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【欽差大臣】林則徐を語るスレ【清廉潔白】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 19:03:47 ID:y8heAuLc0
林 則徐(りん そくじょ、1785年8月30日 - 1850年11月22日)
中国清代の政治家。字は少穆(しょうぼく)。諡は文忠(……)。
イギリスによるアヘン密輸を強硬に取り締まり、怒ったイギリスはアヘン戦争を引き起こした。

なぁ、ここの板で良いんだよな?



2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 19:22:32 ID:gFzOsHWO0
もちろん、OK


3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 16:48:44 ID:CdgR+hDi0
 林 則徐(りん そくじょ、1785年8月30日 - 1850年11月22日)は、中国清代の政治家。字は少穆(しょうぼく)。諡は文忠。英
国による阿片密輸を強硬に取り締まり、怒った英国は阿片戦争を引き起こした。

 福建省侯官に生まれる。父は科挙に挑戦して悉く失敗したため、貧しい教師生活をしていた。林則徐はこの父の無念を晴ら
すべく学問に励み、1811年(嘉慶十六年)27歳の時に進士となる。その後、北京の翰林院に入った林則徐は多くの行政資料
を目の当たりにしてその研究に励んだという。その地方官を歴任して当時問題とされてきた農村の再建とその解決に欠かせな
い治水問題に積極的に関わるとともに不正な官吏の大量処分を断行した。彼の地方行政官としての手腕は今日でも高く評価
されている。また、彼の阿片根絶の取り組みもこの時の経験から強く意識されたものであると考えられている。

 1837年(道光十七年)に湖広総督になる。この時に管内での阿片根絶に実績を上げ、黄爵滋の「阿片厳禁論」に賛同し上書
した。実績と論の精密さを道光帝は評価し、1838年に林則徐を阿片禁輸の欽差大臣に任命した。広東に到着した林則徐は英
国商人に対して持っている阿片を全て没収し、処分した。これに怒った英国商人たちは林則徐に抗議し、最終的に阿片戦争を
引き起こすことになった。

 現地の英国商人を支援するためにやって来た英国の東洋艦隊は広東へは行かず、北京に近い天津にやってきた。間近に艦
隊を迎えた清の上層部は狼狽し、慌てて林則徐を解任し、英国の意を迎えることに必死になった。林則徐の後任のg善はひた
すら英国に低姿勢で臨み、結果清が大幅に譲歩した南京条約を結ぶ事になった。

 欽差大臣を解任された林則徐は新疆に左遷された。しかし林則徐はここで善政を布いた事で住民から慕われた。林則徐にと
ってもこの場所で南下するロシアの脅威を実見できた事は大きな収穫であり、進士の後輩に対し「将来清の最大の脅威となる
のは英国よりもむしろロシアだろう。」と言い残した。これが後の左宗棠らの塞防派を形作る事になった。

 1849年(道光二十九年)に隠棲したが、太平天国の乱が勃発すると召しだされ、太平天国に対する欽差大臣に任命された。
そして任地に赴く道中に病死した。

 林則徐が解任された理由の一つとして、当時の清の官僚には広東の商人から賄賂を受け取っている者が多く、林則徐によ
りその金が絶たれた事を恨む者がいた事がある。もしも林則徐が変わらず広東で指揮を取り続ければ、英国を撃退できたの
ではないかと言う仮定はそれほど無理な事とも言えず、後世の中国人は強く惜しんだ。また、欽差大臣就任直後に長年温め
てきた直隷の再開発を行って財政・国防上に資するべきであるという上奏(『畿輔水利議』)を行ったために、他の高官から「自
分達の直隷での仕事ぶりを怠慢だと誹謗された」との恨みを買った事も原因の一つであるとされている。

 常に清廉潔白で私事を省みず、左遷されても常に国家の事を考え続けた姿は後世の人間から強く尊敬されている。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 23:32:44 ID:SbBVSCJQ0
でも、まあ左遷でよかったな。
明朝だと、絶対に殺されていた気がする。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 04:36:36 ID:EOThTMeo0
于謙と言い、袁崇煥といい、明は忠臣が報われない時代だったからねえ

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 22:22:41 ID:6vbUcOgp0
陳先生の評価もすごく高いんだよね

「阿片戦争」はイマイチ好きになれなかったけど。
影から世界を動かそうとするキャラがいると萎える

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 22:38:20 ID:1crxYZKJ0
まあ、あまり評価を低くする理由はないからなあ。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 12:27:18 ID:PnKMZmIa0
娘の普晴は従兄と結婚したんだよな。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 02:00:25 ID:aFWoX9Q00
阿片戦争の直前には、「敵の敵は味方」と割り切って
米国商人を通してポルトガル製の軍艦とカノン砲を買い込んで
広東防衛の兵達に使えるよう訓練させてるんだよね
軍事指導者としても一流だったんだな

問題は、林1人が幾ら優秀でも
広東をいくら堅固に防衛しても
清朝本体が旧態依然では何も影響しなかったってことだな

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 14:18:21 ID:Q6O7nQuv0
清朝が内向きになったのって、やっぱり鄭成功の反抗の影響だろうか

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 15:12:21 ID:5EDwP+i+0
でも、明朝も基本は海禁政策だったし、
それをそのまま継承したという意識の方が強いんじゃないかな。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 23:55:32 ID:oC9Op4Pf0
>>9
明末の袁崇煥なんかもそうだけど、
中国って、文官でも優秀な軍事指揮官が時々出てくるよね。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 23:51:11 ID:GF0n2UBh0
肝心の軍隊はろくでなしの集まりだけど

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 01:28:45 ID:jorwiUPrO
そりゃ武官の試験は質の悪い人間しか受けないもん
実入りも良いとは言えないしな
文官のわりに名将というより、出るしかないというか
明の武官が恵まれないのもその辺りに原因があるだろう
中央にコネないからすぐ罷免される

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 15:31:31 ID:4+a9Ykwc0
軍隊とはろくでなしの行くところ。
軍隊に入れなきゃ、盗賊になるしかない。

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