5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【太祖】清王朝の英雄達【李鴻章・左宝貴etc】

1 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2006/10/24(火) 22:46:38 ID:OoIrwPEP0
才覚一つで王朝を樹立した太祖・ヌルハチを筆頭に、八旗制を充実させ
国の基礎を固めた太宗・ホンタイジや遠征に遠征を重ね、清の領土を
広げ清王朝の最盛期を築き上げた乾隆帝などの英雄と呼べる皇帝たち。
清王朝の末期、軍事・外交に挑み続けた李鴻章。日清戦争で最後の輝きを
放った左宝貴や黄海海戦で海軍提督となり奮戦した丁汝昌、そして
中華帝国洪憲皇帝と称した袁世凱などなど…日本にも大きな影響を及ぼした
清王朝のあまり知られていない英雄達について語っていきましょう!!

と、清王朝に最後の最後まで抵抗を続けた国姓爺・鄭成功についても
語っていきたいと思ってますw

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 22:53:31 ID:vDcehqPW0
糞コテが立てたスレで語ることなんぞ何もないわ、ボケ

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 23:04:47 ID:1mQzRoWo0
まずは、清朝にとって、開国の戦いとも言うべき、
サルフの戦いについて、語りましょうか。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 12:45:32 ID:MlMU1vxQ0
むしろ張廷玉について語ろう。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 16:21:39 ID:+Orvf47M0
とりあえず
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E5%BB%B7%E7%8E%89
 張廷玉(ちょうていぎょく、1672年(康熙11年) - 1755年(乾隆20年))は字が衡臣、号が研齋の安徽桐城出身の政治家。保
和殿大学士、軍機大臣、太保の位を得て、三等伯に封ぜられ、三朝に渡って五十年仕えた。

 康熙十一年生まれで、父は康熙朝の大学士・張英。康熙三十九年に進士(科挙の最終合格者)となる。康熙朝の検討、直南
書房、洗馬、侍講学士、内閣学士、刑部侍郎、吏部侍郎等の職を歴任。
 雍正元年礼部尚書に昇進、次年に戸部尚書、翰林院掌院学士、国史館総裁、太子太保へ転任。
 三年、大學士の仕事に配属される。四年、文淵閣大学士、戸部尚書、翰林院掌院学士へ進み,康熙實録總裁官を兼任。
 六年(1728年)、保和殿大学士兼吏部尚書へ転任。
 七年,少保の階級を得る。同年、西北での戦争により、軍機房を隆宗門内に設け、怡親王允祥より、その仕事を大学士の蔣廷
錫が取締った。雍正帝の臨終で、オルタイ(鄂爾泰)と共に 勅命をうけて大臣となった。乾隆帝の時代に、両朝の元老となった事
を朝廷が重くみて、死後太廟へ祭られた。清の時代を通して、漢民族の大臣で太廟へ祭られた者は張廷玉ただ一人である。
 張廷玉の在任期間での主な仕事は皇帝の秘書であり、清の朝廷の政治へ上奏文の制度と軍機処の運用規則の改善で貢献し
た。他の直接政務を処理した大臣と違い、歴史上張廷玉の具体的な功績はあまり多く残されていない。

 張廷玉の人となりは小心翼々として、「萬言萬當、不如一默」(清:黄山谷の言)謹んで守った。そのため雍正帝は彼を「器量純
全、抒誠供職」と讃え「大臣中第一宣力者」と称した。

 相前後して『康熙字典』、『雍正実録』、そして『明史』、『國史館』、『清会典』を編纂した。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 07:58:24 ID:0ZZNTNDE0
清朝に反抗した英雄は?

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 09:03:05 ID:o3xkLot+0
>>6
台湾に拠った鄭成功が、その代表格だろうね。
清代初期には、鄭成功とその他の明の残党勢力。

続いて三藩の乱時における、呉三桂を初めとした、明から清に降った武将たち。

康熙年間後期以降は、反清勢力は地下に潜伏した。
天地会などの伝説が残っている。

乾隆年間末期には、白蓮教の教徒の蜂起があった。


8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 00:29:08 ID:X6f4Dp+60
白蓮教の蜂起には、明朝滅亡以来ずっと続いてきた反清運動組織は、
関わっていたんだろうか?

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 10:00:23 ID:BavDBui30
乾隆帝の十全武功

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 17:20:52 ID:0CnKDMPQ0
>>8
それなりに関わったと思う。

11 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2006/10/28(土) 20:10:12 ID:NXlP7CEu0
アヘン戦争の発端を引き起こしたとされる林則徐、彼は英雄の類に入りますか?

>>3
サルフの戦いで、明王朝軍側に劉挺と李如柏の名前が見えますが、この2人は
文禄・慶長の役で小西行長と戦ったみたいですね?

と、清王朝(後金)VS明王朝の山場といえる“寧遠の戦い”で、常勝・ヌルハチに
敗北を与え、一人孤軍奮闘した袁崇煥!!彼がもう少し早く生まれていれば、明王朝の
滅亡は遅くなっていた…かもしれませんw

>>6
英雄かどうかは分かりませんが、ヤーウェ(ヤハウェ?)の第二子を名乗り、太平天国を興し
清王朝に反旗を翻した洪秀全はどうなんでしょうか?

と、その太平天国の乱で、王朝の自慢の正規軍(八旗)は太平軍に連戦連敗を喫していましたが、
(この頃の八旗は正規軍としての機能を全くしていなかったらしいです)唯一、曽国藩が編成した
義勇軍だけは勝利し続けたとあります!!
あと、オイラは知らなかったのですが、5年ぐらい前に中国で曽国藩ブームがあったみたいですw

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 12:36:07 ID:26deI4230
>>11
林則徐は、文官だけど、英雄と呼んでいいと思うよ。
英雄とは、何も武将に限らないから。

サルフの戦いに参加した李如柏は、遼東安定に功績のあった李成梁の子で、
朝鮮の役で碧蹄館の戦いで明軍を率いた李如松の弟。
明では、部門の名門と言える。ちなみに、この李氏は朝鮮出身らしい。

袁崇煥はもう少し早く生まれていればと言うより、冤罪で処刑されちゃったから、
微妙だね。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 14:39:30 ID:A+oh1Jup0
洪秀全も英雄といや英雄か

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 17:16:00 ID:nk1jxttHO
愛新覚羅て何か意味があるの?

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 08:36:03 ID:iPA4/w9T0
金朝の覚羅氏と言うような意味

愛新は金 という意味の満語の発音を漢字表記したもの

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 22:37:36 ID:Si35iFYC0
カックラキンを思い出した。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 13:23:26 ID:fe4/0Bfj0
ふるー

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 14:20:20 ID:V8MlL4X+0
ジュンガルのガルダン

19 :専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/06(月) 21:16:24 ID:AaFdn4fS0
この時代あたりの小説教えて下さい。
特に李鴻章が活躍するやつ。

「清朝大官の幻影」
「曽国藩」
はよんだ。

20 :小魔玉  ◆N10JLQ90IM :2006/11/06(月) 22:38:54 ID:1tiaz1Zk0
太祖・ヌルハチは金王朝の始祖・完顔阿骨打(昔、こんな名前の漫画家さんが居たようなw)
の子孫になるのでしょうか?
と、久しぶりに映画「ラスト・エンペラー」を観ようか思案中ですw

>>12
おぉ〜!!李如柏は朝鮮・李氏の出身だったんですね?
(12さんのおかげで、勉強になりますw)
と、アヘン戦争以後の清の“グダグダ”に(アヘン戦争→太平天国の乱→日清戦争→
義和団→辛亥革命)涙が出てきます つ∀T)

>>14
15さんと同意見で、姓名だと思います。
と、宣統帝・溥儀の弟(溥傑)に嫁いだ公家出身の嵯峨浩は、結婚後“愛新覚羅浩”と
名乗っています。

>>19
オイラのオススメは陳先生の「江は流れず」です!!
と、日清戦争の話で、李鴻章が死ぬ直前の下関条約までが詳しく描かれています!!

あと漫画ですが、江川達也の「日露戦争物語」も面白くてオススメですw

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 07:56:36 ID:3Thn7Qq9O
>>20
ヌルハチは完顔氏とは氏族的には無関係。
完顔阿骨打さんはロリエロ漫画家さんでいますよ。

愛親覚羅は「金(王朝)の」「金の貴族の」という意味。
ただ実際に金の末裔だったかは未詳。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 23:26:27 ID:LgbViBId0
清代じゃないけど、李成梁の影響は大きいな。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 23:45:54 ID:YBw/bV9U0
李成梁は朝鮮系らしいけど、朝鮮の王朝の李氏とは関係があったのだろうか?

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 15:03:09 ID:ITguuZLR0
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%88%90%E6%A2%81
 李成梁(りせいりょう、1526年 - 1615年)は、明代の武官。遼東総兵として遼東一帯を統括し、女真族の鎮撫に当たった。

 字は如契。かつて朝鮮から亡命した女真族(朝鮮族との説もあり)李英の子孫で、遼東鉄嶺衛(遼寧省鉄嶺)の指揮僉事の職
を代々世襲していたが、隆慶4年(1570年)に遼東総兵となり、当時侵入の激しかった女真族に対する防御に当たることとなった。

 李成梁は、軍備を拡充しつつ、建州女真、海西女真などに分かれていた女真族が明との交易権を巡って争っていることに付け
込んで内部分裂を図ることにより、遼東の安定に多大な功績を上げた。この時期、李成梁の後援を得て勢力拡大に成功したのが
後の清の太祖ヌルハチである。

 長年に渡って遼東を統括し、地方の実力者として割拠した李成梁は、一方で軍費の流用などの汚職や専断が多く、万暦19年
(1591年)に弾劾されて失職、一旦は復職したものの、万暦36年(1608年)に罷免された。

 息子に文禄・慶長の役で日本軍と戦った李如松、サルフの戦いに参加した李如柏らがいる。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 19:55:07 ID:F8OeYS/+0
清朝なんて馬鹿揃いのカスばっか。
今のちうごくは歴史上最低レヴェルの野蛮人ばっかだし、終わってる。
あそこがすごかったのはせいぜい唐まで。
以降は悲惨すぎる惨めな歴史wシナ猿は世界で最も多いゴキブリ民族というのがとりえwwwwwwwwww

26 :専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/19(日) 19:50:00 ID:e05zy3Rh0
尊敬できる人物、李鴻章。

27 :専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/19(日) 20:48:32 ID:e05zy3Rh0
り・ホンチャン最高

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 23:43:51 ID:R9h/KX1G0
>>25
中国の最盛期は宋代だよ。
軍事的にはぼろぼろだったけど。

29 :専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/21(火) 20:15:56 ID:lTDc7fIl0
>>28
宋代は文人がもっとも尊重された文化の時代。
明代は文人が暗黒の時代。
清代には文人がそれなりに活躍してるし、文化も発達しているぞ。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 21:03:11 ID:1v/odRrT0
明が文人暗黒の時代とは笑わせてくれるな

31 :専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/21(火) 21:06:04 ID:lTDc7fIl0
>>30
文人と言っても読書人層ではなくて科挙官僚のこと。
やはり、洪武帝、永楽帝の粛清の影響かな。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 21:11:21 ID:1v/odRrT0
ならちゃんとそう判るように書くか、日本語勉強しろよ

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 11:08:05 ID:Mfg438L+0
>>19
浅田次郎の「蒼穹の昴」は?
かなり娯楽色の強いやつだけど
李鴻章えらくカッコ良く描かれているよ。
狼狽した汚職高官の前に鎧をまとってドーンと現れるシーンなんか
江田島平八のようだったw

「江は流れず」は袁世凱がなぜか憎めない可愛いキャラになってるw

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 17:48:15 ID:gFzOsHWO0
袁世凱って姉さん女房なんだね。

35 :専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/22(水) 18:45:00 ID:ZIa1LVZG0
>>33
「蒼穹の昴」もよんだ。
リ・ホンチャン最高にかっこいい。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 23:35:16 ID:AZAp2Au20
>>34
妾には朝鮮人も
いろいろと朝鮮に関わっていた人だし

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 14:36:14 ID:LLssZ0AR0
清の太祖はヌルハチだけど、その前の李成梁の存在が大きいよな。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 11:02:35 ID:PnKMZmIa0
 ヌルハチが生まれた頃の女真族は建州女真五部、海西女真四部、野人女真四部に分かれており、互いに激しい抗争を
繰り広げていた。その抗争の主たる原因は、明に対する朝貢の権限を求めてのことである。朝貢によりこの地方の特産物
である高麗人参や動物の毛皮を売買することで巨利を得ることができた。これを利用して明は朝貢の権利を分散させること
で飛び抜けて勢力の強い部族を出さないようにし、また互いに権利を巡って争うように仕向けた。
 しかし女真の抗争があまりにも激しすぎると思った明の遼東総兵李成梁は、一つ明が制御できる程度の大きな勢力を作
り、その後ろ盾となることで女真族を治めようとした。これに選ばれたのが、建州女真のヌルハチである。ヌルハチが選ばれ
たことの理由としては、ヌルハチの部族は祖父の代から明に対して友好的であったからであろう。ヌルハチの祖父と父はあ
る戦闘中に明軍に協力していたにも拘わらず、誤って明軍に殺されたということがあり、これが李成梁の負い目となってヌル
ハチに助力したとも考えられる。
 事態は李成梁の思惑通りに進み、ヌルハチは女真族の中の大勢力となり、1589年(万暦17年)には建州女真五部を統一
した。それと同時に李成梁の懐に入る賄賂の量も大幅に増えた。これに気をよくしたのかヌルハチの統御の事を忘れてしま
っていた。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 16:11:05 ID:N5AfSxer0
そのまま争わせておけばよかったのに。

外敵がいなくても明の内乱は避けられなかっただろうけど。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 18:17:59 ID:03aWhca90
そうしたかったのかも知れんが、日本(秀吉)が攻めて来て女真を相手にする余裕が無くなっちゃったてのもある。
その文禄・慶長の役による明国内の軍費などの消耗も大きかったが、それに対処する政治的な動きが何も無かった。
(「何も無かった」は言い過ぎかも知れんが。)

14 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)