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 【中国の】 公主 【お姫様】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 15:30:33 ID:vzCWcggQ0
 公主とは、中国で皇帝の娘、内親王を指す。またはその人の称号のこと。古くは化粧領として拝領した土地の地名を
取って「○○公主」と呼んだ(例:太平公主、安楽公主等)が、明代清代の称号は、多くが雅称で、これに嵌めることはで
きない。
 古くは皇帝の長女を元公主と呼んだ(例:魯元公主(漢高祖劉邦の長女))。唐代宋代以後、皇帝の姉妹は長公主、
皇帝の伯叔母や数代前の公主は大長公主(例:秦魯国賢穆明懿大長公主)と呼んで皇帝の娘と区別し、受けた待遇
も公主より上だった。清代になって、公主にも階級が分けられ、生母が皇后か妃嬪かで固倫・和碩の別がついた。
 また、宋代では徽宗によって、ごく短い一時期、公主の称号を廃し、帝姫の称号を用いた(例:嘉徳帝姫)。周王朝風
の呼び方だという。
 臣下が公主を娶る(中国や朝鮮では同姓不婚に則って、公主の結婚相手は臣下に限られて当然)ことを「尚公主」とい
い、その夫は?馬(清朝には額?)と称呼した。
 公主という称号は、本来は、天子の女の婚儀を三公が主宰したことに由来する。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 15:57:47 ID:dl3YqAmB0
初出は魯元公主でOK?

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 16:11:30 ID:VNtD4jwa0
平陽公主が一番

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 23:48:02 ID:BeJpTZIs0
とりあえず、中国史上の十大公主を選んでみようか。

まず太平公主は当確。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 06:13:59 ID:jL3O992w0
漢代からだと
恵帝の姉で皇后の母である魯元公主
景帝の姉で館陶公主
武帝の姉で大将軍衛青の妻の平陽公主
光武帝の姉で「糟糠の妻」で有名な湖陽公主
が有名だな。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 23:02:20 ID:KEDMqu3x0
平陽公主が有名なのが2人いるよね。
漢朝と唐朝に。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 23:27:40 ID:WVNlo4QbO
空気読まんが。
最後の公主栄安、栄寿公主ははずせまい。
特に栄安公主は同治帝の異母姉で、姉弟仲がよかった為に同治帝の死の際、夢の中に父帝が現れ
黄泉の国への供を命じられた(ほぼ同時に死んだ)とか


8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 23:51:35 ID:SbBVSCJQ0
泣ける話だ(TT)

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 23:55:07 ID:+4RDTDB80
可哀想と言えば、異民族に嫁がされた公主たち。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 06:53:27 ID:wDz3D6L00
そういうのは「公主」とは言っても皇帝の娘であることは少ない。
臣下の娘とか皇族の中でも比較的落ちぶれたあたりの娘を持ってきてたらしい。

清朝ではモンゴルの王侯に皇女が嫁ぐことが多かったけど。
いわゆる「和蛮公主」とは状況が違うし。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 11:07:06 ID:EOThTMeo0
でも、靖康の変で、徽宗の帝姫たちは根こそぎ連れて行かれて、
奴隷にされちゃったねえ。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 22:33:20 ID:F2rEBQkr0
やっぱり漢代唐代の公主は存在感があるけど、
宋代明代清代となると、公主はいまいち存在感がないな。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 14:43:43 ID:l0aaeB/B0
唐は女が出しゃばった時代だからね

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 23:39:02 ID:JEeyU0e40
嫁に欲しい公主

楽昌公主

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 22:53:47 ID:1crxYZKJ0
公主は、都のおとなしそうな貴族を選んで嫁がせたみたいだけど、
嫁がせられる側は、内心結構嫌がる場合が多かったみたいだね。

何しろ皇帝の娘だから、男遊びとかされても、逆らえないわけだし。
メリットもあるけど、デメリットも大きかった。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 01:14:26 ID:HSHYRbWS0
「馬付」馬って大変なんだね…

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 15:44:43 ID:DS06TSR40
皇帝陛下が舅なわけだからね。
皇子はまだ謀反の疑いをかけられたりすることもあるし、
公主はある意味一番気楽な身分かもね。
時代にもよるけど。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 22:54:06 ID:7RmhIZHG0
中国人と喋ってた時、黒田氏のことを「天皇的附馬」て言ったら通じたよ。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 11:26:52 ID:PnKMZmIa0
吐蕃に嫁がされた唐朝文成公主

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 23:53:58 ID:XZXHt9vq0
公主 → 郡主 → 県主

県主クラスだったら、ちょっとした貴族のお嬢様ぐらいの扱いかな。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 02:57:55 ID:rZkQtVy90
王朝の後半になったら、県主クラスはごろごろいたと思う。


22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 23:50:56 ID:P0JO1hrE0
>>15
でも、何か罪を犯した時でも、公主の夫ということで、
罪を減じられることがあるからね。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 14:09:59 ID:Q6O7nQuv0
歴史上唯一身売りされた公主、西晋の臨海公主

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 12:49:35 ID:O9ejWnWa0
亡国の公主ってのは、結構みんな悲惨だね。


25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 17:09:07 ID:iHvd/Ai30
北宋って中央集権が完成して貴族階層が無い時代だったけど、
この時代の公主って、主にどんな人と結婚してたんですか?

やはりシダイフ?

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 23:57:09 ID:JZsaPP1x0
伝統的な意味での貴族はなくなったとは言っても、やっぱり代々高官を輩出している家とか、
建国の功臣の子孫とかで朝廷から封爵を受けている、貴族的な存在はあったからね。

靖康の変で金軍に連れ去られた徽宗の帝姫の結婚相手の付馬なんか見ると、
やっぱり大臣の子息なんかが多いみたい。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 00:43:43 ID:dZjl54EJ0
五代以降貴族は消えたといっても、南宋に入ったら微妙に復活してるからな。
韓侘冑(韓gの孫)とか趙汝愚(皇族だけど)とか。秦檜や賈似道や史弥遠
みたいな長期独裁型の宰相もウジャウジャいるし、南宋は北宋に比べて、
何だか先祖帰りしてるような気がする。岳飛や張浚の軍閥とかもそうだけど。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 02:08:42 ID:WzH4cCGx0
まあ、貴族的な存在は、どこの時代、どこの地域でもあるからね。
完全に絶やすことはできないだろう。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 23:56:07 ID:4Va40V0p0
中国では、内親王という言い方はするのかな?

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 23:58:50 ID:bAAdRy9e0
百度で検索しても、日本の皇室関係の記述ばかり出てくるから、
中国では内親王という表現は使わないようだね。

親王は使うけど。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 16:22:59 ID:5EDwP+i+0
>>22
宋の蔡京の何番目の息子なんか、蔡氏一族が流刑に処せられた時も、
徽宗の公主を娶っていたから罪を免ぜられたね。

直後に靖康の変が起こって、妻の公主ともども北方へ連行されて、
奴隷にされちゃったけど。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 23:38:27 ID:Dki/eEXM0
長平公主・・・

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 22:52:19 ID:vFr0SExb0
>>20
宋の徽宗が公主を帝姫に改称した時は、
郡主は宗姫、県主は族姫とされた。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 23:38:19 ID:vx7wTb160
>>15
隋の文帝のある公主が、臣下に降嫁することになった時、
嫁ぎ先の家では、どんなわがまま公主が嫁いでくるかと戦々恐々としていたけど、
意外に慎ましやかでまじめな公主だったから、ほっとしたとか。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 23:20:46 ID:4eCPVGmN0
蘭陵公主(572〜604) 
 隋文帝楊堅の五女で字は阿五。美しく聡明で読書を好んだため、文帝は五人いた娘たちの中でも彼女を最も可愛
がった。また彼女自身も歴史上の列女や賢婦に憧れるようになり、母の独狐皇后も常々婦道を教えたために彼女は
善良な性格を養うこととなる。彼女が年頃になると、文帝は掌中の珠である彼女に良い夫をと考え、司徒の王諠の息
子である王奉孝に嫁がせた。
 しかし王奉孝は、数年も経たないうちに亡くなってしまう。僅か十代で寡婦となり、更に舅が不敬罪で処刑されたた
め、彼女は再び宮中に戻ることになる。
 年若く寡婦となった娘のために文帝は再婚相手を探した。候補として当時晋王だった楊広(後の煬帝)の推していた
蕭?(晋王妃蕭氏の弟)と、太子親衛の柳述の二人が挙がったが、結局文帝は柳述に再婚させた。
 「公主が降嫁する」ということで戦々恐々としていた(当時文帝の公主は驕慢だという噂があった)柳家の人々は、蘭
陵公主の慎み深い姿を見て、日をおかずに蘭陵公主を尊敬するようになっていった。夫となった柳述も公主の態度や
人柄に好意を抱き、また公主自身も柳述を敬愛するようになり、その仲の良さや柳家の繁栄は都中の羨望の的とな
った。
 この再婚に不満をもっていた楊広は、帝位に就くと柳述をわざと辺境へ流し、公主と無理やり別れさせ、別のところ
へ嫁がせようとした。しかし彼女は従わず、公主称号の返上と共に柳述のところへ行くことを願い出たが、逆に楊広
の怒りを買い認められなかった。この結末に打ちのめされた公主は結局失意のまま亡くなった。
 彼女の葬儀に関しても楊広は冷淡に扱い、その冷酷さが朝野の者達の同情を誘ったという。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 12:47:37 ID:qlgOQugU0
太平公主

何だか熟年セレブマダムって感じ

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 12:58:43 ID:HOIPgk4W0
太平公主にはテンテンみたいにちびっ子道士の格好をした
幼い日もあったのさ。

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