を刺したんだけ
君には勘違いさせてしまったみたいだね・・・orz


312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 22:55:00 ID:xTG4DJizO
もう一回投下
>>300
西夏は党項(タングート)という民族の政権で
本人たちは『夏』または『大夏』と名乗っていたのだが宋から見て西方にあるので勝手に西夏と呼ぶようになったそうです。
国名の由来は首長であった拓跋思恭が黄巣の乱の時、唐の長安収復を援助して、
その報酬に夏国侯に封ぜられたことに由来する。
ついでに拓跋思恭は唐の国姓の李を賜り、定難軍節度使を世襲するようになった。
西夏は唐の定難節度使として
夏州、銀州、綏州、宥州、静州の五州を領土としていた。


313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 23:17:32 ID:eW3CA/I60
>>310
 「難癖」という言葉自体が相手の意見をまともに聞く気がないと言ってるのも同然な事に気がついて欲しい。
 せめて”スレの仲間”の「意見」として向き合う度量を求む。

 いろいろな考え方の人間が話し合って作り上げるから、こういうスレは面白い。
 進行が上手くいかないからと言って相手の意見にレッテル張りして済ませるのは良くない。

 >>>308で挙げている元の武将は>>253の定義をクリアしているので問題ないのでは?
 その意見には賛成。>>253の定義が了承されるのなら候補として問題ないと思う。 

 >>253の定義でOKならムカリやウリャンハタイも捨て難いが、スブタイとトゥルイにはちと劣るかな。

314 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 23:22:41 ID:A/SyTNQO0
>>309
用兵家としてはウリャンハタイかな? とも思ったが、
スブタイの獰猛さを引き継いだってことと
南宋朝廷に対する猛威の数々でアジュにした。
まぁこの二人は趣味でわかれるね。
>>310
これで文句なし、といいたいところだけど
今なお議論中だから。>>253氏の支持者は十分いると思うけど、
結論が出るのはまだ先っぽい。

315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 00:11:03 ID:804GQKAKO
>>313
貴殿が孤軍奮闘(?)しているのを見兼ねて自分は第三者として助け船を出しただけで
反対意見を一切受け入れないというつもりで発言した訳では無いんですよ・・・
だから難癖という言葉が不適切だったと反省してるのに貴殿にそんな風に言われるとは・・・orz

>>314
確かにまだまだ定義を煮詰めていかなければなりませんね。

316 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 00:17:03 ID:OhdIJL040
元の将を入れることに異論は無いのだけどな。
>>253の定義で>>308の候補を見るとトゥルイや
スブタイなんかは大元に仕えてないから該当し
ないと思うんだけれど、その辺どう取り扱うのかが
疑問だ。

317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 00:22:27 ID:q3iJXkt80
>>253の定義だと西夏・遼も入るということでいいのかな?

>>308
スブタイは中国方面では開封を落としたぐらいしか目立った活躍をしていないので
ウリャンハタイかムカリの方が適当じゃないか

318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 00:26:27 ID:yyDrmM7X0
>>301
大勢に影響ないからどっちでもいいけど、
>>253の定義Aは、明らかにチベットほか自治区を含んでるだろ。
中国と曖昧にいわずに、わざわざ「中華人民共和国」って書いているんだから。

319 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 00:37:44 ID:+yWRF8ss0
>>315
 そうでしたか。いや、こちらの読解力不足だったし、少し言葉がきつすぎた。
 申し訳ない。
 ただ、やっぱり「難癖」のような言葉はなるべく控えめにする事をお勧めするよ。
 こういうスレだからこそ。

俺はこのスレ内でも何度か書いているのだけど、異民族との関わり方にこそ中国史の
ダイナミズムが存在すると思っているので、異民族や、異民族王朝だからといって
無条件にはじき出すような処置には大反対。

だけど、無制限に候補の範囲を広げるのは無茶だと思うし、なにより、なるたけ多くの人が
納得する形のj「名将百選」として円満にスレが完結して欲しいと思ってるので。

そのために「(選考ルールとしての)定義」にこだわるし、勢い任せにねじ込むような形で
問題事案が処理されるのは、あまり宜しくないと感じているのです。
ために、時として「考慮を促す」ための反対意見を書く事もありますが。

無学の身で定義や、論争の仕方に偉そうに口ばしを突っ込んでいる理由はそれだけです。
申し訳ない。

>>316
 特にその二名に関しては、「王朝の樹立に貢献し」「中国国内で戦った」という部分を
 適用しているんじゃないかと思うのだけど。

320 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 00:53:24 ID:u4K2BXet0
気が早いが元末明初の群雄、張士徳は候補から確定に上げてもいいかも。
張士誠陣営の基盤固めに領土拡大のための戦功の数々。
最後は兄とともに敗れ去ったとはいえ、知勇兼備の一代の英傑。
なにより軍紀厳正で民を害さなかったのがポイント高い。
まぁ、おれが張士徳を好漢と認めたのは「沈万三」の影響だけどね。

徐達に「あいつとはまともに当たらないほうがいいナリよ」と言わせた将略、侮りがたし。

明末元初には格別詳しい方がいるようのでこれ以上はそのひとに任せたい。

で、武将の定義(主にモンゴルと遼)はその時代になってから改めて決めるとして、
春秋戦国に戻って確定武将を選出したいと思うが、どーだろ?

321 :320:2007/01/10(水) 00:56:29 ID:u4K2BXet0
明末元初とか書いちまったよ。
これはもちろん元末明初の誤りね。ホント、おれは誤字が多いな。

322 :316:2007/01/10(水) 00:57:14 ID:OhdIJL040
>>320
元・遼は候補者が多いので、100名に含めるかどうかで
大分、選ばれる人が変わると思うぞ。

>>319
モンゴル帝国の将も含めるという解釈で良いのでしょうか?

323 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 01:02:23 ID:yyDrmM7X0
モンゴル人武将の場合、
元の建国に貢献した武将になるのか?
アリクブガの乱で活躍したとかそういう人?

324 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 01:05:39 ID:yyDrmM7X0
>>320
らちアカンから、春秋決めようぜ。

325 :320:2007/01/10(水) 01:14:15 ID:u4K2BXet0
そんじゃ、春秋戦国(昨日のをコピペしただけだが)
【確定組】
 楽毅
 魏無忌(信陵君)
 白起
 李牧
 王翦
【候補】
 墨子、管仲、呂尚、孫武、伍員(子胥) 、廉頗、孫ビン、
 夫概、趙奢、士会、 趙奢、趙無恤、王子成父、先軫、楚の荘王(熊侶)、
 蒙ゴウ、司馬錯、樗里疾
 
 俺的には昨日も書いたとおり、呉起と伍子胥を推薦する。

326 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 01:23:55 ID:+yWRF8ss0
あくまで俺の意見ですけど。

>>322 >>323
 トゥルイ、スブタイ両名とも金朝攻略の功績が大きいのでそういう部分で推されているのだと
 解釈しているけど、その辺は定義や、定義の解釈で変わってくるかもしれないし、議論次第ですね。

 モンゴル帝国の中華文化圏における世襲領として「元」の成立、もしくは領域確保、拡大に貢献した
 武将のうち、中国国内で戦闘を行い、軍事的才能を発揮した人、が候補として挙げられているかと
 思います。
 なので、>>323の範囲の武将も候補には含まれるかと。

327 :325:2007/01/10(水) 01:34:25 ID:u4K2BXet0
このリスト、呉起と李牧が載ってないな。
まぁ忘れてた名将がいたら適宜追加するってことでいいか。

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 01:58:07 ID:yyDrmM7X0
>孫武、伍員(子胥)

この二人推す。

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 02:04:15 ID:u4K2BXet0
現在
孫武、伍子胥、呉起の三人。空き枠は5つだから、
後半で結構熾烈な候補争いになるかもね。

とりあえず落ちますわ。疲れがたまると仕事に支障出るし。

330 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 07:47:08 ID:804GQKAKO
>>318
>大勢に影響ないからどっちでもいいけど
ああっ分かってる、話の流れで説明しただけだが・・・
>>253の定義Aでいくとチベットほか自治区を含んむからそれが入ったら明らかに
此処で討論している国以外も範疇に入ってしまうからこそ意見を述べたんだし、
だから>>302が改案を提示してくれたんしゃないか。
中国と書いたのは中華人民共和国って打つのが面倒だっただけで他意は無い。スマン

>>320でちゃんと元末明初って書いてるよw
まあ余り一人で無理しなさんな。
それと自分も孫武に一票。

331 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 08:16:18 ID:xy9akuJ80
>>325
樗里疾を推薦。戦歴が豊富で、五カ国連合軍を撃破するなど、
輝かしさにも事欠かない。

332 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 13:02:47 ID:804GQKAKO
>>330
スマン早とちりしてた、下の方の行のことですねw

333 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 20:55:08 ID:4ZiZByl30
>>253 の定義のうち、Aの「現中華人民共和国領内」から黒龍江、吉林、遼寧、
内蒙古、新彊、青海、西蔵、雲南を除けば問題なく賛成しますよ。

334 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 00:50:08 ID:yCYsBCCA0
【確定】
 楽毅・魏無忌(信陵君)・白起・李牧
 王翦・孫武・伍子胥・廉頗

↓次行ってみよう。

335 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 04:15:36 ID:VIzZdKWB0
>>325
孫武、廉頗、孫ビン、士会、 呉起

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