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 lll初代llll   始皇帝   lll皇帝lll 

1 :霍去病 ◆jNfzY2GRwo :2006/11/03(金) 01:11:06 ID:LQBStzfJ0
中国史上初の皇帝・始皇帝を語ろう

始皇帝について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%8B%E7%9A%87%E5%B8%9D

2 :霍去病 ◆jNfzY2GRwo :2006/11/03(金) 01:13:56 ID:LQBStzfJ0
ちなみにこのスレからの依頼
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161621239/l50


3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 01:15:53 ID:UKrUMjzB0



で、結局始皇帝の実の父親は誰なんだい?

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 01:36:08 ID:tel6/8ib0
>>3
ペルシャ系の帰化人。

と言うのは最近のガセネタ。

5 :だあだあ! ◆kTLLDQQ39Y :2006/11/03(金) 04:06:56 ID:UypO0tWR0
「しこしこ始皇帝」いか厳禁

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 06:44:56 ID:cOcJ+WB80

真っ先に立ちそうな気がするが今までなかったんだな
政には長生きして扶蘇に継がせて欲しかった

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 12:48:33 ID:AWoqIPyu0
始皇帝は晩年には自らを買いかぶりすぎたし、つまらない人間に騙されたりしたからなぁ。
中国統一まではよかった。


8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 12:53:06 ID:fAfpe4fL0
ロウアイってどの位スゴイんだろう?

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 13:40:10 ID:D1sg34l30
車を引くことができるぐらいのスゴイものを持っていたらしいな

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 14:05:15 ID:HbSCKrE20
扶蘇が二世皇帝になっていたら名君になっただろうなあ。
秦はさらに強大な帝国になり、400年ぐらいは続いたと思う。

>>4
呂不韋は漢民族じゃなかったの?

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 14:23:02 ID:OKgsZ1910
ロウアイはチンチンで車を引いたんじゃない。
勃起したチンチンに車輪をはめ込んで、持ち上げられたんだ。

車軸の穴にぴったりはまるほどの巨根で、持続力もあったんだよ。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 20:11:26 ID:l9N8qjd9O
ヤンジャンのキングダムって始皇帝の少年時代?

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 23:42:19 ID:OIBoELB20
>>10
さすがに400年は難しいと思う。
中国のわりと成功した王朝でも、200年ぐらいが多いし。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 00:56:09 ID:nKAL+rlO0
400年は無理でももうちょっと続いたかもね
李斯がどっか行かされて法律が少しはゆるくなったと思われ

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 01:05:28 ID:8OmkSwDMO
>>12
モチロンソウヨ

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 12:31:47 ID:6rppw3wnO
>>13-14
思えば中国統一後、秦は15年くらいで滅びてるんだよな
ユーラシアの西では同じ位の間、ローマとハンニバルが殴り合ってた事考えたらかなり短い

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 15:12:22 ID:0Gi+g5aF0
中国の王朝の平均持続年数はどれぐらい?
200年クラスが一番多いのかな。

>>7
政は政治・外交・軍略に長けた天才的な統治者であったと思う。
だが晩年にケチがついたな。宦官なんかを全面的に信用して依存しきったり
中国史上に名を残す詐欺師、徐福に引っかかったり。老いが彼を駄目にした。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 15:46:32 ID:h0NliOOy0
一番長く続いたのは漢かな?前漢後漢あわせて400年。
宋王朝は北宋南宋合わせて300年。
唐も明も300年。
清は250年。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 16:16:27 ID:6rppw3wnO
>>18
逆に統一王朝で短いのは新の15年と隋の30年、西晋も呉滅亡から西晋滅亡までだと35年か
あ、あと則天武后の周が15年になるのか

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 18:28:35 ID:h0NliOOy0
漢が長く続いたのは、秦のよい部分をそのまま引き継いだからだ。
劉邦は阿房宮にあった全国の戸籍を、大切に保存した。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 20:15:15 ID:lbZjwsjF0
秦を踏み台に

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 00:24:19 ID:TVy6wzwK0
隋、短けえ!隋といえば日本ではけっこう影響を受けた大国というか唐に次ぐメジャーな国だよね。
漢民族の統一王朝では300年ぐらいが多いところかな。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 01:18:50 ID:RU/DPKTX0
日本は凄いよね。皇室は2000年続いている。
やっぱり島国で異民族の侵入が無いのが大きいのだろう。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 01:30:24 ID:fzxDbKBF0
だーれも取って代わろうとしないもんなぁ

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 18:20:19 ID:/9sy0TKv0
中国五大愚朝

秦、新、晋、隋、順

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 23:03:48 ID:pO33wQbQ0
順朝がすぐに潰れたことを、漢民族はものすごく悔しがっている。
満州族に取って代わられ、風俗を押し付けられたから。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 23:35:48 ID:5JIBRMye0
秦は、天下統一前に数百年も続いているので、
必ずしも短命王朝と言えるかどうか。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 03:46:41 ID:qdPNkRhh0
統一してないのを含めると、
王朝の平均寿命はものすごく短くなるね。

平均30年てとこかな。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 19:59:51 ID:xlysfc4D0
おいっ、誰かえーせーの話してやれ。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 23:59:07 ID:UDTGLnUJ0
仲父殿の子供なの?

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 23:53:49 ID:XeTiTTr80
当時から、噂はあったんだろうか?

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 07:31:33 ID:z9z9jecV0
史記が書かれたころは噂されていたんだから、当時も当然噂されていたであろう。


33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 14:40:33 ID:3D0T0NdV0
秦で、「どこの馬の骨とも知れぬ者を王に戴けるか」って反抗する者はいなかったのか?

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 13:12:22 ID:nVStaVOD0
政の父が人質から戻れて、王位についた事も奇跡的かと。
呂不韋の努力(賄賂?)の賜物ですかね。

政の父って異人?

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 01:20:38 ID:Nx+wTDMK0
政の母親は男狂いだったのかな。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 01:32:58 ID:Tde6/hAs0
秦を滅ぼしたのは始皇帝ではないよ。子の胡亥。
始皇帝は宦官に騙されたりして駄目な所もあったが
総合的に考えたら100点満点中95点位の凄い人だと思う。

つーか歴史上で初めて統一国家を創造and皇帝に即位したのは凄すぎる。
始皇帝が統一国家を作らねば、
中国は一つと言う概念すらできずにヨーロッパの如く多極化が進んでいたと思う。
始皇帝が毛沢東や明太祖より偉大なのは統一国家創造という概念すらない時期に
初めて統一国家を作り上げた事。
後の皇帝は始皇帝の猿真似に過ぎない。
始皇帝は中国史はおろか全アジア、全世界に勝る英傑です。

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 03:22:31 ID:8uFtoKzo0
始皇帝の遺勅が握りつぶされてなければねぇ・・・

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 03:58:19 ID:GWBV55svO
>>36
どうだろう?
世界初の帝国はアケメネス朝ペルシャだし、ヨーロッパも時代は下がるがローマがあった
いまオリエントや環地中海世界がどうなってるかはご存知の通りだ
中華地帯が統一されていた期間が長いのを始皇帝が「統一」した事だけに求めるのは問題だろう

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 17:13:43 ID:esqCZ+Ru0
始皇帝は好きな人物だが、やっぱり晩年の仙術かぶれが痛いなあ。
まああの時代の人だから当たり前なんだが、前半生からは
飛びきり合理的な人物に見えるからつい期待してしまう。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 23:48:46 ID:sYm9Q2vo0
>>38
そりゃ、ローマやペルシャは始皇帝のような「統一政策」は行わなかったからなあ。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 03:37:17 ID:2mD79BmXO
>>40
そりゃ状況が違いすぎる
周も秦も楚もそのアイデンティティとなる神話は同じだったのに対して
オリエントは各種様々な宗教が入り乱れていた場所だ
ぶっちゃけると統一難度で言ったら中華は当時からその辺に比べたらだいぶ下がるよ
(始皇帝はツメの部分をやればよかったとも言える)

まあそういう見方をしないんであれば、
始皇帝はダレイオスやアウグストゥスのようなバランス感覚が無かったので
帝国ごと吹っ飛んでしまったが、逆にその後の王朝の助けになったって感じになる

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 12:43:30 ID:yQpFrdGM0
>>41
いや、それも「神話の統合」が行われたから、現在からするとそう感じるだけ。
例えば伏儀や女カが南方の神話だということはすでに証明されているし、皇帝や
神農も西方渡来が確認されている。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 16:57:40 ID:2mD79BmXO
>>42
しかし、楚辞の天間では楚の神話は語られず、中原の事が語られていたりする
これなんかをみても、中原とは民族を異にした楚でも、
戦国時代末期には神話なんかでも中原化されてたのではないだろうか
まあ秦が統一した民族の神話の統合が、統一前の事なのか後の事なのかはよく分からないから触れられないが

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 17:48:41 ID:O3qqndAa0
あんなバカでかい土地が二千年以上まとまるなんて、それだけの素地がなけりゃあね。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 20:14:35 ID:2mD79BmXO
>>44
まあ他にも
・宗教に比較的情熱を持っていなかった
・近隣地域に匹敵する文明圏がなかった
・表意文字の漢字の使用により口語が通じなくても行政が出来た
辺りがざっと考えつくけどね
で、始皇帝の業績の内最も偉大なのは漢字の統一ということになると思う
これは間違いなくその後の各帝国の統一維持に大きく貢献してるよ
(正直、他に始皇帝の統一事業の内ダレイオスがやっていないことが思いつかない、ってのもあるが)

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 23:27:15 ID:YBw/bV9U0
始皇帝の成果は、まんまと劉邦の手に落ちた。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 15:24:00 ID:n6HmCdud0
母親がああで、父親がああで、
やっぱり少年時代は精神的に荒れていたんだろうか?

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 19:32:59 ID:EVzNM2oI0
ロウアイのチンポを見てしまったら更に荒んだと思うよ。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 22:46:15 ID:aaiedbSK0
親の教育に問題があった、というのも大きいが、人質生活でいじめにあっていたのも大きい。

そのために全国統一した後、人質時代いじめた人間を皆殺しにしたとか。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:12:11 ID:npk1lAni0
でも、少年時代に養った冷酷さが、
天下統一の原動力になったかもね。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:35:30 ID:q31u62jc0
>>49
人質時代に過ごした村(?)だかを
消滅させたんだっけ?

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 00:27:56 ID:mUeE9TNJ0
>>51
趙の都邯鄲で人質生活を送っていた。冷たい待遇を受けたこともあったようで、
後に王となって趙を攻め邯鄲を落とした際、母親の家と仇怨がある連中をことごとく穴埋めにした。

なお邯鄲の破壊はこのときではなく、秦末動乱の際に章カンにより破壊されている。


53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 18:59:02 ID:JnC1Cke90
始皇帝って親征してないよね?
なんかそれなのに、武ばったイメージを持ってしまう。


54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 21:28:35 ID:AhXEa1XlO
>>46
劉邦は事実上の始皇帝の後継者とも言えるんだからあまり無碍に扱うのも考え物だけどね
もし項羽が勝ってその方針で中華世界を治めたら、
始皇帝の功績が奪われるどころかすべて無駄に成ってたかも知れないし

>>53
武帝なんかもそんなイメージだね
ああいう自分の軍事能力を出さないで征服業を成すっていうのは凄いことだと思うが

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 16:55:35 ID:CdgR+hDi0
漢が繁栄したのは、秦の遺産を上手く受け継いだからだな。

56 :霍去病 ◆jNfzY2GRwo :2006/12/05(火) 23:15:10 ID:62aVJzpf0
みんな詳しいなぁ

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 23:21:29 ID:rZrj24N/O
始皇帝は子供の頃から経済学を学んでいたのかな?

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 00:29:48 ID:wT6Gv2/zO
しかしエイ政という人は懐が広いんだか狭いんだか…

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 23:50:20 ID:v1qdtGQGO
徐福について

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 23:52:55 ID:SbBVSCJQ0
>>57
帝王教育は受けたんだろうけど、当時の経済への認識ってどうだったんだろう。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 23:02:17 ID:KViIa30iO
呂不韋がいたから任せっきりだったとか…。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 23:27:22 ID:09cmozbWO
餅は餅屋だよね。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 23:41:31 ID:3TnlxDLSO
母親のことはやはり憎んでいたのかな?


64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 23:58:32 ID:3QpLgdr00
複雑な心情だっただろうね。
憎しみは呂不韋に集中したと思う。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 23:44:18 ID:CS65zHF00
秦って結局戦国の六ヶ国を滅ぼす過程で数百万の兵士を
殺しまくったから、恨みを買いすぎたからでしょう。
数万の首を挙げただの、数十万を生き埋めにしただの・・

呂不韋とかの話、恨みや反感を持つ遺族とかが、秦や政王の
正統性を壊すために尾びれを付けたスキャンダルで、その話は
当時から出生のことはまことしやかな言われていたらしいしね。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 23:43:46 ID:vx7wTb160
それに、役人とかはやっぱり秦人中心で、旧六国の地域を支配する時にも、
威張りまくっただろうから、それで恨みを買っただろうね。

秦崩壊、楚漢戦争の過程で、旧六国地域じゃ秦人が報復の襲撃を受けただろうと思う。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 22:47:58 ID:30vl0HJL0
そんな役人も始皇帝が死んで反乱が多くなると
自己保身のために秦を裏切ったりするので

民衆や落ち武者は天を仰ぎ大儀の意味について
問うのであった・・・・

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